売る努力しない社長・能力ない営業は営業活動の邪魔をする。及、職場のチンピラと保護義務違反の使用者。
[第210回]営業と会社の話(50)
私は2010年(平成22)6月下旬に新華ハウジング(有)(建設業)に入社したが、その際、求人票では「15万円~25万円 プラス歩合給」で、職歴・資格・学歴のいずれから考えても私はその範囲内で低い方になるはずはないと判断して応募したが、面接で、社長の長○川S二は「基本給は誰でも一律に15万円で、不動産会社の知り合いがあって分譲地の販売の『代理』の契約を取って来ることができる人に、その手当として月5万円払って『部長』と『課長』になってもらっている」と話した。求人票の内容と面接での話が少々異なる。宅地建物取引主任者の資格手当を出すという話であったが、結局、最後まで出さず長○川はごまかした。
歩合給を出す営業であれば、時間外手当を出さずに無制限に時間外に働かせてよいというものでもない。 しかし、住宅建築請負業の会社においては、時間外の労働については、それに対しては契約が上がった時に歩合給を取得できるからと支払わない会社が少なくないようだ。 労働法から考えると支払わないわけにはいかないはずだが、私が勤務した在来木造の I 工務店は私が在籍した期間の終わり頃、「みなし残業制」というものを取り入れた。 「みなし残業制」の趣旨から考えて適切かどうか微妙なところもあるし、I 工務店の場合、「みなし残業制」でみなされている時間外労働の時間よりも実際に時間外に働いている時間の方が間違いなく多く「ごまかされている感」は否めないが、会社経営者はもめないようにこういった制度はきっちりとしておいた方がよいだろう。
2010年4月に新華ハウジングに入社していたK代は私と同じく「15万円 プラス歩合給」で入社し、知り合いの不動産会社から分譲地を販売する「代理」の契約をとってくることができるという話でプラス月5万円受け取っていたが、実際には「代理」の契約などとってきていなかった、にもかかわらず、プラス5万円を不当に取得し続けた。
住宅建築請負業の営業は、会社・商品の評価と営業の能力・努力とが合わさって契約になったりならなかったりするという仕事である。 私が入社する際には、新華ハウジングはすでに新築とリフォームの業務を継続的におこなってきているという話であったが、入社すると、それまで新築もリフォームも顧客から直接に契約いただく仕事はまったく受注できておらず、入社してもうすぐ3カ月のK代は営業成績はまったくゼロ、入社して約2カ月のS井もまったくゼロだった。 それならそれでなんとか受注できるように会社としての努力をしなければならないところだが、社長の長○川S二は話をしようと思っても会社に出てくることが少なく、又、「経験のある人を雇った」と言う割には私の言う事をたとえ聞いても粗末にした。
在来木造の I 工務店にいた時、元「ホスト」という「零児」という男が講演に来たことがありその時のビデオで、「零児」が「ホストは自分しか売る物のない営業だ。 それに対して皆さんは住宅という売る物のある営業をしている。 自分しか売る物がないホストに比べれば、住宅という売る物がある営業なんて、こんな楽なものはない」と暴言を吐いていた。零児のその時の話にはもっともなものもあったが、これは間違っている。 「ホスト」は自分を売る営業で、自分以外に売る物は所属の店の雰囲気が他よりいいかどうかくらいで、ほとんどない営業だというのはそうであろう。 住宅屋の営業は住宅という売る物がある営業だというのもそうだろう。 しかし、自分以外に「売る物」がある営業と自分以外に「売る物」がない営業では、自分以外に売る物がある営業の方が楽かというと、そうではない。 住宅建築業の営業は、会社・商品・営業の3つの評価で契約になったりならなかったりすると言われるが、「自分自身以外に売る物がある営業」が、もし、自分自身だけを売ろうとしたならばうまくいかないだろう。 自分以外に売る物がある営業は自分以外の売る物についての知識も習得する必要があるし、その勧め方も考える必要がある。 もし、ある物を売る仕事で、同業他社の「物」より自社の「物」の方が商品力があるならば、商品力のない「物」を売ろうとする営業に比べて商品力のある「物」を売る営業の方がやりやすい。 「有名」「大手」「財閥系」など会社に対しての評価が高い会社の「物」を売る営業と、「無名」「零細」「非財閥系」で会社の評価がない会社の「物」を売ろうとする営業であれば、前者の方がやりやすい。 その点で、同業種での比較では、「商品力のある物」を売る営業は売ろうとする商品に「商品力のある物」がない営業と比べて楽で、「会社の評価が高い会社の物」を売る営業は「会社の評価がない会社の物」を売ろうとする営業に比べて楽であろう。 それに対して、「ホスト」は自分以外に売る商品がない営業かもしれないが、自分以外に売る商品がないのは同業者は誰でもそうで、同業の他の者に売る商品があって自分だけないわけではない。 「零児」は「自分以外に売る商品がない営業」である「ホスト」をやってきたかもしれないが、「同業他者には自分以外に売る商品があって自分にだけ自分以外に売る商品がない営業」をやってきたわけではない。 そのあたりについて、零児は勘違いしていたかわかっていて言ったのかはわからないが、「自分自身以外に売る商品がない営業」より「自分自身以外に売る商品がある営業」の方が楽などということはない。
私が I 工務店に入社した1992年頃、東京圏では I 工務店は無名で、東京都江東区亀戸の総合住宅展示場で展示場建築中に立って総合住宅展示場を通る来場客に「知っている方は知っているけれども知らない方は知らないというくらいの知名度の会社かと思いますが」と言うと、「知らない人はまったく知らないわ。知ってる人なんてないでしょ」と言われた。 三井ホームの展示場にパートタイマーで勤務しているおばさんから帰りがけに「浜松からこんなところまで来てたいへんね。がんばってね」などと言われた。I 工務店は浜松発祥でも私は浜松の生まれでも何でもないのにそういうことを言われるありさまだった。 逆に、JR「浜松」駅で降りてタクシーに乗ると、I 工務店の名前を出すだけで地名も道順も言わなくてもどのタクシーでも絶対に迷わずに行ってくれたし、[第207回]《やりもせずに他部署の業務をできると言う者、口出す者を認める会社+「子供があるから」は言い訳にならない》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201310article_3.html の【2】で述べたように、「お客さんは住宅を作る仕事をしている人だと思うのですが、ちょっと、教えてほしいんだけれども、私は今○歳で、年収は◇◇万円くらいなんだけれども、このくらいの年収の者でも家を建てることはできるでしょうか」と I 工務店の名前を出すだけで言ってもらえる状況だった。浜松の住人と話をすると、I 工務店の名前を出すだけで「I 条さんずいぶん大きくなりましたね」「I 条さんを知らない人間なんているわけないでしょう」と言われた。その当時、 I 条工務店は浜松では「会社の評価」と「その地域の人に高く評価されている商品」があり東京圏ではいずれもなかった。I 工務店の浜松などの営業が「評価の高い売れやすい商品のある営業」をしていた時に「売れやすい商品のない営業」をしていたのは、「零児」ではなくI 社に入社して1年目2年目の私である。 「零児」は「私は、皆さんのような住宅の営業をやることはないと思うが、もしも、やったら間違いなく絶対にトップになる自信がある」などとあつかましいことを言っていたが、そういう発言はやめた方がよいだろう。 他の業界の営業である程度以上の成績を残した人で、中途入社で I 工務店に入って実績を残せずにやめていった人はいくらでもいる。 その仕事を「やることはないと思う」から言いたい放題言うなら、そのような者は犬のクソである。 やらない者は黙ってろ!ということになる。 但し、「零児」が話したことは他の部分でもっともなものもあったし、この講演で「零児」なる者がいると知り、その後、書店で見かけて購入した『ホスト王のその気にさせる心理戦術』(2001.12.25.青春出版社)はなかなかおもしろかった。
住宅建築請負業の営業という仕事は会社の評価・商品の評価と営業の能力・努力が合わさって売れたり売れなかったりする仕事であるが、私は、それを踏まえた上で、もし、会社の評価・商品の評価の部分が4対6くらいでリードされていても、営業の評価の部分で6対4くらいに挽回して契約に持ち込むことは私なら不可能ではないと思っていた。そう思って、すでに戸建住宅の新築とリフォームの仕事をおこなってきていると社長が言う新華ハウジングに入社した。 しかし、入社すると話は違い実績はゼロ、それだけではなく、周辺に住んでいる住人、周辺の店舗で仕事をしている人たちでさえ、そこに新華ハウジングという建設業の会社があるということさえ知らなかった。向いのマンションの住人からですら「どこにあるんですか」と言われる始末であった。会社の評価・商品の評価の部分で4対6くらいにリードされている場合でも、営業に実力があれば営業の評価の部分で6対4に挽回して契約に持っていくことは不可能ではないと思うが、0対10のものは、営業の努力で挽回しようとしても簡単ではない、というより不可能に近い。 私は、社長の長○川に、
(1)営業全員で周囲の住宅にポスティングをすることを提案したが、やるのは私だけでK代もS井もやらなかった。(本来、社長はやらない人間にやるように言うべきであるが言わなかった。)
(2)JR「蘇我」駅、京成「大森台」駅前でのチラシやポケットティッシュ配りも私しかやらなかった。
(3)近隣の商店に挨拶に顔を出したが、一度でなく継続的に顔を出して、そのうち「あの人、よく来るけど、せっかくあれだけ来てくれるんだから、同じ頼むならあの人のところに頼んであげようか」という気持ちになってもらえるように、その為には、とにかく「仕事ちょーだい」「リフォームでもやらせてちょーだい」(≒実質「お金ちょーだい」)とあつかましい乞食が強要するように営業中の店に押しかけるのではなく、たとえば、年末には、一番安いものでもいいから会社名入りのカレンダーを作って配りたいから作ってもらえないですかと言っても、「今どき、もらったカレンダーを使うようなそんなバカいないよ。カレンダーなんて買って使うもんだよ。そんなもの持って行ったってしかたないよ」と長○川は言って私の提言を踏みつけた。 長○川は社長様だからカレンダーはもらっても使わずに自分が気にいったものを買って使うらしいが、私はカレンダーや手帳を貰えばうれしいし使っている。もらったカレンダーを使う人はいくらでもいるし、問題は相手が使うかどうかよりも、「契約ちょうだい」「お金ちょうだい」とルンペンみたいに言いにいくのではなく、「もし、よろしかったら、これ、使って下さい」と渡すことによって会社がその場所にあってそこで新築とリフォームの営業をしていると認知してもらうこと、そういうもので顔を出すことで「あの人、よく来るから、同じ頼むなら、一度、あの人に頼んであげよう」と思ってもらえるようにしたいというものであるが、長○川は私がせっかく言っても理解できない人、ひとの意見をきく能力のない人だった。
(4)[第199回]《常照寺(横浜市)参拝―自分の子の為を名分にひとの子や親を食い殺す女・男を懲らしめる神・鬼子母神 2》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_4.html でも終わりの方で述べたが、JRなどの駅に看板を出す費用は多くの人が思っているほど高くないようなので、一度、JR「蘇我」駅・京成「大森台」駅・「千葉寺」駅などに行って、実際にいくらかかるのか、空きがあるかどうかといったことをききに行ってみましょうか、私がききに行っていいですかと言っても、長○川は「考えさせてください」と言ってそのままはてしなく返事しなかった。「考えさせてください」と言ったからには1週間以内くらいには考えた結果を返事するもので、「考えさせてください」と言ってはてしなく返事しないというのは失礼であり信用をなくす行為である。
(5)会社の社屋は一方をクルマの通りが多い道に面していて、しかも、近くの両側に踏み切りと信号があってクルマが停止する場所なので、停止したクルマの運転席から見える場所に会社名を大きく書いた看板を設けるべきだと何度も提言したが、「やります」と言っていつまで経ってもやらなかった。 最近はお寺や神社でも広告を出すようで、会社社屋の隣地には、千葉神社の大きな看板が立っていたが〔[第182回]《千葉神社・千葉天神 参拝 〔下〕千葉天神、「家作」「長屋」型末社、中央区鵜の森町の千葉神社「神札」 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html にその写真を掲載〕、営利企業である新華ハウジングは会社がそこにあるのに看板を出さなかった。私が何度も何度も言っても「やりますよ」と言うばかりでやらない。「やりますよ」と言ってやらないので、「やりたくないのですか」「看板だすとまずいことでもあるのですか」というと「そんなことないですよ。やりますよ」と言ってやらない。
(6)会社社屋は入口がある方はクルマはあまり通らず歩行者は通る道なので、入口付近に、在来木造の柱・土台・筋かいの構造見本、ツーバイフォーの構造見本を置いて、「あれ、何だろう」と通行人から思ってもらい、見るだけでも見に近づいてもらえるようにしてはどうかと言ってもきかず、「私が費用を出してもいいから作ってそこに置いてもいいですか」とそこまで言っても、「やめてちょうだい。 そんなことしなくていいから契約とってきて。そこの家(目の前の築10年未満であろう建売かと思われる住宅)へ行って新築する契約とってきて。親戚の契約とってきて。」と言うので、「こいつ、アホだ」と思い、又、「こいつが社長やっている限り、この会社はだめだ」とも思った。
(7)日本住宅経営・日本建築出版社http://www.jbupub.com/ がやるアパートのドアノブに返信用はがきをかけて、その応募からアプローチするというシステムをやりかけたものの、これは、返信用葉書を出してをもらえばいいというものではなく、「イエマド」という同社の住宅雑誌で会社を紹介してもらい、会社の認知度を上げ格を上げることで契約につなげるというものであるが、長○川は計画性がなく、この雑誌への掲載をすることは結局なかった。かつ、やりかけたなら、そのシステムでひと通りはやってみるべきであるはずが、すぐ気移りする性格で徳島市の株式会社フィット(http://www.fit-group.jp/ )に関心が移り、日本住宅経営・日本建築出版社の運営者が「保証はしません。しかし、このやり方で自分の会社(工務店)はうまくいったので、同じやり方でやってもらえばおそらくうまくいくはず」というやり方を結局やらなかった。
(8)東金市で「モデルハウス」だと言って建てている建物の所に、会社名と会社の電話番号を書いた看板を建てるべきだと言ってもやらない。私が自腹でホームセンターで合板と杭を買って建てると、「やめてちょうだい。そういうことは」と言い、そして「それなら、いったい、どうしろと言うのですか」(そういうこともやらないでくれと言って、それでいったいどうやって契約とれと言うのか?)と言うと、「親戚の契約とってきて。親戚の契約ちょうだい」と言う。親戚の契約をとってくれということでの「求人募集」ならそれは求人ではなく住宅建築の契約募集であり、職安はそのような「募集」を受け付けるべきではない。そのカネで社長と社長の嫁と子供でハワイに遊びに行こうという魂胆らしかったので、これではこの会社は厳しいと思った。 楠木正成は千早城・赤坂城などでゲリラ戦で鎌倉軍を撃退するなど工夫をして南朝の政権奪取に貢献したが、足利尊氏との戦いになり、後醍醐天皇やその周辺の公家が、楠木正成がこうやったらどうですかと提言してもすべてはねつけてきかなかったことから、 「正しい意見が通らないようではだめだ」と自分と南朝の行く末の希望のなさを認識して湊川へ向い最期を迎えたと言われる。いわば、その時の楠木正成のような気持ちにならされた。
住宅建築請負業の営業という仕事は、ホストのような「自分自身だけを売る営業」ではない。 「『売る物』のある営業であり、『会社と商品の評価』に営業の努力・能力が合わさって契約になったりならなかったりする営業」である。 「売る物」のある営業が「自分自身だけ売る営業」のやり方をやってもうまくいかない。「売る物」と自分自身と両方の評価を上げるようにしないといけない。 そうであるにもかかわらず、会社・商品の評価を上げるための努力を会社としてしようとしない、私が、たとえば、こうやってみてはどうですか、と言ってもきかない。 これでは「王さん、1枚で戦え」と言われている将棋みたいなものだ。
それで、はたして、取れる可能性のある顧客はあるか? 《「売る物」のある営業》である住宅建築業の営業において、「営業の能力だけで取る契約」「営業の能力だけで契約に持っていく営業」というのは、本来、外道・邪道であるが、この際、しかたがない。 「ほとんど営業の能力だけで取れる可能性のある顧客」とすると、私が営業ならまったくないわけではない。 どういうものか。私は住宅の建築の営業のベテランであるが、同時に不動産の営業も少しは経験がある。 宅地建物取引主任者有資格者であり「いいかげんな不動産屋」を長くやっている者よりわかっている部分もある。 住宅建築屋でも、営業はできてもそれ以外はできないタイプの人もいるかもしれないが、私は1年目や2年目の設計よりも設計の能力も上である。 となると、取れる可能性のある見込客がひとつ考えられる。 土地を探して建てたいという人の場合、それだけでは、建築屋が「不動産屋」と競争すると、一般的には、不動産屋の方が強い。 しかし、そこにどういうものが建つか、納得いくものを建てることができるならそこを買って建てたいが…という見込客の場合、不動産屋の多くの営業は建築のことがわかっていない。はっきり言わせてもらえば、多くの不動産屋の営業は建築についてはアホである。 但し、不動産屋は不動産業についてはアホではないので、提携の工務店を持っていて、そこの設計担当者に頼んで契約前でも図面を書かせるということをする業者が少なくない。 自社に建築部隊を持っている不動産屋もある。そういう所の「設計」担当者は、一般に安物志向の場合が多いがまったく無能というわけでもない。それを仕事としている以上、それなりのことをする。 しかし、である。 (1)営業自身がある程度以上の設計能力もあって、(2)宅地建物取引業の知識もある程度はあって、(3)営業の能力もある場合、こういう提案をしてみてはどうかという、独自の発想を持っている、という場合と、それぞれの能力を持っている人間が別であるという場合では、ひとりでその能力を持って総合的に判断できる者の方が有利になる場合がある。そこなら「ほとんど営業の能力だけ」で取れる可能性がある・・と考えた。
それから、「設計の設計力」と「営業の設計力」では設計の設計力の方が優秀だと思っている人がいるが、必ずしもそうではない。 在来木造の I 社の福島県いわき市の営業所にいた時のこと。いわき市内に4展示場あったが、私がいた展示場である営業が接客・追客した方で、持っている土地は全体としては広いが、母屋があって納屋が建っていて、そして、空いている場所に建てようという計画だった為、そこに建てようとすると総2階で最低限のものをそろえた小さなありきたりの間取りとデザインのものしか建てようがないという方があった。 その方が、所長のいる展示場に行き、「あんな愛想のない営業で、魅力もくそもない間取りを提案しやがってからに」とぼやかれたというのだ。 たしかに「魅力もくそもない間取り」だったかもしれないけれども、その場所に建てようとすると、それしかやりようがなかったという。担当営業は「愛想のない」と言われてもあの場所では愛想のしようもないんだよと話していた。 他の住宅メーカーの図面も見せてもらったが、どこのものも同様だったという。 それで。 担当営業は所長に「そう言われるなら、所長、私に同行して話をきいてもらえないですか」と所長のKさんに言い、所長のKさんと一緒にお客様の家に行くと、たしかに、その場所にはその「魅力もくそもない間取り」でしか建てようがなかったそうだ。それで、どうなったか。 所長のKさんはその周囲を見回し、そして、お客様の話を聞いた上で、「○○さん。 どんなもんだろうねえ。 この納屋なんだけど、まだ、新しくて取り壊すのはなんとももったいないとは思うんだけど、どうだろう。 この納屋をとり壊して、この納屋の所とこの場所と合わせて建てるようにすれば、かなりいい間取りの家ができると思うんだけど、どんなもんだろうねえ。」と言ったそうだ。 それを聞いて、そのお客様は感動して、「今まで、何社もの会社の何人もの人間が来たけれども、それを言ってくれたのは、Kさん、あんただけだよ」と言い、そして、契約になったという。もはや、他の会社は競合ではない。この提案をしてくれた人の会社以外は検討対象にない。 そういう発想ができるかどうか。営業として、なんとか契約できないか、何か方法はないか、と考え続けて、そして、契約のために図面を描く作業もしてきた人間だからこそ、それが思いついたのだ。 担当営業は「さすが、所長だなあと思った」と感心していたし、私もその話を聞いてさすがだなあと思った。 当然のことながら、営業と設計の両方の能力があってこそ思いつく発想であり、「設計」にはこの発想は絶対にできない。
私自身が営業をやったケースでもある。 建築もやっているが売買の不動産業が中心の千葉県八千代市に本社があるT海住宅の千葉市花見川区のH店にいた時のこと。 年収はそれほど多くはなく、転職後の年数が短い為、ローンもそれほど多くは借りられないというKさんに、多くの不動産屋はその方の条件で借りられる金額の範囲内の付近の売地を次々と紹介したらしい。 建築屋は他の建築屋の建物を建てることはできないが不動産屋は他の不動産屋が持っている土地を売ることもできる。 ということは、すでに何社かがその人の借りられる金額をもとに付近の売地を紹介しても決まらなかった方に、自社が付近の売地を再度紹介しようとしても、「もう、それは見ました。それはけっこうです」となってしまう。新たにもっと気にいる土地が出てくればいいが、土地というものは気にいるものがそう簡単に新たに出てくるものではない。 すでに借りられる金額の範囲を考えて付近のいくつかの土地を見たけれどもそこを買おうという気持ちになれなかったという方に決めていただく方法はないのか。 「あんたは贅沢なんですよ。あんたはこのくらいの土地で我慢しなきゃならない人間なんですよ」とか説教するのか? 気分を害されるだけだろう。 それならどうするのか。 私は考えた。 I 工務店にいた時のいわき市の所長の対応を頭において考えた。 もうひとつ、大学の「商業学総論」という講義ででた≪顧客が何を求めているのか。 「ウォンツ(Wants)」からでなく「ニーズ(needs)」から考える というマーケティング的発想≫というものも頭に置いて考えた。 その方は、東京都内に通勤で、乗り換えは2回まで通勤時間はいくらかかっても1時間半までにしたい、駅から10分以内がいいがいくらかかっても15分以内の所にしたい、付近に買い物できる場所や学校などの施設がある所にしたい、ある程度の広さの土地が欲しいというものだった。そういう物件がないわけではないが、すでにそういう物件をいくつか他の不動産屋が紹介していたし私も紹介したが納得いかなかったようだ。 そこで、考えた。東京都内までの所要時間だが、直線距離で近い場所なら早く行けるとは限らない。JRなら快速が停まる駅、京成なら特急の停まる駅から遠くない場所なら直線距離で遠くても比較的所要時間は短い。 かつ、土地の価格も高くない場合があり、自然環境は良く、買い物などの施設も十分ある所がある。 具体的には、その時、気づいたのは、JR総武線の四街道市の「物井(ものい)」駅付近とJRの我孫子から成田までの間の成田線(成田線は佐倉から成田までと、成田から銚子の手前の松岸までと、成田から成田空港までと、我孫子から成田までの4つの部分からなる)の我孫子に近い部分。 成田線の我孫子に近い部分というのは、「そんな田舎」とか思う人もあるようだが、電車は我孫子から常磐線に直通で入り常磐線内は快速になって北千住・日暮里・上野まで行く。けっこう早く行けるし、駅から遠くない場所に高くない土地があり、田舎というほど田舎ではないので生活するための施設もある。(但し、残念ながら、2011年3月11日の福島第一原発の事故により、柏市・松戸市・流山市・三郷市などとともに我孫子市の手賀沼周辺も放射能の「ホットスポット」になってしまった。手賀沼は好きな場所だったが残念です。) それから、他の不動産屋が「建築条件付き」としている物件でも、建築業をやっている会社の人間が話をすれば建築条件をはずしてくれる場合もある。 そういう物件をいくつか見つけ出し、物井の方を案内したところ、悪くないということになった。そして、申込書を書いてもらい、手付けを入れましょうというところまで進んだ。
ところが、店長になっていたT中が「俺はみずほ銀行の支店長と懇意だからみずほ銀行ならなんとでもできる」と断言していたくせに、T中が私と銀行に話をしに行こうと言っていた日になると「ちょっと、○○のSさん(営業、女)の担当の建物を見てきてくれ」と私に頼んだ。 Sさんというのは、T海住宅でダンナが「設計」をやっていて嫁が不動産屋の営業をやり夫婦で勤めている女の方だった。「Sさん(嫁)の担当の物件ならSさん(嫁)が見に行くべきと違いますか」と私は言ったが、T中は「設計のSさん(夫)の嫁さんの担当の物件なんだから、設計のSさん(夫)には世話にならなきゃならないんだから見て来いよ」と言うのでしかたなしに見に行って対処したところ、私に一緒に銀行に行こうと言っていたにもかかわらず、その間にひとりで銀行に行き、戻って来て「あの人はだめだ。 年収と勤続年数からそこまで借りられないわ」と言いだした。 Kさんは自分で銀行に行って確認し、この額までしか借りられないと言われたと正直に話しておられたのであり、私は店長のT中にそれをきっちりと話していたのだが、T中は「何、言ってんだ。俺はみずほ銀行の支店長と懇意なんだ。俺が口きけば、みずほ銀行ならばどうにでもなるんだ。それは話した営業が悪いんだ。俺みたいな人間が口きけば、話はまったく違うんだ。そんなものまったく心配要らねえよお」と言うので、自分の勤め先 T海住宅の上役である店長が言うからにはそうなのだろうとその前提で話を進めていたところ、一緒に銀行に行こうと言っておきながら私にSさん(嫁)の担当の物件の仕事をさせて、その間にこそっと銀行にひとりで行って「だめだわ。あの人は」などと言いだしたのです。 「みずほ銀行の支店長と懇意だからどうにでもなるのと違ったのですか?」と私は店長のT中に言ったが、T中は「そんなもの知らねえよお。 だめなものはだめだ。あの人はもうちょっと少ない額しかだめだ」と言うので、「だから、もうちょっと少ない額しか借りられないと銀行から言われていたと私は話していましたよね。それをT中さんが『俺が口きけば絶対に大丈夫だ。俺はみずほ銀行の支店長と懇意なんだから』と言われたのですよね。懇意だという『みずほ銀行の支店長』という方はどうされたのですか」と言いましたが、「だめなものはだめだ。 無理なこと言うな。おめえはあ。この野郎」と言うので、このT中という男はつくづく信頼できない男だなあ、と思いました。 もしかしてこれが「不動産屋」というものなのか? とも思いましたが、T海住宅はその人を店長にしていたのですから、T中さんが信頼できない人間だということはT海住宅という会社も信頼できない会社だということになります。 「設計」のS(男)も、嫁Sの態度について私が配慮するように夫Sに言った時には「たしかに夫婦だけれども、会社では向こうは向こう、こっちはこっちで仕事してるから、俺に言わないでくれ」と逃げたくせに、一方で、営業の嫁Sの担当の仕事をSと懇意だという店長のT中を通して、私に「設計のSさん(男)の嫁さんのSさん(女)が営業担当の家だからやってやれよ。設計のSさん(夫)には営業は世話になるんだからやれ」と言わせて、本来なら営業S(嫁)の仕事を私にさせて、ずるい卑怯な男です。 やりやがったな、このドヘボ設計野郎! と思いましたが、その後、すぐに同社を辞めてしまいました。 この程度の店長とこの程度の「設計」とこの程度の会社でした。
店長のT中がどうしようもない信頼できない男だと見抜けなかった点はあり、隣接業界でも、そういうヤカラが店長になっている不動産屋という業界より建築屋の方が私には向いていると思いましたが、普通は会社というところで、店長という役職についている人間はT中のようないいかげんなことを言っていいかげんな指示をしてよいものではないので、T中の指示に従ってその条件で納得してもらえる土地を探して勧めて手付けを入れましょうというところまで進めることができたということは、この部分の進め方については、私はプラスに評価されて良いものだと思います。
狭めの土地の場合、一般のお客様はその土地にどんなものが建つか十分にわからないことが多く、不動産屋の営業は、工夫すれば十分使える間取りのものを建てられるのにあきらめたり、建たないようなものを建てようとしたりして勧めますが、その点で、建築の営業の経験があって建築の設計の能力も少なくとも1年目や2年目の設計よりはある者として、「不動産屋の無責任な態度」ではなくきっちりと「こういうように建てればこの土地は使える」と勧めることも可能性としてありえます。
東京都の江東区・墨田区あたりには、狭い路地のような道に面した狭小敷地の建物が建てこんでいる地域が少なくありません。 私は、20代の時、江東区大島(おおじま)の都営新宿線「大島」駅の近くの変電所にアルバイトで交通誘導警備の仕事に行ったことがありその付近はなつかしいのですが、広い道から少し中に入ると、クルマは入れないと思える道に面した狭い土地に家が建てこんでいる所がけっこうあります。江東区・墨田区・江戸川区の少なくない土地は荒川の水面より低いらしいのですが、それは簡単には改善できないとしても、そういう場所は、その地域の人たち全員の同意のもとに一画をある程度高層のマンションに変えれば、今までより広い家に住めて、今までより安全に暮らせるはずで、そして、江東区・墨田区・江戸川区にはそのような感じのマンションがけっこう建っています。 江東区・墨田区あたりは、かつては電車はJR総武線しかなくて都内に通うには直線距離で近い割に便利の悪い所が少なくなかったのですが、今では都営新宿線・東京メトロ東西線・JR京葉線・東京メトロ大江戸線と鉄道がいくつも通り、特に、地下鉄の駅から徒歩10分以内というような所は都内に通勤するにはものすごく便利です。 在来木造のI 工務店の江東区潮見の展示場にいた時、東京メトロ東西線の「東陽町」駅の前のマンションに住まれていた見込客宅に夜7時くらいに訪問すると、旦那が「きょうはこんなに遅くなっちゃったよ」と言って帰ってきたことがありました。 夜7時で「こんなに遅くなっちゃった」になるのか? と思いました。 その方の勤務先は「大手町」でしたが、東京メトロ東西線の電車に乗って、日本橋・門前仲町・木場・東陽町とあっと言う間につきます。 買い物だって便利だし、クルマなんてなくても歩けばすぐに何でもあります。 自然環境は郊外に比べれば良いとは言えないかもしれませんがこの便利さはすごいもので、船橋市の各停しか停まらない駅から20分を越えて歩かなければ家にたどりつかないような所に住んでいる者からすればうらやましいことこのうえない。 荒川の水面より地盤面が低いため、大地震が来て荒川の堤防が決壊するとどうなるかとか津波が来た場合どうかといった問題点もありますが便利さについてはすばらしいし通勤が楽というのがいい。それで、江東区・墨田区あたりのマンションにはもともとその地域の住民でなかった人も来るようになったようで、又、その便利さから他には行きたくないと考える人も少なくないようです。 しかし、そういうマンションの住民には、今度は、たとえほとんど庭のない家でもやはり戸建の方がいいと思いだす人もいるようなのです。 そこで、 3階建を建てて、1階にビルトインの車庫を作り、2階にDKを設けて3階に個室を作って・・という戸建がけっこう人気があるようなのです。 土地を買って建てる場合も建売の場合も。 2010年の終わりに私が対応させていただいていた見込客Fさんも、江東区の南砂のマンションに住まれていたが戸建の家に変わりたいと考えだされた方でした。 Fさんが住まれていた分譲マンションも評価は低くないのですが、土地を買って建てようとなると、都内だけに土地の値段はけっこう高く、又、物件が多くないのです。 そこで、物件を見つけ出す一般的な能力については「不動産屋」の方が上でしょうけれども、ここに建てられるかどうか、あるいは、他の人間が見落としているもので建築屋としての工夫をすれば掘り出し物になるものがないか、そこを見つけられるとすると、それは、建築の営業の能力・建築の設計の能力・不動産業の能力をいずれもいくらかずつは持っている私ではないでしょうか、ということで、勧めてよい土地かどうかを敷地図とにらめっこして検討していたのです。 福島県いわき市で I 社の所長Kさんが、施主が建てようと考えていた場所だけでなくその隣りの納屋をとり壊して納屋の場所と合わせて建てるというのはどうだろうと思いついたように、何か他の多くの者が思いつかない見落としている工夫を見つけ出すことができれば、そうなれば「ほとんど営業の能力だけ」で契約に持っていける可能性が出てきます。 そういう顧客しか新華ハウジングで契約することは極めて困難だったのです。 そして、それができる可能性があるのは私だけです。 K代にはそういう能力はない。「ウォンツと二―ズ」と言っても知らないでしょうし。
ところが。 私が、みんなでポスティングをしましょう、みんなでチラシやポケットティッシュを配りましょう、と言ってもやらない人間というのは、ひとの工夫をつぶす行為はやるのです。そっちの方は。 2010年12月終わり、社長の長○川は、他の従業員がまだ仕事をしているのに、年末までにこれだけはこなしておきたいと思って働いているのに「じゃあ、仕事やっとけよ。俺、ハワイに行くからな」と嫁さんと子供2人を連れてハワイにバカンス(バカ?)に行った翌日のこと。 私より約3カ月弱前に入社したK代が「○○さん、営業なんだから、図面を描くのはやめてください」などと横から口出してきた。 あきれた。 K代に私と同程度の設計力がないのはわかっている。 私と同程度の宅地建物取引業・建築業関係の法律知識がないのはわかっている。 不動産業で、他の業者が手を離した見込客を取れるケースはどういう場合かといったことを私は考えたことがあるがK代はないのもわかっている。 しかし、わからない奴は黙ってなさい、能力のない者は能力のある者のやることに横から口出しするものじゃない、ということがK代はわからない人間だった。 そういう人間だから能力がないのであり、能力がないからわからないのである。 正確に言うと、私は図面を描いていたのではない。 その土地をその見込客に紹介してよいかどうか検討していたのだ。 K代は体質として建築屋より「不動産屋」的なところがあるが、そのあたりで私が見につけている不動産屋の能力・判断力はない。 能力のない者は黙っているべきなのだが、私の仕事の邪魔をしにきたのだ。
K代は、この少し前、[第142回]《職場の怪人 ~ 『学校の怪人』よりも恐ろしい、そして、リアル! ~かんべんしてよねえ~ 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201211article_2.html の【3】(2)でも述べたように、完成現場見学会を東京都江東区南砂で入居者宅を使わせてもらって実施した時も、遅刻してきた上で、私や入居者が自分のクルマを時間パーキングにとめて前の道を来場客のために空けているのに、その私が掃除したばかりの場所に遅刻男が自分のクルマを駐車するという非常識なことをおこない、私が指摘しても動かさないということがありました。
1カ月ほど前、K代は、会社から離れた月極め駐車場に私と1週間交替でクルマを停めて会社の前の駐車スペースは来客用に開けるようにしようと取り決め、私は1週間おきに離れた月極め駐車場に停めているのに、K代は自分が月極め駐車場に停める週でも会社の前に停めるので、そして、ある日、朝、倫理研究所の集会に出て会社に遅刻してきた上で会社の前の来客用駐車スペースにクルマを停めるので私が「K代さんは、どうして、従業員用の駐車場にクルマを停めないのですか」と指摘したところ、「なにおお、グォラア。こいつう!」と怒声を発してすごんできた為、私は恐怖を感じたということがあった。 誤解している人がいるが「すごんだ」というものでも刑法上の暴行罪の構成要件に該当する。 体が触れなければ暴行罪にならないなどということはない。 遅刻してきた者が何を威張っているのか という面もある。 クルマで通勤する者の場合、道路事情により時として遅刻することもやむをえない面もあるが、何があっても遅刻してきた者は申し訳なさそうにするのが普通ではないか。 遅刻してきて、そして、従業員用駐車場に止めずに来客用駐車スペースに自分のクルマを停めて、それも、営業という職種の人間が停めて、「なにおお、グォラア。こいつう!」て、これは精神病理学上の問題か。110番通報してケーサツに対処を求めるべきだろうか。 私は実際に恐怖を感じた。 社長の 長○川S二 に、K代に注意するようにK代に注意するよう私は話した。 これは会社として、会社経営者がK代にきっちりと注意しなければならない問題だ。 ところが、社長の長○川S二(40代前半)は、「40過ぎたような人は言ってもきかないから」と私に言うのです。 40過ぎていようがいまいが、遅刻してきて、来客用の場所に自分のクルマを停めて「なにおお、グォラア。こいつう」と怒声を発してすごんでいいというものではない。むしろ、「40過ぎ」た者が何やってるんだという問題だ。 私より10歳程度年下の人間のことを「ある程度以上の年齢になった人間は言ってもきかないから、我慢しえあげるしかないから」と言われても、それなら、その「我慢してあげるしかない」という人間より10歳ほど年上の私の言う事は、なぜ、きいてもらえないのか、なぜ、K代より10歳ほど年上の私の方に我慢させようとするのかということになる。
そもそも、私は恐怖を感じているのです。 K代が会社の前の来客用の駐車スペースにクルマをいつも停めることは営業上マイナスになっています。 それを指摘すると「なにおぅ、グォラア、こいつう!」と怒声を発してすごんでこられたので、本当に私は恐怖を感じていたのです。 それを対処せず「ある程度以上の年齢になった人間は言ってもきかないから、我慢しえあげるしかないから」と言われてしまったのでは、これは、会社・使用者としては、法律上は「保護義務違反」であり、使用者には債務不履行責任が発生します。 もしも、K代が「すいませんでした」と謝るのなら、私は、あんまり賢くない人だからしかたがないということで、いいにしてあげるということも考えられますが、遅刻してきて、来客用駐車スペースにクルマを停めた上で、「なにおお、グォラア。こいつう。」などと怒声を発して凄み迫ってきたことに対して、K代は「すいませんでした」のひと言も私に言っていないのです。 社会人として問題がないと言えないだけではありません。 又、彼は、その朝、倫理研究所(=倫理法人会)という右翼団体の集会に行って会社に遅刻したようですが、そういう態度が「倫理」でしょうか。倫理研究所は戦前の神道系新興宗教団体「ひとのみち」の後継団体ですが、そういう態度が「ひとのみち」として好ましいでしょうか。
勤め先の人間でなければ警察に言うという選択肢もあるのですが、警察に言っても警察はなかなか対処しませんし、「怒声を発してすごんだ」というのは中途半端で、こちらは恐怖を感じても、暴行罪の構成要件に該当はしてもそれで有罪にまではなかなかならない場合が多いと思います。 又、私は、会社員として、社会人として、「物事はできるだけ穏便に」対処したいという考えできた人間で、その姿勢からすると、警察に訴えるという選択肢はできるだけ取りたくない選択肢です。 そこで、法務局の人権相談に行って話してみましたが、人権擁護委員というのはほとんど権限がない。 「困ったものですねえ。 会社という所にはそういう困った人がいるものですよ。 本来、会社の経営者が対処しないといけないのですが、社長が対処しないとなると、困りましたねえ。 警察に言うほどのものでもないでしょうけれども、そうは言っても困りますねえ。 人権擁護委員というのは何の権限もないので何もできないのですよ。 まあ、また来てくださいよ。 」で終わりでした。 人権擁護委員というのは、「何の権限もない」というのはそうでしょうけれども、これでは「何の役にも立たない」に近いのです。 「誰かにひと通り話をすればすっとする」という人もあるでしょうけれども、そういう人はいいかもしれませんが、私はそういうケースではないのです。 K代は人相も悪く、高校時代に喧嘩をして退学になった経歴があり、高校を卒業してすぐに就職した会社は拓殖大空手部出身の見るからにヤクザという男が社長をやっている水道屋だったと自ら話していました。 20年以上前に、私がアルバイトで勤めた職場に来ていた20代前半のおにいちゃんが正直に話してくれたことには、彼は実は高校時代に喧嘩をして退学になったらしい。そう言われてみると、たしかに気が短かそうなところはありましたが、しかし、同時に彼は今後は同じようなことをしてはいけないと心に銘じていたようで、気が短そうなところがあるとともにそれを押さえようという努力もしている人でした。私は彼と仲は悪くなく、彼は私が退職する時、一緒に食事をして「送別会もしてあげられないから」と言って私の分を出してあげると言い、私がそんなことしてもらわなくてもいいよと言っても出してくれたことがありました。人間は大事なのは過去よりも現在であり、彼のように過去に喧嘩をして退学になって経歴があっても今はそうしないよう心掛けている人には過去のことをほじくり出して批判する必要はないと思いますが、K代のように40過ぎてまで「なにおお、グォラア。こいつう。」と怒声を発して凄み迫って来るという男は、やはり、会社として何らかの対処をしないといけません。 もし、K代が「すいませんでした」と謝るのなら、社長から「本人が謝っているのだから いいにしてあげて」と言われれば、いいにしてあげてもいいかと思いますが、ひと言として謝らない男については いいにしてあげる ということもやりようがありません。
12月中旬、K代が私の仕事の邪魔をしてきた時も、本来なら「黙ってなさい」「向こう行ってろ」と言えばよいことですが、K代はすぐ前に私に「暴行」に該当する行為をしてひと言も謝っていないチンピラなので、「社長に言うわ」と言い、そして、12月半ばからハワイにバカンスに行っていた社長の長○川が1月半ばに帰ってきた時に話しましたが、長○川が「私がK代さんに、営業なんだから図面は書かないように言った」と言うのです。私が敷地図を前に検討していた時、長○川は横にいたのであり、もし、私がやっていることに疑問を感じたなら、その時に言えば説明してあげたのです。それを自分で言えずに伝言ゲームのように人に言わせる情けない男。 社長が会社・商品の評価を上げる努力をしないので、「ほとんど営業の能力だけで契約に持って行く」というウルトラCをやっているのに、今度はそれを社長が邪魔するとは。
「基本給15万円 プラス歩合給」は実質上「完全歩合給」に近いが、「会社・商品の評価と営業の能力・努力が合わさって契約になったりならなかったりする」という性質の仕事で、会社・商品の評価を上げる努力をしない会社で歩合給を十分に取るのは難しく生活費を得るための仕事としては成り立たないと判断しました。 12月、社長の長○川が私に「来年は○○さんには本店の店長になってもらおうと思っています」と言うので、そう思ってくれているのならとも少しは考えましたが、「店長」にならせてもらってもこの状況ではと思いました。
2011年1月、社長の子分のU草が私に「営業だけでなく、工事管理とか他の仕事もやってもらう」としたいと言ってきたので、もとより建築業は営業だけしかしないと言って成り立つものではないので「いいですよ」と言いましたが、「営業は時間が空いた時にやってもらうとして」と言うので、営業というものは「時間が空いた時に」やるというようなことで出来る仕事ではないので、こいつ、何もわかってないなと思い、そういう社長と子分がやっている会社は早めに離れた方がよさそうかなと思うようになりました。 (2013.11.21.)
私は2010年(平成22)6月下旬に新華ハウジング(有)(建設業)に入社したが、その際、求人票では「15万円~25万円 プラス歩合給」で、職歴・資格・学歴のいずれから考えても私はその範囲内で低い方になるはずはないと判断して応募したが、面接で、社長の長○川S二は「基本給は誰でも一律に15万円で、不動産会社の知り合いがあって分譲地の販売の『代理』の契約を取って来ることができる人に、その手当として月5万円払って『部長』と『課長』になってもらっている」と話した。求人票の内容と面接での話が少々異なる。宅地建物取引主任者の資格手当を出すという話であったが、結局、最後まで出さず長○川はごまかした。
歩合給を出す営業であれば、時間外手当を出さずに無制限に時間外に働かせてよいというものでもない。 しかし、住宅建築請負業の会社においては、時間外の労働については、それに対しては契約が上がった時に歩合給を取得できるからと支払わない会社が少なくないようだ。 労働法から考えると支払わないわけにはいかないはずだが、私が勤務した在来木造の I 工務店は私が在籍した期間の終わり頃、「みなし残業制」というものを取り入れた。 「みなし残業制」の趣旨から考えて適切かどうか微妙なところもあるし、I 工務店の場合、「みなし残業制」でみなされている時間外労働の時間よりも実際に時間外に働いている時間の方が間違いなく多く「ごまかされている感」は否めないが、会社経営者はもめないようにこういった制度はきっちりとしておいた方がよいだろう。
2010年4月に新華ハウジングに入社していたK代は私と同じく「15万円 プラス歩合給」で入社し、知り合いの不動産会社から分譲地を販売する「代理」の契約をとってくることができるという話でプラス月5万円受け取っていたが、実際には「代理」の契約などとってきていなかった、にもかかわらず、プラス5万円を不当に取得し続けた。
住宅建築請負業の営業は、会社・商品の評価と営業の能力・努力とが合わさって契約になったりならなかったりするという仕事である。 私が入社する際には、新華ハウジングはすでに新築とリフォームの業務を継続的におこなってきているという話であったが、入社すると、それまで新築もリフォームも顧客から直接に契約いただく仕事はまったく受注できておらず、入社してもうすぐ3カ月のK代は営業成績はまったくゼロ、入社して約2カ月のS井もまったくゼロだった。 それならそれでなんとか受注できるように会社としての努力をしなければならないところだが、社長の長○川S二は話をしようと思っても会社に出てくることが少なく、又、「経験のある人を雇った」と言う割には私の言う事をたとえ聞いても粗末にした。
在来木造の I 工務店にいた時、元「ホスト」という「零児」という男が講演に来たことがありその時のビデオで、「零児」が「ホストは自分しか売る物のない営業だ。 それに対して皆さんは住宅という売る物のある営業をしている。 自分しか売る物がないホストに比べれば、住宅という売る物がある営業なんて、こんな楽なものはない」と暴言を吐いていた。零児のその時の話にはもっともなものもあったが、これは間違っている。 「ホスト」は自分を売る営業で、自分以外に売る物は所属の店の雰囲気が他よりいいかどうかくらいで、ほとんどない営業だというのはそうであろう。 住宅屋の営業は住宅という売る物がある営業だというのもそうだろう。 しかし、自分以外に「売る物」がある営業と自分以外に「売る物」がない営業では、自分以外に売る物がある営業の方が楽かというと、そうではない。 住宅建築業の営業は、会社・商品・営業の3つの評価で契約になったりならなかったりすると言われるが、「自分自身以外に売る物がある営業」が、もし、自分自身だけを売ろうとしたならばうまくいかないだろう。 自分以外に売る物がある営業は自分以外の売る物についての知識も習得する必要があるし、その勧め方も考える必要がある。 もし、ある物を売る仕事で、同業他社の「物」より自社の「物」の方が商品力があるならば、商品力のない「物」を売ろうとする営業に比べて商品力のある「物」を売る営業の方がやりやすい。 「有名」「大手」「財閥系」など会社に対しての評価が高い会社の「物」を売る営業と、「無名」「零細」「非財閥系」で会社の評価がない会社の「物」を売ろうとする営業であれば、前者の方がやりやすい。 その点で、同業種での比較では、「商品力のある物」を売る営業は売ろうとする商品に「商品力のある物」がない営業と比べて楽で、「会社の評価が高い会社の物」を売る営業は「会社の評価がない会社の物」を売ろうとする営業に比べて楽であろう。 それに対して、「ホスト」は自分以外に売る商品がない営業かもしれないが、自分以外に売る商品がないのは同業者は誰でもそうで、同業の他の者に売る商品があって自分だけないわけではない。 「零児」は「自分以外に売る商品がない営業」である「ホスト」をやってきたかもしれないが、「同業他者には自分以外に売る商品があって自分にだけ自分以外に売る商品がない営業」をやってきたわけではない。 そのあたりについて、零児は勘違いしていたかわかっていて言ったのかはわからないが、「自分自身以外に売る商品がない営業」より「自分自身以外に売る商品がある営業」の方が楽などということはない。
私が I 工務店に入社した1992年頃、東京圏では I 工務店は無名で、東京都江東区亀戸の総合住宅展示場で展示場建築中に立って総合住宅展示場を通る来場客に「知っている方は知っているけれども知らない方は知らないというくらいの知名度の会社かと思いますが」と言うと、「知らない人はまったく知らないわ。知ってる人なんてないでしょ」と言われた。 三井ホームの展示場にパートタイマーで勤務しているおばさんから帰りがけに「浜松からこんなところまで来てたいへんね。がんばってね」などと言われた。I 工務店は浜松発祥でも私は浜松の生まれでも何でもないのにそういうことを言われるありさまだった。 逆に、JR「浜松」駅で降りてタクシーに乗ると、I 工務店の名前を出すだけで地名も道順も言わなくてもどのタクシーでも絶対に迷わずに行ってくれたし、[第207回]《やりもせずに他部署の業務をできると言う者、口出す者を認める会社+「子供があるから」は言い訳にならない》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201310article_3.html の【2】で述べたように、「お客さんは住宅を作る仕事をしている人だと思うのですが、ちょっと、教えてほしいんだけれども、私は今○歳で、年収は◇◇万円くらいなんだけれども、このくらいの年収の者でも家を建てることはできるでしょうか」と I 工務店の名前を出すだけで言ってもらえる状況だった。浜松の住人と話をすると、I 工務店の名前を出すだけで「I 条さんずいぶん大きくなりましたね」「I 条さんを知らない人間なんているわけないでしょう」と言われた。その当時、 I 条工務店は浜松では「会社の評価」と「その地域の人に高く評価されている商品」があり東京圏ではいずれもなかった。I 工務店の浜松などの営業が「評価の高い売れやすい商品のある営業」をしていた時に「売れやすい商品のない営業」をしていたのは、「零児」ではなくI 社に入社して1年目2年目の私である。 「零児」は「私は、皆さんのような住宅の営業をやることはないと思うが、もしも、やったら間違いなく絶対にトップになる自信がある」などとあつかましいことを言っていたが、そういう発言はやめた方がよいだろう。 他の業界の営業である程度以上の成績を残した人で、中途入社で I 工務店に入って実績を残せずにやめていった人はいくらでもいる。 その仕事を「やることはないと思う」から言いたい放題言うなら、そのような者は犬のクソである。 やらない者は黙ってろ!ということになる。 但し、「零児」が話したことは他の部分でもっともなものもあったし、この講演で「零児」なる者がいると知り、その後、書店で見かけて購入した『ホスト王のその気にさせる心理戦術』(2001.12.25.青春出版社)はなかなかおもしろかった。
住宅建築請負業の営業という仕事は会社の評価・商品の評価と営業の能力・努力が合わさって売れたり売れなかったりする仕事であるが、私は、それを踏まえた上で、もし、会社の評価・商品の評価の部分が4対6くらいでリードされていても、営業の評価の部分で6対4くらいに挽回して契約に持ち込むことは私なら不可能ではないと思っていた。そう思って、すでに戸建住宅の新築とリフォームの仕事をおこなってきていると社長が言う新華ハウジングに入社した。 しかし、入社すると話は違い実績はゼロ、それだけではなく、周辺に住んでいる住人、周辺の店舗で仕事をしている人たちでさえ、そこに新華ハウジングという建設業の会社があるということさえ知らなかった。向いのマンションの住人からですら「どこにあるんですか」と言われる始末であった。会社の評価・商品の評価の部分で4対6くらいにリードされている場合でも、営業に実力があれば営業の評価の部分で6対4に挽回して契約に持っていくことは不可能ではないと思うが、0対10のものは、営業の努力で挽回しようとしても簡単ではない、というより不可能に近い。 私は、社長の長○川に、
(1)営業全員で周囲の住宅にポスティングをすることを提案したが、やるのは私だけでK代もS井もやらなかった。(本来、社長はやらない人間にやるように言うべきであるが言わなかった。)
(2)JR「蘇我」駅、京成「大森台」駅前でのチラシやポケットティッシュ配りも私しかやらなかった。
(3)近隣の商店に挨拶に顔を出したが、一度でなく継続的に顔を出して、そのうち「あの人、よく来るけど、せっかくあれだけ来てくれるんだから、同じ頼むならあの人のところに頼んであげようか」という気持ちになってもらえるように、その為には、とにかく「仕事ちょーだい」「リフォームでもやらせてちょーだい」(≒実質「お金ちょーだい」)とあつかましい乞食が強要するように営業中の店に押しかけるのではなく、たとえば、年末には、一番安いものでもいいから会社名入りのカレンダーを作って配りたいから作ってもらえないですかと言っても、「今どき、もらったカレンダーを使うようなそんなバカいないよ。カレンダーなんて買って使うもんだよ。そんなもの持って行ったってしかたないよ」と長○川は言って私の提言を踏みつけた。 長○川は社長様だからカレンダーはもらっても使わずに自分が気にいったものを買って使うらしいが、私はカレンダーや手帳を貰えばうれしいし使っている。もらったカレンダーを使う人はいくらでもいるし、問題は相手が使うかどうかよりも、「契約ちょうだい」「お金ちょうだい」とルンペンみたいに言いにいくのではなく、「もし、よろしかったら、これ、使って下さい」と渡すことによって会社がその場所にあってそこで新築とリフォームの営業をしていると認知してもらうこと、そういうもので顔を出すことで「あの人、よく来るから、同じ頼むなら、一度、あの人に頼んであげよう」と思ってもらえるようにしたいというものであるが、長○川は私がせっかく言っても理解できない人、ひとの意見をきく能力のない人だった。
(4)[第199回]《常照寺(横浜市)参拝―自分の子の為を名分にひとの子や親を食い殺す女・男を懲らしめる神・鬼子母神 2》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_4.html でも終わりの方で述べたが、JRなどの駅に看板を出す費用は多くの人が思っているほど高くないようなので、一度、JR「蘇我」駅・京成「大森台」駅・「千葉寺」駅などに行って、実際にいくらかかるのか、空きがあるかどうかといったことをききに行ってみましょうか、私がききに行っていいですかと言っても、長○川は「考えさせてください」と言ってそのままはてしなく返事しなかった。「考えさせてください」と言ったからには1週間以内くらいには考えた結果を返事するもので、「考えさせてください」と言ってはてしなく返事しないというのは失礼であり信用をなくす行為である。
(5)会社の社屋は一方をクルマの通りが多い道に面していて、しかも、近くの両側に踏み切りと信号があってクルマが停止する場所なので、停止したクルマの運転席から見える場所に会社名を大きく書いた看板を設けるべきだと何度も提言したが、「やります」と言っていつまで経ってもやらなかった。 最近はお寺や神社でも広告を出すようで、会社社屋の隣地には、千葉神社の大きな看板が立っていたが〔[第182回]《千葉神社・千葉天神 参拝 〔下〕千葉天神、「家作」「長屋」型末社、中央区鵜の森町の千葉神社「神札」 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html にその写真を掲載〕、営利企業である新華ハウジングは会社がそこにあるのに看板を出さなかった。私が何度も何度も言っても「やりますよ」と言うばかりでやらない。「やりますよ」と言ってやらないので、「やりたくないのですか」「看板だすとまずいことでもあるのですか」というと「そんなことないですよ。やりますよ」と言ってやらない。
(6)会社社屋は入口がある方はクルマはあまり通らず歩行者は通る道なので、入口付近に、在来木造の柱・土台・筋かいの構造見本、ツーバイフォーの構造見本を置いて、「あれ、何だろう」と通行人から思ってもらい、見るだけでも見に近づいてもらえるようにしてはどうかと言ってもきかず、「私が費用を出してもいいから作ってそこに置いてもいいですか」とそこまで言っても、「やめてちょうだい。 そんなことしなくていいから契約とってきて。そこの家(目の前の築10年未満であろう建売かと思われる住宅)へ行って新築する契約とってきて。親戚の契約とってきて。」と言うので、「こいつ、アホだ」と思い、又、「こいつが社長やっている限り、この会社はだめだ」とも思った。
(7)日本住宅経営・日本建築出版社http://www.jbupub.com/ がやるアパートのドアノブに返信用はがきをかけて、その応募からアプローチするというシステムをやりかけたものの、これは、返信用葉書を出してをもらえばいいというものではなく、「イエマド」という同社の住宅雑誌で会社を紹介してもらい、会社の認知度を上げ格を上げることで契約につなげるというものであるが、長○川は計画性がなく、この雑誌への掲載をすることは結局なかった。かつ、やりかけたなら、そのシステムでひと通りはやってみるべきであるはずが、すぐ気移りする性格で徳島市の株式会社フィット(http://www.fit-group.jp/ )に関心が移り、日本住宅経営・日本建築出版社の運営者が「保証はしません。しかし、このやり方で自分の会社(工務店)はうまくいったので、同じやり方でやってもらえばおそらくうまくいくはず」というやり方を結局やらなかった。
(8)東金市で「モデルハウス」だと言って建てている建物の所に、会社名と会社の電話番号を書いた看板を建てるべきだと言ってもやらない。私が自腹でホームセンターで合板と杭を買って建てると、「やめてちょうだい。そういうことは」と言い、そして「それなら、いったい、どうしろと言うのですか」(そういうこともやらないでくれと言って、それでいったいどうやって契約とれと言うのか?)と言うと、「親戚の契約とってきて。親戚の契約ちょうだい」と言う。親戚の契約をとってくれということでの「求人募集」ならそれは求人ではなく住宅建築の契約募集であり、職安はそのような「募集」を受け付けるべきではない。そのカネで社長と社長の嫁と子供でハワイに遊びに行こうという魂胆らしかったので、これではこの会社は厳しいと思った。 楠木正成は千早城・赤坂城などでゲリラ戦で鎌倉軍を撃退するなど工夫をして南朝の政権奪取に貢献したが、足利尊氏との戦いになり、後醍醐天皇やその周辺の公家が、楠木正成がこうやったらどうですかと提言してもすべてはねつけてきかなかったことから、 「正しい意見が通らないようではだめだ」と自分と南朝の行く末の希望のなさを認識して湊川へ向い最期を迎えたと言われる。いわば、その時の楠木正成のような気持ちにならされた。
住宅建築請負業の営業という仕事は、ホストのような「自分自身だけを売る営業」ではない。 「『売る物』のある営業であり、『会社と商品の評価』に営業の努力・能力が合わさって契約になったりならなかったりする営業」である。 「売る物」のある営業が「自分自身だけ売る営業」のやり方をやってもうまくいかない。「売る物」と自分自身と両方の評価を上げるようにしないといけない。 そうであるにもかかわらず、会社・商品の評価を上げるための努力を会社としてしようとしない、私が、たとえば、こうやってみてはどうですか、と言ってもきかない。 これでは「王さん、1枚で戦え」と言われている将棋みたいなものだ。
それで、はたして、取れる可能性のある顧客はあるか? 《「売る物」のある営業》である住宅建築業の営業において、「営業の能力だけで取る契約」「営業の能力だけで契約に持っていく営業」というのは、本来、外道・邪道であるが、この際、しかたがない。 「ほとんど営業の能力だけで取れる可能性のある顧客」とすると、私が営業ならまったくないわけではない。 どういうものか。私は住宅の建築の営業のベテランであるが、同時に不動産の営業も少しは経験がある。 宅地建物取引主任者有資格者であり「いいかげんな不動産屋」を長くやっている者よりわかっている部分もある。 住宅建築屋でも、営業はできてもそれ以外はできないタイプの人もいるかもしれないが、私は1年目や2年目の設計よりも設計の能力も上である。 となると、取れる可能性のある見込客がひとつ考えられる。 土地を探して建てたいという人の場合、それだけでは、建築屋が「不動産屋」と競争すると、一般的には、不動産屋の方が強い。 しかし、そこにどういうものが建つか、納得いくものを建てることができるならそこを買って建てたいが…という見込客の場合、不動産屋の多くの営業は建築のことがわかっていない。はっきり言わせてもらえば、多くの不動産屋の営業は建築についてはアホである。 但し、不動産屋は不動産業についてはアホではないので、提携の工務店を持っていて、そこの設計担当者に頼んで契約前でも図面を書かせるということをする業者が少なくない。 自社に建築部隊を持っている不動産屋もある。そういう所の「設計」担当者は、一般に安物志向の場合が多いがまったく無能というわけでもない。それを仕事としている以上、それなりのことをする。 しかし、である。 (1)営業自身がある程度以上の設計能力もあって、(2)宅地建物取引業の知識もある程度はあって、(3)営業の能力もある場合、こういう提案をしてみてはどうかという、独自の発想を持っている、という場合と、それぞれの能力を持っている人間が別であるという場合では、ひとりでその能力を持って総合的に判断できる者の方が有利になる場合がある。そこなら「ほとんど営業の能力だけ」で取れる可能性がある・・と考えた。
それから、「設計の設計力」と「営業の設計力」では設計の設計力の方が優秀だと思っている人がいるが、必ずしもそうではない。 在来木造の I 社の福島県いわき市の営業所にいた時のこと。いわき市内に4展示場あったが、私がいた展示場である営業が接客・追客した方で、持っている土地は全体としては広いが、母屋があって納屋が建っていて、そして、空いている場所に建てようという計画だった為、そこに建てようとすると総2階で最低限のものをそろえた小さなありきたりの間取りとデザインのものしか建てようがないという方があった。 その方が、所長のいる展示場に行き、「あんな愛想のない営業で、魅力もくそもない間取りを提案しやがってからに」とぼやかれたというのだ。 たしかに「魅力もくそもない間取り」だったかもしれないけれども、その場所に建てようとすると、それしかやりようがなかったという。担当営業は「愛想のない」と言われてもあの場所では愛想のしようもないんだよと話していた。 他の住宅メーカーの図面も見せてもらったが、どこのものも同様だったという。 それで。 担当営業は所長に「そう言われるなら、所長、私に同行して話をきいてもらえないですか」と所長のKさんに言い、所長のKさんと一緒にお客様の家に行くと、たしかに、その場所にはその「魅力もくそもない間取り」でしか建てようがなかったそうだ。それで、どうなったか。 所長のKさんはその周囲を見回し、そして、お客様の話を聞いた上で、「○○さん。 どんなもんだろうねえ。 この納屋なんだけど、まだ、新しくて取り壊すのはなんとももったいないとは思うんだけど、どうだろう。 この納屋をとり壊して、この納屋の所とこの場所と合わせて建てるようにすれば、かなりいい間取りの家ができると思うんだけど、どんなもんだろうねえ。」と言ったそうだ。 それを聞いて、そのお客様は感動して、「今まで、何社もの会社の何人もの人間が来たけれども、それを言ってくれたのは、Kさん、あんただけだよ」と言い、そして、契約になったという。もはや、他の会社は競合ではない。この提案をしてくれた人の会社以外は検討対象にない。 そういう発想ができるかどうか。営業として、なんとか契約できないか、何か方法はないか、と考え続けて、そして、契約のために図面を描く作業もしてきた人間だからこそ、それが思いついたのだ。 担当営業は「さすが、所長だなあと思った」と感心していたし、私もその話を聞いてさすがだなあと思った。 当然のことながら、営業と設計の両方の能力があってこそ思いつく発想であり、「設計」にはこの発想は絶対にできない。
私自身が営業をやったケースでもある。 建築もやっているが売買の不動産業が中心の千葉県八千代市に本社があるT海住宅の千葉市花見川区のH店にいた時のこと。 年収はそれほど多くはなく、転職後の年数が短い為、ローンもそれほど多くは借りられないというKさんに、多くの不動産屋はその方の条件で借りられる金額の範囲内の付近の売地を次々と紹介したらしい。 建築屋は他の建築屋の建物を建てることはできないが不動産屋は他の不動産屋が持っている土地を売ることもできる。 ということは、すでに何社かがその人の借りられる金額をもとに付近の売地を紹介しても決まらなかった方に、自社が付近の売地を再度紹介しようとしても、「もう、それは見ました。それはけっこうです」となってしまう。新たにもっと気にいる土地が出てくればいいが、土地というものは気にいるものがそう簡単に新たに出てくるものではない。 すでに借りられる金額の範囲を考えて付近のいくつかの土地を見たけれどもそこを買おうという気持ちになれなかったという方に決めていただく方法はないのか。 「あんたは贅沢なんですよ。あんたはこのくらいの土地で我慢しなきゃならない人間なんですよ」とか説教するのか? 気分を害されるだけだろう。 それならどうするのか。 私は考えた。 I 工務店にいた時のいわき市の所長の対応を頭において考えた。 もうひとつ、大学の「商業学総論」という講義ででた≪顧客が何を求めているのか。 「ウォンツ(Wants)」からでなく「ニーズ(needs)」から考える というマーケティング的発想≫というものも頭に置いて考えた。 その方は、東京都内に通勤で、乗り換えは2回まで通勤時間はいくらかかっても1時間半までにしたい、駅から10分以内がいいがいくらかかっても15分以内の所にしたい、付近に買い物できる場所や学校などの施設がある所にしたい、ある程度の広さの土地が欲しいというものだった。そういう物件がないわけではないが、すでにそういう物件をいくつか他の不動産屋が紹介していたし私も紹介したが納得いかなかったようだ。 そこで、考えた。東京都内までの所要時間だが、直線距離で近い場所なら早く行けるとは限らない。JRなら快速が停まる駅、京成なら特急の停まる駅から遠くない場所なら直線距離で遠くても比較的所要時間は短い。 かつ、土地の価格も高くない場合があり、自然環境は良く、買い物などの施設も十分ある所がある。 具体的には、その時、気づいたのは、JR総武線の四街道市の「物井(ものい)」駅付近とJRの我孫子から成田までの間の成田線(成田線は佐倉から成田までと、成田から銚子の手前の松岸までと、成田から成田空港までと、我孫子から成田までの4つの部分からなる)の我孫子に近い部分。 成田線の我孫子に近い部分というのは、「そんな田舎」とか思う人もあるようだが、電車は我孫子から常磐線に直通で入り常磐線内は快速になって北千住・日暮里・上野まで行く。けっこう早く行けるし、駅から遠くない場所に高くない土地があり、田舎というほど田舎ではないので生活するための施設もある。(但し、残念ながら、2011年3月11日の福島第一原発の事故により、柏市・松戸市・流山市・三郷市などとともに我孫子市の手賀沼周辺も放射能の「ホットスポット」になってしまった。手賀沼は好きな場所だったが残念です。) それから、他の不動産屋が「建築条件付き」としている物件でも、建築業をやっている会社の人間が話をすれば建築条件をはずしてくれる場合もある。 そういう物件をいくつか見つけ出し、物井の方を案内したところ、悪くないということになった。そして、申込書を書いてもらい、手付けを入れましょうというところまで進んだ。
ところが、店長になっていたT中が「俺はみずほ銀行の支店長と懇意だからみずほ銀行ならなんとでもできる」と断言していたくせに、T中が私と銀行に話をしに行こうと言っていた日になると「ちょっと、○○のSさん(営業、女)の担当の建物を見てきてくれ」と私に頼んだ。 Sさんというのは、T海住宅でダンナが「設計」をやっていて嫁が不動産屋の営業をやり夫婦で勤めている女の方だった。「Sさん(嫁)の担当の物件ならSさん(嫁)が見に行くべきと違いますか」と私は言ったが、T中は「設計のSさん(夫)の嫁さんの担当の物件なんだから、設計のSさん(夫)には世話にならなきゃならないんだから見て来いよ」と言うのでしかたなしに見に行って対処したところ、私に一緒に銀行に行こうと言っていたにもかかわらず、その間にひとりで銀行に行き、戻って来て「あの人はだめだ。 年収と勤続年数からそこまで借りられないわ」と言いだした。 Kさんは自分で銀行に行って確認し、この額までしか借りられないと言われたと正直に話しておられたのであり、私は店長のT中にそれをきっちりと話していたのだが、T中は「何、言ってんだ。俺はみずほ銀行の支店長と懇意なんだ。俺が口きけば、みずほ銀行ならばどうにでもなるんだ。それは話した営業が悪いんだ。俺みたいな人間が口きけば、話はまったく違うんだ。そんなものまったく心配要らねえよお」と言うので、自分の勤め先 T海住宅の上役である店長が言うからにはそうなのだろうとその前提で話を進めていたところ、一緒に銀行に行こうと言っておきながら私にSさん(嫁)の担当の物件の仕事をさせて、その間にこそっと銀行にひとりで行って「だめだわ。あの人は」などと言いだしたのです。 「みずほ銀行の支店長と懇意だからどうにでもなるのと違ったのですか?」と私は店長のT中に言ったが、T中は「そんなもの知らねえよお。 だめなものはだめだ。あの人はもうちょっと少ない額しかだめだ」と言うので、「だから、もうちょっと少ない額しか借りられないと銀行から言われていたと私は話していましたよね。それをT中さんが『俺が口きけば絶対に大丈夫だ。俺はみずほ銀行の支店長と懇意なんだから』と言われたのですよね。懇意だという『みずほ銀行の支店長』という方はどうされたのですか」と言いましたが、「だめなものはだめだ。 無理なこと言うな。おめえはあ。この野郎」と言うので、このT中という男はつくづく信頼できない男だなあ、と思いました。 もしかしてこれが「不動産屋」というものなのか? とも思いましたが、T海住宅はその人を店長にしていたのですから、T中さんが信頼できない人間だということはT海住宅という会社も信頼できない会社だということになります。 「設計」のS(男)も、嫁Sの態度について私が配慮するように夫Sに言った時には「たしかに夫婦だけれども、会社では向こうは向こう、こっちはこっちで仕事してるから、俺に言わないでくれ」と逃げたくせに、一方で、営業の嫁Sの担当の仕事をSと懇意だという店長のT中を通して、私に「設計のSさん(男)の嫁さんのSさん(女)が営業担当の家だからやってやれよ。設計のSさん(夫)には営業は世話になるんだからやれ」と言わせて、本来なら営業S(嫁)の仕事を私にさせて、ずるい卑怯な男です。 やりやがったな、このドヘボ設計野郎! と思いましたが、その後、すぐに同社を辞めてしまいました。 この程度の店長とこの程度の「設計」とこの程度の会社でした。
店長のT中がどうしようもない信頼できない男だと見抜けなかった点はあり、隣接業界でも、そういうヤカラが店長になっている不動産屋という業界より建築屋の方が私には向いていると思いましたが、普通は会社というところで、店長という役職についている人間はT中のようないいかげんなことを言っていいかげんな指示をしてよいものではないので、T中の指示に従ってその条件で納得してもらえる土地を探して勧めて手付けを入れましょうというところまで進めることができたということは、この部分の進め方については、私はプラスに評価されて良いものだと思います。
狭めの土地の場合、一般のお客様はその土地にどんなものが建つか十分にわからないことが多く、不動産屋の営業は、工夫すれば十分使える間取りのものを建てられるのにあきらめたり、建たないようなものを建てようとしたりして勧めますが、その点で、建築の営業の経験があって建築の設計の能力も少なくとも1年目や2年目の設計よりはある者として、「不動産屋の無責任な態度」ではなくきっちりと「こういうように建てればこの土地は使える」と勧めることも可能性としてありえます。
東京都の江東区・墨田区あたりには、狭い路地のような道に面した狭小敷地の建物が建てこんでいる地域が少なくありません。 私は、20代の時、江東区大島(おおじま)の都営新宿線「大島」駅の近くの変電所にアルバイトで交通誘導警備の仕事に行ったことがありその付近はなつかしいのですが、広い道から少し中に入ると、クルマは入れないと思える道に面した狭い土地に家が建てこんでいる所がけっこうあります。江東区・墨田区・江戸川区の少なくない土地は荒川の水面より低いらしいのですが、それは簡単には改善できないとしても、そういう場所は、その地域の人たち全員の同意のもとに一画をある程度高層のマンションに変えれば、今までより広い家に住めて、今までより安全に暮らせるはずで、そして、江東区・墨田区・江戸川区にはそのような感じのマンションがけっこう建っています。 江東区・墨田区あたりは、かつては電車はJR総武線しかなくて都内に通うには直線距離で近い割に便利の悪い所が少なくなかったのですが、今では都営新宿線・東京メトロ東西線・JR京葉線・東京メトロ大江戸線と鉄道がいくつも通り、特に、地下鉄の駅から徒歩10分以内というような所は都内に通勤するにはものすごく便利です。 在来木造のI 工務店の江東区潮見の展示場にいた時、東京メトロ東西線の「東陽町」駅の前のマンションに住まれていた見込客宅に夜7時くらいに訪問すると、旦那が「きょうはこんなに遅くなっちゃったよ」と言って帰ってきたことがありました。 夜7時で「こんなに遅くなっちゃった」になるのか? と思いました。 その方の勤務先は「大手町」でしたが、東京メトロ東西線の電車に乗って、日本橋・門前仲町・木場・東陽町とあっと言う間につきます。 買い物だって便利だし、クルマなんてなくても歩けばすぐに何でもあります。 自然環境は郊外に比べれば良いとは言えないかもしれませんがこの便利さはすごいもので、船橋市の各停しか停まらない駅から20分を越えて歩かなければ家にたどりつかないような所に住んでいる者からすればうらやましいことこのうえない。 荒川の水面より地盤面が低いため、大地震が来て荒川の堤防が決壊するとどうなるかとか津波が来た場合どうかといった問題点もありますが便利さについてはすばらしいし通勤が楽というのがいい。それで、江東区・墨田区あたりのマンションにはもともとその地域の住民でなかった人も来るようになったようで、又、その便利さから他には行きたくないと考える人も少なくないようです。 しかし、そういうマンションの住民には、今度は、たとえほとんど庭のない家でもやはり戸建の方がいいと思いだす人もいるようなのです。 そこで、 3階建を建てて、1階にビルトインの車庫を作り、2階にDKを設けて3階に個室を作って・・という戸建がけっこう人気があるようなのです。 土地を買って建てる場合も建売の場合も。 2010年の終わりに私が対応させていただいていた見込客Fさんも、江東区の南砂のマンションに住まれていたが戸建の家に変わりたいと考えだされた方でした。 Fさんが住まれていた分譲マンションも評価は低くないのですが、土地を買って建てようとなると、都内だけに土地の値段はけっこう高く、又、物件が多くないのです。 そこで、物件を見つけ出す一般的な能力については「不動産屋」の方が上でしょうけれども、ここに建てられるかどうか、あるいは、他の人間が見落としているもので建築屋としての工夫をすれば掘り出し物になるものがないか、そこを見つけられるとすると、それは、建築の営業の能力・建築の設計の能力・不動産業の能力をいずれもいくらかずつは持っている私ではないでしょうか、ということで、勧めてよい土地かどうかを敷地図とにらめっこして検討していたのです。 福島県いわき市で I 社の所長Kさんが、施主が建てようと考えていた場所だけでなくその隣りの納屋をとり壊して納屋の場所と合わせて建てるというのはどうだろうと思いついたように、何か他の多くの者が思いつかない見落としている工夫を見つけ出すことができれば、そうなれば「ほとんど営業の能力だけ」で契約に持っていける可能性が出てきます。 そういう顧客しか新華ハウジングで契約することは極めて困難だったのです。 そして、それができる可能性があるのは私だけです。 K代にはそういう能力はない。「ウォンツと二―ズ」と言っても知らないでしょうし。
ところが。 私が、みんなでポスティングをしましょう、みんなでチラシやポケットティッシュを配りましょう、と言ってもやらない人間というのは、ひとの工夫をつぶす行為はやるのです。そっちの方は。 2010年12月終わり、社長の長○川は、他の従業員がまだ仕事をしているのに、年末までにこれだけはこなしておきたいと思って働いているのに「じゃあ、仕事やっとけよ。俺、ハワイに行くからな」と嫁さんと子供2人を連れてハワイにバカンス(バカ?)に行った翌日のこと。 私より約3カ月弱前に入社したK代が「○○さん、営業なんだから、図面を描くのはやめてください」などと横から口出してきた。 あきれた。 K代に私と同程度の設計力がないのはわかっている。 私と同程度の宅地建物取引業・建築業関係の法律知識がないのはわかっている。 不動産業で、他の業者が手を離した見込客を取れるケースはどういう場合かといったことを私は考えたことがあるがK代はないのもわかっている。 しかし、わからない奴は黙ってなさい、能力のない者は能力のある者のやることに横から口出しするものじゃない、ということがK代はわからない人間だった。 そういう人間だから能力がないのであり、能力がないからわからないのである。 正確に言うと、私は図面を描いていたのではない。 その土地をその見込客に紹介してよいかどうか検討していたのだ。 K代は体質として建築屋より「不動産屋」的なところがあるが、そのあたりで私が見につけている不動産屋の能力・判断力はない。 能力のない者は黙っているべきなのだが、私の仕事の邪魔をしにきたのだ。
K代は、この少し前、[第142回]《職場の怪人 ~ 『学校の怪人』よりも恐ろしい、そして、リアル! ~かんべんしてよねえ~ 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201211article_2.html の【3】(2)でも述べたように、完成現場見学会を東京都江東区南砂で入居者宅を使わせてもらって実施した時も、遅刻してきた上で、私や入居者が自分のクルマを時間パーキングにとめて前の道を来場客のために空けているのに、その私が掃除したばかりの場所に遅刻男が自分のクルマを駐車するという非常識なことをおこない、私が指摘しても動かさないということがありました。
1カ月ほど前、K代は、会社から離れた月極め駐車場に私と1週間交替でクルマを停めて会社の前の駐車スペースは来客用に開けるようにしようと取り決め、私は1週間おきに離れた月極め駐車場に停めているのに、K代は自分が月極め駐車場に停める週でも会社の前に停めるので、そして、ある日、朝、倫理研究所の集会に出て会社に遅刻してきた上で会社の前の来客用駐車スペースにクルマを停めるので私が「K代さんは、どうして、従業員用の駐車場にクルマを停めないのですか」と指摘したところ、「なにおお、グォラア。こいつう!」と怒声を発してすごんできた為、私は恐怖を感じたということがあった。 誤解している人がいるが「すごんだ」というものでも刑法上の暴行罪の構成要件に該当する。 体が触れなければ暴行罪にならないなどということはない。 遅刻してきた者が何を威張っているのか という面もある。 クルマで通勤する者の場合、道路事情により時として遅刻することもやむをえない面もあるが、何があっても遅刻してきた者は申し訳なさそうにするのが普通ではないか。 遅刻してきて、そして、従業員用駐車場に止めずに来客用駐車スペースに自分のクルマを停めて、それも、営業という職種の人間が停めて、「なにおお、グォラア。こいつう!」て、これは精神病理学上の問題か。110番通報してケーサツに対処を求めるべきだろうか。 私は実際に恐怖を感じた。 社長の 長○川S二 に、K代に注意するようにK代に注意するよう私は話した。 これは会社として、会社経営者がK代にきっちりと注意しなければならない問題だ。 ところが、社長の長○川S二(40代前半)は、「40過ぎたような人は言ってもきかないから」と私に言うのです。 40過ぎていようがいまいが、遅刻してきて、来客用の場所に自分のクルマを停めて「なにおお、グォラア。こいつう」と怒声を発してすごんでいいというものではない。むしろ、「40過ぎ」た者が何やってるんだという問題だ。 私より10歳程度年下の人間のことを「ある程度以上の年齢になった人間は言ってもきかないから、我慢しえあげるしかないから」と言われても、それなら、その「我慢してあげるしかない」という人間より10歳ほど年上の私の言う事は、なぜ、きいてもらえないのか、なぜ、K代より10歳ほど年上の私の方に我慢させようとするのかということになる。
そもそも、私は恐怖を感じているのです。 K代が会社の前の来客用の駐車スペースにクルマをいつも停めることは営業上マイナスになっています。 それを指摘すると「なにおぅ、グォラア、こいつう!」と怒声を発してすごんでこられたので、本当に私は恐怖を感じていたのです。 それを対処せず「ある程度以上の年齢になった人間は言ってもきかないから、我慢しえあげるしかないから」と言われてしまったのでは、これは、会社・使用者としては、法律上は「保護義務違反」であり、使用者には債務不履行責任が発生します。 もしも、K代が「すいませんでした」と謝るのなら、私は、あんまり賢くない人だからしかたがないということで、いいにしてあげるということも考えられますが、遅刻してきて、来客用駐車スペースにクルマを停めた上で、「なにおお、グォラア。こいつう。」などと怒声を発して凄み迫ってきたことに対して、K代は「すいませんでした」のひと言も私に言っていないのです。 社会人として問題がないと言えないだけではありません。 又、彼は、その朝、倫理研究所(=倫理法人会)という右翼団体の集会に行って会社に遅刻したようですが、そういう態度が「倫理」でしょうか。倫理研究所は戦前の神道系新興宗教団体「ひとのみち」の後継団体ですが、そういう態度が「ひとのみち」として好ましいでしょうか。
勤め先の人間でなければ警察に言うという選択肢もあるのですが、警察に言っても警察はなかなか対処しませんし、「怒声を発してすごんだ」というのは中途半端で、こちらは恐怖を感じても、暴行罪の構成要件に該当はしてもそれで有罪にまではなかなかならない場合が多いと思います。 又、私は、会社員として、社会人として、「物事はできるだけ穏便に」対処したいという考えできた人間で、その姿勢からすると、警察に訴えるという選択肢はできるだけ取りたくない選択肢です。 そこで、法務局の人権相談に行って話してみましたが、人権擁護委員というのはほとんど権限がない。 「困ったものですねえ。 会社という所にはそういう困った人がいるものですよ。 本来、会社の経営者が対処しないといけないのですが、社長が対処しないとなると、困りましたねえ。 警察に言うほどのものでもないでしょうけれども、そうは言っても困りますねえ。 人権擁護委員というのは何の権限もないので何もできないのですよ。 まあ、また来てくださいよ。 」で終わりでした。 人権擁護委員というのは、「何の権限もない」というのはそうでしょうけれども、これでは「何の役にも立たない」に近いのです。 「誰かにひと通り話をすればすっとする」という人もあるでしょうけれども、そういう人はいいかもしれませんが、私はそういうケースではないのです。 K代は人相も悪く、高校時代に喧嘩をして退学になった経歴があり、高校を卒業してすぐに就職した会社は拓殖大空手部出身の見るからにヤクザという男が社長をやっている水道屋だったと自ら話していました。 20年以上前に、私がアルバイトで勤めた職場に来ていた20代前半のおにいちゃんが正直に話してくれたことには、彼は実は高校時代に喧嘩をして退学になったらしい。そう言われてみると、たしかに気が短かそうなところはありましたが、しかし、同時に彼は今後は同じようなことをしてはいけないと心に銘じていたようで、気が短そうなところがあるとともにそれを押さえようという努力もしている人でした。私は彼と仲は悪くなく、彼は私が退職する時、一緒に食事をして「送別会もしてあげられないから」と言って私の分を出してあげると言い、私がそんなことしてもらわなくてもいいよと言っても出してくれたことがありました。人間は大事なのは過去よりも現在であり、彼のように過去に喧嘩をして退学になって経歴があっても今はそうしないよう心掛けている人には過去のことをほじくり出して批判する必要はないと思いますが、K代のように40過ぎてまで「なにおお、グォラア。こいつう。」と怒声を発して凄み迫って来るという男は、やはり、会社として何らかの対処をしないといけません。 もし、K代が「すいませんでした」と謝るのなら、社長から「本人が謝っているのだから いいにしてあげて」と言われれば、いいにしてあげてもいいかと思いますが、ひと言として謝らない男については いいにしてあげる ということもやりようがありません。
12月中旬、K代が私の仕事の邪魔をしてきた時も、本来なら「黙ってなさい」「向こう行ってろ」と言えばよいことですが、K代はすぐ前に私に「暴行」に該当する行為をしてひと言も謝っていないチンピラなので、「社長に言うわ」と言い、そして、12月半ばからハワイにバカンスに行っていた社長の長○川が1月半ばに帰ってきた時に話しましたが、長○川が「私がK代さんに、営業なんだから図面は書かないように言った」と言うのです。私が敷地図を前に検討していた時、長○川は横にいたのであり、もし、私がやっていることに疑問を感じたなら、その時に言えば説明してあげたのです。それを自分で言えずに伝言ゲームのように人に言わせる情けない男。 社長が会社・商品の評価を上げる努力をしないので、「ほとんど営業の能力だけで契約に持って行く」というウルトラCをやっているのに、今度はそれを社長が邪魔するとは。
「基本給15万円 プラス歩合給」は実質上「完全歩合給」に近いが、「会社・商品の評価と営業の能力・努力が合わさって契約になったりならなかったりする」という性質の仕事で、会社・商品の評価を上げる努力をしない会社で歩合給を十分に取るのは難しく生活費を得るための仕事としては成り立たないと判断しました。 12月、社長の長○川が私に「来年は○○さんには本店の店長になってもらおうと思っています」と言うので、そう思ってくれているのならとも少しは考えましたが、「店長」にならせてもらってもこの状況ではと思いました。
2011年1月、社長の子分のU草が私に「営業だけでなく、工事管理とか他の仕事もやってもらう」としたいと言ってきたので、もとより建築業は営業だけしかしないと言って成り立つものではないので「いいですよ」と言いましたが、「営業は時間が空いた時にやってもらうとして」と言うので、営業というものは「時間が空いた時に」やるというようなことで出来る仕事ではないので、こいつ、何もわかってないなと思い、そういう社長と子分がやっている会社は早めに離れた方がよさそうかなと思うようになりました。 (2013.11.21.)
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