飛騨天満宮(高山市)中‐冤罪を晴らす神・菅原道真(12)。「天神」考察。居酒屋はいいかげん。
[第203回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らす旅(12)飛騨天満宮【中】 [第202回]【上】の続きです。
【4】 「天神の森」について。
↑ 飛騨天満宮の南側、松本家住宅の方に曲がった位置から撮影した飛騨天満宮です。 背の高い樹木が生い茂って、「天神の森」という感じです。
大阪市西成区に「天神の森 天満宮」があります。《ウィキペディア―天神の森天満宮》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E3%83%8E%E6%A3%AE%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE 又、大阪天満宮の付近には現在は森はないが、≪往古の昔、天満宮のあたりは、大将軍の森(のち天神の森)といわれた鬱蒼とした森が広がっていたのだ。その名残は南森町という地名にしのぶほかないが、大将軍の森と呼ばれたのは、この地に難波長柄豊碕宮(なにわのながらとよさきのみや)(7世紀中期に孝徳天皇が造営した皇居)を鎮護する大将軍社が祀られていたからである。≫と、『古社名刹 商都大阪が伝えてきた祈りの心 なにわの夢 大阪天満宮 太融寺 坐摩神社』(2009.7.21.集英社)に出ています。 菅原道真は、樹木・森林の神さまというわけではないのですが、「天神」「天満」といった神社には、けっこう樹木が植わっている神社が多いような気がします。 まだ、訪問した神社がそれほど多くないので断定的なことは言えませんが、大阪市西成区の「天神の森天満宮」に限らず、「天神の森」が存する天満宮はけっこうあるのではないかという気がします。
【5】
居酒屋をチェーン展開する ○ムニー株式会社 の 「Hの舞」 ほかの店舗では、高山の町家を参考にして、店の内装デザインを作っていたのですが、高山の町家そのものというわけでもありません。
(1) 火鉢などを骨董品屋から買って店に置くなどし、また、古材屋から古い建具などを購入して店に取りつけたりしていたのですが、古い建具は、現在、使用しようとすると高さがたいてい低いので、その分を建築工事でたして使用するなどしていました。 それは、なかなかの工夫だと思います。
(2) 梁として使用されていた仕口(しぐち)加工の跡がある松の丸太梁を縦にして店内に設置していた所があったので、これは、いったい、なんじゃい! と思い、「デザイナー」に、「普通、曲がった松の丸太をあのように縦にして使ったりはしませんよね」と話したところ、その“デザイナー”が何と言ったかというと、「曲がっているのがいいんですよお」て! ・・・・。 ・・・・。 ・・・・・。
彼は、曲がった木を店内に置くのが風情があっていいと思っているようでしたが、四角に加工した柱ではなく、丸柱を設置するならそれはいいと思いますが、梁材として使用されていたものを柱のように縦に設置して何の意味があるのでしょう。 結局、彼は、その私の何倍もの給料を取っていたらしい「デザイナー」様は、店舗の内装工事の設計をやることはあっても、構造の関係する木造の建物を扱ったことはなく、木造の構造について学習したこともないので、それで、「適材適所」という考え方が木造にはあって、まっすぐに伸びる木で特に圧縮に強い桧や、やはり、まっすぐに伸びてすなおな杉の木は柱として使い、多かれ少なかれ曲がるがねばりがある松は梁として使う、といったことを知らず、民家について見学した経験も十分にないので、それで、梁材として使われていた仕口加工の跡がついている松丸太を柱のように縦にして、「この曲がっているところがいいんですよ」とアホなことを平気で口にした ようでした。 私はそういうものをいいとは思わないですね。 ある程度、木造の構造について学習した人、もしくは、そうでなくても、自分自身が、江戸時代か明治の時代に建てられた、農家であれ町家であれ、木造のそういう家で育ったという人が、「○○の舞」の店を見ると、「なんだ、こりゃ」と思うと思います。「この曲がっているのがいいんですよお」などとアホなことは思わないと思いますよ。 だから、「はなの舞」の店は、「民家風」のように一見見えても、実際には「民家もどき」であって、民家ではない。 鉄筋コンクリート造か鉄骨造のビルの中で設けられているから「民家もどき」でも成り立っているけれども、もしも、地べたの上に建てようとすると建たない、いかさまの建物なんです。 私は、たとえ、ビルの中に内装工事として造る場合であっても、もしも、地べたの上に建てる場合でも建つような造りで造ったほうが、むしろ、「それがいいんですよお」と思いますね。私は。
(3) 逆に、入社前に「Hの舞」の東京・八丁堀店を見に行って感じたのですが、「民家風」にするために実用には不必要な桟が多すぎる。そのために、あちらこちらにほこりがたまっている。 飲食店としては不衛生である。 「それがいいんですよお」とデザイナーは言うのでしょうか。 私はよくないと思いますよ。
(4)‐1 社長のI さんが、ワインラックを大井町店のバーカウンターに置きたいから良いものを買ってきてもらいたいと言うので、私は、キッチンスペシャリスト・インテリアコーディネーターとして、秋葉原のヤマギワリビナ と青山のアレシー(http://www.alessi.jp/)に行って、すばらしいと思えるものを買ってきました。ところが、どうも、建築部にいた社長のメカケが伝え間違えたらしく、社長の I さんが欲しがっていたのは東急ハンズで売っている「スイングワインラック」というワインの瓶をつきさして、指ではじいて、ふらふらさせるばかばかしい品物だったらしい。 伝え間違えたメカケに頭があがらずに私のせいにしようとする社長 I さんもなさけない男だとあきれたが、それ以上に、まがりなりにも飲食店で、振動をきらうワインを、わざわざ振動をあたえる「スイングワインラック」などというものにワインの瓶をつきさしてバーカウンターの上に置こうという社長I さんの認識は愚かと言うしかない。 もし、最初に、それを言ってもらえば、「社長、そうじゃないんですよ。ワインというものは、揺らすべきものではないんですよ。 ましてや、しろうとが自宅でやるのではなく、居酒屋という酒の専門の店が、わざわざ、ワインに振動を加える『スイングワインラック』などというものをバーカウンターの上に置いたのでは、『私はアホです』と客に言っているのと変わらないことになってしまいますよ」ときっちりと社長の I さんに話したはずです。 社長の I さんは、卒業した大学は関西大学の法学部で(法学部卒というわりに法律を知らない)、建築やインテリア・キッチンについて学習してきた人ではなく、建築屋の出身でもなく、スーパーのジャスコの出身で、スーパー屋のジャスコが居酒屋の○ムニーを作る時に来た人で、あくまでスーパー屋であって、建築に詳しいわけでもワインや飲食物に詳しいわけでもない、それらについて学習した人でもなく、気が短くて、興奮しだすと日本語の発音が極端に乱れて誰にも判別不可能解読不可能になるという人でしたが、気が短かくて何言ってるかわからない人であっても、そういうところはあっても、それでも、会社をよくしようという気持ちはある人だと私は思っていたので、建築やインテリア・キッチンについてある程度以上学んできた者としては、それは違いますよというものは言わないといけない、説明して私を採用してくれた人のために役だってあげようと私は思ったのでしたが、メカケに社内で頭があがらないようでは、だめだな、この男は、と思いました。
(4)‐2 大井町店がオープンする際に、店舗をひと通りみて、問題点がないか述べてくれと言われたので、店舗の入口のすぐ横に、ダーツのゲームが設置してあって、入口に向って矢が飛んでくるようになっていたので、これは危険だと、大井町店を担当した「デザイナー」に話したところ、「デザイナー」が言った文句は、「社長の提案なんだ」でした。 社長が言ったことであっても、これは危ないですよ、と思えば、社長よりもその分野に専門の人間は言わないといけない。 法隆寺宮大工棟梁の西岡常一さんは、「たとえ、どんなにえらい先生が相手であっても、それは違いまっせと思うたら、言わにゃいかん」と何の本であったかで述べておられた。 たとえ、社長の提案であっても、社長よりもその分野で専門の者は、それは違いまっせと思うたら言わにゃいかん・・はずであるが、その「デザイナー」は「社長の提案なんだ」と言って、店舗の入口で入ろうとする人に向って矢が飛んでくるようなダーツゲームを平気で設置した。 最近のダーツの器具は、危険を防止することを考えて、矢の先は金属の針ではなくプラスチックでできているので、金属の針でできているものほどの危険はないが、しかし、たとえ、プラスチックでできていても、入口に入ろうとする人の眼にダーツが飛んできてつきさされば失明する危険もある。「デザイナー」として私の何倍も給料取っている人間なら、たとえ、社長がいいと思って言ったことであっても、社長は建築はしろうとなんだから、それは危険ですよ、と言わないといけない。
又、客商売の店においては、矢のようなものは、もしも、設置するなら、外から中に向って人を招き入れるように飛ぶようにするべきで、中から外に追い出すように設置するものではないはずだ。 最近の家屋では、玄関や廊下の天井は石膏ボードにビニルクロスを貼った仕上げが多く、和風の家でも「不燃天井板」といって石膏ボードの上に紙に木目をプリントしたものを貼りつけたものを使うことが多いが、費用をかけることのできる施主、より本格的な和風の家にしたいと思う施主は杉板を玄関や廊下の天井に貼る。そういう場合、あるいは、木目をプリントしたものを貼った「不燃天井板」を使用する場合でも、特に板目の柄をプリントした「不燃天井板」を天井に貼る場合、木目の向きをどちらに向けるかというのは、しばしば議論される問題である。施工する前に施主にきっちりと説明しておかないと、後から貼りかえろとかいう話にもなりかねない。 ひとつは、樹木は太陽の方に向って伸びるのだから、木目は南・東に向けるべきだという説。 もうひとつは、1階については、木目は玄関から内側に向かうように貼るべきだという説。 家相上、玄関を入った正面に玄関の外に向けて大きな鏡を設置すると来客を追い返すようになるので設けるべきではない、と言われる。 それと同じく、木目も来客を招き入れるように設けるのが好ましいので、もしも、南に玄関があるなら天井板の木目は北に向って、東に玄関があるなら天井板の木目は西に向かうように貼るべきだ、という説がある。建築工事というものは、こういうことを考えてやるものだ。 それから考えて、店舗の入口のすぐ脇に、入口から入ろうとする人の方に向って来客を追い返すように矢が飛んでくるダーツゲームを平気で設置するというその「デザイナー」の認識は信じられなかった。 社長は「しろうと」だからしかたがない。悪気で言っているのではなく、これ、よさそうだと思うと、そのまま口にしているだけなのだから、それを聞いたとしても、社長よりもその分野に専門の人間は、問題点を説明しないといけないし、問題点を説明できるように、その人間はそこにいるはずだ・・・が、社長がつけようというものをつけないと怒りだすし、怒りだすと舌に痙攣が発生するのか何を言っているのか判別不可能になるから、ということで、そのまま、「社長の提案なんだ」と言って設置してしまう「デザイナー」て、「デザイナー」だの「建築家」だのと名のる資格があるか? 私は、「デザイナー」だの「建築家」だのと名のるなら、たとえ、社長の言うことであっても、それは違いまっせと思うたら言わにゃいかん、と思いますね。
「スイングワインラック」などという非常識なものを買いたいと社長が言うならば、「それは違いまっせ」とひと言は言うであろう私よりも、入口で入ろうとする客に向って矢が飛んでくるダーツゲームを「社長の提案なんだ」と平気で設置する「デザイナー」の方が、はるかに高給取っていたというのは、「はなの舞」にとっては偶然ではなく、そういう会社、そういう店だったのかもしれないと今は思っています。
(5) 新しく開店する店舗の内装の打ち合わせで、営業部の「課長」だというおにいちゃんが、「天井、貼らなくてもいいんじゃないかと思う」と口にしたことがありました。 え? え? 本気で言ってるの? と思いました。
雑居ビルの1フロアー、1スペースを借りて居酒屋を開店する場合、ややこしいのは、工事はどこからどこまでが「入居者」の負担でどこからどこまでがビルの所有者の負担かという問題です。 内装工事が終了すると飲食店の店舗はきれいにできているのですが、その前の状態で見ると、ありゃありゃ・・という感じがするビルが少なくありません。 私が気になったひとつの点は、ビルの鉄骨の梁に耐火防火のために吹き付けられている石綿(アスベスト)です。 モルタルで貼りつけられているのではあるのですが、何年か経ったビルを借りようとして見ると、ぼろぼろになって石綿(アスベスト)が飛散する状態になっているのです。 そのまま放置するべきものではなく、もしも、ビルのオーナーが自分でそのスペース、そのフロアーを使用するなら、自分で費用を出して飛散しないように工事をおこなうところでしょう。 しかし、ひとに貸すわけであって、自分で使うわけではないのです。となると、できるだけ費用はかけずに貸し賃を取りたいわけです。 オーナーの人間性がどうかではなく、そういう立場なのです。 片や、借りる側としては、そこで営業する店舗の内装工事は借りる会社が費用を出すのは当然であるとしても、梁に付着している石綿(アスベスト)が飛散する状態になっているというのを改善するのは貸主がやることであるはずですし、鉄骨造のビルの鉄骨の梁というのは、店子(たなこ)がいじるべきものではないはずです。 借主側としては、ビルのオーナーに、石綿(アスベスト)が飛散しないように吹き付け工事をやり直して危険のない状態にして貸してもらいたい、ときっちりと言うのが本来のすじでしょう。 しかし、条件の良い場所のビルというのは、借りたいという会社は他にもあるのです。 そんなものやらなくていいよ、そんなことやってくれと言うなら他の会社に貸すよ、と言われるおそれがあります。 だから、言わないということもありますが、「スイングワインラック」などというワインの品質を破壊しようとするものをわざわざバーカウンターに設置しようと言うような男、客商売の会社で入口で入ろうとする客に向って矢が飛んでくるダーツゲームを設置しようと言う男が社長をやっている会社だから、何より、アスベスト(石綿)なんて「知らない」ということもあると思います。 そういう会社で、そういう場面で、石綿(アスベスト)の有害性について説明しても理解されないだろうと思いましたが、しかし、飲食店においては、食事中に上から異物が降って来るというのは、相当にマイナスになるはずです。 石綿(アスベスト)自体は細かくて見えず、知らないうちに吸いこんで肺の壁につきささり、ガンの原因になるというものですが、鉄骨の梁に吹き付けたものは、モルタルでくっつけたかたまりが剥がれてくるので、吹き付け直すこともせず、その下に天井を貼ることもせずに工事をやったのでは、石綿をモルタルでかためたものの塊が、食事中に上から降って来る・・・という可能性があります。 だから、ビルのオーナーに吹き付け工事をやり直してくれとは言いにくいのであれば、天井をきっちりと貼ることで、たとえ、吹き付けた石綿とモルタルの塊が落ちてきたとしても天井のところで止まるようにしておくべきなのです。 それを、チ○ニーの営業部の課長のおにいちゃんはまったくわかっていないのです。 「こ~ん~なの~、じょおお~しき~い♪ タッタタラリラ♪」と私の方は思っていたのですが、「居酒屋の業界」では常識ではないのか、「天井を貼らない方が風情がある」とかアホなこと思っていたのでしょう。
※「こ~ん~なの~、じょおお~しき~い♪ タッタタラリラ♪」を知らない方は、
⇒《YouTube‐B.B.クイーンズ おどるポンポコリン》http://www.youtube.com/watch?v=77sp9OtpZO4
(6) ○ムニーの副社長が、「カット野菜を使った方がいいか」といったことを言いだしたので、はたして、この人は、カット野菜(プレカット野菜)というものが農薬漬けであることを認識した上で、それでも、自社の店舗で野菜を切るよりも、販売されていうプレカット野菜を出した方がコストを下げることができるので、利益をあげることを目的とする企業としては、食品として客の健康にいいものでないことは承知の上で、それでも、プレカット野菜を使うというのはやむをえないと考えて言っているのか、そうではなく、そういったことを最初からまったく考えないで言っているのかどちらだろうか、と思ったのです。 野菜を買ってきて、それを実際に食事に使うように包丁で切った上で置いておいた場合と、切らずにそのまま置いておいた場合では、切った状態のものの方が痛みやすいはずです。 ところが、スーパーやコンビニで買ってきたカット野菜(プレカット野菜)とスーパーで買ってきた切られていない野菜をそのまま置いておくと、かたまりの野菜は痛んでぼろぼろになってきても、プレカット野菜はなんともない、という場合が多い。 どうしてだと思いますか? 普通に考えれば、切ったものの方が痛みやすいのに逆であるのは、要するに、カット野菜というのは、切った後で、ぶうわあ~あっと農薬をかけているということでしょう。違いますか? 違わないはずです。 だから、私は自分で料理できるならその方がいいけれども、自分で料理する時間が取れないときは、スーパーやコンビニでカット野菜(プレカット野菜)を買って食べるよりも、外食店に行って食べるようにした方がいいと思って、そうしてきたのです。 私の千葉県船橋市の自宅の近所の定食屋では、時々、外に白菜のかたまりが置いてあって、おやじが洗っていますから、その店では「プレカット野菜」など使ってないと思います。 スーパーやコンビニで売っている「プレカット野菜」を食べるよりも、飲食店で包丁で切ってもらった野菜を食べた方が健康にいいと思って、スーパーやコンビニの「カット野菜」を食べるよりも外食を選んできたのです。 それを、外食店が「カット野菜」(プレカット野菜)を使用したのでは、このような気持ちから食べに来てくれた客をだますことになるのと違いますか? 副社長はそういったことを考えて、それでも、「カット野菜」の方が安いから利益をあげるためには使うべきではないかと考えたのか、そんなこと考えもせずに言ったのか。 たぶん、そんなこと考えずに言っていたのでしょう。 入口で入ろうとする人の方に向って矢が飛んでくるダーツで、もしも、その矢が客の眼につきささったらどうしようかとか、天井を貼らずに内装工事をやって、客が食事中に上からアスベストとモルタルの塊が降ってきたらどうしようかとか、曲がった松丸太は梁には使っても柱に使うことはないとか、そんなことまったく頭の端暮れにも思わない人たちが経営する会社ですから、たぶん、考えずに言っていたのだと思います。
だから、福島第一原発事故の後、福島県東部中部産の野菜を使ったプレカット野菜が安ければ平気で使ったのと違いますか。そんな感じがします。だから、私は居酒屋のチェーン店で出すものなんか、信用しませんし、できません。「はなの舞サワー」は口当たりがよくてけっこう飲みやすかったですけれども。
(7) ○ムニー(株)は、「ファーストフードの店」だと言って、「ファーストグルメ」という名前で、JR総武線の「平井」駅前と東海道線の「大船」とあと2か所くらい、出店したものの、うまくいかずに、居酒屋以外の飲食店は苦手だと、さっさと撤退したようですが、ともかくも、始めたならば、うまくいくようにやるべきでしょう。 私は、最初に平井店に行って注文して食べて見て、「こりゃ、客はめんくらうわ」と思ったのですが、それを、人材開発部の某氏は、「いいもの出てましたでしょお」などと言っていたので、そんな認識ではだめだ。 この人たち、大学でマーケティングも何も勉強してないんだわ、と思いました。 一番の問題は店の構え・店の名称・店員の服装とそこで出す食事の内容とがアンバランスなのです。、○ムニー(株)が出していた「ファーストグルメ」という店は、店の外見はマクドナルド・ケンタッキーフライドチキン・ミスタードーナッツ・モスバーガーなどと同じようなファーストフードの店なんです。 「ファーストグルメ」という店名もファーストフードの店を思わせる名前なんです。 店員の制服もファーストフードの店のものなんです。 ところが、入って注文すると、出てくる料理は相当にボリュームがある本格的な洋食なんです。 だから、客が面食らうのです。 どちらかに合わせるべきです。 ファーストフードの店の外観と店名と店員の制服でやるなら内容もファーストフードにするべきであって、人材開発部の某みたいに「いいもの出してましたでしょお」などとマヌケなこと言ってたんじゃだめなんです。 逆に、ボリュームのある洋食を出すつもりなら、「ファーストフード」などという名称ではなく他の名称にするべきです。 マクドナルドかミスタードーナッツみたいな外観の店にしてはだめなんです。店員の制服もファーストフードの店みたいなものにするべきではありません。 私、1回、平井店に行って1回、食っただけでわかりました。 それが、チ○ニーの社長も副社長もまったくわからないんです。 アホなんです。 他の点はともかく、この点では。 あんたら、大学でマーケティングとか勉強してきてないのか? というと、勉強してきてないみたいです。
入社時に、どこか店舗を見てきてくださいと人材開発部の者が言うので見に行った八丁堀店も、入口がわかりずらい。価格から考えて内容のある食事を出していたとしても、そこへ行こうと目指して行く者にとっても入口がわかりずらい店舗というのは、客商売としてその点でマイナスだと私は一目見て理解したが、同社の経営者は理解しておらず、見てきてくださいと言った人材開発部担当者も「いいもの出していたでしょう」などとお気軽なこと言っていた。
これで全部ではなく他にもいくつもあるんですけれども、私は、たかだか1カ月少々いただけで、これだけ以上のことがわかったのですが、ずうう~うっといる社長や副社長や建設部の部長や人材開発部のなんとかさんとかは、まったくわかってないんです。 だから、だめなんです。 私をもっと大事にしてくれれば、「ファーストグルメ」という店だって、利益をあげることができる店にできたと思います。 だから、だめなんです。私よりメカケの方を大事にしているような会社・社長だから、だから、だめなんです。 南北朝の争乱の時に、大塔宮護良親王をしりぞけてメカケや「逆賊」の言うことばかり聞いた後醍醐天皇が南北朝の争乱で勝利しましたか? だめだったでしょう。 メカケや「逆賊」の言うことばっかり聞いて、大塔宮護良親王をしりぞけるような社長の会社はだめなんです。 「居酒屋はレベルの低い業界」で、「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」で、気に入らないことがあると社員の頭めがけて灰皿投げつける社長の「庄屋」との競争に勝ったとしても、「レベルの低い争い」なんです。 成り行きで北条氏の鎌倉幕府を倒しても、メカケや「逆賊」の言うことばかり聞いた後醍醐天皇の南朝は衰退したんです。 だから、店員のおねえさんに感じのいい人もいるかもしれないけれども、「はなの舞」「チムニー」「炎」他は、長い目で見れば実力があるものではない。 まあ、競争相手のレベルが低ければ、今後も「勝ち組」の方に入る時もあるかもしれないけれども・・・・。
【6】 なぜ、菅原道真は「天神」になったのか。
「天神社」という名前の神社がすべて菅原道真と縁があるわけでもないらしく、菅原道真が神さま扱いされるより前から「天神社」は存在したらしい。
それで、なぜ、菅原道真が「天神」になったか。
≪ 菅公の登場以前に、こうして“農耕神”としての“天神”を祀るお社が全国各地にあったわけですが、それが“天神さん”といえば菅公・・・・となっていったのはナゼなのか?
・・・・・・(略)・・・・・
延喜三年二月二五日、菅公は大宰府の配所で亡くなったのですが、お墓に埋葬しようといた、ちょうど同じ時刻、京では、雷鳴がとどろき大地が揺れ動くという“天災”が発生したと言います。 あたかも、この年は日蝕・月蝕や旱魃・洪水・疫病などが相次ぎ、その後もいろいろな妖しい出来事が連発しました。
そして、菅公の死後、わずか六年、菅公左遷の片棒をかついだ参議藤原菅根、つづいて張本人の時平も後を追うかのようにして死去しました。 菅公を失脚させて、天下を掌握したのも束の間のことだったのです。
さらに延喜二三年三月、皇太子・保明(やすあき)親王が二十一歳の若さで薨じられました。親王の生母は、時平の妹(穏子)でしたから、
「世を挙げて云う、菅帥(かんのそち)の霊魂宿念のなすところなり」(『日本書紀』)
と、世人は菅公の怨霊のなせる業として恐れおののいたのでした。
こうなると、朝廷も捨ててはおかれず、この年四月、菅公を元の右大臣に復し、正二位を贈って、かつての左遷の詔書も破棄し、年号も「延長」と改めるなどして、ひたすら、菅公の怨霊を鎮めようとしました。北野の天神社に勅使を遣わして祈願したのも、この頃のことです。
ところが、凶変は一向におさまろうとしません。新たに皇太子に立てた幼い慶頼〔よしのり〕王(母は時平の娘)が、延長三年(925)五歳で亡くなりました。
そして、同八年六月、例の有名な清涼殿の落雷事変が起こったのです。
この六月は日照りが続いたので、公卿たちが清涼殿に集まり、雨乞いの相談をしておりました。すると、愛宕山に黒雲が湧き、雷鳴がしたかと思うと、雷が落ちて、まず大納言の藤原清貫が胸を裂かれて即死、右兵衛佐の美努忠包(みぬただかね)は頭髪を焼いて死亡、右中弁の平希世は顔を焼かれる・・・・といったように、五人が死傷。このため、醍醐天皇は病気となって、同年九月二二日、朱雀天皇に譲位されましたが、一週間後に崩御なさっています。
こうした相次ぐ凶変に、菅公の怨霊に対する世人の恐怖は高まっていくばかりでした。藤原氏の謀略のために無実の罪を着せられ、配所で悶死された菅公への同情と、その怨霊を鎮めねばならぬという声が、広く民衆に広がっていったのです。 ≫
≪ 「北野天満宮天神」という神号が公式に定まったのは、一條天皇の永延元年(987)、初めて勅祭が行われた時でした。
これより先に、菅公の御墓所である大宰府の安楽寺では、延喜五年(905)門人の味酒安行が神託によって神殿を造り、 「天満大自在天神」と称したと伝えられています。
この神号については『北野天神縁起』の有名な<天拝山祈念>の場面にも、菅公が配所の南々西にそびえる山頂に登り、、七日七夜、無実の罪を天に訴えたところ、その祭文が空中高く飛んで梵天宮に至り、菅公御自身は「天満大自在天神」となられた――として、頂上に立って天を仰ぐ、菅公の悲愁の姿が描かれております。
「天満」とは「虚空見(そらみつ)大和」から転じたものとか、仏教の「天魔」から転じたもの、あるいは、菅公の怒りが「天に満ちる」ところから出たものとする諸説があり、また「大自在天神」は観音の三十三化身のうちの「大自在天身」によるといわれています。・・・・≫
(『わかりやすい天神信仰―学問の神さま』1994.12.20.(株)鎌倉新書)
菅原道真は、「おのれ、生かしておいては世のため人のためにならぬヤツども、成敗してくれるわ。 ゴースン、サンダー!」 と雷を落としてまわったところから、雷神→「天神」となった・・・というのは、ありそうな話です。
※「ゴースン、サンダー!」 を知らない方は、
《YouTUbe―タイガージョーの最後・・・(怪傑ライオン丸より) 》http://www.youtube.com/watch?v=z8FUiLutOI4 、もしくは、
《nicotter 怪傑ライオン丸 最終回前篇》http://nicotter.net/watch/sm20123110 参照。
≪菅原道真が活躍した時代は、中央で藤原氏による独裁体制が確立したことにより、貴族の専制が志向されつつあった。それにたいし、地方では、村落の小領主である武士や農村の秩序の外にある商公民が成長しつつあった。菅原道真は、そのような実情をふまえて地方の人びとのためになる政治を行おうとし、藤原氏に憎まれた。 そして、道真の怨霊騒ぎがはじまったことをきっかけに、武士や商公民が道真を祀りはじめた。・・・・≫
(武光誠『日本人なら知っておきたい 神道と神社』〔2007.1.10. 河出書房新社〕「御霊信仰から発展した天神 菅原道真が学問の神とされるまでの意外な経緯とは」)
農民ではなく≪武士や商公民≫から祀られたのに「天神」とは矛盾があると考えるべきか、≪村落の小領主である武士≫というのは≪中央≫の≪貴族の専制≫に対しては農民の側であり、初期の「武士」というのは、農民とはっきりと差はなかったと考えれば、≪地方の人びとのためになる政治を行おうとし≫て、≪武士や商公民≫から祀られることになった菅原道真が「天神」というのはふさわしいと考えるべきか。
「極悪ども、成敗してくれるわ。 ゴースン、サンダー!」の方が面白いような気もしないではないが・・・。
☆ 今回の飛騨天満宮は三部作です。
[第202回]《飛騨天満宮(高山市)‐冤罪を晴らす神・菅原道真・怨念を晴らす旅(12)上。松本家住宅。飛騨の家具館。 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
[第204回]《飛騨天満宮(高山市)‐冤罪を晴らす神・菅原道真(12)下。高山市の白山神社。高山市役所。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
と合わせ、御覧くださいませ。
(2013.9.26.)
【4】 「天神の森」について。
↑ 飛騨天満宮の南側、松本家住宅の方に曲がった位置から撮影した飛騨天満宮です。 背の高い樹木が生い茂って、「天神の森」という感じです。
大阪市西成区に「天神の森 天満宮」があります。《ウィキペディア―天神の森天満宮》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E3%83%8E%E6%A3%AE%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE 又、大阪天満宮の付近には現在は森はないが、≪往古の昔、天満宮のあたりは、大将軍の森(のち天神の森)といわれた鬱蒼とした森が広がっていたのだ。その名残は南森町という地名にしのぶほかないが、大将軍の森と呼ばれたのは、この地に難波長柄豊碕宮(なにわのながらとよさきのみや)(7世紀中期に孝徳天皇が造営した皇居)を鎮護する大将軍社が祀られていたからである。≫と、『古社名刹 商都大阪が伝えてきた祈りの心 なにわの夢 大阪天満宮 太融寺 坐摩神社』(2009.7.21.集英社)に出ています。 菅原道真は、樹木・森林の神さまというわけではないのですが、「天神」「天満」といった神社には、けっこう樹木が植わっている神社が多いような気がします。 まだ、訪問した神社がそれほど多くないので断定的なことは言えませんが、大阪市西成区の「天神の森天満宮」に限らず、「天神の森」が存する天満宮はけっこうあるのではないかという気がします。
【5】
居酒屋をチェーン展開する ○ムニー株式会社 の 「Hの舞」 ほかの店舗では、高山の町家を参考にして、店の内装デザインを作っていたのですが、高山の町家そのものというわけでもありません。
(1) 火鉢などを骨董品屋から買って店に置くなどし、また、古材屋から古い建具などを購入して店に取りつけたりしていたのですが、古い建具は、現在、使用しようとすると高さがたいてい低いので、その分を建築工事でたして使用するなどしていました。 それは、なかなかの工夫だと思います。
(2) 梁として使用されていた仕口(しぐち)加工の跡がある松の丸太梁を縦にして店内に設置していた所があったので、これは、いったい、なんじゃい! と思い、「デザイナー」に、「普通、曲がった松の丸太をあのように縦にして使ったりはしませんよね」と話したところ、その“デザイナー”が何と言ったかというと、「曲がっているのがいいんですよお」て! ・・・・。 ・・・・。 ・・・・・。
彼は、曲がった木を店内に置くのが風情があっていいと思っているようでしたが、四角に加工した柱ではなく、丸柱を設置するならそれはいいと思いますが、梁材として使用されていたものを柱のように縦に設置して何の意味があるのでしょう。 結局、彼は、その私の何倍もの給料を取っていたらしい「デザイナー」様は、店舗の内装工事の設計をやることはあっても、構造の関係する木造の建物を扱ったことはなく、木造の構造について学習したこともないので、それで、「適材適所」という考え方が木造にはあって、まっすぐに伸びる木で特に圧縮に強い桧や、やはり、まっすぐに伸びてすなおな杉の木は柱として使い、多かれ少なかれ曲がるがねばりがある松は梁として使う、といったことを知らず、民家について見学した経験も十分にないので、それで、梁材として使われていた仕口加工の跡がついている松丸太を柱のように縦にして、「この曲がっているところがいいんですよ」とアホなことを平気で口にした ようでした。 私はそういうものをいいとは思わないですね。 ある程度、木造の構造について学習した人、もしくは、そうでなくても、自分自身が、江戸時代か明治の時代に建てられた、農家であれ町家であれ、木造のそういう家で育ったという人が、「○○の舞」の店を見ると、「なんだ、こりゃ」と思うと思います。「この曲がっているのがいいんですよお」などとアホなことは思わないと思いますよ。 だから、「はなの舞」の店は、「民家風」のように一見見えても、実際には「民家もどき」であって、民家ではない。 鉄筋コンクリート造か鉄骨造のビルの中で設けられているから「民家もどき」でも成り立っているけれども、もしも、地べたの上に建てようとすると建たない、いかさまの建物なんです。 私は、たとえ、ビルの中に内装工事として造る場合であっても、もしも、地べたの上に建てる場合でも建つような造りで造ったほうが、むしろ、「それがいいんですよお」と思いますね。私は。
(3) 逆に、入社前に「Hの舞」の東京・八丁堀店を見に行って感じたのですが、「民家風」にするために実用には不必要な桟が多すぎる。そのために、あちらこちらにほこりがたまっている。 飲食店としては不衛生である。 「それがいいんですよお」とデザイナーは言うのでしょうか。 私はよくないと思いますよ。
(4)‐1 社長のI さんが、ワインラックを大井町店のバーカウンターに置きたいから良いものを買ってきてもらいたいと言うので、私は、キッチンスペシャリスト・インテリアコーディネーターとして、秋葉原のヤマギワリビナ と青山のアレシー(http://www.alessi.jp/)に行って、すばらしいと思えるものを買ってきました。ところが、どうも、建築部にいた社長のメカケが伝え間違えたらしく、社長の I さんが欲しがっていたのは東急ハンズで売っている「スイングワインラック」というワインの瓶をつきさして、指ではじいて、ふらふらさせるばかばかしい品物だったらしい。 伝え間違えたメカケに頭があがらずに私のせいにしようとする社長 I さんもなさけない男だとあきれたが、それ以上に、まがりなりにも飲食店で、振動をきらうワインを、わざわざ振動をあたえる「スイングワインラック」などというものにワインの瓶をつきさしてバーカウンターの上に置こうという社長I さんの認識は愚かと言うしかない。 もし、最初に、それを言ってもらえば、「社長、そうじゃないんですよ。ワインというものは、揺らすべきものではないんですよ。 ましてや、しろうとが自宅でやるのではなく、居酒屋という酒の専門の店が、わざわざ、ワインに振動を加える『スイングワインラック』などというものをバーカウンターの上に置いたのでは、『私はアホです』と客に言っているのと変わらないことになってしまいますよ」ときっちりと社長の I さんに話したはずです。 社長の I さんは、卒業した大学は関西大学の法学部で(法学部卒というわりに法律を知らない)、建築やインテリア・キッチンについて学習してきた人ではなく、建築屋の出身でもなく、スーパーのジャスコの出身で、スーパー屋のジャスコが居酒屋の○ムニーを作る時に来た人で、あくまでスーパー屋であって、建築に詳しいわけでもワインや飲食物に詳しいわけでもない、それらについて学習した人でもなく、気が短くて、興奮しだすと日本語の発音が極端に乱れて誰にも判別不可能解読不可能になるという人でしたが、気が短かくて何言ってるかわからない人であっても、そういうところはあっても、それでも、会社をよくしようという気持ちはある人だと私は思っていたので、建築やインテリア・キッチンについてある程度以上学んできた者としては、それは違いますよというものは言わないといけない、説明して私を採用してくれた人のために役だってあげようと私は思ったのでしたが、メカケに社内で頭があがらないようでは、だめだな、この男は、と思いました。
(4)‐2 大井町店がオープンする際に、店舗をひと通りみて、問題点がないか述べてくれと言われたので、店舗の入口のすぐ横に、ダーツのゲームが設置してあって、入口に向って矢が飛んでくるようになっていたので、これは危険だと、大井町店を担当した「デザイナー」に話したところ、「デザイナー」が言った文句は、「社長の提案なんだ」でした。 社長が言ったことであっても、これは危ないですよ、と思えば、社長よりもその分野に専門の人間は言わないといけない。 法隆寺宮大工棟梁の西岡常一さんは、「たとえ、どんなにえらい先生が相手であっても、それは違いまっせと思うたら、言わにゃいかん」と何の本であったかで述べておられた。 たとえ、社長の提案であっても、社長よりもその分野で専門の者は、それは違いまっせと思うたら言わにゃいかん・・はずであるが、その「デザイナー」は「社長の提案なんだ」と言って、店舗の入口で入ろうとする人に向って矢が飛んでくるようなダーツゲームを平気で設置した。 最近のダーツの器具は、危険を防止することを考えて、矢の先は金属の針ではなくプラスチックでできているので、金属の針でできているものほどの危険はないが、しかし、たとえ、プラスチックでできていても、入口に入ろうとする人の眼にダーツが飛んできてつきさされば失明する危険もある。「デザイナー」として私の何倍も給料取っている人間なら、たとえ、社長がいいと思って言ったことであっても、社長は建築はしろうとなんだから、それは危険ですよ、と言わないといけない。
又、客商売の店においては、矢のようなものは、もしも、設置するなら、外から中に向って人を招き入れるように飛ぶようにするべきで、中から外に追い出すように設置するものではないはずだ。 最近の家屋では、玄関や廊下の天井は石膏ボードにビニルクロスを貼った仕上げが多く、和風の家でも「不燃天井板」といって石膏ボードの上に紙に木目をプリントしたものを貼りつけたものを使うことが多いが、費用をかけることのできる施主、より本格的な和風の家にしたいと思う施主は杉板を玄関や廊下の天井に貼る。そういう場合、あるいは、木目をプリントしたものを貼った「不燃天井板」を使用する場合でも、特に板目の柄をプリントした「不燃天井板」を天井に貼る場合、木目の向きをどちらに向けるかというのは、しばしば議論される問題である。施工する前に施主にきっちりと説明しておかないと、後から貼りかえろとかいう話にもなりかねない。 ひとつは、樹木は太陽の方に向って伸びるのだから、木目は南・東に向けるべきだという説。 もうひとつは、1階については、木目は玄関から内側に向かうように貼るべきだという説。 家相上、玄関を入った正面に玄関の外に向けて大きな鏡を設置すると来客を追い返すようになるので設けるべきではない、と言われる。 それと同じく、木目も来客を招き入れるように設けるのが好ましいので、もしも、南に玄関があるなら天井板の木目は北に向って、東に玄関があるなら天井板の木目は西に向かうように貼るべきだ、という説がある。建築工事というものは、こういうことを考えてやるものだ。 それから考えて、店舗の入口のすぐ脇に、入口から入ろうとする人の方に向って来客を追い返すように矢が飛んでくるダーツゲームを平気で設置するというその「デザイナー」の認識は信じられなかった。 社長は「しろうと」だからしかたがない。悪気で言っているのではなく、これ、よさそうだと思うと、そのまま口にしているだけなのだから、それを聞いたとしても、社長よりもその分野に専門の人間は、問題点を説明しないといけないし、問題点を説明できるように、その人間はそこにいるはずだ・・・が、社長がつけようというものをつけないと怒りだすし、怒りだすと舌に痙攣が発生するのか何を言っているのか判別不可能になるから、ということで、そのまま、「社長の提案なんだ」と言って設置してしまう「デザイナー」て、「デザイナー」だの「建築家」だのと名のる資格があるか? 私は、「デザイナー」だの「建築家」だのと名のるなら、たとえ、社長の言うことであっても、それは違いまっせと思うたら言わにゃいかん、と思いますね。
「スイングワインラック」などという非常識なものを買いたいと社長が言うならば、「それは違いまっせ」とひと言は言うであろう私よりも、入口で入ろうとする客に向って矢が飛んでくるダーツゲームを「社長の提案なんだ」と平気で設置する「デザイナー」の方が、はるかに高給取っていたというのは、「はなの舞」にとっては偶然ではなく、そういう会社、そういう店だったのかもしれないと今は思っています。
(5) 新しく開店する店舗の内装の打ち合わせで、営業部の「課長」だというおにいちゃんが、「天井、貼らなくてもいいんじゃないかと思う」と口にしたことがありました。 え? え? 本気で言ってるの? と思いました。
雑居ビルの1フロアー、1スペースを借りて居酒屋を開店する場合、ややこしいのは、工事はどこからどこまでが「入居者」の負担でどこからどこまでがビルの所有者の負担かという問題です。 内装工事が終了すると飲食店の店舗はきれいにできているのですが、その前の状態で見ると、ありゃありゃ・・という感じがするビルが少なくありません。 私が気になったひとつの点は、ビルの鉄骨の梁に耐火防火のために吹き付けられている石綿(アスベスト)です。 モルタルで貼りつけられているのではあるのですが、何年か経ったビルを借りようとして見ると、ぼろぼろになって石綿(アスベスト)が飛散する状態になっているのです。 そのまま放置するべきものではなく、もしも、ビルのオーナーが自分でそのスペース、そのフロアーを使用するなら、自分で費用を出して飛散しないように工事をおこなうところでしょう。 しかし、ひとに貸すわけであって、自分で使うわけではないのです。となると、できるだけ費用はかけずに貸し賃を取りたいわけです。 オーナーの人間性がどうかではなく、そういう立場なのです。 片や、借りる側としては、そこで営業する店舗の内装工事は借りる会社が費用を出すのは当然であるとしても、梁に付着している石綿(アスベスト)が飛散する状態になっているというのを改善するのは貸主がやることであるはずですし、鉄骨造のビルの鉄骨の梁というのは、店子(たなこ)がいじるべきものではないはずです。 借主側としては、ビルのオーナーに、石綿(アスベスト)が飛散しないように吹き付け工事をやり直して危険のない状態にして貸してもらいたい、ときっちりと言うのが本来のすじでしょう。 しかし、条件の良い場所のビルというのは、借りたいという会社は他にもあるのです。 そんなものやらなくていいよ、そんなことやってくれと言うなら他の会社に貸すよ、と言われるおそれがあります。 だから、言わないということもありますが、「スイングワインラック」などというワインの品質を破壊しようとするものをわざわざバーカウンターに設置しようと言うような男、客商売の会社で入口で入ろうとする客に向って矢が飛んでくるダーツゲームを設置しようと言う男が社長をやっている会社だから、何より、アスベスト(石綿)なんて「知らない」ということもあると思います。 そういう会社で、そういう場面で、石綿(アスベスト)の有害性について説明しても理解されないだろうと思いましたが、しかし、飲食店においては、食事中に上から異物が降って来るというのは、相当にマイナスになるはずです。 石綿(アスベスト)自体は細かくて見えず、知らないうちに吸いこんで肺の壁につきささり、ガンの原因になるというものですが、鉄骨の梁に吹き付けたものは、モルタルでくっつけたかたまりが剥がれてくるので、吹き付け直すこともせず、その下に天井を貼ることもせずに工事をやったのでは、石綿をモルタルでかためたものの塊が、食事中に上から降って来る・・・という可能性があります。 だから、ビルのオーナーに吹き付け工事をやり直してくれとは言いにくいのであれば、天井をきっちりと貼ることで、たとえ、吹き付けた石綿とモルタルの塊が落ちてきたとしても天井のところで止まるようにしておくべきなのです。 それを、チ○ニーの営業部の課長のおにいちゃんはまったくわかっていないのです。 「こ~ん~なの~、じょおお~しき~い♪ タッタタラリラ♪」と私の方は思っていたのですが、「居酒屋の業界」では常識ではないのか、「天井を貼らない方が風情がある」とかアホなこと思っていたのでしょう。
※「こ~ん~なの~、じょおお~しき~い♪ タッタタラリラ♪」を知らない方は、
⇒《YouTube‐B.B.クイーンズ おどるポンポコリン》http://www.youtube.com/watch?v=77sp9OtpZO4
(6) ○ムニーの副社長が、「カット野菜を使った方がいいか」といったことを言いだしたので、はたして、この人は、カット野菜(プレカット野菜)というものが農薬漬けであることを認識した上で、それでも、自社の店舗で野菜を切るよりも、販売されていうプレカット野菜を出した方がコストを下げることができるので、利益をあげることを目的とする企業としては、食品として客の健康にいいものでないことは承知の上で、それでも、プレカット野菜を使うというのはやむをえないと考えて言っているのか、そうではなく、そういったことを最初からまったく考えないで言っているのかどちらだろうか、と思ったのです。 野菜を買ってきて、それを実際に食事に使うように包丁で切った上で置いておいた場合と、切らずにそのまま置いておいた場合では、切った状態のものの方が痛みやすいはずです。 ところが、スーパーやコンビニで買ってきたカット野菜(プレカット野菜)とスーパーで買ってきた切られていない野菜をそのまま置いておくと、かたまりの野菜は痛んでぼろぼろになってきても、プレカット野菜はなんともない、という場合が多い。 どうしてだと思いますか? 普通に考えれば、切ったものの方が痛みやすいのに逆であるのは、要するに、カット野菜というのは、切った後で、ぶうわあ~あっと農薬をかけているということでしょう。違いますか? 違わないはずです。 だから、私は自分で料理できるならその方がいいけれども、自分で料理する時間が取れないときは、スーパーやコンビニでカット野菜(プレカット野菜)を買って食べるよりも、外食店に行って食べるようにした方がいいと思って、そうしてきたのです。 私の千葉県船橋市の自宅の近所の定食屋では、時々、外に白菜のかたまりが置いてあって、おやじが洗っていますから、その店では「プレカット野菜」など使ってないと思います。 スーパーやコンビニで売っている「プレカット野菜」を食べるよりも、飲食店で包丁で切ってもらった野菜を食べた方が健康にいいと思って、スーパーやコンビニの「カット野菜」を食べるよりも外食を選んできたのです。 それを、外食店が「カット野菜」(プレカット野菜)を使用したのでは、このような気持ちから食べに来てくれた客をだますことになるのと違いますか? 副社長はそういったことを考えて、それでも、「カット野菜」の方が安いから利益をあげるためには使うべきではないかと考えたのか、そんなこと考えもせずに言ったのか。 たぶん、そんなこと考えずに言っていたのでしょう。 入口で入ろうとする人の方に向って矢が飛んでくるダーツで、もしも、その矢が客の眼につきささったらどうしようかとか、天井を貼らずに内装工事をやって、客が食事中に上からアスベストとモルタルの塊が降ってきたらどうしようかとか、曲がった松丸太は梁には使っても柱に使うことはないとか、そんなことまったく頭の端暮れにも思わない人たちが経営する会社ですから、たぶん、考えずに言っていたのだと思います。
だから、福島第一原発事故の後、福島県東部中部産の野菜を使ったプレカット野菜が安ければ平気で使ったのと違いますか。そんな感じがします。だから、私は居酒屋のチェーン店で出すものなんか、信用しませんし、できません。「はなの舞サワー」は口当たりがよくてけっこう飲みやすかったですけれども。
(7) ○ムニー(株)は、「ファーストフードの店」だと言って、「ファーストグルメ」という名前で、JR総武線の「平井」駅前と東海道線の「大船」とあと2か所くらい、出店したものの、うまくいかずに、居酒屋以外の飲食店は苦手だと、さっさと撤退したようですが、ともかくも、始めたならば、うまくいくようにやるべきでしょう。 私は、最初に平井店に行って注文して食べて見て、「こりゃ、客はめんくらうわ」と思ったのですが、それを、人材開発部の某氏は、「いいもの出てましたでしょお」などと言っていたので、そんな認識ではだめだ。 この人たち、大学でマーケティングも何も勉強してないんだわ、と思いました。 一番の問題は店の構え・店の名称・店員の服装とそこで出す食事の内容とがアンバランスなのです。、○ムニー(株)が出していた「ファーストグルメ」という店は、店の外見はマクドナルド・ケンタッキーフライドチキン・ミスタードーナッツ・モスバーガーなどと同じようなファーストフードの店なんです。 「ファーストグルメ」という店名もファーストフードの店を思わせる名前なんです。 店員の制服もファーストフードの店のものなんです。 ところが、入って注文すると、出てくる料理は相当にボリュームがある本格的な洋食なんです。 だから、客が面食らうのです。 どちらかに合わせるべきです。 ファーストフードの店の外観と店名と店員の制服でやるなら内容もファーストフードにするべきであって、人材開発部の某みたいに「いいもの出してましたでしょお」などとマヌケなこと言ってたんじゃだめなんです。 逆に、ボリュームのある洋食を出すつもりなら、「ファーストフード」などという名称ではなく他の名称にするべきです。 マクドナルドかミスタードーナッツみたいな外観の店にしてはだめなんです。店員の制服もファーストフードの店みたいなものにするべきではありません。 私、1回、平井店に行って1回、食っただけでわかりました。 それが、チ○ニーの社長も副社長もまったくわからないんです。 アホなんです。 他の点はともかく、この点では。 あんたら、大学でマーケティングとか勉強してきてないのか? というと、勉強してきてないみたいです。
入社時に、どこか店舗を見てきてくださいと人材開発部の者が言うので見に行った八丁堀店も、入口がわかりずらい。価格から考えて内容のある食事を出していたとしても、そこへ行こうと目指して行く者にとっても入口がわかりずらい店舗というのは、客商売としてその点でマイナスだと私は一目見て理解したが、同社の経営者は理解しておらず、見てきてくださいと言った人材開発部担当者も「いいもの出していたでしょう」などとお気軽なこと言っていた。
これで全部ではなく他にもいくつもあるんですけれども、私は、たかだか1カ月少々いただけで、これだけ以上のことがわかったのですが、ずうう~うっといる社長や副社長や建設部の部長や人材開発部のなんとかさんとかは、まったくわかってないんです。 だから、だめなんです。 私をもっと大事にしてくれれば、「ファーストグルメ」という店だって、利益をあげることができる店にできたと思います。 だから、だめなんです。私よりメカケの方を大事にしているような会社・社長だから、だから、だめなんです。 南北朝の争乱の時に、大塔宮護良親王をしりぞけてメカケや「逆賊」の言うことばかり聞いた後醍醐天皇が南北朝の争乱で勝利しましたか? だめだったでしょう。 メカケや「逆賊」の言うことばっかり聞いて、大塔宮護良親王をしりぞけるような社長の会社はだめなんです。 「居酒屋はレベルの低い業界」で、「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」で、気に入らないことがあると社員の頭めがけて灰皿投げつける社長の「庄屋」との競争に勝ったとしても、「レベルの低い争い」なんです。 成り行きで北条氏の鎌倉幕府を倒しても、メカケや「逆賊」の言うことばかり聞いた後醍醐天皇の南朝は衰退したんです。 だから、店員のおねえさんに感じのいい人もいるかもしれないけれども、「はなの舞」「チムニー」「炎」他は、長い目で見れば実力があるものではない。 まあ、競争相手のレベルが低ければ、今後も「勝ち組」の方に入る時もあるかもしれないけれども・・・・。
【6】 なぜ、菅原道真は「天神」になったのか。
「天神社」という名前の神社がすべて菅原道真と縁があるわけでもないらしく、菅原道真が神さま扱いされるより前から「天神社」は存在したらしい。
それで、なぜ、菅原道真が「天神」になったか。
≪ 菅公の登場以前に、こうして“農耕神”としての“天神”を祀るお社が全国各地にあったわけですが、それが“天神さん”といえば菅公・・・・となっていったのはナゼなのか?
・・・・・・(略)・・・・・
延喜三年二月二五日、菅公は大宰府の配所で亡くなったのですが、お墓に埋葬しようといた、ちょうど同じ時刻、京では、雷鳴がとどろき大地が揺れ動くという“天災”が発生したと言います。 あたかも、この年は日蝕・月蝕や旱魃・洪水・疫病などが相次ぎ、その後もいろいろな妖しい出来事が連発しました。
そして、菅公の死後、わずか六年、菅公左遷の片棒をかついだ参議藤原菅根、つづいて張本人の時平も後を追うかのようにして死去しました。 菅公を失脚させて、天下を掌握したのも束の間のことだったのです。
さらに延喜二三年三月、皇太子・保明(やすあき)親王が二十一歳の若さで薨じられました。親王の生母は、時平の妹(穏子)でしたから、
「世を挙げて云う、菅帥(かんのそち)の霊魂宿念のなすところなり」(『日本書紀』)
と、世人は菅公の怨霊のなせる業として恐れおののいたのでした。
こうなると、朝廷も捨ててはおかれず、この年四月、菅公を元の右大臣に復し、正二位を贈って、かつての左遷の詔書も破棄し、年号も「延長」と改めるなどして、ひたすら、菅公の怨霊を鎮めようとしました。北野の天神社に勅使を遣わして祈願したのも、この頃のことです。
ところが、凶変は一向におさまろうとしません。新たに皇太子に立てた幼い慶頼〔よしのり〕王(母は時平の娘)が、延長三年(925)五歳で亡くなりました。
そして、同八年六月、例の有名な清涼殿の落雷事変が起こったのです。
この六月は日照りが続いたので、公卿たちが清涼殿に集まり、雨乞いの相談をしておりました。すると、愛宕山に黒雲が湧き、雷鳴がしたかと思うと、雷が落ちて、まず大納言の藤原清貫が胸を裂かれて即死、右兵衛佐の美努忠包(みぬただかね)は頭髪を焼いて死亡、右中弁の平希世は顔を焼かれる・・・・といったように、五人が死傷。このため、醍醐天皇は病気となって、同年九月二二日、朱雀天皇に譲位されましたが、一週間後に崩御なさっています。
こうした相次ぐ凶変に、菅公の怨霊に対する世人の恐怖は高まっていくばかりでした。藤原氏の謀略のために無実の罪を着せられ、配所で悶死された菅公への同情と、その怨霊を鎮めねばならぬという声が、広く民衆に広がっていったのです。 ≫
≪ 「北野天満宮天神」という神号が公式に定まったのは、一條天皇の永延元年(987)、初めて勅祭が行われた時でした。
これより先に、菅公の御墓所である大宰府の安楽寺では、延喜五年(905)門人の味酒安行が神託によって神殿を造り、 「天満大自在天神」と称したと伝えられています。
この神号については『北野天神縁起』の有名な<天拝山祈念>の場面にも、菅公が配所の南々西にそびえる山頂に登り、、七日七夜、無実の罪を天に訴えたところ、その祭文が空中高く飛んで梵天宮に至り、菅公御自身は「天満大自在天神」となられた――として、頂上に立って天を仰ぐ、菅公の悲愁の姿が描かれております。
「天満」とは「虚空見(そらみつ)大和」から転じたものとか、仏教の「天魔」から転じたもの、あるいは、菅公の怒りが「天に満ちる」ところから出たものとする諸説があり、また「大自在天神」は観音の三十三化身のうちの「大自在天身」によるといわれています。・・・・≫
(『わかりやすい天神信仰―学問の神さま』1994.12.20.(株)鎌倉新書)
菅原道真は、「おのれ、生かしておいては世のため人のためにならぬヤツども、成敗してくれるわ。 ゴースン、サンダー!」 と雷を落としてまわったところから、雷神→「天神」となった・・・というのは、ありそうな話です。
※「ゴースン、サンダー!」 を知らない方は、
《YouTUbe―タイガージョーの最後・・・(怪傑ライオン丸より) 》http://www.youtube.com/watch?v=z8FUiLutOI4 、もしくは、
《nicotter 怪傑ライオン丸 最終回前篇》http://nicotter.net/watch/sm20123110 参照。
≪菅原道真が活躍した時代は、中央で藤原氏による独裁体制が確立したことにより、貴族の専制が志向されつつあった。それにたいし、地方では、村落の小領主である武士や農村の秩序の外にある商公民が成長しつつあった。菅原道真は、そのような実情をふまえて地方の人びとのためになる政治を行おうとし、藤原氏に憎まれた。 そして、道真の怨霊騒ぎがはじまったことをきっかけに、武士や商公民が道真を祀りはじめた。・・・・≫
(武光誠『日本人なら知っておきたい 神道と神社』〔2007.1.10. 河出書房新社〕「御霊信仰から発展した天神 菅原道真が学問の神とされるまでの意外な経緯とは」)
農民ではなく≪武士や商公民≫から祀られたのに「天神」とは矛盾があると考えるべきか、≪村落の小領主である武士≫というのは≪中央≫の≪貴族の専制≫に対しては農民の側であり、初期の「武士」というのは、農民とはっきりと差はなかったと考えれば、≪地方の人びとのためになる政治を行おうとし≫て、≪武士や商公民≫から祀られることになった菅原道真が「天神」というのはふさわしいと考えるべきか。
「極悪ども、成敗してくれるわ。 ゴースン、サンダー!」の方が面白いような気もしないではないが・・・。
☆ 今回の飛騨天満宮は三部作です。
[第202回]《飛騨天満宮(高山市)‐冤罪を晴らす神・菅原道真・怨念を晴らす旅(12)上。松本家住宅。飛騨の家具館。 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
[第204回]《飛騨天満宮(高山市)‐冤罪を晴らす神・菅原道真(12)下。高山市の白山神社。高山市役所。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
と合わせ、御覧くださいませ。
(2013.9.26.)
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