高山陣屋(群代官所)[1]床の間。「真向き兎」の釘隠し。朝市。~高山シリーズ第3回(2)
[第352回]高山シリーズ第3回(2)
【2】高山陣屋(群代官所)と陣屋前朝市
高山への4回目の訪問、このブログでは高山シリーズでは第3回の2箇所目として、「高山陣屋」をとりあげます。 「陣屋」と言っていますが、内部の展示によると、江戸時代の天領には、「群代官所」「陣屋」「出張所」の3種類があって、「群代官所」は、関東・美濃(笠松)・西国筋(日田)とこの高山の4か所、江戸時代の途中で関東が廃止された後は3箇所だけだったそうで、「群代官所」というかなり格が高いものらしい。
≪元禄5年(1692)、徳川幕府は飛騨を幕府直轄領としました。それ以来、明治維新にいたるまでの177年に25代の代官・郡代が江戸から派遣され、幕府直轄領の行政・財政・警察などの政務を行いました。
御役所・郡代役宅・御蔵等を合わせて『高山陣屋』と称します。≫(岐阜県教育委員会 高山陣屋管理事務所 作成のリーフレット)
↑ 「高山陣屋」(群代官所) 入口。 手前の白いテントは陣屋前朝市の店。
小野田哲郎編集『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』(2014.4.15.JTBパブリッシング)を見ると、この陣屋前と宮川沿いの2か所に朝市がでると出ている。 しかし、そこに買いに行くには、2点、抵抗があった。 1つは、朝市というのは地元の人向けのもので外来者が買いに行ってよいものだろうか、というもの。 もうひとつは、「朝市」というからには、東京の築地とかの魚市場などでは相当に早い時刻にセリがおこなわれたりするというのと同様、相当に早い時刻でないとやっていないのではないのか、ホテルで朝食をとってから行ったのでは間に合わないのではないのか、という思いがあった。 しかし、↑の写真を撮影したのは午前11時20分くらいだったように思う。 その時刻でもやっているので、新聞屋並みの早起きをしなければ間に合わないなどということはない。そして、宮川沿いの方が駅から近いし、吉島家住宅・日下部民芸館とかに行く方向ではあるが、宮川自体が観光地というわけではないので、外来者がそこに行って良いのだろうかとか思ってしまうところがあったが、陣屋前の方は、もとより、「高山陣屋」は地元の人でも見学に行く人はいるだろうけれども、外来者や、さらに外国人もいくらでも来場している所で、高山陣屋に入場しようとすると、自然とこの朝市の店の間を通ることになり、抵抗なく店で売っているものを見るようになる。 ここの朝市は外来者と地元の住民と両方を相手にして成り立っているのではないのだろうか。 だから、そう気難しく考えなくても立ち寄れそうだった・・・・が、「陣屋」を見学して出てきた時刻は12時半を少し過ぎていただろうか。 その時刻になると、↑の白いテントは1つもなくなっていた。 だから、ここの「朝市」というのは、新聞屋並みに早起きしなければ買えないというような早朝のものではないが、「朝市」というだけあって、午前中のものらしく、12時半では完全に撤収されているようだ。
高山陣屋:高山市八軒町1-5
この「陣屋」というのか「群代官所」というのかには、和室が何部屋もあって、それぞれ床の間があるのだが、このブログでも何度かとりあげたが、床の間の床柱と長押の位置関係について、かなり気になっていたのだ。 現在、ハウスメーカーが作っている和室では床の間の横が押入れである場合でも「棚」である場合でもその上の長押(なげし)が床柱とぶつかる場所で長押が床柱の前にくる施工が多いのだが、茨城県北部から東北にかけては床柱を下から上まで見せる施工の方が普通、というのか、長押を床柱の前までくるように施工すると、いわき あたりの地元のじいさんからは「こんなおかしな床の間あるけえ」と怒られると思う。 但し、長押の方が床の間の前にくる施工が「間違っている」ということでもなく、これは地域によっての違いというもののように思うのだ。
それで、一般に、東京から西は長押の方が床柱の前までくる施工をするものかと思っていたら、高山の松本家住宅・宮地家住宅・飛騨民族考古館・平田記念館ではいずれも「東北方式」というのか、床柱は下から上まで見える施工になっていた。 但し、床の間の隣が「棚」である場合、「棚」の上には長押は回っておらず、「棚」の上にも床の間と同じように落とし掛けが施工されていて、その落とし掛けが床柱の手前で止める施工がされていたのだ。
※松本家住宅の床の間は、
[第285回]《松本家住宅・宮地家住宅。仏壇・神棚への配慮。がさつな人間は「営業できる」か―高山シリーズ第2回(8)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
飛騨民族考古館の床の間は、
[第288回]《「飛騨民族考古館」(上三之町)2。金森長近と忍者。吊天井2つの意味―高山シリーズ第2回(11)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
さらに、東京都(旧 武蔵国)では長押が床柱の前に来る施工であろうと思っていたら、東京都狛江市の狛江市立古民家園に移築されている旧高木家主屋では、落とし掛けは床柱の手前で止まっており、長押(なげし)は床柱の前まできていた。
※狛江市立古民家園内の旧高木家の床の間は、
[第346回]《旧荒井家主屋と旧高木家長屋門[狛江市立古民家園](狛江市)[上]旧荒井家主屋―日本全国民家の旅(1) 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201509article_1.html
「高山陣屋」(群代官所)は床の間しかないわけではないが、床の間について、ここで、さらに別の問題も気づいたので、先に床の間についてとりあげたい。
で、その前にとりあげておきたいのが、うさぎの絵柄の「釘かくし」である。↓
(↑ 写真はクリックすると大きくなります。)
↑ 休憩所にあった説明書きによると、「真向き兎(まむきうさぎ)の釘隠し」と言うそうで、≪兎が真正面を向いているので真向き兎という≫そうで、≪兎は昔から人間に幸せをもたらす動物であり、幸福招来の意で用いられています。 又、長い耳で領民の意見をよく聞けとの意もあるといわれています。≫ということです。 もっとも、小野田哲郎編集『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』(2014.4.15.JTBパブリッシング)には、≪火事が多かった江戸時代に、魔除けの象徴である兎に、火除けの願いを込めたといわれる。≫と出ている。2つ以上の「理屈」があるようだ。 今は昔、選挙の時に、私の記憶が間違っていなければ民社党の春日一幸だったと思うが、「(政治においては)理屈は後から貨車でくる」と言ったのを新聞で見たが、こういうのも、デザインを考えた人と別に、案外、「理屈は後から貨車でくる」ということもある? のかもしれない・・。
この釘隠しを見て、これはいいなあ・・・・と思ったのです。 そう思いません?
それで・・・・・。 床の間ですが、まず、「座敷」の床の間です。↓
↑「座敷」といったら、全部 座敷と違うのかということにもなりますが、「高山陣屋」では、東西に連なる棟の一番手前、東側にある来客を通す部屋を「座敷」と言っているようです。
「和室は座った状態の目の高さで見るもの」という考え方に沿って、この写真は「座敷」の東側の縁側に正座して撮りました。
落とし掛け(おとしかけ)は床柱の手前で止まっているのです。 しかし、他方からきた長押(なげし)は床柱の前まで来て、そこに「真向き兎の釘隠し」まで打たれているのです。
ところで。 この床の間の右側の柱は、これは「床柱(とこばしら)」なのでしょうか。 というのは、この真壁和室の他の柱と同材なのです。 「同材」という言葉には、樹種が同じという意味と、樹種も寸法も同じという意味があり、現在、建築する戸建住宅の床の間では、一般に「同材」を使用する場合は、他の構造材が桧なら桧、欅なら欅で、他の構造材と同じ樹種を使っても、その場合、床柱には他の構造材としての役柱よりも太いものを使用するのが普通とされています。 しかし、この「高山陣屋」の「座敷」の床の間では、「床柱」は樹種が同じというだけではなく、寸法も他の役柱と同じ寸法の「同材」が使用されているのです。
↑右手から来ている長押が床柱の前まできて、しかも、釘隠しまで打たれてはいるのですが、その釘隠しがなかなかおしゃれな絵柄のものです。 この建物を建てた人自身が、けっこう、この釘隠しが気に入っていたということはないでしょうか。
次に、「嵐山の間」の床の間です。↓ 「嵐山の間」とは≪郡代が生活した場所。文政13年(1830)の絵図面をもとに平成8年(1996年)3月に復元されました。≫(岐阜県教育委員会 高山陣屋管理事務所 作成のリーフレット)
↑ 部屋の西側の中央に床の間があり、右手に棚があり、左手には「御囲」という茶室への入口があります。
ここでも、落とし掛けは「床柱」の手前で止まっていますが、左側からくる長押は「床柱」の前まで来ており、そして、「床柱」はほかの役柱と樹種も寸法も「同材」です。 さらに、右側の棚の部分の落とし掛けは「床柱」の手前で止まっているのですが、右側の「床柱」には、この柱を下から上まで見せたければ機能上は必要のない長押がついていて、さらに、「真向き兎の釘隠し」も取り付けられているのです。 落とし掛けは柱の手前で止めるが長押は柱の前まで出すということでしょうか。
考えてみれば、ここの「床柱」は「床柱」とはいえ、樹種も寸法もほかの役柱と同じものですから、他のものに長押がついているのに、ここだけ長押がつかないというのは、むしろ、変かもしれません。
現在、新築される戸建住宅で、たとえば、8帖の和室の北側なり西側の左側に1間(6尺)の床の間をとってその右側に1間(6尺)の棚を設ける場合、あるいは、7尺五寸の床の間をとってその右側に4尺5寸の棚を設ける場合、床柱は床の間と棚の間に入れ、床の間の左側、部屋の隅の部分の柱は床柱ではない構造上の柱で真壁で見せる役柱(桧など)を入れます。 しかし、↑の部屋のように床の間が部屋の中央部にきた場合、「床柱」というのは床の間のどちら側のものなのか。 一般には、右手に棚があるのですから、棚との間のものが「床柱」でしょうけれども、この部屋では右も左も同じ柱、樹種も寸法も同じ柱を入れているのです。
この床の間の右側の柱が床柱なのか左側の柱が床柱なのか、というと、右に棚があるのですから、それから言えば右側の柱が床柱と見ることができますが、しかし、全体を見た時の印象としては、この床の間においては右側の柱と左側の柱は「同格」のように見えます。
そもそも、床柱というものは、床の間の一方にだけ入れるべきものなのでしょうか。 床の間が部屋の中央部に配置されたなら、両側に入れるものか。 しかし、相当に自己主張の強い樹種を床柱として入れた場合、棚の側に1本だけなら良いとしても、両側に自己主張の強い床柱を入れたのでは、かえって変な印象の床の間になってしまわないでしょうか。 ここでは左右ともこの部屋の他の役柱と樹種・寸法とも「同材」を入れているので、左右が同格の「床柱」であっておかしくない、かつ、「釘隠し」が打たれていても、その「釘隠し」が相当の名作なので、かえってあった方が良いような印象を受けます。
そして、↓が、この「嵐山の間」の左奥にある「御囲」という茶室の床の間です。
(↑ どうも、最近、「右に90度回転」させた写真をアップロードすると、回転していない状態のものでアップロードされてしまいます。 申訳ないが、この写真を「右に90度回転」させたものを思い描いて考えてください。
この茶室の床の間は、この建物の他の床の間と違って、床柱はほかの役柱とは異なる樹種の木であり、そして、落とし掛けは床の間の落とし掛けも右側のスペースの落とし掛けも床柱の手前で止まっています。
「扇面の間」の床の間↓。 「扇面の間」は≪奥方の部屋≫らしい。
↑ 奥方の部屋というだけあって、かかっている掛け軸にしても、なにか女性的なものを感じさせる。 ここでも、落とし掛けは「床柱」の手前で止まっているが、長押は「床柱」の前まできて「真向き兎の釘隠し」が張られている。
紫檀とか黒檀とか槐とか鉄刀木(タガヤサン)とかいった床柱を使用した場合は、長押は床柱の手前で止めた方が自然な感じがするが、桧だとか欅だとか他の役柱と同じ樹種で、しかも、同じ寸法の柱を「床柱」の位置に入れた場合は、他の役柱の所では柱の上まで長押を回すのに、そこだけ柱の手前で長押を止めたのでは、むしろ不自然かもしれない。 だから、長押を「床柱」の前までもってきているのでしょうか。
「居間」の床の間↓。
↑ ここでも、やはり、「床柱」はほかの役柱と同樹種・同寸法の木で、落とし掛けは「床柱」の手前で止まっており、長押の方は床柱の前まできて「真向き兎の釘隠し」がとりつけられています。
そして、「大広間」の床の間↓。
この建物では、茶室の床の間以外は、すべて、「床柱」はほかの約柱と同樹種・同寸法の木が使用されている。 意図的にそうしてあるのだろうと思えるが、ここなどでは、床の間の内部の空間の方を主役とするためには、むしろ、「床柱」にはあまり自己主張をしないようにほかの役柱と同樹種・同寸法の木を使った方がよいという判断なのかもしれない。
「大広間」の西側の廊下には、こういう出っ張りがある↓。
(↑ どうも、最近、「右に90度回転」させた画像をアップロードすると、回転させる前の状態に戻ってしまう。なぜかわからないが、申し訳ありませんが、この写真を右に90度回転させたものを思い描いて考えてください。)
↑ これは何だろうか。 もし、「ただの観光客」ならば、たいして気にしないで通り過ぎるかもしれないが、なにしろ、当方は「ただの観光客」ではない。「ただの観光客」ではないとすれば、いったい 何さまか? というと・・、泣く子も黙・・・らない、ましてや、おばさんなんか黙ってくれるわけがない、「建築探偵団」なのだ。
建築探偵団の歌を高らかに・・・こんなところで歌ったのでは怒られるか笑われるか・・・・。では、心の中で歌おう。⇒《YouTube―◆少年探偵団(ひばり児童合唱団) 歌唱:亀太郎》https://www.youtube.com/watch?v=SNdkgi50p_o
泣く子も黙ってくれないだろうし、おばさん なんて絶対黙ってくれないだろうけれども・・・・。なにしろ、おばさんは強い・・・・・・。
これ↑は何かというと、「付書院(つけしょいん)」である↓。 それが廊下側から見ると、出っ張りになっていたのだ。
「群代官所」の床の間だけあって、「忠」「孝」という掛け軸がかかっている。 「親孝行せえよお、親孝行せえよお、ええなあ、わかったなあ、ええなあ」と自分の親が他界したと思ったら、自分の息子に言い出すおっさん、というのは・・・・・・、なんだか・・とも思うが、けっこう、世の中、そういうおっさんいませんか? 自分の親が他界したと思うと、突然、「コォ~ッ」「コォ~ッ」「コォ~ッ」とアシカかオットセイみたいに叫びだすおっさんが。 なんで、自分の親が生きている間は言わんかったんやあ? て感じもするおっさんが。
そして、玄関入った突き当りが↓となっている。
↑説明書きには「床の間」と書かれていたが、床の間というのは座敷に設けるもので、玄関を入った突き当りに「床の間」と似たものを設けても、床の間ではないのではないかとも思うが、それは「床の間」の定義づけの問題で、床の間に似たものを玄関を入った正面に設けて悪いということはない。 1990年前後、小堀住研の松戸展示場では、玄関を入った正面の突き当りに「坪庭」を設けていた。自由が丘展示場では、玄関を入った正面には階段が斜めに上がるようになっていて、その階段の下に坪を置いたり花を飾ったりするスペースを設置していた。 玄関を入った正面の位置には、なにか、視線をやわらげるものを設けたいところがある。 ↑を「床」と考えるかどうか。 「床の間に似たもの」と考えてもよいかもしれない。
もし、床の間と考えるならば、ここでも、左側の柱の所では、落とし掛けは柱の手前で止まっているが、「長押」は、むしろ、わざわざとりつけたように柱の前までついており、床の間側までまわっている。
この「陣屋」というのか、「群代官所」というのかの「床」を見て思ったのだが、床の間の意匠として、他の役柱と樹種が異なるか寸法が異なるかの「床柱」というのは必須なのか。 設計能力が稚拙な設計担当・営業担当に仕事をさせる段には、あらかじめ、これとこれをと指定しておいた方が「失敗がない」かもしれないが、他の役柱と樹種が異なったり寸法が大きかったりする「床柱」がないと床の間にならないということではないのではないか。
かつて、床の間を作った人で、床柱にはその部屋の他の役柱とは樹種が異なったり寸法が異なったりする木を使用した方が見栄えが良いのではないかと考えた人がいたのではないか。 それで、そうするものと思い込んだ人がいたのではないか。 しかし、それはあくまでも、その方が印象が良いのではないかと考えた人がいたということで、「床」の内部を花として生かそうとするなら、床柱には「花」の役割ではなく、「地」「草」の役割としてそう目立ってもらわない方がむしろ良いと考えれば、自己主張の強い樹種を使用したり相当大きな寸法の木を入れたりするよりも、むしろ、他の役柱と同樹種・同寸法の柱を使用した方が良いというのも選択肢としてはありうるのではないか。 この陣屋を見て思いました。
それで。 落とし掛けと床柱の位置関係については、やはり、この「高山陣屋」でも高山のいくつかの「民家」の床柱と同様に、落とし掛けの方が床柱の手前で止まっているのですが、長押は「床柱」の前まで来ています。
長押の方がは床柱より前に来ているのですが、これは、「床柱」とはいえ、その部屋の他の役柱と同樹種・同寸法の柱を使用していること、釘隠しに「真向き兎の釘隠し」として、それ自体が意匠として機能するものが使用されていること、この条件があってのこととも言えます。
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html では、「高山陣屋」(群代官所)の床の間以外の部分、式台、白洲、梁の架工、土縁庇、榑葺きなどについて述べます。御覧くださいませ。
☆☆☆ 高山シリーズ第3回
1.藤井美術民芸館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_1.html
2.高山陣屋(群代官所)[1]床の間。釘隠し。朝市。 〔今回〕
3.高山陣屋[2]式台。白洲。土縁庇。榑葺き。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
4.高山市政記念館。「むくり」のある屋根。変形折上格天井。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
《番外 宮川にかかる加圧注入木材を欄干に使用した橋 と防腐防蟻剤について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html 》
5.桜山八幡宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_6.html
6.桜山八幡宮 摂社 天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
7.山桜神社、古い町並美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_8.html
8.安川交番、高山警察署、市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_9.html
9.飛騨国分寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html
☆☆ 高山シリーズ第2回は、
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同(3)浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅・宮地家住宅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅・平田記念館https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html
☆ 高山シリーズ第1回 は、
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
【2】高山陣屋(群代官所)と陣屋前朝市
高山への4回目の訪問、このブログでは高山シリーズでは第3回の2箇所目として、「高山陣屋」をとりあげます。 「陣屋」と言っていますが、内部の展示によると、江戸時代の天領には、「群代官所」「陣屋」「出張所」の3種類があって、「群代官所」は、関東・美濃(笠松)・西国筋(日田)とこの高山の4か所、江戸時代の途中で関東が廃止された後は3箇所だけだったそうで、「群代官所」というかなり格が高いものらしい。
≪元禄5年(1692)、徳川幕府は飛騨を幕府直轄領としました。それ以来、明治維新にいたるまでの177年に25代の代官・郡代が江戸から派遣され、幕府直轄領の行政・財政・警察などの政務を行いました。
御役所・郡代役宅・御蔵等を合わせて『高山陣屋』と称します。≫(岐阜県教育委員会 高山陣屋管理事務所 作成のリーフレット)
↑ 「高山陣屋」(群代官所) 入口。 手前の白いテントは陣屋前朝市の店。
小野田哲郎編集『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』(2014.4.15.JTBパブリッシング)を見ると、この陣屋前と宮川沿いの2か所に朝市がでると出ている。 しかし、そこに買いに行くには、2点、抵抗があった。 1つは、朝市というのは地元の人向けのもので外来者が買いに行ってよいものだろうか、というもの。 もうひとつは、「朝市」というからには、東京の築地とかの魚市場などでは相当に早い時刻にセリがおこなわれたりするというのと同様、相当に早い時刻でないとやっていないのではないのか、ホテルで朝食をとってから行ったのでは間に合わないのではないのか、という思いがあった。 しかし、↑の写真を撮影したのは午前11時20分くらいだったように思う。 その時刻でもやっているので、新聞屋並みの早起きをしなければ間に合わないなどということはない。そして、宮川沿いの方が駅から近いし、吉島家住宅・日下部民芸館とかに行く方向ではあるが、宮川自体が観光地というわけではないので、外来者がそこに行って良いのだろうかとか思ってしまうところがあったが、陣屋前の方は、もとより、「高山陣屋」は地元の人でも見学に行く人はいるだろうけれども、外来者や、さらに外国人もいくらでも来場している所で、高山陣屋に入場しようとすると、自然とこの朝市の店の間を通ることになり、抵抗なく店で売っているものを見るようになる。 ここの朝市は外来者と地元の住民と両方を相手にして成り立っているのではないのだろうか。 だから、そう気難しく考えなくても立ち寄れそうだった・・・・が、「陣屋」を見学して出てきた時刻は12時半を少し過ぎていただろうか。 その時刻になると、↑の白いテントは1つもなくなっていた。 だから、ここの「朝市」というのは、新聞屋並みに早起きしなければ買えないというような早朝のものではないが、「朝市」というだけあって、午前中のものらしく、12時半では完全に撤収されているようだ。
高山陣屋:高山市八軒町1-5
この「陣屋」というのか「群代官所」というのかには、和室が何部屋もあって、それぞれ床の間があるのだが、このブログでも何度かとりあげたが、床の間の床柱と長押の位置関係について、かなり気になっていたのだ。 現在、ハウスメーカーが作っている和室では床の間の横が押入れである場合でも「棚」である場合でもその上の長押(なげし)が床柱とぶつかる場所で長押が床柱の前にくる施工が多いのだが、茨城県北部から東北にかけては床柱を下から上まで見せる施工の方が普通、というのか、長押を床柱の前までくるように施工すると、いわき あたりの地元のじいさんからは「こんなおかしな床の間あるけえ」と怒られると思う。 但し、長押の方が床の間の前にくる施工が「間違っている」ということでもなく、これは地域によっての違いというもののように思うのだ。
それで、一般に、東京から西は長押の方が床柱の前までくる施工をするものかと思っていたら、高山の松本家住宅・宮地家住宅・飛騨民族考古館・平田記念館ではいずれも「東北方式」というのか、床柱は下から上まで見える施工になっていた。 但し、床の間の隣が「棚」である場合、「棚」の上には長押は回っておらず、「棚」の上にも床の間と同じように落とし掛けが施工されていて、その落とし掛けが床柱の手前で止める施工がされていたのだ。
※松本家住宅の床の間は、
[第285回]《松本家住宅・宮地家住宅。仏壇・神棚への配慮。がさつな人間は「営業できる」か―高山シリーズ第2回(8)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
飛騨民族考古館の床の間は、
[第288回]《「飛騨民族考古館」(上三之町)2。金森長近と忍者。吊天井2つの意味―高山シリーズ第2回(11)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
さらに、東京都(旧 武蔵国)では長押が床柱の前に来る施工であろうと思っていたら、東京都狛江市の狛江市立古民家園に移築されている旧高木家主屋では、落とし掛けは床柱の手前で止まっており、長押(なげし)は床柱の前まできていた。
※狛江市立古民家園内の旧高木家の床の間は、
[第346回]《旧荒井家主屋と旧高木家長屋門[狛江市立古民家園](狛江市)[上]旧荒井家主屋―日本全国民家の旅(1) 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201509article_1.html
「高山陣屋」(群代官所)は床の間しかないわけではないが、床の間について、ここで、さらに別の問題も気づいたので、先に床の間についてとりあげたい。
で、その前にとりあげておきたいのが、うさぎの絵柄の「釘かくし」である。↓
(↑ 写真はクリックすると大きくなります。)
↑ 休憩所にあった説明書きによると、「真向き兎(まむきうさぎ)の釘隠し」と言うそうで、≪兎が真正面を向いているので真向き兎という≫そうで、≪兎は昔から人間に幸せをもたらす動物であり、幸福招来の意で用いられています。 又、長い耳で領民の意見をよく聞けとの意もあるといわれています。≫ということです。 もっとも、小野田哲郎編集『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』(2014.4.15.JTBパブリッシング)には、≪火事が多かった江戸時代に、魔除けの象徴である兎に、火除けの願いを込めたといわれる。≫と出ている。2つ以上の「理屈」があるようだ。 今は昔、選挙の時に、私の記憶が間違っていなければ民社党の春日一幸だったと思うが、「(政治においては)理屈は後から貨車でくる」と言ったのを新聞で見たが、こういうのも、デザインを考えた人と別に、案外、「理屈は後から貨車でくる」ということもある? のかもしれない・・。
この釘隠しを見て、これはいいなあ・・・・と思ったのです。 そう思いません?
それで・・・・・。 床の間ですが、まず、「座敷」の床の間です。↓
↑「座敷」といったら、全部 座敷と違うのかということにもなりますが、「高山陣屋」では、東西に連なる棟の一番手前、東側にある来客を通す部屋を「座敷」と言っているようです。
「和室は座った状態の目の高さで見るもの」という考え方に沿って、この写真は「座敷」の東側の縁側に正座して撮りました。
落とし掛け(おとしかけ)は床柱の手前で止まっているのです。 しかし、他方からきた長押(なげし)は床柱の前まで来て、そこに「真向き兎の釘隠し」まで打たれているのです。
ところで。 この床の間の右側の柱は、これは「床柱(とこばしら)」なのでしょうか。 というのは、この真壁和室の他の柱と同材なのです。 「同材」という言葉には、樹種が同じという意味と、樹種も寸法も同じという意味があり、現在、建築する戸建住宅の床の間では、一般に「同材」を使用する場合は、他の構造材が桧なら桧、欅なら欅で、他の構造材と同じ樹種を使っても、その場合、床柱には他の構造材としての役柱よりも太いものを使用するのが普通とされています。 しかし、この「高山陣屋」の「座敷」の床の間では、「床柱」は樹種が同じというだけではなく、寸法も他の役柱と同じ寸法の「同材」が使用されているのです。
↑右手から来ている長押が床柱の前まできて、しかも、釘隠しまで打たれてはいるのですが、その釘隠しがなかなかおしゃれな絵柄のものです。 この建物を建てた人自身が、けっこう、この釘隠しが気に入っていたということはないでしょうか。
次に、「嵐山の間」の床の間です。↓ 「嵐山の間」とは≪郡代が生活した場所。文政13年(1830)の絵図面をもとに平成8年(1996年)3月に復元されました。≫(岐阜県教育委員会 高山陣屋管理事務所 作成のリーフレット)
↑ 部屋の西側の中央に床の間があり、右手に棚があり、左手には「御囲」という茶室への入口があります。
ここでも、落とし掛けは「床柱」の手前で止まっていますが、左側からくる長押は「床柱」の前まで来ており、そして、「床柱」はほかの役柱と樹種も寸法も「同材」です。 さらに、右側の棚の部分の落とし掛けは「床柱」の手前で止まっているのですが、右側の「床柱」には、この柱を下から上まで見せたければ機能上は必要のない長押がついていて、さらに、「真向き兎の釘隠し」も取り付けられているのです。 落とし掛けは柱の手前で止めるが長押は柱の前まで出すということでしょうか。
考えてみれば、ここの「床柱」は「床柱」とはいえ、樹種も寸法もほかの役柱と同じものですから、他のものに長押がついているのに、ここだけ長押がつかないというのは、むしろ、変かもしれません。
現在、新築される戸建住宅で、たとえば、8帖の和室の北側なり西側の左側に1間(6尺)の床の間をとってその右側に1間(6尺)の棚を設ける場合、あるいは、7尺五寸の床の間をとってその右側に4尺5寸の棚を設ける場合、床柱は床の間と棚の間に入れ、床の間の左側、部屋の隅の部分の柱は床柱ではない構造上の柱で真壁で見せる役柱(桧など)を入れます。 しかし、↑の部屋のように床の間が部屋の中央部にきた場合、「床柱」というのは床の間のどちら側のものなのか。 一般には、右手に棚があるのですから、棚との間のものが「床柱」でしょうけれども、この部屋では右も左も同じ柱、樹種も寸法も同じ柱を入れているのです。
この床の間の右側の柱が床柱なのか左側の柱が床柱なのか、というと、右に棚があるのですから、それから言えば右側の柱が床柱と見ることができますが、しかし、全体を見た時の印象としては、この床の間においては右側の柱と左側の柱は「同格」のように見えます。
そもそも、床柱というものは、床の間の一方にだけ入れるべきものなのでしょうか。 床の間が部屋の中央部に配置されたなら、両側に入れるものか。 しかし、相当に自己主張の強い樹種を床柱として入れた場合、棚の側に1本だけなら良いとしても、両側に自己主張の強い床柱を入れたのでは、かえって変な印象の床の間になってしまわないでしょうか。 ここでは左右ともこの部屋の他の役柱と樹種・寸法とも「同材」を入れているので、左右が同格の「床柱」であっておかしくない、かつ、「釘隠し」が打たれていても、その「釘隠し」が相当の名作なので、かえってあった方が良いような印象を受けます。
そして、↓が、この「嵐山の間」の左奥にある「御囲」という茶室の床の間です。
(↑ どうも、最近、「右に90度回転」させた写真をアップロードすると、回転していない状態のものでアップロードされてしまいます。 申訳ないが、この写真を「右に90度回転」させたものを思い描いて考えてください。
この茶室の床の間は、この建物の他の床の間と違って、床柱はほかの役柱とは異なる樹種の木であり、そして、落とし掛けは床の間の落とし掛けも右側のスペースの落とし掛けも床柱の手前で止まっています。
「扇面の間」の床の間↓。 「扇面の間」は≪奥方の部屋≫らしい。
↑ 奥方の部屋というだけあって、かかっている掛け軸にしても、なにか女性的なものを感じさせる。 ここでも、落とし掛けは「床柱」の手前で止まっているが、長押は「床柱」の前まできて「真向き兎の釘隠し」が張られている。
紫檀とか黒檀とか槐とか鉄刀木(タガヤサン)とかいった床柱を使用した場合は、長押は床柱の手前で止めた方が自然な感じがするが、桧だとか欅だとか他の役柱と同じ樹種で、しかも、同じ寸法の柱を「床柱」の位置に入れた場合は、他の役柱の所では柱の上まで長押を回すのに、そこだけ柱の手前で長押を止めたのでは、むしろ不自然かもしれない。 だから、長押を「床柱」の前までもってきているのでしょうか。
「居間」の床の間↓。
↑ ここでも、やはり、「床柱」はほかの役柱と同樹種・同寸法の木で、落とし掛けは「床柱」の手前で止まっており、長押の方は床柱の前まできて「真向き兎の釘隠し」がとりつけられています。
そして、「大広間」の床の間↓。
この建物では、茶室の床の間以外は、すべて、「床柱」はほかの約柱と同樹種・同寸法の木が使用されている。 意図的にそうしてあるのだろうと思えるが、ここなどでは、床の間の内部の空間の方を主役とするためには、むしろ、「床柱」にはあまり自己主張をしないようにほかの役柱と同樹種・同寸法の木を使った方がよいという判断なのかもしれない。
「大広間」の西側の廊下には、こういう出っ張りがある↓。
(↑ どうも、最近、「右に90度回転」させた画像をアップロードすると、回転させる前の状態に戻ってしまう。なぜかわからないが、申し訳ありませんが、この写真を右に90度回転させたものを思い描いて考えてください。)
↑ これは何だろうか。 もし、「ただの観光客」ならば、たいして気にしないで通り過ぎるかもしれないが、なにしろ、当方は「ただの観光客」ではない。「ただの観光客」ではないとすれば、いったい 何さまか? というと・・、泣く子も黙・・・らない、ましてや、おばさんなんか黙ってくれるわけがない、「建築探偵団」なのだ。
建築探偵団の歌を高らかに・・・こんなところで歌ったのでは怒られるか笑われるか・・・・。では、心の中で歌おう。⇒《YouTube―◆少年探偵団(ひばり児童合唱団) 歌唱:亀太郎》https://www.youtube.com/watch?v=SNdkgi50p_o
泣く子も黙ってくれないだろうし、おばさん なんて絶対黙ってくれないだろうけれども・・・・。なにしろ、おばさんは強い・・・・・・。
これ↑は何かというと、「付書院(つけしょいん)」である↓。 それが廊下側から見ると、出っ張りになっていたのだ。
「群代官所」の床の間だけあって、「忠」「孝」という掛け軸がかかっている。 「親孝行せえよお、親孝行せえよお、ええなあ、わかったなあ、ええなあ」と自分の親が他界したと思ったら、自分の息子に言い出すおっさん、というのは・・・・・・、なんだか・・とも思うが、けっこう、世の中、そういうおっさんいませんか? 自分の親が他界したと思うと、突然、「コォ~ッ」「コォ~ッ」「コォ~ッ」とアシカかオットセイみたいに叫びだすおっさんが。 なんで、自分の親が生きている間は言わんかったんやあ? て感じもするおっさんが。
そして、玄関入った突き当りが↓となっている。
↑説明書きには「床の間」と書かれていたが、床の間というのは座敷に設けるもので、玄関を入った突き当りに「床の間」と似たものを設けても、床の間ではないのではないかとも思うが、それは「床の間」の定義づけの問題で、床の間に似たものを玄関を入った正面に設けて悪いということはない。 1990年前後、小堀住研の松戸展示場では、玄関を入った正面の突き当りに「坪庭」を設けていた。自由が丘展示場では、玄関を入った正面には階段が斜めに上がるようになっていて、その階段の下に坪を置いたり花を飾ったりするスペースを設置していた。 玄関を入った正面の位置には、なにか、視線をやわらげるものを設けたいところがある。 ↑を「床」と考えるかどうか。 「床の間に似たもの」と考えてもよいかもしれない。
もし、床の間と考えるならば、ここでも、左側の柱の所では、落とし掛けは柱の手前で止まっているが、「長押」は、むしろ、わざわざとりつけたように柱の前までついており、床の間側までまわっている。
この「陣屋」というのか、「群代官所」というのかの「床」を見て思ったのだが、床の間の意匠として、他の役柱と樹種が異なるか寸法が異なるかの「床柱」というのは必須なのか。 設計能力が稚拙な設計担当・営業担当に仕事をさせる段には、あらかじめ、これとこれをと指定しておいた方が「失敗がない」かもしれないが、他の役柱と樹種が異なったり寸法が大きかったりする「床柱」がないと床の間にならないということではないのではないか。
かつて、床の間を作った人で、床柱にはその部屋の他の役柱とは樹種が異なったり寸法が異なったりする木を使用した方が見栄えが良いのではないかと考えた人がいたのではないか。 それで、そうするものと思い込んだ人がいたのではないか。 しかし、それはあくまでも、その方が印象が良いのではないかと考えた人がいたということで、「床」の内部を花として生かそうとするなら、床柱には「花」の役割ではなく、「地」「草」の役割としてそう目立ってもらわない方がむしろ良いと考えれば、自己主張の強い樹種を使用したり相当大きな寸法の木を入れたりするよりも、むしろ、他の役柱と同樹種・同寸法の柱を使用した方が良いというのも選択肢としてはありうるのではないか。 この陣屋を見て思いました。
それで。 落とし掛けと床柱の位置関係については、やはり、この「高山陣屋」でも高山のいくつかの「民家」の床柱と同様に、落とし掛けの方が床柱の手前で止まっているのですが、長押は「床柱」の前まで来ています。
長押の方がは床柱より前に来ているのですが、これは、「床柱」とはいえ、その部屋の他の役柱と同樹種・同寸法の柱を使用していること、釘隠しに「真向き兎の釘隠し」として、それ自体が意匠として機能するものが使用されていること、この条件があってのこととも言えます。
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html では、「高山陣屋」(群代官所)の床の間以外の部分、式台、白洲、梁の架工、土縁庇、榑葺きなどについて述べます。御覧くださいませ。
☆☆☆ 高山シリーズ第3回
1.藤井美術民芸館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_1.html
2.高山陣屋(群代官所)[1]床の間。釘隠し。朝市。 〔今回〕
3.高山陣屋[2]式台。白洲。土縁庇。榑葺き。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
4.高山市政記念館。「むくり」のある屋根。変形折上格天井。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
《番外 宮川にかかる加圧注入木材を欄干に使用した橋 と防腐防蟻剤について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html 》
5.桜山八幡宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_6.html
6.桜山八幡宮 摂社 天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
7.山桜神社、古い町並美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_8.html
8.安川交番、高山警察署、市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_9.html
9.飛騨国分寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html
☆☆ 高山シリーズ第2回は、
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同(3)浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅・宮地家住宅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅・平田記念館https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html
☆ 高山シリーズ第1回 は、
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
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