賀茂別雷神社[上賀茂神社]4 楽屋・細殿・立砂・土屋・舞殿(橋殿)・片岡橋・他、参拝法・賽銭について

[第256回]
【1】   賀茂別雷神社(かも わけ いかづち じんじゃ)〔上賀茂神社 かみがもじんじゃ〕の 一の鳥居 を中に入り、右に「斎王桜」「御所桜」「外弊殿」「風流桜」、左に「馬出の桜」「鞭打ちの桜」が植わっている向こうを馬に乗って走っている人たちを見ながら進み、神馬舎に白馬がおり、その後ろに「勝負の楓」が植わっているのを見て、そして、二の鳥居を中に入ります。 賀茂別雷神社の建物は、本殿と権殿が国宝で、その他は多くが重要文化財に指定されていますが、たしかに、重要文化財に指定されるだけのことはあると思えるものが多い。


【2】  二の鳥居をくぐって、すぐ右にあるのが、「楽屋」↓
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↑ 「楽屋」 重要文化財。 ≪寛永5年(1628年)造替 ≫ ≪ 神仏習合時代 僧方の用いたもの 一切経楽屋ともいう≫そうだ。


【3】  二の鳥居をくぐって、正面に見えるのが、賀茂別雷神社(上賀茂神社)についての写真でよく登場する「細殿(ほそどの)」と「立砂(たてすな)」です。↓
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↑ 「細殿(ほそどの)」 重要文化財。 ≪寛永5年(1628年)造替≫≪行幸の際 及 斎王の御著到殿 ≫と説明書きに書かれているが、「御著到」て何?  『古社名刹巡拝の旅3 賀茂川の道 下鴨神社 上賀茂神社』(2009. 集英社)には≪細殿は烏相撲(からすずもう)の際、斎王代が陪覧する建物。≫とある。
  「烏相撲(からすずもう)」とは、9月9日の「重陽の節句」の日に、≪上賀茂神社のシンボルである円錐形の立砂が並ぶ細殿の前庭で、氏子の子どもたち(小学生)が行う奉納相撲。市の登録無形文化財に指定されている。・・・ 本殿での重陽神事を終えたのち、庭に面した細殿に着座した斎王代が、相撲をとる子どもの名簿(差符〔さしふ〕)を披見することから烏相撲ははじまる。 取り組みに先立ち、烏帽子に浄衣(じょうえ)姿のふたりの神職が弓矢、太刀、扇などを持って庭にあらわれ、まず烏のように三度横跳びする。次にそれらを立砂に立てかけて円座に座り、扇を使いながら「カーカーカー」「コーコーコー」と烏の泣きまねをした後、子どもたちが立砂を回って勝負開始となる。 賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)の祖父である賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は、神武東征の際、3本足の八咫烏(やたがらす)に化身して、神武天皇の道案内をし、大和まで無事に先導したと伝わる。このユニークな烏の鳴きまねは、神社の起源説話に深くかかわっている。≫
  「立砂(たてすな)」は、≪上賀茂神社のシンボル。 聖なる山・神山(こうやま)をかたどったもの。≫ ≪月明かりを受けて鎮まる立砂は、古代人の信仰を偲ばせる。賀茂祭に先立つ、古代の御阿礼(みあれ)神事は深夜、神山で行われたとも伝わる。≫と『古社名刹巡拝の旅3 賀茂川の道 』には出ている。 賀茂別雷神社でいただいた由緒書きには≪二ノ鳥居を入った正面の立砂は神山を象ったもので、頂に松の葉が立てられ、陰と陽の一対になっている。≫と書かれている。  
  「神山(こうやま)」とは、≪神賀茂神社北北西2㎞にある標高301mのお椀を伏せたような山。禁足地で、頂上に巨大な磐座(いわくら)がある。≫≪・・その創建年代を特定することは難しいが、社伝によると、神武天皇の時代に賀茂別雷大神が神山(こうやま)に降臨したことにはじまる。 本殿の北北西2㎞にある神山は本来のご神体で、その神に仕えたのが、阿礼乎止女(あれおとめ)と呼ばれる賀茂氏の未婚の女性だった。これが、嵯峨天皇の皇女 有智子内親王を斎王の嚆矢とする斎院の制のもととなっている。≫(『古社名刹巡拝の旅3 賀茂川の道』)という。
  「神山(こうやま)」は社務所の前から見えるというので行って見てみたのだが↓
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↑ この写真に見える山なのか、そうではなく他の山なのか、よくわからない。








  『古社名刹巡拝の旅3 賀茂川の道 』には、神山の写真が出ているが≪お椀を伏せたような山≫で、頂がとんがった「立砂」とは形状が異なる。 また、立砂のように2つの山が双子のようにあるわけでもない。 立砂を≪神山を象ったもの≫というのは、実物を見て考えると、かなり無理があるように思える。 実際は、他の経緯で造られたものに、後からこじつけられた話ではないだろうか。 
  賀茂別雷神社の社殿は本殿と権殿のまったく同じ建物2つ横にならんでいて、神様の住まいと仮の住まいだと説明され、賀茂御祖神社の社殿も同じものが2つ並んでいて、こちらは、賀茂建角身命と賀茂玉依媛命の二柱の神さまがそれぞれおられると説明されるのだが、≪陰と陽の一対になっている≫と説明される立砂も同じものが2つ横にならんでいる。 この同じものが2つ横に並ぶという点について、それぞれの説明はまったく見当はずれかどうかはわからないが、実際に、最初に造られた時点では、その説明と別の理由があったということはないだろうか。 あくまで「・・ないだろうか」の話であるが、「同じものが2つ横に並ぶ」というものが、賀茂別雷神社の社殿、賀茂御祖神社の社殿、賀茂別雷神社の立砂と3箇所において見られる点は、検討されてよいものではないかと感じた。


【4】   「細殿」の右手、「楽屋」の奥に、「土屋」がある。↓
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↑「土屋」 重要文化財。 ≪寛永5年(1628年)造替≫≪往古より神主以下社司の著到殿 現今は祓所として用う。≫と説明書きに書かれている。


【5】   そして、「細殿」と「土屋」の間の奥で、小川を渡るように「舞殿(橋殿)」が建っている。↓
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↑「舞殿(橋殿〔はしどの〕)」 重要文化財。 ≪文久3年(1863年)造営≫≪往古より勅使 御拝の殿舎≫と説明書きがある。
   賀茂別雷神社の本殿・権殿や楼門などがある場所の西側を「御手洗川(みたらしがわ)」、東側を「御物忌川(おものいがわ)」という小川が流れており、それが、「細殿」の後ろの「手水舎」の後ろのあたりで合流する。 合流した川を渡るように建てられているのが「舞殿(橋殿)」で、「舞殿(橋殿)」は立ち入ることができないが、「舞殿(橋殿)」の上流に、禰宜橋、下流側に祝橋があり、この2つの橋で渡ることができる。 「土屋」の後ろを過ぎ、「岩本社」があるあたりで、また、「渉渓園」の両側に、南と東に2つに分かれ、南に流れる川は「ならの小川」という名前になる。
   「舞殿」という名称があるということは、ここで「舞」が舞われたということだろうか。 大阪市天王寺区の四天王寺(http://www.shitennoji.or.jp/map.html )には、亀の池の所の石橋に「石舞台」があり、舞楽が舞われるというが、寺と神社の違いはあっても、川や池を渡る場所で舞を舞うというのは、古来から行われてきたのだろうか。
   賀茂別雷神社では、本殿と権殿は、通常、写真撮影不可とされているらしく、その為か、青木康 編集『日本の神社 何度も参拝に行きたい神社60選』(2014年5月18日 宝島社)の「京都の地主神を祀る 賀茂別雷神社」では、大きな写真に「楼門」、小さい方の写真は1つが葵祭りの行列、もうひとつに「細殿と立砂」が掲載されている。
   『一個人 2014.6月号 【保存版特集 京都の世界遺産】』(2014.4.26. KKベストセラーズ)の「上賀茂神社」では、最も大きな写真に「土屋」を背景にして「立砂」が掲載され、他に、「ならの小川」と「橋殿」、「夏越祓式(なつごしはらえしき)」、「賀茂競馬(くらべうま)」と「葵祭(あおいまつり)」の「社頭の儀へ向かう斎王代」他、葵祭の写真と葵祭で牛車や社殿に飾られるという「二葉葵(ふたばあおい)」の葉の写真が掲載されており、本殿と権殿の写真は小さく掲載されている。
〔  『古社名刹巡拝の旅3 賀茂川の道』(集英社)では「名宝を見逃すな 本殿 権殿」に大きく写った権殿とその向こうの本殿が見える写真が32~33頁に、岡野弘彦・櫻井敏雄 執筆・三好和義 写真『日本の古社 賀茂社 上賀茂神社 下鴨神社』(2004.4.11. 淡交社)では、26~31頁に権殿と本殿の写真が大きく掲載されています。 本殿よりも権殿の写真が多いのは、本殿は前に「祝詞舎」(重要文化財)があるため、本殿よりも権殿の方が見えやすいからではないでしょうか。〕
  もしも、私が、本殿・権殿以外で、賀茂別雷神社の写真を1枚選ぶなら、「楼門」も悪くないけれども、川の上にまたがって建つ「舞殿(橋殿)」を選ぶ・・・かな・・・。


【6】  「細殿」の西に授与所、授与所の後ろに「橋本社」、「細殿」の後ろに「手水舎」があり、橋本社と手水舎の間の樟橋を渡ると「楼門(ろうもん)」の前に出ます。(楼門の写真は1. で公開しましたので参照ください。)

   賀茂別雷神社で「特別拝観」の際にいただいた上賀茂神社 製作『京都歩くマップ―上賀茂・北山―』 には、「お参りの仕方」として、
≪(1)先ず、手水舎にて手と口を清める。 
  (2)第1摂社 片山御子神社にお参りする 
  (3)本殿にお参りする 
  (4)願い事のある摂社にお参りする 
  (5)お賽銭は願い事をするお供えです 丁寧に れて、二礼二拍手一礼でお参りしましょう ≫
と書かれています。〔(5)の「丁寧に」と「れて」の間のスペースは、ブログ作成者の入力ミスではなく、原文のママ〕
   「第一摂社 片山御子神社」とは、『京都歩くマップ―上賀茂・北山―』には≪片山御子神社(片山社) (重文) 良縁・子宝・家運繁栄・家族円満の神様≫と書かれている。『日本の古社 賀茂社 上賀茂神社 下鴨神社』(2004.4.11. 淡渓社)所収の岡野弘彦「賀茂社 神々の物語」には、≪数ある摂社のなかで第一の地位にあるのは、片山御子社で、賀茂別雷神の母神の玉依姫を祭っていて、上社の祭事はまずこの社に捧げものをしてから、つぎに本殿の祭りに移るのだという。≫と出ている。
   楼門からは御物忌川を渡った対岸に位置します。御物忌川を渡る橋として、屋根のある建物様の「片岡橋」(重要文化財)↓ とその下流の屋根・壁のない普通の橋様の「玉橋」(重要文化財)がかかっており、通行できるのは屋根のある片岡橋の方で玉橋は通行不可となっています。
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↑ 「片岡橋」 重要文化財。 御物忌川にかかり、川の右岸に楼門があり、左岸に片山御子神社(片山社)〔重要文化財〕、須波神社〔重要文化財〕があります。 
   『京都歩くマップ―上賀茂・北山―』には手水舎で手と口をすすいだ後、≪第一摂社 片山御子神社(片山社) (重文)にお参りする≫と書かれているのですが、私がこの上賀茂神社製作『京都歩くマップ―上賀茂・北山―』をいただいたのは、「本殿」・「権殿」の前の「透廊(すいろう)」の前の「中門」のところで参拝を終え、そして、「特別参拝」として500円を納めることで本殿・権殿を見学させていただくことができるということで、中門の西側の「西局」(重要文化財)のところで、巫女さん(?)に「特別拝観」を申し込んだ時にいただいたもので、その時には、私は、神社というものは、手水舎で手と口をすすいだ後は、まず、その神社の主祭神を祀っている本殿の前の拝殿がある神社なら拝殿、拝殿のない神社ならそれに該当する所(賀茂別雷神社なら中門)のところに行って参拝し、摂社・末社への参拝はその後と思い、すでに中門のところで参拝をすませた後でした。 そして、「特別拝観」は単に見せてもらえるというのではなく、首から「上賀茂神社 特別参拝」と書いた白い紙の首輪をかけて、若い神職から「ご低頭願います」と言われてお祓い(?)をしてもらった上で、「特別に神聖な場ですから」ということで西局の北側、権殿の正面の位置まで入らせていただいたというもので、なんだか、疲れてしまって、それで、その後、一の鳥居の前に並んでいる売店の真中あたりの店で、「冷やし甘酒」450円を飲みながら、上賀茂神社製作『京都歩くマップ―上賀茂・北山―』を見ると、まず、第一摂社の片山御子神社に参拝するべきだったと書いてあったとしても、先に言ってよという感じで、それからもう一度、片山御子神社に行き直すかというと、もう疲れちゃったよ、次の時でいいでしょ、次の時で・・て感じで、今回は片山御子神社の参拝は「遠慮」というのか「自粛」というのかさせていただきました。


【7】   ところで、上記の、上賀茂神社製作『京都歩くマップ―上賀茂・北山―』 に記載の「お参りの仕方」ですが、
1. 建築屋として、地鎮祭とか上棟式の時、「2礼2拍手1礼」をしてきましたので、神社の参拝は「2礼2拍手1礼」のものだと思ってきたのですが、最近、読んだ本によると、そう決まっているわけでもなく、神社によって異なるというのです。 しかし、あまり難しいことを言われてしまうと参拝できなくなってしまうようなところもあります。 賀茂別雷神社の場合、神社が製作したリーフレットに≪二礼二拍手一礼でお参りしましょう≫と書かれているのですから、「2礼2拍手1礼」でいいのでしょう。

2. 「第一摂社 片山御子神社」より先に主祭神の本殿・権殿の前の中門前に行ったらいけないのかというと、いけないということもないでしょう。 まさか、神さまともあろう方が、作法を違えやがった・・、よおし、神罰をお見舞いしてやろう・・などと考えたりもしないでしょう。 というより、お寺だって、まず最初に本堂にお参りしてからというように、神社でも、摂社より先に主祭神の社に行くのが一般的だと、普通は考えませんか?  片山御子神社に先に行けというのなら、中門の横から「特別参拝」に参加する時に渡す『京都歩くマップ―上賀茂・北山―』 に書くのではなく、一の鳥居の脇、二の鳥居の脇、そして、楼門の脇に「片山御子神社に参拝せざるもの、楼門をくぐるべからず」と大きく書くなりしてほしいわ。 そんなもん、先に、本殿・権殿の前の中門前で参拝してから言われても遅いわ。そんなん・・・。 そう思いませんか?

3. それから、「賽銭」なんですが、≪願い事をするお供えです 丁寧に れて、二礼二拍手一礼でお参りしましょう ≫が悪いとは言いません。 でもね。 神社によっては、あっちやらこっちやらに賽銭箱がある神社があるんです。 賀茂別雷神社にしても、摂社・末社の数は相当ありますよね。 ともかく、立ち寄ったら、たとえ、1円でも5円でも入れなければならないとなると、けっこうめんどうなんです。 自分が、この神社にはいくら納めようと思った額を1か所で入れたなら、他では賽銭は入れずに拝んでも悪いことはないと思うのです。
   何年か前、大阪市の住吉大社に行った時、第一~四本殿に参拝して、その後、摂社・末社を順番に回りながら、ともかく、賽銭箱が置いてある限り、1円でも5円でも入れるべきなのかと思って入れていくと、そのうち、小銭がなくなって、見ると、まだまだ賽銭箱は見渡す限りあり、実際のところ、「神さん、ええかげんにせえよ、ほんまにい」という気持になったことがありました。 でもね。 賽銭箱が置いてあっても、「賽銭」というのは強制ではないのですよ。 たしか、『地球の歩き方』(ダイヤモンド社)に載っていたと思うのですが、ヨーロッパに旅行に行った時、チップをどうするかを迷う日本人が多いが、ホテルに宿泊した時、枕銭として、チップを枕元に置く時、チップのつもりなのか、それとも、そこに宿泊客が置き忘れたのか、部屋のベッドメイク・清掃をする人が判断に迷う置き方をする人があるので、チップ・枕銭のつもりなら、そうわかるような置き方をするのがよいと書かれていたのを見た記憶があります。 それで、「賽銭」も、賽銭箱を設置しておかないと、神社としても、賽銭のつもりで置かれたのか、それとも、落し物なのか、判断に困るケースがあるのではないかと思うのです。 又、本当にどうしようもなく生活に困っている人が、神さん、お願いします、かならずお返ししますから、一時、貸して下さい、と拝借するならともかく、そうでもない人、特に、子供などが持ち去って使うようでは、その子供のためにもならないのではないか、と考えると、地面や床の上にお金を置かれるのではなく賽銭箱に入れてもらうようにした方がいいと思われます。 それで、参拝者が賽銭を置こうと考える可能性のある場所にはともかく賽銭箱を設置しておこうという考え方で設置されている場合があるのではないかと思うのです。 だから、賽銭箱はいっぱいあるとしても、ともかく、前を通ったならば、すべての賽銭箱に1円でも5円でも入れて回らなければならないということもないと思うようになったのです。
   やはり、何年か前のこと。 京都の大原 三千院に行ったとき、お坊さんが「賽銭箱にお金を入れなければ拝んではいけないなんてことはないんですよ。 別に、お金を入れずに拝んでもいいんです。」「それで、もしも、自宅に帰ってから、『しまった、お賽銭を入れ忘れた』と思った時には、自宅の近くの檀家のお寺に行って、そのお寺のお賽銭箱に入れればそれでいいんです」と隣りの人に話されているのを聞いたことがあります。 なるほど、そうだなあと思ったのですが、しかし、いくらかは入れてもらわないと、お寺さんも運営上、困るということはないのかな、とも思ったのですが、三千院の場合、入口で拝観料800円を納めて入っていますから、800円払って入った人間が、さらに1円だの5円だの入れようが入れまいが、お寺の会計としてはそう影響ないかもしれません。 又、実際のところ、有名なお寺や神社に訪問して感じたことなのですが、誰もが名前を知っているようなお寺とか神社って、実際のところ、金持ちの檀家とか氏子とかがついているのか、あんまり、お金に困ってない寺や神社が多いような気がするのです。 私なんかより神さんの方がはるかにお金持ちみたいで、だから、お賽銭は≪願い事をするお供え≫として入れてもいいけれども、摂社がいくつもある場合には、1か所でいくらか入れた場合には、賽銭を入れずに拝むだけの摂社があったって、悪いということはないと私は思うのです。
   賽銭とは≪願い事をするお供え≫というのは正しいか? というと、経済学的には嘘ですね。昔、神社の娘だったという人から、賽銭のことを「あれ、私のお小遣い」とまた聞きですが聞いたことがあります。仕事がうまくいかず結婚できません、神様、助けてくださいと願って少ないふところの中から入れた賽銭が、結婚できて子供もできた者の子供の小遣いになっていた、神さんは詐欺師の片棒かつぎか? ということになるが、施設利用料と思えば、納めていいわけです。
   お寺にしても神社にしても、入口で拝観料の納付を求められる寺・神社と、払わなくても入場させてもらえる寺・神社があります。 どちらかというと、国宝・重要文化財といった建築物がある寺・神社の方がそうでない寺・神社より拝観料の納付を求められる場合が多いように思いますが、この賀茂別雷神社などは、国宝の本殿・権殿のほか、建造物は重要文化財だらけですが、権殿の正面の西局の内側まで「特別拝観」として入らせていただくのでなければ、中門の前まで、1円も払わなくても入場させていただくことができます。 イタリアやフランス・イギリスに行った時、ヨーロッパの教会は、サン=ピエトロ寺院にしても、ミラノ大聖堂にしても、教会堂に入場することにお金を払わなければならない教会はまったくないわけではないけれども少ないのを体験し、日本の有名な寺社は拝観料を払って入る所が多いのと違いを感じたのですが、日本に帰って、職場の同僚にその話をすると、「でも・・・ね。 観光バスで乗りつけられたあかつきには、お寺だって神社だって、拝観料とりたくなりますよ。そう思いませんか」と言われました。 たしかに、そうかもしれない。 巡礼・参拝・お参りとして、個人で尋ねてくる人には、宗教施設として、出来る限り広く人を招き入れたいという面はあるとしても、たしかに、わけのわからんのが大量に観光バスでやってきたのを見ると、たしかに、いくらかとりたくなるわなあ・・・という気もします。 それで、有名な寺・神社はあんまりお金に困ってない所が多いような印象は受けるのですが、そうであっても、そこを利用させていただくのであれば、建物の維持管理にお金がかかるということもあるでしょうし、そこを掃除している人だっているわけですし、トイレを借りれば水道代だってかかるわけですから、拝観料を納めて入場する寺社の場合は、お賽銭は納めても納めなくてもいいけれども、拝観料を納めずに入場させてもらえる寺社の場合には、信仰がどうかといったことと別に、施設利用料の意味合いで、特に高額かどうかはさておき、いくらかは、お賽銭として入れるか、「授与所」で何か買って帰るか、御朱印を書いていただくか、なんらかの形でいくらかはお金を納めていくようにした方がいい、と私は考えてきました。  しかし、そう思って、自分として、ここにはこのくらい納めようかと思った額を、賽銭として入れるなり授与所で何か買うなり御朱印を書いてもらって納めるなりした後で、さらに、目の前に賽銭箱をつきつけられるような場面に出くわすと、「もう、払ったでしょうよ」「さっき、はろたがな」という気持になる場合もあります。 この賀茂別雷神社でも、それに似た体験をしました。 それについては、次回、述べます。

☆ 《賀茂別雷神社[上賀茂神社]参拝》9部作、
1.楼門・透廊・棚尾社・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_1.html
2.福音ルーテル賀茂川教会・賀茂川・御土居・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_2.html
3.斎王桜・外弊殿・神馬舎・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_3.html

5.弊殿・「特別拝観」の感想・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_5.html

6.奈良神社・北神饌所・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_6.html
7.檜皮葺・大田神社・魯山人生誕地・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_7.html
8.深泥池・京都コンサートホール、摂社の構成・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_8.html
9.流造と切妻、不動産業の神「迦毛の大神」・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_9.html
も、ご覧くださいませ。
   (2014.5.5.) 
 

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