新大橋(東京都中央区~江東区)観察【下】 新大橋と首都高、新大橋由来、新大橋から見た清洲橋

[第339回]   新大橋観察の後半です。
  中央区での新大橋通りと清洲橋通りとの交差点が「浜町中の橋」交差点です。




  清洲橋の場合、この 交差点から清洲橋へ歩んでいくと、青色の清洲橋の姿が徐々に見えてきて、おっ、なかなかという気持ちになってくるのですが、新大橋の場合は、浜町中の橋交差点の位置から見ると、新大橋の黄色い中央の柱と斜めの鉄材が見えてかっこいいのですが、新大橋の方に進むにしたがい、その前を首都高速道路がさえぎって新大橋の姿をそのままは見せてくれません。
   近づいていくと、どう見えるかというと、↓ のように見えます。
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   実は、私は、写真については、建築の写真に限ってはけっこう自信があるのです。 プロのカメラマンと同じというわけにはいきませんが、一般人としては、長く建築関係の仕事をして仕事で建築の写真を撮ってきましたから、ここはこの位置から、この角度で、この倍率で撮るのがいいのではないかという判断 については、悪くない方だと思っています。思わせてもらっています。 それとともに、撮ろうと思うものと周囲のそれ以外とを見て、周囲のどれを一緒に入れるか入れないかという判断も悪くない方だと思っているのです。 少なくともその判断をして撮っています。
 ↑ の写真ですが、向こうの方に新大橋が見えているのですが、その手前を首都高速道路が横切っています。 無粋といえば無粋です。 この首都高速道路を毎日、何台ものクルマが通って人々が仕事をしているのですから、今やかなり重要な道路なのでしょうけれども、そうはいっても、浜町中の橋交差点から清洲橋へ歩んで行った時には、何の障害物もなく清洲橋が徐々に見えてきたのに対して、新大橋は首都高速道路が障害物として立ちはだかります。
   そこで、これをむしろひとつの景観にして撮ってやろうではないかと考え、そして、両側のビルと首都高速道路とで「H」の字になるように撮ってみました。 特に、デザイン上、特色があるわけでもない首都高速道路と「名建築家」の作というわけでもないビルとを合わせても、この「H」の字は悪くないのではないか、と思ったのですが、しかし、何が「地」で何が「草」で何が「花」かと考えた時、この「H字」を花とするなら悪くないとしても、向こう側の黄色い新大橋が「花」で「H字」は「草」だとすると、「花」を生かせておらず、やはり、この枠は無粋でしょうか。
   京都・大原の三千院の隣にある実光院では、和室の奥の方に座って庭を見ると、柱・鴨居・敷居とが額縁のようになってその中に庭の風景が入りこんで見え、庭に近い位置から見るのとはまた違った見え方を楽しむことができます。  青森県下北半島の恐山に行った時、そこでのポスターには、山門の柱と天井と地面が額縁の役割をはたしてその奥に本堂が見える写真が掲載されていました。  その2つなどをヒントに、この首都高速道路は両側のビルとセットにしてH字にして撮るとけっこう絵になるのではないかと考えたのですが、後ろの新大橋との関係がうまくいっていないですね。 もう少し近づいて、首都高速道路と両側のビルを額縁、もしくは山門のようにしてその中に求める景色が入り込むようにできればよかったのかもしれません。 訪問時、それほど時間に余裕がなかったこともあり、実現できませんでした。 次、行った時には挑戦してみましょう。


   さて、「新大橋」は、なにゆえ、新大橋と言うのでしょうか。 考えてみたことありませんか?  両国橋は武蔵の国と下総の国の両方の国を結ぶ橋ゆえに両国橋、清洲橋は江東区清澄(深川区清住)と中央区(かつては日本橋区)中洲を結ぶということで清洲橋。 永代橋は永く代々続きますように・・という意味かな? で、新大橋があるなら「大橋」はあるのか? と思って地図で探しても「大橋」は見つかりません。
   新大橋の中ほどの黄色い柱に説明書きが書かれていました。
   かつて、隅田川は大川と呼ばれていたのですが、両国橋もかつては「大橋」と呼ばれていたそうです。 江戸時代も元禄の頃、1693年(元禄6年)に、その大橋より少し下流の位置、但し、現在の新大橋より少し下流側で今の新大橋の場所そのものではないらしいのですが、そこにもうひとつ橋をかけて、それを「新大橋」と名付けたそうです。
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↑ のレリーフがそれでしょうか。
   その後、明治に入り、1912年(明治45年)に、現在地に鉄橋が作られたのが2代目の「新大橋」だそうです。 ↓ のようなものだったそうです。
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↑その一部が愛知県犬山市の明治村http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/5-55.html に保存されているそうです。 そういえば、フランク=ロイド=ライトの旧 帝国ホテル の前あたりにあったような気もしないではないが・・・。
(↑写真はクリックすると大きくなるので、大きくして見てください。)
  そして、さらに、その後、1977年(昭和52年)3月、現在の新大橋に作り変えられて今日に至っているようです。 現在の新大橋は戦後のもので、清洲橋や永代橋よりはずっと新しいものなのですね。

   かつて、1970年代前半に隅田川下りの船に浅草から浜離宮の脇まで乗った時は、乗った船も「普通の船」で、観光船のような船は他に通っていなかったのですが、現在、隅田川では↓
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↑みたいな船とか、 ↓
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↑みたいな船とか、いっぱい通ります。  大阪天満宮の船渡御は、船の上に大きな人形を載せて大川(旧淀川)をかつては下ったらしいけれども、地下水のくみ上げによる地盤沈下(?)で橋と水面との距離が短くなってしまって橋の下をくぐれなくなり、現在ではコースを変えて上流に向かって行くようになったらしいのですが、隅田川も、すべての橋が水面までの距離が十分にとれているわけではないようで、↑のような “ ぺったんこタイプ ”の船が多いようです。

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↑ 新大橋 から見た 清洲橋(但し、望遠機能付きデジカメで撮影のため、肉眼でこのように見えるというわけではない。)(↑写真はクリックすると大きくなるので大きくして見てください。)
   自分で撮ってきたこの写真を見て思ったのですが、橋というのは、特に細工をしなくても自然と橋の通行する路面と川の水面とで2本の平行線ができ、そこ支柱を1本建てると「+」の形、2本建てると「H」の形ができあがるものなのですね。 フランク=ロイド=ライトの落水荘(カウフマン邸)が滝の上にせり出したバルコニーと水面との間に平行線ができ、落下する水との間に垂直線ができるようになっていると書かれたものを見ましたが、川の上に建てるものというのは、横から見た時、水面との関係というのが大きな位置を占めてくるようです。


   地図を見ると、かつて、隅田川下りの船に乗船した浅草の船着き場は今もあるようです。 浅草の船着き場から下流の橋は、吾妻橋・駒形橋、厩橋、蔵前橋、それにJR総武線の鉄橋が台東区と墨田区の間にかかり、両国橋が中央区と墨田区の間にかかり、もとより高架で通っている首都高速道路の小松川線と向島線に分かれる両国ジャンクションがその南で中央区と墨田区にかけて通り、その下流でこの新大橋から清洲橋、首都高深川線、永代橋が中央区と江東区にかけてかかり、その後、今は高層マンションが建っているかつては石川島播磨重工があった所(さらに昔は、石川島人足寄場があった所のはず)で2つに分流し、中央区内で中央大橋、佃大橋、勝鬨橋がかかって隅田川は浜離宮の所に至ります。  地図を見ると、蔵前橋のすぐ南で人通橋か?と思えるものが出ています。 これも橋に入れて、石川島人足寄場の所で分流したもう一方の流れも隅田川という名称らしいのですが、相生橋、春海橋などそちらの方の橋は計算に入れず、もともと高架で走っている高速道路の高架も橋として数えると、浅草から浜離宮まで15の橋がかかっていることになります。 今となっては何十年も前、隅田川下りの船に乗った時は、数えきれないくらい橋はいっぱいかかっていたように思ったのですが、首都高の高架2つも合わせて15だった、というのは少ないような多いような・・・・・。 もし、今度、隅田川の船に乗る機会があったら、橋を見ながら進むと、そこがどこかわかって良いかもしれません。

〔参考〕
《ウィキペディア―新大橋》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%A4%A7%E6%A9%8B
   (2015.7.29.)

☆ 新大橋観察は2部作です。 
【上】黄色がはえる、歩道が広い、これも吊り橋、新大橋。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201507article_5.html 
と合わせてご覧ください。

☆ 新大橋観察はその前の清洲橋観察4部作、 の続きという性質があります。 清洲橋観察
【1】なかなかかっこいい清洲橋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201507article_1.html
【2】リベット接合、見える鉄骨梁 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201507article_2.html
【3】ブスは耐久性があるかの考察・建築編 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201507article_3.html
【4】隅田川遊覧船、首都高入口 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201507article_4.html
もご覧くださいませ。


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