清洲橋 観察 【2】リベット接合とボルト接合、色彩、積水ハウスの魅せる鉄骨梁、小名木川、小名浜の由来
[第335回]
【3】 清洲橋 の リベット接合
江口俊彦著・山口廣監修『東京の近代建築―建築構造入門』1990.11.25.理工学社)を見ると、
≪ 現場では、(鋼材の)柱や梁などの母材を接合しますが、その接合方法には、大きく分けて三つの種類があります。
まず、リベット接合があげられます。 これは、接合する母材に穴をあけておいて、そこに熱した鉄の「リベット」と呼ばれるびょうを入れ、さらに圧力を加えて、穴を埋めていく接合法です。 この方法によれば、施工の良し悪しによって強度に悪い影響がでるのを極力抑えることはできるのですが、母材に穴をあけるため、部材断面に欠損を生じ、その部分が弱くなります。また、施工の際に騒音がでるのも欠点となっており、現在ではあまり用いられないようになってきました。
つぎにボルト接合がありますが、この方法は、母材に穴をあけ、そこにボルトを差し込んで、ナットを用いて締めつけるものです。施工は簡単で、騒音も発生しませんが、リベット接合と同様、部材断面に欠損を生じます。また、ゆるみやすいので、大規模な建物や振動を受ける箇所には用いることができません。・・・・(略)・・・
ボルトのせん断抵抗によって力を伝えるのではなく、特殊な鋼を熱処理して、非常に強度を大きくした高張力鋼でつくった高力ボルトを強く締めつけ、母材間の摩擦力によって力を伝えるのが、締め付け力を利用した高力ボルト(ハイテンション ボルト)接合です。 この方法であれば、どのような接合部にも用いることができますが、やはり部材間の欠損部分が弱点となってしまいます。
現在、最も信頼性のある接合法が溶接です。 溶接は、当初、その施工の良否によって強度に影響を与えることが心配されていましたが、今日では、技術や材料、そしてコンピュータまで導入した機械の進歩に伴って、広く用いられている接合法です。 母材と母材の間に、鉄の芯線のまわりに被覆材を塗った直径5ミリ、長さ40センチメートル程度の溶接棒を近づけ、アークと呼ばれる激しい火花を母材と電極の間に飛ばしながら溶接金属を充てんしていきます。 一般に考えれば、溶接金属の部分が弱点になるように感じられるでしょうが、施工がよい場合、といってもプロが行うわけですから、ほとんどの場合は失敗することはありませんので、溶接金属の部分は弱点にはなりません。 引っ張り試験を行うと、母材部分が破断しても溶接金属は破断しません。 ・・・・ ≫(「第3章 鉄骨構造の建築」) と出ています。
〔 もっとも。 本のあとづけの著者略歴によると、著者の江口俊彦氏は私より少し年下で、近大九州工学部建築学科卒、日大大学院生産工学部研究科修士課程(建築工学専攻)修了で、現・千葉県立市川工業高校教諭、監修者の山口廣氏は日大理工学部建築学科卒で日大名誉教授で工学博士だそうですが、≪建築現場で働いた経験のある者から見ると、施工がよい場合、といってもプロが行うわけですから、ほとんどの場合は失敗することはありませんので≫て、ほんとかあ~あ? あんた、学校の先生なんかやってるから、現実を知らんのとちゃうのんかあ~あ? て気もしないではありません。 建築現場で実物を見ると、≪プロが行う≫にしてはこれかあ~あ???て施工はいっぱいあります。
今は昔、1993年、在来木造の一条工務店に入社して2年目、名古屋の営業所の所長になっていたK藤ローオなる男が、「研修」で、「お客さんを連れて他社の建築現場に行ったら、悪い所ばっかり見せる。 一条工務店の建築現場に行ったら、いい所ばっかり見せる。 一条工務店の建築現場で問題点があったら、なかったことにする。そういうようにすれば、一条工務店の建物はどこと比べてもすべての面に渡って断然いいということになる」と教えていたことがありましたが(そんなことしたら、どこの建物でも「どこと比べても断然いい」ことになってしまうではありませんか。 「一条工務店の建築現場で問題点があったらなかったことにする」なんてことにしたとしても、やっぱり、あるし。 「営業所長」であろうが何であろうが、私が見込客ならこういういいかげんな営業とは契約せんなあ・・・・・)、「◇◇大学名誉教授」とかいう方が建築現場を見学に行かれる時には、「いいとこばっかり見せる」ということを建築会社はやってきた、先生はそういう対応をされてきた、ということなのでしょうか。 私の勘ぐりすぎなら、その方がいいのですが、どうも、建築現場で実際に働いた経験のある者としては、≪プロが行うわけですから、ほとんどの場合は失敗することはありませんので≫と言われると、なんか、あんた、めでたいのとちゃうかあ~あ? と言いたい気がしてしまいます。
昨年、2014年、川口土木建築工業という埼玉県のいいかげんな土建屋が施工していた三菱地所レジデンスが施主の東京都墨田区マンションの工事現場に、「施工管理」という職種で行ったのですが、12月、設計会社の新宿の「安宅」という会社の人間が来たことがあったのです。 来て何して帰ったと思いますか? おもしろいですよ。 建築現場の隣に雑居ビルがあって、その2階に工事現場事務所を設置していたのです。 そこに来て、現場監督のひとりにコーヒーを入れてもらって談笑して、「来年もよいお年を」と言ってお帰りになったのです。 工事現場の敷地には1歩たりとも入らずに。 この人、何しに来たのでしょうね。 そういうお方のことを「設計士さま」と言うのです。 「設計士さま」ておもしろいことやるよね。 工事の「施主」、マンションの販売会社は「三菱地所レジデンス」という会社です。 三菱地所のマンションて、「三菱ってのが作ったんだぜ♪」とか思って、三菱のマンションだから確かだろう・・などとアホなこと思っている人がいるみたいですが、三菱系のゼネコン・三菱建設が作ったものじゃないですよ。 大手五社とかが作ったものでもないですよ。 川口土木建築工業なんていう、いかにもいいかげんな会社が作っているんですよ。 で、設計会社の人間、「設計士さま」という若造は、隣の現場事務所まで来て、コーヒー入れてもらって談笑して「よいお年を」とかにこやかに言って、工事現場の敷地には1歩たりとも入らずに帰りやがったんですよ。 「設計士さま」ておもしろいことするよね♪ バッカじゃなかろかルンバ♪て感じ! だから、自分の設計会社が「設計」した建物がどういう施工をされているかなんて、「設計士さま」はご存知ないんだわ。 「設計士さま」ておもしろいよね♪
※「三菱ってのが作ったんだぜ」は⇒《YouTube―三菱ミラージュCM 80年代》https://www.youtube.com/watch?v=dB9xNrel_S8
※「バッカじゃなかろかルンバ」は⇒《YouTube―野村監督「バッカじゃなかろかルンバ」(原曲入り) 》https://www.youtube.com/watch?v=ewJ6WwU76Rs 〕
1928年(昭和3年)竣工という清洲橋の↑ は、『東京の近代建築―建築構造入門』で出ている「リベット」「ボルト接合」「高力ボルト接合」「溶接」という鋼材の接合方法のうち、「リベット」というものでしょうか。
青木博文ほか7名『最新 建築構造入門』(2004.4.15. 実教出版)には、≪(「リベット接合」とは)鋼材に孔をあけ、赤熱したリベットを通し、ハンマーで打撃し、かしめて接合する方法。≫ ≪ 引っ張り強さがふつうのボルトの2倍以上もある高力ボルトを用いて鋼材を接合する方法を、高力ボルト接合という。 この接合方法はリベット接合にかわるものとして開発されたものであり、施工時の騒音が小さく、作業が容易で、労力の節約、工期の短縮が可能であることから、現場での接合に多く用いられている。・・・≫ と出ています。 そう言われてみると、このぽちぽちがいっぱいついた鉄骨造を、昔はけっこうよく見た気がするし、鉄人28号にもついていたような気がするのですが、最近の鉄骨造ではあまり見なくなったような気がします。 「リベット接合」は「高力ボルト接合」に替わってきたのですね。
ちなみに、↓ は「リベット」ではなく「ボルト」ですね。(東京都北区。JR「王子」駅東側にて)
「ボルト」と「高力ボルト」が見た目でどう違うのかはよくわからんのですけれども。
↓ は「リベット」ですね。(やはり、「王子」駅東側にて)
見比べるとよくわかる♪ (写真はクリックすると大きくなり、その上で「+」をあててクリックするとさらに大きくなるので、ぜひ大きくして見てください。)
もっとも、「高力ボルト」と「ボルト」が見た目でどう違うのかよくわからん。
【4】 色彩と建築。 ありきたりでない青系統色の清洲橋。
1997年と1998年にイタリアのナポリに行きました。 ウンベルト1世のガッレリーアやサン=カルロ劇場、カステル=デツローヴォ(卵城)などがあるあたりから、海沿いに「マレキアーレに月が登れば、そこでは魚でさえも恋をする」とトスティ作曲の『マレキアーレ』で歌われる「マレキアーレ」(イタリア標準語では「マレキアーロ」)のあたりに向かって、海沿いの道を歩きかけて、そこで気づいたのは、ナポリの海沿いの道の道路のガードレールは、深緑の色をしていることで、それは、ナポリの海の色と同じなんだ・・・・ということでした。 ナポリの人は、こういう所にも気をつかって街づくりをしているんだと思って感激しました。

⇒《YouTube―Pavarotti(パバロッティ)- Tosti(トスティ作曲)- Marechiare(「マレキアーレ」)》https://www.youtube.com/watch?v=cxhvfJCVN9A
《YouTube―Luciano Pavarotti (ルチアーノ=パバロッティ)- 'O sole mio(オー ソレ ミーオ)》 https://www.youtube.com/watch?v=d_mLFHLSULw
ナポリから南に行ったソレントを歌った『帰れ ソレントへ』という歌には、「世界中をまわってきた人も、こんなに美しい所はないと言うよ」という歌詞があったと思いますが、ナポリにせよソレントにせよ、もともとの町が美しいというだけではなく、そこに住む人たちがその町を大切にして美しく保ちたいという思いを持ち続けているからこそ、「世界一」という評価にはその土地の人の時分の街への思い入れもあるとしても、その美しい街が継続してきたということだろうと思いました。

《YouTube―パヴァロッティ: 帰れソレントへ (デ・クルティス)》https://www.youtube.com/watch?v=sHKPLuI-NAo
日本でガードレールといえば、白と決まっていたと思うのです。最近でこそそうでないものも出てきましたが、海沿いの道で、その海の色に合わせたものにしようといった配慮がなされているものは多くはないと思うのです。イタリアに行って買いものをすると、釣り銭の計算については、日本人ならたいていの店員が苦労せずにするものを、多くのイタリア人の店員はずいぶんと苦労をし、また、それゆえに、大きな金額の札を出すと日本なら特別嫌がらずにお釣りをくれる場面で、嫌がられて売ってもらえない場合がありました。釣り銭の計算などの能力は日本人には多くのイタリア人より優秀な人が多いと思えますが、その一方で、自分が住んでいる街の景観を大事にしようという姿勢については、イタリア人は多くの日本人よりはるかにすばらしいと思えました。
ナポリの海沿いの道で見たナポリの海の色に合わせた色彩のガードレールのような配慮がなされた塗装は、あまり見ない、そういった色彩感覚という点では、残念ながら日本はイタリアに相当劣っているのではないかと思ったのですが、私がナポリ・ローマに行った1997年、ナポリ・ソレントに行った1998年、ミラノ・サンレモに行った1998年から何年か経つと、日本人でも私と同じようなことを考える人も出てきたのか、悪くない色彩のものも時として見ることが出てきました。 この清洲橋は、青系統の色でも、「ありきたりの青系統の色」ではなく、「けっこう独創的な青系統の色」で、そのあたりもなかなかかっこいい。 なかなかやるではないか、て感じ。
≪ 錆(さび)もまた鉄にとっては大敵のひとつです。 鉄は酸に対して非常に弱く、放っておくとみるみるうちに錆びてしまいます。 したがって、それなりの対応をしなければなりませんが、最も簡単な方法は塗装でしょう。
塗装とは、油性ペイントのような塗料を鉄骨などに塗りつけて、塗膜をつくることです。 塗膜をつくることによって、鉄骨は、直接空気に触れなくてすみます。 つまり、酸化する危険から守られるのです。 隅田川に架けられている、骨組みがむき出しの鉄橋を見れば、塗装の意味がわかるでしょう。 塗装は、見かけをよくするだけではなく、もっと重要な役割を果たしていたのです。 ・・・・≫
(江口 敏彦 著・山口 廣 監修『東京の近代建築―建築構造入門』1990.11.25.理工学社 「3章 鉄骨構造の建築」)
「塗装」というのは、錆止めと装飾では、目的としてどちらが主でどちらが従なのでしょう。 塗装と別に、もうひとつ、「錆止めの色」というものもあると思います。 今は昔、1980年代の初め、ジェットコースターのペンキ塗装のやり替えの手伝いのアルバイトをしたことがありましたが、ジェットコースターのペンキ塗装の部分を落とし、錆止めをやり直して、そして、錆止めを塗った上にペンキを塗っていたのですが、そのジェットコースターの錆止めの色は「えび茶色」というのか「えんじ色」というのかで、道を歩いていて見かけるビル建築の鉄骨造の鉄骨も「えび茶色」というのか「えんじ色」というのかをしていたように思います。今でも、ビル建築の重量鉄骨の建物の鉄骨は「えび茶色」をしているものが多いのではないでしょうか。だから、錆止めというのはそういう色をしているものだと思ったのです。 ところが、住宅建築業界に勤めてみると、積水ハウスとかパナホームとかの軽量鉄骨の建物の骨組みの鉄骨というのは、完成後は鉄骨は表に出てこず、装飾だけを目的とする塗装はしませんから、建築現場で見る軽量鉄骨の骨組みの色は錆止めの色のはずなのですが、なじかは知らねど、「えび茶色」ではなく、黒なのです。 な~んでだろ・・・・・・。 小堀住研の松戸営業所で営業課長だったUさんが教えてくれた話では、積水ハウスなどの軽量鉄骨の色が黒なのは錆止めの色なのだが、錆止めの色というのは塗料を入れて着色しているのであって何色でもいいのであるが、軽量鉄骨の住宅で軽量鉄骨の構造材に塗られる錆止めが黒なのは、軽量鉄骨の住宅というのは、骨組みの段階で見ると、弱そうに見えるから、だから、いくらかなりとも強そうに見えるようにするため、どの色にすると強そうに見えるかということを考えて黒にしているのだそうだ。 それで、重量鉄骨の建物の骨組みに使用される鉄骨は「えび茶色」の錆止めが塗られるのに対して、軽量鉄骨の住宅の骨組みの鉄骨に塗られる錆止めは黒だったらしい。
積水ハウスの軽量鉄骨造の建物の鉄骨で感心したことがもう一度あります。 木造では、太い梁を構造材として使用しており、これを室内側で見えるようにすると、なかなかの見栄えがします。 高山の「民家」では、玄関を入ってすぐのところに吹き抜けがあって、そこで梁の架構を見せる(魅せる)ようになっている家が多い。
※[第285回]《松本家住宅・宮地家住宅。仏壇・神棚への配慮。がさつな人間は「営業できる」か―高山シリーズ第2回(8) 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html で、松本家住宅、
[第286回]《宮地家住宅 下、平田記念館 高山シリーズ第2回(9)、隣家と近接した建て方について。大雨の影響。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html で、平田記念館(旧・平田家・「打保屋」)、
[第290回]《飛騨民族考古館4、藤井美術民芸館、版画喫茶「ばれん」。及、「質屋の入口」から逃げていく裁判官。 》 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html で、「飛騨民族考古館」(藤井家→坂本家住宅)の、吹き抜け部分の架構の写真を掲載しています。
現在、新築する住宅でも、梁を見せる(魅せる)ということはできるはずで、住宅雑誌などを見ても、そういう写真を見ることができます。 これは、在来木造でこそできることですが、小堀住研がまだ「高級住宅」の会社であった時代には、木質パネル構法のものでも梁を見せる施工をしていた建物はあったように思います。 木質パネル構法はツーバイフォー工法と在来木造の両方を参考にして考え出されたもので、ツーバイフォー工法には在来木造のような太い梁はありませんが、木質パネル構法にはあるので見せることができます。 古くからの住宅では、ムクの梁を見せるわけですが、集成梁を見せるというのも悪くはありません。
在来木造の一条工務店は、構造材は柱・梁ともムクで、かつ、最上階の上には松丸太梁(野物)を「しばり」に入れる(交差するように入れる)ということをしていたので、それを見せるようにすれば、けっこう魅力的ではないかとも思いましたし、又、松丸太梁を見せて小屋裏部分まで吹き抜けにした施工を展示場でやれば、来場客から魅力を感じてもらうことができるのではないかと思ったのですが、どうも、一条工務店はあまりやりたがらなかったようです。 なぜかというと、
(1) ひとつには、角材にして使用している米松(ダグラスファー)ならまだいいけれども、国産の松丸太は松脂(まつやに)が落ちてくるので、松丸太梁をその下に天井板を貼らずに施工すると、入居後にクレームになることがあり、なんとかしてくれと言われても、松材から松脂がでるのはいたしかたのないことで対応のしようがないから、ということが理由だと同社にいた時に聞きましたが、
(2)しかし、在来木造の同業他社や木質パネル構法の小堀住研では木の梁を見せる施工を現実にしていて、入居後に入居者からそれほど苦情があったわけでもないのです。一条工務店が梁を見せる施工をあまりやりたくないもうひとつの理由は、同社が「地方中心の会社」だからという点があったと思います。 同社の福島県いわき市の営業所にいた時、いわき市でも山間部の方のお宅にうかがってお話をしていた時、囲炉裏(いろり)とか、そして、梁を見せる施工といった話を私がしたところ、「それだけはけっこうです。」と言われたので、「どうしてですか」というと、「だって、ほら」と言って上を指差されたことがありました。 上に何があったかというと、都会の人間が魅力を感じる天井を貼らずに小屋裏まで吹き抜けて梁が見える「古民家風」だか「田舎風」だかの住宅・・・ではなく、正真正銘、本物の「農家型古民家」、本物の「田舎の家」がそこにあったのです。 「あきあきしました。そういうのは」と言われたのです。 都会の人間が「郷愁」のようなものを感じる「田舎風」「農家風」の造りというのは、「地方」に住んで、本物の「農家の建物」に住んできた人からすれば、「もう、けっこう」だったようです。 だから、「地方」中心で、「地方」の人間が主導権を握って運営している一条工務店においては、都市部の人間が魅力を感じる造りのものを作ろうという意思はなかったようなのです。松脂が落ちるという話は、おそらく、嘘ではないでしょう。 しかし、そういうことがあってもやろうという都市圏中心の会社は、都市部ではそういう施工を喜ぶ人がいるからなんとかやろうとするのに対し 、「浜松の人間がいいと思うものはどこでもいいに決まってるんだ」という信仰の人が支配している会社では、「地方」の人間がたいして魅力を感じないものについては、松脂が落ちるという問題がある以上はやらない方がいい、でおしまいだった・・・ということでしょう。
(3)今現在、国産の松は、松喰い虫の被害が多く、国産の松丸太を梁に使用する時、一条工務店では、松喰い虫対策としてACQという薬剤を加圧注入して使用していたのですが、松丸太を見せる造りにする場合、ACQを加圧注入した緑がかった色の松を見せるのか、それとも、丸太梁を見せる施工にする場合にはACQの加圧注入をせずに施工するのか、という問題もあったようです。
(4)もうひとつ、最近の木造は、木造とはいっても金物も使用しており、梁の周囲には、「羽子板ボルト」とか使っていたり、部屋の隅の部分に「火打ち梁」という水平方向の斜め材を入れますが、「火打ち梁」は木製の場合と金属製の「火打ち金物」である場合があり、どちらでも良いのですが、一条工務店では金属製のものを使用していたので、梁を見せる施工をした場合、そういった金物も見せるのか? という問題も出てきます。 昔の木造では金物の使用をあまりしなかったので、梁を見せる施工をした時に金物も見えるという問題は出てこなかったのですが、現在の木造の場合は、構造材を見せる施工をした場合には、金物も見せるのかどうするのかという問題が出てくるようです。
鉄骨造や鉄筋コンクリート造りにおいてはどうかというと、鉄骨の無粋な梁を見せてもどうしようもないような感じがします。 鉄筋コンクリート造でラーメン構造の建物では、見せたいからではなく、構造上、梁型が室内に出てきてしまいますが、コンクリートそのままで見せることはあまりしません。 槇文彦さんは「コンクリートの白木造り」と称して、コンクリートの地肌を見せるという手法をけっこうされるようですが、一般には鉄筋コンクリートの梁はその下に天井板を貼って、梁型は見えてもコンクリートそのものは見せないようにします。
しかし、私が感心したのは、今はなくなった千葉県習志野市東習志野の総合住宅展示場にあった積水ハウスの展示場の鉄骨の梁です。 構造材としての鉄骨の錆止めは重量鉄骨では「えび茶色」「エンジ色」、軽量鉄骨では黒色ですが、東習志野の軽量鉄骨軸組構法の積水ハウスの展示場では、2階のある部屋で鉄骨造の梁を見せる施工をしていたのですが、見せるためにその部分は白色に塗装していたのです。 見せていたのは梁だけではなく、鉄骨造ですから当然金属製の接合部材も白色に塗装して見せていたのです。 なるほど、塗装して見せる場合には、鉄骨造の建物の場合はもとより柱も梁も金属なので、接合部に使用している金物・ボルトや火打ちが金属であっても問題はないわけです。 そのあたりを、いわば、「逆転の発想」をおこなって、見た目を考えた塗装をおこなった鉄骨の構造材を見せるという施工は、よく考えたものだと感心しました。 架構を見せるというのは木質系の建物の専売特許ではなかったのです。
さて、清洲橋ですが、いつからこの色になったのかはわかりませんが、なかなか魅力的な色です。 ナポリの海沿いの道のガードレールはナポリの海の色に合わせた深緑でしたが、清洲橋は隅田川の水面の色に合わせた色というわけでもありません。 なるほど、色彩はその場所に存在する自然や先住建物の色合いに合わせることで美しいものにするというケースもあるとともに、その場所に前から存在するものとは異なる色を使用して美しいものにするというケースもあるようです。 清洲橋は青系統の色ですが、「青なら何でもいいじゃろて感じの青」ではありません。 日本の鉄骨造の建物でよく見てきた、「ともかく青ならなんでもいいじゃろ」「ともかく赤ならなんでもいいじゃろ」という類の青ではありません。 写真ではなかなか、実物そのものの感動を百パーセントは伝えることができませんが、「青は青でも相当に検討して考えられた独創的な青」です。 ↓
↑ 建築の美しさというものは、構造の美しさを基本とするべきで、構造から離れた美しさというのは邪道と考えるべきかとも思ったりもしたのですが、色使いによる美しさというものもあって、それは必要な要素で「邪道」とか考えるべきではないと思いました。
【5】 小名木川
↓が、清洲橋の中央区側の川端から見た 小名木川との分岐点です。
(↑ 25倍望遠レンズ付きデジカメはスグレモノ♪ )

↑ この橋もなかなか美しいと思うが、地図を見ても、橋の名称が見つからない。 この橋も「緑は緑でもありきたりでない緑色」です。 こうやって見ると、橋も十分に見るに値するものに思えてきます。
ところで、この小名木川と隅田川の接点だが、小名木川が隅田川に注いているのか、隅田川から小名木川が分岐しているのか。 結論を言うと、小名木川が隅田川から分岐しているらしく、小名木川(おなぎがわ)は、元々、人工的に作られた運河だったらしい。
≪ ・・・・東京湾にも何度も津波が押し寄せてきた痕跡がある。 江東区の北部を東西に横切る小名木川は徳川家康が関東入府のとき、潮入りの沼沢地に下総国の行徳塩を運搬する便のために掘削した運河とされている。
実は単にそれだけの理由ではなく、そのあたりまで過去何度も津波が押し寄せていたことを踏まえて、1章で述べたように、津波を東の葛西領の農村地帯(低湿地)に逸らす目的で掘られたものかもしれない。 あるいは「以後、もうヲナ(雄波)はここまで」との願いを込めて命名された運河名であった、とも考えられる。 ≫
(楠原祐介『この地名が危ない―大地震・大津波があなたの町を襲う』2011.12.20. 幻冬舎新書 「5章 <三大都市圏> 怪しい地名を検証する」 )
「1章 地名が教えていた東日本大津波」では、
≪ ・・宮城県女川、福島県いわき市小名浜(おなはま)のオナ(ヲナ)は、「雄(男)波」のヲ・ナミを下略して津波を「ヲナ」と呼んだ名残だ、と容易に推測できる。 ・・・≫ と出ている。
〔 いわき市の小名浜(おなはま)は、福島県浜通りで最大の港で、かつ、福島県で唯一のソープランド街がある所だった。 船乗りが「女のいる浜(港)」と呼んだものが、いつしか「女浜(おんなはま)」になって、それを「オナハマ」と読むようになり、そのうち、もろにそういう名前で呼ぶのはどうかということから漢字を変えて「小名浜」になった・・・のかと思っていたら、楠原氏の『この地名が危ない』によると、そういうことでもないようだ。 もっとも、この楠原祐介『この地名が危ない』には、楠原氏が作成した『地名用語語源辞典』(1983.)に、「おな」の項目に、≪1.畦。・・・・ 2.ヲ(峰)ナ(土地)で、「高くなった所」の意。 3.ヲンナ(女)の略で、女性に関連する伝説関連地名もあるか。 4.ヲ(小)ノ(野)の転もありうるか。 5.ヨナ(砂)の転か。―≫と楠原氏は書いたという記述もある。 いわき市の小名浜地区は、平地の少ない浜通りではいわき市の平(たいら)地区とともに平地のある地域であり、「大原(おおはら)」という地名もあり、また、小野(おの)さんという苗字の方が比較的多い地域でもあるので、津波(ヲナ)から来た地名の可能性もあるが、それほど広くはないけれどもともかく平地がある地域ということでの「小野(おの)」、そして、<特別に広くはない平地である「小野(おの)」が背後にある浜>ということからついた地名の可能性もないとは言えないようにも思えるし、「女のいる浜」と船乗りが読んだことから・・という可能性も、やはり、絶対ないとは言えないような気もする。 その3つ、もしくは、そのうち2つの融合形という可能性もありうるのではないかとも思えるがいかがだろうか。 〕
小名木川(おなぎがわ)の「おな」が津波(ヲナ)の意味で、≪「以後、もうヲナ(雄波)はここまで」との願いを込めて命名された≫とすれば、オナギ川の「ギ」も、本来は「木」ではなく「城」だったか・・・?
(2015.7.22.)
☆ 清洲橋 観察 は 4部構成。
1. なかなかかっこいい清洲橋。吊り橋いろいろ。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201507article_1.html
2. 今回。
[次] 3. ブスは耐久性があるか・建築編 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201507article_3.html
4. 隅田川遊覧船、新大橋、両国橋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201507article_4.html
☆ 続編 新大橋 観察 2部作
上 黄色がはえる、歩道が広い新大橋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201507article_5.html
下 新大橋と首都高、新大橋由来 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201507article_6.html
【3】 清洲橋 の リベット接合
江口俊彦著・山口廣監修『東京の近代建築―建築構造入門』1990.11.25.理工学社)を見ると、
≪ 現場では、(鋼材の)柱や梁などの母材を接合しますが、その接合方法には、大きく分けて三つの種類があります。
まず、リベット接合があげられます。 これは、接合する母材に穴をあけておいて、そこに熱した鉄の「リベット」と呼ばれるびょうを入れ、さらに圧力を加えて、穴を埋めていく接合法です。 この方法によれば、施工の良し悪しによって強度に悪い影響がでるのを極力抑えることはできるのですが、母材に穴をあけるため、部材断面に欠損を生じ、その部分が弱くなります。また、施工の際に騒音がでるのも欠点となっており、現在ではあまり用いられないようになってきました。
つぎにボルト接合がありますが、この方法は、母材に穴をあけ、そこにボルトを差し込んで、ナットを用いて締めつけるものです。施工は簡単で、騒音も発生しませんが、リベット接合と同様、部材断面に欠損を生じます。また、ゆるみやすいので、大規模な建物や振動を受ける箇所には用いることができません。・・・・(略)・・・
ボルトのせん断抵抗によって力を伝えるのではなく、特殊な鋼を熱処理して、非常に強度を大きくした高張力鋼でつくった高力ボルトを強く締めつけ、母材間の摩擦力によって力を伝えるのが、締め付け力を利用した高力ボルト(ハイテンション ボルト)接合です。 この方法であれば、どのような接合部にも用いることができますが、やはり部材間の欠損部分が弱点となってしまいます。
現在、最も信頼性のある接合法が溶接です。 溶接は、当初、その施工の良否によって強度に影響を与えることが心配されていましたが、今日では、技術や材料、そしてコンピュータまで導入した機械の進歩に伴って、広く用いられている接合法です。 母材と母材の間に、鉄の芯線のまわりに被覆材を塗った直径5ミリ、長さ40センチメートル程度の溶接棒を近づけ、アークと呼ばれる激しい火花を母材と電極の間に飛ばしながら溶接金属を充てんしていきます。 一般に考えれば、溶接金属の部分が弱点になるように感じられるでしょうが、施工がよい場合、といってもプロが行うわけですから、ほとんどの場合は失敗することはありませんので、溶接金属の部分は弱点にはなりません。 引っ張り試験を行うと、母材部分が破断しても溶接金属は破断しません。 ・・・・ ≫(「第3章 鉄骨構造の建築」) と出ています。
〔 もっとも。 本のあとづけの著者略歴によると、著者の江口俊彦氏は私より少し年下で、近大九州工学部建築学科卒、日大大学院生産工学部研究科修士課程(建築工学専攻)修了で、現・千葉県立市川工業高校教諭、監修者の山口廣氏は日大理工学部建築学科卒で日大名誉教授で工学博士だそうですが、≪建築現場で働いた経験のある者から見ると、施工がよい場合、といってもプロが行うわけですから、ほとんどの場合は失敗することはありませんので≫て、ほんとかあ~あ? あんた、学校の先生なんかやってるから、現実を知らんのとちゃうのんかあ~あ? て気もしないではありません。 建築現場で実物を見ると、≪プロが行う≫にしてはこれかあ~あ???て施工はいっぱいあります。
今は昔、1993年、在来木造の一条工務店に入社して2年目、名古屋の営業所の所長になっていたK藤ローオなる男が、「研修」で、「お客さんを連れて他社の建築現場に行ったら、悪い所ばっかり見せる。 一条工務店の建築現場に行ったら、いい所ばっかり見せる。 一条工務店の建築現場で問題点があったら、なかったことにする。そういうようにすれば、一条工務店の建物はどこと比べてもすべての面に渡って断然いいということになる」と教えていたことがありましたが(そんなことしたら、どこの建物でも「どこと比べても断然いい」ことになってしまうではありませんか。 「一条工務店の建築現場で問題点があったらなかったことにする」なんてことにしたとしても、やっぱり、あるし。 「営業所長」であろうが何であろうが、私が見込客ならこういういいかげんな営業とは契約せんなあ・・・・・)、「◇◇大学名誉教授」とかいう方が建築現場を見学に行かれる時には、「いいとこばっかり見せる」ということを建築会社はやってきた、先生はそういう対応をされてきた、ということなのでしょうか。 私の勘ぐりすぎなら、その方がいいのですが、どうも、建築現場で実際に働いた経験のある者としては、≪プロが行うわけですから、ほとんどの場合は失敗することはありませんので≫と言われると、なんか、あんた、めでたいのとちゃうかあ~あ? と言いたい気がしてしまいます。
昨年、2014年、川口土木建築工業という埼玉県のいいかげんな土建屋が施工していた三菱地所レジデンスが施主の東京都墨田区マンションの工事現場に、「施工管理」という職種で行ったのですが、12月、設計会社の新宿の「安宅」という会社の人間が来たことがあったのです。 来て何して帰ったと思いますか? おもしろいですよ。 建築現場の隣に雑居ビルがあって、その2階に工事現場事務所を設置していたのです。 そこに来て、現場監督のひとりにコーヒーを入れてもらって談笑して、「来年もよいお年を」と言ってお帰りになったのです。 工事現場の敷地には1歩たりとも入らずに。 この人、何しに来たのでしょうね。 そういうお方のことを「設計士さま」と言うのです。 「設計士さま」ておもしろいことやるよね。 工事の「施主」、マンションの販売会社は「三菱地所レジデンス」という会社です。 三菱地所のマンションて、「三菱ってのが作ったんだぜ♪」とか思って、三菱のマンションだから確かだろう・・などとアホなこと思っている人がいるみたいですが、三菱系のゼネコン・三菱建設が作ったものじゃないですよ。 大手五社とかが作ったものでもないですよ。 川口土木建築工業なんていう、いかにもいいかげんな会社が作っているんですよ。 で、設計会社の人間、「設計士さま」という若造は、隣の現場事務所まで来て、コーヒー入れてもらって談笑して「よいお年を」とかにこやかに言って、工事現場の敷地には1歩たりとも入らずに帰りやがったんですよ。 「設計士さま」ておもしろいことするよね♪ バッカじゃなかろかルンバ♪て感じ! だから、自分の設計会社が「設計」した建物がどういう施工をされているかなんて、「設計士さま」はご存知ないんだわ。 「設計士さま」ておもしろいよね♪
※「三菱ってのが作ったんだぜ」は⇒《YouTube―三菱ミラージュCM 80年代》https://www.youtube.com/watch?v=dB9xNrel_S8
※「バッカじゃなかろかルンバ」は⇒《YouTube―野村監督「バッカじゃなかろかルンバ」(原曲入り) 》https://www.youtube.com/watch?v=ewJ6WwU76Rs 〕
1928年(昭和3年)竣工という清洲橋の↑ は、『東京の近代建築―建築構造入門』で出ている「リベット」「ボルト接合」「高力ボルト接合」「溶接」という鋼材の接合方法のうち、「リベット」というものでしょうか。
青木博文ほか7名『最新 建築構造入門』(2004.4.15. 実教出版)には、≪(「リベット接合」とは)鋼材に孔をあけ、赤熱したリベットを通し、ハンマーで打撃し、かしめて接合する方法。≫ ≪ 引っ張り強さがふつうのボルトの2倍以上もある高力ボルトを用いて鋼材を接合する方法を、高力ボルト接合という。 この接合方法はリベット接合にかわるものとして開発されたものであり、施工時の騒音が小さく、作業が容易で、労力の節約、工期の短縮が可能であることから、現場での接合に多く用いられている。・・・≫ と出ています。 そう言われてみると、このぽちぽちがいっぱいついた鉄骨造を、昔はけっこうよく見た気がするし、鉄人28号にもついていたような気がするのですが、最近の鉄骨造ではあまり見なくなったような気がします。 「リベット接合」は「高力ボルト接合」に替わってきたのですね。
ちなみに、↓ は「リベット」ではなく「ボルト」ですね。(東京都北区。JR「王子」駅東側にて)
「ボルト」と「高力ボルト」が見た目でどう違うのかはよくわからんのですけれども。
↓ は「リベット」ですね。(やはり、「王子」駅東側にて)
見比べるとよくわかる♪ (写真はクリックすると大きくなり、その上で「+」をあててクリックするとさらに大きくなるので、ぜひ大きくして見てください。)
もっとも、「高力ボルト」と「ボルト」が見た目でどう違うのかよくわからん。
【4】 色彩と建築。 ありきたりでない青系統色の清洲橋。
1997年と1998年にイタリアのナポリに行きました。 ウンベルト1世のガッレリーアやサン=カルロ劇場、カステル=デツローヴォ(卵城)などがあるあたりから、海沿いに「マレキアーレに月が登れば、そこでは魚でさえも恋をする」とトスティ作曲の『マレキアーレ』で歌われる「マレキアーレ」(イタリア標準語では「マレキアーロ」)のあたりに向かって、海沿いの道を歩きかけて、そこで気づいたのは、ナポリの海沿いの道の道路のガードレールは、深緑の色をしていることで、それは、ナポリの海の色と同じなんだ・・・・ということでした。 ナポリの人は、こういう所にも気をつかって街づくりをしているんだと思って感激しました。
⇒《YouTube―Pavarotti(パバロッティ)- Tosti(トスティ作曲)- Marechiare(「マレキアーレ」)》https://www.youtube.com/watch?v=cxhvfJCVN9A
《YouTube―Luciano Pavarotti (ルチアーノ=パバロッティ)- 'O sole mio(オー ソレ ミーオ)》 https://www.youtube.com/watch?v=d_mLFHLSULw
ナポリから南に行ったソレントを歌った『帰れ ソレントへ』という歌には、「世界中をまわってきた人も、こんなに美しい所はないと言うよ」という歌詞があったと思いますが、ナポリにせよソレントにせよ、もともとの町が美しいというだけではなく、そこに住む人たちがその町を大切にして美しく保ちたいという思いを持ち続けているからこそ、「世界一」という評価にはその土地の人の時分の街への思い入れもあるとしても、その美しい街が継続してきたということだろうと思いました。
《YouTube―パヴァロッティ: 帰れソレントへ (デ・クルティス)》https://www.youtube.com/watch?v=sHKPLuI-NAo
日本でガードレールといえば、白と決まっていたと思うのです。最近でこそそうでないものも出てきましたが、海沿いの道で、その海の色に合わせたものにしようといった配慮がなされているものは多くはないと思うのです。イタリアに行って買いものをすると、釣り銭の計算については、日本人ならたいていの店員が苦労せずにするものを、多くのイタリア人の店員はずいぶんと苦労をし、また、それゆえに、大きな金額の札を出すと日本なら特別嫌がらずにお釣りをくれる場面で、嫌がられて売ってもらえない場合がありました。釣り銭の計算などの能力は日本人には多くのイタリア人より優秀な人が多いと思えますが、その一方で、自分が住んでいる街の景観を大事にしようという姿勢については、イタリア人は多くの日本人よりはるかにすばらしいと思えました。
ナポリの海沿いの道で見たナポリの海の色に合わせた色彩のガードレールのような配慮がなされた塗装は、あまり見ない、そういった色彩感覚という点では、残念ながら日本はイタリアに相当劣っているのではないかと思ったのですが、私がナポリ・ローマに行った1997年、ナポリ・ソレントに行った1998年、ミラノ・サンレモに行った1998年から何年か経つと、日本人でも私と同じようなことを考える人も出てきたのか、悪くない色彩のものも時として見ることが出てきました。 この清洲橋は、青系統の色でも、「ありきたりの青系統の色」ではなく、「けっこう独創的な青系統の色」で、そのあたりもなかなかかっこいい。 なかなかやるではないか、て感じ。
≪ 錆(さび)もまた鉄にとっては大敵のひとつです。 鉄は酸に対して非常に弱く、放っておくとみるみるうちに錆びてしまいます。 したがって、それなりの対応をしなければなりませんが、最も簡単な方法は塗装でしょう。
塗装とは、油性ペイントのような塗料を鉄骨などに塗りつけて、塗膜をつくることです。 塗膜をつくることによって、鉄骨は、直接空気に触れなくてすみます。 つまり、酸化する危険から守られるのです。 隅田川に架けられている、骨組みがむき出しの鉄橋を見れば、塗装の意味がわかるでしょう。 塗装は、見かけをよくするだけではなく、もっと重要な役割を果たしていたのです。 ・・・・≫
(江口 敏彦 著・山口 廣 監修『東京の近代建築―建築構造入門』1990.11.25.理工学社 「3章 鉄骨構造の建築」)
「塗装」というのは、錆止めと装飾では、目的としてどちらが主でどちらが従なのでしょう。 塗装と別に、もうひとつ、「錆止めの色」というものもあると思います。 今は昔、1980年代の初め、ジェットコースターのペンキ塗装のやり替えの手伝いのアルバイトをしたことがありましたが、ジェットコースターのペンキ塗装の部分を落とし、錆止めをやり直して、そして、錆止めを塗った上にペンキを塗っていたのですが、そのジェットコースターの錆止めの色は「えび茶色」というのか「えんじ色」というのかで、道を歩いていて見かけるビル建築の鉄骨造の鉄骨も「えび茶色」というのか「えんじ色」というのかをしていたように思います。今でも、ビル建築の重量鉄骨の建物の鉄骨は「えび茶色」をしているものが多いのではないでしょうか。だから、錆止めというのはそういう色をしているものだと思ったのです。 ところが、住宅建築業界に勤めてみると、積水ハウスとかパナホームとかの軽量鉄骨の建物の骨組みの鉄骨というのは、完成後は鉄骨は表に出てこず、装飾だけを目的とする塗装はしませんから、建築現場で見る軽量鉄骨の骨組みの色は錆止めの色のはずなのですが、なじかは知らねど、「えび茶色」ではなく、黒なのです。 な~んでだろ・・・・・・。 小堀住研の松戸営業所で営業課長だったUさんが教えてくれた話では、積水ハウスなどの軽量鉄骨の色が黒なのは錆止めの色なのだが、錆止めの色というのは塗料を入れて着色しているのであって何色でもいいのであるが、軽量鉄骨の住宅で軽量鉄骨の構造材に塗られる錆止めが黒なのは、軽量鉄骨の住宅というのは、骨組みの段階で見ると、弱そうに見えるから、だから、いくらかなりとも強そうに見えるようにするため、どの色にすると強そうに見えるかということを考えて黒にしているのだそうだ。 それで、重量鉄骨の建物の骨組みに使用される鉄骨は「えび茶色」の錆止めが塗られるのに対して、軽量鉄骨の住宅の骨組みの鉄骨に塗られる錆止めは黒だったらしい。
積水ハウスの軽量鉄骨造の建物の鉄骨で感心したことがもう一度あります。 木造では、太い梁を構造材として使用しており、これを室内側で見えるようにすると、なかなかの見栄えがします。 高山の「民家」では、玄関を入ってすぐのところに吹き抜けがあって、そこで梁の架構を見せる(魅せる)ようになっている家が多い。
※[第285回]《松本家住宅・宮地家住宅。仏壇・神棚への配慮。がさつな人間は「営業できる」か―高山シリーズ第2回(8) 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html で、松本家住宅、
[第286回]《宮地家住宅 下、平田記念館 高山シリーズ第2回(9)、隣家と近接した建て方について。大雨の影響。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html で、平田記念館(旧・平田家・「打保屋」)、
[第290回]《飛騨民族考古館4、藤井美術民芸館、版画喫茶「ばれん」。及、「質屋の入口」から逃げていく裁判官。 》 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html で、「飛騨民族考古館」(藤井家→坂本家住宅)の、吹き抜け部分の架構の写真を掲載しています。
現在、新築する住宅でも、梁を見せる(魅せる)ということはできるはずで、住宅雑誌などを見ても、そういう写真を見ることができます。 これは、在来木造でこそできることですが、小堀住研がまだ「高級住宅」の会社であった時代には、木質パネル構法のものでも梁を見せる施工をしていた建物はあったように思います。 木質パネル構法はツーバイフォー工法と在来木造の両方を参考にして考え出されたもので、ツーバイフォー工法には在来木造のような太い梁はありませんが、木質パネル構法にはあるので見せることができます。 古くからの住宅では、ムクの梁を見せるわけですが、集成梁を見せるというのも悪くはありません。
在来木造の一条工務店は、構造材は柱・梁ともムクで、かつ、最上階の上には松丸太梁(野物)を「しばり」に入れる(交差するように入れる)ということをしていたので、それを見せるようにすれば、けっこう魅力的ではないかとも思いましたし、又、松丸太梁を見せて小屋裏部分まで吹き抜けにした施工を展示場でやれば、来場客から魅力を感じてもらうことができるのではないかと思ったのですが、どうも、一条工務店はあまりやりたがらなかったようです。 なぜかというと、
(1) ひとつには、角材にして使用している米松(ダグラスファー)ならまだいいけれども、国産の松丸太は松脂(まつやに)が落ちてくるので、松丸太梁をその下に天井板を貼らずに施工すると、入居後にクレームになることがあり、なんとかしてくれと言われても、松材から松脂がでるのはいたしかたのないことで対応のしようがないから、ということが理由だと同社にいた時に聞きましたが、
(2)しかし、在来木造の同業他社や木質パネル構法の小堀住研では木の梁を見せる施工を現実にしていて、入居後に入居者からそれほど苦情があったわけでもないのです。一条工務店が梁を見せる施工をあまりやりたくないもうひとつの理由は、同社が「地方中心の会社」だからという点があったと思います。 同社の福島県いわき市の営業所にいた時、いわき市でも山間部の方のお宅にうかがってお話をしていた時、囲炉裏(いろり)とか、そして、梁を見せる施工といった話を私がしたところ、「それだけはけっこうです。」と言われたので、「どうしてですか」というと、「だって、ほら」と言って上を指差されたことがありました。 上に何があったかというと、都会の人間が魅力を感じる天井を貼らずに小屋裏まで吹き抜けて梁が見える「古民家風」だか「田舎風」だかの住宅・・・ではなく、正真正銘、本物の「農家型古民家」、本物の「田舎の家」がそこにあったのです。 「あきあきしました。そういうのは」と言われたのです。 都会の人間が「郷愁」のようなものを感じる「田舎風」「農家風」の造りというのは、「地方」に住んで、本物の「農家の建物」に住んできた人からすれば、「もう、けっこう」だったようです。 だから、「地方」中心で、「地方」の人間が主導権を握って運営している一条工務店においては、都市部の人間が魅力を感じる造りのものを作ろうという意思はなかったようなのです。松脂が落ちるという話は、おそらく、嘘ではないでしょう。 しかし、そういうことがあってもやろうという都市圏中心の会社は、都市部ではそういう施工を喜ぶ人がいるからなんとかやろうとするのに対し 、「浜松の人間がいいと思うものはどこでもいいに決まってるんだ」という信仰の人が支配している会社では、「地方」の人間がたいして魅力を感じないものについては、松脂が落ちるという問題がある以上はやらない方がいい、でおしまいだった・・・ということでしょう。
(3)今現在、国産の松は、松喰い虫の被害が多く、国産の松丸太を梁に使用する時、一条工務店では、松喰い虫対策としてACQという薬剤を加圧注入して使用していたのですが、松丸太を見せる造りにする場合、ACQを加圧注入した緑がかった色の松を見せるのか、それとも、丸太梁を見せる施工にする場合にはACQの加圧注入をせずに施工するのか、という問題もあったようです。
(4)もうひとつ、最近の木造は、木造とはいっても金物も使用しており、梁の周囲には、「羽子板ボルト」とか使っていたり、部屋の隅の部分に「火打ち梁」という水平方向の斜め材を入れますが、「火打ち梁」は木製の場合と金属製の「火打ち金物」である場合があり、どちらでも良いのですが、一条工務店では金属製のものを使用していたので、梁を見せる施工をした場合、そういった金物も見せるのか? という問題も出てきます。 昔の木造では金物の使用をあまりしなかったので、梁を見せる施工をした時に金物も見えるという問題は出てこなかったのですが、現在の木造の場合は、構造材を見せる施工をした場合には、金物も見せるのかどうするのかという問題が出てくるようです。
鉄骨造や鉄筋コンクリート造りにおいてはどうかというと、鉄骨の無粋な梁を見せてもどうしようもないような感じがします。 鉄筋コンクリート造でラーメン構造の建物では、見せたいからではなく、構造上、梁型が室内に出てきてしまいますが、コンクリートそのままで見せることはあまりしません。 槇文彦さんは「コンクリートの白木造り」と称して、コンクリートの地肌を見せるという手法をけっこうされるようですが、一般には鉄筋コンクリートの梁はその下に天井板を貼って、梁型は見えてもコンクリートそのものは見せないようにします。
しかし、私が感心したのは、今はなくなった千葉県習志野市東習志野の総合住宅展示場にあった積水ハウスの展示場の鉄骨の梁です。 構造材としての鉄骨の錆止めは重量鉄骨では「えび茶色」「エンジ色」、軽量鉄骨では黒色ですが、東習志野の軽量鉄骨軸組構法の積水ハウスの展示場では、2階のある部屋で鉄骨造の梁を見せる施工をしていたのですが、見せるためにその部分は白色に塗装していたのです。 見せていたのは梁だけではなく、鉄骨造ですから当然金属製の接合部材も白色に塗装して見せていたのです。 なるほど、塗装して見せる場合には、鉄骨造の建物の場合はもとより柱も梁も金属なので、接合部に使用している金物・ボルトや火打ちが金属であっても問題はないわけです。 そのあたりを、いわば、「逆転の発想」をおこなって、見た目を考えた塗装をおこなった鉄骨の構造材を見せるという施工は、よく考えたものだと感心しました。 架構を見せるというのは木質系の建物の専売特許ではなかったのです。
さて、清洲橋ですが、いつからこの色になったのかはわかりませんが、なかなか魅力的な色です。 ナポリの海沿いの道のガードレールはナポリの海の色に合わせた深緑でしたが、清洲橋は隅田川の水面の色に合わせた色というわけでもありません。 なるほど、色彩はその場所に存在する自然や先住建物の色合いに合わせることで美しいものにするというケースもあるとともに、その場所に前から存在するものとは異なる色を使用して美しいものにするというケースもあるようです。 清洲橋は青系統の色ですが、「青なら何でもいいじゃろて感じの青」ではありません。 日本の鉄骨造の建物でよく見てきた、「ともかく青ならなんでもいいじゃろ」「ともかく赤ならなんでもいいじゃろ」という類の青ではありません。 写真ではなかなか、実物そのものの感動を百パーセントは伝えることができませんが、「青は青でも相当に検討して考えられた独創的な青」です。 ↓
↑ 建築の美しさというものは、構造の美しさを基本とするべきで、構造から離れた美しさというのは邪道と考えるべきかとも思ったりもしたのですが、色使いによる美しさというものもあって、それは必要な要素で「邪道」とか考えるべきではないと思いました。
【5】 小名木川
↓が、清洲橋の中央区側の川端から見た 小名木川との分岐点です。
(↑ 25倍望遠レンズ付きデジカメはスグレモノ♪ )
↑ この橋もなかなか美しいと思うが、地図を見ても、橋の名称が見つからない。 この橋も「緑は緑でもありきたりでない緑色」です。 こうやって見ると、橋も十分に見るに値するものに思えてきます。
ところで、この小名木川と隅田川の接点だが、小名木川が隅田川に注いているのか、隅田川から小名木川が分岐しているのか。 結論を言うと、小名木川が隅田川から分岐しているらしく、小名木川(おなぎがわ)は、元々、人工的に作られた運河だったらしい。
≪ ・・・・東京湾にも何度も津波が押し寄せてきた痕跡がある。 江東区の北部を東西に横切る小名木川は徳川家康が関東入府のとき、潮入りの沼沢地に下総国の行徳塩を運搬する便のために掘削した運河とされている。
実は単にそれだけの理由ではなく、そのあたりまで過去何度も津波が押し寄せていたことを踏まえて、1章で述べたように、津波を東の葛西領の農村地帯(低湿地)に逸らす目的で掘られたものかもしれない。 あるいは「以後、もうヲナ(雄波)はここまで」との願いを込めて命名された運河名であった、とも考えられる。 ≫
(楠原祐介『この地名が危ない―大地震・大津波があなたの町を襲う』2011.12.20. 幻冬舎新書 「5章 <三大都市圏> 怪しい地名を検証する」 )
「1章 地名が教えていた東日本大津波」では、
≪ ・・宮城県女川、福島県いわき市小名浜(おなはま)のオナ(ヲナ)は、「雄(男)波」のヲ・ナミを下略して津波を「ヲナ」と呼んだ名残だ、と容易に推測できる。 ・・・≫ と出ている。
〔 いわき市の小名浜(おなはま)は、福島県浜通りで最大の港で、かつ、福島県で唯一のソープランド街がある所だった。 船乗りが「女のいる浜(港)」と呼んだものが、いつしか「女浜(おんなはま)」になって、それを「オナハマ」と読むようになり、そのうち、もろにそういう名前で呼ぶのはどうかということから漢字を変えて「小名浜」になった・・・のかと思っていたら、楠原氏の『この地名が危ない』によると、そういうことでもないようだ。 もっとも、この楠原祐介『この地名が危ない』には、楠原氏が作成した『地名用語語源辞典』(1983.)に、「おな」の項目に、≪1.畦。・・・・ 2.ヲ(峰)ナ(土地)で、「高くなった所」の意。 3.ヲンナ(女)の略で、女性に関連する伝説関連地名もあるか。 4.ヲ(小)ノ(野)の転もありうるか。 5.ヨナ(砂)の転か。―≫と楠原氏は書いたという記述もある。 いわき市の小名浜地区は、平地の少ない浜通りではいわき市の平(たいら)地区とともに平地のある地域であり、「大原(おおはら)」という地名もあり、また、小野(おの)さんという苗字の方が比較的多い地域でもあるので、津波(ヲナ)から来た地名の可能性もあるが、それほど広くはないけれどもともかく平地がある地域ということでの「小野(おの)」、そして、<特別に広くはない平地である「小野(おの)」が背後にある浜>ということからついた地名の可能性もないとは言えないようにも思えるし、「女のいる浜」と船乗りが読んだことから・・という可能性も、やはり、絶対ないとは言えないような気もする。 その3つ、もしくは、そのうち2つの融合形という可能性もありうるのではないかとも思えるがいかがだろうか。 〕
小名木川(おなぎがわ)の「おな」が津波(ヲナ)の意味で、≪「以後、もうヲナ(雄波)はここまで」との願いを込めて命名された≫とすれば、オナギ川の「ギ」も、本来は「木」ではなく「城」だったか・・・?
(2015.7.22.)
☆ 清洲橋 観察 は 4部構成。
1. なかなかかっこいい清洲橋。吊り橋いろいろ。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201507article_1.html
2. 今回。
[次] 3. ブスは耐久性があるか・建築編 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201507article_3.html
4. 隅田川遊覧船、新大橋、両国橋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201507article_4.html
☆ 続編 新大橋 観察 2部作
上 黄色がはえる、歩道が広い新大橋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201507article_5.html
下 新大橋と首都高、新大橋由来 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201507article_6.html
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