『美味しんぼ』に学ぶ ワイングラス・ゴブレットの持ち方vs「建築家」式持ち方。及、20代の貧乏な生活

[第185回]
[1]   「ワイングラス」「ブランデーグラス」「カクテルグラス」「シャンペングラス」「ゴブレット」は、どう違うのか。何ゆえ、それだけの種類があるのか。 何ゆえ、「普通のコップ」と違った形状をしているのか。
   私は20代なかばすぎまでまったく知らなかった。 どうせ、「ワ~イ~ン~」とか気取って言ってカッコつけたがる、軽佻浮薄な金持ちのバカ息子が、なおさらカッコつけるために、機能上はひとつでいいものを何種類も作ったのではないのかと思っていた。
   もともと、私は、ブルジョアかプロレタリアかというと、経済学上の正確な意味でどうということではなく、心情的に、どう考えてもブルジョアではない方の人間であった。 「大学生」の時、
(1)父が、突然、仕送りを送るのをやめてやったと言って銀行口座に入金しなかったことがあり、1週間近く何も食べることができず、もう時効だから言うが、自動販売機の周辺を見てまわって50円玉が落ちていたのをみつけ財布に残っていた10円玉と合わせて自販機で売っていたメロンパンを買って食べたことがあった。そのおいしかったことは忘れられない。その時、私が知る限り日吉で最も高いレストランの不二家から、同じ学生宿泊施設に入居している私よりふたつ年上の東大生が出てくるのを目撃した。「私が自販機の下をあさって拾った50円玉でメロンパンを食べている時に、あの男は不二家でメシを食ってるんだ」と思い、その違いを痛感した。 
(2)東京から大阪に帰る時、新幹線の費用はもったいないと言うので、夜行バスで帰った。国鉄バス「ドリーム号」に乗る日の昼食に日吉の洋食屋でチキンライスを食べた。 本当はオムライスを食べたかったが、オムライスだと夜行バスが着いた大阪駅から自宅までの電車賃がなくなってしまうのでチキンライスにしたが、そのチキンライスのおいしかったこと、忘れられない。その日の夕食と大阪に着いた朝の朝食はお金がないので抜いた。
(3)「大学生」になった最初の夏休み。父がいきなり、「明日から、あんた、工場にアルバイトに行くことに決めてきた。」と言いだした。自分の勤め先関係の工場にアルバイトに私が行くと「決めてきた」らしい。そういうことは本人に話をしてからではないかと思ったし、同じ高校から京大・阪大あたりに行った者は、アルバイトをするとしても家庭教師を週に2コマのものを1件か2件持つくらいで、1日中のアルバイトを夏休み中やる者はなかった。2浪までしたかわりに英語力は相当ついたので、その勢いで英検1級を取得することも可能で、1日中のアルバイトはせっかくの英語力の低下を招くが、「大学は勉強するところと違うんじゃ。甘ったれるな。」と言われ、アルバイト漬けにされた。その工場からの帰り、同じ高校から阪大法学部に行った男と電車の中で会った時、「どこ、言ってきたん?」と彼がきくので、こういう工場でアルバイトをしてきたんだと言うと、「へえ、そんなものやってるんか」と馬鹿にするように言われた。彼は阪大の図書館で、冷房の聞いた部屋で法律の勉強をしてきたそうだ。数年後、彼が司法試験に合格した時、父は「○○くんの爪の垢をせんじて飲みなさい」と書いてきた。アルバイト漬けの私と、冷房のきいた部屋で法律の勉強をしている人間とでは条件が違うのは当然。彼の爪の垢を煎じて飲めば彼のような生活をさせてもらえるのなら飲みたかった。私がアルバイト漬けの時、冷房のきいた部屋で法律の本を読んで弁護士・裁判官・検事になった男・女がいるが、そのような殿様みたいな境遇でなった弁護士・裁判官・検事には、なってからも殿様みたいな意識でいる者が少なくないようだ。〔さらには、「副検事」だの「カンパン」(易裁判所事)だのといって、司法試験に合格していないのに、「検察官」「裁判官」になって国民の税金から高給を強奪している国営裏口入学みたいな人間までいる。あきれたもんだ。〕
(4)冬休みは短いので正月に大阪の自宅に戻ると往復の旅費がもったいないから帰らずにそのまま横浜市にいるようにと父から言われていたが、今と違って1980年代前半では正月期間はほとんどの店は開いておらず、買い物をしようと思っても買えず、飲食店も、観光地の飲食店は稼ぎ時でも観光地でもない日吉では開いている店はなく、サンドイッチやメロンパンなどの自販機も年末年始は交換に来ないため売り切れで、カップヌードルの自販機は在庫があったので買ったが、年末年始は水の補給に来ないため注ぐお湯がなく、やむなく、カップヌードルをお湯を注がずにそのまま食べたが、食べて見ると、案外、食べられるものであることを知った。正月は家族とともに“正月料理”を楽しむ者もあるらしいが、“正月料理”など経験する者と、お湯なしカップヌードルを食する経験をする者では、お湯なしカップヌードル派は意識としてブルジョアかプロレタリアかというと、プロレタリアの方であろう。経済学上の正確な定義とは別のものであるが。正月には「振袖」とかを着てカレシと“デート”するねーちゃんを見かけたがお湯なしカップヌードル派には縁も関係のないことだった。 
(5)卒業して最初に勤めた木質系住宅建築請負業のK社は大阪に本社があり、入社して約1カ月、大阪で研修がおこなわれたが、東京から大阪に行くのに、私は新幹線だの飛行機だのに乗る費用は出せず、JRの東海道線の今は無くなった東京を夜11時過ぎに出る大垣行きの夜行(普通というのか、快速というのか)に乗って行ったが、3月の終わりの東京発大垣行き夜行(普通)は通勤ラッシュのように混んでいて、大阪での約1カ月の研修に参加するための荷物を両手に持った上で、一晩、立ちっぱなしで大垣まで行き、大垣から西明石行きに乗り換えて行った。 さすがに、両手に荷物を持った上で、一晩、立ちっぱなしで通勤ラッシュのような電車で東京から大垣まで乗るのは、20代のその時でもきつかった。 研修が始まった時、東京圏に在住の者が大阪まで行く交通費は出してもらえないと思っていたら、新幹線の代金を出してもらえるとK社の係の人が言い、当然、実際に何に乗ろうが、「新幹線の普通車の指定席」の費用を出してもらえるものと思って請求したら、「何、言ってるんだ。あんた、新幹線、乗ってないんだろ。 普通に乗って来たんだろ。乗ってないものを請求したらだめだろうが。何、考えてるんだ。」と怒られた。 私の叔父は住宅設備機器のメーカーに勤めて、まあまあ出世していたようだが、大阪から東京に出張する際、役員だからということで、新幹線のグリーン車に乗る代金とホテル代を会社から出してもらっていたが、実際には、新幹線の普通車に乗り、その上で、東京の会社に勤めている男性と結婚した娘の家に泊まって宿泊代を浮かせ、浮いた宿泊代とグリーン車と普通車の差額を、「これ、生活費のたしにしろ」と言って娘に渡していたという話を聞いたことがあった。叔父が勤めていたT社では、実際に何に乗るかにかかわらず、大阪から東京まで出張の時は、役員は新幹線のグリーン車の料金、一般従業員は新幹線の普通車・指定席の料金を支払ってもらえたようで、そういう規定になっていたらしい。 だから、私は、東京から大阪まで行く交通費を出してもらえるなら、当然、K社でも、実際には、新幹線の普通車・指定席に乗ろうが自由席に乗ろうがグリーン車に乗ろうが、飛行機のエコノミークラスに乗ろうがファーストクラスに乗ろうが、大垣行き普通に乗ろうが、夜行急行「銀河」号に乗ろうが、夜行バスに乗ろうが、マイカーで行こうが、歩いて行こうが泳いで行こうが、出してもらえるのは「新幹線の普通車・指摘席」の料金であるはずと思い込んでいた。 ところが、「何、考えてるんだ。あんた、普通に乗って来たんだろうが。新幹線に乗ってないのに出してもらえるわけないだろうが」と怒られたのだ。そして、横にいた千葉工大卒の男に、新幹線に乗って来たからということで、新幹線の費用を、「あんたは、新幹線に乗って来たんだから」と言って、「新幹線・普通車・指定席」の金額を「あたりまえだ」と言って渡したのだ。 「あたりまえ」だろうか。それなら、飛行機のファーストクラスに乗ってやればよかったか。 もしくは、東京の上野から東北本線の夜行特急「はくつる」で青森まで行き、青森から奥羽本線・羽越本線・信越本線・北陸本線・湖西線・東海道本線経由の夜行特急「日本海」で大阪までA寝台に乗れば、その費用を出してもらえたのだろうか。 私は、K社に入社した時、お金がなかった。又、新幹線だの飛行機だのというのは、慶應や早稲田の内部進学の者など金持ちの馬鹿息子が乗るものと思っていた。だから、安く行ける方法として、大垣行き夜行(普通)に乗って行ったら、超人的なラッシュで拷問のようだった。 拷問のような電車に乗って行った者には普通運賃しかだしてくれずに、千葉工大のやつは金持ちだから新幹線に乗って行ったので新幹線の費用を出すというのはどう考えてもおかしいと思ったが、K社はそういう対応をした。 K社は、その後、社名を変更した後、経営状態が悪くなり、富士銀行に破産管財人のような社長を送り込まれ、さらに、富士銀行も手を引いたようで積水ハウス出身の人が社長になったので積水ハウスが買収するつもりか?と思ったら、積水ハウスではなくヤマダ電機の傘下に入ったようだ。 千葉工大のヤツには新幹線代を出してやり、私には普通運賃しかださないという不公平なことをしたからこうなった・・・ということでもないだろうけれども、その頃から「一部上場といっても、こんなもんだ」と従業員の間で言われていたそういう対応の会社であった。高校を卒業する年、東大を落ちると、「おまえなんか、高校行かんでええんじゃ。」と父や「父の友人」からずいぶんと言われたものだ。 それを、千葉工大なんぞに行くようなヤツがおおいばりで新幹線に乗っているのかと思い、正直なところ、「おまえなんか、小学校行かんでええんじゃ。」と心の中で思った。(千葉工大の人には悪いが、正直なところ、そう思った。) こういう類の経験は他にもいくつもある。
〔千葉市中央区の新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)では、提携した徳島市の株式会社フィットの研修に従業員に行かせるのに、男性社員には夜行バスで行かせ、社長の妻の友人として縁故入社した女性社員Tには飛行機で行かせた。これでは「男性差別」「逆差別」であろう。(それが「フィットのやり方」か?) 自分だけ飛行機に乗って「すいません」も言わない言えない女性というのもいかがなものか。その女性T は自分でカネを出すならおそらく夜行バスに乗ったであろう。〕
   「わしゃ、び~んぼうやからなあ」「ええなあ、千葉工大のやつは」「ええなあ、うらやましいなあ」「わしゃ、日陰の月見草や」というような人生を送って来たので、だから、「ワ~イ~ン~」だの「ブランデー」だの「カクテル」だのと言われると、自分とは別世界の飲みもの、私が大垣行き夜行普通電車に乗って両手に荷物を持って立っていた時に新幹線に乗って座っていたやつの飲むもの、私が日吉で自販機の下に落ちていた50円玉でメロンパン買って食べた時にレストラン・不二家で食事していたヤツが飲むもの、小学校から慶應の内部進学の 種なしぶどうを人に皮をむいてもらってスプーンですくって食うヤツ、みかんを人に皮をむいてもらってカラスにしてもらって食べる偏食だらけのヤツ、偏食を自慢にしているヤツ〔「わたしの彼はサラリーマン」(《YouTube―シャインズ「わたしの彼はサラリーマン」》http://www.youtube.com/watch?v=RykB69Hzn6I )の「グルメを気取っているけど、セロリと人参食べられない」「金持ちぼんぼん」みたいなヤツ〕の飲むものだろうという印象があった。
   上の(1)~(5)の例などから考えて私の方のバックミュージックとしては、ロシア民謡の「ドゥビーヌシカ(Дубйнушка)」あたりが妥当だろうか。 フョードル=シャリアピンは、帝国ホテルに泊まった時に、特注で「シャリアピンステーキ」なるものを帝国ホテルのレストランに作らせたといい、今も、帝国ホテル地下1階のレストランに「シャリアピンステーキ」がメニューにあるが、ヴォルガ河の船曳人夫の歌である「ヴォルガの舟歌」とかを得意とする歌手が、帝国ホテルに泊まって特注のステーキを作らせて食べるというのは、どうも矛盾している気がする。(もっとも、「シャリアピンステーキ」は、その時、歯を悪くしていた為、やわらかいステーキを作ってもらったものだという話もあるようだが。) 東大の男がレストラン「不二家」で大きな顔をして食事をしている時に自販機の下から拾った50円玉でメロンパンを食べたり、千葉工大のヤツが「当たり前」のように新幹線に乗って座っている時に殺人的ラッシュの大垣行き普通夜行に両手に荷物を持って立ちっぱなしで行った者にとっては、「ドゥビーヌシカ(Дубйнушка)」は似合いだ。
(現在の帝国ホテルを念頭に考えれば、「ヴォルガの舟歌」などを得意とする歌手が帝国ホテルという高級ホテルに泊まって特注のステーキを作らせて食べているというのは態度が矛盾している印象を受けるが、シャリアピンが泊まった時の帝国ホテルは「フランク=ロイド=ライトの帝国ホテル」であったと思う。ライトの帝国ホテルであれば、そのあたりのポリシーを曲げてでも泊まりたいと思う建物で、特に、芸術家なら万難を排して泊まりたいという気持ちになるホテルであったろうとも思います。)
※ロシア民謡「ドゥビーヌシカ(Дубйнушка)」(日本では、「仕事の歌」という題名で知られる。)を知らない方は、
⇒《YouTube―SHALYAPIN Folk Song 1910 & 1924 ミ飯σアミクミスムτ威コミー ミィミ籍嶢ッミ渙侑�  》http://www.youtube.com/watch?v=xeLxsBpzYDg を参照ください。
※Дубйнушка(ドゥビーヌシカ) 曳船・積荷人夫などの歌。
  Дубйна(ドゥビニャ) (女性名詞)棍棒、丸太
  Дубйнка(ドゥビンカ) 太い棒 
 (『コンサイス露和辞典 第4版』1983.12.20.三省堂)
  Дубйна(ドゥビニャ)とは、棍棒のことで、ヴォルガ川の船曳き人夫が船を曳く際に使用した樫の木の棒のことであるという。 労働争議が実力行使に及ぶことになった場合には、その棍棒が労働者の武器ともなったという。 日本では「仕事の歌」として訳されていますが、その訳詞は、ロシア語の本来の歌詞に比べて、かなり、「人畜無害化」されています。
※「ヴォルガの舟歌」を知らない方は、
⇒《YouTube―ЭЙ, УХНЕМ! 》http://www.youtube.com/watch?v=AfqO1HmLTT8 を参照ください。
※「シャリアピンステーキ」は、
⇒《帝国ホテル―レストランプラン》http://www.imperialhotel.co.jp/j/tokyo/restaurant_topic/118 
※「フランク=ロイド=ライトの帝国ホテル」 は、
⇒《明治村 帝国ホテル中央玄関》http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/5-67.html 他参照。 

   「ドゥビヌーシカ(Дубйнушка)」とか「ヴォルガの舟歌」とかがバックミュージックとして似合う男にとっては、もし、アルコールを飲むとしても、「ワ~イ~ン~」とか「シャンパ~ン」とか言われると、「そんな、鼻の下の長いブルジョア・女たらしの飲むものなんか飲めるか!」「偏食を自慢にしている内部進学のやつの飲むものなんか飲めるか!」とかいう感じがするが、それなら、ロシア民謡「ドゥビヌーシカ(Дубйнушка)」が似合うアルコール・・となると何だろう。 ウオトカ? ・・なるほど、ウオトカというのは、ロシアの庶民・大衆の酒で、ナポレオンがロシアに攻め込んだ時も、ロシア人は「ナポレオンがいくら強くても、俺達にはウオトカがあるぜ」と言っていたとか、あるいは、アメリカ合衆国に亡命したドン=コサック合唱団の指揮者・セルゲイ=ジャーロフが、「ああ、ロシアに帰りたいなあ。 アメリカの金ぴかのホテルにはあきあきしたよ。ロシアの居酒屋で一杯やりたいなあ」と語ったという話など考えても、にやけたブルジョアの酒「ワ~イ~ン~」とか「ブランデー」と違って、「庶民の酒」という感じがする。いかにも、東大のヤツがレストラン「不二家」で食事していた時に、自販機の下で拾った50円玉でメロンパン食ってた者の飲むもの、千葉工大のヤツが新幹線に乗って座って東京から大阪まで行ったときに大垣行き夜行普通電車に殺人的ラッシュで両手に荷物を持って一晩立ちっぱなしで行った男の飲みものという感じがする。「わしゃ、日影の月見草や」「ええなあ、長嶋は」「わしゃ、び~んぼうやからな~あ」とかいう者の飲みものという感じがする。(もっとも、野村克也の場合は、「わしゃ、び~んぼうやからなあ」とか言いながら、田園調布の住民で、相当の年収とってベルサーチの背広だの時計だのしているらしく、どこが「び~んぼう」やねん! て感じもするが。) だから、「好きなお酒は?」ときかれると、「ウオトカ」と答えたくなるが、しかし、ウオトカはアルコール度数が高く、うかつに飲むと「四日酔い」(二日酔いではなく)するというので、うかつに飲めない。 となると、在東京圏関西人(「日本とは、東京のことだ」と思っている人からすれば「在日関西人」)にとっては、なつかしいふるさとの飲みものとしては、やはり、「六甲のおいしい水」。 これか。 ところが、最近、東京都や千葉県では「六甲のおいしい水」が売ってないんだ。 困ったものだ。
  ・・・で。 そんなところで、「ワイン」「ブランデー」「シャンパン」「カクテル」とは、あんまり、縁のない人間だった。 もっとも、1996年に、ハワイに行った時、ワイキキの店で飲んだカクテルは本当においしかった。そして、決して高くなかった。 だから、あんまり、決めつけない方がいいかもしれない・・・が、印象として、私にとってはこういう印象だった。

  住宅建築請負業の会社に就職し、木質系K社の次に勤めた在来木造の I 社で、営業本部長から「インテリアコーディネーター」の資格を取ってもらいたいと言われ、会社というところにおいては、上役から10のことをしてくれと言われると10する人もおれば、7か8しかしない人もおり、10求められれば12か13のことをする人もいる、ということから、「インテリアコーディネーター」の資格を取ってくれと言われたのであれば、10に対して12か13ということで「インテリアコーディネーター」と「キッチンスペシャリスト」の資格を取ろうと思い、それで、「インテリアコーディネーター」と「キッチンスペシャリスト」の資格を取得した。 ひとつには「キッチンスペシャリスト」は比較的簡単に取得できるのではと思って受験しだしたのであるが、受けて見ると相当難しかったが、良い性格か悪い性格かわからないが、いったん始めた以上、取らないと気がすまない性分なので、必死の思いで取得した。 その「キッチンスペシャリスト」試験の学習の過程で、「ワイングラス」「ブランデーグラス」「カクテルグラス」「シャンペングラス」「ゴブレット」といった食器や、ワインの貯蔵法、その他を学ぶことになった。「ワ~イ~ン~」とかいうような柄じゃない、アルコールなら「ウオトカ」、飲みものなら「六甲のおいしい水」だ、などと言ってられないので、柄じゃないがワインについても学習した。
※ キッチンスペシャリスト については、
《インテリア産業協会―キッチンスペシャリスト》http://www.interior.or.jp/ks/ 参照。

   もうひとつ。 高校を卒業するころ、心身医学に関心があった。 そして、「大学生」の時、そのグループのものとして、ツボ療法の本なども読んだ。 手のひらと足の裏は、「第二の内臓」とか「第二の心臓」とか言われるくらい、重要なものだそうな。 そこで、「頭寒足熱」とか、手のひら、足のうらは温かいほうがいい、という話も学んだ。 そのあたりが、私の「ワイングラス」「ゴブレット」などについての、ルーツか。


[2]   で・・・。 2010年、千葉市中央区の新華ハウジングで、「ワイングラス」を持つのに上部のふくらんだワインがはいる部分(「ボウル」)をわしづかみにする「建築家」Nに出あったのだ。 「なんじゃ、このおっさんは。」とびっくりした。 「建築家」と自分で言いながら、なんちゅう持ち方しとるんじゃい! と思った。 その話を、[第2回]《ワイングラスはどこを持つべきものか。 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201101article_2.html で述べた。 一般の人が敷居を踏むのはある程度はやむをえないが、建築の仕事をする者は決して踏んではならない。 で、「建築家」はワイングラスをそんな持ち方していいの?
   昔、清原一博が現役のプロ野球選手出あった時、ラジオのプロ野球中継を聞いていると、ファースト後方へのフライを追う時に、清原が、前(ホームベース方向)を向いたまま、右足・左足・右足・左足と交互に後ろにさげて追う追い方をして落球したことがあり、それを、解説者の豊田泰光さんが、「自動車バックをしましたね~え。 あ~んなフライの追い方する人、あんまりないと思うけどなあ~あ・・・・。」と言われたのを覚えています。 まさしく、そんな感じ。 自称「建築家」のおっさんが、ワイングラスの上の方のふくらんだワインが入る部分(「ボウル」)をわしづかみにして口をききだした時、ちょうど、そんな感じに思ったのだ。 「自動車バックをしましたね~え。 あ~んな追い方する人、あんまりないと思うけどなあ~あ・・・・。」→「そ~んなワイングラスの持ち方する人、あ~んまりないと思うけどなあ~あ・・・・」と。 他の仕事についている人間ならともかく、建築の仕事をする人間がそ~んなワイングラスの持ち方をするかな~あ・・・・・と。
   で、どんな持ち方が正しいかというと、それが、雁屋哲 作・花咲アキラ 画『美味しんぼ(おいしんぼ)』に出ていた。 『美味しんぼ(おいしんぼ) 日本全県味巡り ワイン・山梨編』(2013.5.29. 小学館) より引用します。↓
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↑ (左)山岡 士郎 (右)「ワイン評論家」上杉

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↑ 「ソムリエ志望」高瀬

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↑ 「東西新聞 社主」大原

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↑ 「美食倶楽部」海原雄山

   ≪ 一般的にワイングラスは、丸い本体(ボウル)脚(ステム)台(プレート)からなっているものが多い。これは、ボウルの部分を直接手で握ると、体温で中身のワインが温まってしまい、味わいに影響が出るとされるためであった。 ≫と、《ウィキペディア―ワイングラス》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9 に出ている。
   「ステム」(脚)の部分を持つのが正しい。
   キッチンスペシャリストハンドブック編集委員会 企画『キッチンスペシャリストハンドブック』(1988.5. 日本住宅設備システム教会)には、
≪ ワインは保存方法に気を使わねばならないが、振動のない冷暗所に瓶を横にしておく。≫
≪ ワイン貯蔵条件は、以下の六つである。
(1)温度は12~14℃
(2)湿度は75%前後
(3)光線を避ける
(4)振動がない
(5)くさいものと一緒にしない
(6)必ず横にして寝かせる ≫ と出ている。
   「ボウル」の部分、上部のワインが入る部分を手のひらでつかむように持つと、手のひらの温度でワインが温まってしまう のです。 それを防ぐために、ワイングラスは、このような形状をしているのであって、鼻の下の長い女たらしを気取るために、わざわざ、かさばって収納に不便で、洗う時にもわってしまいやすいこんな形状をしているわけではないのです。
   もっとも、《ウィキペディア―ワイングラス》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9 を見ると、≪ 台を親指と4本の指でつかむのが一番スマートで、脚を親指と人差し指で持つのが一般的な持ち方ボウルを握るのは最も無粋とされてきた。≫ と書かれているものの、≪しかしボウルをつまんでもほとんど体温の影響が無いとする検証もあり、現在では脚のないグラスを販売しているメーカーも多い。≫とも書かれている。 又、≪日本では、ワインを手で温めることがないように、また「美しく見える」など理由で脚(ステム)を持つのがテーブルマナーとして紹介されており、国内で広く浸透しているが、これはグラスに注がれたごく少量のワインの色や香りを見定めるテイスティング(利き酒)で特に行われる流儀である。≫と書かれている一方で、≪一般的に欧米人が食事中にステム部分を持ってワインを飲むこと事はほとんど無く、モナコ皇太子、デンマーク皇太子、イギリス皇太子など皇族もそれぞれの結婚披露宴でボウル部分を持っている。最も格式のある公式晩餐会においても、フランス大統領、天皇、エリザベス女王、各国首脳はフルート型・ソーサー型に関わらずボウルを持って乾杯しており、「テーブルマナーとしてステムを持つのが常識」「ボウルを持つのは間違い」 と考えるのは日本人の誤解である。≫とも書かれている。
   しかし。 ワイングラスを持つ場合、「ボウル」ではなく「ステム」(脚)を持つべきであるというのは、「ボウル」の中のワインを手の温度で温かくしないためだけではなく、もうひとつ、手の感触として、冷たいものを手のひらで包むように持つと、決して、手の感覚として気持ちよくないという点もあるはずだ。
   「湯のみ」の場合、持つための「とって」はついていない。 これは、「湯のみ」に温かいお茶を入れて飲む場合、冬場は、手のひらで包むように持つことで、その温かみを感じるのがここちよいからでもある。 それに対して、夏場、冷たいものを飲む場合に、「普通のコップ」に冷水、冷たい麦茶、ジュ―ス、清涼飲料水などを入れて飲む場合に、手のひらで包み込むようにつかむかというと、たいていの人は、そういう掴み方はしていないはずだ。 無意識のうちに、冬場、「湯のみ」を持つ時は、手のひらで包み込むように持ち、夏場、冷たいものを飲む時は、「普通のガラスのコップ」を持つ時、指の先で持っているはずだ。 これは、冬場でも頭部はすずしい方がここちよく、夏場でも足の裏や手のひらは温かい方がここちよいものであり、そのため、「湯のみ」は手のひらで包み込むように持つという前提でできており、ガラスのコップは、手のひらで包み込むように持つものと考えて作られていないのだ。
   又、たとえ、≪ボウルをつまんでもほとんど体温の影響が無いとする検証もあり≫といっても、普通に考えて、温度は伝わるもので、ワインというものを、できる限りおいしく飲みたいと思えば、やはり、「ボウル」をわしづかみにするものではないと思う。 モナコ皇太子、デンマーク皇太子・・・がどういう持ち方をしていたとしても、ワインを大事に飲みたい、少しでもおいしく飲みたいと思えば、「ステム」(脚)を持つのが、やはり、正しいと私は思う。 ≪ボウルをつまんでもほとんど体温の影響が無いとする検証もあり≫という説がどれだけ信頼できるかわからない。普通に考えれば、温度は伝導するものだ。 たとえ、伝導する度合いが小さくても、その飲みものを大事にしたい、少しでもよりおいしく飲みたいと思えば、その小さい度合いの伝導でも防ぎたいという気持ちになるものだと思う。 そうでなければ、わざわざ、この形状にする必要もない。

  「ワイングラス」と「ゴブレット」はどう違うかというと、『キッチンスペシャリストハンドブック』には、
≪  ワイングラスには赤ワイン用、白ワイン用、兼用タイプとあるが、赤ワイン用はやや大きめである。
   ゴブレットワイングラスより大きめで、水など飲むのに用いる。 ・・・・
   その他にシャンペングラス、ブランデーグラス、カクテルグラスなどがある。 ・・・≫とある。
   今となっては15年以上前、ナポリの「ミケーレ」というピザ屋で、ゴブレットにいれて水を出され、「え? ワイングラスに入れて水を飲むの? 」と思い、それも、高級レストランではなく大衆向けの店でのことだったので、?、?、?と思ったが、それは、「ワイングラス」ではなく「ゴブレット」で、何らおかしなことではなく、「正しい冷水の飲み方」であったようだ。 最近、我が家でも、ワイングラス・ゴブレットにミネラルウォーターを入れて飲んでいるのであるが、「普通のコップ」で飲むよりも、ワイングラス・ゴブレットに入れて飲んだ方がおいしい・・・ような気がする。 水は、ワインのように温度で品質が変わるわけではないが、温度は変わる。 実際には、ワインと同様に、思っているほど、手の温度の影響は受けないかもしれないが、やはり、「水道の水」ではなく、「銘水」を飲んでいるのであれば、少しでも大切に、特に、「ガソリンより高い水」などは“貴重品”であり、少しでもおいしく飲みたいものだ。 『美味しんぼ』には、わさび の生産者が、すし屋で、わさびを皮をむかずに金属製のおろしですり、それを醤油にといて食べるのを見て、「粗末にされる」と怒りだす場面があった。(『美味しんぼ』によると、 わさびは、皮をむいて、金属製のおろしではなく、鮫の皮か、たとえ、金属製のおろしでも目の細かいものでおろし、醤油にとかずに、刺身の上にのせて食べるものだそうです。) ミネラルウォーターにしてもワインにしても、それを大事に扱いたい、大事にしてできるかぎりおいしく味わいたいと思えば、モナコの皇太子がどうしたか、フランス大統領がどうしたかにかかわらず、やはり、「ステム」(脚)の部分を持つべきでしょう。

   ところで。 自称「建築家」のおっさんNが、「ボウル」の部分をわしづかみにしたのは、このあたりを熟知した上で、「ステム」(脚)を持つのは「日本式」のマナーだと考えて、あえて、「ボウル」をわしづかみにしたのでしょうか? 違うと思うぞ。 清原が「自動車バック」でファーストフライを追いかけたのは、その時については、「自動車バック」で追い駆けた方が適切にフライを取れると判断して「自動車バック」をやったのかというと違うと思う。 同様に、「建築家」のおっさんは、「ステム」(脚)の部分を持つのは「日本式」のマナーで意味がないと思って「ボウル」をわしづかみにしたのかというと、違うと思うぞ。 やっぱり、「あ~んまり、そんな持ち方する人ないと思うけどなあ~あ・・・」という方だと思う。 まあ、「建築家」などというものは、そんなものだろ。 特に、スポーツカーに乗ってみせたり、営業なら通じない変わった格好してみせたりと「形から入るタイプ」の「建築家」は。
   
   根本的な問題として、ワイングラス・ゴブレットは、モナコ皇太子がどうしたのフランス大統領がどうしたのより、「ステム」(脚)を持った方が少しでもワイン・冷水の温度があがらない、ワイン・冷水を大事に扱っていることになり、手のひらの感覚としても「ボウル」をつかむよりもここちよい、という理由で、「ステム」(脚)を持つべきだと思う。 なんでも、西洋人の真似をする必要はないと思うし、ナポリの大衆向けのピザ屋で、「普通のガラスのコップ」ではなく「ゴブレット」で水を出したのは、やはり、ゴブレットに水を入れて、ゴブレットの「ステム」(脚)の部分を持って飲んだ方が、おいしいと、その店では考えたからだと思う。

   「ワイングラス」と「ゴブレット」の違いは、基本的には、大きさの違いらしく、百貨店の売り場に行って見ても、「ワイン・水用」と書かれたものもあったりする。 ということは、ワインにしろ、水にしろ、人それぞれ、飲みたい量は違うわけだから、「ワイングラス」で水を飲んで悪いことはないはずで、「ゴブレット」でワインを飲む人があっても、それも悪くないと思う。

   私は、最近、「ワイングラス」でミネラルウォーターを飲んでいる。 おいしい。(「ワイングラス」といっても、ブランド品でなければ、特別に高いわけではない。) 間違いなく、「ステム」(脚)の部分を持って飲んだ方がおいしい。 私が証言する。 ・・・というより、やっぱり、この形状をしている食器で、わざわざ、「ボウル」の部分をわしづかみにする必要はないと思う・・・。「ボウル」の部分をわしづかみにするなら、「普通のガラスのコップ」でいいことだと思うのだ。 そう思いませんか? 
   それに、ワイングラスは、「ステム」(脚)の部分を持つ方が持ちやすいし、普通に持つと、「ステム」(脚)の部分を持つと思う。 もしも、フランス大統領とかデンマーク皇太子とかが「ボウル」の部分を持ち、「日本人」が「ステム」(脚)の部分を持つならば、たぶん、「日本人」の方が正しい持ち方をしていると思う。 そう思いませんか?
   (2013.6.14.) 

(追記)  今回、このブログを公開して後、されに、インターネットで検索してみると、ワイングラスの持ち方について述べておられるものに、いくつか出あいました。
《イギリスで暮らそうっと!―日本人はヘンらしい》http://goengland.jugem.jp/?eid=354  では、イギリス人俳優・ヒュー=グラント や「イギリス人マネージャー」などがワイングラスを持つ写真を掲載して説明されています。 又、
《意外と知らないワイングラスの持ち方―日本人が誤解していること 》http://yuma-z.com/blog/2013/01/wineglass/ では、オバマ大統領がワイングラスを持つ写真などを掲載して説明されています。
両作者さま、ありがとうございます。
   なるほど、これらの写真を見ると、彼らは、「ステム」の部分を指で持つという持ち方はしていません・・が、「ボウル」の部分をわしづかみにして手のひらでグワッとかかえこむという「建築家」Nさんみたいな持ち方もまたしていません。 特に、オバマ大統領の写真で見ると、「ボウル」の下の方と「ステム」の上の方にかけてを持っており、薬指と小指は「ステム」の部分に添え、中指・人差し指・親指は「ボウル」の下の方をささえるという持ち方をしています。 これならわかります。 これなら、それほどは「ボウル」の部分に手のひらは密着しているわけでもなく、完全に「ステム」を持つよりも安定した持ち方と言えるかもしれません。
   しかし、「建築家式」はどうかというと、オバマ大統領や俳優ヒュー=グラントのような持ち方ではなく、すべて「ボウル」の部分を持つのであり、手にひらを「ボウル」に完全に密着させて、親指と他の4本の指で「ボウル」の中央というのか上よりというのかの部分をグワッとわしづかみにするのであり、それは「日本式」でないとともに、「欧米式」でもないみたいです。この「わしづかみ式」の問題点としては、(1)手に力が加わりすぎた時、「ボウル」を握りつぶしてしまうことになる危険性がある、(2)持った時に「ステム」(脚)と「プレート」(台)の部分がじゃまになり、どこかにひっかけて「ステム」の部分を折ってしまう危険性もある、という点があり、(3)「ボウル」の部分の温度を手に平にもろに感じることになり、手の感触として気持ち悪い、そして、(4)そんな持ち方するなら、ワイングラスでなくても、「普通のコップ」でいいことだとも思います。
   「マナー」「作法」としてどうかと別に、できるだけワインを大切に扱いたいという気持ちからということを考えれば、又、冷たい「ボウル」の部分を持つよりも「ステム」の部分を持つ方が手の感触として気持ちがいいという点から考えれば、「日本式」は「間違い」ということではないと私は思うし、又、私自身が自宅でミネラルウォーターや烏龍茶などをワイングラス・ゴブレットに入れて「ステム」の部分を持って飲んだ経験からいうと、「日本式」の方が手にひらに冷たさを感じずに気持ち良いように思います・・が、ある程度以上の時間、継続的に持つならば、オバマが持っているような持ち方の方が安定した持ち方で、手が疲れない持ち方かもしれません。 自宅で飲む場合は、自分が飲みたい飲み方で飲めば良いので、「日本式」で悪いことはないと思いますが、欧米人とつきあう時に、彼らが変に思うのなら、欧米人の持ち方で持つようにした方がいいのかもしれません。

  私が小学生の頃(1960年代後半から1970年前後)、日本では、サッカーは、「アマチュア」の日本リーグがあり、釜本などが活躍していました。 その後、1993年に「プロ」のJリーグができて、「お~れ~、おれおれ~え♪」とオレオレ詐欺みたいな歌(⇒《YouTube―WE ARE THE CHAMP ~THE NAME OF THE GAME~ 歌詞付き》http://www.youtube.com/watch?v=CIlCML9HLdY )が流れ、カズダンスとか飛行機ポーズとかする選手が続出し、ファンもスタンドでとび跳ねたり、試合後に集団で行進したりする人がでてきたりするようになりました。 しかし、「プロ」のサッカーリーグになったからといって、どうして、ヨーロッパや南米の人たちの真似をしなければならないのか、という気が私はしたのです。なぜ、「日本式」を駆逐しなければならないのだろう。 日本の運動選手として、1983年だったと思いますが、「朝日ジャーナル」で、野球の王貞治とマラソンの瀬古をとりあげ、この2人は、まるで、修行僧のような顔をしており、いかにも、「日本的運動選手」という感じがする・・というようなことが書かれていました。 まるで、修行僧みたいに練習にうちこむ「日本的」運動選手がよいかどうかというと、少し前、元・ロッテ監督のバレンタインが、ある週刊誌で、日本人の野球選手でアメリカ合衆国のメジャーリーグに行って活躍できない人は、実力がたりないのではなく、意識が真面目すぎるケースがあると思う、というようなことを述べていたのを見ました。もっと、「ラテンののり」とでもいうのか、気持を変えれば活躍できるのに、という選手がいる、そうです。 そういうことはあるとしても、「日本的」「修行僧みたい」が絶対に悪いかというとそうでもないと思います。 私が小学生の頃のサッカー選手・サッカー界は、もっと「日本的」だったように思います。観戦するファンも静かに観戦していて、スタンドでとび跳ねたりする人はあまりなかったと思うのです。イタリアや南米のサッカーファンみたいなことをやりたい人が日本でも出現して悪いと言うつもりはありませんが、小学生の頃、「日本的」なサッカーがわりと好きだった者としては、スタンドでとび跳ねたり、おれおれ詐欺の歌みたいな歌を歌ったり、カズダンス踊ったりというのは、あまり好きではありません。 そういうのが好きな人もいていいでしょうけれども、静かに観戦したい者はJリーグでは居場所を失ってしまったような感じです。釜本はカズダンスなんかしなかったと思います。どちらかというと、釜本は王とか瀬古みたいに「修行僧」みたいな感じだったように思います。 「サッカー選手というのはカズダンスしたり飛行機ポーズとったりするもの」と決まってしまったみたいなJリーグは「修行僧みたいな選手」を静かに観戦する日本リーグのサッカーが好きだった者を追いだして成り立ったように思います。 かつての、ヤンマーディーゼルとか東洋工業・三菱重工・日立製作所・新日本製鉄・古河電工でやっていた日本リーグがあれば、一度、見に行ってみたいなと思ったりもするのですが、その頃のサッカーがけっこう好きだった者にとっては、Jリーグはなつかしさを感じない別のものに思えます。
   福島県浜通り地方は、2011年3月の福島第一原発事故による放射能汚染の影響を強く受けてしまいましたが、その浜通りのいわき市常磐地区にあるスパリゾートハワイアンズは、かつては、常磐ハワイアンセンターといっていて、おねえさんがハワイのフラダンスを踊るのが特色として有名になったのですが、原発事故の少し前くらいに、ハワイアンズの経営者が、今後もスパリゾートハワイアンズは、≪コンセプトは「ハワイ」≫として続ける、但し、その「ハワイ」は、多くの日本人が比較的簡単に行けるようになった現在の実際のハワイではなく、かつて、決して誰もが簡単に行くことはできなかった「夢のハワイ」だった、その頃の日本人の頭の中にあった「ハワイ」である、と雑誌で述べていたのを見ました。実際のハワイが価値があるとしても、かつての日本人の頭の中にあった「夢のハワイ」が価値がないわけではない。 Jリーグはイタリアや南米のサッカー選手や応援風景を見て、それを取り入れるとともに、「日本式」のサッカーを追いだしたが、ハワイアンズは、かつての日本人の頭の中にあった「夢のハワイ」を続ける、と言っていたのです。(原発事故による放射能汚染を浜通り地域が受けてしまい、行きにくくなったのは残念です。)
   日本のワインの歴史は欧米よりはるかに浅いとしても、まったく歴史がないわけではない。 日本のワインの歴史として、「ステム」の部分を持つのが好ましいという認識が形成されてきたのですが、それはとんでもないおかしなことをしているわけでもないと思うのです。 欧米人とつきあう時に、彼らが変に思うなら、その時には、無理に「日本式」にこだわらなくてもいいでしょうけれども、サッカーとは「修行僧みたいな選手を静かに観戦するもの」ではなく「カズダンスする選手をとび跳ねながら応援するもの」だと決めつけて前者を駆逐したJリーグみたいに、「日本式」の持ち方を駆逐しなければならないことはないように思います。

  「建築家式」は、「日本式」マナーでもなく、「欧米式」とも異なり、やっぱり、「あ~んまり、そんな持ち方する人ないと思うけどなあ~あ・・・」というものだと思います。 清原の「自動車バック」みたいなもので、な~んで、そんな持ち方するかなあ~あ・・・という気がします。(清原だって、その時、そんなフライの追い方をしてしまったのであって、いつでも「自動車バック」やっていたわけでもないでしょう。) 人と違った持ち方をするとインスピレーションが湧いて、独創的な建築が思い浮かぶのでしょうか? 私は違うように思うけれども・・・。
    (2013.6.16.) 
  『美味しんぼ』でも、『美味しんぼ(おいしんぼ) [幸福の味! 素晴らしきフグ料理編]』(2000.12.22.小学館 MyFirstBIG)所収の 「魚の醍醐味<後編>」では、山岡が「欧米式」でワイングラスを持っている絵が出ていました。それから考えると、『美味しんぼ』の作者は「日本式」か「欧米式」かはそれほどこだわっていない のかもしれません。
  「建築家」式・「ボウルわしづかみ式」に持つ登場人物の絵はありません。 (2013.6.19.) 

この記事へのコメント

2021年09月06日 15:38
検索で飛んできて、タイトル通りの内容を期待したら大半がどうでもいい自分語りで草

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