恋の神さま 玉前神社[たまさきじんじゃ](千葉県 一宮町) 訪問。 タマヨリヒメへの依頼。
[第310回] 恋の神さま シリーズ(1)
今は昔。 1990年代、在来木造の一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ にいた時、家相を見る人の所に一緒に行ってもらいたいと言われたお施主さまがおられ、一緒に行ったことがあるのだが、その際、易者というのか家相家というのかが言ったのが、「家相・日取りを見るのは私達、地鎮祭は神主、葬式は坊さん、と日本では役割分担されている」と。 ほんまかいな・・・。 そうなると、だ。 最近、結婚式はキリスト教式の結婚式が人気あって、それまでキリスト教徒でもないのに、結婚式だけキリスト教式であげる にーちゃんねーちゃんがいるらしく、一方で、葬式はキリスト教式は冷たい印象があって人気が悪く、葬式は仏式でという人もいるのだ。 結婚式はキリスト教、葬式は仏教、地鎮祭は神道で、家相・日取りは易者の仕事・・・・て、ええんかいや、そういうの・・て、なんか、無茶苦茶ちゃうんかい、て感じがせんでもないが、そういう人もいるらしい。 その基準から行くと、「初詣」は、やっぱり、神社やろうな・・・。
で、神社には、それぞれの神さんに「御利益」の得意分野というのがあって、阪神タイガースは、毎年、兵庫県西宮市の西宮神社に年始に参拝しているのに、なんで、たいして優勝しないのか? というお話があり、じ~つは、西宮神社の祭神の「えべっさん」というのは商売繁盛の神さんであって、勝負事に勝つ神さまではないので、神さまが悪いのではない。 神さまは律儀に仕事をこなしており、おかげで、たいして優勝しないわりに、甲子園球場は大入り満員、「阪神ファンはい~ちばんやあ~あ!」て、もしかして、球団経営者はわかっていて、西宮神社に行っとんのとちゃうんかあ???
⇒《YouTube―六甲おろし 唄:立川清登 》https://www.youtube.com/watch?v=yV814_p2fxE
そんな感じで、神さまにも得意領域があるらしいのだ。 『これだけは知っておきたい神社入門』2007.7.27. 洋泉社ムック)には、「商売繁盛の神さま」としては、「恵比寿さま」「お稲荷さま」「大黒さま」があげられているが、「恵比寿さま」の場合、『古事記』に登場する神では、西宮神社のように「蛭子神」と結びつく場合、大阪市の今宮戎神社・島根県の美保神社のように「事代主の神」と結びつく場合、それに、大阪市の露の天神社(お初天神)では「少彦名(スクナヒコナ)」と結びつくという、3タイプの習合のしかたがあるようだ。
「恋の神さま」の場合、一番、ポピュラーなのが出雲大社http://www.izumooyashiro.or.jp/ の「大国主(オオクニヌシ)」だろう。 最近、観光ガイドブックに「恋愛成就の神」として掲載して売り出しているのが、京都の清水寺の本堂の後ろの地主神社http://www.jishujinja.or.jp/ だが、行って見ると、おねえちゃんいっぱい。 なんだか、神社というより、お守り売り場みたい、百貨店のバーゲンセール会場みたいで、もう、なんだか、神さん、商売上手というのかなんというのか、ええんかいや、て感じ。(あそこまで行くと、やりすぎじゃないかと思う・・。)
で、今回、訪問したのは、千葉県長生郡一宮町一宮 にある 玉前神社(たまさき じんじゃ)で、祭神は、「玉依姫」である。
訪問してみると、授与所にはけっこういろいろなお守りとか用意されていて、けっこう商売上手な神さまでもあるらしい。
「いっちゃん守り」というお守りがあったので、「いっちゃん」とはどういう意味だろう、フナッシーが「船橋の梨」から命名されたみたいに、「いちじく」だろうか「いちご」だろうか「いちご大福」だろうかと思うと、そうじゃなくて、上総一宮の「一の宮」の「いっちゃん」らしいのだ。 そのまんまやんけ、て感じがしないでもないが、そこで再認識したのだ。 ここは、一の宮なんだ、と。
千葉県で、全国的に最も有名な神社となると、やはり、香取神宮http://www.katori-jingu.or.jp/ じゃないだろうか。 だから、香取神宮が一の宮だと思い込んでいた。 千葉県は安房・上総・下総の3国からなっているので、下総の国の一の宮が香取神宮で、上総の国の一宮は、この玉前神社[たまさきじんじゃ](たまさき さま)らしい。 なるほど、町の名前も「一宮町」だし、駅の名前も「上総一宮」だった。
『これだけは知っておきたい神社入門』(洋泉社ムック)では、「縁結びの神さま」としては、
出雲大社などの「大国主」、
富士山本宮浅間神社などの「木花咲耶姫」、
白山比咩神社などの「菊理姫」 があげられている。
戸部民夫『日本の神様がわかる本』(2005.1.5.PHP研究所)では、縁結びの神としては、
出雲大社などの「大国主(おおくにぬし)」、
滋賀県の多賀神社などの「伊邪那岐・伊邪那美」、そして、
この千葉県長生郡一ノ宮町の玉前神社(たまさきじんじゃ)などの「玉依姫(たまよりひめ)」、
島根県松江市の八重垣神社などの「稲田姫」、
宮崎県日南市の鵜戸神社などの「ウガヤフキアエズノミコト」、
神奈川県横須賀市走水の走水神社の「弟橘姫(オトタチバナヒメ)」、
神戸市中央区の生田神社などの「稚日女(ワカヒルメ)」 があげられている。
走水神社のオトタチバナヒメは、無理無理くっつけたものだ。 何年か前に行って見たが、もとは、走水港のすぐ近くで、海の近くでありながらきれいな真水がでる井戸があり、その井戸を神聖なものとして祀っていた場所だと思う。 ところが、『古事記』『日本書紀』において、ヤマトタケルが浦賀水道を船で渡ろうとして船が進まず、その時、妻のオトタチバナヒメが海に身を沈めて海神の怒りを鎮めたとかいう話があって、明治維新政府というのか、戦前戦中の天皇制軍国主義政権が、こういう「お話」を実話のように国民に広めようとして、もともと、「お話」であったものを、それがどこであったと断定しようとして、走水港の沖であると決めつけ、そして、井戸を祀っていた走水神社の井戸の奥の山際に無理無理、社殿を作って、ヤマトタケルとオトタチバナヒメを祭神にしてしまった・・というもののようだ。 戦前戦中の天皇制軍国主義政権が国民を「教化」しようとした小道具という、くさいニオイがぷんぷんする。 だから、走水神社自体が悪いということではないが、走水神社のオトタチバナヒメがどうのというお話は、あんまりありがたみを感じることはできない。
他にも、神社のお話にはそういうものがけっこうあるのではないか。
千葉より西側のJR総武線沿線から、内房線・外房線に行こうとすると、けっこう大変なのだ。 どう大変かというと、「蘇我」から南・東へは、千葉始発の各駅停車と東京から京葉線まわりの快速があり、特急は東京から京葉線まわりで出ており、千葉より西で各停しか停まらない駅から行こうとすると、千葉まで各停で行って、千葉で乗り換えることになるが、ちょうどいい外房線の電車がないと、内房線で蘇我まで行って、また、蘇我で京葉線から来た電車に乗り換えるか、ということになる。 東京駅・品川駅から市川・船橋あたりまで快速で行こうとすると、上総一宮行きという快速がけっこうよく来るような気がするのだが、実際に上総一宮に行こうとすると、今度は、なかなか、その快速がないのだ。
で、とりあえず、千葉で乗り換えて、千葉駅で停車中の電車に乗ってけっこう待った上で発車。 仕事で乗るなら「便利悪いなあ」と思うところかもしれないが、そうでなければ、車窓を楽しみながら乗るのも悪くはない。
駅から西に適当に歩くと、玉前神社の入口らしき所にぶつかる(もうちょっと、親切に言うと、駅の西側に改札口があるのでそこを出て、右手[北]に進み、北西に折れる道を進むと、右手に小ぶりの裁判所があり、その前を通り過ぎてまっすぐ行くと、国道にぶつかる。 そこに「玉前神社前」だかいう札が立っている。 その信号を横断して、そのまま直進すると玉前神社の鳥居にたどりつく)・・・・が、けっこう混んでいる。

↑ 何を並んでいるのだろう?
神社の入口というのは、たいてい、1か所ではなく、2か所以上あるので、とりあえず、ぐるっと回って他から入ってみると、どうも、並んでいるのは、社殿の前で、でっかい鈴みたいのがついていて、ちゃらんちゃらんちゃら~ん♪ と市場の抽選で当選した時みたいに鳴らして、ポンポンと二礼二拍手一礼するのに並んでいたみたいだ。
こういうの、並ぶの苦手なんだわ。 なんで、苦手かというと、20代の終わりに住宅建築業の会社の営業の仕事に就職して以来、「休みは平日(水曜とか火曜)」というのに慣れてしまって、どこ行くにしても、「人の仕事日が自分の休日」として生きてきたもんで、並ぶ気がしないんだわ。
で、何年か前に、東京都江東区の富岡八幡に正月に行った時も思ったのだが、別に、ちゃらんちゃらんちゃら~ん♪ て鳴らさなくても、 二礼二拍手一礼したければ、社殿の周囲でやればいいことで、多くの方が並んでいらっしゃる入口で、横から、「ちょいと、ごめんやっしゃ」と入ったのでは顰蹙を買いそうなので、他の入口から入って、ちゃらんちゃらんちゃら~ん♪ は省略して、二礼二拍手一礼、ポンポン、とやれば、並ばなくてすむやんか・・・と。 そう思いませんか?
過去に他の神社で、それ、やったこともあるのだが、並ばなきゃならんような気持で並んでいる人の横でそれをやるのは、なんか、申し訳ないような気がして、それで、参拝というのは、ポンポンが大事なのではなく、心の持ちようの問題なので、心の中で、神さん、どうぞ、よろしうお願いしまっせえ、とお願いすることにした。
↓ これは、帰りに撮影したものだが、並ぶ気せんのだわ。 こういうのに。 人生、あんまりいいことないが、もしかして、ちょっとくらいいいことあったら・・とか傷心の者が行ってるのに、なんで、仕事でもないのに、行列せにゃならんのだ、て思いませんか?
で、並んで登って行っても、「工事中!」↓
神社とかお寺とかに行く時、一般の方は、せっかく行ったのに工事中だってえ~え・・・て、な~んだ、て思われるのかと思うのですが、何の因果か建築の仕事をするようになりまして、その結果、「工事中」を見ると、へ~え、こんな感じで工事やるのかあ・・・とか思ったりして、別に「損した」感は持たないようになりました。
ここは、正面から見えないというのが残念ではあるのですが、正面から見えない時というのは、逆に、正面以外のところが見えてみたりもするのです。
拝殿+幣殿+本殿 という「石の間造り」の構成で、拝殿部分が工事中で、かつ、前には人がいっぱいという状況ですが、この神社は、後ろに十二社を祀る社があり、背後にも回ることができ、本殿を背後からよく見ることができるのです。 ↓ この黒光りがするのは、どういう技術によるものだろう・・・と思うと、
↑ ≪社殿(県文化)は、1687(貞享4)年にたてられたもので、大唐破風、流入母屋(ながれいりもや)権現造で、黒漆が塗られている。≫と、千葉県高等学校教育研究会歴史部会編『千葉県の歴史散歩』(2006.5.31.山川出版社)には出ています。 「黒漆」なんですね。 「千葉県指定有形文化財」です。
〔「千葉県指定有形文化財(建造物)」はhttp://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/shitei/ken/b03-kenzou.html 〕
(↑ 写真はクリックすると大きくなるので、クリックして大きくして見てください。)
≪ 当社社殿は今から約300年余前 将軍綱吉の貞享4年の建物で、本殿・幣殿・拝殿が連なり、黒漆塗りの重工な権現造りであります。 屋根は200余年前の寛政12年に茅葺を銅版に葺き替え、その後 明治33年の大修理依頼役90余年の歳月を経ています。 また神楽殿は280余年前の宝永7年に創建され、この度 大修理を行いましたが 屋根の葺き替えには至らず、夫々 腐朽が激しい為 近く修復工事を行いたく存じますので・・・≫と、「ご本殿 並びに 神楽殿 屋根銅版料 ご奉納のお願い」という看板が出ている。
↑ 社殿の周囲に、こういった「お札・お守り・縁起物授与」所がいっぱい出ていて、「巫女さん」が何人もいらっしゃるけど、もしかして、この「巫女さん」てアルバイトか? なんてこと、言わぬが花か・・・・。
今は昔、栃木県佐野市の佐野女子高校(今は共学になって名前が変わったらしいが)の近くに住んでいた時、12月の後半になると、「アルバイト 巫女さん募集 佐野厄除け大師」と書かれた紙が電柱に貼られるのを見た。 「へ~え。 『巫女さん』て、高校生の女の子のアルバイトだったんだあ・・・」と思ったが、佐野厄除け大師て、神社じゃなくて、春日岡山惣宗寺というお寺で、なんで、お寺に「巫女さん」いるんだよお・・・て感じもするが、考えてみると、「巫女さん」といっても、「巫女さん」の格好したお守り販売員で、坊主から買うよりも若いおねえちゃんから買った方が「ご利益」がありそうな感じがせんでもないか? みたいなもんだからアルバイトでもいいのか・・・と思ったが、まあ、そんなもんか・・・・?。
↑ 神楽殿。
それで、祭神の「玉依姫」というのは何者かというと、
≪ 「玉依」とは、霊憑(たまより)からきたもので、「神霊が依り憑く」という意味である。 各地に同じ「玉依」の名をもつ女神が祀られていることから、「タマヨリヒメ」とは、「神霊が依りつく乙女(神に使える巫女)」のことをさす普通名詞である、と解釈したのは民俗学者の柳田国男である。 つまり、コノハナサクヤヒメ命(のみこと)のような固有名詞ではなく、古代の神祭りにおいて重要な役割を果たした乙女の機能を象徴する一般的な呼称であるということだ。 さらに「タマヨリ」の女性は、神婚による処女懐胎で神の子を宿したり、選ばれて神の妻になったり、女性の生殖力が強く反映されている。 そういう巫女的霊能力のある女性を総称して「タマヨリヒメ」と呼んでいるのである。 ≫と 戸部民夫『日本の神様がわかる本』(PHP研究所)には出ている。
『古事記』では、タマヨリヒメは、山幸彦とトヨタマヒメの子供であるウガヤフキアエズノミコトを、姉に代わって養育して、成人後、ウガヤフキアエズノミコトの妻となって、カムヤマトイワレビコノミコト(神武天皇)を産むという話で登場するが、上賀茂神社では別のストーリーで「タマヨリヒメ」が登場しており、柳田国男が言うように、「普通名詞」で、お話としても、「タマヨリヒメ」は複数存在したのであろう。
一宮町の 玉前神社(たまさき)神社 は、全国的には知名度は必ずしも高くないのではないかと思うが、上総国の一の宮であり、敷地はそれほど広くないが、来場者は多い。 京都の清水寺の本堂の後ろの地主神社は、名称から考えると、清水寺が立つ場所の土地の神さまではないかと思うのだが、「恋愛の神さま」として売り出していることから、「おねえちゃんだらけ」で、男性が行くところではなさそう、て感じだが、一宮町の玉前神社は、上総国の一宮というこの地域の代表的な神社で、いただいてきた由緒書きには、
≪ 日本の東の端に位置する神社として日の信仰があり、新しく始まる事象、起業、再生、発祥等の守護、また月の信仰により、子授かり・安産・子育て・精神など主に女性の神秘的な事象の守護が有名で、・・・・。 人と人とのご縁を結ぶとして、商売や縁結びの信仰も篤く、吉方位のお社としても多くの参拝者をお迎えしています。≫と出ており、「縁結び」だけの神社ではないので、「おねえちゃんだけしか入ってはいけないという雰囲気」ではありません。
それで、「恋愛成就の神さま」という神社に行くと、いつも、女性はいいなあと思うのです。 女性が、「今年こそ、すばらしい方と結ばれますように」とか言って、お守りとか買って帰る姿を見ると、いじらしいわあ~あ・・・て感じ、しませんか? 男がそれやっても、あんまり、絵にならないでしょ。 絵になるためにお守りを買う(「いただく」と表現するべきなのかもしれませんが、お金だしてるんだし、「いただく」と書くと泥棒したみたいでしょ)のではないとしても、やっぱり、それは女性がやることであって、男がやることじゃないような感じがしませんか?
でも、男も女も関係ないはずなんですよ。 「婚活」については。 イタリア映画の『恋愛マニュアル』(日本では『イタリア的恋愛マニュアル』)では、最後の話で、小児科医の男が、人の子供の相手ばっかりやってきて、ふと気づくと、自分に子供がなかった。 それだけではなく、自分は何も悪いことしてないはずなのに、妻は他に男を作って出て行ってしまった。 自分はいったい、何をやっているんだ、と嘆く話があります。 さらに、駐車違反を取り締まる婦警に食ってかかって、裁判にまでなってしまう。 ところが、その婦警さんが、彼が夫婦の問題で頭をかかえていたというところから、訴えをとりさげるということになる。 住宅建築会社には「◇◇ホーム」という名前の会社と「○○ハウス」という名前の会社がある。 「ホーム」は「家庭」で、「ハウス」は「家」である。 「ハウス」は建物に比重のある言葉で、「ホーム」はそこで家族の生活が送られ家族の人間関係が成り立つことで成立する。住宅建築業の仕事をやってきて、人さまの「ホーム」を作るために何十年も努力してきたが、ふと、気づくと自分のホームが達成できていなかった。 『イタリア的恋愛マニュアル』は 最後の最後、希望のある終わり方をするが、本来、男と女が地上にあって恋や結婚はあるのだから、男も女も関係ないはずなのですが、残念ながら、「恋の神さま」にお願いできるのは、女性だけみたいです。
結婚はできたけれども子供に恵まれずにいる人は「妊活」をしなければならない。 まだ、ふさわしい相手と巡り合うことができずにいる者は「婚活」をしなければならない。 「妊活」や「婚活」の時間が必要だ。 ところが、結婚相手とめぐりあうことができて子供もできたという女(さらには、「自己チューの女」みたいな男.。 男と言うに値しない男。)には、「妊活」「婚活」しなければならない男女から、時間を奪い取り、子供ができた者のために尽くさせる権利がある、みたいに思っている者がいる。 根本的にものの考え方を間違えていると言わざるを得ないし、そういう認識・態度はその子供の為にもならないと思うが、そういう超弩級白痴の女(及び、男)が日本には存在する。 子供を産んだ者は世界で一番えらい、子供のある者のためには世の中の人間はすべての人間が犠牲になって尽くす義務がある、というように思い込んでいる女(および、男)がいる。まるで、世の為、人の為に子供を産んだみたいに思い込んでいる女(および、男)がいる。
「タマヨリヒメ」の神さま、そういう超弩級白痴の女(及び、男)から守ってください、とお願いしたいのは、女性だけではない。 「子供帝国主義」の女(および、男)[「子供」を大義名分にかかげれば、どんな無茶苦茶でも通す権利があると信念を持っている女(および、男)]から被害を受けないよう、神さま、お守りください、とお願いしよう。
今となっては20年ほど前になるが、1990年代なかば、在来木造の一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、1月のはじめに出勤すると、向かいの席に座っていたおっさんSから「俺の子供はおまえよりずっと若いのに、もう結婚して子供もできている。 少子高齢化対策に貢献しているんだ。 おまえは、結婚して子供もあっていいはずの歳なのに、まだ結婚もせず、子供も作っていない。反省しろ。 反省して、罰として、子供も作り孫も作っている俺に、年玉よこせ!」と言って手を出されたことがありました。
そういえば、高校生の時、高校のある英語の先生が、「女の子のことが気になって、“ L ”という字を見ると座っている姿、 “ T ”という字を見ると立っている姿を思い出す、という、そういう状態になると、もうだめ、もう伸びないね」と言われたことがあった。 そうなってはならない、少なくとも大学入試が終わるまでは、女性のことなんか、考えてはならないと思っていた。 ところが、ローニンなどというものをしてしまった。 ローニンして行った予備校の近くにあった神社に寄ったことがある。 その時、どこの高校か、底辺の方の高校だと思うが、そういう高校の男と女がその神社に来ていちゃついていたのを見た。 こいつら、どうせ、高校を卒業して進学せずに就職する人間なんだろう、と思っていたが、そうでもないらしい。 そういうヤツが「大学」に行くらしいのだ。 その頃は「不純異性交遊」という言葉があったが、今はなくなったの? 「死語」になりつつあるのかもしれない「不純異性交遊」やってた連中が、 高校の時にちっとも勉強なんかせずに、それでいて、「大学」に行って、 さらに、そういう人間が卒業する時になると、「同じ大学なのに、学校によって差別するのはおかしい」とか主張し出すのだ。 なんだかな・・・・。
今から考えると、大学入試が終わるまで「精進」なんて、考えていたのが、「婚活」という視点から考えると間違っていたのかもしれない・・・・が、だからといって、「少子高齢化対策に貢献しないおまえは非国民だ。反省しろ。反省して、孫まで作っている俺に年玉よこせ!」と、なんで、そういうことをそのおっさんに言われなければならないのだろう・・・・・。
女性は、そういう時に、「恋の神さま」にでもお参りして、「神さまは私の気持をわかてくれますよね」とお願いして、お守りを授与所で授かって帰るということもできるだろう。 男はどうするべきだろう。
「少子高齢化対策に貢献しているんだ」という主張のもとに、まだ、ふさわしい結婚相手と巡り合うことができずにいる人間から「婚活」の時間を奪い、結婚はできたけれども子供を授かることができずにいる人間から「妊活」の時間を奪って、自分たちだけの幸福を実現する、というのは、そういう「少子高齢化対策」というのは、根本的におかしいのではないか。
玉前神社の社殿の後ろには、「末社十二社」の祠がある。↓
≪ 一宮町の邑々に昔から祀られ信仰を集めていた神々が明治初年政府の命により玉前神社に合祀され 十二神社として現在にいたりました。 ・・・・≫と説明書きがある。
本殿の左後ろのあたりに、「一宮町指定文化財(天然記念物)」の「槇(まき) の群生」がある。↓
↑ 不認識だったのかもしれないが、造園用の槇は、たいてい、いくらか曲がっているもので、槇という木は曲がっているものか・・みたいな認識があったが、そうではないようだ。 ここの槇は曲がっていない。
≪ 槇はマキ科の常緑高木で、九十九里海岸平野の気候風土に適し、当地域の特産である。 ・・・種類は県木と同種のイヌマキである。 ≫と説明書きが出ている。
「ゴルゴ13」はスナイパーであり、ボディガードの依頼は受けない。 しかし、実質、ボディガードの依頼をすることができないわけではない。 依頼する際に、自分を守ってくれと依頼するとボディガードの依頼になるのでGは依頼を受けないが、そうではなく、自分を暗殺しようとしてくる者を射殺してくれと依頼するならば、それはボディガードの依頼ではなくなるので、Gは依頼を受けるというのだ。
それで、だ。 タマヨリヒメは、菅原道真=天神と違って、怨念を晴らす神さま ではない。 しかし、だ。 「自分が結婚できた。子供ができた、ということで、自分と自分の配偶者と自分の子供のためなら、まだ、結婚できない人間、結婚はできたけれども子供に恵まれずにいる人間を犠牲にする権利があると信念もっている女(および、男)から被害を受けないように守ってください」とお願いするならば、結果として、 「自分が結婚できた、子供ができた、ということで、自分と自分の配偶者と自分の子供のためなら、まだ、結婚できない人間、結婚はできたけれども子供に恵まれずにいる人間を犠牲にする権利があると信念もっている女(および、男)」を懲らしめてください、とお願いすることはできる・・・・・ということだ。 そうでしょ。
『千葉県の歴史散歩』を見ると、外房には、「たまさき神社」という神社は他にもあり、「玉前」ではなく「玉崎」と書く神社もあるようだ。
『これだけは知っておきたい神社入門』(洋泉社ムック)には、≪縁結びの神さまもいれば「縁切り」の神さまもいる。≫そうで、京都の貴船神社は、夫の浮気の縁を切るそうだ。 京都の橋姫神社は縁切り信仰で知られ、栃木県足利市の門田稲荷神社の境内には「縁切り稲荷」があるそうだ。
まあ、あの人と結ばれたい~い♡という者もおれば、あんな奴と結ばれてたまるかあ~あ!という人もいるのだろうから、わからんでもない。 いったん、仲良くなっても、そのうち、仲悪くなるケースだってあるだろうし・・。
“ こ~いは~、あの日あいして燃~えて~~♪
きょ~おは~、敵と味方のふ~たり~~♪ ” て感じで・・・・。
知ってる? この歌・・・・。
※《非情のライセンス 野際陽子》 https://www.youtube.com/watch?v=nPd8ZPeH2ks
↑ JR外房線「上総一宮」駅は、こんな感じ。 一見、「いなかの駅」みたいに見えるかもしれないけれども、改札は自動改札。
同じ電車に乗り合わせたおねえさんが、おつれに「たまさきさま」と話していた。 京都の神社と大阪の神社に何軒か行って、大阪の神社の方が「庶民的」な神社が多いと思ったことがある。(上賀茂神社では、ここの神社、無理無理もったいばっかりつけて感じ悪いなと思った・・のを、このブログでも述べたと思う。) なぜかというと、「すみよっさん」「えべっさん」「天神さん」「いくたまさん」と、大阪の神社は「さん」づけなのだ(お寺だって、「御堂さん」「天王寺さん」)。 「たまさきさま」と「さま」づけが悪いわけではないのだが、大阪の神社の「さん」づけ、というのは、「庶民的」でなかなかいいのじゃないかと思った。
※ 千葉県長生郡一宮町 の 玉前神社(たまさき じんじゃ)のHPは、http://www.tamasaki.org/home.htm
(2015.1.5.)
☆ [第313回]《一宮交番と裁判所、検察庁。交番には「幹部交番」と「幹部でない交番」があるんだね。公衆便所と交番研究 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201501article_5.html として、上総一宮駅から玉前神社までの間の、「幹部交番」・裁判所・検察について述べました。 合わせ、ご覧くださいませ。(2015.1.31.)
今は昔。 1990年代、在来木造の一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ にいた時、家相を見る人の所に一緒に行ってもらいたいと言われたお施主さまがおられ、一緒に行ったことがあるのだが、その際、易者というのか家相家というのかが言ったのが、「家相・日取りを見るのは私達、地鎮祭は神主、葬式は坊さん、と日本では役割分担されている」と。 ほんまかいな・・・。 そうなると、だ。 最近、結婚式はキリスト教式の結婚式が人気あって、それまでキリスト教徒でもないのに、結婚式だけキリスト教式であげる にーちゃんねーちゃんがいるらしく、一方で、葬式はキリスト教式は冷たい印象があって人気が悪く、葬式は仏式でという人もいるのだ。 結婚式はキリスト教、葬式は仏教、地鎮祭は神道で、家相・日取りは易者の仕事・・・・て、ええんかいや、そういうの・・て、なんか、無茶苦茶ちゃうんかい、て感じがせんでもないが、そういう人もいるらしい。 その基準から行くと、「初詣」は、やっぱり、神社やろうな・・・。
で、神社には、それぞれの神さんに「御利益」の得意分野というのがあって、阪神タイガースは、毎年、兵庫県西宮市の西宮神社に年始に参拝しているのに、なんで、たいして優勝しないのか? というお話があり、じ~つは、西宮神社の祭神の「えべっさん」というのは商売繁盛の神さんであって、勝負事に勝つ神さまではないので、神さまが悪いのではない。 神さまは律儀に仕事をこなしており、おかげで、たいして優勝しないわりに、甲子園球場は大入り満員、「阪神ファンはい~ちばんやあ~あ!」て、もしかして、球団経営者はわかっていて、西宮神社に行っとんのとちゃうんかあ???
⇒《YouTube―六甲おろし 唄:立川清登 》https://www.youtube.com/watch?v=yV814_p2fxE
そんな感じで、神さまにも得意領域があるらしいのだ。 『これだけは知っておきたい神社入門』2007.7.27. 洋泉社ムック)には、「商売繁盛の神さま」としては、「恵比寿さま」「お稲荷さま」「大黒さま」があげられているが、「恵比寿さま」の場合、『古事記』に登場する神では、西宮神社のように「蛭子神」と結びつく場合、大阪市の今宮戎神社・島根県の美保神社のように「事代主の神」と結びつく場合、それに、大阪市の露の天神社(お初天神)では「少彦名(スクナヒコナ)」と結びつくという、3タイプの習合のしかたがあるようだ。
「恋の神さま」の場合、一番、ポピュラーなのが出雲大社http://www.izumooyashiro.or.jp/ の「大国主(オオクニヌシ)」だろう。 最近、観光ガイドブックに「恋愛成就の神」として掲載して売り出しているのが、京都の清水寺の本堂の後ろの地主神社http://www.jishujinja.or.jp/ だが、行って見ると、おねえちゃんいっぱい。 なんだか、神社というより、お守り売り場みたい、百貨店のバーゲンセール会場みたいで、もう、なんだか、神さん、商売上手というのかなんというのか、ええんかいや、て感じ。(あそこまで行くと、やりすぎじゃないかと思う・・。)
で、今回、訪問したのは、千葉県長生郡一宮町一宮 にある 玉前神社(たまさき じんじゃ)で、祭神は、「玉依姫」である。
訪問してみると、授与所にはけっこういろいろなお守りとか用意されていて、けっこう商売上手な神さまでもあるらしい。
「いっちゃん守り」というお守りがあったので、「いっちゃん」とはどういう意味だろう、フナッシーが「船橋の梨」から命名されたみたいに、「いちじく」だろうか「いちご」だろうか「いちご大福」だろうかと思うと、そうじゃなくて、上総一宮の「一の宮」の「いっちゃん」らしいのだ。 そのまんまやんけ、て感じがしないでもないが、そこで再認識したのだ。 ここは、一の宮なんだ、と。
千葉県で、全国的に最も有名な神社となると、やはり、香取神宮http://www.katori-jingu.or.jp/ じゃないだろうか。 だから、香取神宮が一の宮だと思い込んでいた。 千葉県は安房・上総・下総の3国からなっているので、下総の国の一の宮が香取神宮で、上総の国の一宮は、この玉前神社[たまさきじんじゃ](たまさき さま)らしい。 なるほど、町の名前も「一宮町」だし、駅の名前も「上総一宮」だった。
『これだけは知っておきたい神社入門』(洋泉社ムック)では、「縁結びの神さま」としては、
出雲大社などの「大国主」、
富士山本宮浅間神社などの「木花咲耶姫」、
白山比咩神社などの「菊理姫」 があげられている。
戸部民夫『日本の神様がわかる本』(2005.1.5.PHP研究所)では、縁結びの神としては、
出雲大社などの「大国主(おおくにぬし)」、
滋賀県の多賀神社などの「伊邪那岐・伊邪那美」、そして、
この千葉県長生郡一ノ宮町の玉前神社(たまさきじんじゃ)などの「玉依姫(たまよりひめ)」、
島根県松江市の八重垣神社などの「稲田姫」、
宮崎県日南市の鵜戸神社などの「ウガヤフキアエズノミコト」、
神奈川県横須賀市走水の走水神社の「弟橘姫(オトタチバナヒメ)」、
神戸市中央区の生田神社などの「稚日女(ワカヒルメ)」 があげられている。
走水神社のオトタチバナヒメは、無理無理くっつけたものだ。 何年か前に行って見たが、もとは、走水港のすぐ近くで、海の近くでありながらきれいな真水がでる井戸があり、その井戸を神聖なものとして祀っていた場所だと思う。 ところが、『古事記』『日本書紀』において、ヤマトタケルが浦賀水道を船で渡ろうとして船が進まず、その時、妻のオトタチバナヒメが海に身を沈めて海神の怒りを鎮めたとかいう話があって、明治維新政府というのか、戦前戦中の天皇制軍国主義政権が、こういう「お話」を実話のように国民に広めようとして、もともと、「お話」であったものを、それがどこであったと断定しようとして、走水港の沖であると決めつけ、そして、井戸を祀っていた走水神社の井戸の奥の山際に無理無理、社殿を作って、ヤマトタケルとオトタチバナヒメを祭神にしてしまった・・というもののようだ。 戦前戦中の天皇制軍国主義政権が国民を「教化」しようとした小道具という、くさいニオイがぷんぷんする。 だから、走水神社自体が悪いということではないが、走水神社のオトタチバナヒメがどうのというお話は、あんまりありがたみを感じることはできない。
他にも、神社のお話にはそういうものがけっこうあるのではないか。
千葉より西側のJR総武線沿線から、内房線・外房線に行こうとすると、けっこう大変なのだ。 どう大変かというと、「蘇我」から南・東へは、千葉始発の各駅停車と東京から京葉線まわりの快速があり、特急は東京から京葉線まわりで出ており、千葉より西で各停しか停まらない駅から行こうとすると、千葉まで各停で行って、千葉で乗り換えることになるが、ちょうどいい外房線の電車がないと、内房線で蘇我まで行って、また、蘇我で京葉線から来た電車に乗り換えるか、ということになる。 東京駅・品川駅から市川・船橋あたりまで快速で行こうとすると、上総一宮行きという快速がけっこうよく来るような気がするのだが、実際に上総一宮に行こうとすると、今度は、なかなか、その快速がないのだ。
で、とりあえず、千葉で乗り換えて、千葉駅で停車中の電車に乗ってけっこう待った上で発車。 仕事で乗るなら「便利悪いなあ」と思うところかもしれないが、そうでなければ、車窓を楽しみながら乗るのも悪くはない。
駅から西に適当に歩くと、玉前神社の入口らしき所にぶつかる(もうちょっと、親切に言うと、駅の西側に改札口があるのでそこを出て、右手[北]に進み、北西に折れる道を進むと、右手に小ぶりの裁判所があり、その前を通り過ぎてまっすぐ行くと、国道にぶつかる。 そこに「玉前神社前」だかいう札が立っている。 その信号を横断して、そのまま直進すると玉前神社の鳥居にたどりつく)・・・・が、けっこう混んでいる。
↑ 何を並んでいるのだろう?
神社の入口というのは、たいてい、1か所ではなく、2か所以上あるので、とりあえず、ぐるっと回って他から入ってみると、どうも、並んでいるのは、社殿の前で、でっかい鈴みたいのがついていて、ちゃらんちゃらんちゃら~ん♪ と市場の抽選で当選した時みたいに鳴らして、ポンポンと二礼二拍手一礼するのに並んでいたみたいだ。
こういうの、並ぶの苦手なんだわ。 なんで、苦手かというと、20代の終わりに住宅建築業の会社の営業の仕事に就職して以来、「休みは平日(水曜とか火曜)」というのに慣れてしまって、どこ行くにしても、「人の仕事日が自分の休日」として生きてきたもんで、並ぶ気がしないんだわ。
で、何年か前に、東京都江東区の富岡八幡に正月に行った時も思ったのだが、別に、ちゃらんちゃらんちゃら~ん♪ て鳴らさなくても、 二礼二拍手一礼したければ、社殿の周囲でやればいいことで、多くの方が並んでいらっしゃる入口で、横から、「ちょいと、ごめんやっしゃ」と入ったのでは顰蹙を買いそうなので、他の入口から入って、ちゃらんちゃらんちゃら~ん♪ は省略して、二礼二拍手一礼、ポンポン、とやれば、並ばなくてすむやんか・・・と。 そう思いませんか?
過去に他の神社で、それ、やったこともあるのだが、並ばなきゃならんような気持で並んでいる人の横でそれをやるのは、なんか、申し訳ないような気がして、それで、参拝というのは、ポンポンが大事なのではなく、心の持ちようの問題なので、心の中で、神さん、どうぞ、よろしうお願いしまっせえ、とお願いすることにした。
↓ これは、帰りに撮影したものだが、並ぶ気せんのだわ。 こういうのに。 人生、あんまりいいことないが、もしかして、ちょっとくらいいいことあったら・・とか傷心の者が行ってるのに、なんで、仕事でもないのに、行列せにゃならんのだ、て思いませんか?
で、並んで登って行っても、「工事中!」↓
神社とかお寺とかに行く時、一般の方は、せっかく行ったのに工事中だってえ~え・・・て、な~んだ、て思われるのかと思うのですが、何の因果か建築の仕事をするようになりまして、その結果、「工事中」を見ると、へ~え、こんな感じで工事やるのかあ・・・とか思ったりして、別に「損した」感は持たないようになりました。
ここは、正面から見えないというのが残念ではあるのですが、正面から見えない時というのは、逆に、正面以外のところが見えてみたりもするのです。
拝殿+幣殿+本殿 という「石の間造り」の構成で、拝殿部分が工事中で、かつ、前には人がいっぱいという状況ですが、この神社は、後ろに十二社を祀る社があり、背後にも回ることができ、本殿を背後からよく見ることができるのです。 ↓ この黒光りがするのは、どういう技術によるものだろう・・・と思うと、
↑ ≪社殿(県文化)は、1687(貞享4)年にたてられたもので、大唐破風、流入母屋(ながれいりもや)権現造で、黒漆が塗られている。≫と、千葉県高等学校教育研究会歴史部会編『千葉県の歴史散歩』(2006.5.31.山川出版社)には出ています。 「黒漆」なんですね。 「千葉県指定有形文化財」です。
〔「千葉県指定有形文化財(建造物)」はhttp://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/shitei/ken/b03-kenzou.html 〕
(↑ 写真はクリックすると大きくなるので、クリックして大きくして見てください。)
≪ 当社社殿は今から約300年余前 将軍綱吉の貞享4年の建物で、本殿・幣殿・拝殿が連なり、黒漆塗りの重工な権現造りであります。 屋根は200余年前の寛政12年に茅葺を銅版に葺き替え、その後 明治33年の大修理依頼役90余年の歳月を経ています。 また神楽殿は280余年前の宝永7年に創建され、この度 大修理を行いましたが 屋根の葺き替えには至らず、夫々 腐朽が激しい為 近く修復工事を行いたく存じますので・・・≫と、「ご本殿 並びに 神楽殿 屋根銅版料 ご奉納のお願い」という看板が出ている。
↑ 社殿の周囲に、こういった「お札・お守り・縁起物授与」所がいっぱい出ていて、「巫女さん」が何人もいらっしゃるけど、もしかして、この「巫女さん」てアルバイトか? なんてこと、言わぬが花か・・・・。
今は昔、栃木県佐野市の佐野女子高校(今は共学になって名前が変わったらしいが)の近くに住んでいた時、12月の後半になると、「アルバイト 巫女さん募集 佐野厄除け大師」と書かれた紙が電柱に貼られるのを見た。 「へ~え。 『巫女さん』て、高校生の女の子のアルバイトだったんだあ・・・」と思ったが、佐野厄除け大師て、神社じゃなくて、春日岡山惣宗寺というお寺で、なんで、お寺に「巫女さん」いるんだよお・・・て感じもするが、考えてみると、「巫女さん」といっても、「巫女さん」の格好したお守り販売員で、坊主から買うよりも若いおねえちゃんから買った方が「ご利益」がありそうな感じがせんでもないか? みたいなもんだからアルバイトでもいいのか・・・と思ったが、まあ、そんなもんか・・・・?。
↑ 神楽殿。
それで、祭神の「玉依姫」というのは何者かというと、
≪ 「玉依」とは、霊憑(たまより)からきたもので、「神霊が依り憑く」という意味である。 各地に同じ「玉依」の名をもつ女神が祀られていることから、「タマヨリヒメ」とは、「神霊が依りつく乙女(神に使える巫女)」のことをさす普通名詞である、と解釈したのは民俗学者の柳田国男である。 つまり、コノハナサクヤヒメ命(のみこと)のような固有名詞ではなく、古代の神祭りにおいて重要な役割を果たした乙女の機能を象徴する一般的な呼称であるということだ。 さらに「タマヨリ」の女性は、神婚による処女懐胎で神の子を宿したり、選ばれて神の妻になったり、女性の生殖力が強く反映されている。 そういう巫女的霊能力のある女性を総称して「タマヨリヒメ」と呼んでいるのである。 ≫と 戸部民夫『日本の神様がわかる本』(PHP研究所)には出ている。
『古事記』では、タマヨリヒメは、山幸彦とトヨタマヒメの子供であるウガヤフキアエズノミコトを、姉に代わって養育して、成人後、ウガヤフキアエズノミコトの妻となって、カムヤマトイワレビコノミコト(神武天皇)を産むという話で登場するが、上賀茂神社では別のストーリーで「タマヨリヒメ」が登場しており、柳田国男が言うように、「普通名詞」で、お話としても、「タマヨリヒメ」は複数存在したのであろう。
一宮町の 玉前神社(たまさき)神社 は、全国的には知名度は必ずしも高くないのではないかと思うが、上総国の一の宮であり、敷地はそれほど広くないが、来場者は多い。 京都の清水寺の本堂の後ろの地主神社は、名称から考えると、清水寺が立つ場所の土地の神さまではないかと思うのだが、「恋愛の神さま」として売り出していることから、「おねえちゃんだらけ」で、男性が行くところではなさそう、て感じだが、一宮町の玉前神社は、上総国の一宮というこの地域の代表的な神社で、いただいてきた由緒書きには、
≪ 日本の東の端に位置する神社として日の信仰があり、新しく始まる事象、起業、再生、発祥等の守護、また月の信仰により、子授かり・安産・子育て・精神など主に女性の神秘的な事象の守護が有名で、・・・・。 人と人とのご縁を結ぶとして、商売や縁結びの信仰も篤く、吉方位のお社としても多くの参拝者をお迎えしています。≫と出ており、「縁結び」だけの神社ではないので、「おねえちゃんだけしか入ってはいけないという雰囲気」ではありません。
それで、「恋愛成就の神さま」という神社に行くと、いつも、女性はいいなあと思うのです。 女性が、「今年こそ、すばらしい方と結ばれますように」とか言って、お守りとか買って帰る姿を見ると、いじらしいわあ~あ・・・て感じ、しませんか? 男がそれやっても、あんまり、絵にならないでしょ。 絵になるためにお守りを買う(「いただく」と表現するべきなのかもしれませんが、お金だしてるんだし、「いただく」と書くと泥棒したみたいでしょ)のではないとしても、やっぱり、それは女性がやることであって、男がやることじゃないような感じがしませんか?
でも、男も女も関係ないはずなんですよ。 「婚活」については。 イタリア映画の『恋愛マニュアル』(日本では『イタリア的恋愛マニュアル』)では、最後の話で、小児科医の男が、人の子供の相手ばっかりやってきて、ふと気づくと、自分に子供がなかった。 それだけではなく、自分は何も悪いことしてないはずなのに、妻は他に男を作って出て行ってしまった。 自分はいったい、何をやっているんだ、と嘆く話があります。 さらに、駐車違反を取り締まる婦警に食ってかかって、裁判にまでなってしまう。 ところが、その婦警さんが、彼が夫婦の問題で頭をかかえていたというところから、訴えをとりさげるということになる。 住宅建築会社には「◇◇ホーム」という名前の会社と「○○ハウス」という名前の会社がある。 「ホーム」は「家庭」で、「ハウス」は「家」である。 「ハウス」は建物に比重のある言葉で、「ホーム」はそこで家族の生活が送られ家族の人間関係が成り立つことで成立する。住宅建築業の仕事をやってきて、人さまの「ホーム」を作るために何十年も努力してきたが、ふと、気づくと自分のホームが達成できていなかった。 『イタリア的恋愛マニュアル』は 最後の最後、希望のある終わり方をするが、本来、男と女が地上にあって恋や結婚はあるのだから、男も女も関係ないはずなのですが、残念ながら、「恋の神さま」にお願いできるのは、女性だけみたいです。
結婚はできたけれども子供に恵まれずにいる人は「妊活」をしなければならない。 まだ、ふさわしい相手と巡り合うことができずにいる者は「婚活」をしなければならない。 「妊活」や「婚活」の時間が必要だ。 ところが、結婚相手とめぐりあうことができて子供もできたという女(さらには、「自己チューの女」みたいな男.。 男と言うに値しない男。)には、「妊活」「婚活」しなければならない男女から、時間を奪い取り、子供ができた者のために尽くさせる権利がある、みたいに思っている者がいる。 根本的にものの考え方を間違えていると言わざるを得ないし、そういう認識・態度はその子供の為にもならないと思うが、そういう超弩級白痴の女(及び、男)が日本には存在する。 子供を産んだ者は世界で一番えらい、子供のある者のためには世の中の人間はすべての人間が犠牲になって尽くす義務がある、というように思い込んでいる女(および、男)がいる。まるで、世の為、人の為に子供を産んだみたいに思い込んでいる女(および、男)がいる。
「タマヨリヒメ」の神さま、そういう超弩級白痴の女(及び、男)から守ってください、とお願いしたいのは、女性だけではない。 「子供帝国主義」の女(および、男)[「子供」を大義名分にかかげれば、どんな無茶苦茶でも通す権利があると信念を持っている女(および、男)]から被害を受けないよう、神さま、お守りください、とお願いしよう。
今となっては20年ほど前になるが、1990年代なかば、在来木造の一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、1月のはじめに出勤すると、向かいの席に座っていたおっさんSから「俺の子供はおまえよりずっと若いのに、もう結婚して子供もできている。 少子高齢化対策に貢献しているんだ。 おまえは、結婚して子供もあっていいはずの歳なのに、まだ結婚もせず、子供も作っていない。反省しろ。 反省して、罰として、子供も作り孫も作っている俺に、年玉よこせ!」と言って手を出されたことがありました。
そういえば、高校生の時、高校のある英語の先生が、「女の子のことが気になって、“ L ”という字を見ると座っている姿、 “ T ”という字を見ると立っている姿を思い出す、という、そういう状態になると、もうだめ、もう伸びないね」と言われたことがあった。 そうなってはならない、少なくとも大学入試が終わるまでは、女性のことなんか、考えてはならないと思っていた。 ところが、ローニンなどというものをしてしまった。 ローニンして行った予備校の近くにあった神社に寄ったことがある。 その時、どこの高校か、底辺の方の高校だと思うが、そういう高校の男と女がその神社に来ていちゃついていたのを見た。 こいつら、どうせ、高校を卒業して進学せずに就職する人間なんだろう、と思っていたが、そうでもないらしい。 そういうヤツが「大学」に行くらしいのだ。 その頃は「不純異性交遊」という言葉があったが、今はなくなったの? 「死語」になりつつあるのかもしれない「不純異性交遊」やってた連中が、 高校の時にちっとも勉強なんかせずに、それでいて、「大学」に行って、 さらに、そういう人間が卒業する時になると、「同じ大学なのに、学校によって差別するのはおかしい」とか主張し出すのだ。 なんだかな・・・・。
今から考えると、大学入試が終わるまで「精進」なんて、考えていたのが、「婚活」という視点から考えると間違っていたのかもしれない・・・・が、だからといって、「少子高齢化対策に貢献しないおまえは非国民だ。反省しろ。反省して、孫まで作っている俺に年玉よこせ!」と、なんで、そういうことをそのおっさんに言われなければならないのだろう・・・・・。
女性は、そういう時に、「恋の神さま」にでもお参りして、「神さまは私の気持をわかてくれますよね」とお願いして、お守りを授与所で授かって帰るということもできるだろう。 男はどうするべきだろう。
「少子高齢化対策に貢献しているんだ」という主張のもとに、まだ、ふさわしい結婚相手と巡り合うことができずにいる人間から「婚活」の時間を奪い、結婚はできたけれども子供を授かることができずにいる人間から「妊活」の時間を奪って、自分たちだけの幸福を実現する、というのは、そういう「少子高齢化対策」というのは、根本的におかしいのではないか。
玉前神社の社殿の後ろには、「末社十二社」の祠がある。↓
≪ 一宮町の邑々に昔から祀られ信仰を集めていた神々が明治初年政府の命により玉前神社に合祀され 十二神社として現在にいたりました。 ・・・・≫と説明書きがある。
本殿の左後ろのあたりに、「一宮町指定文化財(天然記念物)」の「槇(まき) の群生」がある。↓
↑ 不認識だったのかもしれないが、造園用の槇は、たいてい、いくらか曲がっているもので、槇という木は曲がっているものか・・みたいな認識があったが、そうではないようだ。 ここの槇は曲がっていない。
≪ 槇はマキ科の常緑高木で、九十九里海岸平野の気候風土に適し、当地域の特産である。 ・・・種類は県木と同種のイヌマキである。 ≫と説明書きが出ている。
「ゴルゴ13」はスナイパーであり、ボディガードの依頼は受けない。 しかし、実質、ボディガードの依頼をすることができないわけではない。 依頼する際に、自分を守ってくれと依頼するとボディガードの依頼になるのでGは依頼を受けないが、そうではなく、自分を暗殺しようとしてくる者を射殺してくれと依頼するならば、それはボディガードの依頼ではなくなるので、Gは依頼を受けるというのだ。
それで、だ。 タマヨリヒメは、菅原道真=天神と違って、怨念を晴らす神さま ではない。 しかし、だ。 「自分が結婚できた。子供ができた、ということで、自分と自分の配偶者と自分の子供のためなら、まだ、結婚できない人間、結婚はできたけれども子供に恵まれずにいる人間を犠牲にする権利があると信念もっている女(および、男)から被害を受けないように守ってください」とお願いするならば、結果として、 「自分が結婚できた、子供ができた、ということで、自分と自分の配偶者と自分の子供のためなら、まだ、結婚できない人間、結婚はできたけれども子供に恵まれずにいる人間を犠牲にする権利があると信念もっている女(および、男)」を懲らしめてください、とお願いすることはできる・・・・・ということだ。 そうでしょ。
『千葉県の歴史散歩』を見ると、外房には、「たまさき神社」という神社は他にもあり、「玉前」ではなく「玉崎」と書く神社もあるようだ。
『これだけは知っておきたい神社入門』(洋泉社ムック)には、≪縁結びの神さまもいれば「縁切り」の神さまもいる。≫そうで、京都の貴船神社は、夫の浮気の縁を切るそうだ。 京都の橋姫神社は縁切り信仰で知られ、栃木県足利市の門田稲荷神社の境内には「縁切り稲荷」があるそうだ。
まあ、あの人と結ばれたい~い♡という者もおれば、あんな奴と結ばれてたまるかあ~あ!という人もいるのだろうから、わからんでもない。 いったん、仲良くなっても、そのうち、仲悪くなるケースだってあるだろうし・・。
“ こ~いは~、あの日あいして燃~えて~~♪
きょ~おは~、敵と味方のふ~たり~~♪ ” て感じで・・・・。
知ってる? この歌・・・・。
※《非情のライセンス 野際陽子》 https://www.youtube.com/watch?v=nPd8ZPeH2ks
↑ JR外房線「上総一宮」駅は、こんな感じ。 一見、「いなかの駅」みたいに見えるかもしれないけれども、改札は自動改札。
同じ電車に乗り合わせたおねえさんが、おつれに「たまさきさま」と話していた。 京都の神社と大阪の神社に何軒か行って、大阪の神社の方が「庶民的」な神社が多いと思ったことがある。(上賀茂神社では、ここの神社、無理無理もったいばっかりつけて感じ悪いなと思った・・のを、このブログでも述べたと思う。) なぜかというと、「すみよっさん」「えべっさん」「天神さん」「いくたまさん」と、大阪の神社は「さん」づけなのだ(お寺だって、「御堂さん」「天王寺さん」)。 「たまさきさま」と「さま」づけが悪いわけではないのだが、大阪の神社の「さん」づけ、というのは、「庶民的」でなかなかいいのじゃないかと思った。
※ 千葉県長生郡一宮町 の 玉前神社(たまさき じんじゃ)のHPは、http://www.tamasaki.org/home.htm
(2015.1.5.)
☆ [第313回]《一宮交番と裁判所、検察庁。交番には「幹部交番」と「幹部でない交番」があるんだね。公衆便所と交番研究 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201501article_5.html として、上総一宮駅から玉前神社までの間の、「幹部交番」・裁判所・検察について述べました。 合わせ、ご覧くださいませ。(2015.1.31.)
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