ひとのクルマに乗せてもらって勝手に窓ガラス昇降スイッチをガチャガチャやる男は「営業できる」だろうか
[第251回]営業と会社の話(59)
東日本大震災と福島第一原発事故の後、放射性物質が東京から千葉にかけても飛散してきたようで、原発事故直後、私も外出時はマスクをして、一番外側に着た服は家の玄関入った所にかけて、それより中に入れないようにし、外から戻った時はうがいをして・・・としてきました。
自動車というのは、窓をぴったりと締めると密閉されているようで、実際にはけっこう隙間があるようです。 それでも、原発事故直後、できるだけ窓を開けないようにしておいた方がいいだろうと思って、窓は閉めて、ドアの開閉も最低限にして乗り降りするようにしました。 ところが、2011年3月、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング有限会社(建設業)・ジャムズグローバルスクエア株式会社(不明業)・ビルダーズジャパン株式会社(不動産業)・(フィットステーション千葉)の自称「工事責任者」でビルダーズジャパン株式会社の「取締役」になっていたU草 A二(男性。30代なかば。当時。)がクルマで送ってほしいというので乗せたところ、ひとのクルマの窓ガラスの昇降スイッチを勝手にガチャガチャいじって開けてしまった。ひとが窓を開けず、ドアの開閉も最低限にし、エアコンは外気と循環しない方法のみとしてきたクルマの窓を。
今や、放射性物質・放射線にどう対処するかは、建築・住宅においても需要な問題であり、建築屋の従業員が放射性物質・放射線に関心がないではすまなくなってきています。 それを、自称「工事責任者」がそういうことをするというのは、いったいどうしたことか。
その前に、原発事故による放射性物質の飛散どうこうという問題がなかったとしても、ひとのクルマに乗せてもらって、窓を開けたいと思ったならば、教育の悪い家庭の行儀の悪い子供みたいに 勝手にガチャガチャと昇降スイッチをいじるのではなく、「すいません。窓、開けさせてもらってもかまいませんか」と、ひとこと、言うものと違うのか?
それで、まあ、この人は、自称「工事責任者」といっても、元・建売大工で、営業じゃないのだから、しかたがないか・・・と思って我慢したのです。
ところが。 そのブ―タンが、大きな顔をして、大きな声で、「ぼく、営業やったことないですけど、営業できますから」と何度も何度も言うのだ。 はあ? はあ~ああ???
※ブータン ↓
さらに言うならば、だ。 人間は一般に見た目のいい人と見た目のよくない人であれば、見た目のいい人の方に好感を持つということから、私は、住宅建築請負業の営業の仕事についてから、週に1回、温水プールに通うなどして体調維持に努め肥満体形にならないように努力してきたが、それで成功したところもありそうでもないところもありではあるけれども、そういった努力をしてきた。
日本の会社では、煙草を吸う人間と肥満体の人間は採用するなという会社があるという話があり、それに賛否両論があったようだ。 煙草を吸う人間・肥満体の人間は、その分、体力が劣るということもあるが、意志が弱く自己管理ができていない証拠だと言う経営者があるらしい。 煙草は健康によくないからできるだけ吸わない方がいいとは思うし、肥満体は、長い目で見て、心臓疾患その他の病気になりやすいという点から改善した方がいいだろうけれども、しかし、小さい頃からの食生活を変えるのはそう簡単でもなく、又、やせ型の体型になるような食生活をさせてきた親の子供と太り気味の食生活をさせてきた親の子供では、やせ型の食生活の親の子供の方が意志が強いとか自己管理ができているとかいったのでは、そこまで言うと、少々決めつけすぎではないかとも思える。
しかし、ブンタッタ体型で平気でいる男に、「ぼく、営業やったことないですけど、営業できますから」と大きな顔で言われると・・・・・。
やせろ! と言いたくなる。 それは、無神経だからでぶでぶ肥っているのだろう、という印象を受ける。
無神経な人間、がさつな人間、礼儀のない人間というのは、「営業できる」だろうか? 「営業に向いてる」だろうか?
私は、もともとは、営業をやるつもりの人間ではなかった。 大学新卒で小堀住研に入社した1年目、契約客に同行して、ある家相の専門家の所に行った時、その家相の専門家の方から、「こういう人は、普通は営業の世界に入らないのですが、いったん、入ると、お客さんにとっても、営業成績の上でも、いい営業になると思います。」と言ってもらったことがありました。 その言葉のように、もともとは営業の世界に入るつもりはなかった人間が入ったのですが、入った以上は成果を出したいと思い、そして、たとえば、↓
・・・といった本など、読み、向上に努めてきました。
人生いろいろ、世の中いろいろ、会社もいろいろ・・なのかもしれませんが、一般に、これらの本がどれだけ役立ったかというとよくわからないところもありますが、少なくとも、こういったものでも読んで学ぼう、役立てようと努力する者とそういう姿勢のない者なら、こういうものでも読んで役立てようと考える者の方が「営業できる」要素がある、「営業に向いてる」、「売れる」要素がある、と考えていいと私は思うのです。 思うからこういったものも読んで努力してきたのです。
ひとにクルマに乗せてもらって、窓ガラスの昇降スイッチを勝手にガチャガチャやるというのが、「マナー」でしょうか。 「できる男」でしょうか。 「ティファニーの(テーブル)マナー」でしょうか。 「オヤジにならないビジネスマナー」でしょうか。 「お客様・女性・部下に愛される具体例」でしょうか。 「男の作法」でしょうか。
私は営業の仕事をやりながら、こういった本を読んで学び、考え、取り入れてきたのです。 「営業やったことないですけど、営業できます」と言う男というのは、営業やりもせずに、どうやって学んだのでしょう。 「営業やったことない」けれども、本に書かれたものを読んで学んだのでしょうか。 それなら、その本には、ひとのクルマに乗ったら、ひとことも断らずに、勝手にガチャガチャやれと書かれていたのでしょうか。 なんか、ユニーク(unique)な本ですねえ。 私なら、そんなこと書かれていても、実行しませんけれども。
営業という仕事の面白いところは、営業らしく見える人間とあんまり営業みたいでない人間では、時として、「営業みたいでない人間」の方が売れてみたりするところです。 「営業みたいでないところがいい」とか言われて評価されるというケースもあるようです。
営業という仕事の面白いところは、実際に営業の仕事につく前に、自分は営業に向いているとか、自分は営業ができるとか思っていた人間と、自分は営業に向いていないとか、自分は営業は無理だとか嫌だとか思っていた人間では、実際にやると、時として、自分は営業に向いていないと思っていた人間の方が成果を出す場合がある、というところです。
だいたい、やる前に、「自分はできる」と思っていたとしても、そんなもの、勝手に思っているだけでしかないのです。 やる前に「ぼく、できますから」と言われても、「それなら、やってください。 売ってください。 成果を出してください」ということになる。 実際に成果を出せば、人は認めるだろう・・・・けれども、やりもせずに、「ぼく、できますから」などとあつかましいことを言いまくるようなヤツというのは、その仕事をなめているのであり、その分、売れない要素がある、と私なら評価する。
まず、ひとのクルマに乗せてもらって、勝手にガチャガチャいじる男、というのは、そういう家庭の人なのかな・・・・と、いわば、「お里が知れる」という行為をおこなっているのである。 それが営業の行為として適切だろうか?
上記の本を読めば必ず売れるというわけでもない。 しかし、そういう本でも読んで、その分だけでもマナーを向上させれば、その分だけでも「売れる」要素が増えるのではないか・・・と考えて努力する者は、その分だけでも、たとえ1%でも、0.1%でも「売れる」要素がある、「営業できる」要素がある、と言っていいと私は思っているし、そうでない者は、たとえ1%でも、0.1%でも「売れない」要素がある・・と言わざるをえない・・と私は思う。
違うだろうか?
ひとのクルマに乗せてもらって、勝手にガチャガチャやるガサツな子供みたいな男が「営業できる」と思うか? その分だけ「売れる」要素があると思うか?
私なら思わないが・・・・。
まあ、この人は営業じゃないからしかたがない・・と思って我慢してもらっているのに、それをあつかましくも、「ぼく、営業やったことないですけど営業できますから」などと大きな顔して言う男というのは、どういう神経しているのだろう・・と思うが、そういう神経しているのだろう。
(参考)⇒《あおぞら教室 こんなヤツは車に乗せたくない》http://bikeyarou2ch.blog.fc2.com/blog-entry-349.html
1. ひとのクルマに乗せてもらって、それも、自分は若い頃に乱暴な運転をして事故をおこして以来、運転できないのかしないのかで、クルマには乗せてもらうばかりで自分がひとを乗せることはないという者がひとのクルマに乗せてもらった上で、クルマの所有者・運転者に断りもなく窓ガラスの昇降スイッチをガチャガチャやったこと、
2.特に、福島第一原発事故の直後で千葉県でも放射性物質が空中に飛散しているという時期にこちらができるだけ窓を開けないようにしている私のクルマの窓を勝手に開けたこと、
については、「まあ、この男は営業じゃないからしかたがない」と我慢したのだが、
そいつが「ぼく、営業やったことないですけど、営業できますから」と大きな顔をしてヌケヌケぶたぶたと言いまくるというのは、許すべきだろうか。 それとも卍がため でもかけてやった方が本人のためだろうか?
※「卍がため」は
⇒《YouTube-アントニオ猪木 卍固め20連発 》http://www.youtube.com/watch?v=qLsLkJvrojs
(2014.4.11.)
東日本大震災と福島第一原発事故の後、放射性物質が東京から千葉にかけても飛散してきたようで、原発事故直後、私も外出時はマスクをして、一番外側に着た服は家の玄関入った所にかけて、それより中に入れないようにし、外から戻った時はうがいをして・・・としてきました。
自動車というのは、窓をぴったりと締めると密閉されているようで、実際にはけっこう隙間があるようです。 それでも、原発事故直後、できるだけ窓を開けないようにしておいた方がいいだろうと思って、窓は閉めて、ドアの開閉も最低限にして乗り降りするようにしました。 ところが、2011年3月、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング有限会社(建設業)・ジャムズグローバルスクエア株式会社(不明業)・ビルダーズジャパン株式会社(不動産業)・(フィットステーション千葉)の自称「工事責任者」でビルダーズジャパン株式会社の「取締役」になっていたU草 A二(男性。30代なかば。当時。)がクルマで送ってほしいというので乗せたところ、ひとのクルマの窓ガラスの昇降スイッチを勝手にガチャガチャいじって開けてしまった。ひとが窓を開けず、ドアの開閉も最低限にし、エアコンは外気と循環しない方法のみとしてきたクルマの窓を。
今や、放射性物質・放射線にどう対処するかは、建築・住宅においても需要な問題であり、建築屋の従業員が放射性物質・放射線に関心がないではすまなくなってきています。 それを、自称「工事責任者」がそういうことをするというのは、いったいどうしたことか。
その前に、原発事故による放射性物質の飛散どうこうという問題がなかったとしても、ひとのクルマに乗せてもらって、窓を開けたいと思ったならば、教育の悪い家庭の行儀の悪い子供みたいに 勝手にガチャガチャと昇降スイッチをいじるのではなく、「すいません。窓、開けさせてもらってもかまいませんか」と、ひとこと、言うものと違うのか?
それで、まあ、この人は、自称「工事責任者」といっても、元・建売大工で、営業じゃないのだから、しかたがないか・・・と思って我慢したのです。
ところが。 そのブ―タンが、大きな顔をして、大きな声で、「ぼく、営業やったことないですけど、営業できますから」と何度も何度も言うのだ。 はあ? はあ~ああ???
※ブータン ↓
さらに言うならば、だ。 人間は一般に見た目のいい人と見た目のよくない人であれば、見た目のいい人の方に好感を持つということから、私は、住宅建築請負業の営業の仕事についてから、週に1回、温水プールに通うなどして体調維持に努め肥満体形にならないように努力してきたが、それで成功したところもありそうでもないところもありではあるけれども、そういった努力をしてきた。
日本の会社では、煙草を吸う人間と肥満体の人間は採用するなという会社があるという話があり、それに賛否両論があったようだ。 煙草を吸う人間・肥満体の人間は、その分、体力が劣るということもあるが、意志が弱く自己管理ができていない証拠だと言う経営者があるらしい。 煙草は健康によくないからできるだけ吸わない方がいいとは思うし、肥満体は、長い目で見て、心臓疾患その他の病気になりやすいという点から改善した方がいいだろうけれども、しかし、小さい頃からの食生活を変えるのはそう簡単でもなく、又、やせ型の体型になるような食生活をさせてきた親の子供と太り気味の食生活をさせてきた親の子供では、やせ型の食生活の親の子供の方が意志が強いとか自己管理ができているとかいったのでは、そこまで言うと、少々決めつけすぎではないかとも思える。
しかし、ブンタッタ体型で平気でいる男に、「ぼく、営業やったことないですけど、営業できますから」と大きな顔で言われると・・・・・。
やせろ! と言いたくなる。 それは、無神経だからでぶでぶ肥っているのだろう、という印象を受ける。
無神経な人間、がさつな人間、礼儀のない人間というのは、「営業できる」だろうか? 「営業に向いてる」だろうか?
私は、もともとは、営業をやるつもりの人間ではなかった。 大学新卒で小堀住研に入社した1年目、契約客に同行して、ある家相の専門家の所に行った時、その家相の専門家の方から、「こういう人は、普通は営業の世界に入らないのですが、いったん、入ると、お客さんにとっても、営業成績の上でも、いい営業になると思います。」と言ってもらったことがありました。 その言葉のように、もともとは営業の世界に入るつもりはなかった人間が入ったのですが、入った以上は成果を出したいと思い、そして、たとえば、↓
・・・といった本など、読み、向上に努めてきました。
人生いろいろ、世の中いろいろ、会社もいろいろ・・なのかもしれませんが、一般に、これらの本がどれだけ役立ったかというとよくわからないところもありますが、少なくとも、こういったものでも読んで学ぼう、役立てようと努力する者とそういう姿勢のない者なら、こういうものでも読んで役立てようと考える者の方が「営業できる」要素がある、「営業に向いてる」、「売れる」要素がある、と考えていいと私は思うのです。 思うからこういったものも読んで努力してきたのです。
ひとにクルマに乗せてもらって、窓ガラスの昇降スイッチを勝手にガチャガチャやるというのが、「マナー」でしょうか。 「できる男」でしょうか。 「ティファニーの(テーブル)マナー」でしょうか。 「オヤジにならないビジネスマナー」でしょうか。 「お客様・女性・部下に愛される具体例」でしょうか。 「男の作法」でしょうか。
私は営業の仕事をやりながら、こういった本を読んで学び、考え、取り入れてきたのです。 「営業やったことないですけど、営業できます」と言う男というのは、営業やりもせずに、どうやって学んだのでしょう。 「営業やったことない」けれども、本に書かれたものを読んで学んだのでしょうか。 それなら、その本には、ひとのクルマに乗ったら、ひとことも断らずに、勝手にガチャガチャやれと書かれていたのでしょうか。 なんか、ユニーク(unique)な本ですねえ。 私なら、そんなこと書かれていても、実行しませんけれども。
営業という仕事の面白いところは、営業らしく見える人間とあんまり営業みたいでない人間では、時として、「営業みたいでない人間」の方が売れてみたりするところです。 「営業みたいでないところがいい」とか言われて評価されるというケースもあるようです。
営業という仕事の面白いところは、実際に営業の仕事につく前に、自分は営業に向いているとか、自分は営業ができるとか思っていた人間と、自分は営業に向いていないとか、自分は営業は無理だとか嫌だとか思っていた人間では、実際にやると、時として、自分は営業に向いていないと思っていた人間の方が成果を出す場合がある、というところです。
だいたい、やる前に、「自分はできる」と思っていたとしても、そんなもの、勝手に思っているだけでしかないのです。 やる前に「ぼく、できますから」と言われても、「それなら、やってください。 売ってください。 成果を出してください」ということになる。 実際に成果を出せば、人は認めるだろう・・・・けれども、やりもせずに、「ぼく、できますから」などとあつかましいことを言いまくるようなヤツというのは、その仕事をなめているのであり、その分、売れない要素がある、と私なら評価する。
まず、ひとのクルマに乗せてもらって、勝手にガチャガチャいじる男、というのは、そういう家庭の人なのかな・・・・と、いわば、「お里が知れる」という行為をおこなっているのである。 それが営業の行為として適切だろうか?
上記の本を読めば必ず売れるというわけでもない。 しかし、そういう本でも読んで、その分だけでもマナーを向上させれば、その分だけでも「売れる」要素が増えるのではないか・・・と考えて努力する者は、その分だけでも、たとえ1%でも、0.1%でも「売れる」要素がある、「営業できる」要素がある、と言っていいと私は思っているし、そうでない者は、たとえ1%でも、0.1%でも「売れない」要素がある・・と言わざるをえない・・と私は思う。
違うだろうか?
ひとのクルマに乗せてもらって、勝手にガチャガチャやるガサツな子供みたいな男が「営業できる」と思うか? その分だけ「売れる」要素があると思うか?
私なら思わないが・・・・。
まあ、この人は営業じゃないからしかたがない・・と思って我慢してもらっているのに、それをあつかましくも、「ぼく、営業やったことないですけど営業できますから」などと大きな顔して言う男というのは、どういう神経しているのだろう・・と思うが、そういう神経しているのだろう。
(参考)⇒《あおぞら教室 こんなヤツは車に乗せたくない》http://bikeyarou2ch.blog.fc2.com/blog-entry-349.html
1. ひとのクルマに乗せてもらって、それも、自分は若い頃に乱暴な運転をして事故をおこして以来、運転できないのかしないのかで、クルマには乗せてもらうばかりで自分がひとを乗せることはないという者がひとのクルマに乗せてもらった上で、クルマの所有者・運転者に断りもなく窓ガラスの昇降スイッチをガチャガチャやったこと、
2.特に、福島第一原発事故の直後で千葉県でも放射性物質が空中に飛散しているという時期にこちらができるだけ窓を開けないようにしている私のクルマの窓を勝手に開けたこと、
については、「まあ、この男は営業じゃないからしかたがない」と我慢したのだが、
そいつが「ぼく、営業やったことないですけど、営業できますから」と大きな顔をしてヌケヌケぶたぶたと言いまくるというのは、許すべきだろうか。 それとも卍がため でもかけてやった方が本人のためだろうか?
※「卍がため」は
⇒《YouTube-アントニオ猪木 卍固め20連発 》http://www.youtube.com/watch?v=qLsLkJvrojs
(2014.4.11.)
この記事へのコメント