千葉神社・千葉天神 参拝 〔上〕千葉神社社殿・尊星殿他
[第181回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(9)〔上〕
1. 千葉市中央区院内にある 千葉神社 と 摂社・千葉天神 に参拝いたしました。 千葉神社には、これまでに複数回、訪問したことがありましたが、今回は、千葉天神の方を中心に参拝いたしました。
※「ヤフー地図‐千葉市中央区院内」http://maps.loco.yahoo.co.jp/maps?lat=35.61290396&lon=140.12435139&ac=12101&az=9&z=16&id=&fa=pa&ei=utf8&p=%E5%8D%83%E8%91%89%E7%9C%8C%E5%8D%83%E8%91%89%E5%B8%82%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%8C%BA%E9%99%A2%E5%86%85
↑ 東側(国道126号側) 入口
千葉神社の東側は国道126号に面しており、少し南に行くと、(中央区にある)若葉郵便局(本局)、中央区役所、京葉銀行本町支店などがあり、北側の道を西に行くと、栄町から三越千葉店にぶつかるという場所で、この道より西側が千葉市中央区の市街地になっています。 私は、今回、クルマで行きました。千葉神社には参拝者が無料で停められる駐車場などはないようですが、北側の道を隔てた向かいに、相当多くの台数を停めることができる有料時間パーキングがあり、私もそこに駐車しました。 鉄道の駅では、JR総武線の「東千葉」が最寄駅です。 地図で距離を測ると、それほど距離があるわけではないのですが、東千葉駅からの道は、クルマの通行量の多い道なので、歩道はありますが、歩いて気持ちのいい道ではありません。 むしろ、西側の方が昼間は歩くにはよさそうな感じではありますが、この北西方向は、いわゆる栄町のソープランド街なので、良い子は行くところではない? かもしれません。
JR総武線の「東千葉」駅は、今現在は、国道126号のガード下にあって、どうも、「中途半端な感じの駅」という感じがするのですが、千葉市の住人が言うには、「東千葉」駅は、もともとの「千葉」駅であった由緒ある駅だそうです。そういわれて、地図を見ると、昔は、現在の「西千葉」駅付近から、かつて「千葉」駅であった現在の「東千葉」駅まで、このあたりを線路が通っていたのかな? と思えるものが見えます。
在東京圏関西人(「日本とは東京のことである」と思っている人からすれば、「在日関西人」)といたしましては、千葉県で東京の都市圏は市川市・船橋市までか、せいぜい習志野市まで、電車の駅で言うならJR総武線なら「津田沼」までという感覚がある。 津田沼あたりまでは東京の通勤圏であろうが、千葉市から東・南は茨城県・栃木県・群馬県・山梨県・山形県と一緒で、「相模原なんてのまで入ったバブル政令都市に指定されたなんて言ったって、千葉市な~んて、水戸・宇都宮・前橋・甲府のなかまでしょうがあ~あ。」と言うと、「失礼な!」と「千葉市民」に怒られたのですが、しかし、「失礼な!」なんて言うと、それは、むしろ、水戸・宇都宮・前橋・甲府に対して失礼ではないか。
むしろ、宇都宮市は栃木県では最大の都市で栃木県中北部の中心都市という性格を持ち、その付近では一番の街であり、甲府は山梨県では最大の都市でその付近では中心地であるのに対し、千葉市の場合、寄せ集めの市であって、「中央区」という名称の区にしても、県庁や裁判所・県警本部などがそこにあるものの、「中央」というほど中央の性質があるわけでもなく、幕張・新検見川あたり(花見川区あたり)の住人には顔が「中央区」よりも西の東京の方を向いている住人も少なからずいる。
実際、宇都宮市は、明治維新の後の廃藩置県の時、北半分が宇都宮市を県庁所在地とする宇都宮県、南半分が栃木市を県庁所在地とする栃木県となり、その2県が合併して栃木市を県庁所在地とする栃木県が成立し、後に、自由民権運動を弾圧したとして悪名高い福島県令・三島通庸が栃木県令を兼任した時に、県庁所在地を福島県よりの宇都宮市に移して「宇都宮市を県庁所在地とする栃木県」となったという経緯があり、明治維新の頃から宇都宮はその地域の中心地であったのに対し、千葉県の場合は、明治の廃藩置県の時は、印旛県と木更津県とあとなんだっけとができて、それが合併した上で印旛県の北寄りが茨城県に移り千葉県になったのであり、たしか、明治維新直後は千葉市よりも銚子市とか船橋市の方が人口も多かったはずで、歴史的に見れば、宇都宮市の方が千葉市よりも都市としての歩みは古いはずなのです。
甲斐の国(山梨県)で最も有名な「武将」といえば、甲府駅前にでんと座っている武田信玄で、その武田信玄の本拠地は甲府であったわけですが、千葉県(安房・上総・下総)で有名な「武将」「殿様」といえば、『南総里見八犬伝』の里見さんか、成田市の宗吾霊堂に祀られる義民・佐倉惣五郎の仇役というのか悪役の殿さま・堀田某さんか、大多喜城の家康の配下の本多忠勝さんかで、千葉某さんという殿さまはたしかにおられたものの、モノレールの「県庁前」駅から東を見ると「千葉城」の天守閣のようなものが見えるけれども姫路城や彦根城のような“本物”ではなく鉄筋コンクリート造の「郷土博物館」だし、やっぱり、千葉さんには悪いが「山梨県と言えば武田信玄」というほどの存在感は千葉さんにはない。(もっとも、山梨県では、「武田信玄がほうとうを作った」とか、なんでもかんでも「武田信玄が・・」にしてしまうきらいがあるが、「ほうとう」を作ったのは、たぶん、信玄ではなく板前さんというのか料理人だと思うぞ。たぶん。 「武田信玄が甲府五山を作った」というが、それも「作った」のは大工さんだと思うし・・・。)
そして、市川市・船橋市あたりの住人は、大阪市と和歌山市の間の大阪府堺市などは和歌山県和歌山市よりも大阪府堺市の方が都会だと思っているごとく、たとえ同じ千葉県であっても千葉県市川市・千葉県船橋市の方が千葉県千葉市より“都会”だと思っている、「中核市」の船橋市の方が「政令都市」の千葉市より“街”だと思っているのであり、まあ、幕内の定員を増やしたことでもともと十両の力士まで幕内になったみたいな「政令都市」に加わったからといって、だから何よ・・・て感じ・・・というと、またもや、「千葉市民」に怒られるかもしれないが、まあ、しかし、私が小学生であった1960年代後半は「七大都市」といって、東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸・北九州の7都市だけであったころの「政令都市」と違って、最近は「政令都市」も「国民栄誉賞」と同じくなんだか安っぽくなってきたものだ。
千葉県民には、「くさかんむり なんかに住めるかあ~あ!」とか言って、「くさかんむり」の茨城県をイナカだと馬鹿にするようなことを口にする者がおるのであるが、そういう人は、たぶん、気づいていないと思うのだ。 実は、「千葉県」も「くさかんむり」であることに・・・・。 (よく見てください。 「茨城県」だけに「くさかんむり」があるのではなく、実は、「千葉県」も「くさかんむり」なんです・・・。) だいたいですねえ、 “ 納豆界の名門・水戸 ” と、“ ピーナッツ界のシャネルかサルバトーレ=フェラガモのようなブランド・(千葉県)八街(やちまた)” ・・・・って、なんか、別に悪いとは言わんが、似た者同士みたいな感じがするのだが、そう言うと、また、「千葉市民」に「失礼な!」とか怒られそうだが、それって、水戸に失礼だと思うのだが、「失礼な!」という「千葉市民」というのは、「千葉市は水戸・前橋・宇都宮・甲府のようなイナカではない。横浜とともに東京圏の“都会”である。“シティー”である。」とか思っとるのじゃないかと思うのだが・・・・。 いなかくせえ。その発想がいなかくせえ・・・・、と言うと、ますます「千葉市民」に怒られるかもしれないが・・・・・、まあ、・・・・うん、やっぱり、あんまり「都会」じゃないと思うな。
かつて、福島県いわき市に住んだ時、「いわき市って、福島県では最大の都市でしょ。」とか「いわき市は東北地方では仙台の次の大都市でしょ」とか言うと(人口で見ると、福島県では、いわき市が最大で、次いで郡山市、県庁所在地の福島市は3番目。 東北地方では、仙台市が最大で「政令都市」、2番目が いわき市、3番目が郡山市、4番目が秋田市でこの3市が「中核市」。)、先祖代々の いわき市民から、「バカか、おめえ。 おめえ、いわき を“大都市”だなんて思ってんのか? おめえ、いわき を都会だなんて思ってんのか? バカか? 都会のわけねえべえ~え。 いわき は いなか。 正真正銘のいなかだっぺえ~え。」と言われたものだ。 いわき市民は、その多くが、都会ぶりたがることのない人たちであり、なんとか「都会」扱いしてほしい! という強烈な意識のある千葉市よりも、「いなかだっぺえ~え」で何が悪いよ、と、別段、都会ぶろうともしない いわき市の方が「いなかくささ」がないような気もする。 アンブローズ=ビアス『悪魔の辞典』(角川文庫)には、≪ M ETROPOLI S, n. 【首都】 いなか根性の砦(とりで)。 ≫と書かれている。 在来木造の某社で栃木県の営業所に勤務した時、他県から赴任して栃木県の営業所に勤務する人間に、「栃木県というのは、都会でないにもかかわらず、都会ぶりたい人間が多い県だ」と言う人が複数あった。 もしかすると、そういう傾向は幾分あるかもしれないと私も感じた。 隣接県でも、福島県と栃木県なら、福島県人は別段都会ぶりたいなどということはないのに対し、栃木県では「栃木県は都会だ。」「栃木県は東北ではない。関東だ。」と言いたいみたいな雰囲気がたしかに感じられたように思う。 千葉県においても、「『水戸・宇都宮・前橋・甲府の仲間』だなんて、失礼な」という言葉が出てくるあたりは、やはり、「都会でないわりに、都会ぶりたい気質の県」という性質がいくらかあるかもしれない。「ちゃいばは都会だにゃ~あ。 まくはり~い、とか、うらやす~うの東京ディズニーランドとか、成田の東京国際空港とかあって、都会だにゃ~あ。 いばらきみたいな『くさかんむり』とはちがうんだにゃ~あ。 豆もっこりを水戸納豆と一緒にしてほしくないにゃ~あ。 」とか思って、「都会だ!」と思いたいという強い強い意志がある・・・・って、いなかくせえ~え・・・、その発想がいなかくせえ、いかにも、いなかって感じ、というと、ますます、怒られるかもしれないが、そんなところがある。
※「豆もっこり」を知らない方は、
⇒《exciteニュース―千葉で大人気!? まめもっこり 》http://www.excite.co.jp/News/bit/00091160137316.html 参照。
海浜幕張に球場を持つ千葉ロッテマリーンズという球団あるが、いっそのこと、もっと千葉化して、東部の八街市あたりに本拠地を持ってきて、「マリーンズ」よりもいかにも千葉県て感じの名称として「ピーナッツ」として、チーム名「八街(やちまた)ピーナッツ」とくれば・・・・、そのまんま・・・で悪くないような感じも・・・・。
2. 千葉神社 「妙見さん」 社殿。
↑ 社殿。
≪ 平成2年(1990年)造営の新社殿は、当社の前身・北斗山金剛授寺に因んで、二階拝殿を“北斗殿”、一階拝殿を“金剛殿”と称し、どちらからでも厄除開運・八方除・身上安全の御神徳を戴けるようになっております。≫
と千葉神社でいただいてきた「由緒書き」には書かれています。 2階建てになっていても、1階と2階で別の「神さま」がいらっしゃるわけではなく、どちらかられも参拝できるようになっていて、祀られているのは1階も2階も「天之御中主大神(あめのみなかぬしのかみ)(妙見さま)」であることに違いはないそうです。
「妙見(みょうけん)さん」、及び、「天之御中主大神(あめのみなかぬしのかみ)」とは何者なのか? 関西人(「在日関西人」)としては、関西で「妙見さん」というと、兵庫県川西市と大阪府豊能郡豊能町と豊能郡能勢町の境目にある能勢の「妙見さん」のことで、あれは「妙見山(みょうけんさん)」という山にある神社なのかお寺なのかなので、「妙見さん」だとばっかり思っていたら、千葉市にも、しかも、山地ではなく平地に「妙見さん」を祀る神社があったとは・・・・て感じがするのです。 「能勢の妙見さん」は神社かお寺かというと、《能勢妙見山》ホームページの「歴史(由緒・縁起)」http://www.myoken.org/rekishi.html を見ると、≪能勢妙見山には鳥居があり「妙見宮」とも呼ばれますが、『日蓮宗霊場能勢妙見山』とあるように、日蓮宗のお寺です。能勢妙見山は、能勢町地黄の眞如寺の飛び地境内となっており、正式には「無漏山眞如寺境外(けいがい)仏堂能勢妙見山」といいます。≫と書かれているので、お寺です。 で、千葉市中央区の千葉神社は「千葉神社」と名前がついているからには、神社です。 なんで? って言っても、そうらしいのです。
戸部民夫『日本の神さまがわかる本』(2005.1.5. PHP研究所)を見ると、「天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」の項に、
≪ アメノミナカヌシの神と聞いても、あまりイメージがわかない人が多いと思うが、安産守護の水天宮の祭神、あるいは長寿や眼病守護の妙見菩薩(みょうけんぼさつ)の呼び名では、かなり知られている神様である。≫
≪ 日本の神様は、時代によって表情を変えることが多い。 アメノミナカヌシ神は、近世以降、妙見菩薩、妙見さんと呼ばれて、広く庶民に親しまれた。
「天の中心の至高神」という性格が、中国の道教の影響を受けた北極星信仰と結びつき、それが室町時代以降、日蓮宗で盛んになった妙見信仰と習合したのである。
妙見信仰は、北極星や北斗七星を崇めるもので、その神格化である妙見菩薩の全知全能の徳によって、衆生の苦しみが救われると信じられた。
妙見さんを祀るのが妙見社・妙見宮で、全国に三十数社ある。 その御利益は、長寿・息災・招福などで、水晶のように澄みきった目で物事の真相を見極めるとされることから、とくに眼病の神としての信仰が篤い。 ・・・≫ と書かれている。
『古事記』(倉野憲司校注 岩波文庫)には、冒頭に、
≪ 天地(あめつち)初めて發けし(ひらけし)時、高天(たかま)の原に成れる神の名は、天之御中主(あめのみなかぬしの)神。 次に高御産巣日(たかみむすひの)神。 次に神産巣日(かみむすひの)神。 この三柱(みはしら)の神は、みな獨神(ひとりがみ)と成りまして、身を隠したまひき。≫ とある。
千葉神社の由緒書きを見ると、
≪ 御祭神 天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)(妙見さま)
相殿(あいどの) 経津主神(ふつぬしのかみ) 日本武尊(やまとたけるのみこと)≫
と書かれている。
経津主神(ふつぬしのかみ)は、武光 誠『日本人なら知っておきたい 神道と神社』(2007.1.10. 河出書房新社)の「香取神宮[千葉県香取市]」の項に、
≪千葉県の香取神宮は、茨城県の鹿島神宮とならぶ東国の有力な古社である。そこにまつられた経津主神(ふつぬしのかみ)は、剣(つるぎ)の神であり武神であるとされる。
日本神話で経津主神は鹿島神宮の祭神、武甕槌神(たけみかづちのかみ)とならぶ天照大神(あまてらすおおみかみ)を護衛する神である。 しかし日本神話での経津主神は影は薄い。
国譲り神話には、武甕槌神と経津主神が大国主命を従えたとする形のものと、武甕槌神と天鳥船神(あめのとりふねのかみ)が大国主命を服属させたとするかたちのものとがある。武甕槌神の活躍の場は多いのに、経津主神は二通りの国譲りの物語のなかの一方にしか登場しない。 ・・・ ≫とある。
由緒書きには、≪ 主祭神・天之御中主大神(あまのみなかぬしのおおかみ)(北辰妙見尊星王〔ほくしんみょうけんそんじょうおう〕)は、その御神名の通り天の中央を定位(じょうい)とし、全宇宙の諸星諸神を掌握せし最高尊貴なる北辰(ほくしん)、すなわち北極星と北斗七星の神霊であるとされております。≫ と書かれている。
《ウィキペディア―千葉神社》 によると、≪千葉氏の守護神である妙見菩薩を本尊とする寺院(千葉妙見宮)として建立され≫、≪江戸時代までは北斗山金剛授寺尊光院と称する真言宗の寺院であったが、明治初年の神仏分離によって神社となり、本尊も祭神に改められた。ただし、妙見菩薩と天之御中主大神は長年神仏習合によって同一とみなされてきた経緯があり、今日でも同社が日本有数の「妙見信仰」の中心とされてきている事には変わりがない≫そうだ。
戸部民夫『日本の神様がわかる本』(2005.PHP研究所)で「天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」のところを見ると、「代表的神社」として、東京都中央区日本橋蠣殻町 の東京メトロ半蔵門線「水天宮前」・日比谷線「人形町」駅の近くの水天宮、福岡県久留米市の水天宮他があげられている。 「水天宮」のホームページ(http://www.suitengu.or.jp/index.html )を見ると、≪安産・子授け≫とまず出ているように、「天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」を祀る神社でも「水天宮」は≪安産・子授け≫の神様というイメージであるが、「妙見さん」というと、≪とくに眼病の神としての信仰≫、≪水晶のような澄みきった目で物事の真相を見極める≫という神徳、そして、≪中国の道教の影響を受けた北極星信仰と結びつき≫(『日本の神様がわかる本』)、易学・気学・風水とのつながりが考えられ、千葉神社の場合、易学・気学・風水とのつながりからの北極星・北斗七星信仰からくる「妙見さん」の神社という性格が強い印象を受けました。
大阪府の能勢の「妙見さん」は日蓮宗の寺の飛び地ですが、千葉神社は元・真言宗の寺であったというだけあって、どちらも「妙見さん」を祀っているといっても、雰囲気はかなり違います。
道鏡の影響を受けた北極星・北斗七星の信仰と仏教の妙見菩薩とは比較的古くに結びついたもので、『古事記』に登場する「神」である「天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」と結びついたのは明治以降ではないでしょうか。 江戸時代においては、東京都中央区の水天宮の神さまと千葉神社の神さまは別の神さまで、明治になって、『古事記』『日本書紀』の神さまと結びつけるときに、どちらもが「天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」と結びつけたということではないでしょうか。
相殿として、経津主神(ふつぬしのかみ) と 日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀っているということですが、記紀の神さまとしては武甕槌神(たけみかづちのかみ)に比べて存在感が薄い経津主神(ふつぬしのかみ)が選ばれたのは、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮の武甕槌神(たけみかづちのかみ)よりも、同じ千葉県の香取神宮(http://www.katori-jingu.or.jp/index.htm )の経津主神(ふつぬしのかみ)を選んだということで、 日本武尊(やまとたけるのみこと)は、天皇制国家主義者に対してのごきげんうかがいとしてでしょう。 本来、千葉神社の前身・北斗山金剛授寺尊光院の本尊・妙見菩薩が、明治の神仏分離で「寺か神社か」という時に、「能勢の妙見さん」は「寺」を選んだのに対して、千葉神社は「神社」を選んだことから、「本尊・妙見菩薩」が「主祭神・妙見さま」になり、明治以来の『古事記』『日本書紀』に登場する「神」と結びつける動きの中で「天御中主神」が「妙見さま」と結びつけられた・・・・というところでしょうか。 それに、「3柱」として2柱つけ加える際に、下総国の一の宮としての香取神宮の神とされる経津主神(ふつぬしのかみ)、それに天皇制国家へ“忠誠心”を示して日本武尊(やまとたけるのみこと)を相殿としたということかな・・という感じがします。 本来は、「妙見さん を祀る寺というのか神社というのか」で、「眼の神さま」よりも、「易学・気学・風水の神さま」の性格が強い神社ではないでしょうか。
(↑ クリックすると大きくなります。大きくして御覧ください。)
「二拝二拍手合掌 三度奉唱 二拍手合掌一拝」 と書かれています。 ともかく神社であれば、「2礼2拍手1礼」(「2拝2拍手1拝」)かと思っていたら、そうではないようです。 お寺の「焼香」でも、3回が基本かと思っていたら、そうでもなく、宗派によって回数は異なるのと同じく、神社でも、「2礼2拍手1礼」(「2拝2拍手1拝」)と決まっているわけではないようです。
3. 千葉神社 尊星殿(そんじょうでん)
↑ 分霊社 尊星殿(そんじょうでん) (南面。 公園側から見たもの。)
↑ 分霊社 尊星殿(そんじょうでん) (北面。)
↑ 分霊社 尊星殿(そんじょうでん) (北面。)
「尊星殿(そんじょうでん)」というのは、本殿と別の神さまを祀っているというわけではなく、「分霊社」で、
≪ 星王である妙見様が掌握する日月星(じつげつじょう)の三光のそれぞれの役割を、中央に八角形に配された八つの宮と、左右楼の二本の御柱が担っております。
中央「福徳殿」は御祭神・妙見尊星王の御分霊を奉斎し、陰陽道や気学・風水学と関わり深い妙見様の御神徳により、各方位・五行・十二支・人間の身体各部等の役割を個々に担い、各人が自己の星(運気)の向上や守護を願って参拝できるようになっております。≫
≪ また左右楼には、東に日天神(にってんしん)の神霊依代(しんれいよりしろ)・陽明柱(ようめいちゅう)、西に月天神(がってんしん)の神霊依代・光輝柱(こうきちゅう)が立てられており、それぞれに触れることにより、陽気・活性作用と生気・浄化作用による加護をいただけるとされております。≫(由緒書き)ということだそうです。
北側から尊星殿(そんじょうでん)を見ると、中央部の屋根の上に、四角形のものがぴょこんとおまけみたいについているのが見えます。 (↑ 尊星殿の3枚の写真のうち、まん中の写真。)
中央部の屋根とその上の「おまけ」だけを写真にとると↓ となります。
↑ 尊星殿 の屋根とその向こうのマンション「ダイヤパレス 千葉中央公園」の看板塔
市街地の寺社の場合、多少はやむをえないところもあるかもしれませんが、この「ダイヤパレス 千葉中央公園」の看板塔、もうちょっと、なんとかならないものでしょうか。 「建築家」というのは、周囲の自然や既存建物、周囲の施設がどうであるかなどおかまいなしに、「建築は爆発だ!」 「アイアム、ナンバーわ~ん!」みたいな調子で、自分の建物だけのことを考えて建てる者のことではなく、周囲の自然や既存建物との調和、特に、周囲に宗教施設がある場合には、その施設との調和を考えて建てることができるのが、優秀な「建築家」ではないのでしょうか? 比較的古くからある宗教施設の建物を無視して自分の建物が「アイアム いちば~ん!」とか隣接して建てたがる「建築家」は野蛮だと思います。
※「○○は爆発だ!」を知らない方は、
⇒《YouTube―「芸術は爆発だ!」「何だ、これは!」 岡本太郎は何者? 2/2 》http://www.youtube.com/watch?v=G9I1hEzv6Hk 参照。
※「アイアム、ナンバーわ~ん」は、
⇒《YouTube―TV放送版ノーカット!スタン・ハンセンvsハルク・ホーガン №1 レスリングサミットin・・・》http://www.youtube.com/watch?v=9qYKodXkOyE 参照。
《YouTube― 一番 ハルク・ホーガン(Itch Ban / Hulk Hogan) 》http://www.youtube.com/watch?v=BJigJNkwqEo 参照。
このマンションの設計をおこなった「建築家」は知らないのでしょうか。 「家相上、寺社の隣接地は特に要注意」であるということ。 そして、「基本的には、神社、寺は、見上がるのは良いが、見下ろすものではない。」ということを。 そういうことも知らずに建築やっているのだろうか。 そんなことも考えずに「建築家」を名のっているのだろうか? 読んだ本を忘れてしまったが、ホテル・ニュージャパンの火災事故が、なぜ発生したか、というと、実は、ホテル・ニュージャパンは、日枝神社(http://www.hiejinja.net/ )を見下ろすように建っていたのであり、その点で、家相上、凶相の建物であったからである、と書かれた家相の本を読んだことがある。 実際に、だから、火災事故が発生したのかどうかはわからない。 しかし、そうであってもなくても、比較的古くからある寺社を見下ろすような建物というのは、悪趣味である。 そう思いませんか?
私が大学を卒業して最初に勤めた木質系某社の最初の研修で、「敷地調査では、隣家がどの位置に立っていて、隣家の窓の場所はどこかまで調査し、隣家と窓の場所が重ならないように図面を作る」と教えられた。なるほど、プロの建築会社が建てるからには、敷地調査はそこまでやるものなんだと思った。 ところが、その後、在来木造の某社に勤めると、在来木造の某社ではそういうことをやっていなかった。 私が「隣家の窓の場所とかは調べないのですか」と言うと、営業所(展示場)の「リーダー」であった1級建築士が、「隣の家の窓がどこにあるかなんて、そんなこと調べる人間なんかいるわけないじゃん。なんで、そんなもの調べるのよ。」と言ったので、なんか、レベルの低い会社だなあと思ったが、在来某社の営業本部長は私がそう思うことの方のが気に食わなかったらしい。
しかし、隣接地がどうなっているか、戸建住宅ばかりが建っている場所に戸建住宅を建てるなら、隣家がどうなっているかは、考えて建てるべきである。 木質系某社で私が担当させていただいたお家では、隣家の息子の部屋があるところの向かいに娘の部屋がきそうだということで、娘の部屋の窓を出窓にして、出窓の正面部分は壁で塞ぎ、出窓の横の部分に窓を設けるようにしたということがある。 そういうことを考えて作ってこそ、プロの建築屋であり、「隣の家の窓がどこにあるかなんて、そんなこと調べる人間なんかいるわけないじゃん。なんで、そんなもの調べるのよ。」という認識・姿勢はプロの姿勢ではないと思ったのだが、在来木造の某社では「そんなこと考えるバカいるわけないじゃ~ん。」とか言う人が多かった。 マンションの建築でもそうなのだろうか。
特に、宗教施設の隣で建てる時は、十分に考えて建てるべきだと私は思う。 在来木造・某社にいた時、平気で、三隣亡の日に上棟(棟上げ)をする営業がいた。 「そんなことやっていいの?」と言っても、「いいんだ、いいんだ」と言っていたが、やめた方がいいのではないかと私は思った。 私は、私が担当のお施主様には、「いろいろな考え方があるでしょうけれども、『三隣亡(さんりんぼう)』というのは、この日に、上棟、柱立てなどをおこなうと、『三軒隣りまで亡びる』という日です。 自分の家の東西南北、それぞれ3軒隣りというと、7軒×7軒=49軒です。 49軒の家で、向こう3年間くらいの間というと、いいこともあれば、悪いことだってないとはいえないと思います。そういうときに、『あそこの家が、三隣亡に上棟したからだ』ということになれば、恨まれてしまいます。 だから、わざわざそういう日に上棟しなくてもいいと思うので、『三隣亡でない日で、大安か友引の日』、どうしても無理なら、『三隣亡でない日で、仏滅以外の日』に上棟するようにしましょう。」と言ってきました。 鬼門方位のトイレとかはできれば避けて、どうしても避けることができないなら便器の位置だけでも鬼門方位15度からずれるように考え、もし、鬼門方位15度の中に便器が入っているようなら、お施主様にそれを話してお施主様の考えを確認するようにしました。 建築とはそういうことを考えてやるものではないのでしょうか。 神社の建物の屋根の上にぴょこ~んと突き出たマンションの看板塔は、やはり、変です。 但し、このマンションの場合は、千葉神社はかなり前からある神社ですが、建物は比較的最近に建て替えられているようなので、このマンションが建てられ、看板塔が設けられた時点では、まだ、この尊星殿は建てられていなかった、マンションと看板塔の方が尊星殿より先に建てられたという可能性もあります。 しかし、この場所に限らず、寺社の屋根の上にぴょこ~んとでたマンションの建物というのは、時々、見かけます。 すべての場合に、問題なく処理できるかどうかはわかりませんが、家相上、「寺社や墓地は、見上げるのは良いが、見下ろすものではない。」という基本を踏まえて、設計するのが、本来の「建築家」であろうと思うし、建物が木質系ではなく鉄筋コンクリート造であっても、それは変わらないと思います。
(2013.5.16.)
☆ 「千葉神社・千葉天神 参拝」は〔上〕と〔下〕の2つに分けて公開させていただきます。 〔下〕https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html では、千葉神社 摂社 千葉天神 と その他 末社の「家作」形式、「長屋」形式社殿の神さま、それに、千葉市中央区鵜の森町の「千葉神社 の 神札」について述べます。 御覧くださいませ。
1. 千葉市中央区院内にある 千葉神社 と 摂社・千葉天神 に参拝いたしました。 千葉神社には、これまでに複数回、訪問したことがありましたが、今回は、千葉天神の方を中心に参拝いたしました。
※「ヤフー地図‐千葉市中央区院内」http://maps.loco.yahoo.co.jp/maps?lat=35.61290396&lon=140.12435139&ac=12101&az=9&z=16&id=&fa=pa&ei=utf8&p=%E5%8D%83%E8%91%89%E7%9C%8C%E5%8D%83%E8%91%89%E5%B8%82%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%8C%BA%E9%99%A2%E5%86%85
↑ 東側(国道126号側) 入口
千葉神社の東側は国道126号に面しており、少し南に行くと、(中央区にある)若葉郵便局(本局)、中央区役所、京葉銀行本町支店などがあり、北側の道を西に行くと、栄町から三越千葉店にぶつかるという場所で、この道より西側が千葉市中央区の市街地になっています。 私は、今回、クルマで行きました。千葉神社には参拝者が無料で停められる駐車場などはないようですが、北側の道を隔てた向かいに、相当多くの台数を停めることができる有料時間パーキングがあり、私もそこに駐車しました。 鉄道の駅では、JR総武線の「東千葉」が最寄駅です。 地図で距離を測ると、それほど距離があるわけではないのですが、東千葉駅からの道は、クルマの通行量の多い道なので、歩道はありますが、歩いて気持ちのいい道ではありません。 むしろ、西側の方が昼間は歩くにはよさそうな感じではありますが、この北西方向は、いわゆる栄町のソープランド街なので、良い子は行くところではない? かもしれません。
JR総武線の「東千葉」駅は、今現在は、国道126号のガード下にあって、どうも、「中途半端な感じの駅」という感じがするのですが、千葉市の住人が言うには、「東千葉」駅は、もともとの「千葉」駅であった由緒ある駅だそうです。そういわれて、地図を見ると、昔は、現在の「西千葉」駅付近から、かつて「千葉」駅であった現在の「東千葉」駅まで、このあたりを線路が通っていたのかな? と思えるものが見えます。
在東京圏関西人(「日本とは東京のことである」と思っている人からすれば、「在日関西人」)といたしましては、千葉県で東京の都市圏は市川市・船橋市までか、せいぜい習志野市まで、電車の駅で言うならJR総武線なら「津田沼」までという感覚がある。 津田沼あたりまでは東京の通勤圏であろうが、千葉市から東・南は茨城県・栃木県・群馬県・山梨県・山形県と一緒で、「相模原なんてのまで入ったバブル政令都市に指定されたなんて言ったって、千葉市な~んて、水戸・宇都宮・前橋・甲府のなかまでしょうがあ~あ。」と言うと、「失礼な!」と「千葉市民」に怒られたのですが、しかし、「失礼な!」なんて言うと、それは、むしろ、水戸・宇都宮・前橋・甲府に対して失礼ではないか。
むしろ、宇都宮市は栃木県では最大の都市で栃木県中北部の中心都市という性格を持ち、その付近では一番の街であり、甲府は山梨県では最大の都市でその付近では中心地であるのに対し、千葉市の場合、寄せ集めの市であって、「中央区」という名称の区にしても、県庁や裁判所・県警本部などがそこにあるものの、「中央」というほど中央の性質があるわけでもなく、幕張・新検見川あたり(花見川区あたり)の住人には顔が「中央区」よりも西の東京の方を向いている住人も少なからずいる。
実際、宇都宮市は、明治維新の後の廃藩置県の時、北半分が宇都宮市を県庁所在地とする宇都宮県、南半分が栃木市を県庁所在地とする栃木県となり、その2県が合併して栃木市を県庁所在地とする栃木県が成立し、後に、自由民権運動を弾圧したとして悪名高い福島県令・三島通庸が栃木県令を兼任した時に、県庁所在地を福島県よりの宇都宮市に移して「宇都宮市を県庁所在地とする栃木県」となったという経緯があり、明治維新の頃から宇都宮はその地域の中心地であったのに対し、千葉県の場合は、明治の廃藩置県の時は、印旛県と木更津県とあとなんだっけとができて、それが合併した上で印旛県の北寄りが茨城県に移り千葉県になったのであり、たしか、明治維新直後は千葉市よりも銚子市とか船橋市の方が人口も多かったはずで、歴史的に見れば、宇都宮市の方が千葉市よりも都市としての歩みは古いはずなのです。
甲斐の国(山梨県)で最も有名な「武将」といえば、甲府駅前にでんと座っている武田信玄で、その武田信玄の本拠地は甲府であったわけですが、千葉県(安房・上総・下総)で有名な「武将」「殿様」といえば、『南総里見八犬伝』の里見さんか、成田市の宗吾霊堂に祀られる義民・佐倉惣五郎の仇役というのか悪役の殿さま・堀田某さんか、大多喜城の家康の配下の本多忠勝さんかで、千葉某さんという殿さまはたしかにおられたものの、モノレールの「県庁前」駅から東を見ると「千葉城」の天守閣のようなものが見えるけれども姫路城や彦根城のような“本物”ではなく鉄筋コンクリート造の「郷土博物館」だし、やっぱり、千葉さんには悪いが「山梨県と言えば武田信玄」というほどの存在感は千葉さんにはない。(もっとも、山梨県では、「武田信玄がほうとうを作った」とか、なんでもかんでも「武田信玄が・・」にしてしまうきらいがあるが、「ほうとう」を作ったのは、たぶん、信玄ではなく板前さんというのか料理人だと思うぞ。たぶん。 「武田信玄が甲府五山を作った」というが、それも「作った」のは大工さんだと思うし・・・。)
そして、市川市・船橋市あたりの住人は、大阪市と和歌山市の間の大阪府堺市などは和歌山県和歌山市よりも大阪府堺市の方が都会だと思っているごとく、たとえ同じ千葉県であっても千葉県市川市・千葉県船橋市の方が千葉県千葉市より“都会”だと思っている、「中核市」の船橋市の方が「政令都市」の千葉市より“街”だと思っているのであり、まあ、幕内の定員を増やしたことでもともと十両の力士まで幕内になったみたいな「政令都市」に加わったからといって、だから何よ・・・て感じ・・・というと、またもや、「千葉市民」に怒られるかもしれないが、まあ、しかし、私が小学生であった1960年代後半は「七大都市」といって、東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸・北九州の7都市だけであったころの「政令都市」と違って、最近は「政令都市」も「国民栄誉賞」と同じくなんだか安っぽくなってきたものだ。
千葉県民には、「くさかんむり なんかに住めるかあ~あ!」とか言って、「くさかんむり」の茨城県をイナカだと馬鹿にするようなことを口にする者がおるのであるが、そういう人は、たぶん、気づいていないと思うのだ。 実は、「千葉県」も「くさかんむり」であることに・・・・。 (よく見てください。 「茨城県」だけに「くさかんむり」があるのではなく、実は、「千葉県」も「くさかんむり」なんです・・・。) だいたいですねえ、 “ 納豆界の名門・水戸 ” と、“ ピーナッツ界のシャネルかサルバトーレ=フェラガモのようなブランド・(千葉県)八街(やちまた)” ・・・・って、なんか、別に悪いとは言わんが、似た者同士みたいな感じがするのだが、そう言うと、また、「千葉市民」に「失礼な!」とか怒られそうだが、それって、水戸に失礼だと思うのだが、「失礼な!」という「千葉市民」というのは、「千葉市は水戸・前橋・宇都宮・甲府のようなイナカではない。横浜とともに東京圏の“都会”である。“シティー”である。」とか思っとるのじゃないかと思うのだが・・・・。 いなかくせえ。その発想がいなかくせえ・・・・、と言うと、ますます「千葉市民」に怒られるかもしれないが・・・・・、まあ、・・・・うん、やっぱり、あんまり「都会」じゃないと思うな。
かつて、福島県いわき市に住んだ時、「いわき市って、福島県では最大の都市でしょ。」とか「いわき市は東北地方では仙台の次の大都市でしょ」とか言うと(人口で見ると、福島県では、いわき市が最大で、次いで郡山市、県庁所在地の福島市は3番目。 東北地方では、仙台市が最大で「政令都市」、2番目が いわき市、3番目が郡山市、4番目が秋田市でこの3市が「中核市」。)、先祖代々の いわき市民から、「バカか、おめえ。 おめえ、いわき を“大都市”だなんて思ってんのか? おめえ、いわき を都会だなんて思ってんのか? バカか? 都会のわけねえべえ~え。 いわき は いなか。 正真正銘のいなかだっぺえ~え。」と言われたものだ。 いわき市民は、その多くが、都会ぶりたがることのない人たちであり、なんとか「都会」扱いしてほしい! という強烈な意識のある千葉市よりも、「いなかだっぺえ~え」で何が悪いよ、と、別段、都会ぶろうともしない いわき市の方が「いなかくささ」がないような気もする。 アンブローズ=ビアス『悪魔の辞典』(角川文庫)には、≪ M ETROPOLI S, n. 【首都】 いなか根性の砦(とりで)。 ≫と書かれている。 在来木造の某社で栃木県の営業所に勤務した時、他県から赴任して栃木県の営業所に勤務する人間に、「栃木県というのは、都会でないにもかかわらず、都会ぶりたい人間が多い県だ」と言う人が複数あった。 もしかすると、そういう傾向は幾分あるかもしれないと私も感じた。 隣接県でも、福島県と栃木県なら、福島県人は別段都会ぶりたいなどということはないのに対し、栃木県では「栃木県は都会だ。」「栃木県は東北ではない。関東だ。」と言いたいみたいな雰囲気がたしかに感じられたように思う。 千葉県においても、「『水戸・宇都宮・前橋・甲府の仲間』だなんて、失礼な」という言葉が出てくるあたりは、やはり、「都会でないわりに、都会ぶりたい気質の県」という性質がいくらかあるかもしれない。「ちゃいばは都会だにゃ~あ。 まくはり~い、とか、うらやす~うの東京ディズニーランドとか、成田の東京国際空港とかあって、都会だにゃ~あ。 いばらきみたいな『くさかんむり』とはちがうんだにゃ~あ。 豆もっこりを水戸納豆と一緒にしてほしくないにゃ~あ。 」とか思って、「都会だ!」と思いたいという強い強い意志がある・・・・って、いなかくせえ~え・・・、その発想がいなかくせえ、いかにも、いなかって感じ、というと、ますます、怒られるかもしれないが、そんなところがある。
※「豆もっこり」を知らない方は、
⇒《exciteニュース―千葉で大人気!? まめもっこり 》http://www.excite.co.jp/News/bit/00091160137316.html 参照。
海浜幕張に球場を持つ千葉ロッテマリーンズという球団あるが、いっそのこと、もっと千葉化して、東部の八街市あたりに本拠地を持ってきて、「マリーンズ」よりもいかにも千葉県て感じの名称として「ピーナッツ」として、チーム名「八街(やちまた)ピーナッツ」とくれば・・・・、そのまんま・・・で悪くないような感じも・・・・。
2. 千葉神社 「妙見さん」 社殿。
↑ 社殿。
≪ 平成2年(1990年)造営の新社殿は、当社の前身・北斗山金剛授寺に因んで、二階拝殿を“北斗殿”、一階拝殿を“金剛殿”と称し、どちらからでも厄除開運・八方除・身上安全の御神徳を戴けるようになっております。≫
と千葉神社でいただいてきた「由緒書き」には書かれています。 2階建てになっていても、1階と2階で別の「神さま」がいらっしゃるわけではなく、どちらかられも参拝できるようになっていて、祀られているのは1階も2階も「天之御中主大神(あめのみなかぬしのかみ)(妙見さま)」であることに違いはないそうです。
「妙見(みょうけん)さん」、及び、「天之御中主大神(あめのみなかぬしのかみ)」とは何者なのか? 関西人(「在日関西人」)としては、関西で「妙見さん」というと、兵庫県川西市と大阪府豊能郡豊能町と豊能郡能勢町の境目にある能勢の「妙見さん」のことで、あれは「妙見山(みょうけんさん)」という山にある神社なのかお寺なのかなので、「妙見さん」だとばっかり思っていたら、千葉市にも、しかも、山地ではなく平地に「妙見さん」を祀る神社があったとは・・・・て感じがするのです。 「能勢の妙見さん」は神社かお寺かというと、《能勢妙見山》ホームページの「歴史(由緒・縁起)」http://www.myoken.org/rekishi.html を見ると、≪能勢妙見山には鳥居があり「妙見宮」とも呼ばれますが、『日蓮宗霊場能勢妙見山』とあるように、日蓮宗のお寺です。能勢妙見山は、能勢町地黄の眞如寺の飛び地境内となっており、正式には「無漏山眞如寺境外(けいがい)仏堂能勢妙見山」といいます。≫と書かれているので、お寺です。 で、千葉市中央区の千葉神社は「千葉神社」と名前がついているからには、神社です。 なんで? って言っても、そうらしいのです。
戸部民夫『日本の神さまがわかる本』(2005.1.5. PHP研究所)を見ると、「天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」の項に、
≪ アメノミナカヌシの神と聞いても、あまりイメージがわかない人が多いと思うが、安産守護の水天宮の祭神、あるいは長寿や眼病守護の妙見菩薩(みょうけんぼさつ)の呼び名では、かなり知られている神様である。≫
≪ 日本の神様は、時代によって表情を変えることが多い。 アメノミナカヌシ神は、近世以降、妙見菩薩、妙見さんと呼ばれて、広く庶民に親しまれた。
「天の中心の至高神」という性格が、中国の道教の影響を受けた北極星信仰と結びつき、それが室町時代以降、日蓮宗で盛んになった妙見信仰と習合したのである。
妙見信仰は、北極星や北斗七星を崇めるもので、その神格化である妙見菩薩の全知全能の徳によって、衆生の苦しみが救われると信じられた。
妙見さんを祀るのが妙見社・妙見宮で、全国に三十数社ある。 その御利益は、長寿・息災・招福などで、水晶のように澄みきった目で物事の真相を見極めるとされることから、とくに眼病の神としての信仰が篤い。 ・・・≫ と書かれている。
『古事記』(倉野憲司校注 岩波文庫)には、冒頭に、
≪ 天地(あめつち)初めて發けし(ひらけし)時、高天(たかま)の原に成れる神の名は、天之御中主(あめのみなかぬしの)神。 次に高御産巣日(たかみむすひの)神。 次に神産巣日(かみむすひの)神。 この三柱(みはしら)の神は、みな獨神(ひとりがみ)と成りまして、身を隠したまひき。≫ とある。
千葉神社の由緒書きを見ると、
≪ 御祭神 天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)(妙見さま)
相殿(あいどの) 経津主神(ふつぬしのかみ) 日本武尊(やまとたけるのみこと)≫
と書かれている。
経津主神(ふつぬしのかみ)は、武光 誠『日本人なら知っておきたい 神道と神社』(2007.1.10. 河出書房新社)の「香取神宮[千葉県香取市]」の項に、
≪千葉県の香取神宮は、茨城県の鹿島神宮とならぶ東国の有力な古社である。そこにまつられた経津主神(ふつぬしのかみ)は、剣(つるぎ)の神であり武神であるとされる。
日本神話で経津主神は鹿島神宮の祭神、武甕槌神(たけみかづちのかみ)とならぶ天照大神(あまてらすおおみかみ)を護衛する神である。 しかし日本神話での経津主神は影は薄い。
国譲り神話には、武甕槌神と経津主神が大国主命を従えたとする形のものと、武甕槌神と天鳥船神(あめのとりふねのかみ)が大国主命を服属させたとするかたちのものとがある。武甕槌神の活躍の場は多いのに、経津主神は二通りの国譲りの物語のなかの一方にしか登場しない。 ・・・ ≫とある。
由緒書きには、≪ 主祭神・天之御中主大神(あまのみなかぬしのおおかみ)(北辰妙見尊星王〔ほくしんみょうけんそんじょうおう〕)は、その御神名の通り天の中央を定位(じょうい)とし、全宇宙の諸星諸神を掌握せし最高尊貴なる北辰(ほくしん)、すなわち北極星と北斗七星の神霊であるとされております。≫ と書かれている。
《ウィキペディア―千葉神社》 によると、≪千葉氏の守護神である妙見菩薩を本尊とする寺院(千葉妙見宮)として建立され≫、≪江戸時代までは北斗山金剛授寺尊光院と称する真言宗の寺院であったが、明治初年の神仏分離によって神社となり、本尊も祭神に改められた。ただし、妙見菩薩と天之御中主大神は長年神仏習合によって同一とみなされてきた経緯があり、今日でも同社が日本有数の「妙見信仰」の中心とされてきている事には変わりがない≫そうだ。
戸部民夫『日本の神様がわかる本』(2005.PHP研究所)で「天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」のところを見ると、「代表的神社」として、東京都中央区日本橋蠣殻町 の東京メトロ半蔵門線「水天宮前」・日比谷線「人形町」駅の近くの水天宮、福岡県久留米市の水天宮他があげられている。 「水天宮」のホームページ(http://www.suitengu.or.jp/index.html )を見ると、≪安産・子授け≫とまず出ているように、「天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」を祀る神社でも「水天宮」は≪安産・子授け≫の神様というイメージであるが、「妙見さん」というと、≪とくに眼病の神としての信仰≫、≪水晶のような澄みきった目で物事の真相を見極める≫という神徳、そして、≪中国の道教の影響を受けた北極星信仰と結びつき≫(『日本の神様がわかる本』)、易学・気学・風水とのつながりが考えられ、千葉神社の場合、易学・気学・風水とのつながりからの北極星・北斗七星信仰からくる「妙見さん」の神社という性格が強い印象を受けました。
大阪府の能勢の「妙見さん」は日蓮宗の寺の飛び地ですが、千葉神社は元・真言宗の寺であったというだけあって、どちらも「妙見さん」を祀っているといっても、雰囲気はかなり違います。
道鏡の影響を受けた北極星・北斗七星の信仰と仏教の妙見菩薩とは比較的古くに結びついたもので、『古事記』に登場する「神」である「天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」と結びついたのは明治以降ではないでしょうか。 江戸時代においては、東京都中央区の水天宮の神さまと千葉神社の神さまは別の神さまで、明治になって、『古事記』『日本書紀』の神さまと結びつけるときに、どちらもが「天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」と結びつけたということではないでしょうか。
相殿として、経津主神(ふつぬしのかみ) と 日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀っているということですが、記紀の神さまとしては武甕槌神(たけみかづちのかみ)に比べて存在感が薄い経津主神(ふつぬしのかみ)が選ばれたのは、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮の武甕槌神(たけみかづちのかみ)よりも、同じ千葉県の香取神宮(http://www.katori-jingu.or.jp/index.htm )の経津主神(ふつぬしのかみ)を選んだということで、 日本武尊(やまとたけるのみこと)は、天皇制国家主義者に対してのごきげんうかがいとしてでしょう。 本来、千葉神社の前身・北斗山金剛授寺尊光院の本尊・妙見菩薩が、明治の神仏分離で「寺か神社か」という時に、「能勢の妙見さん」は「寺」を選んだのに対して、千葉神社は「神社」を選んだことから、「本尊・妙見菩薩」が「主祭神・妙見さま」になり、明治以来の『古事記』『日本書紀』に登場する「神」と結びつける動きの中で「天御中主神」が「妙見さま」と結びつけられた・・・・というところでしょうか。 それに、「3柱」として2柱つけ加える際に、下総国の一の宮としての香取神宮の神とされる経津主神(ふつぬしのかみ)、それに天皇制国家へ“忠誠心”を示して日本武尊(やまとたけるのみこと)を相殿としたということかな・・という感じがします。 本来は、「妙見さん を祀る寺というのか神社というのか」で、「眼の神さま」よりも、「易学・気学・風水の神さま」の性格が強い神社ではないでしょうか。
(↑ クリックすると大きくなります。大きくして御覧ください。)
「二拝二拍手合掌 三度奉唱 二拍手合掌一拝」 と書かれています。 ともかく神社であれば、「2礼2拍手1礼」(「2拝2拍手1拝」)かと思っていたら、そうではないようです。 お寺の「焼香」でも、3回が基本かと思っていたら、そうでもなく、宗派によって回数は異なるのと同じく、神社でも、「2礼2拍手1礼」(「2拝2拍手1拝」)と決まっているわけではないようです。
3. 千葉神社 尊星殿(そんじょうでん)
↑ 分霊社 尊星殿(そんじょうでん) (南面。 公園側から見たもの。)
↑ 分霊社 尊星殿(そんじょうでん) (北面。)
↑ 分霊社 尊星殿(そんじょうでん) (北面。)
「尊星殿(そんじょうでん)」というのは、本殿と別の神さまを祀っているというわけではなく、「分霊社」で、
≪ 星王である妙見様が掌握する日月星(じつげつじょう)の三光のそれぞれの役割を、中央に八角形に配された八つの宮と、左右楼の二本の御柱が担っております。
中央「福徳殿」は御祭神・妙見尊星王の御分霊を奉斎し、陰陽道や気学・風水学と関わり深い妙見様の御神徳により、各方位・五行・十二支・人間の身体各部等の役割を個々に担い、各人が自己の星(運気)の向上や守護を願って参拝できるようになっております。≫
≪ また左右楼には、東に日天神(にってんしん)の神霊依代(しんれいよりしろ)・陽明柱(ようめいちゅう)、西に月天神(がってんしん)の神霊依代・光輝柱(こうきちゅう)が立てられており、それぞれに触れることにより、陽気・活性作用と生気・浄化作用による加護をいただけるとされております。≫(由緒書き)ということだそうです。
北側から尊星殿(そんじょうでん)を見ると、中央部の屋根の上に、四角形のものがぴょこんとおまけみたいについているのが見えます。 (↑ 尊星殿の3枚の写真のうち、まん中の写真。)
中央部の屋根とその上の「おまけ」だけを写真にとると↓ となります。
↑ 尊星殿 の屋根とその向こうのマンション「ダイヤパレス 千葉中央公園」の看板塔
市街地の寺社の場合、多少はやむをえないところもあるかもしれませんが、この「ダイヤパレス 千葉中央公園」の看板塔、もうちょっと、なんとかならないものでしょうか。 「建築家」というのは、周囲の自然や既存建物、周囲の施設がどうであるかなどおかまいなしに、「建築は爆発だ!」 「アイアム、ナンバーわ~ん!」みたいな調子で、自分の建物だけのことを考えて建てる者のことではなく、周囲の自然や既存建物との調和、特に、周囲に宗教施設がある場合には、その施設との調和を考えて建てることができるのが、優秀な「建築家」ではないのでしょうか? 比較的古くからある宗教施設の建物を無視して自分の建物が「アイアム いちば~ん!」とか隣接して建てたがる「建築家」は野蛮だと思います。
※「○○は爆発だ!」を知らない方は、
⇒《YouTube―「芸術は爆発だ!」「何だ、これは!」 岡本太郎は何者? 2/2 》http://www.youtube.com/watch?v=G9I1hEzv6Hk 参照。
※「アイアム、ナンバーわ~ん」は、
⇒《YouTube―TV放送版ノーカット!スタン・ハンセンvsハルク・ホーガン №1 レスリングサミットin・・・》http://www.youtube.com/watch?v=9qYKodXkOyE 参照。
《YouTube― 一番 ハルク・ホーガン(Itch Ban / Hulk Hogan) 》http://www.youtube.com/watch?v=BJigJNkwqEo 参照。
このマンションの設計をおこなった「建築家」は知らないのでしょうか。 「家相上、寺社の隣接地は特に要注意」であるということ。 そして、「基本的には、神社、寺は、見上がるのは良いが、見下ろすものではない。」ということを。 そういうことも知らずに建築やっているのだろうか。 そんなことも考えずに「建築家」を名のっているのだろうか? 読んだ本を忘れてしまったが、ホテル・ニュージャパンの火災事故が、なぜ発生したか、というと、実は、ホテル・ニュージャパンは、日枝神社(http://www.hiejinja.net/ )を見下ろすように建っていたのであり、その点で、家相上、凶相の建物であったからである、と書かれた家相の本を読んだことがある。 実際に、だから、火災事故が発生したのかどうかはわからない。 しかし、そうであってもなくても、比較的古くからある寺社を見下ろすような建物というのは、悪趣味である。 そう思いませんか?
私が大学を卒業して最初に勤めた木質系某社の最初の研修で、「敷地調査では、隣家がどの位置に立っていて、隣家の窓の場所はどこかまで調査し、隣家と窓の場所が重ならないように図面を作る」と教えられた。なるほど、プロの建築会社が建てるからには、敷地調査はそこまでやるものなんだと思った。 ところが、その後、在来木造の某社に勤めると、在来木造の某社ではそういうことをやっていなかった。 私が「隣家の窓の場所とかは調べないのですか」と言うと、営業所(展示場)の「リーダー」であった1級建築士が、「隣の家の窓がどこにあるかなんて、そんなこと調べる人間なんかいるわけないじゃん。なんで、そんなもの調べるのよ。」と言ったので、なんか、レベルの低い会社だなあと思ったが、在来某社の営業本部長は私がそう思うことの方のが気に食わなかったらしい。
しかし、隣接地がどうなっているか、戸建住宅ばかりが建っている場所に戸建住宅を建てるなら、隣家がどうなっているかは、考えて建てるべきである。 木質系某社で私が担当させていただいたお家では、隣家の息子の部屋があるところの向かいに娘の部屋がきそうだということで、娘の部屋の窓を出窓にして、出窓の正面部分は壁で塞ぎ、出窓の横の部分に窓を設けるようにしたということがある。 そういうことを考えて作ってこそ、プロの建築屋であり、「隣の家の窓がどこにあるかなんて、そんなこと調べる人間なんかいるわけないじゃん。なんで、そんなもの調べるのよ。」という認識・姿勢はプロの姿勢ではないと思ったのだが、在来木造の某社では「そんなこと考えるバカいるわけないじゃ~ん。」とか言う人が多かった。 マンションの建築でもそうなのだろうか。
特に、宗教施設の隣で建てる時は、十分に考えて建てるべきだと私は思う。 在来木造・某社にいた時、平気で、三隣亡の日に上棟(棟上げ)をする営業がいた。 「そんなことやっていいの?」と言っても、「いいんだ、いいんだ」と言っていたが、やめた方がいいのではないかと私は思った。 私は、私が担当のお施主様には、「いろいろな考え方があるでしょうけれども、『三隣亡(さんりんぼう)』というのは、この日に、上棟、柱立てなどをおこなうと、『三軒隣りまで亡びる』という日です。 自分の家の東西南北、それぞれ3軒隣りというと、7軒×7軒=49軒です。 49軒の家で、向こう3年間くらいの間というと、いいこともあれば、悪いことだってないとはいえないと思います。そういうときに、『あそこの家が、三隣亡に上棟したからだ』ということになれば、恨まれてしまいます。 だから、わざわざそういう日に上棟しなくてもいいと思うので、『三隣亡でない日で、大安か友引の日』、どうしても無理なら、『三隣亡でない日で、仏滅以外の日』に上棟するようにしましょう。」と言ってきました。 鬼門方位のトイレとかはできれば避けて、どうしても避けることができないなら便器の位置だけでも鬼門方位15度からずれるように考え、もし、鬼門方位15度の中に便器が入っているようなら、お施主様にそれを話してお施主様の考えを確認するようにしました。 建築とはそういうことを考えてやるものではないのでしょうか。 神社の建物の屋根の上にぴょこ~んと突き出たマンションの看板塔は、やはり、変です。 但し、このマンションの場合は、千葉神社はかなり前からある神社ですが、建物は比較的最近に建て替えられているようなので、このマンションが建てられ、看板塔が設けられた時点では、まだ、この尊星殿は建てられていなかった、マンションと看板塔の方が尊星殿より先に建てられたという可能性もあります。 しかし、この場所に限らず、寺社の屋根の上にぴょこ~んとでたマンションの建物というのは、時々、見かけます。 すべての場合に、問題なく処理できるかどうかはわかりませんが、家相上、「寺社や墓地は、見上げるのは良いが、見下ろすものではない。」という基本を踏まえて、設計するのが、本来の「建築家」であろうと思うし、建物が木質系ではなく鉄筋コンクリート造であっても、それは変わらないと思います。
(2013.5.16.)
☆ 「千葉神社・千葉天神 参拝」は〔上〕と〔下〕の2つに分けて公開させていただきます。 〔下〕https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html では、千葉神社 摂社 千葉天神 と その他 末社の「家作」形式、「長屋」形式社殿の神さま、それに、千葉市中央区鵜の森町の「千葉神社 の 神札」について述べます。 御覧くださいませ。
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