荏柄天神社(えがらてんじんじゃ 鎌倉市)参拝‐冤罪を晴らす神・菅原道真・怨念晴らすお百度参り(15)
[第225回] 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らす日本全国お百度参り(15)
鎌倉市の荏柄天神社(えがらてんじんじゃ)に参拝いたしました。 数年前、鎌倉宮に参拝した帰りに荏柄天神社に寄ったことがあり、今回は2度めの訪問です。
祭神は言わずと知れた冤罪を晴らす神さま・怨念を晴らす神・菅原道真のはずなのですが、荏柄天神社でいただいた由緒書には≪ [御祭神] 菅原道真公 ≫と書かれているのですが、鎌倉商工会議所監修・かまくら春秋社編『鎌倉観光文化検定 公式テキストブック』(2007.4.3. かまくら春秋社)には、≪祭神は菅原道真、八雲大神(やくものおおかみ)(須佐男尊 すさのおのみこと)。≫と出ています。
名称は荏柄天神社(えがらてんじんじゃ)が一般的ですが、『鎌倉観光文化検定 公式テキストブック』には≪鎌倉でも古い神社で、荏柄天満宮 とも称された。≫と出ています。 また、『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』(1994.12.20. 鎌倉新書)の「全国天満宮めぐり 鎌倉・荏柄天神社」には、≪ 湘南地方でも代表的な景勝地・二階堂に鎮座。 古くは荏柄(じんべい)山天満宮とも称された。≫と出ています。
『鎌倉観光文化検定 公式テキストブック』には、≪所蔵する『相模國鎌倉荏柄山天満宮略縁起』によると、創建は1104年(長治元)。 にわかにかき曇った天から天神画像が降ってきたのに人びとは恐れ、その場所に社殿を造営し、画像を納めたと伝えられる。≫ ≪源頼朝は幕府の鬼門の守護神として荏柄天神社を崇敬したとされる。≫と出ています。
渡辺秀樹・樽永 編集・渋谷申博・森村宗冬・武内孝夫・樽永 執筆『これだけは知っておきたい 神社入門』(2007.7.27.洋泉ムック)の「こんなときはどの神社に? 神さまご利益ガイド」に≪・・・全国に天神さまを祀った社は一万社以上ともいわれる。 このうち太宰府天満宮(福岡県太宰府市)、北野天満宮(京都府京都市)、荏柄天神社(神奈川県鎌倉市)の三社を日本三大天神という。・・≫、荏柄天神社でいただいた由緒書にも≪関東を中心に各地に分社をもち、福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に三天神社と称される古来の名社です。≫と書かれています。
もっとも、社域は京都の北野天満宮や福岡の大宰府天満宮、あるいは東京都江東区の亀戸天神社・大阪市北区の大阪天満宮ほど広くありません。 鎌倉の神社でも、鶴岡八幡宮のような広さはなく、すぐ近くにある メカケや「逆賊」の言うことばかりききやがって滅私奉公して会社に尽くす従業員を苛めるアホ経営者を懲らしめる神・大塔宮護良親王を祀る鎌倉宮(http://www.kamakuraguu.jp/ )ほどの広さもありません。
[第140回]《冤罪を晴らす神様・菅原道真を祀る 平河天満宮に行ってきました。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html でも述べましたが、全国の天神社・天満宮から3つを三大・・と言う場合、他にも3つの選び方があって、三橋健『図説あらすじでわかる! 日本の神々と神社』(2010.5.15.青春新書)には北野天満宮(京都市上京区)・大宰府天満宮(福岡県)と 防府天満宮(山口県防府市) を「三天神」と言い、 「ウィキペディア-天満宮」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE では、北野天満宮(京都市)・大宰府天満宮(福岡県太宰府市)・防府天満宮(山口県防府市)・大阪天満宮(大阪市)の4つに≪日本三大天神のひとつ≫と書かれており、「ウィキペディア-日本三大天神」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%89%E5%A4%A7%E5%A4%A9%E7%A5%9E には、≪大宰府天満宮・北野天満宮・防府天満宮の3ヶ所をもって日本三天神と称する。 異説として防府天満宮を外して、大阪天満宮、小平潟天満宮等を入れる場合もある。≫と書かれています。
「三大天神」「三天神社」にせよ、「三天神」「日本三大天神」にせよ、別に法律で制定されているわけでもなく、そう言いたい人がいれば言えばいいのであって難しく考えなくてもいいかとは思いますし、自分の所の天神さんを含めて「三大・・」と言いたい「お国自慢」的な気持ちも悪いということはないでしょう。 菅原道真の先祖は大阪府の河内地方の出身らしく、そして、京都に平安京があった時代の人で、福岡県の太宰府に本人は望まない「転勤」をさせられ、死後、京都で仇敵 藤原時平とか大宰府への転勤辞令を出した醍醐天皇とかが「道真の怨霊」のおかげで亡くなったとされるわけです。 道真の怒りを鎮める為に北野天満宮を造営したこと、大宰府天満宮は菅原道真の墓所の場所にあるということを考えると、北野天満宮と大宰府天満宮の2つははずせないと思えます。 そして、道真の先祖が大阪府出身ということで大阪府から1社となると、菅原道真の先祖・土師(はじ)氏の所領があって大宰府へ「転勤」させられる途中に立ち寄って叔母の覚寿尼と別離を惜しんだという場所にあるらしい大阪府藤井寺市の道明寺天満宮か、それとも大阪市内の大阪天満宮かというと、やっぱり大阪市民としては大阪市内に欲しいということから大阪天満宮が3社目に選定となるか・・。 一方、山口県防府市にある防府天満宮は≪菅公祭祀の天満宮は当社の創建をもって最初とし、北野天満宮・大宰府天満宮と共に”日本三大天神“と称されている。≫(『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』「全国天満宮めぐり 山口・防府天満宮」)と主張しているようです。
菅原道真は大阪・京都近辺で活躍し、福岡県に「左遷」なのかどうか、本人は望まなかったらしい「転勤」をさせられて福岡県で亡くなった人で、福岡県に「転勤」で移る途中で山口県の防府その他に立ち寄ったという西日本中心の人なのですが、最近は東京中心に世の中が動いてきているところがあり、東京圏の「政治力」「経済力」は無視しがたいところであり、「三大・・」となると、東京圏に1か所欲しいと考える人もいるでしょう。 戸部民夫『日本の神様がわかる本』(2005.1.5. PHP研究所)では、菅原道真を祀る神社として、北野天満宮(京都市上京区)・大宰府天満宮(福岡県太宰府市) ・ 湯島天神(東京都千代田区) ・ 亀戸天神(東京都江東区) ・ 防府天満宮(山口県防府市)の5社があげられています。 東京の天神社・天満宮としては、社域の広さから考えるならば亀戸天神社、場所として、北に東大本郷キャンパス、南には御茶ノ水の駿台予備校とか明治大・日大・中央大・東京医科歯科大、東には上野の東京芸大があり、大学・予備校が周辺にあっていかにも「受験の神さま」、模擬試験で最低ランクの評価がついた時のコメント「人事を尽くして天命を待て」て、あれ、いったいどういう意味やねんて感じですが、まあ、どうにもならなくなった時の「神頼み」する場所としてはもってこいの立地ということから湯島天神か、この2つが有力ですが、ちょっと渋いところ玄人好みがこの鎌倉市の荏柄天神社でしょう。 で、もし、東京圏から1社となると、妥当な所で、立地から湯島天神か社域の広い亀戸天神か「鎌倉」というブランド力のある荏柄天神社かというところでしょう。
で。 荏柄天神社(えがらてんじんじゃ)の場合は (1)東京圏に1社ほしいという「政治的要請」「時代の力」「世の動き」と (2)「鎌倉」のブランド力 だけではなく、もっと本来的な根拠があります。
≪ 菅公が至誠の人であることは、もう改めて説くまでもないでしょう。
心だに誠の道にかなひなば 折らずとても神やまもらむ
菅公の歌として『歌林四季物語』のなかに見えていますが、この誠こそ”天神さん“の神徳であって、そこから約束事を加護して下さる神としての信仰が発生しました。 北野天満宮には熊野権現と同じように<牛王(ごおう)宝印>があって、約束を守る起請文に用いられています。 この<牛王宝印>というのは、特別の料紙に<北野宮寺牛宝印>を捺したものです。
鎌倉幕府は、諸社の神官たちの起請文を、京都では北野天満宮で書くように定めているほどで、北野社が制約実行の加護神として信仰されていたことが明らかに示されています。 降って『慶長見聞集』には神官の起請文を、関西では北野天神、関東では荏柄(えがら)天神で書かせたということが記されています。 ≫
(『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』(1994.12.20. 鎌倉新書) 「天神信仰の誕生 正直の神」 )
『慶長見聞集』とは何ぞや、というと、《ウィキペディア―慶長見聞集》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B6%E9%95%B7%E8%A6%8B%E8%81%9E%E9%9B%86 によると、≪慶長見聞集(けいちょうけんもんしゅう)は、江戸時代初期に三浦茂正によって書かれた仮名草子形式の随筆。別名・江戸物語(えどものがたり)。全10巻10冊。≫ ≪「見しは今」「聞きしは今」などで始まる130余りの話から構成され、慶長・元和期の江戸の風俗・風景などが描き出されている。江戸幕府成立期の江戸の姿を知るうえで貴重な史料である。≫そうです。
≪約束事を加護して下さる神≫である以上、従業員の給料払わずちょろまかして逃げる悪徳経営者やそのテカ(手下)・その仲間は、「ゴースン、サンダー!」て感じで懲らしめてくださることでしょう。
※「ゴースン、サンダー!」を知らない方は、
⇒《YouTube‐タイガージョーの最後・・・(怪傑ライオン丸より) 》http://www.youtube.com/watch?v=z8FUiLutOI4
≪神官の起請文を、関西では北野天神、関東では荏柄(えがら)天神で書かせた≫という記載があるとなると、もしも、東京都・神奈川県から1社として、荏柄天神社が俄然有利になってきます・・・。 関西人としては、京都に1社・大阪に1社・福岡県に1社の「三大・・」のつもりであったのが、またもや、大阪天満宮がはずされて神奈川県鎌倉市の荏柄天神社が選定されるとなると、なんだか、南海ホークスがなくなって福岡ダイエーホークスになり、近鉄バッファローズがなくなって東北楽天イーグルスができて、もともと、パリーグには阪神間に3球団あったのが、今や関西にはセリーグの阪神とパリーグの東京オリックス大阪営業所みたいなオリックスバッファローズというどっちが名字でどっちが名前かはっきりせえみたいなチームの2チームになってしまって、関西、特に大阪の経済的地盤沈下は嘆かわしい・・・とも思えてきます。
⇒《YouTube-南海ホークスさあ行こう!(復刻ユニフォーム記念)》南海ホークスさあ行こう!(復刻ユニフォーム記念)http://www.youtube.com/watch?v=jwFtLsqd_ys
《YouTube-阪急ブレーブス球団歌》http://www.youtube.com/watch?v=XvI0PjzAtOc
でも、まあ、「三大・・」というのは、そうこだわらなくたっていいんじゃない、べつに・・・、というところで、お写真を出させていただきましょう。↓
↑ 拝殿。
↑ 写真はすべてクリックすると大きくなるので、ぜひ、大きくして見てください。扉に梅の紋が入っているのが見えます。
↑ 社殿、左側から見たもの。 (左)本殿。重要文化財。 (中央)弊殿。 (右)拝殿。
↑ 社殿、右側から見たもの。 (左)拝殿。 (中央)弊殿。 (右)本殿。重要文化財。
『鎌倉観光文化検定 公式テキストブック』には、≪本殿は鎌倉最古の木造建築(国重文)、社宝に憤怒の表情で「怒り天神」の名で知られる木造天神坐像(国重文)、木造天神立像(国重文)がある。≫と出ています。 よく見ると≪本殿は鎌倉最古の木造建築(国重文)≫であって、重要文化財に指定されている建物は本殿であって、拝殿・弊殿は重要文化財には指定されていないのです。 これは、≪関東大震災でも被害を受け、幣殿と拝殿は震災以降の再建である。≫(《ウィキペディア―荏柄天神社》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%8F%E6%9F%84%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE )ことによるようです。
本殿は、≪三間社流造、銅板葺き。寛永元年(1624年)に鶴岡八幡宮若宮の旧本殿を譲り受け移築したものである。若宮旧本殿は正和4年(1315年)の鎌倉大火の後、翌正和5年(1316年)に建立された。記録によれば、中世、近世を通じてたびたび修理が行われているが、社殿全体が再建された記録はない。移築と度重なる修理を経ているとはいえ、鎌倉地方における中世建築の稀少な遺構の一つである。 ≫(《ウィキペディア―荏柄天神社》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%8F%E6%9F%84%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE )そうです。
↑ 摂社 熊野権現社。
鎌倉の山には、このような横穴がよくあります。 この近くの鎌倉宮には、「大塔宮護良親王(おおとうのみや もりながしんのう 〔もしよししんのう〕)が幽閉されていた土牢」という横穴がありますが、まあ、たぶん、それはお話であって、実際は違うと思うのですが、そういう由緒・お話でも作りたくなるような横穴があちらこちらにあります。



鎌倉市二階堂74 にあります。 最寄駅はJR横須賀線「鎌倉」・江ノ島電鉄「鎌倉」です。すぐ目の前に「天神前」というバス停がありますが、鎌倉は「歩ける街」「歩く町」なので、駅から歩きました。 特に体が不自由でない方には駅から歩くのをお勧めします。
帰りに参道脇の店(「天満亭」でしょうか)で「梅ジュース」を飲んで帰りましたが、けっこうおいしかった。
↓ 帰り道、鎌倉のこの場所の雰囲気を壊さないように配慮しながらもおしゃれなデザインを実現しようという工夫が見られる建物でなかなか・・と思ったのですが、何の建物かわかりませんでした。 帰宅後、ヤフー地図で見ると、「則道舎」とでており雑居ビルのようです。
鎌倉市は歴史のある街だけに景観保存のための法規制が厳しく、住宅建築業のハウスメーカーの者は苦労する場合が多く、又、不動産業の者も法規制を十分に調べないと、自分の土地であってもほとんど自分の自由にならない場合があると言われます・・・が、逆に、「建築家というに値する建築家」、要するに、「自称 建築家」とか「ベレー帽かぶったり、ヒゲはやしたり、真っ赤なスポーツカーに乗ったりすれば『建築家』と思っているおっさん」とか「一級建築士かニ級建築士の資格を取得すれば建築家と思っている人」とか「設計事務所を設立すれば建築家と思っている人」とか「建築学科を卒業すれば右も左もわからない若造でも建築家と思っている人」とかのことではなく、本当に理工系の建築知識だけでなく歴史や文化に造詣・理解もある人としての建築家にとっては、戸建住宅にせよ、店舗にせよ、集合住宅にせよ、雑居ビルにせよ、取り組みがいのある場所ではないかと思います。
↑ JR横須賀線「鎌倉」駅。 ありきたりではなく、鎌倉に合ったデザインの駅にしようという工夫が見られるところがいいですね。
千葉県のJR総武線沿線から鎌倉に行く場合、JR総武線の快速は東京からそのまま横須賀線に入るので乗り換えなしで「鎌倉」・「北鎌倉」まで行けますが、けっこう時間はかかります。 帰り、鎌倉駅では相当人が多かったのですが、大船駅で降りる人が多くすぐ座れました。
荏柄天神社から鎌倉駅までの途中、県道204号から分岐する三叉路の名称が↓
↑何と読むのかと思ったら、「岐れ路」と書いて、「きれじ(切れ痔?)」ではなく「わかれみち(Wakaremichi)」と読むそうです。


[第13回]《ツーバイフォー工法の構造現場と考察(3)~千葉市・星久喜モデルハウス【2】 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201102article_10.html の下の方で、千葉市中央区星久喜(ほしぐき)町に「三叉路(さんさろ)」という名前のバス停があることを紹介させていただきましたが、「三叉路(さんさろ)」も悪くありませんが、「岐れ路」で「わかれみち」もなかなか・・。 「わかれ」を「分かれ」でも「別れ」でもなく「岐かれ」とし、「みち」を「道」ではなく「路」とするあたりが、「鎌倉っぽ~い♪」・・・・かどうかわかりませんが、まあ、悪くないのじゃないでしょうか。
☆ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らす日本全国お百度参り は、
神奈川県では
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
に次いで、この荏柄天神社が3社目です。
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
意富比神社 末社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
白井市(白井市河原子の)天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
千葉神社 摂社 千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
今後も続きます。
(2014.1.12.)
☆『救援ノート 改訂第9版』(2011改訂。救援連絡センター)は
⇒http://qc.sanpal.co.jp/info/1143/
鎌倉市の荏柄天神社(えがらてんじんじゃ)に参拝いたしました。 数年前、鎌倉宮に参拝した帰りに荏柄天神社に寄ったことがあり、今回は2度めの訪問です。
祭神は言わずと知れた冤罪を晴らす神さま・怨念を晴らす神・菅原道真のはずなのですが、荏柄天神社でいただいた由緒書には≪ [御祭神] 菅原道真公 ≫と書かれているのですが、鎌倉商工会議所監修・かまくら春秋社編『鎌倉観光文化検定 公式テキストブック』(2007.4.3. かまくら春秋社)には、≪祭神は菅原道真、八雲大神(やくものおおかみ)(須佐男尊 すさのおのみこと)。≫と出ています。
名称は荏柄天神社(えがらてんじんじゃ)が一般的ですが、『鎌倉観光文化検定 公式テキストブック』には≪鎌倉でも古い神社で、荏柄天満宮 とも称された。≫と出ています。 また、『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』(1994.12.20. 鎌倉新書)の「全国天満宮めぐり 鎌倉・荏柄天神社」には、≪ 湘南地方でも代表的な景勝地・二階堂に鎮座。 古くは荏柄(じんべい)山天満宮とも称された。≫と出ています。
『鎌倉観光文化検定 公式テキストブック』には、≪所蔵する『相模國鎌倉荏柄山天満宮略縁起』によると、創建は1104年(長治元)。 にわかにかき曇った天から天神画像が降ってきたのに人びとは恐れ、その場所に社殿を造営し、画像を納めたと伝えられる。≫ ≪源頼朝は幕府の鬼門の守護神として荏柄天神社を崇敬したとされる。≫と出ています。
渡辺秀樹・樽永 編集・渋谷申博・森村宗冬・武内孝夫・樽永 執筆『これだけは知っておきたい 神社入門』(2007.7.27.洋泉ムック)の「こんなときはどの神社に? 神さまご利益ガイド」に≪・・・全国に天神さまを祀った社は一万社以上ともいわれる。 このうち太宰府天満宮(福岡県太宰府市)、北野天満宮(京都府京都市)、荏柄天神社(神奈川県鎌倉市)の三社を日本三大天神という。・・≫、荏柄天神社でいただいた由緒書にも≪関東を中心に各地に分社をもち、福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に三天神社と称される古来の名社です。≫と書かれています。
もっとも、社域は京都の北野天満宮や福岡の大宰府天満宮、あるいは東京都江東区の亀戸天神社・大阪市北区の大阪天満宮ほど広くありません。 鎌倉の神社でも、鶴岡八幡宮のような広さはなく、すぐ近くにある メカケや「逆賊」の言うことばかりききやがって滅私奉公して会社に尽くす従業員を苛めるアホ経営者を懲らしめる神・大塔宮護良親王を祀る鎌倉宮(http://www.kamakuraguu.jp/ )ほどの広さもありません。
[第140回]《冤罪を晴らす神様・菅原道真を祀る 平河天満宮に行ってきました。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html でも述べましたが、全国の天神社・天満宮から3つを三大・・と言う場合、他にも3つの選び方があって、三橋健『図説あらすじでわかる! 日本の神々と神社』(2010.5.15.青春新書)には北野天満宮(京都市上京区)・大宰府天満宮(福岡県)と 防府天満宮(山口県防府市) を「三天神」と言い、 「ウィキペディア-天満宮」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE では、北野天満宮(京都市)・大宰府天満宮(福岡県太宰府市)・防府天満宮(山口県防府市)・大阪天満宮(大阪市)の4つに≪日本三大天神のひとつ≫と書かれており、「ウィキペディア-日本三大天神」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%89%E5%A4%A7%E5%A4%A9%E7%A5%9E には、≪大宰府天満宮・北野天満宮・防府天満宮の3ヶ所をもって日本三天神と称する。 異説として防府天満宮を外して、大阪天満宮、小平潟天満宮等を入れる場合もある。≫と書かれています。
「三大天神」「三天神社」にせよ、「三天神」「日本三大天神」にせよ、別に法律で制定されているわけでもなく、そう言いたい人がいれば言えばいいのであって難しく考えなくてもいいかとは思いますし、自分の所の天神さんを含めて「三大・・」と言いたい「お国自慢」的な気持ちも悪いということはないでしょう。 菅原道真の先祖は大阪府の河内地方の出身らしく、そして、京都に平安京があった時代の人で、福岡県の太宰府に本人は望まない「転勤」をさせられ、死後、京都で仇敵 藤原時平とか大宰府への転勤辞令を出した醍醐天皇とかが「道真の怨霊」のおかげで亡くなったとされるわけです。 道真の怒りを鎮める為に北野天満宮を造営したこと、大宰府天満宮は菅原道真の墓所の場所にあるということを考えると、北野天満宮と大宰府天満宮の2つははずせないと思えます。 そして、道真の先祖が大阪府出身ということで大阪府から1社となると、菅原道真の先祖・土師(はじ)氏の所領があって大宰府へ「転勤」させられる途中に立ち寄って叔母の覚寿尼と別離を惜しんだという場所にあるらしい大阪府藤井寺市の道明寺天満宮か、それとも大阪市内の大阪天満宮かというと、やっぱり大阪市民としては大阪市内に欲しいということから大阪天満宮が3社目に選定となるか・・。 一方、山口県防府市にある防府天満宮は≪菅公祭祀の天満宮は当社の創建をもって最初とし、北野天満宮・大宰府天満宮と共に”日本三大天神“と称されている。≫(『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』「全国天満宮めぐり 山口・防府天満宮」)と主張しているようです。
菅原道真は大阪・京都近辺で活躍し、福岡県に「左遷」なのかどうか、本人は望まなかったらしい「転勤」をさせられて福岡県で亡くなった人で、福岡県に「転勤」で移る途中で山口県の防府その他に立ち寄ったという西日本中心の人なのですが、最近は東京中心に世の中が動いてきているところがあり、東京圏の「政治力」「経済力」は無視しがたいところであり、「三大・・」となると、東京圏に1か所欲しいと考える人もいるでしょう。 戸部民夫『日本の神様がわかる本』(2005.1.5. PHP研究所)では、菅原道真を祀る神社として、北野天満宮(京都市上京区)・大宰府天満宮(福岡県太宰府市) ・ 湯島天神(東京都千代田区) ・ 亀戸天神(東京都江東区) ・ 防府天満宮(山口県防府市)の5社があげられています。 東京の天神社・天満宮としては、社域の広さから考えるならば亀戸天神社、場所として、北に東大本郷キャンパス、南には御茶ノ水の駿台予備校とか明治大・日大・中央大・東京医科歯科大、東には上野の東京芸大があり、大学・予備校が周辺にあっていかにも「受験の神さま」、模擬試験で最低ランクの評価がついた時のコメント「人事を尽くして天命を待て」て、あれ、いったいどういう意味やねんて感じですが、まあ、どうにもならなくなった時の「神頼み」する場所としてはもってこいの立地ということから湯島天神か、この2つが有力ですが、ちょっと渋いところ玄人好みがこの鎌倉市の荏柄天神社でしょう。 で、もし、東京圏から1社となると、妥当な所で、立地から湯島天神か社域の広い亀戸天神か「鎌倉」というブランド力のある荏柄天神社かというところでしょう。
で。 荏柄天神社(えがらてんじんじゃ)の場合は (1)東京圏に1社ほしいという「政治的要請」「時代の力」「世の動き」と (2)「鎌倉」のブランド力 だけではなく、もっと本来的な根拠があります。
≪ 菅公が至誠の人であることは、もう改めて説くまでもないでしょう。
心だに誠の道にかなひなば 折らずとても神やまもらむ
菅公の歌として『歌林四季物語』のなかに見えていますが、この誠こそ”天神さん“の神徳であって、そこから約束事を加護して下さる神としての信仰が発生しました。 北野天満宮には熊野権現と同じように<牛王(ごおう)宝印>があって、約束を守る起請文に用いられています。 この<牛王宝印>というのは、特別の料紙に<北野宮寺牛宝印>を捺したものです。
鎌倉幕府は、諸社の神官たちの起請文を、京都では北野天満宮で書くように定めているほどで、北野社が制約実行の加護神として信仰されていたことが明らかに示されています。 降って『慶長見聞集』には神官の起請文を、関西では北野天神、関東では荏柄(えがら)天神で書かせたということが記されています。 ≫
(『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』(1994.12.20. 鎌倉新書) 「天神信仰の誕生 正直の神」 )
『慶長見聞集』とは何ぞや、というと、《ウィキペディア―慶長見聞集》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B6%E9%95%B7%E8%A6%8B%E8%81%9E%E9%9B%86 によると、≪慶長見聞集(けいちょうけんもんしゅう)は、江戸時代初期に三浦茂正によって書かれた仮名草子形式の随筆。別名・江戸物語(えどものがたり)。全10巻10冊。≫ ≪「見しは今」「聞きしは今」などで始まる130余りの話から構成され、慶長・元和期の江戸の風俗・風景などが描き出されている。江戸幕府成立期の江戸の姿を知るうえで貴重な史料である。≫そうです。
≪約束事を加護して下さる神≫である以上、従業員の給料払わずちょろまかして逃げる悪徳経営者やそのテカ(手下)・その仲間は、「ゴースン、サンダー!」て感じで懲らしめてくださることでしょう。
※「ゴースン、サンダー!」を知らない方は、
⇒《YouTube‐タイガージョーの最後・・・(怪傑ライオン丸より) 》http://www.youtube.com/watch?v=z8FUiLutOI4
≪神官の起請文を、関西では北野天神、関東では荏柄(えがら)天神で書かせた≫という記載があるとなると、もしも、東京都・神奈川県から1社として、荏柄天神社が俄然有利になってきます・・・。 関西人としては、京都に1社・大阪に1社・福岡県に1社の「三大・・」のつもりであったのが、またもや、大阪天満宮がはずされて神奈川県鎌倉市の荏柄天神社が選定されるとなると、なんだか、南海ホークスがなくなって福岡ダイエーホークスになり、近鉄バッファローズがなくなって東北楽天イーグルスができて、もともと、パリーグには阪神間に3球団あったのが、今や関西にはセリーグの阪神とパリーグの東京オリックス大阪営業所みたいなオリックスバッファローズというどっちが名字でどっちが名前かはっきりせえみたいなチームの2チームになってしまって、関西、特に大阪の経済的地盤沈下は嘆かわしい・・・とも思えてきます。
⇒《YouTube-南海ホークスさあ行こう!(復刻ユニフォーム記念)》南海ホークスさあ行こう!(復刻ユニフォーム記念)http://www.youtube.com/watch?v=jwFtLsqd_ys
《YouTube-阪急ブレーブス球団歌》http://www.youtube.com/watch?v=XvI0PjzAtOc
でも、まあ、「三大・・」というのは、そうこだわらなくたっていいんじゃない、べつに・・・、というところで、お写真を出させていただきましょう。↓
↑ 拝殿。
↑ 写真はすべてクリックすると大きくなるので、ぜひ、大きくして見てください。扉に梅の紋が入っているのが見えます。
↑ 社殿、左側から見たもの。 (左)本殿。重要文化財。 (中央)弊殿。 (右)拝殿。
↑ 社殿、右側から見たもの。 (左)拝殿。 (中央)弊殿。 (右)本殿。重要文化財。
『鎌倉観光文化検定 公式テキストブック』には、≪本殿は鎌倉最古の木造建築(国重文)、社宝に憤怒の表情で「怒り天神」の名で知られる木造天神坐像(国重文)、木造天神立像(国重文)がある。≫と出ています。 よく見ると≪本殿は鎌倉最古の木造建築(国重文)≫であって、重要文化財に指定されている建物は本殿であって、拝殿・弊殿は重要文化財には指定されていないのです。 これは、≪関東大震災でも被害を受け、幣殿と拝殿は震災以降の再建である。≫(《ウィキペディア―荏柄天神社》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%8F%E6%9F%84%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE )ことによるようです。
本殿は、≪三間社流造、銅板葺き。寛永元年(1624年)に鶴岡八幡宮若宮の旧本殿を譲り受け移築したものである。若宮旧本殿は正和4年(1315年)の鎌倉大火の後、翌正和5年(1316年)に建立された。記録によれば、中世、近世を通じてたびたび修理が行われているが、社殿全体が再建された記録はない。移築と度重なる修理を経ているとはいえ、鎌倉地方における中世建築の稀少な遺構の一つである。 ≫(《ウィキペディア―荏柄天神社》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%8F%E6%9F%84%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE )そうです。
↑ 摂社 熊野権現社。
鎌倉の山には、このような横穴がよくあります。 この近くの鎌倉宮には、「大塔宮護良親王(おおとうのみや もりながしんのう 〔もしよししんのう〕)が幽閉されていた土牢」という横穴がありますが、まあ、たぶん、それはお話であって、実際は違うと思うのですが、そういう由緒・お話でも作りたくなるような横穴があちらこちらにあります。
鎌倉市二階堂74 にあります。 最寄駅はJR横須賀線「鎌倉」・江ノ島電鉄「鎌倉」です。すぐ目の前に「天神前」というバス停がありますが、鎌倉は「歩ける街」「歩く町」なので、駅から歩きました。 特に体が不自由でない方には駅から歩くのをお勧めします。
帰りに参道脇の店(「天満亭」でしょうか)で「梅ジュース」を飲んで帰りましたが、けっこうおいしかった。
↓ 帰り道、鎌倉のこの場所の雰囲気を壊さないように配慮しながらもおしゃれなデザインを実現しようという工夫が見られる建物でなかなか・・と思ったのですが、何の建物かわかりませんでした。 帰宅後、ヤフー地図で見ると、「則道舎」とでており雑居ビルのようです。
鎌倉市は歴史のある街だけに景観保存のための法規制が厳しく、住宅建築業のハウスメーカーの者は苦労する場合が多く、又、不動産業の者も法規制を十分に調べないと、自分の土地であってもほとんど自分の自由にならない場合があると言われます・・・が、逆に、「建築家というに値する建築家」、要するに、「自称 建築家」とか「ベレー帽かぶったり、ヒゲはやしたり、真っ赤なスポーツカーに乗ったりすれば『建築家』と思っているおっさん」とか「一級建築士かニ級建築士の資格を取得すれば建築家と思っている人」とか「設計事務所を設立すれば建築家と思っている人」とか「建築学科を卒業すれば右も左もわからない若造でも建築家と思っている人」とかのことではなく、本当に理工系の建築知識だけでなく歴史や文化に造詣・理解もある人としての建築家にとっては、戸建住宅にせよ、店舗にせよ、集合住宅にせよ、雑居ビルにせよ、取り組みがいのある場所ではないかと思います。
↑ JR横須賀線「鎌倉」駅。 ありきたりではなく、鎌倉に合ったデザインの駅にしようという工夫が見られるところがいいですね。
千葉県のJR総武線沿線から鎌倉に行く場合、JR総武線の快速は東京からそのまま横須賀線に入るので乗り換えなしで「鎌倉」・「北鎌倉」まで行けますが、けっこう時間はかかります。 帰り、鎌倉駅では相当人が多かったのですが、大船駅で降りる人が多くすぐ座れました。
荏柄天神社から鎌倉駅までの途中、県道204号から分岐する三叉路の名称が↓
↑何と読むのかと思ったら、「岐れ路」と書いて、「きれじ(切れ痔?)」ではなく「わかれみち(Wakaremichi)」と読むそうです。
[第13回]《ツーバイフォー工法の構造現場と考察(3)~千葉市・星久喜モデルハウス【2】 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201102article_10.html の下の方で、千葉市中央区星久喜(ほしぐき)町に「三叉路(さんさろ)」という名前のバス停があることを紹介させていただきましたが、「三叉路(さんさろ)」も悪くありませんが、「岐れ路」で「わかれみち」もなかなか・・。 「わかれ」を「分かれ」でも「別れ」でもなく「岐かれ」とし、「みち」を「道」ではなく「路」とするあたりが、「鎌倉っぽ~い♪」・・・・かどうかわかりませんが、まあ、悪くないのじゃないでしょうか。
☆ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らす日本全国お百度参り は、
神奈川県では
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
に次いで、この荏柄天神社が3社目です。
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
意富比神社 末社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
白井市(白井市河原子の)天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
千葉神社 摂社 千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
今後も続きます。
(2014.1.12.)
☆『救援ノート 改訂第9版』(2011改訂。救援連絡センター)は
⇒http://qc.sanpal.co.jp/info/1143/
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