他社について嘘を教える研修、学ばない者が「知らない」のは本人が悪い―教える気がなくなる新人(1)-3
[第306回](69)
【3】 他の会社は値引きとかそんなことばかりで契約を取ろうとしている」なんて、誰がそんなこと言ってるんだ?
O野田くんは、浜松の「研修」で教えられてきたのか(そうでないのか)、「構造アプローチをやっている住宅会社は一条工務店だけで、他の会社は、どこも、間取りをどうしましょうかとか、値引きの話ばっかりやって売ろうとしている」と何度も何度も口にすることがあったので、超弩級お人よしの私は「そんなことないよ」と教えてあげたのだが、そうすると、O野田くんはまたしても、「○○さん、一条工務店の従業員なら、エスバイエルのこと弁護しなくてもいいでしょ。エスバイエルは頼みもしないのに図面を作って客の所に持って行って値引きの話ばっかりする会社でしょう。 そんな会社にいたんだから、認めたらどうですか」などと言って来たのだ。 「頼まれもしないのに図面を作って持っていくなんてことしないし、『値引きの話ばっかり』なんて、やってないよ」と言ってあげても、きかないのだ。「実際に、エスバイエルの展示場に行って営業と話をしたら、値引きの話ばっかりしたの?」ときくと、O野田くんは「行ってませんけれども、エスバイエルは値引きの話ばっかりする会社ですよ。決まってるじゃないですか。」というので、「行って話をしてみたわけでもないのに、どうして『決まってる』の?」と言うと、O野田くんは「○○さんは、エスバイエルのような値引きの話ばっかりする会社のことをそんなにいいように言いたいなら、エスバイエルに行けばいいじゃないですか。」と言い出したのだ。 そのうち、もう、勝手にしろという気になってしまったのだが、一条工務店に新卒入社した新人には、O野田くんのようなことを言う者が時々いたので、これはO野田くんだけが悪いのではなく、一条工務店の浜松の「研修」で、そういったことを教えていたようだ。Oくんは、来場客にも、「構造の話をするのは一条工務店だけで、よその会社は構造の話なんてしないで、間取りをどうするかとか値引きの話しかしないはずです」といったことを口にすることがあったが、Oくんは浜松の営業所のH松所長から教えられたことだから間違っていないと思っているようでしたが、誰から教えられたことであったとしても、そういう同業他社の営業に対する事実に反する誹謗中傷発言は、嫌がる人もあるのではないかと思います。
ところが、中途入社の人間で、特に同業他社から転職してきた人間は、そんな話は嘘だ、とわかるので、それで、一条工務店の古くからいる「一条工務店の土台を築いてきた人たち」と自称している人たちは、同業他社から中途入社で転職してきた人間がおもしろくないらしかった。 しかし、おもしろくないかもしれないが、悪いのは嘘を見抜く人間ではなく、嘘を教えている人間の方のはずだが、それを言うと「一条オリジナル営業」は余計に怒るので、「逆らうとうるさい」のでだんだんと口にしなくなった。 だが、「王様の耳はロバの耳」と言うとうるさいから言わないとしても、それで事実が変わるわけでもない。 「王様は裸だ」と言うなというなら言わないようにしてもいいが、言わないようにしたから王様が服を着ていることになるわけでもない。
「構造アプローチをしているのは一条工務店だけだ」という話が嘘であるのは、同業他社から来た人間は誰もがすぐに理解することであるが、同業他社の経験がなくても、休みの日とかに、同業他社の展示場に見学に行ったりすれば、同業他社の営業、あるいは展示用勤務員は「間取りや値引きの話ばかりする」などということはないという事実を理解することができたはずだ。 O野田くんは「一条浜松流」を無批判に吸収しただけで、自分自身で学習しようとしなかったから、だから、事実を認識することができなかったのだろう。
もっとも、「構造アプローチをしているのは一条工務店だけだ」という話は、話した側が嘘をついたのか聞いた側が誤解したのかよくわからないところもある。 私が一条工務店に入社した時、すでにベテランであったKさんが「○○さん、違いますよ、それは。 『構造アプローチをするのは一条工務店だけ』じゃなくて、『構造アプローチしかしないのは一条工務店だけ』なんですよ。」と教えてくれたことがあった。 「あ・・・。 そうかもしれない」と私は答えたところ、Kさんは「そうでしょ。」と言ったのだが、それなら間違っていないし嘘でもない。1990年代初め、一条工務店の「浜松流」は「構造アプローチしかしない」というものだった。 同業他社は「構造アプローチをしない」のではなく、「構造アプローチしかしないということはない」だったのだ。 だから、「構造アプローチをやっているのは一条工務店だけで、他の会社はみんな、構造の話はまったくしないで、間取りをどうしましょうかとか値引きの話ばっかりやっている」などというお話は、一条工務店の従業員のどこの誰やらが嘘八百話して聞かせたのかもしれないが、聞いた方が誤解して理解したという可能性もないではない。
実際のところ、私自身も、同業他社の展示場に見込客のふりをして訪問したことがあるし、また、住宅建築業の会社を辞めて隣接業界に勤めている時に、自分自身が本当に見込客の立場で見に行ったこともあるのだが、そうすると、自分は一生懸命努力して良心的に仕事をしようとしてきて他の営業に誰にも劣らない良心的な対応をしてきたつもりでいたが、実は、同業他社の他の営業だってそんなに悪くなかったりしたのだ。 一生懸命対応してくれた人には、ごめんね、という気持ちで帰ってきたが、実際のところ、そういう体験をすると、「構造の話をするのは一条工務店だけで、他の会社はどの会社も、頼みもしないのに間取りプランを書いて来て、値引きの話ばっかりする」などという嘘八百を信じることはなくなるはずなのだ。 実際のところ、他の会社の他の営業だってそれなりに努力していると思うぞ。 「構造の話をするのは一条工務店だけで、他の会社はどの会社も、頼みもしないのに間取りプランを書いて来て、値引きの話ばっかりする」などという嘘を信じているアホはおのれの不勉強を恥じるべきであり、そして、そういう嘘を教えて得意がっている「一条工務店の土台を築いてきた人たち」と自称している人たちは、おのれの卑しい根性を恥じるべきだ。
【4】 「小堀住研の高級住宅なんて聞いたことない」発言と「ベトナム戦争の取材で命を落とした記者やカメラマンなんて聞いたことない」発言
1980年代の終わり、私が小堀住研に入社した時、同社では木質パネル構法が主となっており、創業時に建てていた在来木造は坪80万円超のものだけが残っていて、他に高級価格帯に絞って東京圏と関西圏限定で「サンタバーバラ」というアメリカ合衆国カリフォルニア州の都市の名前をつけたツーバイフォー工法の住宅を扱っていた。
1960年代後半から1970年代にかけて、関西地域を中心に「小堀の家」は比較的ハイクラスの会社員にとってはあこがれであり、医者・弁護士などや会社役員などが建てるものという評価を得ていて、「小堀住研はミサワなんかと違って、きちいっとした木造の家を作る会社です」といったセールストークを営業は口にしていた。 1970年代途中からそのミサワホームと同じ木質パネル構法を始めたが、在来木造の自由設計の高級住宅で評価を得ていた会社が始めた木質パネル構法なので、自由度を高くして、費用を出してもらえるのなら、法律に違反したり安全上問題があるといったことがない限りどのような要望にでも応えらえるようにしたというものであった。 「桂離宮のようなすばらしいデザインを現代に」という趣旨で名づけられた「桂(かつら)」という自由設計の高級志向商品の改良版として「新 桂(しん かつら)」があり、木質パネル構法の商品は、それと、「建設省・通産省による国家プロジェクト」としての「高品質低価格」商品「ハウス55」の2本立てで構成されていた。 「ハウス55」は「規格」にとらわれたという意味ではなく、このような住まい方はどうでしょうかと「企画」する住宅という意味で「企画住宅」と言っていたが、プラン集があってそこから要望に近い間取りを選んでそれに手を加えて完成させていくというもので、「標準仕様」が決まっていて、他に「オーダーエントリー」(オプション)がいくつか指定され、その中から選んで作っていくというものだった。 「新 桂」はこれが「標準」などと決まったものはなく、すべて一から考えていくという完全自由設計、「オリジナルプラン」「オリジナルデザイン」「オリジナルワン」と名付けられていたが、世界でその家しかない「オリジナルプラン」「オリジナルデザイン」「オリジナルワン」を作ろうというものだった。 その中間のようなものとして「ハウス55 システムフリー」というものがあって、「ハウス55」のシステムを使うが間取りは完全に一から作っていくので、間取りに関しては構造の制約、法規上の制約さえクリアすれば自由というもので「一定のシステムにのっとってフリー」ということで「システムフリー」と呼んでいた。 一条工務店に入社して、「セゾン」「百年」と名付けられた一条の建物はどういうものか、先輩社員にきくと、「注文住宅」で「自由設計」で、「企画住宅ではない」ということだった。 だから、それなら、小堀の建物なら「新 桂」のようにどのような要望にでも応えられるというものかと最初は思ったのだが、どうもそうではないようだった。 「ハウス55」のようなプラン集はなく、契約後にプランを作成していくというものだが、「標準仕様」「オプション仕様」と決められているものがあって、そこで決められているものをできるだけ使うように会社から要求され、そうでないものを使いたいとなると相当の圧力が加わった。 また、外壁のサイディング壁の色をどうするか、サイディング壁にリシン吹き付け仕上げとするかタイル貼りとするかといった選択はできても、一から考えていくというものではなく、斬新なデザインを希望しても会社はいやがり、一条の設計担当者にはそれに対応するだけの力はなかった。だから、小堀住研では、すべて一から作っていくというものを「自由設計」と言い、使用するものについて「標準仕様」「オプション仕様」が設定されていて、そこから選んでいくが間取りについてはあらかじめプラン集があってそこから選ぶのではなく、制約なく作っていくというものは「システムフリー」と呼び、それとプラン集から選んでそれにアレンジを加えて決めるという「企画住宅」と3つの概念があったが、一条工務店の「セゾン」「百年」と名付けられた「商品」は一条工務店では「自由設計」「注文住宅」と言っていたけれども、システムとしては、小堀住研での「自由設計」「システムフリー」「企画住宅」という3分類から行けば「システムフリー」に近いものだった。(他にも、住宅建築業の会社で、もし、この3分類で言うならば「システムフリー」に近いものを「自由設計」と言っている会社はけっこうあるようだ。 )
入社して数か月して、東京営業所の主任であったM崎さんに、「一条の建物は『自由設計』とか『注文住宅』と言っているけれども、間取り・プランが決まっていないというだけで、実際は、使うものはあらかじめ決まっていてそこから選ぶという方式で、使用する物に関しては、自由設計というより企画住宅のようなもので、小堀の建物で言えば、『ハウス55』の『システムフリー』と似たようなタイプのシステムで、設計の能力を考えると、小堀の建物で言うなら、『新 桂』のような高級志向の住宅は、実際問題として無理ですねえ」と話したことがあった。 これは実際そうだったのだ。
但し、これについては、同社に比較的長く在籍した従業員でも人によって返答は違い、藤沢営業所の所長だったT葉さんは、これに対して、「何を言ってるんだ。 自分が対応できないからいけないんだろうが。私はそれだけのものを契約してもらったし、そういう家を建ててきた」と言って、そして、自分が担当して建てた、「小堀の建物で言えば高級志向住宅の『新 桂』に該当するタイプの完全自由設計タイプ住宅」を外から見せてくれた。 T葉さんは2級建築士の資格を持っていて設計事務所に勤めたこともあったそうで、自分自身でプランニングをしてきた人らしく、一条工務店では営業の仕事をしていたといっても、「営業兼設計」のような営業をやって、自分で図面を作成して、これで建ててくれというように一条工務店の「設計」に渡していたようだ。 そうやれば、どんな家でも作れるというのだ。 たしかにそれはそうだが、そうなると、なんだか、一条工務店の営業というのは、営業というよりも、「設計兼営業」みたいで、自分が「設計」という職種の人間、設計事務所の人間に劣らない能力のある人でないとできないみたいになってしまう。 T葉さんはそういう能力のある人だったからよかったかもしれないし、私も在籍の終わり頃は「インテリアコーディネーターでキッチンスペシャリストで2級建築施工管理技士」として、「そんじょそこらの設計よりも俺の方が上じゃい。『他社が設計を同行してきた』としてもそれがどうした」て感じになってきたが、すべての営業にそういう能力があるわけではないので、そう言った能力がある特殊な営業以外には、「ありきたりの面白みのない家」しかできない実質「規格住宅」のような注文住宅になってしまう傾向があることになる。
私が入社した時点ですでにベテランの年数になっていたKさんが言うには、「だから、一条工務店の営業をやると実力がつくんですよ」という話だった。 「営業」以外のスタッフが充実している会社に営業として勤めたならば、営業の能力しかつかないけれども、一条は営業以外のスタッフがそろっていないから、営業が何でもやるしかないので、その結果として、一条工務店で営業を何年かやった人間は、住宅建築業の業務を一通り身に着けることになるんです、だから、一条の営業を何年か以上やった人間は他の会社の営業をやった人間よりも実力があるんです、ということだった。 これもそうかもしれない。 そうだろう。
しかし、小堀住研に入社した1年目、建物で6000万円少々、解体・外構工事で1000万円、計7000万円余の契約をいただいた某様の契約を入社して1年目の私が担当でもらえたのは、理由はひとつではないが、「設計」という職種の人が尽力してくれたからでもあり、「設計」という職種の人に実力があったからでもあったと思うのだ。 1990年代初めの一条工務店には、いいところもあったというのは否定しないが、そういった「設計」の実力は、その頃までの小堀住研などの同業他社に比べて、劣っていたと言わざるをえない。
そうはいっても、その会社が私を雇ってくれたのであり、自分を雇ってくれた会社のためにその会社の商品を売らないといけない。 そうなると、その状態でどう売るかというのが課題になってくる。 そこで、まず、実状を把握して実状にそって対応せざるをえない。それで、すでにある程度の年数を在籍していた主任のM崎さんに、「一条の建物は『注文住宅』とか『自由設計』とか言っているけれども、実際は使う物に制約がある企画住宅のようなところがあって、中程度の価格帯の顧客には対応できるけれども、小堀なら『新 桂』で対応しているようなそれより上の高級志向の客層は実際問題として難しいですね」と話したのだ。 これは、その後、一条工務店の営業本部長のA野T夫さんと会った時に、「一条の建物は、クルマで言えば『クラウン』『セドリック』のクラスで、それより安い『カローラ』のクラスは苦手で、同時にそれより上の『センチュリー』『プレジデント』のクラスも苦手ですね」と話したところ、A野T夫さんも「そうだ」と同意したのだ。 そのあたりは営業本部長のA野さんは理解できていたのだ。 住宅建築業の会社にも高価格帯から低価格帯まで比較的広く対応していた会社と特定の価格帯のみを得意とする会社があって、1990年前後くらいの小堀住研→エスバイエルは比較的広い価格帯に対応していたが(もともと、関西圏を中心に「小堀で家を建てる」というのが「ステータス」であった「小堀ならではのデザイン」の在来木造による高級志向住宅を木質パネル構法にした「新 桂」と、「建設省・通産省が実施したハウス55プロジェクト」として「高品質低価格」として開発された「ハウス55」とルーツが2つあったからかもしれない)、一条工務店は「クルマで言えばクラウンの価格帯」が得意でそれより下も上も苦手、「カローラもセンチュリーも苦手」としていた。(これはどちらのタイプの会社がいいとか悪いとかはいちがいに言えることではない。)
ところが。 私が主任のM崎さんにそういった話をしていたところ、横にいたO野田くんが、彼には何も言っていないのに、私に「○○さん、エスバイエルの高級住宅なんて、そんなもの、俺、聞いたことないですよ」と言って来たのだ。 それで、私は「こいつ、なんだか、石原慎太郎みたいなやつだな」と思ったのだ。
「石原慎太郎みたい」というのはどういうことかというと、かつて、石原慎太郎が「かつて、日中戦争の時には、日本の記者やカメラマンは中国の奥地まで危険を冒して日本の軍隊と一緒に取材に言ったものだ。 ところが、ベトナム戦争の取材に日本の記者やカメラマンが行ってベトナムで命を落としたり大けがをしたりしたといった話は、私は今まで一度として聞いたことがない」と発言したというのだ。 その発言について、本多勝一が述べていたのだが、石原慎太郎は「ベトナム戦争の取材に行って命を落としたり大けがをしたという記者やカメラマンの話を今まで一度として聞いたことがない」かもしれないが、それは石原慎太郎が「聞いたことがない」だけの話であって、実際にはベトナム戦争の取材に行って命を落としたり大けがをした記者やカメラマンは何人もいる、というのだ。 石原慎太郎が「私は今まで一度として聞いたことがない」としても、石原慎太郎が聞いたことがあるかないかといったことは石原慎太郎の問題であって、そんなことはベトナム戦争の取材に行った記者やカメラマンには何の関係もないことだ、というのだ。 むしろ、石原慎太郎が「日中戦争の時には中国の奥地まで軍隊とともに行った」という「従軍記者」というのは、侵略軍であった日本の軍隊に守られて日本の軍隊を宣伝するための部隊としていった者たちのことであり、ベトナム戦争の取材に行った記者やカメラマンはその大部分の人間が誰にも守られることもなく危険な場所に行って取材してきた人間なのだ、というのだ。
O野田くんが、「俺、エスバイエルの高級住宅なんて今まで聞いたことないですよ」と発言したとしても、それはO野田くんが「聞いたことない」だけのことであって、O野田くんが住宅建築業の会社の従業員として不勉強だというだけのことだ。〔O野田くんが住宅建築業の会社に勤めていない人間なら、知らない人がおれば知られていない会社の方が悪いが、O野田くんが住宅建築業の業界に勤めている人間である以上、知らない人間の方が悪い。〕 その当時の一条工務店とエスバイエル(←小堀住研)は、木構造であるという共通点はあっても、都市型の小堀住研(→エスバイエル)と地方型の一条工務店ではタイプが違うので、実際のところ、競合になることは少なく、知らなくても実害は大きくないであろうが、O野田くんは他の会社についても同じような調子であったと思えるので、同業他社についてのOくんの態度では「知らない営業だな」と客が思う可能性があった。 実際のところ、Oくんを見て、浜松の営業所長で事務所の隣の席にOくんを座らせていたという平松さんは、いったいどういう教育をやっていたんだと疑問に思った。(ひとつには、一条工務店の静岡県・愛知県の「営業所長」というのは、静岡県・愛知県以外のことはまったくわかっていない人だということはあった。H松さん自身も、私が他の地域に転勤で移動した後で東京地域に入社してきた営業からは、浜松のことしかわかっていない者が東京圏のことに傍若無人な口のきき方をすると評判悪かったようだ。)
私は、大学新卒で小堀住研に入社する時、採用が決まる前後から、早川和男『日経産業シリーズ 住宅』(1988.9.13.日本経済新聞社)・グループQ『住宅産業残酷物語』(1988.10.25.)などを読んで、住宅業界にどういう会社があって、どのようなものを建てているか研究を始め、小堀住研に入社した1年目に日経流通新聞編『住のマーケティング』(1989.7.7.24.日本経済新聞社)を読み、一条工務店入社後に三島俊介『住宅業界早わかりマップ』(1995.9.10.こう書房)など読んで、同業他社にどういう会社があって、それぞれどういう特色があり、どういう商品で建てているかといったことを学習してきた。 「月刊ハウジング」「新しい住まいの設計」といった住宅の月刊誌もできるだけ読むようにしたし、総合住宅展示場に出展している同業他社の展示場に見に行ったこともあるし、新聞折り込みで入る同業他社のチラシや総合住宅展示場のチラシも意図的に眼を通すようにしてきた。 そうやって学習すれば、どの会社がどういうものを建てているか理解できていくはずなのだ。 「俺、エスバイエルの高級住宅なんて今まで聞いたことないですよ」というO野田くんの発言は、「俺、アホですよ」と言っているのと同じことになる。 O野田くんが「聞いたことがない」かあるかなどということは何の関係もないことだ。 ベトナム戦争の取材に行って命を落としたり大けがをした記者やカメラマンが何人もあるということを石原慎太郎が「聞いたことがない」としても、それは石原慎太郎が知らないだけのことであるのと同じで、O野田くんが不勉強であることはわかったがそれだけのことでしかない。
〔 エスバイエル(←小堀住研)は、その後、社長の中島昭午が「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」とかアホなことをあっちやらこっちやらで言いまくって、その結果、かつての「高級住宅の小堀」を評価していた客層、「小堀ならではのデザイン」のファンだった客層をドブに捨て、「高品質低価格」の「ハウス55」の客層もドブに捨て、そして、かわりに「最低価格帯」の客層を取得することができたかというとそれも取得することができず、じり貧になって、富士銀行から実質・破産管財人の社長を送り込まれ、富士銀行も取れるだけ取ったのか手を引いて、ヤマダ電機に買収されることになったが、出し殻・出がらしみたいになってしまった会社を買収して、ヤマダさんも大変だな・・・。〕
私は一条工務店に中途入社した1992年においては、最初に住宅建築業の会社に入った時から計算すると4年目だったが、住宅建築業界で何年目であるかにかかわらず、その会社においては1年目であるので、その会社において実績を残すまで、ひとに何かを教えようなどとは考えていなかった。むしろ、その会社のことについては自分が教えてもらう側であったし、住宅・建築についても営業についても「教える方」か「教えてもらう方」かというと「教えてもらう方」だと思っていたのだが、自分が知っているものについては、自分より知らない人がききたいなら教えることを渋る必要はないと思っていた。 それで、お人よしにもOくんにも、以上のように教えてしまってバカを見さされたわけだ。 そのおかげで、アホに教えるとバカを見るという人生にとって貴重なことを教えてもらった。
≪「一条浜松流」が教えている内容が学ぶべきことだ≫というOくんの認識は根本的なところで間違っている。 「一条浜松流」が正しいか間違っているかの前に、 「いかにして契約をいただくか」ということ、「事実はどうなのか」ということの方がより貴重であるはずで、その前提なく、「一条浜松流」と「いかにして契約いただくか」なら「一条浜松流」の方が貴重で正しい、事実はどうかよりも「一条浜松流」の方が大事なことで正しいというOくんが浜松の「研修」で吹き込まれてきた認識は、それは認識が逆立ちしていると評価せざるをえない。
(2014.12.28.)
次回、[第307回] https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201412article_6.html、 「元祖浜松流」の下品な「嘘八百構造アプローチ」について。
☆ 教える気がなくなる新人
(1)‐1 木を人工乾燥しても濡れたり湿度が上がれば一緒?なわけないでしょ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201412article_3.html
(1)-2 木質パネル構法と在来木造の木の使用量、筋交いは削っていいか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201412article_4.html
(1)-3 今回。
(1)-4 「プレハブ」とは何か。建築現場の仮設小屋と「プレハブ」は一緒か? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201412article_6.html
(1)-5 コンパネや集成材はぬるま湯につけると接着剤がはがれるか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201412article_7.html
(2) 現実の見込客を見ずに、「研修」で教えられたものを信奉する営業の愚かさ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_1.html
【3】 他の会社は値引きとかそんなことばかりで契約を取ろうとしている」なんて、誰がそんなこと言ってるんだ?
O野田くんは、浜松の「研修」で教えられてきたのか(そうでないのか)、「構造アプローチをやっている住宅会社は一条工務店だけで、他の会社は、どこも、間取りをどうしましょうかとか、値引きの話ばっかりやって売ろうとしている」と何度も何度も口にすることがあったので、超弩級お人よしの私は「そんなことないよ」と教えてあげたのだが、そうすると、O野田くんはまたしても、「○○さん、一条工務店の従業員なら、エスバイエルのこと弁護しなくてもいいでしょ。エスバイエルは頼みもしないのに図面を作って客の所に持って行って値引きの話ばっかりする会社でしょう。 そんな会社にいたんだから、認めたらどうですか」などと言って来たのだ。 「頼まれもしないのに図面を作って持っていくなんてことしないし、『値引きの話ばっかり』なんて、やってないよ」と言ってあげても、きかないのだ。「実際に、エスバイエルの展示場に行って営業と話をしたら、値引きの話ばっかりしたの?」ときくと、O野田くんは「行ってませんけれども、エスバイエルは値引きの話ばっかりする会社ですよ。決まってるじゃないですか。」というので、「行って話をしてみたわけでもないのに、どうして『決まってる』の?」と言うと、O野田くんは「○○さんは、エスバイエルのような値引きの話ばっかりする会社のことをそんなにいいように言いたいなら、エスバイエルに行けばいいじゃないですか。」と言い出したのだ。 そのうち、もう、勝手にしろという気になってしまったのだが、一条工務店に新卒入社した新人には、O野田くんのようなことを言う者が時々いたので、これはO野田くんだけが悪いのではなく、一条工務店の浜松の「研修」で、そういったことを教えていたようだ。Oくんは、来場客にも、「構造の話をするのは一条工務店だけで、よその会社は構造の話なんてしないで、間取りをどうするかとか値引きの話しかしないはずです」といったことを口にすることがあったが、Oくんは浜松の営業所のH松所長から教えられたことだから間違っていないと思っているようでしたが、誰から教えられたことであったとしても、そういう同業他社の営業に対する事実に反する誹謗中傷発言は、嫌がる人もあるのではないかと思います。
ところが、中途入社の人間で、特に同業他社から転職してきた人間は、そんな話は嘘だ、とわかるので、それで、一条工務店の古くからいる「一条工務店の土台を築いてきた人たち」と自称している人たちは、同業他社から中途入社で転職してきた人間がおもしろくないらしかった。 しかし、おもしろくないかもしれないが、悪いのは嘘を見抜く人間ではなく、嘘を教えている人間の方のはずだが、それを言うと「一条オリジナル営業」は余計に怒るので、「逆らうとうるさい」のでだんだんと口にしなくなった。 だが、「王様の耳はロバの耳」と言うとうるさいから言わないとしても、それで事実が変わるわけでもない。 「王様は裸だ」と言うなというなら言わないようにしてもいいが、言わないようにしたから王様が服を着ていることになるわけでもない。
「構造アプローチをしているのは一条工務店だけだ」という話が嘘であるのは、同業他社から来た人間は誰もがすぐに理解することであるが、同業他社の経験がなくても、休みの日とかに、同業他社の展示場に見学に行ったりすれば、同業他社の営業、あるいは展示用勤務員は「間取りや値引きの話ばかりする」などということはないという事実を理解することができたはずだ。 O野田くんは「一条浜松流」を無批判に吸収しただけで、自分自身で学習しようとしなかったから、だから、事実を認識することができなかったのだろう。
もっとも、「構造アプローチをしているのは一条工務店だけだ」という話は、話した側が嘘をついたのか聞いた側が誤解したのかよくわからないところもある。 私が一条工務店に入社した時、すでにベテランであったKさんが「○○さん、違いますよ、それは。 『構造アプローチをするのは一条工務店だけ』じゃなくて、『構造アプローチしかしないのは一条工務店だけ』なんですよ。」と教えてくれたことがあった。 「あ・・・。 そうかもしれない」と私は答えたところ、Kさんは「そうでしょ。」と言ったのだが、それなら間違っていないし嘘でもない。1990年代初め、一条工務店の「浜松流」は「構造アプローチしかしない」というものだった。 同業他社は「構造アプローチをしない」のではなく、「構造アプローチしかしないということはない」だったのだ。 だから、「構造アプローチをやっているのは一条工務店だけで、他の会社はみんな、構造の話はまったくしないで、間取りをどうしましょうかとか値引きの話ばっかりやっている」などというお話は、一条工務店の従業員のどこの誰やらが嘘八百話して聞かせたのかもしれないが、聞いた方が誤解して理解したという可能性もないではない。
実際のところ、私自身も、同業他社の展示場に見込客のふりをして訪問したことがあるし、また、住宅建築業の会社を辞めて隣接業界に勤めている時に、自分自身が本当に見込客の立場で見に行ったこともあるのだが、そうすると、自分は一生懸命努力して良心的に仕事をしようとしてきて他の営業に誰にも劣らない良心的な対応をしてきたつもりでいたが、実は、同業他社の他の営業だってそんなに悪くなかったりしたのだ。 一生懸命対応してくれた人には、ごめんね、という気持ちで帰ってきたが、実際のところ、そういう体験をすると、「構造の話をするのは一条工務店だけで、他の会社はどの会社も、頼みもしないのに間取りプランを書いて来て、値引きの話ばっかりする」などという嘘八百を信じることはなくなるはずなのだ。 実際のところ、他の会社の他の営業だってそれなりに努力していると思うぞ。 「構造の話をするのは一条工務店だけで、他の会社はどの会社も、頼みもしないのに間取りプランを書いて来て、値引きの話ばっかりする」などという嘘を信じているアホはおのれの不勉強を恥じるべきであり、そして、そういう嘘を教えて得意がっている「一条工務店の土台を築いてきた人たち」と自称している人たちは、おのれの卑しい根性を恥じるべきだ。
【4】 「小堀住研の高級住宅なんて聞いたことない」発言と「ベトナム戦争の取材で命を落とした記者やカメラマンなんて聞いたことない」発言
1980年代の終わり、私が小堀住研に入社した時、同社では木質パネル構法が主となっており、創業時に建てていた在来木造は坪80万円超のものだけが残っていて、他に高級価格帯に絞って東京圏と関西圏限定で「サンタバーバラ」というアメリカ合衆国カリフォルニア州の都市の名前をつけたツーバイフォー工法の住宅を扱っていた。
1960年代後半から1970年代にかけて、関西地域を中心に「小堀の家」は比較的ハイクラスの会社員にとってはあこがれであり、医者・弁護士などや会社役員などが建てるものという評価を得ていて、「小堀住研はミサワなんかと違って、きちいっとした木造の家を作る会社です」といったセールストークを営業は口にしていた。 1970年代途中からそのミサワホームと同じ木質パネル構法を始めたが、在来木造の自由設計の高級住宅で評価を得ていた会社が始めた木質パネル構法なので、自由度を高くして、費用を出してもらえるのなら、法律に違反したり安全上問題があるといったことがない限りどのような要望にでも応えらえるようにしたというものであった。 「桂離宮のようなすばらしいデザインを現代に」という趣旨で名づけられた「桂(かつら)」という自由設計の高級志向商品の改良版として「新 桂(しん かつら)」があり、木質パネル構法の商品は、それと、「建設省・通産省による国家プロジェクト」としての「高品質低価格」商品「ハウス55」の2本立てで構成されていた。 「ハウス55」は「規格」にとらわれたという意味ではなく、このような住まい方はどうでしょうかと「企画」する住宅という意味で「企画住宅」と言っていたが、プラン集があってそこから要望に近い間取りを選んでそれに手を加えて完成させていくというもので、「標準仕様」が決まっていて、他に「オーダーエントリー」(オプション)がいくつか指定され、その中から選んで作っていくというものだった。 「新 桂」はこれが「標準」などと決まったものはなく、すべて一から考えていくという完全自由設計、「オリジナルプラン」「オリジナルデザイン」「オリジナルワン」と名付けられていたが、世界でその家しかない「オリジナルプラン」「オリジナルデザイン」「オリジナルワン」を作ろうというものだった。 その中間のようなものとして「ハウス55 システムフリー」というものがあって、「ハウス55」のシステムを使うが間取りは完全に一から作っていくので、間取りに関しては構造の制約、法規上の制約さえクリアすれば自由というもので「一定のシステムにのっとってフリー」ということで「システムフリー」と呼んでいた。 一条工務店に入社して、「セゾン」「百年」と名付けられた一条の建物はどういうものか、先輩社員にきくと、「注文住宅」で「自由設計」で、「企画住宅ではない」ということだった。 だから、それなら、小堀の建物なら「新 桂」のようにどのような要望にでも応えられるというものかと最初は思ったのだが、どうもそうではないようだった。 「ハウス55」のようなプラン集はなく、契約後にプランを作成していくというものだが、「標準仕様」「オプション仕様」と決められているものがあって、そこで決められているものをできるだけ使うように会社から要求され、そうでないものを使いたいとなると相当の圧力が加わった。 また、外壁のサイディング壁の色をどうするか、サイディング壁にリシン吹き付け仕上げとするかタイル貼りとするかといった選択はできても、一から考えていくというものではなく、斬新なデザインを希望しても会社はいやがり、一条の設計担当者にはそれに対応するだけの力はなかった。だから、小堀住研では、すべて一から作っていくというものを「自由設計」と言い、使用するものについて「標準仕様」「オプション仕様」が設定されていて、そこから選んでいくが間取りについてはあらかじめプラン集があってそこから選ぶのではなく、制約なく作っていくというものは「システムフリー」と呼び、それとプラン集から選んでそれにアレンジを加えて決めるという「企画住宅」と3つの概念があったが、一条工務店の「セゾン」「百年」と名付けられた「商品」は一条工務店では「自由設計」「注文住宅」と言っていたけれども、システムとしては、小堀住研での「自由設計」「システムフリー」「企画住宅」という3分類から行けば「システムフリー」に近いものだった。(他にも、住宅建築業の会社で、もし、この3分類で言うならば「システムフリー」に近いものを「自由設計」と言っている会社はけっこうあるようだ。 )
入社して数か月して、東京営業所の主任であったM崎さんに、「一条の建物は『自由設計』とか『注文住宅』と言っているけれども、間取り・プランが決まっていないというだけで、実際は、使うものはあらかじめ決まっていてそこから選ぶという方式で、使用する物に関しては、自由設計というより企画住宅のようなもので、小堀の建物で言えば、『ハウス55』の『システムフリー』と似たようなタイプのシステムで、設計の能力を考えると、小堀の建物で言うなら、『新 桂』のような高級志向の住宅は、実際問題として無理ですねえ」と話したことがあった。 これは実際そうだったのだ。
但し、これについては、同社に比較的長く在籍した従業員でも人によって返答は違い、藤沢営業所の所長だったT葉さんは、これに対して、「何を言ってるんだ。 自分が対応できないからいけないんだろうが。私はそれだけのものを契約してもらったし、そういう家を建ててきた」と言って、そして、自分が担当して建てた、「小堀の建物で言えば高級志向住宅の『新 桂』に該当するタイプの完全自由設計タイプ住宅」を外から見せてくれた。 T葉さんは2級建築士の資格を持っていて設計事務所に勤めたこともあったそうで、自分自身でプランニングをしてきた人らしく、一条工務店では営業の仕事をしていたといっても、「営業兼設計」のような営業をやって、自分で図面を作成して、これで建ててくれというように一条工務店の「設計」に渡していたようだ。 そうやれば、どんな家でも作れるというのだ。 たしかにそれはそうだが、そうなると、なんだか、一条工務店の営業というのは、営業というよりも、「設計兼営業」みたいで、自分が「設計」という職種の人間、設計事務所の人間に劣らない能力のある人でないとできないみたいになってしまう。 T葉さんはそういう能力のある人だったからよかったかもしれないし、私も在籍の終わり頃は「インテリアコーディネーターでキッチンスペシャリストで2級建築施工管理技士」として、「そんじょそこらの設計よりも俺の方が上じゃい。『他社が設計を同行してきた』としてもそれがどうした」て感じになってきたが、すべての営業にそういう能力があるわけではないので、そう言った能力がある特殊な営業以外には、「ありきたりの面白みのない家」しかできない実質「規格住宅」のような注文住宅になってしまう傾向があることになる。
私が入社した時点ですでにベテランの年数になっていたKさんが言うには、「だから、一条工務店の営業をやると実力がつくんですよ」という話だった。 「営業」以外のスタッフが充実している会社に営業として勤めたならば、営業の能力しかつかないけれども、一条は営業以外のスタッフがそろっていないから、営業が何でもやるしかないので、その結果として、一条工務店で営業を何年かやった人間は、住宅建築業の業務を一通り身に着けることになるんです、だから、一条の営業を何年か以上やった人間は他の会社の営業をやった人間よりも実力があるんです、ということだった。 これもそうかもしれない。 そうだろう。
しかし、小堀住研に入社した1年目、建物で6000万円少々、解体・外構工事で1000万円、計7000万円余の契約をいただいた某様の契約を入社して1年目の私が担当でもらえたのは、理由はひとつではないが、「設計」という職種の人が尽力してくれたからでもあり、「設計」という職種の人に実力があったからでもあったと思うのだ。 1990年代初めの一条工務店には、いいところもあったというのは否定しないが、そういった「設計」の実力は、その頃までの小堀住研などの同業他社に比べて、劣っていたと言わざるをえない。
そうはいっても、その会社が私を雇ってくれたのであり、自分を雇ってくれた会社のためにその会社の商品を売らないといけない。 そうなると、その状態でどう売るかというのが課題になってくる。 そこで、まず、実状を把握して実状にそって対応せざるをえない。それで、すでにある程度の年数を在籍していた主任のM崎さんに、「一条の建物は『注文住宅』とか『自由設計』とか言っているけれども、実際は使う物に制約がある企画住宅のようなところがあって、中程度の価格帯の顧客には対応できるけれども、小堀なら『新 桂』で対応しているようなそれより上の高級志向の客層は実際問題として難しいですね」と話したのだ。 これは、その後、一条工務店の営業本部長のA野T夫さんと会った時に、「一条の建物は、クルマで言えば『クラウン』『セドリック』のクラスで、それより安い『カローラ』のクラスは苦手で、同時にそれより上の『センチュリー』『プレジデント』のクラスも苦手ですね」と話したところ、A野T夫さんも「そうだ」と同意したのだ。 そのあたりは営業本部長のA野さんは理解できていたのだ。 住宅建築業の会社にも高価格帯から低価格帯まで比較的広く対応していた会社と特定の価格帯のみを得意とする会社があって、1990年前後くらいの小堀住研→エスバイエルは比較的広い価格帯に対応していたが(もともと、関西圏を中心に「小堀で家を建てる」というのが「ステータス」であった「小堀ならではのデザイン」の在来木造による高級志向住宅を木質パネル構法にした「新 桂」と、「建設省・通産省が実施したハウス55プロジェクト」として「高品質低価格」として開発された「ハウス55」とルーツが2つあったからかもしれない)、一条工務店は「クルマで言えばクラウンの価格帯」が得意でそれより下も上も苦手、「カローラもセンチュリーも苦手」としていた。(これはどちらのタイプの会社がいいとか悪いとかはいちがいに言えることではない。)
ところが。 私が主任のM崎さんにそういった話をしていたところ、横にいたO野田くんが、彼には何も言っていないのに、私に「○○さん、エスバイエルの高級住宅なんて、そんなもの、俺、聞いたことないですよ」と言って来たのだ。 それで、私は「こいつ、なんだか、石原慎太郎みたいなやつだな」と思ったのだ。
「石原慎太郎みたい」というのはどういうことかというと、かつて、石原慎太郎が「かつて、日中戦争の時には、日本の記者やカメラマンは中国の奥地まで危険を冒して日本の軍隊と一緒に取材に言ったものだ。 ところが、ベトナム戦争の取材に日本の記者やカメラマンが行ってベトナムで命を落としたり大けがをしたりしたといった話は、私は今まで一度として聞いたことがない」と発言したというのだ。 その発言について、本多勝一が述べていたのだが、石原慎太郎は「ベトナム戦争の取材に行って命を落としたり大けがをしたという記者やカメラマンの話を今まで一度として聞いたことがない」かもしれないが、それは石原慎太郎が「聞いたことがない」だけの話であって、実際にはベトナム戦争の取材に行って命を落としたり大けがをした記者やカメラマンは何人もいる、というのだ。 石原慎太郎が「私は今まで一度として聞いたことがない」としても、石原慎太郎が聞いたことがあるかないかといったことは石原慎太郎の問題であって、そんなことはベトナム戦争の取材に行った記者やカメラマンには何の関係もないことだ、というのだ。 むしろ、石原慎太郎が「日中戦争の時には中国の奥地まで軍隊とともに行った」という「従軍記者」というのは、侵略軍であった日本の軍隊に守られて日本の軍隊を宣伝するための部隊としていった者たちのことであり、ベトナム戦争の取材に行った記者やカメラマンはその大部分の人間が誰にも守られることもなく危険な場所に行って取材してきた人間なのだ、というのだ。
O野田くんが、「俺、エスバイエルの高級住宅なんて今まで聞いたことないですよ」と発言したとしても、それはO野田くんが「聞いたことない」だけのことであって、O野田くんが住宅建築業の会社の従業員として不勉強だというだけのことだ。〔O野田くんが住宅建築業の会社に勤めていない人間なら、知らない人がおれば知られていない会社の方が悪いが、O野田くんが住宅建築業の業界に勤めている人間である以上、知らない人間の方が悪い。〕 その当時の一条工務店とエスバイエル(←小堀住研)は、木構造であるという共通点はあっても、都市型の小堀住研(→エスバイエル)と地方型の一条工務店ではタイプが違うので、実際のところ、競合になることは少なく、知らなくても実害は大きくないであろうが、O野田くんは他の会社についても同じような調子であったと思えるので、同業他社についてのOくんの態度では「知らない営業だな」と客が思う可能性があった。 実際のところ、Oくんを見て、浜松の営業所長で事務所の隣の席にOくんを座らせていたという平松さんは、いったいどういう教育をやっていたんだと疑問に思った。(ひとつには、一条工務店の静岡県・愛知県の「営業所長」というのは、静岡県・愛知県以外のことはまったくわかっていない人だということはあった。H松さん自身も、私が他の地域に転勤で移動した後で東京地域に入社してきた営業からは、浜松のことしかわかっていない者が東京圏のことに傍若無人な口のきき方をすると評判悪かったようだ。)
私は、大学新卒で小堀住研に入社する時、採用が決まる前後から、早川和男『日経産業シリーズ 住宅』(1988.9.13.日本経済新聞社)・グループQ『住宅産業残酷物語』(1988.10.25.)などを読んで、住宅業界にどういう会社があって、どのようなものを建てているか研究を始め、小堀住研に入社した1年目に日経流通新聞編『住のマーケティング』(1989.7.7.24.日本経済新聞社)を読み、一条工務店入社後に三島俊介『住宅業界早わかりマップ』(1995.9.10.こう書房)など読んで、同業他社にどういう会社があって、それぞれどういう特色があり、どういう商品で建てているかといったことを学習してきた。 「月刊ハウジング」「新しい住まいの設計」といった住宅の月刊誌もできるだけ読むようにしたし、総合住宅展示場に出展している同業他社の展示場に見に行ったこともあるし、新聞折り込みで入る同業他社のチラシや総合住宅展示場のチラシも意図的に眼を通すようにしてきた。 そうやって学習すれば、どの会社がどういうものを建てているか理解できていくはずなのだ。 「俺、エスバイエルの高級住宅なんて今まで聞いたことないですよ」というO野田くんの発言は、「俺、アホですよ」と言っているのと同じことになる。 O野田くんが「聞いたことがない」かあるかなどということは何の関係もないことだ。 ベトナム戦争の取材に行って命を落としたり大けがをした記者やカメラマンが何人もあるということを石原慎太郎が「聞いたことがない」としても、それは石原慎太郎が知らないだけのことであるのと同じで、O野田くんが不勉強であることはわかったがそれだけのことでしかない。
〔 エスバイエル(←小堀住研)は、その後、社長の中島昭午が「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」とかアホなことをあっちやらこっちやらで言いまくって、その結果、かつての「高級住宅の小堀」を評価していた客層、「小堀ならではのデザイン」のファンだった客層をドブに捨て、「高品質低価格」の「ハウス55」の客層もドブに捨て、そして、かわりに「最低価格帯」の客層を取得することができたかというとそれも取得することができず、じり貧になって、富士銀行から実質・破産管財人の社長を送り込まれ、富士銀行も取れるだけ取ったのか手を引いて、ヤマダ電機に買収されることになったが、出し殻・出がらしみたいになってしまった会社を買収して、ヤマダさんも大変だな・・・。〕
私は一条工務店に中途入社した1992年においては、最初に住宅建築業の会社に入った時から計算すると4年目だったが、住宅建築業界で何年目であるかにかかわらず、その会社においては1年目であるので、その会社において実績を残すまで、ひとに何かを教えようなどとは考えていなかった。むしろ、その会社のことについては自分が教えてもらう側であったし、住宅・建築についても営業についても「教える方」か「教えてもらう方」かというと「教えてもらう方」だと思っていたのだが、自分が知っているものについては、自分より知らない人がききたいなら教えることを渋る必要はないと思っていた。 それで、お人よしにもOくんにも、以上のように教えてしまってバカを見さされたわけだ。 そのおかげで、アホに教えるとバカを見るという人生にとって貴重なことを教えてもらった。
≪「一条浜松流」が教えている内容が学ぶべきことだ≫というOくんの認識は根本的なところで間違っている。 「一条浜松流」が正しいか間違っているかの前に、 「いかにして契約をいただくか」ということ、「事実はどうなのか」ということの方がより貴重であるはずで、その前提なく、「一条浜松流」と「いかにして契約いただくか」なら「一条浜松流」の方が貴重で正しい、事実はどうかよりも「一条浜松流」の方が大事なことで正しいというOくんが浜松の「研修」で吹き込まれてきた認識は、それは認識が逆立ちしていると評価せざるをえない。
(2014.12.28.)
次回、[第307回] https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201412article_6.html、 「元祖浜松流」の下品な「嘘八百構造アプローチ」について。
☆ 教える気がなくなる新人
(1)‐1 木を人工乾燥しても濡れたり湿度が上がれば一緒?なわけないでしょ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201412article_3.html
(1)-2 木質パネル構法と在来木造の木の使用量、筋交いは削っていいか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201412article_4.html
(1)-3 今回。
(1)-4 「プレハブ」とは何か。建築現場の仮設小屋と「プレハブ」は一緒か? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201412article_6.html
(1)-5 コンパネや集成材はぬるま湯につけると接着剤がはがれるか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201412article_7.html
(2) 現実の見込客を見ずに、「研修」で教えられたものを信奉する営業の愚かさ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_1.html
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