宮地家住宅 下、平田記念館 高山シリーズ第2回(9)、隣家と近接した建て方について。大雨の影響。
[第286回]
【26】-3 高山の「民家」建築 3
《2》下 宮地家住宅 下
旧・松本家住宅で南側の管理人室と出入口として現在使用している家と松本家住宅との間で、壁と柱を共有していた、北側のヒラノ グラーノとの間も壁を共有しているらしかったのは、どういうことだろう、と思ったのです。 そう思いながら、翌日、旧・宮地家住宅に行くと、宮地家住宅でも、南側にあった家の一部分を現在、トイレとして使用していたのです。 どうなってるんだろうと思って、そのあたりを宮地家住宅の係員(施設監理員)の方に話してみたところ、説明してもらったのですが、どうも、このあたりの町家は隣地との間をぴったりとつけて建ててきたらしいのです。 ぴったりとつけて建てるだけでなく、壁や柱を隣の家と共有している場合もあり、それは特に珍しいことではないらしい。
東京近辺でも「テラスハウス」・「連棟建て」・「二戸一(にこいち)」という建て方があります。「にこいち」という表現の場合、どちらかというと低く評価した表現です。
↑のように、隣の家と一続きの家として建てて、敷地の境界線上に建物の境界も設けて建てますが、建物の中で行き来するような扉などはありません。 この建て方にどういうメリットがあるかというと、土地がそれほど広くない場合に、建蔽率いっぱいに建てたとして、建物の周囲にひとがなんとか歩ける程度の空きが確保できるだけというような場合に、「テラスハウス」・「連棟建て」・「二戸いち」にすれば、接合している隣家との間には土地の空きを確保する必要がなくなるので、その分を他方にまわせば、空いた土地を1か所に集めることができ、ある程度まとまった庭を持つことができることになるのです。 しかし、隣と家が接合しているということは離れている場合よりは隣家の音も聞こえるでしょうし、建て替えたいということになった場合、全体では耐震性などの強度は確保されていても片方だけでは確保されていない場合も考えられますし、両方が同時に建て替えたいという考えになるとは限らないし、また、最初は隣と仲が良くてもその後も仲がいいとは限らないし、隣が売却して所有者が変わる可能性もあり、最初の住人とはうまくいってもその後の住人とうまくいかない可能性も出てくる、といった問題点もあります。
また、最近、東京近郊の建売住宅では、↓のように駐車スペースを隣の家と隣接して設け、その部分には境界に塀などは設置せず、お互いにクルマや人がその部分の隣地を通行してよいという協定を設けて販売しているというものがあります。↓
↑ これも、敷地の有効活用とも言えるのですが、自分の敷地であっても、100%自分の自由にならない部分が敷地内にあるということでもありますし、隣の家とは常に仲がいいとは限らないわけですが、仲が悪くても隣とかかわらずにおれないという点で嫌がる人も少なくありません。マンションではなく戸建住宅を選択するメリットとして、たとえ小さくとも自分の土地は自分で自由に使えるという点があるのですが、それが自由にならなくなるので戸建てのメリットが小さくなると考える方もあります。 どうも、建売屋(不動産屋)はこういう分譲をやりたがるようです。 このやり方をとらないと駐車スペースを確保できないならともかく、そうでなければ、こういうことをしなくてもクルマが出入りできるように駐車スペースをとればいいのではないか、駐車スペースを確保できるように土地を分ければいいのではないのか、とも思えるのですが、土地があれば細かく分けないと気がすまないという建売屋(不動産屋)の職業病と同じで建売屋(不動産屋)はやむをえない必要性からではなく、建売屋(不動産屋)がこのやり方をやりたいからこういう駐車スペースの取り方をした分譲をしばしばやります。 しかし、入居後もいつまでも隣家とその点で腐れ縁がとれないこの駐車スペースの取り方を嫌がる人もあるわけで、その為、こういう駐車スペースの取り方をした土地はその分、評価が下がる場合があり、売れにくかったり価格を安めに設定せざるをえなくなったりする場合があります。
「テラスハウス」(「連棟建て」・「二戸いち」)にしても駐車スペースを一部分隣家とともに使用するという建売分譲にしても、その家に住まれている方には失礼かもしれませんが、実際のところ、あまり高級住宅ではない家でされるやり方です。 持家を持ちたい、それも、集合住宅ではなく戸建住宅で持家を持ちたいという人は自分の敷地内は自分の家で自由に使いたいという思いから持家で戸建てを志向するのですから、持家で戸建てでありながら家について隣家から制約を受けてしまう「テラスハウス」や駐車スペースを隣家と一部分共同で使用するやり方をとるというのは、やむなくやることで、金持ちは普通はやらないやり方です。
それで、現在の民法では一般に隣地から50cmは離さないといけない、1m離れていない部分の窓には目隠し等を設けなければならないという規定があり、民法なので隣家が目隠しを設けてくれと言えば拒否できないということで、互いに距離が離れていないので目隠しを設置しろとは互いに言わずに住んでいる所もあります。 その地域によって条例で別の規定がある所もあるのかもしれませんが、実際のところ、建築屋としては、隣地との境界線上に家を建てるというのは難しいということもあります。 作業するには1mくらいは空いていないとやりにくいし、多少無理をしても民法上の50センチというのは建築屋が作業する上での最低線でもあると思うのです。 ぴったりくっつけた場合、くっつけた側の外壁の仕上げをどうするのかという問題もありますし、最近のハウスメーカーの住宅では、水道・都市ガス・雑排水・トイレ排水の経路は普通は屋外に設けますから隣家とぴったりくっつけるなら、そういったものをどうするのか、最近の家ではガスもしくは灯油によるボイラー・灯油ボイラーの場合の灯油タンク・エアコンの室外機、オール電化にする場合はエコキュートとかいうやつ、雨水を利用するなら[第280回]《高山市国府町村山天神参拝(3)浸透桝で雨水処理。赤松は赤い-高山シリーズ第2回(3)、「営業力」とは》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html で写真を張り付けたjタキロンの「楽しき雨音」とかいうほとんど単なるドラム缶みたいなやつ、下水が通っていないところでは合併浄化槽といったものを家の周りに設置しますが隣とぴったりくっつけるとそういうものはどこに設置するのかという問題もでてきます。
高山の民家は、宮地家住宅・松本家住宅でも、吉島家住宅・日下部家住宅(日下部民芸館)でも、平田家住宅(平田記念館)でも、飛騨民族考古館でも、家の南寄りに「どじ」(土間の部分)がありますから、江戸時代から明治の初めには都市ガスなんてないし水道もなかったでしょうけれども、そういう配管をいれる必要があれば「どじ」の部分に入れることはできるでしょうけれども、東京近郊などで建てているハウスメーカーに隣地との境界線上に外壁がくるように建ててくれと言うと、まあ、たいてい嫌がるでしょう。
それで、高山のこの伝統的建造物群保存地区に建っている民家というのはどこもが隣家とぴったりくっついて建てられているのです。 そして、壁と柱を共有しているケースもけっこうあるらしいのです。 人さまの懐具合を詮索する必要はありませんが、今、公開されている住宅というのは、かつて、建てられた頃、および、その後、生活してこられた時、一般に、貧乏な方の家ではなく、まあ、一般に中よりは上の家だったのではないかと思われます。 貧乏で独立した家を建てることができないから隣家とぴったりくっつけて建てたのではなく、また、貧乏で独立した家を建てることができないから隣家と壁と柱を共有する家を建てたわけでもないらしく、この付近では隣家とぴったりくっつけて建てるもので、隣家と壁や柱を共有して建てるのは特に珍しいことでもないことらしいのです。
但し、隣家と壁や柱を共有して建てるというのは、やっぱり、建て替えたいということになった時、両方が同時にそう思えばいいのですが、そうでない場合に、片方だけ取り壊した場合に残った側に耐震上の問題などが発生しなくても、建て替える方はぴったりとは建てにくくいくらか下がって建てることになるようで、そういう問題はやはりあるらしい。
何件かの住宅を見せてもらったところ、高山の「民家」というのは、道路よりに主屋があってその奥に中庭があり、さらにその奥に土蔵があるという配置が多いようですが、土蔵が奥にあるというのは、道路と逆の側から火災が発生した場合の防火の意味もあると係員の方から聞きました。
外からの火に強い土蔵を奥に配置することで、道路と逆側からの火災を防ぐ効果はあったようですが、隣家とぴったりくっついた街並みというのは、裏側からの火災は土蔵で防いでも隣家からの延焼には弱かったのかもしれない。高山市内には防火の神さまの秋葉神社の末社が何社もあり昔から火災に関心が強かったというのは、隣家とぴったりくっついた街並みは火災の時に燃えうつりやすいという弱点はあったということかもしれません。
防火の神さま としては、静岡県の秋葉神社(http://www.akihasanhongu.jp/access.html )のほか、京都の 愛宕神社(http://kyoto-atago.jp/)などが知られますが、高山の場合、秋葉神社が街中にいくつもあるようです。
この付近の「民家」の屋根は、道路側と中庭側が下がる「切妻(きりづま)」です。 寄棟(よせむね)にしたのでは隣家との間に雨・雪がたまるかしみこむことになるので、寄棟にして隣家との間が下がるようにはしません。 [第283回]《飛騨国府駅・国府交流センター・「耳付き片流れ屋根」-高山シリーズ第2回(6)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html の【24】耳付き片流れ屋根 でも述べたように、屋根形状というのは、その場所の条件を考えて作られるもので、最近、都市部でマンション住まいだった人が戸建住宅を建てて住もうという場合、そのあたりがわからず、機能を考えず、その人がかっこいいと思ったもの、奇抜で雨仕舞なんか少しも考えていない屋根の形状などを希望する時があり、建築屋はそれを仕事にしている人間である以上、そのあたりをきっちりと説明してあげるのが仕事であるはずだと私は思いますが、アイダ設計の営業などはそういう意識も姿勢も能力もなく、客のためになる家を建てようという意識なんぞ最初から持っていないので無茶苦茶なものを建てます。YouTubeに入っているアイダ設計のイベントの動画を見ると、木更津の鳳神ヤツルギとかいうショーでハコヒメという太ももまるだしのねーちゃん(おとうちゃん向けのサービス?)〔《YouTube―千葉ご当地ヒーロー「鳳神ヤツルギ」アイダ設計》https://www.youtube.com/watch?v=PivzTKUxuWs 〕が「アイダ設計の家は百年住宅よ」とか言っていたが、アイダ設計の不良営業が担当した無茶苦茶な家が「百年住宅」であるわけないではないか。いいかげんなことを言わないほうがいい。
晴れていれば歩いて行けばいいのですが、大雨の中だったので、高山駅に隣接する濃尾バスターミナルより、「まちなみバス」にのって、「大新町(おうしんまち)2丁目」で下車して行きました。 「大新町2丁目」バス停から宮地家住宅まではすぐです。
《3》 大雨による U字溝 と 宮川 の増水
8月16日、大雨の中、松本家住宅に行き、翌17日はいくらなんでももう雨は大丈夫だろうと思うと、とんでもない。 17日昼前、宮川は↓
↑どぅわぁ~あ・・・! 、大丈夫かあ~と心配しました。 「避難してください」という放送が流れていたのですが、宮地家住宅の係員の方が言われるには、山の脇のところで山崩れの心配な所があるが宮地家住宅の付近の宮川は大丈夫だという話だったので、地元の方が言われるならそうかと思ったら、実際、宮川は決壊とか水が堤防を越えるといったことはなかったようです・・・・・が、宮地家住宅を出て北に少し歩くと↓
↑ 最近、U字溝に頑丈なふたをしてその上を歩くこともできるようにしたところがけっこうありますが、頑丈なふたがある所と、ふたのない所があると、U字溝が水を飲みきれなくなった場合、ふたがなくなった所から↑のようにあふれ出すようです。
千葉県船橋市の我が家の前の道にもU字溝に乗用車くらいなら乗っても大丈夫という頑丈なコンクリートのふたを市役所が入れ、ところどころに排水用の金属製の網が入ったのですが、我が家の前にも網の部分があり、「これ、あった方がいいですよ。ここから水を吸い込みますから」と説明され、そうだろうと思ったのですが・・・・、コンクリートの頑丈なふたをしてところどころに排水用の金属製の網を入れた場合、そこから水を吸うこともあれば、時として、そこから水を吐き出すこともありうる・・わけです。 我が家の前は大丈夫だとは思うのですが・・・。
さらに↓
↑ 日下部民藝館・吉島家住宅などの東側の道。看板が見えているのは 飛騨そば の「紀文」。
(ちょっと、写真が傾いているかもしれないけれども、これ、撮るの大変だったんだから・・・)
但し、U字溝が水を処理できなくなってあふれだしたというもので、川が決壊したとか川の水位が堤防を越えたとかではないので、↑なところを歩くと靴の中に水は入ってきてかなわんけれども、とりあえず、今のところ、命の心配はない・・・・が、 ぎょえ~! て感じの雨でした。
《4》 平田記念館(旧・平田家・「打保屋」の建物)
≪ 明和6年(1769)に、「打保屋」の屋号でびんつけ油やろうそくの製造卸販売を始めた平田屋の建物。 現在は主屋と土蔵の建物を利用して、江戸時代から明治時代にかけての町人に関する資料や生活用具、美術蒐集品など約2000点を展示する。≫(『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』JTBパブリッシング)↓
↑ 入ってすぐに囲炉裏のある部屋があり、吹き抜けになっていて明り取りがあり、架工を見せる(魅せる)造りは、高山の町家に共通するようです。
↑ 2階、中庭を臨む部屋。 この平田家では、2階の中庭を臨む部屋にこのように椅子をおいてくつろがれたのでしょうか。
最も道路に近い部屋はお客様を相手に商売をする部屋で、その内側に家族が団らんする囲炉裏のある部屋があって、その内側、もしくは2階に中庭に面した座敷がある・・という部屋の構成はほとんどの家に共通しているように思えます。 外から中に入るに従って、プライベートな要素が強くなっていく構成になっています。
↑ 2階の部屋から中庭を見たもの。 現地に行った時は気づかなかったのですが、写真で見ると、金属板(カラー鉄板?)の屋根と別に、木肌が見える屋根が右手に見えます。これは、「檜皮葺」でしょうか?
最近の都市圏の住宅は建物の前に庭をとるので南道路の家、東道路の家では庭のプライバシーはなかなか確保できませんが、松本家住宅・宮地家住宅、日下部家住宅(日下部記念館)・吉島家住宅、そして、この平田家住宅(平田記念館)はいずれも東道路ですが、道路に面して商売をする場所があり、その内側に囲炉裏のある家族団らんの部屋、さらに内に座敷があって中庭という構成で、東道路でも中庭はプライバシーを確保された空間になっています。 もっとも、最近の都市圏の住宅などより全体の敷地面積も広いのですが。
↑ 土蔵の2階。 松本家住宅でも見られましたが、太い梁を3本の柱で受けています。 土蔵はこのように太い梁を3本の柱で受けるのか・・・と思うと、そう決まっているわけでもないようで、飛騨高山まちの博物館の矢嶋家土蔵はそうではなく1本の柱で受けていました。
間口はそれほど広くはないけれども奥行はけっこうあって全体としては狭いわけではなく、外から見ると庭が見えないので建物だけかとも見えるけれども、実は主屋と土蔵の間に、なかなか立派な中庭がある・・・という家が高山の「民家」には多いのですが、平田記念館(旧・平田家・「打保屋」)の場合は角地なので、外から見てもけっこう広いとわかります。 道路側に主屋があって中庭をはさんで土蔵があるという配置は共通しています。
「平田記念館」は、元・蝋燭・びんつけ油を扱った店で屋号を「打保屋」といったというのですが、高山駅前の土産物店で買った「懐かしのど飴 濃厚黒みつ 福寿あめ 桔梗エキス配合」の製造者は高山市久々野町の「株式会社 打保屋」だったが、平田記念館と関係あるのかないのかわからないが、けっこうおいしかった。
※平田記念館 の ホームページは http://www.hidanet.ne.jp/~s-hirata/index.html
《高山市 観光情報 平田記念館 (高山市観光課)》http://www.hida.jp/cgi-bin/kankou/sigview.cgi?admin=contents_view&id=104420192457&sig=
(2014.9.17.)
次回、高山シリーズ第2回(10)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html では、飛騨民族考古館(旧・医師 藤井玄泰邸)に行きます。 雨ニモ負ケス 風ニモ負ケス・・・ ホメラレモせス・・・・
☆ 高山シリーズ第2回は、
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同(3)浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅上・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅下・宮地家住宅上https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅下・平田記念館 今回。
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html
☆ 高山シリーズ第1回 は、
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
ご覧くださいませ。
【26】-3 高山の「民家」建築 3
《2》下 宮地家住宅 下
旧・松本家住宅で南側の管理人室と出入口として現在使用している家と松本家住宅との間で、壁と柱を共有していた、北側のヒラノ グラーノとの間も壁を共有しているらしかったのは、どういうことだろう、と思ったのです。 そう思いながら、翌日、旧・宮地家住宅に行くと、宮地家住宅でも、南側にあった家の一部分を現在、トイレとして使用していたのです。 どうなってるんだろうと思って、そのあたりを宮地家住宅の係員(施設監理員)の方に話してみたところ、説明してもらったのですが、どうも、このあたりの町家は隣地との間をぴったりとつけて建ててきたらしいのです。 ぴったりとつけて建てるだけでなく、壁や柱を隣の家と共有している場合もあり、それは特に珍しいことではないらしい。
東京近辺でも「テラスハウス」・「連棟建て」・「二戸一(にこいち)」という建て方があります。「にこいち」という表現の場合、どちらかというと低く評価した表現です。
↑のように、隣の家と一続きの家として建てて、敷地の境界線上に建物の境界も設けて建てますが、建物の中で行き来するような扉などはありません。 この建て方にどういうメリットがあるかというと、土地がそれほど広くない場合に、建蔽率いっぱいに建てたとして、建物の周囲にひとがなんとか歩ける程度の空きが確保できるだけというような場合に、「テラスハウス」・「連棟建て」・「二戸いち」にすれば、接合している隣家との間には土地の空きを確保する必要がなくなるので、その分を他方にまわせば、空いた土地を1か所に集めることができ、ある程度まとまった庭を持つことができることになるのです。 しかし、隣と家が接合しているということは離れている場合よりは隣家の音も聞こえるでしょうし、建て替えたいということになった場合、全体では耐震性などの強度は確保されていても片方だけでは確保されていない場合も考えられますし、両方が同時に建て替えたいという考えになるとは限らないし、また、最初は隣と仲が良くてもその後も仲がいいとは限らないし、隣が売却して所有者が変わる可能性もあり、最初の住人とはうまくいってもその後の住人とうまくいかない可能性も出てくる、といった問題点もあります。
また、最近、東京近郊の建売住宅では、↓のように駐車スペースを隣の家と隣接して設け、その部分には境界に塀などは設置せず、お互いにクルマや人がその部分の隣地を通行してよいという協定を設けて販売しているというものがあります。↓
↑ これも、敷地の有効活用とも言えるのですが、自分の敷地であっても、100%自分の自由にならない部分が敷地内にあるということでもありますし、隣の家とは常に仲がいいとは限らないわけですが、仲が悪くても隣とかかわらずにおれないという点で嫌がる人も少なくありません。マンションではなく戸建住宅を選択するメリットとして、たとえ小さくとも自分の土地は自分で自由に使えるという点があるのですが、それが自由にならなくなるので戸建てのメリットが小さくなると考える方もあります。 どうも、建売屋(不動産屋)はこういう分譲をやりたがるようです。 このやり方をとらないと駐車スペースを確保できないならともかく、そうでなければ、こういうことをしなくてもクルマが出入りできるように駐車スペースをとればいいのではないか、駐車スペースを確保できるように土地を分ければいいのではないのか、とも思えるのですが、土地があれば細かく分けないと気がすまないという建売屋(不動産屋)の職業病と同じで建売屋(不動産屋)はやむをえない必要性からではなく、建売屋(不動産屋)がこのやり方をやりたいからこういう駐車スペースの取り方をした分譲をしばしばやります。 しかし、入居後もいつまでも隣家とその点で腐れ縁がとれないこの駐車スペースの取り方を嫌がる人もあるわけで、その為、こういう駐車スペースの取り方をした土地はその分、評価が下がる場合があり、売れにくかったり価格を安めに設定せざるをえなくなったりする場合があります。
「テラスハウス」(「連棟建て」・「二戸いち」)にしても駐車スペースを一部分隣家とともに使用するという建売分譲にしても、その家に住まれている方には失礼かもしれませんが、実際のところ、あまり高級住宅ではない家でされるやり方です。 持家を持ちたい、それも、集合住宅ではなく戸建住宅で持家を持ちたいという人は自分の敷地内は自分の家で自由に使いたいという思いから持家で戸建てを志向するのですから、持家で戸建てでありながら家について隣家から制約を受けてしまう「テラスハウス」や駐車スペースを隣家と一部分共同で使用するやり方をとるというのは、やむなくやることで、金持ちは普通はやらないやり方です。
それで、現在の民法では一般に隣地から50cmは離さないといけない、1m離れていない部分の窓には目隠し等を設けなければならないという規定があり、民法なので隣家が目隠しを設けてくれと言えば拒否できないということで、互いに距離が離れていないので目隠しを設置しろとは互いに言わずに住んでいる所もあります。 その地域によって条例で別の規定がある所もあるのかもしれませんが、実際のところ、建築屋としては、隣地との境界線上に家を建てるというのは難しいということもあります。 作業するには1mくらいは空いていないとやりにくいし、多少無理をしても民法上の50センチというのは建築屋が作業する上での最低線でもあると思うのです。 ぴったりくっつけた場合、くっつけた側の外壁の仕上げをどうするのかという問題もありますし、最近のハウスメーカーの住宅では、水道・都市ガス・雑排水・トイレ排水の経路は普通は屋外に設けますから隣家とぴったりくっつけるなら、そういったものをどうするのか、最近の家ではガスもしくは灯油によるボイラー・灯油ボイラーの場合の灯油タンク・エアコンの室外機、オール電化にする場合はエコキュートとかいうやつ、雨水を利用するなら[第280回]《高山市国府町村山天神参拝(3)浸透桝で雨水処理。赤松は赤い-高山シリーズ第2回(3)、「営業力」とは》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html で写真を張り付けたjタキロンの「楽しき雨音」とかいうほとんど単なるドラム缶みたいなやつ、下水が通っていないところでは合併浄化槽といったものを家の周りに設置しますが隣とぴったりくっつけるとそういうものはどこに設置するのかという問題もでてきます。
高山の民家は、宮地家住宅・松本家住宅でも、吉島家住宅・日下部家住宅(日下部民芸館)でも、平田家住宅(平田記念館)でも、飛騨民族考古館でも、家の南寄りに「どじ」(土間の部分)がありますから、江戸時代から明治の初めには都市ガスなんてないし水道もなかったでしょうけれども、そういう配管をいれる必要があれば「どじ」の部分に入れることはできるでしょうけれども、東京近郊などで建てているハウスメーカーに隣地との境界線上に外壁がくるように建ててくれと言うと、まあ、たいてい嫌がるでしょう。
それで、高山のこの伝統的建造物群保存地区に建っている民家というのはどこもが隣家とぴったりくっついて建てられているのです。 そして、壁と柱を共有しているケースもけっこうあるらしいのです。 人さまの懐具合を詮索する必要はありませんが、今、公開されている住宅というのは、かつて、建てられた頃、および、その後、生活してこられた時、一般に、貧乏な方の家ではなく、まあ、一般に中よりは上の家だったのではないかと思われます。 貧乏で独立した家を建てることができないから隣家とぴったりくっつけて建てたのではなく、また、貧乏で独立した家を建てることができないから隣家と壁と柱を共有する家を建てたわけでもないらしく、この付近では隣家とぴったりくっつけて建てるもので、隣家と壁や柱を共有して建てるのは特に珍しいことでもないことらしいのです。
但し、隣家と壁や柱を共有して建てるというのは、やっぱり、建て替えたいということになった時、両方が同時にそう思えばいいのですが、そうでない場合に、片方だけ取り壊した場合に残った側に耐震上の問題などが発生しなくても、建て替える方はぴったりとは建てにくくいくらか下がって建てることになるようで、そういう問題はやはりあるらしい。
何件かの住宅を見せてもらったところ、高山の「民家」というのは、道路よりに主屋があってその奥に中庭があり、さらにその奥に土蔵があるという配置が多いようですが、土蔵が奥にあるというのは、道路と逆の側から火災が発生した場合の防火の意味もあると係員の方から聞きました。
外からの火に強い土蔵を奥に配置することで、道路と逆側からの火災を防ぐ効果はあったようですが、隣家とぴったりくっついた街並みというのは、裏側からの火災は土蔵で防いでも隣家からの延焼には弱かったのかもしれない。高山市内には防火の神さまの秋葉神社の末社が何社もあり昔から火災に関心が強かったというのは、隣家とぴったりくっついた街並みは火災の時に燃えうつりやすいという弱点はあったということかもしれません。
防火の神さま としては、静岡県の秋葉神社(http://www.akihasanhongu.jp/access.html )のほか、京都の 愛宕神社(http://kyoto-atago.jp/)などが知られますが、高山の場合、秋葉神社が街中にいくつもあるようです。
この付近の「民家」の屋根は、道路側と中庭側が下がる「切妻(きりづま)」です。 寄棟(よせむね)にしたのでは隣家との間に雨・雪がたまるかしみこむことになるので、寄棟にして隣家との間が下がるようにはしません。 [第283回]《飛騨国府駅・国府交流センター・「耳付き片流れ屋根」-高山シリーズ第2回(6)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html の【24】耳付き片流れ屋根 でも述べたように、屋根形状というのは、その場所の条件を考えて作られるもので、最近、都市部でマンション住まいだった人が戸建住宅を建てて住もうという場合、そのあたりがわからず、機能を考えず、その人がかっこいいと思ったもの、奇抜で雨仕舞なんか少しも考えていない屋根の形状などを希望する時があり、建築屋はそれを仕事にしている人間である以上、そのあたりをきっちりと説明してあげるのが仕事であるはずだと私は思いますが、アイダ設計の営業などはそういう意識も姿勢も能力もなく、客のためになる家を建てようという意識なんぞ最初から持っていないので無茶苦茶なものを建てます。YouTubeに入っているアイダ設計のイベントの動画を見ると、木更津の鳳神ヤツルギとかいうショーでハコヒメという太ももまるだしのねーちゃん(おとうちゃん向けのサービス?)〔《YouTube―千葉ご当地ヒーロー「鳳神ヤツルギ」アイダ設計》https://www.youtube.com/watch?v=PivzTKUxuWs 〕が「アイダ設計の家は百年住宅よ」とか言っていたが、アイダ設計の不良営業が担当した無茶苦茶な家が「百年住宅」であるわけないではないか。いいかげんなことを言わないほうがいい。
晴れていれば歩いて行けばいいのですが、大雨の中だったので、高山駅に隣接する濃尾バスターミナルより、「まちなみバス」にのって、「大新町(おうしんまち)2丁目」で下車して行きました。 「大新町2丁目」バス停から宮地家住宅まではすぐです。
《3》 大雨による U字溝 と 宮川 の増水
8月16日、大雨の中、松本家住宅に行き、翌17日はいくらなんでももう雨は大丈夫だろうと思うと、とんでもない。 17日昼前、宮川は↓
↑どぅわぁ~あ・・・! 、大丈夫かあ~と心配しました。 「避難してください」という放送が流れていたのですが、宮地家住宅の係員の方が言われるには、山の脇のところで山崩れの心配な所があるが宮地家住宅の付近の宮川は大丈夫だという話だったので、地元の方が言われるならそうかと思ったら、実際、宮川は決壊とか水が堤防を越えるといったことはなかったようです・・・・・が、宮地家住宅を出て北に少し歩くと↓
↑ 最近、U字溝に頑丈なふたをしてその上を歩くこともできるようにしたところがけっこうありますが、頑丈なふたがある所と、ふたのない所があると、U字溝が水を飲みきれなくなった場合、ふたがなくなった所から↑のようにあふれ出すようです。
千葉県船橋市の我が家の前の道にもU字溝に乗用車くらいなら乗っても大丈夫という頑丈なコンクリートのふたを市役所が入れ、ところどころに排水用の金属製の網が入ったのですが、我が家の前にも網の部分があり、「これ、あった方がいいですよ。ここから水を吸い込みますから」と説明され、そうだろうと思ったのですが・・・・、コンクリートの頑丈なふたをしてところどころに排水用の金属製の網を入れた場合、そこから水を吸うこともあれば、時として、そこから水を吐き出すこともありうる・・わけです。 我が家の前は大丈夫だとは思うのですが・・・。
さらに↓
↑ 日下部民藝館・吉島家住宅などの東側の道。看板が見えているのは 飛騨そば の「紀文」。
(ちょっと、写真が傾いているかもしれないけれども、これ、撮るの大変だったんだから・・・)
但し、U字溝が水を処理できなくなってあふれだしたというもので、川が決壊したとか川の水位が堤防を越えたとかではないので、↑なところを歩くと靴の中に水は入ってきてかなわんけれども、とりあえず、今のところ、命の心配はない・・・・が、 ぎょえ~! て感じの雨でした。
《4》 平田記念館(旧・平田家・「打保屋」の建物)
≪ 明和6年(1769)に、「打保屋」の屋号でびんつけ油やろうそくの製造卸販売を始めた平田屋の建物。 現在は主屋と土蔵の建物を利用して、江戸時代から明治時代にかけての町人に関する資料や生活用具、美術蒐集品など約2000点を展示する。≫(『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』JTBパブリッシング)↓
↑ 入ってすぐに囲炉裏のある部屋があり、吹き抜けになっていて明り取りがあり、架工を見せる(魅せる)造りは、高山の町家に共通するようです。
↑ 2階、中庭を臨む部屋。 この平田家では、2階の中庭を臨む部屋にこのように椅子をおいてくつろがれたのでしょうか。
最も道路に近い部屋はお客様を相手に商売をする部屋で、その内側に家族が団らんする囲炉裏のある部屋があって、その内側、もしくは2階に中庭に面した座敷がある・・という部屋の構成はほとんどの家に共通しているように思えます。 外から中に入るに従って、プライベートな要素が強くなっていく構成になっています。
↑ 2階の部屋から中庭を見たもの。 現地に行った時は気づかなかったのですが、写真で見ると、金属板(カラー鉄板?)の屋根と別に、木肌が見える屋根が右手に見えます。これは、「檜皮葺」でしょうか?
最近の都市圏の住宅は建物の前に庭をとるので南道路の家、東道路の家では庭のプライバシーはなかなか確保できませんが、松本家住宅・宮地家住宅、日下部家住宅(日下部記念館)・吉島家住宅、そして、この平田家住宅(平田記念館)はいずれも東道路ですが、道路に面して商売をする場所があり、その内側に囲炉裏のある家族団らんの部屋、さらに内に座敷があって中庭という構成で、東道路でも中庭はプライバシーを確保された空間になっています。 もっとも、最近の都市圏の住宅などより全体の敷地面積も広いのですが。
↑ 土蔵の2階。 松本家住宅でも見られましたが、太い梁を3本の柱で受けています。 土蔵はこのように太い梁を3本の柱で受けるのか・・・と思うと、そう決まっているわけでもないようで、飛騨高山まちの博物館の矢嶋家土蔵はそうではなく1本の柱で受けていました。
間口はそれほど広くはないけれども奥行はけっこうあって全体としては狭いわけではなく、外から見ると庭が見えないので建物だけかとも見えるけれども、実は主屋と土蔵の間に、なかなか立派な中庭がある・・・という家が高山の「民家」には多いのですが、平田記念館(旧・平田家・「打保屋」)の場合は角地なので、外から見てもけっこう広いとわかります。 道路側に主屋があって中庭をはさんで土蔵があるという配置は共通しています。
「平田記念館」は、元・蝋燭・びんつけ油を扱った店で屋号を「打保屋」といったというのですが、高山駅前の土産物店で買った「懐かしのど飴 濃厚黒みつ 福寿あめ 桔梗エキス配合」の製造者は高山市久々野町の「株式会社 打保屋」だったが、平田記念館と関係あるのかないのかわからないが、けっこうおいしかった。
※平田記念館 の ホームページは http://www.hidanet.ne.jp/~s-hirata/index.html
《高山市 観光情報 平田記念館 (高山市観光課)》http://www.hida.jp/cgi-bin/kankou/sigview.cgi?admin=contents_view&id=104420192457&sig=
(2014.9.17.)
次回、高山シリーズ第2回(10)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html では、飛騨民族考古館(旧・医師 藤井玄泰邸)に行きます。 雨ニモ負ケス 風ニモ負ケス・・・ ホメラレモせス・・・・
☆ 高山シリーズ第2回は、
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同(3)浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅上・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅下・宮地家住宅上https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅下・平田記念館 今回。
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html
☆ 高山シリーズ第1回 は、
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
ご覧くださいませ。
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