「デザイナー」の権威主義。JR日光駅なかなか。東京カテドラル聖マリア大聖堂は上空から目印? 適材適所

[第294回]高山の町家で曲がった松を柱に使うか?(1)-「高山シリーズ第2回(16)
【26】-10 高山の「民家」 10
《10》 高山の町家では柱に曲がった松を使っているか?  実際にありえない「民家」造りはカッコいいか? (1)

[1] 木の使い方は「適材適所」
  今回、私にとって、高山訪問は3回目、村山天神への冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らす全国お百度参り であるとともに、高山の町家、高山の民家を見学して、あることを確認するのが目的だった。 それは、柱に曲がった松を使った家が、たとえ、1軒でもあるか? まず、ないはずだが、万一、あるならば、私の認識が正確でなかったということになるので、再確認のために訪問した。
    西岡常一・小原二郎『法隆寺を支えた木』(1978.6.20.日本放送出版協会 NHKブックス)には、
≪ 『古事記』および『日本書紀』の中にあらわれる樹木の種類を調べてみると、53種あり、27科40属に及んでいる。この中にはヒノキ、マツ、スギ、クスノキをはじめ、有用樹種といわれるものが十数種類もある。 その中で興味深いのは『日本書紀』の素戔嗚尊の説話である。それによると、
「日本は島国だから、舟がなければ困るだろうといわれて、ひげや胸の毛を抜いてまき散らしたところ、ヒノキとスギとクスノキとマキが生えた。 そこで尊はそれぞれの用途を示して、ヒノキは宮殿に、スギとクスノキは舟に、マキは棺の材に使え」
と教えたことが書かれている。
ここで大変興味深いことは、以上の記録が考古学的な立場からの調査とよく一致することである。・・・≫
(小原二郎「ヒノキと日本人」)
と出ている。
   昔から、「適材適所」という言葉が使われてきたが、これは、もともとは木造建築の用語だったらしい。
   ヒノキ(桧)が優れた木だと言われるのは、物質の強度といっても、圧縮・引っ張り・曲げ・せん断と4種類の強度があるが、ヒノキはそのすべてに強く、特に、圧縮に強いので、まっすぐに伸びる木であることとともに、柱に向いている。
   スギ(杉)は、まっすぐに伸びるから、「まっすぐ」から「スギ」という名前になったという説もあるように、まっすぐに伸びる木で、
虫害にも比較的強いとされ、これも柱に向いている。
   青森県では桧は「火の木」と言って必ずしも高く評価されないという話を聞いたことがある。 むしろ、青森ヒバの方がいいのだ、と。 それは、桧という木は、日本列島の北は福島県から南は台湾中部まででのみ生える木で、青森県では桧は生えないので、自分の所に生えるヒバを高く評価したものだろうけれども、ヒバも柱に向いているとされる。
   桧・ヒバはヒノキチオールという物質を含んでいて、白蟻に強いので土台にも使われる。クリ(栗)も虫害に強いので土台に使われてきたらしい。
   松は、ねばりがある木だと言われ、松の丸太梁は「野物(のもの)」と言われ、家の最上部に入れることで、上棟の際には格を上げるということもあるが、アーチ橋と同じ原理で、上が凸になるように入れることで、上からの荷重がかかった際に対抗力を発揮するとされる。 杉山英男『地震と木造住宅』(丸善)では、東京都の御茶ノ水駅の北側の聖橋(ひじりばし)(ミハイル=シチュールポフとジョサイア=コンドルの設計によるニコライ聖堂が南にあり、北に湯島の聖堂があり、2つの「聖堂」を結ぶことから「聖橋」と言うらしい)がアーチ橋になっているが、これが、木造住宅で一番上の部分に入れられる松丸太梁に似ている、と指摘されている。
   「しばりに入れる」と言って、松丸太張りを交差するように入れることで力が分散されるとも言われるが、そのあたりは実際の建物を見ると、それよりも上棟式をやった時の見栄えのためであって、必ずしもプラスになってないのではないかという気もしないこともない。
   松は、松杭として地盤補強のためにも使われてきた。
   いずれにせよ、「適材適所」として、それぞれの木材は向いているところ、あまり向いていない所が認識されて、それにそって使われてきたはずだ。
   桧やヒバ・杉などと違って、曲がることが多い松は、上が凸になるようにして梁として入れれば、上から下への荷重に対して対抗力を発揮するとしても、まっすぐな木が向いていて、上から下への圧縮力に対して優れている木がよい柱にはあまり向いていないのではないかと思われた。 但し、今回、高山市国府町村山の村山天神の向かいに生えている赤松を見ると、ほぼまっすぐに伸びていたので、「松は曲がっているもの」という認識は決めつけすぎのようだと考えを改めた。(⇒[第280回]《高山市国府町村山天神参拝(3)浸透桝で雨水処理。赤松は赤い-高山シリーズ第2回(3)、「営業力」とは 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.htmlJ【12】赤松は赤い♪ まっすぐに伸びる松もある。)


[2] 「建築家」「デザイナー」の権威主義的パーソナリティー。 クラシック音楽の「第一人者」と「世界的建築家」の馬鹿らしさ。

   「はなの舞」「花の舞」「炎」「チムニー」などの居酒屋のチェーン店を経営するチムニー株式会社の建設部にいた時のこと。 「はなの舞」「花の舞」「炎」といった店の内装は「民家風」でできているのだが、基本的には「高山の民家風」らしいのだ。 もっとも、あくまで「・・・・風」であって、実際に高山の「民家」に今も住んでいる方が見れば、「どこが?」と思われるのではないかというもので、まがいものだが、知らない人間が見れば気づかないかもしれない、もしくは、飲食を目的に行くので関心が薄い人間は気づかないかもしれない、という程度の「高山風民家風」なのだ。
   同社の店舗の内装工事を担当していた「デザイナー」が何人かいて、それらの人は「年収1000万円以上とっている高額プレーヤーばかり」(同社 I 社長)だったそうだが、その1000万円プレーヤーの「デザイナー」のひとりの (おじさん+おにんさん)÷2 と話をしていた時、たとえば、慶應日吉新図書館などは、装飾などにばかり力を入れて実際に使う者の利用のしやすさというものが考えられていない、「建築家」という人が設計した建物というのはどうもそういうものが多いと思う、といった話をしかけて、慶應日吉新図書館の名前を出すと、「あ、槇文彦の慶應日吉図書館」と、槇文彦の名前で、その建物は高く評価するべきものだという態度を取ったのだ。 バッカじゃなかろかルンバ♪  もともと、建築学科でなかった私としては、慶應の日吉キャンパスにある建物については、利用者として、これはいい建物だとか、ここはあんまりとか思うことがあっても、別にその設計者が誰であるからではない。利用者として感じたものが感想なのだ。だいたい、私が慶應の学生であった頃、私は、槇文彦なんて名前は知らなかった。新図書館ができた時、図書館員のおねえさんが、「新図書館見学ツアー」といって、何人かの希望者を連れて、ここはどうなっていますと案内してくれたことがあって、その時に、「東京大学の建築学科を卒業されて慶應で教えておられる槇文彦先生が設計された」として名前を聞いて覚えたのであって、へえ、そんな人、いるの。 使いにくいもん、作るおっさんやなあ、それが「建築家」か。ろくなもんじゃねえな、みたいに思ったのが槇文彦という人の名前を知った最初である。 ところが、「デザイナー」とか「建築家」とか自称している人たちにとってはそうではないのだ。 「建築家」「デザイナー」は、それが「有名建築家」「世界的建築家」とされている人の作品だとすると、「おお、槇文彦の・・・・か!」と名前で感動するのだ。 へえ、変わってんねえ・・て感じなのだが、自称「建築家」とか自称「デザイナー」とかにはそういう人間が大変多いのだ。 この話を[第293回]《図書館の建築。 槇文彦「慶應義塾大学 日吉(新)図書館」を考える。 私が好きだった入新井図書館。他。》 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html で述べたのでぜひ見てほしい。
    私は、中学生くらいまで、クラシック音楽が好きな人間というのは、高級ぶりたい偽善者ではないか、クラシック音楽というのは偽善者の音楽ではないかと思っていた。 その後も、その感覚はなくなったわけではない。そもそも、クラシック音楽を愛好する人間は「高級」だと主張したいからクラシック音楽を愛好している。本来、音楽というものは、自分がいいと思えばいいのではないのかと思うのだが、そうではなく、「これがクラシックだ」とクラシックと名前がつけば何でもいいという人がいたのだ。 そういう人というのは、「名演奏家」「第一人者」の演奏を好む傾向がある。自分で、この演奏はいいとか今一つとか判断するのではなく、「世間」「評論家」が「名演奏家」と決めた人の演奏を「名演奏」とする傾向があった。 私の父がそういうところがあって、変なの、と思ったが、そういう人は他にもけっこういたように思うのだ。 明治の初めに西洋から何でも西洋の文物を取り入れて、西洋のものは高級だとして、そういうものを愛好する人間も「高級な人間」みたいに言われたか、当人が勝手に思ったかという時期があって、その時期にクラシック音楽は高級音楽みたいに思う人がでて、それを愛好すると高級人間になるか? 高級人間と思ってもらえるか?みたいに思う人が出て、その傾向が、今においても幾分残っていて、クラシック音楽の演奏者にもそんな意識を持っているちっぽけな人間がいるように思う。しかし、それなら、クラシック音楽はくだらないのか、価値はまったくないのかというと、そういうものでもないと思う。 
   クラシック音楽で、「名演奏家」「第一人者」と誰かが言い出して広めた人の演奏を、自分が実際に聴いていいと思ったからではなく、「名演奏家」「第一人者」と言われているからいいと思い込む人、話す人というのは、「世界的建築家」「名建築家」の作品だと聞かされれば、それで称賛する人と一緒だ。 JR日光線の日光駅は、フランク=ロイド=ライトの設計だと昔は、同駅に解説書きがあったはずだが、今はなくなった。フランク=ロイド=ライトの設計ではないかと言われていたが、他の人の設計かもしれないという説もあって、今は、他の人の設計の可能性の方が高そうだということで、それで、その解説書きはひっこめたらしい。 フランク=ロイド=ライトの設計なら「おお! ライトの設計!」とありがたがって、そうでなければ、「なあんだ」「べつにい~」となるというのはおかしいと思うのだ。 実物は変わらないのだから。ところが、建築においては、「しろうと」「一般人」の方にではなく、「建築家」「デザイナー」の方に、その「権威主義的パーソナリティー」「権威主義的人間」というのか、アホちゃうか! てヤツが多いのだ。 本当に多い、というか、そういうのを得意にしていうるようなやつが本当に多い。
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↑ JR日光線「日光」駅。
  千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング有限会社(建設業)の仕事をしていたN村建築事務所の「いっきゅうけんちくしい」のおっさんN村も、「建築家が作る家」「一級建築士」と名刺に入れていたのだが、一級建築士が悪いわけではないが、私は一級建築士の資格を持っている人間ですから、関連する問題について問われても対応できますということで「一級建築士」と名刺にいれるならいいが、「建築家が作る家」「一級建築士」と言えば人は言うことをきくだろう、ありがたがってくれるだろうという意識があるようでこっけいだった。「建築家」とかなんとか言いたがるあたり、建築士の資格を取った人間、建築学科を卒業した人間が共通して持つビョーキじゃないかという気がするが、馬鹿げている。
  1970年前後、指揮者ではカラヤンというのが、「帝王」だとか言われて第一人者のように言われ、私の父なども、カラヤン、カラヤンと、カラヤンでないとだめみたいに口にしていたのだが、その頃、レコードで販売されているものを聴いたり、エフエム放送で放送されているものを聴いたりしても、カラヤンの演奏は他の指揮者の演奏より良いとは私には思えなかった。 『ゴルゴ13』に、若いころは成果を出したが、年配になってからの演奏はひどいものだが、指揮者・音楽家だということで、演奏のために東側の国に行くことができることから、CIAのスパイとして活動する指揮者がいて、演奏はひどいものだが、スパイとして使えるので、CIAが細工して「世界的指揮者」とまつりあげている、という指揮者が登場したが、もしかして、そのモデルはカラヤンではないのか?  もっとも、作者・さいとう たかを は、『ゴルゴ13』は、現代史の史実を書いているのではなく、史実みたいな嘘八百を書き連ねているのだと述べていたので、確証があるわけでもないのかもしれないが、その当時、なぜか、カラヤンという指揮者を他の指揮者とは別格扱いのようにされていた状況を考えると、「なんか、ありそう」て感じがしないでもない。
   さらに言えば、「世界の丹下健三」の設計した東京カテドラル聖マリア大聖堂(東京都文京区関口)↓だが、
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上から見ると、十字架の形に見えるというが、もし、飛行機・ヘリコプターで上空から見たとすると、東京の街中、文京区関口という東京都の中心部に巨大な×印があることになるのだ。 戦争中、敵機の目印になるからといって、白壁の土蔵などに土をつけたりして目立たなくさせられてということがあったようだが、実際にどうなのかよくわからないが、東京カテドラル聖マリア大聖堂というのは、その逆をやっているようなところがないか? 東京の真中に、上空から見た時に目印になるような巨大な×印を作った。 それが、東京カテドラル聖マリア大聖堂?




  もしかして、丹下健三も、生前、カラヤンと同様に、その頃、生きている「建築家」の中でも、なぜか、別格扱いされていたが、『ゴルゴ13』に出てくるCIAの指示に従って指揮者として東側の国に行ってスパイ活動をしていたという男と同様、某国の諜報機関の指示にしたがって、日本の首都の真中に上空から攻撃の際の目印になるような巨大な×印を作った・・・。そういう活動をする引き換えとして、某国の諜報機関が「世界的建築家」「世界の丹下」と「嘘でも百回言えば真実」みたいにわめきまくって「世界的建築家」にしたてあげた・・・・・て、『ゴルゴ13』には出ていないが、実際にそうかどうかは知らないが、可能性としてはありうるような感じがしないでもない。
  「某国の諜報機関によって・・・」という部分は、実際にどうか知らないが、「嘘でも百回言えば真実」みたいに「世界的建築家」「名建築家」と言われた人がやったものならありがたい、というのは、「イワシの頭も信心から」というのと変わらないと思うのだ。 「某国のスパイ」かどうかは知らんが、カラヤンと丹下健三はなんか似ていると思いませんか? その扱いというのか、立ち位置というのかが。

   次回、高山シリーズ第2回(17) 高山の町家でわざわざ曲がった松を柱に使うか?の2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html で、「民家」、特に、「高山の民家」で、わざわざ、曲がった松を柱に使っているかどうかについて検討します。 ご覧くださいませ。

   最後にひとこと。
 「ゆっくりだ。」 俺のブログは、ぜひ、ゆっくり腰を落ち着けて読んでくれ。
   (2014.9.17.)
    

☆ 高山シリーズ第2回は、
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)国府町村山天神参拝(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)国府町村山天神参拝(3)浸透桝で雨水処理、赤松は赤い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅上・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅下・宮地家住宅上https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅下・平田記念館https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)飛騨民族考古館2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)飛騨民族考古館3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)飛騨民族考古館4 版画喫茶ばれん、質屋の入口から逃げていく裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館(矢嶋家土蔵、永田家土蔵)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのか、全体が入れ替わるのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html

〔(16)~(20)の前提として、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前だけで敬意を表した慶應義塾大学日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はフランクロイド=ライトの設計でなければ価値はないか?  今回。
(17)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 3 掃除しにくい細かい桟、マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 4 料理を出せないついたて、店のコンセプトが理解できない建設部長、日露戦争100周年と平気で口にする女性 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」、 人事総務の最低スキル https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html

(21)飛騨総社 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html

☆ 高山シリーズ第1回 は、
上 [第202回]《飛騨天満宮(高山市)‐冤罪を晴らす神・菅原道真・怨念を晴らす旅(12)上、松本家住宅、飛騨の家具館他》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]《飛騨天満宮(高山市)‐冤罪を晴らす神・菅原道真(12)中。「天神」考察。居酒屋はいいかげん。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]《飛騨天満宮(高山市)下‐冤罪を晴らす神・菅原道真(12)。高山市の白山神社。高山市役所。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html 
です。 ぜひ、ご覧くださいませ。


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