「飛騨民族考古館」(上三之町)の1回目・布ら里―高山シリーズ第2回(10)

[第287回]
【26】-4 高山の「民家」建築 4
《5》-1 「飛騨民族考古館」 (旧・医師 上田玄泰邸→坂本邸)
[A]   松本家住宅・宮地家住宅・平田記念館(平田家住宅・旧「打保屋」)ときて、ついに、「飛騨民族考古館」にきました。
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(↑ 写真はクリックすると大きくなります。)




≪ 当館は 江戸時代、高山城主に仕えた御典医(医者)の住居を、ほぼ当時のまま公開。
 館内では、飛騨地方の古美術品や考古歴史資料を展示する。
 また、家主は忍びとしても活動していたとされ、建物には吊り天井や忍び窓などのからくりも残っている。≫
≪ 考古館の前には本物の忍者の鎧が飾られている。≫(『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』2014.5.1. JTBパブリッシング)
   現地の説明書きには、
≪ ・・・江戸初期の本道、上田玄泰の住跡で代々勝れた医術師を輩出しています。 中でも上田済世(1754~1826年 号を魯斉(ろさい)  通称「東園」)は中興の人で 高山陣屋御出入り医師肝煎を勤め、傍ら俳歌を能くし 普く内外の有名墨客文人達との親交が知られています。 建物は 江戸期の高山建築の典型、その美しい様式は今も損なわれることなく昔の面影をとどめています。≫と出ています。
≪ 古井戸や腐朽していない湯殿、土蔵内の薬室もそのままに残り、往時の暮らしぶりが偲ばれます。
   特に 本座敷の吊天井(つりてんじょう)の、からくり忍(しのび)窓の特殊な造作の他、 中庭から宮川迄通じた抜け穴跡などは当家伝来ながら 謎も多く隠れた歴史を物語る特異な造りとして注目されます。≫とある。
≪ 昭和47年(1972年)8月に当館を「飛騨民族考古館」として開設、館内に創設者の、故 坂本重次郎が半世紀に亘り蒐集した 飛騨ゆかりの貴重な 考古資料はじめ、歴史・古美術資料など数多く展示しており合わせて深く観覧して頂けます。≫と「館主敬白」として書かれています。
   上田玄泰・上田済世という江戸時代の高山城主にも仕えた内科医で、同時に忍び(忍者)でもあったらしい人の住居だったらしい。 「飛騨民族考古館」として公開したのは坂本重次郎さんという方で、現在、同館を運営されているのも坂本さんの子孫・一族の方らしい。 同館の前の道は「さんまち」の中でも繁盛している通りであるが、歴史的に貴重で真面目な展示の同館にとってはそれが好ましいものかどうかはよくわからないところもある。


   飛騨民族考古館に隣接して・・・というのか、飛騨民族考古館の道路よりの一部分の部屋を使用してというのか、「アンティークショップ 布ら里(ふらり)」がある。↓
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↑ ≪ 江戸時代から昭和初期の古布を使用した雑貨や創作人形、アクセサリーなどを取り扱う。 古布振袖うさぎ2100円は愛嬌たっぷりのかわいらしさが好評だ。≫と『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』(JTBパブリッシング)には書かれている。  ↑の写真を見ると、飛騨民族考古館の建物の道路よりの一部屋を使用して「布ら里(ふらり)」はやっているのかな? という感じがするが、何しろ、このあたりの民家は隣家とぴったりくっついているのが普通であり、しかも、隣家と壁や柱を共有しているケースというのがそう珍しいことではないらしいので、ぴったりくっついていて、しかも、壁や柱を共有していたとしても、だからといってひとつの家の一部屋を使用してお店をやっているとは限らないのだ・・・・が、↑の写真を見る限り、やっぱり、「布ら里」の場合は、飛騨民族考古館の建物の一部分なのではないのかなという気がする。 考古館の方はそう難しい人でもなさそうだったから、きけばよかったかな・・と思うのだが、もう帰ってきてしまった。

   飛騨民族考古館には、3つの特色がある。 
1. この地域の江戸時代からの民家で、特に、城主にも仕えた内科医の住居であった。
2. 医師であるとともに、「忍び」(忍者)でもあったらしく、いざという時のための「吊天井」の仕掛けが座敷の上になされているなど、この地域の他の「民家」、日下部家(日下部民藝館)・吉島家住宅・宮地家住宅・平田記念館(平田家・「打保屋」)・松本家住宅とは違ったところがある家である。
3. 創設者の坂本重次郎氏は、他の人は持っていないような「考古資料」を蒐集しており、せっかくのものをぜひ広く見てもらいたいという気持ちがあったらしく、それを展示している小博物館であり、建物を公開するついでに、あるものを展示したというのではなく、ここでないと見れないのではないかというものがけっこうある。

   それで、捨てがたいものが3つあることから、逆に問題点も出てくるようで、それは、
[問題点 1 ]   3つの特色はどれも捨てがたい、というのか、いずれもが「主たるもの」であって「従」ではないと思うのだが、それがいいような悪いような・・・という面がないでもない。 というのは、東京都港区区にある日本国内のアール=デコ建築の代表のように言われる「東京都庭園美術館」(旧 浅香宮邸)(《ウィキペディア―東京都庭園美術館》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%AD%E5%9C%92%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8 他)は、「美術館」といっても、最初から美術館として建てられたものではなく、皇族の住居をアール=デコ建築のものとして優れた建物であり保存し公開した方がよいとして、保存するに際して、単に建物だけで保存し公開するよりも美術館として公開した方がいいのではないかということで、又、広いここちよい庭園があるということもあって、「庭園美術館」として、企画展が開催される美術館として運営されているが(インターネットで見ると、ただ今は休館中らしいが⇒東京都庭園美術館HP http://www.teien-art-museum.ne.jp/archive/  )、数年前、私が見学に行った時、展示されている美術品と建物が、両方が自己主張をして、展示品があるから、建物について考え感じることが困難なところもあった。 しかし、展示されているものは決してどうでもいいものが展示されているのではなかった。 飛騨民族考古館も幾分そういう面があるように思うのだ。 展示されているものは、決してどうでもいいものではないと思うのだが、必ずしも、建物に従というものではない。 直接建物と関係のないものも展示されている。 だから、東京都庭園美術館で感じたのと同じく、展示物も価値のあるもので建物も価値のあるものだと思うのだが、両方が自己主張をしてぶつかってしまっている部分もあるような気がしたのだ。

[問題点 2]    「内科医にして忍び(忍者)」という、なんか、この表現をすると怒られるかもしれないけれども、有能な鍼灸医にして裏の顔は当代一の仕掛け人・藤枝梅安・・・・みたい? (⇒《YouTube―必殺仕掛人(予告)》https://www.youtube.com/watch?v=2HUWGo04-t0  、[第165回]《「藤枝鍼灸院」と検索エンジンに入れてクリックすると・・。「梅安先生はいらっしゃいますでしょうか・・」 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_8.html )というのか、もとより、忍び(忍者)とは世を忍んで生きるからこそ「忍び」であり、表の顔が別にあるのは忍びとして当然のこと・・・とか、徳川家の「御庭番(おにわばん)」という庭の掃除をしたり植木の手入れをしたりしていた者のうち何人かは忍びであってもし将軍が襲われることがあれば即座に本来の職務として敵を倒すSPのような存在だったとか、なんか、そういう時代劇か時代物の漫画か何かに出てきそうな話が、どうも、実話としてここにあるらしいのだ。 かつ、「吊り天井」という白土三平か横山光輝の漫画に出てきて、「しまった。吊り天井かあ。してやられたあ~」とか登場人物が言うように、嫌いなやつを招き入れた上で、天井をどすんこと落としてやっつけるという、それこそ、「漫画みたい♪」な話が実は漫画ではなく本当にあったらしい・・・という建物なのだ。 それも、「復元」とか「調査の上での模型」とかではなく、本物がそこにあるのだ。
    しかし、この点で、「吊り天井」とか「忍びの家」と言ってしまうと、私らのような「建築探偵団」は喜んで訪問し真面目に見学するけれども、東京ディズニーランドみたいなテーマパークと同じように思ってしまう見学者も中にいるのではないかと思うのだ。東京ディズニーランドに西洋のお城みたいなものがあっても、それは古くから残るお城の実物ではない。 東京ディズニーランドより、もっと的確かなと思うものを言うと、京都の太秦映画村(http://www.toei-eigamura.com/ )みたいなもの? 太秦映画村は、すぐ近くに広隆寺があったり京都の洛西の古寺がある地域にあるが太秦映画村自体は、昔の建物みたいなものがあっても、映画やテレビドラマのために作ったハリボテであって、昔から残っている資料としての建物ではない。 あるいは、栃木県の日光江戸村(http://www.edowonderland.net/ )はとか 東武ワールドスクエア(http://www.tobuws.co.jp/ )は江戸時代風の建物があっても、世界の有名建築物・歴史的建造物のようなものがあっても見て楽しむための模型だ。 「吊天井」「忍びの家」というと、そういう太秦映画村とか日光江戸村みたいな所と勘違いする人が出てくるのではないのだろうか。
    高山市はこの「さんまち」というあたりはずいぶんと繁盛している。 福島県浜通り地方に勤務していた時、浜通り地域の人間が「ここは、な~んもねえ。 何もねえところだ。どうしようもねえ」と口にするのを私は何度も聞いた。 そのたびに、「そんなことないじゃないの。いい所じゃないの。どうしてそんなこと言うの」と私は思った。 「何もねえところだ」というのは、自分たちの所はこんなにものすごい所なんだと他から来た人間に自慢たらしく言ったりもったいつけたりするのを好まない気さくで気取らない土地柄といういい面もあるのだけれども、ひとつには、いわき生まれの人にいわき駅の南にある松ヶ丘公園に立つ安藤信正の像のことを尋ねてみたところ、「知らねえ。あんな殿さん。どうせ、いわきの殿さまだから、たいした殿さんじゃねえ。ここの殿さんだからどうってことのない殿さんだ」と言われたことがあった。桜田門外の変で水戸藩の浪士が大老 井伊直弼を殺害した後、御三家水戸と譜代大名筆頭格井伊があわやガチンコ対決か?というところを苦心しておさめた筆頭老中で、公武合体政策を進めて坂下門外の変で襲われ失脚したおそれ多くも「受験日本史必出人名」様を何と心得るか!と思ったのだが、浜通りの平均的な人はそんなものだった。実際、「このへんの人間、バカだからどうしようもねえんだ」と口にする人があったが、それは、「こんなにえらいんだぞお」とえらぶるのを好まない土地柄だからというプラスの面もあるのだけれども、街おこしがへたくそ! 実際にはそんなにだめな場所じゃないのに、実際にはそんなに何もないところじゃないのに、「なあんもねえ。どうしようもねえ」などと言いまくる人が少なからずいる土地という面も、そこで何年か暮らしてきた者としてはけなすのは心苦しいけれども、やっぱりあると思う。 山梨県に住んだ時、新聞の日曜版の山梨県版にだったか、山梨県のワインの会社の女性社長がでていて、山梨県のぶどうはぶどうのまま食べるにはいいけれども、フランスやイタリアのぶどうと違ってワインにはできないとかつては思われていたが、絶対に山梨のぶどうからワインを作ってみせると、「よそ者でバカ者」が取り組んで、とうとう山梨県のぶどうからワインを作ってみせたという話が出ていた。 だめだと多くの人に思われているものをやってのけることができるのは「若者、よそ者、ばか者」だという話があり、その女性社長が言うには、自分はあまり若くなかったので「若者」にはあたらないが、他から来た「よそ者」で、そして、そんなものできるわけないじゃないか、バカか、と言われてもそれでもやる、バカかそんなものできるわけないじゃないかと罵られても(大分県の耶馬溪の青の同門をくり抜いた者のように)取り組んだばか者だった、だからできたと話していたのを読んだ。 福島県浜通り地域の人間は、どうしてそのように考えることができなかったのだろう。 そう考えることができれば、原発なんぞというような危険極まりないものを作られてしまって先祖代々の土地を住めない土地にされてしまい、放射性廃棄物のゴミ捨て場にされてしまうこともなかっただろうに、と、双葉郡大熊町のコンビニの経営者が、避難後、「一時帰宅」で戻ったところ、店の中が荒らされまくっていて、「そんなに悪い人の多い地域じゃないと思うのだけれども」と情けながったというのがヤフーニュースに出ていたのを読んだが、私も「決して悪い人の多い地域じゃない」と思うからこそ何とも残念に思います。
   それで、私は高山訪問は今回3回目で、8月に2回、9月に1回来たのですが、高山のこの「さんまち」のあたりを歩いてみると、実に繁盛しているのです。 このあたりだけというわけでもないのですが、その点、高山は成功しているのではないかと思うのです・・・・・が、多くの人が集まる街になっている、おそらく、「リピーター」も多いのではないかと思われる・・・という点は成功していると思うのですが、大新町の宮地家住宅まで見学に行く人間は建築に関心があるから見学に行くという人間が多いのではないかと思うのですが、「さんまち」の付近はそうでもない。 京都のお寺でも、清水寺(http://www.kiyomizudera.or.jp/ )は訪問者が大変多いけれども、何年か前に訪問した時の私の印象では、言っちゃ悪いが、他のお寺に比べて不真面目な訪問者が多い・・という印象を受けた。 特に気難しいことを言われるのは私だってあんまりうれしくないのですが、そうは言ってもそこはお寺だぞ、そこは宗教施設だぞ、ということがわかってないのと違うのか? という感じの人が多いような気がした。 特に、本堂の裏の地主神社(じしゅじんじゃ)は「恋愛成就の神さま」ということにいつのまにかなってしまったため、「授与所」が大部分を占める神社でほとんど百貨店のバーゲンセール会場と変わらない・・・というお寺・神社としては本来的でない状況になっていた・・・と思ったのです。 東京都文京区の湯島天神の北のあたり、東大本郷キャンパスの南東のあたりに、旧・岩崎邸(⇒《庭園へ行こう 重要文化財 旧岩崎邸庭園 (東京都公園協会)》http://teien.tokyo-park.or.jp/contents/index035.html 、《旧岩崎邸庭園 (文京区)》http://www.city.bunkyo.lg.jp/visitor_kanko_shiseki_iwasakitei.html )があり公開されています。 戦後すぐの時期には、「キャノン機関」がそこにあって下山事件や鹿地亘事件にも関わったのではないかと言われるが、ジョサイア=コンドルが設計したという洋館と和風の建物とがあって今は誰でも見学することができるのですが、「誰でも見学できる」というのは問題点もあって、数年前に私が見学に行った時、敷居を踏みつける人を何人も見た。 誰でも見学できることにすると、そうなってしまうのかと思ったが、だからといって、「エライ人」だけ可とかすると、「エライ人」てどんな人なんだということにもなると思う。 有料にして入館料を高めに設定すれば、それだけの金額を出しても見学したい人だけが入るようになる・・・かもしれないが、金持ちだけが入るようになってしまうかもしれない。 なかなか難しいところではないかと思います・・・・。  飛騨民族考古館の前の道は人通りも多く、実に繁盛しているのですが、ふと思ったのは、この人たち、何しに来た人たちなんだろうな・・・・と思ったのです。 だって、私は「建築探偵団」だし「(建築家+建築屋)÷2」だけれども、そうでない人の方が多いと思うのです。 そうでない人は「(建築家+建築屋)÷2」の者と同等に古民家に関心があるわけではないと思うのです。 来て悪いことはないけれども、この人たちって、何しに来たのだろうな・・・・と考えて周囲を見たところ、「甘味処」とかそういう店が多すぎないか・・と思ったのです。 あって悪いことはないし、歩いて疲れたときに気楽に入れるそういう店は欲しいところですが、結局、「ディズニーランドと一緒」みたいになってしまってないか? という疑問も感じたのです。
    そういう意識のところに、「吊り天井」「忍び窓」と書かれた“ 忍者屋敷 ”があると思って入ると、歴史的建造物と考えずに、「忍者屋敷」「お化け屋敷」「見世物小屋」の類と思ってしまって↓ なことやりたくなってしまう人も中には出てくるということなのでしょうか?
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↑ 2階の、「吊天井」の仕掛けを壁面から覗ける部屋にて。(写真はクリックすると大きくなります。)
そういうことかどうか断定できるものでもありませんが、≪落書きがひどく、壁や柱がかなり傷んできて大変困っています。どうか書かないで下さい。お願い致します。 (館主)≫と書かれた紙が貼られていましたが、実際、↑のようなことは絶対にやめてほしいと思います。 そういうことをやりたければ、日光江戸村か太秦映画村に行ってください・・・と言うと、こういう落書きは日光江戸村でも太秦映画村でも困ります・・・ということになるかもしれませんが、江戸時代からの実物が残っている江戸時代からの本物の建物でやるのはもっと困るので、こういうことだけはやめてもらいたいと思います。 ここはテーマパークにある「忍者屋敷」ではないのです。 日下部家住宅・吉島家住宅・松本家住宅のような国の重要文化財に指定されている建物でこれをやると、文化財保護法だったかで処罰されることになったと思いますが、重要文化財とかに指定されていなくても、こういうことをやったのでは、やった人間の品性が問われることになります。 自分自身をおとしめたくないなら、こういう行為だけは絶対にやめてほしいと思います。 たとえ、文化財保護法は関係なくても、刑法上の器物損壊罪の対象になると思います・・・が、処罰されるからということではなく、処罰されるとかされないとかは関係なく、自分自身の人間としての尊厳のため、↑こういう行為はやめるべきです。

[問題点 3]  「内科医にして忍び」というこの点をあまりにも着目しすぎると、実は、「吊天井」が施工されている座敷などは、「吊天井」を無視して座敷として見てもなかなかすばらしい造りだし、「民家」としてもなかなかのものがあるのに、「忍び」「吊天井」といったものに意識が向きすぎると、「民家」として、あるいは城主に仕えた医師の家としてのすばらしい面が見えなくなる可能性がある。
   この3番目の点は「建築探偵団」「(建築家+建築屋)÷2」の者としても、意識しないといけない点だと思いました。
  (2014.9.17.)

  次回 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html は飛騨民族考古館の2回目です。ご覧くださいませ。

※《高山市観光情報 飛騨民族考古館 (高山市観光課)》http://www.hida.jp/cgi-bin/kankou/sigview.cgi?admin=contents_view&id=104420192643&sig=
《高山市観光情報 藤井美術民芸館 (高山市観光課)》http://www.hida.jp/cgi-bin/kankou/sigview.cgi?admin=contents_view&id=104420192955&sig=
《ウィキペディア―藤井美術民芸館》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E4%BA%95%E7%BE%8E%E8%A1%93%E6%B0%91%E8%8A%B8%E9%A4%A8

☆ 高山シリーズ第2回は、
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同(3)浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅・宮地家住宅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅・平田記念館https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 今回。
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html 
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html

☆ 高山シリーズ第1回 は、
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html 
ご覧くださいませ。

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≪ 昭和26年(1951年)11月25日午後7時ごろ、藤沢市鵠沼に転地療養していた鹿地亘(かじ わたる)は、江ノ電 鵠沼付近の道路を散歩中、二台の米軍乗用車によって挟まれた。次に、車から降りた五、六人の米軍人の手で車内に連れ込まれ、手錠を掛けられ、白い布で眼隠しされたまま拉致された。いわゆる鹿地亘事件の発端である。
  ・・・・ 鹿地が最初監禁された場所は、東京都本郷の岩崎別邸、通称岩崎ハウスと呼ばれるキャノン機関の本拠であった。ここで四日間を過し、11月29日には、川崎市新丸子の東銀川崎クラブに移された。最後は神奈川県茅ケ崎の接収家屋に留置された。・・・・≫
(松本清張『日本の黒い霧 下』文春文庫 「鹿地 亘 事件」 ↑)

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