『路傍の石』とともに歩む亀戸天神―藤の「花は遅かった」(5月4日)、及、亀戸界隈今昔。
[第330回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度まいり(27) 亀戸天神2回目。
菅原道真と言えば、まず、梅。 そして、松・・・であるが、東京都江東区亀戸の亀戸天神社は4月終わりから5月初めにかけて藤が咲く・・・・のが有名のはずなので行ってきました・・・・が、遅かった。 は~なは花は花は~あ・・・・お~そかぁ~った~あ~♪(⇒《YouTube―花はおそかった 美樹克彦 》https://www.youtube.com/watch?v=qIbWIfmW_Wg
山本有三 の 『路傍の石』(新潮文庫)に、吾一が次野先生と一緒に亀戸天神社に行く場面がある。
≪ 「先生。」
「うム。」
「いま、フジはどうでしょう。」
「ちょうど、まっ盛りだろうな。」
「それじゃ亀戸(かめいど)へ行ってみましょうか。」
「フジ見にか。――それも悪くはないが、少し遠いな。」
「遠いったって、先生、たいしたことはありませんよ。 この辺をぶらぶらするんなら、思いきって行ってみようじゃありませんか。」
吾一はなんとかして先生を慰めてあげたいと思った。 あれ以来、先生は心身ともに疲れているに相違ないのだ。 さいわい、給料をもらったばかりなので、ふところにいくらか持っていたから、彼は熱心に勧誘した。
次野はあまりすすまなかったが、しかし、このままうちへ帰って、女房と顔をつき合わせるのは、もっとたまらなかった。 彼はずるずるに、吾一のことばに同意した。
・・・・(略)・・・・・
おもて門をはいると、たいこ橋が、行く手をさえぎるように、人の背よりも高く、そり返っていた。
「こりぁずいぶん、急だな。 渡れますかね。」
「渡れん橋はかけとかんだろう。」
・・・・(略)・・・・・
フジだなは大部分、池の中に突き出ているが、岸のほうに伸びているところも少なくない。 その下に縁台が置いてある。 ふたりはそのフジだなの下に腰をおろした。
立つと、顔にさわるほど、花ぶさがたれさがっている。 長いのは四、五尺もあるだろう。 それが一面に咲きそろっているのであるから、普通の形容から言ったら、紫の雲が天上からおりてきたようだ、とでも言うところだが、吾一はそんなふうには感じなかった。 彼はきれいな花ぶさがほおにさわった時、ふと伊勢屋を思い出した。伊勢屋の店さきに、ところ狭いまでにつるしてある、客よせの友禅のメリンスが、ちらと、あたまをかすめた。 どちらも美しくたれさがっている点に、そういう連想が浮かんだのかもしれない。 しかい、彼は小僧の時分、店の出はいりに、あたまやほおをこすられた、あのひやっとしたメリンス友禅のはだざわりが、どこかこれに似ているように思えてならなかった。 ・・・・≫
(山本有三『路傍の石』新潮文庫)
≪あれ以来、先生は心身ともに疲れているに相違ないのだ。≫という「あれ」とは、≪なんとかして先生を慰めてあげたいと思った。≫という「慰めてあげたい」事件とは何かというと、次野先生が学校を辞めさせられた件である。
≪ 授業はまだ再開されていなかった。 が、掲示場をのぞいてみると、彼は急に、まっさおになってしまった。
今回教務ノ改善ヲ計ルタメ左ノ教諭職員ヲ解職ス
高い壁の上に張ってある張り紙の、ひだり下のノリがはがれて、バサリ、バサリ、いやな音を立てていた。
解職者は二十名ちかくあった。 おもなる者は教頭とか、幹部とか、会計主任、教務主任という連中だが、教諭の中には、地理の先生とならんで、次野立夫の名まえもはいっていた。 ・・・・・
ほかの人たちについては、事情を知らないから、なんにも言えないが、いったい、次野先生は何をしたというのだ。 先生に関する限り、先生には、なんのおちどもないではないか。 今度の騒動であばれたとか、ふだんの教え方が悪いとかいうのならしかたがないが、先生は熱心な教育者ではないか。今度のことでは、どちらの派にも加わらないで、しずかに、うちに閉じこもっていたのではないか。それがどうして免職なのだ。 なんの理由でやめさせられるのだ。 ・・・≫
≪「もう、おれのような人間は、学校じゃいらんとよ。」
「・・・・・」
「学校ってのは、教科書を教えるところなんだそうだ。 教科書以外のことをしゃべるやつは、教師にはしておけんとよ。」
「・・・・・」
「教科書を詰めこむところ、それが学校だと思っているんだ。 ・・・(略)・・・・・」
「・・・・・」
「今の世の中じゃ、忘れる学問も一応は学ぶ必要があろう。 しかし、忘れないものを説くことが、なぜ、いけないんだ。・・・・(略)・・・・・」 ≫
(山本有三『路傍の石』新潮文庫)
なんだか、最近の橋下徹・中原徹らの大阪府・大阪市の高校の締めつけや安倍晋三が大学でも「君が代」を斉唱させようと言いだしたりしているあたりを見ると、現在の日本の学校が、『路傍の石』に描かれている戦前・戦中の学校のようになってきているようで、恐ろしいし、悲しい。
1992年に、城東ホームセンターという総合住宅展示場が亀戸と錦糸町の中間付近のJR総武線のすぐ北にあって、一条工務店がそこに展示場を建築した際、工事の手伝いに来たことがあり、建築中に日曜など、工事中の展示場の前に立って通りかかる人に話しかけてアプローチしたことがあり、又、その際、この亀戸天神社のすぐ北あたりのマンションの方のお宅に訪問したこともあった。 その時に、亀戸天神社というけっこう大きな神社がここにあると知った。 それまで、東京で有名な天神社といえば、湯島天神くらいかと思っていたが、今現在の境内の広さでは亀戸天神社の方が湯島天神より広いのではないだろうか。
↑ 当然、その1992年から1993年にかけては、東京スカイツリーなるものはなかったが、今は亀戸天神社の社殿の北西にスカイツリーが見える。 港区芝の増上寺で本堂の後ろに東京タワーが見えるような感じでだが、見えて良いか見えない方が良いか。 どうだろうか。
↑で見えているのは拝殿で、この後ろに幣殿と本殿がある。↓
[第157回]《亀戸天神社 訪問~冤罪を晴らす神さま・菅原道真・第3回、及、エスカレーターの不合理 》 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html では、亀戸駅から北に伸びる明治通り沿いの東側に 牛の像があったが焼肉屋だったという話を述べましたが、亀戸天神社の社殿の前にも牛の像はある。↓
↑ こっちの牛は食べちゃだめよ。
↑ 「鷽の縁起」の碑
≪ 鷽替神事は天神信仰と結合した習俗である。うそ替神事の代表的なものは東京の亀戸天神社にあり、九州の大宰府天満宮では、追儺祭(おうにすべ)に伴って、参詣人が木製の鷽を替えあう神事である。 大宰府の方が古く、山崎美成の『三養雑記』(巻四。 さらに増補したものを『世事百談』ともいう)に、毎年正月七日の夜酉の刻ごろ「参詣の老若うちづどひ来て、木に作りたる鷽の鳥を調へ相たがひに袖にかくし、うそかへんと訇りて雙方より取りかへることなりとあり」と記し、寛政の『大宰府略記』にも見えている。『俚言集覧』にはその年の吉兆を招くためと書いている。≫
≪ 嘉永のころ亀戸の社頭でこれを売る店が十軒ばかりあり、おのおの大中小形があり、大は長さ五‐六寸であったという。≫
≪ この鷽替えは形の上から見ても、昔神前に供えられた削り掛けの依代(よりしろ)を奪いあい吉兆を招くための年占(としうら)の一種と考えられている。 しかし現在では郷土玩具化し、亀戸天神社は一月二十五日に、大宰府天満宮は一月七日の夜の神事として行われている。 大宰府天満宮のは、鷽は神社から出し、中に黄金製のものが一個あって、これを得るものは好運の兆(きざし)とした。 亀戸のは神主が参詣人の持参した鷽を受取、別の物を替えて渡すことになっていた。 ≫
( 竹内 秀雄『天満宮』1968.第一版。 1996.新装版。 吉川広文館 日本歴史叢書)
≪ ちなみにこれに似たものに、熊本の手取神社では鳩替といい、富山付近では土製の鳩を交換するという。≫(竹内秀雄『天満宮』)。 熊本市の手取神社については、[第272回]《家相が悪い!手取天満宮(熊本市)。 本殿直近に本殿に排気ガスがかかる月極駐車場を設ける無神経。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html 参照。

亀戸天神社のすぐ南を東西に走る蔵前橋通り(都道315号)には↓ のような「藤まつり」の旗というのか幟というのかが出ているが↓、「藤まつり」は 亀戸天神社のホームページhttp://kameidotenjin.or.jp/ によると、≪4月18日(土)から5月6日(水)≫と出ているけれども、もう少し前に来た方が、藤の花の見ごろだったと思われる。 5月4日ではすでに少々「花は花は花は遅かった」。 亀戸天神社のHP 「よくある質問」http://kameidotenjin.or.jp/faq/ では、「藤まつり」は「4月下旬~5月上旬」であるが、「花の見ごろ」は「4月終日ごろ」と出ている。もう少し早く来るべきだったようだ。
かつて、そこで尽力した 一条工務店の東京展示場があった城東マイホームセンターの跡地は、現在、1階が食料品中心のスーパーと 薬店のマツモトキヨシ、2階がフィットネスクラブになっている。↓

ここにあった城東マイホームセンターという総合住宅展示場は東よりで北側の道路と出入りでき、西側で西の道路と出入りできた。 この少し北に、「フジコシ」というスーパーがあって、総武線の南あたりの住人が近道として城東マイホームセンターの中を通ってフジコシに買い物に行くことがあり、一条工務店の展示場建築中に、そこで立ち、買い物に通る人にも話しかけてアプローチし、浜松まで工場見学会に行ってもらった夫婦もあったが契約に至らなかった。 買い物に通っている人に食らいついて住宅を建ててもらおうと思っても、たまたま、建築の計画がある方と巡り合うことができれば良いが、住宅展示場を目的に来場する方にアプローチするのと、スーパーに買い物に行く人の行き帰りに話しかけるのとでは、条件は異なるのは当然だった。
ここで、建築中に立って通行する人にアプローチをしていた時、城東マイホームセンター内の三井ホームに勤めているおばさんが帰宅する際に前を通って、私に「浜松からこんな所まで来て大変ねえ。 がんばってね」となどと言っていきやがった。一条工務店が浜松の会社だからということで、別段、浜松の生まれでもない東京で入社した私まで浜松から来たことにされてしまっていたのだ。三井ホームのおばさんから格下の会社の人間を見下げたような人を馬鹿にしたような言い方をされたのは、なんとも情けなかった。 ある来場客・・というのか通行人に 「一条工務店は、知っている方は知っているけれども知らない方は知らないというくらいの知名度かと思います」と言うと、「そうかしら。 ぜ~んぜん、知らないわ」と言われた。浜松の本社に行く用事があった時、JR浜松駅からタクシーに乗ると、住所も行き方も何も説明しなくても、どのタクシーでも「一条工務店」と名前さえ出せば連れて行ってくれた。ある運転手は「一条工務店」の名まえを出しただけで、「お客さんは、家を建てる仕事をしてる人だと思うんで教えてほしいんだけど、私は今、○才で年収は◇◇万円しかないんだけど、そういう者でも家は建てられるもんでしょうか」といった話をされた。1992年から1993年にかけて、東京ではおよそありえないことだった。
亀戸の展示場が完成後、一条工務店は商品名に「セゾン」と名前をつけていた為、西武セゾングループと間違える人がおり、西武だとばかり思って、「ここは西武か」と言いながら入りかけた来場客が入口で「おい。 待て、待て。一条工務店なんて書いてあるぞ。ここは西武じゃないぞ。入っちゃだめだ、こんな所、入っちゃだめだ。出ろ、出ろ。入っちゃだめだあ」と叫ぶことがあったらしい。〔saison 〔女性名詞〕1.季節;時期、シーズン、収穫期、旬、猟期(漁期)。 2.湯治(の時期)。[『ポケットプログレッシブ 仏和・和仏辞典<第2版>』1999.第2版 小学館]〕 松戸の展示場では、子供が中まで入ってきて、母親があわてて「ちょっと、ここは入らないの。ここは入っちゃだめな所なの。早く出なさ~い。 ちょっと、出なさいって。早くぅ~う。 ここは入っちゃだめ~え!」と必死になって大声で叫ぶことがあった。 「ここは入っちゃだめ~え!」と叫ばれる条件で仕事をするのと、会社の名まえを出しただけで「お客さんは家を建てる仕事の人だと思うんで、教えてほしいんだけど・・・」と言ってもらえる場所で仕事をするのと、条件が違うのは明らかだ。
そういう条件のもと、一条工務店の遠州人は、東京で坪単価55万円のものを浜松・掛川では48万円、名古屋では49万5千円で売るという超ダンピング販売をしていた。ここまで金額に差をつけたのでは、東京都で契約した人が払ったカネが静岡県西部・愛知県で建てる人の家の費用に使われているようなものだ。東京都・千葉県で勤務していた営業は、浜松・掛川で48万円、名古屋で48万5千円のものを東京都で55万円、千葉県で52万円で売らされているということに誰もが怒っていた(経済学上の需要曲線を考えてみよ!)。 浜松・掛川・名古屋の人間はそのやり口に味をしめていた。 そして、一条工務店の遠州人は東京で入社した従業員には「一条工務店は、テレビ広告とかはまったくしないで、そういう費用を建てる家に使って、より良いものを建てることで契約してもらおうというやり方をしています」と教えた上で、静岡県西部・愛知県のみテレビ広告をドカンドカンとやっていた。一条工務店の遠州人は浜松・名古屋ではドカンドカンとテレビ広告をやっているということを東京圏の従業員に姑息に隠していたのだが、この事実を誰から教えてもらって知ったかというと、江東区潮見の展示場に来場された浜松出身で東京都に住んでいる方で、あと何年かで定年になるので、定年になったら浜松で家を建てたいと考えているという方に、まさか、会社が自分の会社の従業員にそんな嘘を吹きこんでいるとは夢にも思わず、教えられた通り話したところ、「何、言ってんだよ。一条工務店、テレビ広告、浜松ではものすごくいっぱいやってるじゃないか。たしかに東京ではやってないけどね。嘘ついちゃだめだよ。」と言われて、え?と思って知ったのだ。 それが「一条工務店の遠州人」のやり口であった。「静岡県西部・愛知県」の従業員が他の地域の従業員より得することならどんなことでも次から次へと「やらまいか」という貪欲な「やらまいか精神」だった。 一条工務店の浜松・名古屋・掛川の人間は、自分たちが努力して「売った」と思いたかったようであり、自分たちが優秀だから売れたと主張したかったようだが、少なくとも本質はそうではない。彼らは超弩級のダンピングとテレビ広告で「売らせてもらった」のだ。そう言われて悔しかったら、他の地域と同じ条件で営業やってみろ、と言っても浜松・掛川・名古屋の人間は絶対にやらない。 自分たちの所に他の地域より有利な条件を設定した上で仕事をするということに味をしめた人間は、その自分たちの「生命線」を簡単には手放さないということのようだ。
福島県いわき市に行くと、「マルト」「ヨークベニマル」と「フジコシ」という3つのスーパーがあった。 「大黒屋」という百貨店もあって、けっこう買い物がしやすい百貨店で私は好きだったが、私がいわき市を離れた後、倒産してしまった・・・と思ったら、スーパーの「フジコシ」まで倒産した。 その「フジコシ」の店が、なぜか、東京都ではこの亀戸にだけ1軒あったのだ。 けっこうはやっていて、城東マイホームセンターの中を通り抜けてフジコシに買い物に行き帰りする主婦が一条工務店の建築中の展示場の前を通ることがあった。 私自身もフジコシの亀戸店に行ってお弁当を買って食べたこともあった。 いわき にあったなつかしい店だったのだが、いつしか、それもなくなり、別の店に変わっていた。↓
かつて、フジコシの亀戸店があった場所には、他の店があった。↑ 1984年頃、怪人21面相から攻撃を受けた江崎グリコ・森永製菓について、なんとも怪しい「文化人」が、「森永を苛めて子どもたちの夢を壊すのはやめてやってくれ」などとアホなことを言ったことがあったが、グリコや森永の経営者は困ったかもしれないが、もしも、森永がつぶれたとしても、森永が作っている菓子で需要があるものがあるならば、他の菓子メーカーが同様のモノを作って売ることになるだけのことで、「子供らの夢」は森永がつぶれようが別につぶれはしない。 私がいわき市で勤務していた時、いわき市には、証券会社の支店が、大手の山一証券、地方証券会社の水戸証券、それにもう一軒、小規模な証券会社の支店があった。 その3つなら、山一が一番つぶれにくいだろうなどと思っていたら、その山一証券がつぶれた。 その後どうなったかというと、地方証券会社1軒、小規模証券会社1軒と大手が1軒という需要がある地域で大手の山一がつぶれて支店がなくなったところ、すぐ後から、いわき市には大和証券の支店ができた・・・・・。 そんなものだ。 だから、森永がつぶれたとしても、森永が持っている需要がその後も存在するならば、他の菓子メーカーがその需要を獲得するかその需要を対象とする新たな会社ができるかであって、別に「子供らの夢」がつぶれるわけではない。 アホなことを言う「文化人」はおのれの無知無認識を恥じるべきであろう。
亀戸天神社は、五月の連休中ということと、藤まつり開催ということからか、今まで訪問した時よりずっと人では多かった。 中国人や韓国人らしき観光客もけっこういた。 日本の「神社」でも天神社の場合は、祀っている祭神が菅原道真であり、神社は神社でも、靖国神社のような中国・朝鮮に対しての侵略戦争に加担・賛成した戦死者を神さまとして祀る神社の中でも特殊な「神社」とか、明治神宮のような皇族を神と祀る神社と違い、中国や韓国の人たちも抵抗なく訪問できるということだろうか。
↑ これは、城東マイホームセンターの跡地と亀戸天神社との中間あたりにある亀戸二丁目公園の中の公衆便所であるが、もう少し大きければ、「交番みたい」だが、小さいから公衆便所か交番かどっちに見えるかというと公衆便所か・・・・。
≪ おきぬがやってきたのは、卒業式で読む答辞のした書きを、先生に見てもらうためだった。 彼女が東京の女学校にきていることは、いつか先生から、ちらと聞いていたが、答辞を読むというなら、あい変わらず首席を続けているのだろう。
吾一は座しきのすみのほうに引っこんでいた。 先生にした書きを見せているおきぬを見ると、どうも自分がいくじのない人間に見えてしかたがなかった。 先生のおかげで、夜学にかよわせてもらってはいるが、とても自分には答辞を読むような成績をあげるわけにはいかない。 おきぬのように勉強だけしていればいい者と、仕事がおそくなれば遅刻しなければならないし、夜勤があれば、欠席しなければならない者とでは、事情が違う。 そうは思いながらも、何かなさけない気持ちがした。 ≫
(山本有三『路傍の石』新潮文庫)
私が「大学生」であった時、最初の夏休み、父は私に無断で工場のアルバイトを「決めてきた」。 その工場から帰宅する途中、駅で、同じ中学校から同じ高校に行き、大阪大学の法学部に行ったKと会った。 彼が「どこ、行って来た~ん?」ときくので、こういう工場でアルバイトをしてきたのだと話すと、「へ~え。 そんなもん、やってんのお~ん」と、彼に人を馬鹿にする気持ちがあったかなかったかはわからないが、馬鹿にする気持ちは特になかったかもしれないが、馬鹿にしたような調子で言われた。 彼に、同じようにどこに言ってきたか尋ねたところ、「阪大の図書館に行って法律の勉強をしてきた」そうだった。 中学校から高校・大学とそれほど変わらないように行っても、生活は彼とは大きく違った。 私が工場で汗まみれになって仕事をしている時に冷房の入った部屋で法律の本を読んでいる人間、私が保養所の下男をして風呂みがきをやっている最中に冷房の入った部屋で法律の本を読んでいる人間になんか負けてたまるか! と思った時もあったが、実際問題として条件が全然違う。 義兄は私を見て「二宮尊徳みたい」と言ったが、昼間、工場で汗まみれになって労働して、夜と行き帰りの電車中で学習する「二宮尊徳」とアルバイトなどせず、冷房の入った部屋で法律の本を読んでいる人間と、どちらが成果を出すことができるかというと、二宮尊徳でない方である。
彼が大学を卒業した直後に司法試験に合格したようだが、その時、父は「Kくんの爪の垢をせんじて飲みなさい」と書いて送ってきた。 実際、彼の爪の垢でもせんじて飲みたかった。彼の爪の垢をせんじて飲めば、彼と同じように冷暖房完備の部屋で法律の本を読んで勉強させてもらえるなら、爪の垢でもしょんべんでもウンコでも何でも飲んでやるわ。 今、裁判官や弁護士や検事になっている人間の多くは、小学校の時も中学校の時も高校の時も私より成績が悪かった者で、大学に入るまでに読んだ法律の本など私よりはるかに少ない連中、そういうヤツが「大学生」の時に、私が工場で汗まみれになって労働し、保養所の下男として風呂磨きをし、冬場にはオフシーズンのジェットコースターのペンキ塗装の仕事でジェットコースターの最も高い所まで丸太をかついで登り恐怖を味わっていたその時、アルバイトなどせずに冷暖房完備の部屋で法律の本を読んで司法試験に通り、なっているのだ。 そういう裁判官が、でたらめの判決を書いている。
さらに、そういう司法試験にすら通っていない、いわば、裏口入学みたいなヤツ、「副検事」「かんぱん(簡判)」が検察官ヅラ、裁判官ヅラして起訴したり判決だし、私より高い給料をとっているのである。
私も、若い頃、検察官というのは、「一流大学」に合格できるだけの一般的全般的教養のある人が司法試験という法律に関する難しい試験に合格してなるもので、体力自慢の警察官と違って一般的教養とそこから来る良識、それに法律の知識認識の両方のある人がなっているのではないかと思っていた時期、そういう人がなるべきものだと思っていた時期があったが、実際には、一般的教養も法律的認識も十分でない警察官並みのチンピラが「副検事」になって国民の税金から高給を盗っている。
やっぱり、バックミュージックは、ロシア民謡の「ヴォルガの舟歌」か「ドゥビヌーシカ」あたりが妥当か・・・。
《YouTube-【ロシア語】仕事の歌 (Дубинушка) (日本語字幕)》https://www.youtube.com/watch?v=rk0C1GputJ8
「ドゥビヌーシカ」はいい歌である。 冷暖房のきいた部屋で法律の本を読んで司法試験に通りでたらめ判決を出す法敵裁判官が大学生であった時、工場で汗まみれになって労働し、保養所の下男として風呂磨きをし、ジェットコースターの最も高い所まで丸太をかついで登り恐怖を味わっていた人間の心にしみる歌だ。
(2015.5.4.)
☆ 冤罪を晴らす神様・菅原道真・怨念を晴らす全国お百度参り シリーズ
東京都
亀戸天神社(江東区)≪1≫ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
同 ≪2≫ が今回。
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
意富比神社 末社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社内 天満宮祠(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市(白井市河原子の)天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
千葉神社 摂社 千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
鎌倉市山崎の北野神社[山崎天神]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_10.html
熊本県
山崎菅原神社(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html
船場天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html
手取天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_8.html
菅原道真と言えば、まず、梅。 そして、松・・・であるが、東京都江東区亀戸の亀戸天神社は4月終わりから5月初めにかけて藤が咲く・・・・のが有名のはずなので行ってきました・・・・が、遅かった。 は~なは花は花は~あ・・・・お~そかぁ~った~あ~♪(⇒《YouTube―花はおそかった 美樹克彦 》https://www.youtube.com/watch?v=qIbWIfmW_Wg
山本有三 の 『路傍の石』(新潮文庫)に、吾一が次野先生と一緒に亀戸天神社に行く場面がある。
≪ 「先生。」
「うム。」
「いま、フジはどうでしょう。」
「ちょうど、まっ盛りだろうな。」
「それじゃ亀戸(かめいど)へ行ってみましょうか。」
「フジ見にか。――それも悪くはないが、少し遠いな。」
「遠いったって、先生、たいしたことはありませんよ。 この辺をぶらぶらするんなら、思いきって行ってみようじゃありませんか。」
吾一はなんとかして先生を慰めてあげたいと思った。 あれ以来、先生は心身ともに疲れているに相違ないのだ。 さいわい、給料をもらったばかりなので、ふところにいくらか持っていたから、彼は熱心に勧誘した。
次野はあまりすすまなかったが、しかし、このままうちへ帰って、女房と顔をつき合わせるのは、もっとたまらなかった。 彼はずるずるに、吾一のことばに同意した。
・・・・(略)・・・・・
おもて門をはいると、たいこ橋が、行く手をさえぎるように、人の背よりも高く、そり返っていた。
「こりぁずいぶん、急だな。 渡れますかね。」
「渡れん橋はかけとかんだろう。」
・・・・(略)・・・・・
フジだなは大部分、池の中に突き出ているが、岸のほうに伸びているところも少なくない。 その下に縁台が置いてある。 ふたりはそのフジだなの下に腰をおろした。
立つと、顔にさわるほど、花ぶさがたれさがっている。 長いのは四、五尺もあるだろう。 それが一面に咲きそろっているのであるから、普通の形容から言ったら、紫の雲が天上からおりてきたようだ、とでも言うところだが、吾一はそんなふうには感じなかった。 彼はきれいな花ぶさがほおにさわった時、ふと伊勢屋を思い出した。伊勢屋の店さきに、ところ狭いまでにつるしてある、客よせの友禅のメリンスが、ちらと、あたまをかすめた。 どちらも美しくたれさがっている点に、そういう連想が浮かんだのかもしれない。 しかい、彼は小僧の時分、店の出はいりに、あたまやほおをこすられた、あのひやっとしたメリンス友禅のはだざわりが、どこかこれに似ているように思えてならなかった。 ・・・・≫
(山本有三『路傍の石』新潮文庫)
≪あれ以来、先生は心身ともに疲れているに相違ないのだ。≫という「あれ」とは、≪なんとかして先生を慰めてあげたいと思った。≫という「慰めてあげたい」事件とは何かというと、次野先生が学校を辞めさせられた件である。
≪ 授業はまだ再開されていなかった。 が、掲示場をのぞいてみると、彼は急に、まっさおになってしまった。
今回教務ノ改善ヲ計ルタメ左ノ教諭職員ヲ解職ス
高い壁の上に張ってある張り紙の、ひだり下のノリがはがれて、バサリ、バサリ、いやな音を立てていた。
解職者は二十名ちかくあった。 おもなる者は教頭とか、幹部とか、会計主任、教務主任という連中だが、教諭の中には、地理の先生とならんで、次野立夫の名まえもはいっていた。 ・・・・・
ほかの人たちについては、事情を知らないから、なんにも言えないが、いったい、次野先生は何をしたというのだ。 先生に関する限り、先生には、なんのおちどもないではないか。 今度の騒動であばれたとか、ふだんの教え方が悪いとかいうのならしかたがないが、先生は熱心な教育者ではないか。今度のことでは、どちらの派にも加わらないで、しずかに、うちに閉じこもっていたのではないか。それがどうして免職なのだ。 なんの理由でやめさせられるのだ。 ・・・≫
≪「もう、おれのような人間は、学校じゃいらんとよ。」
「・・・・・」
「学校ってのは、教科書を教えるところなんだそうだ。 教科書以外のことをしゃべるやつは、教師にはしておけんとよ。」
「・・・・・」
「教科書を詰めこむところ、それが学校だと思っているんだ。 ・・・(略)・・・・・」
「・・・・・」
「今の世の中じゃ、忘れる学問も一応は学ぶ必要があろう。 しかし、忘れないものを説くことが、なぜ、いけないんだ。・・・・(略)・・・・・」 ≫
(山本有三『路傍の石』新潮文庫)
なんだか、最近の橋下徹・中原徹らの大阪府・大阪市の高校の締めつけや安倍晋三が大学でも「君が代」を斉唱させようと言いだしたりしているあたりを見ると、現在の日本の学校が、『路傍の石』に描かれている戦前・戦中の学校のようになってきているようで、恐ろしいし、悲しい。
1992年に、城東ホームセンターという総合住宅展示場が亀戸と錦糸町の中間付近のJR総武線のすぐ北にあって、一条工務店がそこに展示場を建築した際、工事の手伝いに来たことがあり、建築中に日曜など、工事中の展示場の前に立って通りかかる人に話しかけてアプローチしたことがあり、又、その際、この亀戸天神社のすぐ北あたりのマンションの方のお宅に訪問したこともあった。 その時に、亀戸天神社というけっこう大きな神社がここにあると知った。 それまで、東京で有名な天神社といえば、湯島天神くらいかと思っていたが、今現在の境内の広さでは亀戸天神社の方が湯島天神より広いのではないだろうか。
↑ 当然、その1992年から1993年にかけては、東京スカイツリーなるものはなかったが、今は亀戸天神社の社殿の北西にスカイツリーが見える。 港区芝の増上寺で本堂の後ろに東京タワーが見えるような感じでだが、見えて良いか見えない方が良いか。 どうだろうか。
↑で見えているのは拝殿で、この後ろに幣殿と本殿がある。↓
[第157回]《亀戸天神社 訪問~冤罪を晴らす神さま・菅原道真・第3回、及、エスカレーターの不合理 》 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html では、亀戸駅から北に伸びる明治通り沿いの東側に 牛の像があったが焼肉屋だったという話を述べましたが、亀戸天神社の社殿の前にも牛の像はある。↓
↑ こっちの牛は食べちゃだめよ。
↑ 「鷽の縁起」の碑
≪ 鷽替神事は天神信仰と結合した習俗である。うそ替神事の代表的なものは東京の亀戸天神社にあり、九州の大宰府天満宮では、追儺祭(おうにすべ)に伴って、参詣人が木製の鷽を替えあう神事である。 大宰府の方が古く、山崎美成の『三養雑記』(巻四。 さらに増補したものを『世事百談』ともいう)に、毎年正月七日の夜酉の刻ごろ「参詣の老若うちづどひ来て、木に作りたる鷽の鳥を調へ相たがひに袖にかくし、うそかへんと訇りて雙方より取りかへることなりとあり」と記し、寛政の『大宰府略記』にも見えている。『俚言集覧』にはその年の吉兆を招くためと書いている。≫
≪ 嘉永のころ亀戸の社頭でこれを売る店が十軒ばかりあり、おのおの大中小形があり、大は長さ五‐六寸であったという。≫
≪ この鷽替えは形の上から見ても、昔神前に供えられた削り掛けの依代(よりしろ)を奪いあい吉兆を招くための年占(としうら)の一種と考えられている。 しかし現在では郷土玩具化し、亀戸天神社は一月二十五日に、大宰府天満宮は一月七日の夜の神事として行われている。 大宰府天満宮のは、鷽は神社から出し、中に黄金製のものが一個あって、これを得るものは好運の兆(きざし)とした。 亀戸のは神主が参詣人の持参した鷽を受取、別の物を替えて渡すことになっていた。 ≫
( 竹内 秀雄『天満宮』1968.第一版。 1996.新装版。 吉川広文館 日本歴史叢書)
≪ ちなみにこれに似たものに、熊本の手取神社では鳩替といい、富山付近では土製の鳩を交換するという。≫(竹内秀雄『天満宮』)。 熊本市の手取神社については、[第272回]《家相が悪い!手取天満宮(熊本市)。 本殿直近に本殿に排気ガスがかかる月極駐車場を設ける無神経。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html 参照。
亀戸天神社のすぐ南を東西に走る蔵前橋通り(都道315号)には↓ のような「藤まつり」の旗というのか幟というのかが出ているが↓、「藤まつり」は 亀戸天神社のホームページhttp://kameidotenjin.or.jp/ によると、≪4月18日(土)から5月6日(水)≫と出ているけれども、もう少し前に来た方が、藤の花の見ごろだったと思われる。 5月4日ではすでに少々「花は花は花は遅かった」。 亀戸天神社のHP 「よくある質問」http://kameidotenjin.or.jp/faq/ では、「藤まつり」は「4月下旬~5月上旬」であるが、「花の見ごろ」は「4月終日ごろ」と出ている。もう少し早く来るべきだったようだ。
かつて、そこで尽力した 一条工務店の東京展示場があった城東マイホームセンターの跡地は、現在、1階が食料品中心のスーパーと 薬店のマツモトキヨシ、2階がフィットネスクラブになっている。↓
ここにあった城東マイホームセンターという総合住宅展示場は東よりで北側の道路と出入りでき、西側で西の道路と出入りできた。 この少し北に、「フジコシ」というスーパーがあって、総武線の南あたりの住人が近道として城東マイホームセンターの中を通ってフジコシに買い物に行くことがあり、一条工務店の展示場建築中に、そこで立ち、買い物に通る人にも話しかけてアプローチし、浜松まで工場見学会に行ってもらった夫婦もあったが契約に至らなかった。 買い物に通っている人に食らいついて住宅を建ててもらおうと思っても、たまたま、建築の計画がある方と巡り合うことができれば良いが、住宅展示場を目的に来場する方にアプローチするのと、スーパーに買い物に行く人の行き帰りに話しかけるのとでは、条件は異なるのは当然だった。
ここで、建築中に立って通行する人にアプローチをしていた時、城東マイホームセンター内の三井ホームに勤めているおばさんが帰宅する際に前を通って、私に「浜松からこんな所まで来て大変ねえ。 がんばってね」となどと言っていきやがった。一条工務店が浜松の会社だからということで、別段、浜松の生まれでもない東京で入社した私まで浜松から来たことにされてしまっていたのだ。三井ホームのおばさんから格下の会社の人間を見下げたような人を馬鹿にしたような言い方をされたのは、なんとも情けなかった。 ある来場客・・というのか通行人に 「一条工務店は、知っている方は知っているけれども知らない方は知らないというくらいの知名度かと思います」と言うと、「そうかしら。 ぜ~んぜん、知らないわ」と言われた。浜松の本社に行く用事があった時、JR浜松駅からタクシーに乗ると、住所も行き方も何も説明しなくても、どのタクシーでも「一条工務店」と名前さえ出せば連れて行ってくれた。ある運転手は「一条工務店」の名まえを出しただけで、「お客さんは、家を建てる仕事をしてる人だと思うんで教えてほしいんだけど、私は今、○才で年収は◇◇万円しかないんだけど、そういう者でも家は建てられるもんでしょうか」といった話をされた。1992年から1993年にかけて、東京ではおよそありえないことだった。
亀戸の展示場が完成後、一条工務店は商品名に「セゾン」と名前をつけていた為、西武セゾングループと間違える人がおり、西武だとばかり思って、「ここは西武か」と言いながら入りかけた来場客が入口で「おい。 待て、待て。一条工務店なんて書いてあるぞ。ここは西武じゃないぞ。入っちゃだめだ、こんな所、入っちゃだめだ。出ろ、出ろ。入っちゃだめだあ」と叫ぶことがあったらしい。〔saison 〔女性名詞〕1.季節;時期、シーズン、収穫期、旬、猟期(漁期)。 2.湯治(の時期)。[『ポケットプログレッシブ 仏和・和仏辞典<第2版>』1999.第2版 小学館]〕 松戸の展示場では、子供が中まで入ってきて、母親があわてて「ちょっと、ここは入らないの。ここは入っちゃだめな所なの。早く出なさ~い。 ちょっと、出なさいって。早くぅ~う。 ここは入っちゃだめ~え!」と必死になって大声で叫ぶことがあった。 「ここは入っちゃだめ~え!」と叫ばれる条件で仕事をするのと、会社の名まえを出しただけで「お客さんは家を建てる仕事の人だと思うんで、教えてほしいんだけど・・・」と言ってもらえる場所で仕事をするのと、条件が違うのは明らかだ。
そういう条件のもと、一条工務店の遠州人は、東京で坪単価55万円のものを浜松・掛川では48万円、名古屋では49万5千円で売るという超ダンピング販売をしていた。ここまで金額に差をつけたのでは、東京都で契約した人が払ったカネが静岡県西部・愛知県で建てる人の家の費用に使われているようなものだ。東京都・千葉県で勤務していた営業は、浜松・掛川で48万円、名古屋で48万5千円のものを東京都で55万円、千葉県で52万円で売らされているということに誰もが怒っていた(経済学上の需要曲線を考えてみよ!)。 浜松・掛川・名古屋の人間はそのやり口に味をしめていた。 そして、一条工務店の遠州人は東京で入社した従業員には「一条工務店は、テレビ広告とかはまったくしないで、そういう費用を建てる家に使って、より良いものを建てることで契約してもらおうというやり方をしています」と教えた上で、静岡県西部・愛知県のみテレビ広告をドカンドカンとやっていた。一条工務店の遠州人は浜松・名古屋ではドカンドカンとテレビ広告をやっているということを東京圏の従業員に姑息に隠していたのだが、この事実を誰から教えてもらって知ったかというと、江東区潮見の展示場に来場された浜松出身で東京都に住んでいる方で、あと何年かで定年になるので、定年になったら浜松で家を建てたいと考えているという方に、まさか、会社が自分の会社の従業員にそんな嘘を吹きこんでいるとは夢にも思わず、教えられた通り話したところ、「何、言ってんだよ。一条工務店、テレビ広告、浜松ではものすごくいっぱいやってるじゃないか。たしかに東京ではやってないけどね。嘘ついちゃだめだよ。」と言われて、え?と思って知ったのだ。 それが「一条工務店の遠州人」のやり口であった。「静岡県西部・愛知県」の従業員が他の地域の従業員より得することならどんなことでも次から次へと「やらまいか」という貪欲な「やらまいか精神」だった。 一条工務店の浜松・名古屋・掛川の人間は、自分たちが努力して「売った」と思いたかったようであり、自分たちが優秀だから売れたと主張したかったようだが、少なくとも本質はそうではない。彼らは超弩級のダンピングとテレビ広告で「売らせてもらった」のだ。そう言われて悔しかったら、他の地域と同じ条件で営業やってみろ、と言っても浜松・掛川・名古屋の人間は絶対にやらない。 自分たちの所に他の地域より有利な条件を設定した上で仕事をするということに味をしめた人間は、その自分たちの「生命線」を簡単には手放さないということのようだ。
福島県いわき市に行くと、「マルト」「ヨークベニマル」と「フジコシ」という3つのスーパーがあった。 「大黒屋」という百貨店もあって、けっこう買い物がしやすい百貨店で私は好きだったが、私がいわき市を離れた後、倒産してしまった・・・と思ったら、スーパーの「フジコシ」まで倒産した。 その「フジコシ」の店が、なぜか、東京都ではこの亀戸にだけ1軒あったのだ。 けっこうはやっていて、城東マイホームセンターの中を通り抜けてフジコシに買い物に行き帰りする主婦が一条工務店の建築中の展示場の前を通ることがあった。 私自身もフジコシの亀戸店に行ってお弁当を買って食べたこともあった。 いわき にあったなつかしい店だったのだが、いつしか、それもなくなり、別の店に変わっていた。↓
かつて、フジコシの亀戸店があった場所には、他の店があった。↑ 1984年頃、怪人21面相から攻撃を受けた江崎グリコ・森永製菓について、なんとも怪しい「文化人」が、「森永を苛めて子どもたちの夢を壊すのはやめてやってくれ」などとアホなことを言ったことがあったが、グリコや森永の経営者は困ったかもしれないが、もしも、森永がつぶれたとしても、森永が作っている菓子で需要があるものがあるならば、他の菓子メーカーが同様のモノを作って売ることになるだけのことで、「子供らの夢」は森永がつぶれようが別につぶれはしない。 私がいわき市で勤務していた時、いわき市には、証券会社の支店が、大手の山一証券、地方証券会社の水戸証券、それにもう一軒、小規模な証券会社の支店があった。 その3つなら、山一が一番つぶれにくいだろうなどと思っていたら、その山一証券がつぶれた。 その後どうなったかというと、地方証券会社1軒、小規模証券会社1軒と大手が1軒という需要がある地域で大手の山一がつぶれて支店がなくなったところ、すぐ後から、いわき市には大和証券の支店ができた・・・・・。 そんなものだ。 だから、森永がつぶれたとしても、森永が持っている需要がその後も存在するならば、他の菓子メーカーがその需要を獲得するかその需要を対象とする新たな会社ができるかであって、別に「子供らの夢」がつぶれるわけではない。 アホなことを言う「文化人」はおのれの無知無認識を恥じるべきであろう。
亀戸天神社は、五月の連休中ということと、藤まつり開催ということからか、今まで訪問した時よりずっと人では多かった。 中国人や韓国人らしき観光客もけっこういた。 日本の「神社」でも天神社の場合は、祀っている祭神が菅原道真であり、神社は神社でも、靖国神社のような中国・朝鮮に対しての侵略戦争に加担・賛成した戦死者を神さまとして祀る神社の中でも特殊な「神社」とか、明治神宮のような皇族を神と祀る神社と違い、中国や韓国の人たちも抵抗なく訪問できるということだろうか。
↑ これは、城東マイホームセンターの跡地と亀戸天神社との中間あたりにある亀戸二丁目公園の中の公衆便所であるが、もう少し大きければ、「交番みたい」だが、小さいから公衆便所か交番かどっちに見えるかというと公衆便所か・・・・。
≪ おきぬがやってきたのは、卒業式で読む答辞のした書きを、先生に見てもらうためだった。 彼女が東京の女学校にきていることは、いつか先生から、ちらと聞いていたが、答辞を読むというなら、あい変わらず首席を続けているのだろう。
吾一は座しきのすみのほうに引っこんでいた。 先生にした書きを見せているおきぬを見ると、どうも自分がいくじのない人間に見えてしかたがなかった。 先生のおかげで、夜学にかよわせてもらってはいるが、とても自分には答辞を読むような成績をあげるわけにはいかない。 おきぬのように勉強だけしていればいい者と、仕事がおそくなれば遅刻しなければならないし、夜勤があれば、欠席しなければならない者とでは、事情が違う。 そうは思いながらも、何かなさけない気持ちがした。 ≫
(山本有三『路傍の石』新潮文庫)
私が「大学生」であった時、最初の夏休み、父は私に無断で工場のアルバイトを「決めてきた」。 その工場から帰宅する途中、駅で、同じ中学校から同じ高校に行き、大阪大学の法学部に行ったKと会った。 彼が「どこ、行って来た~ん?」ときくので、こういう工場でアルバイトをしてきたのだと話すと、「へ~え。 そんなもん、やってんのお~ん」と、彼に人を馬鹿にする気持ちがあったかなかったかはわからないが、馬鹿にする気持ちは特になかったかもしれないが、馬鹿にしたような調子で言われた。 彼に、同じようにどこに言ってきたか尋ねたところ、「阪大の図書館に行って法律の勉強をしてきた」そうだった。 中学校から高校・大学とそれほど変わらないように行っても、生活は彼とは大きく違った。 私が工場で汗まみれになって仕事をしている時に冷房の入った部屋で法律の本を読んでいる人間、私が保養所の下男をして風呂みがきをやっている最中に冷房の入った部屋で法律の本を読んでいる人間になんか負けてたまるか! と思った時もあったが、実際問題として条件が全然違う。 義兄は私を見て「二宮尊徳みたい」と言ったが、昼間、工場で汗まみれになって労働して、夜と行き帰りの電車中で学習する「二宮尊徳」とアルバイトなどせず、冷房の入った部屋で法律の本を読んでいる人間と、どちらが成果を出すことができるかというと、二宮尊徳でない方である。
彼が大学を卒業した直後に司法試験に合格したようだが、その時、父は「Kくんの爪の垢をせんじて飲みなさい」と書いて送ってきた。 実際、彼の爪の垢でもせんじて飲みたかった。彼の爪の垢をせんじて飲めば、彼と同じように冷暖房完備の部屋で法律の本を読んで勉強させてもらえるなら、爪の垢でもしょんべんでもウンコでも何でも飲んでやるわ。 今、裁判官や弁護士や検事になっている人間の多くは、小学校の時も中学校の時も高校の時も私より成績が悪かった者で、大学に入るまでに読んだ法律の本など私よりはるかに少ない連中、そういうヤツが「大学生」の時に、私が工場で汗まみれになって労働し、保養所の下男として風呂磨きをし、冬場にはオフシーズンのジェットコースターのペンキ塗装の仕事でジェットコースターの最も高い所まで丸太をかついで登り恐怖を味わっていたその時、アルバイトなどせずに冷暖房完備の部屋で法律の本を読んで司法試験に通り、なっているのだ。 そういう裁判官が、でたらめの判決を書いている。
さらに、そういう司法試験にすら通っていない、いわば、裏口入学みたいなヤツ、「副検事」「かんぱん(簡判)」が検察官ヅラ、裁判官ヅラして起訴したり判決だし、私より高い給料をとっているのである。
私も、若い頃、検察官というのは、「一流大学」に合格できるだけの一般的全般的教養のある人が司法試験という法律に関する難しい試験に合格してなるもので、体力自慢の警察官と違って一般的教養とそこから来る良識、それに法律の知識認識の両方のある人がなっているのではないかと思っていた時期、そういう人がなるべきものだと思っていた時期があったが、実際には、一般的教養も法律的認識も十分でない警察官並みのチンピラが「副検事」になって国民の税金から高給を盗っている。
やっぱり、バックミュージックは、ロシア民謡の「ヴォルガの舟歌」か「ドゥビヌーシカ」あたりが妥当か・・・。
《YouTube-【ロシア語】仕事の歌 (Дубинушка) (日本語字幕)》https://www.youtube.com/watch?v=rk0C1GputJ8
「ドゥビヌーシカ」はいい歌である。 冷暖房のきいた部屋で法律の本を読んで司法試験に通りでたらめ判決を出す法敵裁判官が大学生であった時、工場で汗まみれになって労働し、保養所の下男として風呂磨きをし、ジェットコースターの最も高い所まで丸太をかついで登り恐怖を味わっていた人間の心にしみる歌だ。
(2015.5.4.)
☆ 冤罪を晴らす神様・菅原道真・怨念を晴らす全国お百度参り シリーズ
東京都
亀戸天神社(江東区)≪1≫ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
同 ≪2≫ が今回。
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
意富比神社 末社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社内 天満宮祠(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市(白井市河原子の)天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
千葉神社 摂社 千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
鎌倉市山崎の北野神社[山崎天神]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_10.html
熊本県
山崎菅原神社(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html
船場天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html
手取天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_8.html
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