山桜神社 と火の見櫓、 古い町並み美術館-山下清原画展、高山昭和館、鍛冶橋の手長足長(高山市)

[第358回]高山シリーズ第3回(7)
  昨年、高山に訪問した際、高山本町美術館の前まで行ったが入館している時間がなかったので入らずに帰ったことを、[第299回]《飛騨総社・春慶会館・ 宮川の増水、―高山シリーズ第2回の最終回(21)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html の【29】高山本町美術館で述べた。 「山下清原画展」が開催されていると書かれていて、見たいと思ったが時間がなかった。 今回、高山へのバスの窓から見ていると、「古い町並み美術館 山下清原画展」と書かれた看板があるのが見えた。 そして、昨年、高山本町美術館があった場所に行って見ると、高山本町美術館はなく、ゴマ屋さんになっていた。 「高山本町美術館」は場所を移動して、名称を 「古い町並美術館」と変更して展示しているらしい。

【10】山桜神社と火の見櫓
   最初、昨年、「高山本町美術館」があった場所に言ってみたのだが、そこはゴマ屋さんになっていてなく、周囲を歩いていて、「なんだろ、あれは・・・・」と思ったのが↓ だった。
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↑ どうも、最近、「右に90度回転」させた写真をアップロードすると、回転させる前の横向きの写真でアップロードされてしまいます。申し訳ないが、↑を「右に90度回転」させたものを思い描いて考えていただきたい。
↑ なんだろ、あれは・・・と思い、周囲を歩いてみたがわからず、そして、本町通り(宮川のすぐ西の南北の通り)に戻って山桜神社の所に行ってわかった。
 山桜神社↓
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↑ 山桜神社とは、≪昔、高山城主 金森頼直公の愛馬「山桜」は明暦江戸の大火(ふりそで大火)の折、主君を乗せて江戸城の百間堀を超え危急を救いました。 山桜はその功により高山に厩をつくり、いたわられました。山桜の死後、厩の跡に祠をたて、「山桜神社」「馬頭さま」として鎮火の験ありとあがめられています。 又松倉大悲閣の馬頭観音は公が山桜の平癒を祈ったと伝えられています。・・・・山桜神社では「山桜」の縁で「馬頭絵馬市」を開き皆さまのおとりつぎを致しております。≫と現地に説明書きがあり、「火の用心」「家内安全」「商売繁盛」「交通安全」と書かれています。
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↑ 最初の写真の塔は、「山桜神社の火の見櫓」でした。 「火消し 馬頭組 火の見櫓」「登録有形文化財 文化庁」「景観重要建造物 山桜神社火の見櫓 平成27年7月27日指定 高山市」と書かれた碑が立っています。
(↑ どうも、「右に90度回転」させた写真がうまくアップロードできません。申し訳ないが、↑の写真を「右に90度回転」させたものを思い描いて考えてください。)

【11】ごまの蔵
   高山本町美術館があったビルはどうなっているかというと、↓
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↑「ごま専門店 ごまの蔵」になっていました。(すいませんが、これも、ヨッコイショと右に90度回転させたものを思い描いてみてください。)

【12】古い町並み美術館―山下清原画展(←高山本町美術館)
   高山本町美術館 はなくなったわけではなく、場所を移動して、「古い町並み美術館」と名称を変更し、今も「山下清原画展」を開催しています。↓
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   セブンイレブンの東隣です。 「古い町並み美術館」は入館料が600円、すぐ東の「高山昭和館」とセットだと800円で入館できます。
   22014年の12月に、本町通り、山桜神社の近くの「高山本町美術館」からこの国分寺通り(国道158号)と南に行くと藤井美術民芸館や飛騨民族考古館に行く道とが交差する四つ角の北西側に移転して「古い町並美術館」と名称を変更したらしく、[第299回]《飛騨総社・春慶会館・ 宮川の増水、―高山シリーズ第2回の最終回(21)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html の【29】で外観写真を公開した場所にあった時よりも展示スペースの面積は今の方が広くなったそうです。
※古い町並美術館について、
古い町並美術館・高山昭和館のHP http://showa-museum.com/
古い町並美術館 山下清原画展 http://showa-museum.com/modules/yamashita_kiyoshi/gengaten.html

【13】高山昭和館
   高山昭和館 ↓ は古い町並美術館から少し東に行った所ですが、国分寺通り(国道158号)に沿った場所ではなく、信号がある「安川」交差点から北に(下一之町の方へ)入った西側にあります。↓
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↑ 「昭和」と言われても、けっこう「昭和」は長い。
   昭和1年(大正15年)は西暦1926年、治安維持法制定が「ひどく不合理、治安維持法」で1925年(大正14年)で昭和1年の前の年。 昭和2年(1927年)、芥川龍之介が服毒自殺。 世界大恐慌が「ひどく 憎い 世界大恐慌」で1929年(昭和4年)。 満州事変が「ひと くさい 満州事変」で1931年(これ、「ひと くさい」では意味になってないかもしれないが、前の2つは「日本史年号記憶集」「世界史年号記憶集」とかいうような本に書いてあったものだが、これは我流だからしかたがない)。 「ひどく寒い 2.26事件」が1936年(昭和11年)(これも、この年の2月が例年より寒かったかどうかなんて、知らんで)。 1937年(昭和12年)が「ひどく 災難 日中戦争」で日中戦争が始まる盧溝橋事件があった年。 1941年(昭和16年)12月、真珠湾攻撃、太平洋戦争の始まり。 そして、「終戦」か「敗戦」か(実際は「敗戦」であるのは事実であるとともに、「終戦」でもあるが)が1945年(昭和20年)で、ここまでが「戦前」。
   1945年(昭和20年)8月以降の「戦後」、1948年(昭和23年)、太宰治が入水自殺。 1950年(昭和25年)が朝鮮戦争開始。
   1960年(昭和35年)が安保闘争と安保条約。 1964年(昭和39年)が東京オリンピック。この頃から私は記憶がある。 1970年(昭和45年)に大阪で万国博覧会、かたや、東京で安保条約改定。さらに、かつて、太宰治が入水自殺した時に「冷水摩擦でもさせてやりたい」と発言した三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊駐屯地に日本刀持って押しかけた上、割腹自殺。(あんたも、冷水摩擦したら良かったのと違うんかい・・という旨を「作家で精神科医」の なだ いなだ が「朝日ジャーナル」に書いていたが、私もそう思う)。
   このあたりから後は、私にとっては、「わりと最近」て感じ。 1973年(昭和48年)、パリーグが前後期制を始め、前期優勝の南海が後期は後期優勝の阪急に1勝もできなかったにもかかわらず、プレーオフでは3勝2敗で勝ち優勝、前年、巨人で0勝の山内新一が南海に移籍すると、投げては勝ち、投げては勝ちで20勝・・・なんて、その頃、知っている人間にとってはものすごい感動だったが、「今の若いもんは」なんて言うと年寄になってしまうが、知らんだろうな・・・・。 1976年(昭和51年)、何度も日本シリーズで巨人に負けてきた阪急が、3勝のあと3敗した7戦目、足立の力投と森本の逆転2ランでついに日本シリーズで巨人に勝った!・・・て、これも「若いもん」は知らんだろうなあ・・・・なんて言う歳になってしまったのだろうかな・・・。 1984年(昭和59年)、栃木県宇都宮市、報徳会宇都宮病院事件が発覚。 1984年(昭和59年)から1985年(昭和60年)にかけて、「グリコ、つぶしたる」怪人21面相が「大活躍」。 1985年(昭和60年)、2位になることはあっても優勝することは、たぶん、ないだろうな・・・とか阪神ファンが思っていた(?)阪神タイガースが、なんと、優勝、日本一、バースが1回目の三冠王。 1986年(昭和61年)4月、チェルノブイリ原発事故。 1988年(昭和63年)、この年限りで 南海ホークス、阪急ブレーブスが消滅。 そして、1989年(昭和64年)1月に、昭和天皇が長く療養の末、他界。
〔 《「若い人」のための 西暦・元号対象法》 西暦と平成は、1990年が平成2年、2000年が平成12年、2015年は平成27年というように2年違い。西暦に2年たすと平成だが。
  西暦と昭和は、「敗戦」だか「終戦」だかが1945年で昭和20年。 朝鮮戦争勃発の1950年が昭和25年。1960年が昭和35年、1970年の大阪万博が昭和45年、まさか優勝なんてせんだろうと阪神ファンが思っていた(?)阪神タイガース日本一、道頓堀川へのダイビングが1985年、昭和60年と、5年違い。 〕
〔(少々話がそれてしまうが、)早慶戦の後、学生が日比谷公園の噴水に飛び込むという話があるが、阪神ファンの関西人は東京に来た時には、日比谷公園に行って噴水を見ることをお勧めする。日比谷公園の噴水は、ちょうど飛び込むのにいいくらいの深さ(小学校高学年向けプールくらいの深さ。「立って入るお風呂」くらいの深さ)。道頓堀は飛び込むには危険だからやめた方がいいと思うよ。 日比谷公園の噴水に飛び込んでるやつは、興奮して飛び込んでいるように見せて、実は、あらかじめ、「着替え」を用意した上で、深さを測った上で大丈夫と計算して飛び込んどるんやで。それ真似て、昔に比べてきれいになってきた言うても一人前に「川」の道頓堀なんて、飛び込んだらあかんで。ましてや、パリのセーヌ川に飛び込んだやつがニュースになってたけど、あかんで。そんなもん、飛び込んだら死ぬで。 〕
   で、「昭和」の真ん中あたりに生まれた者としては、「戦前」の満州事変とか日中戦争とかは、「昔」て感じがするし、「戦後」でも朝鮮戦争あたりは、やっぱり、「かなり前のこと」という感覚で、そのあたりまでは、中学校の「歴史」、高校の「日本史」の対象で、1964年(昭和39年)の東京オリンピックあたりから後は自分が生きていた時代のこと。 大阪万博なんて「ちょっと前」で(東芝 I H I 館・タカラビューティリオンが黒川紀章設計というのは後から知ったが)、昭和天皇が亡くなって元号が「平成」になったのなんて、2~3日前のような気がするのだ。 だから、「昭和」と言われても、「戦前」の昭和とバースとか岡田とか掛布とかが選手やってた頃の「昭和」とだと、感じがずいぶんと違うのだが、「昭和」と言えば昭和なのだろう。 昔、中学校の時の先生が、「天皇についてどう思うか、とか言うひとがあるが、君ら、今の天皇には長生きしてもらわないといけないんだよ。 何でかわかるか? 今の天皇は誕生日が4月29日、ゴールデンウィークの最初の『国民の休日』だ。 皇太子(今の天皇)の誕生日は何月何日か知ってるか? 12月23日だよ。 12月23日に祝日があって休みになるよりも、4月29日が休みの方がいいだろ。 そう考えると、なんとしても、今の天皇には長生きしてもらわないと・・と、思うよなあ? 」と言っていたのを覚えているが、今現在では、4月29日も「国民の祝日」として存続している。

   ↑ の高山昭和館の入口に、懐かしい円筒状の「昔ながら」の郵便ポストが立っていて、子供の頃、こういう郵便ポストに投函したよな・・とか思う人、あるのじゃないかと思うのだが、実は、1994年、在来木造の一条工務店で福島県いわき市の営業所に勤務していた時、会津若松で建てる方があって、会津若松市に行った時、会津若松にはこの郵便ポストがあったのだ、現役で。 「おまえ、今も生きてたんだなあ~あ・・・・」と感慨にふけったのを覚えている。 だから、この地面から円筒状で立っている郵便ポストは、すでに現役を退いている地域もあるが、平成27年の今も現役で働いている地域もある可能性は十分にあると思う。
   内部に入って見ると、「大正」の時期に建てられたフランク=ロイド=ライト設計の旧 帝国ホテル 玄関ホール部分が愛知県犬山市の「明治村」に展示されているごとく・・・というわけでもないかもしれないが、中には「昭和」ではなく、「平成」の初めのものも展示されている。
   そういえば、こんな三輪のトラック走ってたなあ・・というのが停まっている。
   背もたれに鉄腕アトムの絵がかかれた回転椅子。 赤の色のものが展示されていたが、実は、私、まったく同じもので色が緑のもの、使ってました。 但し、この椅子は、くるくる回って落ち着かないから勉強に適さないと親が言って別の椅子を買い直し、この椅子は他の用途に使用したのですが、それ、使ってました。
   由美かおる の大塚薬品の琺瑯(ほうろう)製の看板。 中学校に通う途中でかかっていたのだが、中学生にとっては、ものすごい魅力的に見えた・・・と正直に言えば、そう思った男性はけっこういると思う。『水戸黄門』に出ていた頃はもうどうでもいいけど・・。
   で、若かりし頃の森田健作の写真が出ていたのだ・・・・が、今、千葉県知事なんてものになった森田健作は、今でも剣道を売りにしているようだが、もうひとつの森田健作のトレードマークの「助べえ分け」は今はやめている。 かつて、森田健作と剣道、森田健作と助べえ分け は、切っても切れない縁があった。 剣道と助べえ分けを捨てたら森田健作に何が残るか?!? 何もないのではないか・・というくらい、助べえ分けは森田健作、森田健作は助べえ分け! という印象があった・・・・のだが、この「高山昭和館」に展示されていた森田健作の若かりし頃の写真を見ると・・・不思議なことに、助べえ分けではないのだ。森田健作のくせに。 おかしいじゃないか、森田健作が助べえ分けでないというのは・・・と思うのだが、若い頃でも助べえ分けにしていなかった時もあったらしい。 大発見だった・・・というほどのものでもないが、森田健作の若いころに助べえ分けでない時代があったとは、知らんかった・・・。
※高山昭和館HP  http://showa-museum.com/modules/showakan/


【14】鍛冶橋の手長足長
   そして、高山昭和館の南の「安川」交差点から西に行き、古い町並美術館の前から国分寺通り(国道158号)西に行って宮川を渡る鍛冶橋。 「鍛冶橋」というのは、このあたりは、鍛冶屋が多く住んでいたから鍛冶橋と言うと藤井美術民芸館で教えてもらった・・・が、橋の中央部の両側に、何やら、水木しげる の漫画に出てきたのがいるではないか・・↓
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↑「手長(てなが)」
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↑「足長(あしなが)」
   ↑ 宮川にかかる鍛冶橋の川の中央付近の両側に立っている「手長足長像」ですが、どうも、最近、縦で撮った写真は「右に90度回転」させた状態でアップロードできない。非常に申し訳ないが、頭の中で「右に90度回転」させて考えてほしい。
   水木 しげる『水木しげる の妖怪文庫(一)』(1984.7.4.河出文庫)に、「足長手長(あしながてなが)」が出ている。 
≪ 『和漢三才図会』に、足長国に足長人がおり、手長国に手長人がいて、常に足長人は手長人を背負い海で魚を捕る、と記されている。 ・・・
  ・・・霊界の本を見ていたら、やはり霊界に「足長手長」がおり、「足長」を「大常(おおつね)」、「手長」を「小常(こつね)」と記してあったように記憶する。・・・「足長」の足の長さは二丈〔約6メートル〕ばかりというから、手長の方の手の長さもそのくらいであったのだろう。
   昔、九州の平戸の西北二里ばかりのところに、神崎山という山があった。その近くの海辺で空が晴れて静かな夜、ある人が小舟に乗り、魚を釣っていた。 ふと浜辺を見ると何者かが火をかかげてさまよっている。 よく見ると、腰から上は常人と変わらぬが、足の長さが九尺(約3メートル)ほどもある。 驚いて従者に訊ねたところ、
「これは足長というもので、このものが出ると必ず天気が変わるといわれます」
 と言う。
「こんなよい月がでていて静かな夜に、そんなバカなことがあるものか」
 と言いながら、十丁ばかり漕ぎ進むと、急に黒雲が現れ、雨が降り出した。 急に強い雨になったので城下に帰ることもできず、そのあたりの宿に泊まった。
 ・・・・・
   どうしたわけか、寺の彫り物など昔の彫刻に、この「足長手長」をよく見かける。
  「足長手長」の大元をさぐれば、中国の古書『山海経』にこれと似たものがあり、江戸時代の『和漢三才図会』十四巻にも「長脚」、「長臂」という名で絵ものっている。 ≫
(水木しげる『水木しげる の妖怪文庫(一)』(1984.7.4.河出文庫) と出ている。
   高山の街で無料でもらえる『飛騨高山観光MAP ぶらり高山』(2015.9.20.高山弘報社)には、
≪ 手長足長  鍛冶橋の欄干に立つユニークな二つの銅像「手長足長」前は、絶好の写真スポット。 高い木の実や魚を捕るためにそれぞれ手と足が長くなっており山海の神を表すともいわれている。 ≫と出ている。
    (2015.10.6.)

☆☆☆高山シリーズ第3回
1.藤井美術民芸館  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_1.html
2.高山陣屋[1]床の間、釘隠し・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
3.高山陣屋[2]白洲、土縁庇・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
4.高山市政記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
〔番外 宮川にかかる欄干に加圧注入木材使用の橋と 防腐防蟻剤について。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html 〕
5.桜山八幡宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_6.html
6.桜山八幡宮 摂社 天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
7.山桜神社、古い町並美術館、手長足長 〔今回〕
8.安川交番、高山警察署、市役所
9.飛騨国分寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html
10.新宿‐高山のバスの予約をインターネットで「後部」を希望すると。「労災」のおかげで歩行困難にされた話  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_11.html

☆☆ 高山シリーズ第2回は、
(1)国府町村山天神参拝1上枝駅から宮川沿い。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同3浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅・宮地家住宅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅・平田記念館https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html 
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html

☆ 高山シリーズ第1回 は、
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html


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