我が若き日の夢は如何に消えたか、及、夢を実現した弁護士・裁判官・検事がなぜ法の精神を踏みにじるか?

〔第115回〕
   今となっては20年以上前、私は慶應義塾大学の商学部を卒業させてもらいましたが、もともとは、経済学部・商学部・経営学部といったいわゆる「文系」には行きたくないと思っていた人間でした。 そういう学部に行かせたかったのは、父親と高校の2年の時の担任の女性教諭の2人で、高校(大阪府立北野高校)2年の担任の女性教諭は、「文系」(経済学部・商学部・経営学部)にだけにはたとえ首をもがれても絶対に行きたくない行かされたくないと思っていた私に、再三にわたって「あなたは“文系”よ」と言い続けました。 母親は、経済学部・商学部・経営学部といった、いわゆる「文系」でも法学部でも良かったようです。母の親戚には学校の先生が多く、親戚関係からは「学校の先生はもういいから、医者か弁護士になってほしいわ」と言われたりしていましたが、高校1年の時に、電車の駅で飛び込み自殺をする人があり、その瞬間ではないが遺体を運んでいるところを目撃し、その夜、うなされたことがあり、それで私は医者には向いていないのではないかと思ったということがありました。
   小学生の頃、「ぼくわたしの偉人伝」というようなシリーズの本を読まされ、そこに出ていた「偉人」とはどういう人かというと、エジソン・キュリー夫人・パスツール・リビングストン・ベートーベン・トルストイ・福沢諭吉といった人でした。 そのうち、ベートーベンは、両親は「芸大みたいなもの、特別の人の行くところだ」と言っていましたので歓迎しそうにないとして、それ以外の人、即ち、工学部に行ってエジソンのような実用的な物を発明する技術者になる、工学部・理学部・薬学部・医学部などに行って、キュリー夫人のような純粋に自然を解明しようとする科学者になる、パスツールのような人の命を助けるような学者になる、リビングストンのようなもっぱら人の命を助けることに尽力する医者になる、トルストイのような文学者になる、あるいは、親戚が希望した弁護士になろうとすれば、両親は喜んでくれると思っていたのです。 学校の先生は、母の親戚に多く、又、戦前戦中は師範学校には学費なしで行けたこともあって金持ちでない家庭の子息で勉強が比較的良くできた人が学校の先生になることが多かったという話を聞いていたので、麻生さんとか鳩山さんのような金持ちではない我が家でもなって悪くない職業だろうと思ったのですが、私が高校に入学した時、父親が「学校の先生みたいなもの」と言ったので、「サラリーマンみたいなもの」と思っていた私と逆のことを言うようで驚いたのですが、父がそう思っているのなら、「先生」でも中学校や高校の先生ではなく大学の教授・助教授というものになるのなら父も喜ぶのではないかと考えたのですが、教授・助教授という職業は高校・中学校の先生より難関かと思えたので、大学から大学院に進学して学者になることを目指して、もしうまくいかなかった時には高校か中学校の学校の先生になった上で学問を続けても悪くないであろうと思い、歴史的に学校の先生というのは金持ちでない人の子供でもなってきた職業であり我が家の親戚にも学校の先生になった人があったので両親も認めてくれるだろうと思ったのです。
   ところが、大学に進学するかしないかという頃になると「うちは工学部なんかに行かすような金持ちとは違います」「医学部は6年間行かないといけないから、4年で卒業できる学部にしなさい」「弁護士なんて、司法試験を何十年も受けて通らないというようなそんなものは絶対だめだ」「国家公務員は転勤が多いからなってはいかん」「うちは学校の先生みたいなものにならすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」「うちは文学部みたいなものに行かすような金持ちとは違います」「哲学科なんていうのは頭のおかしい人の行くところだから行ってはいかん」「うちは大学院なんか行かすような金持ちいとは違います。大学院に行くような人間は、モラトリアム人間病という病気にかかっているのだ。慶應義塾大学医学部の小此木啓吾先生がおっしゃってる」「出版社は給料が安いからいかん。 新聞社は、朝日はアカだからいかん。毎日もいかん。マスコミなら産経かNHKでないといかん」・・ということで、医学部・歯学部は6年間行かないといけないからだめ、工学部・理学部・農学部などに行かすような金持ちとは違う、文学部に行かすような金持ちとは違う、芸術学部なんかはもってのほか、法学部でも、たとえ行っても司法試験受験と公務員はだめ、ということで、結局、「会社のために犠牲になる。犠牲の精神。すべてを会社のためにささげつく~す! とってちってたああ~あ!!」の「文系」(経済学部・商学部・経営学部)しか残らないことになってしまったのです。
   「親というものは、子供が大学に行く時には、行きたいと思う大学に行けるようにと思って、仕事に就くときには、つきたい仕事につけるようにと思って、それで、子供の頃から勉強させようとするものだ」と、両親は私に子供の頃から言ってきたはずで、それを信じて、小学校や中学校の同級生が遊んでいる時にも、毎日朝から晩まで勉強してきたはずでしたが、大学に行くかどうかという頃になると、話が変わり、「今まで、誰がカネを出してきたと思ってるんだ。カネを出した者に、決める権利がある。」「親には息子に対しては所有権という権利がある。」と言い、母は「産んだ者に権利がある」と言い、父は「女は単なる畑や。 畑に種を植えてやってやってやった者のおかげで生まれることができたんだ。 種が芽を出したのであって畑が芽を出したのとは違うんや。種を植えていただいた方に対して感謝せんといかん。 種を植えていただいたことに対して、心から感謝の気持ちを持たんといかんのや。畑にではなく、種を植えていただいた方に感謝せんといかんのや。感謝の気持ちを持てえ! それで、芽を出したら、そこから育てるのは畑の仕事だ。ナスビでもキュウリでもそうだ。 それで、育って実がなるようになったら、種を植えた者に権利がある。畑に権利があるのではない。ましてや、ナスビやキュウリに権利があるわけがない。」と言っていました。 なんだ、あほくさい、それなら、小学校の1年から、なにも、あれだけ勉強する必要なんかなかったんじゃないか、と思いましたが、後の祭りでした。
   それで、なぜ、高校の2年の担任の教諭が私に「文系」(経済学部・商学部・経営学部)という私自身がそこだけは何があっても行きたくないと思っていた学部に行かせたがったかというと、その時は、なぜなのだろう、なぜなのかしら・・・と、ずいぶんと不思議に思ったのですが、要するに、高校の教諭として評価してもらうためには、生徒の味方をするよりも親の味方をした方が良いという彼女の処世術からであったようです。 結局、それにしてやられて、高校卒業時においては、日本で最も行きたくないと思っていた大学の、首をもがれても行きたくないと思っていた学部に入学させられることになってしまい、嫌だ嫌だと思いながら、最終的に卒業しました。 もちろん、誰もが、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行けるわけでもないでしょうけれども、たとえ、それでも、出来る限り、本人が行きたいと思う大学、もしくは、それに近い傾向の大学の、行きたいと思う学部学科か、それに近い学部学科に、自分の子供には行かせてやりたいと、それ以来、思うようになりました。
   「種を植えた者の権利」として、「すべてを会社のためにささげつく~す。とおってちいってたあ~あ!!! 死ぬほど働く、死んでも働く、とってちってたあ~あ!!!」と耳元でどなり散らされるための学部に行くために、雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ、毎日、勉強してきたのか、しまった、してやられた、なさけない、だまされたと思っても、どうもなりませんでした。 同じ高校や中学校の人間で、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行ってやりたい勉強をしてつきたい仕事につく人間を見て、心からうらやましいと思いましたが、「すべてを親コッコッコオーのためにささげ尽く~す、会社のための犠牲にな~る。『親に感謝』じゃ。種を植えていただいた方に心より感謝の気持ちを持てえ。 とおってちってたあ~あ! どんがんどんがらがった、ちゃちゃちゃちゃちゃ~ん♪〔この表現でわかりますか? 軍艦マーチです。〕」の大学・学部に行かされることになってしまいました。 やんぬるかな。 
  それで、高校卒業時、自分自身ではどういうところに行きたいと思っていたかというと、哲学科に行って人間のあるべき姿を理論的に追求するか、それとも、あるべき姿の人間になるための手段としての心理学・心身医学を学び実践する人生を送りたいという気持ちがあり、もし、そうでなければ、法学部に行って司法試験を受験して、裁判官か弁護士になりたいと思っていました。 そういう意識の人間であったので、商学部に行っても、商学部の専門科目でも、労務管理論・労働法・労働経済学などの職場において「人間を生かす」という性質のものを多く履修し、又、民法・商法・労働法など商学部生としては法律科目を多く履修しました。 司法試験(旧型司法試験)は、法学部卒でなくても受験できたので、商学部生としてでも受験しようかということも考えたことはあったのですが、我が家では、父は「大学みたいなもの、勉強するところと違うんじゃ。 勉強なんかすることないんじゃ。甘ったれるな。アルバイト、アルバイト、アルバイト、アルバイト。とってちってた~あ♪」「うちらの会社でも、びいんだい のヤツとか きいんだいのヤツとかアルバイトに来とる。」と言って、夏休みなどは全期間のアルバイトの話を私に無断で決めてきました。〔「びいんだい」というのは桃山学院大学のことです。 桃→ピンク から ピン(ク)大。 「きいんだい」は近畿大学です。〕
  キェルケゴールの哲学を学びたいという気持ちがあって、白水社から発行されている『デンマーク語入門』という本を買ってきて読みかけていたのですが、父がそれを見て、「これは、いったい、なんや。デンマーク語みたいなもの、勉強せんでもええ。甘ったれるな。」と言い、取り上げられはしなかったけれども、取り上げられそうな感じになりました。
   母親は母親で、「五流大学に行ったような子は、小学校から高校まで勉強させてもらえなかったから、五流大学しか行けなかったんだから、大学に行ったらアルバイトなんかしないで勉強させてあげなければいけないじゃないの。 それに対して、あんたは、小学校から高校まで勉強させてもらったんだから、大学に行ったからには、勉強みたいなものすることないでしょお。 あんたは高校まで勉強させてもらったんだから、大学入ったら、勉強みたいなものしないで、アルバイトするものでしょおが。」と言い、父は、「そうじゃ。大学みたいなもの。勉強するところと違うんじゃ。甘ったれるな。 会社のために、会社のために。 滅私奉公。すべてを会社のためにささげつく~す。犠牲の精神。 会社のための犠牲になる。犠牲になりたい、犠牲になりたい、もっともっともっともっと犠牲になりたいという気持ち。とってちってた~あ。とってちってとってちってとってちてた~あ♪」と言っていました。(「もっともっともっともっと犠牲になりたい、犠牲になりたいという気持ち」って、なんか、マゾヒズムみたいですが、うちの父親はそういう人間でした。 但し、一般に、そういうことを人に言う人間というのは、自分が「犠牲になりたい」のか、ひとに、そう言いたいのか、どちらなのかははっきりしないところがありますが。)
    同じ高校から、東大・京大・阪大その他に行った者を見ると、たとえ、アルバイトをするにしても、学業優先で、学業に支障がでないように考えた上で、家庭教師などのアルバイトをしたりしなかったりしていましたが、我が家だけ異なりました。 なぜ、私だけが、こんなことをさせられているのだろうか、と思いながら、「とってちってた~あ♪」とか耳元で言われながら、肉体労働系中心のアルバイト漬けの生活を送り、大学の先生からは、「きみ、そんなことしていたのでは、勉強できんだろ。」などと言われたりしましたが、それでも、「とってちってた~あ、 じゃあ。」と言われて、アルバイト漬けの生活を送らされました。 戦中に大学生時代を送った父にとっては、大学生の時というのは、まさしく、「とってちってた~あ♪」という軍国主義の時代で、勉強などほとんどしなかったようです。戦後生まれの親の息子・娘はいいなあと思ったりもしました。なんとか、苦心工夫をして・・と、いろいろと工夫苦心をしました。 アルバイトの行き帰りに本を持参して駅で電車待ちの時間に読み、電車内では乱視にならないように本を読むのはやめて、かわりに、英語の単語・熟語の帳面を持参して、駅に停車した時に見て覚え、次の駅まで電車が走っている間にそれを頭の中で唱えて記憶するという作業をやりましたが、それを見た義兄から「なんだか、二宮金次郎みたいだね。」と言われたこともありましたが(アルバイト先に来ていた関大の学生からは「浪人みたいや」と言われましたが)、「とってちってた~あ♪」の家庭では、これでは厳しいと思うようになりました。 私としては、小学校から高校まで、毎日、努力して勉強して一流大学と言われる所に行けるだけの成績を残せば、自分の行きたい大学の行きたい学部に行って、やりたい勉強をしてつきたい仕事につかせてもらえると思って、それで、小学校から高校まで、同級生が遊んでいる時にも勉強してきたつもりでしたが、大学に進学する前後になると、話は逆転して、「五流大学に行った子はあんたと違って小学校から高校まで勉強させてもらえなかったんだから、大学に行ったらやりたい勉強させてあげないといけないんだから、アルバイトなんかすることないでしょ。それに対して、あんたは小学校から高校まで勉強させてもらったんだから、大學に行ったら、勉強みたいなものしないで、アルバイトしないといけないでしょう。」という話になってしまったのです。しまった。小学校の1年から、同級生が遊んでいる時にも、雨にも負けず風にも負けず勉強してきたのは間違っていたのだ。とんでもないことをしてしまった。 なんて見当違いなことをしてきたんだ、と後悔しましたが、後の祭りでした。

   司法試験には、結局、大学4年の時に、一度、“ オリンピック ”(「参加することに意義がある」⇒合格する見通しはないが、一応、受ける。)として受けましたが、予定通り、短答式で落ちました。 
   しかし、もともと、小学生の頃から法律の本を読んでいた人間であり、卒業させてもらった学部は商学部であっても、経済学系の科目より法学系の科目の方を多く学んで卒業したこともあり、「(法学部+商学部+哲学科)÷3」みたいな感じで卒業しました。 卒業してみると、それはそれで悪くないのじゃないか、世の中には、あるいは、会社には、様々な人間がいた方が良く、「100パーセント商学部」みたいな人もいて良いけれども、「(法学部+商学部+哲学科)÷3」みたいな人間もいて良いのではないかと思うようになりました。
   それで、司法試験受験を考えた時には、検事にはあまりなりたいとは思わず、裁判官か弁護士のどちらかになりたいと思っていました。 潮見敏隆『法律家』(岩波新書)にも、司法試験合格者の人気としては、検事はどうも 「権力のイヌ」 という印象があるのか、人気が低いと書かれていたように思いますが、私は、実際に、検事が「権力のイヌ」なのかどうかわかりませんでしたが、自分がなる場合には、裁判官か弁護士の方に魅力を感じました。
   


   それで、私自身は、裁判官とか弁護士になりたいと思った時、少なくとも、会社員として就職するのでなく、裁判官や弁護士の職業を選ぶからには、「法の精神」というのか「リーガルマインド(legal mind)」というのか「遵法精神」というのか、そういった意識があるから、裁判官や弁護士になりたいと思うのであって、そういうものがなく、収入が目的であるならば、別に、司法試験という難しい試験を受験しなくても、東京海上火災に行けばいいのではないのか、と思っていたのです。 又、大学生であった時の私の周囲にそのように言う人がいたのです。 もっとも、「東京海上火災に行けばいいじゃないか」と言っても、東京海上火災で採用してあげますと言ってもらえてこその話です。 (旧型)司法試験を目指していたような人は、どうも、司法試験現役合格の下に国家公務員試験があって、その下に、地方公務員と民間企業就職があるように思っている人が少なくないようでしたし、東大の法学部では、「講義で1列目の席で聴いている学生が大蔵省で2列目が通産省で3列目が何省で、司法試験に現役で合格する人間は大学の講義ではだめで図書館で勉強していて、講義にもでず図書館で勉強もせずに遊んでいるやつが民間企業」という話があるとどこかで聞いたことがありました。実際には、1列目というのは、見にくいし聴きにくいので、真面目に講義を聴くにしてももう少し後ろの方がいいと思います。実際には、「司法試験→裁判官・検事・弁護士」と国家公務員と民間企業は、 もともと、どちらが上でも下でもないし、民間企業でも人気のある大企業に就職しようと思えば、「一流大学」と言われるところに行っていても、簡単に行けるわけでもないのであり、採用してもらえるという話があるわけでもないのに、「東京海上火災に行けば」と言っても、お気楽なこと言ってんじゃねえぞ、というところでしょうけれども。
   昔、私が小学生の頃、『巨人の星』という漫画とテレビアニメーションがあって、元・巨人軍選手の星 一徹(ほし いってつ)という父親が、息子である子供の頃の星 飛雄馬(ほし ひゅうま)に、夜空の星を指差して、「あの夜空で最も明るく輝く星座が、あれが巨人軍だ。 飛雄馬、おまえは、あの星座の中で、ひときわ、大きく輝く星になるんだ。」と言う場面があったのですが、なんだか、親のエゴまるだし、というのか、子供の意志を完全に無視した、勝手な親父と、最初、親父の言うことに従っていたが、そのうち、独立自尊の精神に目覚めて、自分の道を歩むようになるというのならともかく、逆に、最初は、反逆していながら、そのうち、「野球って、なんてすごいんだ」とか熱血しはじめて、父の後に従うようになる息子、という、なんか変な親子のお話でした。
※『巨人の星』については、
「ニコニコ動画―★懐かしアニメ★巨人の星 OP」http://www.nicovideo.jp/watch/sm1872048 参照。
(昔は、気づかなかったが、今、聴いて気づいたけれども、この歌、軍歌調だね。)
   そのパロディ版というのかで、宮下あきら という漫画家が描いていた漫画(たしか、『激!! 極虎一家』)の中で、父親から、夜空の星を指差して、
「あれが、サラリーマンの世界で最も明るく輝く東京海上火災という星座だ。 いいか、おまえは、あの 東京海上火災の星になるんだあ!」
「東京海上火災養成ギプス」「東京海上火災のために、月夜の千本ノックだあ~あ。」 「東京海上火災のために。 その1、その2、その3。」・・・・・と言われて育ったのはいいけれども、ふと気づくと、筋肉バカになってしまって、「東京海上火災」という言葉がトラウマになって、「東京海上火災」という言葉を聞くと、「あかん。 わし、その言葉だけは苦手なんや。」とへたりこむ、という男の話があったように思います。
※宮下 あきら については、
「ウィキペディア―宮下 あきら」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E4%B8%8B%E3%81%82%E3%81%8D%E3%82%89 他参照。
〔ちなみに、東京海上火災 は、2004年に合併して、東京海上日動火災保険株式会社 になったらしい。 〕
  ・・・要するに、漫画にも登場するくらい、「東京海上火災」というのは、収入の多い会社の代表格とされていたのです。 それで、司法試験を目指すのか東京海上火災を目指すのか、という時、司法試験の方を目指した人というのは、「年収アップに希望をこめて♪」ではなく、やはり、「リーガルマインド」というのか「法の精神」というのかが目的の人ではないのか、と思ったのです。 そういう人なら、おのれの人生・おのれの生きがいとでもいう「リーガルマインド」「法の精神」を自分自身で、土足で踏みにじるようなことはできないであろう、と思ったのです・・・。 ・・・・ところが、マカ不思議なことに、できる人がいるらしいのです。 そして、それは、必ずしも少数派ではないらしいのです。

   
   「文系」(経済学部・商学部・経営学部)に行かされて、「滅私奉公」会社員にならされたくないから、そうならないように、私は、小学校の1年から、日夜、努力してきたつもりでしたが、結局、そういうところへ行かされることになって、最終的に、卒業しました。
   それに対して、小学校の時も中学校の時も高校の時も、私より、決して成績が良くなかったと思われる人で、大学に行ってから、「司法試験なんか受けようというような者はモラトリアム人間病だ」とか言われたりせずに、只管、司法試験の勉強をさせてもらい、それどころか、司法試験の勉強に集中するのをほめまくられたりして、弁護士や裁判官や検事になったような人も、少なくないようです。 まったく、うらやましい限りです・・が、世の中いろいろ、人生いろいろ、であり、家庭もいろいろであるのでしょうから羨んでもしかたがないし、蹴っ飛ばしてやりたいような気持になることも、ときどきあっても、実際に蹴っ飛ばすわけにもいかないのですが・・・・・そうではあるのですが、一方で、いくら努力しても、「とってちってたあ~あ♪」の学部にしか行かせてもらえない、そういう進路にしか進ませてもらえない者もいるのに、自分が進みたい方向に進ませてもらい、なりたい職業につかせてもらって、弁護士や裁判官・検事にならせてもらったような人は、「法の精神」「リーガルマインド」を尊重して、「法の精神」「リーガルマインド」とともに歩む人生を送るべきものではないのか、と思ったのですが、そういう意識のない人がいる、それも少数派ではないらしい。 なぜ、なのだろうか?
   おのれの「リーガルマインド」に遵って歩むよりも、最高裁に追随した方が出世できて年収も多くなると考える裁判官・・・・→ それなら、最初から、裁判官になどならずに、“夜空に輝く”「東京海上火災の星」を目指せばよかったのではないのか??? と思えるのだが、そういう意識はないのだろうか?
   必死で冤罪を造る検察官。 そんなことするために、検事になったの? そんなことするために、司法試験という難しい試験の勉強をしてきたの? 
   ひとつには、 「副検事」という役職の問題があると思う。 私は、かつて、法務省でアルバイトをした時、「副検事さんが・・・」という言い回しを聞いて、「副検事」というのは、検事総長とか検事長とかいうのと同じような役職名で、その地方検察庁なら地方検察庁にいる「検事」の中で、上から2番目の立場の人、「検事長」の次の役職の人のことを言うのかと思った。 ところが、実は、そうではないらしいのだ。 というよりも、「検事」というと、頭狂大学とか狂徒大学とかの法学部などを卒業して、司法試験という難しい試験に通ったインテリではないかと思いがちであるが、 「副検事」という役職の人間を見ると、どう考えても、どう見ても、頭狂大学とか狂徒大学とかを卒業したというような顔をしていないのだ。  どう考えても、こんなヤツ、灯台とか鏡台とか出ているわけないじゃないか、という顔をしているのだ。 それで、結論を言うと、要するに、 「副検事」というのは、その検察庁にいる検事の中で2番目にエライ人のことを言うのではなく、「検察官」には、「検事」と「副検事」がいて、司法試験に合格して「検察官」をやっている、正規のルートで検察官になった者が「検事」で、司法試験に合格していないくせに「検察官」をやっている裏口みたいなヤツ, 要するに、司法試験に合格していないくせに「検察官」を名のり、でかいツラしている人間が「副検事」らしい。(「裏口みたいなヤツ」と言われて怒るのは筋違いだ。小学校の時から法律の本を読んできた者でも、「大学みたいなもん、勉強するところとちがううんじゃ。」「司法試験なんか受けんでええ。とってちってたあ~あ!」と言われて、人生の道を捻じ曲げられた者がいるわけで、そういう者から見れば、司法試験に合格もしていないくせに「検察官」になっているような者は間違いなく裏口の卑怯者である。 というより、検察事務官とか、さらには、元・ケーサツとかの人間を「副検事」にならせているらしいが、それなら、司法試験を「合格」と「不合格」の2つに分けるのではなく、「合格」「準合格」「不合格」と3種類にして、「準合格」の人で希望者に「副検事」にならせてあげればよかったのではないでしょうか。 検察事務官とかケーサツ漢とかで検察官になりたいと思うようになった者は、司法試験を受けて合格してなれば良いのです。それを受けずに、どさくさにまぎれて裏口みたいに「副検事」などという不可解な職について、国民の税金から無駄な高給盗るというのはおかしい。  そもそも、検察の仕事につきたいと思って、一生懸命、努力して勉強したが、ぎりぎりのところで司法試験に合格できなかったという人に、検察の仕事につかせず、まともに勉強していない者、司法試験合格など論外の者を、どさくさにまぎれて「副検事」などといいう名称を使って「検察官」にならせているというのが、根本的におかしい。) どうすれば、そういうおいしい職業につけるのかというと、検察事務官を何年か勤めた上で、「副検事」の試験に通ればどさくさにまぎれてなれるらしい。 旧帝大系国立大学にぎりぎり合格するレベルの一般教養の学力もなく、(旧型)司法試験にぎりぎり合格するレベルの法律の学力もないくせに、なんか、2番目にエライ検事みたいなでかいツラしてる奴が「副検事」だということだ。
    「からふとししゃも」というのは、本来、「キャペリン」という名前の魚であって本来の「ししゃも」とは別の魚であり、金目鯛は「鯛」と名前がついていても鯛とは別の種類の魚であり、 「カニ風味のタラ肉」というのは見た目はカニみたいだけれどもカニではないごとく、北米で取れる「ポートオルフォードシーダ―」という木を「米桧(べいひ)」と名前をつけてアメリカ大陸産の桧(ひのき)であるかのように言って家を建てている住宅建築会社があるけれどもポートオルフォードシーダ―は桧とは別の木であるのと同じく、ボルネオあたりで採れる「マトア」という木を「ソロモンマホガニー」と名づけて使用している家具屋があるが、「マトア」(「ソロモンマホガニー」)は中南米で採れる本来のマホガニー(「ホンジュラスマノガ二―」「メキシカンマホガニー」とも言われる)とは別の種類の木であるごとく、 「人工大理石」はアクリルかポリエステルでできている「合成樹脂」「プラスチック」であって「大理石」ではないごとく、・・というよりも、むしろ、化学調味料や添加物を大量に使って、豚骨なんか使っていないのに、「豚骨ラーメン」のスープにしたてた食品のごとく、ナラやサクラのフローリングと称して、実際には紙にプリントしたものを合板に貼り付けただけのプリント合板のごとく、実質的には「副検事」というより、「にせ検事」というのが実態であろう。 インターネットで検索してみると、けーさつ漢から「副検事」になるルートまであるらしい。 いいかげんなの!! なんか、そういうのを見ると、「検察官」が、いいかげんなのも、さもありなん、という気がしてくる。 してきませんか?
   東京都文京区に東京大学医学部付属病院、通称・東大病院というのがある。 「東大病院」というからには、東京帝国主義大学医学部を卒業した医者が診察しているだろう・・・と多くの人間は思ってかかりにいくのであるが、実際にはそうではないらしい。 日本の医学部は、帝国主義医学部と植民地医学部の2つからなっているらしく、東京圏では東大医学部帝国主義と慶應医学部帝国主義の2大帝国主義医学部があって、その植民地医学部として、東大医学部帝国主義の植民地として、たとえば、帝京大学医学部とかがあるらしい。それで、その植民地医学部、いわゆる私立金権裏口医学部の出身の「医者」が「東大病院」で「医者」として診察したりしているらしい。 そして、本当はテイキョウ大学医学部卒のくせにトウキョウ大学医学部卒のようなな顔してエラソーにしているアホがいるらしいのだ。エラソーな顔するだけでなく、「僕は東大の理三に現役で通ったんだぞ。わかってるのかあ。」とかぬかしてみたりするヤツがいるのだ。実際に。(お勉強は得意でなくても、学歴詐称するのは得意というタイプの人間なのかね・・・。けっこういるでしょ、そういう人。学歴とか資格とかを詐称して人を信じこませるために涙ぐましい努力をしてのける人、詐称するためにそれだけの努力をすることができるのなら、本当に合格するための努力をすりゃいいじゃないの、と思うのだけれども、本当に合格するための努力は決してやらずに、詐称して人を信じこませるためには並々ならぬ努力をする人が。) 「東大病院」という名称は不当表示ではないのか。東大病院というのは、「事実と違う。まぎらわしい。などなど。」誤解を招く適切でない名称を使用しているのであり、ジャロ に言うたろか! と思うのだが、「副検事」というのは、行ってみれば、テイキョウ大学医学部卒のくせにトウキョウ大学医学部卒のようなふりしてデカイつらして「東大病院」で「医者」やってるヤツとどっこいどっこいのちっぽけなヤローである。 (「副検事」もまた、「検事」とともに、「検察官」を名乗っているが、世間一般の人間は、「検察官」というものは、司法試験に合格してなっている一定レベル以上の法律の知識と法の精神を習得した者と思っており、司法試験に合格など夢のまた夢の人間が「副検事」などというヤヤコシイ立場で「検察官」を名乗っているとは思っておらず、「副検事」という名称、及び、「副検事」が「検察官」を名乗ることもまた不当表示ではないかと思う。 ジャロに言ってやろうかという気持ちにもなる。 「ジャロってなんじゃろ」→「ジャロとは日本広告審査会のことです。」 ※「ニコニコ動画―JARO CM」http://www.nicovideo.jp/watch/sm218762 など参照。 )
   弁護士はどうか。 裁判官で、最高裁の気に入らない判決を出すと、裁判官としての出世コースからはずされて、年収も少なくなると言われるけれども、そうはいっても、裁判官の中では年収が少ないということであって、私より多いのではないか、私と比べなくても、一般の会社員の相場から考えれば、そう悪い方ではないのではないか、とも思うが、「そろそろ、裁判官をやめて弁護士になったらどうなの」というプレッシャーをかけられているような状態とも聞く。 そんなことなら弁護士になるわ、と思ってなった人なら、それなりに信義のある人かと期待したくなる。 弁護士を頼む人間としては、できるだけ、有能で、人間的にもよい人に頼みたいと思うものであるけれども、どうすれば、そういう人に巡り合えるか、その人が、有能か、人間的に信頼できるか、どう判断すれば良いかという問題がある。 何かの本に「東大出の弁護士には、ろくなのがいない」と書かれていたのを読んだ記憶があるが、その本が何であったか思い出せない。 実際には、卒業した大学だけで決まるのでもなく、その人によって違うと思うのであるけれども、一般に、東大という大学は、弁護士よりも、裁判官か検事の方に適性がある人の多い大学ではないかという印象を私は受けている。 潮見俊隆『法律家』(岩波新書)にも、裁判官では、上級の裁判所に行くほど、東大出身者の割合が大きくなると書かれていたと思うが、それは、なぜかというと、東大出身者に優秀な人が多いからだという説と、「学閥」のようなものが裁判官の世界にあるのではないのかという説、東大出身者に優秀な人が多かったとしても、国民全体のための裁判所において、特定の大学の出身者の占める割合が大きすぎるのは問題があるのではないかという意見などあるらしい。 東大出身者に「優秀な人が多い」というのが、本当にその通りであったとしても、あくまでも、裁判官・検事となった場合にという話であって、弁護士の場合はどこの大学を出たかとはあまり関係なく人生を生きているようなタイプの人の方が向いているのではないかという気がしている。 ・・・・・が、刑事事件においては、検察は警察のテカ(手下)であり、裁判所は検察のテカ(手下)である・・などと言われることがあるらしく、その点、弁護士だけがその系列にないと言われるらしいが、だから、弁護士は、すべての人が良心的かというと、そういうものでもないようだ。

   武田泰淳の『司馬遷―史記の世界』(1943年 日本評論社より発刊。 1977.10.15.講談社文庫)は次の文章で始まる。
≪  司馬遷は生き恥さらした男である。 士人として普通なら生きながらえる筈のない場合に、この男は生き残った。 口惜しい、残念至極、情けなや、進退谷まった(きわまった)、と知りながら、おめおめと生きていた。 腐刑と言い宮刑と言う、耳にするだにけがらわしい、性格まで変るとされた刑罰を受けた後、日中夜中身にしみるやるせなさを、噛みしめるようにして、生き続けたのである。そして執念深く「史記」を書いていた。 「史記」を書くのは恥ずかしさを消すためではあるが、書くにつれかえって恥ずかしさは増していたと思われる。 ≫
「腐刑」とは≪ 去勢をもって刑とする、死刑につぐ重刑である。宮刑ともいう。司馬遷の時代には、死刑を宣告された場合、腐刑を願い出れば死を免れることができた。≫(『司馬遷―史記の世界』講談社文庫 市川宏による「語注」)という。
   司馬遷は歴史家の家に生まれたという。『司馬遷―史記の世界』には、さらに、次の文章がある。
≪  司馬遷がきびしくなったのは、天漢二年、李陵の禍によって獄に下ってからではない。 少年時代、青年時代からである。 幼年時代からと言っても、良いかもしれぬ。 と言うのは、彼が歴史家の家庭に生まれたからである。 司馬氏は世々、周史を典り(つかさどり)、父司馬談は太史公であった。 歴史家が、いかにきびしい生活をせねばならぬものか、「任安に報ずるの書」によっても、二、三その例をうかがうことが出来た。 これは古(いにしえ)よりの伝統であり、むしろ宿命と言った方が良い。
   史官は記録者である。 唯一の記録者である。 彼が筆を取らねば、この世の記録は残らない。 そのかわり、書けば、万代までも、事実として、残るのである。 書くべきことと、書かなくて良いことを、定めるのが、彼の役目である。 書くべしと思い定めたことは、如何なる事が有ろうとも、書かねばならぬ。 天に代り、人間を代表して記録するのであるから、なまやさしき業ではない。 たとえば、「史記」の「斉太世家」に記録された実例は、この業のきびしさを、最もよくあらわしている。
   斉の崔杼(さいちょ)を言う権力者は、その君、荘公を殺した人である。 その故、斉の太史は「崔杼、荘公を殺す(しいす)」と記録したのである。 そこで崔杼は、「けしからぬ奴かな」とこの太史を殺してしまった。 すると、太史の弟が、また同一のことを記録したのである。 そこで崔杼は、この弟も殺してしまった。 すると、その弟の弟が、また同一のことを記録したのである。 三度目には、さすがに崔杼も、記録者を、殺すことはしなかった、と伝えられている。 三人の兄弟が、つぎつぎと、死を以て記録を守ったのである。 「記録」のきびしさは、つきつめれば此処に至る。 ≫
   日本国憲法にも明記されている「国民主権」に反する内容の「君が代」を卒業式・入学式で唱え礼拝させる行事の橋下徹らによる強制に対して、大阪府立北野高校の校長・楠野宣孝は、まがりなりにも、教育者で、教員の長であるならば、それは間違っていると止めるべき立場であり、「国民主権」「信教の自由」を守るために、『司馬遷―史記の世界』に描かれる歴史家(太史、太史公)のごとく「死を以て」しても闘えとまではともかく、いくらかなりとも抵抗するのが、教員のつとめであるはずであるが、それを、逆に、≪楠野宣孝校長は3月末の職員会議で、起立斉唱を命じる府教委の職務命令を順守するよう念押ししていた。≫(「毎日新聞」2012.4.夕刊)という。 私が、『司馬遷―史記の世界』を読んだのは、北野高校の2年から3年になる時の春休みの「国語」の課題としてであったが、今の北野高校では、司馬遷の時代の歴史家の気概など完全に欠落している男が校長になっているらしい。
   高校の教員・校長だけではない。 裁判官・検事・弁護士といった職業につく人もまた、「死を以て」闘えとまでは言わないけれども、何か、そういった「気概」とでもいうものがあるから、そういう職業についたのではないのか、年収が目的なら、繰り返しになるけれども、「法律家」ではなく、「東京海上火災の星」を目指せば良かったのではないのか、という気がする・・・・・が、こういう意識などまったく存在しないらしい人が少なからずいるらしい。 「週刊現代」に、相撲の元・若ノ鵬が、自分も入門する時には、八百長など絶対にしないで、努力して横綱になりたいと思っていたが、十両以上になると、八百長の誘いがかかり、受けないと「かわいがり」を受けていじめられるなどの状況があって、十両以上になった力士で、まったく八百長を受けないで相撲の世界で生きていくというのは極めて難しいと述べていたが、裁判官・検事・弁護士の世界もまた、同様なのだろうか? それとも、最初から、八百長漬け力士みたいな人間がなった裁判官・検事・弁護士が少なからずいるということだろうか? 
   
   (旧型)司法試験よりは難易度が低いと思われた公務員の職種に、労働基準監督署労働基準監督官というものがあった。 今もあるはず。 私は、大学生の時、労働基準監督官も自分が就く職業として、ふと、考えたことがあったが、我が家は、「とってちってたあ~あ♪ 会社のために、滅私奉公! 死ぬほど働く、死んでも働く」と言う家庭であって、労働基準法を守らせようという仕事というのは、父の思想になじまなかったし、公務員試験の勉強などする暇があったらアルバイトしろ、甘ったれるな、という家庭であったので無理であった。 私より、小学校の時も中学校の時も高校の時もはるかに成績は悪く、行った大学の評価も一般的には下の人で、労働基準監督官にならせてもらっている人がおり、給料も私より高いと思うが、せっかく、そういう価値のある職業についたのであれば、「死を以て」まではともかく、自分自身の良心・信義と法の精神にのっとって、国民のために働くべきではないかと思うのだが、労働基準監督署、及び、労働基準監督官というものは、労働基準法違反を取り締まるふりをしながら取り締まらないことにより、不良企業の労働基準法違反を守るところ、守る役職だと心得ているのではないか、と思われるような人が少なからずいる。 残念である。 現実に、労働基準監督署は、企業の労働基準法違反を取り締まるふりをしながら取り締まらないことによって、企業の労働基準法違反を守る方向に貢献している。 実際に、携わっている人間はわかっているのか、わからずにやっているのか。 わかっていないとは考えにくいのであるが。(小学館から隔週刊で出ている「ビッグコミック」という漫画雑誌に、小路谷(おろだに) 純平 作・石川 サブロウ 画・東京労働局 取材協力の『どらコーボク』という労働基準監督官を扱った漫画が連載されているけれども、実態は、こんな漫画みたいなけっこうなものではないと思う。 けーさつ の広報かと思われるようなテレビの刑事ドラマや、矢鱈とけーさつを正義の味方扱いする『名探偵コナン』と同様、労基署と労働基準監督官を実態からかけはなれて正義の味方のように描くのはいかがなものかと思う。)


   職業安定所 というものも、すべての国民が、健康で文化的な生活を送ることができるように、ふさわしい職業につけるよう尽力するところだと、若いころの私は思っていた。 しかし、実際には、失業者というものは、失業しているやつが悪いんだ、「不当解雇」というものは存在せず「解雇」された場合は経営者ではなくやめさせられた者が悪いに決まってるんだ、ということにしようと奮闘努力する人、「失業保険」は誰もが不正受給しようとしているのでなんとか受給させないように努力するべきだと考えて努力する人、職安とは失業者は今の政治が適切な雇用政策を取らないから生まれたのではなく失業しているやつが悪いんだということにするために存在する機関であると心の底から認識しているような人が、職業安定所(職安)職員では多数派ではないか思います。 
   私より小学校の時も中学校の時も高校の時も下の成績であったくせに、私のように「とってちってたあ~あ」とか言われずに、自分がやりたい勉強をさせてもらってなりたい職業につかせてもらったくせに、「法の精神」も職業的良心のかけらも持たずに、その職業の本来の立場を土足で踏みにじる行為を平気でする人間というのが少なくない。
   〔第100回〕《弁護士は会社に違法行為を指導して良いのか? 労基署・職安は会社に労基法違反を指示して良いのか? 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201206article_2.html で述べた 千葉県長生郡一の宮町の K法律事務所上総一ノ宮支部http://www.kazusa-ichinomiya.kawame-law-firm.jp/ の弁護士 M本 http://www.kazusa-ichinomiya.kawame-law-firm.jp/lawyer.html も、「法の精神」も職業的良心のかけらも持たずにその職業の本来の立場を土足で踏みにじる行為を平気でする人間のひとりということであろう。 私と違って、せっかくなりたい仕事にならせてもらったのにと思うが、もともと、その程度の志の人間であったのかもしれない。 私が慶應義塾大学の司法研究室の授業に出た時、ある若手の助教授から、慶應大法学部のベテランの某教授が「司法試験なんてものは、リーガルマインドさえあれば簡単に通るんだ」と言われた話をされ、「リーガルマインドは大事だけれども、僕は、リーガルマインドさえあれば簡単に司法試験に通るとは思わないですけれどもね。 しかし、そのくらいリーガルマインドは大事なものですから、リーガルマインドを身につけるように努力しましょう」と言われたのを聞いたことがありました。そのベテランの教授がどういう意味で言われたのかはよくわからないところもありますが、「リーガルマインドを身につけているかどうか」が「司法試験に合格するかどうか」と相当に関連性が高いタイプの人がいると思うのです。そういう人は裁判官などになれば良い裁判官になるのではないかと思います。 しかし、「リーガルマインドを身につけているかどうか」と「司法試験に合格するかどうか」とに関連性のないタイプの人というのもいるようだと最近わかってきました。 好ましいかどういかはともかく現実にそういう人がいるのですからしかたがない。 ニーチェは「汝らの使命は蠅たたきとなることにあるのではない」と『ツァラトゥストラはこう語った』の中で述べており、私は蠅たたきの役をやるのは好きではないが、くだらない蠅をたたかざるをえない時もあるかもしれません。   
   (2012.7.31.)

  ニックネーム「市民」様からコメントをいただきましたが、≪論ずるに値せず≫と判断してコメントしない、≪論ずるに値≫すると判断してコメントする、ならわかりますが、やっていることが矛盾していませんか。(2014.6.24.)

この記事へのコメント

市民
2014年06月23日 21:19
文章になってない。
哀れな男だ…

論ずるに値せず。
以上

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