高台寺遺芳庵・観月台、風情ある偃月池と開山堂と庭―紅葉の高台寺(京都市)と高台寺天満宮参拝(1)

[第366回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(29)-1
   京都市の東側に高台寺と高台寺天満宮があります。 どのあたりかと言いますと、八坂神社・円山公園・知恩院・大谷祖廟(東大谷)の南、清水寺・大谷本廟(西大谷)の北、建仁寺の東のあたり・・と言いますと、関西人はたいていわかると思います・・が、わからない非関西人は・・・、まあ、地図見てくれ。↓




高台寺でいただいてきたリーフレットによると、高台寺は《鷲峰山(じゅぶざん) 高台寺(こうだいじ)》、「正式には」《高台寿聖禅寺(こうだいじゅしょうぜんじ)》というそうで、今は臨済宗建仁寺派に属しており、住所は京都市東山区高台寺下川原町526番地 になるようです。

   我が家は、父の家系が浄土真宗本願寺派で、西大谷(大谷本廟)がこの少し南にありますので、その付近には子供の頃から何度か足を運んできたのですが、大谷本廟(西大谷)の周囲の寺社といいますと、すぐ北(ほとんど隣)に清水寺と「恋の神さま」として売り出してしまったために今や、おねえちゃんいっぱい、百貨店のバーゲンセール会場みたいで、神社かお守り売り場かわからん状態の地主神社があり、西大谷(大谷本廟)より南には三十三間堂とか、「国家安康 君臣豊楽」の銘の鐘で有名な方広寺とかあります。 三十三間堂は坂本功『木造建築を見直す』(岩波新書)にも登場します。 北には浄土宗の知恩院があり、八坂神社や丸山公園は阪急京都線の四条河原町駅から東に進むとすぐで、かつて阪急沿線に住んできたことから、京都に行く場合に阪急を利用することが多く、阪急京都線の終点「四条河原町」駅から東に適当に歩くと八坂神社と円山公園にたどりついたので、自分が住んでいた所が大阪府で八坂神社・円山公園のあたりは京都府であっても、他府県というより阪急沿線住民としては同じ阪急沿線として「勢力範囲の中」でした。「勢力範囲」といっても、何の勢力もないんだけど、まあ、自分にとって「地元」に含まれる地域ということだ。八坂神社・円山公園・知恩院は大阪府の阪急沿線住人にとっては、都道府県としては京都府でも阪急沿線の一部分として大阪府の最南部より馴染みがある地域だったりします。 建仁寺は、「何と言っても」というものかどうかわからんが、中学校の歴史、高校の日本史に登場するお寺ですので有名です。 これらに比べると、高台寺の知名度は低い。
   しかし、寺域も広いし、重要文化財に指定されている建物も多く、そして、関連する人名として「日本史 入学試験頻出人名」が多く登場する。 豊臣秀吉・徳川家康・ねね・千利休、そして、受験の日本史には登場しないかもしれないが、建築屋には有名な小堀遠州。
   どういう具合に登場するかというと、豊臣秀吉の没後、その正室であった北政所(ねね。 出家して「高台院 湖月尼」)が、1606年(慶長11年)に開創した寺で、造営に際し、徳川家康が多大な財政的援助をおこなったといい、1624年(寛永1年)に建仁寺の三江和尚を開山として迎え、高台寺と号した、というもので、霊屋(おたまや)では、豊臣秀吉と北政所(ねね)を祀っていて、堂内の右(東)に豊臣秀吉、左(西)に北政所(ねね)の画がかかっていて、北政所(ねね)の画がかかっている下のあたりに1624年(寛永1年)9月に他界した北政所(ねね)は土葬されたそうです。

   京阪電鉄の駅に置いてあった、「東福寺からすぐ! もみじ ライトアップ情報」には、東福寺と永観堂・青蓮院・知恩院・清水寺とともに高台寺が載っており、『旅の手帳 2015年11月号 古都 紅葉めぐり』(2015.10.10.発行 交通新聞社)には、京都のお寺としては、醍醐寺、天龍寺の塔頭・宝厳院、龍安寺の塔頭・西源院、妙心寺の塔頭・退蔵院とともに出ています。 高台寺のホームページhttp://www.kodaiji.com/index.html を見ると、悪いとは言いませんが、どうも、「観光寺院」という印象が強いように感じたのですが、行ってみると、やはり、正真正銘、お寺です・・・・が、北の知恩院・西の建仁寺、南の清水寺と比べると知名度は低い・・ように思っていたのですが、人はずいぶんと多い。 きれいな庭園で、建物と池・樹木が調和したきれいな庭園ですが、訪問者は仏教の信仰上からの訪問者ではなく「観光客」が多い。紅葉は美しいのですが、お寺として考えると、「紅葉の季節」とかでない時期に来た方が落ち着いてすごせたかもしれません。

   最寄駅としては、京阪の「清水五条」と「祇園四条」の真ん中あたり。電車の駅からは近いとは言えませんが、京都は「旧政令指定都市」の中では最も「歩ける都市」なので、晴れておればそのどちらか、もしくは阪急京都線の「四条河原町」駅から歩きたいところです。
   バスは、京都市バスの「東山安井」というバス停が最寄で、南行きでは京都駅行きと東福寺行きが来ます。南側の五条坂バス停だと「急行」バスが止まるが「東山安井」のバス停は「急行」は止まりません。 今回、京都駅から新幹線に乗りましたが、京都駅まで行くのに「東山安井」バス停に来るバスは混んでいて、道も混んでいてけっこう時間がかかりました。
   大阪方面へ行くなら、京阪「祇園四条」か、阪急「四条河原町」まで歩く方がいいのではないか。
   新幹線に乗るなら、
   京阪の「祇園四条」の駅まで歩き、「東福寺」駅でJR奈良線に乗り換えてJR「京都」駅。
   阪急の「四条河原町」駅まで歩き、阪急「烏丸」⇒地下鉄烏丸線「四条」で乗り換えてJR「京都」駅の方が、バス停で傘をさして待って、濡れた傘を持っている人がいっぱい乗って混雑しているバスが混雑している道をなかなか進まないというようなら、良いのではないかと思いました。


【1】 鷲峰山 高台寺〔じゅぶざん こうだいじ〕 (高台寿聖禅寺〔こうだいじゅしょうぜんじ〕)
   ≪・・・ 開山堂をはじめとする創建当時の建造物は多く残っている。 重要文化財の霊屋(おたまや)・表門・観月堂・傘亭・時雨亭は伏見城の遺構である。 同じく重要文化財指定の開山堂は康徳寺の建物を移築したもの。・・ ≫(森谷尅久監修・京都商工会議所編『改訂版 京都 観光文化検定 公式ガイドブック』(2007.10.8.第8版 淡交社)というのだが、高台寺のホームページの「境内案内」http://www.kodaiji.com/keidai.html を見ると、霊屋(おたまや)・表門・観月堂・傘亭・時雨亭は出ている。 又、≪この他、灰屋紹益(はいやじょうえき)好みの茶席 鬼瓦席 と、吉野太夫遺愛の遺芳庵 もある。・・・ (開山堂の)東の臥龍池には、霊屋に向かって臥龍廊が登る。・・・・ ≫(同)と出ているが、鬼瓦席、遺芳庵、臥龍池、臥龍廊 も「境内案内」に出ているのだが、目を凝らして見ても、表門がどこにあるか見つからない。 勅使門 は「えらい人」が入るもんだろうから、私らは通らせてもらうわけにはいかないだろう、として、このHPの「境内案内」の図を見た限りだと、このお寺、どこから入るんだ? と思いませんか。 行ってみると、どこから入るかというと、この図では「受付」と書いてあるところから入ることになります。 しかし、それは、現在の拝観受付であって、もともとの入口ではないと思うのです。 「勅使でない人が入るもともとの入口」て、どこだったのだろうな・・と思いながら、よくわからないままに、雨も降っておれば人も多かったので、今回は帰ってきました。 もう一度、今度は、「紅葉の季節」とかでない時に行くと、人が少なくてもっと「お寺を味わう」ことができるかもしれません。
   で、「表門」というのが、重要文化財のはずなのだが、「境内案内」に出てないのだ。 どこなんだろう・・と思って、現地に行くと↓
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↑ すぐ見つかりました。↓




「表門」は、お寺や神社の範囲はどこまでととらえるかは難しいところがありますが、今、「表門」は、拝観料を払って入る区域からは少し離れた南にあります。 この位置に表門があるということは、かつては、ここまで高台寺の寺域だったということでしょうか。
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↑ 「遺芳庵」 ≪ 灰屋招益と吉野太夫との好みの茶席であり、鬼瓦席と共に高台寺を代表する茶席として知られている。≫(高台寺 リーフレット)
≪灰屋招益好みの茶席 鬼瓦席と、吉野太夫遺愛の遺芳庵もある。≫(『改訂版 京都 観光文化検定 公式テキストブック』2007.8版 淡交社) の「遺芳庵」
  で、灰屋招益・吉野太夫て、誰やねん? というと、
《コトバンク 灰屋招益 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説》https://kotobank.jp/word/%E7%81%B0%E5%B1%8B%E7%B4%B9%E7%9B%8A-113142 によると、≪江戸時代初期の京都の豪商。本姓,佐野氏。本阿弥光悦の甥光益の子。・・・光悦をはじめ,烏丸光広,松永貞徳らに師事し,茶,挿花,書画,さらに蹴鞠 (けまり) ,和歌にも長じた。 ≫
《ウィキペディア―吉野太夫https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E5%A4%AA%E5%A4%AB によると、≪・・・吉野太夫は京都の太夫に代々伝わる名跡であり、初代から数えて10代目まであったと伝えられる。初代吉野太夫は安土桃山時代の人物で、本阿弥光悦などの文化人と交流があったとされており、現代においては吉川英治作の「宮本武蔵」における登場人物として知られている。・・・才色兼備を称えられ国内のみならず、遠くは明国にまで「東に林羅山、西の徳子よし野」と聞こえていると言わしめるほど名を知れ渡らせ、馴染み客には後陽成天皇の皇子で近衛信尹の養子である関白近衛信尋や、豪商で、当時の文化人の一人である灰屋紹益がいた。寛永8年(1631年)、退廓・紹益と結婚。時に26歳。 ≫だそうです。

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↑ 「湖月庵」 と ≪灰屋招益好みの茶席 鬼瓦席と、吉野太夫遺愛の遺芳庵もある。≫(『改訂版 京都 観光文化検定 公式テキストブック』2007.8版 淡交社)の「鬼瓦席」(右手前)

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↑「開山堂」と「偃月池(えんげつち)」
≪境内は小堀遠州の作庭による庭園を中心に本堂、開山堂、御霊屋(おたまや)などが建つ。≫(ブルーガイドニッポン編集部『ブルーガイドニッポン 京都』1996.4.10.実業之日本社)という小堀遠州によるらしい庭園で、≪ とくに開山堂の東、臥龍池の築山に燃える紅葉の名木が美しい。≫と『四季花めぐり 錦繍の名刹 京都・奈良』(2002.10.31.小学館)に出ているように、開山堂の東側(臥龍池の側)は紅葉が美しいが、↑の西側では紅葉は見られない。 しかし、今回、ひと回りして見た風景の中でも、自分が撮影してきた写真でも、↑が私は最も好印象を受けた。 美術館で企画展が開催された時に、人がわんさと押しかけている企画展の脇で誰もいない常設展の方が、なんだか、すばらしいものがあって、すいていることもあって風情を感じるような、それに似たようなものか。 どうも、紅葉の高台寺として雑誌などに出すぎで人が多すぎ、というのがあるかもしれない。 中国人の観光客や白人の観光客もけっこういたのだが、知恩院や清水寺なら前々から知っていたが、私がそれほどよく知らなかった高台寺を、彼らはなんで知ってるんだろ、とも思うのだが、そういう情報があるのだろうか。
≪ 重要文化財指定の開山堂は康徳寺の建物を移築したもの。≫(『改訂版 京都観光文化検定 公式ガイドブック』)というが、「康徳寺」とはどこにあるのかというと、高台寺の≪前身は北政所が生母を供養するために建てた康徳寺(こうとくじ)。≫(『改訂版 京都観光文化検定 公式ガイドブック』)という高台寺の前身の寺のことのようだ。
   高台寺は≪ 豊臣秀吉の供養のために、慶長11年(1606)に正室の北政所(高台院)が徳川家康の援助を受けて創建した≫という寺らしいのですが、≪前身は北政所が生母を供養するために建てた康徳寺(こうとくじ)≫、というのを見て、ふと気づいたのが、方広寺の鐘の銘が「国家安康」「君臣豊楽」で、その「国家安康」は徳川家康の「家」と「康」をぶつぎりにした銘だと因縁をつけたという話があるわけですが、「康徳寺」という名称も、よく見ると、「康徳」の間にレ点を入れると、「徳(川)の(家)康」、「徳川をやすんずる」という意味なのか。豊臣と徳川の関係において、大阪城の淀殿と秀頼に近江系の家臣である石田三成らがついていたのに対し、北政所(ねね。高台院)は秀吉の子であっても北政所(ねね)の子ではない秀頼につくことはせず、むしろ、家康との縁の方が深かったらしく、1600年の関ケ原の戦いの後の1606年に高台寺を創建するのを家康が「援助」したりしているわけですが、「康徳寺」という名称にもそのあたりが出ているのでしょうか。

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↑ 「観月台」 ・ 「楼船廊(ろうせんろう)」
≪ 重要文化財の霊屋(おたまや)・表門・観月台・傘亭・時雨亭は伏見城の遺構である。・・≫≪ 開山堂西の偃月池(えんげつち)の中央には屋根付きの楼船廊(ろうせんろう)がかけられ、・・・≫(『改訂版 京都観光文化検定 公式ガイドブック』) というのが↑ なのだが、なんだか、筋交いも貫もない、地震が来たら壊れそう・・・て感じで、ずいぶんおんぼろ・・なんて言うと不謹慎かもしれないけれども、そんな感じ。
≪ 観月台  檜皮葺の四本柱の建物であり、三方に唐破風をつけた屋根の下から観月するための建物である。≫(高台寺でいただいたリーフレット)
  唐破風は二方向だと思っていたら、帰ってリーフレットを見て、さらに自分が撮影してきた写真↑を見ると、たしかに、三方に唐破風がありました。
今となっては20年近く前、慈照寺に行った時、主として、書院造の代表建築とされる東求堂を見に行ったのですが、拝観入口から入って右手に、「なんやきたならしい掘っ立て小屋みたいの」があって、なんや、これ・・・と思ってよく見たら、「銀閣」だった・・・・・ということがありました。 実際、きんきらきんにさりげなく♪の金閣と違って、銀閣は「きたならしい掘っ立て小屋みたいの」て感じなのですが、よく見ると、その「きたならしい掘っ立て小屋みたいの」がなかなか風情があり、それが銀閣の良さではないかとと思います。 重要文化財指定の「観月台」も、もっと落ち着いて見ると、見え方も変わったのではないかと思うのですが、なにしろ、雨が降っていた上に、人が多くて、自分のペースで動くのではなく人の流れに沿って動くという感じで、少々荷物も持っていたことから、今回は落ち着いて味わうところまで行けませんでした。

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↑ 開山堂(重要文化財) ・ 楼船廊 ・ 観月台(重要文化財)
  「紅葉の季節」ではあるのですが、紅葉と関係ない部分においても、小堀遠州によるという庭園はなかなかのものです。

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↑ 私が、住宅建築業に勤めてきて、2月から3月にかけての梅、3月から4月にかけての桜、4月下旬頃の藤、その他、ツツジ・あじさいなど、そして、11月から12月初めにかけての紅葉に、特に関心を持つようになったのは、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の青二才のアホ設計が、せっかく地べたのある家に住もうという人に、周囲の環境をまったく考慮しない、採光も自然光を採り入れるのではなく、南面が自分の家の敷地が広く空いているにもかかわらず、すべて塞いで昼間から人工照明で生活するような家、十分な広さの敷地があるにもかかわらず隣地と50センチしかあけずに建てて自然の通風をとらない家、せっかく地べたがある家を手に入れて住もうという人で土地の広さは十分にあるのに、家が建っていない場所をすべてモルタルで固めて大地のエネルギーを遮ってしまう、といったアホまるだし、しろうと以下の設計をしたものを何軒か見せられたことによります。 あれではお施主様がかわいそうだ、と思い、そして、「他山の石」として、住宅建築業に従事する人間は、建物だけでなく、梅・桜・藤やツツジ・あじさい、そして、紅葉といったものにも関心を持ち、そして、自分の家の敷地内だけでなく、周囲の環境と調和するものを作るように心掛けないといけないとも思い、今回も、「紅葉の高台寺」に見学に足を運んだのでした。
   敷地いっぱいにへいのような外壁と設けてその内部だけで考えるというフリーダムアーキテクツデザイン(株)http://www.freedom.co.jp/ の青二才設計の偏狭な思考は「優秀でない」程度ではなく「病的」とも言うもので、あれは、住宅建築業に携わる者として勉強不足も甚だしい。 何年か前に我が家に来たリフォーム屋が、「うちの会社は営業がいませんから、だから、営業の経費がかからないからその分、安くできるんです」と言うので、「じゃあ、あなたは何なのですか」と言うと、「私は工事課の人間です」と言い、私が「でも、今、営業やってませんか」と言うと、「今、営業やっていても、私は営業ではなく工事課なんです」と言いやがった男がいました。 ものは言いようです。 私がかつていた千葉県のリフォーム屋・ウッディホーム(株)では、営業・設計・積算・工事管理・アフターサービスはすべて同じ人間が担当してやっていましたし、リフォーム屋というのは大規模でない会社が多いので、大手の新築屋と違って分業されていない会社が多く、「営業兼工事管理」というのは珍しいことでもないのですが、ウッディホーム(株)では名刺に記載する職種名は「営業」と書いていたのですが、そのリフォーム屋は「営業兼工事管理」という職種の人間のことを「工事課」と呼んでいたというだけのことです。あほくさい話です。フリーダムアーキテクツデザイン(株)http://www.freedom.co.jp/ の場合は、「営業兼設計」の人間を「設計士(さま)」と自称していて、ヒゲはやせば設計士、みたいに考えている「設計士(さま)」と自称しているヤツのことを「設計士(さま)」だとありがたがる人もいるようですが、作っている実物を見ると、「しろうと以下」です。 「嘘でも100回言えば真実」というのは、ナチスの誰かが言った文句ですが、「設計士(さま)」と自称すれば人はありがたがるだろう、というあさはかな認識というのは、私はあまり良いとは思いませんね。「世界でただ一つの家」とか言いながら、実際は「コンテナ倉庫みたいな家」「はこ、箱、ハコ」しか設計できないし・・・。
   ローマの「トレビの泉」にしても、後ろ半分は「トレビの泉」として作られたものではなく、もとからそこにあった建物であるわけです。 それを「借景」として使っているのです。 ↑の写真を見ても、どこからどこまでが高台寺の庭でどこからどこまでが京都の山なのか、はっきりと境界なんてわからないし、背景の山と調和するように最初から作ってあるわけです。  周囲の環境と隔絶して建物の内部だけを人工的に凝ったものを作ろうというなんか病的な発想のフリーダムアーキテクツデザイン(株) の青二才設計は、一度、こういう所に連れてきてやると良いのではないか、という気もするのですが・・・・、来ないかもしれませんね。 そういう思いあがったアホは。
   (2015.11.25.)

◆ 次回、[第267回]方丈前庭、開山堂+雇用均等室の不見識 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_5.html をご覧くださいませ。

☆ 紅葉の高台寺・圓徳院と高台寺天満宮参拝
1.表門、遺芳庵、小堀遠州作という偃月池と庭 〔今回〕
2.方丈前庭、開山堂+雇用均等室の不見識 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_5.html
3.紅葉の臥龍池・霊屋、利休設計という傘亭・時雨亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_6.html
4.怒りの綱敷天神より勧請した高台寺天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
5.圓徳院、八坂の塔、「京都的」な下河原通 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_8.html


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