西向天神社[大窪天満宮](東京都新宿区)参拝。及、正中線を妨げる 野蛮な 新宿イーストサイドスクエア
[第314回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(24)
今回は、東京の街中。 新宿にある西向天神社(にしむき てんじんじゃ)に参拝しました。「西向天神社(にしむき てんじんじゃ)」↓は、他に、「大窪天満宮(おおくぼ てんまんぐう)」、「棗天神(なつめ てんじん)」、「夢想天神」という別称でも呼ばれるそうです。↓
(↑ クリックすると大きくなるので、大きくして見てください。 梅鉢の紋が見えます。)
JR「新宿」駅の東口を出て、新宿通り(都道430号)を東に進むと、北に紀伊國屋書店の新宿本店があります。 紀伊国屋書店の新宿本店の建物は、前川國男が設計したと聞いて、さて、その建物が今も使われている紀伊國屋書店の建物だろうか・・と思ったのですが、そう思って見に行って見ると、たしかに、前川國男の設計の上野の東京都美術館や熊本県立美術館、あるいは、東大本郷キャンパス内の三四郎池の東、御殿下グランドの西にある山上会館(さんじょうかいかん)のいずれにも見られる、前川國男はよっぽど好きだったのかと思われる「穴あきタイル」が壁面に使われていますし、何より、何気なしに利用してきた、新宿通りから北に抜ける1階と地下1階(新宿通りを基準とすると)の両側に店のある通路は、前川國男の師匠の1人であるル=コルビュジェのユニテ=ダビタシオンなどにも見られる発想である「ピロティ方式」の通り抜けられる商店街となっているのです。 たしかに、このあたりのビルを見まわしても、南の新宿通りから北側の通りまでそのビルの建物と直接関係なく通り抜けることができるようになっているのは紀伊國屋ビルだけです。 そう思って見ると、たいした建物だと感心したのですが、そのお話は別の機会に述べるといたしまして、さらに東に進むと北側に伊勢丹があります。
※ル=コルビュジェについては、たとえば、
《ウィキペディア―ル・コルビュジェ》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%A5%E3%82%B8%E3%82%A8
《ウィキペディア―ユニテ・ダビタシオン》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%86%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%93%E3%82%BF%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%B3 他参照。
伊勢丹の南と東の道路の下あたりに、東京メトロ丸の内線と副都心線の「新宿三丁目」駅があります。 この伊勢丹の東側の道を北に曲がり、都道305号、要するに 明治通りを北上します。
新宿5丁目交差点で、都道4号と交差し、西に花園神社が見えますが、花園神社については次回以降にまわさせていただくとして、そのまま北に進むと、西に「ホテル バリ」が見え、さらに北に進むと西側に「純福音東京教会」が見えます。 純福音東京教会の入口付近には日本語の表記とともに訓民正音での表記もあったので、韓国の人たちの教会なのだろうかと思って、帰宅してからインターネットで検索すると、韓国人の方が日本で始めた教会で牧師・伝道師は韓国人の方が多く勤めている教会のようですが、韓国人のための教会というわけでもないようです。(《純福音東京教会》http://www.fgtv.jp/fullgospeltokyo/pastor.php )
さらに北に進むと、右手に、「何だ、これは!?!」 という建物が見えてきます。↓
※「なんだ、これは!?!」⇒《YouTube―「芸術は爆発だ!」「何だ、これは!」岡本太郎は何者? 2/2 》https://www.youtube.com/watch?v=G9I1hEzv6Hk
↑ この「なんだ、これは!?!」て感じの建物は、「新宿 イーストサイド スクエア」という建物で、その南に「新宿 イーストサイド タワー」があります。
※「新宿イーストサイド スクエア」については、たとえば、
《ウィキペディア―新宿イーストサイドスクエア》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%AE%BF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%82%A2
《新宿イーストサイドスクエア 施設案内》http://www.shinjuku-eastside-square.jp/facilities.html
で・・・、その「なんだ、これは?」の新宿イーストサイドスクエアの北の道、都道302号の下を東西に都営大江戸線が走っていて、イーストサイドスクエアの北西の交差点の下付近に、都道302号の下を東西に走る大江戸線と明治通りの下を南北に走る副都心線の「東新宿」駅があります。
都道302号を東に進み、新宿イーストサイドスクエアの東側の南向きに一方通行の道を南下し、東に行く道を見ると、丘というのか小山というのか、少し高くなった場所に社殿が見えます。↓
↑ それが、西向天神社(にしむき てんじんしゃ) で、名称の通り、西が正面です。
(↑ クリックすると大きくなります。)


(↑ クリックすると大きくなります。 石碑・幟・提灯に「西向天神社」と書かれています。)
『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』〔1994.12.20.(株)鎌倉新書〕の「全国天満宮めぐり」には、東京都で7社、東京都23区内では5社、掲載されていますが、23区内で掲載されているのは、湯島天満宮・亀戸天神社・平河天満宮・五條天神社とこの西向天神社です。
同書巻末の「主要天満宮名簿」には、東京都では16社、東京都23区内では、湯島天満宮・亀戸天神社・平河天満宮・五條天神社とこの西向天神社、それに、世田谷区松原の菅原神社、台東区下谷の小野照崎神社、文京区春日の北野神社の8社が掲載されています。
《ウィキペディア―天満宮》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE の「主な天満宮」には、東京都で14社、東京都23区内では、湯島天満宮・亀戸天神社・平河天満宮・五條天神社・世田谷区の菅原神社・文京区春日の北野神社、それに、練馬区の北野神社、足立区の梅島天満宮の8社が掲載されていますが、西向天神社の掲載はありません。
↑ 北側から見ると、拝殿・幣殿・本殿の「石の間造り」の3部構成の社殿となっています。
(↑ しつこいようですが、写真はクリックすると大きくなるので、大きくして見てください。拝殿・幣殿・本殿と3部構成になっているのが、大きくして見るとわかります。)
『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』には、
≪ 同社の開創は、安貞3年(1229年)のことである。 時の高僧として名高い栂尾高山寺の明恵上人が、関東遊行の折、東大久保の当地に、菅公自刻の尊像を祀ったのが始まりとされている。
天正の頃には、大火のため社殿が灰燼と帰したにもかかわらず、尊像だけが谷間の桜の木に移っていたという不思議もあり、鎮護神として崇拝されてきた。≫
≪ 西向天神とは変わった名であるが、名の通り、筑紫の大宰府の方へ向かい、社殿を西向きに造っているために、昔から呼び慣わしてきたもの。・・・≫
≪ 当社はまた「夢想天神」や「棗(なつめ)天神」と呼ばれている。 前者は内藤豊前守の息女が大病を患ったが、天神さんを夢想して治癒したという説話による。 棗(なつめ)天神は、三代将軍が鷹狩りのために通りがかられ、ひどく破損しているのをご覧になって社殿改修の費用にと、黄金の棗を献納したことによって呼ばれるようになった。 ≫ とある。
※ 明恵上人の栂尾高山寺といえば、やっぱり、デュークエイせスの「女ひとり」をバックミュージックにしたくなりますね。 《YouTube―デューク・エイセス 女ひとり 》https://www.youtube.com/watch?v=vu5exDHZgp0
境内の掲示版に、この神社を取りあげた記事が貼り出されており、そこには「大窪天満宮(おおくぼてんまんぐう)」と出ていました。 「大窪」とはどういう意味だろう、と思って考えてみると、ここは「新宿」だとばっかり思っていたのですが、「大久保」だったのです。
西向天神社の住所は『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』によると、新宿区新宿6-21-1 だそうですが、『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』には
≪ 現在の東大久保、西大久保、戸山町、若松町、余丁町、市ヶ谷富久町、百人町、新宿六、七丁目の一帯が古くは大久保といわれ、尾張徳川家の下屋敷をはじめ、大名、旗本などの屋敷、大箪笥組、鉄砲百人組など幕臣の組屋敷が点在する江戸の郊外であったが、本社の近く久衛門坂は商店や寄席の並ぶ、大久保の中心地で、西向天神の祭には多くの人でにぎわったという。≫ と出ており、西向天神社のある「新宿6丁目」も、かつては、「大久保」と言われた地域の中であったようです。 「大窪天満宮」という呼び方はそこから来たものでしょう。
「天神社」には、菅原道真を祀る天神と、菅原道真とは関係のない天神社とがあるようですが、この西向天神社の場合、上の写真を見てもわかるように、梅鉢の紋が賽銭箱や社殿に、あちらこちらに入っていることを見ても、明恵上人が菅原道真の自刻の像を祀ったというお話があることを考えても、菅原道真の天神でしょう。
社殿の北側には、藤圭子の歌、「新宿の女」の歌碑があります。↓
↑《YouTube―新宿の女 藤圭子≫https://www.youtube.com/watch?v=vm7KzT1q7Mk ↑
もっとも、「わたしが男になれたなら」という文句は、女性が言うと、女のつらさ、女の弱い立場を述べたものと評価されますが、逆に、男が「わたしが女になれたなら」と言うと、オカマさんか~? という話になってしまいそう・・・だが、人の心を傷つける言動をとるのは、男が女に対してだけでなく、女が男に対してもありうることで、男女の関係では常に男が悪いというわけでもない。
だだ、もうひとつ「もっとも」・・・。 大阪府警阿倍野警察署の警察官が、2人の女と同時につきあい、結婚しなかった方の女を絞殺した、しかも、犯行時に警察署の道具を使用したらしいというニュースが新聞、及び、インターネット上のニュースに出ていたが、ひどいものだ。
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巡査長女性殺害 フェイスブックの妻との写真で結婚がばれる
産経新聞(2015年) 1月27日(火)8時53分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150127-00000507-san-soc
大阪市東住吉区のマンションで医療相談員の白田光さん(23)が殺害された事件で、逮捕された大阪府警阿倍野署巡査長、水内貴士容疑者(26)が妻と撮影した写真をフェイスブック(FB)に掲載していたことが26日、白田さんの同僚への取材で分かった。白田さんは最近になってこのFBを閲覧。初めて水内容疑者が結婚していることを知ったという。
水内容疑者は動機について「妻帯者だと知られ、トラブルになった」と供述。・・・・・(略)・・・・
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こういう程度の低い男を見抜くことができなかったという点でその女も未熟であったのかもしれないが、それにしてもひどいものだ。 俺は「わたしが男になれたなら」ではなく男だが、この軽々しく女を殺す軽殺漢みたいなことはしたくないものだ、と昔むかしから思ってきたぞ。こんなことをする男は男としても人間としても最低だと思ってきたし今も思っているぞ。 わたしが小学校1年生の時、「わたしたちの観察」という小学生向け月刊誌があって、そこに動物園のイノシシの夫婦の話が載っていた。イノシシの夫婦も時々、夫婦喧嘩をするらしい。 そして、負けるのは必ずオスだそうだ。 イノシシのオスは、いつも、メスに噛みつかれたりして血だらけにされるが、それでも、オスがやるのは鼻で押し返すくらいのことで、オスは絶対にメスに噛みついたりはしないそうだ。なぜなら、イノシシのオスの牙は半端じゃないのであり、もし、オスが本気でメスに噛みついたなら、勝負は目に見えている。もし、イノシシのオスが牙で本気でメスに噛みついたなら、その時にはメスの命はない。イノシシのオスはそれがわかっているから、メスに噛みつかれて血だらけにされても、絶対に自分はメスに噛みついたりはしないそうだ。 「けだもの!」とかいう言葉があるが、軽殺姦は「けだもの」より下である。
藤圭子の歌の歌碑は、伊勢丹の北にある花園神社の境内の摂社・芸能浅間神社 にも、「圭子の夢は夜ひらく」という歌の歌碑があります。 ↓
↑《YouTube―藤圭子 圭子の夢は夜ひらく》https://www.youtube.com/watch?v=AImrOR_qqSg(←暗いね~え・・・)
↑ 花園神社の摂社・芸能浅間神社は、名前の通り、芸能関係の神社なのでしょう。
一般に、芸事の神さまとしては、弁財天が祀られたり、芸術でも学問的性格が強い場合は祭神は菅原道真だったりします。 浅間神社は、日本の神様を考える会編『日本の神々のすべてがわかる』(2008.3.30.日本文芸社 新書)では、≪浅間神社は富士山信仰の本拠地として知られ、祭神に木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀る。・・・その名のとおり木花(桜)が咲き誇るような絶世の美女で、天孫・瓊々杵尊(ににぎのみこと)と結婚して、その日継ぎの御子を生んだ皇祖の大御母神として知られる。 後に、富士山の守護神となるが、・・・・≫≪また、父神とともに酒造の神としても信仰されている。≫≪神徳:安産・子育て、家庭円満、火難消除、酒造繁盛、登山安全、農漁業守護など≫とある。
三橋 健『図説 あらすじでわかる! 日本の神々と神社』(2010.5.15.青春出版社 青春新書)には、≪日本一の霊山である富士を神として崇めるのが富士宮市に鎮座する富士山本宮浅間大社である。当社は全国に一千三百余社まつられる浅間神社の総本社である。・・・この女神は、安産、水徳、火難消除、農業、漁業、航海、子宝、子育ての守護神として信仰を集めてきた。≫とある。
いずれを見ても、浅間神社は芸事の神さまとは出ていないのだが、新宿の花園神社の境内の摂社である芸能浅間神社は、名前からして「芸能」とあるからには、芸事の神さまでしょう。 花園神社について、一緒に述べると長くなり過ぎるので別稿にするとして、芸能浅間神社には、奉納者として、「ワイルド スギちゃん」とか「吉本興業」とか「ビリーバンバン」「八代亜紀」といった名前が並んでいます。
西向天神社の祭神は菅原道真で、道真は学問・芸能の神さまではあるが、弁財天が芸能人の神さまという傾向があるのに対して、菅原道真は、芸能でもどちらかというと学問的な芸事の神さまという傾向があるようにも思うが、もとより、信ずる者があって神はあるのだから、芸能人が菅原道真の天神に参拝して悪いこともないでしょう。
《ウィキペディア―藤圭子》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%9C%AD%E5%AD%90 を見ると、まだ、そんなに歳でもないように思っていたのですが、2013年に、藤圭子は亡くなっているのですね。
さて、気になることがあります。 西向天神社は、名前の通り、社殿が西を向いています。 菅原道真の自刻の像が祀られているということです。 もちろん、その像は見えませんが、社殿に西を向いて安置されているのでしょう。 向いている先は、大宰府なのか、京都・大阪なのか。 道真が右大臣として手腕を振るった場所は京都。 菅原家は今の大阪府の河内地方の出身ではないかとも言われるらしい。 となると、故郷は京都から大阪にかけてということになるでしょう。 その西を向いて道真の自刻の像が安置されているということなのです。 京・大阪を見やる道真像が安置されているらしいその社殿から鳥居を経て西を見ると、今、どういう景色が見えるか、御存じですか?
こういう景色なのです。↓
↑ 無神経なビル群ですよね。
菅原道真の像が社殿から鳥居越しに京都・大阪の方を見やった時、その視線を妨害するように立つビル。 それが、新宿イーストサイドスクエアなのです。 野蛮だと思いませんか?
前川國男設計の紀伊國屋書店新宿本店について、倉方俊輔(くらかた しゅんすけ)・斉藤理(さいとう ただし)『東京建築ガイドマップ 明治 大正 昭和 1868-1979』(2007.2.20.エクスナレッジ ムック)には、≪改めて見上げれば、打ち込み煉瓦タイルの曲面壁が両面にそびえる前川建築。 足元広場は普通に新刊探しや待ち合わせに便利だし、裏まで続く屋内通路は自然に通り抜けてしまう。 意識されないということは、成功した証である。≫と書かれている。 たしかに、前川國男の建物の良さはその「意識されないということは、成功した証」というあたりにあるようにも思える。 東京都美術館は決して展示される企画展を妨げない。 熊本県立美術館は展示物より建物は前に出しゃばらない。 熊本県立美術館は熊本城の二の丸の場所にあり、そこでは主役は熊本城であって美術館は「従」の立場であるとして目立ちすぎない外観になっていながら、美術館占有の空間になると、見事に美術館としてのデザインが構成されている。 その建物の機能を無視してでも自分の建物が目立とうということは決してしない。それでいて、よく見ると、あるいは、何かの折に気づくと、それはなかなかのデザイン・・・・それが、前川國男の建物のすばらしいところではないかと思う。
もう、10年近く前になりますが、東京文化会館で、キエフ歌劇場公演のプッチーニのオペラ『トゥーランドット』を視聴したのですが、その際、東京文化会館の大ホールは、なぜ、舞台が南にあって演者は北に向かって演奏・演劇・演技するようになっているのだろう、と考えたのです。東京文化会館の北側にル=コルビュジェ設計の国立西洋美術館があって国立西洋美術館の入口と東京文化会館の入口が向き合うようにということもあったかもしれません。 しかし、それだけではないと思うのです。東京文化会館は旧寛永寺の境内の土地である上野公園の中にあり、上野公園の中央噴水のあたり、東京文化会館からすれば北西の位置に本堂(根本中堂)があり、東京国立博物館のあたりに本坊があったらしい。 そして、その北に今も徳川家霊廟がある。さらにその北の場所に、谷中などの墓地があり、幸田露伴の『五重塔』で描かれる天王寺の五重塔の跡地もあり、天王寺もある。家相の上で、寺社や墓地は見上げるように建てるのは良いが見下ろすのは良くないと言われるが、前川國男設計の東京文化会館では、演奏者・演技者は舞台で、根本中堂や霊廟、墓地の方に向かって演じるようにできており、決して背を向けて演じるようには配置されていない。観客はその間で演者を見るようにできている。 これは前川國男は偶然ではなく意識してそうしたと私は思う。 この点に気づいた時、鳥肌が立つような感動を覚えた。 それに対して、↑ この西向天神社の菅原道真の西を見る視線を妨害するように立つ新宿イーストサイドスクエア はいったい何だろうか。 こういったことをまったく考えなかったのだろうか・・・・。
《ウィキペディアー新宿イーストサイドスクエア》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%AE%BF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%82%A2 を見ると、≪2014年ランドスケープコンサルタンツ協会賞設計部門で最優秀賞を受賞するなど、周辺地域の土地利用とも一体化した回遊空間を形成している。≫などと書かれているが、西向天神社の道真像が西方の京都・大阪を見やる視線を妨害するように立つ傍若無人、無神経ビルが≪周辺地域の土地利用とも一体化した回遊空間≫だろうか??? 《ウィキペディアー新宿イーストサイドスクエア》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%AE%BF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%82%A2 を見ると、設計者は≪三菱地所設計・日本設計≫と書かれているが、「天下の三菱」様か何様か知らんが、「何、考えとんねん!」て感じがする。 しませんか?
もっとも、場所は新宿であり、都営大江戸線の「東新宿」駅のすぐ南の場所に造ったビル、「新宿三丁目」から北に少し行った場所であり、高層のビルを建てたい、そこにビルを建てるなと言われても、なかなかそうもいかない、という気持ちはわかります。 このあたりは、今は街中も街中。 都心ですから、天神社の前だから建物を建てるなというわけにもいかないかもしれません。 しかし、そういう条件であっても、そのあたりも考慮して設計するのが、優秀な設計者ではないのでしょうか? 違いますか? そのあたりも考慮して設計してこそランドスケープなんとか賞を受賞する価値があるのと違うのでしょうか。
「作家で精神科医」の なだ いなだ が『娘の学校』(中公文庫)でであったと思いますが、「どのような賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。 どのような人が受賞しているかでその賞の値打ちが決まるのだ」と述べていたが、こんな野蛮・無神経なビルが受賞する「ランドスケープコンサルタンツ協会賞」というのは、その程度の賞だということになりますね。
↑ この景観、この景色、見て野蛮だと思いませんか? 京都から大宰府に流され、京都・大阪に帰りたいという気持ちを持ち続けて大宰府で亡くなった菅原道真の像を安置する神社であるから、大宰府や京都・大阪がある西を向いて社殿があるわけですよね。 その社殿から鳥居を経て正面の場所に、その視線を妨害するように立つ大きなビル。 それが≪周辺地域の土地利用とも一体化した回遊空間を形成している≫て、アホか! と思いませんか?
たとえば、大阪市北区の大阪駅の南東、地下鉄谷町線の「東梅田」駅の東にある 露の天神社(お初天神)の参道の部分にまたがって立つ 梅新第一生命ビル は、鳥居の前の道をまたがるようにビルを建て、鳥居の前を南北に人が通れるように作っています。 ([第225回]《露天神社(つゆのてんじんじゃ)(お初天神)参拝【上】鳥居・社殿・露の井・お初 徳兵衛の像・梅新ビル他 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html で、この梅新第一生命ビルについてふれました。写真も掲載しているので、ご覧ください。)
ロシア連邦のイルクーツクに行った時、キーロフ公園の東側にあるアンガラホテルに泊まったのですが、アンガラホテルの客室の窓から見てキーロフ公園の向こう側、北西側に、ユニークなデザインの建物があり、あれはいったい何だろうと思いながら、現地ではわからなかったのですが、日本に帰ってから、リシャット=ムラギルディン『ロシア建築案内』(2002.11.20.TOTO出版)を購入して読むと、≪ソ連時代、少しでも主張をもった個性的な建物を設計した、建築家は共産党上層部からクレームが付けられていたが、そんな社会状況のなかでもイルクーツクの主任建築家であったV.パーヴロフは独創性にこだわった数少ない建築家のひとりであった。≫というその「イルクーツクの主任建築家」V.パーブロフの設計した≪アンガラ川岸に墜落した飛行物体をイメージした≫≪高足のオフィス・ビル≫だった。 なんともユニークな建物だったが、中に入らせてもらっていないので断定的なことは言えないが、外見だけから考えても、使いやすいかどうかは疑問に思わないでもないが。 そのV.パーヴロフが設計という「東シベリア鉄道局官舎」の建物の写真が『ロシア建築案内』(TOTO出版)に掲載されているのであるが、≪6層分にもおよぶアーチ型通路≫がある。
西を見やる菅原道真像が安置されている西向天神社の社殿の前の位置において、どうしても高層の建物を建てないわけにいかないとなると、露の天神社の南の梅新第一生命ビル、あるいは、イルクーツクの東シベリア鉄道局官舎のように、建物の一部分をくり抜いて、道真像の視線の向かう方向を開けるとか、何なりと工夫はできたのではないのかと思うのだ。
新宿イーストサイドスクエアは≪ 日本テレビゴルフガーデン跡地の再開発によって誕生し、約2.6ヘクタールという大規模面開発の特性を生かし、開発地の約50%を有効空地(外構空間)として設定し、そのうち約40%が緑化されている。緑地帯は、それぞれ少しずつ花期がずれた樹木で構成されている。≫と《ウィキペディア―新宿イーストサイドスクエア》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%AE%BF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%82%A2 にも述べられているが、↓ のように、敷地内に建物が建っていないスペースも設けられているのだ。
↑ ということは、まったく建物を建てるなと言われれば、それは勘弁してくれということになるかもしれないが、建物の配置を西向天神社の社殿の正面の位置をずらして建てて、社殿の正面の位置は「外構空間」「緑地帯」とするか、もしくは、梅新第一生命ビルなりイルクーツクの東シベリア鉄道局官舎のように建物の一部分をくり抜いて道真像の視線の方向を開けるか、何なりとできたのではないのかと思うのだ。 東京文化会館は旧寛永寺の根本中堂や徳川家霊廟、及び、その北の墓地や天王寺に尻を向けて演奏・演技するのではなく、根本中堂や徳川家霊廟の方に向いて演奏・演技するように配置されている。 前川國男が東京文化会館を設計した時のような繊細な神経が新宿イーストサイドスクエアの設計者にはなかった、ということだ。 違うか?!? 違わないと思いますよ。
新宿イーストサイドスクエアについては、最初、明治通りを歩いていて見て、「なんだ、これは?」と思って、デザインは悪くないかと思いながら、でこぼこの多い壁面はメンテナンスは、やはり、大変なのではないのか、この建物のメンテナンス・清掃をする作業員の安全は確保されるのだろうか、という点を心配した。 とび職や清掃夫の命は「設計士さま」の命より軽いなどということはないはずなのだ。 清掃やメンテナンスの作業をする人間の安全も考えない建物を、「ミツビシってえのが作ったんだぜ」(⇒《YouTube―三菱ミラージュCM 80年代》https://www.youtube.com/watch?v=dB9xNrel_S8 )とか言ってランドスケープなんとか賞で賞賛されても、なんとも評価したくないような気もするのだが、デザインに関しては悪くないのではとも思ったのだ・・・・が、「あたしの、じんせい、暗かった~♪」(⇒《YouTube―藤圭子 圭子の夢は夜ひらく》https://www.youtube.com/watch?v=AImrOR_qqSg )という思いで西を見やる道真像の視線を妨害するように立ちはだかるバカでかいビルを見ると、これは話にならんと思ったのだ。 こんなビル、いいと思いますか? 絶対、家相が悪いですよ、このビルは。
↑ 西向天神社の手水には、このような網がかかっていた。花園神社の手水にも金属製の網がかかっていた。新華ハウジング(有)[元・千葉市中央区]のように、新築工事に使うために水を盗むヤツがいるからか? とも思ったが、そういう問題ではなく、カラスよけではないか。
「生命の言葉 平成27年2月」として、
「為せば成る
為さねば成らぬ
何事も 成らぬは人の
為さぬなりけり 」
という上杉鷹山の言葉が掲示板に出ていた。戦前の「修身」の教科書ですな・・・。
北側にある建物が、元・別当寺で、現在は天台寺門宗の 梅松山大聖院(ばいしょうざん だいしょういん)らしい。 「梅松山」は、菅原道真が梅と松を好んだ故事からきたものか。
↑ 南側に、区立天神山児童遊園 があり、ともかく、この写真のように公衆便所もあります。
※ 西向天神社 参拝に際し、
猫のあしあと http://www.tesshow.jp/shinjuku/shrine_shinjuku_nishimuki.html
新宿観光振興協会 http://www.kanko-shinjuku.jp/course/tabid/120/pdid/303/Default.aspx
など、参考にさせていただきました。
※ 最寄駅は「東新宿」で、新宿からなら「新宿西口」駅から大江戸線に1駅乗って「東新宿」下車で行くのが最短です。
(2015.2.13.)
☆ 冤罪を晴らす神様・菅原道真・怨念を晴らす全国お百度参り シリーズ、
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
意富比神社 末社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
白井市(白井市河原子の)天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
千葉神社 摂社 千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_10.html
熊本県
山崎菅原神社(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html
船場天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html
手取天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_8.html
今回は、東京の街中。 新宿にある西向天神社(にしむき てんじんじゃ)に参拝しました。「西向天神社(にしむき てんじんじゃ)」↓は、他に、「大窪天満宮(おおくぼ てんまんぐう)」、「棗天神(なつめ てんじん)」、「夢想天神」という別称でも呼ばれるそうです。↓
(↑ クリックすると大きくなるので、大きくして見てください。 梅鉢の紋が見えます。)
JR「新宿」駅の東口を出て、新宿通り(都道430号)を東に進むと、北に紀伊國屋書店の新宿本店があります。 紀伊国屋書店の新宿本店の建物は、前川國男が設計したと聞いて、さて、その建物が今も使われている紀伊國屋書店の建物だろうか・・と思ったのですが、そう思って見に行って見ると、たしかに、前川國男の設計の上野の東京都美術館や熊本県立美術館、あるいは、東大本郷キャンパス内の三四郎池の東、御殿下グランドの西にある山上会館(さんじょうかいかん)のいずれにも見られる、前川國男はよっぽど好きだったのかと思われる「穴あきタイル」が壁面に使われていますし、何より、何気なしに利用してきた、新宿通りから北に抜ける1階と地下1階(新宿通りを基準とすると)の両側に店のある通路は、前川國男の師匠の1人であるル=コルビュジェのユニテ=ダビタシオンなどにも見られる発想である「ピロティ方式」の通り抜けられる商店街となっているのです。 たしかに、このあたりのビルを見まわしても、南の新宿通りから北側の通りまでそのビルの建物と直接関係なく通り抜けることができるようになっているのは紀伊國屋ビルだけです。 そう思って見ると、たいした建物だと感心したのですが、そのお話は別の機会に述べるといたしまして、さらに東に進むと北側に伊勢丹があります。
※ル=コルビュジェについては、たとえば、
《ウィキペディア―ル・コルビュジェ》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%A5%E3%82%B8%E3%82%A8
《ウィキペディア―ユニテ・ダビタシオン》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%86%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%93%E3%82%BF%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%B3 他参照。
伊勢丹の南と東の道路の下あたりに、東京メトロ丸の内線と副都心線の「新宿三丁目」駅があります。 この伊勢丹の東側の道を北に曲がり、都道305号、要するに 明治通りを北上します。
新宿5丁目交差点で、都道4号と交差し、西に花園神社が見えますが、花園神社については次回以降にまわさせていただくとして、そのまま北に進むと、西に「ホテル バリ」が見え、さらに北に進むと西側に「純福音東京教会」が見えます。 純福音東京教会の入口付近には日本語の表記とともに訓民正音での表記もあったので、韓国の人たちの教会なのだろうかと思って、帰宅してからインターネットで検索すると、韓国人の方が日本で始めた教会で牧師・伝道師は韓国人の方が多く勤めている教会のようですが、韓国人のための教会というわけでもないようです。(《純福音東京教会》http://www.fgtv.jp/fullgospeltokyo/pastor.php )
さらに北に進むと、右手に、「何だ、これは!?!」 という建物が見えてきます。↓
※「なんだ、これは!?!」⇒《YouTube―「芸術は爆発だ!」「何だ、これは!」岡本太郎は何者? 2/2 》https://www.youtube.com/watch?v=G9I1hEzv6Hk
↑ この「なんだ、これは!?!」て感じの建物は、「新宿 イーストサイド スクエア」という建物で、その南に「新宿 イーストサイド タワー」があります。
※「新宿イーストサイド スクエア」については、たとえば、
《ウィキペディア―新宿イーストサイドスクエア》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%AE%BF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%82%A2
《新宿イーストサイドスクエア 施設案内》http://www.shinjuku-eastside-square.jp/facilities.html
で・・・、その「なんだ、これは?」の新宿イーストサイドスクエアの北の道、都道302号の下を東西に都営大江戸線が走っていて、イーストサイドスクエアの北西の交差点の下付近に、都道302号の下を東西に走る大江戸線と明治通りの下を南北に走る副都心線の「東新宿」駅があります。
都道302号を東に進み、新宿イーストサイドスクエアの東側の南向きに一方通行の道を南下し、東に行く道を見ると、丘というのか小山というのか、少し高くなった場所に社殿が見えます。↓
↑ それが、西向天神社(にしむき てんじんしゃ) で、名称の通り、西が正面です。
(↑ クリックすると大きくなります。)
(↑ クリックすると大きくなります。 石碑・幟・提灯に「西向天神社」と書かれています。)
『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』〔1994.12.20.(株)鎌倉新書〕の「全国天満宮めぐり」には、東京都で7社、東京都23区内では5社、掲載されていますが、23区内で掲載されているのは、湯島天満宮・亀戸天神社・平河天満宮・五條天神社とこの西向天神社です。
同書巻末の「主要天満宮名簿」には、東京都では16社、東京都23区内では、湯島天満宮・亀戸天神社・平河天満宮・五條天神社とこの西向天神社、それに、世田谷区松原の菅原神社、台東区下谷の小野照崎神社、文京区春日の北野神社の8社が掲載されています。
《ウィキペディア―天満宮》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE の「主な天満宮」には、東京都で14社、東京都23区内では、湯島天満宮・亀戸天神社・平河天満宮・五條天神社・世田谷区の菅原神社・文京区春日の北野神社、それに、練馬区の北野神社、足立区の梅島天満宮の8社が掲載されていますが、西向天神社の掲載はありません。
↑ 北側から見ると、拝殿・幣殿・本殿の「石の間造り」の3部構成の社殿となっています。
(↑ しつこいようですが、写真はクリックすると大きくなるので、大きくして見てください。拝殿・幣殿・本殿と3部構成になっているのが、大きくして見るとわかります。)
『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』には、
≪ 同社の開創は、安貞3年(1229年)のことである。 時の高僧として名高い栂尾高山寺の明恵上人が、関東遊行の折、東大久保の当地に、菅公自刻の尊像を祀ったのが始まりとされている。
天正の頃には、大火のため社殿が灰燼と帰したにもかかわらず、尊像だけが谷間の桜の木に移っていたという不思議もあり、鎮護神として崇拝されてきた。≫
≪ 西向天神とは変わった名であるが、名の通り、筑紫の大宰府の方へ向かい、社殿を西向きに造っているために、昔から呼び慣わしてきたもの。・・・≫
≪ 当社はまた「夢想天神」や「棗(なつめ)天神」と呼ばれている。 前者は内藤豊前守の息女が大病を患ったが、天神さんを夢想して治癒したという説話による。 棗(なつめ)天神は、三代将軍が鷹狩りのために通りがかられ、ひどく破損しているのをご覧になって社殿改修の費用にと、黄金の棗を献納したことによって呼ばれるようになった。 ≫ とある。
※ 明恵上人の栂尾高山寺といえば、やっぱり、デュークエイせスの「女ひとり」をバックミュージックにしたくなりますね。 《YouTube―デューク・エイセス 女ひとり 》https://www.youtube.com/watch?v=vu5exDHZgp0
境内の掲示版に、この神社を取りあげた記事が貼り出されており、そこには「大窪天満宮(おおくぼてんまんぐう)」と出ていました。 「大窪」とはどういう意味だろう、と思って考えてみると、ここは「新宿」だとばっかり思っていたのですが、「大久保」だったのです。
西向天神社の住所は『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』によると、新宿区新宿6-21-1 だそうですが、『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』には
≪ 現在の東大久保、西大久保、戸山町、若松町、余丁町、市ヶ谷富久町、百人町、新宿六、七丁目の一帯が古くは大久保といわれ、尾張徳川家の下屋敷をはじめ、大名、旗本などの屋敷、大箪笥組、鉄砲百人組など幕臣の組屋敷が点在する江戸の郊外であったが、本社の近く久衛門坂は商店や寄席の並ぶ、大久保の中心地で、西向天神の祭には多くの人でにぎわったという。≫ と出ており、西向天神社のある「新宿6丁目」も、かつては、「大久保」と言われた地域の中であったようです。 「大窪天満宮」という呼び方はそこから来たものでしょう。
「天神社」には、菅原道真を祀る天神と、菅原道真とは関係のない天神社とがあるようですが、この西向天神社の場合、上の写真を見てもわかるように、梅鉢の紋が賽銭箱や社殿に、あちらこちらに入っていることを見ても、明恵上人が菅原道真の自刻の像を祀ったというお話があることを考えても、菅原道真の天神でしょう。
社殿の北側には、藤圭子の歌、「新宿の女」の歌碑があります。↓
↑《YouTube―新宿の女 藤圭子≫https://www.youtube.com/watch?v=vm7KzT1q7Mk ↑
もっとも、「わたしが男になれたなら」という文句は、女性が言うと、女のつらさ、女の弱い立場を述べたものと評価されますが、逆に、男が「わたしが女になれたなら」と言うと、オカマさんか~? という話になってしまいそう・・・だが、人の心を傷つける言動をとるのは、男が女に対してだけでなく、女が男に対してもありうることで、男女の関係では常に男が悪いというわけでもない。
だだ、もうひとつ「もっとも」・・・。 大阪府警阿倍野警察署の警察官が、2人の女と同時につきあい、結婚しなかった方の女を絞殺した、しかも、犯行時に警察署の道具を使用したらしいというニュースが新聞、及び、インターネット上のニュースに出ていたが、ひどいものだ。
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巡査長女性殺害 フェイスブックの妻との写真で結婚がばれる
産経新聞(2015年) 1月27日(火)8時53分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150127-00000507-san-soc
大阪市東住吉区のマンションで医療相談員の白田光さん(23)が殺害された事件で、逮捕された大阪府警阿倍野署巡査長、水内貴士容疑者(26)が妻と撮影した写真をフェイスブック(FB)に掲載していたことが26日、白田さんの同僚への取材で分かった。白田さんは最近になってこのFBを閲覧。初めて水内容疑者が結婚していることを知ったという。
水内容疑者は動機について「妻帯者だと知られ、トラブルになった」と供述。・・・・・(略)・・・・
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こういう程度の低い男を見抜くことができなかったという点でその女も未熟であったのかもしれないが、それにしてもひどいものだ。 俺は「わたしが男になれたなら」ではなく男だが、この軽々しく女を殺す軽殺漢みたいなことはしたくないものだ、と昔むかしから思ってきたぞ。こんなことをする男は男としても人間としても最低だと思ってきたし今も思っているぞ。 わたしが小学校1年生の時、「わたしたちの観察」という小学生向け月刊誌があって、そこに動物園のイノシシの夫婦の話が載っていた。イノシシの夫婦も時々、夫婦喧嘩をするらしい。 そして、負けるのは必ずオスだそうだ。 イノシシのオスは、いつも、メスに噛みつかれたりして血だらけにされるが、それでも、オスがやるのは鼻で押し返すくらいのことで、オスは絶対にメスに噛みついたりはしないそうだ。なぜなら、イノシシのオスの牙は半端じゃないのであり、もし、オスが本気でメスに噛みついたなら、勝負は目に見えている。もし、イノシシのオスが牙で本気でメスに噛みついたなら、その時にはメスの命はない。イノシシのオスはそれがわかっているから、メスに噛みつかれて血だらけにされても、絶対に自分はメスに噛みついたりはしないそうだ。 「けだもの!」とかいう言葉があるが、軽殺姦は「けだもの」より下である。
藤圭子の歌の歌碑は、伊勢丹の北にある花園神社の境内の摂社・芸能浅間神社 にも、「圭子の夢は夜ひらく」という歌の歌碑があります。 ↓
↑《YouTube―藤圭子 圭子の夢は夜ひらく》https://www.youtube.com/watch?v=AImrOR_qqSg(←暗いね~え・・・)
↑ 花園神社の摂社・芸能浅間神社は、名前の通り、芸能関係の神社なのでしょう。
一般に、芸事の神さまとしては、弁財天が祀られたり、芸術でも学問的性格が強い場合は祭神は菅原道真だったりします。 浅間神社は、日本の神様を考える会編『日本の神々のすべてがわかる』(2008.3.30.日本文芸社 新書)では、≪浅間神社は富士山信仰の本拠地として知られ、祭神に木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀る。・・・その名のとおり木花(桜)が咲き誇るような絶世の美女で、天孫・瓊々杵尊(ににぎのみこと)と結婚して、その日継ぎの御子を生んだ皇祖の大御母神として知られる。 後に、富士山の守護神となるが、・・・・≫≪また、父神とともに酒造の神としても信仰されている。≫≪神徳:安産・子育て、家庭円満、火難消除、酒造繁盛、登山安全、農漁業守護など≫とある。
三橋 健『図説 あらすじでわかる! 日本の神々と神社』(2010.5.15.青春出版社 青春新書)には、≪日本一の霊山である富士を神として崇めるのが富士宮市に鎮座する富士山本宮浅間大社である。当社は全国に一千三百余社まつられる浅間神社の総本社である。・・・この女神は、安産、水徳、火難消除、農業、漁業、航海、子宝、子育ての守護神として信仰を集めてきた。≫とある。
いずれを見ても、浅間神社は芸事の神さまとは出ていないのだが、新宿の花園神社の境内の摂社である芸能浅間神社は、名前からして「芸能」とあるからには、芸事の神さまでしょう。 花園神社について、一緒に述べると長くなり過ぎるので別稿にするとして、芸能浅間神社には、奉納者として、「ワイルド スギちゃん」とか「吉本興業」とか「ビリーバンバン」「八代亜紀」といった名前が並んでいます。
西向天神社の祭神は菅原道真で、道真は学問・芸能の神さまではあるが、弁財天が芸能人の神さまという傾向があるのに対して、菅原道真は、芸能でもどちらかというと学問的な芸事の神さまという傾向があるようにも思うが、もとより、信ずる者があって神はあるのだから、芸能人が菅原道真の天神に参拝して悪いこともないでしょう。
《ウィキペディア―藤圭子》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%9C%AD%E5%AD%90 を見ると、まだ、そんなに歳でもないように思っていたのですが、2013年に、藤圭子は亡くなっているのですね。
さて、気になることがあります。 西向天神社は、名前の通り、社殿が西を向いています。 菅原道真の自刻の像が祀られているということです。 もちろん、その像は見えませんが、社殿に西を向いて安置されているのでしょう。 向いている先は、大宰府なのか、京都・大阪なのか。 道真が右大臣として手腕を振るった場所は京都。 菅原家は今の大阪府の河内地方の出身ではないかとも言われるらしい。 となると、故郷は京都から大阪にかけてということになるでしょう。 その西を向いて道真の自刻の像が安置されているということなのです。 京・大阪を見やる道真像が安置されているらしいその社殿から鳥居を経て西を見ると、今、どういう景色が見えるか、御存じですか?
こういう景色なのです。↓
↑ 無神経なビル群ですよね。
菅原道真の像が社殿から鳥居越しに京都・大阪の方を見やった時、その視線を妨害するように立つビル。 それが、新宿イーストサイドスクエアなのです。 野蛮だと思いませんか?
前川國男設計の紀伊國屋書店新宿本店について、倉方俊輔(くらかた しゅんすけ)・斉藤理(さいとう ただし)『東京建築ガイドマップ 明治 大正 昭和 1868-1979』(2007.2.20.エクスナレッジ ムック)には、≪改めて見上げれば、打ち込み煉瓦タイルの曲面壁が両面にそびえる前川建築。 足元広場は普通に新刊探しや待ち合わせに便利だし、裏まで続く屋内通路は自然に通り抜けてしまう。 意識されないということは、成功した証である。≫と書かれている。 たしかに、前川國男の建物の良さはその「意識されないということは、成功した証」というあたりにあるようにも思える。 東京都美術館は決して展示される企画展を妨げない。 熊本県立美術館は展示物より建物は前に出しゃばらない。 熊本県立美術館は熊本城の二の丸の場所にあり、そこでは主役は熊本城であって美術館は「従」の立場であるとして目立ちすぎない外観になっていながら、美術館占有の空間になると、見事に美術館としてのデザインが構成されている。 その建物の機能を無視してでも自分の建物が目立とうということは決してしない。それでいて、よく見ると、あるいは、何かの折に気づくと、それはなかなかのデザイン・・・・それが、前川國男の建物のすばらしいところではないかと思う。
もう、10年近く前になりますが、東京文化会館で、キエフ歌劇場公演のプッチーニのオペラ『トゥーランドット』を視聴したのですが、その際、東京文化会館の大ホールは、なぜ、舞台が南にあって演者は北に向かって演奏・演劇・演技するようになっているのだろう、と考えたのです。東京文化会館の北側にル=コルビュジェ設計の国立西洋美術館があって国立西洋美術館の入口と東京文化会館の入口が向き合うようにということもあったかもしれません。 しかし、それだけではないと思うのです。東京文化会館は旧寛永寺の境内の土地である上野公園の中にあり、上野公園の中央噴水のあたり、東京文化会館からすれば北西の位置に本堂(根本中堂)があり、東京国立博物館のあたりに本坊があったらしい。 そして、その北に今も徳川家霊廟がある。さらにその北の場所に、谷中などの墓地があり、幸田露伴の『五重塔』で描かれる天王寺の五重塔の跡地もあり、天王寺もある。家相の上で、寺社や墓地は見上げるように建てるのは良いが見下ろすのは良くないと言われるが、前川國男設計の東京文化会館では、演奏者・演技者は舞台で、根本中堂や霊廟、墓地の方に向かって演じるようにできており、決して背を向けて演じるようには配置されていない。観客はその間で演者を見るようにできている。 これは前川國男は偶然ではなく意識してそうしたと私は思う。 この点に気づいた時、鳥肌が立つような感動を覚えた。 それに対して、↑ この西向天神社の菅原道真の西を見る視線を妨害するように立つ新宿イーストサイドスクエア はいったい何だろうか。 こういったことをまったく考えなかったのだろうか・・・・。
《ウィキペディアー新宿イーストサイドスクエア》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%AE%BF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%82%A2 を見ると、≪2014年ランドスケープコンサルタンツ協会賞設計部門で最優秀賞を受賞するなど、周辺地域の土地利用とも一体化した回遊空間を形成している。≫などと書かれているが、西向天神社の道真像が西方の京都・大阪を見やる視線を妨害するように立つ傍若無人、無神経ビルが≪周辺地域の土地利用とも一体化した回遊空間≫だろうか??? 《ウィキペディアー新宿イーストサイドスクエア》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%AE%BF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%82%A2 を見ると、設計者は≪三菱地所設計・日本設計≫と書かれているが、「天下の三菱」様か何様か知らんが、「何、考えとんねん!」て感じがする。 しませんか?
もっとも、場所は新宿であり、都営大江戸線の「東新宿」駅のすぐ南の場所に造ったビル、「新宿三丁目」から北に少し行った場所であり、高層のビルを建てたい、そこにビルを建てるなと言われても、なかなかそうもいかない、という気持ちはわかります。 このあたりは、今は街中も街中。 都心ですから、天神社の前だから建物を建てるなというわけにもいかないかもしれません。 しかし、そういう条件であっても、そのあたりも考慮して設計するのが、優秀な設計者ではないのでしょうか? 違いますか? そのあたりも考慮して設計してこそランドスケープなんとか賞を受賞する価値があるのと違うのでしょうか。
「作家で精神科医」の なだ いなだ が『娘の学校』(中公文庫)でであったと思いますが、「どのような賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。 どのような人が受賞しているかでその賞の値打ちが決まるのだ」と述べていたが、こんな野蛮・無神経なビルが受賞する「ランドスケープコンサルタンツ協会賞」というのは、その程度の賞だということになりますね。
↑ この景観、この景色、見て野蛮だと思いませんか? 京都から大宰府に流され、京都・大阪に帰りたいという気持ちを持ち続けて大宰府で亡くなった菅原道真の像を安置する神社であるから、大宰府や京都・大阪がある西を向いて社殿があるわけですよね。 その社殿から鳥居を経て正面の場所に、その視線を妨害するように立つ大きなビル。 それが≪周辺地域の土地利用とも一体化した回遊空間を形成している≫て、アホか! と思いませんか?
たとえば、大阪市北区の大阪駅の南東、地下鉄谷町線の「東梅田」駅の東にある 露の天神社(お初天神)の参道の部分にまたがって立つ 梅新第一生命ビル は、鳥居の前の道をまたがるようにビルを建て、鳥居の前を南北に人が通れるように作っています。 ([第225回]《露天神社(つゆのてんじんじゃ)(お初天神)参拝【上】鳥居・社殿・露の井・お初 徳兵衛の像・梅新ビル他 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html で、この梅新第一生命ビルについてふれました。写真も掲載しているので、ご覧ください。)
ロシア連邦のイルクーツクに行った時、キーロフ公園の東側にあるアンガラホテルに泊まったのですが、アンガラホテルの客室の窓から見てキーロフ公園の向こう側、北西側に、ユニークなデザインの建物があり、あれはいったい何だろうと思いながら、現地ではわからなかったのですが、日本に帰ってから、リシャット=ムラギルディン『ロシア建築案内』(2002.11.20.TOTO出版)を購入して読むと、≪ソ連時代、少しでも主張をもった個性的な建物を設計した、建築家は共産党上層部からクレームが付けられていたが、そんな社会状況のなかでもイルクーツクの主任建築家であったV.パーヴロフは独創性にこだわった数少ない建築家のひとりであった。≫というその「イルクーツクの主任建築家」V.パーブロフの設計した≪アンガラ川岸に墜落した飛行物体をイメージした≫≪高足のオフィス・ビル≫だった。 なんともユニークな建物だったが、中に入らせてもらっていないので断定的なことは言えないが、外見だけから考えても、使いやすいかどうかは疑問に思わないでもないが。 そのV.パーヴロフが設計という「東シベリア鉄道局官舎」の建物の写真が『ロシア建築案内』(TOTO出版)に掲載されているのであるが、≪6層分にもおよぶアーチ型通路≫がある。
西を見やる菅原道真像が安置されている西向天神社の社殿の前の位置において、どうしても高層の建物を建てないわけにいかないとなると、露の天神社の南の梅新第一生命ビル、あるいは、イルクーツクの東シベリア鉄道局官舎のように、建物の一部分をくり抜いて、道真像の視線の向かう方向を開けるとか、何なりと工夫はできたのではないのかと思うのだ。
新宿イーストサイドスクエアは≪ 日本テレビゴルフガーデン跡地の再開発によって誕生し、約2.6ヘクタールという大規模面開発の特性を生かし、開発地の約50%を有効空地(外構空間)として設定し、そのうち約40%が緑化されている。緑地帯は、それぞれ少しずつ花期がずれた樹木で構成されている。≫と《ウィキペディア―新宿イーストサイドスクエア》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%AE%BF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%82%A2 にも述べられているが、↓ のように、敷地内に建物が建っていないスペースも設けられているのだ。
↑ ということは、まったく建物を建てるなと言われれば、それは勘弁してくれということになるかもしれないが、建物の配置を西向天神社の社殿の正面の位置をずらして建てて、社殿の正面の位置は「外構空間」「緑地帯」とするか、もしくは、梅新第一生命ビルなりイルクーツクの東シベリア鉄道局官舎のように建物の一部分をくり抜いて道真像の視線の方向を開けるか、何なりとできたのではないのかと思うのだ。 東京文化会館は旧寛永寺の根本中堂や徳川家霊廟、及び、その北の墓地や天王寺に尻を向けて演奏・演技するのではなく、根本中堂や徳川家霊廟の方に向いて演奏・演技するように配置されている。 前川國男が東京文化会館を設計した時のような繊細な神経が新宿イーストサイドスクエアの設計者にはなかった、ということだ。 違うか?!? 違わないと思いますよ。
新宿イーストサイドスクエアについては、最初、明治通りを歩いていて見て、「なんだ、これは?」と思って、デザインは悪くないかと思いながら、でこぼこの多い壁面はメンテナンスは、やはり、大変なのではないのか、この建物のメンテナンス・清掃をする作業員の安全は確保されるのだろうか、という点を心配した。 とび職や清掃夫の命は「設計士さま」の命より軽いなどということはないはずなのだ。 清掃やメンテナンスの作業をする人間の安全も考えない建物を、「ミツビシってえのが作ったんだぜ」(⇒《YouTube―三菱ミラージュCM 80年代》https://www.youtube.com/watch?v=dB9xNrel_S8 )とか言ってランドスケープなんとか賞で賞賛されても、なんとも評価したくないような気もするのだが、デザインに関しては悪くないのではとも思ったのだ・・・・が、「あたしの、じんせい、暗かった~♪」(⇒《YouTube―藤圭子 圭子の夢は夜ひらく》https://www.youtube.com/watch?v=AImrOR_qqSg )という思いで西を見やる道真像の視線を妨害するように立ちはだかるバカでかいビルを見ると、これは話にならんと思ったのだ。 こんなビル、いいと思いますか? 絶対、家相が悪いですよ、このビルは。
↑ 西向天神社の手水には、このような網がかかっていた。花園神社の手水にも金属製の網がかかっていた。新華ハウジング(有)[元・千葉市中央区]のように、新築工事に使うために水を盗むヤツがいるからか? とも思ったが、そういう問題ではなく、カラスよけではないか。
「生命の言葉 平成27年2月」として、
「為せば成る
為さねば成らぬ
何事も 成らぬは人の
為さぬなりけり 」
という上杉鷹山の言葉が掲示板に出ていた。戦前の「修身」の教科書ですな・・・。
北側にある建物が、元・別当寺で、現在は天台寺門宗の 梅松山大聖院(ばいしょうざん だいしょういん)らしい。 「梅松山」は、菅原道真が梅と松を好んだ故事からきたものか。
↑ 南側に、区立天神山児童遊園 があり、ともかく、この写真のように公衆便所もあります。
※ 西向天神社 参拝に際し、
猫のあしあと http://www.tesshow.jp/shinjuku/shrine_shinjuku_nishimuki.html
新宿観光振興協会 http://www.kanko-shinjuku.jp/course/tabid/120/pdid/303/Default.aspx
など、参考にさせていただきました。
※ 最寄駅は「東新宿」で、新宿からなら「新宿西口」駅から大江戸線に1駅乗って「東新宿」下車で行くのが最短です。
(2015.2.13.)
☆ 冤罪を晴らす神様・菅原道真・怨念を晴らす全国お百度参り シリーズ、
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
意富比神社 末社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
白井市(白井市河原子の)天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
千葉神社 摂社 千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_10.html
熊本県
山崎菅原神社(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html
船場天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html
手取天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_8.html
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