白井市河原子の「天満宮」―梅・松がそろう。道真ゆかりの彫刻がなされた社殿-冤罪を晴らす神さま(7)
〔第172回〕冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らす旅(7)
今回は、千葉県白井市河原子(しろいし かわらご)の「天満宮」に参拝いたしました。 この「天満宮」は、「ウィキペディア-天満宮」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE で知りました。 「大野天満宮(市川市)※本光寺」とこの白井市河原子の「天満宮」の2社が「ウィキペディア-天満宮」では千葉県の天満宮として掲載されています。
↑ クリックすると大きくなります。 大きくして見てください。鳥居のまん中に「天満宮」と書かれています。
住所は、千葉県白井市河原子274-1 と、「ウィキペディア-天満宮(白井市河原子)」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE_(%E7%99%BD%E4%BA%95%E5%B8%82%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E5%AD%90)
に出ています。
「ウィキペディア-天満宮(白井市河原子)」にリンクされている 《散歩道の歴史 (白井市の)神社》http://www14.plala.or.jp/nikorobin/jinjyabukkaku.html では、いくつかの天神社・天満宮が掲載されていますが、今回訪問したのは、白井市河原子地区「No.23 天満宮」です。
階段を上り、鳥居をくぐった後、この雑木林↓の中を歩んで行きます。
両側に樹木の茂る参道を直進すると、社殿に至ります。↓
↑ (写真はすべてクリックすると大きくなります。) 鉄骨造の屋根で保護されています。 社殿の前に狛犬はいますが、北野神社(文京区)(https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html)や平河天満宮(千代田区)(https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html )などのように社殿の両前に「臥牛」(伏した牛)の像はいません。
「流造(ながれづくり)」の社殿です。↓ 西側から見たもの。
小規模な祠ですが、菅原道真にちなんだ彫刻が四面になされており、なかなか味わいがある社殿です。
京都の北野天満宮でも、社殿の後ろにまわり、背後からも拝むようになっていたので、ここでも背後にまわってみました。 すると、↓
↑ 菅原道真にちなむ彫刻がなされています。クリックすると大きくなるので、ぜひ大きくして見てください。中央に菅原道真、左よりに梅、、右よりに松の木が彫られています。
東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花
あるじなしとて春な忘るな
と自邸の紅梅殿で詠んだ歌は有名なので、梅が菅原道真と縁が深いことはよく知られていますが、松も縁があるようです。 道真が大宰府に左遷された後、京都の道真邸に植わっていた梅と松が道真を慕い、大宰府に向って飛んだものの、松は摂津の国で力尽きたが、梅は大宰府まで飛んでいき、「飛び梅」の伝説となった・・という話をどこかで読んだと思うのですが、その松は摂津の国で力尽きたという方の話をどこで読んだか、今、見つけることができません。見つけることができた時には補足します。
『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』(1994年12月20日 鎌倉新書)には≪・・・天慶5年(942)7月、京都の右京七條坊に住む多治比文子(たじひのあやこ)という巫女に「在世の頃、しばし遊んだ右近馬場に祠を建てよ」とのご託宣が下りました。 しかし、身分の賤しい文子には叶わぬことなので、自宅のそばに小さな祠を造り、ひそかにお祀りしていたところ、5年後(天暦元年)、こんどは近江国比良の禰宜(ねぎ)・神良種(みわのよしたね)の子の太郎丸という七歳の少年に神託が下りました。 その神託のとおり、数千本の松が一夜のうちに右近馬場に生じたので、文子と良種は北野の朝日寺の僧・景珍の協力によって、同年6月、神殿を造立したというのです。 これが今日の北野天満宮の創始で、・・・≫と述べられています。 京都の北野天満宮 には、「老松社」という摂社があり、≪祭神 島田 忠臣(しまだ ただおき)翁≫≪神徳 植林・林業の神≫とされていますが、「島田忠臣(ただおき)」とは≪ 菅公の家臣と伝えられ、また一説には公の岳父(夫人の父)ともいわれる≫実在した人物らしく、≪ 菅公が配流先の太宰府で、自らの無実を神々に訴えるため天拝山(てんぱいざん)に登られた時、公の笏を預かってお供をした人物で、後に菅公は忠臣に松の種を持たせ当地に撒くように託された。 道真公のご神霊がこの地に降臨される時、多数の松が一夜にして生じたという伝説は、この事跡によるものといわれる。≫と北野天満宮の説明書きには書かれています。([第162回]《冤罪を晴らす神さま・北野天満宮・その4 文子社・火之御子社・地主神社・老松社 他》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html 参照。) 又、大阪天満宮のホームページの「大阪天満宮の歴史」(http://www.tenjinsan.com/tenmangu.html )には、≪菅公は、摂津中島の大将軍社に参詣した後、太宰府に向いましたが、2年後に・・59歳でその生涯をとじました。(延喜3年/903年2月25日) その約50年後、天暦3年(949年)のある夜、大将軍社の前に突然七本の松が生え、夜毎にその梢(こずえ)は、金色の霊光を放ったと言われます。この不思議な出来事を聞いた村上天皇は、これを菅公に縁の奇端として、同地に勅命を以て鎮座されました。≫と書かれているなど、他にも、菅原道真が大宰府に配流される過程で立ち寄ったという「由緒」のある天神社・天満宮には松に係るお話が多いようで、この彫刻もそれらのお話により、左に梅、右に松、中央に菅原道真を配置して彫られているものと思われます。
↑右側(東側)の彫刻では、菅原道真が牛に乗った姿が彫られています。
「ウィキペディア-天満宮(白井市河原子)」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE_(%E7%99%BD%E4%BA%95%E5%B8%82%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E5%AD%90) には、≪この神社の創建年代については不詳であるが、古くから信仰されてきた神社である。≫と書かれているくらいで、祠が創建されたのがいつかなどは記載されていませんが、祠の大きさは大きくないものの、彫刻はなかなかのものです。
↓西側から見たもの。↓
この社殿は、基本的には、木造でも、「筋交い式」の「戦後型木造」ではなく、「戦前型」の「貫き式木造」ですが、南北方向に、片方向のみながら「筋交い(すじかい)」が入っています。 また、基礎の石と土台との間に「ねこ」をはさんで「床下換気」をはかる「ネコ式土台」を採用しています。 もっとも、この部分などは、土台の上がスケスケですし、基礎の石も特に湿気やすい状況ではなさそうなので、ここに「ねこ」をはさむ必要はないのではないかという気もします。 通風をとるためではなく、自然石の基礎の上に土台を寝かせるため、土台の水平をとるために「ねこ」をはさんで高さの調節をおこなった、ということかもしれません。
※
「猫土台」については、
「Weblio 辞書-猫土台とは」http://www.weblio.jp/content/%E7%8C%AB%E5%9C%9F%E5%8F%B0 他参照。
↑入口、最初の写真の鳥居の西手前に植えられている松(左)と梅(右)です。 鳥居をくぐって社殿に歩む道沿いの桧ほかの樹木は、比較的古くからこの林に生えていたものかと思えますが、入口の松と梅については、菅原道真にゆかりの深い木として、意識して植えられたものではないかと思われます。 最初、行く前に地図で見た際には、あまり大きな神社ではなさそうなので、梅の木と花は見ることはないだろうと思い込んで行ったのですが、ありました。 それも、梅だけでなく、松もありました。
数年前、六本木の新国立美術館で「フェルメール展」が開催された時、「日本経済新聞」に、「絵画は誰にでも同じものが見えるのではない。 同じ絵でも、その人の能力で見るものしか見ることができない。」と書かれていたのを読んだことがあります。 建築も、寺社の建物も、その人間の能力で見ることができるものしか見えない、ということがあるのではないかと思っていたのですが、その人の心の内容で見えるものと見えないものがある、のではないかと今回思いました。
日本の代表的な木に咲く花といえば、まず、桜が思い浮かぶのではないかと思いますが、梅は、悲しい時、人からひどい目にあわされた時、心がめいった時、などになぐさめられる花ではないかと思うようになりました。 桜はたしかに美しいのですが、悲しい時、心がめいった時などには、梅の方が心にしみるような、なぐさめられるような花という気がいたしました。
もしかすると、菅原道真が梅が好きだった・・のではなく、大宰府に左遷されるというその時に、もっとも心にしみる花が梅だったのではないのか、とも思えてきます。 松も幾分、そういうところがあったかもしれません。
付近の農家にも、庭に梅を植えられているおうちがあり、きれいに咲いていました。
なお、神職の住居なのか、社務所なのか?という建物はありますが、神職の常駐はなく、「授与所」や「御朱印」はありません。
【千葉県船橋市南部から、京葉道路「花輪」インターチェンジ付近から クルマで行く経路】
千葉県船橋市の南部よりクルマで行く道を説明します。 通称「ふなとり線」(県道 船橋我孫子線)で北上します。 船橋市南部では、「ふなとり線」と東武野田線はかなり離れていますが、北に行くとともに寄ってきます。鎌ヶ谷市に入り、東武野田線「鎌ヶ谷」駅を過ぎると、左(西)側に野田線の高架が見え、それに沿って北上すると、今度は、右(東)側から新京成電鉄が寄ってきます。新京成電鉄「初富」駅のところでは、東に新京成電鉄、西に東武野田線が見えます。 これを過ぎて北上すると、左(西)に鎌ヶ谷市役所、イオン鎌ヶ谷店が見え、新京成電鉄の踏切を過ぎ、北総開発鉄道の高架をくぐります。高架をくぐってすぐの信号ではなく、その次の信号を右折し、国道464号を東に進みます。
高架をくぐってすぐの信号を右折すると、鎌ヶ谷警察署が北側にあり、そちらに行ってしまった時は、鎌ヶ谷警察署を過ぎてすぐの信号を左折し、その次も左折して、もう一度「ふなとり線」に戻り、右折、右折で国道464号に入って東に進みます。
右側の谷のようなところを北総開発鉄道が通っていますが、左にセブンイレブンが過ぎ、右に「西白井」駅を過ぎ、そして、「Nシステム」を過ぎると、左手前側(北西側)にガストがある「白井市 根(ね)」という交差点に出るので、これを左折します。
しばらく行くと、「市役所入口」という交差点に出ます。左前方(左向こう側)に行けば印西という掲示が出ているので、左に曲がりその道(木下〔きおろし〕街道)を行きます。
さらにしばらく行くと、「白井」という交差点で国道16号にぶつかり、16号を直交すると、信号が2つ続いてあるので、最初の信号ではなく、2番目の信号を左折します。左前方(左向こう側)のかどに洋品店があります。
しばらく進み、河原子橋という橋(運転中は橋の名前を読むことはできないでしょう。)で神崎川という小さい川を越えるとすぐに、左側に「河原子(かわらご)」という千葉レインボーバスのバス停の札が立っており、札のすぐ北に東に行く道、西に行く道があるので、そこを右折して東に行きます。 千葉レインボーバスの「河原子」バス停の札は、一般のバス停の札に比べて背が低いため見落としがちですから、河原子橋を過ぎたあたりで減速して気をつけて進んだ方がいいと思います。南行きにも「河原子」バス停はあり札は立っていますが、右折する道を過ぎてから(北側)なので、左に北方向行きのバス停の札が見えれば、すぐ右折します。 右に入って行く道はそれほど広い大きな道ではありません。大きな道だと思っていると、通り過ぎてしまいます。 そこの写真が↓です。
右に曲がった道を進むと右手に消防団の倉庫が見え、左手に「天満宮」があります。普通自動車なら道の端によせて停めることができますし、「駐車場」なのかどうかわかりませんが、参拝中、クルマ1台くらい停めさせてもらえそうな場所はあるようです。
それほど大きな神社ではありませんが、付近は↓
のような場所(「天満宮」の南東方向)なので、1台や2台なら、停める場所にそう苦労はしないと思いますが、このブログを読んでくださった方が一度に数十人もクルマで押しかける・・などということが、もしも、あったら、その時には停める場所はないかもしれません。そこまでの責任はとれませんので、ご了承ください。
今回、私はこの経路で往復しましたが、「ふなとり線」(県道船橋我孫子線)の「馬込十字路」交差点で右折して木下(きおろし)街道を北東に進んだ方が距離としては短いので、「馬込十字路」より南から行く場合は、その方がよいのではないかと思います。
「Nシステム」の所(国道464号の「白井市根(しろいし ね)」交差点、東行きは北西カドにガストがある交差点 のすぐ西側に、東行き・西行きともNシステムがあります)はできれば通りたくないので、その意味からも、国道464号を東に行くより、木下街道を北東に進んだ方がいいかもしれません。但し、今回、往復とも国道464号を通り、木下街道は通らなかったので、もし、木下街道を行っても、もしかすると、「Nシステム」もしくは同等のものがあるかもしれません。
※「Nシステム」については、
《ウィキペディア-自動車ナンバー自動読取装置》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%AA%AD%E5%8F%96%E8%A3%85%E7%BD%AE
《桜丘法律事務所 N-system 御存じですか?》http://www.sakuragaoka.gr.jp/nsys/
「Nシステムは、すべての車両の移動をTVカメラとコンピュータによって監視・記録保存する、警察庁による国民監視システムです。・・・・ スピード取り締まりなどではありません。・・・ 車を運転する一般国民が、具体的犯罪の容疑者でもない段階から犯罪予防・抑止の名目で一方的に移動状況を監視され、記録され、保存されているのです。」
《マイケルの日記 オービス、Nシステムを見分けてみよう!!》http://suzukidennkitetudou.blog16.fc2.com/blog-entry-332.html など参照。
「マイケル」さんは、オービスとNシステムについて具体的に写真を掲載の上で説明されており、わかりやすくてありがたいのですが、Nシステムについて≪普通の人には全くと言っていいほど関係ないので≫と述べておられる部分については認識が甘いと思います。≪普通の人≫の≪移動状況を監視され、記録され、保存されている≫という事実を国民として認識するべきだと思います。
【電車・バスで行く経路】
白井市河原子の「天満宮」は、千葉レインボーバス(http://www.chiba-rainbow-bus.jp/index.html )の「河原子(かわらご)」バス停から東に歩いてすぐで、同バス停には、「白井駅」(北総開発鉄道)、「新鎌ケ谷駅」(北総開発鉄道・東武野田線・新京成電鉄)、「五香(ごこう)駅」(新京成電鉄)、「高柳駅」(東武野田線)からバスがあるようですが、すべての行き先を合わせても1時間に1本あるかないか(北行きと南行きそれぞれ1時間に1本くらいなので、両方向合わせれば1時間に2本あるかないか)のバスなので、もし、バスで行く場合には、頻繁にバスが来る場所のように「とりあえず行ってみる」方式ではなく、インターネットでも「千葉レインボーバス」の「白井車庫エリア 路線図」http://www.chiba-rainbow-bus.jp/map_shiroi.pdf と「路線別時刻表」http://www.chiba-rainbow-bus.jp/time.html が出ていますので、「西白井線」「鎌ヶ谷線」で、「河原子」バス停に行くバスと発駅、帰りに「河原子」バス停から乗るバスの時刻と行き先を確認した上で行かれることをお勧めします。
最寄駅は北総開発鉄道の「白井(しろい)」駅ですが、地図上で測ると片道4㎞以上あります。
私が持っている『でっか字 千葉 便利情報地図 1:7000&1:21,000 2012年2版』(昭文社)には、この場所の地図に鳥居のマークとともに「浅間神社」と書かれていますが、現地の鳥居の中央には「天満宮」と書かれており(上の最初の写真、参照。)、社殿には菅原道真にちなむ彫刻がされ、入口の鳥居の左側(西側)には道真にちなむ梅と松が植えられています。
「ウィキペディア-天満宮(白井市河原子)」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE_(%E7%99%BD%E4%BA%95%E5%B8%82%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E5%AD%90)
には、名称は「天満宮」とのみ書かれており、「天満宮」では全国にいくつもあり、「○○天満宮」といった名称はないのだろうかと思いましたが、現地に行っても、鳥居のまん中に「天満宮」と書かれているのみで、「○○天満宮」といった固有名詞的な表記はありません。
「天神」とは、もともとは、農耕・狩猟・漁業の収穫を祈った自然神であったと言われ、「天神」という名称の神社であっても、菅原道真より前から存在する神社もあり、すべての「天神社」が菅原道真と関係があるというわけではないと言われ、又、各地の大規模でない神社の場合、もともと、その地域の人たちが生活全般を祈ってきた幸福を願う全般の神さまであったものが、明治維新以降の「国家神道」形成の過程において、いずれかの特定の神さまを指定させられるようになったというものがあり、「由緒」というものが語られていても、明治以降において神社が整理統合されることがあった時に、廃止されることを防ぐために「由緒」が実際以上に強調されてそれが今日にまで至っているものもあるようですが、この白井市河原子の「天満宮」については、社殿に菅原道真にちなむ彫刻がなされていること、入口の左側に道真にちなむ木である梅と松が植えられていること、鳥居に「天満宮」と書かれていることなどから考えると、現在は、菅原道真と縁のある天満宮であると考えてよいのではないでしょうか。
但し、「ウィキペディア-天満宮(白井市河原子)」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE_(%E7%99%BD%E4%BA%95%E5%B8%82%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E5%AD%90) にも、≪この神社の創建年代については不詳であるが、古くから信仰されてきた神社である。≫と書かれているように、昔むかしの最初の創建の時にどうであったのかまではわかりません。 京都の北野天満宮などは平地にあるのに対し、この神社は、この地域の中では少し高くなった場所で樹木の茂った森林の中にありますから、もしかすると、最初の最初は、山岳系のものであったという可能性もないとは言えないかもしれません。
≪ 御霊信仰では、特定の個人の御霊のたたりをも、おそれて鎮める必要があった。このような人格神的な御霊神の典型は、菅原道真の御霊と雷神が習合して成立した天神の信仰であった。天神は、もともと天の神を意味し、地方神としても祀られていたが、怨みを呑んで死んだ菅公の御霊は、落雷などのはげしいたたりをすると信じられ、平安京の北野に天満大自在天神として祀られた。御霊と雷神が結びついたのは、落雷等の自然災害を、御霊のしわざと信じたためであったが、中世には、天神の御霊神としての性格は薄れ、もっぱら文字詩歌などの学芸の神として信仰されるようになった。≫(村上重良『国家神道』1970.11.27.岩波新書)
最近では、白井市も住宅地として開発されてきましたが、この付近は、もともと、農業地帯であり、「農業と天候の神」に、全国的に人気のある菅原道真が結びついて、農業と天候の神としての「天神」及び菅原道真を祀る神社として定着したもの、又、社殿の前に、「羽黒山参拝記念」だったかなどの石碑が複数たっていたことや、少し高い場所の森林の中に社殿があることなどから考えて、もしかすると、山岳系・修験道系の要素もいくらか持っていたのかもしれないかな・・・とも思えますし、『でっか字 千葉 便利情報地図 1:7000&1:21,000 2012年2版』(昭文社)に「浅間神社」と書かれているのも、そのあたりが、もしかするといくらか関係している可能性もあるのかもしれません。 入口左側に菅原道真にゆかりのある梅と松の木が植えられていますが、鳥居から仲にはいった参道の周囲の雰囲気と入口付近の雰囲気に多少の違いも感じられます。 地域の人たちの生活全般の神に山岳系の要素が加わり、さらに、農業と天候の神である「天神」と「天神」に結びついた菅原道真が加わった・・という流れも可能性として考えられるのではないでしょうか。 もちろん、これらは、あくまで推測・推論のひとつです。
今回、ガイガーカウンターを持って行くのを忘れてしまいましたが、千葉県柏市・流山市・松戸市・埼玉県三郷市・東京都葛飾区付近は、放射能の「ホットスポット」になってしまったようで、白井市は、すぐ北側に柏市に隣接しており、放射線量がどうなのか、少々、不安ができてしまいました。 原発事故と放射能汚染はたいへん悲しく思います。 危険なものを安全であるかのような詭弁を弄して建設・操業するのは慎んでいただくようお願いしたいと思います。
(2013.3.17.)
☆怨念を晴らす旅・冤罪を晴らす神さま・菅原道真 シリーズは、
1.平河天満宮(東京都千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
2.葛飾天満宮(千葉県市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
3.亀戸天神社(東京都江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
4.北野天満宮(京都市上京区)
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
5.意富比神社 末社 天神社(千葉県船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
6.北野神社(「牛天神」)(東京都文京区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
に続き、今回が第7回です。 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らす旅・天神社お百度参りは、まだまだ続きます。
※白井市河原子の「天満宮」の地図は、
「ヤフー地図-千葉県白井市河原子274」http://maps.loco.yahoo.co.jp/maps?lat=35.81391330&lon=140.06376428&ac=12232&az=5.274&z=16&id=&fa=pa&ei=utf8&p=千葉県白井市河原子-274 他参照。
今回は、千葉県白井市河原子(しろいし かわらご)の「天満宮」に参拝いたしました。 この「天満宮」は、「ウィキペディア-天満宮」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE で知りました。 「大野天満宮(市川市)※本光寺」とこの白井市河原子の「天満宮」の2社が「ウィキペディア-天満宮」では千葉県の天満宮として掲載されています。
↑ クリックすると大きくなります。 大きくして見てください。鳥居のまん中に「天満宮」と書かれています。
住所は、千葉県白井市河原子274-1 と、「ウィキペディア-天満宮(白井市河原子)」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE_(%E7%99%BD%E4%BA%95%E5%B8%82%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E5%AD%90)
に出ています。
「ウィキペディア-天満宮(白井市河原子)」にリンクされている 《散歩道の歴史 (白井市の)神社》http://www14.plala.or.jp/nikorobin/jinjyabukkaku.html では、いくつかの天神社・天満宮が掲載されていますが、今回訪問したのは、白井市河原子地区「No.23 天満宮」です。
階段を上り、鳥居をくぐった後、この雑木林↓の中を歩んで行きます。
両側に樹木の茂る参道を直進すると、社殿に至ります。↓
↑ (写真はすべてクリックすると大きくなります。) 鉄骨造の屋根で保護されています。 社殿の前に狛犬はいますが、北野神社(文京区)(https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html)や平河天満宮(千代田区)(https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html )などのように社殿の両前に「臥牛」(伏した牛)の像はいません。
「流造(ながれづくり)」の社殿です。↓ 西側から見たもの。
小規模な祠ですが、菅原道真にちなんだ彫刻が四面になされており、なかなか味わいがある社殿です。
京都の北野天満宮でも、社殿の後ろにまわり、背後からも拝むようになっていたので、ここでも背後にまわってみました。 すると、↓
↑ 菅原道真にちなむ彫刻がなされています。クリックすると大きくなるので、ぜひ大きくして見てください。中央に菅原道真、左よりに梅、、右よりに松の木が彫られています。
東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花
あるじなしとて春な忘るな
と自邸の紅梅殿で詠んだ歌は有名なので、梅が菅原道真と縁が深いことはよく知られていますが、松も縁があるようです。 道真が大宰府に左遷された後、京都の道真邸に植わっていた梅と松が道真を慕い、大宰府に向って飛んだものの、松は摂津の国で力尽きたが、梅は大宰府まで飛んでいき、「飛び梅」の伝説となった・・という話をどこかで読んだと思うのですが、その松は摂津の国で力尽きたという方の話をどこで読んだか、今、見つけることができません。見つけることができた時には補足します。
『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』(1994年12月20日 鎌倉新書)には≪・・・天慶5年(942)7月、京都の右京七條坊に住む多治比文子(たじひのあやこ)という巫女に「在世の頃、しばし遊んだ右近馬場に祠を建てよ」とのご託宣が下りました。 しかし、身分の賤しい文子には叶わぬことなので、自宅のそばに小さな祠を造り、ひそかにお祀りしていたところ、5年後(天暦元年)、こんどは近江国比良の禰宜(ねぎ)・神良種(みわのよしたね)の子の太郎丸という七歳の少年に神託が下りました。 その神託のとおり、数千本の松が一夜のうちに右近馬場に生じたので、文子と良種は北野の朝日寺の僧・景珍の協力によって、同年6月、神殿を造立したというのです。 これが今日の北野天満宮の創始で、・・・≫と述べられています。 京都の北野天満宮 には、「老松社」という摂社があり、≪祭神 島田 忠臣(しまだ ただおき)翁≫≪神徳 植林・林業の神≫とされていますが、「島田忠臣(ただおき)」とは≪ 菅公の家臣と伝えられ、また一説には公の岳父(夫人の父)ともいわれる≫実在した人物らしく、≪ 菅公が配流先の太宰府で、自らの無実を神々に訴えるため天拝山(てんぱいざん)に登られた時、公の笏を預かってお供をした人物で、後に菅公は忠臣に松の種を持たせ当地に撒くように託された。 道真公のご神霊がこの地に降臨される時、多数の松が一夜にして生じたという伝説は、この事跡によるものといわれる。≫と北野天満宮の説明書きには書かれています。([第162回]《冤罪を晴らす神さま・北野天満宮・その4 文子社・火之御子社・地主神社・老松社 他》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html 参照。) 又、大阪天満宮のホームページの「大阪天満宮の歴史」(http://www.tenjinsan.com/tenmangu.html )には、≪菅公は、摂津中島の大将軍社に参詣した後、太宰府に向いましたが、2年後に・・59歳でその生涯をとじました。(延喜3年/903年2月25日) その約50年後、天暦3年(949年)のある夜、大将軍社の前に突然七本の松が生え、夜毎にその梢(こずえ)は、金色の霊光を放ったと言われます。この不思議な出来事を聞いた村上天皇は、これを菅公に縁の奇端として、同地に勅命を以て鎮座されました。≫と書かれているなど、他にも、菅原道真が大宰府に配流される過程で立ち寄ったという「由緒」のある天神社・天満宮には松に係るお話が多いようで、この彫刻もそれらのお話により、左に梅、右に松、中央に菅原道真を配置して彫られているものと思われます。
↑右側(東側)の彫刻では、菅原道真が牛に乗った姿が彫られています。
「ウィキペディア-天満宮(白井市河原子)」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE_(%E7%99%BD%E4%BA%95%E5%B8%82%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E5%AD%90) には、≪この神社の創建年代については不詳であるが、古くから信仰されてきた神社である。≫と書かれているくらいで、祠が創建されたのがいつかなどは記載されていませんが、祠の大きさは大きくないものの、彫刻はなかなかのものです。
↓西側から見たもの。↓
この社殿は、基本的には、木造でも、「筋交い式」の「戦後型木造」ではなく、「戦前型」の「貫き式木造」ですが、南北方向に、片方向のみながら「筋交い(すじかい)」が入っています。 また、基礎の石と土台との間に「ねこ」をはさんで「床下換気」をはかる「ネコ式土台」を採用しています。 もっとも、この部分などは、土台の上がスケスケですし、基礎の石も特に湿気やすい状況ではなさそうなので、ここに「ねこ」をはさむ必要はないのではないかという気もします。 通風をとるためではなく、自然石の基礎の上に土台を寝かせるため、土台の水平をとるために「ねこ」をはさんで高さの調節をおこなった、ということかもしれません。
※
「猫土台」については、
「Weblio 辞書-猫土台とは」http://www.weblio.jp/content/%E7%8C%AB%E5%9C%9F%E5%8F%B0 他参照。
↑入口、最初の写真の鳥居の西手前に植えられている松(左)と梅(右)です。 鳥居をくぐって社殿に歩む道沿いの桧ほかの樹木は、比較的古くからこの林に生えていたものかと思えますが、入口の松と梅については、菅原道真にゆかりの深い木として、意識して植えられたものではないかと思われます。 最初、行く前に地図で見た際には、あまり大きな神社ではなさそうなので、梅の木と花は見ることはないだろうと思い込んで行ったのですが、ありました。 それも、梅だけでなく、松もありました。
数年前、六本木の新国立美術館で「フェルメール展」が開催された時、「日本経済新聞」に、「絵画は誰にでも同じものが見えるのではない。 同じ絵でも、その人の能力で見るものしか見ることができない。」と書かれていたのを読んだことがあります。 建築も、寺社の建物も、その人間の能力で見ることができるものしか見えない、ということがあるのではないかと思っていたのですが、その人の心の内容で見えるものと見えないものがある、のではないかと今回思いました。
日本の代表的な木に咲く花といえば、まず、桜が思い浮かぶのではないかと思いますが、梅は、悲しい時、人からひどい目にあわされた時、心がめいった時、などになぐさめられる花ではないかと思うようになりました。 桜はたしかに美しいのですが、悲しい時、心がめいった時などには、梅の方が心にしみるような、なぐさめられるような花という気がいたしました。
もしかすると、菅原道真が梅が好きだった・・のではなく、大宰府に左遷されるというその時に、もっとも心にしみる花が梅だったのではないのか、とも思えてきます。 松も幾分、そういうところがあったかもしれません。
付近の農家にも、庭に梅を植えられているおうちがあり、きれいに咲いていました。
なお、神職の住居なのか、社務所なのか?という建物はありますが、神職の常駐はなく、「授与所」や「御朱印」はありません。
【千葉県船橋市南部から、京葉道路「花輪」インターチェンジ付近から クルマで行く経路】
千葉県船橋市の南部よりクルマで行く道を説明します。 通称「ふなとり線」(県道 船橋我孫子線)で北上します。 船橋市南部では、「ふなとり線」と東武野田線はかなり離れていますが、北に行くとともに寄ってきます。鎌ヶ谷市に入り、東武野田線「鎌ヶ谷」駅を過ぎると、左(西)側に野田線の高架が見え、それに沿って北上すると、今度は、右(東)側から新京成電鉄が寄ってきます。新京成電鉄「初富」駅のところでは、東に新京成電鉄、西に東武野田線が見えます。 これを過ぎて北上すると、左(西)に鎌ヶ谷市役所、イオン鎌ヶ谷店が見え、新京成電鉄の踏切を過ぎ、北総開発鉄道の高架をくぐります。高架をくぐってすぐの信号ではなく、その次の信号を右折し、国道464号を東に進みます。
高架をくぐってすぐの信号を右折すると、鎌ヶ谷警察署が北側にあり、そちらに行ってしまった時は、鎌ヶ谷警察署を過ぎてすぐの信号を左折し、その次も左折して、もう一度「ふなとり線」に戻り、右折、右折で国道464号に入って東に進みます。
右側の谷のようなところを北総開発鉄道が通っていますが、左にセブンイレブンが過ぎ、右に「西白井」駅を過ぎ、そして、「Nシステム」を過ぎると、左手前側(北西側)にガストがある「白井市 根(ね)」という交差点に出るので、これを左折します。
しばらく行くと、「市役所入口」という交差点に出ます。左前方(左向こう側)に行けば印西という掲示が出ているので、左に曲がりその道(木下〔きおろし〕街道)を行きます。
さらにしばらく行くと、「白井」という交差点で国道16号にぶつかり、16号を直交すると、信号が2つ続いてあるので、最初の信号ではなく、2番目の信号を左折します。左前方(左向こう側)のかどに洋品店があります。
しばらく進み、河原子橋という橋(運転中は橋の名前を読むことはできないでしょう。)で神崎川という小さい川を越えるとすぐに、左側に「河原子(かわらご)」という千葉レインボーバスのバス停の札が立っており、札のすぐ北に東に行く道、西に行く道があるので、そこを右折して東に行きます。 千葉レインボーバスの「河原子」バス停の札は、一般のバス停の札に比べて背が低いため見落としがちですから、河原子橋を過ぎたあたりで減速して気をつけて進んだ方がいいと思います。南行きにも「河原子」バス停はあり札は立っていますが、右折する道を過ぎてから(北側)なので、左に北方向行きのバス停の札が見えれば、すぐ右折します。 右に入って行く道はそれほど広い大きな道ではありません。大きな道だと思っていると、通り過ぎてしまいます。 そこの写真が↓です。
右に曲がった道を進むと右手に消防団の倉庫が見え、左手に「天満宮」があります。普通自動車なら道の端によせて停めることができますし、「駐車場」なのかどうかわかりませんが、参拝中、クルマ1台くらい停めさせてもらえそうな場所はあるようです。
それほど大きな神社ではありませんが、付近は↓
のような場所(「天満宮」の南東方向)なので、1台や2台なら、停める場所にそう苦労はしないと思いますが、このブログを読んでくださった方が一度に数十人もクルマで押しかける・・などということが、もしも、あったら、その時には停める場所はないかもしれません。そこまでの責任はとれませんので、ご了承ください。
今回、私はこの経路で往復しましたが、「ふなとり線」(県道船橋我孫子線)の「馬込十字路」交差点で右折して木下(きおろし)街道を北東に進んだ方が距離としては短いので、「馬込十字路」より南から行く場合は、その方がよいのではないかと思います。
「Nシステム」の所(国道464号の「白井市根(しろいし ね)」交差点、東行きは北西カドにガストがある交差点 のすぐ西側に、東行き・西行きともNシステムがあります)はできれば通りたくないので、その意味からも、国道464号を東に行くより、木下街道を北東に進んだ方がいいかもしれません。但し、今回、往復とも国道464号を通り、木下街道は通らなかったので、もし、木下街道を行っても、もしかすると、「Nシステム」もしくは同等のものがあるかもしれません。
※「Nシステム」については、
《ウィキペディア-自動車ナンバー自動読取装置》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%AA%AD%E5%8F%96%E8%A3%85%E7%BD%AE
《桜丘法律事務所 N-system 御存じですか?》http://www.sakuragaoka.gr.jp/nsys/
「Nシステムは、すべての車両の移動をTVカメラとコンピュータによって監視・記録保存する、警察庁による国民監視システムです。・・・・ スピード取り締まりなどではありません。・・・ 車を運転する一般国民が、具体的犯罪の容疑者でもない段階から犯罪予防・抑止の名目で一方的に移動状況を監視され、記録され、保存されているのです。」
《マイケルの日記 オービス、Nシステムを見分けてみよう!!》http://suzukidennkitetudou.blog16.fc2.com/blog-entry-332.html など参照。
「マイケル」さんは、オービスとNシステムについて具体的に写真を掲載の上で説明されており、わかりやすくてありがたいのですが、Nシステムについて≪普通の人には全くと言っていいほど関係ないので≫と述べておられる部分については認識が甘いと思います。≪普通の人≫の≪移動状況を監視され、記録され、保存されている≫という事実を国民として認識するべきだと思います。
【電車・バスで行く経路】
白井市河原子の「天満宮」は、千葉レインボーバス(http://www.chiba-rainbow-bus.jp/index.html )の「河原子(かわらご)」バス停から東に歩いてすぐで、同バス停には、「白井駅」(北総開発鉄道)、「新鎌ケ谷駅」(北総開発鉄道・東武野田線・新京成電鉄)、「五香(ごこう)駅」(新京成電鉄)、「高柳駅」(東武野田線)からバスがあるようですが、すべての行き先を合わせても1時間に1本あるかないか(北行きと南行きそれぞれ1時間に1本くらいなので、両方向合わせれば1時間に2本あるかないか)のバスなので、もし、バスで行く場合には、頻繁にバスが来る場所のように「とりあえず行ってみる」方式ではなく、インターネットでも「千葉レインボーバス」の「白井車庫エリア 路線図」http://www.chiba-rainbow-bus.jp/map_shiroi.pdf と「路線別時刻表」http://www.chiba-rainbow-bus.jp/time.html が出ていますので、「西白井線」「鎌ヶ谷線」で、「河原子」バス停に行くバスと発駅、帰りに「河原子」バス停から乗るバスの時刻と行き先を確認した上で行かれることをお勧めします。
最寄駅は北総開発鉄道の「白井(しろい)」駅ですが、地図上で測ると片道4㎞以上あります。
私が持っている『でっか字 千葉 便利情報地図 1:7000&1:21,000 2012年2版』(昭文社)には、この場所の地図に鳥居のマークとともに「浅間神社」と書かれていますが、現地の鳥居の中央には「天満宮」と書かれており(上の最初の写真、参照。)、社殿には菅原道真にちなむ彫刻がされ、入口の鳥居の左側(西側)には道真にちなむ梅と松が植えられています。
「ウィキペディア-天満宮(白井市河原子)」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE_(%E7%99%BD%E4%BA%95%E5%B8%82%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E5%AD%90)
には、名称は「天満宮」とのみ書かれており、「天満宮」では全国にいくつもあり、「○○天満宮」といった名称はないのだろうかと思いましたが、現地に行っても、鳥居のまん中に「天満宮」と書かれているのみで、「○○天満宮」といった固有名詞的な表記はありません。
「天神」とは、もともとは、農耕・狩猟・漁業の収穫を祈った自然神であったと言われ、「天神」という名称の神社であっても、菅原道真より前から存在する神社もあり、すべての「天神社」が菅原道真と関係があるというわけではないと言われ、又、各地の大規模でない神社の場合、もともと、その地域の人たちが生活全般を祈ってきた幸福を願う全般の神さまであったものが、明治維新以降の「国家神道」形成の過程において、いずれかの特定の神さまを指定させられるようになったというものがあり、「由緒」というものが語られていても、明治以降において神社が整理統合されることがあった時に、廃止されることを防ぐために「由緒」が実際以上に強調されてそれが今日にまで至っているものもあるようですが、この白井市河原子の「天満宮」については、社殿に菅原道真にちなむ彫刻がなされていること、入口の左側に道真にちなむ木である梅と松が植えられていること、鳥居に「天満宮」と書かれていることなどから考えると、現在は、菅原道真と縁のある天満宮であると考えてよいのではないでしょうか。
但し、「ウィキペディア-天満宮(白井市河原子)」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE_(%E7%99%BD%E4%BA%95%E5%B8%82%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E5%AD%90) にも、≪この神社の創建年代については不詳であるが、古くから信仰されてきた神社である。≫と書かれているように、昔むかしの最初の創建の時にどうであったのかまではわかりません。 京都の北野天満宮などは平地にあるのに対し、この神社は、この地域の中では少し高くなった場所で樹木の茂った森林の中にありますから、もしかすると、最初の最初は、山岳系のものであったという可能性もないとは言えないかもしれません。
≪ 御霊信仰では、特定の個人の御霊のたたりをも、おそれて鎮める必要があった。このような人格神的な御霊神の典型は、菅原道真の御霊と雷神が習合して成立した天神の信仰であった。天神は、もともと天の神を意味し、地方神としても祀られていたが、怨みを呑んで死んだ菅公の御霊は、落雷などのはげしいたたりをすると信じられ、平安京の北野に天満大自在天神として祀られた。御霊と雷神が結びついたのは、落雷等の自然災害を、御霊のしわざと信じたためであったが、中世には、天神の御霊神としての性格は薄れ、もっぱら文字詩歌などの学芸の神として信仰されるようになった。≫(村上重良『国家神道』1970.11.27.岩波新書)
最近では、白井市も住宅地として開発されてきましたが、この付近は、もともと、農業地帯であり、「農業と天候の神」に、全国的に人気のある菅原道真が結びついて、農業と天候の神としての「天神」及び菅原道真を祀る神社として定着したもの、又、社殿の前に、「羽黒山参拝記念」だったかなどの石碑が複数たっていたことや、少し高い場所の森林の中に社殿があることなどから考えて、もしかすると、山岳系・修験道系の要素もいくらか持っていたのかもしれないかな・・・とも思えますし、『でっか字 千葉 便利情報地図 1:7000&1:21,000 2012年2版』(昭文社)に「浅間神社」と書かれているのも、そのあたりが、もしかするといくらか関係している可能性もあるのかもしれません。 入口左側に菅原道真にゆかりのある梅と松の木が植えられていますが、鳥居から仲にはいった参道の周囲の雰囲気と入口付近の雰囲気に多少の違いも感じられます。 地域の人たちの生活全般の神に山岳系の要素が加わり、さらに、農業と天候の神である「天神」と「天神」に結びついた菅原道真が加わった・・という流れも可能性として考えられるのではないでしょうか。 もちろん、これらは、あくまで推測・推論のひとつです。
今回、ガイガーカウンターを持って行くのを忘れてしまいましたが、千葉県柏市・流山市・松戸市・埼玉県三郷市・東京都葛飾区付近は、放射能の「ホットスポット」になってしまったようで、白井市は、すぐ北側に柏市に隣接しており、放射線量がどうなのか、少々、不安ができてしまいました。 原発事故と放射能汚染はたいへん悲しく思います。 危険なものを安全であるかのような詭弁を弄して建設・操業するのは慎んでいただくようお願いしたいと思います。
(2013.3.17.)
☆怨念を晴らす旅・冤罪を晴らす神さま・菅原道真 シリーズは、
1.平河天満宮(東京都千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
2.葛飾天満宮(千葉県市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
3.亀戸天神社(東京都江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
4.北野天満宮(京都市上京区)
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
5.意富比神社 末社 天神社(千葉県船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
6.北野神社(「牛天神」)(東京都文京区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
に続き、今回が第7回です。 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らす旅・天神社お百度参りは、まだまだ続きます。
※白井市河原子の「天満宮」の地図は、
「ヤフー地図-千葉県白井市河原子274」http://maps.loco.yahoo.co.jp/maps?lat=35.81391330&lon=140.06376428&ac=12232&az=5.274&z=16&id=&fa=pa&ei=utf8&p=千葉県白井市河原子-274 他参照。
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