男性の気づかいを土足で踏みつける女―男性の気持・思いやりを土足で踏みにじる女、来客を追い返す女【上】
[第267回]営業と会社の話(62)‐1
今となっては20年以上前のことだ。在来木造の一条工務店に入社した1992年、その頃、同社は発祥の地である静岡県浜松市を中心として静岡県西部・愛知県では相当に高い評価を得ていて、JR「浜松」駅でタクシーに乗って、同社の名前を言えば同社の名前を言えば知らない運転手は誰もなく同社の場所はまったく説明しなくてもどのタクシーでも間違いなく行ってくれたが、一方で、東京都とその周辺では知ってる人はほとんどない状態だった。亀戸に展示場を建築する際に、亀戸の総合住宅展示場・城東ホームセンター(現在はなくなってマンションが建っている)はそれより西・南に住む人が北側にあったフジコシというスーパー(福島県に本社があったスーパーの店がなぜか東京都では亀戸にだけにあったのだが、インターネットで見ると、残念ながら藤越は倒産してヨークベニマルに吸収されたらしい。⇒《ウィキペディアー藤越》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E8%B6%8A)に買い物に行く際に通ることが多く、建築中、そういう通行人にも話しかけて見込客になってもらおうとしたが、スーパーに買い物に行く際に総合住宅展示場の中を通行している人というのは、完成した建物の住宅展示場に改まって入るよりも建築中の所をのぞく方が抵抗なく立ち寄ってくれるという面はあったのだが、そういう人に話しかけて「東京では、知らない人は知らないけれども知っている人は知っているというくらいの知名度の会社かと思います」と言っても、「そうかしら。しらない人はぜ~んぜん、知らないわ。知ってる人なんて、ないでしょ」と言われたりした。10年近く後で、同社で見せられたNHKの「プロジェクトX」という番組の録画で、ヤマト運輸の社員が、最初に宅急便を始めた頃、なかなか頼んでもらえなくて、郵便局の前に行って小包を出そうとしているおばあさんに、「おばあちゃん、その荷物、私に運ばせてもらえませんか」と言うと、そのおばあさんから「この荷物は孫に送る大事な荷物だから、あなたには頼めません。大事なものだから郵便局に頼みます」と言われたと、その時を思い出して涙を流しながら話していたが、それと似た状態だった。(NHKの「プロジェクトX]はヤラセというのか演技というのかがけっこうある番組と思えますが、しかし、これについては、幾分、脚色があったとしても、初期において、そのような苦労はあったのではないでしょうか。) 同社の浜松や掛川・名古屋の人間は「東京は浜松の何倍も人口がいるのだから何倍も売れて当たり前だ」などと勝手な文句を何度も口にしていたが、一条工務店の名前さえだせば誰もが話を聞いてくれるという土地で仕事をしている人間が、なんとか話を聞いてもらえないかとアプローチを試みても、いわば「おばあちゃん、その荷物、私に運ばせてもらえませんか」と言っても、そのおばあさんから「この荷物は孫に送る大事な荷物だから、あなたには頼めません。大事なものだから郵便局に頼みます」と言われてしまう場所で悪戦苦闘している者に向って、勝手で傲慢なことをぬかしているだけのもので、かつ、同社の経営者は、勝手で傲慢な態度をとっている浜松・掛川・名古屋の人間に全面的に加担していた。
東京都江東区の東京メトロ東西線の「木場」駅の前に一条ビルという細長い建物を持って、貸している階と自社で使用している階があり、自社で使用しているスペースに、「工事課」の男性社員が2人と「コーディネーター」と称していたが「インテリアコーディネーター」などの資格を持っているわけでもない20代なかばの女性と同じくらいの年齢のCAD担当の女性がいた。 東京都では江東区潮見のウッディランド東京という林野庁が国産材の使用を促進しようという趣旨で設けた施設(現在はなくなって、手前がヤマダ電機になり、奥がマンションになっている)の中に1店舗だけあって、「観光客」の割合が多く、「すべての人は住宅の見込客である」という意味ではなく「土地あり、2年以内」あるいは「現在、土地を捜しており、2年以内」という意味での「見込客」の来場は少ない展示場に、営業が10人以上いて、その当時、「セゾン275S2」という商品名をつけていたものを浜松・掛川など静岡県西部で坪48万円、名古屋で坪49万5千円であったものを、東京都では坪55万円に設定されていた。経済学上の需要曲線を考えてみてもわかる、というより、「需要曲線」なるものを持ちださなくても、普通に考えて、同じものを48万円で売るのと55万円で売るのとどちらが売りやすいか・売れやすいかというと、安い値段で売った方が売りやすい・売れやすいのは当然のことだ。かつ、静岡県西部・愛知県ではドカンドカンとテレビ広告をやり、東京ではそういうものはまったくやらなかった。同社の浜松・掛川・名古屋の人間はそれが当然という態度をとっていた。
その木場駅前のビルに、「インテリアコーディネーター」の資格をもっていなかったくせに「コーディネーター」と称して、契約客の色合わせ・色決めを担当していたO谷という20代なかばの女性がいました。
(今は、色合わせ・色決めの担当はインテリアコーディネーターの資格を持っている女性が担当する住宅建築会社が多くなりましたが、色合わせ・色決めを担当する女性がインテリアコーディネーターの資格をもっていないのに「コーディネーター」を名のって担当するというのは、その頃は、同社に限らず、住宅建築会社では珍しくはなかったと思います。もともと、「インテリアコーディネーター」という資格は三井ホームが構造自体は特別のものでもないツーバイフォー工法の住宅を日本に普及させようとした際に、付加価値をつけようとして始めた三井ホームという会社が作った同社独自の資格で、それが世間一般のものになって通産省認定の国家資格にまでなり、小泉行政改革の時に、民間資格に「格下げ」になって今日に至っているというもので、今はかなり普及しましたが、その頃は、それほどは重視されていなかったと思います。 なお、少し前、三井ホームの展示場の前を通ると、「建築家とインテリアコーディネーターがつくる家」という横断幕がかかっていましたが、色合わせをインテリアコーディネーターの資格を持っている女性が担当する会社は今は少なくありませんし、「建築家」というのは、自社に「設計課」という部署をもって自社の従業員に設計をさせるのではなく、自社ではない「設計事務所」「建築事務所」という所の人間に設計をさせているというだけのことであり、自社の従業員の方がいいかそうでない外注の方がいいかというと、そのこと自体、どちらがいいというものでもないわけです。 企業が商品・サービスを用意するのに、「作るか買うか」(make or buy)では「買う」(buy)の方がいいとは限りません。 しょーもない横断幕をだすものだなあ、とあくびがでました。あんなしょーもない文句を見て、いいと思う人がいるのでしょうか。また、そういう形で「建築家」とか言ってもらって、それで、へぼ図面しか書かないくせに自分は「建築家」の先生様だとか思ってしまうようなしょーもないおっさんもいるようですね。バッカじゃなかろか、という気がします。 三井ホームも「なんや、しょーもないこと言うやっちゃなあ」と思いました。)
忘年会だったか何かの時のこと、東京展示場の営業で妻帯者であった当時20代後半の男性Hが、私に、「○○さん、O谷さんのこと、どう思います? いいと思いませんか。魅力感じるでしょう」と「酒の場の余興」で言いだしたのだ。
世の中には、女性にとって男性は「三高」がいいという説があり、この「三高」には2通りの意味があって、ひとつは、ともかく「身長が高い、学歴が高い、年収が高い」男性がいいという意味で、もうひとつは、ともかく高いのがいいというのではなく、「女性より男性が少し高いのがいい」という話で、女性にとって「身長が女性より少し高い、学歴が女性より少し高い、年齢が女性より少し高い」男性がいい(男性にとって、身長が男性より少し低い、学歴が男性より少し低い、年齢が男性より少し低い女性がいい)という説で、まあ、そういうことを思っている人もいるのかもしれないけれども、そう思う人はそういう人間と結婚すればいいのであって、そう思わない人間がそうでない者とつきあうのも結婚するのも自由のはずで、当事者がいいと思えばいいわけで、他人のことをどうこう言うのは大きなお世話というものであるはずなのだが、世の中には人のことをぶつくさぶつくさぶかつくぶかつく言いたがる男とか女とかがいて、まったくうるさい限り、「とかくこの世は住みにくい」。又、女性が人のことに口出すなら、「女だから喧しい」とかいう事になるのかもしれないが、実際問題として、男もうるさいこと・・。
その時、私は30を過ぎたばかりで独身だったから、20代なかばで独身であったO谷とは、その点からいけば「年齢が少し高い」に該当したわけで、身長も私の方が「少し高い」に該当し、(学歴はO谷は少しではなくかなり低かったようだが、)もし、「三(少し)高」主義の基準を適用したとすれば、男性と女性の関係としてつきあうということになって悪いということもなかったのかもしれませんが、私の方は、それまでのO谷の印象から、職場で仕事をするのはかまわないけれども、男性と女性の関係としてつきあう相手として考えるならば、対象として考えたいとはあまり思えない人だと思っていました。 しかし、その時は、H部は、あくまで、「酒の場の余興」として言ったものであり、そういう場で何人もを前にして、「けっこうです」「やめてください」「いりません」といった態度をとっては、かわいそうだと思い、又、「酒の場の余興」である以上、調子を合わせておいた方がいいと思い、それで、「うん。そうだね、魅力感じるねえ」と、H部に合わせながら、かつ、女性の方がそれを聞いて本気にして後で傷つくことがないように、その場に合わせながら、同時に女性の方が本気にならないような言い方で言いました。 私は大変気を使った対応をした、してあげたと思っています。
「女性の方が本気にならないような言い方」というのは、「大学生」であった時にアルバイトで行った店舗で販売するような職場で、一緒に仕事をしていた私より少し年上かと思えた20代の女性が、私がアルバイトを終わる頃、そこで購入するようなものがあった場合は他の店に行かないで「やめた後も、ここの来るのよ」と言ってくれたので、私は冗談のつもりで「来ますよ。◇◇さんの顔を見にきます」と言ったところ、予想外に、照れながらうれしそうにしてくれたことがあり、それ以来、自分がそのつもりでない時に冗談でそういうことを口にするということはやるべきではないと思うようになったのです。 だから、一条工務店の忘年会だったかの時にHが「酒の場の余興」で言いだした時も、一方で、何人もがいるところでお断りの発言・態度をとってはかわいそうだと思い、「酒の場の余興」である以上それに合わせておいた方がいいと判断しながらも、同時に、もしも、自分にそのつもりがないのに女性が本気にして、後で悲しませてはいけないと配慮して、相手の女性には、本気で言っているのではないとわかる言い方をしたのです。配慮して配慮して対応したはずです。
ところが、それに対して、O谷はどうしたかというと、「だ~めよ。○○さんなんか。わたしは魅力たっぷりで、ひくてあまたで、私とつきあいたい男性なんて、ありあまってんだから」とふんぞりかえって口にしたのです。 O谷が「魅力たっぷりで、ひくてあまたで、私とつきあいたい男性なんて、ありあまって」いるなんて誰も思いませんから、その意味で「冗談」でしょう。 でも、それ、冗談になってないんですよ。
わかりますか。 まず、「冗談」というのは、おもしろくてこそ、冗談なんです。誰もが傷つかず、誰もが楽しめてこそ冗談なんです。 私は、申し訳ないけれども、O谷さんを男性と女性の関係としてつきあう相手とはまったく考えていなかったのです。というより、それまでに仕事を通じて見たO谷さんは、男性から見て魅力的ではなかったのです。 同社の東京営業所にはO谷さんと同年代の女性がもうひとりいましたが、あえて、その2人でどちらかに魅力を感じてどちらかに魅力を感じないかと言われれば、O谷さんは魅力を感じない方の人でした。しかし、どうせ、「酒の場の余興」ですし、「酒の場の余興」を真剣になって、「けっこうです」などとお断りするのも大人げないでしょうし、先にも述べたように、何人もの前でお断りだという態度をとってはかわいそうだと思ったから、私は、Hに合わせて、「うん。そうだね、魅力感じるねえ」という対応をしてあげたのです。なおかつ、同時に、もしも、女性が本気にして後で傷つかないようにという配慮もして、その女性には本気で言っているのではないとわかる言い方をしたはずなのです。 それだけ、配慮して気をつかって対応した男性に対して、O谷の態度はいったい何だ? 社会人として、人間として、立派な態度と言えるかというと、言えないと思います。
昔は、「本命」しかなかったバレンタインデーのチョコレートが、最近では「義理チョコ」の方が多くなってきましたが、今まで私が勤めた職場の男性には、「義理チョコ」をもらった時に、「こんなもの渡しやがって。どうせ、本命じゃないのに。」とか言う人がいたのですが、それはちょっと違うのではないでしょうか。 「本命」でなくても、「義理」であったとしても、それでも、「義理」の心はこもっているのであり、「義理」の気持をこめて買ってくれたものを、そういう言い方はないでしょう。 それと同じ、もしくは、それ以上でしょう。
私は、男性として、O谷に女性として魅力を感じてつきあいたいなどとはまったく思っていなかったけれども、しかし、たとえ「酒の場の余興」であっても、何人もがいる場で否定してはかわいそうだと気を配り、また、もしも、女性の方が本気にするようなことがあって後で傷ついてもかわいそうだとも思って配慮して、否定しないで調子を合わせながら、同時に、その女性には本気で言っているのではないとわかる言い方を気を使って気を使ってしたのであり、それだけの配慮をしたのです。 それだけの配慮・思いやりを示した相手に向って、O谷に態度はいったい何だ? それが、20を過ぎた成人した女の態度か?
私は相当に傷ついたし、相当に気分を害した。 その気持は今も変わらない。
それで、ひとつだけ、そのO谷の行為に対して、「お返し」をさせてもらったのだ。その翌年、O谷は同社を退職した。 送別会の後、1ヵ月ほどして、私がO谷がいた木場の東京事務所に電話した時にO谷が電話をとったのか、O谷が私がいた松戸展示場に電話してきて私が電話をとったのか、どちらかだったと思う。 送別会をして1ヵ月もすれば、送別された人はいない事が多いがO谷はいたのだ。 それで、「え、O谷さんですか。 まだ、いたんですか」と言ってやったのだ。 普通は、まだいたのかと思っても、「まだ、いたんですか」という言い方はしないものだが、あえて、そう言ってやったのだ。 O谷は「まだ、いたんですよ」と答えたが、私が、なぜ、そう言ったのか、理解したか理解できなかったか。 理解できなかっただろう。おそらく。バカだから。
冗談めかせて、実はその「冗談」には冗談でない意味がこもっているという「冗談」を言う人はけっこういる。男であれ女であれ、そういうものを聞いて、これは何だろうか、何を意味しているのだろうか、なぜ、この言葉が出てきたのか、なぜ、この「冗談」がここで出てくるのか、ということを考えることができる人は、それだけ賢明な人間で、それだけ「営業力」がある人間であるということで、「なぜ、その言葉がそこで出てきたか」を理解できない・・だけならまだしも、理解しよう、考えようともしない、「なぜ」と感じない人間は、賢明とは言えない人間であり、その分だけ「営業力」のない人間ということになろう。 私がO谷に電話で「まだ、いたんですか」と言ってやった時、松戸展示場の事務所の、私より1ヵ月ほど後で中途入社したSがいたが、Sは、「ちょっと、○○さん、何、その言い方」と私が悪いような言い方で口にしたが、そういう言葉を口にしたということは、Sは他の機会になかなか鋭い対応をした時もあったけれども、そこではボンクラだったということだろう。 O谷のあの態度がどれだけ人を傷つけているか、ということを、その場にいながら理解しない男はボンクラで非常識である。 「まだ、いたんですか」と私が口にした時、なるほど、あの「仕返し」だな、と気づくのが普通であり、気づかなかったSはその点でボンクラであり、営業とは、人のありきたりでない表現のしかた、通常でない発言から、あの人は、なぜ、あそこであのように言ったのだろうか、あのような言い方をしたのだろうか、とその真意を考えるもので、それが仕事のはずだが、それができないという点、ひとが口にする表現からひとの気持を読み取ろうという姿勢が欠落していたという点でその時のS藤は「営業力がない」ということになる。
「作家で精神科医」の なだ いなだ が『娘の学校』(中公文庫)でだったと思うが、「どういう賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。 どういう人が受賞しているかでその賞の値打ちが決まるのだ。」と述べていた。 どういう時に言ったかというと、川端康成がノーベル文学賞を受賞した時、なだ いなだ の娘が「パパはどうしてノーベル文学賞をもらわないの」と言ったので、それに対して言ったというのだ。それを聞いて、娘が「そうかあ。な~るほど、だから、パパはノーベル文学賞をもらわないんだな。なるほど、なるほど」と言ったと、なだ いなだ は冗談めかせて同書で述べていた。 実際に なだ いなだ の娘がそう言ったのかどうかはわからないが、「どういう賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。 どういう人が受賞しているかでその賞の値打ちが決まるのだ。」というのは、まったく、その通りである。
佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞した時、佐藤栄作なんぞがノーベル平和賞を受賞するのはけしからんと怒っていた人がいた。 本多勝一は、たとえとして、カレーライスと堆肥を考えるといい、ごはん にカレーをかけるとカレーライスで、犬のウンコに小便をかけると堆肥であっていずれも悪くないのに対し、ごはん に小便をかけたり、犬のウンコにカレーをかけるのはけしからんのである。佐藤栄作という犬のウンコにノーベル平和賞というカレーをかけるのはけしからんと怒っている人がいるようだが、ノーベル平和賞などというものはそうではなく、小便みたいなものであり、佐藤栄作という犬のウンコがノーベル平和賞という小便をかけられるというのは、いかにもふさわしいと言うべきだ、むしろ、ノーベル賞などという小便をかけられたくないとノーベル文学賞の受賞を拒否したサルトルの方がさすがである、とどこであったかで述べていた。
毛沢東は、「敵によって反対されるのは良いことであって悪いことではない。敵によって反対されるなら、敵とは一線を画しているということであり、敵によって反対されないなら、敵と同様に腐敗しているということだからだ」とどこかで述べていたと思います。
もしも、私がO谷の好みでなかったのなら、なかったで結構です。私だってO谷は私の好みではなかったし。 そんなことはどうでもいいことだ。 問題は、その場で否定してはかわいそうだ、と配慮し、同時に、もしも、女性が本気にして後で傷ついてはかわいそうだ、とも配慮して、その場でHの発言に合わせて否定しないようにしながら、同時に、その女性には本気でのものではないとわかる言い方をしてと、気を使って気を使ってした男性の気配りを土足で踏みにじる傲慢で無神経なO谷の態度が問題なのだ。
それから何年か経った後、O谷は結婚して名字が変わったようだが、インテリアコーディネーターの試験を受けて、インテリアコーディネーター試験の2次試験から「面接」がなくなった年に合格したらしい。 インテリアコーディネーターの試験は、1次は「学科」で、1次合格者が2次を受験できて、2次に「製図」「小論文」「面接」の試験があってそれに合格して登録すると「インテリアコーディネーター」となったのが、いつからだったか、2次の「面接」がなくなり、「製図」と「論文」になった。 一条工務店にいた「面接」があった時代に合格したTくんに聞いた話では、Tくんが受けた時、面接で何をきかれたかというと、「趣味は何ですか?」とかそういうものだったらしく、旧型司法試験の面接試験で面接でも法律問題について質問されてその場で口頭で答えるというもののように面接で建築・住宅・インテリアについて質問されるわけでもなかったようで、そんな「面接」を2次試験でやってもしかたがないということでなくし、かわりに、「小論文」を「論文」にしてより本格的な論述での回答が求められ、「製図」もより本格的な製図が求められるようになったらしい。
私は、たしか、面接が2次試験からなくなって2年目に合格した。O谷は、その前の年、即ち、「面接」が2次試験からなくなったその年に合格した。 すでにO谷はこの会社を退職していたが、私と同じ営業所(展示場)にいたO谷を知っているKさんが、「O谷が、去年、インテリアコーディネーターに通ったみたい」と教えてくれたことがあった。 それを聞いて、「あ、そういえば、去年から2次試験に面接がなくなったんだ。それでだ。それで、O谷、インテリアコーディネーターに通ったんだ。 そうだ。なるほど~。」と言ってやった。
Kさんはそれを聞いて、吹きだしながら「O谷と何かあったの?」と言ったが、そう言うということは、Kさんは松戸展示場にいた時のSよりもその部分で敏感だということだ。 「やっぱり、インテリアコーディネーターの2次試験に面接ないといかんわあ。 面接ないと、O谷、通ってしまうも~ん」と「冗談で」言ってやったのだが、Kさんは、その「冗談」が出るということは、「何かあった」のか? と感じたようで、その点で、Kさんはバカではなかったということだ。
すでに、それから何年も経つ。 実際のところ、今から過去を振り返ると、私も人の心を傷つけるような態度をとってしまったことがある。だから、自分が人から傷つけられるような言動をとられたことがあっても、特別に責めることもするまい、と思う。 だが、そうであっても、↑のO谷のような言動はいつまでも忘れることはない。 だから、↑のような「冗談」がでる時もある。「冗談」はしょせん「冗談」であって、それ以上のものではないが、その「冗談」がでてくる「根っこ」がある場合がある。 O谷は、たぶん、今でも、その「根っこ」に気づいていない可能性が高いと思う。
その部分に気づくことができる人は、その点で、その分だけ、何パーセントか、賢明な人間で、「営業力」がある人間であり、気づくことができない人は、その点で、その分だけ、何パーセントか、賢明でない人間で、「営業力」がない人間だということになる、と思う。
東京営業所の忘年会だったかで、「酒の席の余興」で話を振ったH部は、浜松向けの商品を浜松より1割5分増しの値段をつけて、浜松・名古屋・掛川ではドカンと一発テレビ広告等をおこなっているのに対して広告なしで売らされ、かつ「観光客」の割合が多い床鳴りしまくりで言っても直してもらえない展示場に10人以上も押し込められて(「収穫逓減の法則」を考えてみよ)苦戦していたその時の東京営業所では彼だけは契約をとっていた。彼は、自分では「頭わるいもん」と口にしたりしていたが、それは資格試験の勉強をしたりする能力などは優秀ではないということを言っていたのであり、見込客との対応、特に、そのタイミングで何を言うべきか言わざるべきかといった瞬間的判断力については彼は相当頭よかったと私は思うし、そのあたりは、彼は私の師匠である。 彼はその点については一条工務店の1000人からいる営業の中でもトップではないかとも私は思うのだが、しかし、時として、不適切な態度をとっていることを自覚しない時もあった。この時などは、自分が振った話に対してO谷が無礼で無神経で社会人として非常識な態度をとり、私は精神的に強く傷つけられたのであるから、私に「○○さん、すいませんでした。O谷があそこまでバカとは思わなかったものですから。申し訳ないです」とでも後からでも言うべきところであったはずだ。 私が、いわき市の営業所から栃木県佐野市の営業所に移った直後、茨城県つくば市で、免震住宅の地震実験をおこなうのを関東圏の営業所の人間が見学に行った時、その頃、つくば市の近所の営業所にいた彼は、自分の方から私に「ぼく、今、この近くの◇◇営業所にいるんですよ。昼休みでも一緒に見に行きませんか」と言いに来てくれた。彼はその頃その付近では最も売っていた人間だったのだが、その付近で一番売っている人が自分の方からそう言いに来てくれたし、そういうことがタイミングよくできる人間であり、そういうことができるというのは、彼はその点において頭がいいのであり「営業力がある」のである・・・が、「○○さん、すいませんでした。O谷があそこまでバカとは思わなかったものですから。申し訳ないです」というひと言を言わないといけなかったはずで、それを言えない者には「酒の場の余興」を口に出す資格はない。この部分については、私はHに対しても強く不快感を持った。彼は学歴は高卒であったとしても、継続的にその地域で他の多くの人間より多い契約棟数をあげることができる人間であったのだから、それだけの営業成果を出す能力のある人間であれば、このあたりについても配慮できないといけないはずだ。それを言えなかった点は当然のことながらマイナスの評価であるし、そこで「すいませんでした」のひと言が言えないというのは営業としてはいかがなものか、ということになる。
インテリアコーディネーターの2次試験で、「面接」をおこなって、↑のO谷のような無礼無神経な態度をとる人間を排除するべきかというと、資格試験というものにおいてはおこなう必要はないとインテリア産業協会は判断して、それで、2次試験から「面接」をなくして、かわりに、「製図」の試験時間を長くし、「小論文」も試験時間を長くするとともに「論文」にして、「製図」「論文」ともより本格的な内容にしたというものであろうけれども、採用試験において、↑のO谷のような人間が応募してきたなら、私が経営者・人事担当者であれば不採用にする可能性がある。
インテリア産業協会がインテリアコーディネーターの2次試験から「面接」をなくしたのは、旧型司法試験で単答式試験・論述試験の合格者におこなわれた「面接」=口頭試験や英語検定で筆記試験の後におこなわれる「面接」試験のように、その専門分野について試験官が口頭で質問して回答を求める試験ではなく、インテリアコーディネーター2次試験でそれまでやっていた「趣味は何ですかあ?」とかいった質問をする「面接」ならば、そういう「面接」は企業が採用する際にやればいいことで、資格試験でやる必要はない、という判断だったのではないだろうか。 もっとも、世の中には、採用するべき人間を落として不採用にするべき人間を採用にする面接担当者の会社もあるし、面接で会っても面接担当者としての役割を果たす能力のない人間に面接をさせている会社もあるが・・・。不採用にするべき人間が面接担当やってる場合もあるし・・・。不採用にするべき人間が経営者である会社もあるし・・・・・。
☆ 《男性の気持・思いやりを土足で踏みにじる女、来客を追い返す女》 は、3項目を1回で述べるつもりで作成しかけたが、ブログの字数制限の点から考えて、分けた方がいいと判断して、3回に分けて3部作として公開します。
【中】女性巡査の「巡回連絡」に警戒せよ! https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_4.html
【下】有望見込客を怒らせて追い返し平気な女 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_5.html
と合わせて見ていただければと思います。
(2014.6.23.)
今となっては20年以上前のことだ。在来木造の一条工務店に入社した1992年、その頃、同社は発祥の地である静岡県浜松市を中心として静岡県西部・愛知県では相当に高い評価を得ていて、JR「浜松」駅でタクシーに乗って、同社の名前を言えば同社の名前を言えば知らない運転手は誰もなく同社の場所はまったく説明しなくてもどのタクシーでも間違いなく行ってくれたが、一方で、東京都とその周辺では知ってる人はほとんどない状態だった。亀戸に展示場を建築する際に、亀戸の総合住宅展示場・城東ホームセンター(現在はなくなってマンションが建っている)はそれより西・南に住む人が北側にあったフジコシというスーパー(福島県に本社があったスーパーの店がなぜか東京都では亀戸にだけにあったのだが、インターネットで見ると、残念ながら藤越は倒産してヨークベニマルに吸収されたらしい。⇒《ウィキペディアー藤越》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E8%B6%8A)に買い物に行く際に通ることが多く、建築中、そういう通行人にも話しかけて見込客になってもらおうとしたが、スーパーに買い物に行く際に総合住宅展示場の中を通行している人というのは、完成した建物の住宅展示場に改まって入るよりも建築中の所をのぞく方が抵抗なく立ち寄ってくれるという面はあったのだが、そういう人に話しかけて「東京では、知らない人は知らないけれども知っている人は知っているというくらいの知名度の会社かと思います」と言っても、「そうかしら。しらない人はぜ~んぜん、知らないわ。知ってる人なんて、ないでしょ」と言われたりした。10年近く後で、同社で見せられたNHKの「プロジェクトX」という番組の録画で、ヤマト運輸の社員が、最初に宅急便を始めた頃、なかなか頼んでもらえなくて、郵便局の前に行って小包を出そうとしているおばあさんに、「おばあちゃん、その荷物、私に運ばせてもらえませんか」と言うと、そのおばあさんから「この荷物は孫に送る大事な荷物だから、あなたには頼めません。大事なものだから郵便局に頼みます」と言われたと、その時を思い出して涙を流しながら話していたが、それと似た状態だった。(NHKの「プロジェクトX]はヤラセというのか演技というのかがけっこうある番組と思えますが、しかし、これについては、幾分、脚色があったとしても、初期において、そのような苦労はあったのではないでしょうか。) 同社の浜松や掛川・名古屋の人間は「東京は浜松の何倍も人口がいるのだから何倍も売れて当たり前だ」などと勝手な文句を何度も口にしていたが、一条工務店の名前さえだせば誰もが話を聞いてくれるという土地で仕事をしている人間が、なんとか話を聞いてもらえないかとアプローチを試みても、いわば「おばあちゃん、その荷物、私に運ばせてもらえませんか」と言っても、そのおばあさんから「この荷物は孫に送る大事な荷物だから、あなたには頼めません。大事なものだから郵便局に頼みます」と言われてしまう場所で悪戦苦闘している者に向って、勝手で傲慢なことをぬかしているだけのもので、かつ、同社の経営者は、勝手で傲慢な態度をとっている浜松・掛川・名古屋の人間に全面的に加担していた。
東京都江東区の東京メトロ東西線の「木場」駅の前に一条ビルという細長い建物を持って、貸している階と自社で使用している階があり、自社で使用しているスペースに、「工事課」の男性社員が2人と「コーディネーター」と称していたが「インテリアコーディネーター」などの資格を持っているわけでもない20代なかばの女性と同じくらいの年齢のCAD担当の女性がいた。 東京都では江東区潮見のウッディランド東京という林野庁が国産材の使用を促進しようという趣旨で設けた施設(現在はなくなって、手前がヤマダ電機になり、奥がマンションになっている)の中に1店舗だけあって、「観光客」の割合が多く、「すべての人は住宅の見込客である」という意味ではなく「土地あり、2年以内」あるいは「現在、土地を捜しており、2年以内」という意味での「見込客」の来場は少ない展示場に、営業が10人以上いて、その当時、「セゾン275S2」という商品名をつけていたものを浜松・掛川など静岡県西部で坪48万円、名古屋で坪49万5千円であったものを、東京都では坪55万円に設定されていた。経済学上の需要曲線を考えてみてもわかる、というより、「需要曲線」なるものを持ちださなくても、普通に考えて、同じものを48万円で売るのと55万円で売るのとどちらが売りやすいか・売れやすいかというと、安い値段で売った方が売りやすい・売れやすいのは当然のことだ。かつ、静岡県西部・愛知県ではドカンドカンとテレビ広告をやり、東京ではそういうものはまったくやらなかった。同社の浜松・掛川・名古屋の人間はそれが当然という態度をとっていた。
その木場駅前のビルに、「インテリアコーディネーター」の資格をもっていなかったくせに「コーディネーター」と称して、契約客の色合わせ・色決めを担当していたO谷という20代なかばの女性がいました。
(今は、色合わせ・色決めの担当はインテリアコーディネーターの資格を持っている女性が担当する住宅建築会社が多くなりましたが、色合わせ・色決めを担当する女性がインテリアコーディネーターの資格をもっていないのに「コーディネーター」を名のって担当するというのは、その頃は、同社に限らず、住宅建築会社では珍しくはなかったと思います。もともと、「インテリアコーディネーター」という資格は三井ホームが構造自体は特別のものでもないツーバイフォー工法の住宅を日本に普及させようとした際に、付加価値をつけようとして始めた三井ホームという会社が作った同社独自の資格で、それが世間一般のものになって通産省認定の国家資格にまでなり、小泉行政改革の時に、民間資格に「格下げ」になって今日に至っているというもので、今はかなり普及しましたが、その頃は、それほどは重視されていなかったと思います。 なお、少し前、三井ホームの展示場の前を通ると、「建築家とインテリアコーディネーターがつくる家」という横断幕がかかっていましたが、色合わせをインテリアコーディネーターの資格を持っている女性が担当する会社は今は少なくありませんし、「建築家」というのは、自社に「設計課」という部署をもって自社の従業員に設計をさせるのではなく、自社ではない「設計事務所」「建築事務所」という所の人間に設計をさせているというだけのことであり、自社の従業員の方がいいかそうでない外注の方がいいかというと、そのこと自体、どちらがいいというものでもないわけです。 企業が商品・サービスを用意するのに、「作るか買うか」(make or buy)では「買う」(buy)の方がいいとは限りません。 しょーもない横断幕をだすものだなあ、とあくびがでました。あんなしょーもない文句を見て、いいと思う人がいるのでしょうか。また、そういう形で「建築家」とか言ってもらって、それで、へぼ図面しか書かないくせに自分は「建築家」の先生様だとか思ってしまうようなしょーもないおっさんもいるようですね。バッカじゃなかろか、という気がします。 三井ホームも「なんや、しょーもないこと言うやっちゃなあ」と思いました。)
忘年会だったか何かの時のこと、東京展示場の営業で妻帯者であった当時20代後半の男性Hが、私に、「○○さん、O谷さんのこと、どう思います? いいと思いませんか。魅力感じるでしょう」と「酒の場の余興」で言いだしたのだ。
世の中には、女性にとって男性は「三高」がいいという説があり、この「三高」には2通りの意味があって、ひとつは、ともかく「身長が高い、学歴が高い、年収が高い」男性がいいという意味で、もうひとつは、ともかく高いのがいいというのではなく、「女性より男性が少し高いのがいい」という話で、女性にとって「身長が女性より少し高い、学歴が女性より少し高い、年齢が女性より少し高い」男性がいい(男性にとって、身長が男性より少し低い、学歴が男性より少し低い、年齢が男性より少し低い女性がいい)という説で、まあ、そういうことを思っている人もいるのかもしれないけれども、そう思う人はそういう人間と結婚すればいいのであって、そう思わない人間がそうでない者とつきあうのも結婚するのも自由のはずで、当事者がいいと思えばいいわけで、他人のことをどうこう言うのは大きなお世話というものであるはずなのだが、世の中には人のことをぶつくさぶつくさぶかつくぶかつく言いたがる男とか女とかがいて、まったくうるさい限り、「とかくこの世は住みにくい」。又、女性が人のことに口出すなら、「女だから喧しい」とかいう事になるのかもしれないが、実際問題として、男もうるさいこと・・。
その時、私は30を過ぎたばかりで独身だったから、20代なかばで独身であったO谷とは、その点からいけば「年齢が少し高い」に該当したわけで、身長も私の方が「少し高い」に該当し、(学歴はO谷は少しではなくかなり低かったようだが、)もし、「三(少し)高」主義の基準を適用したとすれば、男性と女性の関係としてつきあうということになって悪いということもなかったのかもしれませんが、私の方は、それまでのO谷の印象から、職場で仕事をするのはかまわないけれども、男性と女性の関係としてつきあう相手として考えるならば、対象として考えたいとはあまり思えない人だと思っていました。 しかし、その時は、H部は、あくまで、「酒の場の余興」として言ったものであり、そういう場で何人もを前にして、「けっこうです」「やめてください」「いりません」といった態度をとっては、かわいそうだと思い、又、「酒の場の余興」である以上、調子を合わせておいた方がいいと思い、それで、「うん。そうだね、魅力感じるねえ」と、H部に合わせながら、かつ、女性の方がそれを聞いて本気にして後で傷つくことがないように、その場に合わせながら、同時に女性の方が本気にならないような言い方で言いました。 私は大変気を使った対応をした、してあげたと思っています。
「女性の方が本気にならないような言い方」というのは、「大学生」であった時にアルバイトで行った店舗で販売するような職場で、一緒に仕事をしていた私より少し年上かと思えた20代の女性が、私がアルバイトを終わる頃、そこで購入するようなものがあった場合は他の店に行かないで「やめた後も、ここの来るのよ」と言ってくれたので、私は冗談のつもりで「来ますよ。◇◇さんの顔を見にきます」と言ったところ、予想外に、照れながらうれしそうにしてくれたことがあり、それ以来、自分がそのつもりでない時に冗談でそういうことを口にするということはやるべきではないと思うようになったのです。 だから、一条工務店の忘年会だったかの時にHが「酒の場の余興」で言いだした時も、一方で、何人もがいるところでお断りの発言・態度をとってはかわいそうだと思い、「酒の場の余興」である以上それに合わせておいた方がいいと判断しながらも、同時に、もしも、自分にそのつもりがないのに女性が本気にして、後で悲しませてはいけないと配慮して、相手の女性には、本気で言っているのではないとわかる言い方をしたのです。配慮して配慮して対応したはずです。
ところが、それに対して、O谷はどうしたかというと、「だ~めよ。○○さんなんか。わたしは魅力たっぷりで、ひくてあまたで、私とつきあいたい男性なんて、ありあまってんだから」とふんぞりかえって口にしたのです。 O谷が「魅力たっぷりで、ひくてあまたで、私とつきあいたい男性なんて、ありあまって」いるなんて誰も思いませんから、その意味で「冗談」でしょう。 でも、それ、冗談になってないんですよ。
わかりますか。 まず、「冗談」というのは、おもしろくてこそ、冗談なんです。誰もが傷つかず、誰もが楽しめてこそ冗談なんです。 私は、申し訳ないけれども、O谷さんを男性と女性の関係としてつきあう相手とはまったく考えていなかったのです。というより、それまでに仕事を通じて見たO谷さんは、男性から見て魅力的ではなかったのです。 同社の東京営業所にはO谷さんと同年代の女性がもうひとりいましたが、あえて、その2人でどちらかに魅力を感じてどちらかに魅力を感じないかと言われれば、O谷さんは魅力を感じない方の人でした。しかし、どうせ、「酒の場の余興」ですし、「酒の場の余興」を真剣になって、「けっこうです」などとお断りするのも大人げないでしょうし、先にも述べたように、何人もの前でお断りだという態度をとってはかわいそうだと思ったから、私は、Hに合わせて、「うん。そうだね、魅力感じるねえ」という対応をしてあげたのです。なおかつ、同時に、もしも、女性が本気にして後で傷つかないようにという配慮もして、その女性には本気で言っているのではないとわかる言い方をしたはずなのです。 それだけ、配慮して気をつかって対応した男性に対して、O谷の態度はいったい何だ? 社会人として、人間として、立派な態度と言えるかというと、言えないと思います。
昔は、「本命」しかなかったバレンタインデーのチョコレートが、最近では「義理チョコ」の方が多くなってきましたが、今まで私が勤めた職場の男性には、「義理チョコ」をもらった時に、「こんなもの渡しやがって。どうせ、本命じゃないのに。」とか言う人がいたのですが、それはちょっと違うのではないでしょうか。 「本命」でなくても、「義理」であったとしても、それでも、「義理」の心はこもっているのであり、「義理」の気持をこめて買ってくれたものを、そういう言い方はないでしょう。 それと同じ、もしくは、それ以上でしょう。
私は、男性として、O谷に女性として魅力を感じてつきあいたいなどとはまったく思っていなかったけれども、しかし、たとえ「酒の場の余興」であっても、何人もがいる場で否定してはかわいそうだと気を配り、また、もしも、女性の方が本気にするようなことがあって後で傷ついてもかわいそうだとも思って配慮して、否定しないで調子を合わせながら、同時に、その女性には本気で言っているのではないとわかる言い方を気を使って気を使ってしたのであり、それだけの配慮をしたのです。 それだけの配慮・思いやりを示した相手に向って、O谷に態度はいったい何だ? それが、20を過ぎた成人した女の態度か?
私は相当に傷ついたし、相当に気分を害した。 その気持は今も変わらない。
それで、ひとつだけ、そのO谷の行為に対して、「お返し」をさせてもらったのだ。その翌年、O谷は同社を退職した。 送別会の後、1ヵ月ほどして、私がO谷がいた木場の東京事務所に電話した時にO谷が電話をとったのか、O谷が私がいた松戸展示場に電話してきて私が電話をとったのか、どちらかだったと思う。 送別会をして1ヵ月もすれば、送別された人はいない事が多いがO谷はいたのだ。 それで、「え、O谷さんですか。 まだ、いたんですか」と言ってやったのだ。 普通は、まだいたのかと思っても、「まだ、いたんですか」という言い方はしないものだが、あえて、そう言ってやったのだ。 O谷は「まだ、いたんですよ」と答えたが、私が、なぜ、そう言ったのか、理解したか理解できなかったか。 理解できなかっただろう。おそらく。バカだから。
冗談めかせて、実はその「冗談」には冗談でない意味がこもっているという「冗談」を言う人はけっこういる。男であれ女であれ、そういうものを聞いて、これは何だろうか、何を意味しているのだろうか、なぜ、この言葉が出てきたのか、なぜ、この「冗談」がここで出てくるのか、ということを考えることができる人は、それだけ賢明な人間で、それだけ「営業力」がある人間であるということで、「なぜ、その言葉がそこで出てきたか」を理解できない・・だけならまだしも、理解しよう、考えようともしない、「なぜ」と感じない人間は、賢明とは言えない人間であり、その分だけ「営業力」のない人間ということになろう。 私がO谷に電話で「まだ、いたんですか」と言ってやった時、松戸展示場の事務所の、私より1ヵ月ほど後で中途入社したSがいたが、Sは、「ちょっと、○○さん、何、その言い方」と私が悪いような言い方で口にしたが、そういう言葉を口にしたということは、Sは他の機会になかなか鋭い対応をした時もあったけれども、そこではボンクラだったということだろう。 O谷のあの態度がどれだけ人を傷つけているか、ということを、その場にいながら理解しない男はボンクラで非常識である。 「まだ、いたんですか」と私が口にした時、なるほど、あの「仕返し」だな、と気づくのが普通であり、気づかなかったSはその点でボンクラであり、営業とは、人のありきたりでない表現のしかた、通常でない発言から、あの人は、なぜ、あそこであのように言ったのだろうか、あのような言い方をしたのだろうか、とその真意を考えるもので、それが仕事のはずだが、それができないという点、ひとが口にする表現からひとの気持を読み取ろうという姿勢が欠落していたという点でその時のS藤は「営業力がない」ということになる。
「作家で精神科医」の なだ いなだ が『娘の学校』(中公文庫)でだったと思うが、「どういう賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。 どういう人が受賞しているかでその賞の値打ちが決まるのだ。」と述べていた。 どういう時に言ったかというと、川端康成がノーベル文学賞を受賞した時、なだ いなだ の娘が「パパはどうしてノーベル文学賞をもらわないの」と言ったので、それに対して言ったというのだ。それを聞いて、娘が「そうかあ。な~るほど、だから、パパはノーベル文学賞をもらわないんだな。なるほど、なるほど」と言ったと、なだ いなだ は冗談めかせて同書で述べていた。 実際に なだ いなだ の娘がそう言ったのかどうかはわからないが、「どういう賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。 どういう人が受賞しているかでその賞の値打ちが決まるのだ。」というのは、まったく、その通りである。
佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞した時、佐藤栄作なんぞがノーベル平和賞を受賞するのはけしからんと怒っていた人がいた。 本多勝一は、たとえとして、カレーライスと堆肥を考えるといい、ごはん にカレーをかけるとカレーライスで、犬のウンコに小便をかけると堆肥であっていずれも悪くないのに対し、ごはん に小便をかけたり、犬のウンコにカレーをかけるのはけしからんのである。佐藤栄作という犬のウンコにノーベル平和賞というカレーをかけるのはけしからんと怒っている人がいるようだが、ノーベル平和賞などというものはそうではなく、小便みたいなものであり、佐藤栄作という犬のウンコがノーベル平和賞という小便をかけられるというのは、いかにもふさわしいと言うべきだ、むしろ、ノーベル賞などという小便をかけられたくないとノーベル文学賞の受賞を拒否したサルトルの方がさすがである、とどこであったかで述べていた。
毛沢東は、「敵によって反対されるのは良いことであって悪いことではない。敵によって反対されるなら、敵とは一線を画しているということであり、敵によって反対されないなら、敵と同様に腐敗しているということだからだ」とどこかで述べていたと思います。
もしも、私がO谷の好みでなかったのなら、なかったで結構です。私だってO谷は私の好みではなかったし。 そんなことはどうでもいいことだ。 問題は、その場で否定してはかわいそうだ、と配慮し、同時に、もしも、女性が本気にして後で傷ついてはかわいそうだ、とも配慮して、その場でHの発言に合わせて否定しないようにしながら、同時に、その女性には本気でのものではないとわかる言い方をしてと、気を使って気を使ってした男性の気配りを土足で踏みにじる傲慢で無神経なO谷の態度が問題なのだ。
それから何年か経った後、O谷は結婚して名字が変わったようだが、インテリアコーディネーターの試験を受けて、インテリアコーディネーター試験の2次試験から「面接」がなくなった年に合格したらしい。 インテリアコーディネーターの試験は、1次は「学科」で、1次合格者が2次を受験できて、2次に「製図」「小論文」「面接」の試験があってそれに合格して登録すると「インテリアコーディネーター」となったのが、いつからだったか、2次の「面接」がなくなり、「製図」と「論文」になった。 一条工務店にいた「面接」があった時代に合格したTくんに聞いた話では、Tくんが受けた時、面接で何をきかれたかというと、「趣味は何ですか?」とかそういうものだったらしく、旧型司法試験の面接試験で面接でも法律問題について質問されてその場で口頭で答えるというもののように面接で建築・住宅・インテリアについて質問されるわけでもなかったようで、そんな「面接」を2次試験でやってもしかたがないということでなくし、かわりに、「小論文」を「論文」にしてより本格的な論述での回答が求められ、「製図」もより本格的な製図が求められるようになったらしい。
私は、たしか、面接が2次試験からなくなって2年目に合格した。O谷は、その前の年、即ち、「面接」が2次試験からなくなったその年に合格した。 すでにO谷はこの会社を退職していたが、私と同じ営業所(展示場)にいたO谷を知っているKさんが、「O谷が、去年、インテリアコーディネーターに通ったみたい」と教えてくれたことがあった。 それを聞いて、「あ、そういえば、去年から2次試験に面接がなくなったんだ。それでだ。それで、O谷、インテリアコーディネーターに通ったんだ。 そうだ。なるほど~。」と言ってやった。
Kさんはそれを聞いて、吹きだしながら「O谷と何かあったの?」と言ったが、そう言うということは、Kさんは松戸展示場にいた時のSよりもその部分で敏感だということだ。 「やっぱり、インテリアコーディネーターの2次試験に面接ないといかんわあ。 面接ないと、O谷、通ってしまうも~ん」と「冗談で」言ってやったのだが、Kさんは、その「冗談」が出るということは、「何かあった」のか? と感じたようで、その点で、Kさんはバカではなかったということだ。
すでに、それから何年も経つ。 実際のところ、今から過去を振り返ると、私も人の心を傷つけるような態度をとってしまったことがある。だから、自分が人から傷つけられるような言動をとられたことがあっても、特別に責めることもするまい、と思う。 だが、そうであっても、↑のO谷のような言動はいつまでも忘れることはない。 だから、↑のような「冗談」がでる時もある。「冗談」はしょせん「冗談」であって、それ以上のものではないが、その「冗談」がでてくる「根っこ」がある場合がある。 O谷は、たぶん、今でも、その「根っこ」に気づいていない可能性が高いと思う。
その部分に気づくことができる人は、その点で、その分だけ、何パーセントか、賢明な人間で、「営業力」がある人間であり、気づくことができない人は、その点で、その分だけ、何パーセントか、賢明でない人間で、「営業力」がない人間だということになる、と思う。
東京営業所の忘年会だったかで、「酒の席の余興」で話を振ったH部は、浜松向けの商品を浜松より1割5分増しの値段をつけて、浜松・名古屋・掛川ではドカンと一発テレビ広告等をおこなっているのに対して広告なしで売らされ、かつ「観光客」の割合が多い床鳴りしまくりで言っても直してもらえない展示場に10人以上も押し込められて(「収穫逓減の法則」を考えてみよ)苦戦していたその時の東京営業所では彼だけは契約をとっていた。彼は、自分では「頭わるいもん」と口にしたりしていたが、それは資格試験の勉強をしたりする能力などは優秀ではないということを言っていたのであり、見込客との対応、特に、そのタイミングで何を言うべきか言わざるべきかといった瞬間的判断力については彼は相当頭よかったと私は思うし、そのあたりは、彼は私の師匠である。 彼はその点については一条工務店の1000人からいる営業の中でもトップではないかとも私は思うのだが、しかし、時として、不適切な態度をとっていることを自覚しない時もあった。この時などは、自分が振った話に対してO谷が無礼で無神経で社会人として非常識な態度をとり、私は精神的に強く傷つけられたのであるから、私に「○○さん、すいませんでした。O谷があそこまでバカとは思わなかったものですから。申し訳ないです」とでも後からでも言うべきところであったはずだ。 私が、いわき市の営業所から栃木県佐野市の営業所に移った直後、茨城県つくば市で、免震住宅の地震実験をおこなうのを関東圏の営業所の人間が見学に行った時、その頃、つくば市の近所の営業所にいた彼は、自分の方から私に「ぼく、今、この近くの◇◇営業所にいるんですよ。昼休みでも一緒に見に行きませんか」と言いに来てくれた。彼はその頃その付近では最も売っていた人間だったのだが、その付近で一番売っている人が自分の方からそう言いに来てくれたし、そういうことがタイミングよくできる人間であり、そういうことができるというのは、彼はその点において頭がいいのであり「営業力がある」のである・・・が、「○○さん、すいませんでした。O谷があそこまでバカとは思わなかったものですから。申し訳ないです」というひと言を言わないといけなかったはずで、それを言えない者には「酒の場の余興」を口に出す資格はない。この部分については、私はHに対しても強く不快感を持った。彼は学歴は高卒であったとしても、継続的にその地域で他の多くの人間より多い契約棟数をあげることができる人間であったのだから、それだけの営業成果を出す能力のある人間であれば、このあたりについても配慮できないといけないはずだ。それを言えなかった点は当然のことながらマイナスの評価であるし、そこで「すいませんでした」のひと言が言えないというのは営業としてはいかがなものか、ということになる。
インテリアコーディネーターの2次試験で、「面接」をおこなって、↑のO谷のような無礼無神経な態度をとる人間を排除するべきかというと、資格試験というものにおいてはおこなう必要はないとインテリア産業協会は判断して、それで、2次試験から「面接」をなくして、かわりに、「製図」の試験時間を長くし、「小論文」も試験時間を長くするとともに「論文」にして、「製図」「論文」ともより本格的な内容にしたというものであろうけれども、採用試験において、↑のO谷のような人間が応募してきたなら、私が経営者・人事担当者であれば不採用にする可能性がある。
インテリア産業協会がインテリアコーディネーターの2次試験から「面接」をなくしたのは、旧型司法試験で単答式試験・論述試験の合格者におこなわれた「面接」=口頭試験や英語検定で筆記試験の後におこなわれる「面接」試験のように、その専門分野について試験官が口頭で質問して回答を求める試験ではなく、インテリアコーディネーター2次試験でそれまでやっていた「趣味は何ですかあ?」とかいった質問をする「面接」ならば、そういう「面接」は企業が採用する際にやればいいことで、資格試験でやる必要はない、という判断だったのではないだろうか。 もっとも、世の中には、採用するべき人間を落として不採用にするべき人間を採用にする面接担当者の会社もあるし、面接で会っても面接担当者としての役割を果たす能力のない人間に面接をさせている会社もあるが・・・。不採用にするべき人間が面接担当やってる場合もあるし・・・。不採用にするべき人間が経営者である会社もあるし・・・・・。
☆ 《男性の気持・思いやりを土足で踏みにじる女、来客を追い返す女》 は、3項目を1回で述べるつもりで作成しかけたが、ブログの字数制限の点から考えて、分けた方がいいと判断して、3回に分けて3部作として公開します。
【中】女性巡査の「巡回連絡」に警戒せよ! https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_4.html
【下】有望見込客を怒らせて追い返し平気な女 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_5.html
と合わせて見ていただければと思います。
(2014.6.23.)
この記事へのコメント