箱根神社訪問。及、曽我神社-「子供」を大義名分にしてひとの親を食い殺す女(男)に報復を下す神様-参拝
〔第141回〕
箱根神社に行ってきました。 25年以上前、大学生であった時、夏休みに、箱根の保養所で住みこみで、「雑務」という職種(要するに、下男でしょ・・と言う人もあるのですが)のアルバイトをやったことがありました。同じような大学生が勉強をしている時に、自分だけがこんなことをしていなければならないのかとなさけない気持ちになりながらも、なんとか学問に励もうと思ったものの、住み込みの仕事で部屋は相部屋であり、なかなかうまくいきませんでした。 もっとも、そういう中で学んだものもあるわけで、経験のある者には当たり前に理解できるものでも、その経験のない人には相当に理解が難しいというものもあるようです。
約2カ月間、箱根に住みこみでいたといっても、私がいた保養所は、「宮城野橋」というバス停から東側の山手に登っていったところで、冨士屋ホテルなどのある「宮の下」とか別荘地の「強羅」とか、芦ノ湖の湖畔とかではなく、周囲は他の会社の保養所しかない場所でした。 食堂の窓から向こうに箱根登山鉄道がえっちらおっちら山を登って行くのが見え、その向こうの山の上あたりが強羅だということで、同じ箱根にいても、箱根の別荘でセレブやってる人と下男やってる人間とでは、「ブルジョワとプロレタリアの違い」なのか「資本家と労働者の違い」なのかよくわからんけど、ずいぶんと差がありました。 宮城野には、夜になると、タヌキが出ましたが、常に見ることができるわけでもありませんでした。 寄木細工の店が宮城野にも1軒あり、最後に、父にライターケース、母に手鏡をお土産に買って帰ったのを覚えています。
途中で、一度、川崎市のアパートに戻って、原付で箱根まで行ったのですが、川崎市から箱根まで原付で行くのは、これは、少々、きびしかった。 さらに、帰り、箱根の坂を原付で下るのはかなり危険度がありました。 最後、帰りに、芦ノ湖の所の箱根の関所を見て帰ろうと思って、関所のところを通って帰ったのですが、その際、箱根神社の前の道も通ったように思います。 その時、前を素通りした箱根神社に、25年以上も経って行ってきました。
【1】曽我神社
↑が、箱根神社の社殿に至る参道の途中の左側にある箱根神社の摂社の曽我神社です。 曽我神社の由緒書には、
「御祭神 曽我十郎祐成(そが じゅうろう すけなり)之命
曽我五郎時致(そが ごろう ときむね)之命 」
と書かれています。
今回は、主として、ここに行ってきたのです。
父・河津三郎祐泰(すけやす)の仇だという工藤祐経(すけつね)を、兄の曽我十郎祐成(すけなり)と箱根権現の稚児となっていた弟の曽我五郎時致(ときむね)の2人が、源頼朝の巻狩りに参加した工藤祐経を討ったものの、兄は集まってきた武士に討たれ、弟は捕まって斬首されたという話。
江戸時代、1647年に、小田原城主・稲葉美濃守正則が石造の本殿を営み、平成になって改修したと由緒書には書かれています。
箱根登山鉄道バスで、箱根湯本から元箱根に行く途中、「芦の湯」と「元箱根」の間くらいに「曽我兄弟の墓」というバス停があり、付近に曽我兄弟の墓と言われるものがあるようですが、「ウィキペディア-曾我兄弟の仇討ち」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BE%E6%88%91%E5%85%84%E5%BC%9F%E3%81%AE%E4%BB%87%E8%A8%8E%E3%81%A1 を見ると、≪静岡県富士地域の地方新聞である富士ニュース5月21日号(掲載年不明)によれば関東から九州にかけて14ヵ所の墓所があるという ≫と書かれており、どこが本物かはっきりしないようです。
『曾我物語』として広まり、歌舞伎や人形芝居でも演じられるようになったようですが、もっとも、千葉県成田市にある宗吾霊堂の佐倉宗吾の話も、歌舞伎・講談・浪花節として拡がるとともに、実際の話と異なるものも混入していき、本来の話と異なる話が拡がっていってしまったように、曽我兄弟の話も、歌舞伎その他で演じられるとともに、本来の話がどうであったかとは別のものが拡がっているのではないでしょうか。
赤穂浪士の討ち入り・荒木又右衛門らの伊賀越えの仇討ち(「ウィキペディア-鍵屋の辻の決闘(かぎやのつじのけっとう)」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%B5%E5%B1%8B%E3%81%AE%E8%BE%BB%E3%81%AE%E6%B1%BA%E9%97%98 他参照。)とともに日本三大仇討ちのひとつとされるそうで、江戸時代には、苦難を乗り越えて、親の仇を討ったとして「主君の仇を討った」赤穂浪士とともに賞賛されたというのですが、もっとも、源頼朝の二所詣でに参列した工藤祐経を弟の筥王(はこおう)〔五郎時致(ときむね)〕が襲ったものの果たせず、却って、工藤祐経(すけつね)に諭されたということが先にあり、工藤祐経とすれば、一度、自分を襲った息子を助けてやったのに、それをまた兄弟で襲ってきたわけであり、返り討ちにしても良いところをせっかく助けてやったのに、再度、兄弟で襲ってくるのなら、助けてやるのではなかった・・ような感じではないかという気もいたします。 返り討ちにされてもしかたがない場面で助けてくれた相手を、さらに襲って殺害するのがそんなにえらいか? という疑問も出てきますが、助けられても、だからといって許すことのできる相手ではなかったということなのでしょうか。
「ウィキペディア-曽我兄弟の仇討ち」 では、≪工藤祐経を討った後で、曾我兄弟は頼朝の宿所を襲おうとしており、謎であるとされてきた。そこで、兄弟の後援者であった北条時政が黒幕となって頼朝を亡き者にしようとした暗殺未遂事件でもあったという説がある。≫とも書かれており、実際にどういうものであったのかははっきりしないようです。
※曽我兄弟については、
「ウィキペディア-曾我兄弟の仇討ち」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BE%E6%88%91%E5%85%84%E5%BC%9F%E3%81%AE%E4%BB%87%E8%A8%8E%E3%81%A1
「小田原市 ホームページ」「曽我兄弟の仇討ち」http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/corridor/brother/p10018.html
「(箱根神社ホームページ)曽我神社」http://hakonejinja.or.jp/02-contents/02-main/02-keidai-annai/03-contents/02-keinai-jinja/01-soga/01-soga-jinja.html(もしくは、箱根神社のホームページ の「境内案内」のタブをクリックして、境内案内の地図内の「曽我神社」をクリックする) 他参照。
【2】箱根神社、及び、九頭龍神社新宮
↓ が箱根神社の社殿です。
↓が、箱根神社の社殿の右隣りにある九頭流神社新宮です。
箱根の芦ノ湖の周辺というのは、神奈川県と静岡県の境目あたりのような気がするけれども、何県の何市だろうと思い、地図で見ると、神奈川県足柄下郡箱根町 なんですね。(「ゼンリン いつもNAVI-神奈川県足柄下郡箱根町」http://www.its-mo.com/map/addr/126824700_500796280_9/14382/神奈川県足柄下郡箱根町/ )
箱根神社(箱根神社のホームページは、http://hakonejinja.or.jp/ ) は、足柄下郡箱根町元箱根 にあり、バスでは、「元箱根」か「元箱根港」で下車するとすぐです。 箱根神社のホームページhttp://hakonejinja.or.jp/ で、 「九頭龍神社縁起」のタブをクリックすると、「九頭龍神社他箱根山の神社」という地図が出ています。 ↑の写真の九頭龍神社は、箱根神社の中にある摂社の九頭龍神社新宮です。 今回は行けませんでしたが、箱根神社から芦の湖沿いに片道1時間ほど歩いたところに九頭龍神社の本宮があるそうです。
由緒書には、箱根神社の祭神は、「箱根大神(はこねおおかみ)」。 また、「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」「木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」と書かれています。
『古事記』(倉野憲司校注 岩波文庫)には、≪ここに天照大御神、高木神の命もちて、太子(ひつぎのみこ)正勝吾勝勝速日天の忍穂耳の命〔まさかつあかつかちはやひ あめのおしほみみのみこと〕に詔りたまひしく、「今、葦原の中つ國を平け(ことむけ)訖(を)へぬと白せり。 故、言依さしたまひし随に、降りまして知らしめせ。」とのりたまひき。 ここにその太子正勝吾勝勝速日天の忍穂耳命、答へ白したまひしく、 「僕(あ)は降らむ装束(よそひ)しつる間に、子生(あ)れ出でつ。 名は天邇岐志國岐志邇天津日高日子番能邇邇藝命(あめにきしくににきし あまつひこひこほの ににぎのみこと)ぞ。 この子を降すべし。」とのたまひき。…≫ ≪ここに天津日高日子番能邇邇藝命(あまつひこほの ににぎのみこと)、笠沙の御崎に、麗しき美人(おとめ)に遭ひたまひき。 ここに「誰が女(むすめ)ぞ。」と問ひたまへば、答へ白ししく、「大山津見(おおやまつみの)神の女、名は神阿多都比賣(かむあたつひめ)、亦の名は木花の佐久夜毘賣(このはなのさくやびめ)と謂ふ。」ともをしき。・・・≫ ≪故、後に木花の佐久夜毘賣、・・・「吾が妊みし子、もし國つ神の子ならば、産むこと幸くあらじ。もし天つ神の御子ならば、幸くあらむ。」とまおして、すなわち戸無き八尋(やひろ)殿を造りて、その殿の内に入り、土をもちて塗り塞きて、産む時に方りて(あたりて)、火をその殿に著けて産みき。 故、その火の盛りに焼る(もゆる)時に生める子の名は、火照命(ほでりのみこと)。こは隼人阿多君の祖。 次に生める子は、火須勢理命(ほすせりのみこと)。次に生める子の名は、火遠理命(ほおりのみこと)。亦の名は天津日高穂穂手見命(あまつひこ ひこほほでみのみこと)。≫≪故、火照命は海幸彦として、はたの廣物(ひろもの)、はたの狭物(さもの)を取り、火遠理命は山幸彦として、毛のあら物、毛の柔物(にこもの)を取りたまひき。・・・≫という文章があります。 俗っぽい言い方をしますと、「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」「木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」というのは、山幸彦と山幸彦のお父ちゃんとお母ちゃん です。
九頭龍神社の九頭龍とは何者ぞや? 頭が9つある龍というと・・・、キングギドラみたいなもの?(キングギドラを知らない方は、「ウィキペディア-キングギドラ」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%AE%E3%83%89%E3%83%A9 、「キングギドラ・画像」http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%AE%E3%83%89%E3%83%A9 他参照。)などというのは不謹慎?
箱根神社のホームページ で、「九頭龍神社他」のタブをクリックして、さらに、「九頭龍神社他箱根山の神社」の地図の中の「九頭龍神社(本宮)」をクリックすると、九頭龍神社本宮の説明が出てきます。 そこには、「御祭神 九頭龍大神」と書かれています。 人民に被害を与えていた毒龍に、萬巻上人が調伏の祈祷をおこなったところ、毒龍は形を改め、開運隆盛・金運守護・商売繁盛・縁結びの神様となった、めでたしめでたし・・・というようなことが書かれています。
それで。 ↓は箱根神社の参道で、杉の大木が並んでいるのです。
そして、↓は、対岸から見た箱根神社とその前の芦の湖です。
村上重良『日本の宗教』(1981. 岩波ジュニア新書)には≪僧が山岳の霊場をひらき、土地神を祀った神社には、泰澄(682‐767)による加賀国の白山神社、勝道(737‐817)による下野国日光の二荒山神社、万巻(まんがん)の箱根神社などがあります。≫と書かれています。
実際には、箱根神社というのは、箱根の山とその山の森林と芦の湖の自然を神々しいものとして祀ったもので、中でも、芦の湖と湖の水・雨水・治水に特化して祀ったのが九頭龍神社・・・ということではないでしょうか。 箱根神社の由緒書には≪鎌倉期、源頼朝は深く当社を信仰し、二所詣(当社と伊豆山権現参詣)の風儀を生み、執権北条氏や戦国武将の徳川家康等、武家による崇敬の篤いお社として栄えました。≫と書かれています。 宝物殿には、北条早雲の後北条氏も帰依・後見したように書かれていたと思います。 宗教の団体である神社ですが、その時々の政治権力と結びついてきたわけです。そして、明治維新以降、1945年の「終戦」までの間は、天皇制権力と結びつき、もしくは、天皇制権力の指示・命令に服従して、天皇制権力が推し進める『古事記』の神ともともとの全国各地の神社の神との融合というのかこじつけというのかにも迎合し、もしくは、迎合させられて、本来の箱根神社で祀る箱根の山や森林・芦の湖・風雨自然の神に、天皇の祖先ということにされている『古事記』に登場する「神武天皇」の祖父とされる日高穂穂手見命(ひこほほでみのみこと 山幸彦)とその両親の邇邇藝命(ににぎのみこと)・木花の佐久夜毘賣(このはなのさくやひめ)を「箱根大神様とは・・・御三神の総称」ということにして祀ることにした、もしくは、祀らさせられた。 戦後、天皇制が戦前に比べれば弱まったが、その流れできている・・・ということではないでしょうか。
上の方の写真の 箱根神社の社殿、九頭龍神社新宮の社殿は、全面塗装されているので、遠くから見たのでは、木造なのか鉄骨造で造られているのか判断つきません。 しかし、箱根神社社殿の隅の方を見ると↓のように、少々、塗装がはげているところがあって、そこで見ると、明らかに木造です。
建築の強度を考えるに際して、「比強度(ひきょうど)」という単位があります。一定質量ごとで見た強さということで、これで見ると、木は鉄よりつよ~い、木はコンクリートよりもつよ~い! ということで、木質系の住宅メーカーがよく言いたがる話です。 それで。 どうも、神社とかお寺の建物というのは、鉄骨造・鉄筋コンクリート造のものは、味気ないような気がして、神社・お寺の建物は木造の方が親しみが持てるように思ってきたのですが、それだけでなく、この箱根神社のように、山の上に造られる社殿の場合、そこに大きな重機を持ちこむのは難しいという場合、一定の強さを発揮させるための構造材の重さは、鉄よりも木の方が軽い→ということは、鉄よりは木の方が運びやすい・・→ということは、山の上とかで建てる場合には、木造の方が造りやすい・・ということがあるかもしれない・・・と思ったのです。 山の上でなくても、重機が入らない場所で、重量鉄骨の建物というのは難しいでしょうけれども、木の良さというのは、こういうところにもあるのだなあ・・・と思ったのでした。
もっとも、木造で建てられた建物であるにしては、全面塗装されて木か何かわからない状態になってしまっているのは惜しいような気もしてしまったのですが。
【3】芦の湖の遊覧船
ところで。
↑ “ この芦の湖の遊覧船、いったい、どこから入れたか? これ、考え出すと、今晩、寝られなくなっちゃうね!!! ”
今回は、行けなかったのですが、前に、宮城野の保養所でアルバイトをした時に、芦の湖の周りを少し歩いたことがあり、その時に見たのですが、実は、芦の湖の元箱根に、それほど大きくない造船所があったのです。今も同じようにあるのかどうか、今回、確認できませんでしたが、そこで、組み立てたのだと思いますよ。
さらに。 和辻哲郎『イタリア古寺巡礼』(岩波文庫)を見ると、「2 イタリアに入る」の「十二月三十一日、ローマにて。」というところで、≪昨三十日、朝十時の汽車でジェノア出発、ローマに向う。 だいたいは海岸伝いであるが、途中どの辺であったか、H〔父方の従兄弟、和辻春樹〕に注意されて見ると、普通の砂浜にじかにクレーンを立てて、相当大きな船を作っていた。造船所といえば大がかりな設備が必要なものと思っていたので、あんなことでどうしてできるのだろうときくと、Hは、いやあれでもやれるものなのだ、日本の造船所は設備の方が立派すぎるという。これは案外であった。なかなか考えさせられる問題を含んでいると思う。 ≫という文章があります。 和辻哲郎は造船技術者でなく「哲学者」であったのですが、この文章が正しいとすれば、今晩、寝られなくなって困ることもなかった・・かな・・・。
【4】箱根登山鉄道「箱根湯本」駅
↑ 箱根登山鉄道の「箱根湯本」駅の駅舎です。 上の方の写真の右側が下の方の写真のようになっています。 下の写真が全体に黄色っぽいのは、下の写真は、帰りのバスの車内から窓ガラス越しに撮ったものだからです。 なかなか、しゃれたデザインで、自己主張をしながらも周囲の自然と調和するものではないでしょうか。道路からのエレベーターの外壁面に木材を使ったのも森林の街としてアピールできていますし。
このブログでも、周囲との調和を考えた建物かどうかという問題を、〔第135回〕《先輩社員に質問する場合のマナーを知らぬ女は仕事の邪魔。 設計事務所の図面は一見、きれいに出来ている。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201209article_9.html 、〔第136回〕《慶應日吉・三田新図書館、関学、東大法科大学院棟、マレキアーレの家他―自然・先住建物と調和する建築。 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201209article_10.html で述べました。 自己主張をすることにより、周囲から浮き上がったり、自然や先住建物を制圧するようなデザインになったりする建物があります。 デザインについては、好みの問題もあるので、絶対に正しい・間違っているとは言いにくいものではあるのですが、たとえば、新宿のコクーンタワーってやつ、あれがいいと言う人もあるらしいのですが、私は、あれは悪趣味だと思うのです。 自分さえよければいいという建物だ、と思うのです。 それに対し、この「箱根湯本駅」は、自己主張をしながらも、周囲の自然と調和するデザインではないか、と思って、好感を持ったのでした。 いかがでしょうか?
(往きに、箱根湯本駅からバスに乗る際に、下の写真の部分を撮り漏らしてしまったため、帰りにバスのガラス越しの写真しか撮ることができませんでした。ガラス1枚でも間に入ると、写真となった時、かなり、印象が違ってしまいます。すいません。)
【5】私は、小田急の「はこね」「さがみ」という命名をJRの無神経な命名よりも評価する。 及び、近鉄特急はエライ! という話と、小田急「はこね」号・東武「急行 しもつけ」のお話。
「ピストン登山はつまらない」というある登山案内書に書かれていたことを参考にし、できる限り、往きと帰りで経路を変えたいと考え、今回、
<往き> 総武線・中央線にて新宿まで。 新宿より、小田急の有料特急「はこね」号で箱根登山鉄道「箱根湯本」駅まで。 箱根湯本より、箱根登山鉄道バスにて、塔の沢~宮の下~芦の湯 経由で「元箱根」下車、 で行き、
<帰り> 「元箱根」より、伊豆箱根鉄道バスにて、「元箱根」よりBP(バイパス)回り、箱根湯本経由で、「小田原」まで。小田原から、JR東海道線の快速で東京まで。 東京より、総武快速線にて・・。 という経路で往復しました。
西武ライオンズのライオンのマークが描かれたバスが走っていたので、西武の観光バスで来ている団体があるのかと思ったら、伊豆箱根鉄道バスでした。 伊豆箱根鉄道は西武の系列なんですね。
↓ が、箱根登山鉄道「箱根湯本」駅に到着した、小田急の特急「はこね」号 です。
↑「はこね」号にも、何種類かあるようで、これは、「EXE」というタイプのようです。
↓ が、東京駅についた、東海道本線の小田原から乗った快速です。
(1) 今回、小田急の有料特急に乗るに際して、時刻表を見て気づいたのですが、小田急の有料特急は、箱根湯本まで行く電車が「はこね」、小田原どまりの電車が「さがみ」と、終点によって、愛称が変えてあるのです。
かつて、福島県いわき市に住んでいた時、いわき市の商工会議所だったか、いわき市の団体が、JRに、常磐線の特急はすべて「スーパーひたち」「フレッシュひたち」という名称になっているけれども、いわき市以北まで来る電車は、「スーパーいわき」「フレッシュいわき」にしてもらえないかと求めたもののきいてもらえずにいたと何かで読んだことがありました。 きいてもらえないというのは、危険極まりない原発などというものを作られてしまった福島県浜通り地域は、茨城県(旧・常陸国 ひたちのくに)よりも政治的に弱く、原発製造メーカーでもある茨城県日立市発祥の日立グループの方が政治的に強かったということ・・・かな? ・・・とも思えたりしますが、真偽のほどはわかりません。 かつて、「スーパーひたち」号には、「仙台⇔いわき」間のものも1台あったのを覚えています。 「ひたち」地域を通る電車なら、終点が旧・磐城国であっても、「スーパーひたち」「フレッシュひたち」という愛称でもまだ違和感はありませんが、「仙台⇔いわき」間のみが走行区間で旧・常陸国には一歩たりとも入らない電車の愛称が「スーパーひたち」は変です。 もっとも、現在、いわき市の北の広野町で止まっている常磐線は、もう、それより北に走ることはないでしょう。 無理に走らさない方が誰のためにも良いと思います。
JR西日本で、大阪から福知山線を走る特急の愛称に「こうのとり」という名前がついています。 豊岡市に 県立コウノトリの郷公園があったりすることからの命名でしょうけれども、福知山どまりの電車にも「こうのとり」○号という名前がついているのには違和感を覚えます。 箱根湯本まで行く電車を「はこね」、小田原どまりの電車を「さがみ」と分ける小田急の方がていねいで愛情のこもった命名です。 「愛称」というからには、常陸国を走らない電車に「ひたち」、こうのとりと特に関係のある豊岡市まで行かない電車に「こうのとり」と名づける無神経で荒っぽい命名は私は評価できません。
(2) それで、近鉄特急はどこが エライ! かと言いますと、大阪難波・上本町・鶴橋⇔名古屋 間の特急は、今もって、けなげに新幹線と競争しているところ! です。 エライ! じつに、けなげやわあ~あ。 かつて、新幹線ができる前、大阪⇔名古屋 間を最速で結ぶのは近鉄特急であったのです。 「ビスターカー」というのは、私が子供の頃、スーパースターであったのです。 大阪の上本町六丁目(上六)・鶴橋と名古屋の間を2時間で結ぶ・・・、すごい!・・・だったのが、新幹線のやつは、新大阪⇔名古屋 間を 1時間で結んじゃった。 野村克也が、「あの 王のやつは、ひとが苦労してやっと打ち立てた記録を、簡単に抜いてしまいよる。」と、どこかで書いていたのを読んだが、あの新幹線のやつは、近鉄特急が一生懸命走って2時間で結んだ大阪-名古屋 間を、簡単に1時間で走ってしまいよる。 しかし、それでも、近鉄特急はめげない。 上本町から西、難波まで延長して、大阪のど真ん中まで入りこんでいる近鉄特急は、大阪環状線の外の新大阪までしか来ない新幹線に、きょうも、「負けるもんかあ」と一生懸命走って、なんとか、2時間を切ろうと頑張っているのだ。 ライバルの新幹線は1時間を切ったというのに。 それでも、新幹線相手に、「負けるもんかあ」と一生懸命がんばってるのだ。 エライ! けなげだ。 井上靖『あすなろ物語』(新潮文庫)では、伊豆地方に生える「翌檜(あすなろう)」という木は、「明日は桧になろう」といつも思い続けているが、いつまで経っても桧になることはできない、それでも、「明日は桧になろう」と思い続けている、と述べられている。 近鉄特急て、えらいやんかあ。 新幹線より安いし、大阪でも、難波周辺に用のある人や近鉄大阪線・奈良線、南海本線・高野線の沿線の住民にとっては、新大阪まで行く時間を考えれば、それほど所要時間に差はなくなるし。
それに対して・・・。 東武「けごん」号て、さあ。 国鉄(現・JR)の、上野から東北線~宇都宮~日光線経由の急行「日光」号との競争に勝った、勝った・・・て・・・、だから、どうしたっての? 新幹線とけなげに競争している近鉄特急と比べて、急行「日光」号に勝ったからって、何?
さらに、「なさけない!」「実に、なさけない!」と思ってしまうのが、東武の有料急行「しもつけ」。 どこが「なさけない」かと言いますと、ねえ。 新幹線に負けるのはしかたがない。 でも、ね~え。 急行料金とる電車でしょうお。 東京の浅草から宇都宮までの所要時間。 快速「ラビット」の上野から宇都宮までの所要時間に負けるのは、情けない! と思わない~い?
それで。 時刻表で、東京の東京駅-小田原間、新宿駅-小田原間、の所要時間を計算して見たのです。 すると、 今まで知らなかったんだけれども、「ロマンスカー」と言われてきた小田急の花形電車・新宿から小田原・箱根湯本を結ぶ「はこね」「さがみ」号って、実は、新幹線に負けるだけでなく、赤羽-池袋-新宿から湘南方面への特別快速「アクティー」にも、新宿-小田原間の所要時間で負けてる、東海道本線の快速の東京-小田原間の所要時間にも負けてる・・・。 なんや、快速「ラビット」に負ける急行「しもつけ」をえらそうに言えんやんかあ・・・。 新幹線に負けるのはやむをえない。 特急「踊り子」に負けるのもしかたがないとしよう。 しかし、特急料金とる電車が普通料金だけで乗れる電車に負けるなんて・・・・・。
まあ、しかし、普通料金だけで乗れる特別快速「アクティー」とか東海道本線の東京からの快速に普通料金で乗る場合と違って、小田急の特急「はこね」「さがみ」は指定席で快適な椅子に座って行けるんだから、良しとするか。 東京から小田原まで通勤電車で行くのはきついからねえ・・。 そこで、そこで。 JRの快速には、グリーン車というものがあり、特急のグリーン車よりも安い料金で利用できるのだ。 それで、計算してみると、 新宿-小田原 間の普通運賃は、小田急の方がJRよりも安い。 しかし、有料特急「はこね」「さがみ」を利用すると、JRの快速・特別快速の普通車に乗る方が安い。 さらに、しかし、JRの快速・特別快速でもグリーン車に乗ると、小田急の有料特急に乗った方が安いのだ。 なるほど。 小田急の有料特急(座席指定)は、JRの快速・特別快速のグリーン車(座席指定ではないが普通車と違って座れる可能性が高い)と競合で、それより安い、というものだったんだ・・・、と納得したようなしないような・・。
でもね。 近鉄特急は、きょうも、けなげに新幹線に「負けるもんかあ」と一生懸命走っている、ということを考えると、特急「踊り子」ではなく、特別快速「アクティー」とか愛称なし快速がライバルの有料特急って・・・。 新幹線は無理でも、せめて、JRの在来線の有料特急「踊り子」をライバルにしてはどうなのかい? という気にもなるが・・。 でも、乗り心地は悪くなかった・・・けど・・・。 どうなんだろ? 「踊り子」を特急料金を払って乗るとすると、新幹線よりは安いが、快速・特別快速のグリーン車に乗るよりも高い。
【6】再度、曽我神社 に関して。
どうも、最近、「子供帝国主義」というのか、「子供独善主義」というのか、「私は子供があるんですからねえ。」と言えば、周囲の誰もが「言うことをきいてくれる」のが当然だと勘違いしている女、さらに、同様に思っているその夫・男オバサンが出現してきている。 そういう女、及び、男オバサン(超弩級に我儘な人間)は、いわば、親の方が十分に大人になっていないのに子供を作ってしまった人間なのであろうと思う。 周囲の人間からすれば、その人に子供があろうがなかろうが、その人の子供がどういう子供であろうがなかろうが関係のないことなのだが、「子供」を大義名分にかかげれば、ひとは自分の身勝手な主張をなんでもきいて当然だと思っているらしい。 それは違うのであるが、わからない人にわからせるのは極めて困難である。
自分の子供を周囲の人に尊重してもらいたいと思うならば、ひとの子供もひとの親も大事にする必要がある。ひとの子供もひとの親も尊重する必要がある。 そうしてこそ、自分の子供を尊重してもらえるようになる。 そういうことを理解できなような人は、子供を産まない方がいいのではないかとすら思える。 自分の子供のためなら、ひとの子供やひとの親は犠牲にして当然であると信仰を持っているような人を見ると、できる限り、そういう人とはかかわりたくない、という気持ちにならされる。
「チャイルドマザー」「チャイルドファーザー」については、YouTubeに、「近頃、チャイルドマザーが増えています。」「近頃、チャイルドファーザーが増えています。」という公共広告機構のCMが入っています。
「YouTube-放送禁止になったCM集【2001~2010】 」 http://www.youtube.com/watch?v=53oPrKVF59M&feature=related の最初の方。
子供が出来れば、男は父親になるのか、女は母親になるのか、という問題について。 「ビッグコミック」に掲載されている『築地魚河岸三代目』という漫画で、魚辰の三代目に子供が産まれるという時、産婆さんが、「女は、大変な思いをして子供を産むかわりに、子供が生まれれば、良い母親かどうかはともかく、母親になるのだけれども、男は子供が産まれたというだけでは父親になったことにならないんだよ。 男は、子供が産まれて、その子供に恥じないように、父親というに値する生き方をして見せて、それで、父親になるんだよ。あんたは、これから、父親になれるかどうか、という試練を受けることになるんだよ。」と話してきかせる場面がありました。 私の親くらいの年代の男性には、逆に「子供というものは女が育てるものだ」という主張をする男性もいましたが、私は、『築地魚河岸三代目』の中で産婆さんが話していた話の考え方の方が好きです。
『築地魚河岸三代目』の中に出てくる産婆さんは、「良い母親かどうかはともかく、女は子供を産めば母親だ」と話しますが、自分の「子供のため」を大義名分にかかげれば、ひとの子供もひとの親も犠牲にする権利がある、ひとの子供もひとの親も殺してもよいと信じ切っているような女を見ると、女も、やはり、子供を産んだだけでは母親ではないのではないか。 女もまた、子供ができただけでは母親ではなく、そこから、母親になることができるかどうかの試練を受けるのではないのか、という気もいたします。
「産むだけで親になれるわけじゃない。」
私が勤めてきた千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング有限会社(建設業。 不動産業としては、ビルダーズジャパン株式会社)に、2011年4月から、社長の妻の友人だとして入社してきた女性が、まさしく、モンスターでした。 自分の子供を大義名分にかかげれば、ひとの子供もひとの親も殺してよいという主張をする人でした。 そういう人に親を迫害された者としては、曽我神社詣でをした上で、親の仇を討つべきではないかとも思えてきます。 もともと、そういう白痴ママ・白痴パパは相手にしないようにしたいのですが、職場の場合、逃げられないという問題があります。そういう人の被害に合わないように対処するのは、使用者としての従業員に対する保護義務のひとつであると思うのですが、保護義務を果たさない使用者の会社では、どうすればいいのでしょうか。 箱根神社内の曽我神社に行って、御祭神に語りかけてみましたが、きっちりとした回答は得られませんでした。 どうすればいいでしょうね?
箱根神社の御神璽をいただいてきました。(「いただいてきた」といっても、ただでもらってきたのではないし、ましてや、盗んできたのではない。お金を払って買ってきたのである。)↓
毎日、二礼二拍手一礼した上で、箱根の神さま、曽我神社の神さま(親の仇討ちの神さま)とともに、自分の子供を大義名分にすれば、ひとの親は殺してもよいという主張をする職場のモンスターマザー、その夫・モンスター男オバサンをどう対処したものか、考えてみたいと思います。
ひとつ、大きな問題は、子供を大義名分にかかげれば、言うことをきかなければいけないと思っている人、言うことをきくのが社会正義だと心得違いしている人が、行政機構にもいるということです。
労基署は労働者の味方・・などとは決して思いこまない方がよいようです。
子供を産んだだけでは親になれたわけではない。
使用者としての義務(特に、従業員に対する保護義務)を果たさない使用者は、会社を設立して代表取締役になっただけでは、「十分に、使用者といえる使用者」になったたわけではない。
いい会社に勤めることができれば、その方がいいのですが、そうでない会社にでも、勤めて働くしかない場合、どうすればいいのでしょうね・・・。
(2012.11.15.)
箱根神社に行ってきました。 25年以上前、大学生であった時、夏休みに、箱根の保養所で住みこみで、「雑務」という職種(要するに、下男でしょ・・と言う人もあるのですが)のアルバイトをやったことがありました。同じような大学生が勉強をしている時に、自分だけがこんなことをしていなければならないのかとなさけない気持ちになりながらも、なんとか学問に励もうと思ったものの、住み込みの仕事で部屋は相部屋であり、なかなかうまくいきませんでした。 もっとも、そういう中で学んだものもあるわけで、経験のある者には当たり前に理解できるものでも、その経験のない人には相当に理解が難しいというものもあるようです。
約2カ月間、箱根に住みこみでいたといっても、私がいた保養所は、「宮城野橋」というバス停から東側の山手に登っていったところで、冨士屋ホテルなどのある「宮の下」とか別荘地の「強羅」とか、芦ノ湖の湖畔とかではなく、周囲は他の会社の保養所しかない場所でした。 食堂の窓から向こうに箱根登山鉄道がえっちらおっちら山を登って行くのが見え、その向こうの山の上あたりが強羅だということで、同じ箱根にいても、箱根の別荘でセレブやってる人と下男やってる人間とでは、「ブルジョワとプロレタリアの違い」なのか「資本家と労働者の違い」なのかよくわからんけど、ずいぶんと差がありました。 宮城野には、夜になると、タヌキが出ましたが、常に見ることができるわけでもありませんでした。 寄木細工の店が宮城野にも1軒あり、最後に、父にライターケース、母に手鏡をお土産に買って帰ったのを覚えています。
途中で、一度、川崎市のアパートに戻って、原付で箱根まで行ったのですが、川崎市から箱根まで原付で行くのは、これは、少々、きびしかった。 さらに、帰り、箱根の坂を原付で下るのはかなり危険度がありました。 最後、帰りに、芦ノ湖の所の箱根の関所を見て帰ろうと思って、関所のところを通って帰ったのですが、その際、箱根神社の前の道も通ったように思います。 その時、前を素通りした箱根神社に、25年以上も経って行ってきました。
【1】曽我神社
↑が、箱根神社の社殿に至る参道の途中の左側にある箱根神社の摂社の曽我神社です。 曽我神社の由緒書には、
「御祭神 曽我十郎祐成(そが じゅうろう すけなり)之命
曽我五郎時致(そが ごろう ときむね)之命 」
と書かれています。
今回は、主として、ここに行ってきたのです。
父・河津三郎祐泰(すけやす)の仇だという工藤祐経(すけつね)を、兄の曽我十郎祐成(すけなり)と箱根権現の稚児となっていた弟の曽我五郎時致(ときむね)の2人が、源頼朝の巻狩りに参加した工藤祐経を討ったものの、兄は集まってきた武士に討たれ、弟は捕まって斬首されたという話。
江戸時代、1647年に、小田原城主・稲葉美濃守正則が石造の本殿を営み、平成になって改修したと由緒書には書かれています。
箱根登山鉄道バスで、箱根湯本から元箱根に行く途中、「芦の湯」と「元箱根」の間くらいに「曽我兄弟の墓」というバス停があり、付近に曽我兄弟の墓と言われるものがあるようですが、「ウィキペディア-曾我兄弟の仇討ち」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BE%E6%88%91%E5%85%84%E5%BC%9F%E3%81%AE%E4%BB%87%E8%A8%8E%E3%81%A1 を見ると、≪静岡県富士地域の地方新聞である富士ニュース5月21日号(掲載年不明)によれば関東から九州にかけて14ヵ所の墓所があるという ≫と書かれており、どこが本物かはっきりしないようです。
『曾我物語』として広まり、歌舞伎や人形芝居でも演じられるようになったようですが、もっとも、千葉県成田市にある宗吾霊堂の佐倉宗吾の話も、歌舞伎・講談・浪花節として拡がるとともに、実際の話と異なるものも混入していき、本来の話と異なる話が拡がっていってしまったように、曽我兄弟の話も、歌舞伎その他で演じられるとともに、本来の話がどうであったかとは別のものが拡がっているのではないでしょうか。
赤穂浪士の討ち入り・荒木又右衛門らの伊賀越えの仇討ち(「ウィキペディア-鍵屋の辻の決闘(かぎやのつじのけっとう)」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%B5%E5%B1%8B%E3%81%AE%E8%BE%BB%E3%81%AE%E6%B1%BA%E9%97%98 他参照。)とともに日本三大仇討ちのひとつとされるそうで、江戸時代には、苦難を乗り越えて、親の仇を討ったとして「主君の仇を討った」赤穂浪士とともに賞賛されたというのですが、もっとも、源頼朝の二所詣でに参列した工藤祐経を弟の筥王(はこおう)〔五郎時致(ときむね)〕が襲ったものの果たせず、却って、工藤祐経(すけつね)に諭されたということが先にあり、工藤祐経とすれば、一度、自分を襲った息子を助けてやったのに、それをまた兄弟で襲ってきたわけであり、返り討ちにしても良いところをせっかく助けてやったのに、再度、兄弟で襲ってくるのなら、助けてやるのではなかった・・ような感じではないかという気もいたします。 返り討ちにされてもしかたがない場面で助けてくれた相手を、さらに襲って殺害するのがそんなにえらいか? という疑問も出てきますが、助けられても、だからといって許すことのできる相手ではなかったということなのでしょうか。
「ウィキペディア-曽我兄弟の仇討ち」 では、≪工藤祐経を討った後で、曾我兄弟は頼朝の宿所を襲おうとしており、謎であるとされてきた。そこで、兄弟の後援者であった北条時政が黒幕となって頼朝を亡き者にしようとした暗殺未遂事件でもあったという説がある。≫とも書かれており、実際にどういうものであったのかははっきりしないようです。
※曽我兄弟については、
「ウィキペディア-曾我兄弟の仇討ち」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BE%E6%88%91%E5%85%84%E5%BC%9F%E3%81%AE%E4%BB%87%E8%A8%8E%E3%81%A1
「小田原市 ホームページ」「曽我兄弟の仇討ち」http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/corridor/brother/p10018.html
「(箱根神社ホームページ)曽我神社」http://hakonejinja.or.jp/02-contents/02-main/02-keidai-annai/03-contents/02-keinai-jinja/01-soga/01-soga-jinja.html(もしくは、箱根神社のホームページ の「境内案内」のタブをクリックして、境内案内の地図内の「曽我神社」をクリックする) 他参照。
【2】箱根神社、及び、九頭龍神社新宮
↓ が箱根神社の社殿です。
↓が、箱根神社の社殿の右隣りにある九頭流神社新宮です。
箱根の芦ノ湖の周辺というのは、神奈川県と静岡県の境目あたりのような気がするけれども、何県の何市だろうと思い、地図で見ると、神奈川県足柄下郡箱根町 なんですね。(「ゼンリン いつもNAVI-神奈川県足柄下郡箱根町」http://www.its-mo.com/map/addr/126824700_500796280_9/14382/神奈川県足柄下郡箱根町/ )
箱根神社(箱根神社のホームページは、http://hakonejinja.or.jp/ ) は、足柄下郡箱根町元箱根 にあり、バスでは、「元箱根」か「元箱根港」で下車するとすぐです。 箱根神社のホームページhttp://hakonejinja.or.jp/ で、 「九頭龍神社縁起」のタブをクリックすると、「九頭龍神社他箱根山の神社」という地図が出ています。 ↑の写真の九頭龍神社は、箱根神社の中にある摂社の九頭龍神社新宮です。 今回は行けませんでしたが、箱根神社から芦の湖沿いに片道1時間ほど歩いたところに九頭龍神社の本宮があるそうです。
由緒書には、箱根神社の祭神は、「箱根大神(はこねおおかみ)」。 また、「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」「木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」と書かれています。
『古事記』(倉野憲司校注 岩波文庫)には、≪ここに天照大御神、高木神の命もちて、太子(ひつぎのみこ)正勝吾勝勝速日天の忍穂耳の命〔まさかつあかつかちはやひ あめのおしほみみのみこと〕に詔りたまひしく、「今、葦原の中つ國を平け(ことむけ)訖(を)へぬと白せり。 故、言依さしたまひし随に、降りまして知らしめせ。」とのりたまひき。 ここにその太子正勝吾勝勝速日天の忍穂耳命、答へ白したまひしく、 「僕(あ)は降らむ装束(よそひ)しつる間に、子生(あ)れ出でつ。 名は天邇岐志國岐志邇天津日高日子番能邇邇藝命(あめにきしくににきし あまつひこひこほの ににぎのみこと)ぞ。 この子を降すべし。」とのたまひき。…≫ ≪ここに天津日高日子番能邇邇藝命(あまつひこほの ににぎのみこと)、笠沙の御崎に、麗しき美人(おとめ)に遭ひたまひき。 ここに「誰が女(むすめ)ぞ。」と問ひたまへば、答へ白ししく、「大山津見(おおやまつみの)神の女、名は神阿多都比賣(かむあたつひめ)、亦の名は木花の佐久夜毘賣(このはなのさくやびめ)と謂ふ。」ともをしき。・・・≫ ≪故、後に木花の佐久夜毘賣、・・・「吾が妊みし子、もし國つ神の子ならば、産むこと幸くあらじ。もし天つ神の御子ならば、幸くあらむ。」とまおして、すなわち戸無き八尋(やひろ)殿を造りて、その殿の内に入り、土をもちて塗り塞きて、産む時に方りて(あたりて)、火をその殿に著けて産みき。 故、その火の盛りに焼る(もゆる)時に生める子の名は、火照命(ほでりのみこと)。こは隼人阿多君の祖。 次に生める子は、火須勢理命(ほすせりのみこと)。次に生める子の名は、火遠理命(ほおりのみこと)。亦の名は天津日高穂穂手見命(あまつひこ ひこほほでみのみこと)。≫≪故、火照命は海幸彦として、はたの廣物(ひろもの)、はたの狭物(さもの)を取り、火遠理命は山幸彦として、毛のあら物、毛の柔物(にこもの)を取りたまひき。・・・≫という文章があります。 俗っぽい言い方をしますと、「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」「木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」というのは、山幸彦と山幸彦のお父ちゃんとお母ちゃん です。
九頭龍神社の九頭龍とは何者ぞや? 頭が9つある龍というと・・・、キングギドラみたいなもの?(キングギドラを知らない方は、「ウィキペディア-キングギドラ」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%AE%E3%83%89%E3%83%A9 、「キングギドラ・画像」http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%AE%E3%83%89%E3%83%A9 他参照。)などというのは不謹慎?
箱根神社のホームページ で、「九頭龍神社他」のタブをクリックして、さらに、「九頭龍神社他箱根山の神社」の地図の中の「九頭龍神社(本宮)」をクリックすると、九頭龍神社本宮の説明が出てきます。 そこには、「御祭神 九頭龍大神」と書かれています。 人民に被害を与えていた毒龍に、萬巻上人が調伏の祈祷をおこなったところ、毒龍は形を改め、開運隆盛・金運守護・商売繁盛・縁結びの神様となった、めでたしめでたし・・・というようなことが書かれています。
それで。 ↓は箱根神社の参道で、杉の大木が並んでいるのです。
そして、↓は、対岸から見た箱根神社とその前の芦の湖です。
村上重良『日本の宗教』(1981. 岩波ジュニア新書)には≪僧が山岳の霊場をひらき、土地神を祀った神社には、泰澄(682‐767)による加賀国の白山神社、勝道(737‐817)による下野国日光の二荒山神社、万巻(まんがん)の箱根神社などがあります。≫と書かれています。
実際には、箱根神社というのは、箱根の山とその山の森林と芦の湖の自然を神々しいものとして祀ったもので、中でも、芦の湖と湖の水・雨水・治水に特化して祀ったのが九頭龍神社・・・ということではないでしょうか。 箱根神社の由緒書には≪鎌倉期、源頼朝は深く当社を信仰し、二所詣(当社と伊豆山権現参詣)の風儀を生み、執権北条氏や戦国武将の徳川家康等、武家による崇敬の篤いお社として栄えました。≫と書かれています。 宝物殿には、北条早雲の後北条氏も帰依・後見したように書かれていたと思います。 宗教の団体である神社ですが、その時々の政治権力と結びついてきたわけです。そして、明治維新以降、1945年の「終戦」までの間は、天皇制権力と結びつき、もしくは、天皇制権力の指示・命令に服従して、天皇制権力が推し進める『古事記』の神ともともとの全国各地の神社の神との融合というのかこじつけというのかにも迎合し、もしくは、迎合させられて、本来の箱根神社で祀る箱根の山や森林・芦の湖・風雨自然の神に、天皇の祖先ということにされている『古事記』に登場する「神武天皇」の祖父とされる日高穂穂手見命(ひこほほでみのみこと 山幸彦)とその両親の邇邇藝命(ににぎのみこと)・木花の佐久夜毘賣(このはなのさくやひめ)を「箱根大神様とは・・・御三神の総称」ということにして祀ることにした、もしくは、祀らさせられた。 戦後、天皇制が戦前に比べれば弱まったが、その流れできている・・・ということではないでしょうか。
上の方の写真の 箱根神社の社殿、九頭龍神社新宮の社殿は、全面塗装されているので、遠くから見たのでは、木造なのか鉄骨造で造られているのか判断つきません。 しかし、箱根神社社殿の隅の方を見ると↓のように、少々、塗装がはげているところがあって、そこで見ると、明らかに木造です。
建築の強度を考えるに際して、「比強度(ひきょうど)」という単位があります。一定質量ごとで見た強さということで、これで見ると、木は鉄よりつよ~い、木はコンクリートよりもつよ~い! ということで、木質系の住宅メーカーがよく言いたがる話です。 それで。 どうも、神社とかお寺の建物というのは、鉄骨造・鉄筋コンクリート造のものは、味気ないような気がして、神社・お寺の建物は木造の方が親しみが持てるように思ってきたのですが、それだけでなく、この箱根神社のように、山の上に造られる社殿の場合、そこに大きな重機を持ちこむのは難しいという場合、一定の強さを発揮させるための構造材の重さは、鉄よりも木の方が軽い→ということは、鉄よりは木の方が運びやすい・・→ということは、山の上とかで建てる場合には、木造の方が造りやすい・・ということがあるかもしれない・・・と思ったのです。 山の上でなくても、重機が入らない場所で、重量鉄骨の建物というのは難しいでしょうけれども、木の良さというのは、こういうところにもあるのだなあ・・・と思ったのでした。
もっとも、木造で建てられた建物であるにしては、全面塗装されて木か何かわからない状態になってしまっているのは惜しいような気もしてしまったのですが。
【3】芦の湖の遊覧船
ところで。
↑ “ この芦の湖の遊覧船、いったい、どこから入れたか? これ、考え出すと、今晩、寝られなくなっちゃうね!!! ”
今回は、行けなかったのですが、前に、宮城野の保養所でアルバイトをした時に、芦の湖の周りを少し歩いたことがあり、その時に見たのですが、実は、芦の湖の元箱根に、それほど大きくない造船所があったのです。今も同じようにあるのかどうか、今回、確認できませんでしたが、そこで、組み立てたのだと思いますよ。
さらに。 和辻哲郎『イタリア古寺巡礼』(岩波文庫)を見ると、「2 イタリアに入る」の「十二月三十一日、ローマにて。」というところで、≪昨三十日、朝十時の汽車でジェノア出発、ローマに向う。 だいたいは海岸伝いであるが、途中どの辺であったか、H〔父方の従兄弟、和辻春樹〕に注意されて見ると、普通の砂浜にじかにクレーンを立てて、相当大きな船を作っていた。造船所といえば大がかりな設備が必要なものと思っていたので、あんなことでどうしてできるのだろうときくと、Hは、いやあれでもやれるものなのだ、日本の造船所は設備の方が立派すぎるという。これは案外であった。なかなか考えさせられる問題を含んでいると思う。 ≫という文章があります。 和辻哲郎は造船技術者でなく「哲学者」であったのですが、この文章が正しいとすれば、今晩、寝られなくなって困ることもなかった・・かな・・・。
【4】箱根登山鉄道「箱根湯本」駅
↑ 箱根登山鉄道の「箱根湯本」駅の駅舎です。 上の方の写真の右側が下の方の写真のようになっています。 下の写真が全体に黄色っぽいのは、下の写真は、帰りのバスの車内から窓ガラス越しに撮ったものだからです。 なかなか、しゃれたデザインで、自己主張をしながらも周囲の自然と調和するものではないでしょうか。道路からのエレベーターの外壁面に木材を使ったのも森林の街としてアピールできていますし。
このブログでも、周囲との調和を考えた建物かどうかという問題を、〔第135回〕《先輩社員に質問する場合のマナーを知らぬ女は仕事の邪魔。 設計事務所の図面は一見、きれいに出来ている。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201209article_9.html 、〔第136回〕《慶應日吉・三田新図書館、関学、東大法科大学院棟、マレキアーレの家他―自然・先住建物と調和する建築。 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201209article_10.html で述べました。 自己主張をすることにより、周囲から浮き上がったり、自然や先住建物を制圧するようなデザインになったりする建物があります。 デザインについては、好みの問題もあるので、絶対に正しい・間違っているとは言いにくいものではあるのですが、たとえば、新宿のコクーンタワーってやつ、あれがいいと言う人もあるらしいのですが、私は、あれは悪趣味だと思うのです。 自分さえよければいいという建物だ、と思うのです。 それに対し、この「箱根湯本駅」は、自己主張をしながらも、周囲の自然と調和するデザインではないか、と思って、好感を持ったのでした。 いかがでしょうか?
(往きに、箱根湯本駅からバスに乗る際に、下の写真の部分を撮り漏らしてしまったため、帰りにバスのガラス越しの写真しか撮ることができませんでした。ガラス1枚でも間に入ると、写真となった時、かなり、印象が違ってしまいます。すいません。)
【5】私は、小田急の「はこね」「さがみ」という命名をJRの無神経な命名よりも評価する。 及び、近鉄特急はエライ! という話と、小田急「はこね」号・東武「急行 しもつけ」のお話。
「ピストン登山はつまらない」というある登山案内書に書かれていたことを参考にし、できる限り、往きと帰りで経路を変えたいと考え、今回、
<往き> 総武線・中央線にて新宿まで。 新宿より、小田急の有料特急「はこね」号で箱根登山鉄道「箱根湯本」駅まで。 箱根湯本より、箱根登山鉄道バスにて、塔の沢~宮の下~芦の湯 経由で「元箱根」下車、 で行き、
<帰り> 「元箱根」より、伊豆箱根鉄道バスにて、「元箱根」よりBP(バイパス)回り、箱根湯本経由で、「小田原」まで。小田原から、JR東海道線の快速で東京まで。 東京より、総武快速線にて・・。 という経路で往復しました。
西武ライオンズのライオンのマークが描かれたバスが走っていたので、西武の観光バスで来ている団体があるのかと思ったら、伊豆箱根鉄道バスでした。 伊豆箱根鉄道は西武の系列なんですね。
↓ が、箱根登山鉄道「箱根湯本」駅に到着した、小田急の特急「はこね」号 です。
↑「はこね」号にも、何種類かあるようで、これは、「EXE」というタイプのようです。
↓ が、東京駅についた、東海道本線の小田原から乗った快速です。
(1) 今回、小田急の有料特急に乗るに際して、時刻表を見て気づいたのですが、小田急の有料特急は、箱根湯本まで行く電車が「はこね」、小田原どまりの電車が「さがみ」と、終点によって、愛称が変えてあるのです。
かつて、福島県いわき市に住んでいた時、いわき市の商工会議所だったか、いわき市の団体が、JRに、常磐線の特急はすべて「スーパーひたち」「フレッシュひたち」という名称になっているけれども、いわき市以北まで来る電車は、「スーパーいわき」「フレッシュいわき」にしてもらえないかと求めたもののきいてもらえずにいたと何かで読んだことがありました。 きいてもらえないというのは、危険極まりない原発などというものを作られてしまった福島県浜通り地域は、茨城県(旧・常陸国 ひたちのくに)よりも政治的に弱く、原発製造メーカーでもある茨城県日立市発祥の日立グループの方が政治的に強かったということ・・・かな? ・・・とも思えたりしますが、真偽のほどはわかりません。 かつて、「スーパーひたち」号には、「仙台⇔いわき」間のものも1台あったのを覚えています。 「ひたち」地域を通る電車なら、終点が旧・磐城国であっても、「スーパーひたち」「フレッシュひたち」という愛称でもまだ違和感はありませんが、「仙台⇔いわき」間のみが走行区間で旧・常陸国には一歩たりとも入らない電車の愛称が「スーパーひたち」は変です。 もっとも、現在、いわき市の北の広野町で止まっている常磐線は、もう、それより北に走ることはないでしょう。 無理に走らさない方が誰のためにも良いと思います。
JR西日本で、大阪から福知山線を走る特急の愛称に「こうのとり」という名前がついています。 豊岡市に 県立コウノトリの郷公園があったりすることからの命名でしょうけれども、福知山どまりの電車にも「こうのとり」○号という名前がついているのには違和感を覚えます。 箱根湯本まで行く電車を「はこね」、小田原どまりの電車を「さがみ」と分ける小田急の方がていねいで愛情のこもった命名です。 「愛称」というからには、常陸国を走らない電車に「ひたち」、こうのとりと特に関係のある豊岡市まで行かない電車に「こうのとり」と名づける無神経で荒っぽい命名は私は評価できません。
(2) それで、近鉄特急はどこが エライ! かと言いますと、大阪難波・上本町・鶴橋⇔名古屋 間の特急は、今もって、けなげに新幹線と競争しているところ! です。 エライ! じつに、けなげやわあ~あ。 かつて、新幹線ができる前、大阪⇔名古屋 間を最速で結ぶのは近鉄特急であったのです。 「ビスターカー」というのは、私が子供の頃、スーパースターであったのです。 大阪の上本町六丁目(上六)・鶴橋と名古屋の間を2時間で結ぶ・・・、すごい!・・・だったのが、新幹線のやつは、新大阪⇔名古屋 間を 1時間で結んじゃった。 野村克也が、「あの 王のやつは、ひとが苦労してやっと打ち立てた記録を、簡単に抜いてしまいよる。」と、どこかで書いていたのを読んだが、あの新幹線のやつは、近鉄特急が一生懸命走って2時間で結んだ大阪-名古屋 間を、簡単に1時間で走ってしまいよる。 しかし、それでも、近鉄特急はめげない。 上本町から西、難波まで延長して、大阪のど真ん中まで入りこんでいる近鉄特急は、大阪環状線の外の新大阪までしか来ない新幹線に、きょうも、「負けるもんかあ」と一生懸命走って、なんとか、2時間を切ろうと頑張っているのだ。 ライバルの新幹線は1時間を切ったというのに。 それでも、新幹線相手に、「負けるもんかあ」と一生懸命がんばってるのだ。 エライ! けなげだ。 井上靖『あすなろ物語』(新潮文庫)では、伊豆地方に生える「翌檜(あすなろう)」という木は、「明日は桧になろう」といつも思い続けているが、いつまで経っても桧になることはできない、それでも、「明日は桧になろう」と思い続けている、と述べられている。 近鉄特急て、えらいやんかあ。 新幹線より安いし、大阪でも、難波周辺に用のある人や近鉄大阪線・奈良線、南海本線・高野線の沿線の住民にとっては、新大阪まで行く時間を考えれば、それほど所要時間に差はなくなるし。
それに対して・・・。 東武「けごん」号て、さあ。 国鉄(現・JR)の、上野から東北線~宇都宮~日光線経由の急行「日光」号との競争に勝った、勝った・・・て・・・、だから、どうしたっての? 新幹線とけなげに競争している近鉄特急と比べて、急行「日光」号に勝ったからって、何?
さらに、「なさけない!」「実に、なさけない!」と思ってしまうのが、東武の有料急行「しもつけ」。 どこが「なさけない」かと言いますと、ねえ。 新幹線に負けるのはしかたがない。 でも、ね~え。 急行料金とる電車でしょうお。 東京の浅草から宇都宮までの所要時間。 快速「ラビット」の上野から宇都宮までの所要時間に負けるのは、情けない! と思わない~い?
それで。 時刻表で、東京の東京駅-小田原間、新宿駅-小田原間、の所要時間を計算して見たのです。 すると、 今まで知らなかったんだけれども、「ロマンスカー」と言われてきた小田急の花形電車・新宿から小田原・箱根湯本を結ぶ「はこね」「さがみ」号って、実は、新幹線に負けるだけでなく、赤羽-池袋-新宿から湘南方面への特別快速「アクティー」にも、新宿-小田原間の所要時間で負けてる、東海道本線の快速の東京-小田原間の所要時間にも負けてる・・・。 なんや、快速「ラビット」に負ける急行「しもつけ」をえらそうに言えんやんかあ・・・。 新幹線に負けるのはやむをえない。 特急「踊り子」に負けるのもしかたがないとしよう。 しかし、特急料金とる電車が普通料金だけで乗れる電車に負けるなんて・・・・・。
まあ、しかし、普通料金だけで乗れる特別快速「アクティー」とか東海道本線の東京からの快速に普通料金で乗る場合と違って、小田急の特急「はこね」「さがみ」は指定席で快適な椅子に座って行けるんだから、良しとするか。 東京から小田原まで通勤電車で行くのはきついからねえ・・。 そこで、そこで。 JRの快速には、グリーン車というものがあり、特急のグリーン車よりも安い料金で利用できるのだ。 それで、計算してみると、 新宿-小田原 間の普通運賃は、小田急の方がJRよりも安い。 しかし、有料特急「はこね」「さがみ」を利用すると、JRの快速・特別快速の普通車に乗る方が安い。 さらに、しかし、JRの快速・特別快速でもグリーン車に乗ると、小田急の有料特急に乗った方が安いのだ。 なるほど。 小田急の有料特急(座席指定)は、JRの快速・特別快速のグリーン車(座席指定ではないが普通車と違って座れる可能性が高い)と競合で、それより安い、というものだったんだ・・・、と納得したようなしないような・・。
でもね。 近鉄特急は、きょうも、けなげに新幹線に「負けるもんかあ」と一生懸命走っている、ということを考えると、特急「踊り子」ではなく、特別快速「アクティー」とか愛称なし快速がライバルの有料特急って・・・。 新幹線は無理でも、せめて、JRの在来線の有料特急「踊り子」をライバルにしてはどうなのかい? という気にもなるが・・。 でも、乗り心地は悪くなかった・・・けど・・・。 どうなんだろ? 「踊り子」を特急料金を払って乗るとすると、新幹線よりは安いが、快速・特別快速のグリーン車に乗るよりも高い。
【6】再度、曽我神社 に関して。
どうも、最近、「子供帝国主義」というのか、「子供独善主義」というのか、「私は子供があるんですからねえ。」と言えば、周囲の誰もが「言うことをきいてくれる」のが当然だと勘違いしている女、さらに、同様に思っているその夫・男オバサンが出現してきている。 そういう女、及び、男オバサン(超弩級に我儘な人間)は、いわば、親の方が十分に大人になっていないのに子供を作ってしまった人間なのであろうと思う。 周囲の人間からすれば、その人に子供があろうがなかろうが、その人の子供がどういう子供であろうがなかろうが関係のないことなのだが、「子供」を大義名分にかかげれば、ひとは自分の身勝手な主張をなんでもきいて当然だと思っているらしい。 それは違うのであるが、わからない人にわからせるのは極めて困難である。
自分の子供を周囲の人に尊重してもらいたいと思うならば、ひとの子供もひとの親も大事にする必要がある。ひとの子供もひとの親も尊重する必要がある。 そうしてこそ、自分の子供を尊重してもらえるようになる。 そういうことを理解できなような人は、子供を産まない方がいいのではないかとすら思える。 自分の子供のためなら、ひとの子供やひとの親は犠牲にして当然であると信仰を持っているような人を見ると、できる限り、そういう人とはかかわりたくない、という気持ちにならされる。
「チャイルドマザー」「チャイルドファーザー」については、YouTubeに、「近頃、チャイルドマザーが増えています。」「近頃、チャイルドファーザーが増えています。」という公共広告機構のCMが入っています。
「YouTube-放送禁止になったCM集【2001~2010】 」 http://www.youtube.com/watch?v=53oPrKVF59M&feature=related の最初の方。
子供が出来れば、男は父親になるのか、女は母親になるのか、という問題について。 「ビッグコミック」に掲載されている『築地魚河岸三代目』という漫画で、魚辰の三代目に子供が産まれるという時、産婆さんが、「女は、大変な思いをして子供を産むかわりに、子供が生まれれば、良い母親かどうかはともかく、母親になるのだけれども、男は子供が産まれたというだけでは父親になったことにならないんだよ。 男は、子供が産まれて、その子供に恥じないように、父親というに値する生き方をして見せて、それで、父親になるんだよ。あんたは、これから、父親になれるかどうか、という試練を受けることになるんだよ。」と話してきかせる場面がありました。 私の親くらいの年代の男性には、逆に「子供というものは女が育てるものだ」という主張をする男性もいましたが、私は、『築地魚河岸三代目』の中で産婆さんが話していた話の考え方の方が好きです。
『築地魚河岸三代目』の中に出てくる産婆さんは、「良い母親かどうかはともかく、女は子供を産めば母親だ」と話しますが、自分の「子供のため」を大義名分にかかげれば、ひとの子供もひとの親も犠牲にする権利がある、ひとの子供もひとの親も殺してもよいと信じ切っているような女を見ると、女も、やはり、子供を産んだだけでは母親ではないのではないか。 女もまた、子供ができただけでは母親ではなく、そこから、母親になることができるかどうかの試練を受けるのではないのか、という気もいたします。
「産むだけで親になれるわけじゃない。」
私が勤めてきた千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング有限会社(建設業。 不動産業としては、ビルダーズジャパン株式会社)に、2011年4月から、社長の妻の友人だとして入社してきた女性が、まさしく、モンスターでした。 自分の子供を大義名分にかかげれば、ひとの子供もひとの親も殺してよいという主張をする人でした。 そういう人に親を迫害された者としては、曽我神社詣でをした上で、親の仇を討つべきではないかとも思えてきます。 もともと、そういう白痴ママ・白痴パパは相手にしないようにしたいのですが、職場の場合、逃げられないという問題があります。そういう人の被害に合わないように対処するのは、使用者としての従業員に対する保護義務のひとつであると思うのですが、保護義務を果たさない使用者の会社では、どうすればいいのでしょうか。 箱根神社内の曽我神社に行って、御祭神に語りかけてみましたが、きっちりとした回答は得られませんでした。 どうすればいいでしょうね?
箱根神社の御神璽をいただいてきました。(「いただいてきた」といっても、ただでもらってきたのではないし、ましてや、盗んできたのではない。お金を払って買ってきたのである。)↓
毎日、二礼二拍手一礼した上で、箱根の神さま、曽我神社の神さま(親の仇討ちの神さま)とともに、自分の子供を大義名分にすれば、ひとの親は殺してもよいという主張をする職場のモンスターマザー、その夫・モンスター男オバサンをどう対処したものか、考えてみたいと思います。
ひとつ、大きな問題は、子供を大義名分にかかげれば、言うことをきかなければいけないと思っている人、言うことをきくのが社会正義だと心得違いしている人が、行政機構にもいるということです。
労基署は労働者の味方・・などとは決して思いこまない方がよいようです。
子供を産んだだけでは親になれたわけではない。
使用者としての義務(特に、従業員に対する保護義務)を果たさない使用者は、会社を設立して代表取締役になっただけでは、「十分に、使用者といえる使用者」になったたわけではない。
いい会社に勤めることができれば、その方がいいのですが、そうでない会社にでも、勤めて働くしかない場合、どうすればいいのでしょうね・・・。
(2012.11.15.)
この記事へのコメント