梅の花咲く湯島天満宮(東京都文京区)参拝(中)―湯島天満宮 社殿・撫で牛・「湯島の白梅」・神輿…
[第392回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(30)-2
「胴鳥居」をくぐって参道を進むと、左手に手水舎があり、その両側に牛の像がいます。 牛の像が1匹である天神社では社殿左か右の前あたりにいることが多く〔たとえば、飛騨天満宮(岐阜県高山市)⇒[第202回]《飛騨天満宮(高山市)上‐冤罪を晴らす神・菅原道真・怨念を晴らす旅(12)。松本家住宅。飛騨の家具館》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html 、亀戸天神社(東京都江東区)⇒[第330回]《『路傍の石』とともに歩む亀戸天神―藤の「花は遅かった」(5月4日)、及、亀戸界隈今昔》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html 〕、村山天神(岐阜県高山市)〔⇒[第279回]《村山天神(高山市国府町)参拝(2)、社殿参拝。社殿の床下換気の工夫。―高山シリーズ第2回(2)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html 〕 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html 〕では、入口の鳥居の前に牛の像がいます。 2匹である場合は、千代田区の平河天満宮では社殿の前の左右に狛犬がいて、狛犬のさらに前の両側に牛の像がいます。([第140回]《冤罪を晴らす神様・菅原道真を祀る 平河天満宮に行ってきました》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html の写真参照。) 湯島天満宮では、牛の像は2匹ですが、社殿の前の左右(東西)の狛犬の前に牛が配置されるのではなく、手水舎の両側(北と南)に配置されています。
↑ 手水舎の北側の 牛の像(撫で牛)
↑ 手水舎の南側の牛の像(撫で牛)
※《湯島天神HP 天神さまと牛》http://www.yushimatenjin.or.jp/pc/engi/ushi.htm
さて、今回は、湯島天神(湯島天満宮)参拝でも、特に梅の花の季節ということで、梅に重心を置いて見学しようと考えたのですが、「湯島の白梅」て、なんかどこかで聞いたような気がしませんか。 湯島天神にも「湯島の白梅」と梅園に書かれていたものがあったのですが、どこで聞いたのだろう・・・と思ってインターネットで検索すると、《ウィキペディア―婦系図 湯島の白梅》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A9%A6%E7%B3%BB%E5%9B%B3_%E6%B9%AF%E5%B3%B6%E3%81%AE%E7%99%BD%E6%A2%85 によると、≪『婦系図 湯島の白梅』(おんなけいず ゆしまのしらうめ)は、泉鏡花の小説『婦系図』を原作とした1955年の日本の映画作品である。≫≪山本富士子が主演でありその後、山本主演でテレビドラマ化や舞台化もされた。≫≪フジテレビのシオノギテレビ劇場にて1966年6月9日と6月16日の2回に分け、湯島の白梅というタイトルで放送された。≫そうだ。
※《YouTube-湯島の白梅 鶴田浩二 》https://www.youtube.com/watch?v=PKNekQzg-C4
前回、梅園の前に「筆塚 泉鏡花」と書かれた石碑が立っているのを掲載しました。 筆塚は各地の天神社によく配置されていますが、湯島天神の筆塚は、なぜ、「筆塚 泉鏡花」なのだろうと思ったのですが、『婦系図(おんなけいず)』という泉鏡花の小説とそれをもとにした『婦系図 湯島の白梅(おんなけいず ゆしまのしらうめ)』という映画、『湯島の白梅』というテレビドラマがあったことからのようです・・・が、なぜ、「筆塚」とセットになるのでしょう。
↑ 拝殿、 南東側から見たもの。
↑ 社殿。 南西側から見たもの。 拝殿+幣殿+本殿の三部構成の 石の間づくり です。 日光東照宮の「権現造」という表現が、拝殿+幣殿+本殿 の三部構成の社殿に使用されることが少なくないのですが、宮城県の大崎八幡宮では、日光東照宮よりも大崎八幡宮の方が先に建てられていることから、「権現造」と言わずに「石の間造」と言っているといいますが、先か後かよりも、≪・・北野天満宮は、本殿と拝殿を石之間で繋ぐ平面を一つの屋根で覆う複雑な形式を持つ(権現造・八棟造〔やつむねづくり〕)、この形式は平安後期に成立したと考えられるが、近世に盛んに建立された霊廟建築の定型となった。 ただし、この形式を採用した神社・霊廟建築が非常に装飾的であるのに対し、範となった北野天満宮は比較的簡素な意匠である。 ≫(西田雅嗣・矢ヶ崎善太郎 編『カラー版 図説 建築の歴史 西洋・日本・近代』(2013.12.15.学芸出版社)というように、世間では権現造の代表のように言われ、東照大権現(徳川家康)を祀る東照宮から「権現造」という言葉が出てきているわけですが、北野天満宮の場合は、拝殿+幣殿(石の間)+本殿 の3部構成ではあるけれども、日光東照宮ほど「きんきらきんにさりげなく♪」てことはないわけで、もしも、拝殿+幣殿(石の間)+本殿 の3部構成であるとともに「きんきらきんにさりげなく♪」が「権現造」だとすると、北野天満宮、及び、その系統の社殿は「権現造」と呼ぶのはふさわしいとも言えないのではないか。 とりあえず、拝殿+幣殿(石の間)+本殿 の3部構成のものは「石の間造」と呼び、「石の間造」で、かつ、「きんきらきんにさりげなく♪」のものを「権現造」と呼んでみてはどうか・・・・と考えると、↑などは、「石の間造」と呼んでおいて方がよいのでは、という気もします。 もっとも、そうなると、今度は、どこまで「きんきらきん」にすると「権現造」で、どこまでが「石の間造」なのかということにもなってきますが、まあ、そのへんは、あまり厳密にどうこう言っても、現実にあるものを見て、適宜、どっちかとするとでもしないと、なにしろ、神社を訪問してみると、あちらこちらで、「○○造と呼ばれる独特の形式」とか書かれていて、みんな、自分のところが独特みたいに言ってるようなところがありますから、細かく分けていくときりがないようなところがあります。 とりあえず、湯島天満宮の社殿は、↑↓の写真で見ても、それほど「きんきらきん」ではなく、日光東照宮型か北野天満宮型かというと北野天満宮型で、そもそも、東照宮ではなく天満宮ですから、「石の間造」ということにしてよいのではないでしょうか。
↑ 社殿の背面(北面)
神社というのは、社殿の後ろにまわってみるべきものか、後ろにはまわるべきではないのか、というのは、いつも考えることなのですが、北野天満宮でも大阪天満宮でも背面からも拝むようになっており、天神社は後ろからも拝むようになっている神社が多いようですが、湯島天満宮でも、この写真で見ると、後ろ側にも 門があって賽銭箱が置かれているようです。 もっとも、神社としては、賽銭箱はどこに置いても悪いということはないものかもしれませんけれども。
この社殿は、1995年(平成7年)に建替えたものらしく、≪現在の建築基準法では、たとえ社寺建築であろうと防火地域では新たに木造建築は認められていないのだが、万全の防災設備をととのえ、(財)防災性能評定委員会の一年近い慎重審議を経て、建設大臣認定第一号として特に木造建築が許可された。 建材は、営林署と木曽木材組合の全面的な協力を得て、樹齢二百五十年といわれる木曽檜を使用しています。・・・≫(《湯島天神HP 総檜造の社殿》http://www.yushimatenjin.or.jp/pc/syaden/f_syaden.htm )
↑ 「梅まつり」開催中ということで、神輿がかつがれていた。
ところで。 東京の天神社として、知名度の高い天神社としては、1番は、この湯島天神。 境内の広さでは亀戸天神ではないかと思います。 戸部民夫『日本の神様がわかる本』(2005.1.5.PHP研究所)には、菅原道真を祀る神社として、京都の北野天満宮と福岡の大宰府天満宮、山口県防府市の防府天満宮、それに東京の亀戸天神と湯島天神が出ています。 天神・天満・菅原・北野系の神社としては、京都の北野天満宮と福岡県の大宰府天満宮ははずせないとして、3つ目としては、大阪天満宮を入れるか、山口県の防府天満宮を入れるか、鎌倉の荏柄天神社を入れる説もあるようですが、やはり、最近は、東京が首都となって力が強いものですから、東京の神社を1つは入れようということになるようで、そうした時、1つとなるとどこか。 『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』(1994.12.20.鎌倉新書)の「全国天満宮めぐり」では、東京都では、23区内で、湯島・亀戸・平河天満宮・西向天神社・五條天神社が出ており、23区外で、谷保天満宮・町田天満宮が出ています。 やっぱり、こうなると、東京帝国主義大学の地元の湯島は立地から有利ではないかという感じがしてきますね。切り通しをはさんで、ポポロ事件の本富士警察署と対峙しているあたりを見ても、いかにも「冤罪を晴らす神さま」て感じがしますし。 しかし、《湯島天神ホームページ 湯島天神縁起》http://www.yushimatenjin.or.jp/pc/engi/f_engi.htm を見ると、祭神は、≪天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと) 菅原道真公(すがわらみちざねこう)≫と二人でており、しかも、菅原道真でない方の神さんの方が先に出ているのです。「天満宮」なのに。
アメノタヂカラオノミコト というと、天岩戸の前で、アメノウズメがストリップショーをやって神さんどもが大喜びした時に、アマテラスが女のくせして、私も見たいわあと岩戸の中からのぞき見した時、横から女の手をつかんで引っ張り出したというおっさんだったはずです。
《湯島天神HP 湯島天神縁起》http://www.yushimatenjin.or.jp/pc/engi/f_engi.htm には、≪ 雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平十年(1355)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10年(1478)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く、・・・・≫とでていますが、458年というと、「なんと(710)立派な平城京」で平城京遷都が710年、「大宝律令名はひ(701)とつ」で大宝律令制定が701年、「蒸し米(645)ふかして大化の改新」が645年で、最近は中大兄と中臣鎌足によるクーデターを「乙巳の変(いっしのへん)」と呼んで大化の改新と分けるようになったらしいが、その「乙巳の変(いっしのへん)」が645年、それらよりもま~だまだ前のことであり、そんな時代のこと、「ほんまにその通りか」とか言われても、そんなこと言われても知りまへんがな、てところでしょうな・・・・。 ですけれども、どうも、菅原道真≒天神 を祀るより前から、アメノタジカラオ だったのかどうかはよくわからないところもあるが、この付近に神社のようなものがあって、菅原道真≒天神とは別の神さんが祀られていたらしい。 で、何のご利益があるかよくわからんアメノタジカラオよりも、地の利を生かして東大ともコラボ、駿台予備校ともコラボ(?)して、「学問の神さん」ということで売り出すと、こりぁ、商売繁盛で笹もってこ~い♪ て感じで繁盛するんとちゃうかいなあ~あ・・・・と思った(よいこの小学生向き全国の校長先生推薦図書・夏目漱石の『坊ちゃん』にも出てるし、「湯島のかげま」として)・・・かどうかわからんが、今では天神さんの方が有名になった、てところでしょうか。 この罰当たりめ!とか言わないでよ。実際、来ている人、「天神さん」を祀ってるのは誰でも知ってるでしょうけれども、アメノタジカラオと言われても、「誰、それえ~え?」「そんなおじさん、知らな~い」とか言う人が多いのではないかと思うのだ。 要するにな。 嫌がる女の手をつかんで力づくで自分の方に引っ張った手の力の神さんや・・・なんて言うと怒られるか・・。 別に間違ってはおらんのだが。
梅の花咲く湯島天神参拝の(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html では、湯島天神を北に降りて、菊坂に向かいます。よろしく。
(2016.2.29.)
☆冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 〔今回〕
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
意富比神社 末社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市(白井市河原子の)天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
千葉神社 摂社 千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html 永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
熊本県
山崎菅原神社(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html
船場天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html
手取天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_8.html
「胴鳥居」をくぐって参道を進むと、左手に手水舎があり、その両側に牛の像がいます。 牛の像が1匹である天神社では社殿左か右の前あたりにいることが多く〔たとえば、飛騨天満宮(岐阜県高山市)⇒[第202回]《飛騨天満宮(高山市)上‐冤罪を晴らす神・菅原道真・怨念を晴らす旅(12)。松本家住宅。飛騨の家具館》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html 、亀戸天神社(東京都江東区)⇒[第330回]《『路傍の石』とともに歩む亀戸天神―藤の「花は遅かった」(5月4日)、及、亀戸界隈今昔》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html 〕、村山天神(岐阜県高山市)〔⇒[第279回]《村山天神(高山市国府町)参拝(2)、社殿参拝。社殿の床下換気の工夫。―高山シリーズ第2回(2)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html 〕 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html 〕では、入口の鳥居の前に牛の像がいます。 2匹である場合は、千代田区の平河天満宮では社殿の前の左右に狛犬がいて、狛犬のさらに前の両側に牛の像がいます。([第140回]《冤罪を晴らす神様・菅原道真を祀る 平河天満宮に行ってきました》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html の写真参照。) 湯島天満宮では、牛の像は2匹ですが、社殿の前の左右(東西)の狛犬の前に牛が配置されるのではなく、手水舎の両側(北と南)に配置されています。
↑ 手水舎の北側の 牛の像(撫で牛)
↑ 手水舎の南側の牛の像(撫で牛)
※《湯島天神HP 天神さまと牛》http://www.yushimatenjin.or.jp/pc/engi/ushi.htm
さて、今回は、湯島天神(湯島天満宮)参拝でも、特に梅の花の季節ということで、梅に重心を置いて見学しようと考えたのですが、「湯島の白梅」て、なんかどこかで聞いたような気がしませんか。 湯島天神にも「湯島の白梅」と梅園に書かれていたものがあったのですが、どこで聞いたのだろう・・・と思ってインターネットで検索すると、《ウィキペディア―婦系図 湯島の白梅》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A9%A6%E7%B3%BB%E5%9B%B3_%E6%B9%AF%E5%B3%B6%E3%81%AE%E7%99%BD%E6%A2%85 によると、≪『婦系図 湯島の白梅』(おんなけいず ゆしまのしらうめ)は、泉鏡花の小説『婦系図』を原作とした1955年の日本の映画作品である。≫≪山本富士子が主演でありその後、山本主演でテレビドラマ化や舞台化もされた。≫≪フジテレビのシオノギテレビ劇場にて1966年6月9日と6月16日の2回に分け、湯島の白梅というタイトルで放送された。≫そうだ。
※《YouTube-湯島の白梅 鶴田浩二 》https://www.youtube.com/watch?v=PKNekQzg-C4
前回、梅園の前に「筆塚 泉鏡花」と書かれた石碑が立っているのを掲載しました。 筆塚は各地の天神社によく配置されていますが、湯島天神の筆塚は、なぜ、「筆塚 泉鏡花」なのだろうと思ったのですが、『婦系図(おんなけいず)』という泉鏡花の小説とそれをもとにした『婦系図 湯島の白梅(おんなけいず ゆしまのしらうめ)』という映画、『湯島の白梅』というテレビドラマがあったことからのようです・・・が、なぜ、「筆塚」とセットになるのでしょう。
↑ 拝殿、 南東側から見たもの。
↑ 社殿。 南西側から見たもの。 拝殿+幣殿+本殿の三部構成の 石の間づくり です。 日光東照宮の「権現造」という表現が、拝殿+幣殿+本殿 の三部構成の社殿に使用されることが少なくないのですが、宮城県の大崎八幡宮では、日光東照宮よりも大崎八幡宮の方が先に建てられていることから、「権現造」と言わずに「石の間造」と言っているといいますが、先か後かよりも、≪・・北野天満宮は、本殿と拝殿を石之間で繋ぐ平面を一つの屋根で覆う複雑な形式を持つ(権現造・八棟造〔やつむねづくり〕)、この形式は平安後期に成立したと考えられるが、近世に盛んに建立された霊廟建築の定型となった。 ただし、この形式を採用した神社・霊廟建築が非常に装飾的であるのに対し、範となった北野天満宮は比較的簡素な意匠である。 ≫(西田雅嗣・矢ヶ崎善太郎 編『カラー版 図説 建築の歴史 西洋・日本・近代』(2013.12.15.学芸出版社)というように、世間では権現造の代表のように言われ、東照大権現(徳川家康)を祀る東照宮から「権現造」という言葉が出てきているわけですが、北野天満宮の場合は、拝殿+幣殿(石の間)+本殿 の3部構成ではあるけれども、日光東照宮ほど「きんきらきんにさりげなく♪」てことはないわけで、もしも、拝殿+幣殿(石の間)+本殿 の3部構成であるとともに「きんきらきんにさりげなく♪」が「権現造」だとすると、北野天満宮、及び、その系統の社殿は「権現造」と呼ぶのはふさわしいとも言えないのではないか。 とりあえず、拝殿+幣殿(石の間)+本殿 の3部構成のものは「石の間造」と呼び、「石の間造」で、かつ、「きんきらきんにさりげなく♪」のものを「権現造」と呼んでみてはどうか・・・・と考えると、↑などは、「石の間造」と呼んでおいて方がよいのでは、という気もします。 もっとも、そうなると、今度は、どこまで「きんきらきん」にすると「権現造」で、どこまでが「石の間造」なのかということにもなってきますが、まあ、そのへんは、あまり厳密にどうこう言っても、現実にあるものを見て、適宜、どっちかとするとでもしないと、なにしろ、神社を訪問してみると、あちらこちらで、「○○造と呼ばれる独特の形式」とか書かれていて、みんな、自分のところが独特みたいに言ってるようなところがありますから、細かく分けていくときりがないようなところがあります。 とりあえず、湯島天満宮の社殿は、↑↓の写真で見ても、それほど「きんきらきん」ではなく、日光東照宮型か北野天満宮型かというと北野天満宮型で、そもそも、東照宮ではなく天満宮ですから、「石の間造」ということにしてよいのではないでしょうか。
↑ 社殿の背面(北面)
神社というのは、社殿の後ろにまわってみるべきものか、後ろにはまわるべきではないのか、というのは、いつも考えることなのですが、北野天満宮でも大阪天満宮でも背面からも拝むようになっており、天神社は後ろからも拝むようになっている神社が多いようですが、湯島天満宮でも、この写真で見ると、後ろ側にも 門があって賽銭箱が置かれているようです。 もっとも、神社としては、賽銭箱はどこに置いても悪いということはないものかもしれませんけれども。
この社殿は、1995年(平成7年)に建替えたものらしく、≪現在の建築基準法では、たとえ社寺建築であろうと防火地域では新たに木造建築は認められていないのだが、万全の防災設備をととのえ、(財)防災性能評定委員会の一年近い慎重審議を経て、建設大臣認定第一号として特に木造建築が許可された。 建材は、営林署と木曽木材組合の全面的な協力を得て、樹齢二百五十年といわれる木曽檜を使用しています。・・・≫(《湯島天神HP 総檜造の社殿》http://www.yushimatenjin.or.jp/pc/syaden/f_syaden.htm )
↑ 「梅まつり」開催中ということで、神輿がかつがれていた。
ところで。 東京の天神社として、知名度の高い天神社としては、1番は、この湯島天神。 境内の広さでは亀戸天神ではないかと思います。 戸部民夫『日本の神様がわかる本』(2005.1.5.PHP研究所)には、菅原道真を祀る神社として、京都の北野天満宮と福岡の大宰府天満宮、山口県防府市の防府天満宮、それに東京の亀戸天神と湯島天神が出ています。 天神・天満・菅原・北野系の神社としては、京都の北野天満宮と福岡県の大宰府天満宮ははずせないとして、3つ目としては、大阪天満宮を入れるか、山口県の防府天満宮を入れるか、鎌倉の荏柄天神社を入れる説もあるようですが、やはり、最近は、東京が首都となって力が強いものですから、東京の神社を1つは入れようということになるようで、そうした時、1つとなるとどこか。 『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』(1994.12.20.鎌倉新書)の「全国天満宮めぐり」では、東京都では、23区内で、湯島・亀戸・平河天満宮・西向天神社・五條天神社が出ており、23区外で、谷保天満宮・町田天満宮が出ています。 やっぱり、こうなると、東京帝国主義大学の地元の湯島は立地から有利ではないかという感じがしてきますね。切り通しをはさんで、ポポロ事件の本富士警察署と対峙しているあたりを見ても、いかにも「冤罪を晴らす神さま」て感じがしますし。 しかし、《湯島天神ホームページ 湯島天神縁起》http://www.yushimatenjin.or.jp/pc/engi/f_engi.htm を見ると、祭神は、≪天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと) 菅原道真公(すがわらみちざねこう)≫と二人でており、しかも、菅原道真でない方の神さんの方が先に出ているのです。「天満宮」なのに。
アメノタヂカラオノミコト というと、天岩戸の前で、アメノウズメがストリップショーをやって神さんどもが大喜びした時に、アマテラスが女のくせして、私も見たいわあと岩戸の中からのぞき見した時、横から女の手をつかんで引っ張り出したというおっさんだったはずです。
《湯島天神HP 湯島天神縁起》http://www.yushimatenjin.or.jp/pc/engi/f_engi.htm には、≪ 雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平十年(1355)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10年(1478)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く、・・・・≫とでていますが、458年というと、「なんと(710)立派な平城京」で平城京遷都が710年、「大宝律令名はひ(701)とつ」で大宝律令制定が701年、「蒸し米(645)ふかして大化の改新」が645年で、最近は中大兄と中臣鎌足によるクーデターを「乙巳の変(いっしのへん)」と呼んで大化の改新と分けるようになったらしいが、その「乙巳の変(いっしのへん)」が645年、それらよりもま~だまだ前のことであり、そんな時代のこと、「ほんまにその通りか」とか言われても、そんなこと言われても知りまへんがな、てところでしょうな・・・・。 ですけれども、どうも、菅原道真≒天神 を祀るより前から、アメノタジカラオ だったのかどうかはよくわからないところもあるが、この付近に神社のようなものがあって、菅原道真≒天神とは別の神さんが祀られていたらしい。 で、何のご利益があるかよくわからんアメノタジカラオよりも、地の利を生かして東大ともコラボ、駿台予備校ともコラボ(?)して、「学問の神さん」ということで売り出すと、こりぁ、商売繁盛で笹もってこ~い♪ て感じで繁盛するんとちゃうかいなあ~あ・・・・と思った(よいこの小学生向き全国の校長先生推薦図書・夏目漱石の『坊ちゃん』にも出てるし、「湯島のかげま」として)・・・かどうかわからんが、今では天神さんの方が有名になった、てところでしょうか。 この罰当たりめ!とか言わないでよ。実際、来ている人、「天神さん」を祀ってるのは誰でも知ってるでしょうけれども、アメノタジカラオと言われても、「誰、それえ~え?」「そんなおじさん、知らな~い」とか言う人が多いのではないかと思うのだ。 要するにな。 嫌がる女の手をつかんで力づくで自分の方に引っ張った手の力の神さんや・・・なんて言うと怒られるか・・。 別に間違ってはおらんのだが。
梅の花咲く湯島天神参拝の(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html では、湯島天神を北に降りて、菊坂に向かいます。よろしく。
(2016.2.29.)
☆冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 〔今回〕
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
意富比神社 末社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市(白井市河原子の)天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
千葉神社 摂社 千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html 永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
熊本県
山崎菅原神社(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html
船場天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html
手取天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_8.html
この記事へのコメント