住宅建築業界職歴詐称を見破る方法(6)―「販売は断られた時から始まる」の意味を誤解している人
[第236回]営業と会社の話(56)‐6
25年程前、木質系住宅建築請負業のK住研に新卒入社した時、新卒新入社員研修で、実際には正しくない「営業の神話」「営業の俗説」というものがあるという話を聞いた。
1. 「営業はよくしゃべる」⇒正しくない。
そういう営業も中にはいるかもしれないが、それは売れるか売れないかとは関係ない。「よくしゃべる営業」が「売れる営業」というわけでもない。
「『話す』のと『聞く』のには、同じだけの効果がある」
「あまりぺらぺらしゃべる営業は、軽く感じられる場合もある」
2.「営業は嘘つきだ」⇒正しくない。
「世の中には嘘をついて人をだますような営業もあるかもしれないけれども、小堀住研の営業はそういう嘘をついて人をだます営業とは営業は営業でも営業が違う」と言われた。「本当のことをきっちりと伝えるのが営業」と。
3.「営業は感じ悪い」⇒正しくない。
「営業は感じ悪い」のではなく「世の中には感じ悪い営業がいる」ということだ。 「感じ悪い」営業をしてはならない。「感じ悪い」営業になってはならない。
4.「お客様は神様です」⇒正しくない。
「お役様は人間。人間として尊重する」と。
そして、
5.「販売は断られた時から始まる」⇒正しくない。
「世の中には、断られても断られてもおかまいなしにおしかけろ、というような会社・営業もあるかもしれないけれども、K住研の営業はそういう営業ではない。」 「営業は断られてはおしまい。断られないようにする」
と言われたのだ。
2についてだが、1970年代前半、自民党の田中角栄が総理大臣になったが、田中角栄は子供の頃、「どもり」であったそうで、大人になってそれを克服したといっても、あまりぺらぺら話すのは得意の方ではなかったらしい。今でも、時々、その頃の田中角栄の画像がテレビにでることがあるが、最近、テレビで放送されたその頃の画像を見ると、政策がどうかは別として、もし、営業マンだったなら、田中角栄はすばらしい話し方をしていると思った。子供の頃、「どもり」であった人でも人の気持をつかむ話し方はできるようだ。口の動きが早い人間が「売れる営業」というわけでもないということになるでしょう。
その前提で「建築の住宅の営業」の仕事をして、たしかにそうだと思ったのだが、4番目の「販売は断られた時から始まる」については、ダイヤモンド社から、アメリカ合衆国の団体生命保険の営業をやってきたエルマー=レターマンという人が書いた『販売は断られた時から始まる』(松永芳久訳 1953.原書発行。1964.日本語訳発行。1982.新装。ダイヤモンド社)を、1980年代の終わり、同社入社1年目の後半くらいに書店で買って読むと、この本には、たしかに、「販売は断られた時から始まる」という内容が書かれていたのではあるけれども、その意味は、「断られても断られてもおかまいなしにあつかましく押しかけて強引に売りつけろ」というようなそういう意味では書かれていなかったのです。
エルマー=レターマン『販売は断られた時から始まる』(松永芳久訳。1953.原書発行。1964.日本語訳発行。ダイヤモンド社)に書かれていた「販売は断られた時から始まる」という意味は1種類ではなく何通りかの意味で書かれていたのですが、
【1】 ≪ 第一次大戦終了後、私は海兵隊士官として中国に派遣されていたおり、不幸にも負傷を受けた。もともと私は、軍人として生活を送るつもりであったが、この負傷のため、それができなくなったのである。・・(略)・・そしてバキューム・クリーナー(電気掃除機)のセールスマンになった。
名ばかりのおそまつな事務所を一応の拠点として、私は実物説明用の掃除機を肩に背負い、毎日一軒ごとに各家庭を訪ねて回ったが、どこへ行っても、「いりません」の連続で、断られるばかりであった。
私が販売の仕事に携わったのは、あながち負傷のためだけではない。生来私は意志が強く、かなり強情だから、セールスマンになったともいえるのである。だが、仕事を始めてから三週間近くというものは、一台も売れなかった。この間に、私はスポカネにあるじゅうたんの半分は掃除して回ったといえるほど働いたが、一台もさばけなかったのである。
友人の中には、頭を振りながら、「かわいそうにエリックはセールスマンには向かないんだよ」と、陰でささやくものも現れる始末であった。しかし私としては、私の説明を聞いていうも「いりません」の一点ばりで、「では、いただきましょう」という婦人が町に一人もいないものとは、どうしても考えられなかったのである。
ところが、ある日、ついに一台売り込めたのである。私は喜びの笑みをたたえてその家を後にした。私は新しい自信を得て、この顧客の家を去ったのである。ついに私は、セールスマンになった! いつもと違っていたこの面談の中で起こったいろいろなこと、売込みがまとまるまでのいきさつをよく検討してみた。そして、その後の数日間に、たちまち七台の掃除機を販売したのである。
私はこの本の題名を地でいったわけである。・・・≫
(『販売は断られた時から始まる』 エリック=ジョンストン(アメリカ映画協会会長)「E=レターマン『販売は断られた時から始まる』への まえがき」 『販売は断られた時から始まる』P.1~P.2)
ここでは、販売の仕事を職業としておこなった人間として、何から始まったかというと「断られる」という経験から始まった。そして、売れた時、どこが違ったかを検討したというところから、「販売」の仕事は始まった、ということが述べられている。 「売れた、苦労しなくても大量に売れた」というところから「販売は」「始ま」ったのではなく、「販売は」「いりません」と「断られた」ところから「断られた時から」「始ま」った、ということが述べられていたのだ。「いりません」と言っている相手に相手の意志も気持もおかまいなしに無理にでも売りつけろと述べられているのではなく、販売の仕事をやってきたが、最初、どこから何から始まったかというと、「断られた時から始ま」った、と述べられていたのだ。
千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング有限会社(建設業)にいたU草Aニが、「ぼく、営業やったことないですけど営業できますから」と無神経な文句を大きな顔して大きな声で何度も何度もぬけぬけぶたぶたと口にしていたが、この本を読み、そして、実際に、営業の仕事をしてこの本に書かれていたものについて、何点か「なるほど」と思うものを感じた者としては、「何をぬかすか」とあきれもするし、その文句にどう返答するかというと、
「ああ、そうですか」・・・とでも言うしかない。 営業・販売の仕事は、最初、できると思って始めたか、できないと思って始めたかにかかわらず、「断られた」時から始まる、といえるだろう。 自分は10くらいの成果を出せるだろうと思ってやってみたら12の成果が出たという場合もあるかもしれないが、10くらいの成果が出るだろうと思ってやったら8の成果しか出なかった、それならまだいいが、10くらいの成果が出るだろうと思ってやったら1か2しか成果が出なかった、あるいは、10の成果が出てこのくらいのものだろうと思ったらもっと売れないとだめだと上役から文句を言われた・・・・という経験から、販売・営業の仕事は始まる、と思う。 そこから、「なぜ売れないのか」「なぜ売れるのか」「どうしたら売れるのか」を考えて、少しずつ身につけていくものだと思う。
「ぼく、営業やったことないですけど、ぼく、営業できますから」・・と言われても・・→「ああ、そうですか」と言うしかない。
【2】 ≪ユニオン・セントラル生命保険会社のチャ―ルス・B・ナイト代理店は、保険会社の代理店としては世界一大きいといわれている。このナイト代理店の店主に弱冠三三歳で就任したチャ―ルス・N・バートンは私にとっては忘れがたい教訓をつぎのように話してくれた。
「私はどの商談に際しても、なるべく早く相手に『ノー』といわせるように仕向けている。 程度の差はあろうが、だれでも『ノー』といいたい気持、反対したい気分を持っているものだ。これは吐き出させねばならない。したがって、私は商談のはじめに『ノー』といわせるようなたずね方をする。そして相手がひとたび『ノー』といったら、即座に『なぜでしょうか』という勧誘上非常に重大な意義のある言葉を使って応対する。一度『ノー』といった人は、こうして応対しているうちに、なぜ買わないかという理由を話だすものだ。『イエス』という返事は、私にとってびんの中にある葡萄酒である。『ノー』という返事はびんの栓である。びんの栓を抜かないかぎり、中身のうまい酒は味わえない」
反論とは、もっと詳しい話を聞きたいという要求である。勧誘の初めから終わりまでのあいだに、こうした要求、すなわち反論を耳にしないで話をまとめようと考えるのは考えるほうがまちがいである。≫
(E=レターマン『販売は断られた時から始まる』「7. 口実を反論と勘違いするな」 )
ここでは、今、購入を決めない理由・契約しようと決心できない理由が何かあり、それが解消されれば購入する・契約する可能性が高くなるという状況では、むしろ、「ノー」という言葉を口に出してもらって、その上で、買わない理由・契約しようと決めかねている理由を述べてもらい、それを解消する、不安に思っている点を説明するということができるようにするべきだ、ということが述べられている。 ここでは、「販売は断られた時から始まる」という言葉は≪見込客が買おうと決めかねている理由・契約しようと決心しかねている理由を知ることから販売は始まる、それを知り、買わない・契約しない条件を解消できるか、不安に思っているものを説明して納得してもらえるか、というのが次の段階になる≫という意味で語られている。 客が「いりません」とはっきりと意志表示しているのに、おかまいなしに人の気持も考えないで売りつけようという態度を勧めているのではない。
建築業もおこなっているが売買の不動産業の方が中心という千葉県八千代市に本社があるT海住宅のH店にいた時、その方の予算から考えて購入できるのはこのあたりかと思える物件を何者かの不動産会社が紹介したが買おうという決断に至らずにおられた見込客の方がおられた。私は、八千代市内で建築条件のない仲介物件の土地を見に行ってもらったが、買おうという気持になっていだだくことはできなかった。次に、船橋市北東部の土地を紹介したが、やはり、購入しようということにはならなかった。 この2回目については、私が案内する際の要領を把握するために下調べに行きたいと言ったのだが、店長になっていたT中が「俺が一緒に行くから大丈夫だ。俺はこのあたりについてはすべて完全に熟知しているんだ。」と言うのでそれならと思ったが、行ってみると彼はそれほどわかっていなかった。そのため、案内の経路が適切と言えないところがでてしまったということもあった。3度目に、四街道市の土地を「店長」のT中は同行させに方がむしろいいと判断して彼は放っておいて私が案内したところ、購入しようということになった。
なぜ、購入しようという気持になってもらえたかというと、理由は2つある。1つは、2回目に案内前に自分が十分に周辺の経路や周辺の施設を把握できかねている状態で「店長」のT中が「俺が一緒に行くんだから、俺がいる以上はこのあたりのことはどんなことでもわかる」と嘘ばっかりついて、自分が勤める会社の「店長」の言うことなんだからと思って私がそれを信じてしまったことが失敗だったと深く反省し、案内の前に、ほとんど1日かけて、案内しようとしている土地物件の周辺を自分ひとりだけクルマに乗って走りまわり、道路地図などまったく見なくても余裕でその周辺を走り回れるようにして、かつ、その地域の学校・幼稚園や買い物施設などがどこにあるか、銀行・郵便局は何銀行の支店・ATMがどこにあるかを把握して、歩けば何分かかるかも実際に歩いて時間を測り、店舗には中に入ってどこで何を売っているかも把握して、高圧電線他好まない施設までの距離はどれほどかもきっちりと把握し、案内する土地から学校・幼稚園や買い物施設までの経路をどう走って案内すれば理解してもらえやすいかも熟慮し、どういう経路で走り、どこを歩いてもらうといいかも考えて最高の順路で案内したこと。
そして、2つ目の理由は、1回目の八千代市の土地を見てもらった時、単に「ノー」の返事だけもらったのではなく、どういう点で「ノー」なのかをきき、そして、それを克服したような土地である船橋市北東部の土地を2回目に案内して、そこも「ノー」と返事された時、どういう点が「ノー」なのかをきき、そして、そこから、この人は何を求めているのか、どういう点を重視しているのかを理解して、1度目の土地より2度目の土地、それよりさらに希望に近い3度目の土地と、だんだんと希望に近いものに近づいていったのだった。 だから、実際に現地に行って見てもらった物件はそう多くなかったが、だんだんと希望に近いものに寄って行ったんであり、その案内のしかたは成功だった。
1996年、オリックスブルーウェーブがパ・リーグで優勝し、日本シリーズでも巨人を破って優勝した時、監督の仰木彬は「オリックスは巨人のように一流の選手ばかり集めるということはできない。 しかし、『二流の選手』といっても、すべての面が二流であるわけではない。 全体としては一流選手でなかったとしても、ある面において一流の部分、超一流の部分をもっていて他が二流という選手もいる。 そういう選手の一流・超一流の部分を発揮させるようにして二流・三流の部分を相手に知られないようにして起用すれば、1.5流や2流の選手が大半のチームでも巨人のような1流の選手ばかりのチームに勝てるんだ」と話したというのを雑誌か新聞か何かで読んだ。(⇒《ウィキペディア―1996年の日本シリーズ》http://ja.wikipedia.org/wiki/1996%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA ) この3度目に案内した所を購入したいということになった方には、何社もの不動産屋の営業がその方の予算から考えて購入できそうな物件でその不動産屋から遠くない、その見込客の現住所から遠くない場所のものをいくつか探し出して紹介したが納得してもらえなかった。予算から考えてこのあたりだろうと思えるのに、なぜ納得してもらえないのかと多くの不動産屋の営業が思ったようだが、発想を変えて、その人が何を重視して何はそれほど重視していないかということを考えて、重視している部分については1流の条件の土地で、重視していない部分については2流以下の条件の土地でもいいとすれば、その見方で考えれば、そう無茶苦茶高い価格でなくても探せる可能性がでてきたのだ。すべてにおいて1流の条件の土地となれば価格も一流の価格になってしまうが、特に重視する条件について1流の土地で他の条件は1流でなくてもいい、という視点で、かつ、その人が重視する条件というのは何なのか? と誠実に考えてききだすことができるかどうか、だった。
千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング有限会社(建設業)の社長 長○川 Sニが長○川の妻 長○川 ◇華 の中学校の時からの友人だということで特にその職種に職歴があるわけでもなく学歴があるわけでもなく資格を持っているわけでもないのに相場よりも相当高い給料で勤務していた事務員のO竹 加◇子のいとこN様に千葉市内の土地を10か所以上も案内したと聞き、私は自分自身がその見込客になったつもりで、自分でクルマを運転してその10か所以上をまわってみたが、まあ、よくもこれだけ「だめぶつオン―パレード」みたいな物件案内したものだ、その見込客Nさんもよくこれだけつきあったなという感じがした。 結論を言うと「『しろうと』のやること」で、職業としてやる不動産屋ならありえない案内のしかただった。それだけ何か所も回って、結局、どういう所がいいのか、どういうものは嫌なのか、ということをききだすということが長○川はまったくできていなかった。 「ノー」の理由をきっちりと聞きだすことができれば3か所目くらいで希望に近い場所にたどりつくはずで、物件案内するなら、少しずつでも希望に近いものに近づいて行くように案内するべきなのだ。 だから、数多く行けばいいというものでもないのだ。 ここでは、≪「ノー」の理由を知ること≫から販売は始まる、という意味で「販売は断られた時から始まる」という言葉が使われている。
【3】 ≪・・反対論が出た場合、これに打ち勝つには、商品についての知識よりも、さらに重要な条件が一つある。この条件とは、反対論と口実との違いを見きわめる才能のことである。これは非常に重要な点である。というのは、この二つは昼と夜のようにはっきりしたものだからである。・・・・
・・反対論とは、いったい何であろうか。反対論とは、まだ見込客の決心がまとまらず、見込客のため、あるいはその人の会社のために、正確な回答を望んでいる状態にあるとき、その人の善意から出た正当な論議であるといいたい。 要するに、この見込客は、まだ納得がいく説明を聞いていない人か、あるいは勧誘を受けている特定のものについて、まだ疑問を抱いている人である。
では、口実とはどんなことをいうのであろうか。私の経験と、逃げ口上ばかりいっている人びとをよく検討してみたところ、口実とは、売買の締結をのばそうと考えている人、あるいはまったく買う気持のない人で、しかもセールスマンに向っては、はっきりと「いりません」といいきれない人が使う言葉である。≫
≪ しかし、ある言葉だけをとらえて反論だと思い込んでしまったり、口実だときめてかかるのは早計といわねばならない。したがってセールスマンとしては、この違いをはっきり聞きわけなばならない。さもないと、貴重な時間と労力を無駄に終わらせる結果になる。断る方法として口実を設ける人もある。私としては断るならば、正直に、はっきりと断ってもらいたい。
「ノー」とはっきりいわないで、口実を聞くのは私は嫌いである。実業人は常に誠実廉潔で、善意に満ちていなくてはならない。熟慮の結果拒絶と決定したうえは、その旨をはっきりセールスマンに伝える勇気がなくてはならない。他方、こうした回答を受け入れられないセールスマンは、ものの考え方を改めねばならない。それができないというセールスマンは、別の職を求めるべきである。 口実を設けることは、知識階級のすべきことではない。また長い眼で見て、これは不親切な行為である。なんとなれば、結局まとまらない仕事のために、無益な時間と労力とをかけさせるからだ。≫
≪ 反論に対しては、反対すべき理由はない。それにはただ納得のいく回答があるのみだ。
反論のように見せかけた口実ほど、気にくわぬものはない。≫
(E=レターマン『販売は断られた時から始まる』「7. 口実を反論と勘違いするな」 )
「ノー」という言葉でも、今、買わない理由、購入しようと決めない理由・契約しようと決断できない理由、商品・サービスに対する不安を「反論」として見込客が述べている場合には、それに対しての納得いく回答を述べるべきであり、それは断り・拒絶の意味での「ノー」ではない。 それに対して、見込客が断り・拒絶の意志を持ち、その上で断るための口実を述べている場合もある。その2つを見きわめるべきだ、ということが述べられている。
又、≪熟慮の結果拒絶と決定したうえは、その旨をはっきりセールスマンに伝える勇気がなくてはならない。他方、こうした回答を受け入れられないセールスマンは、ものの考え方を改めねばならない。それができないというセールスマンは、別の職を求めるべきである。≫と、「販売は断られた時から始まる」という言葉を「相手が『要りません』『契約しません』とはっきりと意志表示をしているにもかかわらず、それを無視して売り込もうとするのが営業・販売だという解釈を否定し、その意味に理解して営業・販売はそういうものだと考えている人については≪こうした回答を受け入れられないセールスマンは、ものの考え方を改めねばならない。それができないというセールスマンは、別の職を求めるべきである。≫と、E=レターマンは否定しているのだ。
【4】 ≪ ・・私は心理学者のいう分離性聾者である。要するに、言葉の中にいっこうに耳に通じない言葉がある。私の聴覚は「ノー」という言葉、すなわち、「いりません」とか「たくさんです」という言葉は聞こえないようにできている。 初め三回ほどの「ノー」は全部耳から耳へ抜けてしまい、いわれたのか、いわれなかったのか、まったく「馬の耳に念仏」でなんの反応も示さない。 四度目に「ノー」といわれて初めて耳にかすかな振動を感じる。そこでやっとなにかいったのだなと気づく。だが、これは、「おっしゃることがよくわかりませんので、もっと詳しくお聞きしたいのですが・・・」といったようにとれる。≫
≪ 「ノー」という言葉は、私は一つの信号だと思っている。すなわち、扱っている商品の特質をもっとよく十分に
説明する必要があることを知らせる信号にほかならない、と私は考えている。・・・・
もちろん、「ノー」には、撤回困難なものもある。 こういう疑問の余地のない「ノー」を聞いたのに、なお売り込もうとしても、それは時間の無駄に終わるだけである。 提供するものの特徴を十分見込客に説明し、見込客側でもそのすべてをのみ込んでいながら、買おうとしない場合は、その勧誘の仕事を、たとえ一時的にせよ、打ちきるべきときだと私は思っている。 ≫
≪ しかし、あえて私が「販売は断られた時に始まる」というのは、最初の「ノー」、二番目の「ノー」、三番目の「ノー」はいずれも、これをたやすく、さらに詳しい説明を聞きたいという気持に変えさせてしまえるからである。最初「ノー」といった顧客を最後に「イエス」といわせるのは、口説いて承諾させるという意味ではない。 ≫
(E=レターマン『販売は断られた時から始まる』 「12. 「ノー」という言葉に耳を貸すな」 )
≪私の聴覚は「ノー」という言葉、すなわち、「いりません」とか「たくさんです」という言葉は聞こえないようにできている。≫という文章を読むと、ここでは、相手が拒絶・お断りの意志表示をしてもおかまいなしに売り込め、相手が「いりません」と断っても断ってもしょうこりもなく押しかけろという意味か? と受け取れそうだが、よくよむとそうではない。 「ノー」という言葉でも、「今現在は、まだ、契約しようと決心までは至っていません。もう少しじっくりと検討した上で決めたいと思っています。」という意味の「ノー」もあれば、「まだ、内容について十分に話を聞いていないので、もっと十分に説明してもらいたいと思いますという意思表示はできません」という意味の「ノー」もある。 だから、単に「ノー」という言葉が見込客の口から1回、2回、出たとしても、軽い意味の「ノー」は無視(無聴?)していい、ということで、逆に、≪撤回困難な≫「ノー」が出た場合は≪なお売り込もうとしても、それは時間の無駄に終わるだけである≫≪提供するものの特徴を十分見込客に説明し、見込客側でもそのすべてをのみ込んでいながら、買おうとしない場合は、その勧誘の仕事を、たとえ一時的にせよ、打ちきるべきときだ。≫とE=レターマンは述べているのだ。
もう一度、整理すると、
【1】 エリック=ジョンストンが販売・営業の仕事を始めた時、何から始まったか、どういう経験から始まったかというと、何件もの見込客から「ノー」と言われた経験からであって、何の努力も苦労も工夫もなしに契約してもらえたところから始まったのではない。
【2】 販売・営業にとって、見込客が買わない理由・契約しない原因を知ることが重要。 販売・営業は見込客が買わない理由・契約しない原因を知ることから始まる。
【3】 この点があるから買わない、この問題があるから契約できないという反論に対しては、納得いくように説明し、契約できない問題点を解決するように努力するべきである。
そういう反論なのか、はっきりと拒絶の意志を持ちながら断るための口実として述べられているのかを見分ける必要がある。
販売・営業の仕事に携わる者は、はっきりと拒絶の意志表示を受けた場合にはそれを理解して受け入れなければならない。それができない者は職業を考えなおした方がいい(とまでいうくらいである)。
【4】 初期での軽い「ノー」は無視(無聴?)していい。 撤回困難な「ノー」を撤回させるという意味ではない。
最初に軽い「ノー」を言った見込客に最後に「イエス」と言わせることができるというのは、初期に出てくる軽い「ノー」はそれほど重視しなくていいということであって、営業が無理矢理強引に口説いて承諾させるという意味ではない。
・・ということで、エルマー=レターマンは、この『販売は断られた時から始まる』(The Sale begins When the Customers Says “ No ” )において、
「販売は断られた時から始まる」という言葉を、見込客が「要りません」「買いません」「契約しません」と意志表示をしているのに、おかまいなしに、何度でも何度でも押しかけて、強引に売りつけろ、という意味では、一度も述べていないのです。
原題の、The Sale begins When the Customers Says “ No ” を、私の手元にある1980年代終わり、昭和の終わりに購入した本は『販売は断られた時から始まる』と訳しています。
sale という単語は岩崎民平監修『現代英和辞典』(1973.研究社)には、≪販売、売却、売り渡し、売買、取引、売れ行き、需要、[pl.]販売(促進)活動、・・・ ≫と出ています。 インターネットで検索すると、『販売は断られた時から始まる』という題の本は古書で売られているものがあって、新刊書では『営業は断られた時から始まる』と訳された題での訳本が出版されているようですが、同じ原書によるものだと思います。
在来木造の一条工務店に入社した年、1992年、同社では「住宅展示場に来場時に、長時間アプローチをして、その後は訪問などはしないでお客さんの方から頭を下げてお願いしにくるのを待つんだ」と言っていました。私が「こちらから訪問しないのですか。 『お客さんの方から頭を下げてお願いしにくるのを待つ』なんて、そんなお殿様みたいなことするんですか。 K住研では『3日以内訪問』を絶対にするように言われていましたけれども」と言うと、「それはプレハブのやり方。 プレッハブゥ~ウ!」とか言っていたくせに、それから半年も経たないうちに野村総合研究所だったか三和総合研究所だったかから言われたと言って、「来場から3日以内訪問絶対厳守」と正反対のことを言いだした。なんとも勝手な会社。
東京営業所(江東区)に来場された方で、「うちは10年後に建てる予定なんです。今、来られても建てませんから来ないでください。10年後に必ず考えていますから。」と言われたご夫婦があり、時間としても内容としてもある程度以上のお話をした方だったし、自分たちも、今、来られても困るし、上に引用したレターマンが≪熟慮の結果拒絶と決定したうえは、その旨をはっきりセールスマンに伝える勇気がなくてはならない≫≪口実を設けることは、知識階級のすべきことではない。また長い眼で見て、これは不親切な行為である。なんとなれば、結局まとまらない仕事のために、無益な時間と労力とをかけさせるからだ≫と述べているように、営業の人間にも無駄足を踏ませ無駄な労力をかけさせたくないと配慮されて言われていたのがわかったので、その時、たまたま東京営業所に来ていた営業本部長で不在の東京営業所長を兼任していたA野さんに、この方はそれを話すと、A野さんは「そういう客のところには、特に最低3回以上行け!」と言うので、ちょっと違うように思ったのですが、自分が勤める会社の上役が言う事なので「3日以内訪問」をしましたが、やぱり、「展示場に行った時に話したでしょう。 うちは来られても今は建てませんて。言いましたよねえ。建てるのは10年後です、て言いましたよね。 それを聞いていてどうして来るんですか」と抗議されてしまった。「私も同感なんですが、『どうして来るんですか』というと、うちの営業本部長のA野が『そういう客のところいは特に最低3回以上行け!』というものですから、サラリーマンとしては上役の言う事はきかないわけにもいかないもんですから」と正直に答えたい気持だったのですが、そう言うわけにもいかないので「すいません」と謝って帰りました。 営業所(住宅展示場)に戻った後、その後、営業本部長のA野さんが営業所に来た時、やっぱり、あれは行かない方がよかったですよというつもりでその時の訪問の状況を話したところ、「そうか。そういう客には最低、後10回、行け!」と言うので、この人、ちょっと変だな・・と思いました。この人はなんかちょっと変質的・偏執的だなという印象を受けました。 せめて、その時点でやめておけば、「10年後」の予定が何かの理由で「5年後」に変わったとかいう時に、検討対象として考えてもらえて訪ねてきてもらえる可能性もあり、そうでなくても、5年後くらいに、「10年後と言われてましたけれども、どうされてますか。やっぱり、まだあと5年後くらいで考えてられますか」とご機嫌伺いくらいの調子で訪問すれば、「ああ、あの時はどうも」ということで話もできて、話が進む可能性だってあるのに、どう考えても嫌がらせとしか思えないように、まるで、「ストーカー」みたに、「そういう『来ないでくれ』と言う客のところには特にあと最低2回は行け」とか言うのは、わざわざ嫌われようとしているとしか思えない。来ないでくださいと言われても、それでも訪問した会社の営業の方が印象に残って、建てようとなった時に候補として考えてもらえるという場合もあるので、来ないでくださいと言われてもそれでも一度は訪問した方がいいということはないか?やはり訪問しない方がいいか?という思考はあるとは思いますが、しかし、来ないでくださいと言われてそれでも一度訪問して嫌がられて、まだ執拗に訪問しろというA野さんの思考は「病的」なところが感じられます。 今、考えると、A野なんかに話したのが間違っていた。あれは「ほとんどビョーキ」だ。 エルマー=レターマン『販売は断られた時から始まる』でも読ませてやりたいところだったが、「ほとんどビョーキ」の人というのは・・・→読まない。
その方が、10年後で考えています、今は建てません今は契約しませんとはっきりと言われたのは、その方が≪私としては断るならば、正直に、はっきりと断ってもらいたい。・・実業人は常に誠実廉潔で、善意に満ちていなくてはならない。≫というレターマンの発言のように認識しておられる方であったというのが半分、私がきっちりと言ってもらえるような接客をしたというのが半分。そういう≪誠実廉潔≫に≪正直に、はっきりと≫10年後に考えていて今は契約しませんと≪断って≫おられる人に、「特にそういう人の所には積極的に行け」「そういう人の所には最低3回は行け!」というA野さんの発言は≪こうした回答を受け入れられないセールスマンは、ものの考え方を改めねばならない。それができないというセールスマンは、別の職を求めるべきである≫とレターマンが否定している態度そのものであり、あまり立派な態度とは言えない。
この「販売は断られた時から始まる」という言葉の意味をレターマンが述べているように正しく理解しているかどうか。私は、この点が、その人が営業としてある程度以上の経験者であるか、経験者とはいえないかの判断の基準になると思っている。
前回《(5)マルチ商法・新興宗教にはまる男、職場での「営業違反」の勧誘》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201402article_1.html で述べたことだが、千葉市中央区鵜の森町の 新華ハウジング(有) にいた かじ○ (40代前半。男)が、私が市原市の不動産屋をまわるのに「一緒に行きます」と言って私のクルマに乗りこんできた上で、マルチ商法の「アムウェイ」の勧誘を逃げようのないクルマの中でこちらが嫌がっていてもおかまいなしにえんえんと続け、やっと会社に戻ったと思っても、まだ性懲りもなく続けたということがあった。神道系新興宗教の団体で右翼系政治団体の倫理研究所(=倫理法人会)もこの男が新華ハウジングに持ち込んだ。私が、その団体は問題の多い団体であり、やめてくれと言ってもおかまいなしに職場に持ち込んだ。
かじ○ は「販売は断られた時から始まる」というエルマー=レターマンの言葉の意味が理解できていないということだ。 レターマンはその時の私のようにとことん嫌がっている相手に、相手の気持なんかおかまいなしに無理矢理売りつけろ! という意味で「販売は断られた時から始まる」とは言っていないのだ。 ところが、《(4)ボクシングのラッシュと住宅営業 3日以内訪問、ラッシュをかけない男》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_15.html で述べたケースなどでは超ホット客を1カ月「ほったらかし」にするトンチンカンな低レベル営業のくせに、他方で「嫌がる相手には特に3回以上訪問しろ」という類の「販売は断られた時から始まる」をやるのだ、この男は。
≪疑問の余地のない「ノー」を聞いたのに、なお売り込もうとしても、それは時間の無駄に終わるだけである。≫≪こうした回答を受け入れられないセールスマンは、ものの考え方を改めねばならない。それができないというセールスマンは、別の職を求めるべきである。≫ とエルマー=レターマンははっきりと述べているのである。新華ハウジングの かじ○ はマルチ商法の「アムウェイ」の営業をこのレターマンの考えと正反対の態度でやろうとしたである。 実際のところ、「天地がひっくりかえっても、こいつ、絶対に営業ではないわ」と思った。 彼は、在来木造の菊池建設・桧家住宅で営業をやっていたと自称していたが、嘘である。少なくとも実質的に嘘である。 彼は自分でも履歴書の経歴はある程度粉飾していると話していたが、そうだろう。万一、在籍したことがあったとしても、逃げようのないクルマの中で相手の気持も理解せずに執拗にマルチ商法の勧誘を続けたり、職場でなければ逃げられて人間としても相手にされなくなるやり方でマルチ商法の勧誘を職場であれば逃げようがないからということで執拗無神経に続ける者、E=レターマンが述べている内容と正反対に「販売は断られた時から始まる」という言葉を解釈して実行している人間は、営業の経験があると自称していても、実質的に詐称です。
(2014.2.6.)
☆ 職歴詐称を見破る方法
(1)「床柱ってどんな木を使うんですか」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_8.html
(2)筋交いの入れ方がわからない男 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_13.html
(3)構造現場説明ができない男 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_14.html
(4)ラッシュをかけられない男 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_15.html
(5)マルチ商法にはまる男。営業違反の営業 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201402article_1.html
(7)奥の席にお客さんみたいにちん https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201402article_4.html
(8)自分を見せるか隠すか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201402article_5.html
(9)自社前にクルマを停める者、ポケットに手を突っ込む男https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201402article_6.html
と合わせ御覧くださいませ
25年程前、木質系住宅建築請負業のK住研に新卒入社した時、新卒新入社員研修で、実際には正しくない「営業の神話」「営業の俗説」というものがあるという話を聞いた。
1. 「営業はよくしゃべる」⇒正しくない。
そういう営業も中にはいるかもしれないが、それは売れるか売れないかとは関係ない。「よくしゃべる営業」が「売れる営業」というわけでもない。
「『話す』のと『聞く』のには、同じだけの効果がある」
「あまりぺらぺらしゃべる営業は、軽く感じられる場合もある」
2.「営業は嘘つきだ」⇒正しくない。
「世の中には嘘をついて人をだますような営業もあるかもしれないけれども、小堀住研の営業はそういう嘘をついて人をだます営業とは営業は営業でも営業が違う」と言われた。「本当のことをきっちりと伝えるのが営業」と。
3.「営業は感じ悪い」⇒正しくない。
「営業は感じ悪い」のではなく「世の中には感じ悪い営業がいる」ということだ。 「感じ悪い」営業をしてはならない。「感じ悪い」営業になってはならない。
4.「お客様は神様です」⇒正しくない。
「お役様は人間。人間として尊重する」と。
そして、
5.「販売は断られた時から始まる」⇒正しくない。
「世の中には、断られても断られてもおかまいなしにおしかけろ、というような会社・営業もあるかもしれないけれども、K住研の営業はそういう営業ではない。」 「営業は断られてはおしまい。断られないようにする」
と言われたのだ。
2についてだが、1970年代前半、自民党の田中角栄が総理大臣になったが、田中角栄は子供の頃、「どもり」であったそうで、大人になってそれを克服したといっても、あまりぺらぺら話すのは得意の方ではなかったらしい。今でも、時々、その頃の田中角栄の画像がテレビにでることがあるが、最近、テレビで放送されたその頃の画像を見ると、政策がどうかは別として、もし、営業マンだったなら、田中角栄はすばらしい話し方をしていると思った。子供の頃、「どもり」であった人でも人の気持をつかむ話し方はできるようだ。口の動きが早い人間が「売れる営業」というわけでもないということになるでしょう。
その前提で「建築の住宅の営業」の仕事をして、たしかにそうだと思ったのだが、4番目の「販売は断られた時から始まる」については、ダイヤモンド社から、アメリカ合衆国の団体生命保険の営業をやってきたエルマー=レターマンという人が書いた『販売は断られた時から始まる』(松永芳久訳 1953.原書発行。1964.日本語訳発行。1982.新装。ダイヤモンド社)を、1980年代の終わり、同社入社1年目の後半くらいに書店で買って読むと、この本には、たしかに、「販売は断られた時から始まる」という内容が書かれていたのではあるけれども、その意味は、「断られても断られてもおかまいなしにあつかましく押しかけて強引に売りつけろ」というようなそういう意味では書かれていなかったのです。
エルマー=レターマン『販売は断られた時から始まる』(松永芳久訳。1953.原書発行。1964.日本語訳発行。ダイヤモンド社)に書かれていた「販売は断られた時から始まる」という意味は1種類ではなく何通りかの意味で書かれていたのですが、
【1】 ≪ 第一次大戦終了後、私は海兵隊士官として中国に派遣されていたおり、不幸にも負傷を受けた。もともと私は、軍人として生活を送るつもりであったが、この負傷のため、それができなくなったのである。・・(略)・・そしてバキューム・クリーナー(電気掃除機)のセールスマンになった。
名ばかりのおそまつな事務所を一応の拠点として、私は実物説明用の掃除機を肩に背負い、毎日一軒ごとに各家庭を訪ねて回ったが、どこへ行っても、「いりません」の連続で、断られるばかりであった。
私が販売の仕事に携わったのは、あながち負傷のためだけではない。生来私は意志が強く、かなり強情だから、セールスマンになったともいえるのである。だが、仕事を始めてから三週間近くというものは、一台も売れなかった。この間に、私はスポカネにあるじゅうたんの半分は掃除して回ったといえるほど働いたが、一台もさばけなかったのである。
友人の中には、頭を振りながら、「かわいそうにエリックはセールスマンには向かないんだよ」と、陰でささやくものも現れる始末であった。しかし私としては、私の説明を聞いていうも「いりません」の一点ばりで、「では、いただきましょう」という婦人が町に一人もいないものとは、どうしても考えられなかったのである。
ところが、ある日、ついに一台売り込めたのである。私は喜びの笑みをたたえてその家を後にした。私は新しい自信を得て、この顧客の家を去ったのである。ついに私は、セールスマンになった! いつもと違っていたこの面談の中で起こったいろいろなこと、売込みがまとまるまでのいきさつをよく検討してみた。そして、その後の数日間に、たちまち七台の掃除機を販売したのである。
私はこの本の題名を地でいったわけである。・・・≫
(『販売は断られた時から始まる』 エリック=ジョンストン(アメリカ映画協会会長)「E=レターマン『販売は断られた時から始まる』への まえがき」 『販売は断られた時から始まる』P.1~P.2)
ここでは、販売の仕事を職業としておこなった人間として、何から始まったかというと「断られる」という経験から始まった。そして、売れた時、どこが違ったかを検討したというところから、「販売」の仕事は始まった、ということが述べられている。 「売れた、苦労しなくても大量に売れた」というところから「販売は」「始ま」ったのではなく、「販売は」「いりません」と「断られた」ところから「断られた時から」「始ま」った、ということが述べられていたのだ。「いりません」と言っている相手に相手の意志も気持もおかまいなしに無理にでも売りつけろと述べられているのではなく、販売の仕事をやってきたが、最初、どこから何から始まったかというと、「断られた時から始ま」った、と述べられていたのだ。
千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング有限会社(建設業)にいたU草Aニが、「ぼく、営業やったことないですけど営業できますから」と無神経な文句を大きな顔して大きな声で何度も何度もぬけぬけぶたぶたと口にしていたが、この本を読み、そして、実際に、営業の仕事をしてこの本に書かれていたものについて、何点か「なるほど」と思うものを感じた者としては、「何をぬかすか」とあきれもするし、その文句にどう返答するかというと、
「ああ、そうですか」・・・とでも言うしかない。 営業・販売の仕事は、最初、できると思って始めたか、できないと思って始めたかにかかわらず、「断られた」時から始まる、といえるだろう。 自分は10くらいの成果を出せるだろうと思ってやってみたら12の成果が出たという場合もあるかもしれないが、10くらいの成果が出るだろうと思ってやったら8の成果しか出なかった、それならまだいいが、10くらいの成果が出るだろうと思ってやったら1か2しか成果が出なかった、あるいは、10の成果が出てこのくらいのものだろうと思ったらもっと売れないとだめだと上役から文句を言われた・・・・という経験から、販売・営業の仕事は始まる、と思う。 そこから、「なぜ売れないのか」「なぜ売れるのか」「どうしたら売れるのか」を考えて、少しずつ身につけていくものだと思う。
「ぼく、営業やったことないですけど、ぼく、営業できますから」・・と言われても・・→「ああ、そうですか」と言うしかない。
【2】 ≪ユニオン・セントラル生命保険会社のチャ―ルス・B・ナイト代理店は、保険会社の代理店としては世界一大きいといわれている。このナイト代理店の店主に弱冠三三歳で就任したチャ―ルス・N・バートンは私にとっては忘れがたい教訓をつぎのように話してくれた。
「私はどの商談に際しても、なるべく早く相手に『ノー』といわせるように仕向けている。 程度の差はあろうが、だれでも『ノー』といいたい気持、反対したい気分を持っているものだ。これは吐き出させねばならない。したがって、私は商談のはじめに『ノー』といわせるようなたずね方をする。そして相手がひとたび『ノー』といったら、即座に『なぜでしょうか』という勧誘上非常に重大な意義のある言葉を使って応対する。一度『ノー』といった人は、こうして応対しているうちに、なぜ買わないかという理由を話だすものだ。『イエス』という返事は、私にとってびんの中にある葡萄酒である。『ノー』という返事はびんの栓である。びんの栓を抜かないかぎり、中身のうまい酒は味わえない」
反論とは、もっと詳しい話を聞きたいという要求である。勧誘の初めから終わりまでのあいだに、こうした要求、すなわち反論を耳にしないで話をまとめようと考えるのは考えるほうがまちがいである。≫
(E=レターマン『販売は断られた時から始まる』「7. 口実を反論と勘違いするな」 )
ここでは、今、購入を決めない理由・契約しようと決心できない理由が何かあり、それが解消されれば購入する・契約する可能性が高くなるという状況では、むしろ、「ノー」という言葉を口に出してもらって、その上で、買わない理由・契約しようと決めかねている理由を述べてもらい、それを解消する、不安に思っている点を説明するということができるようにするべきだ、ということが述べられている。 ここでは、「販売は断られた時から始まる」という言葉は≪見込客が買おうと決めかねている理由・契約しようと決心しかねている理由を知ることから販売は始まる、それを知り、買わない・契約しない条件を解消できるか、不安に思っているものを説明して納得してもらえるか、というのが次の段階になる≫という意味で語られている。 客が「いりません」とはっきりと意志表示しているのに、おかまいなしに人の気持も考えないで売りつけようという態度を勧めているのではない。
建築業もおこなっているが売買の不動産業の方が中心という千葉県八千代市に本社があるT海住宅のH店にいた時、その方の予算から考えて購入できるのはこのあたりかと思える物件を何者かの不動産会社が紹介したが買おうという決断に至らずにおられた見込客の方がおられた。私は、八千代市内で建築条件のない仲介物件の土地を見に行ってもらったが、買おうという気持になっていだだくことはできなかった。次に、船橋市北東部の土地を紹介したが、やはり、購入しようということにはならなかった。 この2回目については、私が案内する際の要領を把握するために下調べに行きたいと言ったのだが、店長になっていたT中が「俺が一緒に行くから大丈夫だ。俺はこのあたりについてはすべて完全に熟知しているんだ。」と言うのでそれならと思ったが、行ってみると彼はそれほどわかっていなかった。そのため、案内の経路が適切と言えないところがでてしまったということもあった。3度目に、四街道市の土地を「店長」のT中は同行させに方がむしろいいと判断して彼は放っておいて私が案内したところ、購入しようということになった。
なぜ、購入しようという気持になってもらえたかというと、理由は2つある。1つは、2回目に案内前に自分が十分に周辺の経路や周辺の施設を把握できかねている状態で「店長」のT中が「俺が一緒に行くんだから、俺がいる以上はこのあたりのことはどんなことでもわかる」と嘘ばっかりついて、自分が勤める会社の「店長」の言うことなんだからと思って私がそれを信じてしまったことが失敗だったと深く反省し、案内の前に、ほとんど1日かけて、案内しようとしている土地物件の周辺を自分ひとりだけクルマに乗って走りまわり、道路地図などまったく見なくても余裕でその周辺を走り回れるようにして、かつ、その地域の学校・幼稚園や買い物施設などがどこにあるか、銀行・郵便局は何銀行の支店・ATMがどこにあるかを把握して、歩けば何分かかるかも実際に歩いて時間を測り、店舗には中に入ってどこで何を売っているかも把握して、高圧電線他好まない施設までの距離はどれほどかもきっちりと把握し、案内する土地から学校・幼稚園や買い物施設までの経路をどう走って案内すれば理解してもらえやすいかも熟慮し、どういう経路で走り、どこを歩いてもらうといいかも考えて最高の順路で案内したこと。
そして、2つ目の理由は、1回目の八千代市の土地を見てもらった時、単に「ノー」の返事だけもらったのではなく、どういう点で「ノー」なのかをきき、そして、それを克服したような土地である船橋市北東部の土地を2回目に案内して、そこも「ノー」と返事された時、どういう点が「ノー」なのかをきき、そして、そこから、この人は何を求めているのか、どういう点を重視しているのかを理解して、1度目の土地より2度目の土地、それよりさらに希望に近い3度目の土地と、だんだんと希望に近いものに近づいていったのだった。 だから、実際に現地に行って見てもらった物件はそう多くなかったが、だんだんと希望に近いものに寄って行ったんであり、その案内のしかたは成功だった。
1996年、オリックスブルーウェーブがパ・リーグで優勝し、日本シリーズでも巨人を破って優勝した時、監督の仰木彬は「オリックスは巨人のように一流の選手ばかり集めるということはできない。 しかし、『二流の選手』といっても、すべての面が二流であるわけではない。 全体としては一流選手でなかったとしても、ある面において一流の部分、超一流の部分をもっていて他が二流という選手もいる。 そういう選手の一流・超一流の部分を発揮させるようにして二流・三流の部分を相手に知られないようにして起用すれば、1.5流や2流の選手が大半のチームでも巨人のような1流の選手ばかりのチームに勝てるんだ」と話したというのを雑誌か新聞か何かで読んだ。(⇒《ウィキペディア―1996年の日本シリーズ》http://ja.wikipedia.org/wiki/1996%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA ) この3度目に案内した所を購入したいということになった方には、何社もの不動産屋の営業がその方の予算から考えて購入できそうな物件でその不動産屋から遠くない、その見込客の現住所から遠くない場所のものをいくつか探し出して紹介したが納得してもらえなかった。予算から考えてこのあたりだろうと思えるのに、なぜ納得してもらえないのかと多くの不動産屋の営業が思ったようだが、発想を変えて、その人が何を重視して何はそれほど重視していないかということを考えて、重視している部分については1流の条件の土地で、重視していない部分については2流以下の条件の土地でもいいとすれば、その見方で考えれば、そう無茶苦茶高い価格でなくても探せる可能性がでてきたのだ。すべてにおいて1流の条件の土地となれば価格も一流の価格になってしまうが、特に重視する条件について1流の土地で他の条件は1流でなくてもいい、という視点で、かつ、その人が重視する条件というのは何なのか? と誠実に考えてききだすことができるかどうか、だった。
千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング有限会社(建設業)の社長 長○川 Sニが長○川の妻 長○川 ◇華 の中学校の時からの友人だということで特にその職種に職歴があるわけでもなく学歴があるわけでもなく資格を持っているわけでもないのに相場よりも相当高い給料で勤務していた事務員のO竹 加◇子のいとこN様に千葉市内の土地を10か所以上も案内したと聞き、私は自分自身がその見込客になったつもりで、自分でクルマを運転してその10か所以上をまわってみたが、まあ、よくもこれだけ「だめぶつオン―パレード」みたいな物件案内したものだ、その見込客Nさんもよくこれだけつきあったなという感じがした。 結論を言うと「『しろうと』のやること」で、職業としてやる不動産屋ならありえない案内のしかただった。それだけ何か所も回って、結局、どういう所がいいのか、どういうものは嫌なのか、ということをききだすということが長○川はまったくできていなかった。 「ノー」の理由をきっちりと聞きだすことができれば3か所目くらいで希望に近い場所にたどりつくはずで、物件案内するなら、少しずつでも希望に近いものに近づいて行くように案内するべきなのだ。 だから、数多く行けばいいというものでもないのだ。 ここでは、≪「ノー」の理由を知ること≫から販売は始まる、という意味で「販売は断られた時から始まる」という言葉が使われている。
【3】 ≪・・反対論が出た場合、これに打ち勝つには、商品についての知識よりも、さらに重要な条件が一つある。この条件とは、反対論と口実との違いを見きわめる才能のことである。これは非常に重要な点である。というのは、この二つは昼と夜のようにはっきりしたものだからである。・・・・
・・反対論とは、いったい何であろうか。反対論とは、まだ見込客の決心がまとまらず、見込客のため、あるいはその人の会社のために、正確な回答を望んでいる状態にあるとき、その人の善意から出た正当な論議であるといいたい。 要するに、この見込客は、まだ納得がいく説明を聞いていない人か、あるいは勧誘を受けている特定のものについて、まだ疑問を抱いている人である。
では、口実とはどんなことをいうのであろうか。私の経験と、逃げ口上ばかりいっている人びとをよく検討してみたところ、口実とは、売買の締結をのばそうと考えている人、あるいはまったく買う気持のない人で、しかもセールスマンに向っては、はっきりと「いりません」といいきれない人が使う言葉である。≫
≪ しかし、ある言葉だけをとらえて反論だと思い込んでしまったり、口実だときめてかかるのは早計といわねばならない。したがってセールスマンとしては、この違いをはっきり聞きわけなばならない。さもないと、貴重な時間と労力を無駄に終わらせる結果になる。断る方法として口実を設ける人もある。私としては断るならば、正直に、はっきりと断ってもらいたい。
「ノー」とはっきりいわないで、口実を聞くのは私は嫌いである。実業人は常に誠実廉潔で、善意に満ちていなくてはならない。熟慮の結果拒絶と決定したうえは、その旨をはっきりセールスマンに伝える勇気がなくてはならない。他方、こうした回答を受け入れられないセールスマンは、ものの考え方を改めねばならない。それができないというセールスマンは、別の職を求めるべきである。 口実を設けることは、知識階級のすべきことではない。また長い眼で見て、これは不親切な行為である。なんとなれば、結局まとまらない仕事のために、無益な時間と労力とをかけさせるからだ。≫
≪ 反論に対しては、反対すべき理由はない。それにはただ納得のいく回答があるのみだ。
反論のように見せかけた口実ほど、気にくわぬものはない。≫
(E=レターマン『販売は断られた時から始まる』「7. 口実を反論と勘違いするな」 )
「ノー」という言葉でも、今、買わない理由、購入しようと決めない理由・契約しようと決断できない理由、商品・サービスに対する不安を「反論」として見込客が述べている場合には、それに対しての納得いく回答を述べるべきであり、それは断り・拒絶の意味での「ノー」ではない。 それに対して、見込客が断り・拒絶の意志を持ち、その上で断るための口実を述べている場合もある。その2つを見きわめるべきだ、ということが述べられている。
又、≪熟慮の結果拒絶と決定したうえは、その旨をはっきりセールスマンに伝える勇気がなくてはならない。他方、こうした回答を受け入れられないセールスマンは、ものの考え方を改めねばならない。それができないというセールスマンは、別の職を求めるべきである。≫と、「販売は断られた時から始まる」という言葉を「相手が『要りません』『契約しません』とはっきりと意志表示をしているにもかかわらず、それを無視して売り込もうとするのが営業・販売だという解釈を否定し、その意味に理解して営業・販売はそういうものだと考えている人については≪こうした回答を受け入れられないセールスマンは、ものの考え方を改めねばならない。それができないというセールスマンは、別の職を求めるべきである。≫と、E=レターマンは否定しているのだ。
【4】 ≪ ・・私は心理学者のいう分離性聾者である。要するに、言葉の中にいっこうに耳に通じない言葉がある。私の聴覚は「ノー」という言葉、すなわち、「いりません」とか「たくさんです」という言葉は聞こえないようにできている。 初め三回ほどの「ノー」は全部耳から耳へ抜けてしまい、いわれたのか、いわれなかったのか、まったく「馬の耳に念仏」でなんの反応も示さない。 四度目に「ノー」といわれて初めて耳にかすかな振動を感じる。そこでやっとなにかいったのだなと気づく。だが、これは、「おっしゃることがよくわかりませんので、もっと詳しくお聞きしたいのですが・・・」といったようにとれる。≫
≪ 「ノー」という言葉は、私は一つの信号だと思っている。すなわち、扱っている商品の特質をもっとよく十分に
説明する必要があることを知らせる信号にほかならない、と私は考えている。・・・・
もちろん、「ノー」には、撤回困難なものもある。 こういう疑問の余地のない「ノー」を聞いたのに、なお売り込もうとしても、それは時間の無駄に終わるだけである。 提供するものの特徴を十分見込客に説明し、見込客側でもそのすべてをのみ込んでいながら、買おうとしない場合は、その勧誘の仕事を、たとえ一時的にせよ、打ちきるべきときだと私は思っている。 ≫
≪ しかし、あえて私が「販売は断られた時に始まる」というのは、最初の「ノー」、二番目の「ノー」、三番目の「ノー」はいずれも、これをたやすく、さらに詳しい説明を聞きたいという気持に変えさせてしまえるからである。最初「ノー」といった顧客を最後に「イエス」といわせるのは、口説いて承諾させるという意味ではない。 ≫
(E=レターマン『販売は断られた時から始まる』 「12. 「ノー」という言葉に耳を貸すな」 )
≪私の聴覚は「ノー」という言葉、すなわち、「いりません」とか「たくさんです」という言葉は聞こえないようにできている。≫という文章を読むと、ここでは、相手が拒絶・お断りの意志表示をしてもおかまいなしに売り込め、相手が「いりません」と断っても断ってもしょうこりもなく押しかけろという意味か? と受け取れそうだが、よくよむとそうではない。 「ノー」という言葉でも、「今現在は、まだ、契約しようと決心までは至っていません。もう少しじっくりと検討した上で決めたいと思っています。」という意味の「ノー」もあれば、「まだ、内容について十分に話を聞いていないので、もっと十分に説明してもらいたいと思いますという意思表示はできません」という意味の「ノー」もある。 だから、単に「ノー」という言葉が見込客の口から1回、2回、出たとしても、軽い意味の「ノー」は無視(無聴?)していい、ということで、逆に、≪撤回困難な≫「ノー」が出た場合は≪なお売り込もうとしても、それは時間の無駄に終わるだけである≫≪提供するものの特徴を十分見込客に説明し、見込客側でもそのすべてをのみ込んでいながら、買おうとしない場合は、その勧誘の仕事を、たとえ一時的にせよ、打ちきるべきときだ。≫とE=レターマンは述べているのだ。
もう一度、整理すると、
【1】 エリック=ジョンストンが販売・営業の仕事を始めた時、何から始まったか、どういう経験から始まったかというと、何件もの見込客から「ノー」と言われた経験からであって、何の努力も苦労も工夫もなしに契約してもらえたところから始まったのではない。
【2】 販売・営業にとって、見込客が買わない理由・契約しない原因を知ることが重要。 販売・営業は見込客が買わない理由・契約しない原因を知ることから始まる。
【3】 この点があるから買わない、この問題があるから契約できないという反論に対しては、納得いくように説明し、契約できない問題点を解決するように努力するべきである。
そういう反論なのか、はっきりと拒絶の意志を持ちながら断るための口実として述べられているのかを見分ける必要がある。
販売・営業の仕事に携わる者は、はっきりと拒絶の意志表示を受けた場合にはそれを理解して受け入れなければならない。それができない者は職業を考えなおした方がいい(とまでいうくらいである)。
【4】 初期での軽い「ノー」は無視(無聴?)していい。 撤回困難な「ノー」を撤回させるという意味ではない。
最初に軽い「ノー」を言った見込客に最後に「イエス」と言わせることができるというのは、初期に出てくる軽い「ノー」はそれほど重視しなくていいということであって、営業が無理矢理強引に口説いて承諾させるという意味ではない。
・・ということで、エルマー=レターマンは、この『販売は断られた時から始まる』(The Sale begins When the Customers Says “ No ” )において、
「販売は断られた時から始まる」という言葉を、見込客が「要りません」「買いません」「契約しません」と意志表示をしているのに、おかまいなしに、何度でも何度でも押しかけて、強引に売りつけろ、という意味では、一度も述べていないのです。
原題の、The Sale begins When the Customers Says “ No ” を、私の手元にある1980年代終わり、昭和の終わりに購入した本は『販売は断られた時から始まる』と訳しています。
sale という単語は岩崎民平監修『現代英和辞典』(1973.研究社)には、≪販売、売却、売り渡し、売買、取引、売れ行き、需要、[pl.]販売(促進)活動、・・・ ≫と出ています。 インターネットで検索すると、『販売は断られた時から始まる』という題の本は古書で売られているものがあって、新刊書では『営業は断られた時から始まる』と訳された題での訳本が出版されているようですが、同じ原書によるものだと思います。
在来木造の一条工務店に入社した年、1992年、同社では「住宅展示場に来場時に、長時間アプローチをして、その後は訪問などはしないでお客さんの方から頭を下げてお願いしにくるのを待つんだ」と言っていました。私が「こちらから訪問しないのですか。 『お客さんの方から頭を下げてお願いしにくるのを待つ』なんて、そんなお殿様みたいなことするんですか。 K住研では『3日以内訪問』を絶対にするように言われていましたけれども」と言うと、「それはプレハブのやり方。 プレッハブゥ~ウ!」とか言っていたくせに、それから半年も経たないうちに野村総合研究所だったか三和総合研究所だったかから言われたと言って、「来場から3日以内訪問絶対厳守」と正反対のことを言いだした。なんとも勝手な会社。
東京営業所(江東区)に来場された方で、「うちは10年後に建てる予定なんです。今、来られても建てませんから来ないでください。10年後に必ず考えていますから。」と言われたご夫婦があり、時間としても内容としてもある程度以上のお話をした方だったし、自分たちも、今、来られても困るし、上に引用したレターマンが≪熟慮の結果拒絶と決定したうえは、その旨をはっきりセールスマンに伝える勇気がなくてはならない≫≪口実を設けることは、知識階級のすべきことではない。また長い眼で見て、これは不親切な行為である。なんとなれば、結局まとまらない仕事のために、無益な時間と労力とをかけさせるからだ≫と述べているように、営業の人間にも無駄足を踏ませ無駄な労力をかけさせたくないと配慮されて言われていたのがわかったので、その時、たまたま東京営業所に来ていた営業本部長で不在の東京営業所長を兼任していたA野さんに、この方はそれを話すと、A野さんは「そういう客のところには、特に最低3回以上行け!」と言うので、ちょっと違うように思ったのですが、自分が勤める会社の上役が言う事なので「3日以内訪問」をしましたが、やぱり、「展示場に行った時に話したでしょう。 うちは来られても今は建てませんて。言いましたよねえ。建てるのは10年後です、て言いましたよね。 それを聞いていてどうして来るんですか」と抗議されてしまった。「私も同感なんですが、『どうして来るんですか』というと、うちの営業本部長のA野が『そういう客のところいは特に最低3回以上行け!』というものですから、サラリーマンとしては上役の言う事はきかないわけにもいかないもんですから」と正直に答えたい気持だったのですが、そう言うわけにもいかないので「すいません」と謝って帰りました。 営業所(住宅展示場)に戻った後、その後、営業本部長のA野さんが営業所に来た時、やっぱり、あれは行かない方がよかったですよというつもりでその時の訪問の状況を話したところ、「そうか。そういう客には最低、後10回、行け!」と言うので、この人、ちょっと変だな・・と思いました。この人はなんかちょっと変質的・偏執的だなという印象を受けました。 せめて、その時点でやめておけば、「10年後」の予定が何かの理由で「5年後」に変わったとかいう時に、検討対象として考えてもらえて訪ねてきてもらえる可能性もあり、そうでなくても、5年後くらいに、「10年後と言われてましたけれども、どうされてますか。やっぱり、まだあと5年後くらいで考えてられますか」とご機嫌伺いくらいの調子で訪問すれば、「ああ、あの時はどうも」ということで話もできて、話が進む可能性だってあるのに、どう考えても嫌がらせとしか思えないように、まるで、「ストーカー」みたに、「そういう『来ないでくれ』と言う客のところには特にあと最低2回は行け」とか言うのは、わざわざ嫌われようとしているとしか思えない。来ないでくださいと言われても、それでも訪問した会社の営業の方が印象に残って、建てようとなった時に候補として考えてもらえるという場合もあるので、来ないでくださいと言われてもそれでも一度は訪問した方がいいということはないか?やはり訪問しない方がいいか?という思考はあるとは思いますが、しかし、来ないでくださいと言われてそれでも一度訪問して嫌がられて、まだ執拗に訪問しろというA野さんの思考は「病的」なところが感じられます。 今、考えると、A野なんかに話したのが間違っていた。あれは「ほとんどビョーキ」だ。 エルマー=レターマン『販売は断られた時から始まる』でも読ませてやりたいところだったが、「ほとんどビョーキ」の人というのは・・・→読まない。
その方が、10年後で考えています、今は建てません今は契約しませんとはっきりと言われたのは、その方が≪私としては断るならば、正直に、はっきりと断ってもらいたい。・・実業人は常に誠実廉潔で、善意に満ちていなくてはならない。≫というレターマンの発言のように認識しておられる方であったというのが半分、私がきっちりと言ってもらえるような接客をしたというのが半分。そういう≪誠実廉潔≫に≪正直に、はっきりと≫10年後に考えていて今は契約しませんと≪断って≫おられる人に、「特にそういう人の所には積極的に行け」「そういう人の所には最低3回は行け!」というA野さんの発言は≪こうした回答を受け入れられないセールスマンは、ものの考え方を改めねばならない。それができないというセールスマンは、別の職を求めるべきである≫とレターマンが否定している態度そのものであり、あまり立派な態度とは言えない。
この「販売は断られた時から始まる」という言葉の意味をレターマンが述べているように正しく理解しているかどうか。私は、この点が、その人が営業としてある程度以上の経験者であるか、経験者とはいえないかの判断の基準になると思っている。
前回《(5)マルチ商法・新興宗教にはまる男、職場での「営業違反」の勧誘》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201402article_1.html で述べたことだが、千葉市中央区鵜の森町の 新華ハウジング(有) にいた かじ○ (40代前半。男)が、私が市原市の不動産屋をまわるのに「一緒に行きます」と言って私のクルマに乗りこんできた上で、マルチ商法の「アムウェイ」の勧誘を逃げようのないクルマの中でこちらが嫌がっていてもおかまいなしにえんえんと続け、やっと会社に戻ったと思っても、まだ性懲りもなく続けたということがあった。神道系新興宗教の団体で右翼系政治団体の倫理研究所(=倫理法人会)もこの男が新華ハウジングに持ち込んだ。私が、その団体は問題の多い団体であり、やめてくれと言ってもおかまいなしに職場に持ち込んだ。
かじ○ は「販売は断られた時から始まる」というエルマー=レターマンの言葉の意味が理解できていないということだ。 レターマンはその時の私のようにとことん嫌がっている相手に、相手の気持なんかおかまいなしに無理矢理売りつけろ! という意味で「販売は断られた時から始まる」とは言っていないのだ。 ところが、《(4)ボクシングのラッシュと住宅営業 3日以内訪問、ラッシュをかけない男》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_15.html で述べたケースなどでは超ホット客を1カ月「ほったらかし」にするトンチンカンな低レベル営業のくせに、他方で「嫌がる相手には特に3回以上訪問しろ」という類の「販売は断られた時から始まる」をやるのだ、この男は。
≪疑問の余地のない「ノー」を聞いたのに、なお売り込もうとしても、それは時間の無駄に終わるだけである。≫≪こうした回答を受け入れられないセールスマンは、ものの考え方を改めねばならない。それができないというセールスマンは、別の職を求めるべきである。≫ とエルマー=レターマンははっきりと述べているのである。新華ハウジングの かじ○ はマルチ商法の「アムウェイ」の営業をこのレターマンの考えと正反対の態度でやろうとしたである。 実際のところ、「天地がひっくりかえっても、こいつ、絶対に営業ではないわ」と思った。 彼は、在来木造の菊池建設・桧家住宅で営業をやっていたと自称していたが、嘘である。少なくとも実質的に嘘である。 彼は自分でも履歴書の経歴はある程度粉飾していると話していたが、そうだろう。万一、在籍したことがあったとしても、逃げようのないクルマの中で相手の気持も理解せずに執拗にマルチ商法の勧誘を続けたり、職場でなければ逃げられて人間としても相手にされなくなるやり方でマルチ商法の勧誘を職場であれば逃げようがないからということで執拗無神経に続ける者、E=レターマンが述べている内容と正反対に「販売は断られた時から始まる」という言葉を解釈して実行している人間は、営業の経験があると自称していても、実質的に詐称です。
(2014.2.6.)
☆ 職歴詐称を見破る方法
(1)「床柱ってどんな木を使うんですか」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_8.html
(2)筋交いの入れ方がわからない男 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_13.html
(3)構造現場説明ができない男 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_14.html
(4)ラッシュをかけられない男 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_15.html
(5)マルチ商法にはまる男。営業違反の営業 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201402article_1.html
(7)奥の席にお客さんみたいにちん https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201402article_4.html
(8)自分を見せるか隠すか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201402article_5.html
(9)自社前にクルマを停める者、ポケットに手を突っ込む男https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201402article_6.html
と合わせ御覧くださいませ
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