藤井美術民芸館(高山市)訪問―I.C.にお勧め。及、3階建木造住宅の問題。上に凸は梁、柱はまっすぐ。

[第351回]高山シリーズ第3回(1)
【1】 藤井美術民芸館
  高山訪問は4回目。このブログで公開は3回目ですが、まず、前回、見学したかったものの、おそらく大雨の為、閉館されていた藤井美術民芸館に行きました。↓
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高山市上三之町69

  前回、公開した[第290回]《飛騨民族考古館4、藤井美術民芸館、版画喫茶「ばれん」。及、「質屋の入口」から逃げていく裁判官》 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html の写真でも傘を差した人が写っているが、今回も傘を差した人の姿が写っているように(↑)雨。 どうも、私が高山に行くと、いつも雨が降るようだ。
  藤井美術民芸館は、飛騨民族考古館と同じ南北の通りにあり、飛騨民族考古館より少し北にあって、西道路の立地です。 平田記念館のある通りより一筋西側の通りです。
※飛騨民族考古館は、
[第287回]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html、 
[第288回]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html、 
[第289回]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html、 
[第290回]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html  を、
平田記念館は、
[第286回]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
をご参照ください。

●展示物について
  入口でいただいたリーフレットには、
≪ これら貴重な文化遺産を後世に伝えるため大切に保存しなければなりませんが、一方いたずらに秘蔵するのみでなく、門戸を開放して広く一般に鑑賞して戴くことも意義深いことと信じます。……このような意図から自宅の一隅にこれら美術民芸品を収めるにふさわしい昔のまゝの建築様式である「江戸萬流土蔵」を5ヶ年の歳月をかけ建設し、美術民芸館とし愛蔵の蒐集美術品を陳列展示することにいたしました。… 館主 藤井糺一≫と書かれています。
  ≪高山在住の医師、藤井糺一氏が大正中期から約70年かけて集めた、安土桃山時代からの古美術品や民芸品約2500点を公開している。≫と るるぶ社 国内編集局編集『アイじゃぱん 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』(2004.3.1.JTB)には書かれているが、最初から美術館として公開するつもりで蒐集したわけではなく、個人として持っていたものを、何十年か前に高山市から公開してほしいと言われ、公開するための土蔵を作って美術民芸館として公開したらしい。
   様々なものが展示されているが、建築・住宅・インテリアの仕事をしたり資格を取得したりしてきた者として特に関心を持ったものとしては、「織部」「九谷」「伊万里」「古萩」といった皿が展示されているが、これらは名前は知っており、理屈ではどうこういうものだと読んだりしているが、実物を見る機会がざらにあるわけではない。 それがここでは実物が展示されていて見ることができる。 インテリアコーディネーター(I.C.)の方で「織部」「九谷」「伊万里」「古萩」の皿の実物を見たことのない方には、ぜひ、この藤井美術民芸館に行って見学されることをお勧めしたいですね。
   ≪門戸を開放して広く一般に鑑賞して戴くことも意義深いこと≫というのはまったくその通りなのだが、「おひなさま」などは、一般家庭ではは3月のひな祭りの時期だけ出して、それ以外の季節はしまっておくものだが、ここでは年中展示しているために、残念ながら日に焼けてしまって相当変色してしまったらしい。
   「薬研(やげん)」というのは、かつて、薬を作る時に、すりつぶすための道具として使用されたらしく、中央部がへこんでいる容器を輪になったもので上からこすりつけるもので、お城の堀にも中央部が特に深くなったものを「薬研堀(やげんぼり)」といい、東京都にも中央区の都営浅草線「東日本橋」駅の南のあたりに薬研堀不動院があるが、薬研堀があった場所に薬研堀という地名がついたところから名付けられたものというが、「薬研(やげん)」というものがあったのか・・・・と、《ウィキペディア―薬研》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E7%A0%94 に載っているのを見て知っても、実物を見る機会はざらにあるわけではないと思うが、「薬研」の実物は、ここにある。藤井美術民芸館の「蔵」に桃山時代のものだという薬研が展示されている。
※薬研堀不動院(東京都中央区)は、
[第340回]《薬研堀不動院(東京都中央区)参拝。地蔵・聖徳太子・不動のコラボで子供帝国主義を懲らしめてください》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201508article_1.html 
[第337回]《清洲橋 観察【4】隅田川遊覧船。「福島県を応援します」に騙されるな。首都高「浜町」、新大橋、両国橋 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201507article_4.html の【10】薬研堀不動尊
をご参照ください。
   昔、ビクターのレコードとのジャケットには、犬がラッパのようなすいせんの花のような大きな拡声器の前で耳を傾けて座っていて、「His master's voise(ヒズ マスターズ ボイス。 彼の主人の声)」と書かれた絵が描かれていたが、私が子供の頃、1960年代においては、すでに「蓄音機」のスピーカーはそういうものではなく、箱に入ったステレオのスピーカーだったが、それよりまだもう一回り前の時代においては、ビクターの「His master's voise(ヒズ マスターズ ボイス)」という犬が耳を傾けて聴いている絵のような蓄音機だったらしい。 「昔はこういうものだったんだ」と親から聞いたことはあったが、その実物を見たことはなかった。 その実物が、ここにあった。 〔大きなラッパのような大きなすいせんの花びらのような「蓄音機」は、高山では、この藤井美術民芸館のほか、高山昭和館でも展示されていた。 〕
※ビクターの「His master's voise」の絵については、
《ウィキペディア―ニッパー (犬)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BC_(%E7%8A%AC) 参照。

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↑ 「蔵」(展示室)

●最上階の梁だけ丸太梁。 当然、柱はまっすぐな木。
  北側の「藤井歯科医院」と表札が出ている建物が藤井さんの住まれてきた築90年の家だそうで、蔵への通路から1室だけ内部を見せてもらうことができる。 展示室となっている「蔵」は築50年だという。 吉島家住宅・日下部民芸館・宮地家住宅・松本家住宅・平田記念館・飛騨民族考古館は江戸時代からの建物らしいが、藤井美術民芸館は、住まれてきた母家の方も築90年とけっこう古くからのものではあるが、重要文化財になっている吉島家住宅などほど古くからのものではなく、展示室として使用されている「蔵」は築50年というので、2015年の50年前というと、1965年。 東京オリンピックがあったのが1964年だから、その頃。 「さんまち」と言われる伝統的建造物群保存地区に馴染んだ建物ではあるが、江戸時代以前からの建物を公開されているわけではないらしい。 「蔵」は3階建てで、3階の梁以外は構造材は桧だそうで、3階(最上階)の梁だけは、上部に凸となるように曲がった木を使用した方が強いであろうということで桧ではないそうだ。 高山陣屋の蔵は柱・土台は桧で梁は赤松と説明書きにあったが、ここもそうかもしれない。 蔵(展示室)の内部は撮影禁止ということなので写真はないが、梁は相当に太いもの、かつ、長いものが使用されている。 すべて国産材だそうだが、これなど見ると、日本には太い長い木はなかなかないと言う人がいるが、50年前の東京オリンピックの頃においては、ここで使用されるようなものはあったということらしい。
※松本家住宅は、
[第284回]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
[第285回]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
 宮地家住宅は、
[第285回]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
[第286回]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
をご参照ください。
      それで、チムニー株式会社の「はなの舞」という店で、ビルの1スペースを借りて「古民家風」のしつらえをつくっていたのですが、どう見ても、梁として使用していたのがはっきりとわかり、仕口の加工の後がついているものを縦にして設置していた店があり、「なんだ、こりぁあ~あ・・・」と思ったことがあったのです。 梁桁材として使用する場合は、上が凸になるように施工すると、アーチ橋と同じ原理で、上から荷重がかかった時にまっすぐなものよりも強いということが考えられるのですが、柱には上から下へ押さえつける力が常にかかりますから、柱はまっすぐなものでないといけないはずなのです。 曲がった木を柱に使用したのではその柱は曲がったところから折れるはずです。 この点については、[第295回]≪高山の町家で曲がった松を使うか(2) 曲がった木を柱に使うと上からの荷重で折れないか? ≫https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html で述べたが、柱にはまっすぐな木を使用するもので、上に凸になるように曲がった木を使用するのは梁桁材である。 チムニー株式会社にいた「1000万円超プレーヤー」の「デザイナー」に、「普通、ああいう曲がった木を縦にして柱に使うことはありませんね」と、あれはおかしい、あんな入れ方はしない方がいいと私が言ったところ、「1000万円超プレーヤー」は何と言ったか。 「デザイナー」の先生は何とおっしゃったかというと、「曲がっているのがいいんですよお」と。馬鹿でねえの? 
    藤井美術民芸館の「蔵」も、柱はすべて桧でまっすぐな木を使用し、3階の上の梁だけは上に凸の曲がった木を使用した方が強いであろうと棟梁が言って桧でない曲がった木を使用したそうです。 藤井さんの奥様から聞かせてもらった話ですからその通りでしょう。 実際に行って見るとわかります。 柱はすべてまっすぐな木です。 3階の上の梁だけ上に凸に曲がった木が使用されています。
    「はなの舞」「花の舞」「炎」などのチムニー株式会社の「デザイナー」、「1000万円超プレーヤー」というのは、よく言うよなあ・・・・・。 ほんまに。 アホ!  バカ! 間抜け! すっぽんなんきんかぼちゃ! ・・・どうしようもないね、「プロのデザイナー」てやつは。そういう人が「1000万円プレーヤー」で、私にはその人の3分の1もチムニー株式会社は給料を払っていなかったのですから、「はなの舞」「花の舞」「炎」などのチムニー株式会社から、私は、よっぽどなめられていたということですね・・・・。


●1990年代前半、東京圏の木質系戸建住宅では、3階建てはツーバイフォー工法の総3階か木質パネル構法の小屋裏3階が主流だった・・・ということを理解できない浜松アタマの人たちのお話
  最近では、戸建て住宅でも3階建ては珍しいものではなく、けっこう建てられてきている。 私が住宅建築業の業界に勤めだした1980年代後半から1990年代初めの時期においては、3階建てとしては、木質系ではツーバイフォー工法では総3階建てが認められていて、小堀住研(株)の木質パネル構法では「小屋裏3階」と言って、2階の上の屋根の勾配を急にしてその部分に2階(直下階)の面積の半分までの部屋を設けるという3階建てを建設していた。 高級住宅志向の「新 桂」での3階建てと「高品質低価格」タイプの「ハウス55」での3階建てがあり、「ハウス55」の3階建ては「ハウス55 スリーサム」と名付けられ、住宅展示場としては東京の晴海に「ハウス55 スリーサム」の展示場があり、行って見たこともある。 在来木造での3階建ては、城郭建築とかでは天守閣などは3階どころかもっと高層であるし、五重塔とか三重塔といったものも作られてきたが、戸建住宅としては、1990年前後において、都市部では、「2階建てなら在来木造でもいいが、3階建てだと、ツーバイフォーでないと」という感覚があった。 在来木造の一条工務店では、浜松の工場敷地内において3階建ての耐震実験をおこなったというのをパンフレットにして売り出していたが、浜松などでは「家というものは在来木造で建てるものだ」という感覚が強いので、3階建ての戸建て住宅を建てる人があった場合でも在来木造でという判断をする人が多いようで、JR「浜松」駅の近くで3階建て戸建て住宅を建てられた方のお宅を引渡し前に見せていただいたことがある。 浜松あたりでは、多くの人が持っている土地の面積が東京近郊などよりも広い場合が多いので、「2階建てまでで十分」であるケースの方が多いのであるが、浜松駅のすぐ近くとかでは建築地の広さが「東京圏並み」の広さしかなく、3階建てを建てようという方もあったようだ。 そういう方には一条工務店の3階建住宅というのは評価されたらしい。 鉄骨造で3階建ての戸建住宅を建てるという方法もあるが、積水ハウスなどの軽量鉄骨造の建物の柱は、基本的には2階建てまでという前提でのもので、3階建てにする場合には2階建てまでで使用しているものとは異なる重量鉄骨に分類されるような鉄骨の柱を使用しなければならないらしく、その為、鉄骨造で3階建てを作ると2階建てまでと比べて、ずいぶんと費用が高くなるようだったが、その点、木質系の場合は、ツーバイフォー工法・木質パネル構法・在来木造はいずれも3階建てにしても使用する構造材は2階建てまでと同じ物を使用して建てることができるので、鉄骨造の3階建てよりもずっと低価格で建てることができるというメリットがあった。 しかし、その一方、木質系の3階建ては、2階建てよりも1階部分に負担がかかるので、1階部分に在来木造であれば柱、ツーバイフォー工法・木質パネル構法では壁の量がかなり多く必要とされるようだ。在来木造でも、耐力壁として筋交いを入れる必要がある部分は壁になるので、ツーバイフォー工法・木質パネル構法とこの部分では条件は同じでしょう。
  最近においては、東京圏でも在来木造の戸建住宅の3階建ては珍しくなく建てられているが、1990年前後においては、ツーバイフォー工法の総3階建てと木質パネル構法の小屋裏3階建ては実績があって一般に認知されていたが、在来木造の3階建ての場合は東京圏・関西圏の都市部・都市近郊では実績がなく、一般に認知されていなかったため、在来木造の一条工務店に在籍した時、1992~1993年頃、東京圏で3階建てを検討しているという方に一条では三階建ての実物耐震実験をおこないましたといった話をしても、それでも、「2階建てなら在来木造でもいいが、うちは3階建てを考えているので、ツーバイフォーで」という判断をされる方が少なくなかった。 私自身も、松戸市内で、今まで住んできた2階建ての戸建住宅を総3階建ての建物に建替えて二世帯住宅にしようと計画されていた、「本命:大成パルウッド、対抗馬:三井ホーム、ダークホース:三和ホーム」という方にくらいつき、なんとか「大穴の大穴」くらいの位置には入れてもらったが、最終的には本命の大成パルウッドで契約されたということがあった(⇒[第328回]《営業の大事な能力「黙っている力」(1)、及び、連れて行きたくない新人と、避けたい契約客同行の経験》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_6.html でその話を述べた。)。 松戸営業所長を兼任していた浜松生まれで自分は浜松でしか営業をした経験がない浜松アタマの営業本部長A野T夫さんは、私が「『2階建てなら在来木造でもいいが、3階建てなのでツーバイフォーの方がいいと思っていると言われている』と言うと、『なんで、3階建てならツーバイフォーの方がいいんだ』と言って、その頃の東京圏の住人の感覚を理解しないばかりか、その頃の東京圏の住人の感覚を説明する私が悪いように言った。 「アタマが浜松」の人間はそういうものだ。 浜松ではもともと3階建ての木質系戸建住宅を建てる人は多くないし、2階建て・平屋建ての場合、「家は在来木造で建てるものだ」という観念があった。 3階建ての木質系戸建住宅を建てる人は、ツーバイフォー工法でも木質パネル構法でも多くない地域で、木質系住宅を建てる場合は「在来木造で建てるのが普通」という観念の強い地域においては、3階建てを建てる場合でも2階建てまでと同様に「(ツーバイフォー工法や木質パネル構法よりも)(在来)木造の方が信頼できる」という感覚の人が多かったわけだ。だから、「浜松では」3階建ての場合でも、在来木造の一条工務店はツーバイフォー工法や木質パネル構法に遅れはとっていなかったのだ。 それに対して、1990年前後においては、東京圏においては、ツーバイフォー工法の総3階建て・木質パネル構法の小屋裏3階建てはすでにある程度以上の実績があって一般に認知されてきていたが、在来木造は2階建てまでは実績があって、信頼できる建物か否かは建築会社によって異なると思われていたが、建築会社がどこであるかにかかわらず、東京圏では在来木造の3階建ては実績がなく一般に認知されていなかったのだ。 ところが、「浜松アタマ」の営業本部長はそれを理解することができない。 「浜松では」3階建てでも在来木造の方がいいと思われている以上、東京圏の住人が「2階建てなら(在来)木造でもいいが、うちは3階建てで考えているのでツーバイフォー工法の方がいいと思っている」と言うと、その人がそういう認識でいるのは、担当の営業が悪いと判断するらしかった。また、小堀住研でも晴海に3階建ての住宅展示場を持っていて、3階建てを検討する人は他の住宅展示場に来場した人でも晴海に案内したりしたが、ツーバイフォー工法で総3階建てを建てる会社は東京圏のどこかに総3階建ての住宅展示場を持っている場合が多かったのに対し、一条工務店は「2間続きの和室」「八寸角の大黒柱」「お母さんとお嫁さんが一緒に調理ができるシステムキッチン」といったものを「売り」にする「浜松の家」を東京の住宅展示場に建てていた。潮見の住宅展示場に来場された方から、「ほお~お。 浜松ではこんな家を建てるんですかあ」と、まるで、古民家園に見学にきて、現在ではありえない家を見物しているようなことを言われる来場者に何度も出会ったが、そういう話を報告して、これから住宅展示場を建てる場合には、東京圏では東京圏の住人のニーズに合った間取りやデザインの展示場を建てるようにしてほしい・・・というようなことを言うと怒られる会社だった。3階建の住宅展示場がその地域に1つ以上あって、見たいと思う人はいつでも案内できるという会社と、「浜松の家」の展示場しかない会社では、その部分で営業活動をおこなう上で条件が違う・・と言うと怒られる会社だった。 なんで、条件の悪い所で悪戦苦闘している人間の方が怒られなければならないのかと思うのだが、「浜松は絶対に正しい」「浜松は間違っていても正しい」という浜松帝国主義・浜松独善主義・「そこのけそこのけ、浜松とおる」の会社においては、浜松に逆らっては生きていけないみたいな感じだった。 「浜松の中のことしか理解できない浜松の中のカエル」にとっては、浜松という井戸の中の住人の認識・感覚が絶対的に正しく、その井戸の中の住人と異なる認識・感覚を他の地域の人間が持っていたならば、他の地域の住人・見込客が間違っていると傲慢に考えるならまだしも、担当の営業が悪い!と決めつけるらしく、なんとも気分の悪い思いをずいぶんとしてきた。 ([第347回]《高木家長屋門[狛江市立古民家園・下]と狛江駅前公衆便所・・じゃなく交番。遠州人のタクシー利用法》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201509article_2.html の【4】遠州人てすごいらあ! で述べたように、)「東京駅から大手町駅まで行くのはタクシーに乗ればいいら」とか言う人が営業所長になっている会社、「小岩ていったら、品川の西の方だら」「新宿て、平井の北の方らあ。ぼく、よく知ってるんだから」と言う人が東京営業所長になっている会社の東京圏の営業所に勤務するのは、けっこう大変だった。そういうのとつきあうのはけっこう疲れた・・・・、ほんと。
・・・仙台いって地下鉄に乗ってきたというのを自慢するおっさん(⇒[第345回]《きょうも水が絶えない名勝 “ 馬喰大滝(ばくろおおたき) ”-馬喰町駅・馬喰横山駅、大丈夫か?》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201508article_6.html の最終部分)もけっこう疲れるけど・・・・。


● 3階建ての構造上の問題について
   最近では、東京圏でも、在来木造での3階建戸建住宅は珍しくもなく建てられるようになってきて、「多数は正義」でもないはずなのだが、周囲で建てられると、自分も建てて悪くないと思う人が出て来るらしい。 しかし、在来木造の3階建てには、依然として3つの問題がある。
   1つ目は、筋交い(すじかい)の入れ方である。 ツーバイフォー工法・木質パネル構法では耐力壁に合板を使用する。 合板やOSBなどの面の耐力壁には方向性がない。 それに対し、在来木造で一般に耐力壁として使用される筋交い(すじかい)という斜め材には方向性がある。 [第291回]《飛騨高山まちの博物館(矢嶋家土蔵、永田家土蔵)。 木造3階建 で筋交いはどう入れるべきだろうか? 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html で述べたことだが、平屋建て・2階建ての場合は、[第291回]で図示したように、筋交いをどちらの向きで入れるかは、特に問題はない。 もっとも、それでも、逆向きに入れるアホ工務店・バカ大工は現実に存在するが(⇒[第231回]《住宅建築業界 職歴詐称を見破る方法(2)筋交いの向きがわからない者・自分の工事現場を見に行かない者 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_13.html )、それは、そのアホ工務店と程度の低い「工事責任者」が悪いのであって〔 自分の会社の建物で筋交いの向きを無茶苦茶入れていて、それを平気でいるような自称「工事責任者」を工事責任者と呼ぶ価値があるか、そんな人間を「工事責任者」と言えるか? という問題もあるが)、在来木造という構法の問題ではない。 それに対し、3階建ての場合に、2階・3階において筋交いをどちらの向きに入れるべきかというのは、これはけっこう難しい問題ではないかと思う。

   2つ目は、今、東京圏で平気で3階建てを建てている会社、設計している会社が、その建物について、十分に責任感を持って建てているか、設計しているかという問題がある。 特に、相当大きな問題と思えるものとして、木質系住宅の場合、2階建て・平屋建ての場合は「構造計算」は必要ないとされているのに対し、3階建ての場合は「構造計算」をおこなった上で建てないといけないと法律で定められているという点である。
   どういうことかというと、2階建て・平屋建ての場合は、「構造計算」なるものをしないので、その建て方でよいのか、柱の配置・耐力壁の配置はそれで良いのか、その配置で建てて良いのか、という問題をハウスメーカー・工務店が、設計会社と施工会社が別の場合は設計会社(「設計事務所」を名乗ることで、価値があるかのように見せているが、実際は「しろうと以下」の会社があるようだ)が、自分の会社で判断せざるをえない。 それに対し、「構造計算」というものをやらないといけないと定められて「構造計算」を「構造屋さん」という構造設計を仕事とする設計事務所に依頼したとすると・・・・・・・、どうなると思いますか?
   「構造の専門家がこれでいいと言ったんだから、いいんだ。これで」と言い張るアホが出てくるのです。 東京都中央区に本店を持つ フリーダムアーキテクツデザイン(株)の何もわかっていないくせに社長の親戚か何からしいために「副統括」という役職をもらっていた I 塚などはそれだったようです。 アホですよ。まったく。 いいですか。 構造屋さんは何を調べているかというと、建築基準法の規定を満たしているかどうか、それで、確認申請を出した時にお役所が認めて建築確認書を出してくれるかどうか。 それを見ているのです。 自動車の運転をしていると、制限速度の決め方というのは、なかなか良くできていると思います。 平坦で広い道なのになぜか制限速度が低いというような場合、しばらく行くと急坂があったりカーブがあったり幅がせまくなったりすることが多い。 だから、制限速度の決め方自体はよくできていると思います。 しかし、制限速度以内で走っておれば、事故が発生しても運転者はまったく悪くないですか? そうではないでしょ。 たとえ、制限速度以内であっても危ないものは危ないのです。 制限速度以内であっても、そのクルマの性能・運転者の運転技術・運転者の体調・その時の天候・その時のその道路の混雑具合などで条件・事情は変わってくるはずなのです。だから、制限速度以内であっても運転している人間が危ないとか怖いとか思ったならば、たとえ、制限速度以内であっても、やっぱり、危ないのです。 建築確認申請を役所に出す際に、それで出して役所が建築確認書を降ろしてくれたから、だから、「専門家が判断してくれているんだから絶対に大丈夫」とか言うヤツて、アホだと思いますよ。 いわば、それは、「制限速度以内で走っているんだから絶対に大丈夫」と言っているようなものですよ。 そもそも、建築基準法という法律は、その法律を守って建てればどんな大地震がきても暴風が吹いても竜巻が吹いても絶対に大丈夫とかいうものではありませんから。 あくまで、この基準を下回るようなものは建ててはいけませんよ、というものであって、その基準さえ守っておればよいというものではないのです。 それを、3階建ての場合に「構造計算」というものを、「専門家」に依頼すると、「専門家がいいと言ったんだから、問題はないはずだ」とかアホな発想をする者が出てきてしまうようなのです。 私、実物を見て知っています。フリーダムアーキテクツデザイン(株)が横浜市で建てた家で、道路側の耐力壁が不足しているため、建てて半年も経たないうちに、1階部分のモルタルの外壁に縦に一直線に亀裂がいった家を。 「モルタルというものは、長いうちには、多かれ少なかれ亀裂がいくものだ」というのは間違いではありませんが、どう見ても、あの亀裂はそういう性質のものではありません。 北道路の敷地ですが、北面の東西方向に耐力壁が不足しているからで、なおかつ、それ以外でも構造に無理があることをやってわざわざ使いにくい間取りにしており、「エグゼクティブアーキテクト」などと称している設計「新規担当」T井がそういうことを考えるアタマのない白痴だからそうなったのです。 「構造の専門家がいいと言ったんだから、問題はないはずだ」と同社の I 塚などは考えるようですが、アホです。その考え方は。 「構造の専門家」と同社の経営者が思っている「構造屋さん」というのは、建築基準法の規定を満たすかどうかしか考えるアタマのない人のことなんです。 建築基準法をクリアできれば、たとえ、「法の抜け穴をさがす」ような方法でも建築確認が通ればよろしいという判断しかできない人たちなんです。その人たちは。 それがわかっていないのです。フリーダムアーキテクツデザイン(株)という会社の経営者は。 それで、今まで構造上、危険だからこういうことはやってはならない・・とされてきたようなことをあえてやって、「世界でただひとつの家」とかアホなことをぬかしているんです。アホです。ほんま・・・・。 本当に。 危ないと思いますよ、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の設計の家は。2階建てまでのものでも。 フリーダムアーキテクツデザイン(株)では1年点検というものをおこなっているが、1年点検では、どの家でもクロスの割れを補修しなおしているのですが、それを施工した工務店に責任があるとし、施行した工務店も仕事をまわしてもらうためにやむをえず補修しているようですが、私が今まで在籍した他の何社かで、入居1年目に、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の家みたいにクロスが割れまくりの家なんてあまりないですからね。 「クロスは入居直後1年くらいの間にはどうしても割れることは実際にある」という話と構造に無理がある設計をしているから、クロスが割れまくるというのは意味が違いますからね。 それが、わかっていないのです。 フリーダムアーキテクツデザイン(株)の自称「設計士(さま)」の若造とこの会社の経営者は。 そういう3階建戸建住宅が、今、東京圏であちらこちらでいっぱい建っています。「構造屋さん」と称する実質「計算屋さん」が「大丈夫と言った」というのは、「それで建築確認は通るでしょう」と言っているのであって、「大丈夫です」というのは、大地震が来ても暴風雨が吹いても腐りやシロアリの被害にあっても何があっても「大丈夫です」と言っているのではないのです。 それがわかってないアホが3階建てを平気で建てているんです。 そういう3階建てを平気で建てる施主がけっこういますが、私はあんな3階建ては怖いと思う。

   そして、3つ目。 一般の戸建住宅で、住宅建築会社・工務店が柱材を材木屋から購入する場合、4寸角柱・3寸5分角の柱を購入する場合、2階建ての通し柱用のものと各階だけの管柱(くだばしら)とが売られているわけです。 その時、柱材の長さは決まっていて、購入する時点で切られているわけです。 1990年代から2000年過ぎまで、一条工務店では、「セゾン275S1」「百年275S1」という名前をつけたものでは、1階の天井高275cm、2階の天井高250cmというのを「売り」にしていたのですが、これが「売り」になるというのは、一条工務店は自社でプレカット工場を持って、柱材が切断される以前に購入して自社の工場で切断して柱材として使用していたので、1階の天井高275cmに合うように柱材の長さを切ることができたというのです。 それを自社で工場を持たずに、材木加工業者が加工したものを購入して使用する場合は、その長さの柱材で可能な天井高しかとれないので、もしも、275cmの天井高をとろうとすると、1階だけの管柱(くだばしら)にも通し柱用の長い柱材を買ってきて切断するしかないので、それで、天井高を275cmとかとろうとすると相当に価格が高くなってしまったというのです。
   それで。 3階建ての場合に、通し柱をどうするか、という問題があるのです。 1階から2階の通し柱は材木屋で購入することはできます。 自社で工場を持っている会社なら、1階から2階までの通し柱として使用するように切断することはできます。 しかし、1階から3階までの通しの柱材というものを手に入れることができるか、という問題が出てくるのです。 
   結論を言えば、在来木造の通し柱というのは、必ずなければ建てられないというものではないらしいのです。 上階(2階建てなら2階)の柱の下には下階(2階建てなら1階)にも柱があった方がそうでない場合よりも強い。 これは間違いない。 2階の柱の下の1階に柱が必ずないといけないとまですると、間取りに相当の制約を受けるので、すべての2階の柱の下の1階に柱がないといけないとまですることはできないとしても、できるだけ、2階の柱の下には1階にも柱がきていた方が構造上は強い。 そこで、どこまでなら2階の柱の下の1階に柱が来ていなくても良いかという基準を設けて建てている会社と、そうではなく、どこぞの「設計事務所」の I 塚みたいに「確認申請を通ったんだからいいはずだ」「うちは違法建築はしていないんだから、うちはどこも悪くない」とアホ丸出しのことを言っているかで、住宅の強度は変わってきます。 「上階に柱がある場所の下には下の階にも柱はあった方が強い」のです。 しかし、通し柱の方が各階で分かれている管柱よりも強いとは限らないのです。 特に、通し柱が多すぎると、中央部でも通し柱が入ることになり、通し柱の腹に四方から梁が突き刺さるとなると、その通し柱は梁が突き刺さっていない状態で見ると、通し柱とはいっても、四隅しかつながっていない行灯状態になります。 1992年に一条工務店が、江東区亀戸で建てた住宅展示場では、行灯状態の通し柱を、建てて、まだ、梁が周囲に固定されていない段階で、レッカー車から台付(だいづけ)(材木をレッカー車で吊る際に使用する丈夫な布)をはずしてしまったため、梁の上に乗っていた工事担当者が落下して怪我をすることがありましたが、同時に通し柱も倒れた際に、中間付近のその「行灯」状態の部分で2つに折れました。 どうすんだ、もちろん、新しい通し柱を用意するしかないだろう・・・・と思っていたら、折れた通し柱をそのまま上から突き刺して建てました。 いいのか? そんなことして・・と思いましたが、いいそうです。 同社によれば。 そうして亀戸の展示場は完成しましたが、今は、そのモデルハウスが建っていた城東マイホームセンターはなくなって、マンションとショッピングセンターが建っており、折れた通し柱を突き刺して建てた亀戸展示場もありません。 ・・・で、その折れた通し柱を突き刺して建てるというのがいいかどうかはさておき、そんな感じで、通し柱というのは、実は梁が突き刺さる中間部において、必ずしも強くないのです。 だから、逆に考えると、すべて、各階ごとの管柱で建てるということだって考えられるわけです。 ツーバイフォー工法では最初から通しのものなんてありませんし。 小堀住研の木質パネル構法でも、「高品質低価格」タイプの「ハウス55」では1階から2階の通しの「長尺パネル」を使用していましたが、間取りとデザインの自由性を重視した高級志向タイプの「新 桂」ではツーバイフォー工法と同様に1階から2階へ通しのものはありませんでした。 ですから、在来木造でも通し柱なしで建てるということもできないわけではないようなのです。 そういうものを建てている会社もあると思いますよ。 
   一条工務店の3階建ては、1階から2階の通し柱と2階から3階の通し柱を入れるという方法をとっていたと聞きました。 3階建ての上棟をおこなっている現場を見たことはありませんが。 そのやり方しかないのではないでしょうか。

   さて、それで、この藤井美術民芸館の「蔵」ですが、3階建てなのですが、柱はどうしているかというと、1階から3階までの通し柱を使っているそうです。  藤井さんの奥様から聞かせてもらった話ですから、あてずっぽうで言っているのではありません。
  柱も梁も全体が、最近のハウスメーカーや工務店が戸建住宅用に使っている用材よりずっと太いですけれども。


●高山城の登城門 と 「江戸萬流土蔵(えどばんりゅうどぞう)」
   入口の特徴的な門↑(最初の写真)は、≪ 高山城の二の丸の登城門をモデルにしたユニークな入口が目印。≫と『アイじゃぱん 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』(2004.JTB)には書かれているが、藤井さんの奥様から聞かせてもらった話では、登城門とまったく同じというわけではなく、登城門よりは少し幅が小さいそうです。すべてムクの木材で作られており、素敵な門ですが、こうなると、次は高山城に行かざるをえないことになってきますね・・。
   展示室となっている奥の「蔵」は「江戸萬流土蔵(えどばんりゅうどぞう)」というものらしく、土蔵にもいろいろな造りがあって、「江戸萬流」という作り方なのか・・・と思い、それは他の造りとどう違うんじゃろ・・・・と思って、インターネットの検索エンジンに「江戸萬流土蔵」と入れてクリックしてみたが、それでどういうものが出てきたかというと、《ウィキペディア―藤井美術民芸館》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E4%BA%95%E7%BE%8E%E8%A1%93%E6%B0%91%E8%8A%B8%E9%A4%A8 とかで、≪高山城の二の丸の登城門をモデルした総檜造りの入口。≫とは書かれているが、「江戸萬流」なるものがどういうものかは書かれていない。

 
   高山城の二の丸の登城門をモデルにした門を入った所から見た「蔵」の写真を撮らせてもらったのですが、どうも、「右に90度回転」した写真をアップロードしても、回転する前のもので出てしまいます。 ↓のものを、右に90度回転したものを考えてみてください。
画像



※藤井美術民芸館については、上記にあげたもの以外では、
《高山市公式観光サイト 藤井美術民芸館》http://kankou.city.takayama.lg.jp/2000002/2000026/2000214.html
ほか参照。

  次回 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html は、高山陣屋(群代官所)を取り上げます。御覧くださいませ。
   (2015.10.3)

☆☆☆ 高山シリーズ第3回
1.藤井美術民芸館 〔今回〕
2.高山陣屋[1]床の間。釘隠し。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
3.高山陣屋[2]式台。白洲。榑葺き。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
4.高山市政記念館。「むくり」のある屋根。変形折上格天井。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
《番外 宮川にかかる加圧注入木材を欄干に使用した橋 と防腐防蟻剤 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html
5.桜山八幡宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_6.html
6.桜山八幡宮 摂社 天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
7.山桜神社、古い町並美術館、手長足長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_8.html
8.安川交番、高山警察署、市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_9.html
9.飛騨国分寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html
10.新宿‐高山のバスの予約をインターネットで「後部」を希望すると。「労災」のおかげで歩行困難にされた話  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_11.html

どうぞご覧くださいませ。   

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