圓徳院・掌美術館-紅葉の高台寺・圓徳院と高台寺天満宮参拝(5)、八坂の塔、「京都的」風情の下河原通り
[第370回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(29)-5
↑ 台所坂(だいどころざか) 高台寺から西側の「ねねの道」までの間の石の階段
↑ 高台寺の西、圓徳院・掌美術館の東 の南北の通り(「ねねの道」 と、「東山路傍触れ仏マップ」と「高台寺門前会マップ」には書かれている。)
↑ 高台寺の塔頭 圓徳院(えんとくいん) の入口 と 掌美術館(しょう びじゅつかん)
「力彌(りきや)」と書かれたものはその位置より手前側(南側)の旅館の看板で、その向こう側(北側)が圓徳院の入口、さらに向こう側(北側)が高台寺 掌美術館(しょうびじゅつかん)。
≪ 圓徳院は高台寺の塔頭で、高台寺の西に位置する。 寛永9年(1632)に北政所の甥木下利房が邸宅を寺院に改めて創建したもの。≫(森谷尅久 監修・京都商工会議所 編『改訂版 京都 観光文化検定 公式テキストブック』(2005.初版、 2007. 8版 淡交社)
≪ 豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅許されたのを機縁に、高台寺建立を発願し、慶長10(1605)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住んだ。・・・ねね58歳のことである。 これが今日の圓徳院の起こりであり、(1624年に、)ねね77歳で没するまでの19年間をこの地で余生を送り、この地は北政所の終焉の地となった。≫(圓徳院でいただいたリーフレット)

圓徳院には、現在は、庭園が北庭と南庭がある。
北庭の方が↓
↑ 圓徳院 北庭 (国名勝指定)
圓徳院でいただいたリーフレットには、≪北庭は桃山時代の気風が伝わる枯山水で、「旧圓徳院庭園」として国の名勝に指定される。≫(森谷尅久 監修・京都商工会議所 編『改訂版 京都 観光文化検定 公式テキストブック』(2005.初版、 2007. 8版 淡交社)
≪ もともと伏見城北政所化粧御殿の前庭を移したもので、当時の原型をほぼそのままに留める桃山時代の代表的庭園のひとつである。 賢庭作で後に小堀遠州が手を加えた。 池泉回遊式だが枯山水となっている。・・・築山を中心にして左右に多数の石組を二等辺三角形にまとめて数群展開させ、あるいは蓬莱石組を作る。 ・・・このように多数の巨岩大岩がふんだんに置かれている庭は珍しく、これが桃山時代の豪華さ、豪胆さである。≫と出ている。
圓徳院で説明していただいた話によると、二等辺三角形に配置することで、特別に広いわけでない庭を広く見せる効果があるそうで、ここにある巨岩大岩は全国の大名が豊臣秀吉に贈呈したものだそうで、それゆえに、これだけ巨岩大岩があるそうです。 「賢庭」という人は小堀遠州の弟子だった人だというお話でした。
豊臣秀吉の権力のもとに、全国の大名が贈った各地域の巨岩大岩を使用して造られた庭園だということですが、日光の東照宮や奥社、家光廟大猷院 など見ると、その時代の権力者が作ったものだという印象を受けるもので、奥社に登る石段にしても、ものすごい巨石が使用されていましたが、その時代の権力者がそれを誇示するべく作ったものかという感じのするもので、ブルーノ=タウトは桂離宮や伊勢神宮を賞賛し日光東照宮を「いかもの」と低く評価したわけですが、その時代の最高権力者が作るものなんてそんなものではないのか、大阪城にしても金閣にしてもベルサイユ宮殿にしてもそうではないのか、とも思ったのですが、しかし、この圓徳院北庭は、豊臣秀吉の権力のもとに全国の大名が各地域の巨岩大岩を贈って作られたというものの、「最高権力者が権力を誇示するように作った」という印象は特に受けないのですが、そのあたりは、さすがに小堀遠州とその弟子という賢庭によるものと見るべきか・・・と思ったのですが、全国の大名が豊臣秀吉に贈呈した巨岩大岩を使用して造られたと知った上でこの写真を見ると、やっぱり、権力者の庭かな・・という感じもしないでもありません。
南庭 は、圓徳院でいただいたリーフレットによると、≪ 森 蘊 博士指導 徳村宗悦 氏作 ≫だそうです。ということは、北庭は昔からのものであるが、南庭は比較的最近に作られたものということでしょうか。↓
↑ 圓徳院 南庭
昔昔からのものではないとしても、なかなか素敵な庭園です・・・・・が、ふと見ると↓
↑東寄り、樹木の上に隣のテレビアンテナがあ~あ・・・・・・。
普通の人間が住む普通の戸建住宅を建てる場合も、けっこうくせものがテレビのアンテナで、外観デザインを考慮して建てて、できたあ~あ・・・・と完成を喜んで、最後の最後に屋根のてっぺんに「おばけのQ太郎」の「あたま~のてっぺんに、毛が3本、毛が3本♪」(⇒《YouTube―オバケのQ太郎 》https://www.youtube.com/watch?v=tAvA4pXmhXA)て感じでテレビのアンテナが建ち、がっかり・・・ということになってしまう可能性があります。 私は住宅建築業の営業を長くやってきましたが、ある程度以上の経験がある営業なら、そのあたりをお施主様に説明をして、テレビのアンテナはどうするのか、どこに立てるのか、屋根の上に立てるのか、それとも、別にポールを立ててポールにアンテナを立てるのか。 ケーブルテレビを利用するのか。 ポールを立てる場合、テレビのアンテナだけでよいのか、FMや衛星放送のアンテナもそこに立てるのか、衛星放送のアンテナ(円形のやつ)はベランダにつけるのか。 又、ポールには「すっきりポール」といって中が空洞になっていて空洞の部分に配線を通すようになっているものと、そうでないアンテナポールがあり、中に配線を通す「すっきりポール」の方が値段は高かったが、どちらにするのか、といったことを打ち合わせた上で、図面を最終決定するようにしてきました。 しかし、経験の浅い人で、そういった話をしないで図面を決めて建て、あとから、こんなはずじゃなかった、となるケースはあったようです。 私は実際に住宅建築業の営業の仕事を経験してこういう認識を身につけたのです。「設計」という職種名の人間に立面図を書かせると、手書きで作成する場合でもCADで作成する場合でも、立面図にテレビアンテナは書きません。彼らの頭の中にテレビアンテナは存在しないのです。しかし、将来にわたってテレビは見ないという施主ならともかく、そうでないなら、テレビアンテナをどうするかということは考えないといけないはずです。千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕で「工事責任者」を名のりながら工事の内容に責任を取らないU草が、「ぼく、営業やったことないですけど、営業できますから」と何度も何度も大きな声で言っていましたが、「やったことない」人間にそういう配慮ができるでしょうか。 住宅建築業の営業という仕事はやったことがないような人間にできる仕事ではないはずで、とくに、U草のようながさつな性格の人間にこういう繊細な配慮ができるかというと、期待できにくいと思います。「ぼく、営業やったことないですけど、営業できますから」という暴言は、「ぼく、営業の仕事をなめてますから」と言っているのと変わりません。そういう住宅建築業の営業の仕事のベテランの人間が聞くと「なんとも、カンにさわる文句」を大きな声で何度も何度も言うというあたり、そのあたりの無神経さも、営業の仕事に従事する人間の感性ではありません。
このアンテナですが、隣の建物のアンテナで、隣の旅館か飲食店のもののはずで、高台寺門前会に加入している構成員の旅館のはずなので、アンテナを立てないわけにもいかないとしても、立てる場所を建物の縁側からこの南庭を見た時に、もろに見える場所でない所に移してもらうといったことはできないものか。 高台寺や圓徳院とともに商売がなりたっているお店のはずですから、アンテナを立てるなと言われれば、ちょっとかんべんしてくれということになるとしても、圓徳院の縁側から南庭を見たときにもろに見える位置でない場所に移すということは工夫できないものか、店舗としてもそういう協力はしても悪くないのではないかと思いました。 もしくは、この庭園を造る際に、そのアンテナの前には縁側から見た時にアンテナが隠れるような樹木を配置するといったことを考えることはできなかったのか。 それとも、案外、「博士」とか「有名造園家」とかいうのは、「建築家」と一緒で「そんなもの」なのでしょうか。
↑ 高台寺の南側、 高台寺公園。
圓徳院のすぐ南は「旅館 力彌(りきや)」でその南が「波ぎ(はぎ)茶寮」。 「波ぎ(はぎ)茶寮」で食事をしました。 一見、高そうな構えですが、普通の値段で食事ができます。 「特別にエライ人」でなくても入らせてもらえる店らしいので、入りました。 何を食べようかと思い、やっぱり、京都ならニシンそばだ、と思い、ニシンそばを注文して食べました。 おいしくないわけではありません。 しかし、料理屋という構えの店なら阪急そばのニシンそばよりずっとうまいかと高レベルの期待をしてしまうと、ニシンそばはやっぱりニシンそば・・でした。 阪急そば のニシンそば はけっこうおいしいし、好きなんです・・なんて言うと、「料理屋」という店では怒られてしまうかもしれませんが。 おいしくなかったわけではないけれども、でも、ニシンそばはニシンそば、だった。
高台寺の南側、高台寺の伽藍と「表門」の間の位置に、「霊山観音(りょうぜんかんのん)」 がある。↓
↑ 高台寺の伽藍・庭園と表門の間の位置なので、高台寺の施設の1つかというと、《ウィキペディア―霊山観音(りょうぜんかんのん)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E5%B1%B1%E8%A6%B3%E9%9F%B3 を見ると、≪霊山観音(りょうぜんかんのん)は京都市東山区にある観音像で、第二次世界大戦の戦没者および戦争の犠牲者を追悼するため、1955年、帝産グループ創設者、石川博資によって建立された。高さ24m、重さは約500t、鉄骨コンクリート造。運営は宗教法人霊山観音教会が行っている。≫ということで、高台寺の施設ではないようだ。
高台寺の「表門」より南、夢見坂 と 法観寺 「八坂の塔」 ↓
↑ ≪ 正しくは法観寺の本堂にあたる。 もともとは飛鳥時代の建立といわれ、現在の塔は1440年(永享12)年に再建された。高さは46m。≫(『ブルーガイドニッポン 京都』1996.実業之日本社)

↑ 八坂の塔 と 高台寺・表門 の間を結ぶ道 「下河原(しもがわら)通り」京都らしい景観の通りだと思います。

(2015.11.25.)
☆ 紅葉の高台寺・圓徳院と高台寺天満宮参拝
1.表門、遺芳庵、小堀遠州作という偃月池と庭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_4.html
2.方丈前庭、開山堂+雇用均等室の不見識 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_5.html
3.紅葉の臥龍池・霊屋、利休設計という傘亭・時雨亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_6.html
4.怒りの綱敷天神より勧請した高台寺天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
5.圓徳院、八坂の塔、「京都的」な下河原通 〔今回〕
紅葉の高台寺・圓徳院と高台寺天満宮参拝 5部作 に掲載した写真の撮影日は11月18日です。 紅葉は「見ごろ」だと思いますが、「見ごろ」の時期というのは、人手が多いので、寺への訪問として考えると、そういった季節でない方が落ち着いてその場所で過ごせるかもしれません。 高台寺の受付より内部では、できれば、すべての場所で自分のペースで移動したかったのですが、人の流れに沿って移動するような感じの所が多くなってしまいました。 もっとも、高台寺の場合、『四季花めぐり 錦繍の名刹 京都・奈良』(2002.10.31.小学館)には、≪・・・(高台寺は、)春の桜、秋の萩が有名だが、晩秋を彩る紅葉も負けていない。≫と出ていますので、桜の季節、萩の季節もまた違った景観を見ることができるのかもしれませんが、同時に、人の多い混雑した季節がそれだけ多いということかもしれません。 10月23日~12月13日は、夜間はライトアップされるそうで(22:00まで。21:30受付終了。)〔『旅の手帳11 古都・紅葉めぐり』(2015.10.10.交通新聞社)〕、≪昼夜で異なる表情の紅葉が楽しめるのは、高台寺。≫(『四季花めぐり 錦繍の名刹 京都・奈良』2002.小学館)だそうです。 春の桜と違って花見と口実をつけてどんちゃん騒ぎする人は紅葉にはないだろうから・・・て、あるかな・・。 ないだろうな、さすがに、それは。
※高台寺HP http://www.kodaiji.com/index.html
圓徳院HP http://www.kodaiji.com/entoku-in/idx.shtml
掌美術館HP https://www.kodaiji.com/museum/
《ウィキペディア―法観寺》(八坂の塔)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%A6%B3%E5%AF%BA
霊前観音HP http://www.ryozen-kwannon.jp/
波ぎ茶寮HP http://www.eonet.ne.jp/~kyoto-hagi/
↑ 台所坂(だいどころざか) 高台寺から西側の「ねねの道」までの間の石の階段
↑ 高台寺の西、圓徳院・掌美術館の東 の南北の通り(「ねねの道」 と、「東山路傍触れ仏マップ」と「高台寺門前会マップ」には書かれている。)
↑ 高台寺の塔頭 圓徳院(えんとくいん) の入口 と 掌美術館(しょう びじゅつかん)
「力彌(りきや)」と書かれたものはその位置より手前側(南側)の旅館の看板で、その向こう側(北側)が圓徳院の入口、さらに向こう側(北側)が高台寺 掌美術館(しょうびじゅつかん)。
≪ 圓徳院は高台寺の塔頭で、高台寺の西に位置する。 寛永9年(1632)に北政所の甥木下利房が邸宅を寺院に改めて創建したもの。≫(森谷尅久 監修・京都商工会議所 編『改訂版 京都 観光文化検定 公式テキストブック』(2005.初版、 2007. 8版 淡交社)
≪ 豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅許されたのを機縁に、高台寺建立を発願し、慶長10(1605)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住んだ。・・・ねね58歳のことである。 これが今日の圓徳院の起こりであり、(1624年に、)ねね77歳で没するまでの19年間をこの地で余生を送り、この地は北政所の終焉の地となった。≫(圓徳院でいただいたリーフレット)
圓徳院には、現在は、庭園が北庭と南庭がある。
北庭の方が↓
↑ 圓徳院 北庭 (国名勝指定)
圓徳院でいただいたリーフレットには、≪北庭は桃山時代の気風が伝わる枯山水で、「旧圓徳院庭園」として国の名勝に指定される。≫(森谷尅久 監修・京都商工会議所 編『改訂版 京都 観光文化検定 公式テキストブック』(2005.初版、 2007. 8版 淡交社)
≪ もともと伏見城北政所化粧御殿の前庭を移したもので、当時の原型をほぼそのままに留める桃山時代の代表的庭園のひとつである。 賢庭作で後に小堀遠州が手を加えた。 池泉回遊式だが枯山水となっている。・・・築山を中心にして左右に多数の石組を二等辺三角形にまとめて数群展開させ、あるいは蓬莱石組を作る。 ・・・このように多数の巨岩大岩がふんだんに置かれている庭は珍しく、これが桃山時代の豪華さ、豪胆さである。≫と出ている。
圓徳院で説明していただいた話によると、二等辺三角形に配置することで、特別に広いわけでない庭を広く見せる効果があるそうで、ここにある巨岩大岩は全国の大名が豊臣秀吉に贈呈したものだそうで、それゆえに、これだけ巨岩大岩があるそうです。 「賢庭」という人は小堀遠州の弟子だった人だというお話でした。
豊臣秀吉の権力のもとに、全国の大名が贈った各地域の巨岩大岩を使用して造られた庭園だということですが、日光の東照宮や奥社、家光廟大猷院 など見ると、その時代の権力者が作ったものだという印象を受けるもので、奥社に登る石段にしても、ものすごい巨石が使用されていましたが、その時代の権力者がそれを誇示するべく作ったものかという感じのするもので、ブルーノ=タウトは桂離宮や伊勢神宮を賞賛し日光東照宮を「いかもの」と低く評価したわけですが、その時代の最高権力者が作るものなんてそんなものではないのか、大阪城にしても金閣にしてもベルサイユ宮殿にしてもそうではないのか、とも思ったのですが、しかし、この圓徳院北庭は、豊臣秀吉の権力のもとに全国の大名が各地域の巨岩大岩を贈って作られたというものの、「最高権力者が権力を誇示するように作った」という印象は特に受けないのですが、そのあたりは、さすがに小堀遠州とその弟子という賢庭によるものと見るべきか・・・と思ったのですが、全国の大名が豊臣秀吉に贈呈した巨岩大岩を使用して造られたと知った上でこの写真を見ると、やっぱり、権力者の庭かな・・という感じもしないでもありません。
南庭 は、圓徳院でいただいたリーフレットによると、≪ 森 蘊 博士指導 徳村宗悦 氏作 ≫だそうです。ということは、北庭は昔からのものであるが、南庭は比較的最近に作られたものということでしょうか。↓
↑ 圓徳院 南庭
昔昔からのものではないとしても、なかなか素敵な庭園です・・・・・が、ふと見ると↓
↑東寄り、樹木の上に隣のテレビアンテナがあ~あ・・・・・・。
普通の人間が住む普通の戸建住宅を建てる場合も、けっこうくせものがテレビのアンテナで、外観デザインを考慮して建てて、できたあ~あ・・・・と完成を喜んで、最後の最後に屋根のてっぺんに「おばけのQ太郎」の「あたま~のてっぺんに、毛が3本、毛が3本♪」(⇒《YouTube―オバケのQ太郎 》https://www.youtube.com/watch?v=tAvA4pXmhXA)て感じでテレビのアンテナが建ち、がっかり・・・ということになってしまう可能性があります。 私は住宅建築業の営業を長くやってきましたが、ある程度以上の経験がある営業なら、そのあたりをお施主様に説明をして、テレビのアンテナはどうするのか、どこに立てるのか、屋根の上に立てるのか、それとも、別にポールを立ててポールにアンテナを立てるのか。 ケーブルテレビを利用するのか。 ポールを立てる場合、テレビのアンテナだけでよいのか、FMや衛星放送のアンテナもそこに立てるのか、衛星放送のアンテナ(円形のやつ)はベランダにつけるのか。 又、ポールには「すっきりポール」といって中が空洞になっていて空洞の部分に配線を通すようになっているものと、そうでないアンテナポールがあり、中に配線を通す「すっきりポール」の方が値段は高かったが、どちらにするのか、といったことを打ち合わせた上で、図面を最終決定するようにしてきました。 しかし、経験の浅い人で、そういった話をしないで図面を決めて建て、あとから、こんなはずじゃなかった、となるケースはあったようです。 私は実際に住宅建築業の営業の仕事を経験してこういう認識を身につけたのです。「設計」という職種名の人間に立面図を書かせると、手書きで作成する場合でもCADで作成する場合でも、立面図にテレビアンテナは書きません。彼らの頭の中にテレビアンテナは存在しないのです。しかし、将来にわたってテレビは見ないという施主ならともかく、そうでないなら、テレビアンテナをどうするかということは考えないといけないはずです。千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕で「工事責任者」を名のりながら工事の内容に責任を取らないU草が、「ぼく、営業やったことないですけど、営業できますから」と何度も何度も大きな声で言っていましたが、「やったことない」人間にそういう配慮ができるでしょうか。 住宅建築業の営業という仕事はやったことがないような人間にできる仕事ではないはずで、とくに、U草のようながさつな性格の人間にこういう繊細な配慮ができるかというと、期待できにくいと思います。「ぼく、営業やったことないですけど、営業できますから」という暴言は、「ぼく、営業の仕事をなめてますから」と言っているのと変わりません。そういう住宅建築業の営業の仕事のベテランの人間が聞くと「なんとも、カンにさわる文句」を大きな声で何度も何度も言うというあたり、そのあたりの無神経さも、営業の仕事に従事する人間の感性ではありません。
このアンテナですが、隣の建物のアンテナで、隣の旅館か飲食店のもののはずで、高台寺門前会に加入している構成員の旅館のはずなので、アンテナを立てないわけにもいかないとしても、立てる場所を建物の縁側からこの南庭を見た時に、もろに見える場所でない所に移してもらうといったことはできないものか。 高台寺や圓徳院とともに商売がなりたっているお店のはずですから、アンテナを立てるなと言われれば、ちょっとかんべんしてくれということになるとしても、圓徳院の縁側から南庭を見たときにもろに見える位置でない場所に移すということは工夫できないものか、店舗としてもそういう協力はしても悪くないのではないかと思いました。 もしくは、この庭園を造る際に、そのアンテナの前には縁側から見た時にアンテナが隠れるような樹木を配置するといったことを考えることはできなかったのか。 それとも、案外、「博士」とか「有名造園家」とかいうのは、「建築家」と一緒で「そんなもの」なのでしょうか。
↑ 高台寺の南側、 高台寺公園。
圓徳院のすぐ南は「旅館 力彌(りきや)」でその南が「波ぎ(はぎ)茶寮」。 「波ぎ(はぎ)茶寮」で食事をしました。 一見、高そうな構えですが、普通の値段で食事ができます。 「特別にエライ人」でなくても入らせてもらえる店らしいので、入りました。 何を食べようかと思い、やっぱり、京都ならニシンそばだ、と思い、ニシンそばを注文して食べました。 おいしくないわけではありません。 しかし、料理屋という構えの店なら阪急そばのニシンそばよりずっとうまいかと高レベルの期待をしてしまうと、ニシンそばはやっぱりニシンそば・・でした。 阪急そば のニシンそば はけっこうおいしいし、好きなんです・・なんて言うと、「料理屋」という店では怒られてしまうかもしれませんが。 おいしくなかったわけではないけれども、でも、ニシンそばはニシンそば、だった。
高台寺の南側、高台寺の伽藍と「表門」の間の位置に、「霊山観音(りょうぜんかんのん)」 がある。↓
↑ 高台寺の伽藍・庭園と表門の間の位置なので、高台寺の施設の1つかというと、《ウィキペディア―霊山観音(りょうぜんかんのん)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E5%B1%B1%E8%A6%B3%E9%9F%B3 を見ると、≪霊山観音(りょうぜんかんのん)は京都市東山区にある観音像で、第二次世界大戦の戦没者および戦争の犠牲者を追悼するため、1955年、帝産グループ創設者、石川博資によって建立された。高さ24m、重さは約500t、鉄骨コンクリート造。運営は宗教法人霊山観音教会が行っている。≫ということで、高台寺の施設ではないようだ。
高台寺の「表門」より南、夢見坂 と 法観寺 「八坂の塔」 ↓
↑ ≪ 正しくは法観寺の本堂にあたる。 もともとは飛鳥時代の建立といわれ、現在の塔は1440年(永享12)年に再建された。高さは46m。≫(『ブルーガイドニッポン 京都』1996.実業之日本社)
↑ 八坂の塔 と 高台寺・表門 の間を結ぶ道 「下河原(しもがわら)通り」京都らしい景観の通りだと思います。
(2015.11.25.)
☆ 紅葉の高台寺・圓徳院と高台寺天満宮参拝
1.表門、遺芳庵、小堀遠州作という偃月池と庭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_4.html
2.方丈前庭、開山堂+雇用均等室の不見識 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_5.html
3.紅葉の臥龍池・霊屋、利休設計という傘亭・時雨亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_6.html
4.怒りの綱敷天神より勧請した高台寺天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
5.圓徳院、八坂の塔、「京都的」な下河原通 〔今回〕
紅葉の高台寺・圓徳院と高台寺天満宮参拝 5部作 に掲載した写真の撮影日は11月18日です。 紅葉は「見ごろ」だと思いますが、「見ごろ」の時期というのは、人手が多いので、寺への訪問として考えると、そういった季節でない方が落ち着いてその場所で過ごせるかもしれません。 高台寺の受付より内部では、できれば、すべての場所で自分のペースで移動したかったのですが、人の流れに沿って移動するような感じの所が多くなってしまいました。 もっとも、高台寺の場合、『四季花めぐり 錦繍の名刹 京都・奈良』(2002.10.31.小学館)には、≪・・・(高台寺は、)春の桜、秋の萩が有名だが、晩秋を彩る紅葉も負けていない。≫と出ていますので、桜の季節、萩の季節もまた違った景観を見ることができるのかもしれませんが、同時に、人の多い混雑した季節がそれだけ多いということかもしれません。 10月23日~12月13日は、夜間はライトアップされるそうで(22:00まで。21:30受付終了。)〔『旅の手帳11 古都・紅葉めぐり』(2015.10.10.交通新聞社)〕、≪昼夜で異なる表情の紅葉が楽しめるのは、高台寺。≫(『四季花めぐり 錦繍の名刹 京都・奈良』2002.小学館)だそうです。 春の桜と違って花見と口実をつけてどんちゃん騒ぎする人は紅葉にはないだろうから・・・て、あるかな・・。 ないだろうな、さすがに、それは。
※高台寺HP http://www.kodaiji.com/index.html
圓徳院HP http://www.kodaiji.com/entoku-in/idx.shtml
掌美術館HP https://www.kodaiji.com/museum/
《ウィキペディア―法観寺》(八坂の塔)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%A6%B3%E5%AF%BA
霊前観音HP http://www.ryozen-kwannon.jp/
波ぎ茶寮HP http://www.eonet.ne.jp/~kyoto-hagi/
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