「御天道様は見ている」の営業・「ロシアの重戦車戦法」の営業 vs F社の偽「チーム制営業」

〔第122回〕営業と会社の話(30)
[2]   木質系の甲社で、営業において、「御天道様は見ている」という話があった。 入社すぐに配布された『共感セールスのやり方・考え方』と題した冊子に、優秀な営業成績を残した12人が、どのようなことをやってきたか取材したものだが、そこに、神戸支店Yさんの話が載っていた。 
   ≪ ・・・小さな体には大きすぎる重い鞄を持ち、数10件の訪問を毎日々繰り返し、遠い所へ訪問すれば、その帰りには建替のビラを配り、 これはと思う家があれば飛び込み訪問をするという、大変な努力を重ねていたという。
   そんな月末のある日、K様というお客様の所へカタログを届けようと思い、駅に降りたのであるが、そこからお客様の所までは、7-8㎞もあるのに交通の便がなかった。流石に本人も歩いて行く気が湧いてこず、行くか、止めるか駅前で散々悩んだすえ訪問することに決め、長い道を歩き出した。
   神戸のことなので山側へ少し歩くと登り坂になり、1キロ程歩いたころには、汗が吹き出し始め、半分程来たころにはシャツが汗でビチャビチャになってしまい、「誰も評価してくれないのに、何で自分だけこんなに辛い思いをしないといけないんだ。」と思ったそうである。
   その時、空を見上げると五月だというのに真夏のような太陽が、冬服しか持っていない自分を嘲るように容赦なく照り輝いていたという。 息も絶え絶えになってK様の家に着き、インターホンを押したときには、全身、汗ダクになっていた。
 ・・・・・
   支店での朝礼で、初契約の感想を求められたYさんはこう言った。
「誰も見ていない所でも一生懸命努力すれば、必ず報われるということを実感しました。これからも『御天道様は見ている』という言葉を肝に銘じて頑張ります。」
   ・・・・数棟の契約が取れた後、一生懸命に疲れが出たのか三カ月間ゼロが続いたのである。
   そして三ヶ月目になんとか契約が取れた時、Yさんは朝礼でこう言った。「世の中はそんなに甘くないということが分かりました。これからは御天道様だけでは足らないので『御月様も見ている』という言葉も肝に銘じて頑張ります。」  ≫
 
   

   そういえば、野村克也氏が阪神タイガースの監督になって1年目、ラジオの野球中継で、アナウンサーが、
「 成果が出なければ智恵を出せ。  智恵が出なければ汗を出せ。 」
と野村が選手に話していると話したのを聞きました。

   チラシのポスティングについては、私は、少々、自負があります。 あくまで、「少々」で、できている人にとっては当たり前のことでしかないのですが。
   今は昔、大学生であった時、小学生用の教材の訪問販売のアルバイトをやったことがありました。 あらかじめ、チラシを郵便受けに入れて、2~3日後に訪問して契約をいただこうというものでしたが、訪問してもなかなか歓迎してもらえないことが多く、その時、新聞屋の配達とか郵便配達の人が来ると、こちらに対してと違って、「どうも、御苦労さま」と愛想よく受け取ったりするのです。 それを見て、新聞屋とか郵便屋っていいなあと思ったりしました。 しかし、その後、新聞屋の配達をやってみると、新聞屋もけっこう大変です。 私が勤めた新聞店は、店に新聞が届くのが遅い方で、朝、3時半から4時頃にしか届かず、それから折り込み広告を入れて配達に出ると、折り込み作業を30分ですませたとして、午前7時まで4時半からだと2時間半しかなく、小学校の時に、自転車にはこのような荷物の積み方をしてはいけませんと先生から教えられた、その「いけません」という積み方でいっぱい新聞を積んだ自転車を運転して、その時間で配り終わらないといけません。 朝刊は午前7時頃までには配達されないとたいていの人は怒るのですが、雨が降ると自転車の運転はしにくくなるし新聞は濡れるし、風が吹くとマンションに入れに入っている間に停めていた自転車がひっくり返っていたりするし、地震があると、地震自体は特に被害が出るものでなくても、マンションのエレベーターは点検がすむまで動かず、朝刊配達時に点検などされないのでエレベーターを使用できなくなり、それで配達が遅れると「朝刊がこの時間じゃあ」と文句を言われ、「そんなに言うなら、一度、配達してみやがれ」と思ったこともあれば「これだけのことをやるにしては安い給料だ」とも思えば「これだけ大変な思いをして配達しているにしては新聞代て安いなあ」と思ったりもしました。 2時間半の間に配りきらなければブゥブゥ文句を言われる条件で、金曜などは折り込みがたっぷり入った朝刊を何部もかかえ、地震で停まったエレベーターのかわりに、10階建てくらいのマンションの階段を一番上まで駆けあがって入れ、又、次のマンションで駆け上がって入れるということから考えれば、時間制限があるわけでもなく、新聞と違って紙1枚のチラシを、地震でエレベーターが止まった時は中止して別の日に入れればよいというチラシのポスティングなど楽なものとも言えますが、新聞屋の経験などない人には、紙1枚のチラシのポスティングも重労働に感じる人もあるようでした。
   但し、チラシのポスティングには、新聞屋にない苦労もあります。 新聞の配達はとにかく新聞受けに入れればよいのです。 特に、朝刊の配達の時間帯には人は起きていませんから、髭がのびておろうが目くそがついていようが格好を気にする必要も愛想をふりまく必要もない それに対し、建築屋でも不動産屋のチラシのポスティングでも入れればよいわけではない。最終的に契約してもらえなければならないのです。 契約してもらえるような入れ方をしなければならないのです。 新聞は決められた部数を決められた家に入れなければいけませんが、チラシは、もし、少数から多く契約をあげることができるなら、多数入れても契約があがらないよりポスティングをする数は少数でもよいことになります。又、朝刊の配達の時間帯にはマンションの階段や廊下にはほとんど人はいませんから走り回っても人とぶつかることはほとんどありませんが、チラシのポスティングは、夜中にドアポストに入れられたのでは気味が悪く、気味悪がられて嫌がられては何のためにやっているのかわからないので、一般には昼間やることになり、昼間は廊下や階段に通行人がいる可能性があり、走り回ってぶつかって怪我をさせてはいけませんから、そのあたりも配慮しなければいけません。 新聞は入れてくださいということになっている家に入れるのであり、黙って入れればよいのですが、建築屋にしろ不動産屋のチラシにしろ、入れてくださいと頼まれて入れるわけではなく、入れようとした家の方と顔を合わせた際に「要らない」と言われてしまうこともあります。 だから、「要らない」と言われないよう、その家の人が家の前にいる時は避けて、中に入るか出かけた後でこそっと入れるべきかというと、そうではない。 チラシのポスティングは何のためにするかというと、最終的には契約していただくためで、そうでなくても、会社・店の名前や場所を認知してもらうためですから、その時、チラシを入れるかどうかより、その家の人がそこにいるのなら、「こんにちわあ。」と挨拶して、何でもお話すればよいのであり、チラシを渡さなくても、そこで会話ができて名刺を渡すことができればその方が良いのです。 何年か前、我が家に来た近所の焼肉屋の奥さん(と言うのですが、実際に奥さんか、それを専門の仕事にしている人かはわかりません。)などは、私が新聞や郵便物を入れようとしていた時に来て、「こんにちわあ。近所の焼肉屋なんですけれども、・・」と話し、「ぜひ、一度、いらしてください。」と言った上で、チラシを渡して行きましたが、私も、チラシのポスティングの際は、その「焼肉屋の奥さん」と同じようにしてきました。 人がそこにいる時は、話しかけて挨拶し、いない時には郵便受けに入れる。 家の前で2人とか3人とかで話をされている場合はケースバイケース。 世間話をしている雰囲気の時は、話しかけて、その数人に一緒に話をする。急ぎ重要な話で他人に聞かれたくないという雰囲気の時は、別の機会にします。 前に勤めた不動産屋で店長をやっていたじいさんは、年寄りが庭の草花の世話をしていると、「お花きれいですねえ」とほめて、相手が喜んだころに「うちは、不動産屋なんですけれど・・」と本題の話をしました。 私の場合、心にもない御世辞を言うのは苦手で、かつ、建築屋としては草花や植栽は建築屋の仕事の一部分と思っているので、自分が良いと思わないものをほめることはできませんが、逆に、嘘は言いませんから、本当にいいと思ったら心から「いいですね」と言うことができるので、言われた相手もそれを感じとり、適当に言ってる不動産屋のおっさんより好感を持ってもらえるのではないかと思っています。 たとえ、その家の前にその家の人がいなかったとしても、どこかから見られていることがあります。 「一部上場」「財閥系」「大手」「有名」企業の名前の入ったチラシならともかく、「中小零細」の無名会社のチラシですと、受け取った側の気持ちとして、まず、「この会社、大丈夫か?」「まともな会社か?」と思うと思います。 「うちは○○ですから」(○○のところに、「住友」とか「三井」とかの言葉を入れよ)しか言えない営業というのもどうかと思いますが、無名会社のチラシを入れている時は、自分が人から見られていることを意識するべきです。 あの人の会社なら、電話してみても悪くないだろうと思ってもらえるか、あんな人、相手にしない方がいい、と思われてしまうか。 だから、チラシのポスティングというのは、建築屋・不動産屋の場合、「入れればよいのではない」「入れるかどうかが重要問題ではない」のであり、単に入れるだけなら「中学生でもできる」仕事でも、これらを考えて、いつ、話しかけられて相談されても対応できるよう考えながら入れるのは、「誰がやっても一緒」ではないのです。

   そして、私が経験してきた木質系・甲社、在来木造・乙社などでの「個人別営業」と千葉市中央区のSハウジングが提携した四国・徳島市のF社流「チーム制営業」との違いが出ます。 個人別営業では「成果が出なければ智恵を出せ。智恵が出なければ汗を出せ。」「御天道様は見ている」「御月様も見ている」の思いで、チラシのポスティングができます。 10件の見込客から3件の契約をあげる人と、10件の見込客から1件の契約をあげることのできる人がいたとして、10件から1件の人が、その分、「汗を出せ」と動く人で、結果として契約の数が10件に3件の人より上回れば10件に1件の人の方が成果を出したことになります。 木質系の甲社・在来木造の乙社のような個人別営業であれば。 それに対し、Sハウジングが提携した四国のF社の「チーム制営業」では、パートさんみたいな勤め方をする人がいて、「御天道様は見ている」「御月様も見ている」という営業をする人がいると、「御天道様が見ている」「御月様が見ている」という営業をやる者は、バカみたいというのか、バカそのものです。「御天道様は見ている」「御月様は見ている」と思って、チラシのポスティングをやると、そこから出てきた見込客は、人より後から来て人より先にふんぞりかえって帰る者の担当の客になってしまうのです。 一般的には、「成果が出なければ智恵を出せ。智恵が出なければ汗を出せ。」「御天道様は見ている」「御月様も見ている」の人は、「あほくさい」「やってられるか」「ふざけるな」と思いますわな。思わない奴はアホだし、思わないような者は営業に適性のある人間ではない。
    四国 徳島のF社の経営者が根本的に考え違いをしているところがあります。 「『チーム制営業』では、『協調性』が重視され、『協調性』のある人が『チーム制営業』に向いている」・・・という認識です。 逆ですよ。
   F社の「チーム制営業」は、「子供」を大義名分にすれば何でも通ると勘違いしている人にはいいでしょう。 家族の用事は誰でもあるのです。 子供がない人でも、子供以外の家族の用事はある。 結婚したけれども子供ができないでいる人は、これから子供を作って育てなければならないのであり、結婚していてよい年齢で結婚できていない人は、これから結婚して子供を作って育てなければならないのであり、すでに結婚できて子供もできた人よりも大変であり忙しいのです。 すでに結婚できて子供もできたという人は、どうして、まだ結婚できていない人・結婚はできたけれども子供はできていない人に犠牲を強いることが許されるのですか?  実際には「子供」を大義名分に使っているだけで、親が身勝手を通しているだけでしょう。 そもそも、「御月様も見ている」という気持ちで深夜までチラシのポスティングをした人の努力のおかげで出てきた見込客を、その努力をしていない・する気もない者が、横取りする権利がなぜあるのですか?  そういう身勝手を認めさせるF社の「チーム制営業」は欺瞞であり、偽物です。 
   「子供」というのは、他の家族より優先されるものですか?  たとえば、私の母は脳卒中をやったことがあって体が不自由であり、出来る限り一緒にいるようにしたい事情があるのですが、それでも、私は、働かずにいるわけにはいかないので勤めに出ますが、「子供があるんですから」と自分は子供があるから優遇してもらう権利があると主張する人というのは、私の高齢の母のためなんか、少しも考えてくれないですよね。 体が不自由な母がどうなってもかまうものかという態度を取りますよね。どうしてですか? 私だけじゃない。 家族の事情は誰でもあるのです。 子供がなくても、子供以外の家族の事情はあるのです。 それにもかかわらず、「子供」を大義名分にする人というのは、ひとの家族はどうなってもかまわないという態度をはっきり取りますね。 どういう神経ですか?  
   「子供があるから」と子供を大義名分にかかげる人というのは、世のため人のために産んだなどと思いあがらない方がいいと思いますよ。 「少子高齢化の改善に貢献しているんだ」などと勝手なこと言う人がありますが、貢献してもらわなくてけっこう。 おかしな言い草はやめてください。 そもそも、子供というものは、人さまに迷惑をかけないように産んで人さまに迷惑をかけないように育てるものと違いますか? それでも、迷惑をかけてしまった時には「すいません」と言うものと違うのですか? 「子供のある者は、子どものない者にめんどうを見てもらうのは当然の権利じゃないか。」などSハウジングの社長のH川さんみたいな主張をする人を見ると、オツムがおかしいのではないかと思います。 どこから「当然の権利」などという認識が出てきたのですか?  「子供があるんですから。」と子供を大義名分にかかげるおばさんというのは、なぜ、おのれは働かないで「御天道様は見ている」「御月様も見ている」と働いた人の成果を横取りすることが許されるのですか?
   その上で、おまけに「子供手当」まで盗るのでしょう? 「盗る」ですよ、「取る」ではなく。 「子供手当」は人さまが税金として払ったおカネを「盗る」わけでしょう? 違いますか? 
   徳島のF社の「チーム制営業」は、要するに、「子供」を大義名分に掲げ身勝手なことばかりやるアホのために、「御天道様は見ている」「御月様も見ている」と努力する人を犠牲するシステムです。 要するにアホです。
   木質系・甲社とか在来木造・乙社では、ポスティングをしてそこから問い合わせがくれば、ポスティングをした人の担当の見込客とすることができる。 その見込客が契約になれば、その営業の成績でその営業に報酬が出ます。 それに対し、F社の「チーム制営業」では、「御天道様は見ている」「御月様も見ている」とポスティングをやった結果として見込客が出れば、「子供」を大義名分に先に帰った人が報酬をもらうことになる。これでは、御日様は何も見ていない、御月様も何も見ていないことになる。 これでは、真面目に努力する人は、こんなF社の「チーム制営業」などという欺瞞のシステムをとらない会社に勤めた方がいいですね。 

   
   F社の「チーム制営業」の もうひとつの問題として、F社の「チーム制営業」では従業員に営業力がつかないという点があります。 私が在来木造の乙社のS展示場にいた時に入社してきた男性社員の某さんは、継続的にある程度以上の実績を残してきた私のような営業が協力しようという気持ちになる面と協力しようと言う気持ちになれない面の両面がありました。 某さんは、朝、誰より早く来て、自分ひとりででも掃除をしているのです。 先輩社員の担当の顧客が来場された時にはお茶を用意して出し、先輩社員の担当の御客様の仕事で人手がいるときには嫌がらずに協力してくれますし、電話が鳴ればすぐに取ります。 もっとも、朝、誰より早く来るというのは100パーセントほめられるものでもありません。 新築の住宅建築請負業の会社の営業は、人が仕事を終わって家に帰った頃に訪問して商談するのが仕事ですから、「5時から男」と「朝だけさわやか男」では、「5時から男」の方がいいのです。(グロンサン内服液〔「YouTube―中外製薬 グロンサン 強力内服液 5時から男のグロンサン 1989年 」http://www.youtube.com/watch?v=D-jI0QbPdWE 参照〕の「5時から男」は仕事が終わってから元気になる人の意味ですが、ここで言う「5時から男」は午後5時くらいから精力的に仕事をする人の意味です。) 朝、誰より早く来て掃除してくれる人でも、夜、私が客宅から事務所に帰ってきた時、営業の成果が出ていないのにいつでもすでに先に帰っている新人というのは、本人は意味がわかっていないのでしょうけれども、それは高く評価できるものではないのです。 しかし、そうはいっても、誰より早く来てひとりででも掃除している人を見ると、協力してあげたいという気持ちになります。 しかし、某さんには協力したくなくなる面もありました。 乙社は、入社させても、売れるかどうかは本人次第、売れなきゃやめてもらえばいいという姿勢があり、私などは、いったん採用した人には会社としてもう少し指導するべきではないのかと思ったものですが、その時、県の南半分の責任者となっていた「副所長」は、なんとか売らせてあげたいと思い、某さんに、何日に見込客の家に自分が同行するから、その時、これを用意しておいてくれと指示したようですが、その日になると、某さんは「副所長」が指示したものを独断で不要だとして用意しなかったのです。 それで、副所長は「僕がなんとか契約にもっていこうとしたのに、どうして、僕が指示したものを用意しないんだ。話にならないじゃないか」と怒ったのです。 某さんは、「副所長」が指示して用意させようとした物で進めるのはだめだと思ったらしいのですが、それなら、「副所長」に思ったことを先に言うべきで、言えば、それに対して説明してもらえたと思うのです。 もし、「副所長」に話しにくいとかでもあれば、同じ営業所にいた先輩社員の私にでも質問してくれれば、某さんの考え方でやれば、それは、競合企業にとっては「ありがとさん」というもの、野球にたとえれば相手のバッターがそこに投げてくれればありがたいと狙っているそのところにピッチャーが投げるようなもの、ボクシングに例えればそこにストレートを打ち込めばカウンターのパンチを撃ち返そうと相手が狙っているところに打ち込むようなものだ、ということを説明してあげることができたのです。それを、「副所長」にも質問せず、私にも質問せず、新人で何もわかっていないくせに、せっかく「副所長」が契約を取らせてあげようとしているのに、独断で指示を無視して競合会社の設けた罠にはまりにいくことをした・・・というあたりを見ると、この人は契約取れなくてもしかたがない人かな・・・という気持ちになってしまいます。
   在来木造の乙社で2年目の時、見込客のお宅に私が訪問して商談するのに、入社直後の営業を一緒に連れていってもらいたいと営業本部長から頼まれたことがありました。 その頃は、私は自分のことでせいいっぱいでしたし、その見込客は競合会社の方がリードしていて挽回する方法を思いつけずにいたという状態で、新人を連れていく余裕はなかったのですが、営業本部長から頼まれたことなので連れていきました。 ところが、行った先で見込客と話をしていた時、その新人の男は横から余計なことを口出したのです。 入社直後の研修で教えられたことが話題にでたので、それを口にしたいと思ったらしいのです。 しかし、商談はケースバイケース。 その時、その場では、その男が本社の研修で聞かされた話を口にするのはマイナスになったのです。だから、私は、その男が口にしたことくらいは知っていたけれども口にしなかったのです。 それを、自分の担当の見込客であればまだしも、先輩社員の担当の見込客の客宅に同行させてもらって、許可なく横から口にしたのであり、営業本部長から頼まれたことではあったけれども、正直なところ、この男は客宅に同行させたくない男だと思いましたし、営業本部長から頼まれるのでなければ同行させるべきでない人間だと認識しました。 木質系の甲社に入社して1年目の私の営業成績は新卒新入社員の中では優秀な方でしたが、それは、営業課長がよく見てくれたからで、営業課長の指示の通りやった上でのものなので、自分の実力だと言えるものではありませんでしたが、しかし、私は、乙社で営業本部長から頼まれて同行させた男みたいなことはやらなかったし、乙社のS展示場で副所長を激怒させた某さんのように指示を無視したりせず、営業課長の指示通りおこなったので、その点では、協力してもらえる要素があったと思います。 個人別営業なら、周囲の他の営業、他の職種の従業員に協力してもらえるかどうかは、その人の態度により変わります。 だから、協力してもらおうとすれば、その結果として、「社内営業」をやることになり、「社内営業」のできるようになった人は、「社内営業」でない「営業」の能力もそこでつくのです。
    ところが、F社の「チーム制営業」であれば、「こんなアホに協力できるか」というアホが協力してもらえることになってしまう。 協力してもらえて、その人にとってよいかというと、よくないと思います。 およそ、協力してもらえるような態度を取っていないにもかかわらず、協力してもらえてしまうため、人に協力してもらえるようにするには、協力してあげようという気持ちになってもらえるにはどうすればいいか、どうしなければならないか、顧客に、同じことならこの人と契約しよう、この人を断るよりは他の人を断った方がいいと思ってもらえるようにするにはどうすればいいか・・ということを学ばない。 人から協力してもらえるわけがない態度を取って、それで協力してもらう権利があるように思ってしまうのです。 
   協力してもらって当然・・ではないのです。 乙社にいた時、営業の人間の手が足らない時、工事や設計の職種の者に協力を頼む人がありました。 頼み方もありますし頼んでよい内容とよくない内容もあると思います。 頼む際、缶コーヒーでも自販機で買ってきて、「よろしくお願いします。○○さん。」と、普段、呼び捨てで呼んでいる相手に、突然、「さんづけ」で呼んでみたりする人とかもあります。 私の場合、たとえば、S展示場にいた時、それまでの経験から考えて、これだけやれば契約してもらえてよいはずだ、その方にとって他より乙社に頼んだ方がいいはずだと考えられるのに、どうもあと一歩のところで話が決まらないということがあり、この人は自分には契約できないのだろうかと考え、自分に契約できないとすれば誰なら契約できるだろうと考えたことがありました。 誰なら契約できるだろうかと考えて思い浮かんだのが、東京営業所にいた時に一緒にいたHさんでした。Hさんのいる営業所に行って、床に頭をすりつけてでも、一緒に行って私のためにこの人を契約とってもらえないでしょうかと頼んでみようかと思いましたが、締め日前の大安・友引というのは、営業は誰しも契約に忙しいもので、同じ営業所にいるならまだしも、相当離れた場所にいる人に頼むのは、やはり申し訳ないと思ってやめ、かわりに、もしHさんならこの場合どうするだろうと考えて、その考えた方法を取った結果、契約していただくことができました。 乙社でも、完全に個人の力だけで契約するという「個人別」ではなく、営業社員が協力して契約を取るシステムを作ろうとしていたところがありましたが、会社が「このようなケースでは、誰がどう協力する」と「会社の決まり」として作った「協力体制」で契約を取ろうとしているようでは、営業としてのレベルは低いと思います。 そうではなく、自分が担当で契約させてもらうために、もし、自分だけの力では契約できないけれども、特定の誰かに協力してもらえるのなら、たとえ、「会社の決まり」で協力してもらうことになっていない人でも、自分より年上であろうが年下であろうが、どこにいる人であろうが、必要なら床に頭をすりつけででも頼んでみようという気持ちになる、という方が営業としてのレベルが高いと思います。 私の場合、評価されない方の経験もあります。 S展示場にいた時、ひとつの役回りとして、営業所長の I さんに「営業所長として」という役割で、一緒に同行した上で「その地域の責任者としての発言」をひとつお願いできないでしょうかと頼んだことがあったのですが、 I さんは私と同行するのを嫌がったようで、同行してくれなかったのです。 それで、 I さんは、S展示場にいた年寄りのTさんにやってもらったらと言ったのですが、TさんはI さんとキャラクターが違うし、Tさんにはその役を演じる力はなかったのです。I さんは、その時、その県の営業所長を務めていたのであり、私は個人的な用事ではなく会社の契約をあげるための仕事を頼んだのですし、私は I さんを評価しているから頼んだのですから、「営業所長」の肩書と役職手当をもらっている人としては、もし、私と相性が悪いと思っていたのであっても、協力してくれてもよかったのではないかと思いますが、私の方としては、もし、I さんが同行したくないという気持ちになっていたのなら、I さんにそういう気持ちにならせてしまったという点で、経験のある営業としてはマイナスの評価を受けるものでしょう。 私自身の「社内営業」のプラスとマイナスの話をあげましたが、こういったことを考えて、自分個人の能力をアップさせるとともに、他の従業員・他の人に協力してもらえるようにということを考えるのも能力のうちで、F社の偽「チーム制営業」は、協力してもらえるわけがない態度を取る者に協力させてしまうという制度ですから、こういうことをやっていたのでは、営業としての能力は上がりません。
   
   独身の人間と結婚した人間はどちらが有利か。 子供ができた人と子供がない人とではどちらが有利か、というと、いちがいにいえません。  結婚相手ができれば、その相手の用事もできるけれども、一人でいてもやらなければならない用事を二人で分担することができます。
   「子供ができたから大変なんです」と大威張りで言う人がありますが、自分が作ろうと思って作ったんでしょ。 誰か、職場の他の人に頼まれて、他の人のために作ったのですか? 勝手なこと言いなさんな、ということです。  乙社にいた時、工事に相当ミスがでて御施主様が相当怒られたことがありましたが、さらに怒らせたのが、その地域の工事責任者が「工事担当の○○は子供ができたばかりで大変なんです。」と言ったというものでした。
 「それが、うちにどう関係あるのですか?」
 「それが、うちの工事とどういう関係があるのですか?」
 「子供ができたばかりだからまともに仕事ができないのなら、やっていただかなくてけっこうです。」 
・・と、そう言われたのです。 お施主様は。 もっともなことです。本当に、どう関係あるのですか? 「子供」があるから仕事ができないのなら、やっていただかなくてけっこうです。 
   「うちは子供が小さいから大変なんです。」と「権利」を主張する人は、その子供が学校に行くようになると、「子供の学校で大変なんです。」と言うでしょう。 中学校か高校に行くようになると「子供の受験で大変なんです」と言いだすでしょう。 「子供の受験」を大義名分にするようになった時には、かつて自分が主張した「子供が生まれたばかりだから」の「大変」は土足で踏みにじるでしょう。 要するに、自分の我儘を認めろと言っているだけなんです。大義名分に使われる「子供」もいい迷惑です。
   実際に、子どもができれば、子どものない人より不利かというと、必ずしもそうではありません。 乙社にいたある営業は、小学生・中学生の子供と嫁さんにチラシのポスティングを手伝わせていましたが、これなどは、子供のない者は、手伝わせようにも手伝わせる者がいない。その分、子供があると有利。  さらに、住宅建築などは、個人的な知り合いはそうでない場合より頼んでもらいやすいケースがあり、子供の学校や幼稚園・保育園関係から見込客をつかめる可能性が出てきます。 私は、今、住んでいる所で、自治会の役をあえてやって近隣と積極的になじみになろうかと考えたことがありましたが、実質的に「前期高齢者の会」になってしまっていて、現役世代の人間が顔を出さない会なので、これではと思いやめました。 子供の学校・幼稚園・保育園で出会うのは現役世代の人ですから、営業上もプラスになる可能性のあるつきあいで、自然とそういうつきあいができるのはプラスでしょう。 
   子供があるから子供の用事に時間が取られる場合もあるでしょう。 しかし、家族は子供だけではないのです。 「うちは子供があるんですから」と「子供」を名目におのれの勝手な「権利」を主張する人は、他の人が子供以外の家族の用事があることを絶対に認めません。 子供は産みたいと思って産んだはずですが、親は欲しいと思ったからいるのではないのですが、良い親でも良くない親でも、好きな親でもそうでない親でも、年老いて弱ってきた親を放置するわけにはいかないのです。 ところが「子供のある者の権利」を主張する人というのは、人の親なんぞ死んでもどうなってもいいという態度をはっきりと取ります。 どういう神経なんでしょうね。 「子供帝国主義」の主張をする人というのは、あくまで大事なのは自分の「子供」であり、より正確に言うと、大事なのは自分だけなのです。
   子供に時間を取られる場合はあるでしょうけれども、子供がなければ、あるいは、子供が特に手がかからなければ時間は取られないかというと、そうでもありません。 乙社にいたSさんは、ある時、糖尿病を患い、それ以来、営業で動く時間を自分で制限するようにしたと言っていました。Sさんは、それほど時間をかけず、それほど体に負担をかけないで、それなりに契約をあげる方法を考えたようです。 はっきりと「○○病」とならなくても、年齢をいくことで、若い頃と同じだけは動けなくなることもあります。 老眼が出てくると、その分、効率は悪くなります。 若くても近視でコンタクトレンズを使用するとコンタクトレンズの手入れの時間分だけ時間が取られます。生活習慣病の定期健診を受けるようになると、医院・病院に行く時間だけ持ち時間が減ります。 「子供」を名目に自分の仕事を人にしてもらおうという人は、自分だけが大変だと身勝手な主張をしているだけです。 都合・事情は誰にでもあるのです。 自分の都合・事情を人に認めてもらおうと思ったら、人の都合・事情も認めなければなりません。  自分の都合・事情を人に認めてもらえるように、人の都合・事情も配慮するのが、それが営業力です。 「子供」を大義名分にかかげて、無理矢理、自分の都合だけ人に認めさせようというのは、それは、「押し売り」で、営業でも営業力でもありません。
   白土三平の漫画で、肺結核を病んでしまい、そのために体力がなくなり、時間が長い勝負では勝ち目がない、だから、一瞬で勝負が決まる刀を抜き打ちさまに相手を切り倒す「居合切り」にかけ、それだけは超一流になった剣客の話がありました。自分の体力に合わせた戦法を考えた例です。 今は昔、ベトナム戦争への従軍を拒否して世界チャンピオンのタイトルを剥奪されたモハメド=アリ(カシアス=クレイ)が、ボクサーとして復帰した時、ボクサーとしては高齢で、全盛期のチャンピオンのフォアマンには勝てないと思われたが、「ロシアの重戦車戦法」「蝶のように舞って蜂のように刺す」とアリが言う戦法で、ロープを背負ってフォアマンに一方的に攻撃させ、フォアマンに疲労がでた時を狙って一気に倒すという「キンシャサの奇跡」で、世界タイトルを奪還したとことがありました。 自分に不利な要素がある場合、それを補う戦法を考えて対応するのは、誰しも考えることで、営業の仕事をする者もまた考えることです。 子供があるから有利な面もあるけれども、子供に時間が取られる不利もあるというのなら、それを補う方法を考えるべきですが、F社の偽「チーム制営業」は、その工夫をさせないものです。 
※アリがフォアマンを倒した「キンシャサの奇跡」については、
「YouTube-キンシャサの奇跡(741030) 」http://www.youtube.com/watch?v=doM5CblaXto 
「YouTube―ジョージ・フォアマン VS モハメッド・アリ 」http://www.youtube.com/watch?v=kANNhbDt-fQ 他参照。
   営業の能力というのは、個々の技術もあるでしょうけれども、それ以前に、自分の有利な面を生かし、不利な面を補う方法を自分で考えるというのが、まず、営業能力です。自分の有利な条件・不利な条件のうち、不利な条件の部分を補う方法を考えようとする意志もない、周囲の人に協力してもらえるようにしようと配慮する能力も意志もない、単に、「子供」を大義名分として我儘を通そうとするだけの人というのは、営業の仕事にはつかない方がいいと思います。 仕事につくとしても、他の職種を選ばれた方がご本人のためです。 そういう人を無理に優遇しようとする「フィットのやり方」は、ある程度以上、営業をやった経験のある人間が考えた方法ではないと思われます。

   子供が欲しいと思いながら、ある程度以上の年齢になってできずにいる夫婦には、犬や猫を飼って子供のようにかわいがっている人がいます。 かつての職場で、「うちは子供がいますから」と “子供がある者の権利” を主張する者に対して、「うち、猫いますから。」と言った人がありました。 営業という仕事は、人の気持ちを理解することが一番の仕事です。 自分が子供ができたからといって、子供が欲しいと思いながらできずにいる人の気持ちを土足で踏みにじる権利があると思っている人は、営業の仕事にはつかない方がいいと思います。
   『旧約聖書 創世記』には、アブラハムが、神より、息子・イサクを燔祭(はんさい)としてささげよと命じられ、命に従って息子をほふろうとした瞬間、神が制止する話があります。この話をどう理解すべきか。 ライフエンターテインメントから発売されているDVD『アブラハム』では、アブラハムが子供のことに頭がいっぱいになって、周囲の人間も何も顧みないようになったことへの神のいましめというように描いています。

   千葉市中央区のSハウジングでは、2011年4月に社長H川さんの妻の友人のT口さんが縁故入社すると、それまで、チラシは輪転機で刷ってきたのを、カラー印刷で印刷屋に依頼して大量に印刷するようになりました。
   ところが、6月。 せっかく、カラーで印刷したチラシを、チラシの有効期限が迫っているのに、大量に残しているのです。 普通の社長なら激怒することですが、縁故で入った人は平気でそういうことをするのです。 私は、2011年の4月から完全に営業から離れ、工事管理・総務の職種となっていましたが、せっかくカラーで刷ったチラシを大量に残しているのを知り、ろくでもない新人をかばってあげるため、無理をして夜遅くまで時間外に無賃労働でそのチラシを近隣にポスティングをして、残部数を減らしてあげたことがありました。そして、T口さんは、私が夜11時くらいまでポスティングをやった時、どうしていたかというと、定時にさっさと帰宅していたのです。 T口さんと一緒にF社と提携した商品を担当していた I 村さんはどうしていたかというと、社長のH川さんが、右翼団体の集会に誘って一緒に行っていたのでした。 担当でない者に協力してもらって、担当の者がこれでは、協力しがいがないことになります。 又、普通の営業なら、こういった協力をしてもらえば、翌日、「どうも、すいませんでした。」と言うものですが、縁故で入った人というのは言わないのです。営業でなくても、普通の人間なら言うと思いますが、「普通の人間」の教育を受けてきていないようでした。
   Sハウジングでは、2011年4月より、昼間、大工仕事をやっている工事部の人達に、T口さんとI村さんが担当のF社と提携した商品のチラシのポスティングを、夜、時間外に無賃労働でさせました。 しかし、昼間、大工仕事をやっている人にとってはポスティングは担当外の仕事であり、もし、T口さんがポスティングによる見込客が欲しければ、T口さんがポスティングをするか、そうでなければ、上に述べた在来木造・乙社の営業が嫁さんや子供に手伝わせたように、T口さんの子供はポスティングを手伝うにはまだ小さいとしても、夫にやらせればよいのであり、T口さんの夫にやらせずに、他人の夫に、夜、時間外に無賃労働でさせるというのは、見当はずれです。 ポスティングから出た見込客から契約が出れば、当然、そのチラシを入れた人はその報酬をもらう権利がありますが、ところが、ポスティングから見込客が出ても、その報酬は、ポスティングをしていないT口さんがもらっているのです。  これでは、苦情・不満が出るのは時間の問題であり、私は、2011年6月、社長の代理のように動いていたU草さんにそれを話しました。 それに対し、U草さんが何と言ったかというと、「工事部の人間は、みんな、中卒でバカですから、そんなことわかってないですよ。 バカだから、時間外手当だの何だのなんてわかってないですから、心配ないですよ。」と。 彼はそう言ったのです。 そういうものでしょうか?  中卒の人間には、「バカだから」時間外労働をしても時間外手当を支払わなくていいのでしょうか?  ちょっと、違いませんか?  営業の報酬は営業活動をやってそれに対しての報酬ですから、本来、T口さんがやるべきことを工事部の人達に時間外にさせたのであれば、T口さんの報酬を減らして、その分を工事部の人に渡すべきです。 どうしてT口さんは、自分がやっていない労働に対する報酬を受け取っているのですか?
   そして、2011年7月の13日(水)、私が、夜、勤務時間を過ぎて帰ろうとすると、専務で工事部の仕事をやっているKさんが「チラシのポスティングをやってくれと言われているのだけれども、どれを入れればいいのですか。」と来たのですが、T口さんは、工事部の人達に、本来、自分がやるべきポスティングを、夜、やってもらっておきながら、自分はパートタイマーのように定時に帰るだけでなく、入れてもらうチラシも用意せずに帰っていたのです。 「チラシのポスティングをやってくれと言うからやっても、営業の人(T口さん、I 村さん)が先に帰ってしまっていて、やる気しない。 入れてくれと言っておきながら、入れるチラシも用意してないんじゃ、もう、協力できない、もう、やるの嫌だとみんなが言って怒ってるよ。」と話しました。 もっともなことで、私もそう思います。 しかし、私は、その場は、それ以上、工事部の人達を怒らさないよう、翌日、資格試験受験の予定があり、早めに帰りたい事情があったにもかかわらず、夜、9時くらいまで、チラシの紙折りをやってなだめ、T口さんらをかばってあげたのでした。
    翌々日の15日(金)、そういうことがあれば、世話をかけた私に対し、F社と提携商品担当の営業は、当然、負担をかけた世話になった私に「どうも、すいませんでした」というひと言くらいは言うはずですが、親の教育が悪いのか前職の会社の社員教育が悪いのか、そのひと言くらいも言わない、言えない。 そのくらいも言えない人は営業はやめた方がよろしい。
    私は、社長のH川さんにも、前前日の13日(水)に、T口さんらが入れてもらうチラシも用意せずに帰ってしまっていたことを話し、工事部の人達も怒っており、私も、担当外の仕事をやってあげても、私より始業時刻も終業時刻も遅いにもかかわらず、自分の担当の仕事が残っているにもかかわらず、私よりも先にさっさと帰ってしまっているT口さんの態度について話しましたが、H川さんが何と言ったかというと、あきれたことに、「T口さんは、子供があるんだから、先に帰るのが当たり前じゃないかあ。 子供のある者は子供のない者にめんどう見てもらうのは当然の権利じゃないかあ。何言ってるんですか。 子供のない者は子供のある者のために時間外でも尽くすのが当然じゃないかあ。子供のない者が悪いんだ。」と暴言を吐いたのです。 あきれました。 この男はアホだと思いました。誰もがT口さんの態度に怒っているんです。 T口さん、及び、T口さんの夫がやるべき仕事を、時間外に無賃労働でさせられていることについて、誰もが怒っているんです。 それに対してこういった暴言を吐くというのは、年に半分ほどハワイにバカンスに行って日本にいることが少ない、日本にいる時も会社に出てくることが少ない、会社に出てくる日数より右翼団体の集会に行く日数の方が多い、会社に出てきても、『地球の歩き方』を読んでいるかパソコン通信でハワイの孫と会話しているか先物取引の業者を呼んで先物取引の話をしているかで、会社に来る時も、朝10時半頃に来て午後4時か5時頃にまだ他の従業員が仕事をしているのにさっさと帰る、印刷したチラシが期限前に大量に残っていても自分の手では絶対に1枚として入れようとはしない、というそういう社長だからこういう暴言が口にでるようになったのでしょう。 あきれました。
    「中卒でバカだからわかってない」とU草さんは思っているかもしれませんが、実はわかっているんです。 「中卒」でも。 「バカ」であろうがなかろうが。 
   だから、「フィットのやり方」なんかだめです。 アホが考えたものと言うしかありません。(もし、ダメだと思わない人は、どうぞ、ご自由に。)

   「最初からカラー印刷のチラシを印刷屋で用意してもらった人」というのは、一色刷りの輪転機のチラシよりどれだけ、それがいいかわからない。
   「自分でチラシをポスティングしないで、ひとに入れてもらっている人」というのは、どれだけたいへんな仕事をしているのかわからない。
   それでは、だめです。 これは「精神主義」ではない。 やはり、基本的には「チラシは自分で入れるもの」で、カラー刷りのチラシのありがたさがわからない者には、カラー印刷のチラシを利用させる必要はない。 私はそう思う。 

   F社の偽「チーム制営業」は、パートさんと同じ勤め方の人に契約を取らせるために、まともに仕事をしている従業員を犠牲にするもので、人に世話をかけたら「ありがとうございます」、ひとに迷惑をかけたら「すいません」と言うという「協調性」のない人を尊重する“制度”です。
   木質系の甲社や在来木造の乙社の「個人別営業」では、「協調性」が否定されるのかというとそうではない。他の営業にも契約があがるように協力もしたし、協力してもらいもしました。協力しあう関係を構築していくのも営業の能力であり、その能力のある人とない人では、ない人は、その分、成果が出にくくなる。 だから、「個人別営業」だからといって、「協調性」を否定しているのとは違うのです。

☆  あえて、匿名にする必要があるとも思えません。
四国のF社とは、徳島市の株式会社フィット(http://www.fit-group.jp/ )
千葉市中央区のSハウジングとは、 新華ハウジング有限会社(千葉市中央区鵜の森町1-3)です。

◇  今回は、〔第121回〕《新卒入社1年目にクルマではなく電車・バスによる営業と原付での営業を経験したことでの成果 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201208article_6.html と二部作として作成しました。〔第121回〕も、ぜひご覧くださいませ。
     (2012.8.18.) 




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