救急車は自分で電話すると来てくれない。苦しそうな声を出すのは大人げないと思って話すと来てくれない。

〔第125回〕
   昨年(2011年)11月に、山形大生が、自分で119番に電話をして救助を求めたが断られ、その9日後に、アパートで遺体で見つかったという事件があったらしい。 YAHOO!ニュースによる毎日新聞記事を見て、かつて、自分自身も似た経験のある者として、119番の対応というのは、年月が経っても場所が違っても変わらないのかと思った。 私の経験は1989年だったと思う。 この山形大生の事件とは23年の年月の差がある。 共通するのは、「自分で119番の電話をした。」という点がひとつ。 もうひとつは、「我慢し過ぎるくらいの性格だった。」と母親が言っているという点について、もし、その通りなら、私と似ている。 違いは、私も、死ぬほど苦しかったが、死にはしなかった、という点だ。   
   その記事は↓ の通りである。
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(YAHOO!ニュース)
<山形大生死亡>母「救急車来ていれば」
毎日新聞 8月24日(金)16時57分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120824-00000055-mai-soci 
   昨年11月、山形大理学部2年の大久保祐映(ゆうは)さん(当時19歳)が山形市の自宅アパートで遺体で見つかった。祐映さんは発見の9日前、体調不良で自ら119番していた が、市消防本部はタクシーを勧め、救急車は来なかった。全国的に救急出動が激増する中で、救急の現場は患者の緊急度の判定という重い役割を担わされ、市に損害賠償を求め提訴した母親は「なぜ来てくれなかったのか」という問いを繰り返す。初弁論は10月9日、山形地裁で開かれる。【鈴木健太】
   「祐映は我慢し過ぎるくらいの性格だった。自分で119番するなんて本当に苦しかったに違いない」。そう考えると切ない。
   埼玉県に住む母親の職場に山形大から「祐映君と連絡が取れない」と電話があったのは昨年11月9日。アパートの大家に連絡して部屋を訪ねるよう頼み、列車に飛び乗った。その車内で大家から電話が入った。「お母さん、だめだ」
   再会場所は警察署の一室だった。「お茶を飲ませていいですか」。対面の前に、息子が119番し、喉の渇きを訴えたと聞いていた。まだ水を欲しがるように開いた口に、ペットボトルのお茶をゆっくりと注いだ。「よほど喉が渇いたんだね」
   祐映さんは埼玉県熊谷市で生まれた長男。両親は幼い頃に離婚し、母親が女手一つで育てた。弱音を吐かず、優しい子供だった。下校時に駅へ車で迎えに行くと「仕事で疲れているのに気を使わないで」と心配された。生物学に興味を持ち、中学3年の頃には「将来は研究者か理科の教員に」と夢を語った。
   医師の所見では「病死の疑い」としか分からなかった。死亡したのは119番の翌日ごろという。「なぜ救急車は来てくれなかったの」。翌10日、119番の音声記録を山形市に開示請求した。
   「運が悪かった」と納得しようと努力もした。だが「もし救急車が来ていれば」との思いが消えない。今年6月、「死んだのは救急車が来なかったから」と市に1000万円の賠償を求め提訴した。
   母親は新盆を終え、訴訟に臨む。「祐映のような思いをする人が二度と現れないよう救急体制のあり方を見直してほしい」
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   このブログに、ここしばらく、ケーサツの問題を指摘してきたが、その結果、〔第109回〕《パトカー追跡の結果、人が死傷した場合、警察は業務上過失致死・傷害に問われないのか~最近の警察(19) 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201206article_11.html には、「警察の協力者」と思える人達から、相当、攻撃的なコメントを受けることもあった。 
   私のブログへの攻撃に限らず、インターネット上のニュースへのコメントやツイッターなどを見ても、「警察の協力者」、あるいは、明らかに、「警察の側」に立って国民に敵対する姿勢でのコメントを職業的に述べている人たちが存在するのを、前々から感じ取っていたので、時には、私のブログへ攻撃されても、ああ、きたかというくらいにしか思わない。
   
   警察 と 消防署・救急隊とでは、国民の感じ方・印象は相当に差があると思う。
   かつて、在籍した職場で、宝くじを趣味として買う人がいて、「宝くじのはずれの分のおカネって、どうなるのだろう?」と言う人があり、それに対して「救急車とか消防車とかパトカーとかに変わるんじゃない。」と答えた人がいたので、私が「救急車とか消防車に変わると聞くと、まあ、しかたがないかなあと思うけれども、パトカーに変わると思うと、なんか、腹立つ。」と言うと、「は~ら~た~つ~な~あ。 パトカーに変わると思うと、本当に腹立つなあ。」と、その人は答えた。 一般的な国民の感覚はこんなものではないか思う。
   又、今は昔。 1980年代前半のこと。 大学生であった私は、学生会館のようなところに住んでいたのだが、夜、ロビーを通りかかった時、ロビーのテレビで、「プロポーズ大作戦」という番組をやっていた。 そこに出ていた男性4人のひとりが、消防士を職業としている人だった。 西川きよし が、「どうして、消防士になろうと思ったんですか?」と質問したところ、その20代前半の男性が、「ぼくは、今まで、悪いことをして世の中の人に迷惑をかけてきたので、少しは人の役に立ちたいと思って、それで、消防士になりました。」と答えた。 それを聞いて、西川きよし は、「は~あ。 今まで人に迷惑をかけてきたから・・、それで、世の中の人の役に立ちたいと思って、それで、消防士になった・・。 え~ら~いで~すね~え。 」と言い、そして、横山やすし に向かって「消防士になれえ!」と言ったのだった。 横山やすし がどうかはさておき、この番組に出ていた人でも見られるように、消防士になる人には、世の中の人の役に立ちたいという気持ちからなる人、人をいじめてカネをせしめるような仕事ではなく、人のためになることをやって給料をもらう仕事につきたいと思ってなる人が少なくないのではないか・・という印象がある。 消防署員や救急隊員に対する印象としては、いろいろな人がいるかもしれないけれども、一般に、人のために役立ちたいという気持ちの人のつく職業という印象があり、国家公務員一種試験に合格してなるような者は別として、チンピラの職業と見られているケーサツとは、この点で大きく違う。
     もっとも、消防署員でも、たしか、私が高校生の時、夏休みか春休みの昼間、たまたまつけたテレビの番組で、何千枚と女性の下着を集めた消防署員の下着泥棒の話が取り上げられていたことがあった。 その消防署員は「女性にもてないから」ということで下着泥棒を始めたとテレビでは言っていたが、後に、私は営業の仕事をして、「営業は、女をくどくのと同じ。こちらから働きかけなければ、客はこちらの方に来てくれない。」と上役から言われ、「女をくどくのと同じ」かどうかはわからないけれども、「女性にもてないから」と言って下着泥棒をやったりする人というのは、女性の気持ちをつかむための「営業活動」を何かやったかというと、何もやらずに「女性にもてないから」と言っているケースがほとんど、いわば、契約してもらうための努力を何もしないで、自分は契約してもらえないと嘆いている営業担当者のようなものではないのか、「エスキモーに氷を売る」とでもいったことを考えたことがあるかというと、まずないだろうと思えることから考えて、その人は、営業の仕事でもやれば下着泥棒なんかやる気にはならなかったのではないか、消防署員やってたから下着泥棒やろうという気持ちになってしまったのではないのか・・・と思ったことがあったが、そうであっても、消防署員の場合は、あくまで、全国に何人もいる中にはそういう人もいるということで、消防署員がそういう人間だということではないという点で、全体がおかしいケーサツ漢とは本質的な違いがある。

   たしかに、消防署員や救急隊員に対する国民の印象は、ケーサツ漢に対する印象とは大きく異なるのであるけれども、しかし、119番に電話した場合の対応については、必ずしも納得いかない時がある。

   私自身の経験をお話したい。 
   大学に行き、ひとり暮らしを始め、最初は学生会館のような所に住んだが、その後、アパートに移った。卒業後もしばらく独り暮らしであった。、もしも、何か体に異常がでた場合には、とにかく、119番に電話することだけはできるようにと思って生活していた。 家族とともに生活している場合には、たとえ、自分でどうもできない事態になっても、家族が対処してくれるであろうけれども、一人暮らしの場合は、対処してくれる家族は同じ家屋にいないのであり、119番はそれだけに重要なものであった。 しかし、その感覚は、119番に電話する者、119番に電話をする側の者のものであり、119番の電話を受ける側の意識とは相当に差があるということを思い知らされたのだった。

   最近、放射能のホットスポットになってしまった千葉県の柏市と流山市の境目付近の流山市のアパートに住んでいた時のことです。 夜8時頃から、お腹に痛みを感じだし、静かに休んでいればそのうちおさまるだろうと思っていても、ますます痛みが強くなってきて、何が原因かわからないし、どういう病名かもわからないけれども、これは病院に行くべきだと思ったけれども、時間から考えて、診療している病院・医院はないと思われたが、相当に痛みは感じても、自分で病院まで行くことはできると思われたので、119番に電話をして、その時間に救急医療をおこなっている病院を教えてもらい、自分で行こうと、アパートの部屋を出て歩きだしたのです。それが9時過ぎくらいだったように思います。 教えてもらった病院は、柏市のJR常磐線の「柏」駅の西口にある岡田病院(http://www.seihoukai-okada.or.jp/ )という病院でした。
   その時、住んでいたアパートは、JR「南柏」駅から徒歩で13分ほどの所でしたが、歩きだすと、さらに痛みが増してきて、とても、歩ける状態ではなくなって、その場にうずくまるようになってしまったのです。 しかし、ひとりで道にうずくまっていても誰も助けてくれないので、とにかく、人のいる所に行かなければと思い、国道6号沿いにあったローソンまでなんとか行きました。〔「ヤフー地図」で見ると、今も、そこにローソンはあるようです。〕 そして、国道6号を走っていいるタクシーに停まってもらい、タクシーで柏の岡田病院まで行こうとしたのですが、なかなかタクシーは来ませんし、来ても停まってくれません。「南柏」の駅まで行けばタクシーは停まっているかもしれませんが、もう、体の状態が、とても、駅まで行けそうにありません。 その頃は、今と違って、携帯電話など持っている人はありません。 それで、ローソンの前の公衆電話で、119番に電話をして、「先ほど、電話をして、柏の岡田病院を教えてもらった○○といいますが、なんとか自分で行こうとして歩きだしたのですが、痛みでとても歩ける状態でなくなってしまったので、すいませんが、今、国道6号の柏市と流山市の境目付近のローソンの所にいるのですが、救急車に来てもらえませんか。」と言ったのです。 私は、自力で行けるぎりぎりのところまで、自分で行こうとしたのですが、もう、無理だと判断した段階ではじめて救急車に来てほしいとお願いしたのです。 
   そうしたところ、119番の電話に出た人が何と言ったか。 
「あなた、電話できるんでしょ。 電話できるのに、どうして救急車が必要なんですか! 電話できるんでしょ!」
と言って怒られたのです。 まさか、そんなこと言われるなんて思っていなかったのですが、私は、「ともかく電話するのがやっとなんですよ。 自分で行けるものなら行こうとしたのですけれども、もう、無理だと思ったから、救急車に来てもらえないかと電話したんです。」と言いましたが、
「それでも、電話できてるんでしょ。 どうして救急車が必要なんですか!」と言うのです。 いったい、何なんだろうかと思いました。 独り暮らしの人間にとって、もしもの時の命綱のような119番に電話すると「電話できるのに、どうして救急車が必要なんですか。」と言われるとは、思いもしませんでした。 「もう、歩けないんです。お願いします。お願いですから、来てもらえませんか。」と、こちらは、命がけで頼みました。
   「わかりました。それじゃあ、救急車行きますから。いる場所の住所を、教えてください。」と言うので、「住所はわからないのですが、先ほども言いましたように、国道6号沿いの柏市と流山市の境目付近のローソンの前にいます。」と言ったところ、「柏市ですか、流山市ですか。どっちですか。」と言うのですが、境目付近でどちらかわからないので、「柏市と流山市の境目付近なので、どちらなのかわからないのですが、国道6号沿いにローソンがありますでしょ。」と言ったところ、「ローソンがあるんですか? 」と言い、私が「ありますでしょ。6号沿いにローソンが。」と言っても、「それじゃあ、そのローソンの住所を言って下さい。」と言うのです。 私が「すいません。自宅の住所じゃないので、ローソンの住所はわからないんですよ。国道6号の柏市と流山市の境目付近にローソンがあるでしょ。ありますでしょ。お願いですから、そこに来てもらえないですか。正確な住所がわからなくても、国道6号沿いで柏市と流山市の境目付近のローソンでわかるでしょ。お願いです。本当に、もう、これだけ話すだけでもせいいっぱいなんです。」と言いましたが、「だから、正確な住所を言って下さいと言ってるんです。」と言い、もはや、死ぬような痛みで、最後の気力を振り絞って電話をしている者に、正確な住所を言えと言って譲りません。
   ここで、一般の人間と、119番や110番の電話を取っている人間の意識の違いがひとつあります。 その頃の私もそうですが、多くの人間は、119番に電話をすると、電話をかけた場所から最寄の消防署に電話はかかっていると思っているのです。 又、110番に電話をすると、電話をかけた場所から最寄の警察署に電話はかかっていると思っているのです。  しかし、実際は違うのです。 どう違うかというと、実際には、110番の場合は、その都道府県の中心となる警察の施設、都道府県庁所在地にある警察の中心となる施設、東京都ならば、警視庁にかかっているらしいのです。 119番も同じで、最寄りの消防署にかかっているのではなく、その都道府県の都道府県庁所在地にある消防の中心施設にかかっているらしいのです。 これは、私は、どこで知ったかというと、その後、警備員のアルバイトをやった時に、その研修の時に、教えてもらったのです。 その時、講師の方が、「110番なり119番なりに電話すると、その電話はどこにかかっていると思いますか。」ときかれ、私が「最寄りの警察署、最寄りの消防署じゃないんですか。」と言ったところ、「違うんですよ。」と言われ、他の受講生の人にもきかれましたが、正確に答えることができる人は誰もいませんでした。 110番、119番に電話をすると、都道府県庁所在地にある県警本部なり消防の中心施設なりにかかっているのであり、最寄りの警察署や最寄りの消防署にかかっているのではないのです。 その警備員の講習の時に教えてもらったので、今は、私はこれを知っていますが、その時は知らなかったのです。 だから、近所の消防署に勤務している人間が、どうして、「国道6号沿いの柏市と流山市の境目付近にあるローソン」とそこまでわかりやすく言っているのにわからないのか、緊急事態に、自宅以外の場所で外から電話している者に対して、「正確な住所を言って下さい。正確な住所を言ってもらわないと。」と、なぜ、そういうことを言わないといけないのか、と思ったのですが、その時、電話を取っていた人は、柏市や流山市にいる人ではなく、千葉市にいる人が電話を取っていたので、それで、その人としては、「国道6号の柏市と流山市の境目付近にあるローソン」と言われても知らなかったのです。そして、おそらく、「119番の電話を受けた時には、必ず、正確な住所をきくように」と“マニュアル”にでも書かれていたのでしょう。それで、息も絶え絶えに、もはや、ひと言話すだけでも大変な状態で、最後の気力を振り絞って電話をしている者に「正確な住所を言ってもらわないと」と言い、「自宅じゃないので、正確な住所はわかりません。『国道6号沿いの柏市と流山市の境目付近のローソン』でわかりますでしょ。どうか、お願いですから、来てください。どうか、本当に、お願いします。」と言っても「わからないでは困ります。正確な住所を言って下さい。」としつこく要求したのではないでしょうか。〔ローソンのホームページを見たところ、今もその店はあるようです。流山市松が丘1-455-8 のローソン南柏店(http://store.lawson.co.jp/store/032342/ )です。〕
   それで、なんとか、「それじゃ、行きますから、そこで待っていてください。」ということになったのですが、ところが、待てども待てども来ないのです。 死ぬような思いで15分か20分くらい待ったでしょうか。 もう、待てない、このままどうかなってしまうのではないかと思い、国道6号を走るタクシーに手をあげて、もしも、停まってくれるタクシーがあれば、救急車と停まってくれるタクシーのどちらか早い方に乗って病院まで行こうと考えました。 国道6号を走るタクシーがあっても停まってくれないのですが、たまたま、脇道から国道6号に出ようとして信号待ちをしているタクシーがあったので、「すいませんが、柏駅の西口にある岡田病院まで行ってもらえませんか。」と言うと、「行くのは行ってもいいですけれども、東京からこちらに来たクルマなので、柏の道を知らないので、道を教えてもらえば行きますが。」ということでした。 私は、今なら、相当にクルマを運転してきているので、自宅の近所の道なら教えることができますが、その頃は、まだ、ペーパードライバーで、自分でクルマの運転をしていなかったので、電車と徒歩で行く道は知っていてもクルマで行く道はわかりませんでしたが、大変な思いをして電話をしても、死ぬような痛みで最後の気力を振り絞って電話をしている者に対して、上のようなことを言って、その上、これだけ待っても来てくれない救急車は、もう、来てくれないのと同じであり、他のタクシーをつかまえようとしても、停まってくれそうにないので、「それじゃあ、とにかく、柏駅の西口に行ってもらえますか。そこからは自分で行きますから。」と行って乗せてもらいました。 ところが、そのタクシーの運転手は、見ただけでも苦しそうな人間を乗せて、道を知らないなりに、なんとか、病院まで行こうとして、柏駅の近くまで行って、クルマの窓から通行人に「岡田病院はどちらですか。」と何人もに尋ねてくれたのですが、よくわかっている人と出会えず、結局、捜し捜し動いたクルマは柏駅の東口まで行きました。 そこで、運転手は「どうしましょうか。ここは東口のようですが、病院は駅の西口の側だということですが、道を知ってるクルマなら西口まで行けばいいのですが、この付近の道をよく知らないので、西口まで行こうとすると、また、迷ってしまうおそれもありますが、行った方がいいですか。それとも、ここで降りられますか。」と言い、「それじゃ、ここで降ろしてください。ここから、なんとか、歩いていきます。」と言って、タクシーを降りました。 タクシーの運転手は心配そうな顔をして見てくれていましたし、本当に、一歩二歩あるくだけでも大変で倒れそうでしたが、柏駅を超える陸橋を手すりにすがりつくようにして、痛みをこらえながら、死ぬような思いで、西口側にある岡田病院まで行きました。 病院までたどりついた時には、ほっとしました。 
   その時の、当直の医師は比較的若い女性であったと覚えていますが、薬だったか注射だったかで、痛み止めの処方をしてくれて、しばらくすると、なんとか痛みは軽くなりました。「可能性としては、膵臓炎の可能性もあるけれども、検査をしてみないとわからない。 膵臓炎の可能性は高くないと思うけれども、検査は昼間でないとできないので、明日、昼間にもう一度来てください。」ということになりました。 そして、翌日に、再度、行って、X線撮影の検査をしたところ、診断は「急性胃炎」ということでした。 一般には、「膵臓炎」に比べれば、「急性胃炎」は、病気としては軽い方かもしれませんが、その時は、本当に痛くて苦しく、死ぬような思いをいたしました。その時に、119番の電話に出た人が何を言ったかは、決して忘れることはありません。 岡田病院では、「救急車を頼んでおきながら、タクシーで来たのなら、救急車の方にあやまっておいた方がいいですよ。」と言われましたが、なんで、こっちが謝るんだよ。役立たずの救急車なんか、あってもしかたがないじゃないか、と思って、それより、痛みどめの処方をしてもらったといっても、まだ、治ったわけでもなければ、完全に痛みがなくなったわけでもないのに、まだ、治ったわけでもなく、痛みが完全に消えたわけでもない者が、役立たずの相手をするのはおかしいと思って、その時は電話はしませんでした。

   その時、理解しました
 「 ひとり暮らしの者は、本当に体の具合が悪くなった時は、最後の命の綱として、119番に電話することだけは、なんとしてもやらなければならないと思っているが、実際には、ひとり暮らしの者が、自分で119番に電話したのでは、『あなた、電話できるのに、どうして、救急車がいるんですか。』と言われてしまう。 ひとり暮らしの者には119番は役に立たない。 」
 ということを。
   それと、もうひとつ。 私は、子供の頃から、「苦しい時は、苦しそうな顔をしたり苦しそうな声をだしたりするのではなく、どう具合が悪いのか、口で言いなさい。 苦しそうな顔をしたり苦しそうな声を出したりするのは、子供のすることで、大人なら、たとえ、痛くても苦しくても、苦しそうな顔をしたり苦しそうな声を出したりするのはやめなさい。口でどういう状態か言いなさい。」と親から教えられてきたので、この時も、電話をした際にも、本当に苦しくて痛くてたまらなかったので、そのように言いましたが、話し方としては、できるだけ、通常の話し方をしようと努めたのですが、それがいけなかったのかもしれません。 病状は口で言うもので、苦しそうな顔や声をするものではないという教えに従ったために、119番の電話に出た人が「どうして、救急車が要るんですか!」と思ったということもありそうです。 昔、「朝日新聞」の「天声人語」に載っていたように思うのですが、もしかすると、他の場所だったかもしれません。 作家の佐藤愛子さんの娘が、「おかあさん。 泣かないと損ね。」と佐藤愛子さんに言ったというのです。 佐藤愛子さんは、娘に、少しくらいつらいことがあっても泣きなさんな、と、娘が小さい頃から、教えてきたというのです。 それで、佐藤愛子さんの娘は、つらいことがあっても泣かないようにしてきたというのです。 ところが、「女は、泣くと同情してもらえる。 泣かないと強情であるかのように思われてしまう。 だから、泣かないと損みたいだ。」と言ったという話が載っていました。 119番に電話する時も、それと似ているように思いました。 「病状は口で言うもので、苦しいからといって苦しそうな声を出したりするものではない」という私の親の教えを守るのは、少なくとも、119番に対しては間違いのようでした。 でも、それでも、やっぱり、意図的に苦しそうな声を出したりするのは、どうも、私は好きではありません・・が、それでは、救急車は来てくれないということなのかもしれません。  しかし、もしも、自分で119番に電話する場合は、出来る限り苦しそうな死にそうな声を出して訴えるべき なのかもしれませんが、どうも、私の人間としてのポリシーに反します。 自分が受けてきた教育に反対の態度はなかなか取れません。

   そこで、その時の私の立場に立った時、もしも、まったく同じ状態になったとすれば、どうすべきかという問題ですが、国道6号沿いのローソンまでなんとか来た、そこから119番すれば、場所としてもわかりやすいし、救急車は来てくれるだろうと、その時の私は思ったのですが、
「 実際にわかりやすいかどうかは、119番の電話を取る者には、まったく関係ない。 119番の電話を取る者としては、クルマを運転して行く場合にわかりやすい説明か、わかりやすい場所かではなく、とにかく『正確な住所』を欲しがる。」 かつ、「自分で電話をしたのでは、電話をすることができる⇒たいした病状ではない⇒救急車は必要ない、 と判断されてしまう。」  だから、ローソンなどのコンビニの前まで行って、そこから救急車を呼びたいと思った時は、公衆電話や、今であれば携帯電話で、自分で電話するのではなく、コンビニの店員に頼み込んで、「お願いですから、119番に電話して、救急車に来てもらってもらえませんか。」と言うべきだ。 なんとか、自分で電話することはできるなら、人に電話してくださいなどと頼むのではなく、独立自尊の精神のもとに、自分で電話をして自分で状態を話すべきだとは考えない方が良い。  アパートにいる段階で、もはや、自力で病院に行くことはできない、救急車に来てもらうしかないと思った時には、この場合も、部屋に電話があっても自分でかけずに、家主なり隣の部屋の住人なりに頼んで119番にかけてもらうべきだ。 自分でかけたのでは「電話できるのに、どうして救急車が要るんですか!」と怒られてしまう。 独り暮らしの者が自分の命を守るには、人にかけてもらうしかない。 ということになる。 なんとも、なさけない論理・理屈であるが、それが実情のようです。
   その後、私自身が救急車のお世話になることはなく生きてきたが、ヤフーニュースに出ていた毎日新聞記事の山形大生も、おそらく、かつての私と同様の状態で同様の対応をされたのでしょう。 違いは、私は、死ぬほど苦しかったけれども、とにかく、信号待ちのタクシーに出くわすことができたことと、結果として死ななかったことです。
   
   その後、先に述べた警備員のアルバイトをした際に受けた研修で、「119番に電話して救急車を呼ぶ人も、いろいろな人がいるようで、たとえば、女の人が119番に電話してすぐに来てほしいと言うから行くと、お化粧して着飾った元気そうな女の人が出てきたので、まさか、その人が患者だとは思わず、『患者さんは、どちらですか。』と言うと、『わたしよ。 ○○病院まで行ってちょうだい。』と言って救急車に乗り込んだ、ということがあった。別に、緊急を要する状態でも何でもなく、救急車をタクシーがわりに使っているだけ。 そういうのがあるんです。」という話でした。  要するに、救急車をタクシーがわりに使う人の所には行って、死にそうな痛みで、結果としては「膵臓炎」ではなかったけれども、痛みはそれに劣らないくらいの痛みで、いったいどこが悪いのかも本人もわからず、一歩二歩あるくのも厳しいという状態の者でも、自分で電話すると、「あなた、電話できるのに、どうして、救急車が要るんですか!」と怒鳴りつける・・・・。 それが、1989年の千葉県の119番だったのですが、2011年の山形県の119番も同様だったということでしょうか。

    どうも、一人暮らしの者にこそ、119番は命の綱 として必要であるが、実際には、119番は、一人暮らしの者には冷たい。 というのが実情。 そして、それは、20年少し経っても変わっていなかったということかもしれません。

    1989年に、夜中に腹に死ぬような痛みを感じて病院に行った時の話には、もうひとつ、付録の話があります。 翌日の昼間、柏の岡田病院に行って、昨夜の話をして、当直の医師から検査を受けるように言われたと話し、X線撮影の所へ行きましたところ、なぜか、胸のX線撮影をされそうになったので、「え、ここですか。」と言いましたが、「そうです。そこに立ってください。」と言われて、X線撮影をされました。 私は医師ではないので、最初、疑問に思ったのですが、病院の係の人が言うのだから、胸のX線撮影と同じ検査で膵臓炎の検査もできるということかと思って、X線撮影を受けたところ、しばらくして、その人が、「あ、違った。この人じゃなかった。 」と言いだし、「こっち来てください。 こっちでやります。」と言って、再度、今度は、お腹の方のX線撮影をされたのでした。そして、医師の診察の際には、「胸の方も問題はないようです。」と言われ、胸のX線撮影は、診察料・検査料としては請求されず、「サービスで」検査されたみたいになりました。 しかし、他の検査なら「サービスで」も悪くないかもしれませんが、X線撮影というのは、放射線を浴びての検査ですから、たとえ、わずかでも、放射線を浴びるのは健康にプラスかマイナスかというと、いいものではないわけです。 必要のある検査ならば、放射線をあびることによるリスクと、検査で病状がわかる利益とを、比較較量して、利益がリスクを上回る場合には、検査をおこなってよい、受けてよいということになるでしょうけれども、必要なければ受けない方がよいのです。 それを、患者を「間違えた」ということで、胸のX線撮影をやって、「サービス」にしたというのは、夜、救急で行ったときには、痛みどめの処置をしてもらって助かったけれども、な~んか、いいかげんな病院だなあと思いました。
  

   ついでに言いますと、私は、今、千葉県の船橋市に住んでいますが、何年か前、母が浦安市にいて倒れ、姉が救急車を呼んだ時、救急車は、船橋市医療センターまで連れて行き、なんとか命は助かりました。 それに対して、ある親戚の者が、船橋駅の所にある東武百貨店にひとりで買い物に行っていた時、その時、服用していた薬の副作用らしいのですが、気を失って倒れ、百貨店の人か近くにいた人が119番に電話してくれたらしいのですが、その時は、どこに連れていかれたかというと、市川市の大野中央病院だったのです。 私は、大野中央病院に見舞いに行って、なんか、いいかげんな病院だなあと思い、「ここは早く退院した方がいいと思うよ」と助言しました。
   結論を言ってしまいますと、船橋市・市川市・浦安市で、119番に電話をして救急車に来てもらった時、家族なり近所の人なりが電話をして、その患者がどこの誰かがはっきりとわかっている場合に連れていかれる病院として、船橋市医療センターなどがあるようで、逆に、ひとりで出かけていた時に意識を失って倒れたというような場合で、どこの誰かわからないという場合に連れて行かれる病院として、大野中央病院などがあるらしい・・・・・ということのような感じです。 「らしい・・・・ということのような感じ」というのは、はっきりとそうだと証明できるものがあるわけではないけれども、どうも、そんな感じのようだということです。 
   なんだかなあ~あ・・・・。

   救急隊員の人も、大変な仕事をされていて苦労も多いのだとは思いますが、しかし、その時、死ぬような痛み・苦しみでやっとの思いで119番に電話した者に対して、「あなた、電話できるのに、どうして救急車が要るんですか!」とは、その言い草はないのではないかと思いますね。
   119番ので電話を取っている人というのは、職安の職員と似てるのかもしれません。 職安の職員というのは、失業者を犯罪者のように見ていますよね。 特に、雇用給付の係の人間というのは、誰もが不正支給されようと狙っていると見ていますよね。 それで、なんとか払わないようにしてやろうと努めていますよね。 119番の電話を受けている人も同様の意識なのかもしれません。 119番の電話をしてくる人間というのは、誰もが必要ないのに救急車に来させようとしていると思っているのと違いますか。 119番に電話できる⇒自分で電話できる者は救急車は必要ない、と決めつけているようです。 だから、一人暮らしの者が、最後の最後、本当にどうしようもないと判断して119番に電話すると、「あなた、電話できるんでしょ!」などと怒鳴りつけるのでしょう。 それに対して、家族と一緒に住んでいる者の場合に、家族の他の者が電話すると、たいしたことのない状態でも、タクシー代わりでも、特に抵抗なく、救急車は行くようですね。 
   なんか、変だと思いますが、それが実情で、1989年から2011年まで、月日が経っても、その状態は変わっていないということでしょうか。  救急隊員の方が悪人だなどとはまったく思っていません。 母を病院に連れて行ってもらった時にもお世話になり、おかげで命が助かりました。 しかし、「独り暮らしの者に冷たい」という実情は、やはり、好ましいとは思えません。
        (2012.8.26、) 

☆ 今回、私自身が119番に電話をして救急車に来てほしいと訴え、来てもらえらえなかった経験を述べましたが、やはり、私自身が110番に電話をして警察に来てほしいと訴え、最初の警察官が到着するまでに30分以上かかったとう話を、〔第130回〕《110番通報すると警察は来てくれると思いますか? 何分以内に来れば「来た」と言えると思いますか? 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201209article_4.html で述べました。 合わせ、ご覧いただければと思います。 (2012.9.14.)  


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