クリスマスの思い出 。「いいこと」て何だろ。傍若無人な子供帝国主義の日。営業経験者が頼まない営業とは

[第216回] 営業と会社の話(53)を含む
   安普請の我が家は夏は暑いは冬は寒いはで、春は花粉症だし、秋しかいい時がないのだが、その秋も10月なかばにやっと涼しくなってきたかと思うともう11月で、11月なかばを過ぎると12月がすぐにやってきて、クリスマスが来る、年賀状の準備をしなきゃ、と思っているとお正月・・・とこの時期は日がすぐに過ぎてしまう。
   そのクリスマスが、いつの頃からか、あまり良い印象を受けなくなった。 クリスマスを飲み会にしているおっさんがいるという話があるがそれは「忘年会」だから良いとして、山下達郎という変な男が変な歌を作ったためか変な時流に乗って変な歌を作ったのか、クリスマスというものを「彼女とべたつく日」と位置づけている人がいるらしい。根本的に認識を誤っている。 「ウィキペディア―山下達郎」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E9%81%94%E9%83%8E には≪1968年(昭和43年) 4月、都立竹早高校に入学。都立の進学校入学の褒美として、以前から欲しかったドラムセットを買ってもらう。≫と出ている。私は大阪の生まれなので東京の高校をあまりよく知らないのだが、この記述によれば都立竹早高校というのは「進学校」だそうだが、「進学校」の卒業生にしては、よくあんな変な、キリストを冒涜する歌を作るものだとあきれる。 まあ、人間は学校だけで決まるわけでもないから、山下達郎がくだらないからといって竹早高校までくだらないわけでもないだろうが、山下達郎に「進学校の卒業生」という印象はないし、「進学校」卒業生と言えるだけのものはない。テーノー山下達郎の出身校と言われて「進学校」という印象は持たない。


≪  これも皆さんが十分ご存じの事実でありますが、私、二、三年前のこと、十二月二十四日つまりクリスマスの前夜にたまたま都心に出る用事がありまして、夕方近くタクシーで銀座から新橋を通りかかり、そこであのタクシーの洪水に巻き込まれて、出るに出られなくなってしまいました。それで、どうにもならないで、その混雑の解けるまでその中でじっとしていたのですが、混雑が緩和して、用事もすまされないまま家に帰るころには、クリスマス・イーヴのことですから、いろいろな物を見ることができました。私は足が悪いので、ふだんはあまり外に出ません。それで、こういうことは極めて稀なので、あまりにも強い印象を受けたのかもしれません。が、私は正直なところを申しまして、それから十二月の二十四日をクリスマス・イーヴと言うのがいやになってしまいました。いったい、あれは何という醜態でしょうか。はっきり申しますが、「私は真理を証しするものである」、そして「その真理はあなた方に救いを得させるであろう」、「・・・・・自由を与えるであろう」と言われた方、「私は道であり真理である」と言われた方の、いやしくもそういう方の、それもですね、富豪の息子や貴族の息子として生まれたのではない、貧しい大工の息子として、生まれたときは飼葉桶のなかに寝かされたという、その人の誕生を祝うのにふさわしいことなのでしょうか。そこに見られるものは浪費また浪費であります。・・・・・≫
大塚 久雄「真理への畏敬」〔大塚久雄『生活の貧しさと心の貧しさ』1978.4.20.みすず書房 所収〕)

   今となっては50年近く前、幼稚園で―その幼稚園はカトリックの幼稚園だったので、キリスト教系でない幼稚園よりも本来的なクリスマスをやっていたと思うのですが―クリスマスの前しばらく、園舎のロビーというのか広めの廊下というのかの隅に机が出されてそこに箱がおかれ、「イエスさまは、飼葉桶のなかでお生まれになりました。 皆さんが、ひとつでもいいことをするとイエスさまの寝床の藁が増えていきます。 これからクリスマスまでの間、毎日、何かいいことをしましょう。 『いいことした』と思ったら、そこに置かれている藁を1本ずつイエスさまの寝床の箱に入れるようにしましょう」と、そんな感じのことを先生が話された。
   それで、そうかあ、少しでもいいことをして、イエスさまの寝床の藁を少しでも増やして、飼葉桶でお生まれになったイエスさまが少しでも寝心地が良いようにしてさしあげるべきなんだあ・・・と思ったのだ。 ・・しかし、「いいこと」てなんだろう。 どういうことをすればいいのだろう。 それで、家に帰ってそれを家族に話し、自分でも一生懸命考えたのだ。 翌日、父が「よし、いいことしよう。新聞とって来てくれ」と言うので、郵便受まで行って朝刊をとって来て父に渡したのだ。 「うん。いいことしたな。きょうは。あしたもやれよ」と言うのだ。 翌日、きょうは何やろうかなあ~あ・・と思っていると、父が「たばこ買ってきてくれ」と言うので、煙草屋までたばこを買いに行ってきた。 父は「きょうもいいことしたな。 毎日、いいことして、イエスさまは喜ばれてるな」と言うのだが、な~んか、ちょっと違うような気がしてきたのだ。 そして、幼稚園に行って「○○くん、きのうは、何か『いいこと』したあ~あ?」という話が出るので、「新聞とってきた」とか「たばこ買いに行ってきた」とか話すと、聞いた相手が首をかしげるし、どうも、ちょっと違うような気がする。
   結論として、違うぞ、それは、と思う。 そもそも、「いいことしましょう」と言われても、まず、「いいこと」て何だろう。何をすればいいのだろう、と考えると、なかなか難しい。 生かしておいては世の為人の為にならない警察・検察・裁判所・弁護士を1匹でも2匹でも地獄に送り届けてやれば、かなり「いいこと」したことになるのではないか・・という気もするが、それは今の年齢になって思うことで、幼稚園児にはそういう考えはない。

  幼稚園でやったその「『いいこと』をひとつすれば、藁を1本、『イエスさまの寝床』だという箱に入れましょう」というのがいいかどうかというと、今もよくわからない。 しかし、そういったことを考える機会を持てたということでは悪くなかったかなと思う。 クリスマスというのはナザレのイエスという人が生まれた日であり、宿がなく、生まれて飼葉桶に寝かされた人の生まれた日であり、山下達郎のような間違った認識で「彼女とべたつく日」だという認識の者を見ると嫌悪感を覚えるのは、幼稚園でのそういう経験がプラスになったのかもしれないとも思っている。 少なくともこの程度の認識は持てないと「進学校」の出身者という価値はないと思う。 その点で山下達郎という男は「進学校の出身者」と認定することはとてもできない。

   2002年、山梨県の上野原町(現・上野原市)に住んでいた。 上野原町はそう大きな町ではなく、酒饅頭を売っている店は何軒かありけっこううまいが、ケーキを売っている店は多くない。 昔、ダイエーだったはずの店が「グルメシティー」という名前になってあって何度も買い物をしたが、今、インターネットで見ると、2012年8月28日に閉店したらしい。(《開店閉店 8/28【閉店】グルメシティ上野原店》http://kaiten-heiten.com/gourmetcity-uenohara/ ) その近くに不二家があった。 そこで、11月、自分の誕生日に、自分でケーキを買って、あんまり良いことはないけれども、自分がこの世に生まれてきたことを呪うのではなく祝おうではないか、と考えた。
   旧約聖書の『ヨブ記』に、ヨブが自分の誕生の日を呪った場面がある。
  ≪ ある日のこと神の子たちがやって来て、ヤハウェの前に立った。そして敵対者も彼らの間にまぎれてやって来ていた。〔ヤハウェの前に立つために。〕・・・・ ヤハウェが敵対者に言われるのに「お前は心をとめてわが僕ヨブを見たか。あのような奴は地上にいない。全くかつ直く、神を畏れ、悪に遠ざかっておる。お前が私を唆して、理由もないのに彼を滅ぼそうとしたが、彼は依然かたくおのれを全うしておる」。敵対者がヤハウェに答えて言うには「皮の奥に皮ありですよ。人は自分の生命のためなら、持物をみんな差し出すのです。だがお待ちなさい。あなたの手をのばして、彼の骨と肉にふれてごらんなさい。彼があなたの顔に向って呪わないではすみますまい」。 ヤハウェが敵対者に言われた、「さあ、彼をお前の手にまかせよう。ただ彼の生命は助けてやれ」。
    敵対者はヤハウェの前から出ていって、ヨブの足の裏から頭の天辺まで悪い腫物で彼を打った。そこでヨブは陶器のかけらをとって体をかきむしり、灰の上に座っていた。 彼の妻が彼に言う「あなたはまだ自分を全きものにしているのですか。神を呪って死んだらよいのに」。・・・・
   ・・・・・
   その後、ヨブは口を開いておのれの日を呪った。ヨブは答えて言った。
滅びよ、わたしが生まれた日、
男の子がはらまれたと言ったその夜。
その日には――暗闇あれよ、
上なる神その日を忘れ
光その上に照るな。
黒雲その上にとどまり
昼間の闇黒その日を驚かせよ。
その日は年の日の中に加わるな。
月の数の中にもはいるな。
 その日夜は――真暗闇がこれをとらえよ。
見よ、その夜は不妊の夜となり
喜びの声はあがらず、
呪えよ、これを、日を呪う者が。
夜明けの星も暗くなれ。
光を待つとも無駄で、
曙の輝きにもあうことなかれ。
わが母の胎の戸を閉ざさず
苦しみをわが眼から隠さなかった故に。

何故わたしは腹から出て死なず
胎から出たまま息絶えなかったか。
何故わたしは死産の子のように
光を見ない赤子のようにならなかったか。
何の故があってわたしを受け、
乳房があってわたしは吸ったのか。
でなければわたしは安らかに伏し
眠りに入って安きを得たろう。
おのれのために廃墟を立て直した
王たち、地の議官たちのように
あるいはその家々を銀で満たした
金に停める君侯たちのように。
かしこでは震える者も恐怖を去り
かしこでは力衰えた者も安らか。
捕らわれ人もともに休みを得、
こき使う者の声も聞かない。
小なる者も大なる者もかしこでは同じ。
奴隷もその主人から自由である。
・・・・・   ≫
(『旧約聖書 ヨブ記』関根正雄訳 1971.6.16.岩波文庫)
   「誕生日を祝う」という意味を、幼稚園から小学校くらいの間、ひとつ年をとったことを祝うのだと思っていたし周囲にもそう思っている人間が多かったが、本来「誕生の日を祝う」というのはそういうものではなく、生まれてきていいことがあったかというとそうでもないかもしれないが、あんまりいいことなかったとしても、そうであっても、自分が生まれたということを祝おうではないか、というそういう趣旨が本来の「誕生(の)日を祝う」という行為ではないだろうか。
   ヨブのように呪いたい時もないではないが、そう思わないで、「自分が生まれてきたということ」を呪うのではなく祝おうではないかと考え自分でケーキを買って食べようと思ったのだが、どうなったかというと[第78回]《クリスマスを誤解している人たち~山下達郎の罪、及、クリスマス・誕生日のケーキについて  》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201112article_1.html に述べた通りである。 私が何度も声をかけているのに店の奥でテレビを見ている様子でいっこうに出てこない。 ところが、子供を連れた母親が「ぱ~ぱ」の誕生祝いのケーキを買おうと入ってくると、子供の声が聞こえると同時に飛び出してきて、先から待っていて声をかけている私を無視して子供の相手を始めたのだ。 「呪われよ。不二家上野原店。この後、永遠におまえが栄えることがないように」 とでも言ってやりたい気持ちだったが、まあ、そこまで言うのも大人げないかとも思ったが気分の悪い店だった。こんな店で二度と買うか!と思い、クリスマスのケーキを買うのはやめた。 上野原を離れた後、インターネットで見ると、不二家上野原店は閉店したらしい。

   今、住んでいる近所、千葉県船橋市芝山に 「ウエスト」という うどん屋のチェーン店があった。けっこうおいしくて、特に「いわしだんご」が好きで何度も食べに行った。 ところが、ある時、席につき注文した料理が来ても「水」が出てこない。 それで、「お水、もらえますか」と言うと、女性店員が「そこにあるでしょ」(原文の通り)と言って、あごをしゃくったのだ。 それまで何度も来ていたのだが、それまでは、店員が「お水」(「お冷や」)を持ってきたのを、その時から水の出る機械を置いてセルフサービスにしたらしいのだ。 それで、「そこにあるでしょ。」と言って、あごをしゃくってその機械の方を指したつもりらしい。 しかし、だ。 私は、特別の上客かどうかはともかく、それまで何度も来てその店にカネを落としてきた客なんだよ。 その相手に向って「そこにあるでしょ」とあごをしゃくるとはどういう接客だ! ふざけるな。 セルフサービスにしたのなら「すいません。お水はセルフサービスでお願いすることにさせていただきました。そちらに機械とコップがありますので、そちらでお願いできますでしょうか」とでも言うものではないだろうか。アホか! こちらも営業の仕事をしてきた者としてこういう対応をする店員の店にカネを落とすようなことは絶対にしてはならない。二度とこの店は来てはならない、と考えた・・・ということで二度と利用しないでいると、しばらくして、「ウエスト」芝山店は閉店して、別のうどん屋に変わった。 そのうどん屋には1回だけ行ってみたがおいしくなかったのでそれきりにしていると、その店も閉店して、ホルモン屋に変わった。 ホルモンはあまり好みではないので行かなかったがこれも閉店して、今はお好み焼き屋になっている。 あの店員はいったい何だったのだろうかと思うが、「感じ悪う~う」と私が思った店というのは、他の人もそう思うのかもしれない。

   今となっては20年以上前、木質系住宅建築請負業のK住研に新卒入社した1年目、千葉県の松戸市の営業所(住宅展示場)にいた時、ある自営業の社長の方 (40代後半)から建物と外構工事で計5000万円少々の契約をいただき建てさせていただいた。入社1年目で建築・住宅についても営業についてもわからず、ともかく一生懸命やるだけだったが、営業課長他に協力してもらったこともあり契約いただくことができた。 契約書に署名・捺印いただく時、「今回、K住研さんで契約しようと決めたひとつの理由は○○さんが一生懸命やってくれたからです。このことをひと言、言わせていただきたい」と同行した課長にわざわざ言っていただいた。 ともかく一生懸命やっただけで、どうするかはすべて課長の指示の通りやっただけであったが、それでも評価していただくことができた。
   しかし、一方で、入社1年目の人間だということで低く評価されてしまったケースもあった。 小堀住研は、もともとは在来木造の会社であったが、途中から木質パネル構法(木質プレハブ)を始めて、私がいた時は木質パネル構法の方が主になっていて、私が入社した翌年から坪80万円以上の高価格帯に絞ったツーバイフォー工法の住宅も始めた。 最低坪80万円以上の価格帯の「在来木造」「ツ―バイフォー」と、木質パネル構法ではおよそ坪60万円以上の自由設計の高価格帯商品「新桂」のシリーズと坪40万円台の「高品質低価格」の企画住宅「ハウス55」の系統の2系統、計4系統あったことになる。私がいた松戸展示場は現代和風外観の「新桂」の展示場で、「ハウス55」の展示場としては近くには柏市に柏営業所(展示場)にあった。 松戸展示場に、消防士を仕事にされている方(20代)が、「ハウス55」で検討したいということで来場され、商品の説明をしてお客様の要望を聞いた上で、実際に「ハウス55」の展示場は柏にあるということも話した。「土地あり、2年以内」で、職業も公務員で安定したある程度以上の年収があり、相当有望な見込客として追客を開始しようとした。ところが、たしか翌日、柏展示場にいた、当時、千葉県で最も多く売っていて全国でも10位以内に入っていた営業であるが、ひとの見込客をしばしば横取りすると言われるS川という男が松戸展示場に電話をしてきて「俺のお客さんをそっちで接客してくれたんだって。きょう、こっちの展示場に来て、松戸に行ってきたと聞いたんだ」と言ってきた。 そんなはずはない。 私と話した時、その見込客は、柏展示場に行ったことがあるなどとはまったく言っていなかったし、私が説明する前には会社についても商品についてもまったく知らなかった。私が説明して知ったはずであるし、柏展示場も私が説明して知ったはずだ。 そもそも、勤務している消防署は松戸展示場のすぐそばの消防署であり、住所も松戸展示場の方が近い。普通に考えれば「ハウス55」という人気商品で建築することを考えて、「ハウス55」を扱っている小堀住研の展示場に行こうと思って職場の近くにある総合住宅展示場の小堀住研松戸展示場に来場し、そこで、私から柏展示場に「ハウス55」の建物があることを聞き、私の説明が悪くなかったから、さらに一歩進んで実際の「ハウス55」の建物を自分の眼で見ようと即座に柏展示場に行ったはずだ。 先にS川が追客していたのならS川が担当になるが、こちらに先に来て私が先に接客しているはずだ。 私以上に、展示場の「営業補助」として勤務していた女性Mさんが憤慨して言った。「あの人、柏に行ったことがあるなんて、ひと言も言ってなかったですよ。 柏の営業が来ているともひと言も言ってないですよ。 絶対、おかしいですよ。私、○○さんに契約とらせてあげようと思うから、あの人の子供の相手をしたのに。どうしてS川さんの担当になるんですか。あの子供の相手するの大変だったんですよ。あの人、絶対、先に柏になんか行ってないですよ」と。彼女は私に契約をとらせてあげようと思って、私がそのお客様と対応している最中、一生懸命、子供の相手をしてくれたのだ。 そのお客様は私にも柏に先に行ったなんて言っていなかったし、柏の営業と話をしているともまったく言わなかった。柏の展示場は私が教えたことで知ったはずだ。 せっかく協力してくれたMさんのためにも、その見込客をS川に奪われるのは認めがたい。 私は松戸の営業課長に、柏に先に行ったとは考えにくいことを話したが、課長は「おまえ、S川にやられたんだろ。 あいつの得意の手だ。 こりゃいいお客さんだと思えば、『俺のお客さんがそっち行ったってえ。接客してくれてありがとう』と言えば、お客様が絶対に松戸の人が営業担当でないと困るとでも言ってくれない限り、S川の見込客になってしまう。きっと、それだ」と言うものの、「次から気をつけろ。見込客をひとりで柏に行かせてしまったが最後、S川に盗られる可能性があると認識することだ。あいつは課長の客でも盗る男だから」と言い、「どうもならないのでしょうか」と私が言っても、「だめだな。S川が自分の方が先に来たと言う以上、どうもならない。 おまえ、S川にやられたんだよ」ということだった。 向こうは全国10位以内でこちらは新人であり、こちらも全国10位以内とまでいかなくても営業として自立しておれば、自分でS川におかしいぞと言うなりカマかけてやることもできるしその見込客に実際にどうであったかききに行くなりして簡単に奪われないようにするところだが、課長に助けてもらってなんとかやっている新人の立場であり、課長がどうしようもないと言えばそれ以上はどうもできなかった。
   結論をいうと、その見込客は私がいた松戸展示場に先に来て私から説明を聞き、私の説明が悪くなかったから、さらに前に進めようと、即座に柏の展示場に「ハウス55」を見に行ったのだろう。もし私の説明がひどいか私の態度が特に悪ければそこで他社に行ったであろうが、悪くなかったから柏に実物を見に行こうとしたのである。しかし、私は課長から「知ったかぶりはするな。正直に『私は入社1年目です』とお客様に言え。新人だと思えばお客様もそう思って接してくれる。経験があるふりをして質問に答えられなかったりしたら、そこでつぶれる。」と言われ、そして、正直に私は入社1年目ですと話していた。だから、営業担当者に相当悪い印象を持ったということはないが、新人なのかと思い、担当者をかえてくれとまで言う気持ちにはならなかったが、できればもう少し経験のある人の方がいいのだがという気持ちもないことはなかったのではないかと思う。その気持ちで柏に行って、ひとの見込客を横取りするのを得意とするS川が接客し、「松戸で誰が接客しました?」と聞いた時、「新人の人だったみたいで」とでも言ったのだろう。そこで、S川は、自分が全国何位と会社から表彰してもらった賞状のコピーでも出して見せた上で、「私なら実績ありますから、こちらに先に来ていただいたと言って下されば私が担当できますよ。そういたしましましょうか」とでも言ったのであろう。もしかすると、さらに「私、早稲田の建築でてますから。新人に担当されるより私が担当した方がいいに決まってますよ」とでも言ったかもしれない。実際は早稲田大学理工学部建築学科卒ではなく、ニチゲー(日本大学芸術学部)卒のくせに。それで、その消防士さんが、そうなんだろうか・・と迷っているところをS川が強引に押し切った・・といったところではないか。そのあたりの駆け引きはS川ならやりそうだ。 お客様が迷っている時、たとえば「いくらくらいサービスにできませんでしょうかね」と言われた時など、契約してもらえるならそのくらいの値引きならできると最初からわかっている場合でも、「おでこに手をあてて『う~ん』とうなって見せた上で、『ちょっと、上司に相談してみます』と言って事務所に戻り、事務所でコーヒー入れて飲んでしばらく時間つぶした上で、『上司に相談してみましたところ、絶対に今回だけだぞと念を押された上で、なんとか許可もらえました』とか言って契約してもらうんだ」とS川は私の前でそのやり方を実演してみせてくれたことがあったが(「役者やのお!」)、そういう類のことでもやったのだろう。
   今なら、私はS川ごときに直接対決で負けることはない。 そもそも学歴詐称するようなその程度の男が私に勝てるわけがない・・・が、その時は私は新卒入社1年目の新人で20代だった。S川は30代の後半にさしかかったくらいで、元・マンションの分譲をやっている不動産屋から転職できた男で、そのタイプの人間だけあって「高品質低価格」タイプを大量に売りまくるのを得意にしていた。だから、新人とはいえ何でも学び顧客のために最善を尽くそうとしていたその時の私と、ともかく売りまくればいいというS川なら、今の私が見込客なら、どちらの営業を選ぶかというとS川は選ばない。その時点でも、お客様にとってはS川に担当されるより入社1年目であっても私が担当であった方がお客様にとっては良かったと思う。 先に述べた自営業の社長さんが入社1年目の私を評価して契約していただいたのは、そのあたりを見ぬいていただいたのかもしれないが、それとともに、自営業の社長をやっている人だけに、新人がともかく一生懸命やっているという時に、あんたではだめだとは言う気持ちにはならなかったのだと思う。もし、その方にS川が後の消防士さんにやったことと同じことをやったなら、むしろ、「なんだ、こいつ」とS川は見られたであろう。全国何位の表彰状なんか見せても「それがどうしたの?」とでも思われただろう。「私、早稲田の建築でてますから」などと言っても、「おまえがか? あんまり早稲田でたような顔に見えんな」とでも思われるだけだったのではないかと思う。 後の消防士さんは、はっきりと営業を変えてくれとは言われなかったはずだし、もし言われていたならS川はそう言ったであろう。そうは言わなかったからS川は柏に先に来ていたと小細工を言ったのだ。 しかし、S川が全国何位とかいう表彰状のコピーを見せたり(おそらく)して自分が担当した方がいいですよというアピールをした時、気持ちがぐらついたのではないかと思う。その消防士さんは演技派のカッコマンにしてやられ、私は有望見込客を強奪された・・ということだろう。 今ならS川ごときに奪われたりしないがその時はやられた。 先の自営業者の方と後の消防士さんとでの違いとして、年齢の違いと職業の違いがある。 後の消防士さんは若いから、新人ではない方がという気持ちもあったと思う。 先の自営業者の方は年齢も上であったとともに、経営者として、頼んでいい相手かどうかを新人かベテランかで判断しなかったとともに、一生懸命やっている新人に「あんたではだめだ」と言う気持ちにはならなかったのだと思う。
   経営者でなくても営業経験者には同様のことがある。 新人かベテランかで頼んでいいかどうかを判断するのではない。 ふざけたことするヤツには、たとえ経験者でも頼むことはできないと判断する。少なくとも、私は。
(1)  それまでに何度も来てくれた常連客に、「お冷や」をセルフサービス方式にしたからといって、「そこにあるでしょ」と言ってあごをしゃくる女の店(ウエスト 芝山店)では何であれ買ってはならない。
(2)  客が何度も声をかけてもテレビに夢中で出て来ず、子供連れが来て子供の声がすると飛び出て来て子供の相手をする店(不二家 上野原店)では、何であれ買ってはならない。そして、
(3)  相手と約束していた時刻を過ぎてまだ遠くにいるという時、正直に話して謝るのではなく近くのインターチェンジにいると嘘をついてさらに3時間も待たせたあげく、「もんのすごくこんでましたね」などとほざく業者(千葉県のリフォーム業者 稲毛区に本社があるWホームの船橋店○○部が入れた金物屋)([第209回]《千葉県船橋市東船橋「天神社」参拝。フナトリ線駿河台交差点南のNシステム。変な言い訳で怒らせる男の話。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html 【2】)には、その業者でないとできない特別の技でもない限り頼んではならない。
(4)  ○日の◇時にうかがいますと言って客にその時刻に自宅に戻ってこさせておきながら、それから30分以上も経って電話をして「きょうは行くのはやめますう。○日に行くことにしますう」とひとを馬鹿にした態度を何度もとる証券屋(M木証券 船橋店)には決して頼んではならない。([第209回]《千葉県船橋市東船橋「天神社」参拝。フナトリ線駿河台交差点南のNシステム。変な言い訳で怒らせる男の話。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html の【2】 )
(5)  自分が扱っている土地を顧客に勧めてほしいという時にはあつかましく頼み、それ以外の時には礼儀に反する態度をとる下品な不動産屋(千葉市中央区鵜の森町 新華ハウジング が関わっていた東京都江東区の不動産屋 O原)([第188回]《業界内《不動産屋の電話のかけ方》、及び、「不動産屋」の電話のかけ方vs建築屋の電話のかけ方》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201307article_1.html 【2】[1] )の「犬のくそ物件」をわざわざ大事な見込客に押しつけるようなことは決してするべきではない。「犬のくそ物件」でなくても、わざわざそんな業者に頼む必要はなく、頼まない方がよい。
これは「買わない」という程度ではなく、「買ってはならない」である。 営業経験者は、非経験者に比べ、飛び込み営業を最初から毛嫌いはしない場合が多く、「少々しつこい」という程度の営業には「熱心さからくるものかもしれない」と好意的に解釈して寛容で、かつ、新人には暖かく接する場合が多いが、(1)~(5)のようなヤツに対しては非経験者よりも厳しいものだ。ふざけるな。おまえには利益をもらう権利はない。おまえなんかに契約してもらう権利はない、と考えるのだ。 こっちはもっと大変な思いをしてそれでもなかなか契約してもらえなくて苦労してるんだよ、そんな態度で契約してもらえると思うのがふざけてる、と。
(6)  株式会社新昭和(http://www.shinshowa.co.jp/ )の取締役だというZ間氏には「Z間さんは大事なお客さんですから」と言ってへこへこへこへこして、一方で「『大事なお客さん』でないお客さん」を、普通なら「大事なお客さん」のひとりと考える人から指定していいかげんな扱いにする男(千葉市中央区鵜の森町 新華ハウジング有限会社・ビルダーズジャパン株式会社のU草)([第215回]《職場で他の従業員からカネを騙し取るのは「営業力」だろうか? 【下】 不動産登記簿、印刷用カラ―用紙》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_3.html 【5】)もまた、おまえはそういう人間か! と見て、こういうヤツには頼まない方が良さそうだ、と判断することになる。
   グリム童話に、3人兄弟が「命の水」を取りに行く話があった。 父親だか母親だかが病気にかかり、それを助けるために、賢いと言われていた長男と次男は命の水を取りに行くが、途中、貧相な姿のきつねが道端に腰かけていて「私はひもじくて死にそうだ。あなたのパンをひとかけらと葡萄酒を1杯分けていただけませんか」と言うと、「なんだ、こんなキツネ。おまえになんか、何にもできやしないよ」と言って無視して行ってしまうが、だんだんと道は狭くなり、行くに行かれず戻るに戻れなくなってしまう。兄から馬鹿にされていたのろまの三男が命の水を手に入れ、兄を助けようと行くが、やはり、キツネが「あなたのパンと葡萄酒を分けていただけませんか」と言う。三男は「いいよ。一緒に食べよう。でも、僕は、かたくなったパンとすっぱくなった葡萄酒しか持ってないんだ」と言うが、キツネは「かまいませんとも。一緒にいただきましょう」と言う。「あなたのお兄さんは傲慢で、私の言う事をきかないから、だから、行き止まりの道で動けなくなったのです。あなたはお兄さんと違って気持ちのやさしい人ですから、助けてあげます」と言い、命の水がある山への行き方を教え、そこでの対処のしかたも教える。 「Z間さんは大事なお客さんですから」と特定の人間を「大事な人」と決めつけ、別の人間を「『大事な人』でない人」と決めつけるU草は、このグリム童話に出てくる傲慢な兄のようだ。 そういう人間かと私はU草を見て思ったが、私だけでなく、同様に思う人はいると思う。 元・外務省の佐藤優氏が『憂国のラスプーチン』という漫画で「永田町用語」を述べていたが、「他の先生を大事にしてください」と議員が役人に言った場合、それは「おまえ、他の議員を大事にして俺を軽く見ているな。覚えておけよ」という意味だそうな。「○○さんは大事なお客さんですから」と、「大事なお客さん」と「『大事なお客さん』でないお客さん」を分ける男というのは「おまえ、俺を軽く見ているな。覚えておけよ」と判断される人間ではないか。 上に述べたK住研で1年目に高額物件の契約をいただいた自営業の社長の方なら、U草が担当なら、U草が新人かベテランかにかかわらず頼まれないのではないかと思う。 U草から自分が「『大事なお客さん』でない人」に認定された場合だけでなく、「大事なお客さん」の側に認定された場合でも。
〔  株式会社新昭和(http://www.shinshowa.co.jp/ )のZ間氏も、控えめに言って人相は良い方ではなく「やっぱり新昭和はしょせん、君津の不動産屋か」という印象を受けたが、会社が下請けの仕事を回している相手だからといって、個人として特別の要求をするというのは、取締役の姿勢としていかがなものか・・。
  住宅建築会社の従業員が自宅を建てる場合、居酒屋の従業員が他社の居酒屋を利用してならないことはないのと同じく、化粧品会社の従業員が他社の化粧品を使用してならないことはないのと同じく、他社で建てて悪いことはないはずであるが、住宅の場合、自分が勤めている会社以外で建てるには抵抗があり、従業員はやむなく自分が勤めている会社で建てている場合が少なからずあるが、取締役は自社で建てずに下請けの会社に建てさせているというのも、なんだか・・。
   新華ハウジング(建設業)の社長・長○川 S二も、自宅を大成パルコン(http://www.palcon.jp/ )で建てようとして「コンクリート造ていいよねえ」とか言っていたというが、在来木造とツーバイフォー工法で他人さまの家を建てている会社の社長がよく言う。 〕
  2011年、我が家の給湯器が故障してつけかえた時、見に来た業者は、住宅建築会社に勤めてられるならそこに頼まれた方が安くできるでしょうと言ったが、前々から頼んでもらって長く待ってもらっていた人にやっと大工を振り当てて予定を組んだのに、その大工を当日突然「新昭和のZ間さんは大事なお客さんですから」と横取りのようにZ間氏のアパート現場に持って行く会社 新華ハウジング(有)に頼んだのでは、同じ事なら自分が勤めている会社に利益を取らそうと思って頼んでも、いったいいつやってくれるかわからないし、給湯器というものはすぐにつけてくれてこそ役立つものなので他に頼んだが正解だった。 もし新華ハウジングに頼んでいたら給湯器ひとつでも今でもついていないかもしれない。 社長自身が自社で建てずに大成パルコンで建てようという会社だし。なにより、「大事なお客さん」と「『大事なお客さん』でないお客さん」を分ける会社だとを目の前で見せられたのだから。目の前で見なくても見抜く人もあるだろう。 「『大事なお客さん』でないお客さん」と認定されたあかつきにはろくな対応されなかったであろうし、万一「大事なお客さん」に認定された場合でも、そういう「なんだ、こんなキツネ」という傲慢な認識の会社が良い仕事をするとは考えにくい。
〔  社長が大成パルコンで建てようというのにはもうひとつ問題がある。 なぜ、コンクリート造(プレキャストコンクリート造。コンクリート系プレハブ。)の会社で建てようとするのか。 木質系建築会社の社長が、たとえ他社で建てるにしてもなぜコンクリート系なのか。 会社が戸建住宅を扱っていながら、それまで社長がマンション住まいであったから「マンション」「コンクリート造」に洗脳されたのであろう。 戸建住宅建築の見込客には「自分の家を建てた経験のある人に頼みたい」と言う人がある。マンションにずっと住んできた人間に戸建住宅の設計をさせるとマンションみたいな間取りを作るという話がある。 木質系・戸建住宅を扱う会社の社長がマンション住まいということからしておかしい。
  長く待ってもらったお客様のお宅の工事に入る予定であった大工を「(新昭和の取締役の)Z間さんは大事なお客さんですから」と横取りのようにZ間氏のアパートの工事に突然まわして新昭和のZ間氏の機嫌をとろうとするのなら、社長が家を建てるのに自社で建てない場合、その元請け会社の新昭和で建ててもよさそうであるが、「コンクリート造ていいよねえ。パルコンはいいいよお」とか社長が平気で言っているというのは・・・なんだか。 社長というのはそんなものなのか・・それとも、社長にもいろいろあるのか・・・・。 在来木造の I 条工務店の東京営業所にいた時、営業本部長が「ぼくの担当のお客さんは決まりそうだ」とか言っていたことがあったが、「ぼくの担当のお客さん」て誰かというと、I 工務店のオリジナルシステムキッチンのポリエステル系人工大理石の天板(カウンター)を一条に納入している業者の社長だった。天板を納入しているからといって納入している会社で建てないといけないという「義務」まではないが、従業員ならともかく、社長はそこで建てずに他に頼んだのでは具合が悪いと思って頼まれたのだと思う。 社長が「パルコンていいよねえ」と自社でなく取引先でもない会社で建てようとして、一方で、「Z間さんは大事なお客さんですから」と言われても、なんだか・・・。 従業員に「親戚の契約とってきてよ」と言っておのれは大成パルコンで建てようとしていたというのも、なんだか・・。

   不二家上野原店に来店した子供連れの母親は、私が自分たちより前からいて待っていても、「うちは子供がいるんですからねえ」とでも、子どもを連れている者は水戸黄門の印籠でも持っているかのように思っていたのだろうか。 「え~い、静まれ、静まれえい。 この紋どころが眼に入らぬかあ~」という調子で、子どもを連れておれば天下無敵とでも思っていたのだろうか。
※「水戸黄門の印籠」は
⇒《pedeo 水戸黄門10_印籠》 http://www.pideo.net/video/youtube/fa295ee1bde0187f/
そういう母親はしばしばいる。 男はそういう女を見た時、「まあ、女だからしかたがない」とあきらめて許してやる場合がある。 「こいつ、もう、女としては終わってる」と心の中で馬鹿にしている場合もあるが。 「女だから」というのはどういう理由かというと明確な論理はないのであるが、男性は女性に対しては「しかたがない」と許容する場合もある。 ところが、最近、男でもそれをやる者がいるのだ。男でも女性的子供帝国主義を発揮するおとこ女がいるのだ。 どうかしてんじゃないかと思うがいるのだ。

  ≪ ・・・すると、灰いろのフラノの服を着た、褐色の髪の大男にぶつかって、商店のショーウィンドウの方に押しやられた。 ジョゼフ・メルシェは眼を上げて、『タンスみたいな奴だ!』と思った。こいつはタンスであり、壁である。無感無情な乱暴者で、クラスの真中で彼を嘲った、初等数学の、大男シャメルリエそっくりだ。こういう手合いは、なにも、自分のことも疑わず、決して病気にもならず、顔面神経痛もなく、女と生活を腕一杯に抱え、他人をショーウインドーに押しのけて、目的に向って、まっしぐらに進む奴らだ。・・・≫
(ジャン=ポール=サルトル『自由への道 第二部 猶予』佐藤 朔・白井 浩司訳 1951.人文書院。慶應大文学部教授の白井浩司氏は「サルトルの紹介者」として評価されている一方で「誤訳の名人」という批判もあると何かで読んだ。私は逐一、訳が適切か評価していくほどのフランス語力はないが、ここでは「女と人生を腕一杯に抱え」を、文意として「女と生活を」の方が適していると思って変更させていただいた。)
   5年程前、JR総武線「船橋」駅に、子供づれの大人が、船橋駅内で、年寄りを突き飛ばして大怪我をさせてそのまま行ってしまった、と掲示が出ていた。 「子供を連れてんですからねえ。どいてちょうだいよ」といった調子だったか? 子供を産めば、子供を持てば何でも正当化できると認識する「子供帝国主義」「子供独善主義」の男・女だったのか。 そういう男・女が少なからずいる。 まず、「世の為人の為に子供を産んだ」などと思わないことだ。 もし、そんなことを思っているならば、「便所の水で顔を洗ってきなさい」「アタマを冷やしなさい」ということになる。 「子供帝国主義」が正義だと信念を持つようになったバカ親・ばかママ・ばかパパに「アタマ冷やしなさい」と言っても「便所の水で顔を洗って来なさい」と言っても洗わないだろう。子供さえ持てば何でも正当化できる、子供のある者は間違っていても正義だ、とでも思っているだろうから。そういう態度は子供のためにもならないし、あくまで「子供」を利用して自分の我儘を正当化しているだけで子供のためにやっているわけではないのだが、それを認めたくないという強い意志が存在しているということだ。 釈迦が改心前の鬼子母神におこなったように、子供をひとりかふたりとりあげるかしないと理解できないかもしれない。とりあげても理解できないかもしれない。
  子供を連れておれば「水戸黄門の印籠」を持っているかのように思う軽薄女・白痴男。 それは、いわば≪こいつはタンスであり、壁である。無感無情な乱暴者で≫≪なにも、自分のことも疑わず、決して病気にもならず、顔面神経痛もなく、女と生活を腕一杯に抱え、他人をショーウインドーに押しのけて、目的に向って、まっしぐらに進む奴らだ。≫というそういう類の動物だ。
  12月10日になった。 これからクリスマスイブの24日まで15日間。 子供を「水戸黄門の印籠」にすれば、前から待っている者がいてもおかまいなしに「ぱ~ぱ」のケーキを買う権利があると確信している女、≪なにも、自分のことも疑わず、決して病気にもならず、顔面神経痛もなく、女と生活を腕一杯に抱え、他人をショーウインドーに押しのけて、目的に向って、まっしぐらに進む奴ら≫が街を跋扈する季節、山下達郎にそそのかされてクリスマスを「女と性交する日」と考えているらしい白痴男がのさばり、そのテーマソングの山下達郎の「クリスマス イヴ」という歌がかかる季節だ。 外に出て店で買い物をする時にあの歌が聞こえると、精神が汚れたような気持ちがする。 山下達郎は不潔であり不快である。
   この季節、そういう歌を外で耳に入れられ、バカ女・アホ男に嫌な思いをさせられて帰ってくると、もはや、キリストが生まれた日という気持ちがしなくなる。 なんだか、キリストが十字架につけられた日のような感じすらする。 おそらく、今年も聴くことになるだろう。『マタイ受難曲』を。キリストが十字架につけられた話の歌を。 日本の12月10日から12月24日までは、『マタイ受難曲』が似合う。 名曲だと思うが、「子供帝国主義」のバカ女・アホ男は、そんなことはまったく心にかけず、≪なにも、自分のことも疑わず、決して病気にもならず、顔面神経痛もなく、女と生活を腕一杯に抱え、他人をショーウインドーに押しのけて≫、「山下達郎型クリスマス」を楽しむことだろう。
※バッハ『マタイ受難曲』
⇒《YouTube―J.S.バッハ《マタイ受難曲》第1部全曲 カール・リヒター(1958) 》http://www.youtube.com/watch?v=ba9TMBUAmMc

   クリスマスの後には「お正月」が来る。 最近のバカ親には、子供がある者は子供にお年玉をもらうのが当然と思っている者がいる。 私が子供の頃、自分の親以外からお年玉をもらった時、子供としては自分がもらったと思っていたが、親としては、子供がある人からもらった場合には相手の子供にもこちらがお年玉をあげるのでお互いさまであるが、子供のない人からもらった場合はお互いさまにならないので、私の親は、子供のない人から子供がお年玉をもらった場合には、お年玉ではなく何か他のもので子供がお年玉にもらったものと同程度の金額のものを贈るようにしていたようだ。 そういうものだと思う。 「子供のない人からお年玉をもらえば、こちらはあげなくていいから得するので、子供のない人間からもらうようにする」というあつかましい行儀の悪い非常識な態度が「営業力」だろうか? 私はそれは違うと思う。 「子供のない人から子供がお年玉をもらった場合には、親としては、何か他のものでお返しをきっちりとする」というのが「営業力」であるし、その前に社会常識だ。 お年玉に限ったことではない。 子供のない人間から、子供に関して配慮してもらったならば、子供以外の部分について配慮のお返しをするというのが社会人としてのマナーであるはずだ。 「子供があるんだから(自分だけ有利な扱いにしてもっらって)あたりまえでしょ」と言う者は、子供よりもその親が「未成熟」であり、子供を産む能力・子供を作る生殖能力あっても、人間として親になる能力はない人間だということだ。営業力のない人間ということでもある。 そういうバカ親が少なくない。

  「子供手当」がバカ親・ばかママ・ばかパパの白痴度をなお強大化しているとも思える。 綾小路きみまろ が、いつであったかテレビで話していた。「私、実は禿なんですよ。ズラなんです。夏は大変なんですよね、ズラは。本当に大変。子供手当なんて、あんなもの出すくらいなら、『禿手当』だしてほしいですよ。禿は本当にたいへんなんですからね」と。 何十年か前のことであるが、結婚した者には家族手当を出して独身の者に何も出さないのはおかしいと考えたある会社の社長が、独身者には「デート手当」を出すことにしたという話が新聞に載っていた。 結婚した者に家族手当を出すなら、独身の者にはそれに代わる手当を出すべきではないか。ある程度以上の年齢になって独身でいる者というのは、まだ結婚できていないという点で、すでに結婚できた者、結婚できた上で子供もできた者に比べて、まだ、そこまで達成できていないという点で、やらなければならないことが多いのである。 結婚できて子供までできた者が、まだ、子供ができていない人間、子供ができていないだけでなく結婚もできていない人間に、自分が結婚できて子供もできたからということで、自分たちの世話をしてもらって当然だなどと思いあがるなら、その子供はできなかった方がその人には、むしろ良かったのかもしれない。 結婚できて子供ができれば、ひとの心を土足で踏みにじる権利があると認識している親の子供は、そういう親の姿を見て育つことになる。 そういう親のクローンのような人間になるか、そういう親を軽蔑する人間になるか。 いずれにせよ、そういう親の態度が好ましいとは言えないはずだ。

  20年以上前、K住研の新卒社員研修で、「営業はお客様の気持を理解し心を感じ取るのが仕事だから、繊細な神経の人間でないといけない」と言われた。 子供を大義名分にかかげれば、人を突き飛ばしてひとの体を傷つけても、ひとの心を踏みにじってもかまわないと思いあがっている者は、その分だけ、営業能力がなく、営業の資質がないということになる。
    (2013.12.10.)

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