家相が悪い!手取天満宮(熊本市)。 本殿直近に本殿に排気ガスがかかる月極駐車場を設ける無神経。
[第272回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(22)‐1
(熊本シリーズ第3回)
[1] 手取天満宮(手取菅原神社)
冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り 熊本シリーズ の3社めは、手取天満宮(手取菅原神社)(熊本市中央区上通町5―34)です。
『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』〔1994.12.20.(株)鎌倉新書〕の「主要天満宮名簿」には、熊本県では、菊池郡大津町の杉水菅原神社・菊池市の今村菅原神社・阿蘇市の内牧菅原神社と、この手取菅原神社の4社が掲載されています。 《ウィキペディア‐天満宮》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE の「主な天満宮」には、熊本県では、『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』にも掲載がある内牧菅原神社(阿蘇市)と、梅林天満宮(玉名市)・萩原菅原神社(八代市)・十島菅原神社(球磨郡)、それに、この熊本シリーズの1社目で取り上げた山崎菅原神社(熊本市)とこの手取天満宮(熊本市)の6社の名前が出ています。
竹内秀雄『天満宮』(1968.3.9. 吉川弘文館 日本歴史叢書)には、
≪ 鷽替神事は天神信仰と結合した習俗である。
うそ替神事の代表的なものは東京の亀戸天神社にあり、九州の太宰府天満宮では、追儺祭(おにすべ)に伴って、参詣人が木製の鷽を替あう神事である。・・・
ちなみにこれに似たものに、熊本の手取神社では鳩替といい、富山付近では土製の鳩を交換するという。
・・・・
俗説には、一年中に話した嘘をこの符に託して神前に納め、罪を償うためであるともいい、また昨日の凶を嘘にして、当年の吉に取替えんとする信仰から来ているとも伝えていう。また新年に当たり開運出世の効験があると考えられている。
しかし、西村真次氏は「沈黙貿易」(『日本古代経済』交換篇一)において、古代日本民族は息吹を神聖なもの、呪力・霊力あるものと信じ、契約・取引など、また人的関係が完了した場合、互いに息を吹いたり、物に息を吹きかけたりすることが行われた。口をすぼめて息を吹くことをウソ(あるいはヲソ)ともいい、それに似た鳴き方をする鳥をウソ鳥(ヲソ鳥)ともいったので、交換の完了に際しても息を吹くことを慣習とした縁で、祭祀の日に神前で物々交換したことが残存した神事に、ウソ鳥の木彫を交換することになったものであろう。また『大宰府略記』に交換の前に「うそかへん」と罵り合ったとあり、今日も「替えませう替えませう」と喚き叫ぶが、初めは無言で交換したもので、もし有言で交換するならば、交換する品物を袖に隠す必要はないと述べているのは特異な説である。 そして鳩替神事は鷽替神事に先行し鳩替神事は沈黙交換の行事が宗教化したのち、それに付帯した慣習が残存したものとする。それは朝鮮語では、物々交換、受けること、授けることなどの語は皆Pat を語根とし、本来 Pat に交換の意が含まれていて、鷽を朝鮮語に訳する場合には、普通に鵲(Kachi)または山鳩(Pitulgi・Pitalgi)とし、交換と鷽・鳩とが類似しているので、その縁で鳩を刻んだ木棍が交換の行事に際して、何らかの意思表示に用いられたのではないかとしている。・・・≫
と出ている。
『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』(鎌倉新書)と、《ウィキペディア‐天満宮》の両方に名前が出ている天神社は、熊本県では内牧菅原神社(阿蘇市内牧) とこの手取天満宮(手取菅原神社)の2社だけ、熊本県の天神社で竹内秀雄『天満宮』(吉川弘文館)に出ているのは手取神社(手取天満宮)だけで、それなら、相当大きな神社か・・と思うと、行ってみるとそれほど広い敷地でもなく大きな建物の神社でもありません。
↑南側、鳥居と入口。
↑拝殿。 手前右は授与所(訪問時は無人)。
↑東側から見た 拝殿・弊殿(石の間)・本殿。
山崎菅原神社(⇒ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html )と同じく、拝殿の後ろに弊殿があり、弊殿と本殿の間に屋根のない空間がある、という構成でできている。
↑北側の鳥居と 北側から見た本殿、及び、手取天満宮(手取菅原神社)敷地の月極め駐車場。 クリックすると大きくなるので、クリックして見てください。 本殿の背面に排気ガスがかかる向きで自動車が駐車されるように月極め駐車場が設けられています。
社殿の北側の敷地を月極め駐車場として貸しているようですが、どうでしょうか。こういうのは。↑
手取天満宮(手取菅原神社)の周辺は、熊本市でも市街地というのか繁華街ですから、駐車場の需要はあるでしょう。 山崎菅原神社も神社の敷地を駐車場として貸していたようですし、船場菅原神社の背後の駐車場が誰の所有地かはわからないが、船場菅原神社の土地を月極め駐車場にして貸していたものの可能性もありそうです。
神社だって、運営していかないといけないので、月極め駐車場として安定した収入が欲しい・・・・ということもあるのでしょうか。 しかし、・・・・・。
神社の敷地を月極め駐車場として貸して収入を得る、ということが良いか否かはさておき。 ここでは、この駐車場の設置のしかたが気になりました。
鶴野晴山(つるの せいざん)『よい家相・よい部屋相』(1989.6.10. KKロングセラーズ <ムック>の本)の「外まわりの家相 車庫」には、
≪ 車が日常生活に欠かせない現代では、車庫の家相上の影響は大きい。 というのは、車の排気物には一酸化炭素や亜硫酸ガスが含まれており、これらは、自然と大気を汚し、人間の健康をおびやかす。 したがって、住居の近くに車庫があるのは、けっして吉相にはならない。これが私の家相上の判断である。
・・・
どうしても、自分の敷地のなかに車庫をもちたい人は、住居から離れた、空気の流通のよい場所を選ぶことが前提条件になる。
敷地内の車庫には吉方位はないが、比較的安全なのは、北西の方位。ただし住居から2メートル以上離れていることが条件だ。
また、東、東南方位も2メートル以上離れていればまず安全。 西方位は、3メートル以上離れていないと安全ではないので、実際にはむずかしい方位である。 それ以上近い場合には、住居と車庫のあいだに植樹をするなどの工夫が必要だ。
・・・道路との関係もあるが、だいたいは北や北東方位へもっていくのがふつうである。 ところが、この北と北東の車庫というのは大凶相なのである。
この方位に車庫をつくるくらいなら、観念して近くに駐車場を借りた方がよいのだが、それがムリで、どうしてもこの方位にしか車庫をつくれない場合はどうすればよいか。
北の車庫は、できるだけ家から離して、屋根、囲み、シャッターのついた堅牢なものにする。これは、南の車庫も同様。
北東の車庫は、逆に、カーポートをつくったり、ビニールシートなどをかぶせたりせず、そうした余分なものをすべてとり払った“青空駐車場”にすること。南西の車庫も同じである。
また、車を車庫から出すときの都合だけを考えて、車をバックで入れている人は多い。 だが、これでは排気ガスが住居に入りやすいように駐車しているようなものだ。 このような向きに駐車をするのは、たとえ駐車場が安全な方位にある場合でも避けること。 そのためにも、車庫は住居と並行につくることが大切である。
さらに車庫と住居のあいだに、樹木を植えるのも凶意を防ぐよい方法である。車庫の周辺の汚れた空気を、樹木から出る新鮮な空気が、浄化してくれるからである。≫
と出ている。
≪北と北東の車庫というのは大凶相≫と鶴野晴山氏が述べているまさにその大凶相を、この手取天満宮(手取菅原神社)はやっている。 もちろん、家相というものは、その家相家によって説が異なる場合はしばしばあることで、ここで鶴野氏が述べている内容と異なる説を述べる人もあるかもしれない。 しかし、
1. 排気ガスを出す車の駐車場は、基本的には、吉相になるものではない。
2. 北は神聖な方位であり、北東は鬼門方位で、いずれも軽視してはならない方位である。
3. 車庫を設ける場合には、できれば、家屋から、いくらか離した方が良い。
4. 車庫と家屋との間をそれほど空けることができない場合は、その間に樹木を植えるなどしてやわらげるか、もしくは、車庫と家屋との間に塀を設けるなどして境界を設けるかした方がいい。
5. 家屋のすぐ近くに車を駐車させる場合、排気ガスが家屋の方に向って排出される配置は避けるべきである。 どうしても、その配置にせざるをえない場合は、間に「ついたて」を設けて遮るか、樹木を植えるなどしてやわらげるかするべきである。
これらは、おそらく、どの家相家でも意見は異なることはないと思う。 人間の住む家屋で良くないものは、神さまの社殿、特に、本殿にとって良いわけがない、と私は思う。
手取天満宮(手取天神社)[熊本市中央区上通町]の敷地内月極め駐車場、特に、北側の月極め駐車場は、これら↑の点を、まったく考えずに設けられている。 本殿の直近に、その間に「結界」になるような塀など設けられることなく、月極め駐車場が設けられている。 本殿の直近に、本殿に向って排気ガスがかかる向きで駐車場が設置されている。 その間に樹木などもない。 こんな駐車場を設ける神社は神社としておかしい。
それから、神社とは、神社の社殿の建物だけが神社であるのではなく、境内地の林も合わせて神社であり、特に、本殿の背後の部分は重要性が高いと思われる。 そこを月極め駐車場にしてしまっているのはいかがなものだろうか。
この際、言わせてもらおう。 手取天満宮(手取菅原神社)は、極めて家相が悪い。
≪ ここはどこの細道じゃ、天神様の細道じゃ、ちょっと通してくだしゃんせ、御用のないもの通しゃせぬ、この子の七つのお祝いに、お札を納めにまいります、通りぁんせ、通りぁんせ、いきはよいよい帰りはこわい、こわいながらに通りぁんせ、
これは江戸時代から今なお子供の遊戯唄として残っている。・・≫
(武内秀雄『天満宮』1968. 吉川弘文館)
この「いきはよいよい帰りはこわい」というのはどういう意味だろう、とけっこう子供の頃から考えてきた。 『ほんとうは怖い わらべ唄』とかいう類の題名の本もどこかで見たようにも思うが。
竹内秀雄『天満宮』では、≪また箱根の関所は手形のないものは絶対通さず、何か特殊な事情のあるものは関所に哀訴して通してもらったが、帰りはもう絶対に通してくれなかったことから伝わった哀歌が全国にひろがったともいう(木股修著『わらべ唄歳時記』) 昔は「御用のないもの」のところが「手形のないもの」、「この子の七つの」を「天神さまに願かけに」と歌われていた。 ≫と出ている。しかし、箱根の関所を手形のないものを通さない、たとえ、行きに通しても帰りは通さないという話なら、天神さまに限ったことでもないとも思える。
≪ 歌詞の中に「この子の七つのお祝いに」とあるので、いわゆる「七五三」で、11月15日に女児が7歳になると帯解(おびとき)といって、これまで帯の代用にしていた付紐(つけひも)を取り去って、初めて帯を用いる儀式を行って氏神に参詣したことを示すものであろう。≫(武内『天満宮』)とあるのが、「この子の七つのお祝いに」であるとしても、「行きはよいよい帰りはこわい」「こわいながらに通りぁんせ」というのはどういう意味か。≪「わらべ唄」として人々に膾炙したものに、二人の少女が手を組んで鳥居を通すが、通った子は帰りに鳥居を通るときに、「お土産」といってたたかれる遊戯がある。≫(武内『天満宮』)とも出ている。 この意味は何だろう。
≪昔、天神様の奥の祠で、七つの少女を人身御供にとった伝承を童謡としたものであるという(『風俗辞典』)。≫(武内『天満宮』)とある。 これかもしれない。 たしかに、『本当は怖いわらべ唄』である。
但し、≪天神様の奥の祠で、≫といっても、全国すべての天神社でおこなわれたものでもないであろうし、京都の北野天満宮や大阪天満宮は本殿の後ろからも拝むようになっており、≪七つの少女を人身御供にとった≫という感じでもないから、北野天満宮や大阪天満宮などでではなく、本殿の背面に通常は人が行かないような天神社でのことだろうか。 ≪奥の祠≫とは「本殿の奥」「本殿の後ろ」のことなのか、本殿の奥にもうひとつ祠があったのだろうか。
いずれにせよ、本殿の後ろ、背面というのは、決して軽く考えて良い場所ではないと思うのだ。 この熊本の手取菅原神社は天神社であっても≪奥の祠で、七つの少女を人身御供にとった≫天神社ではないかもしれないが、なかったとしても、やはり、本殿の後ろ、背面は軽く考えるべき場所ではなく、本殿の背面直近を月極駐車場にして本殿に排気ガスがかかる方向でクルマを駐車させているという現状は、ちょっと、考えてほしいように思います。 他の神社でも本殿の背面は軽く考えるべきではないと思うが、天神社の場合、特に、この「わらべ唄」の話があるので、軽視しないでほしいと思います。
なお、落ち着いてじっくり考えてみると、「天神様の細道じゃ」という「細道」も、大阪天満宮(大阪市北区)の正門の前の道、湯島天神(東京都文京区)の前の道など決して細い道ではないし、この手取菅原神社の前の道も特に細い道ではないのだが、なぜ、「細道じゃ」なのか、とも思えてくる。 インターネットで検索すると、《YAHOO!知恵袋 実は怖い童謡・わらべ唄》http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n113500 の「通りぁんせ」には、≪7歳になった子供をお札と一緒に天神様に連れて行く人身御供の歌。 天神様の領域には生贄である子供しか入れず、用の無い大人は入れなかった。だから、行きはよいよい帰りは怖い(行きはあっても、子供には帰りは無い)≫、≪飢餓でひもじい思いで死ぬのなら、いっそう親の手で殺してしまおうとする親の子殺しの歌。神社には天神様がおり、迷うことなく天国に導いてくれる。最後の「行き」は「逝き」で、「帰り」は「甦り」(黄泉帰り)の意味 ≫という説とともに、≪「細道」が「産道」で、「ご用」が「生きる意志」、「行き」が「産まれる」、「帰り」が「死ぬ」とい意味で、母親の腹から産まれる時の歌。≫という説が出ている。もっとも、神社の「参道」と「産道」を重ね、「細道」が「産道」だとして、それならなぜ他の社寺、特に出産に関する社寺ではなく「天神様の」なのか? 「天神様の産道」とは何だ?ともなるが。 いずれにせよ、たしかに「本当は怖い わらべ唄」だ。
今は昔、某所で住宅建築請負業の仕事をしていた時のこと。 図面の打ち合わせをおこなっていた時、お施主さまが家相について、一度、誰かに相談して見てもらっておいた方がいいと思うと言われたことがあり、家相を見る人も、人によっては住む人間の使い勝手なんかまったく考えないで無茶な要求ばかり言う人もあり、その人の言う通りしたのではおよそ住めない家になってしまうというケースもあり、又、住宅建築業の会社の人間が苦労して作った図面をこれはだめだ、あれはだめだと言うばかりでどうすればいいかは自分は絶対に考えないという人もあり、その点、近くの○○神社の宮司さんは、決して無茶なことは言わないし、年回りで家を建てると良くないとされる年回りであっても、この月、この日に地鎮祭、上棟をするならいい、とか、どの方位のどの神社に行ってお祓いをしてもらってくるならばかまわない、とかいったことがけっこうあるので、そういったことを一生懸命考えてくれるという評判だったので、 私が、「○○神社の宮司さんも家相を見られるそうですね。」と話を振ってみたところ、「ええ~え? あいつがあ? あんなやつ、家相わかるのかあ?」と言われたので、「ご存じなのですか」と言うと、「知ってるよ。 あいつ、俺の小学校の同級生なんだ。 あんなやつ、絶対だめだ。」と言われた、ということがあった。 聖書には「預言者、故郷に入れられず」という言葉があり、又、昔から、「遠くの神さん、ありがたい」という言葉もあるが、どうも、神職が小学校の同級生とかなると、「だめだ、あんなやつ」となることが、けっこう少なくないみたいだ。
しかし、だ。 知ってる知ってない、遠く近くに関係なく、私はこの近くに住んでいないので当分はこの付近で自分が地鎮祭などを依頼することはなさそうではあるけれども、
私は、このような月極め駐車場を社殿、それも本殿に近接して本殿に排気ガスがぶわ~とかかる配置の月極め駐車場を平気で設けるような神社の神職には、地鎮祭、その他は、絶対に頼みたくない。 この月極め駐車場の設置の仕方は、あまりにも、無神経すぎる。 種々の「お守り」も販売されているようだが(《手取天満宮HP お守り》http://www16.plala.or.jp/tetorijinja/omamori.html )、こんな家相の悪い月極め駐車場を平気で設置する神社のお守りなんか、欲しくない。 又、特に、本殿のすぐ後ろで、本殿に排気ガスがかかる向きでの駐車スペースは、私なら、そんな場所は借りたくない、そんな場所にクルマを停めたくない。
手取天満宮(手取菅原神社)はどういう由緒かというと、《手取天満宮HP 手取天満宮のご由緒》http://www16.plala.or.jp/tetorijinja/rekisi.html には、
≪ 後光明天皇の御代 承応年間(西暦1650年頃)手取被分町の住人肥後藩士 平井勘右衛門正恒はかねてより天満宮を崇敬し、或る夜菅公が枕に立たれこの家の井戸にきていることを告げられ、翌朝邸内の井底より尺余の天神尊像を得て、一宇を創祀し鎮祭。 ≫
≪ 宝永五年三月平井家大火に罹り焼亡の砌、神祠も延焼。近くの鎮護山長安寺境内の梅の樹より夜々光明を放つ徴があった。寺僧之を怪しみ梅の樹の下に至れば天神様の尊像厳然として出現された。僧かしこみて使いを出し、平井氏は年来の信徒等を率いて来たがその奇瑞を感じ、元の如く邸内に復祭を議れしが火災を遁れてこの地に来られし故に、この長安寺境内に鎮祭されることとなった。その後七十余年月を経て、安永七年七月二十八日再び大火が起こり寺塔悉く回禄となりしも神祠はこれを免れた。≫という由緒らしい。
何度かの大火の際に、焼失をまぬかれ、又、第二次世界大戦中の熊本大空襲の際にも焼失を免れたことから、この神社は、「菅原道真=天神」の一般的な「神徳」とともに、「鎮火の神」ともされているらしい・・・・が、↑のような駐車場を設けているようでは、「火の用心」の点でも、必ずしも良いとは言い難いように思える。 もし、この神社の関係者がこのブログを見られることがあったなら、一度、考えてみてほしい。 絶対に、月極め駐車場を1台として設けるなとまでは言わないが、せめて、本殿に近接して本殿に排気ガスがかかる向きでの駐車スペースは廃止する、本殿との間に、樹木帯を設けてやわらげるか、「結界」になるような塀を設置するか、何か考えた方が良いのではないか、と私は思う。
なお、手取天満宮(手取菅原神社)のHP には、「祝祭日には国旗をあげましょう」として日の丸が書かれているが、「日の丸」と「菅原道真=天神」とは特に関係はない。 この神社のHP作成者は、そのあたりの理解が不足しているように見受けられる。
朝日新聞出版から発行されている「HONKOWA(ほん怖)」2014年8月号に掲載の 加門 七海 語り・JET 画『怪奇心霊語り その(2)』で、加門七海 さんが≪縁がある≫≪ちょっと繋がりがある≫≪何度かお参りしたことがある≫≪鎌倉時代の貴人を祀っている≫≪N県の某所にあるお社≫に、≪最近、また立ち寄る機会があって≫行った時の話が載っています。≪元々は訪ねる人も少ない寂れた神社だったのが 「観光客来なさーい!!」みたいなノリに変わってて ―どうやら宮司さんが変わったらしく てこ入れを始めたようなんですが≫ もともとそこにはなかった石が≪どっから持って来たんだ この石・・・≫て感じで「縁結びの石」と札を立ててしめ縄をかけて置かれていたり、「巫女さん」の格好をした女性が「授与所」でお守り他を販売していたりして、「まあ 神社の人だって生活はあるんだし 仕方ないか・・・」と≪そんな風にも考えたんです≫が、≪そこは貴人を御祭神としている神社で その一族もお祀りされているのですが その中のある武将が 貴人の身代わりになって戦で討ちとられたという伝説が残っているんですね ―で その武将のことを人形にして「身代わり守り」って――!!≫「なんじゃ そりぁああぁぁっっ!!!」≪身代わりになって亡くなった方をなぜまた身代わりって形で使うのかっていうその心なさが腹立つのと また彼は敬愛する主であるからこそ身代わりになったわけで 何の関係もない私らの失恋しないようにとか交通事故にかわないようにとかの身代わりになんてやる筋合いもない とにかくすべて間違っている なんて心ないことを――≫と思ったそうです。 ≪そう思った途端― 「死してまでまだ苦しめるのか――!」≫と≪何か入ってきた――≫というお話です。 このブログでも、京都の上賀茂神社(加茂別雷神社)について、どうも、同社の神職が本来と異なる話を拡大再生産しているように見受けられることを述べました。
[上賀茂神社については、
1.楼門・透廊・棚尾社・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_1.html
2.ルーテル賀茂川教会・賀茂川・御土居・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_2.html
3.斎王桜・外弊殿・神馬舎・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_3.html
4.細殿・橋殿・片岡橋・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_4.html
5.弊殿・「特別拝観」・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_5.html
6.奈良神社・北神饌所・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_6.html
7.檜皮葺・大田神社・魯山人生誕地・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_7.html
8.深泥池・京都コンサートホール、摂社の構成・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_8.html
9.流造と切妻、不動産業の神「迦毛の大神」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_9.html ]、
手取菅原神社(手取天満宮)でも、一方で、神社の敷地を月極駐車場にして賃料を取るのはまだしも、本殿の直近に本殿に排気ガスがかかる向きで駐車スペースを設定し、一方で、「菅原道真=天神」と特に関係のない「日の丸」を「あげましょう」という文句をホームページに入れるなど、その神社を粗末な扱いにする行為が見られ、不快感を覚えました。
手取天満宮は、「最寄駅」は、熊本市電の「水道町」。 熊本電鉄藤崎線「藤崎宮前」駅までも遠くはない。
☆ この後、《熊本の「ステレオタイプ」を検証する》と《なかなかカッコいい熊本の建築》を入れて公開いたしましたが、長くなり、2つに分けた方がいいと判断し、その2項は次回、[第273回]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201407article_1.html にまわします。ぜひ、そちらもご覧くださいませ。
(2014.6.29.)
☆ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り。 熊本シリーズは、山崎菅原神社(中央区桜町)・船場菅原神社(中央区新町)と《熊本の「ステレオタイプ」を検証。なかなかカッコいい熊本の建築》の四部作です。
山崎菅原神社と熊本城 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html
船場菅原神社と前川國男「熊本県立美術館」他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html
熊本の「ステレオタイプ」を検証・熊本の建築 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201407article_1.html
もご覧くださいませ。
☆ 冤罪を晴らす神様・菅原道真・怨念を晴らす全国お百度参り シリーズは、
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
意富比神社 末社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
白井市(白井市河原子の)天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
千葉神社 摂社 千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_10.html
熊本県
山崎菅原神社(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html
船場天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html
(熊本シリーズ第3回)
[1] 手取天満宮(手取菅原神社)
冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り 熊本シリーズ の3社めは、手取天満宮(手取菅原神社)(熊本市中央区上通町5―34)です。
『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』〔1994.12.20.(株)鎌倉新書〕の「主要天満宮名簿」には、熊本県では、菊池郡大津町の杉水菅原神社・菊池市の今村菅原神社・阿蘇市の内牧菅原神社と、この手取菅原神社の4社が掲載されています。 《ウィキペディア‐天満宮》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE の「主な天満宮」には、熊本県では、『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』にも掲載がある内牧菅原神社(阿蘇市)と、梅林天満宮(玉名市)・萩原菅原神社(八代市)・十島菅原神社(球磨郡)、それに、この熊本シリーズの1社目で取り上げた山崎菅原神社(熊本市)とこの手取天満宮(熊本市)の6社の名前が出ています。
竹内秀雄『天満宮』(1968.3.9. 吉川弘文館 日本歴史叢書)には、
≪ 鷽替神事は天神信仰と結合した習俗である。
うそ替神事の代表的なものは東京の亀戸天神社にあり、九州の太宰府天満宮では、追儺祭(おにすべ)に伴って、参詣人が木製の鷽を替あう神事である。・・・
ちなみにこれに似たものに、熊本の手取神社では鳩替といい、富山付近では土製の鳩を交換するという。
・・・・
俗説には、一年中に話した嘘をこの符に託して神前に納め、罪を償うためであるともいい、また昨日の凶を嘘にして、当年の吉に取替えんとする信仰から来ているとも伝えていう。また新年に当たり開運出世の効験があると考えられている。
しかし、西村真次氏は「沈黙貿易」(『日本古代経済』交換篇一)において、古代日本民族は息吹を神聖なもの、呪力・霊力あるものと信じ、契約・取引など、また人的関係が完了した場合、互いに息を吹いたり、物に息を吹きかけたりすることが行われた。口をすぼめて息を吹くことをウソ(あるいはヲソ)ともいい、それに似た鳴き方をする鳥をウソ鳥(ヲソ鳥)ともいったので、交換の完了に際しても息を吹くことを慣習とした縁で、祭祀の日に神前で物々交換したことが残存した神事に、ウソ鳥の木彫を交換することになったものであろう。また『大宰府略記』に交換の前に「うそかへん」と罵り合ったとあり、今日も「替えませう替えませう」と喚き叫ぶが、初めは無言で交換したもので、もし有言で交換するならば、交換する品物を袖に隠す必要はないと述べているのは特異な説である。 そして鳩替神事は鷽替神事に先行し鳩替神事は沈黙交換の行事が宗教化したのち、それに付帯した慣習が残存したものとする。それは朝鮮語では、物々交換、受けること、授けることなどの語は皆Pat を語根とし、本来 Pat に交換の意が含まれていて、鷽を朝鮮語に訳する場合には、普通に鵲(Kachi)または山鳩(Pitulgi・Pitalgi)とし、交換と鷽・鳩とが類似しているので、その縁で鳩を刻んだ木棍が交換の行事に際して、何らかの意思表示に用いられたのではないかとしている。・・・≫
と出ている。
『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』(鎌倉新書)と、《ウィキペディア‐天満宮》の両方に名前が出ている天神社は、熊本県では内牧菅原神社(阿蘇市内牧) とこの手取天満宮(手取菅原神社)の2社だけ、熊本県の天神社で竹内秀雄『天満宮』(吉川弘文館)に出ているのは手取神社(手取天満宮)だけで、それなら、相当大きな神社か・・と思うと、行ってみるとそれほど広い敷地でもなく大きな建物の神社でもありません。
↑南側、鳥居と入口。
↑拝殿。 手前右は授与所(訪問時は無人)。
↑東側から見た 拝殿・弊殿(石の間)・本殿。
山崎菅原神社(⇒ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html )と同じく、拝殿の後ろに弊殿があり、弊殿と本殿の間に屋根のない空間がある、という構成でできている。
↑北側の鳥居と 北側から見た本殿、及び、手取天満宮(手取菅原神社)敷地の月極め駐車場。 クリックすると大きくなるので、クリックして見てください。 本殿の背面に排気ガスがかかる向きで自動車が駐車されるように月極め駐車場が設けられています。
社殿の北側の敷地を月極め駐車場として貸しているようですが、どうでしょうか。こういうのは。↑
手取天満宮(手取菅原神社)の周辺は、熊本市でも市街地というのか繁華街ですから、駐車場の需要はあるでしょう。 山崎菅原神社も神社の敷地を駐車場として貸していたようですし、船場菅原神社の背後の駐車場が誰の所有地かはわからないが、船場菅原神社の土地を月極め駐車場にして貸していたものの可能性もありそうです。
神社だって、運営していかないといけないので、月極め駐車場として安定した収入が欲しい・・・・ということもあるのでしょうか。 しかし、・・・・・。
神社の敷地を月極め駐車場として貸して収入を得る、ということが良いか否かはさておき。 ここでは、この駐車場の設置のしかたが気になりました。
鶴野晴山(つるの せいざん)『よい家相・よい部屋相』(1989.6.10. KKロングセラーズ <ムック>の本)の「外まわりの家相 車庫」には、
≪ 車が日常生活に欠かせない現代では、車庫の家相上の影響は大きい。 というのは、車の排気物には一酸化炭素や亜硫酸ガスが含まれており、これらは、自然と大気を汚し、人間の健康をおびやかす。 したがって、住居の近くに車庫があるのは、けっして吉相にはならない。これが私の家相上の判断である。
・・・
どうしても、自分の敷地のなかに車庫をもちたい人は、住居から離れた、空気の流通のよい場所を選ぶことが前提条件になる。
敷地内の車庫には吉方位はないが、比較的安全なのは、北西の方位。ただし住居から2メートル以上離れていることが条件だ。
また、東、東南方位も2メートル以上離れていればまず安全。 西方位は、3メートル以上離れていないと安全ではないので、実際にはむずかしい方位である。 それ以上近い場合には、住居と車庫のあいだに植樹をするなどの工夫が必要だ。
・・・道路との関係もあるが、だいたいは北や北東方位へもっていくのがふつうである。 ところが、この北と北東の車庫というのは大凶相なのである。
この方位に車庫をつくるくらいなら、観念して近くに駐車場を借りた方がよいのだが、それがムリで、どうしてもこの方位にしか車庫をつくれない場合はどうすればよいか。
北の車庫は、できるだけ家から離して、屋根、囲み、シャッターのついた堅牢なものにする。これは、南の車庫も同様。
北東の車庫は、逆に、カーポートをつくったり、ビニールシートなどをかぶせたりせず、そうした余分なものをすべてとり払った“青空駐車場”にすること。南西の車庫も同じである。
また、車を車庫から出すときの都合だけを考えて、車をバックで入れている人は多い。 だが、これでは排気ガスが住居に入りやすいように駐車しているようなものだ。 このような向きに駐車をするのは、たとえ駐車場が安全な方位にある場合でも避けること。 そのためにも、車庫は住居と並行につくることが大切である。
さらに車庫と住居のあいだに、樹木を植えるのも凶意を防ぐよい方法である。車庫の周辺の汚れた空気を、樹木から出る新鮮な空気が、浄化してくれるからである。≫
と出ている。
≪北と北東の車庫というのは大凶相≫と鶴野晴山氏が述べているまさにその大凶相を、この手取天満宮(手取菅原神社)はやっている。 もちろん、家相というものは、その家相家によって説が異なる場合はしばしばあることで、ここで鶴野氏が述べている内容と異なる説を述べる人もあるかもしれない。 しかし、
1. 排気ガスを出す車の駐車場は、基本的には、吉相になるものではない。
2. 北は神聖な方位であり、北東は鬼門方位で、いずれも軽視してはならない方位である。
3. 車庫を設ける場合には、できれば、家屋から、いくらか離した方が良い。
4. 車庫と家屋との間をそれほど空けることができない場合は、その間に樹木を植えるなどしてやわらげるか、もしくは、車庫と家屋との間に塀を設けるなどして境界を設けるかした方がいい。
5. 家屋のすぐ近くに車を駐車させる場合、排気ガスが家屋の方に向って排出される配置は避けるべきである。 どうしても、その配置にせざるをえない場合は、間に「ついたて」を設けて遮るか、樹木を植えるなどしてやわらげるかするべきである。
これらは、おそらく、どの家相家でも意見は異なることはないと思う。 人間の住む家屋で良くないものは、神さまの社殿、特に、本殿にとって良いわけがない、と私は思う。
手取天満宮(手取天神社)[熊本市中央区上通町]の敷地内月極め駐車場、特に、北側の月極め駐車場は、これら↑の点を、まったく考えずに設けられている。 本殿の直近に、その間に「結界」になるような塀など設けられることなく、月極め駐車場が設けられている。 本殿の直近に、本殿に向って排気ガスがかかる向きで駐車場が設置されている。 その間に樹木などもない。 こんな駐車場を設ける神社は神社としておかしい。
それから、神社とは、神社の社殿の建物だけが神社であるのではなく、境内地の林も合わせて神社であり、特に、本殿の背後の部分は重要性が高いと思われる。 そこを月極め駐車場にしてしまっているのはいかがなものだろうか。
この際、言わせてもらおう。 手取天満宮(手取菅原神社)は、極めて家相が悪い。
≪ ここはどこの細道じゃ、天神様の細道じゃ、ちょっと通してくだしゃんせ、御用のないもの通しゃせぬ、この子の七つのお祝いに、お札を納めにまいります、通りぁんせ、通りぁんせ、いきはよいよい帰りはこわい、こわいながらに通りぁんせ、
これは江戸時代から今なお子供の遊戯唄として残っている。・・≫
(武内秀雄『天満宮』1968. 吉川弘文館)
この「いきはよいよい帰りはこわい」というのはどういう意味だろう、とけっこう子供の頃から考えてきた。 『ほんとうは怖い わらべ唄』とかいう類の題名の本もどこかで見たようにも思うが。
竹内秀雄『天満宮』では、≪また箱根の関所は手形のないものは絶対通さず、何か特殊な事情のあるものは関所に哀訴して通してもらったが、帰りはもう絶対に通してくれなかったことから伝わった哀歌が全国にひろがったともいう(木股修著『わらべ唄歳時記』) 昔は「御用のないもの」のところが「手形のないもの」、「この子の七つの」を「天神さまに願かけに」と歌われていた。 ≫と出ている。しかし、箱根の関所を手形のないものを通さない、たとえ、行きに通しても帰りは通さないという話なら、天神さまに限ったことでもないとも思える。
≪ 歌詞の中に「この子の七つのお祝いに」とあるので、いわゆる「七五三」で、11月15日に女児が7歳になると帯解(おびとき)といって、これまで帯の代用にしていた付紐(つけひも)を取り去って、初めて帯を用いる儀式を行って氏神に参詣したことを示すものであろう。≫(武内『天満宮』)とあるのが、「この子の七つのお祝いに」であるとしても、「行きはよいよい帰りはこわい」「こわいながらに通りぁんせ」というのはどういう意味か。≪「わらべ唄」として人々に膾炙したものに、二人の少女が手を組んで鳥居を通すが、通った子は帰りに鳥居を通るときに、「お土産」といってたたかれる遊戯がある。≫(武内『天満宮』)とも出ている。 この意味は何だろう。
≪昔、天神様の奥の祠で、七つの少女を人身御供にとった伝承を童謡としたものであるという(『風俗辞典』)。≫(武内『天満宮』)とある。 これかもしれない。 たしかに、『本当は怖いわらべ唄』である。
但し、≪天神様の奥の祠で、≫といっても、全国すべての天神社でおこなわれたものでもないであろうし、京都の北野天満宮や大阪天満宮は本殿の後ろからも拝むようになっており、≪七つの少女を人身御供にとった≫という感じでもないから、北野天満宮や大阪天満宮などでではなく、本殿の背面に通常は人が行かないような天神社でのことだろうか。 ≪奥の祠≫とは「本殿の奥」「本殿の後ろ」のことなのか、本殿の奥にもうひとつ祠があったのだろうか。
いずれにせよ、本殿の後ろ、背面というのは、決して軽く考えて良い場所ではないと思うのだ。 この熊本の手取菅原神社は天神社であっても≪奥の祠で、七つの少女を人身御供にとった≫天神社ではないかもしれないが、なかったとしても、やはり、本殿の後ろ、背面は軽く考えるべき場所ではなく、本殿の背面直近を月極駐車場にして本殿に排気ガスがかかる方向でクルマを駐車させているという現状は、ちょっと、考えてほしいように思います。 他の神社でも本殿の背面は軽く考えるべきではないと思うが、天神社の場合、特に、この「わらべ唄」の話があるので、軽視しないでほしいと思います。
なお、落ち着いてじっくり考えてみると、「天神様の細道じゃ」という「細道」も、大阪天満宮(大阪市北区)の正門の前の道、湯島天神(東京都文京区)の前の道など決して細い道ではないし、この手取菅原神社の前の道も特に細い道ではないのだが、なぜ、「細道じゃ」なのか、とも思えてくる。 インターネットで検索すると、《YAHOO!知恵袋 実は怖い童謡・わらべ唄》http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n113500 の「通りぁんせ」には、≪7歳になった子供をお札と一緒に天神様に連れて行く人身御供の歌。 天神様の領域には生贄である子供しか入れず、用の無い大人は入れなかった。だから、行きはよいよい帰りは怖い(行きはあっても、子供には帰りは無い)≫、≪飢餓でひもじい思いで死ぬのなら、いっそう親の手で殺してしまおうとする親の子殺しの歌。神社には天神様がおり、迷うことなく天国に導いてくれる。最後の「行き」は「逝き」で、「帰り」は「甦り」(黄泉帰り)の意味 ≫という説とともに、≪「細道」が「産道」で、「ご用」が「生きる意志」、「行き」が「産まれる」、「帰り」が「死ぬ」とい意味で、母親の腹から産まれる時の歌。≫という説が出ている。もっとも、神社の「参道」と「産道」を重ね、「細道」が「産道」だとして、それならなぜ他の社寺、特に出産に関する社寺ではなく「天神様の」なのか? 「天神様の産道」とは何だ?ともなるが。 いずれにせよ、たしかに「本当は怖い わらべ唄」だ。
今は昔、某所で住宅建築請負業の仕事をしていた時のこと。 図面の打ち合わせをおこなっていた時、お施主さまが家相について、一度、誰かに相談して見てもらっておいた方がいいと思うと言われたことがあり、家相を見る人も、人によっては住む人間の使い勝手なんかまったく考えないで無茶な要求ばかり言う人もあり、その人の言う通りしたのではおよそ住めない家になってしまうというケースもあり、又、住宅建築業の会社の人間が苦労して作った図面をこれはだめだ、あれはだめだと言うばかりでどうすればいいかは自分は絶対に考えないという人もあり、その点、近くの○○神社の宮司さんは、決して無茶なことは言わないし、年回りで家を建てると良くないとされる年回りであっても、この月、この日に地鎮祭、上棟をするならいい、とか、どの方位のどの神社に行ってお祓いをしてもらってくるならばかまわない、とかいったことがけっこうあるので、そういったことを一生懸命考えてくれるという評判だったので、 私が、「○○神社の宮司さんも家相を見られるそうですね。」と話を振ってみたところ、「ええ~え? あいつがあ? あんなやつ、家相わかるのかあ?」と言われたので、「ご存じなのですか」と言うと、「知ってるよ。 あいつ、俺の小学校の同級生なんだ。 あんなやつ、絶対だめだ。」と言われた、ということがあった。 聖書には「預言者、故郷に入れられず」という言葉があり、又、昔から、「遠くの神さん、ありがたい」という言葉もあるが、どうも、神職が小学校の同級生とかなると、「だめだ、あんなやつ」となることが、けっこう少なくないみたいだ。
しかし、だ。 知ってる知ってない、遠く近くに関係なく、私はこの近くに住んでいないので当分はこの付近で自分が地鎮祭などを依頼することはなさそうではあるけれども、
私は、このような月極め駐車場を社殿、それも本殿に近接して本殿に排気ガスがぶわ~とかかる配置の月極め駐車場を平気で設けるような神社の神職には、地鎮祭、その他は、絶対に頼みたくない。 この月極め駐車場の設置の仕方は、あまりにも、無神経すぎる。 種々の「お守り」も販売されているようだが(《手取天満宮HP お守り》http://www16.plala.or.jp/tetorijinja/omamori.html )、こんな家相の悪い月極め駐車場を平気で設置する神社のお守りなんか、欲しくない。 又、特に、本殿のすぐ後ろで、本殿に排気ガスがかかる向きでの駐車スペースは、私なら、そんな場所は借りたくない、そんな場所にクルマを停めたくない。
手取天満宮(手取菅原神社)はどういう由緒かというと、《手取天満宮HP 手取天満宮のご由緒》http://www16.plala.or.jp/tetorijinja/rekisi.html には、
≪ 後光明天皇の御代 承応年間(西暦1650年頃)手取被分町の住人肥後藩士 平井勘右衛門正恒はかねてより天満宮を崇敬し、或る夜菅公が枕に立たれこの家の井戸にきていることを告げられ、翌朝邸内の井底より尺余の天神尊像を得て、一宇を創祀し鎮祭。 ≫
≪ 宝永五年三月平井家大火に罹り焼亡の砌、神祠も延焼。近くの鎮護山長安寺境内の梅の樹より夜々光明を放つ徴があった。寺僧之を怪しみ梅の樹の下に至れば天神様の尊像厳然として出現された。僧かしこみて使いを出し、平井氏は年来の信徒等を率いて来たがその奇瑞を感じ、元の如く邸内に復祭を議れしが火災を遁れてこの地に来られし故に、この長安寺境内に鎮祭されることとなった。その後七十余年月を経て、安永七年七月二十八日再び大火が起こり寺塔悉く回禄となりしも神祠はこれを免れた。≫という由緒らしい。
何度かの大火の際に、焼失をまぬかれ、又、第二次世界大戦中の熊本大空襲の際にも焼失を免れたことから、この神社は、「菅原道真=天神」の一般的な「神徳」とともに、「鎮火の神」ともされているらしい・・・・が、↑のような駐車場を設けているようでは、「火の用心」の点でも、必ずしも良いとは言い難いように思える。 もし、この神社の関係者がこのブログを見られることがあったなら、一度、考えてみてほしい。 絶対に、月極め駐車場を1台として設けるなとまでは言わないが、せめて、本殿に近接して本殿に排気ガスがかかる向きでの駐車スペースは廃止する、本殿との間に、樹木帯を設けてやわらげるか、「結界」になるような塀を設置するか、何か考えた方が良いのではないか、と私は思う。
なお、手取天満宮(手取菅原神社)のHP には、「祝祭日には国旗をあげましょう」として日の丸が書かれているが、「日の丸」と「菅原道真=天神」とは特に関係はない。 この神社のHP作成者は、そのあたりの理解が不足しているように見受けられる。
朝日新聞出版から発行されている「HONKOWA(ほん怖)」2014年8月号に掲載の 加門 七海 語り・JET 画『怪奇心霊語り その(2)』で、加門七海 さんが≪縁がある≫≪ちょっと繋がりがある≫≪何度かお参りしたことがある≫≪鎌倉時代の貴人を祀っている≫≪N県の某所にあるお社≫に、≪最近、また立ち寄る機会があって≫行った時の話が載っています。≪元々は訪ねる人も少ない寂れた神社だったのが 「観光客来なさーい!!」みたいなノリに変わってて ―どうやら宮司さんが変わったらしく てこ入れを始めたようなんですが≫ もともとそこにはなかった石が≪どっから持って来たんだ この石・・・≫て感じで「縁結びの石」と札を立ててしめ縄をかけて置かれていたり、「巫女さん」の格好をした女性が「授与所」でお守り他を販売していたりして、「まあ 神社の人だって生活はあるんだし 仕方ないか・・・」と≪そんな風にも考えたんです≫が、≪そこは貴人を御祭神としている神社で その一族もお祀りされているのですが その中のある武将が 貴人の身代わりになって戦で討ちとられたという伝説が残っているんですね ―で その武将のことを人形にして「身代わり守り」って――!!≫「なんじゃ そりぁああぁぁっっ!!!」≪身代わりになって亡くなった方をなぜまた身代わりって形で使うのかっていうその心なさが腹立つのと また彼は敬愛する主であるからこそ身代わりになったわけで 何の関係もない私らの失恋しないようにとか交通事故にかわないようにとかの身代わりになんてやる筋合いもない とにかくすべて間違っている なんて心ないことを――≫と思ったそうです。 ≪そう思った途端― 「死してまでまだ苦しめるのか――!」≫と≪何か入ってきた――≫というお話です。 このブログでも、京都の上賀茂神社(加茂別雷神社)について、どうも、同社の神職が本来と異なる話を拡大再生産しているように見受けられることを述べました。
[上賀茂神社については、
1.楼門・透廊・棚尾社・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_1.html
2.ルーテル賀茂川教会・賀茂川・御土居・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_2.html
3.斎王桜・外弊殿・神馬舎・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_3.html
4.細殿・橋殿・片岡橋・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_4.html
5.弊殿・「特別拝観」・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_5.html
6.奈良神社・北神饌所・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_6.html
7.檜皮葺・大田神社・魯山人生誕地・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_7.html
8.深泥池・京都コンサートホール、摂社の構成・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_8.html
9.流造と切妻、不動産業の神「迦毛の大神」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_9.html ]、
手取菅原神社(手取天満宮)でも、一方で、神社の敷地を月極駐車場にして賃料を取るのはまだしも、本殿の直近に本殿に排気ガスがかかる向きで駐車スペースを設定し、一方で、「菅原道真=天神」と特に関係のない「日の丸」を「あげましょう」という文句をホームページに入れるなど、その神社を粗末な扱いにする行為が見られ、不快感を覚えました。
手取天満宮は、「最寄駅」は、熊本市電の「水道町」。 熊本電鉄藤崎線「藤崎宮前」駅までも遠くはない。
☆ この後、《熊本の「ステレオタイプ」を検証する》と《なかなかカッコいい熊本の建築》を入れて公開いたしましたが、長くなり、2つに分けた方がいいと判断し、その2項は次回、[第273回]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201407article_1.html にまわします。ぜひ、そちらもご覧くださいませ。
(2014.6.29.)
☆ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り。 熊本シリーズは、山崎菅原神社(中央区桜町)・船場菅原神社(中央区新町)と《熊本の「ステレオタイプ」を検証。なかなかカッコいい熊本の建築》の四部作です。
山崎菅原神社と熊本城 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html
船場菅原神社と前川國男「熊本県立美術館」他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html
熊本の「ステレオタイプ」を検証・熊本の建築 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201407article_1.html
もご覧くださいませ。
☆ 冤罪を晴らす神様・菅原道真・怨念を晴らす全国お百度参り シリーズは、
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
意富比神社 末社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
白井市(白井市河原子の)天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
千葉神社 摂社 千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_10.html
熊本県
山崎菅原神社(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html
船場天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html
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