怒りの綱敷天神を勧請した高台寺天満宮、マニ車と水かけ不動的牛?―紅葉の高台寺と高台寺天満宮参拝(4)
[第369回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(29)-4
冤罪を晴らす神さま・菅原道真。 怨念を晴らす神さま・菅原道真≒天神 を祀る 高台寺天満宮である。↓
↑ 高台寺天満宮
明治維新の後、神仏分離令により寺と神社が分けられたが、はっきりと寺という寺、明らかに神社という寺・神社もあれば、寺と神社がくっついてしまって今さら分けようとしても分けにくいという寺社もあり、今も中間的性格、もしくは、寺でありながら神社的性質も部分的に持つ寺、神社でありながら寺的要素を部分的に持つ神社というものもあるようだが、高台寺は寺であって神社ではない。 但し、寺といっても、薬師寺のような学問所の寺ではなく、禅宗の寺といっても、建長寺とも雰囲気は違うし建仁寺とも妙心寺とも雰囲気は違う。 寺といっても、もともとが、≪豊臣秀吉の供養のために、慶長11年(1606)に正室の北政所(高台院)が徳川家康の援助を受けて創建した。≫というもので、北政所(高台院。ねね)が他界後、埋葬された場所でもあり、秀吉を弔うとともに、北政所(ねね)の墓所であるという場所なので、仏教を学び修行するという寺とは趣が違うのかもしれない。
それで、なぜ、天満宮があるのかというと、高台寺のホームページの「高台寺天満宮」https://www.kodaiji.com/tenmangu.html を見ると、≪ 豊臣秀吉の夫人であった北政所ねねが、慶長十一年(一六〇六)に高台寺を創建した際、日頃崇拝していた綱敷天満宮の祭神 菅原道真公を勧請して高台寺の鎮守社としたものである。・・≫と出ている。 現地にも「御由緒」として≪ ・・豊臣秀吉の夫人であった北政所 ねね が、慶長11年(1606)に高台寺を創建した際、日頃崇拝していた綱敷天満宮の祭神菅原道真公を勧請して高台寺の鎮守社としたものである。・・・≫と出ている。
≪綱敷天満宮の祭神菅原道真公を勧請して≫といっても、「綱敷天満宮」は、『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』(1994.12.20.鎌倉新書)の「全国・天満宮めぐり」のところにも、大阪市北区神山町 梅田の東の方、太融寺の北の方、一粒社ヴォーリズ設計事務所が設計した日本キリスト教団東梅田教会の北のあたり、北野病院の近くにある綱敷天神社と、神戸市須磨区天神 、山陽電鉄「須磨寺」駅の須磨寺がある北側(山側)でない南側(海側)にある綱敷天満宮(『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』には≪山陽電鉄須磨寺駅から南へ3分。≫と書かれていますが、地図を見ると、山陽電鉄「須磨」駅・JR山陽本線「須磨」駅から東に行くのと山陽電鉄「須磨寺」駅から南に行くのと距離は同じくらいのようです。)と、愛媛県今治市の綱敷天神社 の3つが掲載されている。 大阪市北区神山町の綱敷天神社には御旅社もあり、[第263回]《綱敷天神社 御旅社(大阪市北区茶屋町) 参拝。―冤罪を晴らす神さま・怨念を晴らすお百度参り(19)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html で、御旅社の方について公開した。
菅原道真≒天神 は「あら人神」と扱われることがあって、神が人間として現れたという意味の「現人神」と、荒ぶる神・怒りの神としての「荒人神」という意味の2通りの意味があるらしい。 『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』には、
≪ 菅公の神格について『大鏡』は“あら人神”と書いていますが、これは神が人間として顕現し給うたことをいったのでしょう。 天台座主・慈円の『愚管抄』には、菅公を“観音の化現”としています。 いずれも神霊の“慈悲”の側面を表現したものと考えられます。
一方、“荒人神”としての天神は、綱敷天神や縄座天神といわれる姿に描かれたり、造像されたりしております。 これは大宰府への船旅の途中、岸に上がって休息されようとしても円座がない。 そこで船のトモ綱を巻いて円座の代わりとしたという所伝によるものです。 縄を巻いた上に腰を据えて、カッと眼を見開いたところは、いかにも破邪の“荒人神”にふさわしい表現といえましょう。
同じく憤怒のそうをとられるものに、柘榴天神があります。・・・・
略記しますと、延暦寺の大十三世座主・法性房尊意が夏の夜、ふいに妻戸を叩く音がしたので開けてみると、菅公の霊が現れ、わが身の憂愁を述べられた。 喉が乾いている様子なので柘榴をすすめたら、それを妻戸に吐きかける。すると火焔になって妻戸が燃えついたので、洒水(しゃすい)の印を結ぶとたちまち収まった。その焼け損じは、いまも本房に残っている――という説話です。
その火焔を吐いているお姿が柘榴天神というわけで、謡曲の『雷電』もこれを素材としています。≫と出ています。 綱敷天神は、菅原道真でも、綱を巻いてその上に座るしかない境遇に追いやられた状況で怒りの相の天神らしく、柘榴天神とともに「学問の神さま」とかよりも怨霊神としての性格が強い天神のようです。
『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』(鎌倉新書)には、大阪市北区の綱敷天神社、神戸市須磨区の綱敷天満宮、愛媛県今治市の綱敷天満神社の3社が出ていますが、《ウィキペディア―天満宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE を見ても、やはり、大阪市北区の綱敷天神社https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%B1%E6%95%B7%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE 、神戸市須磨区の綱敷天満神社https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%B1%E6%95%B7%E5%A4%A9%E6%BA%80%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%B8%82) 、 愛媛県今治市の綱敷天満神社https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%B1%E6%95%B7%E5%A4%A9%E6%BA%80%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E4%BB%8A%E6%B2%BB%E5%B8%82) が出ています。
さて、高台寺天満宮の菅公・天神はどの綱敷天神社から勧請したのでしょう。 高台寺天満宮の脇にある授与所で、おねえさんに尋ねてみると、「お寺の方できいていただけますか」ということだったので、お寺の「御朱印処」のおねえさんに尋ねてみましたところ、親切にききにいってくれたのですが、しばらくして帰って来てわかったのかと思うと、「すいません。和尚さんがよく知っているのですが、和尚さんが、今、席をはずしてまして」ということだったので、それならしかたがないとあきらめて帰ってきた。 尾張で生まれて秀吉とともに大阪まで移動し晩年は京都ですごした北政所(ねね。高台院)の行動範囲から考えると、大阪と神戸と愛媛では、愛媛県の今治までは行っていないと思われるので、大阪か神戸か、どちらかというと大阪の方の可能性が高いか、とも思われるが、この3社以外にも綱敷天神社がある可能性もあるし、もとより、今となっては、綱敷天神社から勧請したと言われるという言い伝えが残っていても、そう言われている以上、そうなのかなということであって、証明するなどは簡単ではないでしょう。
で、おもしろいのが↓
↑ 牛です。 耳が長くて兎みたいで、口が突き出ていてネズミみたいな感じもしないでもありませんが、牛です。天神さんの使いですから牛です。
高台寺のHPの「東山路傍の触れ仏」http://www.kodaiji.com/furebotoke.html には≪ 牛は天神さまのお使いです。身体の調子の悪い部分を持っていってくれるといいます。悪い部分の同じ場所を右手もしくは両手で触れてください。≫と出ており、高台寺の受付のところでもらったと思う「東山路傍の触れ仏マップ」にも、≪牛は天神さまのお使いです。 身体の調子の悪い部分をもっていってくれるといいます。 悪い部分の同じ場所を右手もしくは両手で触れてください。≫と出ているのだが、ところが、その牛の像の下の台座には、「お願い 水はかけないでください。 Please don't splinke warter. 高台寺」と書いてあるのです。↑ なにしろ、すぐ脇に手水があって、水と柄杓があるもので、水かけ不動さん と同じように考えて、牛の像に水をかける人が出てくるようです。 「おもしろい」と言っちゃいかんのかもしれないけれども・・・・、しかし、おもしろい。 (もしかすると、牛の像と手水の位置関係が逆なのかもしれない・・・。)
↑ 高台寺は京都の東山にあり、高台寺自体が西から坂を登ってきた高台にあり、高台寺天満宮はその手前の南側にあることから高台寺天満宮の社殿は西から東に向かって拝むようになっているが、拝む側の西側以外の北・東・南の3面に「マニ車」が設置されている。
「マニ車」とは≪世界中で知られている仏教徒共通の仏具です。 高台寺のマニ車の中には「般若心経」が入れてあり、1回まわせばご利益を受けられます。 健康、長生き、その他願い事のある人、マニ車を右手でまわしながら時計回りの方向に歩いてください。≫と高台寺の受付のところでもらった「東山路傍の触れ仏」には出ている。 お寺の附属の天満宮だから、やはり、仏教的になるのでしょうけれども、こうなると、神仏を分離せよと言われても、分離のしようがない・・・・・が、お寺のほかの部分にではなく、なぜ、天満宮に「マニ車」があるのだろうという気もする。
『地球の歩き方 シベリア & シベリア鉄道とサハリン』(1991.初版。 1999.改訂第5版 ダイヤモンド社)にブリヤート自治共和国の「ウラン・ウデ」にある「イヴォルギンスキー・ダッツァン」という「1946年建立のチベット仏教の寺院」のところで、≪ ロシアにおける同教の総本山でもある。 敷地内には、本堂、宿坊、書庫、マニ車などが立ち並び、また、チベット服姿の信者も多く、東洋的な雰囲気がそこここに漂う。 建物内の見学は時計まわりで行うのが流儀。・・・≫と出ており、赤い色のマニ車の写真が掲載されていたので、マニ車とは、仏教でもチベット仏教などでのものかと思ってきたのですが、高台寺の「東山路傍の触れ仏」によると、≪世界中で知られている仏教徒共通の仏具≫だそうです・・・が、《ウィキペディア―マニ車》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8B%E8%BB%8A を見ると、≪マニ車(マニぐるま、摩尼車)とは、主にチベット仏教で用いられる仏具である。転経器(てんきょうき)とも訳す。チベット語ではマニコロ(チベット語: མ་ཎི་འཁོར་ལོ་)と呼ぶ。「マニ」は如意宝珠(サンスクリット語: चिन्तामणि)の略で、単独では「宝珠」の意味。「コロ」はチャクラの意味。≫と出ており、やはり、仏教徒が世界で使用するとしてもチベット仏教などでよく使用するもののようです。
↑ 神社の場合、社殿の後ろに回って良いかどうかというのは、その神社によるようで、拝殿だけあってその背後の地が神聖な場所という神社では拝殿の背後にはまわるべきではないでしょうけれども、そうでない神社でも、禁じられているわけでなくても、背後にはまわらないものという神社もあるようですが、背後からも拝むものという神社もあるわけで、大阪の今宮戎神社の祭神の「えべっさん」などは、神さんは神さんでも大変庶民的な神さんであるとともに、困った神さんでもあって、しょっちゅう昼寝してたりする神さんらしく、前から拝んだだけでは昼寝していてと聞いてない場合があるというので、前から拝んだ後、社殿の後ろにもまわって、後ろからも「神さん、よろしうお願いしまっせ」と念を押すとかいう話があり、そして、天満宮の場合は、京都の北野天満宮でも大阪の大阪天満宮でも後ろからも拝むように後ろ側にも拝む場所が設置してある。 天満宮の場合は、後ろにも回って拝んで良いという神社が多いような気がします。 この高台寺天満宮でも、「東山路傍の触れ仏」を見ると、≪ ・・このお堂の周辺を三回廻ると、願い事が叶い、悪いことが去るといわれています。≫と書かれているように、背後に回って悪いという考え方はなく、むしろ、このお堂の周りをまわると良いとされているようです。
高校の時にサイドリーダーで使用した英文で、ローマのトレビの泉で、後ろ向きになって泉にコインを入れると、また、ローマに来ることができると言われるが、人が見ているので恥ずかしくてなかなかできないという話が載っていたが、実際にローマに行ってみると、後ろ向きになってコインを投げ入れる人だらけで、そこに行ったらやるものだとなっているような感じで恥ずかしいなどというものではなかった。 それに対し、ここでは時計回りに回っている人というのは見かけなかった・・・が、マニ車がどこにあるのかも見たかったし、何しろ、私どもは「建築探偵団」ですから、よほどのことがなければ、建物は四方から見せていただくことにしておりますもので、時計まわりにまわってきました。 但し、3回まわらなくても、このシリーズ自体が、「冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り」で今回が 第29念目ですから、1つのお堂を3回時計回りでまわるよりも強力なことをやってますもので、3回はまわる必要はないと判断してまわりませんでした。
高台寺HPの「高台寺天満宮」http://www.kodaiji.com/tenmangu.html に≪ 寺内上壇の地に建立されていたが年々崇敬の人が増えたために寺外から直接参詣できるようにと社殿を下壇の地(現 圓徳院と春光院の間の地)に移し、以来「下河原の高台天神」と親しまれてきた。明治維新の神仏分離令によって、社殿の規模を縮小され再び上段の旧地に移ったが高台寺開創四百年(二〇〇六)に際して現在地に移し修営されたものである。≫と出ているので、いったいどこにあるのだろうと思ったが、実際に行ってみると、すぐにわかった、というより、高台寺の受付より手前にあった。↓

↑ 授与所では、高台寺のお守りが1種、高台寺天満宮のお守りが2種、販売されていた。 高台寺が本体であっても、お守りは天満宮の方が種類が多いということは、やっぱり、天満宮はお守りの需要が多いようだ。 高台寺天満宮のお守りは緑系と橙系があって、どちらのなかなかの色彩・デザインでいずれも捨てがたかったが、緑系の方を購入し、さっそく携帯電話につけて持つことにした。
↑「はんなりしたお色ですてきどすぅ~う」て感じ・・しませんか↑
(2015.11.25.)
◆ 次回、[第270回]圓徳院、八坂の塔、「京都的」な下河原通 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_8.html をご覧くださいませ。
☆ 紅葉の高台寺・圓徳院と高台寺天満宮参拝
1.表門、遺芳庵、小堀遠州作という偃月池と庭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_4.html
2.方丈前庭、開山堂+雇用均等室の不見識 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_5.html
3.紅葉の臥龍池・霊屋、利休設計という傘亭・時雨亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_6.html
4.怒りの綱敷天神より勧請した高台寺天満宮 〔今回〕
5.圓徳院、八坂の塔、「京都的」な下河原通 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_8.html
☆ 冤罪を晴らす神様・菅原道真・怨念を晴らす全国お百度参り シリーズ
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) 〔今回〕
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
意富比神社 末社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市(白井市河原子の)天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
千葉神社 摂社 千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_10.html
熊本県
山崎菅原神社(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html
船場天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html
手取天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_8.html
冤罪を晴らす神さま・菅原道真。 怨念を晴らす神さま・菅原道真≒天神 を祀る 高台寺天満宮である。↓
↑ 高台寺天満宮
明治維新の後、神仏分離令により寺と神社が分けられたが、はっきりと寺という寺、明らかに神社という寺・神社もあれば、寺と神社がくっついてしまって今さら分けようとしても分けにくいという寺社もあり、今も中間的性格、もしくは、寺でありながら神社的性質も部分的に持つ寺、神社でありながら寺的要素を部分的に持つ神社というものもあるようだが、高台寺は寺であって神社ではない。 但し、寺といっても、薬師寺のような学問所の寺ではなく、禅宗の寺といっても、建長寺とも雰囲気は違うし建仁寺とも妙心寺とも雰囲気は違う。 寺といっても、もともとが、≪豊臣秀吉の供養のために、慶長11年(1606)に正室の北政所(高台院)が徳川家康の援助を受けて創建した。≫というもので、北政所(高台院。ねね)が他界後、埋葬された場所でもあり、秀吉を弔うとともに、北政所(ねね)の墓所であるという場所なので、仏教を学び修行するという寺とは趣が違うのかもしれない。
それで、なぜ、天満宮があるのかというと、高台寺のホームページの「高台寺天満宮」https://www.kodaiji.com/tenmangu.html を見ると、≪ 豊臣秀吉の夫人であった北政所ねねが、慶長十一年(一六〇六)に高台寺を創建した際、日頃崇拝していた綱敷天満宮の祭神 菅原道真公を勧請して高台寺の鎮守社としたものである。・・≫と出ている。 現地にも「御由緒」として≪ ・・豊臣秀吉の夫人であった北政所 ねね が、慶長11年(1606)に高台寺を創建した際、日頃崇拝していた綱敷天満宮の祭神菅原道真公を勧請して高台寺の鎮守社としたものである。・・・≫と出ている。
≪綱敷天満宮の祭神菅原道真公を勧請して≫といっても、「綱敷天満宮」は、『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』(1994.12.20.鎌倉新書)の「全国・天満宮めぐり」のところにも、大阪市北区神山町 梅田の東の方、太融寺の北の方、一粒社ヴォーリズ設計事務所が設計した日本キリスト教団東梅田教会の北のあたり、北野病院の近くにある綱敷天神社と、神戸市須磨区天神 、山陽電鉄「須磨寺」駅の須磨寺がある北側(山側)でない南側(海側)にある綱敷天満宮(『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』には≪山陽電鉄須磨寺駅から南へ3分。≫と書かれていますが、地図を見ると、山陽電鉄「須磨」駅・JR山陽本線「須磨」駅から東に行くのと山陽電鉄「須磨寺」駅から南に行くのと距離は同じくらいのようです。)と、愛媛県今治市の綱敷天神社 の3つが掲載されている。 大阪市北区神山町の綱敷天神社には御旅社もあり、[第263回]《綱敷天神社 御旅社(大阪市北区茶屋町) 参拝。―冤罪を晴らす神さま・怨念を晴らすお百度参り(19)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html で、御旅社の方について公開した。
菅原道真≒天神 は「あら人神」と扱われることがあって、神が人間として現れたという意味の「現人神」と、荒ぶる神・怒りの神としての「荒人神」という意味の2通りの意味があるらしい。 『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』には、
≪ 菅公の神格について『大鏡』は“あら人神”と書いていますが、これは神が人間として顕現し給うたことをいったのでしょう。 天台座主・慈円の『愚管抄』には、菅公を“観音の化現”としています。 いずれも神霊の“慈悲”の側面を表現したものと考えられます。
一方、“荒人神”としての天神は、綱敷天神や縄座天神といわれる姿に描かれたり、造像されたりしております。 これは大宰府への船旅の途中、岸に上がって休息されようとしても円座がない。 そこで船のトモ綱を巻いて円座の代わりとしたという所伝によるものです。 縄を巻いた上に腰を据えて、カッと眼を見開いたところは、いかにも破邪の“荒人神”にふさわしい表現といえましょう。
同じく憤怒のそうをとられるものに、柘榴天神があります。・・・・
略記しますと、延暦寺の大十三世座主・法性房尊意が夏の夜、ふいに妻戸を叩く音がしたので開けてみると、菅公の霊が現れ、わが身の憂愁を述べられた。 喉が乾いている様子なので柘榴をすすめたら、それを妻戸に吐きかける。すると火焔になって妻戸が燃えついたので、洒水(しゃすい)の印を結ぶとたちまち収まった。その焼け損じは、いまも本房に残っている――という説話です。
その火焔を吐いているお姿が柘榴天神というわけで、謡曲の『雷電』もこれを素材としています。≫と出ています。 綱敷天神は、菅原道真でも、綱を巻いてその上に座るしかない境遇に追いやられた状況で怒りの相の天神らしく、柘榴天神とともに「学問の神さま」とかよりも怨霊神としての性格が強い天神のようです。
『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』(鎌倉新書)には、大阪市北区の綱敷天神社、神戸市須磨区の綱敷天満宮、愛媛県今治市の綱敷天満神社の3社が出ていますが、《ウィキペディア―天満宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE を見ても、やはり、大阪市北区の綱敷天神社https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%B1%E6%95%B7%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE 、神戸市須磨区の綱敷天満神社https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%B1%E6%95%B7%E5%A4%A9%E6%BA%80%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%B8%82) 、 愛媛県今治市の綱敷天満神社https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%B1%E6%95%B7%E5%A4%A9%E6%BA%80%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E4%BB%8A%E6%B2%BB%E5%B8%82) が出ています。
さて、高台寺天満宮の菅公・天神はどの綱敷天神社から勧請したのでしょう。 高台寺天満宮の脇にある授与所で、おねえさんに尋ねてみると、「お寺の方できいていただけますか」ということだったので、お寺の「御朱印処」のおねえさんに尋ねてみましたところ、親切にききにいってくれたのですが、しばらくして帰って来てわかったのかと思うと、「すいません。和尚さんがよく知っているのですが、和尚さんが、今、席をはずしてまして」ということだったので、それならしかたがないとあきらめて帰ってきた。 尾張で生まれて秀吉とともに大阪まで移動し晩年は京都ですごした北政所(ねね。高台院)の行動範囲から考えると、大阪と神戸と愛媛では、愛媛県の今治までは行っていないと思われるので、大阪か神戸か、どちらかというと大阪の方の可能性が高いか、とも思われるが、この3社以外にも綱敷天神社がある可能性もあるし、もとより、今となっては、綱敷天神社から勧請したと言われるという言い伝えが残っていても、そう言われている以上、そうなのかなということであって、証明するなどは簡単ではないでしょう。
で、おもしろいのが↓
↑ 牛です。 耳が長くて兎みたいで、口が突き出ていてネズミみたいな感じもしないでもありませんが、牛です。天神さんの使いですから牛です。
高台寺のHPの「東山路傍の触れ仏」http://www.kodaiji.com/furebotoke.html には≪ 牛は天神さまのお使いです。身体の調子の悪い部分を持っていってくれるといいます。悪い部分の同じ場所を右手もしくは両手で触れてください。≫と出ており、高台寺の受付のところでもらったと思う「東山路傍の触れ仏マップ」にも、≪牛は天神さまのお使いです。 身体の調子の悪い部分をもっていってくれるといいます。 悪い部分の同じ場所を右手もしくは両手で触れてください。≫と出ているのだが、ところが、その牛の像の下の台座には、「お願い 水はかけないでください。 Please don't splinke warter. 高台寺」と書いてあるのです。↑ なにしろ、すぐ脇に手水があって、水と柄杓があるもので、水かけ不動さん と同じように考えて、牛の像に水をかける人が出てくるようです。 「おもしろい」と言っちゃいかんのかもしれないけれども・・・・、しかし、おもしろい。 (もしかすると、牛の像と手水の位置関係が逆なのかもしれない・・・。)
↑ 高台寺は京都の東山にあり、高台寺自体が西から坂を登ってきた高台にあり、高台寺天満宮はその手前の南側にあることから高台寺天満宮の社殿は西から東に向かって拝むようになっているが、拝む側の西側以外の北・東・南の3面に「マニ車」が設置されている。
「マニ車」とは≪世界中で知られている仏教徒共通の仏具です。 高台寺のマニ車の中には「般若心経」が入れてあり、1回まわせばご利益を受けられます。 健康、長生き、その他願い事のある人、マニ車を右手でまわしながら時計回りの方向に歩いてください。≫と高台寺の受付のところでもらった「東山路傍の触れ仏」には出ている。 お寺の附属の天満宮だから、やはり、仏教的になるのでしょうけれども、こうなると、神仏を分離せよと言われても、分離のしようがない・・・・・が、お寺のほかの部分にではなく、なぜ、天満宮に「マニ車」があるのだろうという気もする。
『地球の歩き方 シベリア & シベリア鉄道とサハリン』(1991.初版。 1999.改訂第5版 ダイヤモンド社)にブリヤート自治共和国の「ウラン・ウデ」にある「イヴォルギンスキー・ダッツァン」という「1946年建立のチベット仏教の寺院」のところで、≪ ロシアにおける同教の総本山でもある。 敷地内には、本堂、宿坊、書庫、マニ車などが立ち並び、また、チベット服姿の信者も多く、東洋的な雰囲気がそこここに漂う。 建物内の見学は時計まわりで行うのが流儀。・・・≫と出ており、赤い色のマニ車の写真が掲載されていたので、マニ車とは、仏教でもチベット仏教などでのものかと思ってきたのですが、高台寺の「東山路傍の触れ仏」によると、≪世界中で知られている仏教徒共通の仏具≫だそうです・・・が、《ウィキペディア―マニ車》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8B%E8%BB%8A を見ると、≪マニ車(マニぐるま、摩尼車)とは、主にチベット仏教で用いられる仏具である。転経器(てんきょうき)とも訳す。チベット語ではマニコロ(チベット語: མ་ཎི་འཁོར་ལོ་)と呼ぶ。「マニ」は如意宝珠(サンスクリット語: चिन्तामणि)の略で、単独では「宝珠」の意味。「コロ」はチャクラの意味。≫と出ており、やはり、仏教徒が世界で使用するとしてもチベット仏教などでよく使用するもののようです。
↑ 神社の場合、社殿の後ろに回って良いかどうかというのは、その神社によるようで、拝殿だけあってその背後の地が神聖な場所という神社では拝殿の背後にはまわるべきではないでしょうけれども、そうでない神社でも、禁じられているわけでなくても、背後にはまわらないものという神社もあるようですが、背後からも拝むものという神社もあるわけで、大阪の今宮戎神社の祭神の「えべっさん」などは、神さんは神さんでも大変庶民的な神さんであるとともに、困った神さんでもあって、しょっちゅう昼寝してたりする神さんらしく、前から拝んだだけでは昼寝していてと聞いてない場合があるというので、前から拝んだ後、社殿の後ろにもまわって、後ろからも「神さん、よろしうお願いしまっせ」と念を押すとかいう話があり、そして、天満宮の場合は、京都の北野天満宮でも大阪の大阪天満宮でも後ろからも拝むように後ろ側にも拝む場所が設置してある。 天満宮の場合は、後ろにも回って拝んで良いという神社が多いような気がします。 この高台寺天満宮でも、「東山路傍の触れ仏」を見ると、≪ ・・このお堂の周辺を三回廻ると、願い事が叶い、悪いことが去るといわれています。≫と書かれているように、背後に回って悪いという考え方はなく、むしろ、このお堂の周りをまわると良いとされているようです。
高校の時にサイドリーダーで使用した英文で、ローマのトレビの泉で、後ろ向きになって泉にコインを入れると、また、ローマに来ることができると言われるが、人が見ているので恥ずかしくてなかなかできないという話が載っていたが、実際にローマに行ってみると、後ろ向きになってコインを投げ入れる人だらけで、そこに行ったらやるものだとなっているような感じで恥ずかしいなどというものではなかった。 それに対し、ここでは時計回りに回っている人というのは見かけなかった・・・が、マニ車がどこにあるのかも見たかったし、何しろ、私どもは「建築探偵団」ですから、よほどのことがなければ、建物は四方から見せていただくことにしておりますもので、時計まわりにまわってきました。 但し、3回まわらなくても、このシリーズ自体が、「冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り」で今回が 第29念目ですから、1つのお堂を3回時計回りでまわるよりも強力なことをやってますもので、3回はまわる必要はないと判断してまわりませんでした。
高台寺HPの「高台寺天満宮」http://www.kodaiji.com/tenmangu.html に≪ 寺内上壇の地に建立されていたが年々崇敬の人が増えたために寺外から直接参詣できるようにと社殿を下壇の地(現 圓徳院と春光院の間の地)に移し、以来「下河原の高台天神」と親しまれてきた。明治維新の神仏分離令によって、社殿の規模を縮小され再び上段の旧地に移ったが高台寺開創四百年(二〇〇六)に際して現在地に移し修営されたものである。≫と出ているので、いったいどこにあるのだろうと思ったが、実際に行ってみると、すぐにわかった、というより、高台寺の受付より手前にあった。↓
↑ 授与所では、高台寺のお守りが1種、高台寺天満宮のお守りが2種、販売されていた。 高台寺が本体であっても、お守りは天満宮の方が種類が多いということは、やっぱり、天満宮はお守りの需要が多いようだ。 高台寺天満宮のお守りは緑系と橙系があって、どちらのなかなかの色彩・デザインでいずれも捨てがたかったが、緑系の方を購入し、さっそく携帯電話につけて持つことにした。
↑「はんなりしたお色ですてきどすぅ~う」て感じ・・しませんか↑
(2015.11.25.)
◆ 次回、[第270回]圓徳院、八坂の塔、「京都的」な下河原通 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_8.html をご覧くださいませ。
☆ 紅葉の高台寺・圓徳院と高台寺天満宮参拝
1.表門、遺芳庵、小堀遠州作という偃月池と庭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_4.html
2.方丈前庭、開山堂+雇用均等室の不見識 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_5.html
3.紅葉の臥龍池・霊屋、利休設計という傘亭・時雨亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_6.html
4.怒りの綱敷天神より勧請した高台寺天満宮 〔今回〕
5.圓徳院、八坂の塔、「京都的」な下河原通 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_8.html
☆ 冤罪を晴らす神様・菅原道真・怨念を晴らす全国お百度参り シリーズ
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) 〔今回〕
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
意富比神社 末社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市(白井市河原子の)天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
千葉神社 摂社 千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_10.html
熊本県
山崎菅原神社(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html
船場天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html
手取天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_8.html
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