図書館の建築。 槇文彦「慶應義塾大学 日吉(新)図書館」を考える。 私が好きだった入新井図書館。他。
[第293回]
私はかつて図書館が好きだった。 図書館で何を借りるかというよりも、図書館という場所が好きだった。前川國男が設計したという神奈川県立図書館に行ったこともあり、その時は、誰が設計したかなど知らなかったし、自分が建築関係の仕事につくとは思っていなかったし、前川國男という人の名前も知らなかったが、図書館らしい落ち着いた建物だという印象だった。
他に、これはなかなかと思ったのが、東京都立日比谷図書館とJR京浜東北線の大森駅の近くの大田区立入新井図書館で、どこを「なかなか」と思ったかというと、閲覧室・自習室の窓に障子が入っていたのだ。自然光を取り入れられるものなら取り入れればいいはずだが、自然光は直射日光では読書・学習には光が強すぎる。 そこで、和室でもない畳の部屋でもないのだが、靴履きで利用する図書館の閲覧室・自習室の窓に障子を入れて、光を柔らかくしていたのだ。これは、なかなかの工夫だとその時、感心したのを覚えている。その後、小堀住研に入社した1年目、私が担当のお客様の図面打ち合わせの際、書斎の窓について、同行した課長が、障子を窓に入れる方法を提案し、和室でない部屋に障子というのはありうるでしょうかというお施主様の質問に、悪くないと思いますと答え、実行したということがあった。
それに対して、「なんじゃこりぁ」と否定的な印象を受けたのが慶應義塾大学日吉キャンパスの日吉新図書館である。↓

1985年に新築されたもので、「東京大学の建築学科を卒業されて慶應義塾大学で教えておられる槇文彦先生が設計された」というものだったが、あまりいいとは思わなかった。 どこがいいと思わなかったかというと、
(1)図書館として特に必要でもない装飾にばかりこっている。
(2)内部の柱で、緑色が遠くの柱から手前の柱にかけて、少しずつ濃さが変わってくるというものがあったが、図書館を利用する者にとっては関係のないこと。
(3)「コンクリートの白木造り」といって、コンクリートを露出させるのを「槇文彦先生は得意とされている」そうだが、それも利用者には関係のないこと。
(4)それまで、日吉に図書館がなかったのではなく、藤山記念図書館というものがあったのだ。
↑ 藤山記念館(旧・藤山記念図書館)
なぜ、新しいものを作るかというと、
(ア)蔵書をすべて書架に載せることができず、見たい書物を館員に頼んで出してもらわないといけないものがけっこうあったが、すべての書物を書架に入れて、いちいち館員に出してもらわなくても、すべての書物を学生が手に取って見ることができるようにしたい。
(イ)学生が読書や自習をするのに、座席が不足しないで、いつでも座れるように座席数を確保したい。
ということからだったはずだが、実際に、新図書館ができると、
(ア)やっぱり、館員にお願いして出してもらわないと見れない書物が相当ある。
(イ)新図書館ができても、自習に利用しようとした時、座席がなくて困ることがしばしばある。
という状態だった。
(5)かつ、大学図書館は何をするところかというと、読書や学習をするところのはずだが、「コンクリートの白木づくり」とか、徐々に緑の色の濃淡が変化する柱とか、そういうものにばかり頭を使って、座席に座ってみると、自習や読書をするのに、机面が暗い。肝心の所に配慮がない。
(6)何より、許しがたいと思ったのが、トイレの壁。 落書きができないようにつるつるの素材で作られていた。 大学の教室の机、教室の壁、トイレの壁の落書きは、青春もの、政治もの、猥褻もの、いずれにしても、くだらないだけのものもあるが、なかなかの名作があったりして、見ていて面白かったりもする。
1980年に早稲田大学の商学部で入試に「不正」があった時、慶應の日吉の第4校舎のトイレの壁に、
「なぜ、あそこだけ不正があったのだろう―外部生。
なぜ、あそこだけ、ばれたのだろう―内部生。」
と書かれた落書きがあった。 たしかに、大学入試というものは厳正におこなわれねばならぬという前提で入試を経てきた大学から入ってきた者に対し、そんなもの、どこでても多かれ少なかれあるわ・・という感覚を内部進学の人間は持っている人が多かったのではないか。
第◇校舎だったか、サークルの部室に使われていた棟の廊下の壁には、「中村勝範 死ね!」というものもあった。 中村勝範というのは、政治学科の悪名高い右翼教授の名前である。 「死ね」はいかんと言う人もあるかもしれないが、同教授の「政治学」の課題というのは、同教授の「著書」である『正論自由―赤い国の人々のうめき声を聞け』かなんかそういうサンケイ出版かなんか右翼系出版社から出ているやつを読んで、それを何百字に要約せよ、要約するのみで、批判や反対意見はひとことでも述べてはならない、というものだった。慶應の政治学科は、「リベラル」な教授と右翼教授の両方がおられるようで、同教授が右翼教授として有名な人間だと知らずに一般教養の「政治学」で履修して、しまったと後悔する学生は少なくないようだった。私は履修しなくて助かったのだが、大学生協の書籍部にその右翼本が平積みにされているのを見ながら、「なんで、俺たち、こんなもの読まされなきゃならないんだよお」とぼやいている学生がいたのを見たことがある。政治学の古典と言われるような書物、たとえば、ホッブスの『リヴァイアサン』だとかジャン=ジャック=ルソーの『社会契約論』とかそういったものを読んで要約せよ、要約が課題であり、批判や意見は述べない、というレポートは悪くはないと思うが、自分の時事問題についてのねとねとした主張の本を買わせて読ませたなら、それについての批判・反対意見も認めなければならない。自分の意見だけ一方的に無理矢理読ませて、それに対しての批判や反対意見は一切述べてはならないとは、それは、身勝手であり、民主主義を否定する態度である。自分の主張を聞けと言うなら、それに対しての批判、反対意見を述べることも認めなければ、それは学問でもなんでもないことになる。単なる横暴である。そもそも、こんな本、「政治学」でも一般教養でもない。「死ね」は過激かもしれないが、そう言いたい人間の気持はわかる。あのレポート課題は卑怯である。 あんな「政治学」履修しなくてよかった。
いずれにせよ、だ。 落書きである以上、積極的に肯定するものではないだろうけれども、青春もの、政治もの、猥褻もの、いずれにせよ、なかなかの名作があって、そういったものを完全に否定した方がいいのか、大学の教室の机、壁、トイレの壁の落書きを完全に否定した方がいい大学になるかというと、そうではないと思うのだ。 そういった場所での発言を完全に封じるのが大学という所において好ましいと言えるのか、というとそうでもないような気がしたのだ。そういったものを完全に封じるのは、言論弾圧の流れに加担することになるのではないのか、民主主義を否定する動きに加担することにならないか。 しかし、そうはいっても、やっぱり、落書きである以上、良いとも言えないのではないのか、という面もあるかもしれないが、たとえ、良いとは言えないとしても、書こうとしてもかけない素材のものを壁に使用することで書けなくする、というのは、それは最低だと思うのだ。 そんなことで落書きをなくすなら、どんな無茶苦茶なものでも書かれまくった方がよっぽいいと思うのだ。 槇文彦という方はどんなにおえらい方か知らんが、このあたりの認識は最低のカスだ、と思ったのだ。 もしかして、教授の悪口書かれるのが嫌だから、あんな素材の壁にしたのだろうか。もし、そうだとしたら、ちっぽけな発想である。
それから何十年かして、他の大学の建築学科の学生となり、日本の建築家の作品について述べよという課題があって、槇文彦の日吉新図書館について述べてやろうと思い、日吉に行って、見学をお願いしたところ、快く見せていただいたのだが、何十年か経って見ると、かつてと変わっているところもあるし、こちらの感じ方が違うものもある。
(1)大学図書館として必要でもない装飾はたしかにあるが、丹下健三の巨大なオブジェでしかないような建物などと比べれば、おとなしい方、よっぽどまとも、という気がした。
(2)緑色の濃淡が徐々に変化する柱 については、何十年か経って、それがどこにあるのか見つけることができなかった。図書館員の方に尋ねてみたが、他の何人かの人にもきいてもらったものの、わからないということだった。もしかして、メンテナンスの際に、こんなのいらない、と1色に塗ったのかもしれない。 慶應という大学は、見栄っ張りな面もあるが、実用主義な面もあり、要らんものは要らんという判断がされることはありうるように思う。「東京大学建築学科を卒業された槇文彦先生が」とか言われると、「東大がなんじゃ~い」と余計に意地になって、なんじゃ、こんなもん、という気になる、ということもありえないことはないような気もしたが、そうかどうかはわからない。
(3)「コンクリートの白木造り」については、住宅建築会社に勤務して居住性について学んだため、かつて以上に、よくない印象を持った。 木の白木造りの場合、ムクの木は、湿度が上がれば湿気を吸収し、湿度が下がれば水分を吐き出すという働きをするので、自然な除湿機・加湿器の働きをして、住人の健康にプラスになる。また、木のやわらかさは、壁にしても床にしても人にはここちよい感覚のものであるが、「コンクリートの白木造り」の場合はそういったものはない。むしろ、コンクリートは量は多くないとしても放射線を出すはずだ。 静岡大学農学部がマウスを使った居住性実験というものをおこなったが、木の箱、鉄の箱、コンクリートの箱に木屑を入れて、そこでマウスを育てたところ、木の箱で育てたマウスが最も生育がよく、コンクリートの箱で育てたマウスが最も生育が悪かった。これは最初から予想されたことではあるが、だから、鉄やコンクリートを構造材とする建物では、木を構造材とする建物以上に、内部に木・紙・布といった自然素材を使用して居住性の向上をはかるべきだ、といったことが言われるのだが、「コンクリートの白木造り」はそれに逆行するもので、その点、あまり良いとは思えない。
・・・が、コンクロート造の建物で、特に塗装などしないという意味であれば、コンクリートの表面に塗装したところで、居住性が良くなるわけでもないから、塗装せずにコンクリートの地肌を見せるのもひとつの手法だという考え方はある。コンクリートの地肌を見せて塗装しないというものを手抜きとか費用不足ととらえず、それがひとつの選択として肯定的に考えるというのなら、それは評価されていいとは思う。この写真↑なんかで見ると、何気にかっこいいし・・。
(4)座席数が十分でない、すべての書物を書架に並べたいという希望から新図書館が設けられたはずなのに、それが実現されていない、という点について、自分が学生であった時には、「東京大学建築学科を卒業されて慶應で教えておられる建築家の」かなんか知らんが、肝心なところを実現できないで装飾にばっかりこって、つくづくろくなもんじゃねえな、と思ったのだが、書物がどれだけあって、どれだけの書架を設置する必要があるか、座席数はどのくらい確保する必要があるか、といったことは、「建築家」も関心を持つべきではあるが、「建築家」より、依頼者がきっちりと「建築家」に要望するべきもので、課題が実現できなかったとして、「建築家」の方が主として責を負うものではないかもしれない、とも思った。依頼者の方に、むしろ、手落ちがあったと考えるべき点かもしれない。
(5)閲覧席に座った時、机面が暗いという点については、私が学生であった時にはなかった照明器具が設けられていたように思う。 やはり、私と同じことを思う人があって、改善のため、設けられたのだろう。 しかし、建築についてある程度以上学習した上で見ると、かつては気づかない問題点にも気づいた。
(6)槇文彦という人は、ガラスブロックを好んで使用するらしいが、ガラスブロックというものは、光を入れながら視線はさえぎるという点があり、住宅でも利用され、玄関付近や車庫などで利用されておしゃれな感じになっている家もある。小堀住研の自由が丘の展示場でも使っていたが、なかなか良かったと思う。 しかし、ガラスブロックは光が散乱するという面があり、そこで読書や学習をする図書館には不向きな素材のはずだ。それをあえて使う理由があるかというと、ないと思うのだ。 なぜ、使ったかというと、学生が読書や学習をする時にやりやすさよりも自分の趣味を優先したからだろう。
(↑写真はクリックすると大きくなります。)
(7)さらに。 日吉新図書館の場所は、慶応義塾大学の日吉キャンパスの入ってすぐの所で、都心ですぐ隣に高層のビルが建っているという場所ではない。 南側は陸上競技のトラックやプールがある場所で空いており、西側は道路をはさんで東急東横線があり、東側は今は建物が建っているがかつては何もなかったし、今も、東向かいの建物との間は距離がある。北側の第4校舎との間も密接しているのではなく空間はある。 だから、それだけ、周囲が空いている場所に建てる図書館である以上、閲覧席では、自然光を取り入れて読書や学習ができるようにするべきであったはずだが、ガラスブロックだとかそういう趣味ばっかりに関心がいってしまって、自然光をいかにうまくとりいれるかといったことは配慮されていない。
(8)トイレの壁がその後どうなっているかは見落としてしまった。
(9)逆に、プラスの面についても気づくものはあった。
丹下健三の建物、特に、丹下健三の人生後半の建物というのは、目立ちたがり、自己顕示欲のかたまり。 すでにそこに建物があっても、尊重するべき自然があってもおかまいなし。アイ アム ナンバーワ~ン! と自分が一番目立たないときがすまない、というそういう建物だ。新宿のコクーンタワーのあの趣味の悪さはなんだろうか。 東京カテドラル聖マリア大聖堂は、あれは鎌倉の大仏と一緒。 中に入ることができるとはいえ、外から見てもらうためのオブジェでしかない。 使いにくかろうが、雨漏れがしようが知ったことじゃない、アイ アム いちば~ん!とハルク=ホーガンやらなきゃ気がすまない。そういう強迫観念にとりつかれているのじゃないのか、という感じ。そういう建物。
※《ニコニコ動画―ハルク・ホーガン vs スタン・ハンセン #1》http://nicogame.info/watch/sm10505594
《YouTube― 一番 ハルク・ホーガン(Itch Ban / Hulk Hogan) 》http://www.youtube.com/watch?v=BJigJNkwqEo
それに対し、前川國男の建物は、先住建物やその場所の歴史、その場所の自然環境を実に尊重して敬意をもって、それに調和しようとして建てられているものが多い。 東京都美術館にしても、東京文化会館にしても、そして、熊本県立美術館([第271回]《船場菅原神社(熊本市)と熊本県立美術館(前川國男)、熊本市立博物館(黒川紀章)、旧・細川刑部邸》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html 参照。)においては、はっきりと、熊本城が主であって県立美術館は従であるとして建てられている。 従として建てられるからといっていいかげんな手抜きといったことではない。県立美術館の占める空間に入れば、そこは美術館としての雰囲気がある。 かつ、それまでから生えていた樹木を尊重し、そして、建物外部の樹木に対応するように県立美術館の内部にも樹木様のコンクリートの柱がある。 その場所の自然、その場所の歴史を考え、先住建物との調和をはかりながら、なおかつ、自分の建てる新しい建物にも主張があるというすばらしいものだと思う。
それで。 「東京大学建築学科そ卒業されて慶應大学で教えておられる槇文彦先生が設計された」という慶應義塾大学の日吉(新)図書館だが、グレーからちょっと緑がまじっているかというグレーの色なのだ。外壁が。それに対して、やはり、槇文彦が設計したという慶應義塾大学の三田キャンパスの三田図書館は、エンジ系の色なのだ。 それは、やはり、先住建物との調和を考えてものだと思うのだ。 日吉は、東横線日吉駅からまっすぐに伸びた先にある日吉記念会堂にしても、もっとも教室が多い第4校舎にしてもそれ以外の建物にしても、藤山記念館(旧・藤山記念図書館)がエンジ系の色をしているのを別として、白・グレー系の色あいでできているのだ。 三田は、重要文化財に指定されている旧図書館がエンジ系であるとともに、他の多くの建物も、エンジ系・茶系の色合いなのだ。 だから、それまでの先住建物がどういうものであるかなどおかまいなしに、自分が建てるものがナンバーワ~ンとハルクホーガンやるのではなく、それまでの建物の景観を尊重し、そこに新しい建物が調和することを考えて建てられたのではないかと思う。 (《ウィキペディア―槇文彦》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%87%E6%96%87%E5%BD%A6 を見ると、槇文彦は慶應の幼稚舎・普通部の出身らしく、慶応の日吉・三田の図書館の設計を担当したのはその縁かとも思えなくもないが、慶應だけではなく、千葉大の医学部記念講堂や東大の法科大学院棟など、他の大学の建物も多く設計しているようだ。 東大の法科大学院棟も、最近ではかなり混雑気味になってきた東大の本郷キャンパスでより混雑感を与えないスケルトンの建物とされているあたりは、その場所の状況、その場所の先住建物との調和といったことを考えて建てられているようで評価されていいものと思った。
しかし、だ。 それはそれとして、私は、大森の入新井図書館が好きだったのだ。 慶応の三田に通う時に、大森の駅で降りてしばしば通ったのだ。 ところが、何十年ぶりかで訪ねてみたところ・・・・、見あたらない。
取り壊されてしまったらしい。 どうも、その跡地にマンションが建てられ、図書館は別の場所に建てられる高層の建物の中に入るらしい・・・・・。ああ、わが若き日の「男の隠れ家」は人知れず消えてしまったのだ・・・・・。
それで。 「名建築」とは何ぞや、という問題。 桂離宮は、小堀遠州の設計によるのか、八条の宮自身の設計によるのか、それ以外の人の合作なのか・・・。 誰の作品であるから「名作」とされているのではなく、桂離宮が優れていると評価されて、その後、誰の作だろうか、と考えられているのだ。 それに対して、最近の建物というのは、先に「名建築家」「世界的建築家」というのが決められて、その人の作品が「名建築」とされる。 これはおかしくないか? 建築雑誌にもチョーチン記事ばっかり載せていると言われるものもあるらしいが、まがりなりにも、評論家として独立自尊の精神があるならば、だ。「世界的建築家」の作品であっても、自分が良くないと思えば無理に称賛するものではないと思うし、たとえ、「普通の人」の作品でも、いいと思えばいいと言うべきではないかと思うのだ。 「世界的建築家」の作品の場合、取り壊すとなると、◇◇先生の作品を取り壊すとはあ~ という話が出てくると思うのだが、私が愛した入新井図書館なんて、誰も言ってくれない。知らないうちになくなっちゃった。 これっておかしくないか?
「おえらい先生方」はどう思われるか知らないが、もともと、和室で使う障子を図書館の窓に使うことで閲覧室・自習室に自然光を和らげて入れるという工夫がされていた入新井図書館と、そういうことをまったく考えず、むしろ、光が散乱するガラスブロックを図書館につかった慶應義塾大学日吉(新)図書館では、どちらが名建築か? というと、「建築家」を自称する人たちは疑う余地なく慶應日吉新図書館の方だと主張するのだ。理由はというと、「名建築家」の作品だから。あほくさ。 自称「建築家」というのはそういう人たちらしい。
先住建物との調和を考えて外観が考えられている点はいいと思うとかそういう評価をするならいいと思うし、そういった点から判断してならいいと思うのだ。 慶應日吉新図書館・三田図書館と東大法科大学院棟を見てみれば、特に、東大法科大学院棟は混雑気味になっている本郷キャンパスでなおさらごてごてした雰囲気にその場がならないように考えた外観であり、そのあたりを私は評価するし、そういった点を評価する人がいたなら私は悪いとは思わない。 しかし、あくまで、「名建築家」の作品だから、という思考なのだ。自称「建築家」の思考は。 それだけしかない。そういう人たちの思考というのは、思考がビョーキに罹っている。 “ ほとんどビョーキ! ” である。
≪ 大きなメカニズムの一部品として、自己を疎外されたままに、いいかえれば他有化されたままにまかせるとき、われわれは自由に重荷を感じないですますことができるけれども、そのつどみずから選択しみずから決意することの自由に耐えかねて、何ものかに依存したり、何ものかを口実にしたり、何ものかに逃避したり、何ものかに指示を求めたり、何ものかに決定をゆだねることは、すべて自己欺瞞でしかない。 ハイデッガーの用語をかりるならば、そういう生きかたは、すべて非本来的である。・・・・≫
(松浪新三郎『実存主義』1962.6.23.岩波新書)
「建築家」を自称したがる人というのは、「有名建築家」「世界的建築家」とされている人をせっせと称賛することで自分もそれに準じた存在かのように思ってもらおうとしているのだろうけれども、実際やっていることは≪そのつどみずから選択しみずから決意することの自由に耐えかねて、何ものかに依存したり、何ものかを口実にしたり、≫といった人間として≪非本来的≫な態度でしかない。
建築に関係する仕事についている者なら、あの建物はいいと思う、あれはどうかと思うといった感想を持つもので、そういった目で見て回るのは建築の仕事に従事する者の課題だと思うのだが、中に、「有名建築家」と指定されている人の作品なら見てまわるが、そうでないものには関心ない、という輩がいる。 大学のお勉強として、「有名建築家」の作品を知っておきなさいという課題がある場合はあるので、その為に見るならしかたがないが、そうでない限り、「有名建築家」の作品であろうが無名の人間の作品であろうが関係ないはずなのだ・・・・が、関係ないと考えることのできない人がいるらしいのだ。
居酒屋の「はなの舞」「花の舞」「炎」などをチェーン展開するチムニー株式会社の建設部にいたとき、同社の内装工事の設計をやっていた「デザイナー」の(おじさん+おにいさん)÷2 が、私が慶應日吉新図書館を、槇文彦という「有名建築家」が設計したというけれども、装飾などにばかりこって実際に図書館として使った経験から言うといいとは思えない、どうも、最近の建築は「有名建築家」と言われる人が設計したものが「名建築」だとされているところがあって、これはおかしいと思う。 無名の人間の作でもいいものはいいし、「有名建築家」「世界的建築家」と認定されている人の作だから「名作」だとされるのはおかしいという話をしかけて、「たとえば、慶應の日吉新図書館にしても」と言いかけたところ、「あ、槇文彦の日吉図書館ですね」と、「槇文彦の日吉図書館」と槇文彦という名前だけで高く評価しなければならないみたいな口のきき方をしたので、この人のこの権威主義的パーソナリティーはなんだ、とあきれた。 又、こういう自分自身で判断していいとか悪いとか思考せず、「有名建築家」「世界的建築家」ですよお~お、とされている人の作品であれば敬意を表してひれ伏さなければならない、みたいな態度・認識というのは、建築学科卒の人間のビョーキじゃないのかという感じを私は持っていたのだが、この人もそのビョーキが相当重いみたいだと思った。
槇文彦 設計「慶應義塾大学 日吉(新)図書館」については、[第136回]《慶應日吉・三田新図書館、関学、東大法科大学院棟、マレキアーレの家他―自然・先住建物と調和する建築。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201209article_10.html でも述べました。合わせ、ご覧くださいませ。
慶應義塾大学 日吉キャンパスの地図は、《慶應義塾大学 日吉キャンパス案内》http://www.keio.ac.jp/ja/access/hiyoshi.html に出ています。 (新)図書館は(1)番の建物、藤山記念館(旧・藤山記念図書館)は(11)番の建物です。
槇文彦の名前で慶應日吉新図書館を評価するチムニー株式会社にいた(おじさん+おにいさん)÷2 の話を [第294回]《高山の町家で曲がった松を柱に使うか?(1)「建築家」「デザイナー」の権威主義。JR日光駅なかなかいい》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html からします。 ぜひご覧ください。 私は、万年反抗期・・であるわけでもないが、「有名建築家」「世界的建築家」だから誉めないといけないなどという気持ちはないので、チョーチン雑誌よりは読んでも役に立つかもしれない。 役に立たなかったとしても、その時は、カネとってるわけでもないので、すんませんですませてもらおう。
私はかつて図書館が好きだった。 図書館で何を借りるかというよりも、図書館という場所が好きだった。前川國男が設計したという神奈川県立図書館に行ったこともあり、その時は、誰が設計したかなど知らなかったし、自分が建築関係の仕事につくとは思っていなかったし、前川國男という人の名前も知らなかったが、図書館らしい落ち着いた建物だという印象だった。
他に、これはなかなかと思ったのが、東京都立日比谷図書館とJR京浜東北線の大森駅の近くの大田区立入新井図書館で、どこを「なかなか」と思ったかというと、閲覧室・自習室の窓に障子が入っていたのだ。自然光を取り入れられるものなら取り入れればいいはずだが、自然光は直射日光では読書・学習には光が強すぎる。 そこで、和室でもない畳の部屋でもないのだが、靴履きで利用する図書館の閲覧室・自習室の窓に障子を入れて、光を柔らかくしていたのだ。これは、なかなかの工夫だとその時、感心したのを覚えている。その後、小堀住研に入社した1年目、私が担当のお客様の図面打ち合わせの際、書斎の窓について、同行した課長が、障子を窓に入れる方法を提案し、和室でない部屋に障子というのはありうるでしょうかというお施主様の質問に、悪くないと思いますと答え、実行したということがあった。
それに対して、「なんじゃこりぁ」と否定的な印象を受けたのが慶應義塾大学日吉キャンパスの日吉新図書館である。↓
1985年に新築されたもので、「東京大学の建築学科を卒業されて慶應義塾大学で教えておられる槇文彦先生が設計された」というものだったが、あまりいいとは思わなかった。 どこがいいと思わなかったかというと、
(1)図書館として特に必要でもない装飾にばかりこっている。
(2)内部の柱で、緑色が遠くの柱から手前の柱にかけて、少しずつ濃さが変わってくるというものがあったが、図書館を利用する者にとっては関係のないこと。
(3)「コンクリートの白木造り」といって、コンクリートを露出させるのを「槇文彦先生は得意とされている」そうだが、それも利用者には関係のないこと。
(4)それまで、日吉に図書館がなかったのではなく、藤山記念図書館というものがあったのだ。
↑ 藤山記念館(旧・藤山記念図書館)
なぜ、新しいものを作るかというと、
(ア)蔵書をすべて書架に載せることができず、見たい書物を館員に頼んで出してもらわないといけないものがけっこうあったが、すべての書物を書架に入れて、いちいち館員に出してもらわなくても、すべての書物を学生が手に取って見ることができるようにしたい。
(イ)学生が読書や自習をするのに、座席が不足しないで、いつでも座れるように座席数を確保したい。
ということからだったはずだが、実際に、新図書館ができると、
(ア)やっぱり、館員にお願いして出してもらわないと見れない書物が相当ある。
(イ)新図書館ができても、自習に利用しようとした時、座席がなくて困ることがしばしばある。
という状態だった。
(5)かつ、大学図書館は何をするところかというと、読書や学習をするところのはずだが、「コンクリートの白木づくり」とか、徐々に緑の色の濃淡が変化する柱とか、そういうものにばかり頭を使って、座席に座ってみると、自習や読書をするのに、机面が暗い。肝心の所に配慮がない。
(6)何より、許しがたいと思ったのが、トイレの壁。 落書きができないようにつるつるの素材で作られていた。 大学の教室の机、教室の壁、トイレの壁の落書きは、青春もの、政治もの、猥褻もの、いずれにしても、くだらないだけのものもあるが、なかなかの名作があったりして、見ていて面白かったりもする。
1980年に早稲田大学の商学部で入試に「不正」があった時、慶應の日吉の第4校舎のトイレの壁に、
「なぜ、あそこだけ不正があったのだろう―外部生。
なぜ、あそこだけ、ばれたのだろう―内部生。」
と書かれた落書きがあった。 たしかに、大学入試というものは厳正におこなわれねばならぬという前提で入試を経てきた大学から入ってきた者に対し、そんなもの、どこでても多かれ少なかれあるわ・・という感覚を内部進学の人間は持っている人が多かったのではないか。
第◇校舎だったか、サークルの部室に使われていた棟の廊下の壁には、「中村勝範 死ね!」というものもあった。 中村勝範というのは、政治学科の悪名高い右翼教授の名前である。 「死ね」はいかんと言う人もあるかもしれないが、同教授の「政治学」の課題というのは、同教授の「著書」である『正論自由―赤い国の人々のうめき声を聞け』かなんかそういうサンケイ出版かなんか右翼系出版社から出ているやつを読んで、それを何百字に要約せよ、要約するのみで、批判や反対意見はひとことでも述べてはならない、というものだった。慶應の政治学科は、「リベラル」な教授と右翼教授の両方がおられるようで、同教授が右翼教授として有名な人間だと知らずに一般教養の「政治学」で履修して、しまったと後悔する学生は少なくないようだった。私は履修しなくて助かったのだが、大学生協の書籍部にその右翼本が平積みにされているのを見ながら、「なんで、俺たち、こんなもの読まされなきゃならないんだよお」とぼやいている学生がいたのを見たことがある。政治学の古典と言われるような書物、たとえば、ホッブスの『リヴァイアサン』だとかジャン=ジャック=ルソーの『社会契約論』とかそういったものを読んで要約せよ、要約が課題であり、批判や意見は述べない、というレポートは悪くはないと思うが、自分の時事問題についてのねとねとした主張の本を買わせて読ませたなら、それについての批判・反対意見も認めなければならない。自分の意見だけ一方的に無理矢理読ませて、それに対しての批判や反対意見は一切述べてはならないとは、それは、身勝手であり、民主主義を否定する態度である。自分の主張を聞けと言うなら、それに対しての批判、反対意見を述べることも認めなければ、それは学問でもなんでもないことになる。単なる横暴である。そもそも、こんな本、「政治学」でも一般教養でもない。「死ね」は過激かもしれないが、そう言いたい人間の気持はわかる。あのレポート課題は卑怯である。 あんな「政治学」履修しなくてよかった。
いずれにせよ、だ。 落書きである以上、積極的に肯定するものではないだろうけれども、青春もの、政治もの、猥褻もの、いずれにせよ、なかなかの名作があって、そういったものを完全に否定した方がいいのか、大学の教室の机、壁、トイレの壁の落書きを完全に否定した方がいい大学になるかというと、そうではないと思うのだ。 そういった場所での発言を完全に封じるのが大学という所において好ましいと言えるのか、というとそうでもないような気がしたのだ。そういったものを完全に封じるのは、言論弾圧の流れに加担することになるのではないのか、民主主義を否定する動きに加担することにならないか。 しかし、そうはいっても、やっぱり、落書きである以上、良いとも言えないのではないのか、という面もあるかもしれないが、たとえ、良いとは言えないとしても、書こうとしてもかけない素材のものを壁に使用することで書けなくする、というのは、それは最低だと思うのだ。 そんなことで落書きをなくすなら、どんな無茶苦茶なものでも書かれまくった方がよっぽいいと思うのだ。 槇文彦という方はどんなにおえらい方か知らんが、このあたりの認識は最低のカスだ、と思ったのだ。 もしかして、教授の悪口書かれるのが嫌だから、あんな素材の壁にしたのだろうか。もし、そうだとしたら、ちっぽけな発想である。
それから何十年かして、他の大学の建築学科の学生となり、日本の建築家の作品について述べよという課題があって、槇文彦の日吉新図書館について述べてやろうと思い、日吉に行って、見学をお願いしたところ、快く見せていただいたのだが、何十年か経って見ると、かつてと変わっているところもあるし、こちらの感じ方が違うものもある。
(1)大学図書館として必要でもない装飾はたしかにあるが、丹下健三の巨大なオブジェでしかないような建物などと比べれば、おとなしい方、よっぽどまとも、という気がした。
(2)緑色の濃淡が徐々に変化する柱 については、何十年か経って、それがどこにあるのか見つけることができなかった。図書館員の方に尋ねてみたが、他の何人かの人にもきいてもらったものの、わからないということだった。もしかして、メンテナンスの際に、こんなのいらない、と1色に塗ったのかもしれない。 慶應という大学は、見栄っ張りな面もあるが、実用主義な面もあり、要らんものは要らんという判断がされることはありうるように思う。「東京大学建築学科を卒業された槇文彦先生が」とか言われると、「東大がなんじゃ~い」と余計に意地になって、なんじゃ、こんなもん、という気になる、ということもありえないことはないような気もしたが、そうかどうかはわからない。
(3)「コンクリートの白木造り」については、住宅建築会社に勤務して居住性について学んだため、かつて以上に、よくない印象を持った。 木の白木造りの場合、ムクの木は、湿度が上がれば湿気を吸収し、湿度が下がれば水分を吐き出すという働きをするので、自然な除湿機・加湿器の働きをして、住人の健康にプラスになる。また、木のやわらかさは、壁にしても床にしても人にはここちよい感覚のものであるが、「コンクリートの白木造り」の場合はそういったものはない。むしろ、コンクリートは量は多くないとしても放射線を出すはずだ。 静岡大学農学部がマウスを使った居住性実験というものをおこなったが、木の箱、鉄の箱、コンクリートの箱に木屑を入れて、そこでマウスを育てたところ、木の箱で育てたマウスが最も生育がよく、コンクリートの箱で育てたマウスが最も生育が悪かった。これは最初から予想されたことではあるが、だから、鉄やコンクリートを構造材とする建物では、木を構造材とする建物以上に、内部に木・紙・布といった自然素材を使用して居住性の向上をはかるべきだ、といったことが言われるのだが、「コンクリートの白木造り」はそれに逆行するもので、その点、あまり良いとは思えない。
・・・が、コンクロート造の建物で、特に塗装などしないという意味であれば、コンクリートの表面に塗装したところで、居住性が良くなるわけでもないから、塗装せずにコンクリートの地肌を見せるのもひとつの手法だという考え方はある。コンクリートの地肌を見せて塗装しないというものを手抜きとか費用不足ととらえず、それがひとつの選択として肯定的に考えるというのなら、それは評価されていいとは思う。この写真↑なんかで見ると、何気にかっこいいし・・。
(4)座席数が十分でない、すべての書物を書架に並べたいという希望から新図書館が設けられたはずなのに、それが実現されていない、という点について、自分が学生であった時には、「東京大学建築学科を卒業されて慶應で教えておられる建築家の」かなんか知らんが、肝心なところを実現できないで装飾にばっかりこって、つくづくろくなもんじゃねえな、と思ったのだが、書物がどれだけあって、どれだけの書架を設置する必要があるか、座席数はどのくらい確保する必要があるか、といったことは、「建築家」も関心を持つべきではあるが、「建築家」より、依頼者がきっちりと「建築家」に要望するべきもので、課題が実現できなかったとして、「建築家」の方が主として責を負うものではないかもしれない、とも思った。依頼者の方に、むしろ、手落ちがあったと考えるべき点かもしれない。
(5)閲覧席に座った時、机面が暗いという点については、私が学生であった時にはなかった照明器具が設けられていたように思う。 やはり、私と同じことを思う人があって、改善のため、設けられたのだろう。 しかし、建築についてある程度以上学習した上で見ると、かつては気づかない問題点にも気づいた。
(6)槇文彦という人は、ガラスブロックを好んで使用するらしいが、ガラスブロックというものは、光を入れながら視線はさえぎるという点があり、住宅でも利用され、玄関付近や車庫などで利用されておしゃれな感じになっている家もある。小堀住研の自由が丘の展示場でも使っていたが、なかなか良かったと思う。 しかし、ガラスブロックは光が散乱するという面があり、そこで読書や学習をする図書館には不向きな素材のはずだ。それをあえて使う理由があるかというと、ないと思うのだ。 なぜ、使ったかというと、学生が読書や学習をする時にやりやすさよりも自分の趣味を優先したからだろう。
(↑写真はクリックすると大きくなります。)
(7)さらに。 日吉新図書館の場所は、慶応義塾大学の日吉キャンパスの入ってすぐの所で、都心ですぐ隣に高層のビルが建っているという場所ではない。 南側は陸上競技のトラックやプールがある場所で空いており、西側は道路をはさんで東急東横線があり、東側は今は建物が建っているがかつては何もなかったし、今も、東向かいの建物との間は距離がある。北側の第4校舎との間も密接しているのではなく空間はある。 だから、それだけ、周囲が空いている場所に建てる図書館である以上、閲覧席では、自然光を取り入れて読書や学習ができるようにするべきであったはずだが、ガラスブロックだとかそういう趣味ばっかりに関心がいってしまって、自然光をいかにうまくとりいれるかといったことは配慮されていない。
(8)トイレの壁がその後どうなっているかは見落としてしまった。
(9)逆に、プラスの面についても気づくものはあった。
丹下健三の建物、特に、丹下健三の人生後半の建物というのは、目立ちたがり、自己顕示欲のかたまり。 すでにそこに建物があっても、尊重するべき自然があってもおかまいなし。アイ アム ナンバーワ~ン! と自分が一番目立たないときがすまない、というそういう建物だ。新宿のコクーンタワーのあの趣味の悪さはなんだろうか。 東京カテドラル聖マリア大聖堂は、あれは鎌倉の大仏と一緒。 中に入ることができるとはいえ、外から見てもらうためのオブジェでしかない。 使いにくかろうが、雨漏れがしようが知ったことじゃない、アイ アム いちば~ん!とハルク=ホーガンやらなきゃ気がすまない。そういう強迫観念にとりつかれているのじゃないのか、という感じ。そういう建物。
※《ニコニコ動画―ハルク・ホーガン vs スタン・ハンセン #1》http://nicogame.info/watch/sm10505594
《YouTube― 一番 ハルク・ホーガン(Itch Ban / Hulk Hogan) 》http://www.youtube.com/watch?v=BJigJNkwqEo
それに対し、前川國男の建物は、先住建物やその場所の歴史、その場所の自然環境を実に尊重して敬意をもって、それに調和しようとして建てられているものが多い。 東京都美術館にしても、東京文化会館にしても、そして、熊本県立美術館([第271回]《船場菅原神社(熊本市)と熊本県立美術館(前川國男)、熊本市立博物館(黒川紀章)、旧・細川刑部邸》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html 参照。)においては、はっきりと、熊本城が主であって県立美術館は従であるとして建てられている。 従として建てられるからといっていいかげんな手抜きといったことではない。県立美術館の占める空間に入れば、そこは美術館としての雰囲気がある。 かつ、それまでから生えていた樹木を尊重し、そして、建物外部の樹木に対応するように県立美術館の内部にも樹木様のコンクリートの柱がある。 その場所の自然、その場所の歴史を考え、先住建物との調和をはかりながら、なおかつ、自分の建てる新しい建物にも主張があるというすばらしいものだと思う。
それで。 「東京大学建築学科そ卒業されて慶應大学で教えておられる槇文彦先生が設計された」という慶應義塾大学の日吉(新)図書館だが、グレーからちょっと緑がまじっているかというグレーの色なのだ。外壁が。それに対して、やはり、槇文彦が設計したという慶應義塾大学の三田キャンパスの三田図書館は、エンジ系の色なのだ。 それは、やはり、先住建物との調和を考えてものだと思うのだ。 日吉は、東横線日吉駅からまっすぐに伸びた先にある日吉記念会堂にしても、もっとも教室が多い第4校舎にしてもそれ以外の建物にしても、藤山記念館(旧・藤山記念図書館)がエンジ系の色をしているのを別として、白・グレー系の色あいでできているのだ。 三田は、重要文化財に指定されている旧図書館がエンジ系であるとともに、他の多くの建物も、エンジ系・茶系の色合いなのだ。 だから、それまでの先住建物がどういうものであるかなどおかまいなしに、自分が建てるものがナンバーワ~ンとハルクホーガンやるのではなく、それまでの建物の景観を尊重し、そこに新しい建物が調和することを考えて建てられたのではないかと思う。 (《ウィキペディア―槇文彦》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%87%E6%96%87%E5%BD%A6 を見ると、槇文彦は慶應の幼稚舎・普通部の出身らしく、慶応の日吉・三田の図書館の設計を担当したのはその縁かとも思えなくもないが、慶應だけではなく、千葉大の医学部記念講堂や東大の法科大学院棟など、他の大学の建物も多く設計しているようだ。 東大の法科大学院棟も、最近ではかなり混雑気味になってきた東大の本郷キャンパスでより混雑感を与えないスケルトンの建物とされているあたりは、その場所の状況、その場所の先住建物との調和といったことを考えて建てられているようで評価されていいものと思った。
しかし、だ。 それはそれとして、私は、大森の入新井図書館が好きだったのだ。 慶応の三田に通う時に、大森の駅で降りてしばしば通ったのだ。 ところが、何十年ぶりかで訪ねてみたところ・・・・、見あたらない。
取り壊されてしまったらしい。 どうも、その跡地にマンションが建てられ、図書館は別の場所に建てられる高層の建物の中に入るらしい・・・・・。ああ、わが若き日の「男の隠れ家」は人知れず消えてしまったのだ・・・・・。
それで。 「名建築」とは何ぞや、という問題。 桂離宮は、小堀遠州の設計によるのか、八条の宮自身の設計によるのか、それ以外の人の合作なのか・・・。 誰の作品であるから「名作」とされているのではなく、桂離宮が優れていると評価されて、その後、誰の作だろうか、と考えられているのだ。 それに対して、最近の建物というのは、先に「名建築家」「世界的建築家」というのが決められて、その人の作品が「名建築」とされる。 これはおかしくないか? 建築雑誌にもチョーチン記事ばっかり載せていると言われるものもあるらしいが、まがりなりにも、評論家として独立自尊の精神があるならば、だ。「世界的建築家」の作品であっても、自分が良くないと思えば無理に称賛するものではないと思うし、たとえ、「普通の人」の作品でも、いいと思えばいいと言うべきではないかと思うのだ。 「世界的建築家」の作品の場合、取り壊すとなると、◇◇先生の作品を取り壊すとはあ~ という話が出てくると思うのだが、私が愛した入新井図書館なんて、誰も言ってくれない。知らないうちになくなっちゃった。 これっておかしくないか?
「おえらい先生方」はどう思われるか知らないが、もともと、和室で使う障子を図書館の窓に使うことで閲覧室・自習室に自然光を和らげて入れるという工夫がされていた入新井図書館と、そういうことをまったく考えず、むしろ、光が散乱するガラスブロックを図書館につかった慶應義塾大学日吉(新)図書館では、どちらが名建築か? というと、「建築家」を自称する人たちは疑う余地なく慶應日吉新図書館の方だと主張するのだ。理由はというと、「名建築家」の作品だから。あほくさ。 自称「建築家」というのはそういう人たちらしい。
先住建物との調和を考えて外観が考えられている点はいいと思うとかそういう評価をするならいいと思うし、そういった点から判断してならいいと思うのだ。 慶應日吉新図書館・三田図書館と東大法科大学院棟を見てみれば、特に、東大法科大学院棟は混雑気味になっている本郷キャンパスでなおさらごてごてした雰囲気にその場がならないように考えた外観であり、そのあたりを私は評価するし、そういった点を評価する人がいたなら私は悪いとは思わない。 しかし、あくまで、「名建築家」の作品だから、という思考なのだ。自称「建築家」の思考は。 それだけしかない。そういう人たちの思考というのは、思考がビョーキに罹っている。 “ ほとんどビョーキ! ” である。
≪ 大きなメカニズムの一部品として、自己を疎外されたままに、いいかえれば他有化されたままにまかせるとき、われわれは自由に重荷を感じないですますことができるけれども、そのつどみずから選択しみずから決意することの自由に耐えかねて、何ものかに依存したり、何ものかを口実にしたり、何ものかに逃避したり、何ものかに指示を求めたり、何ものかに決定をゆだねることは、すべて自己欺瞞でしかない。 ハイデッガーの用語をかりるならば、そういう生きかたは、すべて非本来的である。・・・・≫
(松浪新三郎『実存主義』1962.6.23.岩波新書)
「建築家」を自称したがる人というのは、「有名建築家」「世界的建築家」とされている人をせっせと称賛することで自分もそれに準じた存在かのように思ってもらおうとしているのだろうけれども、実際やっていることは≪そのつどみずから選択しみずから決意することの自由に耐えかねて、何ものかに依存したり、何ものかを口実にしたり、≫といった人間として≪非本来的≫な態度でしかない。
建築に関係する仕事についている者なら、あの建物はいいと思う、あれはどうかと思うといった感想を持つもので、そういった目で見て回るのは建築の仕事に従事する者の課題だと思うのだが、中に、「有名建築家」と指定されている人の作品なら見てまわるが、そうでないものには関心ない、という輩がいる。 大学のお勉強として、「有名建築家」の作品を知っておきなさいという課題がある場合はあるので、その為に見るならしかたがないが、そうでない限り、「有名建築家」の作品であろうが無名の人間の作品であろうが関係ないはずなのだ・・・・が、関係ないと考えることのできない人がいるらしいのだ。
居酒屋の「はなの舞」「花の舞」「炎」などをチェーン展開するチムニー株式会社の建設部にいたとき、同社の内装工事の設計をやっていた「デザイナー」の(おじさん+おにいさん)÷2 が、私が慶應日吉新図書館を、槇文彦という「有名建築家」が設計したというけれども、装飾などにばかりこって実際に図書館として使った経験から言うといいとは思えない、どうも、最近の建築は「有名建築家」と言われる人が設計したものが「名建築」だとされているところがあって、これはおかしいと思う。 無名の人間の作でもいいものはいいし、「有名建築家」「世界的建築家」と認定されている人の作だから「名作」だとされるのはおかしいという話をしかけて、「たとえば、慶應の日吉新図書館にしても」と言いかけたところ、「あ、槇文彦の日吉図書館ですね」と、「槇文彦の日吉図書館」と槇文彦という名前だけで高く評価しなければならないみたいな口のきき方をしたので、この人のこの権威主義的パーソナリティーはなんだ、とあきれた。 又、こういう自分自身で判断していいとか悪いとか思考せず、「有名建築家」「世界的建築家」ですよお~お、とされている人の作品であれば敬意を表してひれ伏さなければならない、みたいな態度・認識というのは、建築学科卒の人間のビョーキじゃないのかという感じを私は持っていたのだが、この人もそのビョーキが相当重いみたいだと思った。
槇文彦 設計「慶應義塾大学 日吉(新)図書館」については、[第136回]《慶應日吉・三田新図書館、関学、東大法科大学院棟、マレキアーレの家他―自然・先住建物と調和する建築。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201209article_10.html でも述べました。合わせ、ご覧くださいませ。
慶應義塾大学 日吉キャンパスの地図は、《慶應義塾大学 日吉キャンパス案内》http://www.keio.ac.jp/ja/access/hiyoshi.html に出ています。 (新)図書館は(1)番の建物、藤山記念館(旧・藤山記念図書館)は(11)番の建物です。
槇文彦の名前で慶應日吉新図書館を評価するチムニー株式会社にいた(おじさん+おにいさん)÷2 の話を [第294回]《高山の町家で曲がった松を柱に使うか?(1)「建築家」「デザイナー」の権威主義。JR日光駅なかなかいい》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html からします。 ぜひご覧ください。 私は、万年反抗期・・であるわけでもないが、「有名建築家」「世界的建築家」だから誉めないといけないなどという気持ちはないので、チョーチン雑誌よりは読んでも役に立つかもしれない。 役に立たなかったとしても、その時は、カネとってるわけでもないので、すんませんですませてもらおう。
この記事へのコメント
なかなかいい線いっていると思います。
金沢にある海みらい図書館は採光窓に
工夫があって面白いです。