労基法は子のない者の敵? 親を自治会で見させる人。老眼無礼男。船橋新京成バス乗らない―身勝手5態

[第190回]
【1】   『旧約聖書・創世記』によると、高齢になっても子供ができないアブラハムとサラの夫婦のもとに神が訪ねてきて、来年には子供ができると話す。アブラハムは「百歳の老人に子供が生まれるなどとは。サラにしても九十歳の身で、子を産むなどとは」とつぶやきますが、神は「いや、おまえの妻サラがおまえに男の子を産むのだ。おまえはその子をイサクと名づけよ。…」「…そこから諸国民を興し、諸民族の王たちを出現させる。」と述べます。
   住宅屋の仕事をしていて、お客様の子供の相手をしているうちに、なんだか、小学校に行く前くらいの子供、特に、女の子に、なぜか好かれるようになりました。結婚相手の対象とはなりえない女性にばかり好かれて困ったものですが、『聖書』には「主の山に備えがある」と書かれており、神は必ず子供を授けるとアブラハムに約束されたのですから、私もそう思って生きたいと思っています。
   世の中には、結婚できた人と結婚したいと思いながらふさわしい相手とめぐりあうことができずにいる人がいます。結婚できた人には子供ができた人と子供が欲しいと思いながらできずにいる人がいます。 自分が結婚できて子供もできたという人には、自分は子供があり少子高齢化対策に貢献しているのだから、ふさわしい相手とめぐりあうことができずにいる人間や子供ができずにいる人間は自分のために犠牲になる義務がある、と思っている人がいます。  ふさわしい相手とめぐりあうことができずにいる人間や子供が欲しいと思いながらできずにいる人間からすれば、そのような認識の者は悪魔です。 


【2】   私が今住んでいる地域で、これは身勝手ではないかと感じる方がおられます。私には高齢のすでに「後期高齢者」の年齢になった母がいますが母は脳出血と脳梗塞をやったことがあり体が不自由で近所の自治会の集まりなどに行きたいと思っても行けません。それに対し、表現が良いかどうかわかりませんが、「体だけ元気な年寄り」のような体は私より元気じゃないかという感じの「前期高齢者」がおられる家庭があります。
   「体だけ元気な年寄り」という表現は、民主党政権が誕生する前、自民党の麻生太郎が総理大臣の時、麻生太郎が、東京都府中市での演説で、「『体だけ元気な年寄り』って困りますよね。府中にもいませんか? 永田町にもいるんですよね~え。」と話した、とある週刊誌に載っていたのを読み、たしかにいるよな~あ、うちの近所にもいるよお~お、と思ったのです。 この表現をすると気分を害する「前期高齢者」の方もおられるかもしれませんが、年齢的に「前期高齢者」の年齢の人でも、「そう言いたい気持ちはわかる」と思う方もおられるのではないかと思います。人間は年齢だけで決まるわけでもなく、「前期高齢者」の年齢の人すべてが「体だけ元気な年寄り」というわけでもありません。その年代の人が誰もがそうだということではありませんが、しかし、「体だけ元気な年寄りって困りますよね~え」と言いたくなる方が現実におられると思います。
    我が家の近所の体は元気な「前期高齢者」の息子さんは私と同世代くらいだと思います。 それで、そのご家庭は自治会には、「前期高齢者」のお父さんを参加させるのです。私は、最初は、自治会には時間が取れる限り参加した方がいいと思っていましたし、人間的つながりはよほどおかしな相手でなければ多い方がいいと思っていたので、自治会を通じて近所の人と知り合いになれればその方がいいとも思っていたのです。 建築屋の仕事をしていましたので、もし、それが縁で仕事を頼んでもらえるならうれしいようにも思いますが、自営でやっているわけではなく人に雇われて仕事をしている場合、自分の勤め先がきっちりとした対応をしてくれるという保証はないので、近所の人から仕事をもらって契約してもらった場合に、それが原因で嫌われてしまうことになる可能性もないとはいえないから、それはよいかどうかわかりません。 いずれにせよ、そこから人的つながりが拡がるなら悪くないと思っていました。 厚生労働省委託で東京リーガルマインドが実施していた「就職支援セミナー」で、講師の方が、「私、前に、『ひとの奥さんと仲良しになるのが得意なんです』という男性の方と会ったことがあるんです。」と話されたことがありました。「誤解しないでください。 その方は保険の営業をされていたのですが、小学校のPTAの役員をやって子供のお母さんと知り合いになり、そこから契約をいっぱいいただいたそうなんです。」という話でした。 実際に、すぐに「御利益(ごりやく)」があるかどうかはわかりませんし、又、「御利益(ごりやく)」をがつがつ求めて人とつきあおうというのも浅はかだと思います(千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング有限会社の社長の○○川さんが「じんみゃく作るんだよお、じんみゃくう~う。」と言って、仕事そっちのけにして右翼団体の集会にばっかり行っていたのを見た時は、なんか、この人、勘違いしてるなあ、と思いました。)が、別に「御利益」がなかったとしても、人とのつながりはあった方がいいし、万一、暴漢に襲われたとか、強盗に入られたとかいうことがあった場合も、近所から孤立しているよりもつきあいがあった方がいいと思ったのです。
   しかし、我が家の近所の自治会は、年寄りが多いのです。 「年寄り」と言っても現役で働いている人、あるいは、一時的に失業しても、また、勤めに行こうと考えている人、あるいは、定年退職した後、この機会に学校に行って学ぼうとして「大学」や「大学院」に通っている人などの「前期高齢者」であれば、現役世代と変わらずつきあえると思います。 しかし、そうではなく、勤めに行く気はまったくなく時間は有り余っていて、頭はともかく体は元気元気という方の場合、現役世代の人間で遊び相手になってくれる人間が欲しいらしいのです。 それで、たとえ、安くても賃金のもらえる仕事につこうと考えると、仕事であれば、おもしろいこともおもしろくないこともあるのです。 おもしろくないことは嫌だと思えば勤めに行けなくなります。 えらそうにするだけでえらそうにされるのは嫌だと思うと「仕事」には行けません。 趣味のサークルだと相手に嫌がられると仲間は成立しません。 そこで、自治会なら、参加してだめとは言われないし、「私はみんなのためにやってるんだ」と大威張りで出席できるのです。 仕事ではないので、やりたい時にやりたいことだけやればいいし。 そういう方が参加していけないということはないのです。 しかし、現役世代の者としては、そういうとうに引退した「前期高齢者」の方と同じペースでの参加はできないのです。 そして、実際問題としてです。 現役世代の人が普段は参加するけれども、現役世代の人がどうしても都合がつかないという時に、「前期高齢者」のお父さんが参加されるというなら悪いことはないと思います。 しかし、毎回、「前期高齢者」のお父さん(「体だけ元気な年寄り」)が参加されるとなると、こちらは毎回、現役世代の者が参加するならば、結果として、私は自分の体が不自由な「後期高齢者」の母を放置して、人の親のまだまだ体は元気な「前期高齢者」のめんどうをみるために自治会に参加させられているのと変わらないことになるのです。 現役世代の者がまったく参加せず、「体だけ元気な年寄り」に毎回参加させてよその家の現役世代の人間に見させているそこの息子はずるいし、あつかましい。 年に1回、「クリーン船橋の日」というのがあり、自治会で、近所の溝の掃除などやっていたので、私も最初は近所づきあいのつもりで参加しました。 しかし、どう考えてもおかしいと思うようになったのです。 近所の「前期高齢者」の人としては、それが楽しみらしいのです。 近所の現役世代の人間と一緒にすごせて楽しいらしいのです。 そして、その方の現役世代の息子は出てこないのです。 おかしいじゃないですか。 私の母は、もう体が不自由で、溝や道路の掃除に参加などできません。 その体が不自由な自分の母を放置して、近所の溝掃除・道路掃除をレクリエーションとして楽しみにしている「前期高齢者」で現役世代の息子が出てこない人のめんどうを見るために、他人の親のヘルパーするために参加するというのはおかしいでしょ。 人の親のめんどうをみるくらいなら自分の親のめんどうを見るべきでしょ。 それで、溝掃除は、もし、必要なら、自治会の予算からお金を出して、清掃業者に依頼するか、近くの大学にアルバイトの募集を出して、大学生にアルバイトでやってもらうかしてはどうかと自治会の総会で提案したのですが、「みんなの交流のために必要なものだ。それを楽しみにやっているんだから。」と前期高齢者の方が言われ、又、「人手を出しやすい家(参加したい「前期高齢者」「体は元気な年寄り」がいる家)と出しにくい家(参加するような「前期高齢者」はいない、参加することは不可能な体が不自由な「後期高齢者」がいて、どうしても誰かが参加しないといけないとなると現役世代の者が参加するしかない家)がいると思います。」と私が発言したところ、「人手を出しにくい家には、かわりにお金を払ってもらうことにすればいい」と「体は元気な前期高齢者」の方が言いだされたので、ここで言っても理解されないんだと思い、その後は、「クリーン船橋の日」には参加するのはやめ、また、自治会の年会費を払うだけで総会にも参加するのはやめました。 「クリーン船橋の日」の溝掃除・道路掃除に参加しないと、私が家にいると思うと、我が家のインタホンを押して、出ないと「おかしいな。おかしいな。いるはずなんだけどな。おかしいな。」などと現役世代の自分の息子には参加させずに「前期高齢者」が参加している人が外で言われたりするのですが、自分のところは現役世代の人間(私と同年代か?)の息子や息子の嫁は一切参加せず、「前期高齢者」の「体だけ元気な年寄り」が参加する家の「前期高齢者」から自分たちのヘルパーをするために出てこいと要求されても、そんな要求をきいたのではアホ!ですから、絶対にでません。 自治会の総会に出ないと、現役世代の息子に出席させずに、毎回生きがいとして出席している「前期高齢者」が、「この間、でてこなかったけれども、どうして出ないの?」と自分の息子には言わずに、私に文句を言いにくるのです。 「どうして、あなたの息子さんは出ないのですか?」と言いたいところですが、言うと、相手にしてもらえると思って喜んでエンドレスに議論しだしますから、「ああ、そうでしたか」「はい、はい」とでも言ってそれ以上、議論しないよう、相手にしないようにするしかありません。 そこの家は特に貧乏な家でもないようですから、息子が自分が親の相手をするのが嫌なら「グループホーム」とか「ケアハウス」とかに行かせてそういうところのヘルパーさん・○○療法士さんに相手になってもらうようにすればいいと思うのですが、自治会に行かせてよその家の現役世代の人間に見させようとするのです。 何をやっている人か知りませんが、自分の親をよその家の現役世代の人間に見させようとするその人の息子は卑怯です。


【3】   昼間の船橋新京成バスには、ここしばらく、乗っていません。 何年か前までは乗ったのですが、あほくさいからやめました。 なぜ、やめたかというと、船橋新京成バスは、朝夕は通勤通学バスなのですが、昼間は年寄りバスだからです。 
   もう10年ほど前のことです。 昼間、船橋新京成バスに乗っていたところ、あるバス停で、車椅子の年寄りが乗車しようとしました。 運転手は車椅子であがれる金属製の板を乗車口にたてかけて、車椅子を押してあげようとしましたが、うまくあがりません。 すると、私の後ろのあたりに乗っていたおばさんが、「運転手さんひとりじゃだめよ。 誰か助けてあげなきゃ。体の不自由な人には助けるのが常識よ。」と言って、下から押す人と別に、上から引っ張る人として、誰か乗客が助けてあげるべきで、どうして助けないのかと口にしました。 それなら、まず、御自分がやるべきではないのか、御自分がやった上で、それでもたらないから他の人に協力を求めるならともかく、なぜ、御自分はどかっとふかぶかと椅子に座って不動の姿勢をとった上でそのようなことを口にするのかと思ったのです。 そうでしょ。 ところが、ふと見ると、どうも、そのおばさんは私の方を見ているのです。 その時、気づいたのです。 私は、残念ながら、もうあまり若くなくなってしまい、朝晩の船橋新京成バスの乗客の中では年寄りの方ですが、昼間の船橋新京成バスの乗客は年寄りが多いので、その時の乗客の中では私は若い方だったのです。 しかし、その発言をしたおばさんはそれほど年寄りでもなかったのです。私は実際の年齢よりいくらか若く見えるようですが、実際の年齢ではそのおばさんと私はそれほど年齢は変わらなかったと思います。 そして、私にはその時、乗車しようとしていた車椅子の人よりも高齢の母がいるのです。 できれば母にずっとついていた方がいいのですが、生きて行くためにはそうもいかないので、母にはがまんしてもらっているのです。 母は車椅子でなければ移動できないことはありませんが、その車椅子の人よりも高齢で、車椅子の部分以外はその人より体は不自由で、ひとりで出かけさせることはできないので、でかける時は私が付き添うか他の誰かに頼むかします。 その車椅子の人の息子なり娘なりは、なぜ、自分の親をひとりででかけさせるのでしょうか。 その人の息子なり娘なりは、その時、何やっているのでしょうか。 自分の親を放置して出かけて、自分の親を外出させる時には付き添うようにしているのに、息子が付き添わずに外出させている他人の親のめんどうを見るというのはおかしいですよね。 
   「安息日を覚えてこれを聖とせよ」と聖書には書いてあるわけです。イタリアのリグリア州サンレモのホテルに泊まった時、ホテルのフロントにいたのは若い女性で、その女性が部屋まで案内しようとするので、ホテルマンが男性の場合、荷物は部屋まで運んでくれるのが普通だが、女性に持たせるわけにもいかないと思い(日本の「観光ホテル」では仲居さんが男性の客の荷物でも持とうとしますが)、自分で持とうとした時、その若い女性が“ No,no,no.” と制止し、後でanother boy が部屋まで持っていきます、と英語で話し、そして、言った言葉が、“ You shoud’nt work on a holiday. ”(ユウ シュドゥント ワーク オンナ ホリデイ)(あなたは安息日に働くべきではない。)でした。 仕事の休みの日に、ひとりで乗り降りできないのは最初からわかっているのにひとりで外出させているその人の息子に変わって、私が安息日の規定を破って車椅子を引っ張るか押し上げるかするべきでしょうか。そのバスに乗ると、安息日の規定を破らなければならないということなら、そういうバスには乗らない方がいいと思います。  ケアハウスとか老人ホームとか病院とかいうところにはヘルパーさんという方がおられます。そういう方は給料をもらってひとの年寄りの世話を仕事としてされているのです。私は、安息日に、自分の親を放置して息子が付き添わずにひとりで出かけているひとの親のヘルパーを無料でするべきでしょうか。 その人の息子はその時どこで何をやっているのでしょうか。
   そして、何より、その時、私が何のために船橋新京成バスに乗っていたかというと、腰痛(椎間板障害)の治療のために整形外科に通うために乗っていたのです。 整形外科医からは重い物を持たないようにと言われていたし、特に、不自然な姿勢で持たないようにと言われていたのです。椎間板障害で整形外科に行くためにバスに乗って、椎間板障害に悪いことをバスでやったのでは何のために医者に通っているのかわかりません。 だいたい、自分が協力せずに、ひとに「誰か、協力しなきゃだめよ。 体が不自由な人は助けるのが常識よ。」とか言う人というのは、ちょっと頭おかしいのと違いますか。
   それで、昼間の船橋新京成バスには、一切、乗るのはやめました。 私の自宅の最寄りのバス停からJR総武線「東船橋」駅まで片道170円、往復で340円。 「船橋」駅までは片道210円、往復420円です。 自家用車で行って有料時間パーキングに停めたとすると、ガソリン代を別にして、駐車場代だけでバス代より少し高いのですが、不愉快な思いをするよりはその方がいいと思い、昼間の船橋新京成バスには乗らないことにしました。 

   但し、ひとりで出歩けるけれども、少々、体が弱ってきたというくらいのおばあさんを見かけたときには、高齢の母がある者として、配慮してあげたい気持ちになります。 横断歩道を渡ろうとしている時など、クルマで走っていると、他のクルマは停まらなくても停まってあげる気持ちに自然となるなどは、高齢の親を持つ者の気持ちかもしれませんが、それだけではありません。 今は昔、母が歳はいってきたけれども、まだ、脳出血や脳梗塞はやっていなくて、歩くだけなら歩けた時、東葉高速鉄道の「飯山満(はざま)」駅で降りて我が家に行こうとして、道がよくわからず、「飯山満」駅から出たところで、近くにあるその当時は女子高であった東葉高校という私立高校の高校生の女の子に道をきいたらしいのです。 そうすると、「私、一緒に行ってあげる」と言って、その女の子が母について途中まで行ってくれたというのです。 母は、「あなた、今、学校から帰ろうとして駅まで来たのでしょ。せっかく駅まで来たのに、また、戻らなくても。」と言ったけれども、「大丈夫。私、ついていってあげる。」と言って一緒に行ってくれたというのです。 東葉高校は、今は「飯山満」駅の南にありますが、かつては「東船橋」駅の西のあたりにあって、船橋学園女子高といい、あまり成績のいい人の行く学校ではなかったと地元の人は言いますが、でも、そこの高校生の女の子が、自分はせっかく駅まで来たのに、また戻って途中まで一緒に付き添ってくれたのです。付き添ってくれた人はもう卒業しているでしょうけれども、東葉高校の女の子を見ると、その時のことを思い出して、ありがとうねと思い、頭が下がる思いがします。


【4】   船橋新京成バスには、もうひとつ「思い出」があります。 JR総武線の「船橋」駅の北口から我が家の近くのバス停までバスに乗ろうとして、目の前で出ようとするバスがあったのですが、腰痛持ちとしては座っていきたかったので、1台後のバスにしようとして待ちました。 腰痛はあるのですが、高齢者ではないという気持ちがあるので、前の方の少し高くなった座席に座りました。 ところが、発車間際になって、猛烈なスピードで駆け込んできた男性があり、そして、私の横に立ち、こちらを見るのです。 その頃、私は今より若かったとともに、私は実際の年齢より多少若く見えるようなのです。 それに対して、その男性は少々禿げていたので実際の年齢より禿げている分だけ歳いって見えるようです。 しかし、実際の年齢は私とたいしてかわらないか、もしかすると私より若いかもしれません。 なにより、猛烈にダッシュして発車間際にバスにかけこむ体力の持ち主です。 ところが、発車間際のバスに猛烈にダッシュして乗る体力はあるくせに、自分よりいくらか若そうに見える者の横に立ってプレッシャーをかけているつもりだったようでした。 こういうやつには絶対に譲ってはならないと思いました。 腰が悪いため、座っていきたいと思い、そのために1台見送って後のバスに乗って座っているのに、自分と同じくらいかもしかすると自分よりも若いかもしれない猛烈にダッシュして乗車できる元気体力のある禿げた男に席を譲っていたのではアホです。 いずれにせよ、そういう経験をするので、休みの日に、そういうことでわずらわしい思いをしたのでは、安息日が安息日にならないので、昼間だけでなく、夕方も、休日にはできるだけ、船橋新京成バスには乗らないことにしました。

     東京圏の人間で、「大阪の人間は電車の乗る時のマナーが悪い」とか言う人がいるようですが、それは嘘です。千葉県の船橋で私はこういう経験をしています。 東京駅あたりからJR総武線の快速に乗ると、東京始発の電車を待って乗るなどせず、すでに来ている電車や久里浜・逗子から来た電車に乗ると、まず、座れません。 電車の中ほどに立って、前に座っている人が早めに席を立って下りてくれたらいいのになあと思って、早めに座れる時もあれば最後まで座れない時もあります。 しかし、目の前の席の人が立って去ったので座ろうとすると、まったく別のところから、ひょ~いと飛んできて座る決して高齢でない大人の男性がいます。 私、そういう人に、総武線快速内で何度もやられています。 大阪の電車ではそういう目に遭ったことは一度もありません。 東京人には、関西嫌い・大阪嫌いの人がいて、とにかく関西・大阪の悪口を言いたい人がいて、それで、「大阪の人間は電車に乗る時のマナーが悪い」などと勝手なことを言うようですが、それは言っている人の気持ちの問題であって、実際には、東京圏の人間がそんなにマナーがいいというわけではありません。


【5】  私が勤務した千葉市中央区鵜の森町の 新華ハウジング有限会社(建設業)で、40代前半の男Kが、ある時、私に、Kのために必要な書類を渡して「これ、読んで」と頼むので、何気なしに受け取ってしまったが、受け取ってしまってから、「こいつ、あほか」と思った。 私は、誠に残念無念なことに、老眼が始まってしまって小さい字で書かれたものは見にくいようになってしまった。 その男Kも老眼が始まったらしいけれども、私より若いのである。 老眼が始まるかどうか、始まったとしてどの程度かは年齢だけで決まるものではなく、眼に関して摂生した生活をおくってきたかどうかにもよるだろうし、近視の人間は老眼が始まるのは遅いという説もあるらしいし、それ以外の要素もあるだろう。 しかし、である。 たとえ、自分より年上の人間が自分よりも老眼が出ていないように思ったとしてもである。 たとえ、そうであったとしても、自分が老眼が始まったからといって、自分よりも年上の人間に、細かい文字のものを読んでくれと頼むというのは失礼である。 自分より約10歳も年上の私に平気でそういうことを頼むKを見て、「この男は(『営業』として入社したというが、人間としては)営業ではないな。」と思った。又、前職としてK建設で住宅展示場のアタマをやっていた時があったと自称していたというが、もともと、「展示場のアタマ」なんぞたいしたことないが、このあたりの無神経な態度を見ると、展示場のアタマをやっていたことがあると自称している「経歴」も実際にそうかどうかわからないと思った。 もともと、展示場のアタマなんぞたいしたことないが、しかし、アタマであってもなくてもある程度以上営業の経験のある人間がここまで無神経というのはおかしい。


《再度【1】》  私が勤務した千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング有限会社(建設業)・ビルダーズジャパン株式会社(宅地建物取引業) に社長の妻の友人だということで奇妙な女性が縁故入社で入ってきました。  その人は「営業」として入って来たのですが、住宅建設業・不動産業の営業は、契約をあげるのが仕事です。 契約をあげるためには勤務時間であるかないかにかかわらず働かざるをえないというのが、住宅建設業・不動産業の営業の仕事の実状です。
   ところが、その女性T口さんは、まず、自分の都合に合わせて勤務時間を決めるのです。まず、会社というものは、その仕事に必要とされる時間に働くことのできる人を雇うものであって、その人が働きたい時間に合わせて勤務時間を決めるものではないはずなのです。 私は、交通誘導の警備員(ガードマン)の仕事をやったことがありますが、交通誘導警備(ガードマン)は日勤(朝8時から夕方6時まで)と夜勤(夜8時から朝6時まで)があり、日勤をやりたいか夜勤をやりたいか希望を言って、どちらか選ぶことができました。 病院の看護婦さんや老人ホームのヘルパーさんは、日勤だけの人と夜勤もする人があるようで、一般に夜勤をやる人の方が給料は高いと聞きますが、これも、最初に勤める時に希望を言って選ぶようです。 そういうことであらかじめ決まっている2つか3つの勤務形態から希望の方を選ぶということならありえますが、仕事の内容を無視して、その人の勤めたい時間帯に勤めるということを認める会社というのは、あまり見たことがありません。
   新華ハウジング有限会社の場合、2011年4月から、四国・徳島市の株式会社フィット(http://www.fit-group.jp/ )と提携して、「フィットのやり方」を取り入れたようですが、これが「フィットのやり方」であるのかどうかはわかりません。 私が勤めてきた在来木造の I 社などでは、別に帰りたければ帰っていいし、途中で私用外出しても特にとがめられませんが、全体として働いていなければ成果はでませんから、結果としては働かないわけにはいきませんし、新華ハウジング有限会社(建設業)(不動産業ではビルダーズジャパン株式会社)のT口さんみたいに、人より後からきて人より先に帰るということを当たり前のようにやっていたのでは、遅かれ早かれ、居場所をなくして職場から消えて行くことになります。 もしも、人より労働時間が短いにもかかわらず人より成果を出せるだけの実力があるならばそれでもいいのですが、I 社などで全国で1、2の成績を残していた人などを見ると、能力があるだけでなく、あるいは、時としてきたないことをやっているケースもあるとしても、やっぱり、ある程度以上は働いていると思います。 T口さんみたいに、しろうとの新人が常に人より後からきて常に人より先に帰るというので成果が出るとはまず思えません。
   それで、問題は「フィットのやり方」です。 住宅建築請負業や不動産業の営業は、「基本給+歩合給」の制度の会社が最も多いと思いますが、「フィットのやり方」は固定給なのです。 「仕事が楽しかったら、給料なんか、要らな~い!」と毎朝、朝礼で全員で絶叫する会社だそうで、なかば、宗教団体みたいですが、そういうやり方なので、歩合給がなくても働く人がいるのでしょう。 
   もうひとつは、女性営業の問題です。在来木造 I 社にいた時、I 社の工場で、ブラジル人やインドネシア人・フィリピン人の労働者を使っていたのですが、彼らは日本では安い給料でも、日本の労働基準法に違反する労働でもやるのです。勤務態度は不真面目ではないようです。ただ、日本人なら、特に何も言わなくても、たとえば、柱材を「超仕上げかんな盤」という機械でかんながけをする場合、指示されたやり方でやってもきれいにできていない場合、十分に出荷できるレベルにまでなんとかしようとするのですが、外国人の労働者は指示されたことはやるけれどもそれでうまくいっていなくても関知しないようなのです。そういう問題はあるけれども真面目に働くようなのですが、逆に、彼ら、ブラジル人・インドネシア人・フィリピン人の労働者は日本人なら「ふざけるな」と思うような給料でも働く為、同じ職場で同じ仕事をすると、現実問題として、結果として、彼らのおかげで日本人の労働者の給料が引き下げられることになります。又、労働基準法・労働安全衛生法は法律で禁止されておれば守られるというものではなく、その職場の労働者が守られるように働きかけてこそ守られるものですが、彼らは一定の期間働いてカネを稼いで母国に帰ればそれでいいと思っているので、この点でも、結果として、労基法違反・労働安全衛生法違反を増やす方向につながる面があります。 I 社の総務部長だったAさんは「国籍によって人を差別してはいかんだろうが」と言う言い方で、日本人の従業員の労働条件を後進国の外国人労働者(日本より賃金相場の低い国の労働者)のレベルに引き下げようとするのですが、そういうことを言うなら自分がその条件で働くべきですが、決してしません。ずるい男です。髪薄いくせに、こういうずるい言い回しを考える頭はあるのです。
   同様に、女性を営業に雇った場合も、「子供があるから」と言って来たい時に来て帰りたい時に帰る人の給与が基準になり、「男女平等」だとしてそれに合させられると、結果として、男性も含めた従業員の給料を引き下げることになります。それが「フィットのやり方」かどうかはわかりませんが、現実にそういう面があります。かつ、住宅の営業は仕事の内容がそういう勤務の仕方で成り立つものではないので、子供を大義名分に来たい時に来て帰りたい時に帰る人がいるとその分のしわよせを他の従業員(主として男性)が押しつけられることになるのです。それで、給与や処遇は「男女平等」だと言われたのでは、男性はたまりません。
   「基本給+歩合給」の会社では、営業は成果を出せなければわずかな基本給部分しかもらえないので、なんとか歩合給部分を取得できるようとしますが、「固定給」かつ「チーム制営業」という「フィットのやり方」であればどうなるでしょう。毎日毎日、定時に退社する女性T口さんのおかげで、他の従業員がT口さんの分まで時間外に無賃労働をさせられることになるのです。なったのです。それが「フィット(http://www.fit-group.jp/ )のやり方」でしょうか。
   T口さんは、定時ぴったりに毎日毎日タイムカードを押して帰っています。 終業時刻というのは、その時刻までは仕事をしているという時刻です。終業時刻まで仕事をしてそれから帰ろうとすれば、普通、タイムカードを押すのは終業時刻より少し後になるものですが、それをT口さんだけは毎日毎日定時きっちりぴったりにタイムカードを押して帰っているのです。なぜ、そういうことができるかというと、終業時刻より前から帰る準備をしているからです。アブノーマルに労働組合が強い役所とか一部の会社の工場などでそれが通じている所があるようですが、営業の職種でそれが通じる会社というのは私は今まで新華ハウジング有限会社・ビルダーズジャパン株式会社のT口さん以外に見たことも聞いたこともありません。特に、新華ハウジング有限会社・ビルダーズジャパン株式会社の場合、しろうと新人のT口さんだけ通じていたのですから、かなり、特殊なケースです。私、在来木造 I 社では全従業員中1割もいない「勤続表彰」受賞者(10年以上勤務)でしたが、営業で毎日毎日定時に退社した人なんて、何月何日に辞めると決めた人が営業成績にかかわらずそれまでの間定時退社することはありましたが、それ以外には見たことありません。できるだけ時間外労働をしないで成果を出そうという方向で努力する人はいますが、あくまで「できるだけ」であって、毎日毎日定時きっちりに退社する人なんて、営業の職種の人間で見たことありません。そういう勤務で成果を出すことができるかというと、普通は出せません。特に、T口さんのようなしろうとの新人がそれを堂々とやるようでは、「また、変なやつ、採用しやがったか」と周囲から思われ、「この人は6カ月以内くらいでやめる人だ」と認識されることになります。ところが、「フィットのやり方」では、「チーム制営業」ですから、T口さんが働かない分は他の従業員が時間外労働をして働くことになります。しかし、社長の妻の○○川◇華さんも、よくやってくれると思います。自分の友人の為なら他の従業員を犠牲にしていいという認識のようですが、そういうことをやって会社は発展するのだろうか・・・というと、今、倒産の手続きやってます。 なるほど、という感じがします。
   それで、 「労働基準法と就業時刻から考えれば帰ってよいはず」というのと、「私は子供がありますから」というのが、T口さんの理屈らしいのですが、 「労働基準法と就業時刻から考えれば帰ってよいはず」なのはT口さんだけではないのです。他の従業員もそうなのです。なぜ、自分には労働基準法を主張して他の従業員には自分が働かない分のしわよせに労働基準法違反の時間外無賃労働を要求するのでしょうか?
  労働基準法を楯にして話をするのは、会社使用者に対して言うべきもので、その人のやり残しの仕事を労基法違反の無賃労働で勤務時間外にさせられている他の従業員に言うことではない。 もし、労働基準法を楯にして話をするならば、社長の妻の友人の自分にだけ労働基準法を守れ! 他の従業員は自分がやり残している仕事を労働基準法違反の時間外労働を無賃労働でやれ!と言うのではなく、その職場の労働者誰もに対して労働基準法を守れ! と言うべきです。
   「私は子供がありますからねえ」と大威張りで言うのですが、子供のある人は他にもあるのです。なぜ、T口さんの子供の為に他の人の子供が犠牲にされるのですか? なぜ、他の人の子供はT口さんの子供の犠牲にされなければならないのですか?
   家族は子供だけではないのです。私の場合なら、高齢でできるだけ一緒にいるようにしたい親がいます。子供は産もうと思って産んだはずですが、親は良い親か否かにかかわらず、持とうと思ったからいるのではないのです。持ちたいと思ったわけでも持ちたくないと思ったわけでもないけれどもいるのです。世の中には「親の恩は海より深く山より高し」とかなんたらかんたら言いたがる人がいますが、そういう問題ではありません。「海より深」いかどうかなんか関係ありません。体が不自由な親を放置しておけないのです。なぜ、T口さんの子供の為に私の親は犠牲にならされるのですか?縁故入社でT口さんを入れた社長の妻の ○○川◇華さん、教えていただけませんか? 母は高齢になるに従って若い頃と違って我慢もしてくれるようになりましたが、そのかわり、若い頃と違って、戻ると言っていた時刻に戻らなかったりすると目に見えて弱るのです。なぜ、T口さんの子供の為に私の母は寿命を縮めさせられなければならないのか説明していただけませんか? 
   そして、普通、人より先に変える者は、「すいません。お先、失礼いたします。と挨拶して帰るものですが、T口さんは1回として言ったことがない。いったい、どういう教育を受けてきたのか。親の教育も悪いが、前職の職場(http://www.rehouse.co.jp/LSP00000IS/chintai/ )の社員教育も悪すぎる。相当レベルの低い職場ではないかという感じがします。
   なにより。 子供がある人というのは、(1)結婚できて、(2)子供もできた、という人です。結婚したいと思いながらふさわしい相手とめぐりあうことができていない人間は、ふさわしい相手とめぐりあうための活動をする時間が必要なのです。 結婚できたけれども、まだ子供ができないという人は、子供ができるような行動をする時間が必要なのです。決して暇なのではありません。結婚できて子供もできたというそこまで達成できた人間より、達成できていない人間は忙しいのです。なにゆえ、結婚もできて子供もできたという女が、まだふさわしい相手とめぐりあうことができず結婚できていない人間から、ふさわしい相手とめぐりあうための時間を奪い取る権利があるのですか? なぜ、結婚もできて子供もできたという女が、結婚はできたけれどもまだ子供ができないという人間から子供ができるための行動をおこなう時間を奪い取る権利があるのですか? なにゆえ、結婚もできて子供もできたその女の夫は、ふさわしい相手とめぐりあうことができずまだ結婚できていない者から、ふさわしい相手とめぐりあうための活動をする時間を奪い取ることが許されるのですか? なにゆえ、結婚もできて子供もできたその女の夫は、結婚はできたけれども子供が欲しいと思いながらできずにいる人から、子供ができるための行動をおこなう時間を奪い取る権利があるのですか?社長の妻の ○華さん、説明していただけませんか? 
   【1】をふりかえって見てください。≪世の中には、結婚できた人と結婚したいと思いながらふさわしい相手とめぐりあうことができずにいる人がいます。結婚できた人には子供ができた人と子供が欲しいと思いながらできずにいる人がいます。 自分が結婚できて子供もできたという人には、自分は子供があり少子高齢化対策に貢献しているのだから、ふさわしい相手とめぐりあうことができずにいる人間や子供ができずにいる人間は自分のために犠牲になる義務がある、と思っている人がいます。 ふさわしい相手とめぐりあうことができずにいる人間や子供が欲しいと思いながらできずにいる人間からすれば、そのような認識の者は悪魔です。

   「子供」を大義名分にして定時に帰り、自分の仕事を担当外の 結婚したいと思いながらできずにいる者・結婚はできたけれども子供が欲しいと思いながらできずにいる者に時間外に無賃労働でさせて当たり前のように思っているような女、及び、そのバカ女の夫の白痴男は、結婚したいと思いながらふさわしい相手とめぐりあうことができすにいる人間、結婚はできたけれども子供が欲しいと思いながらできずにいる人間からすれば、悪魔です。
   「子供」を大義名分にして定時に帰り、自分の仕事を担当外の 結婚したいと思いながらふさわしい相手とめぐりあうことができずにいる者・結婚はできたけれども子供が欲しいと思いながらできずにいる者に時間外に無賃労働でさせて自分は帰って当たり前のように思っている女とそのバカ女の夫の白痴男夫婦の子供は悪魔の子 です。

  「営業」とは何か―→「人の気持ちを理解することである」とするならば、≪「子供」を大義名分にして定時に帰り、自分の仕事を担当外の 結婚したいと思いながらできずにいる者・結婚はできたけれども子供が欲しいと思いながらできずにいる者に時間外に無賃労働でさせて当たり前のように思っているような女≫というのは根本的に「営業としての資質がない」ということになります。 “ ≪「子供」を大義名分にして定時に帰り、自分の仕事を担当外の 結婚したいと思いながらふさわしい相手とめぐりあうことができずにいる者・結婚はできたけれども子供が欲しいと思いながらできずにいる者に時間外に無賃労働でさせて≫≪当たり前のように≫≪自分は帰≫るという普通の人間にはできないことをする営業力がある ”・・のではありません。そのようなふてぶてしい自分の為しか考えない周囲と協調しようとしう気持ちのない異常な神経を「営業力」とは言いません。
   私が過去に応募して不採用にされた住宅建築業兼不動産業の某社では、面接の際に、「エントリーシート」と称するものに記入を求め、そこで「結婚している女性の場合、もし、子供が病気になった時は、どうしますか?」という質問事項がありました。その会社では、子供が病気になった場合でも誰かに頼んで仕事に出てこいというのでしょうか。私は、子供が本当に病気になったという時くらいは、会社使用者も周囲の従業員もその人とその子供に配慮していいと思います。そのかわり、子供のある人はその人だけではなく、子供は女性だけが見るべきものではなく男性も見るべきものであり、又、家族は子供だけではないので、男性か女性か、年配者か若年者かにかかわらず、職場の他の従業員の都合・事情も考えて、別の機会に他の人の為にも配慮するべきです。自分の事情を主張するだけでなく、他の従業員の事情も配慮できる人であれば、子供が病気になったという時くらいは、考慮していいと私は思います。但し、その会社で、そういう質問のしかたをしていたというのは、もしかすると、過去に、実際には子供が病気であったわけでもなさそうなのに、なにかと「子供が病気で」とそれを理由にして自分の身勝手を主張した人がいたのかもしれません。子供というものは、女性だけでなく夫婦で見るべきものであり、「結婚している女性」にだけこのような質問をするというのは不適切ですが、現実に、「子供のある男性」には子供を大義名分にする人があったとしても程度がそれほど激烈でないのに対し、女性には、子供を大義名分にかかげれば、世の中の人間は誰もが自分の言うことに従うのが当然だと思っている新華ハウジング有限会社・ビルダーズジャパン株式会社の縁故入社のT口さんのような人がいるのでしょう。会社使用者は、そのあたりのことも配慮して人を採用するかどうか考えるべきで、採用後も、他の従業員が迷惑を蒙らないよう考えるのが使用者の仕事で、自分の仕事をきっちりとやらずに子供を大義名分に毎日定時に帰って、その分を担当外の従業員に時間外に無賃労働でさせようとする者に注意もしない経営者というのは、その女のおかげで時間外無賃労働を余儀なくされた従業員に対して労働契約上の使用者の義務である保護義務を怠っていることになり、保護義務違反として債務不履行責任を問われる問題です。会社を倒産させてしまえば、債務もへいまもないと思っているのかもしれませんけれども・・・。
   私なら、自分の子供を悪魔の子にしたくはないのですが、そういうことに平気な女とその夫が世の中にはいるようです。その子供の為にもよいことではないと私は思うのですが、悪魔にはそういう意識はないのでしょう。

   自分が学校から駅までせっかく来たのに、おばあさんがいると思うと「わたし、一緒についていってあげる」と言って付き添ってくれた気持の優しい東葉高校の女の子には、きっといい子ができるでしょう。きっと神様が守ってくださると思います。 
   そして、悪魔には悪魔の子ができる。悪魔の子は親と同じような悪魔になることでしょう。おそらく、顔も似た顔になるでしょう。 
    (2013.7.25.)
〔【1】・《再度【1】》と【5】を、会社と営業の話(41) といたします。〕

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