賀茂別雷神社[上賀茂神社]参拝9.流造と切妻、建築見学をしない建築屋、不動産業の神「迦毛の大神」

[第261回]
【1】 「流造(ながれづくり)」と「切妻屋根」の違い、入母屋屋根と「寄棟と切妻のミックス」との違い。
    今はむかし、在来木造の一条工務店に在籍して福島県いわき市の営業所にいた時、見込客で和風外観で、寄棟屋根で建てるか入母屋で建てようかと考えていた御家族を、同社で入母屋屋根で建てていただいた入居者宅の前をクルマで通って「そちらが入母屋で建てていただいたお宅です」と説明したところ、その頃、60代だったお父様が、その入母屋の屋根の家を目の前にして、「どこだ。どこに入母屋があるんだ。」と言われたことがあった。 そのお父様からすれば、一条工務店の建てた入母屋の家などは入母屋のうちに入らなかったらしい。その入母屋を見て、そのご家族は、入母屋ではなく寄棟の屋根で建てようと決められた。 東京や大阪など都市部の住人には、あるいは、都市部中心のハウスメーカーの従業員には、「入母屋」の屋根とは、「寄棟」の屋根と「切妻」の屋根をミックスしたもののことだと思っている人がおり、実は、私も20代から30過ぎまでそう思っていたのだ。 ところが、実はそうではない。 ただ、「入母屋(いりもや)」と《「寄棟(よせむね)」と「切妻(きりづま)」をミックスしたもの》はどう違うかを説明しようとしても、言葉で説明するのはけっこう難しい。
    「切妻(きりづま)」と「流造(ながれづくり)[流れ造り]」の違いを考えてみるといいかもしれない。 《賀茂別雷神社[上賀茂神社]参拝1.》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_1.html  で写真を出した、上賀茂神社の中門の右手前に位置する摂社・棚尾神社を思い出していただきたい。
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↑  この際、もう一度、掲載しましょう。 上賀茂神社 摂社 「棚尾神社」(重要文化財)。背後の建物は「東局」(重要文化財)。 
これが「流造(ながれづくり)」「流れ造り」です。 「切妻(きりづま)」のように、中心から両側に屋根が下りていく形状ではあるので、「切妻の一種」と言おうと思えば言えなくもないでしょうけれども、逆に、一般にそのへんに建ってる切妻屋根の家の屋根形状が「流れ造り」かというと、そうではないはずなのです。  「本来の入母屋」と「寄棟と切妻をミックスしただけの屋根」との違いというのは、いわば、「流れ造り」と「切妻」との違いのようなものなのです。
   まず、「入母屋」というのは、屋根が「そってる」というのがひとつの特徴で、機械プレカットでタル木などを加工して建てている多くの在来木造メーカーでそれをやるのはなかなか難しい。 だから、本来の「入母屋」の屋根で建てようとすると、そういう建築を日頃からやっている大工さんに頼むのでないと、普段、そういう建物を建てていないハウスメーカー・工務店に頼んで建てようとしても、簡単ではない。
   一条工務店の場合、地方都市を得意とする会社であり、同社の契約客・見込客には「農家型」の和風の建物で、入母屋か寄棟で建てようという方がけっこうおられるので、従業員でも、「入母屋」とは・・と考える機会が自然と出てきますが、都市部中心のハウスメーカー・低価格帯中心のハウスメーカー・在来木造以外の構法のハウスメーカーの従業員には、「入母屋で建てるか寄棟で建てるか」という見込客と関わる経験、「本格的な入母屋で建てることはできますか」ときかれる経験があまりないので、そういう会社に勤めてきた人には、「寄棟と切妻を単にミックスしたもの」を「入母屋」と呼ぶものだと信じ込んでいる人が少なくない。そういう「寄棟と切妻をミックスしたもの」を「現代入母屋」と呼んだりもしていますし、都市部の若年層には、「『現代入母屋』ならまだいいけれども、『本入母屋』の家なんて、絶対いや!」という人もいる。

   そして、もうひとつ。 今回、上賀茂神社の社殿、本殿・権殿という規模の大きい「流れ造り」の建物と、↑の棚尾神社など、大きさは大きくない「流れ造り」の建物を見て思ったのですが、 「流れ造り」は「権現造」「石の間造り」などに比べて、簡素だとか、それほど威厳がないとか思っている人、というか、そう書かれた本もありますが、そういう認識の人は、(実は、昔の私もそうなのでひとのことをえらそうに言えないのですが、)あまり立派な「流れ造り」を見ていないのではないか、と思ったのです。 上賀茂神社の本殿・権殿は相当迫力があります。 規模も大きいということもありますが、しかし、それなら、規模が大きくなければ「どうってことない」のかというと、そうでもないと思うのです。 ↑の棚尾社を見てください。 規模は大きくないけれども、規模は大きくなくても、やっぱり、たいしたものだと思うのです。 そう思いませんか? 
   「流れ造り」は簡素だとか、威厳のある建物にならないとかいう印象は、あまり質の高くない「流れ造り」の社を見てそう思ったのではないでしょうか。 ひとのことをえらそうに言うのはやめましょう。 私自身、今まで、特に有名な神社でもない規模の小さい神社の社で「流れ造り」の社を見て、そういう印象を受けていたのです。 でも、その認識は改めました。 ↑の棚尾社などは、小さくても、重要文化財に指定されるだけあります。
   それで、「流れ造り」は「石の間造り」などに比べて、簡素だ、面白みがない、荘厳さを出せない、等等と思っている人というのは、「流れ造り」は「流れ造り」でもあまりいい「流れ造り」の建物を見ていないんではないか、というのと、若い人で、住宅を建てようと考えている人で、「入母屋だけは嫌だ」と言う人が少なくないのは、もしかすると、幾分、似ているかもしれないとも思ったのです。 「本入母屋」にせよ「現代入母屋」にせよ、現代の生活にもマッチする、今の時代にも今の人間にも受け入れられるもので、かつ、入母屋の格式も保持したものというのが、なかなかできていないのではないのか。 もしかして、「入母屋」の住居が特に若年層に好まれないのではなく、いい「入母屋」がなかなかないのではないのか、ということを思ったのです。

   それと、「石の間造り」「権現造」の神社の場合、「神さまがおられる場」というのは本殿の内部となっているはずで、拝殿・弊殿(石の間)はそうではないのですが、「流れ造り」である上賀茂神社の場合は、「神さまがおられる場」は、「特別拝観」の時の若い神職は「本殿の内部」だと言っておりましたが、そうではなく、《本殿・権殿を含めて「西局―中門ー東局」のラインから内側》ではないのか。 お寺では、「仏様がおられるところ」が「金堂」だというのですが、鎌倉の大仏は今はお堂の中ではなく露天におられるわけです。 建物の中ではないから「神聖な場ではない」わけでもないのです。 神社においても、上賀茂神社などでは、「神さまがおられる場」という認識の場所は「本殿の内部」ではなく、それよりひと回り広いのではないか・・。

   なお、「流れ造り」は神社の建築様式で、戸建住宅でこの屋根にしようという人はあまりないでしょうけれども、もしも、やったとすると、頂付近は屋根勾配が急で、下になって緩やかになるという形状は、緩やかになるあたりで雨漏れをおこさないか・・・・といったことを、「建築屋」を長年やってきた者としてはつい考えます。

   村上重良『日本の宗教』(1981.初版 岩波ジュニア新書)には、
≪ 平安中期には、神仏習合がさらに進んで、神と仏の関係について本地垂迹説が説かれるようになりました。・・・
   本地垂迹説の普及とともに、神社ではその本体である仏を、神宮寺、別当寺をつくって祀ることが一般化しました。・・・神社建築でも、寺院の建築様式の影響を受けた春日造り、流れ造り、八幡造り、日吉造り、権現造りなどの様式が生まれました。≫と出ています。
そう言われてみると、たしかに、住吉大社や出雲大社の建物などに比べると、お寺の建築に近いようにも思えてきます。 
   さらに、屋根形状について、似ているといえば似ているが同じというわけにいかないものとして、「流れ造り」と「切妻」屋根をあげることができますが、さらに、「大屋根」「合掌造り」は「切妻」とどう違うのか、という話も述べようかと考えましたが、話が広がりすぎるので、それは別の機会にまわすことにいたします。


【2】 寺社・古民家・歴史的建造物の見学に関心のない「建築屋」の存在
   住宅建築業の会社に勤める従業員なら、有名建築物・歴史的建築物、寺や神社の建築、民家の建築に関心を持つのは当然のこと、と私は思ってきたのですが、住宅建築業の会社の従業員でそういうことにまったく感心もない人と出くわすことがあって驚くことがあります。
   なにゆえ、関心を持つべきかというと、
(1) 木質系建築業の仕事に携わる者が、古い時代の木造建築に無関心でよいわけがないではないか。 「寺社と町家という2つの木造建築のうち、一方を理解しようとすると、他方も無視するわけにはいかないではないか。 となると、法隆寺・薬師寺などの寺・住吉大社・出雲大社・上賀茂神社などの神社・姫路城などの城・桂離宮などの離宮、足利学校などのその他施設・・・といったものに関心を持たないで、建築屋と言えるだろうか・・・。

(2) 人々の住居は、どういう発展をしたか。 竪穴住居から、平地住居へ。 さらに、高床式住居と高床式倉庫へ。 この高床式住居そのものを見ることはできないが、それに近いものというのが、神社建築だというのです。
高床式住居・高床式倉庫は、ネズミや虫などを防ぐために床を高くしたということもあるでしょうけれども、ひとつには、床下の通風をはかるのが、建物の耐久性を高めるためでもあったのではないのか。 床下換気口のルーツは高床式住居・高床式倉庫で、それを今日において見ることができるのが神社建築だとも言われる。
≪ この時代(古墳時代)の建築については、前記家屋文鏡の背文や家屋形埴輪などにその形状が写されているだけで、当時の建物は全然残っていない。 しかしながら、高床式建物のもっとも洗練された様式を、比較的忠実に伝えているのが、出雲大社・伊勢神宮などの古い歴史をもつ神社の社殿である。 おそらく7世紀に移植された仏教建築技術を学んで成立した様式と思われるが、寺院の伽藍と異なり、色彩や装飾をほとんど用いず、直線的な白木の木材の構造美のみによって簡素で実用的な建築を構成しており、建築の日本的様式の精粋を示すものとして、ブルーノ=タウトを感嘆させたほどの美しさを示している。≫(家永三郎『日本文化史 第二版』(1982,3,23、 岩波新書)

(3)  小堀住研でも一条工務店でも、「契約客は、担当営業によって似ている」という話があった。 その営業に合う人が、契約客になるというのだ。 もっとも、自分に合う人だけ契約していただくというのでは、営業としてアマチュアではないのか、プロの営業なら、自分と合わない人にでも契約いただけるようにするものではないのか、という面もあるとは思いますが、そうはいっても、やはり、「営業担当によって契約客は似ている」という傾向はあったように思います。 それと同時に、私が感じたのは、「営業担当によって(設計担当によってではなく営業担当によって)、建物の間取りや外観に一定の特徴がある。」という点です。 その一例としては、安い建物・小さい建物ばかり担当している人に、たまに大きな建物を担当してもらうと、「延べ床面積20坪の家みたいな延べ床面積50坪の家」ができる、というものがあります。 それで、広めの家を得意とする者は狭い家でも簡単に契約いただけるかというと、そうでもないのですが、安い建物ばかり見ている人というのは、そういう家を建てる傾向があるように思ったのです。 それを考えると、実際に、国宝・重要文化財に指定されている建物のような建物を住宅で建てる人はあまりないかもしれないし、寺や神社の建物と住宅では違いもあるとしても、それでも、有名建築物・歴史的建築物は、多少、無理をしてでも見に行くようにしないといけないのではないか、と思うのです。

(4) 桜の開花季節には、桜の花のある寺社などに足を運ぶ必要があると思うようになったのは、庭園もまた、寺社の庭園は庭づくり・造園の古典として見る価値があると思うようになったからです。

(5) 住宅を建てようということになると、家相日取りの話というのが必ず出てくる。 施主がほとんど気にしない人であっても、三隣亡に上棟などすると、「この日に上棟・柱立てをすると3軒隣りまで亡びる」と言われると、東西南北(3+1+3)×(3+1+3)=49軒の家があれば、49軒に向こう3年くらいの間に良いことばかりあるとは限らないから、恨まれないようにするには、そういう日の上棟は避けた方がよい。 年回りが悪いとかいう話がでる時があるが、そういう時に、どこどこに行って何日間宿泊してくるといいとかいう話がでる時があり、どの方位のどの神社に参拝してお祓いをしてもらうといいとかいった話が出てくる時がある。 住宅の仕事を扱うとそういう話が出てくるので、神社についてまったく知らないというわけにはいかない。
   25年程前、大学新卒で住宅建築業の会社に入社した年、鶴野晴山『よい家相・よい部屋相』(1989.6.10.KKロングセラーズ <ムック>の本)を読みましたが、その終わりに「八方除け・方位除け・祈願祈祷神社」として、全国38の神社があげられています。「国宝」とか「世界遺産」に指定されたり、2級建築士やインテリアコーディネーターのテキストに名前が出るような有名建築物にはできるだけ足を運んで見学するようにした方が好ましいでしょうけれどもすべての建築物に足を運ぶことは不可能で、それと同じく、すべての有名神社に足を運ぶということはできませんが、住宅建築業の仕事に従事するのであれば、「八方除け」「方位除け」といった話もでてきますから、まったく関知しない知らないというわけにはいかないはずなのです。

(6) 私の場合、もともと、若い頃、宗教哲学者になりたいと思った時もあったので、寺社や宗教施設について考えるのは、もともと好きなのですが、寺や神社の建築を考えるにおいて、建築だけで考えるということはありえないことだと思います。 住宅建築業の会社で会社名に「・・・ハウス」と名前をつけているところと「・・・ホーム」と名前をつけているところがありますが、ハウス(家)は同時にホーム(家庭)でもあるはずで、「家庭(ホーム)」であることを考えずに「家(ハウス)」を考えることはできないはずで、また、「家(ハウス)」のあり方を考えずに「家庭(ホーム)」を成り立たせることはできないはずなのです。 寺社にも同様のことが言えます。
  西岡常一『木に学べ―法隆寺・薬師寺の美―』(1988.3.1.小学館)に、法隆寺宮大工の口伝の話がでています。
≪ ・・棟梁の家に伝わる家訓のこと話しましょ。だいたい10か条ほどありますのやが、これはわたしの家に伝わるんじゃのうて、法隆寺の大工に伝わるもんです。
・・・・
  まず第一番は、
『神を崇めず、仏を拝せずして堂塔伽藍を口にすべからず』
  仏や神様を知らずに、ただ形の伽藍とか神社とかを口にするのはいかん、こういうことです。 ・・・≫とある。宗教施設の建築について考えるには、その宗教がどういうものであるかをも考えずにはおれないものであり、神社の建築を考えるにはその神社がどういうものであるのかもまた考えざるをえないことになります。

   それで、有名建築物・歴史的建築物には、たとえ、少々、無理をしてでもできるだけ見学に通うべきものだと思ってきたのですが、仕事が忙しくてなかなか時間がとれず、なかなか行けないというのであれば、それはわかるのですが、住宅建築業の会社の従業員で、そうではなく、最初から足を運ぼう、見学に行こうという意識がまったくない人というのがいるのです。 そういう人というのは、どういうつもりでいるのでしょうか。
   営業の仕事をやっている人には、「知識なんか営業に関係ない」などとうそぶく人もいるのですが、そうでしょうか。 何年か前、ラジオの野球中継で、張本 勲 が解説者として出ており、「野球のピッチャーが練習するのにボール投げずに、何、やるんですか。 野球のバッターが練習するのに、バット振らずに、何、やるんですか。」と話していたことがありましたが、それと一緒だと思うのです。 ↑で述べた入母屋(いりもや)の屋根の話にしても、↑で述べたようなことをまったく知らない人は知っている人間よりも、知らない分だけ多く売れる・・・・と思いますか?  そんなことないと思いますよ。 ボールを投げる練習をしないピッチャーはボールを投げる練習をするピッチャーよりも勝ち星をあげることができる、とか、バットを振る練習をしないバッターはバットを振る練習をするバッターよりも高い打撃成績をあげることができる、とか、いわば、そんな話だと思いますよ。 そう、思いませんか?
   又、住宅屋の営業をやっている人には、住宅・建築の知識は設計が持っておればいい、営業は何も知らない何も分かってない人間がいいなどと勝手に思っている人が時としているのです。 これもラジオの野球中継で、誰であったか解説者が述べていたことですが、「誰誰はどこを守れるとか守れないとかいうのは、あくまで、プロのレベルの守備ができるかどうかという話です。 プロのレベルでなくてよければ、プロの運動選手ですから、誰でもどこでも守れるんですよ」と話していたことがあった。 住宅屋の従業員であれば、営業でも「プロのレベル」(その職種の人間のレベル)でなくてよければ設計でも工事管理でもできないといけないはずだ。 設計の人間には5流大学の建築学科を卒業したその日から自分はお殿様だと思っている人がしばしばいるが、それもおかしい。 住宅屋の従業員なら営業でなくても、「プロのレベル」(その職種の人間のレベル)でないとしてもそれなりにできなければ、できるように努力するのでなければおかしい。 そう思いませんか?


【3】 不動産業のけしからん経営者を懲らしめる神・アジスキタカヒコネ ノミコト
    奈良商工会議所 編『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック [改訂版]』(2007.9.20. 山と渓谷社)の「葛城」「神社」「高鴨神社」には、
≪  金剛・葛城の山麓は古代の大豪族、鴨族の発祥の地で、当社はその鴨族が守護神として斎き祀った社である。 その末流は全国に分布し、その地で鴨族の神を祀った。 賀茂(加茂・賀毛)は郡名だけでも、安芸・播磨・美濃・三河・佐渡の国々に見られ、郷村名に至ってはさらに多い。 また京都の上賀茂神社をはじめ、全国に分布している多数の鴨社も、すべてこの地に源を発するもので、当社は全国の鴨神社の総社である。 ≫、祭神は≪阿治須岐詫彦根命(あじすきたかひこねのみこと)、 味鉏速雄命(あじすきはやおのみこと)[「すき」は環境依存文字。 「金」に「且」]、 多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)、 事代主命(ことしろぬしのみこと)、下照比売命(したてるひめのみこと)、 天稚彦命(あめわかひこのみこと)≫と出ている。
   高鴨神社のホームページhttp://www5.kcn.ne.jp/~takakamo/ でも、≪全国鴨社の総本宮で、・・・≫、≪ 主祭神の阿治須岐高日子根命は亦の御名を迦毛之大御神と申され、・・・ ≫と出ている。  「主祭神」は≪ 阿治須岐高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)(迦毛之(かもの)大御神(おおみかみ))、 事代主命(ことしろぬしのみこと)、 阿治須岐速雄命(あじすきはやおのみこと)、 下照姫命(したてるひめのみこと)、 天稚彦命(あめわかひこのみこと) ≫と、『奈良まほろばソムリエ見地 公式テキストブック [改訂版]』で掲載されている神のうち、多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)以外の4神が掲載されている。 
   奈良県御所市の高鴨神社が、≪全国鴨社の総本宮≫で≪上賀茂神社をはじめ、全国に分布している多数の鴨社もこの地に源を発するもの≫なら、上賀茂神社の祭神も≪阿治須岐高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)…亦の御名を迦毛之大御神≫であって良さそうだが、上賀茂神社では阿治須岐高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)の名前は出さず、あくまで「賀茂 別 雷 神」としている。 
  「賀茂 別 雷 神(わけ いかづちの かみ)」の父の「賀茂 建角身神(たけつぬみのかみ)」(ツノのある猛々しい(タケだけしい)神?)」は神武東征に協力した八咫烏(やたがらす)だとか、 「賀茂 別 雷 神(わけ いかづちの かみ)」は神武天皇の時代に神山に天下った神だといった話がある以上( これがほんとの「天下り」!!! )、八咫烏(やたがらす)より古い時代の神のアジスキタカヒコネだ、「迦毛の大神」だとはしにくいのだろう。 しかし、それなら「迦毛の大神」とは関係ないと主張するのか。 「迦毛の大神」と言うからには上社と下社の「賀茂神社」と関係ありそうな感じがするのだが。
   『古社名刹巡拝の旅 賀茂川の道』では、≪ 古代豪族の賀茂氏には、大和と山城に本拠を置く2氏があった。 両氏の関係は定かではないが、大和の賀茂氏が山城へ移ったとの説もある。 同じく大和から山城へ移った賀茂建角身命の話は、農耕の技術をもった賀茂氏の移住を物語るものといわれる。≫と「定かではない」「説もある」になっている。
   
    戸部民夫『日本の神様がわかる本』(2005.1.5.PHP研究所)のアジスキタカヒコネノミコトのところに≪名前のスキは、農具の鋤(すき)からの連想で、昔は鋤も田の神を祀る呪具であった。≫とある。 アジスキタカヒコネが不動産業の神というのは、アジスキタカヒコネの名前の「スキ」は農具の「鋤(すき)」につながり、「鋤(すき)」は土を耕し、土は「土地」、土地を扱う不動産業の神であっても悪くなかろうというつながりであるから、賀茂社の「カモ」は「迦毛の大神」につながり、「迦毛の大神」はアジスキタカニコネである、とつながっても悪くなかろう。となれば、当然、不動産業のケシカラン経営者を懲らしめる神となる。 ということで、何かの縁やから、神さん、わしの担当外やなんて、そんな殺生なこと言わんんと力になってえや、「こちらではなく、どこそこの部署へ行ってお話しください」やなんて言うて、たらいまわしにしてはぐらかしたろやなんて、そんな役所みたいなこと考えたらいかんで、神さんが。 それに、もう賽銭はろたがな。でっかい風呂桶みたいな賽銭箱に。 神さん、あんたも、今さら返すのん嫌やろ。 そしたら、引き受けなはれ。そしたら、まるう収まるんやから。頼んまっせ。 カネだけとって仕事せんと逃げたろやなんて、どこぞの工務店の社長みたいなことしたらいかんで、神さんが・・・・、ということで、賀茂社の神さんには不動産業のケシカラン経営者とその同調者、ケシカラン経営者から利益を得て横暴を働く者・働いた者を懲らしめる神さまになっていただくことにした。 
    ということで、今回、上賀茂神社(賀茂別雷神社)参拝は、不動産業の許し難い経営者を懲らしめる神さま参拝の第1回 ということになりました。 又、境内の摂社・杉尾社は≪林業の神様≫と上賀茂神社製作『京都歩くマップ―上賀茂・北山―』に書かれており、≪林業の神様≫であれば、木質系建築業の神様であっても悪くないであろうし、そうであれば、「木質系建築業のケシカラン経営者とそれに加担する者・ケシカラン経営者のおかげで勝手な利益をあげる者を懲らしめる神さま」でもあろうから、その第1回ともなりました。
    上賀茂神社は「電気の神様」「競馬の神様」ともなっているらしい。 もしかして、上賀茂神社は電力会社から「山吹色の毒まんじゅう」でももらった??? のかどうかは知らんけど、そうなっているらしい。 それで、神社の神職が認めようが認めまいが、神職にお願いするのではなく神さまにお願いするのであるから、神職が認めようが認めまいが、「不動産業のケシカラン経営者とそれに加担する者・ケシカラン経営者から不当な利益を受ける者・経営者の縁故等で横暴を働く者を懲らしめる神さま」に賀茂社の神様にはなっていただき、摂社・杉尾社の神様には「木質系建築業のケシカラン経営者とそれに加担する者・ケシカラン経営者から不当な利益を受ける者・経営者の縁故等で横暴を働く者を懲らしめる神さま」となっていただき、必ず、神さまとして対処していただくようお願いしてきた。 
    ・・・・ということで、今回はここでおしまい。

  ・・・9部作つくるのは、けっこう疲れた~・・・・・。 1~9全部読んでくださった方、ありがとう。 読まれた方もけっこう疲れたかもしれません。 でも、異論はあるかもしれないけれども、何冊読んでも同じ内容ばっかりの観光案内書とか、チョーチン記事だらけの建築雑誌とか、やはり、神社の発表そのまましか書かない神社本 とか読むよりは、ずっと価値があると自負しています。 今後ともよろしく。

   《賀茂別雷神社[上賀茂神社]参拝 》は9部作になりました。
1.楼門・透廊・棚尾社・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_1.html
2.ルーテル賀茂川教会・賀茂川・御土居・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_2.html
3.斎王桜・外弊殿・神馬舎・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_3.html
4.細殿・橋殿・片岡橋・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_4.html
5.弊殿・「特別拝観」・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_5.html
6.奈良神社・北神饌所・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_6.html
7.檜皮葺・大田神社・魯山人生誕地・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_7.html
8.深泥池・京都コンサートホール、摂社の構成・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_8.html
も、ぜひご覧くださいませ。
    (2014.5.5.) 


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