北道路で南玄関の家。都市型間取りと地方型間取り。家は南に向けて建てるべきか境界線に平行に建てるべきか
[第322回]
【1】かつて勤務した会社で同僚が担当した家で、分譲地のようなところで70坪くらいの敷地で北道路であるのに南玄関で作った家があった。 【2】都市型の間取りと地方型の間取りというものがある。 「大手」と言われるハウスメーカーは、実は、その多くが都市型の会社である場合が多い。 【3】都市型の間取りと地方型の間取りというものについて。 都市部では家の配置は隣地境界線と平行に配置するか道路境界線と平行に配置するかどちらかにする場合が多いが、はたしてそれでいいのか。 「南の部屋」が南を向いていなくてもいいのだろうか。 【4】世の中には、「最近の家はキッチンは対面式と決まってる」と思い込んでいるおばさんがいるらしいが、そうか? マンションのキッチンはたいてい対面式でできているが、それはなぜか。 【5】 【6】マンション住まいの人間に戸建住宅の設計をさせるとマンションみたいな間取りの戸建住宅を設計するという話がある。 北と東に道路がある北東の角地で北の道路と高低差が大きい土地では、家はどう配置して建てるべきだろうか。
この【1】~【5】について述べてみたい。 今回は、そのうち、【1】~【3】について述べ、【4】~【6】は別稿で述べる。
【1】 北道路の敷地なのに南玄関で建てる家
都市近郊では、東道路の敷地では玄関は東面か南面の東より、西道路の敷地では玄関は西面か南面の西よりに設けることが多い。 南道路では玄関は南面に設けることが多く、北道路では北面か東面の北より、西面の北よりに設けることが多い。相当広い敷地の場合、北道路で南玄関ということもありうるが、100坪未満の敷地で北道路で南玄関の家を作ることは少ない。
一般には、北道路の土地と南道路の土地では、他の条件が同じなら南道路の土地の方が評価は高く土地の値段は高い場合が多いが、南道路の土地より北道路の土地の方が南に庭を設けた場合、庭と庭に面した部屋のプライバシーを確保しやすいという有利な面もあるが、南道路の土地なら車庫スペースをそれほど考えずに家を建てても、後から車庫スペースをとりたいと思った時には南側の庭の部分を車庫にすれば良いということがあるが、北道路の土地の場合は最初から車庫のスペースを考えて家を建てないと後から車庫スペースをとるということはやりにくいという面もある。
都市近郊では北道路で南玄関というのは、相当に広い敷地でなければ、あまりやらないが、「地方」に行くと、100坪未満の分譲地でも、けっこう北道路の敷地であるが南玄関の家というものがある。 在来木造の一条工務店で、福島県の いわき市 の営業所にいた時、同僚が担当した家を見に行った時、分譲地で70坪くらいの敷地だったかと思うが、北道路の敷地で南側にまわって、南面の玄関から入るようになった家があり、北道路で南に玄関を持っていくよりも、北か北寄りの西面、北よりの東面に玄関を設けるようにした方が良かったのじゃない? と言ったところ、同僚(担当営業)は、施主の希望で、南に玄関を設けて作ってくれないならよそに頼むと言われたと述べたことがあった。
都市部で生まれ育った人間からすれば、南道路の敷地で南玄関というのはわかるが、北道路の敷地で何故、南に玄関を設けるのか、理解できないのではないかと思うが、「地方」ではそうでもない。 これは、「農家」の作りを継承しているからと思えます。
「民家」にも、実は、武家と町家(商工業者の家)と農家の3種類がある。 もともと、「玄関」というのは武家のもので農家には玄関はなかった・・と、住宅建築業界に入ってすぐの頃、住宅についての本で読んだのだ時、「玄関なしでどうやって入るの?」と素朴に思ったのだが、この場合、「玄関」というのは単に出入口という意味ではなく、「玄関」というような作りのもののことを言うのだ。 式台があったりして、迎える側は床に正座して迎えるようなそういう「玄関」のことで、アパートの入口とたいして変わらないような「玄関」のことではない。
それで、「農家」はどういう所から入っていたのかというと、農家は「玄関」というようなたいそうな入口はなく、土間があって、その横あたりに馬を飼っていたり、刈り取ってきた農作物の整理を土間でしたりできて、その土間から座敷に入ったり、座敷の南側に続く「廊下」(広縁)に入ったりしたものだ。 それで、農家の家は南からその土間に入るようになっていて、座敷の南に「廊下」(広縁)が続いていると、当然、「廊下」(広縁)も南側にあって、北側から入るという発想はなかったようなのだ。 もっとも、全国すべての「農家」を調べつくしたわけではないので、地域によっても違いはあるだろうけれども、福島県浜通り地域などは、昔からの農家の家は、道路づけがどうであるかにかかわらず、南側から入るようにできていたようだ。 但し、そういう家は敷地面積は少なくとも100坪以上はあるもので、基本的には1反歩(たんぶ)〔300坪〕くらいの土地に建てるもので、70坪くらいの最近の分譲地では、南玄関でない家も建てられてきているが、家は南から入るものという感覚が強い地域においては、100坪未満の敷地の場合、都市部以上に南道路を志向する人は多いようだ。
どちらが正しいかといっても、住む人が良ければ良いのであって、正しいも正しくないもないのだが、「地方」でも、あまり広くない敷地では、北道路の場合、あえて南玄関にしなくても良いのではないかと私は思うが、これは、私が、大阪で生まれて20歳くらいまで大阪で暮らし、20代を東京圏で暮らして、その後、福島県・栃木県・山梨県と「地方」に属する地域で暮らしてきた人間で、100%「地方」型の人間ではなく、都市型か地方型かというと都市型の思考が強いからかもしれない。
【2】 都市型の間取りと「地方」型の間取り。 町家型間取りと農家型間取り。
大学を卒業して最初に勤めた住宅建築業の会社の木質系の小堀住研(→エスバイエル→ヤマダエスバイエルホーム)の『営業知識マニュアル』という冊子には、「玄関の取り方」として、最初に述べたような、道路づけによって、北道路なら北よりに玄関を持っていくのを基本として説明がされていた。
「建築家」と言われる人の「住宅」でも、江戸東京たてもの園にある前川國男自邸は、元は東京都の上大崎、最寄駅ではJR山手線の「大崎」ではなく「目黒」の東側、東京庭園美術館(旧・朝香宮邸)の南のあたりにあったらしいが、南が下がっていく地形の敷地であったらしく、北からアプローチがあって北西部に玄関が設けられている。
小堀住研の住宅展示場は、その展示場によって、南玄関の展示場、東玄関の展示場、西玄関の展示場、北玄関の展示用と、さまざまなものが作られ、見込客は自分の敷地、自分の希望に近い展示場を見に行って検討することができた。都市部中心の住宅建築会社は、他の会社でも同様ではないだろうか。 それに対して、その後、勤めた在来木造の一条工務店の住宅展示場は、どの展示場も玄関は南だと想定した面の中央にあった。 玄関は南の中央にあって、その東側にLDK、西側に南北に2間続きの和室があるというもの、たまに、その東西が逆の展示場があり、住宅展示場の敷地が広い場合は、玄関の西の南北の2間続きの玄関よりに広縁と続きのリビングルームがあって、玄関の東にLDKか茶の間とDKという間取りの建物があったが、どこに行っても、猫も杓子も南中央玄関で、最初、入社時、どうして、この会社は、住宅展示場を性懲りもなくどれもこれも南中央玄関で建てるのかと疑問に思ったが、それは、浜松発祥で「地方」中心の会社として、「地方」の農家では基本的には玄関は南であり、「地方」型の会社で、かつ、「地方」でも武家か町家(商店、商工業者の家)か農家かというと、農家が基本として建ててきた会社として、「地方」の人間の意識として、「玄関は南」という意識・観念が相当に強いからだったのでしょう。
「昔からの家」でも町家(商店)は農家と違って、南から入るものとは決まっていない。 岐阜県高山市の「さんまち」と言われる伝統的建造物群保存地区などの家でも、日下部民藝館・吉島家住宅・宮地家住宅・松本家住宅・平田記念館は東道路で東から、飛騨民俗考古館(上田家→坂本家)は西道路で西から入るようになっている。 一条工務店の展示場がどこもかしこも猫も杓子も「南中央玄関」でできていたのは、同社が都市型ではなく「地方型」であったとともに町家型ではなく「農家型」だったのではないかと思う。
※ 宮地家住宅⇒[第285回] https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html 、
[第286回] https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
松本家住宅⇒[第284回] https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html 、
[第285回] https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html、
[第202回] https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
平田記念館⇒[第286回] https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
飛騨民俗考古館⇒[第287回] https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html 、[第288回]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html 、[第289回]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html 、[第290回] https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
もっとも、1993年に福島県いわき市の営業所に勤務してみると、一条工務店の展示場の向かいにパナホーム(ナショナル住宅産業)の展示場があったのですが、パナホームは、都市部の展示場では2間続きの和室などあまり作りませんが、いわき市の展示場はその地域の人のニーズというのか志向に合わせて、いわき ではきっちりと2間続きの和室がある展示場を建てていたので、さすがと思ったものです。 一条工務店は、「地方」で2間続き・南中央玄関で展示場を建てるのはいいのですが、東京でも、南中央玄関、2間続きの和室・・・、さらに「お母さんとお嫁さんが一緒に調理のできるシステムキッチン」とかやりますから、「何、これえ~え。 いなかくせえ~え」とか来場者に始終言われていました。(これ、言うと「一条工務店の土台を築いてきた人たち」と自称している人たちは怒るのですが、私が言ったことなら私に怒るのもわかるのですが、私が言ったのではなく私が来場客に言われたのですから、怒りたいなら言った来場客に怒ってもらいたいものです。 「そういうことを言うからいかんのだあ~あ。2間続きの和室は東京でも絶対に必要なんだあ。八寸角の大黒柱はいいに決まってるんだあ。」とか「姑と一緒に料理をするのが嫌だとかいうようなバカ嫁は言ってきかせてや~る」とかいった得意のトークをおっしゃればどうかと思います。 「ちょっと、この人、おかしいんじゃない」と思われると思いますけど・・。) 1992年に同社に入社した時、東京展示場があった江東区潮見の林野庁が運営していたウッディランド東京は、もともとが、国産材の展示施設であって、来場者も、住宅を建てようという人よりも観光施設・展示施設を見に来たという人の方が多い展示場であったこともあり、縄文時代の竪穴式住居でも見学しているような調子で、「浜松ではこういう家を今でも建てているのですかあ。へ~え」とか言って、今ではありえない昔ながらの「浜松の家」を展示しているものだとばっかり思って感心する人もありました。
〔 千葉県船橋市の東武野田線の「新船橋」駅の西のあたりに、「飛ノ台遺跡」があり、横に「飛ノ台史跡公園博物館」http://www.chiba-web.com/chibahaku/83/ があり、同博物館の中には、竪穴住居を復元したものがあって内部にも入って見ることができます。 私も見に行ったことがあるが、竪穴住居てこんなものだったのか~と思ったけれども、だからといってそれを建てて住みたいとは思わない。 検討対象外である。 東京都江東区潮見にあったウッディランド東京にあった一条工務店の東京展示場に来場した人には、まるで、竪穴住居でも見学するような感じで、「へえ~え、浜松の家て、こんな感じでできてるんですかあ~あ。やっぱり、田舎の家は都会の家とは違いますねえ」とか言う人がけっこうあった。 パナホームは東京では東京向けの間取りで建てても福島県では福島県向けの間取りで展示場を建てるのに対し、一条工務店は東京でも「浜松でいいものは東京でもいいに決まってるんだ。こんなこともわからないのか!」と言って「浜松の家」を建てていて、そして、東京の人間からは売物ではなく「浜松の家」を博物館のように展示しているものだと思われてしまっていた。〕
パナホームは東京では都市型の間取りの展示場を出すが福島県いわき市では「地方」型の間取りの展示場を作って出すのに対し、一条工務店は「浜松でいいものは東京でだっていいに決まってるんだ。 2間続きは東京でも大阪でもどこでも絶対に必要なんだ。8寸角の大黒柱は東京でもどこでも絶対にいいんだ。 20坪の敷地でも30坪の延べ床面積の建物でも2間続きの和室は絶対に必要なんだ。こんなこともわからんのか。」と名古屋市の営業所にいた「一条工務店の土台を築いてきた人たち」と自称している人たちの1人であるK藤ローオさんという営業所長がおっしゃっていた、東京の住人が聞くと、「その人、頭、おかしいんじゃないのお」「その人、酔っぱらいか何かななの」と言う思想・・・というより、もはや、そのあたりは宗教じゃないかて感じの観念のもとに、信念もって、東京で「地方」型、というより、「浜松型」の間取りの住宅展示場を建てていました。
実際には、東京の住人でも「地方とつながりのある人」というのがいます。一条工務店に入社して10年目に、私より少し前に東京展示場に在籍した浜松出身のNさんと話した際、Nさんが「私が東京の営業所にいた時も、『地方』と何らかのつながりのある人でないと、なかなか契約は取れなかったですね」と話したことがあり、なるほどと思ったことがあった。 各会社によって、その会社の「ストライクゾーン」は異なり、「ストライクゾーン」からはずれた見込客に契約していただこうと思っても難しく、「ストライクゾーン」ど真ん中の見込客は契約になりやすい。 なかなか「ストライクゾーン」ぴったりの見込客と出会えなかったとしても、できるだけ自社の「ストライクゾーン」に近い人にアプローチした方が契約になりやすく、1990年代初めの東京での一条工務店の場合、「地方となんらかのつながりのある人」と出会うことができれば、「まだしも比較的契約になりやすい人」であったわけです。
私の場合、一条工務店に入社した1992年の時点では自分自身は「地方」で暮らしたことがなかったが、同社に入社後、福島県・栃木県・山梨県と勤務してみると、「地方」出身で東京圏に行って働いている人というのがおり、そういう人には、出身地に戻って家を建てるか、東京圏で働いているのだから、今、働いている場所に通える所で家を建てるかどちらにしようかと考えている人がおり、又、定年退職後、地元の県に戻って家を建てるか、息子夫婦が東京圏にいるので、親だけ地元に戻るより息子夫婦の近くにいた方がいいと考えて東京圏で家を建てるかどちらにしようかと思案しているという人がいるのです。 そういった人の場合、出身地で建てる場合は「地方」型の間取りで建てる場合が多いが、東京圏で建てる場合は、都市型の間取りと「地方」型の間取りの折衷、外観も都市住民の好みと「地方」の志向の折衷のようなものを建てるケースが少なくないように思います。 ですから、「地方」の会社である一条工務店の東京展示場が、もしも、「地方」型と都市型の折衷様の間取りや外観の展示場になっていたのなら、それはわかるのです。 そういうニーズはありますから。 「全部取ろうとすると、全部落とす」、この層を取ろうというのを考えてやった方がうまくいきやすい。 だから、一条工務店が東京圏において、「地方とのつながりがある人」を中心に契約を取ろうとして、「『地方』型と都市型の折衷用」の展示場を建てるのなら、これはわかります。 しかし、東京圏の一条工務店の展示場はそうではなく、「モロ、『地方』型」、「モロ、浜松型」だったのです。 そして、それを言うと怒られるのでした。
私が一条工務店に入社した時、営業本部長のA野さんは、「うちの会社に慶應出身の人が来てくれるのかとびっくりした」と喜んでくれたはずで、そう思ってもらえるなら悪くないだろうとも思い、それならそういう者として貢献したいとも思ったのですが、慶應義塾の商学部出身者としては、「浜松でいいものは東京でもいいに決まってるんだ」「20坪の土地でも2間続きの和室は絶対に必要なんだ」とか言われて、「さようでございますねえ」と言うわけにはいかない。 そうではないですよ、浜松には浜松にあった間取り・デザイン、東京には東京にあった間取り・デザインというものがあり、それを理解して建てるのがプロの住宅建築業の会社というもののはずですよ、と言わないといけないはずなのです。 それを言えないようでは、慶應義塾の商学部の出身者としての値打ちはなくなってしまうのです・・・・が、言うと怒るのです。 「アタマが浜松」の人は。 「『一条工務店の土台を築いてきた』と自称している人たち」は。 しかし、「浜松でいいものは東京ででもどこでもいいに決まってんだ」と言う、東京の人間が聞くと「その人、頭、おかしいのと違うの」「酔っぱらいなの? その人」と言うような信条の人に、「さようでございますねえ。まことに誠に、浜松こそ宇宙の中心ですねえ。 太陽・月・星といった宇宙の天体はすべて浜松を中心として回転している、というのはこれは不変の真理でございますねえ」と言えば喜ぶのかもしれないけれども、たとえ、怒られても、そんなこと言うわけにはいかないのです。
一条工務店に入社して5年目くらいに、どうも、一条工務店という会社は、私もそうですが、「一流大学」出身者を採用したがるわりに、採用してもそれを生かそうという姿勢がないと思え、「一条工務店の経営者は『一流大学』出身者を採用したがるわりに、それを生かそう使おうという姿勢がないように思えるのですが、そういう人間を採用したいのか採用したくないのか、いったい、どちらなのでしょうねえ」と、けっこう古くから同社にいる某さんに話してみたところ、某さんが言うには、「採用したいんですよ。採用した上で、冷や飯、食わせて腐らせて、それで、『あんな、大学だめだ』と言いたいんですよ。 高卒の社長とか高卒や中卒の経営者の考えることなんて、そんなものでしょ。決まってるじゃないですか。」ということだった。 言われてみれば、私の扱いだって、そんな感じだった。 そういう会社に11年もいて、「永年勤続表彰」までもらった私はえらいかアホかというと・・・・・、よく我慢したなと思うと、エライかどうかはともかく、よく頑張ったなと思うが・・・、しかし、アホでないかいうと、アホでないとは言い難いかもしれない・・・・・・。
【3】 家は南側の部屋が真南に向くように建てるべきか、隣地境界線か道路境界線に平行に配置して建てるべきか。
「家相」を考える際、「北」「南」「東」「西」という方角は、真北(しんぼく)を基に考えるべきなのか、磁北(じほく)を基に考えるべきなのか。 それとも、道路境界線か隣地境界線と平行に配置することを考えて、その上で北側と設定した側を「北」と想定して考えるべきなのか。 これは、よく議論の対象として取り上げられる問題です。 磁石の指す「北」が「磁北(じほく)」で、実際の北 というのか、地図上の北というのかを「真北」(しんぼく)と言い、磁北(じほく)は真北(しんぼく)よりも約6度ずれているのです。
「家相の専門家」と言われる人の本を読むと、基本的には磁北を基準として考えるべきだと書かれているものが多い。 地球は磁北の方角に磁力線が流れているという考え方があるそうで、「北枕」で寝るのは、磁力の向きに頭を向けて寝るので健康にいい、と家相の本にはたいてい書かれているのです。 北は神聖な方位とされているということもあるかもしれません。 しかし、お施主様によっては「北枕」は良くないと言うと避けたいと言われる方もけっこうあります。 釈迦が入滅した時、北を頭にしていたところからきた話らしいのですが、北を頭にするのは基本的には吉相の家相とされているようです。
さらに、家相のことを言いますと、建築屋は、家相は尊重したいと言われるお施主様のためを思って、真北を基に考えるべきか磁北を基に考えるべきか、ここは磁北を基に考えて、鬼門方位は北東方位15度と考えて、45度も鬼門方位をとってしまったのでは何もできなくなってしまうから、15度にさせてもらって、この配置ならまず悪くないであろう・・・とか考えて考えてプランニングをやるのですが、お施主様から、「家相の専門家」の所に一緒に行ってほしいと言われて行ったことがありますが、ある「家相の専門家」は、「私は、今まで、こういったものを何千軒と見てきたから、パッと一目 見ただけで、これはいい、これはだめとすぐにわかる」とかのたまわれまして、それで、定規すら当てずに、「これ、だめ」「これ、だめ」とか、ひとが苦労して苦労して作った間取りを、情け容赦なく、「だめ」「だめ」とおっしゃいまして、それで、だめならどうしろと言われるのかと言いますと、「このあたりを考えて、作り直してください」とか言うのです。 なんだよ、自分は、「だめ」「だめ」と言うばかりで、作り直すのはこっちかよお。 まったく・・・。 で、苦労して苦労してプランニングをやっているこっちは、たいして高い給料もらってないんです。 それに対して、「だめ」「だめ」とか言うだけのおっさんは、それだけで、けっこう高い報酬とるんですよ。 ええ、仕事やなあ・・・・、ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ・・・・て感じ。
それはそれといたしまして。 道路がちょうど南西にあるという敷地なんかの場合、分譲地でしばらくして見に行ってみますと、その道路を南だという前提で建てた家とその道路が西だという前提で建てた家が混在していたりするのを見ることがあります。 それらは、家は道路との境界線に平行に配置するのが妥当と考えて建てられたものでしょう。
小堀住研にいた時、千葉県茂原市で建てていただいた方のお父さんが、南に向けてというのか、実際の方角の東西の線、南北の線に合わせて家を配置してほしいと希望されたことがありました。 「南向き」の部屋はすべての部屋が実際の南を向くようにしてほしいと。 それに対して、小堀住研の千葉支店の設計課長の I さんは、「それはおかしいよ。 よっぽど広い敷地なら、方角の南に向けて建てる家もあるかもしれないけれども、何十坪というくらいの住宅都市整備公団の分譲地で、そういう建て方をする家はないよ。 普通は、道路との境界線に平行に配置するか、それとも隣地との境界線と平行に配置するか、どちらかだよ。 実際の方角に合わせて南側の部屋はすべて真南を向くように配置するというのでは、隣地との境界のあたりに無駄なスペースもできて効率的じゃないし。 普通に、道を歩いて経っている家を見ても、たいてい、道路との境界と平行に配置されているか、隣地との境界と平行に配置されているか、どちらかだろう。 何十坪というくらいの敷地でそんなことしたら変だよ」と言い、結局、真南まで向けないが、隣地との境界線に平行ではなく、それよりいくらか真南向きに近いように配置して建てたということがありました。 その頃、私も、その千葉支店の設計課長の I さんと同じように思っていたのです。
しかし、今、思うと、あの小堀住研の設計課長の I さんの感覚は、「都市型」の感覚だったように思うのです。 木質系の小堀住研の後、在来木造の一条工務店に勤め、同じ木質系なので競合になることはけっこう多いかと思うとそうではなく、木質系でもタイプが異なり、小堀住研が都市型のハウスメーカーであるのに対して、一条工務店は「地方」型の会社で、顧客も一条工務店は「地方」型の人が多かったのです。 東京展示場の来場者にしても、「観光客」は別として、住宅の建築を考える人には、一条工務店を検討してくれる人には千葉県でも千葉市より東・南の人が多く、そして、兼業農家が多かったのです。 小堀住研にいた時には、見込客は会社員・公務員・教員・自営業者などで、農家が小堀の家を検討してくれるということはほとんどなかったのに対し、一条工務店は東京圏の純粋な会社員は厳しく、兼業農家に検討してもらえる可能性がある会社でした。 そういう方と接すると、「家を建てるに際して、配置を道路境界線と平行にするか、隣地境界線と平行にするかのどちらかの配置にするのではなく、南面の部屋をすべて真南に向くように配置する」というのは、そんなにおかしなことではなく、かつ、昔からの農家の土地、基本的には1反歩(いったんぶ)[300坪]以上ある土地に建てる場合についてだけでなく、たとえ、分譲地の土地で100坪未満の土地に建てる場合でも、この考え方をとるというのは、十分、ありうることだったのです。
50坪前後、あるいは、50坪未満の土地で、「建物の配置を道路境界線と平行か隣地境界線と平行ではなく、南面の部屋がすべて真南を向くように配置」してしまうと、境界との間に三角形の空いたスペースができ、庭が分散されて、1か所に集めればそれなりに庭として使えるものが庭として使えなくなってしまう可能性があります。 又、周囲の家が道路境界線と平行に建てるか隣地境界線と平行に建てるかしている家が多いのに、自分の所だけ南面の部屋が真南を向くようにという建て方をすると、周囲とアンバランスな印象を与える場合もあるでしょう。 しかし、それは都市部の人間の感覚・意識であって、「地方」に行くと、たとえ、分譲地のような敷地で、何十坪くらいの建築地であっても、家は南面の部屋が真南を向くように建てるものだ、という認識・感覚はあるのです。 これは、【1】で述べた 北道路の敷地であれば、北面か東面・西面の北よりに玄関は設けた方が便利、使いやすい間取りができる・・・・はずですが、それは都市型の発想で、「地方」では、そういう考え方もあるけれども、そうであっても、「それほど広くない敷地で北道路であっても玄関は南面に設けるものだ」という発想もあるのと同じく、「それほど広くない敷地でも、道路境界線と平行か隣地境界線と平行に配置するのではなく、南面の部屋が真南を向くように配置する」という考え方はあるのです。
それが正しいか間違っているかと言っても、建てて住む人がいいと思うならそれがいいのであって、絶対にどちらが正しいとか間違っているとかいうものはないのです。 但し、建築屋としては、道路境界線と平行か隣地境界線と平行ではなく南面の部屋が真南を向くように配置してほしいという希望があった場合で敷地がそれほど広くない場合は、その建て方をすると、周囲に無駄なスペースが多くなって有効に使える庭が狭くなってしまいますよ、ということは、ともかく説明はするべきで、きっちりと説明する方が良心的です。
しかし、小堀住研の千葉支店の設計課長だった I さんにはいろいろと教えてもらったのではあるのですが、南面の部屋が真南に向くように配置して建てるというのは、よっぽど広い敷地でならあっても、分譲地のようなところで、それほど広くない敷地では、道路境界線と平行か隣地境界線と平行に建てるのが普通で、南面の部屋が真南を向くような配置にするというのはおかしい、そんなことは普通はしないものだ、という I さんの認識は「都市型」の認識で、「地方」型の家をそれほど見ていない人の認識だったように、「地方型」の一条工務店で福島県・栃木県・山梨県に勤めてその地域の家を見てその地域の人たちと話してきた経験を持った今では思います。 I さんの認識は「都市型」の認識で「地方型」の考え方の人がどう考えるかという点を十分にわかっていなかったのではないかという感じがします。
福島県でも、昔からの農家は南の部屋を真南に向けて建てるという建て方をしている所が多くても、分譲地のような所で何十坪というくらいの土地に建てる場合は、さすがに、南側の部屋を真南に向けて建てるのではなく、道路境界線と平行に建てるか隣地境界線と平行に建てるかしている家の方が多かったように思います。 しかし、東京近郊で建てる場合でも東北で建てる場合でも、「道路境界線と平行か隣地境界線と平行に建てるのが常識」というように決めつけるのは良いとは思いません。 「南の部屋」というのは、南に向いているのが基本で、南に向いていない「南の部屋」というのはおかしいのです。 南の部屋を真南に向ける配置とすると、敷地境界との間に不整形で無駄な空間が多くできてしまうというのなら、折衷案として、「真南までは行かないが、敷地境界線と平行・道路境界線と平行よりもいくらか真南にに近い方に向ける」という選択肢もありうる。 敷地境界線との間に三角形の空きができてしまうというなら、その部分を植栽スペースにするという方法もある。
1960年代後半、私が小学生のころ、「クーラー」というものが登場し、これはすごいものができたと感心していたのですが、それまではクーラーなんてなかった。 そして、「セントラルヒーティング」という言葉がその頃、登場した。 それまで、暖房は石油ストーブかガスストーブか、さもなくば、炬燵だった。 最近ではエアコンを使うのがあたりまえのように思っている人がいる。 ひとつにはマンションというものができたことにより、せっかく、戸建住宅に住んでもマンションと同じような住み方をする人がいるようだ。 マンションというものを、建築中、コンクリートの躯体だけくらいの時に、一度、見に行って見るといいと思う。 よく、こんなものに住むと思う。〔私は、鉄筋コンクリート造のマンションの建築工事に「施工管理」という名目の仕事で勤務した経験があるので見ている。〕 北側に通路があって南側にベランダがある部屋だと、南の部屋はいいとして、北側は通路を通してわずかに光が入るだけで、中ほどは人工照明でしか光は採れない。 戸建住宅なら2方向に窓を取って風が通り抜けるようにできるところをマンションではそれができない。 だから、戸建住宅なら必要でないエアコンと人工照明がマンションでは必需品になっている。 それに慣れた人が戸建住宅を建てると「マンションみたいな戸建住宅」を建ててしまうことがある。 施主の中にそういう人がいた場合でも、プロの建築屋は適切にアドバイスして戸建ならではの良さを発揮した家を建てるべきだがそういう能力のない、「マンションみたいな戸建住宅」しか建てる能力のない建築屋従業員もいる。 エアコンがかつてより需要が多くなった、かつては、エアコンはあれば便利ではあるが、なくても生活できたはずだが、最近、あるのが普通のように思っている人が増えたのは、ひとつには住宅の建て方が自然の通風と採光を十分に考えずに配置して建てられている住宅が増えたからではないかという気がする。マンションで窓から遠い部分で人工照明が昼間から必要というのはしかたがないかもしれないが、戸建住宅で昼間から人工照明で暮らしているというのは本来はおかしい。
戸建住宅を建てる場合、家の内部の間取りばかり考えるのではなく、敷地の中でどのように配置するかという「間取り」も考えてみるべきだ。 隣地・隣家との間にある程度の空きがあれば風も入るが空きがなければ窓があっても風はあまり入らない。 隣地境界線との間の空きは無駄な空間というわけではない。 そして、窓があればいいというものではなく、その窓はどの方角を向いているかということも考えてみるべきだ。 その際、「地方の農家では『南の部屋』は南に向いている」ということを再確認するべきだと思うのだ。 家は隣地境界線か道路境界線と平行に建てるのが常識で「南の部屋」が南に向いていないのを普通だと思う感覚は好ましい感覚ではないと思う。 最終的にどうするかはさておき、「『南の部屋』は南を向いているのが本来だ」ということをもう一度、思い出した上で間取りを考えるべきだと思う。 そういえば、小堀住研の千葉支店の設計課長だった I さんもマンション住まいだったと聞いた。 マンションは自分の部屋の内部は専有部分として好きに模様替えができるがマンションの建物自体の配置は購入する時点で決まっていて変えることはできないから、それに慣れてしまった人は、建物の配置というものに無頓着になりがちかもしれない。 小堀の千葉支店の設計課長だった I さんにはいろいろと教えてもらったし、私が担当のお客さまの図面の作成には尽力してもらったが、私自身がその頃の I さんよりも住宅建築業の仕事としての経験年数が長くなった今、都市近郊の分譲地で敷地面積が50坪程度というような所で建てる場合には、結果としては、「南の部屋を真南に向けて配置する」より「隣地境界線か道路境界線と平行に建てる」という方を選択する場合が多いと思うし、それはやむをえないことだと思うが、しかし、「南の部屋」が南を向いていないというのは、それは「常識」とか「当たり前」とかではないもので、この点は再認識する必要があり、I さんにも、そのあたりの点については認識が十分とはいえなかったかもしれないと思えるところを今は感じる。
【4】世の中には、「最近の家はキッチンは対面式と決まってる」と思い込んでいるおばさんがいるらしいが、そうか? マンションのキッチンはたいてい対面式でできているが、それはなぜか。 【5】 マンション住まいの人間に戸建住宅の設計をさせるとマンションみたいな間取りの戸建住宅を設計するという話がある。 北と東に道路がある北東の角地で北の道路と高低差が大きい土地では、家はどう配置して建てるべきだろうか・・という2つは、別稿で述べます。 乞う、ご期待。
上記、【1】~【3】は、私は実際に都市型の住宅建築会社と地方型の住宅建築会社、都市部と「地方」に勤務して実際に顧客と接し、様々な方とお話をして体験して身につけてきた認識です。 一条工務店に入社して1年目、千葉県長生郡長生村の兼業農家のお宅におじゃました帰り、夜、農村部の道で回りを見て、この会社に入らなければ、ここに来ることはなかっただろうなと思ったことがありました。 そのお宅の前の道は公道ですから、法的には誰が歩こうが自由ではあるのですが、法的にはそうであっても、千葉県の外房地域でも、観光地でも名所旧跡でも何でもない完全な農村部には、一条工務店の営業でもなければ、会社員の息子として生まれた人間が行くことはなかったでしょう。 地方型の会社で経験を積んでも、都市型の会社に変わった場合には、その経験は役に立たないだろうかとも思ったのですが、実際にはそうでもない。 地方型の発想と都市型の発想の両方を持っている者はそうでない者との違いは大きく、↑で述べたように、小堀住研の設計課長をやっていた人でも、地方型の発想を理解できなかったが、私はわかる。
千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)[建設業]・ビルダーズジャパン(株)[不動産業]・ジャムズグローバルスクエア(株)[不明業]で「工事責任者」を自称しながら工事に責任ある態度をとっていなかった、ビルダーズジャパン(株)で取締役になっていたU草A二(男。30代なかば、当時)が、「ぼく、営業やったことないですけど、営業できますから」としばしば大きな声で傍若無人に口にしていたのだが、ここで【1】~【3】で述べた認識は経験してこそ実感として理解できるもので、「やったことない」者が簡単に理解できるとは考えにくい。 営業は経験を積んで営業になっていくはずだ。 こういう仕事に対する謙虚さ・誠実さの欠如した男というのは、どうしたものだろう。 「『建売大工』なんて、そんなものだ」と考えるべきなのか・・・。 「建売大工」をやっている人でも、すべての人がこの調子でもないようにも思うのだが・・・。
(2015.3.28.)
☆ 「戸建住宅の敷地内での家の配置と間取りの取り方」及び「マンション住民の人間にわかりにくい戸建住宅の特徴」シリーズ
1.[第322回]《北道路で南玄関の家。都市型間取りと地方型間取り。家は南に向けて建てるべきか境界線に平行に建てるべきか 》 今回。
2.[第325回] 《なぜマンションのキッチンは対面式か。「最近はキッチンは対面式と決まってる」か?》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_3.html
3.[第326回] 《マンション住民は、戸建住宅のどういうところを理解できないか。軒・庇の必要性。軒の出は配置図の基礎。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_4.html
に続き、
4.[第327回]《マンション住人による奇妙な戸建住宅。 戸建の会社の社長は戸建に住むべきではないか》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_5.html
【1】かつて勤務した会社で同僚が担当した家で、分譲地のようなところで70坪くらいの敷地で北道路であるのに南玄関で作った家があった。 【2】都市型の間取りと地方型の間取りというものがある。 「大手」と言われるハウスメーカーは、実は、その多くが都市型の会社である場合が多い。 【3】都市型の間取りと地方型の間取りというものについて。 都市部では家の配置は隣地境界線と平行に配置するか道路境界線と平行に配置するかどちらかにする場合が多いが、はたしてそれでいいのか。 「南の部屋」が南を向いていなくてもいいのだろうか。 【4】世の中には、「最近の家はキッチンは対面式と決まってる」と思い込んでいるおばさんがいるらしいが、そうか? マンションのキッチンはたいてい対面式でできているが、それはなぜか。 【5】 【6】マンション住まいの人間に戸建住宅の設計をさせるとマンションみたいな間取りの戸建住宅を設計するという話がある。 北と東に道路がある北東の角地で北の道路と高低差が大きい土地では、家はどう配置して建てるべきだろうか。
この【1】~【5】について述べてみたい。 今回は、そのうち、【1】~【3】について述べ、【4】~【6】は別稿で述べる。
【1】 北道路の敷地なのに南玄関で建てる家
都市近郊では、東道路の敷地では玄関は東面か南面の東より、西道路の敷地では玄関は西面か南面の西よりに設けることが多い。 南道路では玄関は南面に設けることが多く、北道路では北面か東面の北より、西面の北よりに設けることが多い。相当広い敷地の場合、北道路で南玄関ということもありうるが、100坪未満の敷地で北道路で南玄関の家を作ることは少ない。
一般には、北道路の土地と南道路の土地では、他の条件が同じなら南道路の土地の方が評価は高く土地の値段は高い場合が多いが、南道路の土地より北道路の土地の方が南に庭を設けた場合、庭と庭に面した部屋のプライバシーを確保しやすいという有利な面もあるが、南道路の土地なら車庫スペースをそれほど考えずに家を建てても、後から車庫スペースをとりたいと思った時には南側の庭の部分を車庫にすれば良いということがあるが、北道路の土地の場合は最初から車庫のスペースを考えて家を建てないと後から車庫スペースをとるということはやりにくいという面もある。
都市近郊では北道路で南玄関というのは、相当に広い敷地でなければ、あまりやらないが、「地方」に行くと、100坪未満の分譲地でも、けっこう北道路の敷地であるが南玄関の家というものがある。 在来木造の一条工務店で、福島県の いわき市 の営業所にいた時、同僚が担当した家を見に行った時、分譲地で70坪くらいの敷地だったかと思うが、北道路の敷地で南側にまわって、南面の玄関から入るようになった家があり、北道路で南に玄関を持っていくよりも、北か北寄りの西面、北よりの東面に玄関を設けるようにした方が良かったのじゃない? と言ったところ、同僚(担当営業)は、施主の希望で、南に玄関を設けて作ってくれないならよそに頼むと言われたと述べたことがあった。
都市部で生まれ育った人間からすれば、南道路の敷地で南玄関というのはわかるが、北道路の敷地で何故、南に玄関を設けるのか、理解できないのではないかと思うが、「地方」ではそうでもない。 これは、「農家」の作りを継承しているからと思えます。
「民家」にも、実は、武家と町家(商工業者の家)と農家の3種類がある。 もともと、「玄関」というのは武家のもので農家には玄関はなかった・・と、住宅建築業界に入ってすぐの頃、住宅についての本で読んだのだ時、「玄関なしでどうやって入るの?」と素朴に思ったのだが、この場合、「玄関」というのは単に出入口という意味ではなく、「玄関」というような作りのもののことを言うのだ。 式台があったりして、迎える側は床に正座して迎えるようなそういう「玄関」のことで、アパートの入口とたいして変わらないような「玄関」のことではない。
それで、「農家」はどういう所から入っていたのかというと、農家は「玄関」というようなたいそうな入口はなく、土間があって、その横あたりに馬を飼っていたり、刈り取ってきた農作物の整理を土間でしたりできて、その土間から座敷に入ったり、座敷の南側に続く「廊下」(広縁)に入ったりしたものだ。 それで、農家の家は南からその土間に入るようになっていて、座敷の南に「廊下」(広縁)が続いていると、当然、「廊下」(広縁)も南側にあって、北側から入るという発想はなかったようなのだ。 もっとも、全国すべての「農家」を調べつくしたわけではないので、地域によっても違いはあるだろうけれども、福島県浜通り地域などは、昔からの農家の家は、道路づけがどうであるかにかかわらず、南側から入るようにできていたようだ。 但し、そういう家は敷地面積は少なくとも100坪以上はあるもので、基本的には1反歩(たんぶ)〔300坪〕くらいの土地に建てるもので、70坪くらいの最近の分譲地では、南玄関でない家も建てられてきているが、家は南から入るものという感覚が強い地域においては、100坪未満の敷地の場合、都市部以上に南道路を志向する人は多いようだ。
どちらが正しいかといっても、住む人が良ければ良いのであって、正しいも正しくないもないのだが、「地方」でも、あまり広くない敷地では、北道路の場合、あえて南玄関にしなくても良いのではないかと私は思うが、これは、私が、大阪で生まれて20歳くらいまで大阪で暮らし、20代を東京圏で暮らして、その後、福島県・栃木県・山梨県と「地方」に属する地域で暮らしてきた人間で、100%「地方」型の人間ではなく、都市型か地方型かというと都市型の思考が強いからかもしれない。
【2】 都市型の間取りと「地方」型の間取り。 町家型間取りと農家型間取り。
大学を卒業して最初に勤めた住宅建築業の会社の木質系の小堀住研(→エスバイエル→ヤマダエスバイエルホーム)の『営業知識マニュアル』という冊子には、「玄関の取り方」として、最初に述べたような、道路づけによって、北道路なら北よりに玄関を持っていくのを基本として説明がされていた。
「建築家」と言われる人の「住宅」でも、江戸東京たてもの園にある前川國男自邸は、元は東京都の上大崎、最寄駅ではJR山手線の「大崎」ではなく「目黒」の東側、東京庭園美術館(旧・朝香宮邸)の南のあたりにあったらしいが、南が下がっていく地形の敷地であったらしく、北からアプローチがあって北西部に玄関が設けられている。
小堀住研の住宅展示場は、その展示場によって、南玄関の展示場、東玄関の展示場、西玄関の展示場、北玄関の展示用と、さまざまなものが作られ、見込客は自分の敷地、自分の希望に近い展示場を見に行って検討することができた。都市部中心の住宅建築会社は、他の会社でも同様ではないだろうか。 それに対して、その後、勤めた在来木造の一条工務店の住宅展示場は、どの展示場も玄関は南だと想定した面の中央にあった。 玄関は南の中央にあって、その東側にLDK、西側に南北に2間続きの和室があるというもの、たまに、その東西が逆の展示場があり、住宅展示場の敷地が広い場合は、玄関の西の南北の2間続きの玄関よりに広縁と続きのリビングルームがあって、玄関の東にLDKか茶の間とDKという間取りの建物があったが、どこに行っても、猫も杓子も南中央玄関で、最初、入社時、どうして、この会社は、住宅展示場を性懲りもなくどれもこれも南中央玄関で建てるのかと疑問に思ったが、それは、浜松発祥で「地方」中心の会社として、「地方」の農家では基本的には玄関は南であり、「地方」型の会社で、かつ、「地方」でも武家か町家(商店、商工業者の家)か農家かというと、農家が基本として建ててきた会社として、「地方」の人間の意識として、「玄関は南」という意識・観念が相当に強いからだったのでしょう。
「昔からの家」でも町家(商店)は農家と違って、南から入るものとは決まっていない。 岐阜県高山市の「さんまち」と言われる伝統的建造物群保存地区などの家でも、日下部民藝館・吉島家住宅・宮地家住宅・松本家住宅・平田記念館は東道路で東から、飛騨民俗考古館(上田家→坂本家)は西道路で西から入るようになっている。 一条工務店の展示場がどこもかしこも猫も杓子も「南中央玄関」でできていたのは、同社が都市型ではなく「地方型」であったとともに町家型ではなく「農家型」だったのではないかと思う。
※ 宮地家住宅⇒[第285回] https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html 、
[第286回] https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
松本家住宅⇒[第284回] https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html 、
[第285回] https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html、
[第202回] https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
平田記念館⇒[第286回] https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
飛騨民俗考古館⇒[第287回] https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html 、[第288回]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html 、[第289回]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html 、[第290回] https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
もっとも、1993年に福島県いわき市の営業所に勤務してみると、一条工務店の展示場の向かいにパナホーム(ナショナル住宅産業)の展示場があったのですが、パナホームは、都市部の展示場では2間続きの和室などあまり作りませんが、いわき市の展示場はその地域の人のニーズというのか志向に合わせて、いわき ではきっちりと2間続きの和室がある展示場を建てていたので、さすがと思ったものです。 一条工務店は、「地方」で2間続き・南中央玄関で展示場を建てるのはいいのですが、東京でも、南中央玄関、2間続きの和室・・・、さらに「お母さんとお嫁さんが一緒に調理のできるシステムキッチン」とかやりますから、「何、これえ~え。 いなかくせえ~え」とか来場者に始終言われていました。(これ、言うと「一条工務店の土台を築いてきた人たち」と自称している人たちは怒るのですが、私が言ったことなら私に怒るのもわかるのですが、私が言ったのではなく私が来場客に言われたのですから、怒りたいなら言った来場客に怒ってもらいたいものです。 「そういうことを言うからいかんのだあ~あ。2間続きの和室は東京でも絶対に必要なんだあ。八寸角の大黒柱はいいに決まってるんだあ。」とか「姑と一緒に料理をするのが嫌だとかいうようなバカ嫁は言ってきかせてや~る」とかいった得意のトークをおっしゃればどうかと思います。 「ちょっと、この人、おかしいんじゃない」と思われると思いますけど・・。) 1992年に同社に入社した時、東京展示場があった江東区潮見の林野庁が運営していたウッディランド東京は、もともとが、国産材の展示施設であって、来場者も、住宅を建てようという人よりも観光施設・展示施設を見に来たという人の方が多い展示場であったこともあり、縄文時代の竪穴式住居でも見学しているような調子で、「浜松ではこういう家を今でも建てているのですかあ。へ~え」とか言って、今ではありえない昔ながらの「浜松の家」を展示しているものだとばっかり思って感心する人もありました。
〔 千葉県船橋市の東武野田線の「新船橋」駅の西のあたりに、「飛ノ台遺跡」があり、横に「飛ノ台史跡公園博物館」http://www.chiba-web.com/chibahaku/83/ があり、同博物館の中には、竪穴住居を復元したものがあって内部にも入って見ることができます。 私も見に行ったことがあるが、竪穴住居てこんなものだったのか~と思ったけれども、だからといってそれを建てて住みたいとは思わない。 検討対象外である。 東京都江東区潮見にあったウッディランド東京にあった一条工務店の東京展示場に来場した人には、まるで、竪穴住居でも見学するような感じで、「へえ~え、浜松の家て、こんな感じでできてるんですかあ~あ。やっぱり、田舎の家は都会の家とは違いますねえ」とか言う人がけっこうあった。 パナホームは東京では東京向けの間取りで建てても福島県では福島県向けの間取りで展示場を建てるのに対し、一条工務店は東京でも「浜松でいいものは東京でもいいに決まってるんだ。こんなこともわからないのか!」と言って「浜松の家」を建てていて、そして、東京の人間からは売物ではなく「浜松の家」を博物館のように展示しているものだと思われてしまっていた。〕
パナホームは東京では都市型の間取りの展示場を出すが福島県いわき市では「地方」型の間取りの展示場を作って出すのに対し、一条工務店は「浜松でいいものは東京でだっていいに決まってるんだ。 2間続きは東京でも大阪でもどこでも絶対に必要なんだ。8寸角の大黒柱は東京でもどこでも絶対にいいんだ。 20坪の敷地でも30坪の延べ床面積の建物でも2間続きの和室は絶対に必要なんだ。こんなこともわからんのか。」と名古屋市の営業所にいた「一条工務店の土台を築いてきた人たち」と自称している人たちの1人であるK藤ローオさんという営業所長がおっしゃっていた、東京の住人が聞くと、「その人、頭、おかしいんじゃないのお」「その人、酔っぱらいか何かななの」と言う思想・・・というより、もはや、そのあたりは宗教じゃないかて感じの観念のもとに、信念もって、東京で「地方」型、というより、「浜松型」の間取りの住宅展示場を建てていました。
実際には、東京の住人でも「地方とつながりのある人」というのがいます。一条工務店に入社して10年目に、私より少し前に東京展示場に在籍した浜松出身のNさんと話した際、Nさんが「私が東京の営業所にいた時も、『地方』と何らかのつながりのある人でないと、なかなか契約は取れなかったですね」と話したことがあり、なるほどと思ったことがあった。 各会社によって、その会社の「ストライクゾーン」は異なり、「ストライクゾーン」からはずれた見込客に契約していただこうと思っても難しく、「ストライクゾーン」ど真ん中の見込客は契約になりやすい。 なかなか「ストライクゾーン」ぴったりの見込客と出会えなかったとしても、できるだけ自社の「ストライクゾーン」に近い人にアプローチした方が契約になりやすく、1990年代初めの東京での一条工務店の場合、「地方となんらかのつながりのある人」と出会うことができれば、「まだしも比較的契約になりやすい人」であったわけです。
私の場合、一条工務店に入社した1992年の時点では自分自身は「地方」で暮らしたことがなかったが、同社に入社後、福島県・栃木県・山梨県と勤務してみると、「地方」出身で東京圏に行って働いている人というのがおり、そういう人には、出身地に戻って家を建てるか、東京圏で働いているのだから、今、働いている場所に通える所で家を建てるかどちらにしようかと考えている人がおり、又、定年退職後、地元の県に戻って家を建てるか、息子夫婦が東京圏にいるので、親だけ地元に戻るより息子夫婦の近くにいた方がいいと考えて東京圏で家を建てるかどちらにしようかと思案しているという人がいるのです。 そういった人の場合、出身地で建てる場合は「地方」型の間取りで建てる場合が多いが、東京圏で建てる場合は、都市型の間取りと「地方」型の間取りの折衷、外観も都市住民の好みと「地方」の志向の折衷のようなものを建てるケースが少なくないように思います。 ですから、「地方」の会社である一条工務店の東京展示場が、もしも、「地方」型と都市型の折衷様の間取りや外観の展示場になっていたのなら、それはわかるのです。 そういうニーズはありますから。 「全部取ろうとすると、全部落とす」、この層を取ろうというのを考えてやった方がうまくいきやすい。 だから、一条工務店が東京圏において、「地方とのつながりがある人」を中心に契約を取ろうとして、「『地方』型と都市型の折衷用」の展示場を建てるのなら、これはわかります。 しかし、東京圏の一条工務店の展示場はそうではなく、「モロ、『地方』型」、「モロ、浜松型」だったのです。 そして、それを言うと怒られるのでした。
私が一条工務店に入社した時、営業本部長のA野さんは、「うちの会社に慶應出身の人が来てくれるのかとびっくりした」と喜んでくれたはずで、そう思ってもらえるなら悪くないだろうとも思い、それならそういう者として貢献したいとも思ったのですが、慶應義塾の商学部出身者としては、「浜松でいいものは東京でもいいに決まってるんだ」「20坪の土地でも2間続きの和室は絶対に必要なんだ」とか言われて、「さようでございますねえ」と言うわけにはいかない。 そうではないですよ、浜松には浜松にあった間取り・デザイン、東京には東京にあった間取り・デザインというものがあり、それを理解して建てるのがプロの住宅建築業の会社というもののはずですよ、と言わないといけないはずなのです。 それを言えないようでは、慶應義塾の商学部の出身者としての値打ちはなくなってしまうのです・・・・が、言うと怒るのです。 「アタマが浜松」の人は。 「『一条工務店の土台を築いてきた』と自称している人たち」は。 しかし、「浜松でいいものは東京ででもどこでもいいに決まってんだ」と言う、東京の人間が聞くと「その人、頭、おかしいのと違うの」「酔っぱらいなの? その人」と言うような信条の人に、「さようでございますねえ。まことに誠に、浜松こそ宇宙の中心ですねえ。 太陽・月・星といった宇宙の天体はすべて浜松を中心として回転している、というのはこれは不変の真理でございますねえ」と言えば喜ぶのかもしれないけれども、たとえ、怒られても、そんなこと言うわけにはいかないのです。
一条工務店に入社して5年目くらいに、どうも、一条工務店という会社は、私もそうですが、「一流大学」出身者を採用したがるわりに、採用してもそれを生かそうという姿勢がないと思え、「一条工務店の経営者は『一流大学』出身者を採用したがるわりに、それを生かそう使おうという姿勢がないように思えるのですが、そういう人間を採用したいのか採用したくないのか、いったい、どちらなのでしょうねえ」と、けっこう古くから同社にいる某さんに話してみたところ、某さんが言うには、「採用したいんですよ。採用した上で、冷や飯、食わせて腐らせて、それで、『あんな、大学だめだ』と言いたいんですよ。 高卒の社長とか高卒や中卒の経営者の考えることなんて、そんなものでしょ。決まってるじゃないですか。」ということだった。 言われてみれば、私の扱いだって、そんな感じだった。 そういう会社に11年もいて、「永年勤続表彰」までもらった私はえらいかアホかというと・・・・・、よく我慢したなと思うと、エライかどうかはともかく、よく頑張ったなと思うが・・・、しかし、アホでないかいうと、アホでないとは言い難いかもしれない・・・・・・。
【3】 家は南側の部屋が真南に向くように建てるべきか、隣地境界線か道路境界線に平行に配置して建てるべきか。
「家相」を考える際、「北」「南」「東」「西」という方角は、真北(しんぼく)を基に考えるべきなのか、磁北(じほく)を基に考えるべきなのか。 それとも、道路境界線か隣地境界線と平行に配置することを考えて、その上で北側と設定した側を「北」と想定して考えるべきなのか。 これは、よく議論の対象として取り上げられる問題です。 磁石の指す「北」が「磁北(じほく)」で、実際の北 というのか、地図上の北というのかを「真北」(しんぼく)と言い、磁北(じほく)は真北(しんぼく)よりも約6度ずれているのです。
「家相の専門家」と言われる人の本を読むと、基本的には磁北を基準として考えるべきだと書かれているものが多い。 地球は磁北の方角に磁力線が流れているという考え方があるそうで、「北枕」で寝るのは、磁力の向きに頭を向けて寝るので健康にいい、と家相の本にはたいてい書かれているのです。 北は神聖な方位とされているということもあるかもしれません。 しかし、お施主様によっては「北枕」は良くないと言うと避けたいと言われる方もけっこうあります。 釈迦が入滅した時、北を頭にしていたところからきた話らしいのですが、北を頭にするのは基本的には吉相の家相とされているようです。
さらに、家相のことを言いますと、建築屋は、家相は尊重したいと言われるお施主様のためを思って、真北を基に考えるべきか磁北を基に考えるべきか、ここは磁北を基に考えて、鬼門方位は北東方位15度と考えて、45度も鬼門方位をとってしまったのでは何もできなくなってしまうから、15度にさせてもらって、この配置ならまず悪くないであろう・・・とか考えて考えてプランニングをやるのですが、お施主様から、「家相の専門家」の所に一緒に行ってほしいと言われて行ったことがありますが、ある「家相の専門家」は、「私は、今まで、こういったものを何千軒と見てきたから、パッと一目 見ただけで、これはいい、これはだめとすぐにわかる」とかのたまわれまして、それで、定規すら当てずに、「これ、だめ」「これ、だめ」とか、ひとが苦労して苦労して作った間取りを、情け容赦なく、「だめ」「だめ」とおっしゃいまして、それで、だめならどうしろと言われるのかと言いますと、「このあたりを考えて、作り直してください」とか言うのです。 なんだよ、自分は、「だめ」「だめ」と言うばかりで、作り直すのはこっちかよお。 まったく・・・。 で、苦労して苦労してプランニングをやっているこっちは、たいして高い給料もらってないんです。 それに対して、「だめ」「だめ」とか言うだけのおっさんは、それだけで、けっこう高い報酬とるんですよ。 ええ、仕事やなあ・・・・、ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ・・・・て感じ。
それはそれといたしまして。 道路がちょうど南西にあるという敷地なんかの場合、分譲地でしばらくして見に行ってみますと、その道路を南だという前提で建てた家とその道路が西だという前提で建てた家が混在していたりするのを見ることがあります。 それらは、家は道路との境界線に平行に配置するのが妥当と考えて建てられたものでしょう。
小堀住研にいた時、千葉県茂原市で建てていただいた方のお父さんが、南に向けてというのか、実際の方角の東西の線、南北の線に合わせて家を配置してほしいと希望されたことがありました。 「南向き」の部屋はすべての部屋が実際の南を向くようにしてほしいと。 それに対して、小堀住研の千葉支店の設計課長の I さんは、「それはおかしいよ。 よっぽど広い敷地なら、方角の南に向けて建てる家もあるかもしれないけれども、何十坪というくらいの住宅都市整備公団の分譲地で、そういう建て方をする家はないよ。 普通は、道路との境界線に平行に配置するか、それとも隣地との境界線と平行に配置するか、どちらかだよ。 実際の方角に合わせて南側の部屋はすべて真南を向くように配置するというのでは、隣地との境界のあたりに無駄なスペースもできて効率的じゃないし。 普通に、道を歩いて経っている家を見ても、たいてい、道路との境界と平行に配置されているか、隣地との境界と平行に配置されているか、どちらかだろう。 何十坪というくらいの敷地でそんなことしたら変だよ」と言い、結局、真南まで向けないが、隣地との境界線に平行ではなく、それよりいくらか真南向きに近いように配置して建てたということがありました。 その頃、私も、その千葉支店の設計課長の I さんと同じように思っていたのです。
しかし、今、思うと、あの小堀住研の設計課長の I さんの感覚は、「都市型」の感覚だったように思うのです。 木質系の小堀住研の後、在来木造の一条工務店に勤め、同じ木質系なので競合になることはけっこう多いかと思うとそうではなく、木質系でもタイプが異なり、小堀住研が都市型のハウスメーカーであるのに対して、一条工務店は「地方」型の会社で、顧客も一条工務店は「地方」型の人が多かったのです。 東京展示場の来場者にしても、「観光客」は別として、住宅の建築を考える人には、一条工務店を検討してくれる人には千葉県でも千葉市より東・南の人が多く、そして、兼業農家が多かったのです。 小堀住研にいた時には、見込客は会社員・公務員・教員・自営業者などで、農家が小堀の家を検討してくれるということはほとんどなかったのに対し、一条工務店は東京圏の純粋な会社員は厳しく、兼業農家に検討してもらえる可能性がある会社でした。 そういう方と接すると、「家を建てるに際して、配置を道路境界線と平行にするか、隣地境界線と平行にするかのどちらかの配置にするのではなく、南面の部屋をすべて真南に向くように配置する」というのは、そんなにおかしなことではなく、かつ、昔からの農家の土地、基本的には1反歩(いったんぶ)[300坪]以上ある土地に建てる場合についてだけでなく、たとえ、分譲地の土地で100坪未満の土地に建てる場合でも、この考え方をとるというのは、十分、ありうることだったのです。
50坪前後、あるいは、50坪未満の土地で、「建物の配置を道路境界線と平行か隣地境界線と平行ではなく、南面の部屋がすべて真南を向くように配置」してしまうと、境界との間に三角形の空いたスペースができ、庭が分散されて、1か所に集めればそれなりに庭として使えるものが庭として使えなくなってしまう可能性があります。 又、周囲の家が道路境界線と平行に建てるか隣地境界線と平行に建てるかしている家が多いのに、自分の所だけ南面の部屋が真南を向くようにという建て方をすると、周囲とアンバランスな印象を与える場合もあるでしょう。 しかし、それは都市部の人間の感覚・意識であって、「地方」に行くと、たとえ、分譲地のような敷地で、何十坪くらいの建築地であっても、家は南面の部屋が真南を向くように建てるものだ、という認識・感覚はあるのです。 これは、【1】で述べた 北道路の敷地であれば、北面か東面・西面の北よりに玄関は設けた方が便利、使いやすい間取りができる・・・・はずですが、それは都市型の発想で、「地方」では、そういう考え方もあるけれども、そうであっても、「それほど広くない敷地で北道路であっても玄関は南面に設けるものだ」という発想もあるのと同じく、「それほど広くない敷地でも、道路境界線と平行か隣地境界線と平行に配置するのではなく、南面の部屋が真南を向くように配置する」という考え方はあるのです。
それが正しいか間違っているかと言っても、建てて住む人がいいと思うならそれがいいのであって、絶対にどちらが正しいとか間違っているとかいうものはないのです。 但し、建築屋としては、道路境界線と平行か隣地境界線と平行ではなく南面の部屋が真南を向くように配置してほしいという希望があった場合で敷地がそれほど広くない場合は、その建て方をすると、周囲に無駄なスペースが多くなって有効に使える庭が狭くなってしまいますよ、ということは、ともかく説明はするべきで、きっちりと説明する方が良心的です。
しかし、小堀住研の千葉支店の設計課長だった I さんにはいろいろと教えてもらったのではあるのですが、南面の部屋が真南に向くように配置して建てるというのは、よっぽど広い敷地でならあっても、分譲地のようなところで、それほど広くない敷地では、道路境界線と平行か隣地境界線と平行に建てるのが普通で、南面の部屋が真南を向くような配置にするというのはおかしい、そんなことは普通はしないものだ、という I さんの認識は「都市型」の認識で、「地方」型の家をそれほど見ていない人の認識だったように、「地方型」の一条工務店で福島県・栃木県・山梨県に勤めてその地域の家を見てその地域の人たちと話してきた経験を持った今では思います。 I さんの認識は「都市型」の認識で「地方型」の考え方の人がどう考えるかという点を十分にわかっていなかったのではないかという感じがします。
福島県でも、昔からの農家は南の部屋を真南に向けて建てるという建て方をしている所が多くても、分譲地のような所で何十坪というくらいの土地に建てる場合は、さすがに、南側の部屋を真南に向けて建てるのではなく、道路境界線と平行に建てるか隣地境界線と平行に建てるかしている家の方が多かったように思います。 しかし、東京近郊で建てる場合でも東北で建てる場合でも、「道路境界線と平行か隣地境界線と平行に建てるのが常識」というように決めつけるのは良いとは思いません。 「南の部屋」というのは、南に向いているのが基本で、南に向いていない「南の部屋」というのはおかしいのです。 南の部屋を真南に向ける配置とすると、敷地境界との間に不整形で無駄な空間が多くできてしまうというのなら、折衷案として、「真南までは行かないが、敷地境界線と平行・道路境界線と平行よりもいくらか真南にに近い方に向ける」という選択肢もありうる。 敷地境界線との間に三角形の空きができてしまうというなら、その部分を植栽スペースにするという方法もある。
1960年代後半、私が小学生のころ、「クーラー」というものが登場し、これはすごいものができたと感心していたのですが、それまではクーラーなんてなかった。 そして、「セントラルヒーティング」という言葉がその頃、登場した。 それまで、暖房は石油ストーブかガスストーブか、さもなくば、炬燵だった。 最近ではエアコンを使うのがあたりまえのように思っている人がいる。 ひとつにはマンションというものができたことにより、せっかく、戸建住宅に住んでもマンションと同じような住み方をする人がいるようだ。 マンションというものを、建築中、コンクリートの躯体だけくらいの時に、一度、見に行って見るといいと思う。 よく、こんなものに住むと思う。〔私は、鉄筋コンクリート造のマンションの建築工事に「施工管理」という名目の仕事で勤務した経験があるので見ている。〕 北側に通路があって南側にベランダがある部屋だと、南の部屋はいいとして、北側は通路を通してわずかに光が入るだけで、中ほどは人工照明でしか光は採れない。 戸建住宅なら2方向に窓を取って風が通り抜けるようにできるところをマンションではそれができない。 だから、戸建住宅なら必要でないエアコンと人工照明がマンションでは必需品になっている。 それに慣れた人が戸建住宅を建てると「マンションみたいな戸建住宅」を建ててしまうことがある。 施主の中にそういう人がいた場合でも、プロの建築屋は適切にアドバイスして戸建ならではの良さを発揮した家を建てるべきだがそういう能力のない、「マンションみたいな戸建住宅」しか建てる能力のない建築屋従業員もいる。 エアコンがかつてより需要が多くなった、かつては、エアコンはあれば便利ではあるが、なくても生活できたはずだが、最近、あるのが普通のように思っている人が増えたのは、ひとつには住宅の建て方が自然の通風と採光を十分に考えずに配置して建てられている住宅が増えたからではないかという気がする。マンションで窓から遠い部分で人工照明が昼間から必要というのはしかたがないかもしれないが、戸建住宅で昼間から人工照明で暮らしているというのは本来はおかしい。
戸建住宅を建てる場合、家の内部の間取りばかり考えるのではなく、敷地の中でどのように配置するかという「間取り」も考えてみるべきだ。 隣地・隣家との間にある程度の空きがあれば風も入るが空きがなければ窓があっても風はあまり入らない。 隣地境界線との間の空きは無駄な空間というわけではない。 そして、窓があればいいというものではなく、その窓はどの方角を向いているかということも考えてみるべきだ。 その際、「地方の農家では『南の部屋』は南に向いている」ということを再確認するべきだと思うのだ。 家は隣地境界線か道路境界線と平行に建てるのが常識で「南の部屋」が南に向いていないのを普通だと思う感覚は好ましい感覚ではないと思う。 最終的にどうするかはさておき、「『南の部屋』は南を向いているのが本来だ」ということをもう一度、思い出した上で間取りを考えるべきだと思う。 そういえば、小堀住研の千葉支店の設計課長だった I さんもマンション住まいだったと聞いた。 マンションは自分の部屋の内部は専有部分として好きに模様替えができるがマンションの建物自体の配置は購入する時点で決まっていて変えることはできないから、それに慣れてしまった人は、建物の配置というものに無頓着になりがちかもしれない。 小堀の千葉支店の設計課長だった I さんにはいろいろと教えてもらったし、私が担当のお客さまの図面の作成には尽力してもらったが、私自身がその頃の I さんよりも住宅建築業の仕事としての経験年数が長くなった今、都市近郊の分譲地で敷地面積が50坪程度というような所で建てる場合には、結果としては、「南の部屋を真南に向けて配置する」より「隣地境界線か道路境界線と平行に建てる」という方を選択する場合が多いと思うし、それはやむをえないことだと思うが、しかし、「南の部屋」が南を向いていないというのは、それは「常識」とか「当たり前」とかではないもので、この点は再認識する必要があり、I さんにも、そのあたりの点については認識が十分とはいえなかったかもしれないと思えるところを今は感じる。
【4】世の中には、「最近の家はキッチンは対面式と決まってる」と思い込んでいるおばさんがいるらしいが、そうか? マンションのキッチンはたいてい対面式でできているが、それはなぜか。 【5】 マンション住まいの人間に戸建住宅の設計をさせるとマンションみたいな間取りの戸建住宅を設計するという話がある。 北と東に道路がある北東の角地で北の道路と高低差が大きい土地では、家はどう配置して建てるべきだろうか・・という2つは、別稿で述べます。 乞う、ご期待。
上記、【1】~【3】は、私は実際に都市型の住宅建築会社と地方型の住宅建築会社、都市部と「地方」に勤務して実際に顧客と接し、様々な方とお話をして体験して身につけてきた認識です。 一条工務店に入社して1年目、千葉県長生郡長生村の兼業農家のお宅におじゃました帰り、夜、農村部の道で回りを見て、この会社に入らなければ、ここに来ることはなかっただろうなと思ったことがありました。 そのお宅の前の道は公道ですから、法的には誰が歩こうが自由ではあるのですが、法的にはそうであっても、千葉県の外房地域でも、観光地でも名所旧跡でも何でもない完全な農村部には、一条工務店の営業でもなければ、会社員の息子として生まれた人間が行くことはなかったでしょう。 地方型の会社で経験を積んでも、都市型の会社に変わった場合には、その経験は役に立たないだろうかとも思ったのですが、実際にはそうでもない。 地方型の発想と都市型の発想の両方を持っている者はそうでない者との違いは大きく、↑で述べたように、小堀住研の設計課長をやっていた人でも、地方型の発想を理解できなかったが、私はわかる。
千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)[建設業]・ビルダーズジャパン(株)[不動産業]・ジャムズグローバルスクエア(株)[不明業]で「工事責任者」を自称しながら工事に責任ある態度をとっていなかった、ビルダーズジャパン(株)で取締役になっていたU草A二(男。30代なかば、当時)が、「ぼく、営業やったことないですけど、営業できますから」としばしば大きな声で傍若無人に口にしていたのだが、ここで【1】~【3】で述べた認識は経験してこそ実感として理解できるもので、「やったことない」者が簡単に理解できるとは考えにくい。 営業は経験を積んで営業になっていくはずだ。 こういう仕事に対する謙虚さ・誠実さの欠如した男というのは、どうしたものだろう。 「『建売大工』なんて、そんなものだ」と考えるべきなのか・・・。 「建売大工」をやっている人でも、すべての人がこの調子でもないようにも思うのだが・・・。
(2015.3.28.)
☆ 「戸建住宅の敷地内での家の配置と間取りの取り方」及び「マンション住民の人間にわかりにくい戸建住宅の特徴」シリーズ
1.[第322回]《北道路で南玄関の家。都市型間取りと地方型間取り。家は南に向けて建てるべきか境界線に平行に建てるべきか 》 今回。
2.[第325回] 《なぜマンションのキッチンは対面式か。「最近はキッチンは対面式と決まってる」か?》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_3.html
3.[第326回] 《マンション住民は、戸建住宅のどういうところを理解できないか。軒・庇の必要性。軒の出は配置図の基礎。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_4.html
に続き、
4.[第327回]《マンション住人による奇妙な戸建住宅。 戸建の会社の社長は戸建に住むべきではないか》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_5.html
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