亀戸天神社 訪問~冤罪を晴らす神さま・菅原道真・第3回、及、エスカレーターの不合理

〔第157回〕 全国怨念を晴らす旅・冤罪を晴らす神さま・菅原道真 の第3回 は東京都江東区亀戸の亀戸天神(亀戸天神社)です。 
  亀戸天神でいただいた由緒書によれば、亀戸天神は、≪古くは東宰府天満宮本所宰府天満宮、あるいは、亀戸天満宮と称されておりましたが、明治六年(1873年)に東京府社となってより亀戸神社と号し、昭和十一年(1936年)亀戸天神社と正称いたしました。≫
≪ 正保年間、九州大宰府天満宮の神人菅原信祐(道真公の子孫)は霊夢に感じ、菅公ゆかりの飛梅で神像を刻み、社殿建立の志願をもって諸国を廻り、寛文元年(1661)江戸に達し本所亀戸村にあった天神の小祠に奉祀いたしました。
  時あたかも徳川幕府の大事業である本所開発にあたり、天神様を崇敬すること篤かった将軍家綱は現在の地に社地を寄進しました。 そして、寛文二年十月二十五日、大宰府の社にならい、社殿、楼門、廻廊、心字池、太鼓橋等を営み、以来、350年余後の今日まで、数ある東国天満宮の宗社として尊崇されてまいりました。≫ ということだそうです。

  東京都江東区亀戸3丁目6番1号 にあり、最寄駅は、JR総武線・東武亀戸線「亀戸」 と JR総武線・東京メトロ半蔵門線「錦糸町」で、亀戸からと錦糸町からの距離は、私は両方から行ってみたことがありますが、同じくらいと思います。 東武亀戸線の「亀戸水神」駅からもそう遠くはありません。 亀戸水神駅の少し西に亀戸水神があり、世間一般には亀戸天神の方が知名度はありますが、亀戸天神と亀戸水神は別です。 
(→「亀戸天神」ホームページ 「アクセス」 http://www.kameidotenjin.or.jp/access/index.html )   
   
≪  東京の天満宮のなかでもっとも知られている亀戸神社は、江戸時代に大宰府天満宮の神職、菅原信祐(のぶすけ)が四代将軍徳川家綱の後援をうけて起こしたものである。 ・・≫(武光誠『日本人なら知っておきたい神道と神社』2007.1.10.河出書房新社) そうです。 但し、「もっとも知られている」と言っても、知っているかどうかはひとそれぞれであり、私の感覚としては、東京圏での知名度としては、湯島天神と亀戸天神の2社が同程度に有名かな、東京圏以外では湯島の方が有名かな・・という感じです。

    平河天満宮(東京都千代田区)では、平河天満宮を「江戸三大天神のひとつ」と言っているようで、インターネットで見ると、他2つはどこであろうかという議論が見られますが、平河天満宮と湯島天神とあともうひとつは、東京都内の天神社・天満宮・北野・菅原神社としての知名度としては亀戸が有名でしょうけれども、「東京三大天神」ではなく「江戸三大天神」であるならば、亀戸は地域として「江戸」に含まれていないと考え、3番目は上野公園内の五條天神社とするのが妥当かな・・という気がします。 

   JR亀戸駅で無料で配布されている「亀戸かいわいぶらりマップ 平成25年版」には、≪亀戸の名の由来≫は≪昔、この地は亀ノ島と呼ばれる会上の島でした。 早くから住民がいたようで、石器時代、古墳時代の遺跡があるといわれています。やがてこの島に亀村と呼ばれる村ができ、村にあった亀ヶ井という湧水が有名になりました。その後、この亀村と亀ヶ井が混ざって「亀井戸村」になったようです。江戸時代、「井」がなくなって亀戸村となりました。≫と書かれています。

   山本有三『路傍の石』(『新編 路傍の石』)に、吾一が次野先生と一緒に亀戸天神に行く場面があります。
≪ ふたりは、電車のあるところは電車を利用し、あとは歩いて、亀戸の天神さまへ行った。
   おもて門をはいると、たいこ橋が、行く手をさえぎるように、人の背よりも高く、そり返っていた。 
「こりゃずいぶん、急だな。 渡れますかね。」
「渡れん橋はかけとかんだろう。」
ふたりは手すりにつかまって、たいこ橋を渡った。≫(山本有三『新編 路傍の石』〔山本有三『路傍の石』新潮文庫所収〕)
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( 写真はすべてクリックすると大きくなります。)
↑ 今回、行った時刻が夕方で、暗くなりかけの時刻であったため、写真によっては、写り方が暗くなってしまっているものがあります。(太鼓橋(男橋) ↑の写真が特に暗くなってしまっているのは、神社や寺の場合、まず、参拝して、写真を撮影するのはその後にするべきだという考えをとっている為、入口に近い太鼓橋(男橋)〔2つある太鼓橋の大きい方〕の写真を撮影した時刻が他の写真を撮影した時刻より遅い時刻になったことによるものです。) 亀戸天神には、今までに何度も来たことがあったのですが、今回、行ってみると、これまでと違って、背後に「東京スカイツリー」が見えるようになりました。
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↑ 亀戸天神は、福岡県太宰府市の太宰府天満宮(http://www.dazaifutenmangu.or.jp/ 、「境内マップ」http://www.dazaifutenmangu.or.jp/sanpai/map#type=0&zoom=0)の小型のような配置らしいのですが、この灯篭は、石川県金沢市の兼六園(http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kenrokuen/ )にある「琴字灯篭」を大型にしたようなものらしい。
(→「亀戸天神」ホームページ 「境内あちこち発見隊」http://www.kameidotenjin.or.jp/tour/index.html  「琴字灯篭」 「太鼓橋(男橋)」「太鼓橋(女橋)」 )
  「琴じ灯篭」の「琴じ」は、「琴」という「字」の形ということで「琴字」なのか、それとも、≪琴の胴の上に立てて、弦を支え、移動させることで音の高低を調節する器具≫(《Weblio古語辞典-琴柱 学研全訳古語辞典》http://kobun.weblio.jp/content/%E7%90%B4%E6%9F%B1 )の「琴柱(ことじ)」なのか。どちらの形状にも似ていますが。
※《亀戸天神HP 境内のご案内 琴柱灯篭》http://kameidotenjin.or.jp/guide/

≪ たいこ橋を二つ渡ると、楼門があって、そのさきが拝殿である。 拝殿の正面にすえてある、おさい銭バコに梅バチの紋が大きく光っていた。 ≫(山本有三『新編 路傍の石』〔山本有三『路傍の石』新潮文庫所収〕)
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≪ 天神さまに参拝して、それから有名な白牛石や、塩原多助の奉納したという灯ろうなど見て、池のはたの茶みせに入って行った。 茶店の出ているところは、どこもフジの花がみごとに咲いていた。
 フジだなは大部分、池の中に突き出ているが、岸のほうに伸びているところも少なくない。 その下に縁台が置いてある。 ふたりはそのフジだなの下に腰をおろした。・・・・・≫(山本有三『新編 路傍の石』)
(→「亀戸天神」ホームページ「境内あちこち発見隊」http://www.kameidotenjin.or.jp/tour/index.html 「太助灯篭」「神牛」、 「藤祭り」http://www.kameidotenjin.or.jp/events/monthly02.html#0401
   亀戸天神社の社殿は、第2次世界大戦中の空襲で焼失し、戦後、鉄筋コンクリート造か鉄骨造かで再建されたと書かれたものをどこかで読んだように思うのですが、何で読んだか、今、見つけることができません。(見つけることができれば補足いたします。)
   「東京スカイツリー」の建設が始まった頃、建築中の「東京スカイツリー」を見て、なんか、いやな感じのものできるなあという印象を受けたのですが、今回、亀戸天神社の背後に見える「東京スカイツリー」を見て、東京都港区の増上寺(http://www.zojoji.or.jp/index.html )とその背後の東京タワーがともに見えるような感じで、2つがセットになって見える感じがそう悪くない印象を受けました。

≪  先生には、まず何よりお酒をすすめた。 彼は酒は飲めないから、所の名物の、クズもちをほおばった。
   先生はちびりちびりやっていたが、いつものような元気がなかった。・・・・≫(山本有三『新編 路傍の石』〔山本有三『路傍の石』新潮文庫 所収〕
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↑  亀戸天神社 のすぐ西にある クズもち の 船橋屋本店(ホームページhttp://www.funabashiya.co.jp/  、ホームページ「元祖 くず餅」http://www.funabashiya.co.jp/products/policy01.html )
   私が最初に船橋屋の店を見たのは、JR亀戸駅のすぐ南の国道14号の南側の店で、「船橋屋」というからには千葉県船橋市にある店の支店かと思ったらそうではなく、千葉県の船橋市にも、東武船橋店の中に出店していたように思いますが(「船橋屋 店舗情報」http://www.funabashiya.co.jp/accessmap/index.html )、亀戸の亀戸天神のすぐ西にある店が本店らしいが、 船橋屋のホームページの「船橋屋歴史」(http://www.funabashiya.co.jp/aboutus/history.html)を見ると、≪船橋屋初代の勘助の出身地は下総国(千葉県北部)の船橋で、当時、下総国は良質な小麦の産地でした。勘助は、亀戸天神が梅や藤の季節に、参拝客でにぎわうのを見て上京し、湯で練った小麦澱粉をせいろで蒸し、黒蜜きな粉をかけて餅を作り上げました。≫と書かれており、千葉県船橋市が関係ないわけでもなかったようです。
  船橋屋のホームページの「元祖くず餅」のタブをクリックして見ると(http://www.funabashiya.co.jp/products/policy01.html)、≪船橋屋のくず餅はそれらの添加物を一切使用していない自然のままの体にやさしい健康食品≫と書かれており、JR亀戸駅の改札前の出店で販売しているおねえさんにどのくらい日持ちがするか訪ねてみたところ、防腐剤・添加物を使用していないと言うだけに、「2日くらい」だそうで、いつ食べてもらえるかわからない遠方の相手への土産品としては難しいかもしれません。 やっぱり、亀戸天神に参拝して後、すぐ横の店で食べるのが基本の商品なのでしょう。 今回は買わなかったけれども、けっこうおいしいから私は好きです。

  それで、それで。 ↓ ↓ ↓
≪  ・・・ 菅原道真と牛との関係は深く、「道真の出生年は牛年である」「大宰府への左遷時、牛が道真を泣いて見送った」「道真には牛がよくなつき、道真も牛を愛育した」「道真の墓所(大宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など牛にまつわる伝承は多く存在する。 これにより、牛は天満宮において神使とされ臥牛の像がきまって置かれている。≫(日本の神様を考える会編『日本の神々のすべてがわかる』(2008.3.30.日本文芸社)
・・・という話はけっこう知れ渡っているのですが、↓これ、これ、これ↓↓↓!!!
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↑ おおお~っ! さすが、菅原道真を祀る亀戸天神の町。 JR・東武「亀戸」駅の北、明治通り (亀戸十三間通り商店街)の東側の商店の店頭にも牛の像がある! さすが、亀戸天神の町。 天神社・天満宮・菅原神社の境内にある牛の像は臥す姿勢の牛が多いが、神社の外においては牛は立った姿勢でということかあ~あ・・・・・と思いきや・・・、焼肉屋だった・・・・・。 ・・・・・。 ・・・・・。 ↑

   今は昔、1993年のこと、亀戸駅と錦糸町駅の間のJR総武線の北側に城東住宅センターか城東住宅公園かいう総合住宅展示場がありました。 当時、勤務した在来木造の住宅建築請負業の I 社がその城東住宅センターに出展することになり、1992年に建築中、工事の手伝いに何度か行ったのですが、完成すると新しく入社した人ばかりが新展示場に配属され、自分たちがそこで仕事をすることになるのだからと思い、又、そう言われて工事を手伝いにいった者は、ほとんどの者が古い建物で来場客の多くを「観光客」が占める江東区潮見の旧・展示場に残されたということがありました。 その総合住宅展示場・城東住宅センターは今はなく、その場所はマンションになりました。 その展示場開設に尽力した者を配置せずに古い来場状況のよくない展示場に配属し、なんら尽力していない新入社員を新展示場に配属するというのはいかがなものかと思いましたし、今も思います。

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↑  JR亀戸駅のエスカレーターです。 改札口の内側、プラットホームに上がるところのものです。
   かつては、横に2人が立つことのできるエスカレーターというものは、基本的には、2人ともその場に立ちどまって登るものでした。 それが、いつしか、東京圏では、その場に立ってエスカレーターに上まで連れて行ってもらいたい人は左側に立ち、エスカレーターの上を歩きたい人は右側を歩く、関西圏では逆に、その場に立ってエスカレーターに上まで運んでもらいたい人は右側に立ち、エスカレーターの上を歩きたい人は左側を歩くというようになってしまいました。  東京圏と関西圏での違いは、東京圏では多数派の右利きの者にとって左手を手すりについた方がきき手の右手をあけておくことができるからで、関西圏は1970年の大阪万博の影響ではないかと、何新聞か忘れましたが新聞に書かれていたのを見たことがあります。
   しかし、です。 「インテリアコーディネーターである建築屋」といたしましては、このエスカレーターの一方を人が歩くというのは、相当に疑問を感じるのです。 又、高齢の母を持つ者として、高齢者・障害者にとっての建築・インテリアという問題を考えてきた者としても、疑問を感じるのです。

  住宅であれその他の建築・インテリアであれ、人がその場を動かずにいるという前提で必要とされる寸法と人がそこを移動するという前提で必要とされる寸法は違うのです。 その場にじっとしているという前提では必要十分な寸法であっても、人が動いて移動する場合には狭いという場合があるのです。 エスカレーターの場合、ひとり用の幅の狭いものは別として、2人用(というのか、一番一般的なもの)の場合、その幅の寸法は、2人が基本的には移動しないでその場に立っているという前提での寸法でできていると思うのです。 もし、1人がその場に静止して、その横をもう一人が歩いて移動するということであれば、エスカレーターの幅はもう少し広く造られるべきであり、今の寸法は2人とも静止して乗るという前提での寸法だと思うのです。

   駅や施設によっては、「お急ぎの方のために、片側を開けてお乗りください」というアナウンスがおこなわれているところもありますが、それも、いかがなものでしょうか。 それは、ある程度、すいている時で、かつ、高齢者・障害者や年齢の小さい子供を連れている人がいない時のことではないでしょうか。
   私の母が歳を行くにしたがい、高齢者がどういう時に苦労するのか、ということを感じざるをえなくなり、住宅・建築・インテリアの仕事につく者としては、これ以上の勉強はない勉強をしました。 高齢者を連れて移動する際、駅や電車においてどうするのが良いかというと、ひとつには、できる限り、ラッシュでない時間帯に乗車させるようにするということがあると思います。 何年か前、東葉高速鉄道の下り電車に、夜、母を連れて乗車した際に、通勤の帰りと思われる男性に母が席を譲ってもらったことがあったのですが、仕事で疲れた帰りの電車で自分も座って帰りたい時に譲ってもらったのは、感謝の気持ちとともに、申し訳ない思いがいたしました。 母がまだそれほど年齢をいっていなくてまだ比較的元気であった時、母の母(祖母)を連れて、うっかりと時間帯を考えずに乗車してしまい、通勤の帰りに仕事で疲れて電車に乗ってやっと席があいて座ったという感じの男性が、高齢の祖母(母の母)に席を譲ってくれたことがあり、本当に申し訳ないという気持ちになり、「こんな時間に乗ってしまってすいません」と母も祖母も話したことがあったと母から聞いたことがあります。
   高齢者を連れて電車に乗る場合、できるだけ、できるなら、ラッシュ時を避けるようにした方がいいと思いますが、ラッシュ時でない時間帯、もしくは、「すいている」というほどではないが「最高のラッシュ時」ではないという場合、高齢者(この場合、「体だけ元気な年寄り」「現役世代よりも体はよっぽど元気な前期高齢者」を指すのではなく、基本的には「後期高齢者」、「体が元気でない高齢者」を指します)を連れている場合、エスカレーターでは、出来る限り、横に一緒に乗りたいのです。横に一緒に乗って片手をつなぐかこちらの腕を持たせるかしてあげたいのです。 というより、私の母の場合、脳出血と脳梗塞をやったことがあって体がふらつき、実際問題として、何段もの階段を自力であがるのは無理で、エスカレーターは乗る時と降りる時には横に一緒にいて片手をつなぐか腕を持たせるかしないと無理で、乗降時でなくても横に一緒にいて手をつなぐか腕につかまらせるかしないと危ないのです。 片手はエスカレーターの手すりを持つとしても、母はそれで乗ることができるかというとそうではなく、もう片方の手をつなぐかこちらの腕につかまらせるかしないと危ないのです。 又、脳梗塞や脳出血をしただけに体の右半分と左半分が同様に動くわけではないので、乗るところを私が介助して乗せて乗っている最中も私が後ろか前から支えたとしても、掴む手すりを一方に指定されるのは厳しいことになります。
   母は、「年いった」と口にすることはあってもまだ比較的元気であったころは、階段も何階分もでなければそれほど苦にしないで上り下りしました。 その後、階段は登りは苦にするが、下りはかまわないようになりました。 さらにその後、階段は登りはまだ登れるが、下りは怖いと言って降りることができなくなりました。 駅などで、エスカレーターは登りだけあるというところが少なくないのですが、「後期」に入った高齢者の場合、降りの方がエスカレーターを欲しいという場合があるようです。
   さらに、その後、エスカレーターとエレベーターでは、エスカレーターの方がいい、エレベーターは、もしも、その中で閉じ込められることがあったらとうことを考えた時、非常用のボタンの操作が若い者と同じようにできないので不安があるので、エスカレーターの方がいいと言うようになりました。  そして、さらに最近では、エレベーターならば、乗り降りする時、エレベーターの中と外との床の高さが同じであるし、床が動いていないので乗降できるが、エスカレーターは乗降時に床にわずかでも段差があるし、エスカレーターの床が動いているので乗降できるかどうか微妙なのです。 微妙というのは、私が横に一緒にいて私の腕につかまらせておれば、なんとか乗降できるけれども、ひとりで乗降させるのは相当に困難、というより無理なのです。 ところが、「エスカレーターにお乗りの際には、お急ぎの方のために片側を空けて乗られるようお願いいたします。」というアナウンスが流れたりするのです。 本当にラッシュの時ならしかたがないかもしれませんが、特にラッシュでもない時でもそのアナウンスが流れる所がしばしばあります。 これはおかしいと思います。 本当にラッシュの時以外は、「お急ぎの方」は階段を使用するべきだと思います。 階段を上り下りすることもできないし横に家族がついていないとエスカレーターに乗降できず、乗り降りの時以外でも横についていないと相当に不安である高齢者・障害者、及びそういう高齢者・障害者を連れている者のことを考えれば、相当のラッシュ時は別として、エスカレーターは2人とも静止して乗るものだと思います。 高齢者・障害者は、私の母だけではないはずです。
   そして、現役世代の健常者の通勤の人間だって、見ていると、特に帰宅時のエスカレーターは、東京圏では左側、静止して乗る方ばかり混んでいて、右側は誰もいないというケースをしばしば見ます。 これも変な感じがします。
   そして、もうひとつ。 日本では、一般に、機械は、「一般的な使用をした時にぎりぎり大丈夫な強度」ではなく、それよりもひと回りか二回り安全側に余裕を確保した強度で作られているはずですが、エスカレーターというのは、その場に静止して乗る場合を前提に、その強度よりも「ひと回りかふた回り安全側に余裕を確保した強度」で作られているということはありませんでしょうか? 私はエスカレーターの設備面・構造面については専門家でもなんでもありませんが、そうではないのかなという気がするのですが、どうでしょう。 そうであるならば、エスカレーターの上を歩く、もしくは、走るということをしたとしても、「ひと回りかふた回り安全側の強度」で作られているので、特に事故は起こらないとしても、そうなると、エスカレーターの上を歩く場合、静止して乗る場合のように「ひと回りかふた回り」の余裕は確保できていない、ということはないかしらん・・・と思うのですが、どうでしょう。もし、片側を常に歩くならば、歩く場合には、「それほど安全側に余裕はない」ということはないのだろうか? と少々不安を感じるのですが、どうでしょう。 横幅が静止して乗るという前提での横幅でできているのですから、強度面も静止して乗るという前提でできている、と考える方が自然ではないのか、という気もするのですが、どうでしょう。
   何カ月か前に、警察官が電車中でつり革で懸垂をしていたという記事をヤフーニュースで見ました。 「子供みたい」ですね。 大人がつり革で懸垂をしても、おそらく、特に急停車とかしなければ事故が起こったりしない可能性が高いと思いますが、電車のつり革というのは、基本的には、それにぶら下がるという前提で作られていないと思うのです。 床に立った上で、体を支えるために片手で掴むという前提で作られていると思うのです。 但し、ある程度以上、安全側に余裕をみて作られているので、つり革にぶら下がって懸垂をしても、「ただちに事故が起こるわけではない」と思うのです。 但し、大人が懸垂をした場合、たとえ、動いていない電車の車内であっても、懸垂をするだけの強度からさらに余裕をみて作られているわけではないので、「もしも、何かあったときに」というケースでも大丈夫とは言い切れないはずなのです。 エスカレーターも、静止して乗るという前提で作られているならば、その上を歩いた場合、「安全側に確保している余裕の分がそれだけ小さくなる」ということはないのかな。 ありそうな気がするな・・・と思うのですが、どうでしょう。
   強度面については、私は専門でもないのでよくはわかりませんが、いずれにせよ、現在のエスカレーターは、片側に静止した人が乗って他方の側を人が移動するという前提の幅で作られていない、特にラッシュ時でもない時に片側を人が移動するのを「マナー」だとして要求するのは、どう考えても、高齢者・障害者に優しくないし、小さい子供も隣にいないと危ない場合が少なくないことを考えると、その「マナー」はあまり適切とは言えないのではないかと思えます。 又、通勤ラッシュ時において、特に帰宅時においては、静止して乗る側ばかり人がいてもう一方の側(東京圏では右側)は誰もおらず、かつ、エスカレーターの前に人が相当に行列しているということが少なくない、という状況を見ると、少なくとも、常に片側をあけて乗れ、それが「マナー」だという認識は適切と言えないように思うのです。 もし、片側を人が歩くのが前提なら幅を拡げるべきですし、それよりも、登りのエスカレーターが2台以上あるなら、2台とも、片側(東京圏なら左側)は静止して乗る人で他方の側(東京圏なら右側)は歩く人とするのではなく、1台は左も右も静止して乗る人、もう1台は歩く人というようにした方がいいと思います。 そう思いません?

   ところで。 結論がどうかは別として、こういったことを考えるのは、住宅・建築・インテリア関係の仕事につく者としては、必須の姿勢だと思うのです。 自分は「子供があるんですから」と子供を大義名分にかかげて、他の従業員にそのしわよせを押しつけるのが当然の権利で、それが「子供」という「社会全体の宝のため」であり、それが「公共の福祉のため」だと思い込んでいる人というのが、時々、いるのですが、そうでしょうか? そういう主張を後押しするのが労働基準監督官の任務だと思っている労働基準監督官が千葉労基署(http://chiba-roudoukyoku.jsite.mhlw.go.jp/kantoku/kantokusyo/kantokusyo01.html )あたりにはいますが、そうでしょうか? 「子供」を大義名分にかかげて、おのれのために、高齢で体が不自由なひとの親を犠牲にするのが「社会全体のため」「公共の福祉のため」と思いこむ人というのは、結論として、それは、単に、「わがまま」「利己主義者」「協調性がない」だけのことです。 そういう育て方をするのはその子供のためにも良いことではないと思います。 建築・住宅・インテリアの関係の職業につくもの、つこうとする者は、「子供」を大義名分にかかげることでひとの家族を犠牲にするということをするのではなく、自分の家族の事情を理解してもらおうと思うならひとの家族の事情も理解するというようにしないといけません。 私が勤めてきた千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング有限会社で、「子供がいるから」と、なぜか、自分の仕事を他の従業員にやってもらうのが当然と思う女性社員が社長の妻の縁故入社で入ってきて、おかげで多くの従業員とその家族が迷惑をこうむり、多くの従業員が怒っていたのですが、「子供帝国主義者」にとっては、何人の人間が怒ろうが怒る者が間違っているという認識のようでした。そういう「子供帝国主義者」というのは、その時その場においては、縁故入社である以上、周囲の従業員にとっては脅威であり、迷惑千万ですが、やっぱり、「長い目で見れば、ハリコの虎であって、その実力はたかがしれている」のではないのか、という気がします。そんなやり方でうまくいくとは私は思わないし、 「子供」を大義名分にかかげて自分のわがまま・利己主義をごり押しする人というのは、「自分の子供だけではなく、ひとの子供・高齢者・障害者の事情を考慮するというのが仕事の一部分」である建築・住宅・インテリアの職業・職場からは去っていただきたいと思います。たとえ、縁故入社の人であっても去っていただきたいと思いますね。
※インターネットで検索してみると、エスカレーターの乗り方について不合理に思う人は私の他にもあるようです。
「不条理日記―エスカレーターの危険な乗り方:障害者への暴力」http://himadesu.seesaa.net/article/292902070.html
「水面休息中―エスカレーターの輸送効率を考える」http://tetsuya.cocolog-nifty.com/surfacetime/2013/01/post-7f5c.html
他、疑問に思う方は少なくないようです。 一方で「優先座席」とか設けながら、高齢者・障害者はエスカレーターに乗せない、介助者が付き添っているのに介助者を隣に乗せないような「マナー」を強制するのは好ましくないと思います。

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↑ 亀戸天神社 の御朱印帳はなかなか素敵です。 紫色というのは、聖徳太子の官位12階でも最高位の色とされ、イタリア映画『ロッコとその兄弟』(日本では『若者のすべて』)では、5人兄弟の二男(三男であるロッコの兄)がボクサーとして紫のトランクスを使用した際、「チャンピオンか女の色だ」と先輩ボクサーが語る場面があったと思います。 それだけに、男性が使用する場合、成功する場合と失敗する場合の差が大きい色で、私はぜひ使って成功させたいと思っている色ですが、この御朱印帳はデザインとしてなかなかと思います。

☆ 全国怨念を晴らす旅・冤罪を晴らす神さま・菅原道真は、
第1回 平河天満宮(東京都千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
第2回 葛飾天満宮(千葉県市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
に続き、今回が第3回です。 今後も、お百度参りのように続きます。
  (2013.1.28.) 
☆ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真シリーズ、次回は北野天満宮(京都市上京区)<五部作>です。
(その1 天神御旅商店街・丸太町通り・・  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html 
その2 天神通り、文子天満宮舊址他・・  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
その3 北野天満宮、楼門、社殿他・・    https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
その4 北野天満宮、文子社、老松社他・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
その5 白梅町→帷子の辻→西院 他・・  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html )
ぜひ、御覧下さいませ。 

☆ 2013年の7月末か8月初めの読売新聞に、JR東日本が、エスカレーターで歩行中の事故が多いことから、エスカレーターで歩くことを禁止するという記事がでていました。 「禁止」というよりも、エスカレーターで歩くのは、(1)ごくすいている時で、かつ、(2)子供や高齢者を連れている人が乗っていない時に限るべきだと思います。(2013.8.15.) 


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