住宅業界職歴詐称を見破る(8)―卑しい自分を肯定する者。不動産屋の「職業病」。建築屋と不動産屋。

[第238回]営業と会社の話(56)-8
   前から不動産屋について不思議に思っていたことがある。 なぜ、不動産屋て窓ガラスにべたべたと物件案内書を貼るのだろうか。 
   相当大きな窓があり壁には貼りにくくガラスには貼りやすい、かつ、掲示用の看板を立てる場所はないというケースならわからないこともない。 しかし、ガラス窓というのは本来はそこに何か貼って塞ぐものではなく光を入れ眺望を得るもののはずだ。 何か掲示したければ別に掲示用の看板を用意すればよさそうに思うのだ。
   不動産屋の店舗には所有している店もあるが借りているものも少なくない。 借りている場合、所有の場合でもすでに建っているものを買った場合には、そんなに開いていなくてもいいのにと思えるほど大きくガラス面がとられているというケースもあるだろう。そういう時に半分くらい塞ぐ意味もあって物件案内書を半分くらいの部分に貼るというならわからないこともない。しかし、そうでないケースが少なくない。

   窓ガラスに物件案内書を貼ると、通りがかりの人がそれを見てこういう物件がこういう価格で出ているんだと知り、関心を持った人には記憶に残り検討しようという人は中に入って来る。見ている様子が中からわかるという面があるだろう。 しかし、それだけか?
   窓の透明ガラス面が大きいと、中から外が見えるだけでなく外から中も見える。 1日中、外から見られたのでは疲れる、と思う時もあるかもしれない。 しかし、それなら内部に仕切りを設けて外から見えない部分を設ければいいだけのことだ。 会社の受付さんがずっと見られているのは疲れるといって前についたてをたてるかというとそんなことはしない。

   在来木造の I 工務店の栃木県の営業所にいた時の同僚で、前職が不動産屋で I 工務店退職後にも建築もやっているが不動産の分譲が中心の不動産会社に行った人がいて、誠実な人であまり「不動産屋」という感じがしなかったので、「こういう言い方は失礼かもしれないですけど、◇◇さんてあんまり不動産屋て感じしないですね。不動産屋にはあるまじき誠実な人柄という感じがするのですが」と言うと、「そうでしょう。そこがいいんですよ。みんな、不動産屋というと『ずるい』『こわい』『あつかましい』とか思ってるでしょう。そういうところに、そうでない人間が顔を出すから『この人は不動産屋なのにちっともそんなことがない』『不動産屋なのに不動産屋みたいじゃない』ということでそれで話が進むんですよ」と返答されたことがありました。 そうかもしれない。
   窓ガラス全面を物件案内書で塞ぐ不動産屋というのは、不動産屋全般が「ずるい」「こわい」「あつかましい」・・と思われていると思うから窓ガラスを塞いで外から中を見えなくしているのか、それとも、不動産屋全般が「ずるい」「こわい」「あつかましい」・・・と思われているという意識がないから塞いでいるのかどちらなのだろうと思ったことがある。

   テレビ番組で、子どもにお使いに行かせてカメラで撮影する「きっちり、お使いできるかな?」とかいう番組があった。 あのような感じで私が子どもの時に最初にひとりで買い物に行ったのは近所のお米屋さんに食塩を買いに行った時ではと思う。比較的若い頃から買い物に行く店とある程度以上の年齢にならないと入らない店があり、不動産屋はある程度以上の年齢にならないと入らない店だと思う。 宅地建物取引業では宅地建物取引業者の登録をしていない者は不動産の仲介をしてはならないのだが、大学の共済部で下宿をあっせんしているのは不動産屋みたいな業務をやっているが宅地建物取引業の範囲に入らないらしく、又、大学で仲介手数料はとっていなかったと思う。 しかし、大学生協の東京都の連合部が25年程前に私が大学入学時には東京の中野にあって卒業する時は渋谷と原宿の間くらいにあったのだが、大学生協は宅地建物取引業者に該当したと思う。私が生まれて最初に自分ひとりで入った「不動産屋」は大学生協連合の不動産部だった。「大学生協なら大丈夫だろう」という気持で行きアパートを紹介してもらって住居を変わった。
   「不動産屋」でも、大学生協なら大丈夫だろうとその頃の私が思ったように、不動産屋というもの全般に「ずるい」「こわい」「あつかましい」とか「胡散臭い」「あぶない」という印象を受けている人は少なくなかったと思う。 最近、不動産屋もイメージをかつてとは変えてきているが、そういうところはあると思う。
   「ずるい」「こわい」「あつかましい」と、もうひとつ、「レベルが低い」というのもある。 新卒入社で入った小堀住研で1990年に東京都目黒区の自由が丘の営業所(展示場)に転勤を求められた際のこと。 「自由が丘」とは「この漫才で田園調布に家が建つ」というフレーズの「田園調布」の東急東横線の隣りの駅で、田園調布には長嶋茂雄の家とかホテルニュージャパン社長の横井なんとかさんの家とかがあり、今は無くなってマンションになっている総合住宅展示場・自由が丘住宅公園の近くにも王貞治の家とか元・巨人の国松の家とかがあってそういうお金持ちの住む地域で、住宅屋の営業は長時間労働で夜遅くまで働く仕事で通勤時間はできるだけ短くしたいもので、かつ、年収はせっせと稼いでも王さん長嶋さんみたいにあるわけではない仕事だった。(「わしゃ貧乏やからな」の野村克也さんも田園調布の住人で、私ら正真正銘貧乏人が買った本の印税の収入も得てベルサーチの腕輪とかしているおっさんが、どう考えてもそんなに貧乏であるわけないのだ。) それで、「自由が丘」「田園調布」より1駅か2駅くらい離れたところの不動産屋でとりあえずきいてみようと思い、東急東横線「都立大学」駅の近くの不動産屋に入ってアパートについて尋ねたところ、そこのおばさんが「小堀住研」という勤め先の会社の名前を聞いて「そんな会社、家主さんが嫌がると思うわ」と言いだした。 「どうしてですか」というと、「家主さんが喜ぶのはねえ、やっぱり、大企業に勤めている人ねえ」と言うのだ。 それで、「しかし、ともかく、一部上場の会社ですよ」と言うと、「へえ。聞いたことないわねえ。知らないわ。建売でもやっての」とぬかしたのだ。レベル低いなあと思ったのだ。 「レベルが高い」「レベルが低い」という思考は基本的にはあまりいいとは私は思っていない。 ≪人間にはいろいろの型(タイプ)がある。おおまかにいって科学にたけている型も、芸術に長じている型もある。また、ひとつの学問、たとえば、数学のなかでも、ポアンカレのいうように幾何的なタイプと解析的なタイプがあり、それらは質的にちがっている。このように質的に多様な人間の知能を一直線上にならべて序列化することがいかに乱暴なことであるかは明らかであろう。たとえば、シェークスピアとニュートンの知能は比較できるだろうか。ところが、この二人に知能テストを受けさせて、知能指数を算出すれば、それができることになるのだから、なんともふしぎなことである。 数は序列をもっていると同時に、たし算ができるところがくせものである。何かを数値化すると、人間はそれをたしてみたくなる。知能テストで迷路や点図形などの得点数をならべて書いておくだけだったら、まだいい。しかし、それでは満足できず、それらをたしてみたとしたら、いったいそれは何を表わしているのだろうか。・・ ≫と遠山 啓が『競争原理を越えて―ひとりひとりを生かす教育』(19761.31. 太郎次郎社)で述べているが、たしかにそうだ。知能指数なんか私はまったく信用していない。人間を序列化して考える思考は好ましいものではなく、「レベルが高い」「レベルが低い」という思考は基本的には採用しないことにしている。 しかし。 その不動産屋のおばはんは、やっぱり「レベルが低い」と思ったのだ。 慶應義塾の経済学部や商学部の出身者で一部上場の会社をまったく知らないとなれば、知らない方が悪い。知らない方が恥である。 だから、「そんな会社知らないわねえ」という口はうかつにはきかない。 (超有名大企業で会社の名前さえ出せば人は言う事をきくとでも思っているようなヤツに「知りまへんなあ」と言うのは意味は別である。) それを、不動産業という建築業の隣接業種の人間が住宅建築業の一部上場の会社で当時着工棟数で住宅建築業の上位10社の中に入っていた会社を「知らないわねえ。聞いたことないわねえ」と大きな顔して言ったのである。 それで、その時、その店だけについてではないが「不動産屋みたいなアホとつきあうのは疲れる」「不動産屋みたいなレベルの低いのとつきあうのは疲れる」と思ったのだ。 その意味で、不動産屋は「レベルが低い」「知的水準が低い」
   最近では、不動産屋には東南アジア系の女性をメカケに持っているオヤジとかが少なくない。なぜ、そうなるかというと「知的水準が低い」「教養がない」から、というオヤジが少なくない。そういう類が不動産屋には多い。
   在来木造の一条工務店で福島県いわき市の営業所(展示場)に在籍した時、いわき市内の不動産屋に行った時、出てきたオヤジの姿を見て驚いた。 「なんだ、このウルトライタリアンファッションは!」と。 あまりにも品がない。 あまりにもセンスが悪い。 ヤクザファッションでもあるが、それとともにセンスが悪すぎる。 なぜ、センスが悪くなるかというと、やはり、教養がないからです。頭の中身が表面に出ているのです。 そういうのが多い。
   「ヤクザ」ではないのかもしれないけれども、なんか「ヤクザみたい」な雰囲気をかもしだしているおっさんもいる。 千葉県八千代市に本社がある建築もやっているが売買の不動産業の方が中心というT海住宅でも、入社する際に面接で会った常務(現・社長)Oさんの人相が悪いので、来てくださいと言ってもらった時、あんな人相の悪い男が常務をやっている会社、入社して大丈夫か? と不安を感じた。 入社すると、風俗営業崩れか?みたいな変な格好をした、もし自分が客でその不動産屋の店に行ってその人がいたなら逃げて出るわという感じの女性社員もいた。 その正真正銘人相の悪い常務Oさんと千葉市花見川区のH店の店長に私の在籍後半になったTさんの2人が「おまえ、ヤクザだろうが」とふざけて言いあいしていたが、彼らは二人とも公式には「ヤクザ」ではなかったと思うのだが、冗談で言いあいするだけあって、二人とも人相悪かった。 店長のT中さんは「俺の友達を紹介してやる」と言って不動産屋の知り合いを何人か紹介してくれたが、「仕事でなければつきあいたくないなあ」という感じの人相の人ばかりだった。
   不動産屋の人間て、自分たちがどういう格好をしているか、どういう風貌をしているか、わかっているのだろうか?  不動産屋というものが世間でどう思われているか、どういう先入観を持たれているかわかっているのだろうか?  どうも、そのあたりについて、不思議に思うところがあった。

   その店に最初に入る時に抵抗を感じるのは不動産屋だけではない。 建築屋の方の住宅屋でも、住宅展示場に入りなれた人はなんとも思わないであろうし、住宅展示場で「来場記念品」を渡す会社があるので、特に「キャンペーン」「イベント」期間にすべての展示場をまわって「来場記念品」を集めてまわる「ものもらい」のおばさんもいる。 真剣に家を建てようと検討している人にとってはそこで何をくれるかなどはあんまり関係のないことであり、その点で、「来場記念品」として物をあげるというのはあまりいいとは思わない。 「ものもらい」のおばさんは住宅展示場に入場することに抵抗なんか感じるわけないのですが、実際に住宅を取得することを考えていて、かつ、それまでに住宅展示場に入ったことがないという人は、最初に入る時、抵抗を感じる場合があると思うのです。 
   木質系住宅建築請負業の小堀住研に入社した時の新卒社員研修で、「初めて、住宅展示場に入る人の気持というのはどういうものか、わかるか」と言われ、「興味」だとか「夢」だとか答える人があったけれども、講師役の課長が言われたのは「恐怖」だという答えだった。 初めて入る人間の気持は「恐怖」だというのだ。 入って大丈夫か? うかつに入ると無理に契約させられてしまうとかないだろうか? 出してもらえないとかそんなことないか・・・? といった「恐怖」の気持があるというのだ。 だから、そう感じられないようにしないといけない。 安心感を持ってもらえるようにしないといけないというのだ。 実際に住宅建築業の会社はできるだけ気軽に入場してもらえるように工夫をするのであり、小堀住研のある展示場では、玄関脇で「輪投げ大会」をやって展示場の玄関付近まできもらえるようにして入場者数を増やした、ということもあったという。 在来木造の一条工務店の展示場の玄関脇には、「○○キャンペーン」「◇◇記念」とか書かれた札のついた造花の花束を両脇に毎日置いている。 その札に書いてある内容は特別の意味もなく、なぜ、そこに出すかというと、「あそこで、何かやってるみたいだ」と思って近寄ってもらおうという趣旨らしい。
   住宅展示場のモデルハウスの建物の通路側は窓が大きく開いている場合が多いが、これは通路から中が見えるようにしているのである。 中が見えて、「あれ、なんだろう」と関心を持ってもらい、「ちょっと、入って見てみようか」と思ってもらえるようにというのもあるが、外から中が見えるということから「安心感」を持ってもらおうという趣旨もある。
   千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング有限会社(建設業)は付近の住宅や店舗の人に話をしても、誰もが会社の存在、会社の場所を知らなかった。 それに対し、向いにある「さかなやさん」は誰もが知っていた。 「さかなやさん」は「小寺鮮魚店」というのであるが「さかなやさん」と大きくひらがなのポップ体で書かれた看板がかかっていて、近隣の人は誰もが知っていた。「さかなやさん の向かい」と言えば、「ああ、そう」と誰もが理解した。 「さかなやさん」は1面しか道路に面していない。新華ハウジングは2面、面している。 なぜ「さかなやさん」と同じことができない?  新華ハウジングの「さかなやさん」側でない方の道はクルマの通行が多く、かつ信号と踏切にはさまれてクルマが停車することが多い場所であり、私はそこに大きく会社名と業務内容を書いた看板を出せばクルマが停まった時に見て記憶に残るから出すべきだと何度も何度も言ったが、社長の子分のU草は何度も何度も「やりますよ」と言うばかりでいつまでも出さなかった。
   私は社長の長○川に、入口付近に、住宅の模型や骨組みのモデルを置いて、「あれ、なんだろう」と通行人に思ってもらって近づいてもらえるようにしたいと提案したが、長○川は「そんなのやらなくていいよ」と言い、私が「それなら、私がその費用を出すから設置していいですか」と言うと、長○川は「やめてちょうだい」と言ったのだ。それならいったいどうしろというのかということになるが、長○川は「そんなことしないで契約とってちょうだい。そこの家 行って契約とってきて。そこお。」と言って、目の前の建築して4~5年くらいの建売かと思われる家を指差して言ったのだった。 アホだ、こいつはと思った。人がせっかく有益なことを言っているにそれをはねつけるばかりで、「家族の笑顔って最高です」と家族とハワイにバカンスにばかり行っている男。これでは見通し暗い。
   従業員が付近の清涼飲料水の自販機で買っていたので、自社で自販機を設置すればその収入も得ることができると長○川は思ったらしく、私に自販機の業者に話をして設置するようにしてほしいと言ったので、私は業者と折衝して会社前に設置し、缶コーヒーなどの金額を100円に設定して会社入口付近まで自販機の清涼飲料水を購入しに通行人に寄って来てもらえるようにした。 長○川は120円に設定して従業員に買わせてその収入を自分が得たかったようだが、ともかく、人に会社入口付近まで抵抗なく寄って来てもらえるためには100円に設定するべきであり、その方向で進めた。 缶コーヒーを買ってくれた人が、家の新築やリフォームを頼んでくれるとは限らないが、少なくともそこで、建築業の会社がそこにあるということを認識してもらえるはずである。 新聞屋の強引な拡張員がそれなりに契約を取ったりするのは、売っているモノが読売新聞とか名前が認知された新聞だからだ。 誰も知らないどこにあるのかもわからないホームページもない会社に看板もかかっていない、そんな会社に誰が頼むか? まず、そのあたりを整備するのが契約獲得への第一歩のはずだ。清涼飲料水自販機は従業員に買わせて収入を得ようという長○川の計画から設置させることができたが、看板と入口前の模型ははねつけられてしまった。
   前に立てるA型看板を購入して大きく書いたポスター状のものを入れて周囲に訴えるとともに、「ここで何かやってるぞ」とアピールするようにしたいと提案したが、せっかく言っても社長の子分のU草は「中古でないか探してください」と言い、そんなところでけちるのか、それを探す俺の人件費の方が高いと思うぞと思ったがそういう会社だった。

  不動産屋でも例外として、賃貸のエイブルは入口の窓ガラスには物件案内書等は一切貼らないで外から中を見えるようにしている。 この会社もけっこういいかげんな会社だが、この点についてはエイブルは考えている。  不動産屋は駅から近くて1階がよいはずだが、同社の店は大部分が借りている店で、すべての店が最適な場所を必ずしも借りることができているわけではなく、雑居ビルの2階以上に入っている店もある。 入口が道路に面している1階の店は道路側が大きく透明なガラス面でできており、雑居ビルの2階以上に入っている店も通路からの入口は透明なガラス面で、そして、そのガラス面には物件案内書等は1枚も貼らず外から中が見えるようにしてある。 中にどんな人がいるのか外からわかるようになっていて、その分、心理的に入りやすくなっている。  物件案内書はA型看板を前に出してA型看板に貼って出したり壁面に掲示版を出して貼ったりする方法をとり、通路との間のガラス面は完全にあけて内部が見えやすくしている。 これは、建築の会社が総合住宅展示場で住宅展示場の通路側の窓を大きく開けているのと同じ趣旨であるが、不動産屋は外から見えないようにする業者が多いのにエイブルだけがこの点で「建築屋型」の店舗の造りをしている。

   T海住宅の千葉市花見川区のH川店はもともとが同社所有の建築条件付き土地を買った人などとの打ち合わせをするためのショールームで、そのため、不動産屋の立地として適した場所ではなく、かつ、最寄駅の京成「八千代台」駅との間に本店(八千代台店)があるため、周囲の住居にポスティングをしても本店(八千代台店)に行かれてしまったりする店だった。 私が同社を退職後、それまで店の両側に駐車場を設けていたのを、片方に仮設ユニットの建物を設けて、そこを不動産業の事務所にしたようだった。 退職後少しして、前を通ったことがあり、その仮設ユニットの建物を見て、なんじゃ、これは、と思った。 仮設ユニットの建物の道路側の小さな窓全面を不動産の物件案内書を貼って塞いでいたのである。 
  「不動産屋の職業病」!
物件案内書を前の道を通る人に見てもらおうということが目的ならその場所は適した場所ではない。もっと道路に近い場所に掲示版を立てて貼りだすべきである。 外から事務所内を見られたくないというほど外から中が見える窓ではない。外から見られたくないならレースのカーテンでもすればいい。 小さい窓なので、物件案内書を掲示する場所としては場所が道路から遠くて高くて見えにくいとともに面積が不足している。
1. 物件案内書を貼って通行人に見てもらおうということならば、なにゆえ、窓ガラスでないといけないのか。 窓ガラスより適した場所があるのに、なぜ、窓ガラスに貼るのか?
2. 窓のガラス面というのは部屋の中に光を入れ採光をとるためのものであるのに、なぜ塞ぐのか。 採光をとりたくないなら最初から窓にしなければいいのに、なぜ、窓にした上でガラス面に紙を貼って塞ぐのか?
   要するに、理由があってやっているのではなく、道路側・通路側に窓ガラスがあると物件案内書を全面に貼って塞がないと気がすまないという「不動産屋の職業病」が出ているだけで、そこに貼ることでどういうプラスがあるかどういうマイナスがあるかなんて考えてないのです。 何も貼ってない道路側の窓ガラスがあると手がぶるぶるふるえてくるとか禁断症状が出てくるのでしょう。貼ってガラス面を塞がないと不安でおれないのでしょう。 バカじゃなかろかと思ったが、「しょせんは人相の悪い不動産屋のおっさんのやること」「しょせんはレベルの低いやつのやること」ということか。
  
  エイブルのような例外的な考えの会社・店もあるが、「住宅」でも、「建築の住宅屋」と「不動産の住宅屋」ではこの点で認識に大きな違いがある。 「建築の住宅屋」は店の中を外から見えるようにしてなんとか中に人を呼びこもうとする。 それに対して「不動産の住宅屋」は外から中が見えないように窓ガラスに全面にべたべたととうに決まってないような物件の案内書を貼って視線を塞ぐ。(すでに決まってない物件の広告をだすのは宅建業法違反だったと思うが、不動産屋はそんなこと関知しない。)

  営業担当者が自分自身をどうするか、どう考えるかという点でも、「建築の住宅屋」と「不動産の住宅屋」では正反対である。
  新卒入社で木質系建築請負業の小堀住研に入社した時、新卒社員研修では、背広上下は必ず上と下をそろったものを着る。色は紺またはグレーに限ると言われた。 スーツの上と下ではズボンの方が傷みやすく、一般には「替えズボン」といって、背広の上と合う色合いのズボンを購入してはくのは会社員として認められていることで、又、日本では上下そろいが「正装」だが、イタリアでは上と下は自分で選んで組みわせるのがおしゃれとされるようで上下そろったものを着る人は珍しいと本で読んだが、小堀住研で上下あわせたものでないといけないと言っていた。 それは、「工務店の営業」が上と下が異なるものを着ていることが多く、「弊社は工務店ではありません。弊社は一部上場企業です」とアピールするために「工務店の営業」みたいな格好をしてはならないとしていたそうです。 紺かグレーに限るとしていたのは、住まいづくりはお客様にとって大事な行為で、変な色合いのものを着て「不真面目だ」と受け取られてはいけないということで、紺かグレーに限るとしていたようです。 私は、入社前に、背広を1着しか持っていないのでは仕事にならないので、紺のものと別に大急ぎでコナカに行って2着購入したのですが、その際、茶色の背広を購入していました。 それで、紺かグレーに限ると言われると、買ったばかりの背広を着れなくなってしまうので、講師役の課長にその事情を話してみたところ、「そうだなあ。まあ、きみは、まあ、いいわ」と言われたのです。 「それより、メガネがもっさりしているからちょっと考えろよ」と言われたのです。 眼鏡は、その半年程前、JR常磐線に乗っていた時、長年使ってきたものがポロっと接合部で崩れて落ちてきて、お金もないがどうしようもないので新松戸の駅の近くの眼鏡屋へ急遽行って、そのレンズを入れることができるフレームで一番安いもので作ったものでデザインも何もないものでした。、同社で1棟目の契約をいただいた方の歩合給で眼鏡を作り変えましたが、背広上下について「まあ、きみはいいわ」というのは、人にもよるので、私の場合は茶色の背広くらいは「まあ、いいわ」の許容範囲だったようです。 新宿の東京支店で見かけて、正直なところ「なんだ、この感じの悪いにやけたおっさんは」という印象を受けた人がいたのですが、その人は池袋支店の営業で全国10位以内に入る営業成績を残した某さんでした。 外見・風貌は人によって感じ方は異なるのですが、あの「にやけたおやじ」が?て感じがしました。 東京支店の女性社員に聞いたところではその人はハーフだったらしく、それが人によっては「いかす男」に見えるが、人によっては「にやけた感じの悪い男」に見えて、その人がえらいのは、それを自分で自覚していたらしく、そして、マイナスの方の印象を与えないように仕事では紺の背広上下しか着ないようにしていたそうです。 人によっては「にやけた感じの悪い男」に見えると自分で自覚して、それで意図的に真面目そうに見える服装をしていたそうなのです。 私の場合は「もっさりした男」と研修の時の課長から認定されて、それで「きみは、まあ、いいわ」と認められたわけです。 もう10年以上前、福島県いわき市のゴルフの打ちっぱなし場で練習をしていた時、きていたおじさんが教えてくれた話が、ドライバーで打ってフックする(左に曲がる)人スライスする(右に曲がる)人がいるけれども、直そうとしなくても自分が普通に打った時にフックするのかスライスするのかを把握しておけばフックする人間は右めに打ちスライスする人間は左めに打てばいいというのです。そうすれば、ちょうどいいところに行くというご指導でした。 人によっては「にやけた感じ」と見える人は「まじめそうな服装」をして、「もっさりした」と見える(そうでした)者はちょっとくらいは「まあ、いい」と、そういうことのようです。
   20年程前は、三井ホームの住宅展示場にいる30代から40代くらいの女性というのは「吉永小百合の小型」だったようです。 吉永小百合というのは、ある程度以上の年齢になってからは「女性にも人気のある女優」で、三井ホームは、三井ホームの家に住めば吉永小百合みたいになれる・・・かな・・という夢を女性・主婦に与えて、三井ホームの家に住みたいと思ってもらおうという戦略だったようです。 だから、展示場にいる女性も、「単なるパートタイマーのおばさん」ではなく、「吉永小百合の小型」だったようで、松戸の総合住宅展示場で管理事務所に行った時に、三井ホームの女性が管理事務所の女性に「髪形までこういうものにしなさいとか指定されるんですよお」とぼやいていたのを横で聞いたことがあります。  家具の「メーカー」でも案を出すだけで作る工場を持っていない家具メーカーというのがあり「ラルフローレン」はそれで、ラルフローレンの家具は展示する際も、どのような展示のしかたをすると販売店に指定をすると、有明の大塚家具(http://www.idc-otsuka.jp/showroom/ariake/ )で聞かせてもらったことがあります。 三井ホームの場合、「展示のしかたの指定」は展示場にいる「小型の吉永小百合」の女性も含んでのものだったのでしょう。
   在来木造の一条工務店は、その点、よくわからないところがあった。 1990年代初め、私が入社した時、まだ創業20年経っていない会社だったので、はっきり指定するところまでいっていなかったということもあると思いますが、研修に行くと「どう見たってヤクザて感じ」の人がいたとか、そういう話はよく聞きました。会社としては「いいかげん」、もしくは「無茶苦茶」でも、個人としてはそれぞれが考えてやっていました。 福島県いわき市の展示場にいた時、一条の営業は、上は「国防色」(くすんだ黄緑)の作業服で、その中にワイシャツとネクタイ、下はビジネスズボンという服装の者が多く、総合住宅展示場の管理事務所の女性から「それ、一条さんの制服なんですか」と言われたことがありましたが、制服ではありません。 小堀住研は関西地域や東京圏の「中より上」の比較的堅い会社員・公務員・教員や比較的堅い自営業者を客層とする都市部を得意とする会社であったので「紺かグレーの背広上下」で良かったのですが、一条は最初から「工務店」ですし、地方都市を得意とする会社で福島県では背広上下をぴちい~っと着ている人間なんか最初からあまりいないわけです。 背広上下を着て、いわき市のある法務局で登記簿謄本を取得するために法務局の向いの店に登記印紙(今は、収入印紙ですが、その頃は登記印紙でした)を買いに行くと、店のおばあさんから「いったい、何を買ってほしいの」と言われたことがあります。 「売ってるのはあんただろうが。何、言ってんだよ、こっちは買う側でしょうが」と言いたかったのですが、ばあさんから登記印紙を買うのは大変なのであきらめて郵便局まで行って買いました。 そのおばあさんからすると、背広上下なんか着た人間というのは「東京あたりから来た、何か売りつけようとする人間」という印象があったのです。 だから、いわき みたいなところで警戒されずに話をしようと思ったら背広上下なんか着ない方がいい、ということで、作業する時の作業服とは別に営業用に着る作業服を用意して、ネクタイを締めておれば営業だということで、そして、作業服でも青系統はガードマンか電気屋、茶系統は小規模な工務店の社長か工事監督が着るもので、「国防色」(くすんだ黄緑)は市役所の建築指導課の職員や設計事務所の人間が着ることが多い色であり、印象としてどれをイメージされた方がいいかというところから「国防色」となったわけです。 作業服着ている人間というのは、工事現場についてよくわかっている人間か?とか、建築技術者か?とか思う人もあるようですが、嘘を言ってはいけませんが相手が勝手に思う分にはいいように思ってもらえばいいわけで、悪い印象を与える服よりもいい印象を与える服装をした方がいいということからその服装をする人間が多くなり、その結果、管理事務所の女性から「その服装は、一条さんの制服なんですかあ?」と言われるに至ったのでした。 私はいわき市に約5年いましたが、背広上下ではいわき市から双葉郡の住人には警戒心を持たれると思って改めたのですが、最後の頃は、逆に、そういうことがあるとしても、相手により時と場合によっては、あえて背広上下を着ることによって「作業服を着ている者より上のグレードの人間」というイメージを演出してみようかと考えたこともありました。 それぞれ、いつでも成功するわけではありませんが、「建築の住宅屋」の営業は、自分自身の服装・風貌を、いかにして顧客に評価されるものにするか工夫をし苦労を重ねます。
(スポーツカーに乗って大久保 清みたいな格好すれば「建築家」に見えるだろうみたいな自称「建築家」のオヤジはこっけいですけれどもね・・)
   一条工務店に入社した年、神奈川県藤沢市の営業所に行った時に、藤沢の営業所長Tさんが、眼鏡ではなくコンタクトレンズにした方がいいと言ってくれて、他の人からも言われることがあり、コンタクトレンズに変えました。 Tさんは、8割の人間は、眼鏡のある顔とない顔なら眼鏡のない顔の方がいい顔だというのです。 2割は眼鏡のある顔の方がいい顔の人間もいるのでそういう人間は眼鏡をかけてもいいけれども、私は眼鏡のない顔の方がいい顔だからコンタクトレンズにした方がいいとTさんは言ってくれたのです。 Tさん自身は、実際に眼鏡をはずして見せてくれた上で「ぼくなんかは、むしろ、眼鏡のある顔の方がいいでしょう」といい、「そういう人間は眼鏡をしてもいいけれども、あなたは眼鏡のない顔の方が絶対にいいからコンタクトにしなさい」と言ってくれたのです。又、営業は説得するのに言葉だけで説得するのではなく「眼で説得する」という要素があるが、度の強い眼鏡をかけている者はそれができない。 又、目元が見えない人間というのは、相手から何を考えているのか不安に思われる時があるから、目元を見せた方がいいとも言われたのです。  「かっこいい人間」と「かっこ悪い人間」なら人間は一般に「かっこいい人間」の方に好感を持つともTさんは言ってくれて、そういうこともあると思い、週に1回、温水プールにかよって体を絞るようにもしました。
   これらは一例ですが、「建築の住宅屋の営業」はそういうことを考えて、いかにして自分の印象をよくしようかと努力します。 一条工務店でも私が在籍した終わり頃には、会社としてもそういうことを多少は考えるようになったようで、工事担当の女性のズボンは「チノパン」、ジーパンは不可と通達で指定してきました。ジーパンでは遊び着に見えるから不可ということです。 一条工務店の栃木県佐野営業所にいた時、在籍年数が私の約半分のK岡くんがズボンをベルトではなくサスベンダー(ズボン吊り)でとめてワイシャツの上にサスベンダーを見せてお客様の前に出ていたので、ヨーロッパでは、サスベンダー(ズボン吊り)を人に見せるのは「マナー違反」で、又、日本ではサスベンダーはフォーマルな仕事の場で着用するものではないと評価されるので、もし、彼が言ってきく人ならひと言くらい言ってあげたかところですが、言ってもきく人ではなく、又、佐野警察署暴力団と結びついていて、いきなり殴りかかってきたり蹴りかかってきたりする人で、私にだけではなく他の従業員にやっているのを何度も目撃もしており、そういう警察暴力団と結びついているような人には言えませんでした。
   小堀住研で最初に配属された営業所の営業課長Uさんから「おまえ、真面目そうに見えるから営業としていいと思うよ」と言ってもらったことがあったので、それならいいのだろうと思ったのですが、何年か仕事を続けていくうちに「そうかな」と自分で思うようになり、そして、他の会社の住宅展示場に行ってみると他の会社の営業だってそんなに感じ悪いというわけでもないので、「?」と思うようにもなったのです。 でも、その仕事を始める時点でどう見えたかに関係なく、仕事を続けるうちに、「?」と自分で感じるようになって、それから、よく思ってもらえるようにと自分を作るようになってこそプロで、自然とやって自然と成果が出たとしてもそれはアマチュアだと思い、自分に「?」を感じて考えてこそプロだと思い、今日に至っています。
   「不動産の住宅の営業」はそういうことはありません。 T海住宅で私の在籍後半にH川店の店長になっていたT中さんは、他の地域で仕事をしていた時、マンションでチラシを配ったりポスティングをしていた時、近所の人から「ヤクザが入って来ている」と110番通報されたことがあると自分で言っていましたが、そういうことをされても、「・・・・な格好してんだもの、そりぁ、ヤクザに見えるよなあ」と喜んでいたような感じで、それを改めようという意識はみじんもありません。 T海住宅では「この人、何い?」て感じの安物の風俗営業の店から出てきたのかみたいな変な格好の女性もいました。 その女性は他の不動産屋の女性からも「あんな変な営業あるのお」と言われたことがあったといいますが、「不動産屋なんて、そんなもの」なのかもしれません。 在籍前半にH川店の店長やっていた女性も「あんまり、センスよくないなあ」と感じる時がありました。 今、社長になっているOさんは、私が入社時は常務で、面接で会った時、「不動産屋だけに人相の悪い男」と感じ、来てくださいと言われた時も「あんな人相の悪い人が常務の会社に入って大丈夫か」と不安を感じたました。今、ホームページには無理ににこにこした顔の写真が出ていますが、無理してにこにこしても地が出てしまうという感じがします。
   上の方で述べた いわき市の◇◇商事という不動産屋のおやじにしても、なんでわざわざそんな変なウルトライタリアンファッションをしなければ気がすまないのかと思うのですが、不動産屋はそういう人が少なくありません。

1.  「建築の住宅の営業」は、できる限り自分を良いように見せよう、よく思ってもらえる格好、良いように思ってもらえる身のこなしをしようとします。 それに対し、「不動産の住宅の営業」は自分をよく見えるようにしようという意識はまったくない。
2.  カッコいいかどうかにかかわらず、 「建築の住宅の営業」は自分を見せようとします。 自分を見せて「私はこういう人間です」と自己紹介します。 知ってもらうことにより安心感を持ってもらい、この人に話をしよう、この人と家造りを一緒にやろうという気持になってもらおうとするのです。
  それに対し、「不動産の住宅の営業」は自分を見せないようにします。 不動産屋の窓にべたべたと物件案内書が貼られているのはそれを示しています。 不動産屋は、見込客が中に入るまでに外から自分の姿を見られたくないのです。 自分は「ヤクザみたい」「ずるそう」「怖そう」「あつかましそう」に見えると思っているのだと思います。 だから、自分の姿を客が中に入って来るまで見せないようにしようとしているのでしょう。 
  小堀住研に入った年、周囲の営業の人を見ても、外見・風貌は比較的かっこいい人もおれば、あまりいい方でない人もいました。 しかし、「地」の見た目がいい方でない人でも、だからといって自分の姿を隠して客が中に入って来てから会おうとか考える人はありませんでした。 風貌がいい方でない人でも、それでも自分の姿を見せて、見てください、良くても悪くても見てくださいという姿勢でやっていました。 それに対して、「不動産の住宅の営業」は隠れるのです。 たいてい。
  「現場見学会」をやっても、「建築の住宅の営業」は自分が外に出て、建物とともに自分を見せます。「 それに対し、「不動産の住宅の営業」はクルマの中にいたり建物の中にいたりして自分を見せないようにするのです。
   不思議なものですが、そのどちらをとるかでその人が「建築屋型」か「不動産屋型」かわかります。 中には例外もあり、エイブルなどは不動産屋であっても「見せる」方の姿勢で店舗を運営していますが。

   千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング有限会社(建設業)の建物は、入口側(北側)は全面透明のガラスになっていて、 外から中がよく見えました。 私は、ドケン屋は名前が認知されるまでは不安感・警戒心を持たれる可能性のある職業なので、外から見えるという造りはいいと思っていたのです。 しかし、ある時、社長の長○川 Sニが「入口のガラスに物件案内書を全面に貼って不動産屋みたいにしようぜ」と言いだしたことがあり、私は「それはやらない方がいい」「不動産屋とかドケン屋というのは、見込客から不安を感じられないようにするために、外から中が見えた方がいいから」と言いましたが、長○川はせっかく言ってもきく人ではないようでした。 在来木造の菊池建設と桧家住宅にいたと自称していた営業の かじ○ に、「不動産屋というのは、人相の悪いヤクザか?みたいなオヤジがやっているから、見込客が店の中に入って来るまで自分の姿を見込客に見せたくないから、だから、外から中が見えないように窓ガラスや入口のドアのガラスに物件案内書をべたべたと貼って見えないようにするのであって、ここは別に特に人相の悪い人がいるわけではないのだから、そういうのは貼らないで外から中が見えるようにした方がいい」と言ったところ、かじ○が「いるんです。人相の悪い人がいるんです」と言い、自分で自分の顔を指さしたことがありました。 言われてみると、たしかに彼はあんまり人相は良くなかった。 高校の時にけんかをして退学になり、高校卒業後に勤めた会社も拓殖大空手部出身の見るからにヤクザという男が社長をやっている水道屋だったと自分で言っていたように、言われてみると彼は人相はよくなかった。〔たしかに、そう言われてみると、最近、交番に貼ってある指名手配犯人で麻布警察署が「殺人・凶器準備集合」で指名手配している指名手配犯に彼はよく似ている。〕 しかし、そこが「住宅の不動産屋の発想」だと思います。 「住宅の建築屋の営業」はそういう発想をしません。 「地(じ)」がそれほどよくない人でも、できるだけよく見てもらえるように努力し、服装に気を使い、自己紹介の方法を考えます。 それが「住宅の建築の営業」のやり方です。「地」の人相がよかろうが悪かろうが、「隠れる」「隠れた方がいい」という発想は、それは「不動産の住宅の営業」の発想なのです。
   彼はそれほど考えずに口にして自分の顔を指差したかもしれませんが、「建築の住宅の営業」を長くやってきて「不動産の住宅の営業」とかかわる経験もある私としてはわかったのです。 彼は「建築屋型」ではなく「不動産屋型」であるということが。 経験のない人間ならわからないかもしれませんが、経験者としてはわかりました。
   その後、東金市日吉台で彼と一緒に「完成現場見学会」をやると、「建築の住宅の営業」をやってきた私としては「当然、営業は外にいて自分の姿を周囲の人に見せるもの」という認識でしたが、彼は「クルマの中にいて、見込客が建物に入りかけるまでは自分の姿を見せない」という姿勢を取るのです。
   それで、彼は、菊池建設にいたとか桧家住宅にいたとか自称しているのは、実際にどうかにかかわらず、実質上、職歴詐称だと私は判断したのです。 逆に、なんらかの形で不動産屋とのかかわりのある人ではないかと判断しました。 行動と思考が建築屋のものではないのです。不動産屋型なのです。
   「そんなことで」と思う人もあるかもしれませんが、「建築の住宅の営業」を長くやってきた人なら私がここで述べたことは理解されると思います。 「建築の住宅の営業」は自分の姿を見せようとする、「不動産の住宅の営業」は自分の姿を見せないようにする。隣接業界でも思考が正反対なのです。 長い間の習性は出るものです。
      (2014.2.13.) 
☆ 職歴詐称を見破る方法
(1)「床柱ってどんな木を使うんですか」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_8.html
(2)筋交いの入れ方がわからない男 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_13.html
(3)構造現場説明ができない男 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_14.html
(4)ラッシュをかけられない男 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_15.html
(5)マルチ商法にはまる営業違反の営業 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201402article_1.html
(6)「販売は断られた時から始まる」を誤解 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201402article_3.html
(7)奥の席でお客さんみたいにちん https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201402article_4.html
(9)自社前にクルマを停める者、女性心理を考えない男https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201402article_6.html
(10)自社展示場・店舗に来場した見込客を他社に紹介してよいか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201402article_7.html
と合わせ御覧ください。

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