『必殺仕事人』の里(1)上―上野東照宮 訪問「あきらめるのはおよしなさい。あなたのそばに仕事人」上

[ついに、第200回] 
   『必殺仕事人』の里、上野東照宮+上野動物園に言ってきました。 
「仕事人。 俺の恨み、家族の恨み、晴らしてくれえ~」と、最後の望みをかけて、「仕事人」に依頼するのが、上野東照宮。 で、なんで、上野東照宮なの? て、考えたことありませんか?

   恨みを晴らす神さまといえば、やっぱり、菅原道真でしょう。 江戸であれば、湯島天神(文京区湯島3丁目)か北野神社(文京区春日 )、平河天満宮(千代田区平河町)、もしくは、上野公園内でも五條天神社(台東区上野公園 )。 でなければ、平将門を祀る神田明神(千代田区外神田 )・・・・という気もするが、そうなると、恨みを晴らしてくれえ・・と頼む相手が「仕事人」ではなく、「天神さん(=菅原道真)」とか将門さんとかになってしまうので、『必殺仕事人』の依頼場所にならなくなってしまう。
※北野神社⇒[第169回]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html 
  平河天満宮⇒[第140回]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
   しかし、だからといって、なんで、上野東照宮なの? て考えたことありませんか?
   だって、上野東照宮で祀られているのは、徳川家康ですよ。 上野東照宮のホームページの「上野東照宮とは」http://www.uenotoshogu.com/about/を見ると、≪御祭神 徳川家康公 徳川吉宗公 徳川慶喜公≫と書かれていますが、上野東照宮ができた時においては、暴れん坊将軍も、「神君家康公以来の秀才と言われた」というが実際にどうかは知らん(と『風雲児たち』に書かれていた)慶喜も、まだ生まれていなかったわけで、『必殺仕事人』の時代設定は暴れん坊将軍より前か後か微妙で、慶喜は『必殺仕事人』より後ですから、その時代の祭神は徳川家康だけだったはずです。 「上野東照宮とは」には、≪1616年、2月4日、お見舞いのために駿府城にいた藤堂高虎と天海僧正は、危篤の家康公の病床に招かれ、三人一つ所に末永く魂鎮まるところを作ってほしいという遺言を受けました。そこで藤堂家の屋敷地であった上野に1627年に東照宮を造営しました。 ≫と書かれています。 藤堂高虎といえば、司馬遼太郎の『関ヶ原』(新潮社)などを読むと、関ヶ原の戦いの頃、徳川家康が有利と見て、外様でありながら早々と徳川方についた風見鶏ナンバーワンとされる男であり、天海といえば、人生の前半は不詳で、後半になって徳川にとりいってはぶりをきかせ、上野寛永寺を徳川に作らせ、徳川家はもともとは浄土宗であったにもかかわらず徳川幕府の将軍の半分は天台宗の寛永寺に葬らせ、家康が生前に行ったこともない日光に家康の墓所を設けるようにもっていった政治ボーズであり、家康・藤堂高虎・天海の3人となると、お狸様3人衆 て感じで、不遇にして他界したとか恨みをのんで死んだとかいう人たちではないわけで、菅原道真とか早良親王とか崇徳上皇とか平将門とは違うわけです。そこから考えると、恨みを晴らす神社 て感じじゃないのですが、まあ、もっと他の神社だと、どうしても、恨みを晴らしてくださいと頼むのも、その神社の祭神にお願いするような感じになり、そうなると『仕事人』の話にならなくなってしまうので、そうならない神社で有名な所で江戸にある所・・というと、上野東照宮・・ということでしょうか。
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↑ 上野東照宮 唐門と拝殿。
↑ 上野東照宮は、かつては、左側から社殿の後ろを通って、社殿の右側の弊殿部分からあがり、拝殿の中に入らせてもらうことができました。 重要文化財になっているような社殿で、拝殿の中にあがらせてもらえるのは少数派だったと思います。 私は、過去に2度、入らせてもらったことがあるのですが、現在は、社殿の保存修理工事をおこなっているということで、唐門の前までしか行けず、拝殿の中に入ることはもとより、拝殿の前まで行くこともできません。
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(↑ クリックすると大きくなります。大きくして御覧下さい。↑)
・・・・・となると、「仕事人」に依頼するのも、拝殿の前でではなく、唐門の前あたりでお願いできるということでしょうか。
⇒《YouTube―月が笑ってらぁ / 藤田まこと》http://www.youtube.com/watch?v=NGChE2sZbfI
  拝殿・弊殿・本殿の保存修理工事が、「工期 平成20年12月23日~平成25年12月31日」で、「株式会社 さわの道玄」という所がやっているようです。 
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  で、問題はもうひとつあるのです。 テレビの『必殺仕事人 激突』を見ていると、「仕事人」に依頼する時というのは、たいてい夕暮れ時か夜なんですが、ところが、拝観時間てやつがありまして、季節によっても違いがあるらしいのですが、↓なんです。
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でも、「仕事人」に依頼しようという気持ちになった人間というのは、もう、必死なんです。 拝観時間が過ぎてますからなんて言われたって、仕事人に依頼するためならそんなこと言ってられないんです。
となると、たとえ、塀を乗り越えても何をしてでも東照宮の拝殿前かせめて唐門の前まで夕暮れ時以降に行かなきゃならんのですよ。
  で。 そこで、おまわりに、そのなんと言いましょうか、ぶくう~っと醜く肥った1対1なら警棒くらい持っとってもこんなヤツには負けんわという感じのブタ(ブタイヌ?)に(そんな人間だから、丸腰の市民ひとりに対して5人も6人もでよってたかって暴力をふるうのでしょうね。 丸腰の市民ひとりに5人も6人もでよってたかって襲いかかり蹴りかかるということを日常的にやっている人間だから、だから、体も締まらずぶくぶくぶたぶたと肥るのでしょうね。)、「何してるんですか」とか言われたといたしましょう。 「何者じゃ?」とか言われたといたします。 こう答えましょうか。
「仕事人。極悪を成敗いたす。」と。
⇒《ニコニコ市場―必殺仕事人》http://ichiba.nicovideo.jp/item/azB00005F67H
⇒《YouTube―必殺仕事人V激闘編「荒野の果てに」 》http://www.youtube.com/watch?v=ugz8Zyr3wuw 
そして、「暴力亭税金泥棒乃介」を一匹まずそこで成敗するといたしましょうか・・・。 しかし、ここで問題があります。だって、こちらは依頼者であって「仕事人」じゃないんですよ。 自分で成敗できるんなら、「仕事人」に依頼することないじゃないですか。
  で、まあ、時代とともに依頼の形式も移り変わるのかもしれませんから、拝観時間が過ぎたときには、閉められた時、入れる所まで行けば、きっと、そこで依頼も受け付けてくれるのではないのでしょうか。


  それで、上野東照宮の参道の脇に五重塔が立っているのですが、これはどこの五重塔か。 最初、上野東照宮の五重塔か寛永寺の五重塔か、というようなことを考えたのです。 渡辺照宏『仏教』(1974.12.20. 岩波新書)には、≪中国や日本の仏教とインド仏教との著しい差異を示す一例は塔である。日本では三重塔、五重塔の如き木造の建築物をいうが、漢字の“塔”はサンスクリットの“ストゥーパ”の音写である。インドのストゥーパも時代によって変遷があるが、その基本型は上のサンチ―の大塔の如きものでる。・・・≫と書かれている。「塔」は、もともと、「ストゥーパ」というサンスクリットから来たもので仏教のものということですから、神社のものかお寺のものかというと、お寺のもののような気がします。 現在の寛永寺は東京国立博物館よりまだ後ろ、JRの駅では「上野」駅より「鴬谷」駅に近いくらいの場所にあって、この五重塔とはずいぶんと離れています。
  日光は、「二社一寺」と言われますが、一寺は輪王寺、二社とは二荒山神社と日光東照宮で、日光東照宮の前にも五重塔がありますが、それは東照宮の五重塔です。 五重塔とか三重塔というのは、もともとは仏教のもので、それも、もとの飛鳥寺では、塔を囲むように金堂があって塔が中心であったのが、四天王寺では「門―五重塔ー金堂ー講堂」と一列に並ぶようになり、法隆寺では門と講堂の間に塔と金堂が横に並び、薬師寺になると金堂の前に塔が2つ東西に立つようになり、序々に中心が塔から金堂に移っていったと言われますが、それがさらに後になると、塔が装飾的なものになって、そして、お寺ではなく神社でも塔が建てられるようになった、ということでしょう。 ロシアのキリスト教会は、屋根に丸くてふっくらして上が小さくなるホイップクリームを落としたような形状のものが多いが、それは、イスラム教の寺院の建築から取り入れられたといいますし、本来は他の宗教で建てられた様式のものが装飾として取り入れられるということもあるでしょう。
  それともうひとつ、明治になって神仏分離令が出て、神社とお寺が別れましたが、別れた方が本来的である寺・神社もあると思いますが、寺と神社がくっついてしまって無理に分けるのは難しい寺・神社もあったのではないかと思うのです。 上野の場合、調べてみると、上野の寛永寺というのは、江戸時代の終わり頃においては、現在の上野公園、東京文化会館・国立西洋美術館・国立科学博物館・東京国立博物館・東京都美術館・東京芸大・上野動物園・不忍池・JR上野駅をも含んだ広大な場所を寺域とし、現在の上野公園の中央噴水あたりに根本中堂(本堂)があり、東京国立博物館のあたりに本坊があって、現在の寛永寺の所には寛永寺の塔頭のひとつがあったらしい。 日光が二社一寺で成り立つように、上野も寛永寺の一部分として所属するように上野東照宮も存在したらしい。 だから、東照宮はもともと徳川家康を祀ったものであるが、寺か神社かどちらかと言えば神社であるとしても、寛永寺に属するものとして建てられていたことから考えると、五重塔が、寺か神社かどちらかと言えば神社である上野東照宮の参道脇にあって、東照宮の五重塔であったとしても、寛永寺の五重塔でもあったと考えることができるので、そう考えれば、もともとは仏教の「塔」が、「寺か神社かと言えば神社」である東照宮にあってもおかしいことではないのかもしれません・・・が、ここで、??? と思うのが、現在、この塔はどこにあるのか、という問題なのです。上野東照宮の側からはこの塔のすぐ下までは行けないのです。
  現在は、「東京都の管理で、上野動物園の敷地」にあるようです。  なんで、五重塔が動物園にあるの? て感じがしますが、動物園に五重塔を建てた、のではなく、上野東照宮と上野動物園の境界が五重塔を動物園の側になるように設定されているのです。なじかは知らねど。 
  でもね。 上野動物園に入って五重塔を見ると、↓
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↑なんですよ。
  ところが、上野東照宮の参道から見ると↓なんですよ。
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↑  動物園から見た方が五重塔がよく見えるというのは、やっぱり変な感じです。
  五重塔の足もとに水鳥がいるのも変↓ だけれども、これは、上野動物園で飼っているのではなく、不忍池あたりにいるのが飛んできたみたいですね。
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  それで、今回、上野動物園に初めて入ってみました。 上野東照宮を見学する場合、できれば、上野動物園にも600円入場料を払って入って見るといいと思います。 上野動物園の敷地内に五重塔があるとともに、上野動物園から上野東照宮の背面が見えます。
   ブログの字数制限もありますので、上野東照宮の背面などは、次の稿に回します。 今回は、2回でワンセットとして公開させていただきます。 続きとしての
[第201回]《必殺仕事人』の里(1)下―上野東照宮 訪問 「あきらめるのはおよしなさい。あなたのそばに仕事人。」 下》 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_6.html  もぜひ御覧くださいませ。









  御存じのことと思いますが、上野東照宮は上野公園内にあり、最寄駅は、JR 山手線・京浜東北線等「上野」、京成「上野」、東京メトロ 銀座線・日比谷線「上野」です。 日比谷線の「上野」は上野公園には少々遠いので、どちらかといえば、他のものの方がいいでしょう。
※ 上野東照宮 の ホームページは、http://www.uenotoshogu.com/
   上野動物園 の ホームページは、http://www.tokyo-zoo.net/zoo/ueno/
    (2013.9.11.)




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  「月は東に日は西に。 さるかに合戦、桃太郎。 あきらめるのはおよしなさい。あなたのそばに仕事人。きっと、恨みを晴らしてみせます。 」
⇒《YouTube―必殺仕事人 OP》http://www.youtube.com/watch?v=8WD1ckiHdeM 

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