高台寺臥龍池の紅葉・霊屋・傘亭・時雨亭・竹林―紅葉の高台寺(京都市)と高台寺天満宮参拝(3)
[第368回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(29)-3
↑ ≪ とくに開山堂の東、臥龍池の築山に燃える紅葉の名木が美しい。 西の偃月池(えんげつち)とともに、小堀遠州作庭と伝えられている。 ・・≫(『四季花めぐり 錦繍の名刹 京都・奈良』(2002.10.31.小学館) という、その開山堂の東、臥龍池と周囲の紅葉が↑。
もっとも、どこの紅葉が最も美しいと感じるかは人ぞれぞれで、紅葉が全面的に見える場所をより美しいと感じるか、建物や紅葉しない樹木と紅葉した樹木が混ざっている場所の方がむしろより美しいと感じるかも、これは絶対にどちらと言えるものでもないように思う。
↑霊屋(おたまや) 。 (重要文化財)
≪ 秀吉と北政所をお祀りしている所であり、厨子内左右に秀吉と北政所の木像を安置している。・・・≫(高台寺でいただいたリーフレット )
≪ 秀吉と北政所を祀る霊屋は檜皮葺の宝形造(ほうぎょうづくり)で桃山時代らしい豪奢な装飾を持ち、内部須弥壇(しゅみだん)・厨子(ずし)の蒔絵(まきえ)装飾は高台寺蒔絵として知られる。≫(『改訂版 京都観光文化検定 公式テキストブック』2007. 8版 淡交社)
北政所は、実際にこの霊屋の北政所の像の下に甕棺で土葬されたそうだ。
≪ 慶長10年(1605)、高台寺創建にあたって現在地に移築された。 漆塗、極彩色、飾金具が施された宝形造建築で、唐破風の向拝をもつ。 内部は前後2間ずつを外陣・内陣とし、3間通しの須弥壇の中央に仏像、左右に秀吉と高台院の座像を安置する。・・・≫(ギャラリー間(ま) 企画編集『建築MAP 京都』1998.1.10.TOTO出版)
(↑ 写真はクリックすると大きくなります。 その上で(+)をあててクリックするとさらに大きくなります。↑の写真はぜひ大きくして見てください。)
↑ 傘亭(かさてい) (重要文化財)
≪ 傘亭(かさてい)の名は、丸竹の垂木を放射状に配した化粧屋根裏に由来する。≫(『改訂版 京都観光文化検定 公式テキストブック』2007. 8版 淡交社)
≪ 利休の意匠による茶席であり伏見から移建したものである。 傘亭は竹が放射状に組まれ、カラカサを開けたように見えることからその名があり、正式には安閑窟と呼ばれる。 ≫(高台寺でいただいたリーフレット)
↑ 時雨亭(しぐれてい) (重要文化財)
≪ 時雨亭(しぐれてい)は珍しい二階建て茶屋で納涼と展望を目的として造られた。≫
≪ 重要文化財の霊屋(おたまや)・表門・観月台・傘亭・時雨亭は伏見城の遺構である。 同じく重要文化財していの開山堂は康徳寺の建物を移築したもの。≫
≪ 両建築とも開放的で、土間廊下で結ばれている。≫(『改訂版 京都観光文化検定 公式テキストブック』2007. 8版 淡交社)
≪ 千利休が設計した茶室 傘亭(国重文)、時雨亭(国重文)も見もの。≫(『ブルーガイドニッポン 京都』1996.4.10.実業之日本社)
≪ 一説に利休作と伝えられる茶屋。 茶屋とは、茶室よりも古い歴史をもった風流のための田舎家風建物。 北の傘亭と南の時雨亭とは4間長さの土間廊下でつながれている。 この組み合わせに何らかの対比的意図があったことをうかがわせる。
傘亭の名称は、丸竹を放射に配した化粧屋根裏に由来している。 大きく開いた竹連子を連続させた開放的な空間である。
時雨亭は、外から直接2階に上がる構造になった涼台である。 その内部は上下段からなり、下段には床と点前を備えた三畳台目を設けている。 上下段ともに板敷き。 傘亭にもまして開放的。≫(ギャラリー間(ま) 企画編集『建築MAP 京都』1998.1.10.TOTO出版)
↑ 傘亭・時雨亭より出口に向かう経路にある 竹林
桂離宮 は、日光東照宮などとは違って、その時代にその場所において手に入りやすいものを工夫して造られた・・と桂離宮に訪問した際に説明してくれたじいさんが話してくれたのだが、ここに竹林があるということは、千利休が設計したというこの高台寺の傘亭と時雨亭の垂木もこのあたりに竹林があったことから丸竹で垂木が組まれたということか? と、ふと思ったが、傘亭も時雨亭も、もとは伏見城にあったもので、時雨亭は伏見城でも小高い丘のような場所にあったという話なので、この場所に竹林があってもそれは関係ないようだった。
最後に、ふと思ったのが、このお寺って、もともとの入口はどこなのだろう、という点だ。 今現在の「拝観順路」として入らせてもらっている「受付」からの入口は、もともとのお寺としては裏口みたいな場所ではないだろうか。 「勅使門」は「えらい人」が通る門だろうから、「ふつーの人」は通してもらえないはずだが、そうなると、多くの参拝者というのか観光客というのかを通すためにできた今現在の「拝観順路」は、本来の寺としての経路とは少々違うと思うのだが、そういうお寺はけっこうあるけれども、かつて、「勅使」でない人間が通った経路というのはどこなのか、考えてみたのだが、どうもよくわからなかった。
(2015.11.25.)
◆ 次回、[第269回]怒りの綱敷天神より勧請した高台寺天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html をご覧くださいませ。
☆ 紅葉の高台寺・圓徳院と高台寺天満宮参拝
1.表門、遺芳庵、小堀遠州作という偃月池と庭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_4.html
2.方丈前庭、開山堂+雇用均等室の不見識 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_5.html
3.紅葉の臥龍池・霊屋、利休設計という傘亭・時雨亭 〔今回〕
4.怒りの綱敷天神より勧請した高台寺天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
5.圓徳院、八坂の塔、「京都的」な下河原通 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_8.html
↑ 『建築MAP 京都』は現代建築も歴史的建築もとりあげている本なので、高台寺の霊屋・傘亭・時雨亭も出ているが、『京都・大阪・神戸 名建築ガイドマップ』は主に明治以降くらいの建物をとりあげている本なので、高台寺は出ていない。
↑ ≪ とくに開山堂の東、臥龍池の築山に燃える紅葉の名木が美しい。 西の偃月池(えんげつち)とともに、小堀遠州作庭と伝えられている。 ・・≫(『四季花めぐり 錦繍の名刹 京都・奈良』(2002.10.31.小学館) という、その開山堂の東、臥龍池と周囲の紅葉が↑。
もっとも、どこの紅葉が最も美しいと感じるかは人ぞれぞれで、紅葉が全面的に見える場所をより美しいと感じるか、建物や紅葉しない樹木と紅葉した樹木が混ざっている場所の方がむしろより美しいと感じるかも、これは絶対にどちらと言えるものでもないように思う。
↑霊屋(おたまや) 。 (重要文化財)
≪ 秀吉と北政所をお祀りしている所であり、厨子内左右に秀吉と北政所の木像を安置している。・・・≫(高台寺でいただいたリーフレット )
≪ 秀吉と北政所を祀る霊屋は檜皮葺の宝形造(ほうぎょうづくり)で桃山時代らしい豪奢な装飾を持ち、内部須弥壇(しゅみだん)・厨子(ずし)の蒔絵(まきえ)装飾は高台寺蒔絵として知られる。≫(『改訂版 京都観光文化検定 公式テキストブック』2007. 8版 淡交社)
北政所は、実際にこの霊屋の北政所の像の下に甕棺で土葬されたそうだ。
≪ 慶長10年(1605)、高台寺創建にあたって現在地に移築された。 漆塗、極彩色、飾金具が施された宝形造建築で、唐破風の向拝をもつ。 内部は前後2間ずつを外陣・内陣とし、3間通しの須弥壇の中央に仏像、左右に秀吉と高台院の座像を安置する。・・・≫(ギャラリー間(ま) 企画編集『建築MAP 京都』1998.1.10.TOTO出版)
(↑ 写真はクリックすると大きくなります。 その上で(+)をあててクリックするとさらに大きくなります。↑の写真はぜひ大きくして見てください。)
↑ 傘亭(かさてい) (重要文化財)
≪ 傘亭(かさてい)の名は、丸竹の垂木を放射状に配した化粧屋根裏に由来する。≫(『改訂版 京都観光文化検定 公式テキストブック』2007. 8版 淡交社)
≪ 利休の意匠による茶席であり伏見から移建したものである。 傘亭は竹が放射状に組まれ、カラカサを開けたように見えることからその名があり、正式には安閑窟と呼ばれる。 ≫(高台寺でいただいたリーフレット)
↑ 時雨亭(しぐれてい) (重要文化財)
≪ 時雨亭(しぐれてい)は珍しい二階建て茶屋で納涼と展望を目的として造られた。≫
≪ 重要文化財の霊屋(おたまや)・表門・観月台・傘亭・時雨亭は伏見城の遺構である。 同じく重要文化財していの開山堂は康徳寺の建物を移築したもの。≫
≪ 両建築とも開放的で、土間廊下で結ばれている。≫(『改訂版 京都観光文化検定 公式テキストブック』2007. 8版 淡交社)
≪ 千利休が設計した茶室 傘亭(国重文)、時雨亭(国重文)も見もの。≫(『ブルーガイドニッポン 京都』1996.4.10.実業之日本社)
≪ 一説に利休作と伝えられる茶屋。 茶屋とは、茶室よりも古い歴史をもった風流のための田舎家風建物。 北の傘亭と南の時雨亭とは4間長さの土間廊下でつながれている。 この組み合わせに何らかの対比的意図があったことをうかがわせる。
傘亭の名称は、丸竹を放射に配した化粧屋根裏に由来している。 大きく開いた竹連子を連続させた開放的な空間である。
時雨亭は、外から直接2階に上がる構造になった涼台である。 その内部は上下段からなり、下段には床と点前を備えた三畳台目を設けている。 上下段ともに板敷き。 傘亭にもまして開放的。≫(ギャラリー間(ま) 企画編集『建築MAP 京都』1998.1.10.TOTO出版)
↑ 傘亭・時雨亭より出口に向かう経路にある 竹林
桂離宮 は、日光東照宮などとは違って、その時代にその場所において手に入りやすいものを工夫して造られた・・と桂離宮に訪問した際に説明してくれたじいさんが話してくれたのだが、ここに竹林があるということは、千利休が設計したというこの高台寺の傘亭と時雨亭の垂木もこのあたりに竹林があったことから丸竹で垂木が組まれたということか? と、ふと思ったが、傘亭も時雨亭も、もとは伏見城にあったもので、時雨亭は伏見城でも小高い丘のような場所にあったという話なので、この場所に竹林があってもそれは関係ないようだった。
最後に、ふと思ったのが、このお寺って、もともとの入口はどこなのだろう、という点だ。 今現在の「拝観順路」として入らせてもらっている「受付」からの入口は、もともとのお寺としては裏口みたいな場所ではないだろうか。 「勅使門」は「えらい人」が通る門だろうから、「ふつーの人」は通してもらえないはずだが、そうなると、多くの参拝者というのか観光客というのかを通すためにできた今現在の「拝観順路」は、本来の寺としての経路とは少々違うと思うのだが、そういうお寺はけっこうあるけれども、かつて、「勅使」でない人間が通った経路というのはどこなのか、考えてみたのだが、どうもよくわからなかった。
(2015.11.25.)
◆ 次回、[第269回]怒りの綱敷天神より勧請した高台寺天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html をご覧くださいませ。
☆ 紅葉の高台寺・圓徳院と高台寺天満宮参拝
1.表門、遺芳庵、小堀遠州作という偃月池と庭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_4.html
2.方丈前庭、開山堂+雇用均等室の不見識 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_5.html
3.紅葉の臥龍池・霊屋、利休設計という傘亭・時雨亭 〔今回〕
4.怒りの綱敷天神より勧請した高台寺天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
5.圓徳院、八坂の塔、「京都的」な下河原通 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_8.html
↑ 『建築MAP 京都』は現代建築も歴史的建築もとりあげている本なので、高台寺の霊屋・傘亭・時雨亭も出ているが、『京都・大阪・神戸 名建築ガイドマップ』は主に明治以降くらいの建物をとりあげている本なので、高台寺は出ていない。
この記事へのコメント