「飛騨民族考古館」3。及、「できます」と言って契約して「適当に建ててしまえ」営業は良いか?

[第289回]高山シリーズ第2回(12)
営業と会社の話(65)
【26】-6 高山の「民家」建築 6
《5》-3  「飛騨民族考古館」  (旧・医師 上田玄泰邸→坂本邸)(高山市上三之町) 3
[D] 床柱を長押より優先し、下から上まで見せる施工のしかたの床の間。
及び、契約前に「できます」と言って契約してもらったものは万難を排して実行しなければならないか、契約前に「できます」と言って契約してもらったものは契約して契約金を受け取ったら「うちではできません」と言って適当に建ててしまえばいいか。

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↑  松本家住宅(高山市上川原町)・宮地家住宅(大新町)・平田記念館(平田家住宅・旧「打保屋」)でも見ましたが、 「飛騨民族考古館」(元藩医 上田家→坂本家)でも、床柱が下から上まで見える施工になっています。
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   今回、高山訪問は3回目、「飛騨民族考古館」入館は2回目です。 
  1990年代から2000年代にかけて、一条工務店で施工していた床の間では、床の間の隣が押入れになっている場合だけでなく、床の間の隣に棚(一条では通常、違い棚)を設けた場合でも、「棚」の部分の上にも長押(なげし)をまわしていたのです。 しかし、福島県いわき市で勤務した時、担当させていただいた契約客の いわき市のお施主様Oさんが「一条の展示場の床の間は、どう見たって変だよ。あれでは床柱がかわいそうだ。」と言われ、それで住宅雑誌や有名建築物の和室の写真をいくつも見て、自分より経験の長い営業に意見をきいたりして、そして、一条工務店は一般には床柱の前面を刻んで長押の方を前にして床柱にはめ込む施工をしているが、そのお施主様のお宅については、床柱を下から上まで見せるという施工にしてもらい、その後の契約者の方には、どうするかきくと、茨城県北部から福島県にかけてのお施主様はすべての方が床柱の方を下から上まで見せる施工にしてほしいと言われ、そのように施工してきたのです。
   この点に気づかなかった営業担当者のお施主様が、自宅の工事がある程度進んできてから、長押が床柱の前に来ているというのはどう考えてもおかしいと言われ、担当営業が一条の本社が言うように、床の間はこうするもんなんです、こうしかできないんですと説明しても納得いかないと考えられて、私が担当の最初に「一条の展示場の床の間は、どう見たって変だよ。あれでは床柱がかわいそうだ」と言って教えてくれたお施主様の工事中の家に訪ねていかれて、「まことに申し訳ないですが、今、自宅を一条で建てているんだけれど、床の間の施工が気になるもので、お宅の家を見せていただけないでしょうか」と言って頼まれたそうで、それで、その施工中の家の床の間を見て、「なんだ。ここの家はきっちりとできているじゃないか。 やっぱりできるんじゃないか。できないなんて、やっぱり嘘だ。」と言われ、それで、私の担当のお施主様は後にその時の話を私にされて、「お互い、一生懸命考えてやったものねえ」と喜ばれた、ということがあった。
   その点に気づくことができなかった営業担当者は私と違って地元の生まれの人だったが、一条の床の間を見ても、自宅の床の間とは床柱と落とし掛けの位置関係が違う、と気づかなかったようです。 ひとのことをあまりえらそうには言えません。私も、その指摘してもらったお施主様から言われるまで、床の間の「床柱」と「長押」がどちらを優先して見せるべきものか、ということについてはあまり気にしていなかったし、自分が育った家の床の間や親戚の家の床の間で床柱と長押の位置関係がどうなっていたか、なんてほとんど気にしていなかったのです。
   ただ、高山の民家の床の間を何軒か見て、気づいたのですが、床の間の隣に「棚」を設けた場合、「棚」の上には長押を回さないようにしている場合が多いように思います。 一条工務店で施工していた床の間では、床の間の隣に「棚」を設けた場合、「棚」の部分の上にも長押を回していたのです。 しかし、↑の写真を見ても、「棚」の部分の上は、「落とし掛け」と言うべきでしょうか。長押は回っておらず、「棚」の部分に専用の「落とし掛け」がついており、これが床柱の手前で止まっているのです。
   もしも、「棚」の部分にも和室の他の部分と同じように長押が回っていたならば、床柱とぶつかる部分でどちらを優先するかという問題が出てくるのですが、長押は「棚」の上にはなく、棚の部分にも床の間と同じように落とし掛けがあるならば、床柱の手前で止めるのが普通で、それを床柱の前まで持ってきたならば、どう考えても変だと思います。

   私としては、そのお施主様が「お互い、一生懸命、努力して考えたもの、ね」と言ってくださったように、お施主様と営業担当の私とで相当に一生懸命、努力してどうすればいいか考えた上で、こうやろうとプランを決めたのです。「お互い」に。お施主さまだけではなく営業担当者だけでもなく。千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング(建設業)・ビルダーズジャパン株式会社(不動産業)・ジャムズグローバルスクエア株式会社(不明業)が頼んでいたN村設計事務所のおっさんが「建築家が作る家」と名刺に入れていたが、N村は住宅を「建築家が作る」と位置付けていたのだが、いわき市で建てていただいたそのお施主様は「お互い、一生懸命、努力して考えたもの、ね」とはっきりと言われたように、お施主様と建築会社の営業担当者とが「お互い、一生懸命、努力して考えて」建てたのです。三井ホームの千葉市の幕張の住宅展示場に「建築家とインテリアコーディネーターが作る家」と書かれた横断幕がかかっていました。N村は三井ホームの設計の仕事もしていたと言っていたのですが、「建築家が作る家」とか「建築家とインテリアコーディネーターが作る家」とかいうコピーは根本的なところで間違いがあるのです。お施主さまがそこに入ってないのです。三井ホームの横断幕の文句によれば、三井ホームの家というのは「建築家とインテリアコーディネーターが作る」そうで、お施主さまと建築会社の担当者が「お互い、一生懸命、努力して考えて」建てるのではない、ということになります。そういう文句です。 ろくなもんじゃねえな・・て印象を受けます。「建築家」だの「一級建築士」だのと名のれば人は言うことをきくだろうという認識もあさましい。 (N村設計事務所のおっさんの名刺に入っていた「建築家の作る家」というコピーは、三井ホームの「建築家とインテリアコーディネーターの作る家」から「インテリアコーディネーター」が同建築事務所にはいないから削除して「建築家が作る家」にした「三井ホームの物真似」だったらしいことに気づいた。「名刺に入れるキャッチフレーズも自分で創作できずに物真似する男が施主を除外して作る家」というのがいいか・・・?)
   床柱と長押の位置関係に気づくことができず、工事が進んでからお施主様が気づいて、「長押を床柱の手前で止めて、床柱の方を前にして下から上まで見せるようにするのが常識だろう。言われなくてもそうするもんだ。なんで、こんなおかしな床の間を作るんだ」と怒られてしまった営業担当者は不真面目だったというわけではないと思います。 自分が担当で契約してもらったお施主様にいい家を作ろうという気持ちはある人だったと思いますし、私が担当のお施主様から言われてその点について考えるようになったのには偶然の要素もあったと思います。しかし、やっぱり、私だから言ってもらえた、という面もないわけではないと思っているのです。
   一条工務店に入社2年目の時、千葉県市原市で建てていただいたお施主様Yさんの図面の打ち合わせをおこなっていた際、実際に薪を燃やす暖炉(薪の形をした擬木があるが実際に燃やす燃料としてはガスを燃焼させる暖炉とか、薪の形の擬木があってパチパチと音がするが実際は電気ストーブのもの ではなく)をリビングルームにとりつけたいという希望だったので、私が、何社かの暖炉のメーカーに暖炉のカタログを送ってもらうように電話で依頼していたところ、営業本部長のA野T夫が「なんで、そんなことするんだ」と言い出したことがありました。「なんで、そんなことするんだ」と、「なんで」言われるのか、最初、意味がわからなかったのです。 「『なんで』て、暖炉をとりつけたいという希望だからですが」と言うと、「なんで、そんなものつけるんだ。つけなきゃいいだろうが。何、考えてるんだ、おまえはあ」と怒るのです。「契約前に、暖炉をつけたいけれども、できますか、ときかれて、それで、一条工務店の本社の設計部に私が問い合わせて、『できる』という返事だったので『できます』と言って、契約してもらったんです。 だから、一条工務店では暖炉の施工はできるんです。 本社の積算部に言うと、(一条より前に在籍した小堀住研では、営業がカタログを取り寄せるといったことをしなくても、設計部・工務部でそういった資料は持っていて提案もできるので営業がカタログを取り寄せる必要はないが、一条工務店の場合は)営業さんの方でカタログを取り寄せて、『これ』と言ってもらえば金額をだします、ということだったので、それで、私が取り寄せているんです。」と説明しました。 すると、営業本部長のA野T夫は「だから、契約前に、『こういうことはできますか』ときかれて、『できます』と返事して契約したんだろ。それはいいじゃないか。契約前なんだから。 今は契約してもらったんだから『うちではそれはできません』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが。 それで、『できないというなら解約します』とでも客が言うなら、もう、契約金の100万円は振り込んでもらってるんだから、100万円もらっておけばいいだけのことだろうが。何、考えてるんだ、おまえはあ」(原文の通り)と怒鳴りつけられたのです。 何、言ってんだろう、この人は・・・と言っている意味が最初わからなかった。 こうこうこういう内容でと契約すれば、契約の当事者はその契約の内容は何としても実行しなければならないはずなのです。 もしも、それがたとえ口約束であっても、文書にしていなかったとしても、文書にしていなかった約束、文書にしなかった内容を踏みにじる者はおのれの信用を自分自身でドブに捨てる者だということになります。
   小堀住研の新卒新入社員研修では、「見込客からこういうことはできますかときかれた時、わからないのに『できます』と答えて契約してもらうというようなことは絶対にしてはならない。信用をなくす。 そういう時には会社の担当の部署に問い合わせて、できるものはできる、できないものは、残念ながらできませんと事実を事実としてきっちりと説明する。 正直に説明することで信頼を得るようにする」と教えられたし、そして、これは小堀住研だけで通じる話ではなく、営業一般、ビジネス一般、商売一般の話だと私は思っていたのです。 「契約前に、『こういうことはできますか』ときかれて、『できます』と返事して契約したんだろ。それはいいじゃないか。契約前なんだから。 今は契約してもらったんだから、『うちではそれはできません』と言って適当に建ててしまえばいいじゃないか。 それで、『できないというなら解約します』とでも客が言うなら、もう、契約金の100万円は振り込んでもらってるんだから、100万円もらっておけばいいだけのことだろうが。何、考えてるんだ、おまえはあ」て、まさか、そんな営業が世の中にあるとは思いませんでした、というより、それ、詐欺と違いますか?  契約前に、担当部署に確認もせずに「できます」と言って契約してもらって、契約後に「できません」と言い出して、それで、「何、考えてるんだ、おまえはあ」と怒られるならわかりますが、契約前にきっちりと担当部署に確認した上で、担当部署がこうしてほしいと言っている指示の通りに進めているのに、なんで、「何、考えてるんだ、おまえはあ」と言われなきゃならんのでしょう。 
   実際のところ、一条工務店で建てたというお施主様から、「一条工務店で契約するとえらい目にあわされる」といった話をきかされることが同社在籍中、時々ありました。 A野T夫のようなやり口の営業がいたということなのかもしれません。 
   A野T夫さんのおっしゃることは、実際のところ、それは詐欺ではないかと思うんです。 A野さんは、「一条には一条のやり方があるんだから、一条のやり方が気に入らんというなら会社やめろ」とか言うのですが、しかし、 「契約前に、『こういうことはできますか』ときかれて、『できます』と返事して契約したんだろ。それはいいじゃないか。契約前なんだから。 今は契約してもらったんだから、『うちではそれはできません』と言って適当に建ててしまえばいいじゃないか。 それで、『できないというなら解約します』とでも客が言うなら、もう、契約金の100万円は振り込んでもらってるんだから、100万円もらっておけばいいだけのことだろうが。何、考えてるんだ、おまえはあ」というのが、それが「一条工務店のやり方」だというのでしょうか。 結論をいえば、それが「一条のやり方」というわけではありません。 福島県いわき市の営業所に転勤した時、いわき市の私より同社の在籍が長い営業に、そのA野T夫に言われたことを話したところ、複数の人から「それでは、詐欺だっぺえ~え」と言われました。 だから、「それでは、詐欺だっぺえ~え」と言った人は、そんなことをしてはならないと認識している人で、営業本部長のA野さんからすれば「『一条のやり方』が気に入らないなら会社やめろお」と言いたい人間なのですが、A野さんが言うところの「一条のやり方」の営業もいるのかもしれませんが、「それでは詐欺だっぺえ」と認識している営業もいたのです。私だけではありません。 だから、「一条のやり方」という表現は最適ではありません。 それは「一条のやり方」ではなく、「一条の営業本部長A野さんのやり方」なのです。 私が退職時においては、私の方がA野さんより一条の営業経験年数は長かったのですから、20代の頃に社長の義理の弟だとして特別扱いの営業をちょろっとやっただけの人に、がたがた言われたくないわ! 単なる詐欺師でしかない男に・・・ということになるし、私にそう思われているのかと思うとA野さんは腹立ったのかもしれません。A野さんの言うところの「一条のやり方」(=「それでは詐欺師だっぺえ」と言われるやり方)をやる人間は条件のいい営業所に配属させてもらったりといったことがあったようです。
   「契約前に、『こういうことはできますか』ときかれて、『できます』と返事して契約したんだろ。それはいいじゃないか。契約前なんだから。 今は契約してもらったんだから、『うちではそれはできません』と言って適当に建ててしまえばいいじゃないか。 それで、『できないというなら解約します』とでも客が言うなら、もう、契約金の100万円は振り込んでもらってるんだから、100万円もらっておけばいいだけのことだろうが。」という「一条工務店の営業本部長A野さんのやり方」が私はいいと思わないのは、倫理的にいいとは言えないということもありますが、営業戦略、営業の作戦としても、いいわけないからです。(1)「◇◇を設けたい」という希望が契約客にあるなら、そのようにしてプランを作成して提案すればいいことであり、そうやって進めれば平穏無事に進み喜んで住んでいただけるのに、それを、わざわざ、「契約前に、『こういうことはできますか』ときかれて、『できます』と返事して契約したんだろ。それはいいじゃないか。契約前なんだから。 今は契約してもらったんだから、『うちではそれはできません』と言って適当に建ててしまえばいいじゃないか。 それで、『できないというなら解約します』とでも客が言うなら、もう、契約金の100万円は振り込んでもらってるんだから、100万円もらっておけばいいだけのことだろうが。」などという奇妙な対応をしたのでは、わざわざもめる元を作っているのであり、営業の姿勢として理解できないことです。 (2)市原市で建てていただいたYさんのお宅の地域は土地区画整理事業がおこなわれていた所で、遅かれ早かれ動かなければならない、曳家するより建て替えた方がいいと思ってひとはけっこうおられた場所なのです。 かつ、新興住宅地ではなく昔からの農家であり、近所とのつきあいは深く、そして、「近所の連中に、会う度に、一条工務店はいいよお と言ってまわってるんだ」と言っていただいたりしていたのです。 そういう相手に「契約前に、『こういうことはできますか』ときかれて、『できます』と返事して契約したんだろ。それはいいじゃないか。契約前なんだから。 今は契約してもらったんだから、『うちではそれはできません』と言って適当に建ててしまえばいいじゃないか。 それで、『できないというなら解約します』とでも客が言うなら、もう、契約金の100万円は振り込んでもらってるんだから、100万円もらっておけばいいだけのことだろうが。」というような「営業」をしてしまったなら、せっかく、「近所の連中に、会う度に、一条工務店はいいよお と言ってまわってるんだ」と言ってくださっている方に、「契約前に、『こういうことはできますか』ときかれて、『できます』と返事して契約したんだろ。それはいいじゃないか。契約前なんだから。 今は契約してもらったんだから、『うちではそれはできません』と言って適当に建ててしまえばいいじゃないか。 それで、『できないというなら解約します』とでも客が言うなら、もう、契約金の100万円は振り込んでもらってるんだから、100万円もらっておけばいいだけのことだろうが。」という対応を一条工務店にされた・・と言われることになってしまう、ということと違いますか。 それのどこが営業上いいのでしょうか。 A野さんは「ぼくは学校でてないから、だから気さくで人間味があって、営業に向いてるんだ。そう思うだろ。思わないのか。『思います』と言え」と私に言って、私は無理やり「思います」と言わされてしまったことがあったが、こんなおかしな「営業」をする人間のどこが「営業に向いてる」のでしょうね。だいたい、そういうことを人に無理矢理言わせるというのが、どうんなものかと思います。
   それで、いわき市のOさんが私に「一条の展示場の床の間は、どう見たって変だよ。あれでは床柱がかわいそうだ。」と話していただいたのは、私が、この人に言えば真面目に考えてもらえると思ってもらえたからだと私は考えさせていただいているのです。 その時点で、とことん高く評価していただいていたかどうかはわかりませんが、「こいつに言ってもだめだ」とは思われていなかったはずなのです。 同社に在籍した時、他の展示場の営業が担当の契約客が私のいる展示場に展示場の仕様を見に来場されることが何度もありましたが、そういう際に、「うちは、営業担当が失敗だった」と言われる場合もありました。同じ会社の人間として、そういう際、こちらは、基本的には弁護側なのですが、ある程度以上の契約実績を残しているという人で、お客様のためにはならない営業ではないかという印象を受ける人も中にはありました。そういう営業なら、お施主様は言われなかったかもしれないのです。あいつに言ったってだめだ、言うなら他の人間に言わないと、と思われたか、あきらめられたか。だから、このうえもなくすばらしい対応だったかというと、Oさんに契約していただいた頃は私は在籍年数の短い方でしたし未熟なところもあったかとは思いますが、「契約前に、『こういうことはできますか』ときかれて、『できます』と返事して契約したんだろ。それはいいじゃないか。契約前なんだから。 今は契約してもらったんだから『うちではそれはできません』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが。 それで、『できないというなら解約します』とでも客が言うなら、もう、契約金の100万円は振り込んでもらってるんだから、100万円もらっておけばいいだけのことだろうが。」といった態度をとらないと気がすまない、そういう対応をすることが営業上プラスになるからではなくそういう対応をすることが習癖になっているA野さんのような営業に担当される場合よりは、そんなことは営業として、ビジネスマンとして、商人(あきんど)として、絶対にやってはならない、と認識している私が担当した方がお客様には良かったとこれは自信をもっています。
   その後、栃木県佐野市に転勤した時、佐野市のある見込客の方から、「大阪の人というのは、契約するまでは、自分が買う側の時はねぎるし、売る側の時にはねぎられまいとするんです。 でも、いったん、契約したら、売る側の時に、たとえ、安い値段で契約してしまったと思っても、自分が契約した以上は、なんとしてでもその値段で売ろうとする、その値段でその仕事をやろうとするんです。自分が買う側の時は、自分がいったん契約したなら、たとえ高い値段で契約したと思っても、万難を排してその金額を払おうとするんです。そこが大阪の人はえらいなあと思いますね」と言われた話を[第70回]《大阪人の倫理と日本人の精神―約束したカネを払わない者は嘲笑の対象~営業と会社の話(16)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201110article_2.html で述べました。 もしかして、「契約前に、『こういうことはできますか』ときかれて、『できます』と返事して契約したんだろ。それはいいじゃないか。契約前なんだから。 今は契約してもらったんだから、『うちではそれはできません』と言って適当に建ててしまえばいいじゃないか。 それで、『できないというなら解約します』とでも客が言うなら、もう、契約金の100万円は振り込んでもらってるんだから、100万円もらっておけばいいだけのことだろうが。」というのが、遠州人の考え方なのでしょうか? それが「浜松流」なのでしょうか。 一条工務店の浜松の人間には「浜松流」が全国に通じると決め込んでいる人がいて、非浜松・非遠州の人間にはそれはおかしいと思う人も少なくなかったようで、「浜松流はここにはあわない」と口に出す人もあったようです。実際、その地域によって県民性も違えば、住宅の伝統も違うし気候も違えば生活スタイルも違ったりするので、浜松で良くて他の地域でもいいものももあれば、浜松では良くても他の場所では合わないものもあるはずなのですが、それを言うと、遠州人は怒るのです。但し、遠州人すべてがということではなく、あくまで、「一条工務店の遠州人」ですけれども。 1990年代のなかば、「一条工務店の浜松の人間」は「売れない営業の10箇条」なるものをカネかけてポスターにして全国の営業所に配布して、営業所の壁に貼れと命令してきましたが、その1箇条に「浜松流はここには合わない」という文句が書かれていたのです。 そして、それを見た人間から「これって、『売れない営業の10箇条』じゃなくて、『一条工務店の特徴10箇条』みたいだね」と言われたりしたのです。  「空の広さの一部分は浜松の広さと同じだ、と言うならそれは正しいが、空の広さは浜松の広さと同じだ、と言うなら、それは間違っている」と言うと、怒るのです。遠州人は。浜松の人間は。あくまで、「一条工務店の遠州人」「一条工務店の浜松の人間は」ですが。 「空の広さは浜松の広さと同じだあ」と言わないと怒るのです。だから、私も、この人たちは言ってもだめな人たちなんだと思って、だんだんと言わなくなりました。なにしろ、太陽・月・星といった天体は、すべて、浜松を中心として回転していると心の底から信じている人たちなんですから、「そうではない。地球の方が太陽の周囲を回転しているのであって、浜松はその地球の上の日本の中の一地域なんだ」などと言うと怒るので、怒られるために言ってもしかたがない。 もっとも、根が正直なもんでえ、「それでも、地球は回っている」と100回に1回くらいはやっぱり言いたくなったりもしましたけれども・・・・。
※「それでも地球は動いている」・・・たとえどのような迫害をうけてもそれは真理だというときにいうことば。ドイツの劇作家ベルト・ブレヒトの戯曲によると、ガリレオは地動説をとなえたため捕えられて宗教裁判にかけられた。拷問にかけられ、もし地動説を撤回しなければ死刑に処するぞといわれて、ついに公衆の面前でその誤りであることを誓言したが、そのとき、彼のくちびるはかすかに動いて「それでも地球は動いている」といったという。
(折井英治 編『暮らしの中の 故事名言辞典』1970.4.15.集英社)

    床の間の床柱と長押の位置関係は、高山市の松本家住宅・宮地家住宅・「平田記念館」・「飛騨民族考古館」とも、床柱の方が下から上まで見える施工で、茨城県北部から東北の多くの地域と同じ施工だったのですが、神棚については、宮地家住宅のところで写真を掲載したように、宮地家住宅では、東京や「浜松」と同じように、3尺くらいの板をわたすやり方でした。 これが高山や飛騨地方の一般の神棚なのかどうかは、断定的に言えるところまでは、まだ、十分に見学できたと言えないのですが、宮地家住宅はそうだったのです。 「東北流」の幅が狭くても1間、広い場合は1間半で、押し入れの上の天袋の位置に設けるか、天袋の手前3分の2くらいとその前に出幅の短い棚を設けて、天袋部分とその前の棚の部分を神棚とするという神棚とは異なるようです。
    神棚についても、在来木造の一条工務店で福島県いわき市に赴任した時、一条のカタログに掲載されている3尺幅の桧の集成材の板の神棚を見て、いわき市の契約客から、「こんな神棚、ないよ。 こんな貧弱なの。これでは神様、怒るよ」と言われ、それをきっかけに、福島県や東北の多くの地域では、神棚はもっと大きいものだと認識するようになったのです。 それで、私は、茨城県北部から福島県にかけて建てていただく場合には、神棚はでっかいものだという認識で対処させていただくようになりました。 でも、それだって、一条工務店の浜松の人間に話すのはこわごわなんです。 「浜松でいいものはどこでだっていいに決まってんだ。そんなこともわからんのかあ~あ」と怒り出す人が同社の「一条工務店の土台を築いてきた人たち」と自称している人たちには多い、同社の創業の頃からいる人って、たいていそうなんですから。だから、「浜松流」でない神棚を作らせるのは、できる限り、遠州人には知られないように感知されないようにしてやらないとだめなんです。この場合の「遠州人」とは「一条工務店の遠州人」ですけれども。
    私が 福島県いわき市から栃木県佐野市の展示場に転勤した後、いわき市で契約していただいた方の親戚の方が一条で建てようと計画されたことがありました。そういえば、現場案内をするとき、ついてこられた親戚の方があったので、おそらく、その方ではないかと思うのです。 私がいわきにいれば、お施主様は私に知らせてくださったと思いますが、他の地域に移ってしまっていて、引き継ぎを頼んだ営業まで退職してしまい、さらに他の営業が引き継いだ状態でしたので、それで、誰に言っていいかわからないので、「本社にでも電話してきいたら」と話されたようです。 一条工務店は浜松で創業し、私が入社した時は浜松に本社がありましたが、その後、形式上、本社を東京に移した時期があり、その時、「本社」は東京の木場にありました。 「本社」に電話をされてカタログを欲しいと言われたところ、入居者の親戚だから契約してもらえると思って東京の営業が福島県のいわきまで来たそうです。それで、契約したけれども、神棚は3尺の板の「浜松流」の神棚になってしまったそうです。 東京の営業は福島県ではそういう神棚じゃないということがわからなかったのだろう、と私はその話を聞いた時は思い、私がいわきにおれば、「いわきの神棚」を作ったのになあ・・と残念に思ったのですが、その建主の方は「まあ、いわきではちょっと変だけれども、今風の神棚だと思えばいいかと思ってる」と言われたそうです。 私はその「東京の営業」を知らないのですが、最初は、東京の営業は福島県浜通り地域の神棚がどういうものか知らないから、そういう対応をしてしまったのか、と思ったのですが、私だって、最初にいわきに赴任した時には知らなかったのです。 知らないけれども、担当したお施主様が誰もが、こんな風にしてほしいんですよ、と話され、そして、「このへんではこうなんですよ」と教えてくれたのです。 お施主さんから教えてもらって勉強したのです。だから、「東京の営業」でも、お施主さんにきく姿勢のある人だったら、いわき流の神棚を施工できた可能性は小さくないとも言えるのです。 そして、そのお施主さんは「今風の神棚」と考えることにされたようですし、又、実際問題として、今は東京方式が全国に広がる傾向にはあるのですが、一条工務店の場合は、それは「東京方式」とか「今風」ではなく、「浜松流」なのです。「浜松でいいものはどこでだっていいに決まってるんだ。こんなこともわからんのか」という主張なのです。そういう意識だから、福島県でも「浜松流」の神棚を作るのです。浜松中心主義というのか浜松独善主義とでもいうのか、そういう意識からなんです。 いわき の人が家を建てるとなると、入居者の契約時の営業の私が栃木県におり、工事途中で引き継いだ営業がいわきにいるのに、入居者の親戚だから契約してもらえると思って東京からいわきまで行った「東京の営業」はどんな人間だったのでしょう。単に、いわきの神棚を理解できない人だったのか、それとも、一条工務店の創業の頃からいる人に多い「浜松流」を押し付けないと気がすまないタイプの人間だったのか・・・。

   千葉県市原市で暖炉を施工して建てていただいた方のお宅に、完成後に訪ねたことがありますが、「おかげさまでいい家ができました」と言っていただきました。 実際、いい家ができたと思います。 そう言っていただいたのは、単に挨拶としてではないと思います。 一条工務店の営業本部長から私はそのお施主様の家を体を張って守ったのです。私が体を張って守ったので、それで、希望のようにリビングルームに暖炉のある家ができました。 営業本部長が「契約前に、『こういうことはできますか』ときかれて、『できます』と返事して契約したんだろ。それはいいじゃないか。契約前なんだから。 今は契約してもらったんだから、『うちではそれはできません』と言って適当に建ててしまえばいいじゃないか。 それで、『できないというなら解約します』とでも客が言うなら、もう、契約金の100万円は振り込んでもらってるんだから、100万円もらっておけばいいだけのことだろうが。何、考えてるんだ、おまえはあ」と私に怒鳴りつけたのは会社の事務所内でのことで、お施主さんはそれを聞いていませんが、でも、それでも、自分を担当として契約してくれたお施主さまのためにいい家を完成させて引き渡したい、「契約前に、『こういうことはできますか』ときかれて、『できます』と返事して契約したんだろ。それはいいじゃないか。契約前なんだから。 今は契約してもらったんだから、『うちではそれはできません』と言って適当に建ててしまえばいいじゃないか。 それで、『できないというなら解約します』とでも客が言うなら、もう、契約金の100万円は振り込んでもらってるんだから、100万円もらっておけばいいだけのことだろうが。何、考えてるんだ、おまえはあ」などということは絶対にやってはならないことだと認識している人間だとは理解してもらえていたと思っているのです。 「契約前に、『こういうことはできますか』ときかれて、『できます』と返事して契約したんだろ。それはいいじゃないか。契約前なんだから。 今は契約してもらったんだから、『うちではそれはできません』と言って適当に建ててしまえばいいじゃないか。 それで、『できないというなら解約します』とでも客が言うなら、もう、契約金の100万円は振り込んでもらってるんだから、100万円もらっておけばいいだけのことだろうが。」というそういう行為を、それが営業上プラスになるからではなく習癖としてやらずにおれないという人は、自分では「学校出てないから気さくで人間味があって営業に向いてるんだ」とか思っているかもしれませんが、けっこう、そのあたりをその発言自体は聞かれていなくても、契約客・見込客から人間を見抜かれている場合があるように思います。
   で。 高山の「民家」を見ると、床の間の床柱と長押の位置関係は茨城県北部から東北の多くの地域と同じ床柱の方を下から上まで見せる施工なのですが、神棚は「東北方式」ではなく、「浜松流」の神棚が、宮地家住宅ではついていたのです。一条工務店の3尺幅の神棚というのは、静岡県西部から愛知県・岐阜県にかけての「中部方式」だったのでしょうか。 見学させてもらった宮地家にしても、一般的には貧乏人の家ではなく「中より上」の家ではないかと思うのですが、神棚については東北の家のようなでっかい神棚ではなく、かつ、神棚を軽視しているから「東北方式」のでっかい神棚にしていないというわけではないようなのです。 「もしかして」ですが、高山の町家は、商人・職人の家で、商売上の客が来る家なので、仏壇は家族が祀るように家の奥の位置に配置されているけれども、神棚は来客にも関係あるので、それで、福島県の農家とは違って、手前で長押の上の位置に配置されている、ということでしょうか。

   
   「契約前に、『こういうことはできますか』ときかれて、『できます』と返事して契約したんだろ。それはいいじゃないか。契約前なんだから。 今は契約してもらったんだから、『うちではそれはできません』と言って適当に建ててしまえばいいじゃないか。 それで、『できないというなら解約します』とでも客が言うなら、もう、契約金の100万円は振り込んでもらってるんだから、100万円もらっておけばいいだけのことだろうが。」などと怒鳴りつけられたのを思い出すと、また、気分が悪くなってきたので、気分転換に、建築探偵団の歌を聴こう。
⇒《YouTube- 少年探偵団の歌  初版オリジナルSP盤原音 》https://www.youtube.com/watch?v=PeEkNM06nvw


《E》 「どじ」の内部の井戸。 現在の住宅の サービスヤード。
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   私は、関東地方で、鴇田(ときた)家住宅(千葉県習志野市実籾)、大沢家住宅(千葉県長生郡長生村 にあったが、現在は、習志野市の藤崎森林公園の中にある)、安西家住宅(木更津市草敷 に建てられたが、現在は木更津市の太田山公園の中にある)を見学に行ったことがある。 いずれも、基本的には農家であり、広い土間があるが、そこで農作業、収穫したものの整理などができるようになっていたと思う。
(鴇田家住宅・大沢家住宅・安西家住宅については、田中文男『日本列島民家の旅8 関東の住まい』(1996.11.30.I NAX出版)など参照。)
   それに対して、今回、高山で見学した松本家・宮地家・「平田記念館」・「飛騨民族考古館」(藤井家→坂本家)は、「飛騨民族考古館」は内科医の家だったらしいが、他は、離れた場所に田畑を持っているケースもあるとしても、基本的には商人の家で、この場所で農業の収穫物を整理するということは、あまりないと思われるのだが、しかし、入口から座敷の前を通り、中庭の南側を通って土蔵に至る屋根のある「どじ」の部分があり、それは有効に活用されてきたようだ。
   家屋の内部に土の地面の場所を確保するのは、案外、便利かもしれません。 私が小学生の時に親が建てた家には、「サービスヤード」というものが図面に書かれていて、「サービスヤード」とは何ぞや? その部分はタダで工事やってくれるんかあ~あ? とか思ったものですが、タダでやってくれるなどということはなく、そうではなく、ダイニングキッチンから出て、屋根のある屋内空間なのですが、ガス給湯器や風呂釜(その頃は、給湯器と風呂釜は分かれていた)が配置され、洗濯機を置き、勝手口としても利用する場所で、地面はモルタル塗りで靴を履いて通行する場所だが、居室と一続きの屋根があるというものでした。 隣家に私と一つ違いの男がいて遊びに行ったこともありましたが、隣家には、名称が何かはわかりませんが、我が家より広い「サービスヤード」があって、それは、我が家と同様の機能もあるとともに、靴を履いていったん家を出た外でありながら、屋根と壁があって雨風を防ぎ、かつ居室とは屋根は分かれていて、居室ほど頑丈なつくりにはなっておらず、我が家には外に別に納屋(というほどのものではないが)があったのに対して、隣家は「サービスヤード」の内部に納屋の機能の物入れ、庭の手入れをするためのスコップとか芝刈り機とかを収納したり、野球のグローブをしまったり、自転車とかを置く場所になっていました。 そういう場所は農家でなくてもけっこう有効で、それは、高山の「民家」の「どじ」に通じるものではないかとも思えます。
   ブログの下のテーマ設定を、「民家」にするか「古民家」にするか迷ったのですが、「民家」では最近のハウスメーカーが建てる家も「民家」だし、「古民家」としたのでは住人は他に移って展示専用となっている家もあるけれども、その地域では今も現役で住居として活用されていて今も住んでいる方もあるのに、現役で働いている建物にも住人にも失礼ではないかとも思ったのですが、「古」の意味を「古い」「古くさい」ではなく、「古典」「クラシック」と考えて、「古民家」としてもいいのではないかと考えました。 「サービスヤード」は非農家でもあった「どじ」「どま」の現代版と考えることもできるかと思います。

  次回は、高山シリーズ第2回の(13)飛騨民族考古館4 版画喫茶ばれん、質屋の入口から逃げていく裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html ご覧くださいませ。


☆ 高山シリーズ第2回は、
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)国府町村山天神参拝(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)国府町村山天神参拝(3)浸透桝で雨水処理、赤松は赤い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html

(7)松本家住宅上・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅下・宮地家住宅上https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅下・平田記念館https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)飛騨民族考古館2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)飛騨民族考古館3 今回。
(13)飛騨民族考古館4 版画喫茶ばれん、質屋の入口から逃げていく裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館(矢嶋家土蔵、永田家土蔵)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのか、全体が入れ替わるのか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html

〔(16)~(20)の前提として、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前だけで敬意を表した慶應義塾大学日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はフランクロイド=ライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 3 掃除しにくい細かい桟、マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 4 料理を出せないついたて、店のコンセプトが理解できない建設部長、日露戦争100周年と平気で口にする女性 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」、 人事総務の最低スキル https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html

(21)飛騨総社 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html


☆ 高山シリーズ第1回 は、
上 [第202回]《飛騨天満宮(高山市)‐冤罪を晴らす神・菅原道真・怨念を晴らす旅(12)上、松本家住宅、飛騨の家具館他》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]《飛騨天満宮(高山市)‐冤罪を晴らす神・菅原道真(12)中。「天神」考察。居酒屋はいいかげん。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]《飛騨天満宮(高山市)下‐冤罪を晴らす神・菅原道真(12)。高山市の白山神社。高山市役所。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html 
です。 ぜひ、ご覧くださいませ。 

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