下飯山満神明神社(千葉県船橋市飯山満)内 天満宮祠 参拝―冤罪を晴らす神さま・菅原道真(25)

[第320回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念をはらすお百度参り(25)
   千葉県船橋市飯山満(はさま、はざま)の県道船橋我孫子線(通称“ふなとり線”)の吹上(ふきあげ)交差点の北東にある神明神社の摂社(というのか、末社というのか)の天満宮に参拝してきました。 名称は、現地には「神明神社」と石碑に刻まれていますが、船橋地名研究会・滝口 昭二 編著『滝口さんと 船橋の地名を歩く』(2014.8.20.崙書房出版)には「下飯山満神明神社」と出ています。
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↑ 下飯山満神明神社(千葉県船橋市飯山満 )内 天満宮祠
   神明神社 というのは、アマテラスオオミカミを祀る伊勢神宮と同系列の神社らしいのですが、船橋市には船橋御厨(みくりや)という伊勢神宮に寄進された土地があったらしいことから、[第167回]《意富比神社(船橋大神宮)、及、その境内社・天満宮訪問~冤罪を晴らす神さま・怨念を晴らす旅(5) 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html で境内末社・天神社などをとりあげた船橋大神宮(意富比神社)もそのひとつのようですが、伊勢・神明系の神社がいくつかあります。
   “ふなとり線”の吹上(ふきあげ)交差点の北東にある神明神社は、神社には神明神社としか書かれていないのですが、船橋地名研究会・滝口昭二 編著『滝口さんと 船橋の地名を歩く』(2014.8.20. 崙書房出版 )の「19 船橋御厨(みくりや)をめぐる」には「下飯山満神明神社」と出ているので、この呼び名を使わせていただきます。 「飯山満」は、「はさま」と読んだり「はざま」と読んだりしてどちらが正解というわけでもないようです。 「いいやま みつる」ではありません。

   吹上交差点の北東にある神明神社(『滝口さんと 船橋の地名を歩く』によると、下飯山満神明神社)には、何度か行ったことがあり、神明神社の社殿の左右に摂社というのか末社というのかの祠があるのも見ていたのですが、祠の手前に何の祠なのかの記述はないのでわからず、ここに天満宮祠があるのは、船橋地名研究会・滝口昭二 編著『滝口さんと 船橋の地名を歩く』(2014.8.20. 崙書房出版 ↓)を読んで知りました。 同書によると、著者の滝口昭二さんは、千葉大の教育学部を卒業して船橋市内の小学校の教員・中学校の社会科の教員を勤め、最後は船橋市立中野木中学校の校長で退職された方だそうです。

滝口さんと船橋の地名を歩く
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   私も、中学生くらいの頃、成人した時には、高校か中学校の社会科の先生にでもなって生徒のめんどうをみながら、郷土の地理・歴史の研究でもやりたいと思った時期もあったのですが、かなわぬ夢でした。「うちは、学校の先生になんか、ならすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と父は何度も何度も言っていた。「学校の先生みたいなもん、なるヤツは甘ったれとるからなるんじゃ。」「学校の先生は全員、アカだ」とか言ってました。「学校の先生みたいなもんになりたいというヤツは、働くのを嫌がるモラトリアム人間という病気にかかってるから学校の先生みたいなもんになろうとするんだ。慶應義塾大学の小此木啓吾先生もおっしゃってる」と言っていました。(それなら、慶應義塾大学医学部助教授という「学校の先生」になっている小此木啓吾こそ、「甘ったれ」ているのではないのか。小此木啓吾こそ「モラトリアム人間病」にかかっているのと違うのか。「治療」してやる必要があるのと違うのか、ということになるのですが。) 「甘ったれ」ていない職業というと、「てってこっこてってってって、らったらったらったら~あ♪」「欲しがりません、勝つまでは」と「滅私奉公」を会社のためにする、「会社のための犠牲になる」、会社の奴隷となるサラリーマンしかなかったようです。「会社の犠牲になりたい犠牲になりたいという気持ちぃ~い」とか父は言っていました。 そんなことのために、私はなぜあんなに勉強しなければならなかったのか、と情けなくなりましたが、「滅私奉公」で「木口小平は死んでもラッパを離しませんでちたあ~あ!」と会社に犠牲になって尽くす人生が、「それが、フツーの人生や」という父の主張に私は「家族の政治学」において勝てなかった。( もっとも、「会社」というものを、このようなとらえ方をするのが適切かというと、そうでもないと思いますし、組織の運営として考えると、「てってこっこてっててって・・・♪」といった思想というのは、あまり適切・有効な考え方ではないと思いますけれども。) そういう者からすれば、中学校の社会科の先生になって、その土地を歩き、こういった本を出す人というのは、つくづくうらやましい限りです。 父が言っていた基準からすると、小中学校の教員を勤めた滝口昭二さんも「甘ったれた甘ったれたヤツ」ということになるのでしょう。

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   ↑ 鳥居の右手に「神明神社」と書かれた石碑が立っています。 参道の右手(東)に神明神社幼稚園があります。
  神明系の神社だけあって、国粋的というのか、そういったなごりはあります。 ↑の写真で見ても、鳥居の左手前に「国威宣揚」と書かれた石碑が立っているのが見えます。 このあたりを見ると、戦後民主主義の教育で育った世代としては、どうも、受け入れがたいものを感じます。 但し、これは、戦後に建てられたものではなく、石碑の横を見ると、「昭和十七年十二月八日建立」と書かれています。 昭和17年というと、西暦1942年。 太平洋戦争の真珠湾攻撃が1941年12月ですから、この碑が建てられたのはまさに戦中です。
(↑↓写真はクリックすると大きくなります。 その上で、「+」マークをあててクリックすると、その部分がさらに大きくなります。↑↓)








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↑  参道。 右に見える建物は神明神社幼稚園の建物です。
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↑ 社殿。 拝殿・幣殿・本殿の3部構成になっています。 『滝口さんと船橋の地名を歩く』(2014.崙書房出版)には≪神明造です≫と書かれていますが、たしかに、切妻平入りではあるのですが、この程度のものを「神明造」と言ってよいかどうか。 神明造というのは、[第274回]《住宅屋必見!切妻 正面平入り 神明造の拝殿・廣田神社(西宮市)―阪神タイガースの里(1) 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201407article_2.html  で写真を出した兵庫県西宮市の廣田神社の社殿のようなもののことを言うべきではないかという気もいたします。

   『滝口さんと 船橋の地名を歩く』には≪拝殿右に子安祠と天満宮祠、左に大杉社があります。≫と書かれています。 神明神社の社殿の右には、子安祠が奥にあり、その右手前に天満宮祠があって、さらにその手前に三峰神社の祠らしいものがあります。
  右側(東側)の3つが↓
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↑右手前・・・・「三峰神社」と書かれたお札 祠の中に祀られています。
↑右中・・・・・・祠の中に「天満」と書かれた石碑があり、その手前に菅原道真であろうと思われる平安貴族らしい人物の彫刻が配置されています。 天神社には、菅原道真の天神と道真と特に関係のない天神社があるようですが、この祠には、祠の内部に菅原道真であろう平安貴族らしい人物の彫刻が配置されているので、菅原道真の天神・天満でしょう。
↑奥・・・・・・・・「子安大明神」と書かれた石碑が祠の中に祀られています。
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↑ 天満宮祠。

  左側(西側)の1つが↓
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↑ 「大杉神社」と書かれたお札が祠の中に祀られています。
   祠の中というものは、あまり覗いて見るものではないと思ってきたのですが、今回は、覗いてみないと何の祠かわからないので、覗かせていただきました。

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↑  ≪社前に平成十三年(2001年)に改装された神楽殿があります。≫と『滝口さんと 船橋の地名を歩く』(2014.崙書房)に出ている神楽殿。 左奥に見えるドア2つの左側に「御手洗い」と書かれているのですが、鍵がかかっており、氏子の方が来られた時には使用できるのでしょうけれども、一般参拝者は利用できないようです。
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↑  手水舎はあるが、残念なことに、ひしゃくがない。

   先にも述べましたが、神明系の神社だけあって、神社の中でも、「国粋的なところ」は感じられます。 入口の鳥居の左手前に「国威宣揚」と書かれた太平洋戦争中に建てられた石碑がありましたが、社殿の右(東)にも、「日露戦役記念碑」と書かれた大きな石碑が立っています。 これも、最近、建てられたものではなく、裏面には「明治四十年二月七日建設」と書かれており、明治40年は西暦1907年。 日露戦争は1904年~1905年ですから、日露戦争直後に建てられたものです。 鳥居手前の「国威宣揚」の石碑にしろ、社殿の右(東)の「日露戦役記念碑」にしろ、戦後に建てられたものではなく、「日露戦役記念碑」は日露戦争の直後、「国威宣揚」の碑は太平洋戦争中に建てられたものなので、戦前戦中に建てられたものを撤去するのもどうかということで残しているということか・・・と思うと、それだけとも言えないようでした。
   「天皇陛下御即位記念」という木製の碑も建っており、これも、大正天皇か昭和天皇の即位かと思い、裏面を見ると、「平成貮」と書かれていたので、今の天皇が1989年に即位した後、平成2年(1990年)に建てたものらしく、やっぱり、神明系の神社だけあって、国粋色・右翼色・天皇制擁護の傾向、反動的傾向は今においても存在するということなのか、とがっかりしました。↓
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   下飯山満神明神社 は、最寄駅というと、JR総武線の東船橋駅か、東葉高速鉄道の飯山満駅かということになるでしょうけれども、どちらもあまり近くはありません。 バス停だと、船橋新京成バス・習志野新京成バスの「船橋整形外科」か、船橋新京成バスの「吹上(ふきあげ)」バス停が最寄のバス停です。
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↑  参道の左(西)に、もとは神明神社の敷地であったと思われる場所に「神明神社駐車場」がありますが、月極駐車場で参拝者用のスペースはありません。 奥に見える木が茂った所に社殿があります。
   この月極駐車場のさらに西、県道船橋我孫子線の手前にある駐車場は、「定食・ドライブイン はさま」の駐車場のようです。 同店はけっこうおいしいと思う。 私が昔、勤めたことのある株式会社チムニーが運営していた「はなの舞」花の舞」「炎」などでは副社長が「カット野菜」の使用を検討していた。 スーパーやコンビニで売っているお弁当に入っている野菜や「生野菜」として売っているものは、カットした後で農薬を大量に浴びせている可能性が考えられるので、それなら飲食店で食べた方がいいと思って食べに行っても、「はなの舞」「花の舞」「炎」では、プレカット野菜を買った方が安いとスーパーやコンビニで売っているカットした野菜みたいなやつを買って平気で出すらしいのであまり健康的ではないと思える(そのあたり、客のためなんか考えていない)のですが、「定食・ドライブイン はさま」は、おやじさんが外で白菜を洗っているのを見たので、野菜は自分の所で切って出しているようですから、少なくとも、「はなの舞」「花の舞」「炎」よりは健康的でしょう。 「はなの舞」「花の舞」「炎」「チムニー」は、たとえ、プレカット野菜が自社で野菜を切って出すより安かったとしても、それを採用するかどうかという時、値段しか考えていない、それが自分の所に食べに来てくれる客の健康にいいかどうかという視点が完全に欠落しているという点で、飲食店と言ってよいかどうか疑問に思えるところがあります。
   「定食・ドライブイン はさま」の目の前、県道船橋我孫子線(通称“ふなとり線”)に、船橋新京成バスの「吹上」バス停があります。

   下飯山満神明神社の前の道を東に進み、三叉路を北に行くと左手(道の西側)に 道祖神 の祠があります。↓
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   さらに、北に行くと、権現神社。 ↓
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↑ でも、このトラック、神職が常駐していない神社とはいえ、神社の鳥居の目の前に、もうちょっと、停め方を考えられないでしょうか・・・・・。

   この下飯山満神明神社の南東付近に、[第302回]《警察は不法侵入をしても免罪なのか?(1)  整形外科患者に思いやりのないミニパト―千葉県船橋市の警察 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201412article_1.html  で述べた、サイレンを鳴らしていないパトカーが整形外科患者への思いやりもなく不法侵入で通った船橋整形外科があり、その南側、目の前に、船橋新京成バス・習志野新京成バスの「船橋整形外科」バス停があります。
   船橋整形外科の南側をさらに東に行くと、三叉路があり、その付近に、かつては「庚申前」というバス停がありました。「船橋整形外科」というバス停に名称が変わってバス停の位置が西の船橋整形外科の前に移動して、バスの経路も変わって停車するバスの本数が増え、「庚申前」という名称のバス停はなくなりました。船橋整形外科が頑張ったのか?て感じもしないではありませんが、船橋整形外科の来院者はけっこう多いし、今は「庚申塔」はこの付近にないので、「船橋整形外科」の方がわかりやすいかもしれません。 三叉路から少し東に行った南側に塚があるのが見えるのですが、『滝口さんと 船橋の地名を歩く』によると、それは庚申塔ではなく「大日塚」という大日如来を祀るもので、今は飯山満南小学校の校庭にあるのが「庚申前」バス停があった三叉路付近にあった庚申塔のようです。 写真も撮ってきましたが、すでに字数も写真の枚数も多くなりましたので、このあたりは、できれば、稿を改めて後に述べることとします。

☆  今稿公開後、インターネット上では、
  下飯山満神明神社内の天満宮祠について
《私の天満宮 神明神社内》http://gozmez49.blog.fc2.com/blog-entry-252.html  で、
  神明神社の神楽について
《ぐるり房総Weblog》http://fshima.cocolog-nifty.com/weblog/2011/10/post-3834.html で
とりあげておられるのが見つかりました。
   (2015.3.20.)

  船橋整形外科病院と別に、それより西、「吹上」交差点の北東側に 船橋整形外科クリニック ができた際に、それまで何度も利用させてもらった・けっこうおいしかった「定食 ドライブイン はさま」は残念ながらなくなり、今ではその場所は「調剤薬局 くすりの福太郎 飯山満吹上店」になっている。
  (2023.5.22.)

☆ 冤罪を晴らす神様・菅原道真・怨念を晴らす全国お百度参り シリーズ
 千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
意富比神社 末社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
白井市(白井市河原子の)天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
千葉神社 摂社 千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html

 東京都 
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html

  神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html  
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html

 岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html

京都府
北野天満宮(京都市上京区)
 1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
  2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
  3  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
  4  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
  5  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html

大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_10.html

熊本県
山崎菅原神社(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html
船場天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html
手取天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_8.html 



≪ 83年に免田(栄)さんを取材した時のことが、忘れられない。
   脳裏に、今も焼きついているその表情。
   熊本市内で夕食を一緒に取り、帰路タクシーを拾った。後部座席で車窓に目をやっていた免田さんが、ふと思い出したように前方に顔を向けるとこう言った。
「あんた、免田って人、どう思うね?」
尋ねた相手は運転手だった。当時熊本で「免田事件」を知らない人はいない。免田さんは続けた。
「あの人は、本当は殺ってるかね、それとも無実かね?」
   ハンドルを握る運転手は、暗い後部座席の顔が見えない。まさか本人が自分の車に乗っているとは微塵も思わなかったのだろう。
「ああ、免田さんね。あん人は、本当は犯人でしょう。なんもない人が、逮捕なんかされんとですよ。まさか、死刑判決なんか出んとでしょう。今回は一応、無罪になったけど・・・・知り合いのお巡りさんも言ってたと」笑ってハンドルを廻した。
「そうね・・・・・」免田さんは、目線を膝に落とした。
人は、ここまで寂しい表情をするものなのか。
車の移動に合わせて街灯の灯りが横顔を照らし出す。かける言葉を懸命に探してみたが、まだ若かった私は、何ひとつ口にできなかった。
   車を降りてから、免田さんはぽつりと言葉を吐いた。
「あれが、みんなの本心とですよ」 ・・・・・≫
(清水 潔『殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』2013.12.20. 新潮社 ↑)

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