コンパネや集成材はぬるま湯につけると接着剤がはがれるか?―教える気がなくなる新人(1)-5
[第308回]営業と会社の話(71)
【6】 「コンパネはぬるま湯につけると簡単にはがれる」か?
[1] 浜松でいいものはどこでもいいか? 宇宙の天体は浜松を中心として回転しているか?
在来木造の一条工務店という会社は、どうも、従業員に嘘を教えることが多い会社だった。 会社として教えているのか、個々の従業員として教えているのか微妙なケースもあるのだが、「営業所長」とかいった肩書を持った人間が「研修」と称したもので講師の立場で話したなら、「会社として教えた」ということになるであろう。 「研修」という形式をとらなくても、「営業本部長」とか「常務」とかいう立場の人が教えたならば、「会社として教えた」ということになるであろう。
もっとも、「作家で精神科医」の なだ いなだ が『娘の学校』(中公文庫)で、「どのような賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。 どのような人がその賞を受賞しているかでその賞の値打ちが決まるのである」と述べていたが、会社の役職についても、「どのような役職についているかでその人の値打ちが決まるのではない。どのような人がその役職についているかでその役職の値打ちがきまるのだ」というところがある。 「バブル」というしかない役職の会社は日本には少なくないし、「ええ~え? この程度の人が○長なのお~お???」て会社は存在するし、名詞に「○長」と肩書をつければ人はありがたがるであろうというちっぽけな発想から、従業員の過半が「○長」という会社、入社したその日から実績も実力もないのに「課長」「部長」という会社というのも結構ある。
(ア) 1993年。一条工務店に入社して2年目に入った時。愛知県名古屋市の営業所の営業所長をしていたK藤ローオさんという人が「研修」の講師役としてきていて、「一条工務店の営業をやっていて、何かやりにくいと思ったことはあるか」ときき、「何か、やりにくいと思うものがあれば言ってくれ」と言うので、「言ってくれ」と言うからには言うべきだろうと思って、「一条工務店の江東区潮見の東京東展示場の建物は、入ると左側に『二間続きの和室』があり、一条工務店の展示場はたいていそうなっていますが、浜松とかでは『二間続きの和室』というのが喜ばれるかもしれませんが、実際のところ、東京でも和風で相当に広い家を建てるとかなら二間続きの和室を作る方もあるでしょうけれども、そうでなければ、東京ではたいして広くない家で二間続きの和室を作る人はあまりないし、好まれないのです。 むしろ、特別広い家でもないのに二間続きの和室があるということで、一条工務店の江東区潮見の東京東展示場に来場した方は多くの人が、それを見て、『うわっ、田舎の家みたい』とか言われるんです。 右手にLDKがあって、『お母さんとお嫁さんが一緒に調理のできるシステムキッチン』とかあるのですが、そういう『お母さんとお嫁さんが一緒に調理のできるシステムキッチン』というのは、浜松とか地方ではあるのかもしれませんが、東京では、今、あまりそういうキッチンを作る方はないし、東京の住宅展示場で『お母さんとお嫁さんが一緒に調理のできるシステムキッチン』を設置している会社は一条工務店以外にないんです。 一条工務店は『オール4寸角の柱』とか『八寸角の大黒柱』とか『野物(松丸太梁)』とかを『売り』にしていて、亀戸の東京展示場には『八寸角の大黒柱』がありますが、『オール4寸角の柱』とか『八寸角の大黒柱』とかは浜松などでは喜ばれるかもしれませんが、東京で、敷地が30坪しかない、延べ床面積20坪程度の家しか建てられないという人にとっては、『オール4寸角の柱を使ったのでは、その分、家が狭くなりますねえ』、『八寸角の大黒柱なんて、こんなもの入れたら、家が狭くなってじゃまですねえ。 やっぱり、お宅は浜松の会社ですねえ』と言われるんですよ。 住宅展示場の建物を作る際には、どこで建てる場合でも浜松の人の好みに合わせて作るのではなく、その地域の人のニーズに合わせて、その地域の人の好みに合わせた展示場にしていただくことはできないでしょうか。 『野物(松丸太梁)』も『上棟式の時に多くの親戚や近所の人が集まった時に喜ばれる』と一条工務店の浜松の人は言うようですが、東京で上棟式をする人あまり多くないし、上棟式をする人でもそういうものをあまり喜ばないんですよ。『野物が入ります』と言っても『そんなの要らないよね』と言われてしまうんですよ。 カタログにしても、浜松の人の好みに合っているのかもしれませんが、東京あたりの人間には合わないのです」と話した。 「やりにくいと思うことがあれば言ってくれ」と言うのであるから、そう話せば、そういう場合はこのように対処するといいのではないかと意見でも言ってくれるのかと思って話した。
ところが。 それに対して、K藤ローオさんが何と言ったかというと、「何いってんだ。 そういうことを言うからいかんのだあ! 二間続きは東京でも浜松でも絶対にいいんだ。二間続きの和室は延床20坪の家でも敷地面積30坪の家でも絶対に必要なんだ! 八寸角の大黒柱は東京でも浜松でも絶対にいいんだ! 浜松でいいものは東京でもいいに決まってるんだ! こんなこともわからんのかあ~あ!」と怒鳴りつけられたのだ・・・。 ・・・わかってたまるか。
だいたいだ。 延べ床面積20坪の家、1階10坪、2階10坪の総2階の家を考えてみよう。 一条工務店の階段は、15段上がりか17段上がりで作っていたので、途中で折り返す15段上がりの階段として1坪とる。 風呂に1坪、洗面所に1坪、トイレに0.5坪取るとする。 玄関のポーチ部分0.5坪、玄関ホール部分0.5坪として計1坪とする。これで、1+1+1+0.5+1=4.5坪である。 二間続きの和室は、6畳と8畳の2間続きとして、6畳の部屋の短辺側に半畳分の仏間と1畳分の押し入れ、8畳の部屋の片側に床の間と床脇と押し入れで2畳(1坪)分とるとする。 これで、6畳+1.5畳+8畳+2畳=17.5畳=8.75坪。 南北方向に和室を2間並べて南側の和室の南側に0.75間の広縁を取って、端の部分に物入れを0.75畳取るとして、広縁と物入りの部分で0.75間×2.5間=1.875坪。 和室とそれに付随する仏間・床の間・床脇・押し入れ・広縁・物入れで8.75坪+1.875坪=。10.625坪。 4.5坪+10.625坪=15.125坪>10坪 で、すでに10坪の1階に収まらない。
浴室を1坪でなく0.75坪のものにするとしても、その当時、一条では浴室は1階でないとだめで2階の浴室は認めていなかったので、0.75坪の浴室と脱衣室と洗濯機置き場を0.5坪として、浴室+脱衣室兼洗濯機置き場で1.25坪。 和室は広縁なし、床の間・床脇・仏間・押し入れ一切なしで6畳+6畳の和室とするとしても、3坪+3坪=6坪。 階段1坪+玄関1坪+二間続き和室6坪+浴室と脱衣室1.25坪=9.25坪。 これでなんとか1階の10坪に収まる。廊下はなし、1階には収納はまったくなし。 2階にダイニングキッチンと洗面所とトイレと個室が配置されるとして、洗面所0.5坪。 トイレに0.5坪。キッチンはキッチンとダイニングの合計面積を最も節約できるダイニングキッチン形式として8畳=4坪としよう。階段の面積は1階だけでなく2階でも計算しないと階段にならないので1坪。 これで、0.5+0.5+4+1=6坪。 階段ホールとか廊下の面積は見ていない。 残りは4坪=8畳。 6畳の部屋に2畳分の物入れがついておしまい・・・ということで、こんな家、誰が住むの??? アホちゃうか???
そもそも、「浜松でいいものは東京ででもどこででもいいに決まってるんだ」という浜松中心主義というのか、浜松独善主義というのか、その考え方はどうすれば身に着くのだろうか。 なんだか、おかしな育ち方した人だなあという気がする。 なんだか、「浜松とおれば道理ひっこむ」というのか、「そこのけ、そこのけ、浜松とおる」とでも言うのか、なんともおかしな思考だ・・・・。
「空の一部分の広さは浜松の広さと同じだ」というのならそれは正しい。 しかし、「空の広さは浜松の広さと同じだ」というなら、それは間違っている・・・・と言いたいのだが、一条工務店という会社でそれを言うと怒られるのだ。 「浜松でいいものはどこでもいいに決まってるんだ。 こんなこともわからんのかあ!」と。 で、逆らうとうるさいから、だんだんと口をきかなくなった・・・。 見ても見ざる、聞いても聞かざる、言うべきことでも言わざる・・・と。 しかし・・・・・、「それでも地球は回っている」。
「二間続きは東京でも浜松でも絶対にいいんだ。二間続きの和室は延床20坪の家でも敷地面積30坪の家でも絶対に必要なんだ! 八寸角の大黒柱は東京でも浜松でも絶対にいいんだ! 浜松でいいものは東京でもいいに決まってるんだ! こんなこともわからんのかあ~あ!」と一条工務店の「研修」でK藤ローオさんが言われたということを、東京圏在住の友人知人何人かに話してみたのだが、話した相手全員から、「その人、ちょっと、頭おかしいのと違う~う?」「その人、酔っぱらいか何かなのお~お?」と言われた。 私が聞いてもそういう返事をすることになると思う。
「うわっ、田舎の家みたい!」というのは、一条工務店の江東区潮見の住宅展示場の来場客が二間続きの和室を見て、本当にそう言ったのだ。「お母さんとお嫁さんが一緒に調理のできるシステムキッチン」を見て、「そんな家、今どきないよね」と来場客から本当に言われたのだ。「やっぱり、お宅は浜松ね」と本当に言われたのだ。「オール4寸角の柱」についても折衝した見込客から「4寸の柱使ったら家が狭くなりますね」と本当に言われたのだ。亀戸の展示場の「八寸角の大黒柱」を見て、来場客から「こんなものあったら、家が狭くなってじゃまですねえ」と来場客から本当に言われたのだ。「野物(松丸太梁)」について、「そんなの要らないよね」と折衝した見込客から本当に言われたのだ。私が言ったのではない。私が言われたのだ。
「そういうことを言うからいかんのだあ!」と言うけれども、私が来場客・見込客から言われたのであって、私の方が言ったのではないのだ。 「そういうことを言うからいかんのだあ!」と私に言うのではなく、営業所長という肩書を持ってその役職の給料をもらっているなら、「そういうことを」言った来場客・見込客に向かって「そういうことを言うからいかんのだあ!」と怒鳴りつけたらどうだろう。 きっと、来場客から、「一条工務店の営業所長は精神的におかしい」と評判になることだろう。
(イ) この「研修」で、K藤ローオさんは、「住友林業なんかと競合になったら、『住友林業はムクじゃなくて集成材でしょ』『住友林業はプレカットやってますか』『やってないでしょ』で、それだけで契約とれる。ごちそうさん、てもんだ」などと発言したが、その1993年5月の時点で住友林業はプレカットをおこなっていた。 そんなことも把握していない人間でも売れる場所でK藤ローオさんは仕事をさせてもらってきた、ということだ。
どの住宅建築会社に頼むかを決める要因として、どちらが優れているかよりも、実は「好みの問題」というのが相当に大きいのだ。 在来木造の場合、一条工務店が「売り」にしていた「構造材がすべてムク材」というのはそれは地方に行くと好まれる度合が大きいのに対して、都市部ではそうではない。
又、「大手住宅メーカー」というのは、実はその大部分は東京圏か関西圏の会社で、東京圏の会社が関西圏でも受け入れられるようにした、もしくは、関西圏の会社が東京圏でも受け入れられるようにした、というものが多い。 地方に行くと、そういう「大手住宅メーカー」はそれほど浸透していないので、一条工務店くらいの位置づけの会社にとっても、それほど強敵ではないことになる。
「住友林業」という会社は集成材を使っているという点から、「地方」には受け入れられにくい会社だが、都市部で木造で建てたいという人には「住友」ブランドで信頼を得る。栃木県などは都市部とは言い難いが、他県から来た人間の多くが「都会ではないが、都会ぶりたい人が多い」と評する地域で、そういう所ではけっこう浸透している。
私は、東京都・千葉県という東京圏で勤務した後、福島県へ行き、その後、栃木県南部に勤務した。 1992年、東京では住友林業と競合になった時、まるで、幕下以下の力士が横綱に立ち向かうような印象だった。「ごちそうさん」なんて、とんでもない。 それが、福島県いわき市に行くと、その「横綱」はいわき市には営業所すらなかった。 そのうち、いわき市にも住友林業の展示場ができたが、家というものは在来木造で、かつ、ムク材で太い柱で建てるものだ、という観念の強い地域においては、集成材を使用している住友林業よりムク材の一条工務店の方が強かった。
福島県では浜通りに限らず中通りでも会津地方でも、住友林業との競合では、営業の力が五分と五分なら7対3か8対2くらいで一条工務店の方が強かった。 栃木県南部に行くと、営業の能力・努力が五分と五分なら東京と福島県の中間くらいで6対4くらいで一条の方が強いかと思ったらそうではなかった。 そこで実際に仕事をしてみて「営業の能力が五分と五分なら、むしろ、6対4くらいで住友林業の方が強いですね」と営業所で話すと、栃木県地域の営業所長だった I さんは「いや。 6対4じゃなく、7対3くらいで住林の方が強いのじゃないか」と話した。「そうかもしれませんね」と私は言ったが、実際、2000年前後、栃木県南部において、一条工務店対住友林業では、営業の能力・努力が五分と五分なら住友林業の方が6対4よりむしろ7対3くらいの割合で強い印象だった。 I 十嵐さんは、そのあたりについては、K藤ローオさんなどと違って、理解できている人だった。
栃木県の営業会議の時に、営業の進め方の話で、西那須野営業所という栃木県最北部の営業所にいた、入社してからの年数は長くないが相当に多く売っているAさんに、所長の五十嵐さんが「Aさんは、どういうやり方をやっている?」と質問した時に、Aさんが「私は、意図的に、一条ともう1社を残すように持って行って、そのもう1社との競合でこちらに取るようにしています」と話した。 人間の心理として、1社だけでなく、いくつかの所を見て選んで決めたいという心理がある。そこで、この会社との競合になると勝てる可能性が高いという所と自分の所と2社残るように持って行って、最後、直接対決で相性がいい相手との1対1の勝負で勝つというようにもっていくという戦法である。 それで、所長の I さんが、「Aさんは、どこを残すようにしてるの?」と言うと、Aさんは「私は、住友林業を残すようにしています」と答え、それを聞いて、所長の I さんは「え~? 住友林業を残すの?」と少々驚いたように言った。私も I さんと同じことを思った。 「2社残るようにして、最後に直接対決でもう1社を落とす」ようにするなら、自分の所以外に残るのは、直接対決で勝てる可能性が高い所を残すべきで、直接対決での対戦成績の悪い相手、相性の悪い相手、強敵を残すべきではない・・という考え方からいくと、住友林業は一条工務店の営業にとってもう1社としては残したくない相手のはずだ。 所長の I さんはそれで「え?・・」と言ったのだ。私はその理由がわかったが、その場にいた社歴の浅い人にはわからなかった人が多かったのではないかと思う。栃木県でも中部南部の営業所の社歴の浅い営業が意味をわからず、多く売っている人の言うことだからと思って、Aさんの言ったように、住友林業と2社残るようにして直接対決ともっていくようにしたならば、それが原因でとれる契約を失うことになった可能性がある。
その時、私は、その営業会議において私に議長をやらせてもらえないものかと思ったのだ。所長の I さんは自分自身がその地域で努力して営業をやってきた人だから、そういう時に自分自身が発言したいようだし発言してもらうと有益なことを言えるはずだ。 だから、所長が議長をやるより、私のようなこれは誰にふって発言をうながすといいか判断できる者が議長をやって、所長の I さんには議長役ではなくもっと自分自身が発言してもらった方がいいと思ったのだが、私にその役はまわしてもらえなかった。
Aさんが住友林業を残すことにしていたのは、栃木県でも最北部の「ほとんど福島県」の営業所にいたからだ。 栃木県でも最北部の「ほとんど福島県の栃木県」では、家は木造で、ムク材で建てるものだという意識・観念が相当に強いはずで、そういう地域においては、ムク材の一条は集成材の住友林業との直接対決では相当に強い。 だから、Aさんは住友林業を残すことにしていたのだ。 しかし、栃木県でも中部南部ではそうではない。「住友林業の人が言ったことだから絶対間違いない」という変な信仰を持っているおっさんは栃木県中部以南では相当に多く、直接対決では一条工務店は分が悪い。 直接対決で分が悪い相手を意図的に残すバカはない。できれば、2社での直接対決、3社での巴戦より以前に消えていただきたいものだ。 だから、栃木県でも中部南部においては、「自社ともう1社残してそことの直接対決で契約にもっていく」という作戦なら、残す相手は住友林業以外の所にしたい。
こういったことは、その地域によって状況は違う。 だから、私が一条工務店に入社して2年目の「研修」で、講師役で来たK藤ローオさんが「住友林業との競合なら、ごちそうさ~んてもんだ。 住林は集成材でしょ。住林はプレカットやってないでしょ、でそれだけでとれる。楽なもんだ」とえらそうな口をきいたのは、K藤ローオさんがそういう地域でしか仕事をした経験がないということを示しているだけのことだ。 こちらがきっちりと調べて本当のことを話しているのに、「住友林業の人はそうじゃないように言ってたよ。あんた、嘘ついちゃだめだよ。住友の言うことは絶対に正しいに決まってるんだ。俺は嘘つくやつきらいなんだ」とか、住友林業の営業の方がいいかげんなことを言っているのに言われて情けない思いをする経験をしたことのない人間だということを示している。
こういうことを言うと、おそらく、K藤ローオさんのような、「住友林業との競合なんて、ごちそうさ~んじゃ」というような地域でしか仕事をしてきていない一条オリジナル営業は、「それは、おまえが客から信頼を得ることができていないんだろうが」とか言い出すと思う。 そうではない。 一条工務店が2001年に営業に見せたNHKの「プロジェクトX」という番組で、宅急便を始めたばかりの頃のヤマト運輸のセールスドライバーが、なかなか頼んでもらえなくて、「郵便局の前に行って、小包を出そうとしているおばあちゃんに、『おばあちゃん、その小包、私に運ばせてもらえませんか』と言うと、そのおばあちゃんが『これはね。 孫に送る大事な荷物なんです。 だから、あなたには頼めません。郵便局に頼みます』て。 そう言われました」とその時のことを思い出して涙を流しながら話すのが出ていた。 そう言われたのは、郵便局の窓口のおっさんが優秀でそのヤマト運輸のセールスドライバーが悪いのではない。 私が一条工務店に入社した1992年頃、東京圏ではそんな感じだった。 それ以降においても、栃木県中部南部においても、住友林業教の信者みたいなおっさんが時々いて、そういう信者は「住友は絶対に正しい」という信仰を持っており、それを崩すのは相当難しかったが、それは一条工務店の担当営業のせいではない。
栃木県地域の営業所長をやっていた五十嵐さんは自分がそこで仕事をしてきただけに理解できていた。 K藤ローオさんは「住林との競合ならごちそうさ~ん」の地域しか経験のないそういう井戸の中で暮らしてきたカエルさんなのだ。 そういう人が全国の人間を相手にする「研修」の講師として出てくるのが間違っている。「静岡県西部・愛知県」という井戸の中で井戸の外より無茶苦茶安い坪単価を設定してもらって井戸の中だけドカンドカンとテレビ広告やってもらって営業やってきた人は「静岡県西部・愛知県」という井戸の中の人間だけを相手にするべきで、それ以外の地域の人間相手に「研修」の講師などやるべきではなく、それを自覚するべきだ(・・・と言っても絶対に自覚しないだろうけれども・・・)。
その「研修」の時点で このK藤ローオさんという人がいったい、どういう人なのか知らなかった。 「研修」に講師役で来たならば、自分はどこに所属している何という人間だと自己紹介くらいするべきものではないかと思ったのだが、彼はそれもしなかった。 後から聞いて彼の名前と所属がわかった。 それで、その時、一条工務店はこの程度の人を営業所長にしているのかとびっくりしたのだ。 「普通の会社なら、せいぜい主任くらいまでの人」を一条工務店は営業所長にしている。 それで、その時、「どのような賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。どのような人が受賞しているかで賞の値打ちが決まるのだ」というのと同じく、「どのような役職についているかで人の値打ちが決まるのではない。 どのような人がその役職についているかでその役職の値打ちが決まるのだ」という基準を適用するならば、一条工務店の営業所長などという役職は、普通の会社なら、せいぜい、主任か副主任程度のもの、ということがよくわかったのだ。 一条工務店の役職はその程度のものだ。なぜこんな人が営業所長になっているのか、こんな人を営業所長にしちゃいかんなあとその時は思ったのだが、そうではなく、一条工務店の営業所長というのはその程度のものだったのだ。
私は、この「研修」まで、会社の「営業所長」といった役職にこの程度の人がなっているなどということはないだろうと思いこんでいた。認識不足だった。
≪・・・自分の理性的な立場にてらして取捨選択して使うということをやって下さい。 くれぐれも言いますが、自己の実感などにてらしてはだめですよ。 実感というものは、たえず蜃気楼をともなっているものですから、危険です。 理性にてらして、実感を批判しつつ、よく考えてみて下さい。≫(大塚久雄「社会科学を学ぶことの意義について」〔大塚久雄『生活の貧しさと心の貧しさ』1978.4.20. 所収〕
この≪自己の実感などにてらして≫ではなく≪自分の理性的立場にてらして≫考えるという思考が、一条工務店の名古屋の営業所の「所長」になっていたK藤ローオさんなどはできていなかったのでしょう。 実際のところ、この人には無理なんだろうな、と思いました。「浜松でいいものは東京ででもどこででもいいに決まってるんだ。2間続きの和室は20坪の家でも30坪の土地ででも絶対に必要なんだ」というK藤ローオさんの「実感」にてらして考えたのでは、その「実感」があてはまらない地域では対応できない、ということをK藤ローオさんに理解させようとしても無理だ。
森川英正『日本経営史』(1981.日経文庫)・『日本財閥史』(1978.教育社歴史新書)を見ると、明治以来の日本の企業においては「学卒」者を採用し、企業の経営に参加させるということをおこなってきたが、「学識」のある者が職場で経験を積んで経営に参加することを積極的に取り入れた企業とそうでない企業で差がついたが、「学識」のない職場の経験だけの人では一線の仕事はできても経営において適切な判断ができない場合が多いようだ、といったことが述べられている。 私は実際にそうであるのかないのかわからなかったのだが、一条工務店のK藤ローオさんなどを見て、こういう人は一線の営業としてはともかく、営業所長とか管理的立場の職は無理だなと思うようになった。 こういうことを言うと怒る人がいるが、実際問題として、≪自己の実感などにてらして≫ではなく≪自分の理性的立場にてらして≫考えるという思考をするというのは、一条工務店の中卒や高卒を自慢にしている営業所長には無理のようだ。
K藤ローオさんを見て、なんで、この人が「営業所長」などになっているんだろうなと思いましたが、その程度の人がなっているということは、一条工務店の「営業所長」というのは、一般の会社における主任か副主任程度のものということなのでしょう。
≪ 浅野や小倉のような同族による役員集中に固執する企業では、たんなる専門経営者の登用が抑えられるというだけでなく、ミドル・マネジメントの地位の不安定や資本家経営者の個人感情や恣意が経営に入り込むなどの経営合理性に反する様相が見られました。≫(森川英正『日本経営史』1981.日経文庫 133~134頁)
一条工務店の経営者は、これに該当していたのでしょう。 もっとも、そういう会社は少なくないかもしれませんけれども。
≪ 民間企業に雇い入れられた「学卒」者たちを十分に使いこなすためには、彼らと日常的に接触し、業務に即して指導することのできる人材がトップ・マネジメントにいなければなりません。いうまでもなく、それは兼任大株主重役ではなく、専門経営者でなければなりませんでした。≫(森川英正『日本経営史』1981.97頁)
一条工務店に入社した1年目、営業本部長のA野さんが「○○くんが入ってきた時にはびっくりしたなあ。うちの会社に慶應出身の人間が応募してくれるのかとびっくりした」と話したので、そういう会社なら、そう思ってくれるなら、実力を発揮する場があるということでいいかもしれないと思い、そう思って努力しましたが、そういう人材を使う人材がトップ・マネジメントにいなかったようです。
一条工務店において、「浜松流」を全国に押し付ける弊害を感じていた人は、比較的古くから在籍した人にもいなかったわけではないようです。 一条工務店は静岡県の浜松で始まり東西に伸びていったのですが、神奈川県の藤沢市の営業所の所長になっていたT葉さんが言うには、神奈川県では最初に茅ケ崎に展示場を設けたが、その際、浜松の本社の人間は浜松と同じような間取りと外観の図面を作ってきたので、T葉さんは「神奈川県では、こんな田舎くさいデザインではだめだ。 浜松ではこれでもよくても、神奈川県ではだめだ。」と言ったというのです。言ったけれども、本社の室長が「一条工務店はこういう建物で伸びてきた会社なんだから、そう言わないで、こういうもので売ってくれ」と言うから、しかたなしにその建物を展示場として建てて茅ケ崎展示場と同社の神奈川県での営業が始まったらしい。 だから、「アタマが浜松」の会社ではあるが、「宇宙の天体はすべて、浜松を中心として回転している」とすべての人間が考えていたわけでもなかったようだ。
[2] 「コンパネ」は水かぬるま湯につけると接着部が簡単に剥がれるか? 濡れると簡単に剥がれる「コンクリート型枠用合板」てありうるか?
(ア) 「前段」が長くなってしまったが、その一条工務店の「常務取締役」で「営業本部長」のA野T夫さんが(私が入社した1992年には「次長」という肩書であったが)、「住友林業の建築現場に行って、集成材かコンパネを拾ってきて、お客さんに、ぬるま湯につけてみせるといいよ。 水かぬるま湯につけると、集成材とかコンパネは簡単にはがれるから」と言ったので、私は「はがれますかあ? エスバイエル(←小堀住研)にいた時、エスバイエルでは、『接着剤にも使い方が簡単だけれども簡単にはがれる接着剤もあるけれども、温度・湿度など配慮して工場で接着しないと扱えないが、いったん、接着すると接着力が強くて、少々水に濡れるなどしてもはがれない接着剤もあり、エスバイエルの木質パネルの枠材(ツーバイフォー材)と構造用合板は工場でないと扱えないがいったん接着するとまずはがれることはないというものを使っている』と聞きましたし、合板にも屋内で使う化粧合板と屋外で使用する構造用の合板とがあって屋外でも使用する合板には、いったん接着すると、少々濡れたりしてもはがれることはまずないというものを使っているのと違うのですか?」と質問したのだ。(この発言の前半は小堀住研〔→エスバイエル〕のカタログに載っていたことだが、後半は、今里隆『これだけは知っておきたい建築用木材の知識』(1985.5.6.鹿島出版会)に載っていたことだ。) 後に「営業本部長」という肩書になったA野T夫さんは、その当時、「次長」という肩書で、その会社では社長の次の立場の人が3人いて、「専務」「常務」「部長」とかは存在せず、「室長」という肩書の人が2人とこの「次長」の3人が社長の次で、その「次長」、社長の次の人が言うことだから、いいかげんな話ではないだろうから、質問すれば適切なことを答えてもらえるだろうと期待して・・・・。 今里隆『これだけは知っておきたい建築用木材の知識』(1985.5.6.鹿島出版会)に書かれている内容を論破する話を聞かせてもらえるのではないかと期待して。
そうすると。 「おまえは黙ってろ。 おまえは口きくな。 そんなにエスバイエルがいいなら、エスバイエルに行け。おまえはあ」と言われたのだ・・・・。 なんで、そういう話になるの???
それで、だ。 実際に、集成材を使っている会社の工事現場で雨が降って濡れることはあるはずなのだが、それで集成材の接着部が剥がれたということは見たこともなければ聞いたこともないのだ。 構造用合板については、ツーバイフォー工法の建物は、1階の床を作ってから1階の壁を作り、1階の壁の後で2階の床を作り、その後2階の壁を作るという順番でできていくため、「作業性が良い」(できた床を作業用の台に使える)という長所がある反面、雨に濡れてしまう可能性が高いという問題もあり、けっこう、雨に濡れているはずなのだが、ツーバイフォー工法の工事現場で構造用合板の接着部が剥がれたという話は見たこともなければ聞いたこともないのだ。 私の不見識、私の知識不足なら、教えてほしいと思ったのだが、教えてもらえなかっただけでなく、「おまえは黙ってろ」だの「エスバイエルに行け」だのと言われてしまったのだ。 なぜ、そういうことを言われなければならないのだろうか・・・・・・。
この話を、その後、転勤して移った先の営業所でしたことがある。 一条工務店は中途採用で次から次へと人を採用してはやめさせていく会社で、人を粗末にするその態度はいいとは思えないのだが、前職に隣接業界にいた人が来ることがあって、そういう人からいろいろと教えてもらえることもある。
部材屋さんから転職で来た人が言うには、「それは絶対にないですよ。 ぬるま湯につけたら、コンパネの接着がはがれるなんて、絶対にありえないですよ。 水かぬるま湯につけたら剥がれるのでは、それではコンパネにならないじゃないですか。」と。 言われてみれば、まったくその通りだ。 その発言を聞いて、一条工務店に私が入社した時点ですでにある程度以上の年数を経ていた某さんが、私に、「そうですよ。 ○○さん、そんなの、A野部長の言うことなんて、本気にしちゃだめですよ。 あれは頭が薄いんですから。 あんなバカの言うことを本気にして、それを信じてお客さんに話したりしてはだめですよ。 あんなバカの言うことをそのままお客さんに話したりしたら、恥かきますよ。」と言われたのだ。 結論としては、そういうことだろう。
「ぬるま湯につけるとコンパネは接着部が簡単に剥がれる」ということはありえない、それでは「コンパネ」にならない、というのはどういうことか。 「コンパネ」とは何かということを考えてみると、すぐわかる。 「コンパネって何ですか」と質問しても、しかるべく答えることができない人がけっこういるのだが、「コンパネ」とは、「コンクリート型枠用合板」の略で、「コンクリート」の「コン」と「型枠用合板」⇒「パネル」の「パネ」を合わせて「コンパネ」なのです。
「コンクリート」は何からできているかと言いますと、「砂利」などの「粗骨材」、「砂」などの「細骨材」、それに、「セメント」と「水」をしかるべき比率でまぜて作るわけです。 乾くまではどろどろした液状のもので、それを枠に入れてしばらく乾燥するまで待ち、乾燥して固まるとコンクリートとしての強度を発揮するようになるわけです。 乾燥するまで、液状のものを入れるための枠が「型枠」で、鉄筋コンクリート造のビル建築においても、在来木造やツーバイフォー工法、木質パネル構法などの戸建住宅の基礎のコンクリートにしても、型枠を作ってそこにコンクリートを流し込むという点は同じです。 型枠は鉄板を使うこともありますが、木を使うこともあります。 この「型枠」に使うための合板が「コンクリート型枠用合板」即ち「コンパネ」なのです。 但し、コンクリートの型枠用に使う合板のことを「コンパネ」と言うものの、必ず、コンクリートの型枠として使わないといけないという決まりがあるわけでもなく、「コンパネ」をコンクリート型枠としてではなく他の用途に使って悪いことはないので、他の用途に使われることもあり、今では、「コンパネ」という言葉で呼んで、一般に販売もされ、型枠以外の用途にも使用もされているのですが、本来が「コンクリート型枠用合板」なのです。
「コンクリート型枠用合板」という、「砂利と砂とセメントと水」でできた水分たっぷりの液状態を入れて保つものですから、「水やぬるま湯に濡れたら簡単に剥がれる」ようなことでは「コンパネ」にならないわけです。 もし、「水やぬるま湯につけたら簡単に剥がれる」合板なら、それは「コンパネ」ではないことになります。
「一条工務店の営業本部長の言うことなんぞ、本気にして、そのままお客さんに話したら恥かく」というのは、まったくその通りのようです。 普通、会社で社長の次の立場の人間がそういういいかげんなことを言うことはないだろう・・・・と私は思っていたのですが、私の認識が間違っていたようです。 社長の次の役職の人間はいいかげんなことを平気で言うようです。 いいかげんなことを従業員に教えていたところに、私が、まさか社長の次の役職の人間がでたらめ言うことはないだろうからと思って真面目に質問したものだから、それで、怒って、「おまえは口きくな」とか言い出したようです。 申し訳なかったと思います。 まさか、でたらめを平気で言っていたとは思わなかったものですから。
※ 「コンパネ」は、ウィキペディアにも、
《ウィキペディア―コンパネ》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%8D に、≪コンクリートパネル (concrete panel) の略。 コンクリート打設の型枠に用いられる合板。≫と出ている。
(イ) 一条工務店の営業本部長のA野T夫さんから、「おまえは口きくな」と言われたのはこの時だけではありません。 松戸展示場にいた時、同営業所に中途入社してきたT川くんが、本社の研修に言って帰ってきた時、A野さんが「他の者にも研修で聞いたことを教えてやって」と言い、それで、T川くんが説明していたことがあった。 在来木造で「筋交い(すじかい)」を耐力壁として使用した場合、接合部の止め方をきっちりとしていないと、柱・梁・土台の内側に入れて圧縮方向の力が加わった際に役立つ圧縮筋交いの場合、地震や台風で横方向の力を受けた際、引っ張り方向の力を受けた時に接合部がはずれてしまう可能性があります。 そこで、はずれないように、「筋交いプレート」という金物で止めることになります。 かつては、個人大工や工務店の建物では、釘を2本ほど打ち込んだだけという工事現場がありましたが、最近では、ハウスメーカー・工務店・個人大工を通じて金物を使用するのが普通になってきています。 1993年頃、住友林業では、柱・梁・土台と筋交いの外側に平らな金物を貼りつけるという方法を取っていたのに対し、一条工務店では箱型の金物・箱型の筋交いプレートを柱・土台の内側、柱・梁の内側に入れる方法をとっていました。 今は住友林業もこの箱型の金物を使っているようで、他の会社も箱型のものを使う所が多くなってきたように思います。 その箱型の金物(「筋交いプレート」)のことを、T川くんは、「一条工務店では、箱型の金物を使っているのですが、この金物は、建築基準法や住宅金融公庫の基準で認められていなかったのですが、一条工務店は知らずに使っていて、それで、言われて、認めてもらうようにしたのです。」と説明したので、私はそういう話は知らなかったので、「え? そうだったの?」とT川くんに質問したのですが、そうすると、A野さんが「おまえは口きくな」と私に言ったのです。
なんで、私は彼からこういう口のきき方をされなければならないのでしょうか。 営業本部長だか社長の次だかなんだか知りませんが、こういう口のきき方をしていいのでしょうか。(A野T夫は「女の子は気を使って気を使ってしてやらないと辞めてしまうけれども、その点、男は辞めないから何言ったっていいんだけれどもな」と発言したことがあったが、言っている側は何を言ってもいいと思っているかもしれないが、言われている側は何を言われてもいいとは思っていないのだが、彼はそれを理解できていなかったようだ。)
なぜ、彼はそういう口のきき方をするのかと思ったのですが、私はT川くんが話した内容は私が知らない事だったのでそれで教えてもらいたいと思ったのですが、実は、それはT川くんは論拠があって言ったことではなく、いわゆるひとつの「でまかせ」だったらしいのです。 こちらとしては、真面目に質問したつもりだったのですが、「でまかせ」を言わせるのが好きな人からすれば、その「でまかせ」について質問する人間は許せないということだったようです。 「でまかせ」を言う者が許せないのではなく、「でまかせ」について、それを「でまかせ」だなどとは夢にも思わずに質問する人間が許せないという認識だったようです。
「一条浜松流」の嘘つき営業を見て、この人たちは、どうして嘘を言わないと気がすまないのだろうと思ったのです。 その当時の一条工務店の建物は、K藤ローオさんが言うような「絶対的に言い」とか「完璧にすばらしい」とか言うものではないが、しかし、まったくだめな建物ではなく、いいところはあったのですから、本当のことで、こういうところがいいということを述べればいいと思うのに、なぜ、嘘を言いたがるのだろうと強く疑問に思ったのです。
結論を言うと、嘘をつく人というのは、2通りあって、(1)嘘をつかざるをえない事情があってやむなく嘘をついているというケースと、もう一つ、(2)嘘をつかなくても本当のことを言った方が自分に有利であっても関係なく、嘘をつかないとおれない習性の人というのがいて、後者の人は、本当のことを言って営業できる状況でも嘘を言いたがるようです。 「一条浜松流」にはそういうタイプの人がいたということでしょう。
《教える気がなくなる新人(1)》の1~4までで述べてきた東京営業所に本人の希望で浜松から転勤してきたOくんを見て、こいつ、いったい何なのだろうなと思ったのだが、Oくんだけに責任があるのではなく、一条工務店の会社にそういう態度を喜ぶ傾向があったようだ。 嘘を客に話すのを喜ぶ経営者、嘘を新人に教える者を喜ぶ経営者・・というのは、私は良いとは思わない。 又、営業は契約いただくのが仕事であり、嘘を言って契約になる時もないとは言えないだろうが、嘘を言うと契約になるわけでもなく、嘘を言うことで墓穴を掘る場合もある。 サッカーでいうところのオウンゴールになる可能性は十分ある。 本当のことを話して契約をいただくという姿勢の方が私は好ましいと思う。 倫理的に好ましいだけでなく、営業上も、会社経営の上でも好ましいと思う。
斉藤次郎・森 毅 『元気が出る教育の話』(1982.6.25.中公新書)で森 毅 氏が次のような発言をしている。
≪ ・・・いま理学部長をしてる山口昌哉としゃべったら、彼は極端でね、おれは小学校以来、いまだかつて授業中にわかったことはないとかね。彼はわりかた鈍いと自慢しとる。本人は鈍いつもりでおるわけ。それで、彼の説は、「わかる」というのは自己の内面に関わることだから、あんな教室みたいなとこで、一方向的にわからせられたりしてたまるかという・・・≫
私は、小堀住研に入社した時に受けた新卒社員の研修の時でも、講師役の人の言うことだから正しいなどとは考えなかった。 そうであるかどうか考えながら聞いていた。 だから、講師役で来ていた営業課長のK崎が、営業は服装に配慮するべきだという話の際に、「『このネクタイ、実はうちのが選んできた三宅イッセーなんですよ。』というと、ほら、よく聞こえるでしょ」と話した際には、それは違うのではないだろうかと考えたりした。三宅イッセーであろうが何であろうが、ネクタイというものは基本的には自分で考えて選ぶもので、嫁さんに選んでもらっているようでは、それではおしゃれな格好はできないのではないかと思ったのだ。
〔 [第265回]《サルバトーレフェラガモのネクタイとロットリング―知らない男を住宅屋の営業と言うか?【上】ネクタイ 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_1.html の後半でこのネクタイの件について述べた。 〕
Oくんは、一条工務店の研修で嘘を教えられたことをそのまま信じる「素直さ」があったのか、それとも、勝手に意味を取り違えて自分が取り違えた意味を信じていたのか。
【1】木構造の建物で構造材に使用している木の量が多い少ないという話は対在来木造で話して意味のあることで、対ツーバイフォー工法、対木質パネル構法で話しても意味はないのにそれをわかっていない。
【2】耐力壁の配置は、木構造では、法規制の上で、最も厳しいのは木質パネル構法で、次がツーバイフォー工法、最も規制が緩いのが在来木造で、かつ、その頃の一条工務店の建物は必ずしも適切に耐力壁の配置をできていたとは言い難かったにもかかわらず、対木質パネル構法で耐力壁の配置の話をしたがる。
【3】「構造の話しかしないのは一条工務店だけ」であって決して「構造アプローチをするのは一条工務店だけ」ではなく他社も構造の話をしているのに、「構造アプローチをしているのは一条工務店だけで、『よそ』は最初から最後まで値引きの話ばっかりやっている」という嘘を信じて、その嘘を人に話す。
【4】他社がどういうものを建てているか、自分自身で学ぼうという姿勢がない。
・・・それらは、個々にも問題はあるが、根本的なものとして、 「なぜ売れないか」「なぜ売れるのか」「どうしたら売れるのか」を自分自身で考えようということより、「一条浜松流」を尊重している、実際にどうなのか、事実はどうなのか自分自身で確認しようという姿勢が欠落していて、自分自身で確認しようとせず、「一条浜松流」が教える嘘を信仰している、という点に問題があると言えるだろう。【1】に関しては、一条工務店が新卒社員に供与した学習書に適切に説明されているのにそれも読んでいない。勤めた会社がこれを読んで学習してくれと言ったものを読まない。ある程度以上のベテランがそんなものは必要ないと読まないならともかく、新卒入社して半年も経っていない小僧が読まないというのは、それはマイナスの評価を受けてもしかたがないのではないか。又、それは「売れる要素」か「売れない要素」かというと、「売れる要素」の方ではないだろう。
そういう精神態度は本人に問題があるが、そういう思考をさせて喜んでいる会社・上役の姿勢にも問題がないわけはない。
もっとも、不思議に思うこともある。他の会社でもそうだと思うが、1992年頃の一条工務店では新卒入社の社員と中途入社の社員では、入社時に新卒入社の社員の方が長期の研修をおこなっていたが、中途入社の社員にも入社時の研修はあったのだ。 私が受けた入社時の中途入社社員向けの研修においては、静岡県地域のみで仕事をしてきた人が講師として来た時に、少々静岡県ローカルな話をすること、地域によってそれは該当しないと思えることを話すこと、言い間違いか記憶違いで厳密には正確ではないことを言うことも時としてとしてあったけれども、無茶苦茶だったり嘘だらけだったりする話はそれほどなかったように思うのだ。なぜ、新卒社員向けの研修と中途入社向けの研修で期間が違うだけでなく内容まで違うのか。なぜ、Oくんらが受けた新卒社員向けの研修では嘘だらけを教えているのか。 なんだか、そのあたりがよくわからないところではあるのだが・・・。
(2014.12.28. )
☆ 教える気がなくなる新人
(1)-1 木を人工乾燥しても濡れたり湿度が上がれば一緒?なわけないでしょ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201412article_3.html
(1)-2 木質パネル構法と在来木造の木の使用量、筋交いは削っていいか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201412article_4.html
(1)-3 他社について嘘を教える研修、学ばない者が「知らない」のは本人が悪い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201412article_5.html
(1)-4 「プレハブ」とは何か。建築現場の仮設小屋と「プレハブ」は一緒か? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201412article_6.html
(1)-5 今回。
(2) 現実の見込客を見ずに、「研修」で教えられたものを信奉する営業の愚かさ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_1.html
【6】 「コンパネはぬるま湯につけると簡単にはがれる」か?
[1] 浜松でいいものはどこでもいいか? 宇宙の天体は浜松を中心として回転しているか?
在来木造の一条工務店という会社は、どうも、従業員に嘘を教えることが多い会社だった。 会社として教えているのか、個々の従業員として教えているのか微妙なケースもあるのだが、「営業所長」とかいった肩書を持った人間が「研修」と称したもので講師の立場で話したなら、「会社として教えた」ということになるであろう。 「研修」という形式をとらなくても、「営業本部長」とか「常務」とかいう立場の人が教えたならば、「会社として教えた」ということになるであろう。
もっとも、「作家で精神科医」の なだ いなだ が『娘の学校』(中公文庫)で、「どのような賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。 どのような人がその賞を受賞しているかでその賞の値打ちが決まるのである」と述べていたが、会社の役職についても、「どのような役職についているかでその人の値打ちが決まるのではない。どのような人がその役職についているかでその役職の値打ちがきまるのだ」というところがある。 「バブル」というしかない役職の会社は日本には少なくないし、「ええ~え? この程度の人が○長なのお~お???」て会社は存在するし、名詞に「○長」と肩書をつければ人はありがたがるであろうというちっぽけな発想から、従業員の過半が「○長」という会社、入社したその日から実績も実力もないのに「課長」「部長」という会社というのも結構ある。
(ア) 1993年。一条工務店に入社して2年目に入った時。愛知県名古屋市の営業所の営業所長をしていたK藤ローオさんという人が「研修」の講師役としてきていて、「一条工務店の営業をやっていて、何かやりにくいと思ったことはあるか」ときき、「何か、やりにくいと思うものがあれば言ってくれ」と言うので、「言ってくれ」と言うからには言うべきだろうと思って、「一条工務店の江東区潮見の東京東展示場の建物は、入ると左側に『二間続きの和室』があり、一条工務店の展示場はたいていそうなっていますが、浜松とかでは『二間続きの和室』というのが喜ばれるかもしれませんが、実際のところ、東京でも和風で相当に広い家を建てるとかなら二間続きの和室を作る方もあるでしょうけれども、そうでなければ、東京ではたいして広くない家で二間続きの和室を作る人はあまりないし、好まれないのです。 むしろ、特別広い家でもないのに二間続きの和室があるということで、一条工務店の江東区潮見の東京東展示場に来場した方は多くの人が、それを見て、『うわっ、田舎の家みたい』とか言われるんです。 右手にLDKがあって、『お母さんとお嫁さんが一緒に調理のできるシステムキッチン』とかあるのですが、そういう『お母さんとお嫁さんが一緒に調理のできるシステムキッチン』というのは、浜松とか地方ではあるのかもしれませんが、東京では、今、あまりそういうキッチンを作る方はないし、東京の住宅展示場で『お母さんとお嫁さんが一緒に調理のできるシステムキッチン』を設置している会社は一条工務店以外にないんです。 一条工務店は『オール4寸角の柱』とか『八寸角の大黒柱』とか『野物(松丸太梁)』とかを『売り』にしていて、亀戸の東京展示場には『八寸角の大黒柱』がありますが、『オール4寸角の柱』とか『八寸角の大黒柱』とかは浜松などでは喜ばれるかもしれませんが、東京で、敷地が30坪しかない、延べ床面積20坪程度の家しか建てられないという人にとっては、『オール4寸角の柱を使ったのでは、その分、家が狭くなりますねえ』、『八寸角の大黒柱なんて、こんなもの入れたら、家が狭くなってじゃまですねえ。 やっぱり、お宅は浜松の会社ですねえ』と言われるんですよ。 住宅展示場の建物を作る際には、どこで建てる場合でも浜松の人の好みに合わせて作るのではなく、その地域の人のニーズに合わせて、その地域の人の好みに合わせた展示場にしていただくことはできないでしょうか。 『野物(松丸太梁)』も『上棟式の時に多くの親戚や近所の人が集まった時に喜ばれる』と一条工務店の浜松の人は言うようですが、東京で上棟式をする人あまり多くないし、上棟式をする人でもそういうものをあまり喜ばないんですよ。『野物が入ります』と言っても『そんなの要らないよね』と言われてしまうんですよ。 カタログにしても、浜松の人の好みに合っているのかもしれませんが、東京あたりの人間には合わないのです」と話した。 「やりにくいと思うことがあれば言ってくれ」と言うのであるから、そう話せば、そういう場合はこのように対処するといいのではないかと意見でも言ってくれるのかと思って話した。
ところが。 それに対して、K藤ローオさんが何と言ったかというと、「何いってんだ。 そういうことを言うからいかんのだあ! 二間続きは東京でも浜松でも絶対にいいんだ。二間続きの和室は延床20坪の家でも敷地面積30坪の家でも絶対に必要なんだ! 八寸角の大黒柱は東京でも浜松でも絶対にいいんだ! 浜松でいいものは東京でもいいに決まってるんだ! こんなこともわからんのかあ~あ!」と怒鳴りつけられたのだ・・・。 ・・・わかってたまるか。
だいたいだ。 延べ床面積20坪の家、1階10坪、2階10坪の総2階の家を考えてみよう。 一条工務店の階段は、15段上がりか17段上がりで作っていたので、途中で折り返す15段上がりの階段として1坪とる。 風呂に1坪、洗面所に1坪、トイレに0.5坪取るとする。 玄関のポーチ部分0.5坪、玄関ホール部分0.5坪として計1坪とする。これで、1+1+1+0.5+1=4.5坪である。 二間続きの和室は、6畳と8畳の2間続きとして、6畳の部屋の短辺側に半畳分の仏間と1畳分の押し入れ、8畳の部屋の片側に床の間と床脇と押し入れで2畳(1坪)分とるとする。 これで、6畳+1.5畳+8畳+2畳=17.5畳=8.75坪。 南北方向に和室を2間並べて南側の和室の南側に0.75間の広縁を取って、端の部分に物入れを0.75畳取るとして、広縁と物入りの部分で0.75間×2.5間=1.875坪。 和室とそれに付随する仏間・床の間・床脇・押し入れ・広縁・物入れで8.75坪+1.875坪=。10.625坪。 4.5坪+10.625坪=15.125坪>10坪 で、すでに10坪の1階に収まらない。
浴室を1坪でなく0.75坪のものにするとしても、その当時、一条では浴室は1階でないとだめで2階の浴室は認めていなかったので、0.75坪の浴室と脱衣室と洗濯機置き場を0.5坪として、浴室+脱衣室兼洗濯機置き場で1.25坪。 和室は広縁なし、床の間・床脇・仏間・押し入れ一切なしで6畳+6畳の和室とするとしても、3坪+3坪=6坪。 階段1坪+玄関1坪+二間続き和室6坪+浴室と脱衣室1.25坪=9.25坪。 これでなんとか1階の10坪に収まる。廊下はなし、1階には収納はまったくなし。 2階にダイニングキッチンと洗面所とトイレと個室が配置されるとして、洗面所0.5坪。 トイレに0.5坪。キッチンはキッチンとダイニングの合計面積を最も節約できるダイニングキッチン形式として8畳=4坪としよう。階段の面積は1階だけでなく2階でも計算しないと階段にならないので1坪。 これで、0.5+0.5+4+1=6坪。 階段ホールとか廊下の面積は見ていない。 残りは4坪=8畳。 6畳の部屋に2畳分の物入れがついておしまい・・・ということで、こんな家、誰が住むの??? アホちゃうか???
そもそも、「浜松でいいものは東京ででもどこででもいいに決まってるんだ」という浜松中心主義というのか、浜松独善主義というのか、その考え方はどうすれば身に着くのだろうか。 なんだか、おかしな育ち方した人だなあという気がする。 なんだか、「浜松とおれば道理ひっこむ」というのか、「そこのけ、そこのけ、浜松とおる」とでも言うのか、なんともおかしな思考だ・・・・。
「空の一部分の広さは浜松の広さと同じだ」というのならそれは正しい。 しかし、「空の広さは浜松の広さと同じだ」というなら、それは間違っている・・・・と言いたいのだが、一条工務店という会社でそれを言うと怒られるのだ。 「浜松でいいものはどこでもいいに決まってるんだ。 こんなこともわからんのかあ!」と。 で、逆らうとうるさいから、だんだんと口をきかなくなった・・・。 見ても見ざる、聞いても聞かざる、言うべきことでも言わざる・・・と。 しかし・・・・・、「それでも地球は回っている」。
「二間続きは東京でも浜松でも絶対にいいんだ。二間続きの和室は延床20坪の家でも敷地面積30坪の家でも絶対に必要なんだ! 八寸角の大黒柱は東京でも浜松でも絶対にいいんだ! 浜松でいいものは東京でもいいに決まってるんだ! こんなこともわからんのかあ~あ!」と一条工務店の「研修」でK藤ローオさんが言われたということを、東京圏在住の友人知人何人かに話してみたのだが、話した相手全員から、「その人、ちょっと、頭おかしいのと違う~う?」「その人、酔っぱらいか何かなのお~お?」と言われた。 私が聞いてもそういう返事をすることになると思う。
「うわっ、田舎の家みたい!」というのは、一条工務店の江東区潮見の住宅展示場の来場客が二間続きの和室を見て、本当にそう言ったのだ。「お母さんとお嫁さんが一緒に調理のできるシステムキッチン」を見て、「そんな家、今どきないよね」と来場客から本当に言われたのだ。「やっぱり、お宅は浜松ね」と本当に言われたのだ。「オール4寸角の柱」についても折衝した見込客から「4寸の柱使ったら家が狭くなりますね」と本当に言われたのだ。亀戸の展示場の「八寸角の大黒柱」を見て、来場客から「こんなものあったら、家が狭くなってじゃまですねえ」と来場客から本当に言われたのだ。「野物(松丸太梁)」について、「そんなの要らないよね」と折衝した見込客から本当に言われたのだ。私が言ったのではない。私が言われたのだ。
「そういうことを言うからいかんのだあ!」と言うけれども、私が来場客・見込客から言われたのであって、私の方が言ったのではないのだ。 「そういうことを言うからいかんのだあ!」と私に言うのではなく、営業所長という肩書を持ってその役職の給料をもらっているなら、「そういうことを」言った来場客・見込客に向かって「そういうことを言うからいかんのだあ!」と怒鳴りつけたらどうだろう。 きっと、来場客から、「一条工務店の営業所長は精神的におかしい」と評判になることだろう。
(イ) この「研修」で、K藤ローオさんは、「住友林業なんかと競合になったら、『住友林業はムクじゃなくて集成材でしょ』『住友林業はプレカットやってますか』『やってないでしょ』で、それだけで契約とれる。ごちそうさん、てもんだ」などと発言したが、その1993年5月の時点で住友林業はプレカットをおこなっていた。 そんなことも把握していない人間でも売れる場所でK藤ローオさんは仕事をさせてもらってきた、ということだ。
どの住宅建築会社に頼むかを決める要因として、どちらが優れているかよりも、実は「好みの問題」というのが相当に大きいのだ。 在来木造の場合、一条工務店が「売り」にしていた「構造材がすべてムク材」というのはそれは地方に行くと好まれる度合が大きいのに対して、都市部ではそうではない。
又、「大手住宅メーカー」というのは、実はその大部分は東京圏か関西圏の会社で、東京圏の会社が関西圏でも受け入れられるようにした、もしくは、関西圏の会社が東京圏でも受け入れられるようにした、というものが多い。 地方に行くと、そういう「大手住宅メーカー」はそれほど浸透していないので、一条工務店くらいの位置づけの会社にとっても、それほど強敵ではないことになる。
「住友林業」という会社は集成材を使っているという点から、「地方」には受け入れられにくい会社だが、都市部で木造で建てたいという人には「住友」ブランドで信頼を得る。栃木県などは都市部とは言い難いが、他県から来た人間の多くが「都会ではないが、都会ぶりたい人が多い」と評する地域で、そういう所ではけっこう浸透している。
私は、東京都・千葉県という東京圏で勤務した後、福島県へ行き、その後、栃木県南部に勤務した。 1992年、東京では住友林業と競合になった時、まるで、幕下以下の力士が横綱に立ち向かうような印象だった。「ごちそうさん」なんて、とんでもない。 それが、福島県いわき市に行くと、その「横綱」はいわき市には営業所すらなかった。 そのうち、いわき市にも住友林業の展示場ができたが、家というものは在来木造で、かつ、ムク材で太い柱で建てるものだ、という観念の強い地域においては、集成材を使用している住友林業よりムク材の一条工務店の方が強かった。
福島県では浜通りに限らず中通りでも会津地方でも、住友林業との競合では、営業の力が五分と五分なら7対3か8対2くらいで一条工務店の方が強かった。 栃木県南部に行くと、営業の能力・努力が五分と五分なら東京と福島県の中間くらいで6対4くらいで一条の方が強いかと思ったらそうではなかった。 そこで実際に仕事をしてみて「営業の能力が五分と五分なら、むしろ、6対4くらいで住友林業の方が強いですね」と営業所で話すと、栃木県地域の営業所長だった I さんは「いや。 6対4じゃなく、7対3くらいで住林の方が強いのじゃないか」と話した。「そうかもしれませんね」と私は言ったが、実際、2000年前後、栃木県南部において、一条工務店対住友林業では、営業の能力・努力が五分と五分なら住友林業の方が6対4よりむしろ7対3くらいの割合で強い印象だった。 I 十嵐さんは、そのあたりについては、K藤ローオさんなどと違って、理解できている人だった。
栃木県の営業会議の時に、営業の進め方の話で、西那須野営業所という栃木県最北部の営業所にいた、入社してからの年数は長くないが相当に多く売っているAさんに、所長の五十嵐さんが「Aさんは、どういうやり方をやっている?」と質問した時に、Aさんが「私は、意図的に、一条ともう1社を残すように持って行って、そのもう1社との競合でこちらに取るようにしています」と話した。 人間の心理として、1社だけでなく、いくつかの所を見て選んで決めたいという心理がある。そこで、この会社との競合になると勝てる可能性が高いという所と自分の所と2社残るように持って行って、最後、直接対決で相性がいい相手との1対1の勝負で勝つというようにもっていくという戦法である。 それで、所長の I さんが、「Aさんは、どこを残すようにしてるの?」と言うと、Aさんは「私は、住友林業を残すようにしています」と答え、それを聞いて、所長の I さんは「え~? 住友林業を残すの?」と少々驚いたように言った。私も I さんと同じことを思った。 「2社残るようにして、最後に直接対決でもう1社を落とす」ようにするなら、自分の所以外に残るのは、直接対決で勝てる可能性が高い所を残すべきで、直接対決での対戦成績の悪い相手、相性の悪い相手、強敵を残すべきではない・・という考え方からいくと、住友林業は一条工務店の営業にとってもう1社としては残したくない相手のはずだ。 所長の I さんはそれで「え?・・」と言ったのだ。私はその理由がわかったが、その場にいた社歴の浅い人にはわからなかった人が多かったのではないかと思う。栃木県でも中部南部の営業所の社歴の浅い営業が意味をわからず、多く売っている人の言うことだからと思って、Aさんの言ったように、住友林業と2社残るようにして直接対決ともっていくようにしたならば、それが原因でとれる契約を失うことになった可能性がある。
その時、私は、その営業会議において私に議長をやらせてもらえないものかと思ったのだ。所長の I さんは自分自身がその地域で努力して営業をやってきた人だから、そういう時に自分自身が発言したいようだし発言してもらうと有益なことを言えるはずだ。 だから、所長が議長をやるより、私のようなこれは誰にふって発言をうながすといいか判断できる者が議長をやって、所長の I さんには議長役ではなくもっと自分自身が発言してもらった方がいいと思ったのだが、私にその役はまわしてもらえなかった。
Aさんが住友林業を残すことにしていたのは、栃木県でも最北部の「ほとんど福島県」の営業所にいたからだ。 栃木県でも最北部の「ほとんど福島県の栃木県」では、家は木造で、ムク材で建てるものだという意識・観念が相当に強いはずで、そういう地域においては、ムク材の一条は集成材の住友林業との直接対決では相当に強い。 だから、Aさんは住友林業を残すことにしていたのだ。 しかし、栃木県でも中部南部ではそうではない。「住友林業の人が言ったことだから絶対間違いない」という変な信仰を持っているおっさんは栃木県中部以南では相当に多く、直接対決では一条工務店は分が悪い。 直接対決で分が悪い相手を意図的に残すバカはない。できれば、2社での直接対決、3社での巴戦より以前に消えていただきたいものだ。 だから、栃木県でも中部南部においては、「自社ともう1社残してそことの直接対決で契約にもっていく」という作戦なら、残す相手は住友林業以外の所にしたい。
こういったことは、その地域によって状況は違う。 だから、私が一条工務店に入社して2年目の「研修」で、講師役で来たK藤ローオさんが「住友林業との競合なら、ごちそうさ~んてもんだ。 住林は集成材でしょ。住林はプレカットやってないでしょ、でそれだけでとれる。楽なもんだ」とえらそうな口をきいたのは、K藤ローオさんがそういう地域でしか仕事をした経験がないということを示しているだけのことだ。 こちらがきっちりと調べて本当のことを話しているのに、「住友林業の人はそうじゃないように言ってたよ。あんた、嘘ついちゃだめだよ。住友の言うことは絶対に正しいに決まってるんだ。俺は嘘つくやつきらいなんだ」とか、住友林業の営業の方がいいかげんなことを言っているのに言われて情けない思いをする経験をしたことのない人間だということを示している。
こういうことを言うと、おそらく、K藤ローオさんのような、「住友林業との競合なんて、ごちそうさ~んじゃ」というような地域でしか仕事をしてきていない一条オリジナル営業は、「それは、おまえが客から信頼を得ることができていないんだろうが」とか言い出すと思う。 そうではない。 一条工務店が2001年に営業に見せたNHKの「プロジェクトX」という番組で、宅急便を始めたばかりの頃のヤマト運輸のセールスドライバーが、なかなか頼んでもらえなくて、「郵便局の前に行って、小包を出そうとしているおばあちゃんに、『おばあちゃん、その小包、私に運ばせてもらえませんか』と言うと、そのおばあちゃんが『これはね。 孫に送る大事な荷物なんです。 だから、あなたには頼めません。郵便局に頼みます』て。 そう言われました」とその時のことを思い出して涙を流しながら話すのが出ていた。 そう言われたのは、郵便局の窓口のおっさんが優秀でそのヤマト運輸のセールスドライバーが悪いのではない。 私が一条工務店に入社した1992年頃、東京圏ではそんな感じだった。 それ以降においても、栃木県中部南部においても、住友林業教の信者みたいなおっさんが時々いて、そういう信者は「住友は絶対に正しい」という信仰を持っており、それを崩すのは相当難しかったが、それは一条工務店の担当営業のせいではない。
栃木県地域の営業所長をやっていた五十嵐さんは自分がそこで仕事をしてきただけに理解できていた。 K藤ローオさんは「住林との競合ならごちそうさ~ん」の地域しか経験のないそういう井戸の中で暮らしてきたカエルさんなのだ。 そういう人が全国の人間を相手にする「研修」の講師として出てくるのが間違っている。「静岡県西部・愛知県」という井戸の中で井戸の外より無茶苦茶安い坪単価を設定してもらって井戸の中だけドカンドカンとテレビ広告やってもらって営業やってきた人は「静岡県西部・愛知県」という井戸の中の人間だけを相手にするべきで、それ以外の地域の人間相手に「研修」の講師などやるべきではなく、それを自覚するべきだ(・・・と言っても絶対に自覚しないだろうけれども・・・)。
その「研修」の時点で このK藤ローオさんという人がいったい、どういう人なのか知らなかった。 「研修」に講師役で来たならば、自分はどこに所属している何という人間だと自己紹介くらいするべきものではないかと思ったのだが、彼はそれもしなかった。 後から聞いて彼の名前と所属がわかった。 それで、その時、一条工務店はこの程度の人を営業所長にしているのかとびっくりしたのだ。 「普通の会社なら、せいぜい主任くらいまでの人」を一条工務店は営業所長にしている。 それで、その時、「どのような賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。どのような人が受賞しているかで賞の値打ちが決まるのだ」というのと同じく、「どのような役職についているかで人の値打ちが決まるのではない。 どのような人がその役職についているかでその役職の値打ちが決まるのだ」という基準を適用するならば、一条工務店の営業所長などという役職は、普通の会社なら、せいぜい、主任か副主任程度のもの、ということがよくわかったのだ。 一条工務店の役職はその程度のものだ。なぜこんな人が営業所長になっているのか、こんな人を営業所長にしちゃいかんなあとその時は思ったのだが、そうではなく、一条工務店の営業所長というのはその程度のものだったのだ。
私は、この「研修」まで、会社の「営業所長」といった役職にこの程度の人がなっているなどということはないだろうと思いこんでいた。認識不足だった。
≪・・・自分の理性的な立場にてらして取捨選択して使うということをやって下さい。 くれぐれも言いますが、自己の実感などにてらしてはだめですよ。 実感というものは、たえず蜃気楼をともなっているものですから、危険です。 理性にてらして、実感を批判しつつ、よく考えてみて下さい。≫(大塚久雄「社会科学を学ぶことの意義について」〔大塚久雄『生活の貧しさと心の貧しさ』1978.4.20. 所収〕
この≪自己の実感などにてらして≫ではなく≪自分の理性的立場にてらして≫考えるという思考が、一条工務店の名古屋の営業所の「所長」になっていたK藤ローオさんなどはできていなかったのでしょう。 実際のところ、この人には無理なんだろうな、と思いました。「浜松でいいものは東京ででもどこででもいいに決まってるんだ。2間続きの和室は20坪の家でも30坪の土地ででも絶対に必要なんだ」というK藤ローオさんの「実感」にてらして考えたのでは、その「実感」があてはまらない地域では対応できない、ということをK藤ローオさんに理解させようとしても無理だ。
森川英正『日本経営史』(1981.日経文庫)・『日本財閥史』(1978.教育社歴史新書)を見ると、明治以来の日本の企業においては「学卒」者を採用し、企業の経営に参加させるということをおこなってきたが、「学識」のある者が職場で経験を積んで経営に参加することを積極的に取り入れた企業とそうでない企業で差がついたが、「学識」のない職場の経験だけの人では一線の仕事はできても経営において適切な判断ができない場合が多いようだ、といったことが述べられている。 私は実際にそうであるのかないのかわからなかったのだが、一条工務店のK藤ローオさんなどを見て、こういう人は一線の営業としてはともかく、営業所長とか管理的立場の職は無理だなと思うようになった。 こういうことを言うと怒る人がいるが、実際問題として、≪自己の実感などにてらして≫ではなく≪自分の理性的立場にてらして≫考えるという思考をするというのは、一条工務店の中卒や高卒を自慢にしている営業所長には無理のようだ。
K藤ローオさんを見て、なんで、この人が「営業所長」などになっているんだろうなと思いましたが、その程度の人がなっているということは、一条工務店の「営業所長」というのは、一般の会社における主任か副主任程度のものということなのでしょう。
≪ 浅野や小倉のような同族による役員集中に固執する企業では、たんなる専門経営者の登用が抑えられるというだけでなく、ミドル・マネジメントの地位の不安定や資本家経営者の個人感情や恣意が経営に入り込むなどの経営合理性に反する様相が見られました。≫(森川英正『日本経営史』1981.日経文庫 133~134頁)
一条工務店の経営者は、これに該当していたのでしょう。 もっとも、そういう会社は少なくないかもしれませんけれども。
≪ 民間企業に雇い入れられた「学卒」者たちを十分に使いこなすためには、彼らと日常的に接触し、業務に即して指導することのできる人材がトップ・マネジメントにいなければなりません。いうまでもなく、それは兼任大株主重役ではなく、専門経営者でなければなりませんでした。≫(森川英正『日本経営史』1981.97頁)
一条工務店に入社した1年目、営業本部長のA野さんが「○○くんが入ってきた時にはびっくりしたなあ。うちの会社に慶應出身の人間が応募してくれるのかとびっくりした」と話したので、そういう会社なら、そう思ってくれるなら、実力を発揮する場があるということでいいかもしれないと思い、そう思って努力しましたが、そういう人材を使う人材がトップ・マネジメントにいなかったようです。
一条工務店において、「浜松流」を全国に押し付ける弊害を感じていた人は、比較的古くから在籍した人にもいなかったわけではないようです。 一条工務店は静岡県の浜松で始まり東西に伸びていったのですが、神奈川県の藤沢市の営業所の所長になっていたT葉さんが言うには、神奈川県では最初に茅ケ崎に展示場を設けたが、その際、浜松の本社の人間は浜松と同じような間取りと外観の図面を作ってきたので、T葉さんは「神奈川県では、こんな田舎くさいデザインではだめだ。 浜松ではこれでもよくても、神奈川県ではだめだ。」と言ったというのです。言ったけれども、本社の室長が「一条工務店はこういう建物で伸びてきた会社なんだから、そう言わないで、こういうもので売ってくれ」と言うから、しかたなしにその建物を展示場として建てて茅ケ崎展示場と同社の神奈川県での営業が始まったらしい。 だから、「アタマが浜松」の会社ではあるが、「宇宙の天体はすべて、浜松を中心として回転している」とすべての人間が考えていたわけでもなかったようだ。
[2] 「コンパネ」は水かぬるま湯につけると接着部が簡単に剥がれるか? 濡れると簡単に剥がれる「コンクリート型枠用合板」てありうるか?
(ア) 「前段」が長くなってしまったが、その一条工務店の「常務取締役」で「営業本部長」のA野T夫さんが(私が入社した1992年には「次長」という肩書であったが)、「住友林業の建築現場に行って、集成材かコンパネを拾ってきて、お客さんに、ぬるま湯につけてみせるといいよ。 水かぬるま湯につけると、集成材とかコンパネは簡単にはがれるから」と言ったので、私は「はがれますかあ? エスバイエル(←小堀住研)にいた時、エスバイエルでは、『接着剤にも使い方が簡単だけれども簡単にはがれる接着剤もあるけれども、温度・湿度など配慮して工場で接着しないと扱えないが、いったん、接着すると接着力が強くて、少々水に濡れるなどしてもはがれない接着剤もあり、エスバイエルの木質パネルの枠材(ツーバイフォー材)と構造用合板は工場でないと扱えないがいったん接着するとまずはがれることはないというものを使っている』と聞きましたし、合板にも屋内で使う化粧合板と屋外で使用する構造用の合板とがあって屋外でも使用する合板には、いったん接着すると、少々濡れたりしてもはがれることはまずないというものを使っているのと違うのですか?」と質問したのだ。(この発言の前半は小堀住研〔→エスバイエル〕のカタログに載っていたことだが、後半は、今里隆『これだけは知っておきたい建築用木材の知識』(1985.5.6.鹿島出版会)に載っていたことだ。) 後に「営業本部長」という肩書になったA野T夫さんは、その当時、「次長」という肩書で、その会社では社長の次の立場の人が3人いて、「専務」「常務」「部長」とかは存在せず、「室長」という肩書の人が2人とこの「次長」の3人が社長の次で、その「次長」、社長の次の人が言うことだから、いいかげんな話ではないだろうから、質問すれば適切なことを答えてもらえるだろうと期待して・・・・。 今里隆『これだけは知っておきたい建築用木材の知識』(1985.5.6.鹿島出版会)に書かれている内容を論破する話を聞かせてもらえるのではないかと期待して。
そうすると。 「おまえは黙ってろ。 おまえは口きくな。 そんなにエスバイエルがいいなら、エスバイエルに行け。おまえはあ」と言われたのだ・・・・。 なんで、そういう話になるの???
それで、だ。 実際に、集成材を使っている会社の工事現場で雨が降って濡れることはあるはずなのだが、それで集成材の接着部が剥がれたということは見たこともなければ聞いたこともないのだ。 構造用合板については、ツーバイフォー工法の建物は、1階の床を作ってから1階の壁を作り、1階の壁の後で2階の床を作り、その後2階の壁を作るという順番でできていくため、「作業性が良い」(できた床を作業用の台に使える)という長所がある反面、雨に濡れてしまう可能性が高いという問題もあり、けっこう、雨に濡れているはずなのだが、ツーバイフォー工法の工事現場で構造用合板の接着部が剥がれたという話は見たこともなければ聞いたこともないのだ。 私の不見識、私の知識不足なら、教えてほしいと思ったのだが、教えてもらえなかっただけでなく、「おまえは黙ってろ」だの「エスバイエルに行け」だのと言われてしまったのだ。 なぜ、そういうことを言われなければならないのだろうか・・・・・・。
この話を、その後、転勤して移った先の営業所でしたことがある。 一条工務店は中途採用で次から次へと人を採用してはやめさせていく会社で、人を粗末にするその態度はいいとは思えないのだが、前職に隣接業界にいた人が来ることがあって、そういう人からいろいろと教えてもらえることもある。
部材屋さんから転職で来た人が言うには、「それは絶対にないですよ。 ぬるま湯につけたら、コンパネの接着がはがれるなんて、絶対にありえないですよ。 水かぬるま湯につけたら剥がれるのでは、それではコンパネにならないじゃないですか。」と。 言われてみれば、まったくその通りだ。 その発言を聞いて、一条工務店に私が入社した時点ですでにある程度以上の年数を経ていた某さんが、私に、「そうですよ。 ○○さん、そんなの、A野部長の言うことなんて、本気にしちゃだめですよ。 あれは頭が薄いんですから。 あんなバカの言うことを本気にして、それを信じてお客さんに話したりしてはだめですよ。 あんなバカの言うことをそのままお客さんに話したりしたら、恥かきますよ。」と言われたのだ。 結論としては、そういうことだろう。
「ぬるま湯につけるとコンパネは接着部が簡単に剥がれる」ということはありえない、それでは「コンパネ」にならない、というのはどういうことか。 「コンパネ」とは何かということを考えてみると、すぐわかる。 「コンパネって何ですか」と質問しても、しかるべく答えることができない人がけっこういるのだが、「コンパネ」とは、「コンクリート型枠用合板」の略で、「コンクリート」の「コン」と「型枠用合板」⇒「パネル」の「パネ」を合わせて「コンパネ」なのです。
「コンクリート」は何からできているかと言いますと、「砂利」などの「粗骨材」、「砂」などの「細骨材」、それに、「セメント」と「水」をしかるべき比率でまぜて作るわけです。 乾くまではどろどろした液状のもので、それを枠に入れてしばらく乾燥するまで待ち、乾燥して固まるとコンクリートとしての強度を発揮するようになるわけです。 乾燥するまで、液状のものを入れるための枠が「型枠」で、鉄筋コンクリート造のビル建築においても、在来木造やツーバイフォー工法、木質パネル構法などの戸建住宅の基礎のコンクリートにしても、型枠を作ってそこにコンクリートを流し込むという点は同じです。 型枠は鉄板を使うこともありますが、木を使うこともあります。 この「型枠」に使うための合板が「コンクリート型枠用合板」即ち「コンパネ」なのです。 但し、コンクリートの型枠用に使う合板のことを「コンパネ」と言うものの、必ず、コンクリートの型枠として使わないといけないという決まりがあるわけでもなく、「コンパネ」をコンクリート型枠としてではなく他の用途に使って悪いことはないので、他の用途に使われることもあり、今では、「コンパネ」という言葉で呼んで、一般に販売もされ、型枠以外の用途にも使用もされているのですが、本来が「コンクリート型枠用合板」なのです。
「コンクリート型枠用合板」という、「砂利と砂とセメントと水」でできた水分たっぷりの液状態を入れて保つものですから、「水やぬるま湯に濡れたら簡単に剥がれる」ようなことでは「コンパネ」にならないわけです。 もし、「水やぬるま湯につけたら簡単に剥がれる」合板なら、それは「コンパネ」ではないことになります。
「一条工務店の営業本部長の言うことなんぞ、本気にして、そのままお客さんに話したら恥かく」というのは、まったくその通りのようです。 普通、会社で社長の次の立場の人間がそういういいかげんなことを言うことはないだろう・・・・と私は思っていたのですが、私の認識が間違っていたようです。 社長の次の役職の人間はいいかげんなことを平気で言うようです。 いいかげんなことを従業員に教えていたところに、私が、まさか社長の次の役職の人間がでたらめ言うことはないだろうからと思って真面目に質問したものだから、それで、怒って、「おまえは口きくな」とか言い出したようです。 申し訳なかったと思います。 まさか、でたらめを平気で言っていたとは思わなかったものですから。
※ 「コンパネ」は、ウィキペディアにも、
《ウィキペディア―コンパネ》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%8D に、≪コンクリートパネル (concrete panel) の略。 コンクリート打設の型枠に用いられる合板。≫と出ている。
(イ) 一条工務店の営業本部長のA野T夫さんから、「おまえは口きくな」と言われたのはこの時だけではありません。 松戸展示場にいた時、同営業所に中途入社してきたT川くんが、本社の研修に言って帰ってきた時、A野さんが「他の者にも研修で聞いたことを教えてやって」と言い、それで、T川くんが説明していたことがあった。 在来木造で「筋交い(すじかい)」を耐力壁として使用した場合、接合部の止め方をきっちりとしていないと、柱・梁・土台の内側に入れて圧縮方向の力が加わった際に役立つ圧縮筋交いの場合、地震や台風で横方向の力を受けた際、引っ張り方向の力を受けた時に接合部がはずれてしまう可能性があります。 そこで、はずれないように、「筋交いプレート」という金物で止めることになります。 かつては、個人大工や工務店の建物では、釘を2本ほど打ち込んだだけという工事現場がありましたが、最近では、ハウスメーカー・工務店・個人大工を通じて金物を使用するのが普通になってきています。 1993年頃、住友林業では、柱・梁・土台と筋交いの外側に平らな金物を貼りつけるという方法を取っていたのに対し、一条工務店では箱型の金物・箱型の筋交いプレートを柱・土台の内側、柱・梁の内側に入れる方法をとっていました。 今は住友林業もこの箱型の金物を使っているようで、他の会社も箱型のものを使う所が多くなってきたように思います。 その箱型の金物(「筋交いプレート」)のことを、T川くんは、「一条工務店では、箱型の金物を使っているのですが、この金物は、建築基準法や住宅金融公庫の基準で認められていなかったのですが、一条工務店は知らずに使っていて、それで、言われて、認めてもらうようにしたのです。」と説明したので、私はそういう話は知らなかったので、「え? そうだったの?」とT川くんに質問したのですが、そうすると、A野さんが「おまえは口きくな」と私に言ったのです。
なんで、私は彼からこういう口のきき方をされなければならないのでしょうか。 営業本部長だか社長の次だかなんだか知りませんが、こういう口のきき方をしていいのでしょうか。(A野T夫は「女の子は気を使って気を使ってしてやらないと辞めてしまうけれども、その点、男は辞めないから何言ったっていいんだけれどもな」と発言したことがあったが、言っている側は何を言ってもいいと思っているかもしれないが、言われている側は何を言われてもいいとは思っていないのだが、彼はそれを理解できていなかったようだ。)
なぜ、彼はそういう口のきき方をするのかと思ったのですが、私はT川くんが話した内容は私が知らない事だったのでそれで教えてもらいたいと思ったのですが、実は、それはT川くんは論拠があって言ったことではなく、いわゆるひとつの「でまかせ」だったらしいのです。 こちらとしては、真面目に質問したつもりだったのですが、「でまかせ」を言わせるのが好きな人からすれば、その「でまかせ」について質問する人間は許せないということだったようです。 「でまかせ」を言う者が許せないのではなく、「でまかせ」について、それを「でまかせ」だなどとは夢にも思わずに質問する人間が許せないという認識だったようです。
「一条浜松流」の嘘つき営業を見て、この人たちは、どうして嘘を言わないと気がすまないのだろうと思ったのです。 その当時の一条工務店の建物は、K藤ローオさんが言うような「絶対的に言い」とか「完璧にすばらしい」とか言うものではないが、しかし、まったくだめな建物ではなく、いいところはあったのですから、本当のことで、こういうところがいいということを述べればいいと思うのに、なぜ、嘘を言いたがるのだろうと強く疑問に思ったのです。
結論を言うと、嘘をつく人というのは、2通りあって、(1)嘘をつかざるをえない事情があってやむなく嘘をついているというケースと、もう一つ、(2)嘘をつかなくても本当のことを言った方が自分に有利であっても関係なく、嘘をつかないとおれない習性の人というのがいて、後者の人は、本当のことを言って営業できる状況でも嘘を言いたがるようです。 「一条浜松流」にはそういうタイプの人がいたということでしょう。
《教える気がなくなる新人(1)》の1~4までで述べてきた東京営業所に本人の希望で浜松から転勤してきたOくんを見て、こいつ、いったい何なのだろうなと思ったのだが、Oくんだけに責任があるのではなく、一条工務店の会社にそういう態度を喜ぶ傾向があったようだ。 嘘を客に話すのを喜ぶ経営者、嘘を新人に教える者を喜ぶ経営者・・というのは、私は良いとは思わない。 又、営業は契約いただくのが仕事であり、嘘を言って契約になる時もないとは言えないだろうが、嘘を言うと契約になるわけでもなく、嘘を言うことで墓穴を掘る場合もある。 サッカーでいうところのオウンゴールになる可能性は十分ある。 本当のことを話して契約をいただくという姿勢の方が私は好ましいと思う。 倫理的に好ましいだけでなく、営業上も、会社経営の上でも好ましいと思う。
斉藤次郎・森 毅 『元気が出る教育の話』(1982.6.25.中公新書)で森 毅 氏が次のような発言をしている。
≪ ・・・いま理学部長をしてる山口昌哉としゃべったら、彼は極端でね、おれは小学校以来、いまだかつて授業中にわかったことはないとかね。彼はわりかた鈍いと自慢しとる。本人は鈍いつもりでおるわけ。それで、彼の説は、「わかる」というのは自己の内面に関わることだから、あんな教室みたいなとこで、一方向的にわからせられたりしてたまるかという・・・≫
私は、小堀住研に入社した時に受けた新卒社員の研修の時でも、講師役の人の言うことだから正しいなどとは考えなかった。 そうであるかどうか考えながら聞いていた。 だから、講師役で来ていた営業課長のK崎が、営業は服装に配慮するべきだという話の際に、「『このネクタイ、実はうちのが選んできた三宅イッセーなんですよ。』というと、ほら、よく聞こえるでしょ」と話した際には、それは違うのではないだろうかと考えたりした。三宅イッセーであろうが何であろうが、ネクタイというものは基本的には自分で考えて選ぶもので、嫁さんに選んでもらっているようでは、それではおしゃれな格好はできないのではないかと思ったのだ。
〔 [第265回]《サルバトーレフェラガモのネクタイとロットリング―知らない男を住宅屋の営業と言うか?【上】ネクタイ 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_1.html の後半でこのネクタイの件について述べた。 〕
Oくんは、一条工務店の研修で嘘を教えられたことをそのまま信じる「素直さ」があったのか、それとも、勝手に意味を取り違えて自分が取り違えた意味を信じていたのか。
【1】木構造の建物で構造材に使用している木の量が多い少ないという話は対在来木造で話して意味のあることで、対ツーバイフォー工法、対木質パネル構法で話しても意味はないのにそれをわかっていない。
【2】耐力壁の配置は、木構造では、法規制の上で、最も厳しいのは木質パネル構法で、次がツーバイフォー工法、最も規制が緩いのが在来木造で、かつ、その頃の一条工務店の建物は必ずしも適切に耐力壁の配置をできていたとは言い難かったにもかかわらず、対木質パネル構法で耐力壁の配置の話をしたがる。
【3】「構造の話しかしないのは一条工務店だけ」であって決して「構造アプローチをするのは一条工務店だけ」ではなく他社も構造の話をしているのに、「構造アプローチをしているのは一条工務店だけで、『よそ』は最初から最後まで値引きの話ばっかりやっている」という嘘を信じて、その嘘を人に話す。
【4】他社がどういうものを建てているか、自分自身で学ぼうという姿勢がない。
・・・それらは、個々にも問題はあるが、根本的なものとして、 「なぜ売れないか」「なぜ売れるのか」「どうしたら売れるのか」を自分自身で考えようということより、「一条浜松流」を尊重している、実際にどうなのか、事実はどうなのか自分自身で確認しようという姿勢が欠落していて、自分自身で確認しようとせず、「一条浜松流」が教える嘘を信仰している、という点に問題があると言えるだろう。【1】に関しては、一条工務店が新卒社員に供与した学習書に適切に説明されているのにそれも読んでいない。勤めた会社がこれを読んで学習してくれと言ったものを読まない。ある程度以上のベテランがそんなものは必要ないと読まないならともかく、新卒入社して半年も経っていない小僧が読まないというのは、それはマイナスの評価を受けてもしかたがないのではないか。又、それは「売れる要素」か「売れない要素」かというと、「売れる要素」の方ではないだろう。
そういう精神態度は本人に問題があるが、そういう思考をさせて喜んでいる会社・上役の姿勢にも問題がないわけはない。
もっとも、不思議に思うこともある。他の会社でもそうだと思うが、1992年頃の一条工務店では新卒入社の社員と中途入社の社員では、入社時に新卒入社の社員の方が長期の研修をおこなっていたが、中途入社の社員にも入社時の研修はあったのだ。 私が受けた入社時の中途入社社員向けの研修においては、静岡県地域のみで仕事をしてきた人が講師として来た時に、少々静岡県ローカルな話をすること、地域によってそれは該当しないと思えることを話すこと、言い間違いか記憶違いで厳密には正確ではないことを言うことも時としてとしてあったけれども、無茶苦茶だったり嘘だらけだったりする話はそれほどなかったように思うのだ。なぜ、新卒社員向けの研修と中途入社向けの研修で期間が違うだけでなく内容まで違うのか。なぜ、Oくんらが受けた新卒社員向けの研修では嘘だらけを教えているのか。 なんだか、そのあたりがよくわからないところではあるのだが・・・。
(2014.12.28. )
☆ 教える気がなくなる新人
(1)-1 木を人工乾燥しても濡れたり湿度が上がれば一緒?なわけないでしょ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201412article_3.html
(1)-2 木質パネル構法と在来木造の木の使用量、筋交いは削っていいか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201412article_4.html
(1)-3 他社について嘘を教える研修、学ばない者が「知らない」のは本人が悪い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201412article_5.html
(1)-4 「プレハブ」とは何か。建築現場の仮設小屋と「プレハブ」は一緒か? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201412article_6.html
(1)-5 今回。
(2) 現実の見込客を見ずに、「研修」で教えられたものを信奉する営業の愚かさ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_1.html
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