飛騨高山まちの博物館(矢嶋家土蔵、永田家土蔵)。 木造3階建 で筋交いはどう入れるべきだろうか?

[第291回]高山シリーズ第2回(14)
【26】高山の古民家‐8
《8》 飛騨高山まちの博物館(旧・矢嶋家土蔵、旧・永田家土蔵) 高山市上一之町
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≪ 展示室は江戸時代の豪商、矢嶋家と永田家の土蔵を活用しています。
   矢嶋家は、江戸時代初期に近江から移り住み、材木や塩の商いをしながら「町年寄」として江戸時代を通じて商人町を治めていました。
   永田家は屋号を「大坂屋」といい、明治初年には高山一の田地をもち、酒造りなどをしていました。酒蔵は高山で最も大きな蔵の一つです。 ≫(「飛騨高山まちの博物館」でいただいた説明書)
※《高山市 行政情報 飛騨高山まちの博物館》http://www.city.takayama.lg.jp/bunkazai/machihaku/
  《高山市 観光情報 飛騨高山まちの博物館 (高山市観光課)》http://www.hida.jp/cgi-bin/kankou/sigview.cgi?admin=contents_view&id=104420192241&sig=
  飛騨高山まちの博物館(説明書き) http://www.city.takayama.lg.jp/bunkazai/machihaku/documents/japanese.pdf#search='%E9%AB%98%E5%B1%B1+%E6%B0%B8%E7%94%B0%E5%AE%B6+%E7%9F%A2%E5%B6%8B%E5%AE%B6' 

[A]
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↑(左)矢嶋家北蔵。 (右手前)矢嶋家酒蔵。 (右奥)矢嶋家文庫蔵。 (そのさらに奥)矢嶋家塩蔵。
飛騨高山まちの博物館は西道路の立地で、↑の写真は西から入って東を見たものなので、左が北、右が南です。 渡り廊下は博物館として使用するための最近の建造物。
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↑2階 美術展示室 から見た (右)永田家文庫蔵。 (左手前)矢嶋家文庫蔵。 (左奥)矢嶋家酒蔵。
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↑永田家 たんす蔵。
  「蔵」については、高山のほか、栃木県の栃木市で何箇所か見学させてもらったことがあり(たとえば、塚田歴史伝説館 http://www.kuranomachi.jp/spot/kuranomachi/tsukada/  、《栃木市観光協会 美術館・博物館》http://www.kuranomachi.jp/spot/see/museum.php )、小学生の時に、岡山県倉敷市の大原美術館(http://www.ohara.or.jp/201001/jp/index.html )に行った際に付近に白壁の土蔵が並んでいるのを見たことがあり、 福島県浜通りで勤務した際に、お施主様の家やその付近の家の蔵を外から見せてもらったこともあるのですが、それらの「蔵」を見て、「蔵」というものの外壁は白壁だったり、もしくは慶應義塾大学三田キャンパス内にある演説館↓みたいな「なまこ壁」か
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ともかく、土・石系の外壁、「不燃材」の外壁のものだと思ってきたのです。 この永田家たんす蔵、及び、その北隣りにある永田家炭蔵は、1階部分に木が外壁として貼られています。
  永田家文庫蔵、矢嶋家文庫蔵でも、1階の外壁に木が貼られていますが、飛騨高山まちの博物館の場合、これまで見てきた松本家住宅・宮地家住宅・平田記念館(平田家・「打保屋」)・飛騨高山民族考古館(藤井家→坂本家)、そして日下部民藝館(日下部家住宅)・吉島家住宅と違って、永田家・矢嶋家の蔵を利用しているとはいえ、博物館として展示するためにかなりの改装がされているので、改装もおしゃれなものもあるのですが、もとからのものか改装されてそうなったのか判別が難しいものもあります。 永田家文庫蔵・矢嶋家文庫蔵の1階外壁はどうだったのか、もとからのものにしては新しそうにも思えたのですが、もとからのものが痛んだのでかつてのものを尊重して復元したという可能性もありえます。 永田家たんす蔵 と 永田家炭蔵 の場合、もとからのものかという印象を受けます。

[B]  高山の「民家」においては、日下部民藝館(日下部家)・吉島家住宅・松本家住宅・宮地家住宅では写真は撮影させてもらってもかまいませんかと尋ねたところ、かまわないと返事をいただき、飛騨民族考古館では建物の写真は撮影してもらっていいが展示物の写真は撮影しないでもらいたいと言われたので、この飛騨高山まちの博物館も、同じように、展示物の写真の撮影は不可だが建物の写真の撮影は可だろうと思いこんで、建物の写真は内部も何枚か撮らせてもらったのですが、順路の最後の方の永田家酒蔵だったかで「写真撮影はお断り」だったか書いてあったので、もっと早く言ってよお~お・・という気になりましたが、趣旨としては「展示物の写真撮影はお断りします」ということではないかと思うのですが、それを見てから以後は建物の内部は建物の写真も撮るのは控えました。 永田家酒蔵の架工はものすごいものだったので撮りたかったのですが、それはあきらめました。 見たい方は、現地に行って見てください。
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↑ もう撮っちゃったも~ん♪ という、なんか、やったもん勝ち みたいな主張をするつもりはありませんが、写真撮影お断り というのは、内部の展示物についての写真撮影はお断りという趣旨であって、建築探偵団が建築の写真を撮るのを拒否しようという趣旨ではないと思うのだ。飛騨高山まちの博物館でいただいた「飛騨高山まちの博物館」の説明書きに出ている「!ご注意ください」というところには、「敷地内は禁煙です」「展示室での飲食はご遠慮ください」とともに「展示物のカメラ撮影はご遠慮ください」と出ているので、建物の写真撮影をだめという趣旨ではないと理解して、公開させていただきます。
   何年か前、ポリテクセンター千葉の建築CAD科に半年、通わせてもらったことがあり、「学校」というわけではないけれども「学校のようなもの」として「母校」のような愛着をもったのですが、その後、通信課程の大学の建築学科で、「自分がよく知っている公共建築物の写真を撮影した上、その建物の良いと思うところと良くないと思うところを述べよ」という課題があったので、ポリテクセンター千葉に行って、半年通ったところなので、勝手知った場所で、どこに入口があってどこに階段があるかくらいきかなくてもわかっているし、雇用能力開発機構がなくなる・・という話がニュースに出たが実際にはどうなったかというと「高齢・障害・求職者支援機構」と名称が変わって今も存在するわけで、なんや名前変えただけやんけ!てところだが、いずれにせよ「国営」ではないとしても事実上国営みたいなものだし、外観、及び、廊下や階段の写真を撮ってだめなんて言われることなどありえないと思ったのだが、元受講生で勝手知った場所とはいえきっちりとお話しておいた方が好ましいと思って、「受付」で、私はここの建築CAD科で履修させていただいた者なのですが、大学の建築学科の課題で・・・というものがあり、ここの写真を撮影させていただきたいのですが、かまいませんでしょうか、とお願いしたところ、受付の女性が「いったい、どういうものなのでしょうか」と言い、説明してもどうも話が通じないみたいで、そのうち、「ちょっと待ってください」と言って「上司」らしい男性を連れてきたのだが、その男性がまたなんとも頼りない感じで、「いったいどこに発表するんですか!」と言い、「だから、大学の先生にレポートとして提出するんです」と言っても、「どうしてですか」と言い、「どうして」というほどのものではないと思うのだが、再度、一通り説明すると、「やめてください。 どうして撮影しなければならないんですか」とか言い出し、いったい、何なんだろうなあ、この人は・・・と驚いたことがあった。 結局、「教室の中は撮らないでください」「受講生の写真は絶対に撮らないでください」ということで認めたもらえたのだが、廊下から階段付近の写真を撮らせてもらっていると、かつてお世話になった先生と会って、こういうことでと話をすると「別に、いいんじゃないのお~。撮ったってえ」て感じで、実際、たいていの人間の感覚はそうだったのではないかと思うのですが、あの受付のおっさんはいったい何を恐れていたのだろう・・・と不思議に思ったことがあった。 おそらく、だが、ポリテクセンター千葉の建物には、いわゆる「バブル」の時期に建てられた「千葉県では一番の設計事務所」が設計した建物も中にあり、「設計事務所」とかいうところの「建築家」を勝手に名のっている、「建築家」と名のれば評価してもらえるだろ~みたいなおっさんの設計の建物もあるわけです。そういう自称「建築家」とかいうおっさん設計の建物というのは、機能上、必要でもない装飾とかついていたり、わざとへんてこりんにしたりした部分とかもあるわけです。そういう部分の写真を撮られて、「雇用能力開発機構が、こ~んな贅沢やってる~」と発表されたらやだ~あ・・・・と、びくびくびくびくびくびくびくびくしておったのではないかと思うのです。 あほくさい! 役所、及び、役所に準ずるところの人間てこんなのかいな、と思ってばかばかしくなった。 その結果、そんな対応でなければ、大学のレポートに書いて提出しておしまい、だったのが、こんなところに書いちゃった。 あ~あ。もう書いちゃったもん♪  でも、役所、及び、「役所に準ずる所」のおっさんて、あんなのなんだなあ~あ・・・とあきれた。
  飛騨高山まちの博物館も高山市という行政がやっているので、「役所・役人の特徴」として「やめてください」とか言い出しかねないか? とも思ったが、そんなこと言うなら作るなよ、作ったからには話題にしてもらった方がいいのと違うんかい? てところで、発表させてもらおう。
  私は、道を歩いていて、在来木造やツーバイフォーの戸建住宅の建築現場があると、どこの建物であれ、のぞいて、時として写真を撮らせてもらって学習してきたのだが、千葉県東金市日吉台にて、ある在来木造の建築現場を見ると、「ひっでえ~え!」というものだったので、これも私のコレクションに入れてこましたろ、と思って全景とともに、ひでえ場所も撮らせてもらっていたところ、大四、もしくは、大五(「大工」というのは、単なる「労務者」・「肉体労働者」「人夫」ではなく、建物を作る「職人」であり技術と知識と良識のある人間のはずで、無茶苦茶な建物を平気で作って何とも思わないようなアホを「大工」とは言わない。 そんな奴はせいぜい「大四」か「大五」であろう。)が、「何、やってんですか」と言ってきたので、「見せてもらってるんです」と言うと、「写真まで撮ってるじゃないですか。」と怒ってきたので、それで、その時、別に、写真を撮ったからといっても、あくまで、自分の学習用であって、特にどこかに発表する予定もなかったし、また、建物の周囲にその会社の会社名を書いたのぼりが立っていたが、全景の写真においてはそののぼりが写っている写真とのぼりがはいらないように撮った写真があり、もしも、どこかに発表するのなら、のぼりがはいっていない会社名がわかるものは写っていない写真を発表するつもりでいたが、大四・大五が、というか不良大工が生意気な口をきいてきたので、「武士のなさけ」として会社名は出さないつもりでいたが、発表する際にはきっちりと会社名を述べて発表してやろうと考えを変えた。 いずれ、きっちりと写真付きで公表してやろうと思う。 もともと、安物会社だか安物の建物のレベルにも達していない欠陥住宅である。

(1) 土蔵の梁を1本の柱で受けている。
《松本家住宅・宮地家住宅。仏壇・神棚への配慮。がさつな人間は「営業できる」か―高山シリーズ第2回(8)》 で、松本家住宅の蔵で、中心の太い梁を3本の柱で受けている写真を公開しました。 又、《宮地家住宅 下、飛騨民族考古館、平田記念館 高山シリーズ第2回(9)》で「平田記念館」(平田家・「打保屋」)の蔵で、中心の太い梁を3本の柱で受けている写真を公開しました。 松本家住宅・平田記念館の蔵などを見て、蔵の梁というのは柱3本で受けるもの、もしくは、それが一般的なのだろうか? と思ったのですが、この↑飛騨高山まちの博物館の、たしか、これは矢嶋家文庫蔵だったと思うのですが、柱1本で受けています。

(2) 筋交い(すじかい) と 筋交いプレート が入っている。
   ところで。 筋交い(すじかい)が入っていて、なんだか、なつかしい金属製の「筋交いプレート」が取り付けられているのですが、矢嶋家の蔵、永田家の蔵というものがいつの時代に建てられたものかは、正確にいつと出ているものを見つけることができないのですが、2000年を過ぎてからとか「平成」の元号になってからとかでないのは確かだと思うのです。  木構造の研究者・杉山英男先生の本を読むと、「戦前型木造」と「戦後型木造」は構造が違い、一番違うのは、「戦前型木造」は「貫(ぬき)式」の木造、「大黒柱式」の木造であるのに対し、「戦後型木造」は「筋交い式」の木造である点で、「戦後、強くなったものとして、『女性と靴下』と言われますが、それにもうひとつ、木造住宅をあげる必要があります」と静岡放送だったかの番組で杉山先生が話しておられたのを一条工務店のビデオで何度も見た。 「木造」というとすべて構造が同じであるわけではなく、「筋交い(すじかい)」というつっかいぼうを入れて、地震や風に対抗する作りは、一般に戦後のものだったはずなのです。 要するに、飛騨高山まちの博物館の展示室として使用している建物は、もともとは矢嶋家の蔵、永田家の蔵であった建物であるけれども、そのまんまではなく、内装で手を加えている部分もあるし、構造でも補強している部分があり、この「筋交い(すじかい)」と「筋交いプレート」も博物館として公開する際に手を加えて補強したものでしょう。 そういえば、たしか、エレベーターもあったような気がしたが、それは1階が研修室で2階が特別展示室の建物と、1階が資料展示室で2階が美術展示室の建物で、いずれも、矢嶋家・永田家の蔵だった建物ではなく、新しく建てた建物のようでした。
   柱・梁、柱・土台の内側に入れる圧縮の力が加わった時に対抗力を発揮する「圧縮筋交い」の場合、接合部が弱いと引っ張りの力が加わった時にはずれてしまうおそれがある。 はずれてしまえば、次に圧縮の力が加わった時にも役に立たなくなる。これが面材ではなく線でできている筋交いの問題点であるが、引っ張りの力が加わった時にはずれないようにするためのものが「筋交いプレート」である。 「筋交いプレート」には、ボックス型(箱型)のものとプレート型のもの(ぺったんこのもの)があり、1990年代の初め、私が一条工務店に入社した頃は、住友林業ではプレート型のものを使い、一条工務店では箱型のものを使っていたのですが、どちらがいいのだろうと思って何人かにきいたりもしたのですが、自分の勤めている会社で使っているものについてチョーチン発言する者はいても、きっちりとした論理のもとに説明できる人はなかった。 最近では、住友林業もボックス型の筋交いプレートを使っているようだが、ひとつには、ボックス型のものの方が、外側に縦胴縁を取り付けたりサイディングを取り付けたりする際にやりやすいから、ということもあるのではないかと思います。 ここでは、ボックス型(箱型)の筋交いプレートはつけようがないので、プレート型(ぺったんこのもの)が取り付けられたのでしょう。新築の木造住宅では筋交いプレートは一般に外側に付けますが、すでに建っている蔵の補強には外側に付けることができないので、それで、内側に取り付けたということかと思います。 しかし、柱を一部分削ってとりつけていますが、むしろ、筋交いの厚みを柱に合わせて筋交いと柱の表面が同じになるようにした上で、柱を削らずに、筋交いと既存の柱の表面にかけてプレート型の筋交いプレートをとりつけるか、もしくは、筋交いの厚みをボックス型の筋交いプレートが入るくらいのものに抑えてボックス型の筋交いプレートをとりつけるか、さもなくば、筋交いの厚みはそのままでも、筋交いの取り付ける位置を蔵の壁に合わせる(くっつける)のではなく柱の表面に合わせて施工して、均一になった筋交いと柱の表面にかけてプレート型(ぺったんこの)筋交いプレートを取り付ける というようにした方が良かった、ということはないか、と考えたのです。 しかし、↓
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↑ 柱の太さは均一ではなく、細い方の柱(細い方といっても現在、新築される住宅の柱などより細いわけではありませんが)に合わせると、こうなるのであり、こちらは柱をけずらなくても、柱の表面と筋交いの表面が同じになり、プレート型の筋交い金物がぴったり貼りついています。

   [第231回]《住宅建築業界 職歴詐称を見破る方法(2)筋交いの向きがわからない者・自分の工事現場を見に行かない者》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_13.html で、千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング有限会社の千葉県市原市の建築現場で、柱・梁、柱・土台の隅の部分にボックス型の筋交いプレートが取り付けられている箇所と柱にのみ取り付けられる「2面施工タイプ」が取り付けられている箇所とが混じっている写真を掲載しました。
※「筋交い金物」については、たとえば、
《カナイ 筋交い金物》http://www.kana-e.co.jp/contents/hp0022/list.php?CNo=22
《株式会社タナカ 筋交い接合金物》https://www.tanakanet.jp/contents/product/sujikai/sujikaict.html
《卸値通販のホームメーキング 2面施工タイプ》http://www.homemaking.jp/default.php?cPath=1152_150_2564
参照。
   筋交いは、1階では柱・梁の交差する部分から柱・土台が交差する部分にかけて、2階以上では柱・梁の交差する部分から柱・梁の交差する部分にかけて入れ、力は圧縮だけでなく引っ張りの力も柱・梁、柱・土台が接合する部分にかかりますから、筋交い金物も柱・梁、柱・土台の接合部に入れた方がいいはずなのです。理屈から言えば。 一条工務店はボックス型の筋交いを接合部に入れており、住友林業はかつてはプレート型のもの、最近はボックス型のものを接合部に入れていますが、アイダ設計では筋交いと柱のみ接合して筋交いと梁・筋交いと土台との間は接合しない「2面施工タイプ」の筋交い金物を使っているようです。 筋交い金物のメーカーは筋交いと柱にのみ取り付ける「2面施工タイプ」でも強度は確保できるように言っているらしいのです。 
   たとえ、筋交いと梁・土台を接合せず、筋交いと柱のみを接合する「2面施工タイプ」でも強度を確保できるとしても、理屈からいけば筋交いと土台・柱、筋交いと梁・柱を接合するボックス型の方が引っ張りの力に対してより対抗力を発揮できるはずですし、ボックス型であれば、柱と土台、柱と梁の間の接合にも役立ち、地震の縦揺れの際など役立つと考えられますが、柱と筋交いだけを接合する「2面施工タイプ」では柱と土台、柱と梁の接合はありません。 それなら、なぜ、アイダ設計は「2面施工タイプ」を使っているのか、金物メーカーはなぜ「2面施工タイプ」の商品を販売しているのか、というと、おそらく、「2面施工タイプ」の方が床を貼ったり天井を貼ったりする際にやりやすいのでしょう。 だから、アイダ設計が「2面施工タイプ」を使っているのは、手間を省けるものはとことん省く、安いものでも使えるものはとことん安いものにするという同社の工夫により美川憲一かなんかがテレビコマーシャルで言ってるような低価格商品を実現したのであり、手間暇かけてもとことんいいものを作るというなら、おそらく、筋交いプレートはボックス型の方が「2面施工タイプ」よりも好ましいのだと思いますが、「2面施工タイプ」でも欠陥品というわけではなく、最低限以上の強度は確保できると金物メーカーが言っているなら手間のかからない方を使おうというものでしょう。「カローラにクラウンと同じ機能を期待しても無理だがカローラでも最低限の安全性は確保する」という理屈、もしくは「エアバックはついていませんがブレーキはききますよお」という理屈(?)からということでしょうか。(アイダ設計の建物は高級品ではないがそれらの点でよく工夫がされていますが、営業の質が相当に低く経営者もその程度なので同社で建ててはいい家はできないと思います。)  よくわからないのは、千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジングの市原市の工事現場ではボックス型のものと「2面施工タイプ」がまじって使われていたことで、これは、大工まかせにした結果、「他の現場で余ったやつを使った」ということかな? とも思えますが、よくわからないことをやっています。


(3) 3階建ての筋交い(すじかい)の入れ方について。
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   ここでは「2面施工タイプ」の筋交い金物を柱と筋交いではなく筋交いと筋交いの間に取り付けていますが、こういう取り付け方をした金物は、はたして、地震や風で力が加わった時、役に立つのでしょうか。このつけ方については私は疑問に思いますが、どうでしょう。

   「おかぐら」の増築というのは、昔から評価が低く、やりたくないという業者も少なくなかった。 「おかぐら」とは何かというと、すでに平屋の建物が建っているところの上に2階を作る増築のことです。 どういう問題があるかというと、(1)先にある平屋と増築した2階との境目付近で雨漏れなど発生しやすい。 (2)1階部分の強度が2階建てを建てると前提したものではない場合が多く、2階を上に乗せた時に強度的に無理があることがある。 ということがあるのですが、もうひとつ、(3)筋交いの向きをどうするのかという問題がある、という点があります。平屋建ての筋交いの向き と 2階建ての1階部分の筋交いの向き は、向きが逆なのです。↓
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↑ [第231回]《住宅建築業界 職歴詐称を見破る方法(2)筋交いの向きがわからない者・自分の工事現場を見に行かない者》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_13.html でも指摘しましたが、もしも、2階建てで2階部分の筋交いを逆向きに入れてしまうと、その2階部分の筋交いは通し柱を中央部でへし折るように力を加えることになってしまうのです。
   そして、在来木造(軸組み構法の木造)での3階建ての問題点として、筋交いの向きをどうするのかという問題があります。 ↑の写真は2階で撮影した写真で、その上は内部は公開されていませんが3階になります。
   軸組工法の木造で3階建てを建てる場合、通し柱は1階と2階の通し柱、2階と3階の通し柱と交互に入れるか、1階と2階で通し柱を入れて2階と3階の通し柱は無しとするか、いずれかにするとして、筋交いの向きが問題です。↓
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↑ この図のように、1階(最下階)と3階(最上階)を2階建ての1階と2階の入れ方に準じて入れて、その入れ方で入れた筋交いの力が土台・基礎まで伝わるように2階は入れるとするのが妥当でしょうか。 しかし、そうなると、地震で揺れた時には、その力は建物の重心に加わって、重心(重さの中心)が剛心(剛さ、強さの中心)の周囲を回転する方向で働くはずで、それに対抗する耐力壁は建物の剛心から遠い位置、即ち、建物の四隅の位置、もしくは四隅の位置に近い位置に入れた方が効果はあるはずなのですが、2階部分にはコーナー(建物の隅)の部分に筋交いがないことになります。
  ↑の図のように筋交いを入れて、2階にはさらに3階と同じように3階と同じ向きに入れればいいということでしょうか。さて、どうしたものでしょう。
(このあたりを、実際には、多くの木造建築業者は、ここまで考えずに施工してしまっていると思いますし、ここまで考えずに作っていると思われる建築現場を私は見ています。)
   1992年に私が在来木造の一条工務店に入社した頃、一条工務店では木造3階建ての耐震実物実験を浜松の本社の敷地内でおこない耐震性が確認されたとして耐震実験カタログを作成しアピールしていました。 もっとも、浜松のような地方都市では東京圏・関西圏などより建築地が広い場合が多く、3階建てを建てる人は浜松駅の近くとかであることはありましたが、そう多くはなかったはずで、3階建ての耐震実験もやったんですよお~お、とアピールするのに役立っているという面が強かったと思います。 浜松のような地方都市では、「家は(在来)木造で建てるもの」という認識が強い地域が多いのに対し、東京圏・関西圏などの都市部ではそうではなく、1990年代前半においては、ツーバイフォー工法で総3階、小堀住研(→エスバイエル→ヤマダ エスバイエル ホーム)などの木質パネル構法で小屋裏3階建(2階建ての屋根の勾配を急にして小屋裏部分に部屋を作る。 3階は2階面積の半分まで可能。)が認可されてけっこう建てられており、ツーバイフォー工法と木質パネル構法の3階建ては大丈夫だという認識が広まっていたものの、在来木造の3階建ては不安視されており、あっても木造の3階建ては「無茶苦茶建てたもの」のように見られていました。 1993年に松戸展示場に来場された方で松戸市内の2階建ての家を3階建てに建て替えたいという計画の方がありましたが、本命はツーバイフォー工法の大成パルウッド、対抗馬としてやはりツーバイフォー工法の三井ホーム、それにツーバイフォー工法の三和ホームを考えておられました。(三和ホームは、三井ホームが三井物産・三井不動産などの三井の系列であるのと同じく、三和銀行の系列か?と思いがちな名称ですが、社長が茨城県三和町の出身だから三和ホームと名付けたもので三和銀行(→UFJ銀行→三菱東京UFJ銀行)とは関係ないらしい・・が、三和銀行の系列と誤解されて損はないのでその名称にしていたのでしょう。小堀住研は創業者の社長が小堀林衛という名前だったので小堀住研だが小堀遠州と関係があるのかと客の方で勝手に誤解してくれる高級感のある名前だったがエスバイエルに変えてしまったのは2代目の社長の中島昭午が会社名から「小堀」の名前を取り除きたかったのではないか?と言われたりもしたが、どうかわからない。千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング有限会社は、社長の名前と嫁はんの名前から1字ずつとって「新華」としただけで中国の新華社とは何の関係もないにもかかわらず、中国人を相手として商売をするなら、新華社と関係があるのかと勝手に誤解されて信頼を得やすい名称であるが、日本人を相手に住宅を中心とする建設業を営むなら、「日本人が日本で建てるのにわざわざ中国人の会社に頼むこともない」と思われてマイナスになる可能性が考えられる名称でしたが、そのあたりを考える頭は社長になかったようです。日本ハムはかつては徳島ハムと言っていたが、全国企業としてやっていくために、日本ハムと名称を変え、関西では老舗の証券会社であった大阪屋証券は大阪屋という名前では東京では商売をしにくいことからコスモ証券と名称を変えた。コスモ証券は理由はよくわからないが不振になっていったが、いずれも、全国展開するのにやりやすい名称にしたらしい。 さくら銀行と住友銀行が合併した際に「三井住友銀行」という名称にしようと主張したのは住友の人間だと何かの雑誌で読んだ。 東日本で商売をするにおいて、及び、三井系の相手と商売をするにおいて、「住友銀行」よりも「さくら住友銀行」よりも「三井住友銀行」の方がやりやすいという判断があると思う。経営者はそのあたりを考えるべきだが、考える能力のある人もあればない人もある。) 一条工務店の営業として、大成パルウッドを中心にツーバイフォー工法で検討している方に、なんとかそこに食い込みたいと考えたのですが、浜松の人は「木造がいいに決まってる」「一条がいいに決まってる」と思っているようで、また、そう言ったのですが、東京圏では、「2階建てなら木造で考えてもいいけれども、3階建てだからね」という認識が強く、そして、その方もはっきりとそう言われたし、そういう認識だから本命:大成パルウッド、対抗馬:三井ホームで検討されていたのです。大成建設とは仕事上でなんらかの関わりがあった方という可能性もあったかもしれません。 一条工務店の浜松の人間は、「木造がいいに決まってる」「一条がいいに決まってる」と全国どこでも誰もが思っているに決まってると思っていたようですが、東京圏ではそんなこと思っている人間は浜松出身の人とかは別としてほとんどいませんし、特に、3階建ての場合はツーバイフォー工法・木質パネル構法は悪くないだろうと見られていても、在来木造の3階建ては危ないかもしれないという見方をされていたのです。 その方のお宅へ訪問して展示場に戻った時に、営業本部長で松戸の店長を兼任していたA野T夫が、どうだったときくので、「『2階建てなら木造でもいいけれども、3階建てだからツーバイフォーで』というのがあって、なかなか厳しいですね」と言うと、「なんで、3階建ならツーバイフォーなんだ。3階建てでも木造がいいだろうが」と言って、説明しても東京圏の住人の感覚を理解せず、浜松の人の感覚というのはそういうものなんだなあと説明するのに疲れたことがありました。実際のところ、「家たてるなら(在来)木造がいいに決まってる」「ムクの木がいいに決まってる」「3階建てでも(在来)木造がいいに決まってる」「一条がいいに決まってる」と全国どこの住人でも思っているに決まってると思っていて、見込客がそう思っていないなら担当営業が悪いに決まってる、と信じているというのは、遠州人の特徴、東京駅から狛江市の信用金庫まで行くのに東京駅からタクシーに乗る人、東京駅から大手町駅まで行くのにタクシーに乗る人の発想、「渋谷て、平井の東の方だらあ」「品川って、小岩の北のあたりだらあ」と口にする人の発想で、そういう人に説明するのは、実際のところ、疲れる。
(「東京駅から狛江の信用金庫まで行くなら、やっぱり東京駅からタクシーに乗るのが一番ですよね」とか「渋谷って平井の東の方だらあ」とか、「アタマが浜松」なことばっかり言われて、24時間闘うのはしんどい!
⇒《YouTube―CM:リゲイン/すみれ 》https://www.youtube.com/watch?v=b_7XvWj2np4

   最近では、一条工務店も東京圏でも相当浸透してきて、「そんな工務店なんて見たことも聞いたこともないわ」とか言われた私が東京圏で仕事をしていた頃とはまったく状況は違うようになり、又、東京圏で木造の3階建てを建てる会社も多くなり、「2階建てなら(在来)木造でもいいが3階建てだから(ツーバイフォーの方がいい)」という認識の人は少なくなってきました。
   しかし、↑の絵というのか図というのかを見てください。 ツーバイフォー工法や木質パネル構法の耐力壁は合板(であったり、OSB〔オリエンテッド ストランド ボード〕だったり)で、方向性がないので、3階建てにしても、耐力壁をどちらの向きで入れるかという点にそれほど悩まなくてもいいのですが、在来木造で筋交いを耐力壁とする場合は、その向きをどうするのか、という問題が出てくるはずなのです。それを多くの在来木造の会社はたいして考えずに建ててしまっていると思うのです。
   在来木造で耐力壁に筋交いを使用せず、合板・OSBなどを使用して悪いことはないので、その方法もあります。アイダ設計は在来木造で耐力壁に筋交いのような線のものを使わず、面材を使用する商品を持っていたはずで、そのあたり、商品開発力は悪くないと思うのですが、質の悪い営業にはそれを生かすことはできないでしょう。

   この飛騨高山まちの博物館の 蔵 の耐震補強の筋交いは、後から入れたものだと思いますが、2階と3階の間で筋交いの端部が外側にとりついています。これを入れた人、このあたりを考えて入れたか考えずに入れたか・・・・。 

   日下部家・吉島家・松本家・宮地家・平田記念館・飛騨民族考古館(藤井家→坂本家)の住宅の場合、主屋が道路よりにあって奥に蔵があったのですが、飛騨高山まちの博物館では、矢嶋家・永田家の蔵のみがあります。 蔵だけ住居と別の場所にあったということもありうるのでしょうか。 主屋は道路よりにかつてあったが、それを取り壊してその部分に、受付・管理室・資料閲覧室・研修室・特別展示室などに使用されている新しい建物を建てたということでしょうか。
   (2014.9.17.)

   次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html 、東西反転プランでは玄関だけ移動するのか、など考察します。

☆ 高山シリーズ第2回は、
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同(3)浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html

(7)松本家住宅・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅・宮地家住宅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅・平田記念館https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html

(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html

(14)飛騨高山まちの博物館 今回。

(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html

〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html

(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html

☆ 高山シリーズ第1回 は、
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html 
ご覧くださいませ。

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