先輩社員に協力を頼んでぎりぎりに来る女、名刺持参しないで平気な女。こういう人、どうすればいいですか?
〔第133回〕営業と会社の話(31)
何年か前に、雇用機会均等法という法律ができ、又、雇用均等室という機関が各都道府県の労働局に設置されました。 それが良かったか悪かったか。 「悪い」「悪かった」とは思いませんが、「良い」「良かった」かというと、問題点も相当にあるので、少なくとも手放しで喜べる内容ではないと私は思っています。
似た内容の話に、「セクシュアルハラスメント」と「ストーカー」という用語ができて広まったのが良かったか悪かったかという問題があります。
私が最初に「セクシュアルハラスメント」という用語を見たのは、たしか、1982年か1983年くらいに「朝日ジャーナル」誌上においてでした。職場や学校で職制上の立場などを利用して相手が望まない性的な行為を行うといったことは現実にあったことで、それを解決しようと、「セクシュアルハラスメント」という議論が「朝日ジャーナル」誌上でなされていたのを読み、もっともなことと思ったのですが、しかし、その後、「セクシュアルハラスメント」という用語が普及するにつれ、特に、その略語の「セクハラ」という用語が広まるにつれ、その問題を解決に向けて取り組むのが間違っているなどということではないのですが、その用語があることによって、かえって、問題解決にはマイナスになっていると思えるようになりました。
『別冊宝島Real050 まれに見るバカ女との闘い』(2003.7.27.宝島社)に、望月真理子という人が「おバカを増殖させた言葉 セクシュアル・ハラスメント」として次のように述べています。
≪ 従来、「強制わいせつ」や「痴漢」と呼ばれてきた行為のある一部が、セクシュアル・ハラスメント(以下「セクハラ」と略す)という概念で括られ、特別視されるようになったのは、八〇年代後半のことだ。
当時、セクハラの定義は「職場で強い立場にある男性が、弱い立場の女性に対し、何らかの条件と引き換えに肉体関係を要求・強要すること」という、明快にして限定的なものだったと記憶している。今日でいう<対価型セクハラ>である。
その後間もなく、この定義は急速な変化を見せる。 女性から男性に対する同様の行為があった場合もセクハラであるし、同性間においても成立する。さらに<環境型セクハラ>が加わって、相手を不快にさせる性的な言動はすべてセクハラとされるに至り、セクハラの概念はあまりにも広汎な、かつ極度に主観的なものとなった。乱暴に言うなら「何でもアリ」になってしまったのである。
給料ドロボーOLが、少しは真面目に働くよう注意する上司に向って「それってセクハラじゃないですかあ?」とのたまう。 品位のかけらもないおっさんが、女の子のお尻を触りながら、「これってセクハラ?」とニヤつく。 こいつらの存在自体が、社会に対するハラスメント以外の何ものでもない。 そんなバカ女とバカ男に弄ばれることで、この言葉がかつて持っていた有用性はゼロに近いところまで目減りしてしまった。・・・・
男女雇用機会均等法の導入とほぼ同時期に登場したこの言葉は、ことここに至って、役割を終えたと見るべきではないか。 ・・・・・・ ≫
まったくその通りだと私も思います。 よく書いてくれた、その通り。
「ストーカー」という言葉も、その問題がないということではなく、対処するべきではあるのでしょうけれども、この用語ができたことで、個々に事情は異なる問題であるにもかかわらず、「ステレオタイプ化」というのでしょうか、「ストーカー」とはこういうものと規定されて、実際には個々に異なる内容のものが押しこめられてしまい、そのために問題解決にはかえってマイナスになっているのではと思われるところがあります。
出会い系サイトか何かで知り合った程度の低いニーチャンと「不倫」だかを楽しむ「家庭の主婦」が、相手の男が気に入らないと思うや否や、「あの人、ストーカーなんですよ」とか言い出す。気にいらなくなった男を撃退するには、ちょうどいい道具なんです。「ストーカー」という言葉は。 既婚者でなくても、「男にもてたい」という幼児的願望のある女性がいて(男でも、「女にもてたい」という幼児的願望、あるいは、チンケなミエのある男性はいますが)、複数の男に気を引くようなことをせっせとやって、それで、相手の男性がそんなに自分のことを気にいってくれるのならと思ってその女性の方に気を向けると、まさしくその瞬間を狙ってウエートのたっぷりのったカウンターパンチでひじ鉄をお見舞いする女性がいるのです。 それをされると男の方はまったくわけがわからないのですが、そういうことをする「バカ女」はけっこういるのです。そういう女性にとって、自分を正当化するために「ストーカー」という言葉は絶好の道具です。 そのあたりも考えて対処しないといけません。
雇用機会均等法の問題ですが、一番の問題は、「職場において、女性が差別されることのないように」という趣旨で設けられた法律で、「職場において、女性が不利に扱われることがないように」という内容であるという点です。 この法律には、「職場において、男性が差別されることのないように」「職場において、男性が不利に扱われることがないように」という趣旨は最初から欠落しているのです。 この点で、この法律は最初から、男女に均等な扱いをする法律ではないのです。 こういう趣旨の法律を制定するのであれば、「職場において、女性が差別されること、男性が差別されることのいずれもないように」「職場において、女性が不利に扱われることがないように、又、男性が不利に扱われることがないように」と、女性と男性の両方を「均等」に保護しなければ、有効なものとはならないはずですが、この法律は、あくまで、「女性を守る」法律なのです。
雇用均等室も、同様の問題があります。 職場において女性が困らないように、女性が働きにくい扱いを受けないように設けられたというのが絶対に悪いとは思いません。 しかし、男性が職場において困らないように、男性が働きにくい扱いを受けないように設けられた同様の機関はないのです。
この点に、雇用機会均等法と雇用均等室の根本的・根源的な問題があります。
今まで男性の職場だとされてきた職場に女性が入ることについて、男性はどう思うかという点について、私自身が職場で周囲の人達から聞いた話を述べます。
今は昔、おじいさんとおばあさんが洗濯をする際、全自動洗濯機よりも2槽式洗濯機の方が一般的であった頃の昔。 大学生であった私は、ジェットコースターのペンキ塗装の手伝いのアルバイトを春休みに1カ月間おこなったことがありました。 ペンキ屋(「ペン屋」)の職人は全員が男ですし、監督も男ならアルバイトの手伝いの私たちも男です。 1カ月いると、職人ともけっこう打ち解けて話をするようになりましたが、ある職人のおっさんが「あんたらも、アルバイトするにしても、こんな男ばかりの職場よりも、もっと、女の子のいっぱいいるところに行った方が良かったんじゃないのかあ」と言い、そして「女の子、いたらいいのになあ。 大事にしてやるのになあ」としみじみと言ったことがありました。 実際、そんな気持ちになることがあったのでしょう。 もし、「女の子」がおれば、きっと、その人は「大事に」してあげたと思います。
しかし、逆の感想を言う人もあった。 今は昔、 まだ、新幹線に品川駅がなかった頃の昔。在来木造某社の山梨県の上野原町(現・上野原市)にあったプレカット工場に勤務していた時のこと。 その工場では、50くらいの女性がひとりいましたが、他は男性ばかりでした。 作業内容が基本的には男性の仕事であったのですが、男性には、職場に女性がいればいいのにと思う人もあったようです。 しかし、そういう話が出た時、ある男性が「いや。今の仕事から考えると、あまり、女性にこの職場には来てほしくないですね」と言いました。 その意味は私もわかりました。 在来木造に使用する木材の機械プレカットと住宅設備品の配送センターをしている工場ですが、木は鉄より軽いといっても、生身の人間が持つには材木は軽くないのです。 フォークリフトがあっても手で持つしかない場合は少なくない。 そういう職場に女性が入ってくるとどうなるかというと、「女性は重い物は持てない」のならまだ良いのですが、「持てない」ではなく「持たない」人もいるのです。「持てない」は、持てない物は持てないが、女性なりに持てる物は持つ・持とうという人ですが、「持たない」は女性を理由に信念もって断固として「持たない」人です。 男性が10の重さの物を持つ時に、女性でも従業員なら、せめて4か3くらいの物は持っても良いのではないのかと思うのですが、女性は断固として「持たない」のが雇用機会均等法だと思っている人がいる。 そうなると、会社は女性の従業員をそこに配属したからといって全体の従業員数を大きく増やすことはしませんから、結果として男性の従業員は減り、男性の従業員は重い物を持ったり運んだりの業務ばかりさせられ、女性は楽なことばかりやるということになり、かつ、雇用機会均等法に基づき給料は均等になる・・という結果が考えられるのです。 そうなることを考えると、プレカット工場には「女の子」なんか来ていらない・・と男性が考えるのはもっともなことです。 なんで、わざわざ、自分の仕事を給料同じなのに今までよりきつくしないといけないのですか。
かつて、女性の給料は男性よりも一回り安いのが普通であった時期がありました。 雇用機会均等法の現在ではそれは認められなくなりました。 しかし、おも~い梁(はり)を男性が運ぶ時に、椅子に座って見ているのが「女性なんだからあたりまえでしょ」とふんぞりかえって言う女性と、ひいひい言って重い梁を運ぶ男性が同じ給料でないといけないという法律って正しいのでしょうか? 男性でも、体力的にきつい仕事と楽な仕事であれば、一般的には、きつい仕事を担当する者の方が給料は高いのが普通です。 同じならあほくさくて長い目で見ればやめてしまいます。 ところが、女性は、男性よりも楽な仕事をやって、それでも同じ給料をとる「当然の権利」があることになっているのです。 それなら、職場に女性なんかいない方がいいと男性が考えるようになるのは当然ではないでしょうか。
私は、高校は公立で共学の進学校を卒業しました。 女性でも京大や東大に行こうとする人はいました。 女性で、京大や東大の法学部に行って弁護士になろうという人、国立大学の医学部に行って医者になろうという人というのは、それだけの覚悟がある人が多いように思いましたし、男性と比べても決して劣らない覚悟、それだけの矜持を感じる人が少なくありませんでした。 加藤登紀子が東大に行こうとした時、お父さんが「東大なんか、女にとっては墓場みたいなものだ」と言ってあまり勧めなかったそうですが、加藤登紀子はそれでも行きたいと思って行ったと語るのをテレビで聞いたことがありました。 私自身、大学に進学する時、姉から「哲学科なんて、変人の行く所と違うの? そんな所へ行ったら、お嫁さん来なくなるよ」と言われたことがあり、「そういうことを言われるなら余計に行ったる、絶対行ったる」という気持ちになったうことがありました。だから、「女が東大なんか行ったら婚期遅れるぞお」とか言われても、「そんなこと言われるなら絶対行ったる」という気持ちになる女性というのは、私は個人的にも好きでした。
しかし、職場に勤めると、それだけの覚悟もなく、一般の男性と同じだけの働きをする気持ちもないにもかかわらず、男性と同等以上の処遇を「当然の権利」として要求する女性がいます。 そういう人を応援したいという気持ちにはなりません。 「東大なんか行ったら婚期遅れるよお~お」とか言われると、「ずえったいに行ってやる」という気持ちになる女性というのは、条件も男性と同じ条件でやっていこうとするし、男性より甘い条件を与えてもらおうとはしないものですが、ところが、一方で、「女」としての男性より甘い条件を要求し、一方で、男性と同じ処遇を要求する人がいるのです。 そういう人達を応援する気持ちにはなれないというのは、共学の進学校の出身で、女性であっても男性と同じようにやっていきたいと努力する人達を応援したい気持ちになったのとは、まったく、性質が違います。
不動産屋には「レディース営業の店」というのが少なからずあります。 「レディース営業の店」と言われると、“ フェロモン系 ”みたいなおねえさまがそろっていて、ゴキブリほいほいに誘い込まれるゴキブリのごとく、男どもが “フェロモン” に誘われて入ってしまい、ふと、気づくとゴキブリほいほいの粘着剤にくっついて離れなくなるごとく、おねえさまの色香にまいってしまって、「もう、どうにでもして」て感じで契約してしまう・・という、不動産屋「愛の館」みたいな店・・・???・・かな・・、峰不二子ちゃんみたいな女性ばっかりかな・・・??・・とか思いがちですが、そういうのとはまったく違う、別に、色仕掛けがあるわけでもなし、ピンクサービスがあるわけでもなし、こういう表現をすると怒られるかもしれませんが、要するに、従業員全員、もしくは、営業は全員がおばさんの店ということです。 なぜ、その店がそうなったのかというと、「女が働くのは大変なんだからねえ」「私は先に帰るから、後、かたづけておいてちょうだい」「先に行って準備しておいてちょうだい。私、後から、準備が出来た頃に行って接客するから」とかやられたのでは、男はあほくさいのでやめてしまうのです。 それで、女性だけが残った店が「レディース営業の店」です。
具体的な話。 私が勤めてきた千葉市中央区の新華ハウジング有限会社に2011年4月より、社長の嫁さんの友人だという女性が縁故入社で入りました。 昼休みは1時間ですが、入社して2日目から、外に出掛けて2時間ほど戻ってきませんでした。 入社して1年くらい経ってからそれをやる人はいますが、2日目からやる人というのは、私は、何十年か会社勤めをしてきましたが、はじめて見ました。
そして、4日目だか5日目だかに、勤務時間中に、職場で、ボリボリ、せんべいをかじりだしました。 これも、1年くらい経ってからなら、営業は実績を残すことが大事で、工場でベルトコンベアーの前に座って作業をするのとは違うということで、事務所内で菓子を食べたりする人はありますが、入社して1週間も経たないうちに、何の実績も残さず、ボリボリ食べる人というのはあまりありません。
2011年7月15日、会社の入口の目の前の来客用駐車場に、おのれのクルマを、長時間、平気で停めるということもしました。入社して半年も経たない者が、先輩社員が離れた従業員用駐車場に停めているにもかかわらず。 客商売において、来客用駐車場におのれのクルマを停める者というのは、それは営業妨害であり、論外なのですが、女性は許されるべきでしょうか。それが雇用機会均等法なのでしょうか?
他にもいろいろあるのですが、こういったことは、「男なら殴られること」なのです。 女性を殴るべきではないと思いますよ。 男性でも殴るべきだということではありませんが、「男なら殴られること」をやっても女性は殴られることはないという絶対の自信をもって、勤務中にせんべいをボリボリかじる人って、それが雇用機会均等法ですか?
変な法律ですね。 そう思いませんか?
宅地建物取引業の広告などの表示について、不適当な表示をおこなっている場合に是正を指導したりしている機関に、公益社団法人 首都圏公正取引協議会(http://www.sfkoutori.or.jp/) という所があります。首都圏以外の地域にも同様の機関はあります。 宅地建物取引業法(宅建業法)という法律はなんとも不思議な法律で、こういうことをするとこのような処罰をするという規定があるはずで、該当する不動産業者(宅地建物取引業者)が1つの都道府県にのみ営業所を持つ場合(知事免許の場合)には都道府県庁の不動産業課(もしくは、そのような名称の部署。千葉県ならば、建設・不動産業課 http://www.pref.chiba.lg.jp/kenfudou/index.html )、2つ以上の都道府県にまたがって営業所を持つ業者の場合(大臣免許の場合)、国土交通省(首都圏ならば、さいたま市の国土交通省関東整備局建政部 http://www.ktr.mlit.go.jp/soshiki/soshiki00000029.html )が担当して取締をおこなうはずなのですが、実際に訴えると、労働基準法違反を労働基準監督署(労基署)に訴えた場合、労働基準監督官はなんとか取り締まらないようにして企業の労働基準法違反を守ろうとするのと同様、関東地方整備局は、なんだかんだなんだかんだ言って動かないようにして、不動産屋(宅地建物取引業者)の宅建業法違反を守ろうとするのです。 「こちらは人手もありませんで」などと言ってみたりするのですが、「それじゃ、あなたは『人手』じゃないのですか」と言いたくなります。そういう人たちが私などよりはるかに高い安定した給料をもらっているのです。 関東地方整備局はほとんど動いてくれないのに対し、首都圏公正取引協議会はそれなりに動いてくれます。 あくまで「公益社団法人」であって、司法機関や行政機関そのものではないので、刑事上の罰則ではありませんが、不動産業者にペナルティーを課すということもあります。
2011年の5月か6月のこと。 その縁故入社の女性が担当している業務で、首都圏公正取引協議会に問い合わせ(このようなことはやって良いか悪いか)に行くのに、宅地建物取引主任者の有資格者として、私に同行してほしいと言うので同行してあげたことがありましたが、その際の彼女の態度にはあきれました。自分の担当の仕事に同行してもらうように先輩社員に頼んでおきながら、当日、私が20分ほど前に近所の駐車場にクルマを入れ、10分少々前に現地のビルの前まで行って待っても来ないのです。 先輩社員と待ち合わせをしてどこそこに行くというのであれば、まず、自分の携帯電話の番号をあらかじめ書き出して渡しておくものです。 そして、頼んだ者の方が先に行って待ち、「おはようございます。よろしくお願いします。」と言うもの です。それを、こちらが先に行って待っても来ない。 5分前までそこで待ってもこないので、会社に電話をして誰かその女性の携帯電話番号を教えてもらい、こちらからかけると「もうすぐ着きます」とあたりまえのように言う。 「もうすぐ着きます」じゃないでしょう。 ぎりぎりになりそうであれば、ぎりぎりになりそうな者の方から連絡するものでしょう。 それで、結局、相手方と約束している時刻ぎりぎりに来たのです。 自分ひとりで行くのなら、ぎりぎりでも遅れなければよいと考えてもよいでしょうけれども、先輩社員に頼んできてもらい、その先輩社員がぎりぎりでない時刻に会って行けるようにという姿勢で行っているのに、頼んだ者の方がぎりぎりに行くというのは、社会人としていかがかと思うし、そういう現れ方をしたのであれば、 「すいません。待ちましたか。」というひと言はあってよいはずですが、それを言えない・言わない人なのです。 又、個人の自宅に訪問する場合は約束の時刻にプラスマイナスゼロで訪問すべきで約束の時刻より前に訪問すべきではないとされますが、この時の訪問先はオフィスであり、オフィスへの訪問では、プラスマイナスゼロではなく5分程度前くらいが好ましいはずです。 それを現地のビルの前に「プラスマイナスゼロ」に来る。 私から携帯に電話したにもかかわらず、ゆっくりと歩いて。 営業として考えても、そんなおかしな営業、ありませんわなあ。 (「すいません」という言葉を絶対に口にしないというのは、まるで巡査のよう。 もしかして、巡査の娘なのかもしれませんね。)
さらに、業者を取り締まる立場の人と会うのに、おのれの名刺を持ってこない。 当人は「忘れた」と言うのですが、実際は「忘れた」のではなく、「持ってこなかった」です。 当日、現地に直行しようと考えていたが、自分の名刺をすべて会社においていてかばんにも入れておらず自宅にも持ちかえっていないことに気づいたという場合、私なら、前日どんなに遅くても会社まで取りに行くか、当日、直行するのをやめていったん会社に行って名刺を持った上で現地に行くようにするところを、そんなこと絶対にやってたまるかという信念を持って取りに行かずに、名刺持参なして現地にぎりぎりに来たのです。だから、実際は「忘れた」のではなく、「会社に取りに行かなかった」のです。 又、私なら、名刺を持っているつもりで家を出て、電車内で持っていないことに気づいた場合は、急遽、便せんに「自己紹介書」というものを書いて作成し、「これ、私の自己紹介書です。よろしくお願いいたします」と言って出すなどします。それもしない。 名刺を会社にすべて置いてきたことに自宅で気づき、会社まで取りに行きたくない場合、自宅のパソコンでオリジナル名刺を作るという方法もあります。それもやらない。 自分ひとりで行くのならまだ良いのですが、人に同行してもらう場合にこういうことをしたのでは、同行してもらう人間の顔までつぶすことになります。そういうことにまったく頓着がない。 これも、営業として考えてみてもあるべき態度ではありませんわなあ。
こういう人って、どうすればいいんですか? 言ってきく人ならいいのですが、口で言っても絶対にきかない人なのです。 どうすればいいですか?
建築業の業界、特に、大工職人の世界では、昔は、態度の悪い新人は、上棟などで作業をしている時、上に登って来た時に柱などを間違ったふりをしてぶつけて下に突き落とすとか、下に来た時に上から物を落としてやるとかしてわからせたものだ・・・と、かつて、在来木造の某社にいた時、ある年配の大工から聞かせてもらったことがありました。 親子で大工をやっている人で、息子に「気をひきしめてやらないなら突き落とすぞ。 それで痛い目にあうんだからな」と息子に言ってきかせている人を見たこともあります。 その人は実際に突き落としたりはしていませんが、しかし、建築業の業界は、そういうことを言ってきた業界なのです。
職人でなくても、かつて、私が勤務した木質系某社で、営業課長が、工事担当者の対応が悪いというので、工事担当者に、「おい、メガネとれえ」と言い、工事担当者が「どういうことですか」と言うと、「殴ってやるからメガネとれと言ってんだ」と言った人がありました。その時、どういう事情であったか詳しいことは知りません。 それがいいかというと、やっぱり、「殴ってやるからメガネとれえ」というのは、絶対にいいとはいえないと思いますが、しかし、口で言ってもきいてもらえない場合に、相手が男性なら、実際問題としてそういう言い方をすることもできるのです。
ところが、女性には、「『男なら殴られること』をやっても女性は殴られない権利がある」と確信している人がいる。 男なら殴ってよいわけでもないのですが、「『男なら殴られること』をやっても女性は殴られない権利がある」という信念持っている女性というのは、立派な態度と言えますか? 私は、実際のところ、そういう身勝手な信念の人とは同じ職場で働きたくないのです。
それで、口で言っても理解しないような人はどうすればよいのか。 「殴ってでもわからせるべきだ」と言う人もあったりしますが、それなら、そう言う人が殴る役やってください。 私、「殴る役」やるの、嫌なんです。
今まで男性ばかりの職場に女性が入ってきた時、こういう問題が発生します。 口で言ってもわからない相手だから殴ってよいというわけでもないのですが、男性ならそれほど気を使わずに言えることが言えなかったりする場合があるのです。 それで言わないでおくと、通じていると勘違いしてしまうのです。
こういう人は、職制上の立場から、会社として注意して、それでもきかない場合にはなんらかのペナルティーを課すなりしないと、職場が成り立たなくなります ・・・・が、社長が年に半分くらい、ハワイにバカンスに行って日本にいることが少ない、日本にいる時も会社に来ることが少なく、会社に出てくる日数より右翼団体の集会に行く日数の方が多い、会社に出てきても『地球の歩き方』読んでるという会社では、どうすればいいですか?
さらに。「私は子供があるんですからねえ」という文句。 その文句は、自分の夫に言いなさい。 職場で、他人の夫に言うものではない。 ところが、それを言うのです。私が産ませた子供ならその子供に対して責任があるでしょうけれども、違うでしょ。 産ませたのは夫でしょ。 どうして、産ませた男(夫)に言わずに、他人の夫に言うのですか。 もし、私の為に産んだと思っているのなら、産んで要りませんよ。 産んでくださいと頼みましたか。頼んでないでしょ。 あなたが、あなたの夫と一緒に作ったのでしょ。 違いますか?
自分の妻が職場でそういう言動をとっていることに責任感を持たない男(夫)も社会人として欠陥があります。
「ビッグコミック」(小学館。月2回発行)に林律雄 原作・高井健一郎 作画『総務部総務課 山口六平太』という漫画が連載されており、2012年9月25日号に、担当者に確認も取らずにいいかげんな返事をして部下にしりぬぐいをさせてばかりいる上役に頭にきた女性社員・香山エリカが、辞表をつきつけた上で、その上役に平手打ちをくらわすという話が出てきます。 ↓
≪ しかし エリカは想定していなかった、太田からの反撃が来る事を。 しかもグ―で。≫ の後、
≪ その現場に 偶然、役員が来合せた事を後から知った。
色々あって太田課長は子会社に出向になり、 エリカの辞表は受理されず 慰留された。≫ となっているが、このように、一発ぶったたいてやろうかという上役に対して従業員が立ち向かった場合に、「造反有理」(反逆には理由が有る)とでも上役が評価して≪慰留≫したりするのが、この『総務部総務課山口六平太』の会社ですが、実際には、日本の会社においては、そうでもないのではないか。 会社がろくでもない上役の方にばかり加担することの方が多いのではないのかという気がします。 又、この漫画には、毎度、水戸黄門か大岡越前守みたいな上役が登場して≪慰留≫してみたりしますが、日本の会社に、そんな「助さん、格さん、まいりましょうか。はっはっは」とかいう上役が始終いるかというとそうではないと思うし、それが、この漫画には毎回登場するというあたりが、この漫画の作者の限界ではないかとも思います。 たとえば、水木しげるの漫画なら、こういう「なかばハッピーエンド」にはならないものが多い。 白土三平の漫画でもこういう結末にはならない。
どうにも我慢のできない上役に平手打ちをくらわして辞めてやる・・・というのが良いかどうかという問題の前に、女性がそれをやることについてどうかという問題があります。 この漫画でも、作者は書いています。≪ エリカは想定していなかった、大田からの反撃が来る事を。≫と。 このあたりが卑怯だと思うのです。 男性は、「殴ってやる」と思った時、殴った相手が殴り返してくることも考えているのです。 それに対して、少なくない女性は、女性が男性を殴っても男性は殴り返さないものだ、女性は、女性が男性を殴っても殴り返されない権利がある、と思っているのです。 だから、どうしても気がすまない上役を、最後の最後、殴って辞めてやるという気になった男性については、絶対に良いかどうかはともかく、その気持ちは理解しますが、女性が男性に張り手をくらわせても相手は反撃してこないはずだという自信のもとに女性が出す張り手というものについては、支持する気持ちにはなれないのです。
女性は男性に手を出しても良い、認められて当然だと思っている女性がいるようですが、誰がそんなもの認めたのですか?
女性は「男なら殴られること」をやっても殴られない権利がある、などと誰が認めたのですか?
「女の特権」を一方で主張しながら、一方で男性と同じ処遇を要求する、という人というのは、一方で、「学歴で人を評価するのはおかしい」と主張して「一流大学」卒の者と同等の処遇・扱いを主張し、いざ、責任を問われる時になると、「ぼくは高卒だから、そんなものわかるわけがない。ぼくは高卒だからそんなものできるわけがない」と言ってふんぞり返るおっさんと同じく、ダブルスタンダードというのか二刀流というのか、あんまり評価したくない、気分のよくない生物です。
恋愛・結婚といった関係でつきあっていた男女の関係において、男の方が不義理なことをして、それに腹をたてた女性が、にやけ男のツラを張り飛ばして別れるというなら、それはそれでいいかもしれません。 しかし、恋愛・結婚といった関係でない相手に、女性は男性に対して手を出しても反撃されない権利があると勝手に認識している人というのは、ほめられるものでないと思いますね。
上の先輩社員に自分の業務に同行を頼んでおきながら先輩社員を待たせてぎりぎりに来る女、先輩社員に同行を頼んで自分の名刺も持ってこない女。 口で言ってきく人ならよいのですが、絶対にきかない人。 どうすればいいですか? 会社の職制上の立場の人間が対処しなければならないにもかかわらず対処せず、社長だけ「放射能こわいよ、こわいよ」とか言ってハワイでバカンスしてる会社では、どうすればいいですか? 「殴ってやれ」と言う人ありますが、私、「殴る役」やるの嫌なんです。 もし、やるなら、誰か他の人、やってください。
誰もがこういう気持ちになった時、多くの男性社員は下の本の題名のような気持ちになるのです。『バカ女は死ね』↓↓ と。
実際に「死ね」と言うわけにもいきませんが、「どうか、この職場から退場してください」ということになります。 「退場してください」と言う方が悪いですか? 社長の嫁さんの友人には、社長や社長の嫁さんと同等に会社でバカンスする権利がありますか? それが雇用機会均等法ですか?
上の方で述べたように、雇用機会均等法には根源的な問題があると思いますが、だからといってない方が良いとは思いません。しかし、男性なら入社して1週間も経たないのに職場で勤務中にせんべい食べたりしないのに、女性は職場でボリボリ音たててせんべい食べる権利がある・・・というのが雇用機会均等法ならば、その法律は、まともな法律ではないと思います。
そう思いませんか?
(2012.9.12.)
何年か前に、雇用機会均等法という法律ができ、又、雇用均等室という機関が各都道府県の労働局に設置されました。 それが良かったか悪かったか。 「悪い」「悪かった」とは思いませんが、「良い」「良かった」かというと、問題点も相当にあるので、少なくとも手放しで喜べる内容ではないと私は思っています。
似た内容の話に、「セクシュアルハラスメント」と「ストーカー」という用語ができて広まったのが良かったか悪かったかという問題があります。
私が最初に「セクシュアルハラスメント」という用語を見たのは、たしか、1982年か1983年くらいに「朝日ジャーナル」誌上においてでした。職場や学校で職制上の立場などを利用して相手が望まない性的な行為を行うといったことは現実にあったことで、それを解決しようと、「セクシュアルハラスメント」という議論が「朝日ジャーナル」誌上でなされていたのを読み、もっともなことと思ったのですが、しかし、その後、「セクシュアルハラスメント」という用語が普及するにつれ、特に、その略語の「セクハラ」という用語が広まるにつれ、その問題を解決に向けて取り組むのが間違っているなどということではないのですが、その用語があることによって、かえって、問題解決にはマイナスになっていると思えるようになりました。
『別冊宝島Real050 まれに見るバカ女との闘い』(2003.7.27.宝島社)に、望月真理子という人が「おバカを増殖させた言葉 セクシュアル・ハラスメント」として次のように述べています。
≪ 従来、「強制わいせつ」や「痴漢」と呼ばれてきた行為のある一部が、セクシュアル・ハラスメント(以下「セクハラ」と略す)という概念で括られ、特別視されるようになったのは、八〇年代後半のことだ。
当時、セクハラの定義は「職場で強い立場にある男性が、弱い立場の女性に対し、何らかの条件と引き換えに肉体関係を要求・強要すること」という、明快にして限定的なものだったと記憶している。今日でいう<対価型セクハラ>である。
その後間もなく、この定義は急速な変化を見せる。 女性から男性に対する同様の行為があった場合もセクハラであるし、同性間においても成立する。さらに<環境型セクハラ>が加わって、相手を不快にさせる性的な言動はすべてセクハラとされるに至り、セクハラの概念はあまりにも広汎な、かつ極度に主観的なものとなった。乱暴に言うなら「何でもアリ」になってしまったのである。
給料ドロボーOLが、少しは真面目に働くよう注意する上司に向って「それってセクハラじゃないですかあ?」とのたまう。 品位のかけらもないおっさんが、女の子のお尻を触りながら、「これってセクハラ?」とニヤつく。 こいつらの存在自体が、社会に対するハラスメント以外の何ものでもない。 そんなバカ女とバカ男に弄ばれることで、この言葉がかつて持っていた有用性はゼロに近いところまで目減りしてしまった。・・・・
男女雇用機会均等法の導入とほぼ同時期に登場したこの言葉は、ことここに至って、役割を終えたと見るべきではないか。 ・・・・・・ ≫
まったくその通りだと私も思います。 よく書いてくれた、その通り。
「ストーカー」という言葉も、その問題がないということではなく、対処するべきではあるのでしょうけれども、この用語ができたことで、個々に事情は異なる問題であるにもかかわらず、「ステレオタイプ化」というのでしょうか、「ストーカー」とはこういうものと規定されて、実際には個々に異なる内容のものが押しこめられてしまい、そのために問題解決にはかえってマイナスになっているのではと思われるところがあります。
出会い系サイトか何かで知り合った程度の低いニーチャンと「不倫」だかを楽しむ「家庭の主婦」が、相手の男が気に入らないと思うや否や、「あの人、ストーカーなんですよ」とか言い出す。気にいらなくなった男を撃退するには、ちょうどいい道具なんです。「ストーカー」という言葉は。 既婚者でなくても、「男にもてたい」という幼児的願望のある女性がいて(男でも、「女にもてたい」という幼児的願望、あるいは、チンケなミエのある男性はいますが)、複数の男に気を引くようなことをせっせとやって、それで、相手の男性がそんなに自分のことを気にいってくれるのならと思ってその女性の方に気を向けると、まさしくその瞬間を狙ってウエートのたっぷりのったカウンターパンチでひじ鉄をお見舞いする女性がいるのです。 それをされると男の方はまったくわけがわからないのですが、そういうことをする「バカ女」はけっこういるのです。そういう女性にとって、自分を正当化するために「ストーカー」という言葉は絶好の道具です。 そのあたりも考えて対処しないといけません。
雇用機会均等法の問題ですが、一番の問題は、「職場において、女性が差別されることのないように」という趣旨で設けられた法律で、「職場において、女性が不利に扱われることがないように」という内容であるという点です。 この法律には、「職場において、男性が差別されることのないように」「職場において、男性が不利に扱われることがないように」という趣旨は最初から欠落しているのです。 この点で、この法律は最初から、男女に均等な扱いをする法律ではないのです。 こういう趣旨の法律を制定するのであれば、「職場において、女性が差別されること、男性が差別されることのいずれもないように」「職場において、女性が不利に扱われることがないように、又、男性が不利に扱われることがないように」と、女性と男性の両方を「均等」に保護しなければ、有効なものとはならないはずですが、この法律は、あくまで、「女性を守る」法律なのです。
雇用均等室も、同様の問題があります。 職場において女性が困らないように、女性が働きにくい扱いを受けないように設けられたというのが絶対に悪いとは思いません。 しかし、男性が職場において困らないように、男性が働きにくい扱いを受けないように設けられた同様の機関はないのです。
この点に、雇用機会均等法と雇用均等室の根本的・根源的な問題があります。
今まで男性の職場だとされてきた職場に女性が入ることについて、男性はどう思うかという点について、私自身が職場で周囲の人達から聞いた話を述べます。
今は昔、おじいさんとおばあさんが洗濯をする際、全自動洗濯機よりも2槽式洗濯機の方が一般的であった頃の昔。 大学生であった私は、ジェットコースターのペンキ塗装の手伝いのアルバイトを春休みに1カ月間おこなったことがありました。 ペンキ屋(「ペン屋」)の職人は全員が男ですし、監督も男ならアルバイトの手伝いの私たちも男です。 1カ月いると、職人ともけっこう打ち解けて話をするようになりましたが、ある職人のおっさんが「あんたらも、アルバイトするにしても、こんな男ばかりの職場よりも、もっと、女の子のいっぱいいるところに行った方が良かったんじゃないのかあ」と言い、そして「女の子、いたらいいのになあ。 大事にしてやるのになあ」としみじみと言ったことがありました。 実際、そんな気持ちになることがあったのでしょう。 もし、「女の子」がおれば、きっと、その人は「大事に」してあげたと思います。
しかし、逆の感想を言う人もあった。 今は昔、 まだ、新幹線に品川駅がなかった頃の昔。在来木造某社の山梨県の上野原町(現・上野原市)にあったプレカット工場に勤務していた時のこと。 その工場では、50くらいの女性がひとりいましたが、他は男性ばかりでした。 作業内容が基本的には男性の仕事であったのですが、男性には、職場に女性がいればいいのにと思う人もあったようです。 しかし、そういう話が出た時、ある男性が「いや。今の仕事から考えると、あまり、女性にこの職場には来てほしくないですね」と言いました。 その意味は私もわかりました。 在来木造に使用する木材の機械プレカットと住宅設備品の配送センターをしている工場ですが、木は鉄より軽いといっても、生身の人間が持つには材木は軽くないのです。 フォークリフトがあっても手で持つしかない場合は少なくない。 そういう職場に女性が入ってくるとどうなるかというと、「女性は重い物は持てない」のならまだ良いのですが、「持てない」ではなく「持たない」人もいるのです。「持てない」は、持てない物は持てないが、女性なりに持てる物は持つ・持とうという人ですが、「持たない」は女性を理由に信念もって断固として「持たない」人です。 男性が10の重さの物を持つ時に、女性でも従業員なら、せめて4か3くらいの物は持っても良いのではないのかと思うのですが、女性は断固として「持たない」のが雇用機会均等法だと思っている人がいる。 そうなると、会社は女性の従業員をそこに配属したからといって全体の従業員数を大きく増やすことはしませんから、結果として男性の従業員は減り、男性の従業員は重い物を持ったり運んだりの業務ばかりさせられ、女性は楽なことばかりやるということになり、かつ、雇用機会均等法に基づき給料は均等になる・・という結果が考えられるのです。 そうなることを考えると、プレカット工場には「女の子」なんか来ていらない・・と男性が考えるのはもっともなことです。 なんで、わざわざ、自分の仕事を給料同じなのに今までよりきつくしないといけないのですか。
かつて、女性の給料は男性よりも一回り安いのが普通であった時期がありました。 雇用機会均等法の現在ではそれは認められなくなりました。 しかし、おも~い梁(はり)を男性が運ぶ時に、椅子に座って見ているのが「女性なんだからあたりまえでしょ」とふんぞりかえって言う女性と、ひいひい言って重い梁を運ぶ男性が同じ給料でないといけないという法律って正しいのでしょうか? 男性でも、体力的にきつい仕事と楽な仕事であれば、一般的には、きつい仕事を担当する者の方が給料は高いのが普通です。 同じならあほくさくて長い目で見ればやめてしまいます。 ところが、女性は、男性よりも楽な仕事をやって、それでも同じ給料をとる「当然の権利」があることになっているのです。 それなら、職場に女性なんかいない方がいいと男性が考えるようになるのは当然ではないでしょうか。
私は、高校は公立で共学の進学校を卒業しました。 女性でも京大や東大に行こうとする人はいました。 女性で、京大や東大の法学部に行って弁護士になろうという人、国立大学の医学部に行って医者になろうという人というのは、それだけの覚悟がある人が多いように思いましたし、男性と比べても決して劣らない覚悟、それだけの矜持を感じる人が少なくありませんでした。 加藤登紀子が東大に行こうとした時、お父さんが「東大なんか、女にとっては墓場みたいなものだ」と言ってあまり勧めなかったそうですが、加藤登紀子はそれでも行きたいと思って行ったと語るのをテレビで聞いたことがありました。 私自身、大学に進学する時、姉から「哲学科なんて、変人の行く所と違うの? そんな所へ行ったら、お嫁さん来なくなるよ」と言われたことがあり、「そういうことを言われるなら余計に行ったる、絶対行ったる」という気持ちになったうことがありました。だから、「女が東大なんか行ったら婚期遅れるぞお」とか言われても、「そんなこと言われるなら絶対行ったる」という気持ちになる女性というのは、私は個人的にも好きでした。
しかし、職場に勤めると、それだけの覚悟もなく、一般の男性と同じだけの働きをする気持ちもないにもかかわらず、男性と同等以上の処遇を「当然の権利」として要求する女性がいます。 そういう人を応援したいという気持ちにはなりません。 「東大なんか行ったら婚期遅れるよお~お」とか言われると、「ずえったいに行ってやる」という気持ちになる女性というのは、条件も男性と同じ条件でやっていこうとするし、男性より甘い条件を与えてもらおうとはしないものですが、ところが、一方で、「女」としての男性より甘い条件を要求し、一方で、男性と同じ処遇を要求する人がいるのです。 そういう人達を応援する気持ちにはなれないというのは、共学の進学校の出身で、女性であっても男性と同じようにやっていきたいと努力する人達を応援したい気持ちになったのとは、まったく、性質が違います。
不動産屋には「レディース営業の店」というのが少なからずあります。 「レディース営業の店」と言われると、“ フェロモン系 ”みたいなおねえさまがそろっていて、ゴキブリほいほいに誘い込まれるゴキブリのごとく、男どもが “フェロモン” に誘われて入ってしまい、ふと、気づくとゴキブリほいほいの粘着剤にくっついて離れなくなるごとく、おねえさまの色香にまいってしまって、「もう、どうにでもして」て感じで契約してしまう・・という、不動産屋「愛の館」みたいな店・・・???・・かな・・、峰不二子ちゃんみたいな女性ばっかりかな・・・??・・とか思いがちですが、そういうのとはまったく違う、別に、色仕掛けがあるわけでもなし、ピンクサービスがあるわけでもなし、こういう表現をすると怒られるかもしれませんが、要するに、従業員全員、もしくは、営業は全員がおばさんの店ということです。 なぜ、その店がそうなったのかというと、「女が働くのは大変なんだからねえ」「私は先に帰るから、後、かたづけておいてちょうだい」「先に行って準備しておいてちょうだい。私、後から、準備が出来た頃に行って接客するから」とかやられたのでは、男はあほくさいのでやめてしまうのです。 それで、女性だけが残った店が「レディース営業の店」です。
具体的な話。 私が勤めてきた千葉市中央区の新華ハウジング有限会社に2011年4月より、社長の嫁さんの友人だという女性が縁故入社で入りました。 昼休みは1時間ですが、入社して2日目から、外に出掛けて2時間ほど戻ってきませんでした。 入社して1年くらい経ってからそれをやる人はいますが、2日目からやる人というのは、私は、何十年か会社勤めをしてきましたが、はじめて見ました。
そして、4日目だか5日目だかに、勤務時間中に、職場で、ボリボリ、せんべいをかじりだしました。 これも、1年くらい経ってからなら、営業は実績を残すことが大事で、工場でベルトコンベアーの前に座って作業をするのとは違うということで、事務所内で菓子を食べたりする人はありますが、入社して1週間も経たないうちに、何の実績も残さず、ボリボリ食べる人というのはあまりありません。
2011年7月15日、会社の入口の目の前の来客用駐車場に、おのれのクルマを、長時間、平気で停めるということもしました。入社して半年も経たない者が、先輩社員が離れた従業員用駐車場に停めているにもかかわらず。 客商売において、来客用駐車場におのれのクルマを停める者というのは、それは営業妨害であり、論外なのですが、女性は許されるべきでしょうか。それが雇用機会均等法なのでしょうか?
他にもいろいろあるのですが、こういったことは、「男なら殴られること」なのです。 女性を殴るべきではないと思いますよ。 男性でも殴るべきだということではありませんが、「男なら殴られること」をやっても女性は殴られることはないという絶対の自信をもって、勤務中にせんべいをボリボリかじる人って、それが雇用機会均等法ですか?
変な法律ですね。 そう思いませんか?
宅地建物取引業の広告などの表示について、不適当な表示をおこなっている場合に是正を指導したりしている機関に、公益社団法人 首都圏公正取引協議会(http://www.sfkoutori.or.jp/) という所があります。首都圏以外の地域にも同様の機関はあります。 宅地建物取引業法(宅建業法)という法律はなんとも不思議な法律で、こういうことをするとこのような処罰をするという規定があるはずで、該当する不動産業者(宅地建物取引業者)が1つの都道府県にのみ営業所を持つ場合(知事免許の場合)には都道府県庁の不動産業課(もしくは、そのような名称の部署。千葉県ならば、建設・不動産業課 http://www.pref.chiba.lg.jp/kenfudou/index.html )、2つ以上の都道府県にまたがって営業所を持つ業者の場合(大臣免許の場合)、国土交通省(首都圏ならば、さいたま市の国土交通省関東整備局建政部 http://www.ktr.mlit.go.jp/soshiki/soshiki00000029.html )が担当して取締をおこなうはずなのですが、実際に訴えると、労働基準法違反を労働基準監督署(労基署)に訴えた場合、労働基準監督官はなんとか取り締まらないようにして企業の労働基準法違反を守ろうとするのと同様、関東地方整備局は、なんだかんだなんだかんだ言って動かないようにして、不動産屋(宅地建物取引業者)の宅建業法違反を守ろうとするのです。 「こちらは人手もありませんで」などと言ってみたりするのですが、「それじゃ、あなたは『人手』じゃないのですか」と言いたくなります。そういう人たちが私などよりはるかに高い安定した給料をもらっているのです。 関東地方整備局はほとんど動いてくれないのに対し、首都圏公正取引協議会はそれなりに動いてくれます。 あくまで「公益社団法人」であって、司法機関や行政機関そのものではないので、刑事上の罰則ではありませんが、不動産業者にペナルティーを課すということもあります。
2011年の5月か6月のこと。 その縁故入社の女性が担当している業務で、首都圏公正取引協議会に問い合わせ(このようなことはやって良いか悪いか)に行くのに、宅地建物取引主任者の有資格者として、私に同行してほしいと言うので同行してあげたことがありましたが、その際の彼女の態度にはあきれました。自分の担当の仕事に同行してもらうように先輩社員に頼んでおきながら、当日、私が20分ほど前に近所の駐車場にクルマを入れ、10分少々前に現地のビルの前まで行って待っても来ないのです。 先輩社員と待ち合わせをしてどこそこに行くというのであれば、まず、自分の携帯電話の番号をあらかじめ書き出して渡しておくものです。 そして、頼んだ者の方が先に行って待ち、「おはようございます。よろしくお願いします。」と言うもの です。それを、こちらが先に行って待っても来ない。 5分前までそこで待ってもこないので、会社に電話をして誰かその女性の携帯電話番号を教えてもらい、こちらからかけると「もうすぐ着きます」とあたりまえのように言う。 「もうすぐ着きます」じゃないでしょう。 ぎりぎりになりそうであれば、ぎりぎりになりそうな者の方から連絡するものでしょう。 それで、結局、相手方と約束している時刻ぎりぎりに来たのです。 自分ひとりで行くのなら、ぎりぎりでも遅れなければよいと考えてもよいでしょうけれども、先輩社員に頼んできてもらい、その先輩社員がぎりぎりでない時刻に会って行けるようにという姿勢で行っているのに、頼んだ者の方がぎりぎりに行くというのは、社会人としていかがかと思うし、そういう現れ方をしたのであれば、 「すいません。待ちましたか。」というひと言はあってよいはずですが、それを言えない・言わない人なのです。 又、個人の自宅に訪問する場合は約束の時刻にプラスマイナスゼロで訪問すべきで約束の時刻より前に訪問すべきではないとされますが、この時の訪問先はオフィスであり、オフィスへの訪問では、プラスマイナスゼロではなく5分程度前くらいが好ましいはずです。 それを現地のビルの前に「プラスマイナスゼロ」に来る。 私から携帯に電話したにもかかわらず、ゆっくりと歩いて。 営業として考えても、そんなおかしな営業、ありませんわなあ。 (「すいません」という言葉を絶対に口にしないというのは、まるで巡査のよう。 もしかして、巡査の娘なのかもしれませんね。)
さらに、業者を取り締まる立場の人と会うのに、おのれの名刺を持ってこない。 当人は「忘れた」と言うのですが、実際は「忘れた」のではなく、「持ってこなかった」です。 当日、現地に直行しようと考えていたが、自分の名刺をすべて会社においていてかばんにも入れておらず自宅にも持ちかえっていないことに気づいたという場合、私なら、前日どんなに遅くても会社まで取りに行くか、当日、直行するのをやめていったん会社に行って名刺を持った上で現地に行くようにするところを、そんなこと絶対にやってたまるかという信念を持って取りに行かずに、名刺持参なして現地にぎりぎりに来たのです。だから、実際は「忘れた」のではなく、「会社に取りに行かなかった」のです。 又、私なら、名刺を持っているつもりで家を出て、電車内で持っていないことに気づいた場合は、急遽、便せんに「自己紹介書」というものを書いて作成し、「これ、私の自己紹介書です。よろしくお願いいたします」と言って出すなどします。それもしない。 名刺を会社にすべて置いてきたことに自宅で気づき、会社まで取りに行きたくない場合、自宅のパソコンでオリジナル名刺を作るという方法もあります。それもやらない。 自分ひとりで行くのならまだ良いのですが、人に同行してもらう場合にこういうことをしたのでは、同行してもらう人間の顔までつぶすことになります。そういうことにまったく頓着がない。 これも、営業として考えてみてもあるべき態度ではありませんわなあ。
こういう人って、どうすればいいんですか? 言ってきく人ならいいのですが、口で言っても絶対にきかない人なのです。 どうすればいいですか?
建築業の業界、特に、大工職人の世界では、昔は、態度の悪い新人は、上棟などで作業をしている時、上に登って来た時に柱などを間違ったふりをしてぶつけて下に突き落とすとか、下に来た時に上から物を落としてやるとかしてわからせたものだ・・・と、かつて、在来木造の某社にいた時、ある年配の大工から聞かせてもらったことがありました。 親子で大工をやっている人で、息子に「気をひきしめてやらないなら突き落とすぞ。 それで痛い目にあうんだからな」と息子に言ってきかせている人を見たこともあります。 その人は実際に突き落としたりはしていませんが、しかし、建築業の業界は、そういうことを言ってきた業界なのです。
職人でなくても、かつて、私が勤務した木質系某社で、営業課長が、工事担当者の対応が悪いというので、工事担当者に、「おい、メガネとれえ」と言い、工事担当者が「どういうことですか」と言うと、「殴ってやるからメガネとれと言ってんだ」と言った人がありました。その時、どういう事情であったか詳しいことは知りません。 それがいいかというと、やっぱり、「殴ってやるからメガネとれえ」というのは、絶対にいいとはいえないと思いますが、しかし、口で言ってもきいてもらえない場合に、相手が男性なら、実際問題としてそういう言い方をすることもできるのです。
ところが、女性には、「『男なら殴られること』をやっても女性は殴られない権利がある」と確信している人がいる。 男なら殴ってよいわけでもないのですが、「『男なら殴られること』をやっても女性は殴られない権利がある」という信念持っている女性というのは、立派な態度と言えますか? 私は、実際のところ、そういう身勝手な信念の人とは同じ職場で働きたくないのです。
それで、口で言っても理解しないような人はどうすればよいのか。 「殴ってでもわからせるべきだ」と言う人もあったりしますが、それなら、そう言う人が殴る役やってください。 私、「殴る役」やるの、嫌なんです。
今まで男性ばかりの職場に女性が入ってきた時、こういう問題が発生します。 口で言ってもわからない相手だから殴ってよいというわけでもないのですが、男性ならそれほど気を使わずに言えることが言えなかったりする場合があるのです。 それで言わないでおくと、通じていると勘違いしてしまうのです。
こういう人は、職制上の立場から、会社として注意して、それでもきかない場合にはなんらかのペナルティーを課すなりしないと、職場が成り立たなくなります ・・・・が、社長が年に半分くらい、ハワイにバカンスに行って日本にいることが少ない、日本にいる時も会社に来ることが少なく、会社に出てくる日数より右翼団体の集会に行く日数の方が多い、会社に出てきても『地球の歩き方』読んでるという会社では、どうすればいいですか?
さらに。「私は子供があるんですからねえ」という文句。 その文句は、自分の夫に言いなさい。 職場で、他人の夫に言うものではない。 ところが、それを言うのです。私が産ませた子供ならその子供に対して責任があるでしょうけれども、違うでしょ。 産ませたのは夫でしょ。 どうして、産ませた男(夫)に言わずに、他人の夫に言うのですか。 もし、私の為に産んだと思っているのなら、産んで要りませんよ。 産んでくださいと頼みましたか。頼んでないでしょ。 あなたが、あなたの夫と一緒に作ったのでしょ。 違いますか?
自分の妻が職場でそういう言動をとっていることに責任感を持たない男(夫)も社会人として欠陥があります。
「ビッグコミック」(小学館。月2回発行)に林律雄 原作・高井健一郎 作画『総務部総務課 山口六平太』という漫画が連載されており、2012年9月25日号に、担当者に確認も取らずにいいかげんな返事をして部下にしりぬぐいをさせてばかりいる上役に頭にきた女性社員・香山エリカが、辞表をつきつけた上で、その上役に平手打ちをくらわすという話が出てきます。 ↓
≪ しかし エリカは想定していなかった、太田からの反撃が来る事を。 しかもグ―で。≫ の後、
≪ その現場に 偶然、役員が来合せた事を後から知った。
色々あって太田課長は子会社に出向になり、 エリカの辞表は受理されず 慰留された。≫ となっているが、このように、一発ぶったたいてやろうかという上役に対して従業員が立ち向かった場合に、「造反有理」(反逆には理由が有る)とでも上役が評価して≪慰留≫したりするのが、この『総務部総務課山口六平太』の会社ですが、実際には、日本の会社においては、そうでもないのではないか。 会社がろくでもない上役の方にばかり加担することの方が多いのではないのかという気がします。 又、この漫画には、毎度、水戸黄門か大岡越前守みたいな上役が登場して≪慰留≫してみたりしますが、日本の会社に、そんな「助さん、格さん、まいりましょうか。はっはっは」とかいう上役が始終いるかというとそうではないと思うし、それが、この漫画には毎回登場するというあたりが、この漫画の作者の限界ではないかとも思います。 たとえば、水木しげるの漫画なら、こういう「なかばハッピーエンド」にはならないものが多い。 白土三平の漫画でもこういう結末にはならない。
どうにも我慢のできない上役に平手打ちをくらわして辞めてやる・・・というのが良いかどうかという問題の前に、女性がそれをやることについてどうかという問題があります。 この漫画でも、作者は書いています。≪ エリカは想定していなかった、大田からの反撃が来る事を。≫と。 このあたりが卑怯だと思うのです。 男性は、「殴ってやる」と思った時、殴った相手が殴り返してくることも考えているのです。 それに対して、少なくない女性は、女性が男性を殴っても男性は殴り返さないものだ、女性は、女性が男性を殴っても殴り返されない権利がある、と思っているのです。 だから、どうしても気がすまない上役を、最後の最後、殴って辞めてやるという気になった男性については、絶対に良いかどうかはともかく、その気持ちは理解しますが、女性が男性に張り手をくらわせても相手は反撃してこないはずだという自信のもとに女性が出す張り手というものについては、支持する気持ちにはなれないのです。
女性は男性に手を出しても良い、認められて当然だと思っている女性がいるようですが、誰がそんなもの認めたのですか?
女性は「男なら殴られること」をやっても殴られない権利がある、などと誰が認めたのですか?
「女の特権」を一方で主張しながら、一方で男性と同じ処遇を要求する、という人というのは、一方で、「学歴で人を評価するのはおかしい」と主張して「一流大学」卒の者と同等の処遇・扱いを主張し、いざ、責任を問われる時になると、「ぼくは高卒だから、そんなものわかるわけがない。ぼくは高卒だからそんなものできるわけがない」と言ってふんぞり返るおっさんと同じく、ダブルスタンダードというのか二刀流というのか、あんまり評価したくない、気分のよくない生物です。
恋愛・結婚といった関係でつきあっていた男女の関係において、男の方が不義理なことをして、それに腹をたてた女性が、にやけ男のツラを張り飛ばして別れるというなら、それはそれでいいかもしれません。 しかし、恋愛・結婚といった関係でない相手に、女性は男性に対して手を出しても反撃されない権利があると勝手に認識している人というのは、ほめられるものでないと思いますね。
上の先輩社員に自分の業務に同行を頼んでおきながら先輩社員を待たせてぎりぎりに来る女、先輩社員に同行を頼んで自分の名刺も持ってこない女。 口で言ってきく人ならよいのですが、絶対にきかない人。 どうすればいいですか? 会社の職制上の立場の人間が対処しなければならないにもかかわらず対処せず、社長だけ「放射能こわいよ、こわいよ」とか言ってハワイでバカンスしてる会社では、どうすればいいですか? 「殴ってやれ」と言う人ありますが、私、「殴る役」やるの嫌なんです。 もし、やるなら、誰か他の人、やってください。
誰もがこういう気持ちになった時、多くの男性社員は下の本の題名のような気持ちになるのです。『バカ女は死ね』↓↓ と。
実際に「死ね」と言うわけにもいきませんが、「どうか、この職場から退場してください」ということになります。 「退場してください」と言う方が悪いですか? 社長の嫁さんの友人には、社長や社長の嫁さんと同等に会社でバカンスする権利がありますか? それが雇用機会均等法ですか?
上の方で述べたように、雇用機会均等法には根源的な問題があると思いますが、だからといってない方が良いとは思いません。しかし、男性なら入社して1週間も経たないのに職場で勤務中にせんべい食べたりしないのに、女性は職場でボリボリ音たててせんべい食べる権利がある・・・というのが雇用機会均等法ならば、その法律は、まともな法律ではないと思います。
そう思いませんか?
(2012.9.12.)
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