クリスマスを誤解している人たち~山下達郎の罪、及、クリスマス・誕生日のケーキについて
〔第78回〕
クリスマスとは何の日か。 ・・・→ イエスが生まれた日。
私は、キリスト教系の幼稚園に行っていたので、子どもの頃から、当たり前のように理解していた。 ところが、世の中には、クリスマスと忘年会を一緒にするオッサンたちがいて、サンタの格好をしたおねえちゃんのいるスナックとかもあったりして、それも、まあ、いいんじゃない。 学生がクリスマス会ということで、プレゼントの交換をしたりするのも悪くないと思うし。
しかし、これは不快だと思うのは、山下達郎である。
「クリスマスというのは、彼女といちゃつく日」だと決めつけて、歌を作って広めてしまった。
そういう日じゃないんだよ、クリスマスというのは。
≪ ・・・・彼らがそこにいるうちに、マリヤは月満ちて、男の初子(ういご)を生み、布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には場所がなかったのである。
そのあたりで、羊飼いが何人か野宿をして羊の群れの夜番をしていた。すると主の使いが彼らのところにおり立ち、主の栄光が彼らを包み照らしたので、彼らはすっかりおびえた。天使はいった、「おそれるな。見よ、わたしは民全体への大きなよろこびをあなた方に伝える。きょうダビデの町であなた方のために救い主いがお生まれになった。この方が主キリストである。赤子が布にくるまれていて飼葉桶に寝ているのが見えよう。それがあなた方への目印である」と。するとたちまちその天使に加わって天の大軍勢が現れ、神をたたえていった、
「いと高き所では栄光が神に、地では平和がみ心にかなう人々に!」と。
天使たちが彼らを離れて天に去ると、羊飼いたちは互いにいった、「さあ、ベツレヘムへ行って、主がわれらにお知らせのこの出来事を見よう」と。・・・・・≫
(『新約聖書 ルカ福音書』第2章6節~16節 前田護郎訳 前田護郎 責任編集『世界の名著 聖書』1978.9.20.中央公論社 中公バックス)
キリスト教徒やイスラム教徒が寺や神社に行っても良いと思うし、キリスト教の牧師さんで、有名寺院を訪ねるのを趣味にしている人がいたりもしますが、それは何も悪いことではないと思うが、宗教の施設に行った時には、特別に難しく考えなくても良いとは思うけれども、そこは宗教の施設であるということは認識して、そういう場所であるとしての態度を取るべきであると思う。
礼拝するのはヤハウェのみということで、神社の拝殿で頭を下げたり、お寺の本堂で合掌したりするのを控えるということであれば、それが自分で慎重に考えた上での宗教的判断であるならば、それで良いと思うし、キリスト教徒がお寺に行った時に、本堂で手を合わせるのは、そのお寺への挨拶のようなものだと本人が考えるのであれば、それはそれでも良いと私は思っている。
どうかな?と思うのは、3年ほど前、京都の清水寺に行った時、ずいぶんと人が多く、御朱印を書いてもらう時に「ずいぶんと、人が多いですね」と言うと、「いや、きょうはそれほどではありません。もっと多い時があります。」と言われたのですが、なんだか、遊園地かなんかに行くような雰囲気のおにいちゃん、おねえちゃんが多くて、はたして、これでいいのだろうか、と疑問に思ったことがありました。 有名寺院に、たとえ、遊園地に行くような気持ちで行ったとしても、それが縁で、仏教を学ぼうという気持ちになる人もいるかもしれないし、一見、遊園地に遊びに来ているように見えても、心の中では何かを求めて来ているのかもしれないし、いちがいに決めつけるのも良くないとは思うのですが、しかし、なんか、そこが宗教施設だという意識が希薄な人が多いような印象を受けました。
同様の問題として、キリスト教徒でない人間が、クリスマスに何かをしても悪いことはないでしょうけれども、しかし、キリスト教徒でない人がクリスマスを「祝う」のであれば、せめて、その日が何の日なのか、その日に生まれた人というのはどういう人なのか、ということを少しは考えてみるべきであり、ナザレのイエスと完全に意識が離れてしまったものにクリスマスという名称を使うのはやめてもらいたいように思うのです。 それで、もっともケシカランのが山下達郎で、「ひとりっきりのクリスマスツリー♪」とかいう歌が街中で流れまくるのは、あまりにも、ナザレのイエスとその生涯をバカにしているようで不愉快です。
≪ クリスマスが近づくにつれて、わたしの心をいつも占めるのは、
「イエスは何のために、この世にお生まれになったのか」
ということである。その年も、
「イエス様は、わたしたちを救うためにお生まれになったのね。つまり、イエス様は十字架におかかりになるために、お生まれになったのね」
と、目に涙をいっぱいためて、三浦と話をしていた。
街に出ると、ジングルベルの曲がにぎやかに鳴りひびき、どの店にもクリスマスツリーがきらびやかに飾ってある。何となく浮き浮きしている街を歩きながら、わたしは異国にでもいるような気がした。
そこには、わたしが泣きたいような感謝の思いで迎えるクリスマスとは、どうにも勝手がちがうものがあった。わたしは無性に淋しかった。
「ねえ、このトラクトを配って歩かない?」
わたしは家へ帰ってから、三浦に言った。それは、「クリスマスとは何か」というトラクトである。わたしたちは結婚以来キリスト教のトラクトをたくさん取り寄せて、人々に送ったり配ったりしていた。教会の日曜学校にある分をいただいたこともある。
三浦とわたしは、こういうことですぐに意気投合する。クリスマスの夜、二人は銘々トラクトを抱えて、旭川の六丁目通りに出かけた。六丁目通りとは、飲み屋や、バーの多い歓楽街である。こんな通りに、キリスト教のトラクトを持って行くというのは、「いやがらせの年齢」的な行為だが、その時の二人は、真剣にほんとうにクリスマスを人々に知ってほしいという気持ちだった。ある人が、
「教会にもクリスマスがあるのですか」
とわたしに尋ねたことがある。
「もちろん、教会ではクリスマスのお祝いをいたしますよ」
というと、相手はびっくりして言った。
「へえ、教会でもクリスマスをやるのですかねえ」
よく聞いて見ると、彼のいうクリスマスとは、三角帽をかぶってシャンペンを抜き、ドンチャンさわぎをするパーティーのことをさしているのだった。
「そうじゃありませんよ。教会のクリスマスは、礼拝と祝会で、賛美歌をうたい、お祈りをし、牧師さんのお話を聞き、いつもより多く献金をしてきますよ。祝会では、お茶とお菓子とみかんくらいが出て、全員でスピーチや寸劇や歌や、ゲームをする和やかなものなのです」
「そんなクリスマスがあるとは知らなかったなあ。クリスマスといえば、バーかキャバレーしかないものだと思ってましたからねえ」
こんな話があったものだから、わたしたちとしても、何とかして一人でも多くの人に、ほんとうのクリスマスを知らせたかったのである。・・・・≫(三浦綾子『愛すること 信ずること』1972.5.24. 講談社現代新書 )
≪ これも皆さんが十分にご存じの事実でありますが、私、二、三年前のこと、十二月二十四日つまりクリスマスの前夜にたまたま都心に出る用事がありまして、夕方近くタクシーで銀座から新橋を通りかかり、そこであのタクシーの洪水の中に巻き込まれて、出るに出られなくなってしまいました。それで、どうにもならないで、その混雑の解けるまでその中でじっとしていたのですが、混雑が緩和して、用事もすまされないまま家に帰るころには、クリスマス・イ―ヴのことですから、いろいろな物を見ることができました。私は足が悪いので、ふだんはあまり外に出ません。それで、こういうことは極めて稀なので、あまりにも強い印象を受けたのかもしれません。 が、私は正直なところを申しまして、それから十二月の二十四日をクリスマス・イ―ヴと言うのがいやになってしまいました。 いったい、あれは何という醜態でしょうか。 はっきりと申しますが、「私は真理を証するものである」、そして、「その真理はあなた方に救いを得させるであろう」、「・・・・自由を与えるであろう」と言われた方、「私は道であり真理である」と言われた方の、いやしくもそういう方の、それもですね、富豪の息子や貴族の息子として生まれたのではない、貧しい大工の息子として、生まれたときは飼葉桶のなかに寝かされたという、その人の誕生を祝うのにふさわしいいことなのでしょうか。あそこに見られるものは浪費であります。この時代の徴候を皆さんは何とお感じになるのでしょうか。・・・・
あれこれと考えながら思いだすのは、私がよく引用するものですが、あの今世紀初めごろにひじょうに活躍したドイツの有名な社会科学者マックス・ウェーバーの言葉です。・・・・「精神のない専門人。それから心情(ヘルツ)のない享楽人。この無〔内容皆無という意味での無〕のものは、自分たちが人間の最高の段階に登りつけたというふうに自惚れるようになるだろう」、こういうんです。・・・・≫ (大塚久雄「真理への畏敬」 大塚久雄『生活の貧しさと心の貧しさ』1978.4.20.みすず書房 所収)
↑(左) 前田 護郎 責任編集『世界の名著 聖書』(1978.9.20.中公バックス)
(中手前)三浦 綾子『愛すること 信ずること』(1972.5.24. 講談社新書)
(右) 大塚 久雄『生活の貧しさと心の貧しさ』(1978.4.20.みすず書房)
私は高校生の時に、三浦綾子の『愛すること信ずること』で、この文章を読み、大学生であった時に大塚久雄の『生活の貧しさと心の貧しさ』に収録されているこの文章を読んで、私自身も大塚久雄と同じく、12月24日には、できるだけ外を出歩かないようにしようという気持ちになりました。 いったい、日本人はイエスという人の生まれた日に何をやっているのか?
クリスマスの音楽といえば、ヘンデルのオラトリオ『メサイヤ』とバッハの『クリスマス オラトリオ』でしょうか。『クリスマス オラトリオ』の方は、12月の終わりから1月の始めにかけて、6回に分けて演奏するのが本来のようですが、私は、日本の12月24日の状況を見ると、『メサイヤ』とか『クリスマスオラトリオ』ではなく、バッハの『マタイ受難曲』を聴きたい気持ちになり、自宅で、よく、『マタイ受難曲』をひとり聴きました。 日本の12月24日の状況を見ると、キリストが生まれた日というよりも、なんだか、十字架につけられた日のような、そんな印象を受けてしまうのです。
中でもケシカランのが、先に述べた山下達郎です。 いったい、どこから、クリスマスが「彼女といちゃつく日」になるのでしょう。なぜ、そんな変な決めつけをするのでしょうか。 この男の頭の中はいったいどうなっているのか、放射線量たっぷりのCTスキャンでもして調べてやりたいような気もします。
それで、私は、大学を卒業後、住宅建築の会社に勤めてから、12月24日にどういうことをしてきたかというと、だいたい、12月の25日が「締め日」であり、厳密には12月の26日の終わりまでに12月25日の日付の入った契約書と顧客台帳を本社にファックスで送り、お客様に12月の27日の午前中までに契約金を振り込んでもらえれば、その年の契約になるということから、最後の追い込みであり、「ひとりっきりのクリスマスツリー」だの「ふたりっきりのなんじゃら」だのと言っているよな暇はなかったのです。年賀状も書かないといけないし。
さらに、「クリスマスケーキの話」というのがあります。 「女はクリスマスケーキ」という話が昔はありました。24日までに売ってしまわないと、25日になると、急に値打が下がる、というお話です。 この話からいけば、売る方が24日までに売ってしまわないといけないのであって、とにかく、クリスマスケーキが欲しい者は、25日に買いに行けば、24日までよりも安くて、24日までと変わらないものを買えると思いそうです。 ところが。 今となっては10年くらい前のことです。栃木県の佐野市に住んでいた時、勤務していた住宅展示場の近くに、おいしいケーキやさんがありました。 クリスマスの少し前に完成した担当のおうちがあり、入居のお祝いとして、会社からと別に、営業担当者の私からの入居祝いとして、その住宅展示場の近くのケーキ屋さんで、ケーキを買って入居祝いとして挨拶に行きました。 喜んでもらえて、そして、新年を新しい家で迎えることができてよかったのですが、帰って、「そうだ、自分にも、あのケーキ屋さんで、ケーキを買って、『ひとりっきりのクリスマス』を祝おうではないか・・・と思い、そのケーキ屋さんに行きましたが、25日になると、クリスマスケーキは値打が下がって安く買えるのではなく、25日にはひとつも商品はありませんでした。 ひとさまの家ばっかり作って、ひとさまの家庭の幸せにばかり協力して、ふと気づくと自分のクリスマスケーキがありませんでした。
その翌年、山梨県の上野原町(現在は、「平成の大合併」で「上野原市」になったようです。)にいました。 私は誕生日がクリスマスの1月前の11月で、誕生日にひとりでケーキでも買って祝おうかと(「誕生の日を祝う」という意味も誤解している人が多いけれども、ひとつ歳をとるのを喜ぶのではなく、今まであまりいいことはなかったけれども、それでも、自分がこの世に生まれてきたということを祝おうかと)、上野原町の不二家(http://shop.fujiya-peko.co.jp/b/fujiya/info/63090/ )に行きました。 ところが、店の奥に人がいる様子がするにもかかわらず、「すいませ~ん」と何度言っても、出てきてもらえないのです。 奥でテレビでも見ているような感じです。 そうこうするうちに、母親と子供2人づれが入って来ました。そうすると、その母親と子供づれは何も言っていないのに、店のおばさんがすぐに出てきたのです。そして、前から待っている私を無視して、子どもづれに愛想をして、子どもづれの相手をしだしたのです。ケーキに何か文字を入れてもらえるということで、それで、「何といれましょうか」と店員が尋ねると、子ども2人が「何がいい~い?」と言い、母親が「『パ~パ』と入れてもらおう」と言い、子どもが「うん。パ~パ」と言うと、店のおばさんが、「はい、じゃあ、パ~パ」と言って、私を待たせた上で「パ~パ」とケーキに文字を入れて渡しました。 その間、先に来て待っている私を完全に無視して。 そして、「12月のクリスマスケーキの予約を受けつけていますから、どうぞよろしく」と言ってクリスマスケーキのチラシを子ども連れに渡し、私が待っているのを無視してクリスマスケーキの話を長々と続けました。 その私より後で来たにもかかわらず先に対応してもらった子供連れが帰って、やっと、私は相手をしてもらえましたが、「どうも、お待たせしてすいませんでした」のひと言もありませんでした。「パ~パ」の名前入りケーキを買った母親は先から来て待っていた私より先に買ったことに対して「どうも、すいません。」のひと言も言いませんでした。 そして、私には、同じような物を買っているのに、「何と文字を入れましょうか」という問いかけもしてくれませんでした。さらに、クリスマスケーキの予約の案内も私にはしませんでした。 そして、子どもづれには、私が待っていてもおかまいなしに、いつまでも愛想したくせに、次の客が入ってくると、さっさと次の客を相手にして私は無視されました。 こんな店、二度と来るか! と思いました。そして、クリスマスケーキもその年は買いませんでした。買う気がしなかったのです。 その店は、子どもづれだと大事にするけれども、男性がひとりで買いに行くと軽く扱うのでしょうか。 それとも、上野原では工場に勤務していて作業服を着ていたので、工場労働者だということで金持ちに見えなかったのでしょうか。 私よりもひと回りは若いであろう年齢で、子どもに恵まれたパ~パには愛想をして、子どもに恵まれない者は無視・軽視するようなクリスマスケーキなどというものは、そのようなものは、ケーキではあっても、「クリスマスケーキ」ではないと私は思います。 その1年後か2年後、不二家で賞味期限をごまかしたというニュースが新聞やテレビに出ました。賞味期限の問題よりも、あの客に対する対応の方が私は不愉快です。 営業の仕事を長くやってきた者として、あの店では絶対に買ってはいけないと思いましたし、あの店は人に物を買ってもらう資格がないと思いました。
あの私が先に来て待っているのに無視して先に買って帰った子どもづれの、私よりもひと回り若いパ~パはどうしているでしょうね。 「うちは子どもがあるんですからねえ。あたりまえでしょ!」とでも思っていたでしょうか。 そういう意識で買って帰ったケーキをパ~パと一緒に食べて喜びパ~パの誕生日を祝い、そして、その1カ月後に、「クリスマス」をケーキでパ~パと一緒に祝うのでしょう。 先から来て待っていたのに無視された人間のことなんか、少しも考えずに。
そのパ~パが子どもと食べる「クリスマスケーキ」というのは、本当にクリスマスケーキでしょうか。「子供帝国主義のケーキ」とでも言った方が適切ではないのか、という気もするのですけれども。
山下達郎と子供帝国主義の“クリスマス”の日が近づいてきた。
私は、『マタイ受難曲』を聴こうではないか。 ケーキは要らない。なにしろ、今年のケーキは放射性物質を大量に含んだ乳製品を使用している可能性が大きいのだから。 パ~パにあげよう。 セシウム入りケーキを。
「毒いり きけん。 食べたら死ぬで。」(怪人三十三間堂)
※山下達郎については、
「ウィキペディア―山下達郎」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E9%81%94%E9%83%8E 参照。
山下達郎の「クリスマス・イブ」という下品な歌はできるだけ歌わないでほしいと思います。又、できるだけ流さないでほしいと思います。
※放射能の広がりについては、
群馬大学・早川由紀夫教授の「火山ブログ」http://kipuka.blog70.fc2.com/
「福島第一原発から漏れた放射能のひろがり」 http://blog-imgs-26-origin.fc2.com/k/i/p/kipuka/09decJG.jpg
「フクシマとチェルノブイリの比較」http://blog-imgs-26-origin.fc2.com/k/i/p/kipuka/CHER22.jpg 他参照。
※「子供帝国主義」については、〔第67回〕《「アンパンマン帝国主義」は張り子の虎か?―親の我儘の結果としての子供帝国主義~営業と会社の話(13)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201109article_7.html も御参照ください。
※「マタイ受難曲」については、たとえば、
「YouTube―J.S.バッハ マタイ受難曲 BWV.244 」http://www.youtube.com/watch?v=CR0nRMJ4_90&feature=related参照。
(2011.12.10.)
(追記) 12月14日、「うえ」様からコメントをいただきました。 一般に、コメントは歓迎いたしますが、「……」では、コメントに対するご返事としてのコメントを述べることはできません。 賛成・同感のコメント、反対・批判のコメントとも、内容について述べていただいくコメントの方がよりうれしく思います。 (2011.12.15.)
(追記) インターネットで見ていたところ、不二家 上野原店は、2012年10月15日で閉店したと書かれたものを見ました。(「ついっぷるフォト シュワM-NAさん」http://p.twipple.jp/euFLM ) (2012.11.27.)
クリスマスとは何の日か。 ・・・→ イエスが生まれた日。
私は、キリスト教系の幼稚園に行っていたので、子どもの頃から、当たり前のように理解していた。 ところが、世の中には、クリスマスと忘年会を一緒にするオッサンたちがいて、サンタの格好をしたおねえちゃんのいるスナックとかもあったりして、それも、まあ、いいんじゃない。 学生がクリスマス会ということで、プレゼントの交換をしたりするのも悪くないと思うし。
しかし、これは不快だと思うのは、山下達郎である。
「クリスマスというのは、彼女といちゃつく日」だと決めつけて、歌を作って広めてしまった。
そういう日じゃないんだよ、クリスマスというのは。
≪ ・・・・彼らがそこにいるうちに、マリヤは月満ちて、男の初子(ういご)を生み、布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には場所がなかったのである。
そのあたりで、羊飼いが何人か野宿をして羊の群れの夜番をしていた。すると主の使いが彼らのところにおり立ち、主の栄光が彼らを包み照らしたので、彼らはすっかりおびえた。天使はいった、「おそれるな。見よ、わたしは民全体への大きなよろこびをあなた方に伝える。きょうダビデの町であなた方のために救い主いがお生まれになった。この方が主キリストである。赤子が布にくるまれていて飼葉桶に寝ているのが見えよう。それがあなた方への目印である」と。するとたちまちその天使に加わって天の大軍勢が現れ、神をたたえていった、
「いと高き所では栄光が神に、地では平和がみ心にかなう人々に!」と。
天使たちが彼らを離れて天に去ると、羊飼いたちは互いにいった、「さあ、ベツレヘムへ行って、主がわれらにお知らせのこの出来事を見よう」と。・・・・・≫
(『新約聖書 ルカ福音書』第2章6節~16節 前田護郎訳 前田護郎 責任編集『世界の名著 聖書』1978.9.20.中央公論社 中公バックス)
キリスト教徒やイスラム教徒が寺や神社に行っても良いと思うし、キリスト教の牧師さんで、有名寺院を訪ねるのを趣味にしている人がいたりもしますが、それは何も悪いことではないと思うが、宗教の施設に行った時には、特別に難しく考えなくても良いとは思うけれども、そこは宗教の施設であるということは認識して、そういう場所であるとしての態度を取るべきであると思う。
礼拝するのはヤハウェのみということで、神社の拝殿で頭を下げたり、お寺の本堂で合掌したりするのを控えるということであれば、それが自分で慎重に考えた上での宗教的判断であるならば、それで良いと思うし、キリスト教徒がお寺に行った時に、本堂で手を合わせるのは、そのお寺への挨拶のようなものだと本人が考えるのであれば、それはそれでも良いと私は思っている。
どうかな?と思うのは、3年ほど前、京都の清水寺に行った時、ずいぶんと人が多く、御朱印を書いてもらう時に「ずいぶんと、人が多いですね」と言うと、「いや、きょうはそれほどではありません。もっと多い時があります。」と言われたのですが、なんだか、遊園地かなんかに行くような雰囲気のおにいちゃん、おねえちゃんが多くて、はたして、これでいいのだろうか、と疑問に思ったことがありました。 有名寺院に、たとえ、遊園地に行くような気持ちで行ったとしても、それが縁で、仏教を学ぼうという気持ちになる人もいるかもしれないし、一見、遊園地に遊びに来ているように見えても、心の中では何かを求めて来ているのかもしれないし、いちがいに決めつけるのも良くないとは思うのですが、しかし、なんか、そこが宗教施設だという意識が希薄な人が多いような印象を受けました。
同様の問題として、キリスト教徒でない人間が、クリスマスに何かをしても悪いことはないでしょうけれども、しかし、キリスト教徒でない人がクリスマスを「祝う」のであれば、せめて、その日が何の日なのか、その日に生まれた人というのはどういう人なのか、ということを少しは考えてみるべきであり、ナザレのイエスと完全に意識が離れてしまったものにクリスマスという名称を使うのはやめてもらいたいように思うのです。 それで、もっともケシカランのが山下達郎で、「ひとりっきりのクリスマスツリー♪」とかいう歌が街中で流れまくるのは、あまりにも、ナザレのイエスとその生涯をバカにしているようで不愉快です。
≪ クリスマスが近づくにつれて、わたしの心をいつも占めるのは、
「イエスは何のために、この世にお生まれになったのか」
ということである。その年も、
「イエス様は、わたしたちを救うためにお生まれになったのね。つまり、イエス様は十字架におかかりになるために、お生まれになったのね」
と、目に涙をいっぱいためて、三浦と話をしていた。
街に出ると、ジングルベルの曲がにぎやかに鳴りひびき、どの店にもクリスマスツリーがきらびやかに飾ってある。何となく浮き浮きしている街を歩きながら、わたしは異国にでもいるような気がした。
そこには、わたしが泣きたいような感謝の思いで迎えるクリスマスとは、どうにも勝手がちがうものがあった。わたしは無性に淋しかった。
「ねえ、このトラクトを配って歩かない?」
わたしは家へ帰ってから、三浦に言った。それは、「クリスマスとは何か」というトラクトである。わたしたちは結婚以来キリスト教のトラクトをたくさん取り寄せて、人々に送ったり配ったりしていた。教会の日曜学校にある分をいただいたこともある。
三浦とわたしは、こういうことですぐに意気投合する。クリスマスの夜、二人は銘々トラクトを抱えて、旭川の六丁目通りに出かけた。六丁目通りとは、飲み屋や、バーの多い歓楽街である。こんな通りに、キリスト教のトラクトを持って行くというのは、「いやがらせの年齢」的な行為だが、その時の二人は、真剣にほんとうにクリスマスを人々に知ってほしいという気持ちだった。ある人が、
「教会にもクリスマスがあるのですか」
とわたしに尋ねたことがある。
「もちろん、教会ではクリスマスのお祝いをいたしますよ」
というと、相手はびっくりして言った。
「へえ、教会でもクリスマスをやるのですかねえ」
よく聞いて見ると、彼のいうクリスマスとは、三角帽をかぶってシャンペンを抜き、ドンチャンさわぎをするパーティーのことをさしているのだった。
「そうじゃありませんよ。教会のクリスマスは、礼拝と祝会で、賛美歌をうたい、お祈りをし、牧師さんのお話を聞き、いつもより多く献金をしてきますよ。祝会では、お茶とお菓子とみかんくらいが出て、全員でスピーチや寸劇や歌や、ゲームをする和やかなものなのです」
「そんなクリスマスがあるとは知らなかったなあ。クリスマスといえば、バーかキャバレーしかないものだと思ってましたからねえ」
こんな話があったものだから、わたしたちとしても、何とかして一人でも多くの人に、ほんとうのクリスマスを知らせたかったのである。・・・・≫(三浦綾子『愛すること 信ずること』1972.5.24. 講談社現代新書 )
≪ これも皆さんが十分にご存じの事実でありますが、私、二、三年前のこと、十二月二十四日つまりクリスマスの前夜にたまたま都心に出る用事がありまして、夕方近くタクシーで銀座から新橋を通りかかり、そこであのタクシーの洪水の中に巻き込まれて、出るに出られなくなってしまいました。それで、どうにもならないで、その混雑の解けるまでその中でじっとしていたのですが、混雑が緩和して、用事もすまされないまま家に帰るころには、クリスマス・イ―ヴのことですから、いろいろな物を見ることができました。私は足が悪いので、ふだんはあまり外に出ません。それで、こういうことは極めて稀なので、あまりにも強い印象を受けたのかもしれません。 が、私は正直なところを申しまして、それから十二月の二十四日をクリスマス・イ―ヴと言うのがいやになってしまいました。 いったい、あれは何という醜態でしょうか。 はっきりと申しますが、「私は真理を証するものである」、そして、「その真理はあなた方に救いを得させるであろう」、「・・・・自由を与えるであろう」と言われた方、「私は道であり真理である」と言われた方の、いやしくもそういう方の、それもですね、富豪の息子や貴族の息子として生まれたのではない、貧しい大工の息子として、生まれたときは飼葉桶のなかに寝かされたという、その人の誕生を祝うのにふさわしいいことなのでしょうか。あそこに見られるものは浪費であります。この時代の徴候を皆さんは何とお感じになるのでしょうか。・・・・
あれこれと考えながら思いだすのは、私がよく引用するものですが、あの今世紀初めごろにひじょうに活躍したドイツの有名な社会科学者マックス・ウェーバーの言葉です。・・・・「精神のない専門人。それから心情(ヘルツ)のない享楽人。この無〔内容皆無という意味での無〕のものは、自分たちが人間の最高の段階に登りつけたというふうに自惚れるようになるだろう」、こういうんです。・・・・≫ (大塚久雄「真理への畏敬」 大塚久雄『生活の貧しさと心の貧しさ』1978.4.20.みすず書房 所収)
↑(左) 前田 護郎 責任編集『世界の名著 聖書』(1978.9.20.中公バックス)
(中手前)三浦 綾子『愛すること 信ずること』(1972.5.24. 講談社新書)
(右) 大塚 久雄『生活の貧しさと心の貧しさ』(1978.4.20.みすず書房)
私は高校生の時に、三浦綾子の『愛すること信ずること』で、この文章を読み、大学生であった時に大塚久雄の『生活の貧しさと心の貧しさ』に収録されているこの文章を読んで、私自身も大塚久雄と同じく、12月24日には、できるだけ外を出歩かないようにしようという気持ちになりました。 いったい、日本人はイエスという人の生まれた日に何をやっているのか?
クリスマスの音楽といえば、ヘンデルのオラトリオ『メサイヤ』とバッハの『クリスマス オラトリオ』でしょうか。『クリスマス オラトリオ』の方は、12月の終わりから1月の始めにかけて、6回に分けて演奏するのが本来のようですが、私は、日本の12月24日の状況を見ると、『メサイヤ』とか『クリスマスオラトリオ』ではなく、バッハの『マタイ受難曲』を聴きたい気持ちになり、自宅で、よく、『マタイ受難曲』をひとり聴きました。 日本の12月24日の状況を見ると、キリストが生まれた日というよりも、なんだか、十字架につけられた日のような、そんな印象を受けてしまうのです。
中でもケシカランのが、先に述べた山下達郎です。 いったい、どこから、クリスマスが「彼女といちゃつく日」になるのでしょう。なぜ、そんな変な決めつけをするのでしょうか。 この男の頭の中はいったいどうなっているのか、放射線量たっぷりのCTスキャンでもして調べてやりたいような気もします。
それで、私は、大学を卒業後、住宅建築の会社に勤めてから、12月24日にどういうことをしてきたかというと、だいたい、12月の25日が「締め日」であり、厳密には12月の26日の終わりまでに12月25日の日付の入った契約書と顧客台帳を本社にファックスで送り、お客様に12月の27日の午前中までに契約金を振り込んでもらえれば、その年の契約になるということから、最後の追い込みであり、「ひとりっきりのクリスマスツリー」だの「ふたりっきりのなんじゃら」だのと言っているよな暇はなかったのです。年賀状も書かないといけないし。
さらに、「クリスマスケーキの話」というのがあります。 「女はクリスマスケーキ」という話が昔はありました。24日までに売ってしまわないと、25日になると、急に値打が下がる、というお話です。 この話からいけば、売る方が24日までに売ってしまわないといけないのであって、とにかく、クリスマスケーキが欲しい者は、25日に買いに行けば、24日までよりも安くて、24日までと変わらないものを買えると思いそうです。 ところが。 今となっては10年くらい前のことです。栃木県の佐野市に住んでいた時、勤務していた住宅展示場の近くに、おいしいケーキやさんがありました。 クリスマスの少し前に完成した担当のおうちがあり、入居のお祝いとして、会社からと別に、営業担当者の私からの入居祝いとして、その住宅展示場の近くのケーキ屋さんで、ケーキを買って入居祝いとして挨拶に行きました。 喜んでもらえて、そして、新年を新しい家で迎えることができてよかったのですが、帰って、「そうだ、自分にも、あのケーキ屋さんで、ケーキを買って、『ひとりっきりのクリスマス』を祝おうではないか・・・と思い、そのケーキ屋さんに行きましたが、25日になると、クリスマスケーキは値打が下がって安く買えるのではなく、25日にはひとつも商品はありませんでした。 ひとさまの家ばっかり作って、ひとさまの家庭の幸せにばかり協力して、ふと気づくと自分のクリスマスケーキがありませんでした。
その翌年、山梨県の上野原町(現在は、「平成の大合併」で「上野原市」になったようです。)にいました。 私は誕生日がクリスマスの1月前の11月で、誕生日にひとりでケーキでも買って祝おうかと(「誕生の日を祝う」という意味も誤解している人が多いけれども、ひとつ歳をとるのを喜ぶのではなく、今まであまりいいことはなかったけれども、それでも、自分がこの世に生まれてきたということを祝おうかと)、上野原町の不二家(http://shop.fujiya-peko.co.jp/b/fujiya/info/63090/ )に行きました。 ところが、店の奥に人がいる様子がするにもかかわらず、「すいませ~ん」と何度言っても、出てきてもらえないのです。 奥でテレビでも見ているような感じです。 そうこうするうちに、母親と子供2人づれが入って来ました。そうすると、その母親と子供づれは何も言っていないのに、店のおばさんがすぐに出てきたのです。そして、前から待っている私を無視して、子どもづれに愛想をして、子どもづれの相手をしだしたのです。ケーキに何か文字を入れてもらえるということで、それで、「何といれましょうか」と店員が尋ねると、子ども2人が「何がいい~い?」と言い、母親が「『パ~パ』と入れてもらおう」と言い、子どもが「うん。パ~パ」と言うと、店のおばさんが、「はい、じゃあ、パ~パ」と言って、私を待たせた上で「パ~パ」とケーキに文字を入れて渡しました。 その間、先に来て待っている私を完全に無視して。 そして、「12月のクリスマスケーキの予約を受けつけていますから、どうぞよろしく」と言ってクリスマスケーキのチラシを子ども連れに渡し、私が待っているのを無視してクリスマスケーキの話を長々と続けました。 その私より後で来たにもかかわらず先に対応してもらった子供連れが帰って、やっと、私は相手をしてもらえましたが、「どうも、お待たせしてすいませんでした」のひと言もありませんでした。「パ~パ」の名前入りケーキを買った母親は先から来て待っていた私より先に買ったことに対して「どうも、すいません。」のひと言も言いませんでした。 そして、私には、同じような物を買っているのに、「何と文字を入れましょうか」という問いかけもしてくれませんでした。さらに、クリスマスケーキの予約の案内も私にはしませんでした。 そして、子どもづれには、私が待っていてもおかまいなしに、いつまでも愛想したくせに、次の客が入ってくると、さっさと次の客を相手にして私は無視されました。 こんな店、二度と来るか! と思いました。そして、クリスマスケーキもその年は買いませんでした。買う気がしなかったのです。 その店は、子どもづれだと大事にするけれども、男性がひとりで買いに行くと軽く扱うのでしょうか。 それとも、上野原では工場に勤務していて作業服を着ていたので、工場労働者だということで金持ちに見えなかったのでしょうか。 私よりもひと回りは若いであろう年齢で、子どもに恵まれたパ~パには愛想をして、子どもに恵まれない者は無視・軽視するようなクリスマスケーキなどというものは、そのようなものは、ケーキではあっても、「クリスマスケーキ」ではないと私は思います。 その1年後か2年後、不二家で賞味期限をごまかしたというニュースが新聞やテレビに出ました。賞味期限の問題よりも、あの客に対する対応の方が私は不愉快です。 営業の仕事を長くやってきた者として、あの店では絶対に買ってはいけないと思いましたし、あの店は人に物を買ってもらう資格がないと思いました。
あの私が先に来て待っているのに無視して先に買って帰った子どもづれの、私よりもひと回り若いパ~パはどうしているでしょうね。 「うちは子どもがあるんですからねえ。あたりまえでしょ!」とでも思っていたでしょうか。 そういう意識で買って帰ったケーキをパ~パと一緒に食べて喜びパ~パの誕生日を祝い、そして、その1カ月後に、「クリスマス」をケーキでパ~パと一緒に祝うのでしょう。 先から来て待っていたのに無視された人間のことなんか、少しも考えずに。
そのパ~パが子どもと食べる「クリスマスケーキ」というのは、本当にクリスマスケーキでしょうか。「子供帝国主義のケーキ」とでも言った方が適切ではないのか、という気もするのですけれども。
山下達郎と子供帝国主義の“クリスマス”の日が近づいてきた。
私は、『マタイ受難曲』を聴こうではないか。 ケーキは要らない。なにしろ、今年のケーキは放射性物質を大量に含んだ乳製品を使用している可能性が大きいのだから。 パ~パにあげよう。 セシウム入りケーキを。
「毒いり きけん。 食べたら死ぬで。」(怪人三十三間堂)
※山下達郎については、
「ウィキペディア―山下達郎」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E9%81%94%E9%83%8E 参照。
山下達郎の「クリスマス・イブ」という下品な歌はできるだけ歌わないでほしいと思います。又、できるだけ流さないでほしいと思います。
※放射能の広がりについては、
群馬大学・早川由紀夫教授の「火山ブログ」http://kipuka.blog70.fc2.com/
「福島第一原発から漏れた放射能のひろがり」 http://blog-imgs-26-origin.fc2.com/k/i/p/kipuka/09decJG.jpg
「フクシマとチェルノブイリの比較」http://blog-imgs-26-origin.fc2.com/k/i/p/kipuka/CHER22.jpg 他参照。
※「子供帝国主義」については、〔第67回〕《「アンパンマン帝国主義」は張り子の虎か?―親の我儘の結果としての子供帝国主義~営業と会社の話(13)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201109article_7.html も御参照ください。
※「マタイ受難曲」については、たとえば、
「YouTube―J.S.バッハ マタイ受難曲 BWV.244 」http://www.youtube.com/watch?v=CR0nRMJ4_90&feature=related参照。
(2011.12.10.)
(追記) 12月14日、「うえ」様からコメントをいただきました。 一般に、コメントは歓迎いたしますが、「……」では、コメントに対するご返事としてのコメントを述べることはできません。 賛成・同感のコメント、反対・批判のコメントとも、内容について述べていただいくコメントの方がよりうれしく思います。 (2011.12.15.)
(追記) インターネットで見ていたところ、不二家 上野原店は、2012年10月15日で閉店したと書かれたものを見ました。(「ついっぷるフォト シュワM-NAさん」http://p.twipple.jp/euFLM ) (2012.11.27.)
この記事へのコメント