賀茂別雷神社[上賀茂神社]参拝8.社家町から深泥池・京都コンサートホール、上賀茂神社の摂社の構成。
[第260回]
【1】 上賀茂神社の門前を東に進むと、「社家(しゃけ)町」といわれる重要伝統的建造物群保存地区に指定されている地域を明神川に沿って通り、少し北上すると、大田神社にぶつかります。 大田神社の斜め前に、食通にして陶芸家であったという 「北大路 魯山人 生誕地」の碑が立っています。
「社家町」は、上賀茂神社から大田神社にかけて、その街並みがよく見られる、とどこかに書かれていたのですが、大田神社より東にも同様の街並みはしばらく続いています。↓
【2】 北大路 魯山人 は 雁屋哲 作・花咲アキラ 画『美味しんぼ(おいしんぼ)』の中で、しばしば、話にでてきますが、その「北大路魯山人生誕の碑」が立っている道を東に進むと、けっこう有名だが、訪問したことはないという人がけっこう多いのではないかと思われる 「深泥池(みどろがいけ、 みぞろがいけ)」があります。 ↓
↑ 「深泥池(みぞろがいけ、みどろがいけ)」
北大路 魯山人 は『美味しんぼ』に、しばしば、登場しますが、深泥池は、あべ善太 原作・倉田よしみ 作画『新・味いちもんめ』で、京都の割烹「さんたか」で働く伊橋を訪ねてきた、東京・桜花楼の後輩の板前が「ジュンサイ」を持ってきたのを見て、「さんたか」の主人が「ジュンサイ と言えば、深泥池(みどろがいけ)」と口にする場面があったと思います。
深泥池は天然記念物「深泥池生物群集」に指定されているようです。


京都市文化財保護課がたてた「深泥池に関する注意事項」という看板がたっています。 ≪1927年に「深泥池の水生植物群集」として国の天然記念物に指定され、1988年には動物を含めて「深泥池生物群集」に名称変更されました。≫と書かれています。
『改訂版 京都 観光文化検定 公式ガイドブック (8版)』(2007.10.8. 淡交社)の「京都の自然」の「深泥池」のところには、≪貴重な植物群落と地底に泥炭の堆積があり、三万年から一万年前の氷河時代の生きている化石としてミツガシラ、ホロムイソウなどが生育する。 ハリミズゴケ、オオミズゴケが生育する浮島には暖かい時代の名残りのミミカキグサ、サギソウなどが見られる。 4月にはミグガシワ、5月にはカキツバタ、アヤメ、トキソウ、9月にはサワギキョウの花が咲く。 ≫と書かれています。 『新・味いちもんめ』の「さんたか」の主人が「ジュンサイといえば深泥池」と口にしたジュンサイも生息するように、現地の別の看板にでていたと思いますが、しかし、「深泥池生物群集」として「天然記念物」に指定されていて、動植物を採取することはできないようなので、料理用としてジュンサイを得たいと思っても、深泥池で採ることはできないようです。
京都市文化財保護課がたてた「深泥池に関する注意事項」の看板とは別の場所に、「天然記念物 深泥池植物群集」の石碑がたっていますが、↓
↑・・・しかし、もうちょっと、適切な場所はないでしょうか。 この石碑の場所は前の道をクルマもよく通るし、↑この無粋な電信柱もなんとかならないものでしょうか。 最近では、清涼飲料水の自動販売機でも、その場所に合わせて、「超薄型」の販売機もあり、 「ラッピング」といって、設置者の求めに応じて、周囲になじむ色彩にしたり、設置者の企業イメージにあう色彩・デザインにしたりするということもやっており、寺社の中の清涼飲料水の児童販売機では、周囲の美観を破壊しない、突出しない色彩・デザインにラッピングされた自動販売機を見ることが少なくありません。 電柱は必要なのでしょうけれども、「天然記念物 深泥池生物群集」の深泥池の目の前にたてるのであれば、電柱もそこに馴染むデザインというものを考えることはできないものかと思います。
【3】 深泥池 から南にしばらく歩くと、京都市地下鉄烏山線の「北山」駅に到着します。 JRの京都駅や阪急京都線の四条河原町駅から近くまで市バスはありますが、鉄道の駅は近くになかったのが、「北山」駅ができたので、深泥池も行きやすくなったのではないでしょうか。 但し、北山駅から北の鞍馬海道は、クルマの通りの多い道で、歩道はあるとはいえ、あまり歩いて気持のいい道ではありません。
「北山」駅が地下にある交差点の南西側に、「京都府立総合資料館」と「京都コンサートホール」があります。↓

↑ 右手前が京都府立総合資料館で、左の黒い円筒みたいのが京都コンサートホールです。 茨城県つくば市の「世界的建築家 磯崎新が設計した」という つくばセンタービル の ノバホール を見た時、「世界的建築家」の名前に遠慮して言わない人もいるようですが、実際のところ、「納骨堂みたい」と思いました。 但し、音楽ホールというのは、その施設の性質上、外観が「納骨堂みたい」になりやすいところはあると思うのです。 又、ヨルン=ウッソン設計のシドニーオペラハウスみたいに外観のデザインばっかり重視して、内部がオペラハウスであるか何であるかなんかどうでもいい、もっぱらモニュメントであるような音楽ホールがいいかというと、いいかどうかより、それはモニュメントであって音楽ホール・オペラハウスではないのではないか、とも思えます。 しかし、だから「納骨堂みたい」でもしかたがないのかというと、たとえば、前川國男設計の東京文化会館などは、外観が「納骨堂みたい」にならないように工夫されています。 それで、この黒い円筒みたいな京都コンサートホールですが、誰の設計かインターネット上に出ていないか調べて見たのですが、今のところ、見つかりませんが、これも、外観は、「納骨堂みたい」にはなっていません。 だから、やっぱり、音楽ホールはその施設の性質上、外観が「納骨堂みたい」になりがちなところはあるとはいえ、そうならないようにするのが設計者のセンスであり、つくばセンタービルのノバホールが「納骨堂みたい」で「なんじゃ、これはあ」と思ったのは、やっぱり、「世界的建築家」のセンスの問題じゃないのか・・・・・なんて言うと、自称「建築家」とか言う人には怒る人がいるのですが、一般市民は「世界的建築家」のやること言うことならなんでも、「ははぁ~あ」と従わないといけないとでもいうのでしょうか。(⇒《pideo-水戸黄門10_印籠》http://www.pideo.net/video/youtube/fa295ee1bde0187f/ みたいな感じで・・) そのあたりの精神構造はあまり健全なものとは言い難いように思えます。
すぐ西には、京都府立植物園があり、その中に半木(なからぎ)神社があるようです。京都府立植物園は、何十年も前、まだ、小学校に行ったか行かない頃に連れてもらった記憶があるのですが、大阪市の天王寺動物園が好きだったので、同様のものを期待して行ったのですが、子供にとっては、植物園は動物園ほどおもしろくない、というのがその時の印象でした。 植物園は動物園に比べて、「大人向き」のところがあるかもしれません。
※ 京都府立総合資料館 のHPは⇒http://www.pref.kyoto.jp/shiryokan/
※ 京都コンサートホール のHPは⇒http://www.kyoto-ongeibun.jp/kyotoconcerthall/
※ 京都府立植物園 のHPは⇒http://www.pref.kyoto.jp/plant/
【4】 上賀茂神社(賀茂別雷神社)〔もしかすると、当初の「賀茂社」〕 の 摂社・末社 の6タイプ について。
上賀茂神社、もしかすると、当初は下社は河合神社であって、上賀茂神社が「賀茂社」であったかもしれないが、その摂社・末社のうち、
(1) 杉尾社・土師尾社・山尾社といった末尾に「尾」がつく「西局・中門・東局」のラインより奥に位置している摂社は、上賀茂神社製作『京都歩くマップ―上賀茂・北山―』には、
≪ 杉尾神社(重文) 林業の神様
土師尾神社(重文) 美術・工芸・陶器(土器) 等 ものづくりの神様
山尾神社 幸せを授ける神社 ・ 交通安全の神様 ≫
と書かれているけれども、実際には、通常、これらの社の直前まで行って参拝することはできない。
(2) 東方、少し離れた場所にある、大田神社は、『改訂版 京都 観光文科検定 公式テキストブック』の「京都の神社」に≪五穀豊穣を願ってこの地の地主神(じしゅじん)を祀ったのが始めという。 のちに上賀茂神社の境外摂社となり、上賀茂八摂社の一つに数えられる。・・≫と出ているように、もともとは上賀茂神社とは別の神社であったのが、賀茂賀茂神社の勢力が伸長するにともない、その傘下に入った・・というものらしく、上賀茂神社の境外にある神社で、上賀茂神社の摂社・末社だということになっている神社は、そういう神社が他にもあるのではないか。 大田神社の前の福徳神社・明神川のほとりにある上賀茂神社と大田神社の中間点付近の藤木神社などもそうかもしれない。
(3) 奈良神社とその背後の北神饌所(庁屋)は、上賀茂神社の境内の摂社の中では、本殿・権殿などから離れた下の方の位置にあり、今、見ると、奈良神社の社殿の大きさは大きくないが、『日本の古社 賀茂社 上賀茂神社 下鴨神社』(2004.4.11. 淡交社)に掲載されている≪鎌倉時代の境内図を室町時代になって写したものといわれている≫「賀茂別雷神社境内絵図」(室町時代 上賀茂神社所蔵)の写真を見ると、御手洗川・御物忌川で囲まれた地域が塀で囲まれ、そして、その外側を二の鳥居のラインで塀で囲まれているが、それと別に、奈良神社と北神饌所とその周辺が塀で囲まれ、半ば、独立した神社のような状況になっており、かつ、その間に神宮寺がある。 「奈良神社、及び、北神饌所」は、本殿・弊殿から離れた位置にあるから地位が低いのではなく、準独立的性格をもつ、≪神々の食事をつかさどる神≫(『日本の古社 賀茂社』所収 岡野弘彦「神々の物語」)として伊勢神宮の外宮のような性格をもっていたのではないか。
(4) 二葉稲荷神社 も奈良神社・北神饌所とともに、本殿・権殿から少々離れた位置にあるが、これは外宮のような位置づけとかではなく、境内、もしくは隣接地にあっても、基本的には別種の神社であり、多くの神社で、八幡社・天神社・春日社・鹿島社・金刀比羅社・水天宮社・諏訪社・浅間社・愛宕社・秋葉社・・・・・・・と長屋社殿に全国有名神社の出張所のようにいくつもの末社が入っているのと同様に稲荷社が入っているというものか。
道塚元嘉(みちづか もとよし)『民家のこころ』(1999.1.25.鹿島出版会)には、≪我が家の庭すみに、屋敷神として祀られてあるお稲荷さんん、母はよく油揚げや榊を供えていた。それは私が子供のころから、ずっとつづけられてきている。我が家の大切な行事。 ・・・・庶民の守り神である屋敷神だから、質素で小さな祠(ほこら)である。・・・≫と出ている。 私は住宅建築業の会社に長く勤めてきたので、自分が担当で建替え工事をさせていただいたお宅にはずいぶんとおじゃまさせていただいたが、長くその地に住んでいる方の家には、「氏神様(うじがみさま)」が庭に祀られていることがよくあった。 「氏神様(うじがみさま)」と「お稲荷様」はどういう関係なのかというと、私が建替えをさせていただいたお宅では、氏神様は氏神様であって他の何の神様でもないという認識のお宅が多かったように思うが、道塚元嘉氏のお宅では、氏神様は「お稲荷さん」であったらしい。 もしかすると、二葉稲荷神社は、上賀茂神社の屋敷神としての「お稲荷さん」ではなかったのか。
稲荷と天神は仲が悪いという話もあるが、その場合の「天神」は菅原道真の天神であり、賀茂社の天神・雷神は菅原道真とは関係のない天神なので、雷神社である賀茂社に稲荷が客分のように在しても悪くはなさそうである。
境内に、八幡社・天神社・春日社・鹿島社・金刀比羅社・水天宮社・諏訪社・浅間社・愛宕社・秋葉社・・・・・と全国有名寺社の出張所みたいな長屋社殿の末社が並んでいる神社は少なくないが、上賀茂神社においては、そういう傾向の出張所的な摂社・末社は二葉稲荷神社と、写真を撮ってこず記録もしてこず記憶が明確でないが二葉稲荷神社の手前に金毘羅と不動が祀ってあったと思うのだが(「不動」は本来は仏教のものであろうが)、それ以外にはない。 だから、逆に、二葉稲荷神社は外宮のような立場の「奈良神社・北神饌所」・かつてあったらしい神宮寺とともに、神賀茂神社の摂社・末社の中では、特有の立場にあるのではないか。
この稲荷神社と稲荷神社の摂社の金毘羅他は、もしかすると、もともとは別の神社だった可能性もあるのではないか。 実際、行って見ると、上賀茂神社の楼門の内側、二の鳥居から内側などとは、少々雰囲気が異なる。
(5) 橋本社 は、上賀茂神社製作『京都歩くマップ―上賀茂・北山―』には、≪和歌・芸能上達の神様であり女性に大きな力を下さる≫と書かれており、『日本の古社 賀茂社 上賀茂神社 下鴨神社』所収の岡野弘彦「神々の物語」には≪古くは衣通(そとおり)姫を祭ると伝えていたが、いつのころからか藤原実方(さねかた)が祭神だとする伝えに変わった。・・≫と出ているが、もともとは、御手洗川にかけた楼門から本殿・権殿に至る橋のたもとに建てた橋の無事を願う神さまでしょう。 だから、社の大きさも大きくない。
(6) よくわからないのが、片山御子神社(片山社)で、その神社の主祭神を祭る社殿より先に摂社に参拝せよという神社は、ここ以外では今まで聞いたことがない。 主祭神より優先せよという立場とはどういう立場か。
本殿・権殿で祀られている主祭神は、この場所より北方にある神山(こうやま)をご神体とする神である。 もしかすると、この場所を神山を拝む場所とした時、すでにこの場所に存在した先住の神ではないか。 この場所の地主神か、他の神であってもこの場所に先住していた神に、場所を譲ってもらって(「禅譲」してもらって)、御物忌川の対岸に引越してもらったのではないか。(もしくは、御物忌川の対岸の片岡山に先に片岡御子神社があって、それより奥の位置である現在の本殿・権殿の場所に後から入ってきた神山の(別)雷神社の出張所が社殿を造営させてもらったか。)
だから、先住の「神さま」に敬意を表して、主祭神より先に参拝するようにしている・・ということで、「主祭神の母(賀茂玉依姫)を祭っている」という話は後から付け加えられた話ではないか。下鴨神社は上賀茂神社の主祭神の母と祖父を祀っているのに、上賀茂神社の「第一摂社」では母だけを祀っているというのも変だ。 そう考えると、本殿・権殿の御物忌川の対岸に位置している立地、≪数ある摂社のなかで第一の地位にあるのは、片山御子社で、・・・・上社の祭事はまずこの社に捧げ物をしてから、つぎに本殿の祭りに移るのだという。≫(『日本の古社 賀茂社』所収 岡野弘彦「神々の物語」)という片山社に対して形式的に上位を譲る態度など、理解できるようにも思えるのだが。
そして、参拝を終えて、特に思ったことだが、この(1)の「西局・中門・東局」のラインより奥にある杉尾社・土師尾社・山尾社といった小規模な祠であるが、これらは、もともと、どれが「・・・・の神さま」というものではなく、本殿・権殿とともに、杉尾社・土師尾社・山尾社など含めた全体が「賀茂社」だったのではないのか。 その全体が神山をご神体とする雷神社(別雷神社)の出張所、もしくは拝所だと、そう考えた方がよいのではないか。 私は参拝後、そのように感じた。 どうだろうか。 この考え方からすると、神さまが出張って来ている場所は「本殿の中」ではなく「特別参拝」の時の若い神職が「たいへん神聖な場」と言った「西局・中門・東局のラインより内側」ということになる。
(だから、その「たいへん神聖な場所」にいかにも「いっぱい入れろよ」と意志表示しているみたいな風呂桶みたいなでっかい金属製の賽銭箱を置くのは無粋であるとともに適切とは言い難いものであろう。 賽銭箱を置いて悪いということではないが、「たいへん神聖な場」の内側に置くのではなくその境界の外側、すなわち、すでに置かれている中門の位置に置けばいいことだと思う。)
※上賀茂神社 境内地図は
⇒《上賀茂神社HP 境内案内》http://www.kamigamojinja.jp/guide/index.html
☆ 《賀茂別雷神社[上賀茂神社]参拝》9部作、
1.楼門・透廊・棚尾社・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_1.html
2.ルーテル賀茂川教会・賀茂川・御土居・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_2.html
3.斎王桜・外弊殿・神馬舎・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_3.html
4.細殿・橋殿・片岡橋・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_4.html
5.弊殿・「特別拝観」・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_5.html
6.奈良神社・北神饌所・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_6.html
7.檜皮葺・大田神社・魯山人生誕地・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_7.html
9.流造と切妻、不動産業の神「迦毛の大神」・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_9.html
もご覧くださいませ。
(2014.5.5.)
【1】 上賀茂神社の門前を東に進むと、「社家(しゃけ)町」といわれる重要伝統的建造物群保存地区に指定されている地域を明神川に沿って通り、少し北上すると、大田神社にぶつかります。 大田神社の斜め前に、食通にして陶芸家であったという 「北大路 魯山人 生誕地」の碑が立っています。
「社家町」は、上賀茂神社から大田神社にかけて、その街並みがよく見られる、とどこかに書かれていたのですが、大田神社より東にも同様の街並みはしばらく続いています。↓
【2】 北大路 魯山人 は 雁屋哲 作・花咲アキラ 画『美味しんぼ(おいしんぼ)』の中で、しばしば、話にでてきますが、その「北大路魯山人生誕の碑」が立っている道を東に進むと、けっこう有名だが、訪問したことはないという人がけっこう多いのではないかと思われる 「深泥池(みどろがいけ、 みぞろがいけ)」があります。 ↓
↑ 「深泥池(みぞろがいけ、みどろがいけ)」
北大路 魯山人 は『美味しんぼ』に、しばしば、登場しますが、深泥池は、あべ善太 原作・倉田よしみ 作画『新・味いちもんめ』で、京都の割烹「さんたか」で働く伊橋を訪ねてきた、東京・桜花楼の後輩の板前が「ジュンサイ」を持ってきたのを見て、「さんたか」の主人が「ジュンサイ と言えば、深泥池(みどろがいけ)」と口にする場面があったと思います。
深泥池は天然記念物「深泥池生物群集」に指定されているようです。
京都市文化財保護課がたてた「深泥池に関する注意事項」という看板がたっています。 ≪1927年に「深泥池の水生植物群集」として国の天然記念物に指定され、1988年には動物を含めて「深泥池生物群集」に名称変更されました。≫と書かれています。
『改訂版 京都 観光文化検定 公式ガイドブック (8版)』(2007.10.8. 淡交社)の「京都の自然」の「深泥池」のところには、≪貴重な植物群落と地底に泥炭の堆積があり、三万年から一万年前の氷河時代の生きている化石としてミツガシラ、ホロムイソウなどが生育する。 ハリミズゴケ、オオミズゴケが生育する浮島には暖かい時代の名残りのミミカキグサ、サギソウなどが見られる。 4月にはミグガシワ、5月にはカキツバタ、アヤメ、トキソウ、9月にはサワギキョウの花が咲く。 ≫と書かれています。 『新・味いちもんめ』の「さんたか」の主人が「ジュンサイといえば深泥池」と口にしたジュンサイも生息するように、現地の別の看板にでていたと思いますが、しかし、「深泥池生物群集」として「天然記念物」に指定されていて、動植物を採取することはできないようなので、料理用としてジュンサイを得たいと思っても、深泥池で採ることはできないようです。
京都市文化財保護課がたてた「深泥池に関する注意事項」の看板とは別の場所に、「天然記念物 深泥池植物群集」の石碑がたっていますが、↓
↑・・・しかし、もうちょっと、適切な場所はないでしょうか。 この石碑の場所は前の道をクルマもよく通るし、↑この無粋な電信柱もなんとかならないものでしょうか。 最近では、清涼飲料水の自動販売機でも、その場所に合わせて、「超薄型」の販売機もあり、 「ラッピング」といって、設置者の求めに応じて、周囲になじむ色彩にしたり、設置者の企業イメージにあう色彩・デザインにしたりするということもやっており、寺社の中の清涼飲料水の児童販売機では、周囲の美観を破壊しない、突出しない色彩・デザインにラッピングされた自動販売機を見ることが少なくありません。 電柱は必要なのでしょうけれども、「天然記念物 深泥池生物群集」の深泥池の目の前にたてるのであれば、電柱もそこに馴染むデザインというものを考えることはできないものかと思います。
【3】 深泥池 から南にしばらく歩くと、京都市地下鉄烏山線の「北山」駅に到着します。 JRの京都駅や阪急京都線の四条河原町駅から近くまで市バスはありますが、鉄道の駅は近くになかったのが、「北山」駅ができたので、深泥池も行きやすくなったのではないでしょうか。 但し、北山駅から北の鞍馬海道は、クルマの通りの多い道で、歩道はあるとはいえ、あまり歩いて気持のいい道ではありません。
「北山」駅が地下にある交差点の南西側に、「京都府立総合資料館」と「京都コンサートホール」があります。↓
↑ 右手前が京都府立総合資料館で、左の黒い円筒みたいのが京都コンサートホールです。 茨城県つくば市の「世界的建築家 磯崎新が設計した」という つくばセンタービル の ノバホール を見た時、「世界的建築家」の名前に遠慮して言わない人もいるようですが、実際のところ、「納骨堂みたい」と思いました。 但し、音楽ホールというのは、その施設の性質上、外観が「納骨堂みたい」になりやすいところはあると思うのです。 又、ヨルン=ウッソン設計のシドニーオペラハウスみたいに外観のデザインばっかり重視して、内部がオペラハウスであるか何であるかなんかどうでもいい、もっぱらモニュメントであるような音楽ホールがいいかというと、いいかどうかより、それはモニュメントであって音楽ホール・オペラハウスではないのではないか、とも思えます。 しかし、だから「納骨堂みたい」でもしかたがないのかというと、たとえば、前川國男設計の東京文化会館などは、外観が「納骨堂みたい」にならないように工夫されています。 それで、この黒い円筒みたいな京都コンサートホールですが、誰の設計かインターネット上に出ていないか調べて見たのですが、今のところ、見つかりませんが、これも、外観は、「納骨堂みたい」にはなっていません。 だから、やっぱり、音楽ホールはその施設の性質上、外観が「納骨堂みたい」になりがちなところはあるとはいえ、そうならないようにするのが設計者のセンスであり、つくばセンタービルのノバホールが「納骨堂みたい」で「なんじゃ、これはあ」と思ったのは、やっぱり、「世界的建築家」のセンスの問題じゃないのか・・・・・なんて言うと、自称「建築家」とか言う人には怒る人がいるのですが、一般市民は「世界的建築家」のやること言うことならなんでも、「ははぁ~あ」と従わないといけないとでもいうのでしょうか。(⇒《pideo-水戸黄門10_印籠》http://www.pideo.net/video/youtube/fa295ee1bde0187f/ みたいな感じで・・) そのあたりの精神構造はあまり健全なものとは言い難いように思えます。
すぐ西には、京都府立植物園があり、その中に半木(なからぎ)神社があるようです。京都府立植物園は、何十年も前、まだ、小学校に行ったか行かない頃に連れてもらった記憶があるのですが、大阪市の天王寺動物園が好きだったので、同様のものを期待して行ったのですが、子供にとっては、植物園は動物園ほどおもしろくない、というのがその時の印象でした。 植物園は動物園に比べて、「大人向き」のところがあるかもしれません。
※ 京都府立総合資料館 のHPは⇒http://www.pref.kyoto.jp/shiryokan/
※ 京都コンサートホール のHPは⇒http://www.kyoto-ongeibun.jp/kyotoconcerthall/
※ 京都府立植物園 のHPは⇒http://www.pref.kyoto.jp/plant/
【4】 上賀茂神社(賀茂別雷神社)〔もしかすると、当初の「賀茂社」〕 の 摂社・末社 の6タイプ について。
上賀茂神社、もしかすると、当初は下社は河合神社であって、上賀茂神社が「賀茂社」であったかもしれないが、その摂社・末社のうち、
(1) 杉尾社・土師尾社・山尾社といった末尾に「尾」がつく「西局・中門・東局」のラインより奥に位置している摂社は、上賀茂神社製作『京都歩くマップ―上賀茂・北山―』には、
≪ 杉尾神社(重文) 林業の神様
土師尾神社(重文) 美術・工芸・陶器(土器) 等 ものづくりの神様
山尾神社 幸せを授ける神社 ・ 交通安全の神様 ≫
と書かれているけれども、実際には、通常、これらの社の直前まで行って参拝することはできない。
(2) 東方、少し離れた場所にある、大田神社は、『改訂版 京都 観光文科検定 公式テキストブック』の「京都の神社」に≪五穀豊穣を願ってこの地の地主神(じしゅじん)を祀ったのが始めという。 のちに上賀茂神社の境外摂社となり、上賀茂八摂社の一つに数えられる。・・≫と出ているように、もともとは上賀茂神社とは別の神社であったのが、賀茂賀茂神社の勢力が伸長するにともない、その傘下に入った・・というものらしく、上賀茂神社の境外にある神社で、上賀茂神社の摂社・末社だということになっている神社は、そういう神社が他にもあるのではないか。 大田神社の前の福徳神社・明神川のほとりにある上賀茂神社と大田神社の中間点付近の藤木神社などもそうかもしれない。
(3) 奈良神社とその背後の北神饌所(庁屋)は、上賀茂神社の境内の摂社の中では、本殿・権殿などから離れた下の方の位置にあり、今、見ると、奈良神社の社殿の大きさは大きくないが、『日本の古社 賀茂社 上賀茂神社 下鴨神社』(2004.4.11. 淡交社)に掲載されている≪鎌倉時代の境内図を室町時代になって写したものといわれている≫「賀茂別雷神社境内絵図」(室町時代 上賀茂神社所蔵)の写真を見ると、御手洗川・御物忌川で囲まれた地域が塀で囲まれ、そして、その外側を二の鳥居のラインで塀で囲まれているが、それと別に、奈良神社と北神饌所とその周辺が塀で囲まれ、半ば、独立した神社のような状況になっており、かつ、その間に神宮寺がある。 「奈良神社、及び、北神饌所」は、本殿・弊殿から離れた位置にあるから地位が低いのではなく、準独立的性格をもつ、≪神々の食事をつかさどる神≫(『日本の古社 賀茂社』所収 岡野弘彦「神々の物語」)として伊勢神宮の外宮のような性格をもっていたのではないか。
(4) 二葉稲荷神社 も奈良神社・北神饌所とともに、本殿・権殿から少々離れた位置にあるが、これは外宮のような位置づけとかではなく、境内、もしくは隣接地にあっても、基本的には別種の神社であり、多くの神社で、八幡社・天神社・春日社・鹿島社・金刀比羅社・水天宮社・諏訪社・浅間社・愛宕社・秋葉社・・・・・・・と長屋社殿に全国有名神社の出張所のようにいくつもの末社が入っているのと同様に稲荷社が入っているというものか。
道塚元嘉(みちづか もとよし)『民家のこころ』(1999.1.25.鹿島出版会)には、≪我が家の庭すみに、屋敷神として祀られてあるお稲荷さんん、母はよく油揚げや榊を供えていた。それは私が子供のころから、ずっとつづけられてきている。我が家の大切な行事。 ・・・・庶民の守り神である屋敷神だから、質素で小さな祠(ほこら)である。・・・≫と出ている。 私は住宅建築業の会社に長く勤めてきたので、自分が担当で建替え工事をさせていただいたお宅にはずいぶんとおじゃまさせていただいたが、長くその地に住んでいる方の家には、「氏神様(うじがみさま)」が庭に祀られていることがよくあった。 「氏神様(うじがみさま)」と「お稲荷様」はどういう関係なのかというと、私が建替えをさせていただいたお宅では、氏神様は氏神様であって他の何の神様でもないという認識のお宅が多かったように思うが、道塚元嘉氏のお宅では、氏神様は「お稲荷さん」であったらしい。 もしかすると、二葉稲荷神社は、上賀茂神社の屋敷神としての「お稲荷さん」ではなかったのか。
稲荷と天神は仲が悪いという話もあるが、その場合の「天神」は菅原道真の天神であり、賀茂社の天神・雷神は菅原道真とは関係のない天神なので、雷神社である賀茂社に稲荷が客分のように在しても悪くはなさそうである。
境内に、八幡社・天神社・春日社・鹿島社・金刀比羅社・水天宮社・諏訪社・浅間社・愛宕社・秋葉社・・・・・と全国有名寺社の出張所みたいな長屋社殿の末社が並んでいる神社は少なくないが、上賀茂神社においては、そういう傾向の出張所的な摂社・末社は二葉稲荷神社と、写真を撮ってこず記録もしてこず記憶が明確でないが二葉稲荷神社の手前に金毘羅と不動が祀ってあったと思うのだが(「不動」は本来は仏教のものであろうが)、それ以外にはない。 だから、逆に、二葉稲荷神社は外宮のような立場の「奈良神社・北神饌所」・かつてあったらしい神宮寺とともに、神賀茂神社の摂社・末社の中では、特有の立場にあるのではないか。
この稲荷神社と稲荷神社の摂社の金毘羅他は、もしかすると、もともとは別の神社だった可能性もあるのではないか。 実際、行って見ると、上賀茂神社の楼門の内側、二の鳥居から内側などとは、少々雰囲気が異なる。
(5) 橋本社 は、上賀茂神社製作『京都歩くマップ―上賀茂・北山―』には、≪和歌・芸能上達の神様であり女性に大きな力を下さる≫と書かれており、『日本の古社 賀茂社 上賀茂神社 下鴨神社』所収の岡野弘彦「神々の物語」には≪古くは衣通(そとおり)姫を祭ると伝えていたが、いつのころからか藤原実方(さねかた)が祭神だとする伝えに変わった。・・≫と出ているが、もともとは、御手洗川にかけた楼門から本殿・権殿に至る橋のたもとに建てた橋の無事を願う神さまでしょう。 だから、社の大きさも大きくない。
(6) よくわからないのが、片山御子神社(片山社)で、その神社の主祭神を祭る社殿より先に摂社に参拝せよという神社は、ここ以外では今まで聞いたことがない。 主祭神より優先せよという立場とはどういう立場か。
本殿・権殿で祀られている主祭神は、この場所より北方にある神山(こうやま)をご神体とする神である。 もしかすると、この場所を神山を拝む場所とした時、すでにこの場所に存在した先住の神ではないか。 この場所の地主神か、他の神であってもこの場所に先住していた神に、場所を譲ってもらって(「禅譲」してもらって)、御物忌川の対岸に引越してもらったのではないか。(もしくは、御物忌川の対岸の片岡山に先に片岡御子神社があって、それより奥の位置である現在の本殿・権殿の場所に後から入ってきた神山の(別)雷神社の出張所が社殿を造営させてもらったか。)
だから、先住の「神さま」に敬意を表して、主祭神より先に参拝するようにしている・・ということで、「主祭神の母(賀茂玉依姫)を祭っている」という話は後から付け加えられた話ではないか。下鴨神社は上賀茂神社の主祭神の母と祖父を祀っているのに、上賀茂神社の「第一摂社」では母だけを祀っているというのも変だ。 そう考えると、本殿・権殿の御物忌川の対岸に位置している立地、≪数ある摂社のなかで第一の地位にあるのは、片山御子社で、・・・・上社の祭事はまずこの社に捧げ物をしてから、つぎに本殿の祭りに移るのだという。≫(『日本の古社 賀茂社』所収 岡野弘彦「神々の物語」)という片山社に対して形式的に上位を譲る態度など、理解できるようにも思えるのだが。
そして、参拝を終えて、特に思ったことだが、この(1)の「西局・中門・東局」のラインより奥にある杉尾社・土師尾社・山尾社といった小規模な祠であるが、これらは、もともと、どれが「・・・・の神さま」というものではなく、本殿・権殿とともに、杉尾社・土師尾社・山尾社など含めた全体が「賀茂社」だったのではないのか。 その全体が神山をご神体とする雷神社(別雷神社)の出張所、もしくは拝所だと、そう考えた方がよいのではないか。 私は参拝後、そのように感じた。 どうだろうか。 この考え方からすると、神さまが出張って来ている場所は「本殿の中」ではなく「特別参拝」の時の若い神職が「たいへん神聖な場」と言った「西局・中門・東局のラインより内側」ということになる。
(だから、その「たいへん神聖な場所」にいかにも「いっぱい入れろよ」と意志表示しているみたいな風呂桶みたいなでっかい金属製の賽銭箱を置くのは無粋であるとともに適切とは言い難いものであろう。 賽銭箱を置いて悪いということではないが、「たいへん神聖な場」の内側に置くのではなくその境界の外側、すなわち、すでに置かれている中門の位置に置けばいいことだと思う。)
※上賀茂神社 境内地図は
⇒《上賀茂神社HP 境内案内》http://www.kamigamojinja.jp/guide/index.html
☆ 《賀茂別雷神社[上賀茂神社]参拝》9部作、
1.楼門・透廊・棚尾社・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_1.html
2.ルーテル賀茂川教会・賀茂川・御土居・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_2.html
3.斎王桜・外弊殿・神馬舎・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_3.html
4.細殿・橋殿・片岡橋・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_4.html
5.弊殿・「特別拝観」・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_5.html
6.奈良神社・北神饌所・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_6.html
7.檜皮葺・大田神社・魯山人生誕地・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_7.html
9.流造と切妻、不動産業の神「迦毛の大神」・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_9.html
もご覧くださいませ。
(2014.5.5.)
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