松本家住宅・宮地家住宅。仏壇・神棚への配慮。がさつな人間は「営業できる」か―高山シリーズ第2回(8)
[第285回]高山シリーズ第2回(8)
営業と会社の話(64)
【26】-2 高山の「民家」建築(2)
《1》下 松本家住宅 と ヒラノ グラーノ 下
↑ 松本家住宅(重要文化財) 高山市上川原町
日下部家住宅でも吉島家住宅でも見たが、入ってすぐの座敷の所に「囲炉裏(いろり)」があってそこが吹き抜けになっていて、かつ、その部分で木造の構造、架工を見せる(魅せる)というのは、飛騨、高山の民家に共通するものではないでしょうか。
↑ 2階に茶室があって、その床の間ですが、床柱は赤松と説明されていたと思います。
当然のことながら、[第226回]《住宅建築業界 職歴詐称を見破る方法(1)序論「床柱ってどんな木を使うのですか?」+予備校の学歴詐称男 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_8.html で述べたように、「床柱は桧」などと決まっていません。 桧しか木の名前を知らない男というのは、それは業者ではありません。
↑ 旧松本家住宅、1階奥の座敷。 高山の町家の写真が掲載されている場合、囲炉裏と梁の架工が見える吹き抜けのある和室の写真が多いのですが、天井を貼ったその奥の座敷もなかなかのものです。
↑ 土蔵の2階。 太い梁を3本の柱で受けています。 この松本家の土蔵以外でも、このような太い梁を3本の柱で受けている土蔵を見たので、こういう施工をするものかなと思って、この後、飛騨高山まちの博物館の永田家の蔵を見てみると、そうではなく太い梁を1本の柱で受けている施工がされていたので、3本の柱で受けると決まっていたわけでもないようです。
↑ 前回、ふれた問題をもう一度、とりあげます。 旧・松本家の入り口は、南隣の家を高山市が購入して入口と管理人室として使用しています。 北隣は ヒラノ グラーノというピザ屋です。ツナとほうれん草のピザはなかなかおいしかった、というより、ここしばらく、日本で食べたピザの中では一番おいしかった。 それで、松本家住宅の2階にあがると、なんだか、バックミュージックが聴こえてきたのですが、どこから聴こえてきたかというと北側の壁の向こうから、即ち、ヒラノ グラーノでかかっている音楽が聴こえてきたのです。
松本家住宅というのは、≪文政9年(1826)頃に建てられたと考えられる建物で、明治8年(1875)の大火を免れた江戸時代の町家。 市内の町家の中では最古で、改築もほとんどされていない貴重な建築として一般公開されている。 当初は薬商の店舗兼住宅だったが、明治45年(1912)に蝋燭、練油、金貸などを営んだ松本家が譲り受けた。 ・・・≫〔『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』(JTBパブリッシング)〕 というもので、人さまの懐具合を詮索することもないのですが、一般的に考えて、そう貧乏な方のお家ではなかったはずと思うのですが、その割に、現在、管理人室、および、松本家住宅の入口として使われている南隣の家と柱と壁が共有みたいなのです。 さらに、北隣のヒラノ グラーノとも壁を共有しているみたいなのです。 なんだか、金貸しやったりして、この地域ではけっこう金持ちの方の人の家にしては、長屋、もしくは、テラスハウス(連棟建て)みたいに、隣の家と柱と壁を共有しているのです。 どういうことなんだろう・・・と思って、松本家住宅の係員の方に、「この間(松本家住宅部分と南隣の管理人室・入口として使用している部分の家との間の壁・柱)はどうなっていたのでしょう」ときいてみたのですが、現在、南隣の家から入って、中で「松本家住宅」の方に移るようになっている、その壁の部分があったのかなかったのかということと思われたようで、「どうなっていたのでしょうね」ということでした。 さらに、ヒラノ グラーノとの間も壁を共有しているようで、もしかして、昔は隣と親戚だったとかいうようなことでもあったのか?とか思ったりもしたのですが、そのあたりは不明です。 なぜ、隣の家と柱・壁を共有していたのか、という点について、翌日、旧・宮地家住宅に行ってわかりました。
《2》上 宮地家住宅 上 高山市大新町(おうしんまち)
≪ 宮地家は、江戸時代に国府町宮地から高山城下に移住。 宮地屋という屋号で明治時代に米屋、酒屋などの商売を営みながら、田畑を所有し、半農半商的な生業を行っていた。 (「古い町並」八幡地区)≫(現地の説明書き)
≪ 米屋、酒屋、養蚕などに携わってきた半商半農の家。 1875年(明治8)の大火の直後に建てられたといわれる。 奥行きがあり、こぢんまりとした当時の標準的な町家建築。≫と『ことりっぷ 高山 白川郷』(2008.7.昭文社)に出ているが、たしかに、日下部家住宅(日下部民芸館)や吉島家住宅よりは「こじんまり」としています。
↑ 写真はクリックすると大きくなるので大きくして見てください。 中央の「展示中 ただひとみちに 大新町の職人 高山の職人」と書かれたA型看板、「入場無料 開館中 市文化財宮地家」と書かれた札が立っている家が「宮地家住宅」です。 伝統的建造物群保存地区に指定されている地域であり、両隣のお家も古くからの同様の造りのものと思われます。
↑ ≪玄関脇には「馬つなぎ環」がある≫と『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』(2014.5.1.JTBパブリッシング)に出ていますが、クリックして大きくして見ていただければ、その「馬つなぎ環」が入口左側にあるのがわかります。
市が運営しているので入館無料であるが、それより、「さんまち」の付近は人の往来が多く、東京の銀座や新宿の歩道より人通りが多いくらいで、「飛騨民族考古館」や「平田記念館」も混雑というほどではないがたいてい他の来館者はあるし、日下部民芸館や吉島家住宅も、やはり、混雑というほどではないがたいてい他にも来館者はあるのに対し、宮地家住宅と松本家住宅は、土日祭日のみの開館だが、土日でもすいているので、建築探偵団としては、「古民家研究家」としては、「古民家風商業建築、古民家風現代住宅研究家」としては、「(建築家+建築屋)÷2」としては・・・て、全部自分で勝手に名のっているのだが、なかなかいい。 一時の間、そこの住人になった気持ちですごすこともできるし、過去の住人がどう過ごされたのだろうと思いをはせることもできる・・というより、自然とその家の住人がどう過ごされたのだろうと考えるようになる。
ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』(旺文社文庫、岩波文庫 など)では、シラノのキャッチフレーズが「詩人で名剣士、科学者で、しかも音楽家」というものだったが、「自称詩人で我流スポーツマンで、理工系社会科学系人文科学系全般人間で、そこそこ音楽家」くらい名のってみようかとも思うのだが。 それがどうしたと言われるかもしれないが・・・、まあ、いいがな。 昔は「詩人で名剣士、科学者でしかも音楽家」というシラノ・ド・ベルジュラックのようになるはずだったのだが、なったのは「自称 建築探偵団」だから。
⇒〔♪〕《YouTube―TV・映画主題歌: ♪少年探偵団 歌:beni9jyaku(紅孔雀) 》https://www.youtube.com/watch?v=HBYfpsfL9UE
千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング有限会社(建設業)・ビルダーズジャパン株式会社(不動産業)・ジャムズグローバルスクエア株式会社(不明業)の社長の子分のU草A二(30代なかば。当時。男)が自称「工事責任者」を名のっていたが、その割に工事現場をまったく見に行かない、工事内容について責任を持たない、木構造についてわかっていない、[第231回]《住宅建築業界 職歴詐称を見破る方法(2)筋交いの向きがわからない者・自分の工事現場を見に行かない者 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_13.html で述べたような悪質なことを平気で言う人間だった。 かつ、自称「元大工」だったが、元「建売大工」であった為、[第252回]《何気ない動作に見られる建売大工の習性―ボンドをのばさずペッペッペ他。及、軒のない家・片流れ屋根の問題 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201404article_3.html で述べたように「請負大工」の仕事はできない人間だった。 工事に責任を持つ能力がない自称「工事責任者」、「請負大工」の仕事はできない自称「元大工」よりは、自称「詩人で名剣士、科学者でしかも音楽家」の方がいいかもしれない。
自称「建築家」とかいうようなやつにろくなのいない。 大久保清は≪ベレー帽を被ってルパシカを着てスポーツカーに乗りながら、画家を自称し「絵のモデルになってくれませんか?」と約1000人以上の女性に声を掛けていた。ロシアの血を引く甘いマスクと巧みな話術・物腰柔らかな態度から、150人ほどの女性が車に乗り込みうち10数人と肉体関係を持った。しかし、声を掛け行動をともにした女性のうち8名を容赦なく殺害、死体を造成地等に埋めて遺棄した。≫(《ウィキペディア―大久保清》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E6%B8%85 というのだが、その≪ベレー帽を被ってルパシカを着てスポーツカーに乗りながら、画家を自称し≫という部分、その「画家」のところを「建築家」に置き換えれば、ほとんどそのまんま・・みたいな自称「建築家」がけっこういる。 ちょっとかわった帽子かぶってスポーツカーに乗って「建築家」を自称・・・すれば、新華ハウジングの仕事をやっていたN村建築事務所のおっさんとそっくり・・・じゃないか・・・・。 しかし、建築事務所のおっさんというのは、なんで、スポーツカーに乗りたがるのか。 「カッコから入るタイプ(?)」なのだろうか。 本多勝一が、「冒険家」というものについて、本当に冒険というに値する冒険ができるような人間というのは、植村直己にしても堀江健一にしてもそうだが、たいてい「普通の顔」をしている。 漫画雑誌か何かに「冒険家」として書かれるイラストのような顔をしているような自称「冒険家」というのは、一般にたいしたことのできないやつが多い と、どこでだったか述べていたが、私もそうではないかと思う。その「冒険」を「建築」、「冒険家」という部分を「建築家」と置き換えてもいいのではないかと思うのだ。 「建築家」というカッコをすれば人から受けるだろうみたいなヤツ、いわば「ほとんど大久保清」みたいなヤツというのは、たいしたことのないヤツが多いのではないかと思うのだ。 違うだろうか。 このブログでもどこかに書いたが、三井ホームが「建築家とインテリアコーディネーターが作る家」とかいう横断幕を住宅展示場に掲げていたが、そんなもん、たいしたことないと思うな。
↑ 道路から入った場所に「外どじ」があり、道路に沿った場所に「みせ」という和室。 「外どじ」の内側に「内どじ」という土間。 「内どじ」に沿って「おえ」「奥の間」「縁」と続くのですが、「おえ」「内どじ」の上にあたる場所だったと思いますが吹き抜けがあって構造上の架工が見え、吹き抜けの上に天窓がある、というのはこの地域の多くの「民家」に見られるようです。 現在は天窓にガラスが貼られているが竣工時はガラスは入ってなかったと思われるが、天窓は当初からあったらしい。
↑ 宮地家の2階の座敷の床の間。
↑ 2階座敷。 天井が中庭に向かって曲線を描いて低くなっています。 意図的にそういう施工がなされたのでしょうか。
↑ 1階、神棚 と 仏間。(写真はクリックすると大きくなります。)
ここで感心したのは、宮地さんが実際に住まれていた時、「奥の間」の仏壇が配置されていた場所に、高山祭の屋台の模型が置かれ、「おえ」の神棚には花が飾ってあるところです。 かつて仏壇が配置され仏さまのおられた場所は、たとえ、その後、仏壇が置かれなくなっても、やはり、そういう場所であったとして尊重されるべきではないかと思うのです。
前川國男が設計した熊本県立美術館は熊本城の二の丸の跡にあり、前川國男はその場所においては「熊本城が主、美術館は従」として決して熊本城より目立つ建築としてはならないという前提でその場所にとけこみ、かつ、美術館占有スペースに入れば美術館としての場が確保されるように作られています。(熊本県立美術館については、[第271回]《船場菅原神社(熊本市)と熊本県立美術館(前川國男)、熊本市立博物館(黒川紀章)、旧・細川刑部邸 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html 参照。) 上野公園内の東京都美術館も熊本県立美術館と同じく、決して目立ちすぎず、かつ、美術館占有のスペースに入ると美術館としての場が確保されるようになっている。 前川國男の建築で感心したのは、東京文化会館ですが、ル=コルビュジェが設計した国立西洋美術館と向い合せになっていて、入口も南から入る国立西洋美術館に対して、北から入るようになっているのですが、大ホールは南に舞台があって観客は北から南を見る、演技者・演奏者は北に向かって演じるようになっているのです。 小ホールも南寄りに舞台があり、北寄りに客席がある。 大ホールについては、国立西洋美術館と向い合せで北から観客が入るようになっているので、それで観客席が北寄りにあった方が配置しやすいということもあったかもしれませんが、小ホールはいったん南よりに進み、そこから入るようになっているにもかかわらず、舞台は南寄りにあって観客は北よりから南よりの舞台を臨むようになっている。 ここはかつては上野の寛永寺があった場所で、上野公園の中央噴水のあたり、東京文化会館の北側の歩行者通路を西に行ったあたりから北に、本堂(根本中堂)があり、それより北の東京国立博物館のあたりに本坊があり、そのさらに北に徳川家の廟が今もあるという場所なのです。だから、演者は南寄りの舞台に立って、根本中堂や廟がある方向に向かって演じるように東京文化会館は配置されているのです。 前川國男という人の設計の建物をいくつか見てきた上で考えると、これは私の思い込みではなく、意識してこの配置にして作られたものだと思います。
(熊本県立美術館、東京都美術館、東京文化会館について、私が撮影してきた写真も手元にありますが、ここで掲載すると話が広がりすぎると思うので、ここでは掲載しないことにします。)
今現在は仏壇は配置されていないとはいえ、かつてそこに仏壇が配置され、仏さまのおられる所であった場所を、人が踏みつけにするということはできるだけ避けたい。 しかし、不特定の人に来館を認める以上、なかなか理解されない人も来場されることは考えられる。 それで、その場所を踏みつけることはないように、高山祭りの屋台の模型を仏壇が配置されていた場所に設置することにした、ということではないかと思います。
又、神棚も、今は神棚としては使用されていないとはいえ、長く神棚として拝まれてきた場所ですから、そういう場所であるとして尊重したい、ということで花が飾られている、ということかと思いました。 おそらく、そうだと思いますし、その配慮は適切だと私は思います。
床柱と落とし掛けの関係については、高山の民家は「東北方式」の構成の所が多いようですが、神棚については、東北の方では幅1間半とか相当に大きい場合が多いのに対して、↑でも見られるように幅3尺程度で、特に大きいわけではありません。 一条工務店の発祥の地の浜松も幅3尺程度らしく、「中部方式」なのでしょうか。
ところで。 上の方でも述べた、「工事責任者」を自称しながら工事に責任ある態度をとらない、「元大工」と言いながら、建売大工だけあって「請負大工」の仕事はできない、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング有限会社(建設業)・ビルダーズジャパン株式会社(不動産業)・ジャムズグローバルスクエア株式会社(不明業)の社長の子分で自称「工事責任者」のU草A二(30代なかば。当時。男)が「ぼく、営業やったことないですけど、営業できますから」とあつかましい文句を大きな顔をして何度も何度も口にしていたのですが、できるでしょうか。 私は住宅屋の営業の仕事をする時に、お施主様のお宅で、仏間や神棚について、「今まではこうしてきたのだけれども」ということで見せていただく際、自分と信仰・宗派が異なる場合でも、十分に敬意をもって接してきたつもりです。 かつて、仏壇が配置されていた場所であっても、今、そこに仏壇があるわけではない、ということは、その場所を歩いても、別に、仏さまを踏みつけにしているということでもないでしょう。 しかし、そうであっても、長く、仏壇が配置されていた場所というのは、そういう場所だということで尊重するようにした方がいいのではないかと思うのです。 [第251回]《ひとのクルマに乗せてもらって勝手に窓ガラス昇降スイッチをガチャガチャやる男は「営業できる」だろうか 》 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201404article_2.html 、[第207回]《やりもせずに他部署の業務をできると言う者、口出す者を認める会社+「子供があるから」は言い訳にならない》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201310article_3.html の【3】(2) で述べた、人のクルマに乗った時に、教育の悪い家庭の行儀の悪い子どもみたいに勝手にガチャガチャひとのクルマをいじる男、[第252回]《何気ない動作に見られる建売大工の習性―ボンドをのばさずペッペッペ他。及、軒のない家・片流れ屋根の問題 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201404article_3.html で述べたように、これから人さまに見てもらい、そして、人さまに買って住んでいただこうという家で、梁に構造や使い勝手の上では不必要な釘を抜くのではなく平気でためらうことなく中まで打ち込む男。 そういう男に、仏壇や神棚、仏壇や神棚が配置されていた場所に十分に敬意を示す態度がとれるでしょうか。 教育の悪い家庭の行儀の悪い子どもみたいに人のクルマを勝手にガチャガチャいじる男というのは、まさしく、平気でそういう場所をふみつけにする方の人間ではないかと思うのです。そういう印象を受けるのです。 そういう人間に仏壇や神棚について相談しようという気持ちになるでしょうか。 私が施主ならならない。 人によっても感じ方は異なるとは思いますが、教育の悪い家庭の行儀の悪い子どもみたいなヤツが、仏壇や神棚について、この人に相談しよう、この人に相談にのってもらいたいと思ってもらえるか、というと、そうは思ってもらえない可能性が高いのではないかという気がします。 本人はそれでも、「ぼく、営業やったことなくても営業できますもん」とか思っているでしょうし、おそらく、一生、そう言い続けるでしょうけれども。 相当長生きするだろうなあという感じがします。
≪ すると、灰いろのフラノ服を着た、褐色の髪の大男にぶつかって、商店のショーウィンドウの方に押しやられた。 ジョゼフ・メルシェは眼を上げて、『タンスみたいな奴だ!』と思った。こいつはタンスであり、壁である。無感無情な乱暴者で、クラスの真中で彼を嘲った、初等数学の、大男シャメルリエそっくりだ。 こういう手合いは、なにも、自分のことも疑わず、決して病気にならず、顔面神経痛もなく、女と生活を腕一杯に抱え、他人をショーウィンドウに押しのけて、目的に向かって、まっしぐらに進む奴らだ。 ・・・≫
(ジャン=ポール=サルトル『自由への道 第二部 猶予』 佐藤朔・白井浩司訳。1951.発行。 改訂版1983. 人文書院 サルトル全集) ≪女と人生を腕一杯に抱え≫の部分を≪女と生活を腕一杯に抱え≫の方が文脈から考えて訳として妥当と考えてその部分のみ私が変えた。)
旧・松本家を見学の後、旧・宮地家を訪ねて、隣の家との間の問題についてわかった点は、次回[第286回]高山シリーズ第2回(9)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html で述べることとします。
旧・松本家訪問は2014年8月16日、旧・宮地家訪問は2014年8月17日ですが、16日の午後、大雨が降り、川の水量は相当に増えたものの、さすがにこれだけ降ったら翌日はもうそれほど降らないだろうと思いきや、翌17日も朝から大雨。 私が高山に来た2日間に大雨が降るとはたまらない気もしないではありますが、一方、そういう状況を見学できたとも言えます。 笠井 一子(かさい かずこ)『京の大工棟梁と七人の職人衆』(1999.6.25.草思社)には、数寄屋大工の中村外二(なかむら そとじ)棟梁が、実際に大型の台風が来た時に、逃げずにその場で建物が風に吹かれてどういう動きをするかを見る経験があるかないかは大きいということを述べておられ、庭師の明貫 厚(あけぬき あつし)氏が、宮崎県で「迎賓館みたいな数寄屋造りの屋敷」を建築した際、大型の台風が来て、その際、避難した大工に中村外二棟梁が「おまえみたいなやつは大工やめて京都に帰ってしまえ!」と怒鳴り倒したという話が出ています。 多少なりとも建築の仕事に携わる者は、建築を見学に行った際、天候が悪いと不運だと考えるのではなく、むしろ、天候が悪い時、その場所が、その建築がどういう状態になるかを知ることができるということで、むしろ、いい経験を持つことができたと喜ぶべきなのかもしれません・・・が、やっぱり、命あってのもので、明貫さんも述べていましたが、宮崎県の工事の時、「設計家」が「このたびの台風は、人間が生きるか死ぬかの台風だったんだからしょうがない」とか「被害のないほうがおかしいくらいやと施主も認めているんだから」とかいろいろとりなしたというように、台風や大雨の時というのは、やはり、命あってのものだし、「半分は学習・研究、でも、半分は観光」で行った者としては、観光の半分は、やっぱり、大雨はかなわんという気持ちもしました。 又、靴を履いて水たまりはできる限り避けて歩いても、すぐに靴下が濡れてしまい、靴を脱いで畳の上にあがる旧家の見学の場合は気がひけました。コンビニで靴下を買って履き替えても、またすぐに濡れてしまい、その点は閉口しました。 大雨の状況も次回、述べることとします。 ご覧くださいませ。
(2014.9.17.)
☆ 高山シリーズ第2回は、
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同(3)浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅上・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅下・宮地家住宅上 今回。
(9)宮地家住宅下・平田記念館https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html
☆ 高山シリーズ第1回 は、
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
ご覧くださいませ。
営業と会社の話(64)
【26】-2 高山の「民家」建築(2)
《1》下 松本家住宅 と ヒラノ グラーノ 下
↑ 松本家住宅(重要文化財) 高山市上川原町
日下部家住宅でも吉島家住宅でも見たが、入ってすぐの座敷の所に「囲炉裏(いろり)」があってそこが吹き抜けになっていて、かつ、その部分で木造の構造、架工を見せる(魅せる)というのは、飛騨、高山の民家に共通するものではないでしょうか。
↑ 2階に茶室があって、その床の間ですが、床柱は赤松と説明されていたと思います。
当然のことながら、[第226回]《住宅建築業界 職歴詐称を見破る方法(1)序論「床柱ってどんな木を使うのですか?」+予備校の学歴詐称男 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_8.html で述べたように、「床柱は桧」などと決まっていません。 桧しか木の名前を知らない男というのは、それは業者ではありません。
↑ 旧松本家住宅、1階奥の座敷。 高山の町家の写真が掲載されている場合、囲炉裏と梁の架工が見える吹き抜けのある和室の写真が多いのですが、天井を貼ったその奥の座敷もなかなかのものです。
↑ 土蔵の2階。 太い梁を3本の柱で受けています。 この松本家の土蔵以外でも、このような太い梁を3本の柱で受けている土蔵を見たので、こういう施工をするものかなと思って、この後、飛騨高山まちの博物館の永田家の蔵を見てみると、そうではなく太い梁を1本の柱で受けている施工がされていたので、3本の柱で受けると決まっていたわけでもないようです。
↑ 前回、ふれた問題をもう一度、とりあげます。 旧・松本家の入り口は、南隣の家を高山市が購入して入口と管理人室として使用しています。 北隣は ヒラノ グラーノというピザ屋です。ツナとほうれん草のピザはなかなかおいしかった、というより、ここしばらく、日本で食べたピザの中では一番おいしかった。 それで、松本家住宅の2階にあがると、なんだか、バックミュージックが聴こえてきたのですが、どこから聴こえてきたかというと北側の壁の向こうから、即ち、ヒラノ グラーノでかかっている音楽が聴こえてきたのです。
松本家住宅というのは、≪文政9年(1826)頃に建てられたと考えられる建物で、明治8年(1875)の大火を免れた江戸時代の町家。 市内の町家の中では最古で、改築もほとんどされていない貴重な建築として一般公開されている。 当初は薬商の店舗兼住宅だったが、明治45年(1912)に蝋燭、練油、金貸などを営んだ松本家が譲り受けた。 ・・・≫〔『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』(JTBパブリッシング)〕 というもので、人さまの懐具合を詮索することもないのですが、一般的に考えて、そう貧乏な方のお家ではなかったはずと思うのですが、その割に、現在、管理人室、および、松本家住宅の入口として使われている南隣の家と柱と壁が共有みたいなのです。 さらに、北隣のヒラノ グラーノとも壁を共有しているみたいなのです。 なんだか、金貸しやったりして、この地域ではけっこう金持ちの方の人の家にしては、長屋、もしくは、テラスハウス(連棟建て)みたいに、隣の家と柱と壁を共有しているのです。 どういうことなんだろう・・・と思って、松本家住宅の係員の方に、「この間(松本家住宅部分と南隣の管理人室・入口として使用している部分の家との間の壁・柱)はどうなっていたのでしょう」ときいてみたのですが、現在、南隣の家から入って、中で「松本家住宅」の方に移るようになっている、その壁の部分があったのかなかったのかということと思われたようで、「どうなっていたのでしょうね」ということでした。 さらに、ヒラノ グラーノとの間も壁を共有しているようで、もしかして、昔は隣と親戚だったとかいうようなことでもあったのか?とか思ったりもしたのですが、そのあたりは不明です。 なぜ、隣の家と柱・壁を共有していたのか、という点について、翌日、旧・宮地家住宅に行ってわかりました。
《2》上 宮地家住宅 上 高山市大新町(おうしんまち)
≪ 宮地家は、江戸時代に国府町宮地から高山城下に移住。 宮地屋という屋号で明治時代に米屋、酒屋などの商売を営みながら、田畑を所有し、半農半商的な生業を行っていた。 (「古い町並」八幡地区)≫(現地の説明書き)
≪ 米屋、酒屋、養蚕などに携わってきた半商半農の家。 1875年(明治8)の大火の直後に建てられたといわれる。 奥行きがあり、こぢんまりとした当時の標準的な町家建築。≫と『ことりっぷ 高山 白川郷』(2008.7.昭文社)に出ているが、たしかに、日下部家住宅(日下部民芸館)や吉島家住宅よりは「こじんまり」としています。
↑ 写真はクリックすると大きくなるので大きくして見てください。 中央の「展示中 ただひとみちに 大新町の職人 高山の職人」と書かれたA型看板、「入場無料 開館中 市文化財宮地家」と書かれた札が立っている家が「宮地家住宅」です。 伝統的建造物群保存地区に指定されている地域であり、両隣のお家も古くからの同様の造りのものと思われます。
↑ ≪玄関脇には「馬つなぎ環」がある≫と『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』(2014.5.1.JTBパブリッシング)に出ていますが、クリックして大きくして見ていただければ、その「馬つなぎ環」が入口左側にあるのがわかります。
市が運営しているので入館無料であるが、それより、「さんまち」の付近は人の往来が多く、東京の銀座や新宿の歩道より人通りが多いくらいで、「飛騨民族考古館」や「平田記念館」も混雑というほどではないがたいてい他の来館者はあるし、日下部民芸館や吉島家住宅も、やはり、混雑というほどではないがたいてい他にも来館者はあるのに対し、宮地家住宅と松本家住宅は、土日祭日のみの開館だが、土日でもすいているので、建築探偵団としては、「古民家研究家」としては、「古民家風商業建築、古民家風現代住宅研究家」としては、「(建築家+建築屋)÷2」としては・・・て、全部自分で勝手に名のっているのだが、なかなかいい。 一時の間、そこの住人になった気持ちですごすこともできるし、過去の住人がどう過ごされたのだろうと思いをはせることもできる・・というより、自然とその家の住人がどう過ごされたのだろうと考えるようになる。
ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』(旺文社文庫、岩波文庫 など)では、シラノのキャッチフレーズが「詩人で名剣士、科学者で、しかも音楽家」というものだったが、「自称詩人で我流スポーツマンで、理工系社会科学系人文科学系全般人間で、そこそこ音楽家」くらい名のってみようかとも思うのだが。 それがどうしたと言われるかもしれないが・・・、まあ、いいがな。 昔は「詩人で名剣士、科学者でしかも音楽家」というシラノ・ド・ベルジュラックのようになるはずだったのだが、なったのは「自称 建築探偵団」だから。
⇒〔♪〕《YouTube―TV・映画主題歌: ♪少年探偵団 歌:beni9jyaku(紅孔雀) 》https://www.youtube.com/watch?v=HBYfpsfL9UE
千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング有限会社(建設業)・ビルダーズジャパン株式会社(不動産業)・ジャムズグローバルスクエア株式会社(不明業)の社長の子分のU草A二(30代なかば。当時。男)が自称「工事責任者」を名のっていたが、その割に工事現場をまったく見に行かない、工事内容について責任を持たない、木構造についてわかっていない、[第231回]《住宅建築業界 職歴詐称を見破る方法(2)筋交いの向きがわからない者・自分の工事現場を見に行かない者 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_13.html で述べたような悪質なことを平気で言う人間だった。 かつ、自称「元大工」だったが、元「建売大工」であった為、[第252回]《何気ない動作に見られる建売大工の習性―ボンドをのばさずペッペッペ他。及、軒のない家・片流れ屋根の問題 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201404article_3.html で述べたように「請負大工」の仕事はできない人間だった。 工事に責任を持つ能力がない自称「工事責任者」、「請負大工」の仕事はできない自称「元大工」よりは、自称「詩人で名剣士、科学者でしかも音楽家」の方がいいかもしれない。
自称「建築家」とかいうようなやつにろくなのいない。 大久保清は≪ベレー帽を被ってルパシカを着てスポーツカーに乗りながら、画家を自称し「絵のモデルになってくれませんか?」と約1000人以上の女性に声を掛けていた。ロシアの血を引く甘いマスクと巧みな話術・物腰柔らかな態度から、150人ほどの女性が車に乗り込みうち10数人と肉体関係を持った。しかし、声を掛け行動をともにした女性のうち8名を容赦なく殺害、死体を造成地等に埋めて遺棄した。≫(《ウィキペディア―大久保清》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E6%B8%85 というのだが、その≪ベレー帽を被ってルパシカを着てスポーツカーに乗りながら、画家を自称し≫という部分、その「画家」のところを「建築家」に置き換えれば、ほとんどそのまんま・・みたいな自称「建築家」がけっこういる。 ちょっとかわった帽子かぶってスポーツカーに乗って「建築家」を自称・・・すれば、新華ハウジングの仕事をやっていたN村建築事務所のおっさんとそっくり・・・じゃないか・・・・。 しかし、建築事務所のおっさんというのは、なんで、スポーツカーに乗りたがるのか。 「カッコから入るタイプ(?)」なのだろうか。 本多勝一が、「冒険家」というものについて、本当に冒険というに値する冒険ができるような人間というのは、植村直己にしても堀江健一にしてもそうだが、たいてい「普通の顔」をしている。 漫画雑誌か何かに「冒険家」として書かれるイラストのような顔をしているような自称「冒険家」というのは、一般にたいしたことのできないやつが多い と、どこでだったか述べていたが、私もそうではないかと思う。その「冒険」を「建築」、「冒険家」という部分を「建築家」と置き換えてもいいのではないかと思うのだ。 「建築家」というカッコをすれば人から受けるだろうみたいなヤツ、いわば「ほとんど大久保清」みたいなヤツというのは、たいしたことのないヤツが多いのではないかと思うのだ。 違うだろうか。 このブログでもどこかに書いたが、三井ホームが「建築家とインテリアコーディネーターが作る家」とかいう横断幕を住宅展示場に掲げていたが、そんなもん、たいしたことないと思うな。
↑ 道路から入った場所に「外どじ」があり、道路に沿った場所に「みせ」という和室。 「外どじ」の内側に「内どじ」という土間。 「内どじ」に沿って「おえ」「奥の間」「縁」と続くのですが、「おえ」「内どじ」の上にあたる場所だったと思いますが吹き抜けがあって構造上の架工が見え、吹き抜けの上に天窓がある、というのはこの地域の多くの「民家」に見られるようです。 現在は天窓にガラスが貼られているが竣工時はガラスは入ってなかったと思われるが、天窓は当初からあったらしい。
↑ 宮地家の2階の座敷の床の間。
↑ 2階座敷。 天井が中庭に向かって曲線を描いて低くなっています。 意図的にそういう施工がなされたのでしょうか。
↑ 1階、神棚 と 仏間。(写真はクリックすると大きくなります。)
ここで感心したのは、宮地さんが実際に住まれていた時、「奥の間」の仏壇が配置されていた場所に、高山祭の屋台の模型が置かれ、「おえ」の神棚には花が飾ってあるところです。 かつて仏壇が配置され仏さまのおられた場所は、たとえ、その後、仏壇が置かれなくなっても、やはり、そういう場所であったとして尊重されるべきではないかと思うのです。
前川國男が設計した熊本県立美術館は熊本城の二の丸の跡にあり、前川國男はその場所においては「熊本城が主、美術館は従」として決して熊本城より目立つ建築としてはならないという前提でその場所にとけこみ、かつ、美術館占有スペースに入れば美術館としての場が確保されるように作られています。(熊本県立美術館については、[第271回]《船場菅原神社(熊本市)と熊本県立美術館(前川國男)、熊本市立博物館(黒川紀章)、旧・細川刑部邸 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html 参照。) 上野公園内の東京都美術館も熊本県立美術館と同じく、決して目立ちすぎず、かつ、美術館占有のスペースに入ると美術館としての場が確保されるようになっている。 前川國男の建築で感心したのは、東京文化会館ですが、ル=コルビュジェが設計した国立西洋美術館と向い合せになっていて、入口も南から入る国立西洋美術館に対して、北から入るようになっているのですが、大ホールは南に舞台があって観客は北から南を見る、演技者・演奏者は北に向かって演じるようになっているのです。 小ホールも南寄りに舞台があり、北寄りに客席がある。 大ホールについては、国立西洋美術館と向い合せで北から観客が入るようになっているので、それで観客席が北寄りにあった方が配置しやすいということもあったかもしれませんが、小ホールはいったん南よりに進み、そこから入るようになっているにもかかわらず、舞台は南寄りにあって観客は北よりから南よりの舞台を臨むようになっている。 ここはかつては上野の寛永寺があった場所で、上野公園の中央噴水のあたり、東京文化会館の北側の歩行者通路を西に行ったあたりから北に、本堂(根本中堂)があり、それより北の東京国立博物館のあたりに本坊があり、そのさらに北に徳川家の廟が今もあるという場所なのです。だから、演者は南寄りの舞台に立って、根本中堂や廟がある方向に向かって演じるように東京文化会館は配置されているのです。 前川國男という人の設計の建物をいくつか見てきた上で考えると、これは私の思い込みではなく、意識してこの配置にして作られたものだと思います。
(熊本県立美術館、東京都美術館、東京文化会館について、私が撮影してきた写真も手元にありますが、ここで掲載すると話が広がりすぎると思うので、ここでは掲載しないことにします。)
今現在は仏壇は配置されていないとはいえ、かつてそこに仏壇が配置され、仏さまのおられる所であった場所を、人が踏みつけにするということはできるだけ避けたい。 しかし、不特定の人に来館を認める以上、なかなか理解されない人も来場されることは考えられる。 それで、その場所を踏みつけることはないように、高山祭りの屋台の模型を仏壇が配置されていた場所に設置することにした、ということではないかと思います。
又、神棚も、今は神棚としては使用されていないとはいえ、長く神棚として拝まれてきた場所ですから、そういう場所であるとして尊重したい、ということで花が飾られている、ということかと思いました。 おそらく、そうだと思いますし、その配慮は適切だと私は思います。
床柱と落とし掛けの関係については、高山の民家は「東北方式」の構成の所が多いようですが、神棚については、東北の方では幅1間半とか相当に大きい場合が多いのに対して、↑でも見られるように幅3尺程度で、特に大きいわけではありません。 一条工務店の発祥の地の浜松も幅3尺程度らしく、「中部方式」なのでしょうか。
ところで。 上の方でも述べた、「工事責任者」を自称しながら工事に責任ある態度をとらない、「元大工」と言いながら、建売大工だけあって「請負大工」の仕事はできない、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング有限会社(建設業)・ビルダーズジャパン株式会社(不動産業)・ジャムズグローバルスクエア株式会社(不明業)の社長の子分で自称「工事責任者」のU草A二(30代なかば。当時。男)が「ぼく、営業やったことないですけど、営業できますから」とあつかましい文句を大きな顔をして何度も何度も口にしていたのですが、できるでしょうか。 私は住宅屋の営業の仕事をする時に、お施主様のお宅で、仏間や神棚について、「今まではこうしてきたのだけれども」ということで見せていただく際、自分と信仰・宗派が異なる場合でも、十分に敬意をもって接してきたつもりです。 かつて、仏壇が配置されていた場所であっても、今、そこに仏壇があるわけではない、ということは、その場所を歩いても、別に、仏さまを踏みつけにしているということでもないでしょう。 しかし、そうであっても、長く、仏壇が配置されていた場所というのは、そういう場所だということで尊重するようにした方がいいのではないかと思うのです。 [第251回]《ひとのクルマに乗せてもらって勝手に窓ガラス昇降スイッチをガチャガチャやる男は「営業できる」だろうか 》 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201404article_2.html 、[第207回]《やりもせずに他部署の業務をできると言う者、口出す者を認める会社+「子供があるから」は言い訳にならない》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201310article_3.html の【3】(2) で述べた、人のクルマに乗った時に、教育の悪い家庭の行儀の悪い子どもみたいに勝手にガチャガチャひとのクルマをいじる男、[第252回]《何気ない動作に見られる建売大工の習性―ボンドをのばさずペッペッペ他。及、軒のない家・片流れ屋根の問題 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201404article_3.html で述べたように、これから人さまに見てもらい、そして、人さまに買って住んでいただこうという家で、梁に構造や使い勝手の上では不必要な釘を抜くのではなく平気でためらうことなく中まで打ち込む男。 そういう男に、仏壇や神棚、仏壇や神棚が配置されていた場所に十分に敬意を示す態度がとれるでしょうか。 教育の悪い家庭の行儀の悪い子どもみたいに人のクルマを勝手にガチャガチャいじる男というのは、まさしく、平気でそういう場所をふみつけにする方の人間ではないかと思うのです。そういう印象を受けるのです。 そういう人間に仏壇や神棚について相談しようという気持ちになるでしょうか。 私が施主ならならない。 人によっても感じ方は異なるとは思いますが、教育の悪い家庭の行儀の悪い子どもみたいなヤツが、仏壇や神棚について、この人に相談しよう、この人に相談にのってもらいたいと思ってもらえるか、というと、そうは思ってもらえない可能性が高いのではないかという気がします。 本人はそれでも、「ぼく、営業やったことなくても営業できますもん」とか思っているでしょうし、おそらく、一生、そう言い続けるでしょうけれども。 相当長生きするだろうなあという感じがします。
≪ すると、灰いろのフラノ服を着た、褐色の髪の大男にぶつかって、商店のショーウィンドウの方に押しやられた。 ジョゼフ・メルシェは眼を上げて、『タンスみたいな奴だ!』と思った。こいつはタンスであり、壁である。無感無情な乱暴者で、クラスの真中で彼を嘲った、初等数学の、大男シャメルリエそっくりだ。 こういう手合いは、なにも、自分のことも疑わず、決して病気にならず、顔面神経痛もなく、女と生活を腕一杯に抱え、他人をショーウィンドウに押しのけて、目的に向かって、まっしぐらに進む奴らだ。 ・・・≫
(ジャン=ポール=サルトル『自由への道 第二部 猶予』 佐藤朔・白井浩司訳。1951.発行。 改訂版1983. 人文書院 サルトル全集) ≪女と人生を腕一杯に抱え≫の部分を≪女と生活を腕一杯に抱え≫の方が文脈から考えて訳として妥当と考えてその部分のみ私が変えた。)
旧・松本家を見学の後、旧・宮地家を訪ねて、隣の家との間の問題についてわかった点は、次回[第286回]高山シリーズ第2回(9)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html で述べることとします。
旧・松本家訪問は2014年8月16日、旧・宮地家訪問は2014年8月17日ですが、16日の午後、大雨が降り、川の水量は相当に増えたものの、さすがにこれだけ降ったら翌日はもうそれほど降らないだろうと思いきや、翌17日も朝から大雨。 私が高山に来た2日間に大雨が降るとはたまらない気もしないではありますが、一方、そういう状況を見学できたとも言えます。 笠井 一子(かさい かずこ)『京の大工棟梁と七人の職人衆』(1999.6.25.草思社)には、数寄屋大工の中村外二(なかむら そとじ)棟梁が、実際に大型の台風が来た時に、逃げずにその場で建物が風に吹かれてどういう動きをするかを見る経験があるかないかは大きいということを述べておられ、庭師の明貫 厚(あけぬき あつし)氏が、宮崎県で「迎賓館みたいな数寄屋造りの屋敷」を建築した際、大型の台風が来て、その際、避難した大工に中村外二棟梁が「おまえみたいなやつは大工やめて京都に帰ってしまえ!」と怒鳴り倒したという話が出ています。 多少なりとも建築の仕事に携わる者は、建築を見学に行った際、天候が悪いと不運だと考えるのではなく、むしろ、天候が悪い時、その場所が、その建築がどういう状態になるかを知ることができるということで、むしろ、いい経験を持つことができたと喜ぶべきなのかもしれません・・・が、やっぱり、命あってのもので、明貫さんも述べていましたが、宮崎県の工事の時、「設計家」が「このたびの台風は、人間が生きるか死ぬかの台風だったんだからしょうがない」とか「被害のないほうがおかしいくらいやと施主も認めているんだから」とかいろいろとりなしたというように、台風や大雨の時というのは、やはり、命あってのものだし、「半分は学習・研究、でも、半分は観光」で行った者としては、観光の半分は、やっぱり、大雨はかなわんという気持ちもしました。 又、靴を履いて水たまりはできる限り避けて歩いても、すぐに靴下が濡れてしまい、靴を脱いで畳の上にあがる旧家の見学の場合は気がひけました。コンビニで靴下を買って履き替えても、またすぐに濡れてしまい、その点は閉口しました。 大雨の状況も次回、述べることとします。 ご覧くださいませ。
(2014.9.17.)
☆ 高山シリーズ第2回は、
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同(3)浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅上・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅下・宮地家住宅上 今回。
(9)宮地家住宅下・平田記念館https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html
☆ 高山シリーズ第1回 は、
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
ご覧くださいませ。
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