日露戦争百周年と平気で言う店員、料理を出せない居酒屋のテーブル、施工不良を指摘できない建設部長

[第297回]高山の民家では柱に曲がった松を使っているか?(4) 高山シリーズ第2回(19)
【26】-11 高山の「民家」 11
《10》-4 高山の町家では柱に曲がった松を使っているか?  実際にありえない「民家」造りはカッコいいか? たしかに居酒屋はレベルが低いわ!(4)
<6> 現場で働く人間の意見をとりいれない「デザイナー」 
   2005年の夏、神奈県横須賀市の京浜急行電鉄「横須賀中央」駅の近くで横須賀中央店が完成した時、私が店の工事状況を見に行った時、同店の店長から言われたのが、2人ずつ4人向い合せの席で通路とテーブルとの間に設けられたテーブルから天井までの間の固定されたしきりについて、「これは、できるだけ、やめてほしいんですよねえ~」でした。 ところどころに穴をあけた木でしきりを設けて、客席を完全に個室にはしないけれども、通路との間にしきりがあるということで、落ち着いた雰囲気となかばは独立した空間を確保するというものですが、料理を運んでテーブルに配置する仕事をする人間としては、テーブルと通路の間にその木製のしきりを設けられると、料理を出しにくいのです。「はなの舞」の店長、なかなか、わかってるじゃないの。 「店長」でも自分が仕事をしないでひとにさせるだけの人はわからないでしょうけれども、彼は自分自身も仕事をする店長だからわかるのでしょう。「できるだけ」はかなり遠慮した表現です。 「デザイナー」はそういった現場の声を聞いて、現場で仕事をする人が仕事をしやすいように設計するのが仕事のはずですが、八重洲店で掃除がしにくい細かい桟が装飾に多く設けられていたのもそうですが、どうも、実際にその店で働く人の立場を十分に考えて設計できていないようです。 又、社長他経営者はそういったあたりを配慮しなければならないし、そういった点について「デザイナー」に指摘しなければならないはずだが、そういう能力はないらしい。私は言われたことをきっちり伝えたけれども、生かされないでしょうね。 私がその後もおれば、なんとかそのあたりを「デザイナー」に理解してもらえるように尽力したと思うが、この会社は私を大事にしなかった。
   [第203回]《飛騨天満宮(高山市)中‐冤罪を晴らす神・菅原道真(12)。「天神」考察。居酒屋はいいかげん。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html  【5】(4)-2 で述べたように、「デザイナー」は社長の言うことには無批判で従うようだが、それよりも、実際にその店で働く人間がどう感じているか、といったことにもっと耳を傾けるべきはずだが、現実にできている店舗を見ると、社長の言うことは指摘するべきものも指摘せずに無批判に従い、掃除しにくい細かい桟にしても、料理を出せないついたてにしても、その店で実際に働く人間の言うことには十分に耳を傾けてできたものとは言い難い。 それとも、「はなの舞」や「ファーストグルメ」の店長は初対面の私にでも本音で話してくれたのだが、チムニー株式会社の建設部には開発本部長を兼任していた社長をはじめとして、実際に店舗で働いている人間に意見・感想を聞こうという姿勢のある人間は誰もいなかったのだろうか。話す気になれない人間だったのだろうか。

<7> 「戦後◇◇年」と「日露戦争後◇◇年」はどう意味が違うか。 わからない人間の愚かさ。 競争原理を超えて。 
   チムニー株式会社では、「はなの舞」「花の舞」「炎」などの同社の店舗が開店する前日に予行演習を兼ねて「関係者」を招いて「セレモニー」として飲食会が開店する店で催されていた。 その横須賀中央店の開店式でのこと。司会役の女性店員が何を言い出したか。 何、言ったと思いますか?
   「ここ、横須賀は軍港として発展してきた町ですが、今年(2005年)は、日露戦争、戦勝100周年の記念すべき年です」と。 おまえ、いったい、何を言うつもりだ!!! とあきれた。 その司会役の女性は、特別の役職者ではなかったはずですが、司会者は自分の発言は個人としてのものではすまないということを認識して発言しなければならないし、経営者は、あらかじめどういうことを言うか確認しておかなければならないはずなのです。 第2次世界大戦の「終戦」「敗戦」から何周年というのと、ロシア戦争から何周年、特に、ロシア戦争から戦勝何周年と言うのでは意味はまったく違います。 「終戦」「敗戦」から何周年というのは、それまでの日本には、明治維新から良い点もあったかもしれないけれども、問題点もあったはずだ。敗戦に至ったというのは、問題点があったから敗戦に至ったのだ。だから、この機会に、どこがよくなかったのか反省もし、改めるべきものは改めて、新しい日本として歩んでいこうというのが、「終戦」「敗戦」から何周年という意味です。だから、これを述べるのは何ら悪いことはありません。 しかし、「ロシア戦争戦勝100周年」とは、2000年を過ぎて、「平成」という元号になって、そういうことを言い出す人間がいるとは思いませんでした。 戦争というものは、勝てばいいというものでもないのです。勝ったなら、負けた国があり、負けた国の人がいるのです。そういう人たちがどういう気持ちになっているかということを考える必要があります。 日本は、今、アメリカ合衆国とも韓国とも中国とも、そして、ロシア連邦とも、好きか嫌いかは関係なく、協調して友好的にやっていかないといけないのです。 「ここ、横須賀は軍港として発展してきた町ですが、今年(2005年)は、日露戦争、戦勝100周年の記念すべき年です」などとマイク持って言い出した女性、わかっていますか?
   ボロディンのオペラ『イーゴリ公』は、ロシアの古い言い伝えをもとに作られたもので、ロシアに攻めてきたアジア人(ジンギス=カン→フビライ=カンの「元」ではなく、トルコ系のアジア人だったのではないかと言われているらしい)に対し、イーゴリ公は戦うものの敗れて息子とともに捕虜になる。もしも、自分の仲間になって一緒に戦うなら、おまえを捕虜としてではなく友として扱おうという申し出に対し、ロシアの英雄イーゴリ公は、たとえ、命を失うことがあろうともそのような申し出を受けるわけにはいかない、もし、私を釈放するならば、再び軍を組織しておまえと戦うであろう、とアリアで歌う。 イーゴリ公の息子は進攻してきたアジア人の王の娘と仲良くなり、イーゴリ公が逃亡しようとする際、一緒に逃亡するのをためらうが、2人は逃亡し息子のみつかまる。帰還したイーゴリ公は再びロシア人のために立ち上がる。そういう話だが、作曲家ボロディンは音楽専門家であったわけではなく、「化学者で医者」だったそうで、オーケストレーションの能力がそれほど優秀でなかったと言われ、『イーゴリ公』も完成させることができずに他界し、ボロディンの死後、リムスキー=コルサコフが完成させたという。 ロシア人とアジア人の関係は、いつの時代においてもロシア人の方が優勢であったわけではなく、イーゴリ公の時代は、東から攻めてきたアジア人に軍事的に弱いロシア人が攻撃・侵略され、それに屈しないで抵抗したのがイーゴリ公だったらしいのですが、ペレストロイカの頃のソ連から、ロシア人がアジア人と戦ってアジア人を倒すという話は、東西冷戦終結、ペレストロイカの時代においては好ましくないのではないかという考えが出てきて、そして、オペラ『イーゴリ公』は、もともと、ボロディンは未完成の状態で他界したものなので、それをどのように完成させるかは柔軟性をもって対処することができることから、話の順番を入れ替え、イーゴリ公が自分たちの仲間になって一緒に戦えという申し出を断固として断り、逃走の上、再び、戦いに臨むというところで話を終わりにするのではなく、アジア人とロシア人は戦争で戦ったが、その後、イーゴリ公の息子とアジア人の王の娘が仲良くなり、二人は結ばれる、という、最後はロシア人とアジア人が仲良くなる、という話にして上演される、ということがあったという。日本は、ロシア連邦とも友好的にやっていかなければならないのです。その時代において、「ロシア戦争戦勝100周年の記念すべき年です」とは、何、考えてるんだ、おまえは! それを平気で言わせている経営者は、いったい、何を考えてるんだ!!!
   ロシア戦争に勝ったという時、西アジアの方の人たちは、長年、自分たちが勝てなかったロシア、西アジアでアジア人の最強の国であったオスマン=トルコが勝てなかったロシアに同じアジア人の日本が勝ったと喜んだ人たちがいたという。 アジアでは、アジア人が勝てなかった欧米にアジアの日本が勝ったと喜んだ人たちがいたという。 しかし、戦争は勝てばそれで終わりではない。 戦争は、勝てばいいというものでもないのだ。

   太平洋戦争で、日本の真珠湾攻撃が、なぜ、宣戦布告より前になったか? といったことがよく言われるが、実は、日本軍は、日清戦争の時も、日露戦争の時も、似たようなことをやっていたようだ。 日露戦争の時、日本海海戦として、ロシアのバルチック艦隊が南からやってくるのを、東郷平八郎元帥が、日本海で、日本の戦艦を横に向けて大砲を並べて破ったという有名な話があったが、なぜ、バルチック艦隊なのだろう? と私はその話を聞いた時、思ったのだ。思いませんか? ソ連の時代、ソ連の有力な軍港が4つあって、それは、北海に面したムルマンスク、バルト海に面したレニングラード(→サンクト=ペテルブルク)、黒海に面したオデッサ、日本海に面したウラジオストクの4つだった。東西に長いソ連にとって、面している海は、北海・バルト海・黒海と日本海の4つがあって、それぞれに軍港があったのです。 ロシア革命前のロシア帝国も領土はソ連と似たような状況だったはずですが、バルチック艦隊というのは、バルト海の艦隊であったはずで、極東方面に進出してきていたロシア帝国は、バルト海にしか艦隊は持っていなかったのだろうか。 たしかに、もともと、ロシアは内陸部の国であって、「海のクジラ イギリス、陸の北極熊 ロシア」と言われたりもしましたが、だからといって、アジア方面に艦隊を持っていなかったのだろうか? 疑問に思いませんか? そういう疑問を持ちませんか?
   実は、ロシア帝国はアジアにも艦隊を持っていたのです。 どこに持っていたかというと、旅順港に停泊していたそうです。 どうやら、日本軍は、日露戦争の時、宣戦布告の前に、戦闘機を旅順港に差し向け、ボカンボカンボカ~ンと旅順港に停泊中のロシア軍の艦隊を攻撃して半数以上沈めてしまったらしいのです。その上で宣戦布告したらしいのです。だから、ロシア軍は極東での戦いにもかかわらず、バルト海の艦隊であるバルチック艦隊をはるばる喜望峰の南をまわって日本海まで運行させてきたらしいのです。 そして、日本海海戦で日本軍が勝ち、ロシア戦争は日本の勝利となってポーツマス条約が結ばれた。 その当時の日本では、欧米の強国・大国であるロシアに勝ったと喜ぶ国民もおれば、犠牲をはらったわりにポーツマス条約で獲得したものが少なかったと不満もあって日比谷焼打ち事件といったものも発生したのです。 それで、ともかくも、日露戦争では日本は勝利したのですが、この戦争のおこない方などから、スターリンは日本のことを「だまし討ち国家だ」と言っていたというのです(ヒトラーは日本人のことを猿真似民族だと言っていたそうですけれども)。そして、スターリンは「日本には日露戦争以来、相当の貸しがある」と言っていたというのです。 スターリンのその考え方がいいかどうかというと、すべての民族は敵と敵として接するのではなく、「社会主義者には国境はない」とかつてのソ連が言っていた、実際には嘘かもしれないけれども、たとえ、口先だけにしても、たとえスローガンだったとしても、たとえたてまえであったとしても、そう言っていた、その考え方からいけば、「貸しがある」とかなんとかいうスターリンのその考え方は適切とはいえないと思いますが、それはそれとして、日露戦争で日本は勝った、勝ったと喜んでいる日本人がいた一方で、「日本には日露戦争以来、相当の貸しがある」という思いを持っていた人間が世界にいたのです。
   ロシア人にもいろいろな思いの人がいて、すべての人がそのように思っていたということではないでしょうけれども、そのような意識の人もいたでしょう。そして、第二次世界大戦の終わり、日ソ中立条約を破ってソ連軍は「満州国」に攻め入った、といったことから、「ソ連はずるい」「ロシア人はずるい」といったことを言う人がありましたが、しかし、それより前、「満州国」の関東軍は、「満州国」とソ連の国境付近で軍事演習をやっていたことがあり、日本の同盟国であったナチス・ドイツは独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻しています。そもそも、1939年に起こったノモンハン事件というものですが、あれは「事件」だったのか。そうではなく、もっと本格的な戦争だったということはないのか。関東軍・日本軍はソ連軍に負けたのではないのか。戦争をしかけたけれども、ソ連軍に歯が立たなかった。だから、ヒトラーが西からソ連に攻め込んだ時に、松岡洋右が日本も東からソ連を攻めるべきだと主張しても攻めることができなかった、ということはないか。 第二次世界大戦中のことは、今もわかっていないこと、はっきりと知られていないことがありますが、いずれにせよ、日露戦争は勝ったから良かった良かったとノー天気に喜べるようなものではなく、「日本には相当の貸しがある」という思いを持つ人も発生した。 その後のシベリア抑留というものは、あれは何だったのか、国際法から考えても不適切なシベリア抑留を、スターリンは何のつもりでおこなったのか、という問題もありますが、日露戦争の勝利というものが、シベリア抑留の前提にある可能性は十分に考えられることでしょう。

   日露戦争の勝利を日本人が喜んだのは、欧米の強国・大国のひとつであるロシアに、ともかく勝ったということとともに、「これで、一等国の仲間入りをした」ということで喜んだはずです。 ところで、2000年を過ぎた今、 「ここ、横須賀は軍港として発展してきた町ですが、今年(2005年)は、ロシア戦争、戦勝100周年の記念すべき年です」などと言い出す人って、今もって、「日本は一等国になった、めでたい、めでたい」とか言いたいのでしょうかね???
   そもそも、「一等国」になるだのならんだのというのは、それは発展途上国の発想でしょう。 もう、やめましょう。その「一等国」だのなんだのという発想は。
≪  日本は、徳川時代の終わりに黒船が来て、はじめて西欧の文明に触れて、そこからかけ足で近代化の道をたどったのですが、このときは、東洋の劣等生が西洋の優等生の仲間にはいりたいというせつなる悲願のようなものが国家目的になっていました。そして、ひじょうにはやい速度で、いちおうの近代化をなしとげたと思います。
   この「一等国」ということばのなかには、ほかの国との比較がふくまれています。自分の国はほかの国がどうあろうとこういう国にしたい、というのではなくて、あくまでほかの国が基準になっています。ヨーロッパの一等国に追いつこうという比較あるいは競争ということが基礎になっています。 いわばヨーロッパの優等生国家のようになりたいという悲願が、明治以来、ずっと日本の国を動かしてきたのです。・・・≫
≪  自分を他人との競争のなかにおいて、あらゆるものに一等・二等・三等・・・・とつけなければ承知しないような明治以来の考え方・・・・≫
(遠山 啓『競争原理を超えて』1976.1.31. 太郎次郎社)
   「日露戦争戦勝100周年の記念すべき年です」などとわざわざ言いたい人。 夏目漱石の『三四郎』の広田先生の言葉を思い出してみるべきだと思います。
≪  ・・・すると髭の男は、
「お互いは哀れだなあ」と言い出した。 「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って一等国になってもだめですね。 ・・・・・・」
   「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男はすましたもので、
「滅びるね」と言った。 ≫
(夏目漱石『三四郎』角川文庫、岩波文庫他)

    「ここ、横須賀は軍港として発展してきた町ですが、今年(2005年)は、日露戦争、戦勝100周年の記念すべき年です」とマイクを持って言った女性。 彼女が不認識だったとしても、経営者はそのあたりをきっちりと指摘しなければならない。 高山は外国人にも人気のある町だ。「はなの舞」「花の舞」「炎」といった店は、日本人だけでなく外国人にも来てもらいたい店のはずで、日本在住のロシア人にも来てもらいたい店のはずだ。 経営者はわかっていなかったのか。 それとも、まさか、経営者が言わせたのか? まさか、そこまでバカなのか?
    「ここ、横須賀は軍港として発展してきた町ですが、・・・」と言われて嬉しくない人も横須賀にはいるでしょう。横須賀の住人は、「横須賀と言えば軍港」「横須賀と言えば米軍・自衛隊」という状態がうれしいでしょうか?そもそも、横須賀って、軍港しかない所ですか? 他に何もないですか? 
    飲食店というのは、多くの人に来て利用してもらってお金を払っていっていただきたい存在で、日本人にも外国人にも好かれないといけない存在のはずです。「◇○友好何周年」なら言ってもいいけれども、「◇○戦争戦勝何周年」とはうかつに言うべきものではないはずだと思うのですが、それを平気で言わせていたというのは、チムニー(株)の経営者にはそのあたりの感性はないのでしょうか。

    ロシアのバス歌手・フョードル=シャリアピンはかなりの親日家だったそうで、「日本人とロシア人は世界でもっともすばらしい2つの民族だ。だから、この2つの民族は決して喧嘩してはならない。決して戦争してはならない」と、シャリアピンはそう語った。 もう、何十年も前、FM放送でそう語られているのを聞きました。
※シャリアピンの歌
《YouTube蓄音機でシャリアピン「モスコーの街の唄」 Feodor Chaliapin - 》http://www.youtube.com/watch?v=zy6bgob4Uuw
     

<8> 施工ミスを業者に指摘できない建設部長。 自分の会社の店のコンセプトが理解できていない建設部長。  
   「はなの舞」の柏店が完成した時、工事状況を私が確認に足を運んだ際、和室用のテーブルの一部分で開閉する動きをするもので、閉めた際に、本来、ぴったりと隙間がないはずのものが、相当の隙間、1ミリ2ミリはしかたがないがそうではなく4センチか5センチほども隙間があくという箇所があった。 私は、これは工事業者に指摘して修正してもらっていいと考えた。 黙っていると工事業者というのは、この依頼者はこの工事内容でいいのだな、と考えてしまう。 だから、指摘して修正してもらうか、たとえ、それでいいにするとしても、きっちりと指摘した上で、次からはきっちりとやってもらうように言っておくべきだ。 しかし、この時、私は中途入社して1か月も経っていなかったので、1か月経っていない者が直接言っていいかどうかという問題もあるので、とりあえず、建設部長のO木さんに話した。 O木さんから業者に言うか、私が言っても良いか確認するために。
    ところが、建設部長のO木さんはどう言ったかというと、「居酒屋はそのくらいいいんだ」と。 いいだろうか?  1ミリ2ミリはしかたがない、として。 3ミリ、4ミリをいいとするかしないかはその対象にもよるだろう。しかし、本来、ぴったり隙間なく止まるものが4センチも5センチも隙間があるというのは、工事業者はまじめに仕事をしているとは言えないのではないか。 いいのか? そんなものが。
    結論を言うと、建設部長のO木さんに2つ問題があったということだ。
(1) O木さんは、工事業者に、「これでは具合悪いよ。 やり直してくれ」と言う能力、スキルがない。 やり直せとまで言うのは酷だ、といっても、不良施工した業者が悪いのだから、完全に壊してやり直すのが嫌なら補修してなんとかしてもらうしかない。 たとえ、今回はこれでいいとするにしても、「この工事内容なら、先の約束の金額は払えない」と言うか。 それもしないとしても、きっちりと指摘して、「次、この内容なら、工事代金は払えないよ」とでも言うか。 何かしないと、次もいいかげんな施工になる。 それを、O木さんは言えないのだ。 言えない建設部長てあるか? と私は思ったが、あったんだわ、ここに。
(2)  O木さんは、自分の会社の店のコンセプトがわかっていない。 「居酒屋は工事はいいかげんでいいんだ。きっちりしてなくても」。彼はそう言ったのだが。そうか? 違うだろ。
    居酒屋にもいろいろある。 「はなの舞」「花の舞」「炎」が目指している「高山風の民家風」というのは、いいかげんでいいのか? 高山の民家というのはいいかげんか? 違うだろ。 
    花登 筺の『銭の花』(講談社)に、伊豆熱川の山水館の原田正吾に嫁に行くと決まった加代に、姉婿の石島が、ちょっと、話があると言い、話なら家でききますという加代に、うちの和子(加代の姉、石島の妻)に聞かれたくないんや、と言って、連れて行かれた「料理屋」の奥の部屋で、石島は加代に襲いかかる。「加代ちゃん、嫁に行くんやったら、わいに先に抱かせてくれ」と。 加代は逃げようとして抵抗し、部屋に置かれていた家具が倒れて大きな音を立てるが誰も来ない。 おそらく、石島は普段からそういうことをその店でやっていたのだろう。そして、その店はそういうことをさせる店なのだろう・・・・というくだりがあった。 加代が気づくと、姉の和子が来ていて、「あんた、帰ってんか」と石島に言う。 「帰ったら、また、喧嘩か」という石島に、「こんな恥ずかしいことで、喧嘩できるかいな」と和子は言う。
    『銭の花』で石島が女性を連れ込んで、手籠めにしようとする店のような「料理屋」というものも存在したのだろう。 「居酒屋」にもその類があるのではないか。 だから、「居酒屋はレベルの低い業界」という人材開発部のT常の言うことは間違いではない。 早稲田大学にスーパーフリーという「サークル」があって、コンパと称して女子大生を集めて、酒を飲ませてそこで強姦していたとしてニュースになったことがあった。 慶應にも似たことをしている「サークル」があった。 短大生や専門学校生の女性をコンパだとして呼んで、そこで内部進学者を中心とした慶應のバカどもが襲いかかる。 その場を提供していた居酒屋が「庄屋」だった。 だから、庄屋の社長が社長は従業員を殴る権利があるという観念を持っている男だったといっても、もともと、居酒屋は女を襲う場所だと心得ているような居酒屋を経営している男だから、そんなものなのかもしれないのだ。 その「サークル」の「幹事」をやっていた男が大学生用就職情報誌「リクルート」に慶應義塾大学のS野くん として写真入りで出ていたが、株式会社リクルートの人にきいてみたが、株式会社リクルートとしては、そういう人間だということを知らなかったから掲載したのであってそういう人間だから掲載したのではない、ということだった。
   「居酒屋」にもいろいろある。 チムニー株式会社の「はなの舞」「花の舞」「炎」が、女性をだまして連れ込んで襲いかかる場所としての居酒屋であるならば、机の工事内容なんかどうでもいいだろう。 そういう店なのか? そうではあるまい。 「はなの舞」「花の舞」「炎」がモデルとしている高山の民家はそういう建物ではあるまい。女性をだまして連れ込んで襲いかかる場所としての居酒屋のつもりなら、高山の民家風にするのはやめてもらいたい。高山の民家が迷惑するから。
   建設会議で何度も話題になった。 居酒屋はファミリーレストランや喫茶店などと違って、よく壊される。 どうすれば壊されないようにできるか、と。 「頑丈に作る」というのがひとつの対策としてある。 「頑丈に作るしかないわな」と社長の I 泉さんが発言したことがあった。 しかし、それだけか? それだけしか思い浮かばないか?
   社長の I 泉さんはひとつしか知らなかったらしいが、横須賀中央店の店長はもうひとつ知っていた。 「できるだけ、個室は作らないでほしいんですよ」と。 「個室化が進めば進むほど、客室は悪くなりますから」と。 どういう客層を相手にするのか。 女性をだまして連れ込んで襲いかかる男にその場を提供する「居酒屋」となるのか? それなら、調度品の工事はいいかげんで十分だし、「高山風の民家風」の内装なんかいらないし、壊されるのは覚悟して、壊されたなら直す費用も出してもらうようにするしかないし、壊されないようにするのではなく、壊されてる覚悟で安く作ることになるだろう。
   そういう客層ではなく、静かにお酒と料理を楽しむ、もしくは、お酒と料理と高山風の民家風の内装による雰囲気を楽しむ、という客層を相手とするのか? そのあたりを考えてみる必要がある。 低い客層を相手とする店にすれば、店の備品やドアやら何やらを壊されることになる確率は高くなるし、そうでない高めの客層、この場合、金額が高い低いではなく、人間として、客としてのモラルが高い低いの問題として、高めの客層を相手とするならば、壊されることは確率として低くなるだろう。 あくまで、酔って体がふらついてもたれかかった時に壊してしまったとか、そういうものだけになるだろう。
   建設部長のO木さんと一緒に亀戸の店に行ったことがあった、開店前に見ていると、テーブルの脇の柱(内装の飾りとしての柱)に落書きがあった。 もし、壊されないようにしよう、落書きされないようにしよう、と思うのなら、少しでも落書きがあったなら、早急に補正することだ。 人間の心理として、先に落書きがある場所なら、落書きしていい店か、少々、壊してもいい店か? と思ってしまう傾向がある。 壊されたくないならば、落書きされたくないならば、壊されたらすぐに直す、落書きされたらすぐに消す。そうするべきだ。それを指摘しようか、入社して1か月経たない者はもう少し待ってからにした方がいいかと迷って、その時は言わなかったように思う。 落書きされたくないなら、店の調度品やドアなどを壊されたくないならば、そういう店ではありませんよ、という雰囲気を作ることだ。 人間は一定不変ではない。 最初から女性を襲うつもりでその店に来ている慶應の内部進学の連中、公立高校出身者はドジンだから何やったっていいんだと思っている慶應の内部進学の連中などはどうしようもないが、壊してよいというタイプの店かと思われると壊されやすいし、この店はそういうお店ではないと思われれば壊されにくい。 「高山風の民家風」というのは、壊してもらってもいいという雰囲気の内装ではないはずなのだ。 同時に、店の調度品がいいかげんな施工だと、壊していいみたいに思われやすい。 和室のテーブルの開閉する箇所で閉めた時に、4センチも5センチも隙間があくというのを見ると、「居酒屋だからいいかんげんなんだよ」と思われる。そう思われると、こんないいかげんな工事で作られている店なんだから、と思われる。 その結果として、壊される確率は高くなるだろう。 毎度、建設会議で、どうすれば壊されないようにできるか、と話題になっているのに、建設部長のO木さんは、「居酒屋の工事はいいかげんでいいんだ」などと口にしていたのだ。 わかってないのだ。 いいかげんな工事の店は、こんないいかげんな物は壊してもいいだろ、と思われるのだ、そういう心理になりやすいのだ。 きっちりと施工しておけば(「匠の技」とまでいかないとしても、)そういう店ではないと思われて壊されにくいはずなのだ。 「高山風の民家風」というのは、壊してもいい店、というコンセプトではないはずなのだ。 女性を連れ込んで襲う店というコンセプトではないはずなのだ。 O木さんは、そのあたりを理解できていなかったということだ。 建設部長のO木さんには、そのあたりを理解するスキルがなかったということだ。 
  (2014.9.17.)

(追記) この回、公開後、ヤフーニュースに読売新聞の記事として、チムニー(株)の元役員がインサイダー取引をおこなったという記事がでていた。
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外食大手「チムニー」元役員がインサイダー取引
読売新聞11月11日(火)21時48分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141111-00050144-yom-soci
  証券取引等監視委員会は11日、東証1部上場の外食大手「チムニー」(東京)の株が公開買い付け(TOB)されることを事前に知ってインサイダー取引を行ったとして、同社元役員の男性(68)に対して44万円の課徴金納付を命令するよう金融庁に勧告した。
  監視委員会によると、男性は役員だった昨年10月中旬、同社の取締役会に出席した大株主の投資会社側から、酒類販売会社がチムニー株950万株のTOBを実施する方針だとの説明を受け、同月22~24日に自社の株を1500株(約162万円分)購入したという。結局、男性はTOBに応じなかったが、監視委はTOB公開後に最高値になった株価1380円を基準に課徴金額を算定した。
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 ↑もっとも、違法とはいえ、次回《高山で柱に曲がった松を使うか?(5)飲めない人向日本酒のわからない日本酒ソムリエ、人事の最低スキル》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html の<10>で述べた、居酒屋の店員が店の売り上げを銀行に持っていく途中で強盗にあって奪われた場合、強盗から暴行を受けて奪われた人間に「弁償」させてやろうというチムニー(株)経営者の怖ろしい発想に比べれば、かわいいものとも思えるが・・、こういう会社の「役員」というのは、従業員には強盗に会って暴行を受けたような人間に、奪われた金を「弁償」しろ、などといって、一方でおのれは違法な行為でふところをこやそうとしている・・ということなんだな・・・。 この2つの話をセットで考えると、その会社の「役員」や「人材開発部」の人間というのがどういう連中かわかりやすいかもしれない。 まあ・・なにせ、社長のメカケの飲み食い代を平社員に出させる会社だものなあ・・・・・。
  (2014.11.16.)


   次回、高山シリーズ第2回 高山の町家ではわざわざ曲がった松を柱に使うか?の5回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html では、
「お酒があまり飲めない人間でも飲める甘口の日本酒」がわからない「日本酒ソムリエ」について、 人事・総務の最低スキル(もしくは「レベルが低い」人材開発部) など述べます。ご覧くださいませ。

☆ 高山シリーズ第2回は、
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)国府町村山天神参拝(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)国府町村山天神参拝(3)浸透桝で雨水処理、赤松は赤い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅上・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅下・宮地家住宅上https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅下・平田記念館https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)飛騨民族考古館2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)飛騨民族考古館3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)飛騨民族考古館4 版画喫茶ばれん、質屋の入口から逃げていく裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館(矢嶋家土蔵、永田家土蔵)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのか、全体が入れ替わるのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html

〔(16)~(20)の前提として、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前だけで敬意を表した慶應義塾大学日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はフランクロイド=ライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 3 掃除しにくい細かい桟、マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 4 料理を出せないついたて、店のコンセプトが理解できない建設部長、日露戦争100周年と平気で口にする女性。 今回。
(20)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」、 人事総務の最低スキル https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html

(21)飛騨総社 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html


☆ 高山シリーズ第1回 は、
上 [第202回]《飛騨天満宮(高山市)‐冤罪を晴らす神・菅原道真・怨念を晴らす旅(12)上、松本家住宅、飛騨の家具館他》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]《飛騨天満宮(高山市)‐冤罪を晴らす神・菅原道真(12)中。「天神」考察。居酒屋はいいかげん。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]《飛騨天満宮(高山市)下‐冤罪を晴らす神・菅原道真(12)。高山市の白山神社。高山市役所。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html 
です。
  ぜひ、ご覧くださいませ。 



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