高台寺方丈前庭・開山堂・臥龍廊―紅葉の高台寺と天満宮(2)+恐山での笑える話+雇用均等室の不見識
[第367回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(29)-2
拝観順路に従い、書院・方丈に進みます。
↑ 「方丈 前庭」 と 北側から見た「勅使門」
↑ 「方丈」
↑ 「開山堂」(重要文化財)
どの場所においても、晴れの時もあれば雨の時もあるわけで、たとえば、笠井一子(かさい かずこ)『京の大工棟梁と七人の職人衆』(1999.6.25.草思社)には、大工の中村外二(なかむら そとじ)棟梁が、室戸台風の時に、京都のお土居のてっぺんに二階建の建前をしていて、その時の経験が役立ったと語り、また、宮崎で300坪の木造住宅の工事をおこなっていた時、台風が来た時に職人が避難したことに、なぜ、そこで見ておかなかったのかととがめた話をされています。≪千載一遇の経験でしょ。 風が入ってくるねやから、軒先が風で煽られて動くわけですよ。 そしたらこの建物がどういうように動くか、どういうふうに傷むのか。 それをなんで見とかんのや、ていうんですわ。そうでっしゃろ。仕事のしかたというのは自分らでやってきとんねやから、ああいう仕事をしたから、こういう具合になんのやなと、ようわかりますがな。・・・≫と。 もっとも、その時は相当の台風であったそうで、命あってのものではあるのですが、職種が何であれ、建築業に携わる者が建築を見学する場合、晴天の時の方が見やすいのは間違いないのですが、雨の時はどういう状態なのかということもまた関心を持つべきであり、それから考えると、訪問した時に、必ずしも晴天であるのが良いとは限らないでしょう・・・・けれども、今回、雨で、周囲の人手も多く、少々荷物も持っていたことから、それぞれの手に傘と荷物を持った上で撮影した為、↑ できるだけ水平に撮影したつもりで、少々いがんでしまった。撮影には、荷物少な目で晴天の方がいいことは確かだ。
昔、歴史的建造物・有名建築物の写真を撮影する場合、できるだけ人が写らないように建物そのものを撮影できるようにした方がいいかと思った時もありましたが、それは違うと考えるようになりました。 人のいない建物というのは不自然なもので、むしろ、そこにいておかしくない人が写っている方が建築の写真としては本来的です。 そう思って、訪問すると、普通に訪問している普通の人がちょうどいい具合にそこにいてくれることが少なくありません。
但し、このブログでも何回か前に公開した上加茂神社に訪問した際、カメラをさげたじいさん連中にモデルらしい おばねーちゃん〔(おばちゃん+ねーちゃん)÷2〕が同行している団体を見かけましたが〔⇒[第258回]《賀茂別雷神社[上賀茂神社]参拝6.「みあれ桜」「渉渓園」。「奈良神社」「庁屋(北神饌所)」の珍風景 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_6.html 〕、普段そこにいないような人をわざわざ連れて行って、普段そこでしないようなポーズをわざわざとらせて撮るような写真は無意味です。
で、微妙なのが、最近、京都に出没している偽舞妓のねーちゃん、偽新選組のにいちゃんです。 京都に観光で来たにいちゃんねえちゃんに、服を着せて偽舞妓・偽新選組の格好をさせ、その格好で観光に行かせるというもので、なんか、舞妓さんにしてはしぐさがおかしい・・・てのはその類みたいですが、そういう人が時々いるのです。 おねえちゃんがそれをやってるのは、女なんだな・・・と許容してあげようかという気もするのですが、男でそれをやってるのを見ると、あんた、恥ずかしないのお~お・・・・て感じもしてきますが、男女でやってるのを見ると、女の方に引っ張られてその格好させられてるのかな、と考えると、むしろ、かわいそうに・・て気もしないでもないが、恥ずかしいだろうな・・・・。 男で喜んでやってるなら、アホ・・・・かも。
7~8年前、京都の宇治の平等院http://www.byodoin.or.jp/ja/index.html に行った時、アベックで来ているにいちゃんから、カメラを押し付けられて写真をとってくれと頼まれたことがあった。 こちらはひとりで行っているのに、アベックで仲良く行っている男から写真を撮ってくれと頼まれる筋合いはないが、おばさんに頼むより私に頼んだ方がまともな撮影をしてくれると思ったのかもしれないが、男女で仲良く行っている人間がひとりで行っている男に頼むこともないだろうがと思ったし、そういう無神経な人間が結婚して子供を作ると、子供優先主義・子供独善主義・子供第一主義(あくまで、自分たちの子供)になるのかもしれん・・とも思ったが、相当強引で断りずらかったから撮ってあげたが、その日1日、情けない思いをした。 アベックで行って2人でいる写真を撮ってもらいたいなら、自分たちと同じように男女2人で行っているような人間に頼むのがマナーではないかとも思ったが、そういうことを考える頭のない男だったようだ。男女で「デート」に行くにしても平等院に見学に行ったりするくらいで比較的真面目そうな感じの男女だったが、そういったことに気を配る能力はない人間だったようだ。その時、「世界は二人のために」という状態だったのだろうか。 その場所は寺であり、寺である以上、そこに来ている人間は何らかの思いがあってそこに来ている、といったことを考える能力のない人間だったのかもしれない。おそらく、私よりずっと出世して幸せな家庭を築いていることだろう・・・⇒《YouTube―佐良直美 世界は二人のために (1973)》https://www.youtube.com/watch?v=HLpzXc0As_Y ←なんとも、独善的な歌だと思う。 これは、慶應の商学部の「経済史」を担当していたU教授が講義の中で話されたことだ。 「世界は二人のために」だと、そんなバカな話があるか! と。その点で、U教授は良いことを言われたと思う。 「世界は二人のために」という意識で結婚した男女が子供を作ると、「世界は自分の子供のために」もしくは、「世界は自分の子供と自分のために」という意識に変化するのかもしれない。そういう女が会社に勤めると「会社の他の従業員は自分と自分の子供と自分の夫のために」という意識になりそういう言動を自信をもってとるようになる、ということか。現実にそういう女がいる。そういうオバサン男も時々いる。 最近、「少子高齢化対策のために」などと言って、子供を作る者は世のため人のために尽くしているかのように言う人間が時々いるが、「世界は自分と自分の子供のために」動くべきであると考える女の子供なんぞ、生まれてこない方が世のため人のためである。 「会社の他の従業員は自分と自分の子供と自分の夫のために」動くべきだという認識を持つウルトラバカ女が世のため人のために尽くしているとは笑止である。そんなおかしな話はない。
男性は女の方については「女だからしかたがない」と許容してしまいがちだが、昔は「スーパーウーマンのような人」以外は女性は「一般職」扱いでしか採用されないことが多かったから職場においては「一般職」扱いの人はしかたがないと許容したのに対し、最近では「そのへんのおばちゃん」でも男性と同等の扱いで採用されたりしており、そういう人が処遇については男性と同じ処遇で、同時に「女の特権」もまた主張したりしていることが少なからずある。そういうことを考えると、もしかすると、「女だからしかたがない」と許容してあげるのはやめた方がいいのかもしれない。 その件以来、京都の寺社でそんな感じの男女の2人連れがいると、できるだけ近寄らないようにすることにした。今、聞いても相良直美の「世界は二人のために」というのは傍若無人な感じの悪い歌だと思う。
住宅建築業の営業は、見込客の発掘から折衝・契約・工事管理・引渡しまで自分でやるもので、それを担当外の者にやってもらえば、「すいません」「ありがとうございました」くらいは言うべきものであり、日常的に担当外の者にやってもらわざるをえないならその作業についての報酬を実際に作業をした者に渡さなければならないことになる。ところが、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング有限会社(建設業)・ビルダーズジャパン株式会社(不動産業)で、社長の妻の友人だということで2011年4月に縁故入社したT口(女性。既婚。当時、30代前半)は自分が担当でそれに対して自分が報酬を受け取っている仕事・作業を担当外の従業員に押しつけておきながら、「すいませんでした」も「ありがとうございました」も一度として言ったことがない。 「子供があるんですから」と自分の仕事を担当外の人間に押しつけ、担当外の従業員に時間外に労基法違反の無賃労働でさせた上、おのれは毎度定時に退社していた。 子供のある従業員は他にもおり、子供がなくても高齢の親がいたりする場合もある。 子供がない従業員といえども、結婚して子供が欲しいと思いながらできずにいる者やふさわしい結婚相手とめぐりあうことができずにいる者もいるわけだが、T口 恵はおのれさえよければいい、自分の子供と自分と自分の夫だけが大事という態度で自分の仕事を担当外の従業員に労基法違反の時間外無賃労働でさせた上で自分はさっさと帰宅していた。 多くの従業員は相当怒っており、もはや、限界であると思った私は、会社のためを思って、社長の長谷川新二に話したが、彼は「何いってんですか。子供のある者は子供のない人間にめんどうをみてもらうのは当然の権利じゃないか。 子供のない者が悪いんでしょうが。子供のない者は子供のある者のめんごうをみるのが当然じゃないか。滝口さんは子供があるんだから、子供のない者に滝口さんの仕事をやってもらうのが当然じゃないか。何いってんですか。 子供がある者は定時に帰って当然でしょ。子供がない者が時間外でも子供のある者のために尽くすのは当たり前でしょおがあ」と彼はそう言ったのです。大声で。社会人として、会社経営者として許しがたい暴言 です。 さらに、やはり、社長の嫁の中学校の時からの友人だということで経理関係の職歴があるわけでもなく会計系統の資格を持っているわけでもなく人事総務権利に関係する大学の学部を卒業しているわけでもないのに縁故だということで私の倍もの給料を盗っていた、かつ私が時間外労働をさせられた時には時間外賃金をちょろまかしておきながら自分が時間代労働をした時には時間外賃金をつけていた事務職員の大竹加代子が「滝口さんは子供があるんだから、他の人にやってもらうのが当然でしょお~お。滝口さんは子供があるんだから、他の人に仕事をしてもらって自分は先に帰るのが当たり前でしょおお~お」と大きな声で暴言を吐いた。 子供のある者がその仕事をするということでそれに対して報酬を受け取っているものをせずに定時に退社して、おのれが報酬を受け取っている仕事を担当外の者に時間外に無賃労働でさせるというのが当然だと社長が発言したわけです。 日本の労働基準法では時間外に働かせた場合は時間外労働に対して報酬を払わなければならないことになっており、深夜に働かせた場合は深夜割増で払わなければならないことになっている。又、たとえ、時間外手当を支払う場合でも三六協定もなしに労基法の労働時間制限を超えて働かせてはならないとされており、違反者は処罰されることになっている。長谷川は時間外手当を払っていないし、新華ハウジング(有)には三六協定はない。それを長谷川は「当たり前じゃないですか。何いってんですか」と暴言を吐いたのです。これは明らかに労働基準法違反の犯罪行為であり、私は千葉労働基準監督署http://chiba-roudoukyoku.jsite.mhlw.go.jp/kantoku/kantokusyo/kantokusyo01.html の労働基準監督官 嶋林にそれを訴えましたが嶋林は受けつけませんでした。 労働基準監督署と労働基準監督官というのは、少なくとも千葉労働基準監督署http://chiba-roudoukyoku.jsite.mhlw.go.jp/kantoku/kantokusyo/kantokusyo01.html については労働者の敵だと考えるべきだと私は判断しています。
千葉労働局雇用均等室http://chiba-roudoukyoku.jsite.mhlw.go.jp/roudoukyoku/gyoumu_naiyou/kintou.html にも私は言いました。男女雇用機会均等法というのは、女性を男性より特別扱いせよ、女性のために男性に犠牲になれという法律ではなく、男女をあくまで「均等」にせよという法律のはずであり、特定の女性従業員だけ「子供」を大義名分として定時に退社させた上でその女性従業員の担当の仕事でその女性従業員がそれに対して報酬を受け取っている仕事を担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・無賃労働でさせるのはおかしいのではないかと言いました。 子供の世話は妻だけがするものではなく、男も女も変わりはないはずであり、女性従業員が子供の世話をしなければならないから定時に退社させてもらうのが当然の権利だとしてその女性従業員が担当でその仕事に対しての報酬を受け取っているものを担当外の従業員にさせ、その女性従業員の夫は子供の世話をせずにいるというのはおかしいのではないか、とも言いました。 世話しなければならないのは子供だけではなく、高齢で介護が必要な親の世話もしなければならないはずで、世話しなければならない状態の親がない女が何人も子供を産んだから、結婚していておかしくない年齢でありながらまだ結婚できていない者、結婚はできたが子供に恵まれていない者を犠牲にする権利はないはずだ、とも言いました。
千葉労働局 雇用均等室http://chiba-roudoukyoku.jsite.mhlw.go.jp/roudoukyoku/gyoumu_naiyou/kintou.html の女性職員は、子供の世話は女性だけがするものではなく男女・夫婦がともにするべきもので、男も女も関係はない、世話しなければならないのは子供だけではなく、高齢の親、介護が必要な親もまた世話しなければならない対象で、子供がある者だけが特別ではない、ということはその職員も同意しました。
しかし、もしも、子供がある女性だから常に定時に帰ることができるようにしようというのなら、それは特定の従業員にだけそれを適用するのではなく、男女すべての従業員に平等に適用するべきであり、又、福祉対策として何らかのことをしようとするなら、それは会社として考えるもの、会社として他の従業員がそのために犠牲になったりしないように考えるべきもので、他の従業員が犠牲になることで特定の従業員を優遇しようとするものではないはずだということを話し、私の父が勤めていた会社の工場では、精神薄弱の人も採用していましたが、工場の管理者(課長・係長といった人)が仕事の割り振りを決める際に、そういう人にはそういった人でもできる仕事をわりふるようにして、他の従業員がその人がそこにいることで何らかの犠牲になることはないように配慮していたのですが、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)も子供がある従業員を優遇しようということなら滝口だけでなくすべての従業員に均等に優遇するべきで、子供だけでなく介護が必要な親がある従業員もまた優遇する必要があり、子供が欲しいと思いながらできずにいる夫婦、結婚したいと思いながらふさわしい相手とめぐりあえずにいる従業員もまた優遇しなければならないはずであり、それらのために会社として配慮するべきで、特定の従業員を無茶苦茶優遇するために他の従業員とその家族を犠牲にするのは間違いである。ところが、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)は滝口恵とその子供、その夫を優遇するために他の従業員を犠牲にしていたということについて、私が、特定の従業員を「子供」のためにと優遇しようということなら、それは会社として対処するべきもので、周囲の従業員が負担を被せるものではありませんね、と言ったことに対し、「違います。会社だけでなく、他の従業員も子供のある従業員のために配慮するべきなんです」と驚くべき発言をした。 ということは、この千葉労働局 雇用均等室の女性職員は、結論としては、滝口恵とその夫が「子供」を大義名分としてかかげて自分が報酬を受け取っている仕事をせずに定時に退社し、滝口が報酬を受け取っている仕事を担当外の従業員が労基法違反の時間外・無賃労働でさせられるのはさせられるべきものだと主張していることになる。 私が私の高齢の親が待っていても私の高齢で体が不自由な親を犠牲にして高齢の親の寿命を縮めて、鬼畜滝口恵とその夫の男が定時に退社して、そして、すでに2人の子供があるその2人が、3人目の子づくり、3人目の子供を作る行為、即ち、性交をする時間を確保させるというのが当然だ、という主張をしたことになる。 この女性職員が不見識なのか。千葉労働局雇用均等室が労働者の敵なのか。もし、この女性職員の発言が千葉労働局雇用均等室の認識だということなら、千葉労働局雇用均等室は労働者の敵、国民の敵だということになる。
まず、女性が職場で差別されないように、女性が職場で不利な扱いを受けないようにということで、雇用均等室というものが設置されておきながら、男性が職場で差別されないように、男性が職場で不利な扱いを受けないようにという機関が存在しない、というこのことがまず根源的な問題としておかしい。 新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)は、提携した徳島市の(株)フィットの研修に従業員を参加させる際に、千葉から徳島まで、女性だからと社長の嫁の友人だというT口恵には飛行機で行かせ、男性従業員には夜行バスで行かせるということもした。これも差別であろう。(この差別については、フィットグループとしての行動についてのものであるから、(株)フィットhttp://www.fit-group.jp/にも責任はあるはずである。)ところが、女性が職場で男性より不利な扱いを受けないようにしよう、女性が職場で男性より得するようにしようという機関として雇用機会均等室(男性と同じだけ働かない女性に男性と同等の処遇、もしくは男性より有利な扱いを確保させようという機関)は存在するにもかかわらず、男性が職場で女性より不利な扱いを受けるのを防ごうという機関は存在しない。これはおかしい。
男性と女性は職場において均等な扱いを受けるべきである。 「子供」を大義名分にかかげれば、すでに結婚していて悪くない年齢でまだふさわしい相手とめぐりあうことができていない人間、結婚はできたけれども子供が欲しいと思いながらできずにいる人間、高齢でひとりでは不安な親、そういった人間を犠牲にして、すでに結婚できて子供も複数つくることができた女とその夫の男は、「子供」を大義名分にして、おのれは定時に退社して帰宅し、担当外の従業員がおのれが担当でおのれが報酬を受け取っている仕事を労働時間外に無賃労働で労働基準法違反でさせられている最中に、3人目の子づくり、性交をする権利があると雇用均等室は主張していることになるが、そんなおかしな主張はない。 国民のため、労働者のため、日本国の男性と女性のため、男女の平等と職場における労働者の平等を妨げる雇用均等室はたたきつぶすべきである!
そういえば、「寺」において、平等院での経験よりももっとおもしろいというのかおもしろくないというのかの経験がある。 もう15年以上前になるが、1999年、青森県の下北半島、田名部からバスに乗って登って行った先にある恐山http://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/kanko/sh_renkei_gururin_osore.html で、男湯・女湯・混浴の3つの浴場があり、もともと、京都や奈良の寺だと手水で左手・右手・口元を清めて参拝するところを、恐山は火山の火口みたいなところに寺があって、今も地面からボコボコと湯が沸き出ている場所なので、参拝の前に体を流して参拝するようにできたもので、寺坊で3泊させてもらったのだが、1日目は男湯に入ったが、2日目、もし、女性が入ってきたらどうしようとか思いながら混浴の方に入ってみたが男性ばかりだったので、そんなものなのだろうと思って3日目も 混浴の方に行ってみたところ、男女2人で来たらしいバカそうなにいちゃんが窓から顔を出して、「すいませ~ん。女の人が入っているのでちょっと待ってください」と言い、しかたがないから待ってあげたということがあった。アベックで来て、「混浴」というので、お寺の体を清めるための浴場に楽しみながら2人で入っていたらしい。 水木しげる『幽霊画壇』(1994.6.20.岩波新書)の「恐山の霊」に≪恐山は霊魂の集まる場所であると信じられているせいか、不思議な体験談を持つ人も多い。≫と出ているが、たしかに、「不思議な体験」をさせてもらった( ^)o(^ ) が、おもろいと言えばおもろいが、あほくさいと言えばあほくさかった。 「本当にあった笑える話」という漫画雑誌がその時、あったかどうかわからないが、あったなら投稿してやりたかった。 もっとも、「笑える」話ではあっても、あんまり愉快な経験ではなかった。
↑ 「開山堂」とその東の 「臥龍池」 と庭園
≪ とくに開山堂の東、臥龍池の築山に燃える紅葉の名木が美しい。 西の偃月池とともに、小堀遠州作庭と伝えられている。≫(『四季花めぐり 錦繍の名刹 京都・奈良』2002.10.31.小学館 「京都の紅葉を見に行こう 洛東 南禅寺 永観堂 真如堂 高台寺 東福寺」 )
↑ 開山堂から見た 霊屋(おたまや)、 臥龍廊(がりょうろう) 、臥龍池 と庭園の紅葉
≪ 臥龍廊 開山堂と霊屋(おたまや)を結ぶ階段で龍の骨に似ている所からこのように名付けられた。≫(高台寺でいただいたリーフレット)
≪龍の骨に似ている≫と言われても、実際に龍の骨を見た人がいるわけではないのだが、龍がいたらその骨はこんな感じだろうか、ということだろう。
(2015.11.25.)
◆ 次回、[第268回]紅葉の臥龍池・霊屋、利休設計という傘亭・時雨亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_6.html をご覧くださいませ。
☆ 紅葉の高台寺・圓徳院と高台寺天満宮参拝
1.表門、遺芳庵、小堀遠州作という偃月池と庭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_4.html
2.方丈前庭、開山堂+雇用均等室の不見識 〔今回〕
3.紅葉の臥龍池・霊屋、利休設計という傘亭・時雨亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_6.html
4.怒りの綱敷天神より勧請した高台寺天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
5.圓徳院、八坂の塔、「京都的」な下河原通 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_8.html
拝観順路に従い、書院・方丈に進みます。
↑ 「方丈 前庭」 と 北側から見た「勅使門」
↑ 「方丈」
↑ 「開山堂」(重要文化財)
どの場所においても、晴れの時もあれば雨の時もあるわけで、たとえば、笠井一子(かさい かずこ)『京の大工棟梁と七人の職人衆』(1999.6.25.草思社)には、大工の中村外二(なかむら そとじ)棟梁が、室戸台風の時に、京都のお土居のてっぺんに二階建の建前をしていて、その時の経験が役立ったと語り、また、宮崎で300坪の木造住宅の工事をおこなっていた時、台風が来た時に職人が避難したことに、なぜ、そこで見ておかなかったのかととがめた話をされています。≪千載一遇の経験でしょ。 風が入ってくるねやから、軒先が風で煽られて動くわけですよ。 そしたらこの建物がどういうように動くか、どういうふうに傷むのか。 それをなんで見とかんのや、ていうんですわ。そうでっしゃろ。仕事のしかたというのは自分らでやってきとんねやから、ああいう仕事をしたから、こういう具合になんのやなと、ようわかりますがな。・・・≫と。 もっとも、その時は相当の台風であったそうで、命あってのものではあるのですが、職種が何であれ、建築業に携わる者が建築を見学する場合、晴天の時の方が見やすいのは間違いないのですが、雨の時はどういう状態なのかということもまた関心を持つべきであり、それから考えると、訪問した時に、必ずしも晴天であるのが良いとは限らないでしょう・・・・けれども、今回、雨で、周囲の人手も多く、少々荷物も持っていたことから、それぞれの手に傘と荷物を持った上で撮影した為、↑ できるだけ水平に撮影したつもりで、少々いがんでしまった。撮影には、荷物少な目で晴天の方がいいことは確かだ。
昔、歴史的建造物・有名建築物の写真を撮影する場合、できるだけ人が写らないように建物そのものを撮影できるようにした方がいいかと思った時もありましたが、それは違うと考えるようになりました。 人のいない建物というのは不自然なもので、むしろ、そこにいておかしくない人が写っている方が建築の写真としては本来的です。 そう思って、訪問すると、普通に訪問している普通の人がちょうどいい具合にそこにいてくれることが少なくありません。
但し、このブログでも何回か前に公開した上加茂神社に訪問した際、カメラをさげたじいさん連中にモデルらしい おばねーちゃん〔(おばちゃん+ねーちゃん)÷2〕が同行している団体を見かけましたが〔⇒[第258回]《賀茂別雷神社[上賀茂神社]参拝6.「みあれ桜」「渉渓園」。「奈良神社」「庁屋(北神饌所)」の珍風景 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_6.html 〕、普段そこにいないような人をわざわざ連れて行って、普段そこでしないようなポーズをわざわざとらせて撮るような写真は無意味です。
で、微妙なのが、最近、京都に出没している偽舞妓のねーちゃん、偽新選組のにいちゃんです。 京都に観光で来たにいちゃんねえちゃんに、服を着せて偽舞妓・偽新選組の格好をさせ、その格好で観光に行かせるというもので、なんか、舞妓さんにしてはしぐさがおかしい・・・てのはその類みたいですが、そういう人が時々いるのです。 おねえちゃんがそれをやってるのは、女なんだな・・・と許容してあげようかという気もするのですが、男でそれをやってるのを見ると、あんた、恥ずかしないのお~お・・・・て感じもしてきますが、男女でやってるのを見ると、女の方に引っ張られてその格好させられてるのかな、と考えると、むしろ、かわいそうに・・て気もしないでもないが、恥ずかしいだろうな・・・・。 男で喜んでやってるなら、アホ・・・・かも。
7~8年前、京都の宇治の平等院http://www.byodoin.or.jp/ja/index.html に行った時、アベックで来ているにいちゃんから、カメラを押し付けられて写真をとってくれと頼まれたことがあった。 こちらはひとりで行っているのに、アベックで仲良く行っている男から写真を撮ってくれと頼まれる筋合いはないが、おばさんに頼むより私に頼んだ方がまともな撮影をしてくれると思ったのかもしれないが、男女で仲良く行っている人間がひとりで行っている男に頼むこともないだろうがと思ったし、そういう無神経な人間が結婚して子供を作ると、子供優先主義・子供独善主義・子供第一主義(あくまで、自分たちの子供)になるのかもしれん・・とも思ったが、相当強引で断りずらかったから撮ってあげたが、その日1日、情けない思いをした。 アベックで行って2人でいる写真を撮ってもらいたいなら、自分たちと同じように男女2人で行っているような人間に頼むのがマナーではないかとも思ったが、そういうことを考える頭のない男だったようだ。男女で「デート」に行くにしても平等院に見学に行ったりするくらいで比較的真面目そうな感じの男女だったが、そういったことに気を配る能力はない人間だったようだ。その時、「世界は二人のために」という状態だったのだろうか。 その場所は寺であり、寺である以上、そこに来ている人間は何らかの思いがあってそこに来ている、といったことを考える能力のない人間だったのかもしれない。おそらく、私よりずっと出世して幸せな家庭を築いていることだろう・・・⇒《YouTube―佐良直美 世界は二人のために (1973)》https://www.youtube.com/watch?v=HLpzXc0As_Y ←なんとも、独善的な歌だと思う。 これは、慶應の商学部の「経済史」を担当していたU教授が講義の中で話されたことだ。 「世界は二人のために」だと、そんなバカな話があるか! と。その点で、U教授は良いことを言われたと思う。 「世界は二人のために」という意識で結婚した男女が子供を作ると、「世界は自分の子供のために」もしくは、「世界は自分の子供と自分のために」という意識に変化するのかもしれない。そういう女が会社に勤めると「会社の他の従業員は自分と自分の子供と自分の夫のために」という意識になりそういう言動を自信をもってとるようになる、ということか。現実にそういう女がいる。そういうオバサン男も時々いる。 最近、「少子高齢化対策のために」などと言って、子供を作る者は世のため人のために尽くしているかのように言う人間が時々いるが、「世界は自分と自分の子供のために」動くべきであると考える女の子供なんぞ、生まれてこない方が世のため人のためである。 「会社の他の従業員は自分と自分の子供と自分の夫のために」動くべきだという認識を持つウルトラバカ女が世のため人のために尽くしているとは笑止である。そんなおかしな話はない。
男性は女の方については「女だからしかたがない」と許容してしまいがちだが、昔は「スーパーウーマンのような人」以外は女性は「一般職」扱いでしか採用されないことが多かったから職場においては「一般職」扱いの人はしかたがないと許容したのに対し、最近では「そのへんのおばちゃん」でも男性と同等の扱いで採用されたりしており、そういう人が処遇については男性と同じ処遇で、同時に「女の特権」もまた主張したりしていることが少なからずある。そういうことを考えると、もしかすると、「女だからしかたがない」と許容してあげるのはやめた方がいいのかもしれない。 その件以来、京都の寺社でそんな感じの男女の2人連れがいると、できるだけ近寄らないようにすることにした。今、聞いても相良直美の「世界は二人のために」というのは傍若無人な感じの悪い歌だと思う。
住宅建築業の営業は、見込客の発掘から折衝・契約・工事管理・引渡しまで自分でやるもので、それを担当外の者にやってもらえば、「すいません」「ありがとうございました」くらいは言うべきものであり、日常的に担当外の者にやってもらわざるをえないならその作業についての報酬を実際に作業をした者に渡さなければならないことになる。ところが、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング有限会社(建設業)・ビルダーズジャパン株式会社(不動産業)で、社長の妻の友人だということで2011年4月に縁故入社したT口(女性。既婚。当時、30代前半)は自分が担当でそれに対して自分が報酬を受け取っている仕事・作業を担当外の従業員に押しつけておきながら、「すいませんでした」も「ありがとうございました」も一度として言ったことがない。 「子供があるんですから」と自分の仕事を担当外の人間に押しつけ、担当外の従業員に時間外に労基法違反の無賃労働でさせた上、おのれは毎度定時に退社していた。 子供のある従業員は他にもおり、子供がなくても高齢の親がいたりする場合もある。 子供がない従業員といえども、結婚して子供が欲しいと思いながらできずにいる者やふさわしい結婚相手とめぐりあうことができずにいる者もいるわけだが、T口 恵はおのれさえよければいい、自分の子供と自分と自分の夫だけが大事という態度で自分の仕事を担当外の従業員に労基法違反の時間外無賃労働でさせた上で自分はさっさと帰宅していた。 多くの従業員は相当怒っており、もはや、限界であると思った私は、会社のためを思って、社長の長谷川新二に話したが、彼は「何いってんですか。子供のある者は子供のない人間にめんどうをみてもらうのは当然の権利じゃないか。 子供のない者が悪いんでしょうが。子供のない者は子供のある者のめんごうをみるのが当然じゃないか。滝口さんは子供があるんだから、子供のない者に滝口さんの仕事をやってもらうのが当然じゃないか。何いってんですか。 子供がある者は定時に帰って当然でしょ。子供がない者が時間外でも子供のある者のために尽くすのは当たり前でしょおがあ」と彼はそう言ったのです。大声で。社会人として、会社経営者として許しがたい暴言 です。 さらに、やはり、社長の嫁の中学校の時からの友人だということで経理関係の職歴があるわけでもなく会計系統の資格を持っているわけでもなく人事総務権利に関係する大学の学部を卒業しているわけでもないのに縁故だということで私の倍もの給料を盗っていた、かつ私が時間外労働をさせられた時には時間外賃金をちょろまかしておきながら自分が時間代労働をした時には時間外賃金をつけていた事務職員の大竹加代子が「滝口さんは子供があるんだから、他の人にやってもらうのが当然でしょお~お。滝口さんは子供があるんだから、他の人に仕事をしてもらって自分は先に帰るのが当たり前でしょおお~お」と大きな声で暴言を吐いた。 子供のある者がその仕事をするということでそれに対して報酬を受け取っているものをせずに定時に退社して、おのれが報酬を受け取っている仕事を担当外の者に時間外に無賃労働でさせるというのが当然だと社長が発言したわけです。 日本の労働基準法では時間外に働かせた場合は時間外労働に対して報酬を払わなければならないことになっており、深夜に働かせた場合は深夜割増で払わなければならないことになっている。又、たとえ、時間外手当を支払う場合でも三六協定もなしに労基法の労働時間制限を超えて働かせてはならないとされており、違反者は処罰されることになっている。長谷川は時間外手当を払っていないし、新華ハウジング(有)には三六協定はない。それを長谷川は「当たり前じゃないですか。何いってんですか」と暴言を吐いたのです。これは明らかに労働基準法違反の犯罪行為であり、私は千葉労働基準監督署http://chiba-roudoukyoku.jsite.mhlw.go.jp/kantoku/kantokusyo/kantokusyo01.html の労働基準監督官 嶋林にそれを訴えましたが嶋林は受けつけませんでした。 労働基準監督署と労働基準監督官というのは、少なくとも千葉労働基準監督署http://chiba-roudoukyoku.jsite.mhlw.go.jp/kantoku/kantokusyo/kantokusyo01.html については労働者の敵だと考えるべきだと私は判断しています。
千葉労働局雇用均等室http://chiba-roudoukyoku.jsite.mhlw.go.jp/roudoukyoku/gyoumu_naiyou/kintou.html にも私は言いました。男女雇用機会均等法というのは、女性を男性より特別扱いせよ、女性のために男性に犠牲になれという法律ではなく、男女をあくまで「均等」にせよという法律のはずであり、特定の女性従業員だけ「子供」を大義名分として定時に退社させた上でその女性従業員の担当の仕事でその女性従業員がそれに対して報酬を受け取っている仕事を担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・無賃労働でさせるのはおかしいのではないかと言いました。 子供の世話は妻だけがするものではなく、男も女も変わりはないはずであり、女性従業員が子供の世話をしなければならないから定時に退社させてもらうのが当然の権利だとしてその女性従業員が担当でその仕事に対しての報酬を受け取っているものを担当外の従業員にさせ、その女性従業員の夫は子供の世話をせずにいるというのはおかしいのではないか、とも言いました。 世話しなければならないのは子供だけではなく、高齢で介護が必要な親の世話もしなければならないはずで、世話しなければならない状態の親がない女が何人も子供を産んだから、結婚していておかしくない年齢でありながらまだ結婚できていない者、結婚はできたが子供に恵まれていない者を犠牲にする権利はないはずだ、とも言いました。
千葉労働局 雇用均等室http://chiba-roudoukyoku.jsite.mhlw.go.jp/roudoukyoku/gyoumu_naiyou/kintou.html の女性職員は、子供の世話は女性だけがするものではなく男女・夫婦がともにするべきもので、男も女も関係はない、世話しなければならないのは子供だけではなく、高齢の親、介護が必要な親もまた世話しなければならない対象で、子供がある者だけが特別ではない、ということはその職員も同意しました。
しかし、もしも、子供がある女性だから常に定時に帰ることができるようにしようというのなら、それは特定の従業員にだけそれを適用するのではなく、男女すべての従業員に平等に適用するべきであり、又、福祉対策として何らかのことをしようとするなら、それは会社として考えるもの、会社として他の従業員がそのために犠牲になったりしないように考えるべきもので、他の従業員が犠牲になることで特定の従業員を優遇しようとするものではないはずだということを話し、私の父が勤めていた会社の工場では、精神薄弱の人も採用していましたが、工場の管理者(課長・係長といった人)が仕事の割り振りを決める際に、そういう人にはそういった人でもできる仕事をわりふるようにして、他の従業員がその人がそこにいることで何らかの犠牲になることはないように配慮していたのですが、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)も子供がある従業員を優遇しようということなら滝口だけでなくすべての従業員に均等に優遇するべきで、子供だけでなく介護が必要な親がある従業員もまた優遇する必要があり、子供が欲しいと思いながらできずにいる夫婦、結婚したいと思いながらふさわしい相手とめぐりあえずにいる従業員もまた優遇しなければならないはずであり、それらのために会社として配慮するべきで、特定の従業員を無茶苦茶優遇するために他の従業員とその家族を犠牲にするのは間違いである。ところが、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)は滝口恵とその子供、その夫を優遇するために他の従業員を犠牲にしていたということについて、私が、特定の従業員を「子供」のためにと優遇しようということなら、それは会社として対処するべきもので、周囲の従業員が負担を被せるものではありませんね、と言ったことに対し、「違います。会社だけでなく、他の従業員も子供のある従業員のために配慮するべきなんです」と驚くべき発言をした。 ということは、この千葉労働局 雇用均等室の女性職員は、結論としては、滝口恵とその夫が「子供」を大義名分としてかかげて自分が報酬を受け取っている仕事をせずに定時に退社し、滝口が報酬を受け取っている仕事を担当外の従業員が労基法違反の時間外・無賃労働でさせられるのはさせられるべきものだと主張していることになる。 私が私の高齢の親が待っていても私の高齢で体が不自由な親を犠牲にして高齢の親の寿命を縮めて、鬼畜滝口恵とその夫の男が定時に退社して、そして、すでに2人の子供があるその2人が、3人目の子づくり、3人目の子供を作る行為、即ち、性交をする時間を確保させるというのが当然だ、という主張をしたことになる。 この女性職員が不見識なのか。千葉労働局雇用均等室が労働者の敵なのか。もし、この女性職員の発言が千葉労働局雇用均等室の認識だということなら、千葉労働局雇用均等室は労働者の敵、国民の敵だということになる。
まず、女性が職場で差別されないように、女性が職場で不利な扱いを受けないようにということで、雇用均等室というものが設置されておきながら、男性が職場で差別されないように、男性が職場で不利な扱いを受けないようにという機関が存在しない、というこのことがまず根源的な問題としておかしい。 新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)は、提携した徳島市の(株)フィットの研修に従業員を参加させる際に、千葉から徳島まで、女性だからと社長の嫁の友人だというT口恵には飛行機で行かせ、男性従業員には夜行バスで行かせるということもした。これも差別であろう。(この差別については、フィットグループとしての行動についてのものであるから、(株)フィットhttp://www.fit-group.jp/にも責任はあるはずである。)ところが、女性が職場で男性より不利な扱いを受けないようにしよう、女性が職場で男性より得するようにしようという機関として雇用機会均等室(男性と同じだけ働かない女性に男性と同等の処遇、もしくは男性より有利な扱いを確保させようという機関)は存在するにもかかわらず、男性が職場で女性より不利な扱いを受けるのを防ごうという機関は存在しない。これはおかしい。
男性と女性は職場において均等な扱いを受けるべきである。 「子供」を大義名分にかかげれば、すでに結婚していて悪くない年齢でまだふさわしい相手とめぐりあうことができていない人間、結婚はできたけれども子供が欲しいと思いながらできずにいる人間、高齢でひとりでは不安な親、そういった人間を犠牲にして、すでに結婚できて子供も複数つくることができた女とその夫の男は、「子供」を大義名分にして、おのれは定時に退社して帰宅し、担当外の従業員がおのれが担当でおのれが報酬を受け取っている仕事を労働時間外に無賃労働で労働基準法違反でさせられている最中に、3人目の子づくり、性交をする権利があると雇用均等室は主張していることになるが、そんなおかしな主張はない。 国民のため、労働者のため、日本国の男性と女性のため、男女の平等と職場における労働者の平等を妨げる雇用均等室はたたきつぶすべきである!
そういえば、「寺」において、平等院での経験よりももっとおもしろいというのかおもしろくないというのかの経験がある。 もう15年以上前になるが、1999年、青森県の下北半島、田名部からバスに乗って登って行った先にある恐山http://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/kanko/sh_renkei_gururin_osore.html で、男湯・女湯・混浴の3つの浴場があり、もともと、京都や奈良の寺だと手水で左手・右手・口元を清めて参拝するところを、恐山は火山の火口みたいなところに寺があって、今も地面からボコボコと湯が沸き出ている場所なので、参拝の前に体を流して参拝するようにできたもので、寺坊で3泊させてもらったのだが、1日目は男湯に入ったが、2日目、もし、女性が入ってきたらどうしようとか思いながら混浴の方に入ってみたが男性ばかりだったので、そんなものなのだろうと思って3日目も 混浴の方に行ってみたところ、男女2人で来たらしいバカそうなにいちゃんが窓から顔を出して、「すいませ~ん。女の人が入っているのでちょっと待ってください」と言い、しかたがないから待ってあげたということがあった。アベックで来て、「混浴」というので、お寺の体を清めるための浴場に楽しみながら2人で入っていたらしい。 水木しげる『幽霊画壇』(1994.6.20.岩波新書)の「恐山の霊」に≪恐山は霊魂の集まる場所であると信じられているせいか、不思議な体験談を持つ人も多い。≫と出ているが、たしかに、「不思議な体験」をさせてもらった( ^)o(^ ) が、おもろいと言えばおもろいが、あほくさいと言えばあほくさかった。 「本当にあった笑える話」という漫画雑誌がその時、あったかどうかわからないが、あったなら投稿してやりたかった。 もっとも、「笑える」話ではあっても、あんまり愉快な経験ではなかった。
↑ 「開山堂」とその東の 「臥龍池」 と庭園
≪ とくに開山堂の東、臥龍池の築山に燃える紅葉の名木が美しい。 西の偃月池とともに、小堀遠州作庭と伝えられている。≫(『四季花めぐり 錦繍の名刹 京都・奈良』2002.10.31.小学館 「京都の紅葉を見に行こう 洛東 南禅寺 永観堂 真如堂 高台寺 東福寺」 )
↑ 開山堂から見た 霊屋(おたまや)、 臥龍廊(がりょうろう) 、臥龍池 と庭園の紅葉
≪ 臥龍廊 開山堂と霊屋(おたまや)を結ぶ階段で龍の骨に似ている所からこのように名付けられた。≫(高台寺でいただいたリーフレット)
≪龍の骨に似ている≫と言われても、実際に龍の骨を見た人がいるわけではないのだが、龍がいたらその骨はこんな感じだろうか、ということだろう。
(2015.11.25.)
◆ 次回、[第268回]紅葉の臥龍池・霊屋、利休設計という傘亭・時雨亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_6.html をご覧くださいませ。
☆ 紅葉の高台寺・圓徳院と高台寺天満宮参拝
1.表門、遺芳庵、小堀遠州作という偃月池と庭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_4.html
2.方丈前庭、開山堂+雇用均等室の不見識 〔今回〕
3.紅葉の臥龍池・霊屋、利休設計という傘亭・時雨亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_6.html
4.怒りの綱敷天神より勧請した高台寺天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
5.圓徳院、八坂の塔、「京都的」な下河原通 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_8.html
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